蒲団
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著者名:田山花袋 

        一

 小石川の切支丹坂(きりしたんざか)から極楽水(ごくらくすい)に出る道のだらだら坂を下りようとして渠(かれ)は考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」
 数多い感情ずくめの手紙――二人の関係はどうしても尋常ではなかった。妻があり、子があり、世間があり、師弟の関係があればこそ敢(あえ)て烈(はげ)しい恋に落ちなかったが、語り合う胸の轟(とどろき)、相見る眼の光、その底には確かに凄(すさま)じい暴風(あらし)が潜んでいたのである。機会に遭遇(でっくわ)しさえすれば、その底の底の暴風は忽(たちま)ち勢を得て、妻子も世間も道徳も師弟の関係も一挙にして破れて了(しま)うであろうと思われた。少くとも男はそう信じていた。それであるのに、二三日来のこの出来事、これから考えると、女は確かにその感情を偽り売ったのだ。自分を欺いたのだと男は幾度も思った。けれど文学者だけに、この男は自ら自分の心理を客観するだけの余裕を有(も)っていた。年若い女の心理は容易に判断し得られるものではない、かの温(あたたか)い嬉(うれ)しい愛情は、単に女性特有の自然の発展で、美しく見えた眼の表情も、やさしく感じられた態度も都(すべ)て無意識で、無意味で、自然の花が見る人に一種の慰藉(なぐさみ)を与えたようなものかも知れない。一歩を譲って女は自分を愛して恋していたとしても、自分は師、かの女は門弟、自分は妻あり子ある身、かの女は妙齢の美しい花、そこに互に意識の加わるのを如何(いかん)ともすることは出来まい。いや、更に一歩を進めて、あの熱烈なる一封の手紙、陰に陽にその胸の悶(もだえ)を訴えて、丁度自然の力がこの身を圧迫するかのように、最後の情を伝えて来た時、その謎(なぞ)をこの身が解いて遣(や)らなかった。女性のつつましやかな性(さが)として、その上に猶(なお)露(あら)わに迫って来ることがどうして出来よう。そういう心理からかの女は失望して、今回のような事を起したのかも知れぬ。
「とにかく時機は過ぎ去った。かの女は既に他人(ひと)の所有(もの)だ!」
 歩きながら渠(かれ)はこう絶叫して頭髪をむしった。
 縞(しま)セルの背広に、麦稈帽(むぎわらぼう)、藤蔓(ふじづる)の杖(ステッキ)をついて、やや前のめりにだらだらと坂を下りて行く。時は九月の中旬、残暑はまだ堪(た)え難く暑いが、空には既に清涼の秋気が充(み)ち渡って、深い碧(みどり)の色が際立(きわだ)って人の感情を動かした。肴屋(さかなや)、酒屋、雑貨店、その向うに寺の門やら裏店(うらだな)の長屋やらが連(つらな)って、久堅町(ひさかたまち)の低い地には数多(あまた)の工場の煙筒(えんとつ)が黒い煙を漲(みなぎ)らしていた。
 その数多い工場の一つ、西洋風の二階の一室、それが渠の毎日正午(ひる)から通う処で、十畳敷ほどの広さの室(へや)で中央(まんなか)には、大きい一脚の卓(テーブル)が据えてあって、傍に高い西洋風の本箱、この中には総(すべ)て種々の地理書が一杯入れられてある。渠はある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯(へんしゅう)の手伝に従っているのである。文学者に地理書の編輯! 渠は自分が地理の趣味を有っているからと称して進んでこれに従事しているが、内心これに甘(あまん)じておらぬことは言うまでもない。後(おく)れ勝なる文学上の閲歴、断篇のみを作って未(いま)だに全力の試みをする機会に遭遇せぬ煩悶(はんもん)、青年雑誌から月毎に受ける罵評(ばひょう)の苦痛、渠(かれ)自らはその他日成すあるべきを意識してはいるものの、中心これを苦に病まぬ訳には行かなかった。社会は日増(ひまし)に進歩する。電車は東京市の交通を一変させた。女学生は勢力になって、もう自分が恋をした頃のような旧式の娘は見たくも見られなくなった。青年はまた青年で、恋を説くにも、文学を談ずるにも、政治を語るにも、その態度が総て一変して、自分等とは永久に相触れることが出来ないように感じられた。
 で、毎日機械のように同じ道を通って、同じ大きい門を入って、輪転機関の屋(いえ)を撼(うごか)す音と職工の臭い汗との交った細い間を通って、事務室の人々に軽く挨拶(あいさつ)して、こつこつと長い狭い階梯(はしご)を登って、さてその室(へや)に入るのだが、東と南に明いたこの室は、午後の烈しい日影を受けて、実に堪え難く暑い。それに小僧が無精で掃除(そうじ)をせぬので、卓の上には白い埃(ほこり)がざらざらと心地悪い。渠は椅子に腰を掛けて、煙草(たばこ)を一服吸って、立上って、厚い統計書と地図と案内記と地理書とを本箱から出して、さて静かに昨日の続きの筆を執り始めた。けれど二三日来、頭脳(あたま)がむしゃくしゃしているので、筆が容易に進まない。一行書いては筆を留めてその事を思う。また一行書く、また留める、又書いてはまた留めるという風。そしてその間に頭脳に浮んで来る考は総て断片的で、猛烈で、急激で、絶望的の分子が多い。ふとどういう聯想(れんそう)か、ハウプトマンの「寂(さび)しき人々」を思い出した。こうならぬ前に、この戯曲をかの女の日課として教えて遣ろうかと思ったことがあった。ヨハンネス・フォケラートの心事と悲哀とを教えて遣りたかった。この戯曲を渠が読んだのは今から三年以前、まだかの女のこの世にあることをも夢にも知らなかった頃であったが、その頃から渠は淋(さび)しい人であった。敢てヨハンネスにその身を比そうとは為(し)なかったが、アンナのような女がもしあったなら、そういう悲劇(トラジディ)に陥るのは当然だとしみじみ同情した。今はそのヨハンネスにさえなれぬ身だと思って長嘆した。
 さすがに「寂しき人々」をかの女に教えなかったが、ツルゲネーフの「ファースト」という短篇を教えたことがあった。洋燈(ランプ)の光明(あきら)かなる四畳半の書斎、かの女の若々しい心は色彩ある恋物語に憧(あこが)れ渡って、表情ある眼は更に深い深い意味を以(もっ)て輝きわたった。ハイカラな庇髪(ひさしがみ)、櫛(くし)、リボン、洋燈の光線がその半身を照して、一巻の書籍に顔を近く寄せると、言うに言われぬ香水のかおり、肉のかおり、女のかおり――書中の主人公が昔の恋人に「ファースト」を読んで聞かせる段を講釈する時には男の声も烈しく戦(ふる)えた。
「けれど、もう駄目だ!」
 と、渠は再び頭髪(かみ)をむしった。

        二

 渠(かれ)は名を竹中時雄と謂(い)った。
