幽霊塔
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著者名:黒岩涙香 

 幸い其のうちにお浦は人心地に復った、此の上は捨て置いても自分で回復するだろう、余は斯う見て取ったから「今誰か介抱する者を寄越します」と言い捨てて此の室を出で、此の家の女主(あるじ)を呼び、一応介抱の事を言い附けて戸表(おもて)へ出た、何うしたか知らぬけれど庭木に繋いで置いた余の馬が見えぬ、併し馬にも構って居る場合でない、其のまま外へ出て了ったが、向こうの方から慌ただしく余の馬を引いて来るは例の小僧だ、彼手柄顔に「旦那が疎漏(ぞんざい)にお繋ぎ成さった者だから、放れて飛び出しましたのを私が追い掛けてヤッと此の通り捕えて来ました」何を云うのだ自分で繋ぎを解いて乗り廻したに違いない、爾して例の通り褒美の欲しさに此の様な事を云うのだと、余は深く疑がったけれど、其のまま小銀貨を投げ与えて其の馬を受け取った、彼は猶余の顔を差し窺き「最う是だけ下されば、旦那が知り度いと思って居る大変な事を知らせて上げますけれど」余は秀子の身に就き少しの手掛かりでも得たいと思う場合ゆえ「大変な事とは何だ」小僧「貴方の尋ねて居る美人の事です、アノ日影色の着物を被た」余「己が其の美人を尋ねて居るなどと何うして知れた」小僧「今此の馬に乗って停車場まで、イヤ此の馬を追い掛けて停車場まで行き、馬車の御者から聞きました」余「シテ汝が何の様な事を知って居る」小僧「確かに銀貨二個ほどの価値の有る事を知って居ます」余は又銀貨を出して与えた、小僧「では言いますが、アノ美人が今朝早く此の家へ来ましたよ」余「此の家へ来て夫から」小僧「婆さんに逢って、大変な品物を小瓶へ一杯、買って行きました」「大変な品物とは」小僧「婆さんが容易に人に売り渡さぬ品物です、巡査にも分らぬ様にして折々内所で売る品です」余「毒薬か」小僧「ハイ」
 真に秀子が毒薬を買ったとすれば今度こそは自分で呑む積りに違いない、自殺などする女でないと確かに権田が言い切ったけれど、夫は時と場合に由る事、秀子の様に、其の身の寃罪(えんざい)を解こうとする大密旨を持って居る女が、其の密旨の到底遂げるに由なきのみか又更に別に寃罪を受けんとして之を逃れる道もなきを見ては、決して自殺せぬと限らぬ、余が自ら秀子の位置に立ったとして考えても殆ど自殺の外に道がない、秀子は其の毒薬を持って何所へ行ったか知らぬけれど、兎に角も早く捜し出して自殺だけは妨げて遣らねばならぬ、と云う中に早や日は正午を過ぎた、既に自殺した後かも知れぬ、余「シテ夫は何時頃で有った」小僧「今朝私が起きた許りの時ですから、今より六時間も以前です」余「夫から其の美人が何方へ行ったかを知って居るか」
 小僧「知って居ますとも落ち着く先まで私は見届けましたが、之は確かに銀貨三個の価が有り相です」

    第百三回 何の謎

 斯うなっては小僧の請うが儘に賃銀を与えて秀子の行く先を問い詰める外は無い、余は巾着から五六個を攫み出して彼に与え「シテ其の美人は何処へ行った」小僧「人に見られては成らぬと思ったか大道へは出ずに茲から直ぐに裏路へ這入りました」余「裏路へ入ってそれから」小僧「夫からハイ塔の方へ行きました」余「幽霊塔の方へか」小僧「ハイ」余「爾して其の後は知らぬのか」小僧「イイエ、若し大道へ出たならば私は気にも留めぬ所でしたが裏路へ曲がった丈に何所へ行くのだろうと見届ける気に成りました、コレは此の家の婆さんが常に私に言い附けるのです、隠れも何もせぬ人は見届けるに及ばぬけれど、隠れようとする人は必ず見届ける様にせよ、金儲けの種になるからと、イイエ本統ですよ、夫だから私は見え隠れに其の後を尾けて行きました、所が幽霊塔の裏庭へ這入り、堀端に在る輪田夏子の墓の前へ蹐(しゃが)み、二十分ほど泣いて居ました、爾して堀に向かった方の窓を開き其の中へ這入って了いました、何でも玄関からでは人に見られるから、誰にも知らさぬ様に、故々窓から這入ったのですよ」
 愈々怪しむ可き次第である、自分の家へ帰るのに裏の窓から忍ぶ様にして這入るとは決して唯事ではない、而かも毒薬を買って提(たずさ)えて居たとすれば、益々余の想像の通り人知れずに自殺する為と云う事が事実らしく成って来る、最早此の上を聞くには及ばぬ、早く幽霊塔へ馳せ返って様子を見る一方だ、とは云え其の事は既に五時間余、六時間ほども前とすれば、或いは早や自殺をした後かも知らぬ、余は遽しく馬の手綱を受け取り、之に乗ろうとするに、小僧「是が話のお仕舞いでは有りません、私は未だ此の後を見たのです」余は又も銀貨を与えて「知って居るだけ早く云って了え」小僧「ハイ私は何うも変だと思いましたゆえ、先刻も外へ出た帰りに故々幽霊塔の方へ廻り、暫く中の様子を見て居ました所、妙な所の窓からアノ方が顔を出しました」余「何処の窓から」小僧「アノ大時計の直ぐに下に在る室の窓です」さては余の室である、或いは余の室で自殺したのでは有るまいか、余「それ切りか」小僧「ハイ一寸と顔を出して直ぐに引っ込めました、其の後で暫く見て居ましたけれど再びは出しませんでした」余「それは何時頃の事で有った」小僧「貴方が此の家へ来て後ですから、今より一時間ほど前になります」
 一時間前に生きて居たとすれば今も未だ自害はせぬかも知れぬ、或いは余の室で書き置きでも認めて居るだろうか、最早此の上を聞く必要は無い、余は直ちに馬に飛び乗り、殆ど弾丸の早さを以て幽霊塔に帰った、聊か思う仔細があるから、塔の室へ上る前に先ず下僕に向かい「高輪田長三は何うした」と聞いた、下僕「アノ方は先日から心臓病が起こったとて御自分の室に寝て居ます」余「彼は今朝己が此の家へ帰った事を知って居るだろうか」下僕「イヤ知って居る筈は有りません」余「知らねば夫で宜いから、決して知らさぬ様にして置け」
 心臓病で寝て居るなら猶当分は此の家に居るだろう、何しろ彼の身が今は万事の中心と為って居る有様ゆえ、取り逃がさぬ工風をせねばならぬ、彼未だ余が彼の罪悪を看破した事に気が附かぬ故、猶も此の家に踏み留って悪事を続ける積りに違い無い、逃げ去る恐れは万々(ばんばん)ないけれど、余の帰った事を知らざるに如くは無いと、余は此の様な考えで、下僕に前の通り差し図したが、彼が余の帰ったと知らぬ為に又恐ろしい一場の悲劇を演じ出そうとは神ならぬ余の思い得ぬ所であった。
 余は其の足で直ぐに塔の上の余の室へ上って行った、茲に秀子が居るか知らんと思ったは空頼みで、秀子は影も形も無い、けれど小僧の云った通り茲に居たのは確かである、余の机に倚りて何か書き認めた者と見え、筆の先が新たな墨色を帯びて居る、爾して一方には絹の手巾が有る、秀子の常に用うる香水の匂いで秀子の品と分る、取り上げて見れば是も猶湿った儘であるが、此の湿りは何であろう、問うまでも無く涙である。泣きながら何事をか書いたとすれば、愈々書き置きらしく思われるが、其の書き置きは何所へ置いたで有ろうと、余は余ほど捜したけれど見当らぬ。捜し盡くして再び卓子の所へ返ると卓子の片端に大きな一冊の本が表紙だけ開いてある、見れば余が初めて叔父と共に此の塔へ来た時に此の室で見出した祖先伝来の彼の聖書で、其の表紙の裏に在る咒文が出て居る「明珠百斛、王錫嘉福、妖□偸奪、夜水竜哭」云々の文句は余が今も猶記憶して居る通りで有る、特に此の咒語を茲へ開いて於てあるのは、何かの謎で、秀子が余に悟らせんとの為で有るまいかと此の様に思うに連れ益々気遣わしい、若しや秀子は、此の家の先祖が落ち込んで再び出る事の出来ずして其の死骸さえ現われぬと云う此の幽霊塔の底へ身を投げたではあるまいか、其の知らせに此の咒語を開いたでは有るまいか。