 今より三年前、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうに覚(さ)め尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作(ライフワーク)に力を尽す勇気もなく、日常の生活――朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづく倦(あ)き果てて了(しま)った。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み渉猟(あさ)っても満足が出来ぬ。いや、庭樹(にわき)の繁(しげ)り、雨の点滴(てんてき)、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。
 三十四五、実際この頃には誰にでもある煩悶(はんもん)で、この年頃に賤(いや)しい女に戯るるものの多いのも、畢竟(ひっきょう)その淋しさを医(いや)す為めである。世間に妻を離縁するものもこの年頃に多い。
 出勤する途上に、毎朝邂逅(であ)う美しい女教師があった。渠はその頃この女に逢(あ)うのをその日その日の唯一の楽みとして、その女に就いていろいろな空想を逞(たくましゅ)うした。恋が成立って、神楽坂(かぐらざか)あたりの小待合に連れて行って、人目を忍んで楽しんだらどう……。細君に知れずに、二人近郊を散歩したらどう……。いや、それどころではない、その時、細君が懐妊しておったから、不図難産して死ぬ、その後にその女を入れるとしてどうであろう。……平気で後妻に入れることが出来るだろうかどうかなどと考えて歩いた。
 神戸の女学院の生徒で、生れは備中(びっちゅう)の新見町(にいみまち)で、渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女から崇拝の情を以て充された一通の手紙を受取ったのはその頃であった。竹中古城と謂えば、美文的小説を書いて、多少世間に聞えておったので、地方から来る崇拝者渇仰者(かつごうしゃ)の手紙はこれまでにも随分多かった。やれ文章を直してくれの、弟子(でし)にしてくれのと一々取合ってはいられなかった。だからその女の手紙を受取っても、別に返事を出そうとまでその好奇心は募らなかった。けれど同じ人の熱心なる手紙を三通まで貰(もら)っては、さすがの時雄も注意をせずにはいられなかった。年は十九だそうだが、手紙の文句から推(お)して、その表情の巧みなのは驚くべきほどで、いかなることがあっても先生の門下生になって、一生文学に従事したいとの切なる願望(のぞみ)。文字は走り書のすらすらした字で、余程ハイカラの女らしい。返事を書いたのは、例の工場の二階の室で、その日は毎日の課業の地理を二枚書いて止(よ)して、長い数尺に余る手紙を芳子に送った。その手紙には女の身として文学に携わることの不心得、女は生理的に母たるの義務を尽さなければならぬ理由、処女にして文学者たるの危険などを縷々(るる)として説いて、幾らか罵倒(ばとう)的の文辞をも陳(なら)べて、これならもう愛想(あいそ)をつかして断念(あきら)めて了(しま)うであろうと時雄は思って微笑した。そして本箱の中から岡山県の地図を捜して、阿哲郡(あてつぐん)新見町の所在を研究した。山陽線から高梁川(たかはしがわ)の谷を遡(さかのぼ)って奥十数里、こんな山の中にもこんなハイカラの女があるかと思うと、それでも何となくなつかしく、時雄はその附近の地形やら山やら川やらを仔細(しさい)に見た。
 で、これで返辞をよこすまいと思ったら、それどころか、四日目には更に厚い封書が届いて、紫インキで、青い罫(けい)の入った西洋紙に横に細字で三枚、どうか将来見捨てずに弟子にしてくれという意味が返す返すも書いてあって、父母に願って許可を得たならば、東京に出て、然(しか)るべき学校に入って、完全に忠実に文学を学んでみたいとのことであった。時雄は女の志に感ぜずにはいられなかった。東京でさえ――女学校を卒業したものでさえ、文学の価値(ねうち)などは解らぬものなのに、何もかもよく知っているらしい手紙の文句、早速(さっそく)返事を出して師弟の関係を結んだ。
 それから度々(たびたび)の手紙と文章、文章はまだ幼稚な点はあるが、癖の無い、すらすらした、将来発達の見込は十分にあると時雄は思った。で一度は一度より段々互の気質が知れて、時雄はその手紙の来るのを待つようになった。ある時などは写真を送れと言って遣(や)ろうと思って、手紙の隅(すみ)に小さく書いて、そしてまたこれを黒々と塗って了った。女性には容色(きりょう)と謂(い)うものが是非必要である。容色のわるい女はいくら才があっても男が相手に為ない。時雄も内々胸の中で、どうせ文学を遣ろうというような女だから、不容色(ぶきりょう)に相違ないと思った。けれどなるべくは見られる位の女であって欲しいと思った。
 芳子が父母に許可(ゆるし)を得て、父に伴(つ)れられて、時雄の門を訪(おとの)うたのは翌年の二月で、丁度時雄の三番目の男の児の生れた七夜の日であった。座敷の隣の室は細君の産褥(さんじょく)で、細君は手伝に来ている姉から若い女門下生の美しい容色であることを聞いて少なからず懊悩(おうのう)した。姉もああいう若い美しい女を弟子にしてどうする気だろうと心配した。時雄は芳子と父とを並べて、縷々(るる)として文学者の境遇と目的とを語り、女の結婚問題に就いて予(あらかじ)め父親の説を叩(たた)いた。芳子の家は新見町でも第三とは下らぬ豪家で、父も母も厳格なる基督教信者(クリスチャン)、母は殊(こと)にすぐれた信者で、曽(かつ)ては同志社女学校に学んだこともあるという。総領の兄は英国へ洋行して、帰朝後は某官立学校の教授となっている。芳子は町の小学校を卒業するとすぐ、神戸に出て神戸の女学院に入り、其処(そこ)でハイカラな女学校生活を送った。基督(キリスト)教の女学校は他の女学校に比して、文学に対して総(すべ)て自由だ。その頃こそ「魔風恋風」や「金色夜叉(こんじきやしゃ)」などを読んではならんとの規定も出ていたが、文部省で干渉しない以前は、教場でさえなくば何を読んでも差支(さしつかえ)なかった。学校に附属した教会、其処で祈祷(きとう)の尊いこと、クリスマスの晩の面白いこと、理想を養うということの味をも知って、人間の卑(いや)しいことを隠して美しいことを標榜(ひょうぼう)するという群(むれ)の仲間となった。母の膝下(ひざもと)が恋しいとか、故郷(ふるさと)が懐(なつ)かしいとか言うことは、来た当座こそ切実に辛(つら)く感じもしたが、やがては全く忘れて、女学生の寄宿生活をこの上なく面白く思うようになった。旨味(おいし)い南瓜(かぼちゃ)を食べさせないと云っては、お鉢(はち)の飯に醤油(しょうゆ)を懸(か)けて賄方(まかないかた)を酷(いじ)めたり、舎監のひねくれた老婦の顔色を見て、陰陽(かげひなた)に物を言ったりする女学生の群の中に入っていては、家庭に養われた少女のように、単純に物を見ることがどうして出来よう。美しいこと、理想を養うこと、虚栄心の高いこと――こういう傾向をいつとなしに受けて、芳子は明治の女学生の長所と短所とを遺憾なく備えていた。
 尠(すくな)くとも時雄の孤独なる生活はこれによって破られた。昔の恋人――今の細君。曽(かつ)ては恋人には相違なかったが、今は時勢が移り変った。四五年来の女子教育の勃興(ぼっこう)、女子大学の設立、庇髪(ひさしがみ)、海老茶袴(えびちゃばかま)、男と並んで歩くのをはにかむようなものは一人も無くなった。この世の中に、旧式の丸髷(まるまげ)、泥鴨(あひる)のような歩き振、温順と貞節とより他(ほか)に何物をも有せぬ細君に甘んじていることは時雄には何よりも情けなかった。路(みち)を行けば、美しい今様(いまよう)の細君を連れての睦(むつま)じい散歩、友を訪えば夫の席に出て流暢(りゅうちょう)に会話を賑(にぎや)かす若い細君、ましてその身が骨を折って書いた小説を読もうでもなく、夫の苦悶(くもん)煩悶には全く風馬牛で、子供さえ満足に育てれば好いという自分の細君に対すると、どうしても孤独を叫ばざるを得なかった。「寂しき人々」のヨハンネスと共に、家妻というものの無意味を感ぜずにはいられなかった。これが――この孤独が芳子に由(よ)って破られた。ハイカラな新式な美しい女門下生が、先生! 先生! と世にも豪(えら)い人のように渇仰して来るのに胸を動かさずに誰がおられようか。
 最初の一月ほどは時雄の家に仮寓(かぐう)していた。華(はな)やかな声、艶(あで)やかな姿、今までの孤独な淋しいかれの生活に、何等の対照! 産褥から出たばかりの細君を助けて、靴下を編む、襟巻(えりまき)を編む、着物を縫う、子供を遊ばせるという生々した態度、時雄は新婚当座に再び帰ったような気がして、家門近く来るとそそるように胸が動いた。門をあけると、玄関にはその美しい笑顔、色彩に富んだ姿、夜も今までは子供と共に細君がいぎたなく眠って了って、六畳の室に徒(いたずら)に明らかな洋燈(ランプ)も、却(かえ)って侘(わび)しさを増すの種であったが、今は如何(いか)に夜更(よふ)けて帰って来ても、洋燈の下には白い手が巧に編物の針を動かして、膝(ひざ)の上に色ある毛糸の丸い玉! 賑かな笑声が牛込の奥の小柴垣(こしばがき)の中に充ちた。
 けれど一月ならずして時雄はこの愛すべき女弟子をその家に置く事の不可能なのを覚った。従順なる家妻は敢てその事に不服をも唱えず、それらしい様子も見せなかったが、しかもその気色(きしょく)は次第に悪くなった。限りなき笑声の中に限りなき不安の情が充ち渡った。妻の里方の親戚(しんせき)間などには現に一問題として講究されつつあることを知った。
 時雄は種々(いろいろ)に煩悶した後、細君の姉の家――軍人の未亡人で恩給と裁縫とで暮している姉の家に寄寓させて、其処(そこ)から麹町(こうじまち)の某女塾(じょじゅく)に通学させることにした。

        三

 それから今回の事件まで一年半の年月が経過した。
 その間二度芳子は故郷を省(せい)した。短篇小説を五種、長篇小説を一種、その他美文、新体詩を数十篇作った。某女塾では英語は優等の出来で、時雄の選択で、ツルゲネーフの全集を丸善から買った。初めは、暑中休暇に帰省、二度目は、神経衰弱で、時々癪(しゃく)のような痙攣(けいれん)を起すので、暫(しば)し故山の静かな処に帰って休養する方が好いという医師の勧めに従ったのである。
 その寓していた家は麹町の土手三番町、甲武(こうぶ)の電車の通る土手際(どてぎわ)で、芳子の書斎はその家での客座敷、八畳の一間、前に往来の頻繁(ひんぱん)な道路があって、がやがやと往来の人やら子供やらで喧(やかま)しい。時雄の書斎にある西洋本箱を小さくしたような本箱が一閑張(いっかんばり)の机の傍にあって、その上には鏡と、紅皿(べにざら)と、白粉(おしろい)の罎(びん)と、今一つシュウソカリの入った大きな罎がある。これは神経過敏で、頭脳(あたま)が痛くって為方(しかた)が無い時に飲むのだという。本箱には紅葉(こうよう)全集、近松世話浄瑠璃(せわじょうるり)、英語の教科書、ことに新しく買ったツルゲネーフ全集が際立って目に附く。で、未来の閨秀(けいしゅう)作家は学校から帰って来ると、机に向って文を書くというよりは、寧(むし)ろ多く手紙を書くので、男の友達も随分多い。男文字の手紙も随分来る。中にも高等師範の学生に一人、早稲田(わせだ)大学の学生に一人、それが時々遊びに来たことがあったそうだ。
 麹町土手三番町の一角には、女学生もそうハイカラなのが沢山居ない。それに、市ヶ谷見附の彼方(あちら)には時雄の妻君の里の家があるのだが、この附近は殊に昔風の商家の娘が多い。で、尠(すくな)くとも芳子の神戸仕込のハイカラはあたりの人の目を聳(そばだ)たしめた。時雄は姉の言葉として、妻から常に次のようなことを聞される。
「芳子さんにも困ったものですねと姉が今日も言っていましたよ、男の友達が来るのは好いけれど、夜など一緒に二七(不動)に出かけて、遅くまで帰って来ないことがあるんですって。そりゃ芳子さんはそんなことは無いのに決っているけれど、世間の口が喧(やかま)しくって為方(しかた)が無いと云っていました」
 これを聞くと時雄は定(きま)って芳子の肩を持つので、「お前達のような旧式の人間には芳子の遣(や)ることなどは判(わか)りやせんよ。男女が二人で歩いたり話したりさえすれば、すぐあやしいとか変だとか思うのだが、一体、そんなことを思ったり、言ったりするのが旧式だ、今では女も自覚しているから、為ようと思うことは勝手にするさ」
 この議論を時雄はまた得意になって芳子にも説法した。「女子ももう自覚せんければいかん。昔の女のように依頼心を持っていては駄目だ。ズウデルマンのマグダの言った通り、父の手からすぐに夫の手に移るような意気地なしでは為方が無い。日本の新しい婦人としては、自ら考えて自ら行うようにしなければいかん」こう言っては、イブセンのノラの話や、ツルゲネーフのエレネの話や、露西亜(ロシア)、独逸(ドイツ)あたりの婦人の意志と感情と共に富んでいることを話し、さて、「けれど自覚と云うのは、自省ということをも含んでおるですからな、無闇(むやみ)に意志や自我を振廻しては困るですよ。自分の遣ったことには自分が全責任を帯びる覚悟がなくては」
 芳子にはこの時雄の教訓が何より意味があるように聞えて、渇仰の念が愈□(いよいよ)加わった。基督(キリスト)教の教訓より自由でそして権威があるように考えられた。
 芳子は女学生としては身装(みなり)が派手過ぎた。黄金(きん)の指環をはめて、流行を趁(お)った美しい帯をしめて、すっきりとした立姿は、路傍の人目を惹(ひ)くに十分であった。美しい顔と云うよりは表情のある顔、非常に美しい時もあれば何だか醜い時もあった。眼に光りがあってそれが非常によく働いた。四五年前までの女は感情を顕(あら)わすのに極(きわ)めて単純で、怒った容(かたち)とか笑った容とか、三種、四種位しかその感情を表わすことが出来なかったが、今では情を巧に顔に表わす女が多くなった。芳子もその一人であると時雄は常に思った。