    第百四回 目に留る一物

 此の幽霊塔を建てた当人さえ、一たび落ち込んでは終に出ることが出来ずして「助けて呉れ、助けて呉れ」との叫び声を、空しく外に洩しつつ悶き死んだと言い伝えられて居る此の塔の底に松谷秀子が身を投げたで有ろうか、唯想像するさえも恐ろしい程だから、真逆にとは思うけれど、前後の事情を考え合わせば、何うも身を投げたとしか思われぬ。
 真に身を投げたのなら、今頃は塔のドン底で何の様な有様と為って居るやら、彼の千艸屋で買ったと云う毒薬を呑み、最う既に何の苦痛をも知らぬ冥界(あのよ)の人と為って了ったであろうか、夫とも猶だ死にはせず、其の身の不幸や、浮世の邪慳な事などを思い廻し、一人で思う存分に泣き入って居るで有ろうか、孰れにしても実に早まった次第である、僅かに一時間か、二時間か、余が茲へ来るまで待って居たなら、其の身に掛かる恐ろしい濡衣が、乾すに乾されぬ事のない次第も分り、死なずとも済む事が腑に落ちて、大した愁きもなく収まる所であったのに、エエ、残念とも心外とも今更譬うる言葉もない、思えば実に不運不幸な女ではある、幾年幾月、艱難辛苦、唯其の身の濡衣を乾し度いばかりに、自ら密旨と称して命がけの誓いを立て、屈せず撓(たゆ)まず只管に自分を苦しめ、ヤッと其の密旨の届く可き間際まで漕ぎ附けたのに、却って悪人や悪き事情などの為に妨げられ、到頭密旨の届かぬ者と断念し、其の絶望の余りに、遂に還らぬ冥界へ身を投げたとは、真に千古の恨事と云う者、此の様な哀れが又有ろうか、思えば思うだけ、察すれば察するだけ、余は益々秀子の傷わしさが身に徹(こた)え何が何でも此の儘に捨て置く訳には行かぬ、余自らも塔の底へ降って見よう、出る事が出来ずして秀子と共に死ねば死ねだ。
 今から思えば実に乱暴な決心ではある、併し此の時は乱暴とは思わぬ、秀子の後を追い塔の底へ降る外には、広い世界に余に行き所はない様な気に成って了った、降って行って、間に合うやら合わぬやら、其の様な事は夢中である、既に秀子の死んだ後で、余は其の死骸の傍へ着き、呼(よ)び活(い)かする事も出来ず、余自ら死ぬるにも死ぬる道なく、生きて塔の外へ返るにも返る道のない、如何とも仕難い場合に立ち到りはせぬかなどとは露ほども心に浮かばぬ、唯一心に塔の底、塔の底と叫びつつ、上の時計室へ登って行った。
 時計室へ登って、何うして塔の底へ降る事が出来る、昔から塔の底にありと言い伝えらるる大なる秘密を探らんがため、降り行かんと企てた者が幾人と云う数知れずで、而も一人たりとも降り得た者はない、若し有れば昔に於ては此の塔を建てた此の家の先祖一人、而も其の人は出る事が出来ずに死に、今の世では秀子一人であるけれど、余は唯彼の咒語にある「鐘鳴緑揺」と云う文句が便りだ、時計の鐘の鳴る時に、緑色の丸い戸の様な盤が動き出し、其の間から「微光閃□」と有る通り、外の明かりが差し込んで見ゆる事は曾て見届けた所である、其ののちも其の前にも秀子から能く此の咒語を研究せよと告げられたのを今まで研究も何もせずに捨て置いたのは残念であるけれど、ナニ熱心に考えて見れば分らぬ事が有る者か、何でも緑盤の動くのが出発点だ、薄明かりの差す其の穴から潜り込めば「載升[#「載升」は底本では「載昇」]載降階廊迂曲」など有った通り、昇ったり降ったり、迂(めぐ)り曲った道が有るに違いない、最う何でも時計の鐘の鳴る刻限だから長く待つにも及ぶまいと、先ず自分の時計を検めると丁度午後の一時より五分前だ。
 一時の鳴るが合図であると、殆ど競馬の馬が出発の号砲を待つ様に、余は張り切って緑盤の許に行き、今にも一時の鐘が鳴るか、今にも一時の鐘が鳴るか、今にも緑盤が動くかと、見詰める目に忽ち留る一物は、緑盤の縁に介(はさ)まって食出(はみだ)して居る絹の切れで有る、見紛う様もない日影色の地合は確かに秀子の着物である。
 余は之を見ると共に胸が張り裂ける様に躍った、今更怪しむ迄もない様な物の之で見れば秀子が此の緑盤を潜って塔の底へ降った事は最早火を見るより明らかと云う者だ、此の所を潜る時に、被物の端が緑盤へ引っ掛かったのを、秀子は其のまま引きちぎって進んだのだ、愈々以て猶予はならぬと、余は其の絹切れを手に握り、時計の鳴るを待つ間もなく、一時とはなった、時計の鐘は鳴った、緑盤は動いた、手に握って居る日影色の絹は盤の動くと共に脱け出て余の手の中に帰した。