 芳子と時雄との関係は単に師弟の間柄としては余りに親密であった。この二人の様子を観察したある第三者の女の一人が妻に向って、「芳子さんが来てから時雄さんの様子はまるで変りましたよ。二人で話しているところを見ると、魂は二人ともあくがれ渡っているようで、それは本当に油断がなりませんよ」と言った。他(はた)から見れば、無論そう見えたに相違なかった。けれど二人は果してそう親密であったか、どうか。
 若い女のうかれ勝な心、うかれるかと思えばすぐ沈む。些細(ささい)なことにも胸を動かし、つまらぬことにも心を痛める。恋でもない、恋でなくも無いというようなやさしい態度、時雄は絶えず思い惑った。道義の力、習俗の力、機会一度至ればこれを破るのは帛(きぬ)を裂くよりも容易だ。唯(ただ)、容易に来(きた)らぬはこれを破るに至る機会である。
 この機会がこの一年の間に尠(すくな)くとも二度近寄ったと時雄は自分だけで思った。一度は芳子が厚い封書を寄せて、自分の不束(ふつつか)なこと、先生の高恩に報ゆることが出来ぬから自分は故郷に帰って農夫の妻になって田舎(いなか)に埋れて了(しま)おうということを涙交りに書いた時、一度は或る夜芳子が一人で留守番をしているところへゆくりなく時雄が行って訪問した時、この二度だ。初めの時は時雄はその手紙の意味を明かに了解した。その返事をいかに書くべきかに就いて一夜眠らずに懊悩(おうのう)した。穏かに眠れる妻の顔、それを幾度か窺(うかが)って自己の良心のいかに麻痺(まひ)せるかを自ら責めた。そしてあくる朝贈った手紙は、厳乎(げんこ)たる師としての態度であった。二度目はそれから二月ほど経(た)った春の夜、ゆくりなく時雄が訪問すると、芳子は白粉(おしろい)をつけて、美しい顔をして、火鉢(ひばち)の前にぽつねんとしていた。
「どうしたの」と訊(き)くと、
「お留守番ですの」
「姉は何処(どこ)へ行った?」
「四谷へ買物に」
 と言って、じっと時雄の顔を見る。いかにも艶(なまめ)かしい。時雄はこの力ある一瞥(いちべつ)に意気地なく胸を躍(おど)らした。二語三語(ふたことみこと)、普通のことを語り合ったが、その平凡なる物語が更に平凡でないことを互に思い知ったらしかった。この時、今十五分も一緒に話し合ったならば、どうなったであろうか。女の表情の眼は輝き、言葉は艶(なま)めき、態度がいかにも尋常(よのつね)でなかった。
「今夜は大変綺麗(きれい)にしてますね?」
 男は態(わざ)と軽く出た。
「え、先程、湯に入りましたのよ」
「大変に白粉が白いから」
「あらまア先生!」と言って、笑って体を斜(はす)に嬌態(きょうたい)を呈した。
 時雄はすぐ帰った。まア好いでしょうと芳子はたって留めたが、どうしても帰ると言うので、名残(なごり)惜しげに月の夜を其処(そこ)まで送って来た。その白い顔には確かにある深い神秘が籠(こ)められてあった。
 四月に入ってから、芳子は多病で蒼白(あおじろ)い顔をして神経過敏に陥っていた。ショウソカリを余程多量に服してもどうも眠られぬとて困っていた。絶えざる欲望と生殖の力とは年頃の女を誘うのに躊躇(ちゅうちょ)しない。芳子は多く薬に親しんでいた。
 四月末に帰国、九月に上京、そして今回(こんど)の事件が起った。
 今回の事件とは他(ほか)でも無い。芳子は恋人を得た。そして上京の途次、恋人と相携えて京都嵯峨(さが)に遊んだ。その遊んだ二日の日数が出発と着京との時日に符合せぬので、東京と備中との間に手紙の往復があって、詰問した結果は恋愛、神聖なる恋愛、二人は決して罪を犯してはおらぬが、将来は如何(いか)にしてもこの恋を遂げたいとの切なる願望(ねがい)。時雄は芳子の師として、この恋の証人として一面月下氷人(げっかひょうじん)の役目を余儀なくさせられたのであった。
 芳子の恋人は同志社の学生、神戸教会の秀才、田中秀夫、年二十一。

 芳子は師の前にその恋の神聖なるを神懸けて誓った。故郷の親達は、学生の身で、ひそかに男と嵯峨に遊んだのは、既にその精神の堕落であると云ったが、決してそんな汚(けが)れた行為はない。互に恋を自覚したのは、寧(むし)ろ京都で別れてからで、東京に帰って来てみると、男から熱烈なる手紙が来ていた。それで始めて将来の約束をしたような次第で、決して罪を犯したようなことは無いと女は涙を流して言った。時雄は胸に至大の犠牲を感じながらも、その二人の所謂(いわゆる)神聖なる恋の為めに力を尽すべく余儀なくされた。
 時雄は悶(もだ)えざるを得なかった。わが愛するものを奪われたということは甚(はなは)だしくその心を暗くした。元より進んでその女弟子を自分の恋人にする考は無い。そういう明らかな定った考があれば前に既に二度までも近寄って来た機会を攫(つか)むに於(おい)て敢(あえ)て躊躇(ちゅうちょ)するところは無い筈(はず)だ。けれどその愛する女弟子、淋(さび)しい生活に美しい色彩を添え、限りなき力を添えてくれた芳子を、突然人の奪い去るに任すに忍びようか。機会を二度まで攫むことは躊躇したが、三度来る機会、四度来る機会を待って、新(あらた)なる運命と新なる生活を作りたいとはかれの心の底の底の微(かす)かなる願であった。時雄は悶えた、思い乱れた。妬(ねた)みと惜しみと悔恨(くやみ)との念が一緒になって旋風のように頭脳(あたま)の中を回転した。師としての道義の念もこれに交って、益□(ますます)炎を熾(さか)んにした。わが愛する女の幸福の為めという犠牲の念も加わった。で、夕暮の膳(ぜん)の上の酒は夥(おびただ)しく量を加えて、泥鴨(あひる)の如(ごと)く酔って寝た。
 あくる日は日曜日の雨、裏の森にざんざん降って、時雄の為めには一倍に侘(わび)しい。欅(けやき)の古樹に降りかかる雨の脚(あし)、それが実に長く、限りない空から限りなく降っているとしか思われない。時雄は読書する勇気も無い、筆を執る勇気もない。もう秋で冷々(ひえびえ)と背中の冷たい籐椅子(とういす)に身を横(よこた)えつつ、雨の長い脚を見ながら、今回の事件からその身の半生のことを考えた。かれの経験にはこういう経験が幾度もあった。一歩の相違で運命の唯中に入ることが出来ずに、いつも圏外に立たせられた淋しい苦悶(くもん)、その苦しい味をかれは常に味(あじわ)った。文学の側でもそうだ、社会の側でもそうだ。恋、恋、恋、今になってもこんな消極的な運命に漂わされているかと思うと、その身の意気地なしと運命のつたないことがひしひしと胸に迫った。ツルゲネーフのいわゆる Superfluous man ! だと思って、その主人公の儚(はかな)い一生を胸に繰返した。
 寂寥(さびしさ)に堪えず、午(ひる)から酒を飲むと言出した。細君の支度の為ようが遅いのでぶつぶつ言っていたが、膳に載(の)せられた肴(さかな)がまずいので、遂に癇癪(かんしゃく)を起して、自棄(やけ)に酒を飲んだ。一本、二本と徳利の数は重(かさな)って、時雄は時の間(ま)に泥の如く酔った。細君に対する不平ももう言わなくなった。徳利の酒が無くなると、只、酒、酒と言うばかりだ。そしてこれをぐいぐいと呷(あお)る。気の弱い下女はどうしたことかと呆(あき)れて見ておった。男の児の五歳になるのを始めは頻(しき)りに可愛がって抱いたり撫(な)でたり接吻(せっぷん)したりしていたが、どうしたはずみでか泣出したのに腹を立てて、ピシャピシャとその尻を乱打したので、三人の子供は怖(こわ)がって、遠巻にして、平生(ふだん)に似もやらぬ父親の赤く酔った顔を不思議そうに見ていた。一升近く飲んでそのまま其処に酔倒れて、お膳の筋斗(とんぼ)がえりを打つのにも頓着(とんちゃく)しなかったが、やがて不思議なだらだらした節で、十年も前にはやった幼稚な新体詩を歌い出した。
君が門辺(かどべ)をさまよふは
巷(ちまた)の塵(ちり)を吹き立つる
嵐(あらし)のみとやおぼすらん。
その嵐よりいやあれに
その塵よりも乱れたる
恋のかばねを暁の
 歌を半ばにして、細君の被(か)けた蒲団(ふとん)を着たまま、すっくと立上って、座敷の方へ小山の如く動いて行った。何処へ? 何処へいらっしゃるんです? と細君は気が気でなくその後を追って行ったが、それにも関(かま)わず、蒲団を着たまま、厠(かわや)の中に入ろうとした。細君は慌(あわ)てて、
「貴郎(あなた)、貴郎、酔っぱらってはいやですよ。そこは手水場(ちょうずば)ですよ」
 突如(いきなり)蒲団を後から引いたので、蒲団は厠の入口で細君の手に残った。時雄はふらふらと危く小便をしていたが、それがすむと、突如(いきなり)□(どう)と厠の中に横に寝てしまった。細君が汚(きたな)がって頻(しき)りに揺(ゆす)ったり何かしたが、時雄は動こうとも立とうとも為ない。そうかと云って眠ったのではなく、赤土のような顔に大きい鋭い目を明(あ)いて、戸外(おもて)に降り頻(しき)る雨をじっと見ていた。

        四

 時雄は例刻をてくてくと牛込矢来町の自宅に帰って来た。
 渠(かれ)は三日間、その苦悶(くもん)と戦った。渠は性として惑溺(わくでき)することが出来ぬ或る一種の力を有(も)っている。この力の為めに支配されるのを常に口惜しく思っているのではあるが、それでもいつか負けて了(しま)う。征服されて了う。これが為め渠はいつも運命の圏外に立って苦しい味を嘗(な)めさせられるが、世間からは正しい人、信頼するに足る人と信じられている。三日間の苦しい煩悶(はんもん)、これでとにかく渠はその前途を見た。二人の間の関係は一段落を告げた。これからは、師としての責任を尽して、わが愛する女の幸福の為めを謀(はか)るばかりだ。これはつらい、けれどつらいのが人生(ライフ)だ! と思いながら帰って来た。
 門をあけて入ると、細君が迎えに出た。残暑の日はまだ暑く、洋服の下襦袢(したじゅばん)がびっしょり汗にぬれている。それを糊(のり)のついた白地の単衣(ひとえ)に着替えて、茶の間の火鉢(ひばち)の前に坐ると、細君はふと思い附いたように、箪笥(たんす)の上の一封の手紙を取出し、
「芳子さんから」
 と言って渡した。
 急いで封を切った。巻紙の厚いのを見ても、その事件に関しての用事に相違ない。時雄は熱心に読下した。
 言文一致で、すらすらとこの上ない達筆。
先生――
実は御相談に上りたいと存じましたが、余り急でしたものでしたから、独断で実行致しました。
昨日四時に田中から電報が参りまして、六時に新橋の停車場に着くとのことですもの、私はどんなに驚きましたか知れません。
何事も無いのに出て来るような、そんな軽率な男でないと信じておりますだけに、一層甚(はなはだ)しく気を揉(も)みました。先生、許して下さい。私はその時刻に迎えに参りましたのです。逢(あ)って聞きますと、私の一伍一什(いちぶしじゅう)を書いた手紙を見て、非常に心配して、もしこの事があった為め万一郷里に伴(つ)れて帰られるようなことがあっては、自分が済まぬと言うので、学事をも捨てて出京して、先生にすっかりお打明申して、お詫(わび)も申上げ、お情にも縋(すが)って、万事円満に参るようにと、そういう目的で急に出て参ったとのことで御座います。それから、私は先生にお話し申した一伍一什、先生のお情深い言葉、将来までも私等二人の神聖な真面目(まじめ)な恋の証人とも保護者ともなって下さるということを話しましたところ、非常に先生の御情に感激しまして、感謝の涙に暮れました次第で御座います。
田中は私の余りに狼狽(ろうばい)した手紙に非常に驚いたとみえまして、十分覚悟をして、万一破壊の暁にはと言った風なことも決心して参りましたので御座います。万一の時にはあの時嵯峨(さが)に一緒に参った友人を証人にして、二人の間が決して汚(けが)れた関係の無いことを弁明し、別れて後互に感じた二人の恋愛をも打明けて、先生にお縋り申して郷里の父母の方へも逐一(ちくいち)言って頂こうと決心して参りましたそうです。けれどこの間の私の無謀で郷里の父母の感情を破っている矢先、どうしてそんなことを申して遣(つか)わされましょう。今は少時(しばらく)沈黙して、お互に希望を持って、専心勉学に志し、いつか折を見て――或(あるい)は五年、十年の後かも知れません――打明けて願う方が得策だと存じまして、そういうことに致しました。先生のお話をも一切話して聞かせました。で、用事が済んだ上は帰した方が好いのですけれど、非常に疲れている様子を見ましては、さすがに直ちに引返すようにとも申兼ねました。(私の弱いのを御許し下さいまし)勉学中、実際問題に触れてはならぬとの先生の御教訓は身にしみて守るつもりで御座いますが、一先(ひとまず)、旅籠屋(はたごや)に落着かせまして、折角出て来たものですから、一日位見物しておいでなさいと、つい申して了いました。どうか先生、お許し下さいまし。私共も激しい感情の中に、理性も御座いますから、京都でしたような、仮りにも常識を外(はず)れた、他人から誤解されるようなことは致しません。誓って、決して致しません。末ながら奥様にも宜(よろ)しく申上げて下さいまし。
芳子先生 御もと
 この一通の手紙を読んでいる中、さまざまの感情が時雄の胸を火のように燃えて通った。その田中という二十一の青年が現にこの東京に来ている。芳子が迎えに行った。何をしたか解らん。この間言ったこともまるで虚言(うそ)かも知れぬ。この夏期の休暇に須磨(すま)で落合った時から出来ていて、京都での行為もその望を満す為め、今度も恋しさに堪(た)え兼ねて女の後を追って上京したのかも知れん。手を握ったろう。胸と胸とが相触れたろう。人が見ていぬ旅籠屋の二階、何を為ているか解らぬ。汚れる汚れぬのも刹那(せつな)の間だ。こう思うと時雄は堪(たま)らなくなった。「監督者の責任にも関する!」と腹の中で絶叫した。こうしてはおかれぬ、こういう自由を精神の定まらぬ女に与えておくことは出来ん。監督せんければならん、保護せんけりゃならん。私共は熱情もあるが理性がある! 私共とは何だ! 何故(なぜ)私とは書かぬ、何故複数を用いた? 時雄の胸は嵐(あらし)のように乱れた。着いたのは昨日の六時、姉の家に行って聞き糺(ただ)せば昨夜何時頃に帰ったか解るが、今日はどうした、今はどうしている?