    第百五回 時計の囚人

 時計の音と共に此の緑盤の動くを見るのは今が二度目だ、此の前にタッた一度しか見た事は無い、何処まで動いて其のあとが何の様になる事か其の辺は少しも知らぬ、けれど動く途端に其の隙間から潜り込めば宜いに違いないと余は唯此の様に思い詰めて居る、午後の一時を打つ時計の音はサア潜り込む合図である。
 余は嬉しやと緑盤に手を掛けた、所が緑盤は僅かに全面の十分の一にも足らぬほど開いて其のまま止まって了った、全面の直径(さしわたし)は凡そ二尺余りも有ろうか、切めて是が七八分通りも動き、隙間が一尺五寸ほどにでもなれば潜り込む事は出来るけれど、僅か十分の一即ち二寸ぐらい開いた丈では、余は手品師でないから到底潜り込む訳に行かぬ、併し日頃自慢の大力で無理にも引き開くれば開かぬ事も有るまいと、宛かも東洋の神話に在る手力雄尊(たちからおのみこと)が天の岩戸を引き開けた様な権幕で緑盤を開けに掛かった。所が緑盤は仲々堅い、余の力も全く無益である、のみならず頓て時の鐘の響が段々に消えると共に緑盤は後戻りを始め、次第に塞がって了おうとする、幾等抵抗しても其の甲斐がない、達って抵抗して居れば余の手が秀子の被物の様に挾み剪(き)られて了うばかりである、エエ残念だと泣かぬ許りに余は手を放した、緑盤は元の通りに塞がった。
 実に合点が行かぬ、何故緑盤は是だけしか開かぬで有ろう、此の前に見た時は随分潜り込む事も出来るほど開いたのに、さては秀子が、若しや自分の後を余に追っ掛けられるかも知れぬと察して、何うか云う工合に機械を狂わせ、充分には開かぬ事に仕て了ったのか知らん、夫とも少し許り開いた所で其の中へ手でも入れ、何処かに隠れて居る錠前を脱すとか、機械の一部分を止めるとかせば旨く緑盤が脱れて了うのか知らん。
 様々に心を絞るけれど仕方がない、緑盤は全く鉄壁の有様だ、此の上は唯二時の鳴るのを待つ外はないであろう、遺憾ながら余は二時を待った、一刻千秋の思いとは此の事であるけれど、終に千秋は経た、二時は鳴った、緑盤は再び動いたけれど、悲しい哉、其の動き方は殆ど前と同じ事で唯前に比べて見れば一寸ほど余計に開いたに止るのだ、二寸に二寸、合わせて四寸の隙間とは、前よりは丁度倍であるけれど、四寸の穴からは未だ潜り入る事が出来ぬ、此の時も矢張り一時の時と同じ事で余は唯失望を重ねる許り、又も千秋二千秋の思いで三時を待ち、三時に失望して四時を待った、此の様な詰らぬ事は前後にない。
 併し三時四時と待った為に聊か発明した所が有る、緑盤は時計の鐘が一つ打つ毎に二寸位づつ動くので二時の時は一時より二寸多く開き、三時は二時より又二寸多く、四時は又夫よりも二寸を増し凡そ八寸程開いた、此の割で見ると五時には一尺、六時には一尺二寸爾して十二時には終に全く開いて了うのだ、必ずしも秀子が機械を狂わせた訳ではなく、機械の本来の仕組が爾成って居るのだ。
 斯う思うと共に余は二個の事を発明した、其の一つは、秀子が此所を潜ったのは朝の十時から昼の十二時までの間である、即ち余が茲へ来るより少し許り前であった、十時より前には緑盤の隙間が狭いから如何に女の優かな身体と雖(いえど)も這入る事の出来なんだ筈である、其の二つは、余が潜るにも今夜の十時以後でなくばならぬ、十時には二尺開くだろうから、何うか斯うか潜れよう。今から、十時まで空しく待つとは殆ど堪え難い所である、けれども待つ外に仕方がない、十時までの間に塔の底で、秀子の身が何の様になるかと思えば真に矢も楯も耐まらぬ思いである、けれど力の及ばぬ事は嘆いても詮がないゆえ、漸く我慢して十時を待つと云う事には決心したが、さて斯うなって見ると、初めて自分の身体が一方ならず疲れて居る事が分る、腹も空いて居る、眠さも余ほど目に借り越しになって居る、今まで夫を感ぜずに悶いて居られたが不思議である。
 兎も角身体の精力を回復せねばと、此所を立ち去って食事もした、余所ながら叔父の病状をも見舞って、最早気遣わしい事もないとの旨を聞き定めた、爾して自分の居間に入り、九時半には起こして呉れる様に目覚時計を強く掛けて置いて、身を横にした。
 三〇分と経ぬ様に思ったけれど目覚しに起こされて跳ね起きるや早九時半で、何だか電気の鬱積した様に甚く頭が重い、窓を開けて外を見ると、冬の季には珍しい天候で、空は墨を流す様に黒く、爾して雲の割れ目から時々電光が閃き、遠い雷の音も聞こえる、是が真の荒れ模様と云うのだろうと余は気象の事には素人なれど斯う思ったが、後に千八百九十八年の異様なる天候として気象雑誌などに甚く書き立てられたのは即ち此の夜の天候である、此のとき英国に居た人は此の夜が如何なる荒れ方で有ったかを充分覚えて居るだろう、けれど余は天候などは気にも留めず、唯是より塔の中へ入るに就いては、先に養蟲園の経験も有り、燈明の用意だけは充分にして置かねばならぬと思い燐燧の箱を詰め替えて、爾して忍びの蝋燭も半打(はんだあす)の包を其のまま衣嚢に入れ、愈々冥途の探険と云う覚悟で再び時計室へ登って行ったが丁度十時を打つ時で、有難や緑盤は余の思った通り二尺ほど開いた、其の中へ入って其の後は何うなるか其の様な事には頓着せぬ、蛇の這う様にして何うやら斯うやら其の中へ這入ったが、穴の内部には釘を連ねた忍び返しの様な遮りが有って余の着物は之に掛かった、秀子の被物がちぎれて居たのも之が為であろう、併し斯の様な事は物ともせぬ、被物は割ける儘に引きちぎったが唯驚いたは緑盤の内部である、緑盤の内部は即ち時計の内部で、前後左右に様々の機械が有って、動く度に突き当り、身を伸す事も出来ぬ、爾(さ)りとて背後に引き返さすには早や緑盤が塞がって了い、上にも下にも是より先へ行く可き道はない、全く窄(せま)い穴の中に這入ったので、時計の内部へ囚人と為ったのと同じことだ。

    第百六回 塔の底の秘密

 時計の中の囚人とは、余り聞いた事のない境遇である、余は茲で読者に告げて置くが、十時より十二時まで、即ち満二時間の長き間余は囚人の儘で居たのである。
 第一に余は蝋燭を点して見たが、天地は四尺ほどである、無論起って歩む事は出来ぬ、左右は壁で、叩いて見ると厚い石の様である、勿論破る事も動かす事も出来ようとは思われぬ、奥行は幾間あるか暗くて見えぬけれど、此の突き当りは即ち時計の時刻盤の裏に違いないから深くも二間以上ではあるまい、余を囚人にして此の牢屋は四尺の天地左右で二間足らずの奥行きなのだ、而も此の隘(せま)い所に鉄の棒や歯の附いた車の様な物が所々に突き出て居る、云わば一種の機械工場とも云う可き光景なのだ。
 余の前に松谷秀子が此の仮想的牢屋へ入ったに違いないが、茲から何所へ行っただろう、此の中で蒸発して了うに非ざるよりは何所にも脱け路がない様に思われる、咒語の文句を考え合すと「鐘鳴緑揺」の次に「載升載降」と有るけれど登る所も降る所もない様に思われる「階廊迂曲」などとは何の階廊であろう。
 若し単に物好きの為に此所へ入ったのなら、余は恐ろしさの為に少しも前へ進む心は出ず、必ず十一時の鳴るを待ち、緑盤の揺く間から元の室へ逃げ帰ろうと云う一心になる所であるけれど、物好きドコロではなく、秀子が此所から塔の底へ潜り込んだかと思えば微塵も引き返す心はない、何うしても此の時計の中の秘密を解き、進めるだけ進む路を見出さねば成らぬ、進んで此の家の先祖と同じく終に還る路を失い、塔の底で叫び死ぬるは少しも厭わぬ、否、厭わぬではない、ドダイ其の様な気の弱い事は思い出しさえもせぬのだ、心が全く秀子の事に満ち塞って居るのだから思い出す空地もないのだ。
 何でも何所かに秘密の路が有ろうと蝋燭を振り照らして改めると、聊か思い当る所が有る、時計の音と共に揺いた彼の緑盤の裏に、大きな鉄の鎖が附いて居る、何の為の鎖だろうと第一に怪しむ気が出た、緑盤の動くと共に此の鎖も動く事は必然だが、爾すれば鎖の先に何物をか繋いであって、其の物も亦動くで有ろう、此の鎖が何よりの手係りで有ると、其の鎖を握って引いて見ると、勿論ビクとも動きはせぬけれど、ズッと此の室の奥の方まで行って居る事は分る、奥の方の何所へ行って居る、隘い所に身を屈めて深入りして見ると、分った、鎖は一個の鉄の歯車へ着いて居る、此の歯車が廻るに従い鎖が之へ捲き附いて短くなるから夫で緑盤が揺くのだ、シタが此の歯車の歯は何の為に附いて居るだろう、更に他の車を廻す為か或いは他の車に廻される為としか思われぬ、爾だ此の歯車の次にズッと小さい歯車が有り、其れから又鎖を引いて、其の鎖の端が横手の石の壁へ繋いで居る。
 是は不思議だ、石の壁が動けば兎も角、若し動かぬなら此の鎖も動かぬから小歯車も大歯車も、従っては緑盤も、動き得ぬ筈である、ハテなと思って精密に石の壁を検めると、読めたぞ、読めたぞ、壁の其所が何うやら戸に成って居る様だ、アア時計の音に連れ此の戸が開くのだ、開くからして其れに連れて鎖も大小の歯車も緑盤も皆動くのだ、余は之だけの発明に大なる力を得て、更に綿密に其の辺を検めたが、歯車の割合で考えて見ると緑盤が一尺動くと共に此の壁の石の戸が僅かに三寸しか開かぬ勘定だ、是は聊か心細い、縦しや時計が十二時を打って緑盤が皆開いて了ったとて此の戸は凡そ七寸位しか開かぬ、七寸だけ開いたでは通り脱ける事は出来ず、殆ど何の役にも立たぬが併し秀子が此の室に居ぬからは茲を脱けたに相違なく、猶余の目に見えぬ所に、何等かの仕組が有るに相違ない、十一時の鳴る時には自から合点の行く所も有ろうから夫までに猶篤と検めて置かねば成らぬ。
 斯う決心して一入熱心に検めたが此の上は別に合点の行く所もない、唯一つ分ったのは、戸の一方に、半鐘としては小さく呼鈴としては、大きい鳴物が附いて居る、之が時を報ずる鐘であろう、此の鐘も戸の動くと共に鳴るのだ「鐘鳴緑揺」の意味も益々明白に成って来る、シタが此の鐘を打つ撞木(しゅもく)は何所に有ろう、アア戸の表に十有二個の凸(つき)出た所が有る、此の凸点が順々に鐘に当るのだ、併し此の凸点が有る以上は、之が邪魔して戸が壁へ這入る事が出来まいと思われるが、其れとも鐘の鳴る頃には壁の一部が何うか成って此の凸点が邪魔に成らずに戸が壁へ這入るか知らん、此の辺の細かい事は到底鐘の鳴る時までは分らぬ。
 最早鐘の鳴る時を待つ一方だと、気を落ち着けて蝋燭を床へ立て、爾して自分の時計を出して検めると、茲へ入って確かに一時間は経った様な気がするけれど未だ三〇分しか経って居ぬ、僅かに十時三〇分である。
 猶だ更に是ほどの時間が経たねば鐘は鳴らぬか、待ち遠しい事だと思って、待って居ると、天井の何所かから電光(いなびかり)が差し込んで、続いて一方ならぬ雷が聞こえる、此の向きでは外では定めし風も吹いて居よう、雨も降って居よう、併し鉄と石とで堅めた室だけに雨風の音は分らぬが、雷の響は非常である、余は思わず頭(こうべ)を垂れて居たところ、其のうちに今までの蝋燭が燃えて了って室は真暗な闇と為ったけど蝋燭の用意は充分だから敢て驚かぬ、悠々と次の蝋燭を取り出そうと、衣嚢の中を探って居ると、此の時又更に大きな雷光が差し殆ど目の眩めくほどに光った。之が天の助と云う者か、此のお影で今迄蝋燭の光に見えなんだ深い深い塔の底の秘密が殆ど歴々(ありあり)と余の目に見えた。