 細君の心を尽した晩餐(ばんさん)の膳(ぜん)には、鮪(まぐろ)の新鮮な刺身に、青紫蘇(あおじそ)の薬味を添えた冷豆腐(ひややっこ)、それを味う余裕もないが、一盃(いっぱい)は一盃と盞(さかずき)を重ねた。
 細君は末の児を寝かして、火鉢の前に来て坐ったが、芳子の手紙の夫の傍にあるのに眼を附けて、
「芳子さん、何て言って来たのです?」
 時雄は黙って手紙を投げて遣(や)った、細君はそれを受取りながら、夫の顔をじろりと見て、暴風の前に来る雲行の甚だ急なのを知った。
 細君は手紙を読終って巻きかえしながら、
「出て来たのですね」
「うむ」
「ずっと東京に居るんでしょうか」
「手紙に書いてあるじゃないか、すぐ帰すッて……」
「帰るでしょうか」
「そんなこと誰が知るものか」
 夫の語気が烈(はげ)しいので、細君は口を噤(つぐ)んで了った。少時(しばらく)経(た)ってから、
「だから、本当に厭(いや)さ、若い娘の身で、小説家になるなんぞッて、望む本人も本人なら、よこす親達も親達ですからね」
「でも、お前は安心したろう」と言おうとしたが、それは止(よ)して、
「まア、そんなことはどうでも好いさ、どうせお前達には解らんのだから……それよりも酌でもしたらどうだ」
 温順な細君は徳利を取上げて、京焼の盃(さかずき)に波々と注ぐ。
 時雄は頻(しき)りに酒を呷(あお)った。酒でなければこの鬱(うつ)を遣るに堪えぬといわぬばかりに。三本目に、妻は心配して、
「この頃はどうか為ましたね」
「何故?」
「酔ってばかりいるじゃありませんか」
「酔うということがどうかしたのか」
「そうでしょう、何か気に懸ることがあるからでしょう。芳子さんのことなどはどうでも好いじゃありませんか」
「馬鹿!」
 と時雄は一喝(かつ)した。
 細君はそれにも懲りずに、
「だって、余り飲んでは毒ですよ、もう好い加減になさい、また手水場(ちょうずば)にでも入って寝ると、貴郎(あなた)は大きいから、私と、お鶴(下女)の手ぐらいではどうにもなりやしませんからさ」
「まア、好いからもう一本」
 で、もう一本を半分位飲んだ。もう酔は余程廻ったらしい。顔の色は赤銅色(しゃくどういろ)に染って眼が少しく据っていた。急に立上って、
「おい、帯を出せ!」
「何処(どこ)へいらっしゃる」
「三番町まで行って来る」
「姉の処?」
「うむ」
「およしなさいよ、危(あぶ)ないから」
「何アに大丈夫だ、人の娘を預って監督せずに投遣(なげやり)にしてはおかれん。男がこの東京に来て一緒に歩いたり何かしているのを見ぬ振をしてはおかれん。田川(姉の家の姓)に預けておいても不安心だから、今日、行って、早かったら、芳子を家に連れて来る。二階を掃除しておけ」
「家に置くんですか、また……」
「勿論(もちろん)」
 細君は容易に帯と着物とを出そうともせぬので、
「よし、よし、着物を出さんのなら、これで好い」と、白地の単衣(ひとえ)に唐縮緬(とうちりめん)の汚れたへこ帯、帽子も被(かぶ)らずに、そのままに急いで戸外へ出た。「今出しますから……本当に困って了う」という細君の声が後に聞えた。
 夏の日はもう暮れ懸っていた。矢来の酒井の森には烏(からす)の声が喧(やかま)しく聞える。どの家でも夕飯が済んで、門口に若い娘の白い顔も見える。ボールを投げている少年もある。官吏らしい鰌髭(どじょうひげ)の紳士が庇髪(ひさしがみ)の若い細君を伴(つ)れて、神楽坂(かぐらざか)に散歩に出懸けるのにも幾組か邂逅(でっくわ)した。時雄は激昂(げっこう)した心と泥酔した身体とに烈(はげ)しく漂わされて、四辺(あたり)に見ゆるものが皆な別の世界のもののように思われた。両側の家も動くよう、地も脚の下に陥るよう、天も頭の上に蔽(おお)い冠(かぶ)さるように感じた。元からさ程強い酒量でないのに、無闇(むやみ)にぐいぐいと呷(あお)ったので、一時に酔が発したのであろう。ふと露西亜(ロシア)の賤民(せんみん)の酒に酔って路傍に倒れて寝ているのを思い出した。そしてある友人と露西亜の人間はこれだから豪(えら)い、惑溺(わくでき)するなら飽(あく)まで惑溺せんければ駄目だと言ったことを思いだした。馬鹿な! 恋に師弟の別があって堪るものかと口へ出して言った。
 中根坂を上って、士官学校の裏門から佐内坂の上まで来た頃は、日はもうとっぷりと暮れた。白地の浴衣(ゆかた)がぞろぞろと通る。煙草屋(たばこや)の前に若い細君が出ている。氷屋の暖簾(のれん)が涼しそうに夕風に靡(なび)く。時雄はこの夏の夜景を朧(おぼろ)げに眼には見ながら、電信柱に突当って倒れそうにしたり、浅い溝(みぞ)に落ちて膝頭(ひざがしら)をついたり、職工体(てい)の男に、「酔漢奴(よっぱらいめ)! しっかり歩け!」と罵(ののし)られたりした。急に自ら思いついたらしく、坂の上から右に折れて、市ヶ谷八幡の境内へと入った。境内には人の影もなく寂寞(ひっそり)としていた。大きい古い欅(けやき)の樹と松の樹とが蔽い冠さって、左の隅(すみ)に珊瑚樹(さんごじゅ)の大きいのが繁(しげ)っていた。処々の常夜燈はそろそろ光を放ち始めた。時雄はいかにしても苦しいので、突如(いきなり)その珊瑚樹の蔭に身を躱(かく)して、その根本の地上に身を横(よこた)えた。興奮した心の状態、奔放な情と悲哀の快感とは、極端までその力を発展して、一方痛切に嫉妬(しっと)の念に駆(か)られながら、一方冷淡に自己の状態を客観した。
 初めて恋するような熱烈な情は無論なかった。盲目にその運命に従うと謂(い)うよりは、寧(むし)ろ冷(ひやや)かにその運命を批判した。熱い主観の情と冷めたい客観の批判とが絡(よ)り合せた糸のように固く結び着けられて、一種異様の心の状態を呈した。
 悲しい、実に痛切に悲しい。この悲哀は華(はな)やかな青春の悲哀でもなく、単に男女の恋の上の悲哀でもなく、人生の最奥(さいおう)に秘(ひそ)んでいるある大きな悲哀だ。行く水の流、咲く花の凋落(ちょうらく)、この自然の底に蟠(わだかま)れる抵抗すべからざる力に触れては、人間ほど儚(はかな)い情(なさけ)ないものはない。
 汪然(おうぜん)として涙は時雄の鬚面(ひげづら)を伝った。
 ふとある事が胸に上(のぼ)った。時雄は立上って歩き出した。もう全く夜になった。境内の処々に立てられた硝子燈(ガラスとう)は光を放って、その表面の常夜燈という三字がはっきり見える。この常夜燈という三字、これを見てかれは胸を衝(つ)いた。この三字をかれは曽(かつ)て深い懊悩(おうのう)を以て見たことは無いだろうか。今の細君が大きい桃割(ももわれ)に結って、このすぐ下の家に娘で居た時、渠(かれ)はその微(かす)かな琴の音(ね)の髣髴(ほうふつ)をだに得たいと思ってよくこの八幡の高台に登った。かの女を得なければ寧(いっ)そ南洋の植民地に漂泊しようというほどの熱烈な心を抱(いだ)いて、華表(とりい)、長い石階(いしだん)、社殿、俳句の懸行燈(かけあんどん)、この常夜燈の三字にはよく見入って物を思ったものだ。その下には依然たる家屋、電車の轟(とどろき)こそおりおり寂寞(せきばく)を破って通るが、その妻の実家の窓には昔と同じように、明かに燈の光が輝いていた。何たる節操なき心ぞ、僅(わず)かに八年の年月を閲(けみ)したばかりであるのに、こうも変ろうとは誰が思おう。その桃割姿を丸髷姿(まるまげすがた)にして、楽しく暮したその生活がどうしてこういう荒涼たる生活に変って、どうしてこういう新しい恋を感ずるようになったか。時雄は我ながら時の力の恐ろしいのを痛切に胸に覚えた。けれどその胸にある現在の事実は不思議にも何等の動揺をも受けなかった。
「矛盾でもなんでも為方(しかた)がない、その矛盾、その無節操、これが事実だから為方がない、事実!事実!」
 と時雄は胸の中に繰返した。
 時雄は堪え難い自然の力の圧迫に圧せられたもののように、再び傍のロハ台に長い身を横えた。ふと見ると、赤銅(しゃくどう)のような色をした光芒(ひかり)の無い大きな月が、お濠(ほり)の松の上に音も無く昇っていた。その色、その状(かたち)、その姿がいかにも侘(わび)しい。その侘しさがその身の今の侘しさによく適(かな)っていると時雄は思って、また堪え難い哀愁がその胸に漲(みなぎ)り渡った。
 酔は既に醒(さ)めた。夜露は置始めた。
 土手三番町の家の前に来た。
 覗(のぞ)いてみたが、芳子の室に燈火の光が見えぬ。まだ帰って来ぬとみえる。時雄の胸はまた燃えた。この夜、この暗い夜に恋しい男と二人! 何をしているか解らぬ。こういう常識を欠いた行為を敢(あえ)てして、神聖なる恋とは何事? 汚れたる行為の無いのを弁明するとは何事?