    第百七回 一種の叫び声

 何が幸いになるかも知れぬ、差し込んだ雷光が余の為には天の詫宣(おつげ)であった、此の光で塔の底の秘密が見えた。
 此の時まで余は、自分の蹈んで居る床が何の様に為って居るか少しも心附かなんだが、俯向いて居る所へ何千何百万燭光とも譬え様のない強い光が閃き込んだので、床の有様が歴々と見えた、即ち角な木を格子の様に組んだ者で木と木との十文字の間に網の目の様に穴が明いて居る、何の為だか知らぬけれど或は埃の溜らぬ用心ででも有ろうか、此の穴から光は尚深く、底の底まで差し込んだ、勿論少しの間では有るけれど、余はチラリと見て取った、其の底の底に何でも石の階段とも云う様な段々が有る、是が咒語に在る「階廊迂曲」に当るのだろう。
 爾して其の下に人だか何だか兎に角着物を被た者が横たわって居る、或は之が秀子では有るまいか、勿論見直す暇のない間に電光は消えて、元の暗闇になったから、少しも取り留めた所はないが或いは秀子が早や毒薬を呑んで、死んで斃れて居る姿であったかも知れぬ、斯う思うと真に気が迫られる、一刻も早く塔の底へ降って行き度い。
 けれど十一時が打たねば何うする事も出来ぬ、再び蝋燭を点し、時計の鐘が鳴れば直ぐにと用意の調った所で、嬉しや十一時は打ち初めた、見て居ると予算の通りだ、鐘の音の一点毎に壁の戸が六七分ぐらいづつ開く、全く緑盤の動き方の三分一ほどに当るのだ、併し是では十一度打った所で一尺とは開かぬが、何うか開け放す工夫は有るまいかと、手を添えて戸を引き開ける様にするけれど、戸は余の力では少しも動かぬ、唯鐘の声と一所に動くばかりである、爾して其の動く度に、壁の端に空所が出来て、戸の表に有る十二個の凸点が差し支えずに一個々々其の空所を通って行く、実に精巧な仕掛けである。
 頓て凸点は十一だけ壁の中へ隠れて了った、戸は七八寸開いた、茲ぞと思って余は再び戸に力を加えたけれど悲しや、早や凸点の通過する壁の空所が塞って、最後に残って居る一個の凸点が之に支え、到底開く可き見込みがない、アア待ちに待った十一時は鳴ったけれど、余は此の関所を通り越す事が出来ぬ、恨めしいとも情けないとも殆ど言い盡す言葉がない。
 けれど余は漸く合点が行った、今のは十一時で有ったから、十二の凸点が一個残り、之が閊(つか)えて戸を開け放す事が出来なんだけれど、若し十二時になれば意地の悪い凸点が悉く隠れるから戸は人の力で充分開け放す事が出来るのだ、斯う思って再び戸を見ると戸は自然に後へ返り、早や元の通りに閉じて了った、幾等泣いても悶いても仕方がない、唯十二時を待つ許りだ、十時に這入って此の窮屈な所に十二時まで待つとは、日頃なら到底出来ぬ辛抱だ、と云って出る所もないのだから出来ぬ辛抱を余儀なく強いられるのだ。
 此の間の余の煩悶は管々しく書くに及ばぬが凡そ三千年も経ったかと思う頃漸く十二時とは為った、全く余の見抜いた通りである、鐘の音の十二鳴り盡くすと共に十二の凸点が隠れて了ったから、余は戸に手を掛けて引き開けたが、意外に軽く、突き当るほどに開け放れた、一人も二人も通過する事の出来る広さである、余は雀躍(こおどり)して茲を抜けたが、是で見ると此の関所は十二時でなければ出入りの出来ぬ所だ、秀子が茲を通ったのは真昼の十二時で有ったのか、爾すると明日の真昼までは此所を出る事が出来ぬか知らん。
 戸の外は矢張り、立つ事の出来ぬ、狭い低い穴である、併し之から塔の底へ行かれるに違いないから、余はホッと安心したが、雷は少しづつ鳴って居る、其の音の塔の中へ響ける様は、宛も塔の霊が余の這入ったのを怒って、唸るのかと疑われる、頓て穴を一間も歩むと、頭の支える広い所へ出て、下へ降る階段の上へ立った、余は一歩之を降り掛けて考えた、咒語には「載升載降」と有った、降る前に何処か登る所の有る可き様に思われるが、少しも登らずに直ぐに降るとは、本統の道で有るまい、若しや此の前に何方へか登る路が有りはせぬかと、今度は左右の壁を検めつつ取って返した、有るぞ有るぞ、狭い穴の右手の壁に、更に狭い穴が有って岐路(えだみち)になって居る、見れば斜に上の方へ登るのである、何でも之に違いないと其の穴へ潜り入ったが、其の狭い事は全く筒の中を抜ける様で這って行く外はない、けれど幸いに之は短く、僅かに一間半ほど行くと、又も立って歩まれる丈の広さと成った、余は暫く立って、若しや塔の底から何かの物音が聞えはせぬかと耳を澄して居たが、此の時、又も強い雷が霹靂(なりはため)いて、爾して何所から聞えるか知らぬけれど、一種の非常に鋭い叫び声が聞えた、人の声か獣の声か、殆ど判断出来ぬ、其の物凄い事は人ならば確かに絶命の声である、決して平生に出そうとて出る声でない、獣ならば他の強い獣に捕われ、締殺される時の悲鳴ででも有ろう、其の長引く様が、余の全身の神経へ悉く響き渡った、余は殆ど進むにも進まれぬ思いがした、抑も何の声であろう。

    第百八回 宝の意味

 何者の叫ぶ声だか、余は深く懼れを催した、けれど到底確かめる事は出来ぬ、或は秀子が塔の底で何か危い目にでも遭ったのかと此の様な疑いも湧き起った「秀子さん、秀子さん」と二声呼んで見たけれど、自分の声さえ恐ろしげに響くばかりで何の返事もない。
 兎に角此の様な事に時を費して居られぬから其のまま歩み続けたが、茲から先は唯一筋の階段で塔の上へ登る許りだ、別に迷う様な岐路もない、軈て塔の絶頂だろうと思う所へ着いた、茲は五六畳かと思われた座敷に成って居る、定めし外を眺める窓なども有ろう、昼間茲から眺望すれば何れほどか宜い景色だろうと、世話しい間にも此の様な事などを思ったが、此の座敷を一巡して見ると一方に、今来た路より更に険しく降る所がある、アア「載升載降」とは之だと思い、此所を降り初めた、大凡の見当で、元来たよりも幾分か余計に降ったと思う頃、又も一個の室とも云う可き平な床へ降り着いた、熟く視ると此の室は八角に出来て居て、其の一角ごとに一個の潜戸が附いて居る、詰る所、余は上から降りて来て茲へ這入った戸口の外に七ヶ所の戸口が有るのだ、どの戸口を潜れば好いか更に当りが附かぬ、又も咒語に頼る外はないと思い、能く考えて見ると確か「神秘攸在、黙披図□」とあって図□をさえ見れば分ると云う意味で有ろう、成ほどアノ図□は唯見てこそ分らぬが、此の室へまでの道路の秘密を心得た上此の室で披(ひら)いて見れば随分思い当る所が有ったかも知れぬが、悲しい事には今はないのだ、虎井夫人が竊(ぬすん)で養蟲園へ送って遣ったのだ、其ののち何う成った事で有ろう、今更悔んでも仕方はないが、此の様な事と知らば、アノ図□をも咒語と同様に暗記して置く所で有った、爾だ秀子が能く図□を研究なさいと云ったよ、其の言葉にさえ従って置けば此の様な当惑もせぬのにと、余は心底から後悔した。
 何でも此の様な時には気を落ち着けねば可けぬ、急げば急ぐだけ益々迷うのだからと、静かに時計を取り出して磁を検め方角を判断した、方角は分ったが其の上の事は更に分らぬ、併し此の室は塔の何の辺に当るで有ろう、何うも時計室の直ぐの下に在る余の居間と凡そ並んで居るではなかろうか、升(のぼ)り降りは階段や廊下の長さで大抵其れ位に考えられる。
 果たしてそうとすれば、之が余の室の背後である、余の室は既に記した通り、四方とも縁側の様な廊下に成って居て、其の一方だけが、塞がれて物置きとせられて居るが、其の物置きの背後が何の様に成って居るかは今まで深く考えた事もない、単に余の室より外に室はない事の様に思って居たけれど塔の面積から考え合わすと仲々其の様な事ではない、物置きの背後の方に、余の室の倍より以上の室が有り得べき筈だ、今升ったり降ったりして来た道を考えても塔の中に様々の室があることが分る。
 此の様に思案して居ると、再び以前の物凄い叫び声が聞えた、今度は前ほど鋭くなく、殆ど病人の呻吟(うめ)き声かとも思われ、爾して続き方も以前ほど長くなく少しの暇に止んで了った、余の見当に由ると何うしても今の声は余の居間で発した者だ、決して塔の底の方でもなければ上の方でもない、ハテナ、余の居間へ如何なる怪物が入り込んで居るだろう、斯う思うと引っ返して見届け度いような気もする、けれど明日の昼の十二時までは塔の此の部分から出る事は出来ぬのだから我が居間の事などは思うだけ無益である、其れよりは早く塔の底へ降らねば成らぬ。
 図□がなくては如何とも仕方はないが、兎に角、八所(やところ)の戸を悉く開いて検めるが第一だ、其のうち一ヶ所は今上から降りて来て這入った所だから検めるには及ばぬ。
 残る七ヶ所を一々検めた、中には鼠が巣を作った跡の見える所も有る、成るほど鼠なら此の塔の秘密を知って居よう、鼠が言葉を解する者なら問うて見るのになど呟きつつ検めて最後の一ヶ所と成ったが、有難い、此所には熟く視ると埃に印して足跡が附いて居る、確かに女の穿く踵の小さい靴である、之が秀子の足跡でなくて何であるか、余は真に神に謝した、最う秀子の居る所は分った、彼女は兼ねて充分に図□をも研究して居たに違いないから、迷いもせず一筋に塔の底へ降ったのだ、此の上は此の足跡を見損ぜぬ様に、尾けて行けば其れで良い、蝋燭を振り照し、宛も猟犬が獲物の足跡を尋ぬる様に、注意に注意して降った、イヤ是から先の入り組んで居る事は、八陣を布いた様だ、小路の上に小路があり、或いは右、或いは左、忽ち登り忽ち降ると云う様で、足跡の助けなくば到底も行かれる事ではない、全体先あ何の必要が有って斯うも迷い易い面倒な道を仕組んだので有ろう、若し言い伝えられて居る通り大きな宝を隠す為とせば、其の宝は余ほど貴重の物でなくては成らぬ、咒語に「明珠百斛」などと有ったが、是が其の宝の意味か知らんと、余は益々怪しく思った。

    第百九回 骸骨が錦を被て

 真に八陣の様に入り組んだ廊下や階段を廻っては降り、降っては又廻り余は遂に之が最後の降り路で有ろうと思われる大理石の階段の上に立った。
 茲で熟く考えて見ると、大抵此の辺が塔外(そと)の地盤と平均して居るらしく思われる、是から下は地へ掘込んだ穴倉の様な所に違いない。
 何れほど深く穴倉へ這入るのかと、怪しみつつ其の石段を降り初めたが、又思うと此の石段が、確かに先刻電光(いなびかり)が差し込んで、深く深く余の目に映じた其の階段に違いない、勿論アノ時は唯チラリと見た許りで、能くは見て取り得なんだ、けれど頗る様子が似た様に思われる、シテ見ると、人だか何だか着物を被た者が横たわって居る様に見たのも、此の石段の下で有る、若しや秀子で有ろうかと見直したけれど、其の時は早や電閃(いなずま)の光が消えて見る事が出来なんだが、之を降り盡せば其の横たわって居る一物を確と見届ける事が出来る、爾う思うと余は神気平なる能わずと云う様で、何となく薄気味悪く、胸も切に騒ぎ出した。
 一段、又一段、愈よ段の下に着いた、正しく人の様な者が横たわって居る、蝋燭の光で見ると、其の着物が昔の錦襴の様な織物で有る、秀子の衣服とは全で違う、ハテなと思って余は、其の背だか何所だか手の当るに任せて引き上げて見たが、着物は余ほど古いと見え、朽た木の葉の破れる様に音もなく裂けて来る。
 此の時、大方蝋燭が盡き、殆ど手に持って居るが六かしくなったから、更に新たなのを点け替て、此の人の頭の方を検めに掛かったが、余は尻餅を搗(つ)かぬ許りに驚いた、何うだろう、人と思ったのは幾年を経た骸骨で、晒しも切らずに黒く固まって居る、アア骸骨が錦を着て塔の底に寝て居るとは聞いた事がない。
 けれど余は直ぐに思い出した、此の骸骨が昔此の幽霊塔を立てた此の家の先祖に違いない、塔の底へ這入ったまま、出る事が出来ずして、助けを呼びながら死んで了い、其の死骸は今日まで取り出す事が出来ずに在ると世の伝説に残って居るのが此の不幸な骸骨である、死ぬるまでに何れほどか残念であったやら、何れほどか悶いたやら、定めし其の恨みが今も消え得まいと思えば哀れにも有り、恐ろしくも有る、けれど余は猶此の上を見極めずに此の所を離れる事は出来ぬ、宛も目に見えぬ縄を以て死骸の傍へ縛り附けられた様な工合に、只躄(すく)み込んで殆ど身動きも得せずに其の死骸の顔を見るに、何れほどか恨めしく睨んだであろうと思われる其の眼は単に大きな穴を留むるのみで、逞しい頬骨が最と悔しげに隆起して居るのも、其の時の痛苦の想像せられる種になる。
 爾して猶だ驚いた一事は、骸骨の右の手が、堅く握った儘で、其の握りの中に古い銅製の大きな鍵を持って居る、何の鍵かは知らぬけれど、若し咒語に在る「明珠百斛、王錫嘉福」の語が、此の塔の底へ宝を隠して有る謎とせば、此の鍵は其の宝を取り出す為の鍵であろう、アア此の人や、生前に其の宝を隠さんが為に、斯様な異趣異様の塔を立て、自ら其の底に死し、猶足らずして、白骨と為って後までも宝庫の鍵を確(かた)く持ち、爾して髑髏の目を凹まして此の入口に見張って居るとは、宝に奇妙な因縁の生まれでは有ると、余は感慨に堪えぬ想いがした。
 兎も角も此のまま置くとは何とやら其の人の冥福にも障る様な気がしたから余は手巾を取り出し、骸骨の顔を蔽(かく)し、回向(えこう)の心で口の中に一篇の哀歌を唱えた。
 何分にも永居するに堪ぬから起き上り、最早此の辺に秀子の居る可き筈であると四辺を見廻したけれど何分にも蝋燭の光が弱く、一間と先は見えぬ、蝋燭を高く持てば自然と遠く其の光が達する筈と、頭の上へ差し上ようとしたが、忽ち天井へ支えて燈は消えた、爾だ茲は穴倉である、天井と床との間が僅かに六尺ほどしかない、三たび燈光を点け直し、静かに検めると、此の室の広さは分らぬけれど、壁に添うてズッと奥まで緋羅紗で張った腰掛台が列(つらな)って居て、其の前に確かに棺だろうと思われる大きな箱が、布の蔽に隠されて並んで居る、此の箱に何が収って居るかは余の問う所でない、余は唯、秀子は、秀子はと目を配るに腰掛台の端の方に伏俯向いた一人の姿は、見擬う可くもない秀子である、秀子、秀子、何が為に俯向いて居る、何が為に身動きもせぬ、若しや既に事切れとなった後にはあらぬかと、余は其の所へ馳せ寄った、爾して秀子の手を取ったが、悲しや其の手は全く冷え切って居る。