 すぐ家に入ろうとしたが、まだ当人が帰っておらぬのに上っても為方が無いと思って、その前を真直(まっすぐ)に通り抜けた。女と摩違(すれちが)う度(たび)に、芳子ではないかと顔を覗きつつ歩いた。土手の上、松の木蔭、街道の曲り角、往来の人に怪まるるまで彼方此方(あっちこっち)を徘徊(はいかい)した。もう九時、十時に近い。いかに夏の夜であるからと言って、そう遅くまで出歩いている筈(はず)が無い。もう帰ったに相違ないと思って、引返して姉の家に行ったが、矢張りまだ帰っていない。
 時雄は家に入った。
 奥の六畳に通るや否、
「芳さんはどうしました?」
 その答より何より、姉は時雄の着物に夥(おびただ)しく泥の着いているのに驚いて、
「まア、どうしたんです、時雄さん」
 明かな洋燈(ランプ)の光で見ると、なるほど、白地の浴衣(ゆかた)に、肩、膝(ひざ)、腰の嫌(きら)いなく、夥(おびただ)しい泥痕(どろあと)!
「何アに、其処(そこ)でちょっと転んだものだから」
「だッて、肩まで粘(つ)いているじゃありませんか。また、酔ッぱらったんでしょう」
「何アに……」
 と時雄は強(し)いて笑ってまぎらした。
 さて時を移さず、
「芳さん、何処に行ったんです」
「今朝、ちょっと中野の方にお友達と散歩に行って来ると行って出たきりですがね、もう帰って来るでしょう。何か用?」
「え、少し……」と言って、「昨日は帰りは遅かったですか」
「いいえ、お友達を新橋に迎えに行くんだって、四時過に出かけて、八時頃に帰って来ましたよ」
 時雄の顔を見て、
「どうかしたのですの?」
「何アに……けれどねえ姉さん」と時雄の声は改まった。「実は姉さんにおまかせしておいても、この間の京都のようなことが又あると困るですから、芳子を私の家において、十分監督しようと思うんですがね」
「そう、それは好(い)いですよ。本当に芳子さんはああいうしっかり者だから、私みたいな無教育のものでは……」
「いや、そういう訳でも無いですがね。余り自由にさせ過ぎても、却(かえ)って当人の為にならんですから、一つ家に置いて、十分監督してみようと思うんです」
「それが好いですよ。本当に、芳子さんにもね……何処と悪いことのない、発明な、利口な、今の世には珍らしい方ですけれど、一つ悪いことがあってね、男の友達と平気で夜歩いたりなんかするんですからね。それさえ止すと好いんだけれどとよく言うのですの。すると芳子さんはまた小母さんの旧弊が始まったって、笑っているんだもの。いつかなぞも余り男と一緒に歩いたり何かするものだから、角(かど)の交番でね、不審にしてね、角袖(かくそで)巡査が家の前に立っていたことがあったと云いますよ。それはそんなことは無いんだから、構いはしませんけどもね……」
「それはいつのことです?」
「昨年の暮でしたかね」
「どうもハイカラ過ぎて困る」と時雄は言ったが、時計の針の既に十時半の処を指すのを見て、「それにしてもどうしたんだろう。若い身空で、こう遅くまで一人で出て歩くと言うのは?」
「もう帰って来ますよ」
「こんなことは幾度もあるんですか」
「いいえ、滅多(めった)にありはしませんよ。夏の夜だから、まだ宵の口位に思って歩いているんですよ」
 姉は話しながら裁縫(しごと)の針を止めぬのである。前に鴨脚(いちょう)の大きい裁物板(たちものいた)が据えられて、彩絹(きぬ)の裁片(たちきれ)や糸や鋏(はさみ)やが順序なく四面(あたり)に乱れている。女物の美しい色に、洋燈(ランプ)の光が明かに照り渡った。九月中旬の夜は更(ふ)けて、稍々(やや)肌(はだ)寒く、裏の土手下を甲武の貨物汽車がすさまじい地響を立てて通る。
 下駄の音がする度(たび)に、今度こそは! 今度こそは! と待渡ったが、十一時が打って間もなく、小きざみな、軽い後歯(あとば)の音が静かな夜を遠く響いて来た。
「今度のこそ、芳子さんですよ」
 と姉は言った。
 果してその足音が家の入口の前に留って、がらがらと格子(こうし)が開く。
「芳子さん?」
「ええ」
 と艶(あで)やかな声がする。
 玄関から丈(たけ)の高い庇髪(ひさしがみ)の美しい姿がすっと入って来たが、
「あら、まア、先生!」
 と声を立てた。その声には驚愕(おどろき)と当惑の調子が十分に籠(こも)っていた。
「大変遅くなって……」と言って、座敷と居間との間の閾(しきい)の処に来て、半ば坐って、ちらりと電光のように時雄の顔色(かおつき)を窺(うかが)ったが、すぐ紫の袱紗(ふくさ)に何か包んだものを出して、黙って姉の方に押遣(おしや)った。
「何ですか……お土産(みやげ)? いつもお気の毒ね?」
「いいえ、私も召上るんですもの」
 と芳子は快活に言った。そして次の間へ行こうとしたのを、無理に洋燈(ランプ)の明るい眩(まぶ)しい居間の一隅(かたすみ)に坐らせた。美しい姿、当世流の庇髪(ひさしがみ)、派手なネルにオリイヴ色の夏帯を形よく緊(し)めて、少し斜(はす)に坐った艶やかさ。時雄はその姿と相対して、一種状(じょう)すべからざる満足を胸に感じ、今までの煩悶(はんもん)と苦痛とを半ば忘れて了った。有力な敵があっても、その恋人をだに占領すれば、それで心の安まるのは恋する者の常態である。
「大変に遅くなって了って……」
 いかにも遣瀬(やるせ)ないというように微(かす)かに弁解した。
「中野へ散歩に行ったッて?」
 時雄は突如として問うた。
「ええ……」芳子は時雄の顔色をまたちらりと見た。
 姉は茶を淹(い)れる。土産の包を開くと、姉の好きな好きなシュウクリーム。これはマアお旨(い)しいと姉の声。で、暫(しばら)く一座はそれに気を取られた。
 少時(しばらく)してから、芳子が、
「先生、私の帰るのを待っていて下さったの?」
「ええ、ええ、一時間半位待ったのよ」
 と姉が傍(そば)から言った。
 で、その話が出て、都合さえよくば今夜からでも――荷物は後からでも好いから――一緒に伴(つ)れて行く積りで来たということを話した。芳子は下を向いて、点頭(うなず)いて聞いていた。無論、その胸には一種の圧迫を感じたに相違ないけれど、芳子の心にしては、絶対に信頼して――今回の恋のことにも全心を挙げて同情してくれた師の家に行って住むことは別に甚(はなはだ)しい苦痛でも無かった。寧(むし)ろ以前からこの昔風の家に同居しているのを不快に思って、出来るならば、初めのように先生の家にと願っていたのであるから、今の場合でなければ、かえって大(おおい)に喜んだのであろうに……
 時雄は一刻も早くその恋人のことを聞糺(ききただ)したかった。今、その男は何処(どこ)にいる? 何時(いつ)京都に帰るか? これは時雄に取っては実に重大な問題であった。けれど何も知らぬ姉の前で、打明けて問う訳にも行かぬので、この夜は露ほどもそのことを口に出さなかった。一座は平凡な物語に更(ふ)けた。