    第百十回 毒蛇でも捨てる様に

 取った手先の冷え切って居るのは全く事切れた後の様では有るけれど、余は何となく秀子の身体に猶だ命が籠って居ると思う。
 真に秀子が死んだのなら、余は自ら制し得ぬ程に絶望すること無論であるけれど、何と云う訳か爾ほどには絶望せぬ、随分呼び活(い)ければ生き返る様な気がする。
 片手に冷えた手を持った儘に四辺を見ると、多分は秀子が持って来たのであろう、腰掛台の上に手燭がある、蝋燭は今より幾十分か前に燃えて了った物らしい、依って余は自分の持って居る蝋燭を其の手燭の上に立てた、猶見れば秀子の頭の辺に当り極小さい瓶がある、之が千艸屋から買って来た毒薬に違いない、既に之を呑んだであろうかとは第一に余の心に起った疑問だが、有難い未だ呑んだ者ではなく、瓶の口も其の儘なら中の薬剤(くすり)も其のままである。
 余は自分の体温を以て秀子を温め活す程に両手を以て死人同様の其の体を抱き上げた、オヤオヤ手先の様に身体は冷えて居ぬ、通例の人の温さも有れば何だか脈なども打って居るようだ「秀子さん、秀子さん」穏かに呼んで見ると、秀子は薄く目を開き、聞えるか聞えぬか分らぬ程の細い声で、全くの独語の様に「茲は死んだ後の世界か知らん」と呟いた、余は此の様に身も魂も溺れる程の愛情が湧き起り、充分親切な言葉を以て慰めて遣り度く思ったけれど、悲しや権田時介との堅い約束が有って、露ほども情の有る親切な言葉を掛けては成らぬ、アノ約束の辛い事が今更のように浸々(しみじみ)と身に徹(こたえ)たけれども仕方がない、唯当り前の言葉を以て「イイエ死んだのでは有りません、私が助けに来て、ヤッと間に合ったのです、茲は未だ此の世です」聞えは聞える様だけれど猶半ばは独言で「未だ死なぬ、其れは――其れは大変です、何うしても死なねば成りません、皆なの為に」と呟いた。
 夢寐(むび)の間にも此の語を吐くは如何に思い決して居るかが分る、殊に「皆なの為」の一言は実に秀子の今の辛い境遇を説明して余り有るのだ、其の身に懸る二重の汚名が、到底雪ぐ可き由はなくして其の筋に捕わるれば自分のみか此の家の家名にも、続いては物の数ならぬ余の名前にまでも障る訳だ、四方八方へ気を兼ねて終に死ぬる一方と決心したのは全く余が見て取った通りである、余は熱心ならじとすれば熱心ならぬ訳には行かぬ「イイエ秀子さん、死ぬるには及びません、貴女の濡衣は全く晴れました、ハイ一切の疑いが無実であったと云う事を証拠立ることも出来ます、だから私は其の事を貴女へ告げに来たのです」
 秀子は初めて人心地に返った様で、怪しげに四辺を見廻したが、漸く我が地位を思い出したと見え「アア分りました、茲は猶だ塔の底でしたか、けれど何して貴方が茲へ来る事が出来ました」問う声は依然として細いけれど余ほど力は附いて来た、余「ハイ何うしてとて、貴女の行く先も目的も凡そ推量が附きましたから後を追っ掛けて来たのです、ハイ貴女が茲へ来たのと同じ事をして」秀子「私は茲へ来るのに八時間掛かりました、昼の十二時から夜の八時過まで、ハイ来る路に分らぬ所や錠の錆附いて、開かぬ戸などが幾何(いくつ)も有りまして、寧そ途中で死んだ方が好ったのに」余「最う死ぬなどと其の様な事を云うにも及びません、私は唯貴女の足跡を附けて来たのですから爾ほどの苦労も無かったのですが、夫でも昼の十二時過ぎから今まで掛かりました、時計の秘密を解くことが出来ぬ為に」秀子「でも貴方には到頭、時計の秘密が分りましたネ、何うか早く此の秘密をお解き成さる様にと一頃は祈りましたけれど、今は貴方に此の秘密を悟られぬが好いと思い、私は来る時に、一切の機械を元の通りに直し、十二時が来て自然に戸の開く時までは何うにも仕様のない様に仕て置きましたのに」斯かる問答は岐路(えだみち)と知りつつも「エエ、何うかして、十二時でなくも出這入りする工夫が有るのですか、其れを知らぬ者だから随分甚い目に逢いました」秀子は益々常の心地に復(か)えるに連れ、愈々其の身の位地に当惑する如く「貴方、貴方、丸部さん」と最と鋭く叫んだ、余「ハイ何ですか」秀子「貴方は、日頃の慈悲がお有り成されば是限り何うか私の後を追わぬ様に仕て下さい、此のまま私を立ち去らせて下さい」
 素より承知の出来る請ではない、と云って秀子は余の承知と不承知に拘らず茲を去る決心であることは言葉の調子にも現われて居る。思えば其の決心も決して無理ではない、一旦夫婦約束まで出来て居た余に汚らわしい女と思われ愛の言葉さえ掛けられぬ様に成ったと知って、何うして茲に居られよう、殊に心の澄み渡るほど綺麗な秀子の気質としては、唯此の一事のみの為にも深く心を決す可き筈である。
 之を思うと余は愚痴の様だけれど益々権田時介との約束が恨めしい、茲で情けある言葉を掛け我が愛にも尊敬にも、少しも変る所はないから矢張り未来の妻として茲に留まって居て呉れと、何うして言わずに居られよう、約束は何うなろうと、エエ儘よとの一念に余は心も顛倒し、蹙(しが)み附く様に再び秀子の手を取った、然り再び秀子の手を取ったけれども、又思い出して、茲で若し約束を破り其が為に権田時介を怨ませて、彼の恨が余と秀子との上に降り下る事に成れば何うで有ろう、秀子は養母殺しの罪人として、養父殺し未遂の罪人として、牢破りまで企てた稀代の毒婦として再び如何の責苦に遭うも知れぬのみか縦しや世界の果てまで逃れても生涯安心の時はないと、権田の言葉が其のまま胸に浮んで見ると、茲で情ある言葉を掛けるは決して秀子の為ではなく却って其の仇に成ると云う者、真に秀子を愛するならば、邪慳に余所々々しく突き放して了わねば成らぬ、と忽ち斯う思って余は秀子の手を投げ捨てる様に放して了った、何たる人を馬鹿にした仕打ちと見えるだろう、秀子若し心が落ち着いて居て、余が斯く毒蛇でも捨てる様に秀子の手を投げ捨てた仕打ちに気が附いたなら是切りで心底から余に愛想を盡すだろう、イヤ昨夜より既に愛想を盡して居るけれど、更に其の上に生涯の敵だとまで余を憎み賤むに至るであろう、余の地位の辛さも決して秀子に劣りはせぬ。