 今夜にもと時雄の言出したのを、だって、もう十二時だ、明日にした方が宜(よ)かろうとの姉の注意。で、時雄は一人で牛込に帰ろうとしたが、どうも不安心で為方がないような気がしたので、夜の更けたのを口実に、姉の家に泊って、明朝早く一緒に行くことにした。
 芳子は八畳に、時雄は六畳に姉と床を並べて寝た。やがて姉の小さい鼾(いびき)が聞えた。時計は一時をカンと鳴った。八畳では寝つかれぬと覚しく、おりおり高い長大息(ためいき)の気勢(けはい)がする。甲武の貨物列車が凄(すさま)じい地響を立てて、この深夜を独(ひと)り通る。時雄も久しく眠られなかった。

        五

 翌朝時雄は芳子を自宅に伴った。二人になるより早く、時雄は昨日の消息を知ろうと思ったけれど、芳子が低頭勝(うつむきがち)に悄然(しょうぜん)として後について来るのを見ると、何となく可哀(かわい)そうになって、胸に苛々(いらいら)する思を畳みながら、黙して歩いた。
 佐内坂を登り了(おわ)ると、人通りが少くなった。時雄はふと振返って、「それでどうしたの?」と突如として訊(たず)ねた。
「え?」
 反問した芳子は顔を曇らせた。
「昨日の話さ、まだ居るのかね」
「今夜の六時の急行で帰ります」
「それじゃ送って行かなくってはいけないじゃないか」
「いいえ、もう好いんですの」
 これで話は途絶えて、二人は黙って歩いた。
 矢来町の時雄の宅、今まで物置にしておいた二階の三畳と六畳、これを綺麗(きれい)に掃除して、芳子の住居(すまい)とした。久しく物置――子供の遊び場にしておいたので、塵埃(ちり)が山のように積っていたが、箒(ほうき)をかけ雑巾(ぞうきん)をかけ、雨のしみの附いた破れた障子を貼(は)り更えると、こうも変るものかと思われるほど明るくなって、裏の酒井の墓塋(はか)の大樹の繁茂(しげり)が心地よき空翠(みどり)をその一室に漲(みなぎ)らした。隣家の葡萄棚(ぶどうだな)、打捨てて手を入れようともせぬ庭の雑草の中に美人草の美しく交って咲いているのも今更に目につく。時雄はさる画家の描いた朝顔の幅(ふく)を選んで床に懸け、懸花瓶(けんかびん)には後(おく)れ咲(ざき)の薔薇(ばら)の花を□(さ)した。午頃(ひるごろ)に荷物が着いて、大きな支那鞄(しなかばん)、柳行李(やなぎごうり)、信玄袋、本箱、机、夜具、これを二階に運ぶのには中々骨が折れる。時雄はこの手伝いに一日社を休むべく余儀なくされたのである。
 机を南の窓の下、本箱をその左に、上に鏡やら紅皿(べにざら)やら罎(びん)やらを順序よく並べた。押入の一方には支那鞄、柳行李、更紗(さらさ)の蒲団(ふとん)夜具の一組を他の一方に入れようとした時、女の移香(うつりが)が鼻を撲(う)ったので、時雄は変な気になった。
 午後二時頃には一室が一先(ひとま)ず整頓(せいとん)した。
「どうです、此処(ここ)も居心は悪くないでしょう」時雄は得意そうに笑って、「此処に居て、まア緩(ゆっ)くり勉強するです。本当に実際問題に触れてつまらなく苦労したって為方がないですからねえ」
「え……」と芳子は頭を垂れた。
「後で詳しく聞きましょうが、今の中(うち)は二人共じっとして勉強していなくては、為方がないですからね」
「え……」と言って、芳子は顔を挙げて、「それで先生、私達もそう思って、今はお互に勉強して、将来に希望を持って、親の許諾(ゆるし)をも得たいと存じておりますの!」
「それが好いです。今、余り騒ぐと、人にも親にも誤解されて了って、折角の真面目な希望も遂げられなくなりますから」
「ですから、ね、先生、私は一心になって勉強しようと思いますの。田中もそう申しておりました。それから、先生に是非お目にかかってお礼を申上げなければ済まないと申しておりましたけれど……よく申上げてくれッて……」
「いや……」
 時雄は芳子の言葉の中に、「私共」と複数を遣(つか)うのと、もう公然許嫁(いいなずけ)の約束でもしたかのように言うのとを不快に思った。まだ、十九か二十の妙齢の処女が、こうした言葉を口にするのを怪しんだ。時雄は時代の推移(おしうつ)ったのを今更のように感じた。当世の女学生気質(かたぎ)のいかに自分等の恋した時代の処女気質と異っているかを思った。勿論(もちろん)、この女学生気質を時雄は主義の上、趣味の上から喜んで見ていたのは事実である。昔のような教育を受けては、到底今の明治の男子の妻としては立って行かれぬ。女子も立たねばならぬ、意志の力を十分に養わねばならぬとはかれの持論である。この持論をかれは芳子に向っても尠(すくな)からず鼓吹した。けれどこの新派のハイカラの実行を見てはさすがに眉(まゆ)を顰(ひそ)めずにはいられなかった。

 男からは国府津(こうづ)の消印で帰途に就(つ)いたという端書(はがき)が着いて翌日三番町の姉の家から届けて来た。居間の二階には芳子が居て、呼べば直ぐ返事をして下りて来る。食事には三度三度膳を並べて団欒(だんらん)して食う。夜は明るい洋燈(ランプ)を取巻いて、賑(にぎ)わしく面白く語り合う。靴下は編んでくれる。美しい笑顔を絶えず見せる。時雄は芳子を全く占領して、とにかく安心もし満足もした。細君も芳子に恋人があるのを知ってから、危険の念、不安の念を全く去った。
 芳子は恋人に別れるのが辛(つら)かった。成ろうことなら一緒に東京に居て、時々顔をも見、言葉をも交えたかった。けれど今の際それは出来難いことを知っていた。二年、三年、男が同志社を卒業するまでは、たまさかの雁(かり)の音信(おとずれ)をたよりに、一心不乱に勉強しなければならぬと思った。で、午後からは、以前の如く麹町(こうじまち)の某英学塾に通い、時雄も小石川の社に通った。
 時雄は夜などおりおり芳子を自分の書斎に呼んで、文学の話、小説の話、それから恋の話をすることがある。そして芳子の為めにその将来の注意を与えた。その時の態度は公平で、率直で、同情に富んでいて、決して泥酔して厠(かわや)に寝たり、地上に横たわったりした人とは思われない。さればと言って、時雄はわざとそういう態度にするのではない、女に対(むか)っている刹那(せつな)――その愛した女の歓心を得るには、いかなる犠牲も甚だ高価に過ぎなかった。
 で、芳子は師を信頼した。時期が来て、父母にこの恋を告ぐる時、旧思想と新思想と衝突するようなことがあっても、この恵深い師の承認を得さえすればそれで沢山だとまで思った。
 九月は十月になった。さびしい風が裏の森を鳴らして、空の色は深く碧(あお)く、日の光は透通(すきとお)った空気に射渡(さしわた)って、夕の影が濃くあたりを隈(くま)どるようになった。取り残した芋(いも)の葉に雨は終日降頻(ふりしき)って、八百屋(やおや)の店には松茸(まつたけ)が並べられた。
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