    第百十一回 密旨の一部分

 秀子は心の騒いで居る際ゆえ、余が毒蛇でも捨てる様に其の手を放した振舞には気の附かぬ様子である、之だけは有難い、けれど其の手の放されたを幸いに早や立ち去ろうと身構えて居る。
 余は厳重な言葉で「秀子さん命を捨てるの身を隠すのと少しも其の様な事をするに及びません」と云いつつ、秀子が置いて有った彼の毒薬の瓶を手早く取り上げ、自分の衣嚢へ隠して了った、秀子は其れと見たけれど強いて取り返そうともせず、唯何か合点の行かぬ様に考え「オヤ私は――貴方の来る前に何で其の薬を呑まなんだでしょう、貴方の来た時私は何様な事をして居ました」と問うた。
 成ほど是だけは余も合点が行かぬ、余の来る前に何故に毒薬を呑まなんだで有ろう、毒薬を呑まぬ者が何故死人同様の有様で茲へ倒れて居ただろう、秀子は漸く思い出したと見え「アア分りました、瓶を取り出したけれど、此の世を去る前に、神に祈り此の身の未来を捧げねば成らぬと思い、長い間祈って居ました、爾して愈々と其の瓶を取り上げた時に、恐ろしい電光が差し込み、此の室まで昼の様に明るく成ったと思いました」如何にも、余が塔の時計の中から、遙の真下に此の室の石段を窺き得たのと同じ時で有ったに違いない。
 秀子「其の時限り何うしたのか、私は何事もおぼえませんでした」
 扨は其の時電気に感じて忽ち気を失って居たのである、直接に電気に打たるれば即死し、打たれる迄に至らずして震撼せらるれば気を失うこと、外にも例の有る所である。
 其れにしても実に不思議と云わねば成らぬ、丁度毒薬を呑む間際に気を失い、余が助けに来た時まで、毒薬をも呑まず何事をも知らずに倒れて居たとは天の助けとも何とも譬え様がない、若しアノ時に強い電光が差し込まなんだなら何うであろう、余は茲へ来て秀子の死骸を見出す所であった、之を思うと真実神に謝する心が起った、余「秀子さん其れこそ神が貴女の祈りを聞し召して救いの御手を差し延したと云う者です、斯くまで厚く神の恵みを得る人は千人に一人と云い度いが、実は万人に一人もない程です、之に対しても貴女は死ぬの、身を隠すのと其の様な了見を起しては成りません」
 此の諭しには深く感じた様子で、立ち去ろうと構えて居た身を、再び腰掛の上に卸し、暫く目を閉じ胸を撫で、漸く心の落ち着くと共に更めて神に謝した、余も共々に祈って居た。
 頓て祈り終ると徐に余に向い「丸部さん、貴方が茲へ来て下さったので私の密旨の一部分は届きました」余は合点の行かぬまま「エエ」秀子「イエ私の密旨は三つ有りますが、三つとも届かずに此の世を去る事と思いましたのに一つだけ届く事に成ったのは、成ほど神の救いです」余「一つだけとは何の事です」秀子「ハイ此の塔の秘密として茲に隠されて居る宝を世に出し度いと云うのです、初めは自分で取り出すと云う積りでしたが、貴方にお目に掛かって後は、貴方に取り出させるのが当然だと思い、咒語の意味をお判じ為さいとか、図□を能く研究なさい抔と屡ばお勧め申しました」なるほど爾う勧めたのみでなく、実際咒語と図□とを余の目に触る様にしたのも此の秀子である、余「爾でしたか、私は爾とまで思いませず、図□も咒語も充分には研究せずに」秀子「其れだから私は歯痒い様に思って居ましたが、今は貴方が塔の底の此の室迄お出成さったからは、実際に咒語を解いたも同じ事です」と云い又も言葉を更ためて「丸部さん、私は自分の穢れた名の為に、貴方のお名をも父上のお名をも穢し、申し訳が有りませんが、唯此の塔の底の宝が貴方の手で取り出される事に成ったと思えば、聊か罪を償う事が出来た様におもい、幾等か心が軽くなります」
 言葉の意味は分って居るが、塔の底の宝とは何の事であるか合点が行かぬ、余「エ、塔の底の宝とは」と問い返すと、秀子は呆れる様に目を見開き「オヤ、貴方には未だ之が分りませんか」

    第百十二回 夜水竜哭

 真に此の塔の底に其の様な宝が有るだろうか、余は半信半疑である、秀子は此の様を見て悶(もど)かしげに「貴方は其を疑いますか、若し宝を隠す為でなければ何の為に此の様な、人の出入る事の出来ぬ塔を立てたとおおもいなさる」余「イヤ何等かの秘密を隠す為とは思いますけれど、其の秘密が果たして宝で有るとも見認(みと)め得ませんが」秀子「其れだから私が咒語を研究なさいとお勧め申したのです、咒語の意味を能く考えれば明白に分ります」余「何うも私には爾まで明白に解釈する事が出来ません」秀子「では私が此の家に存(のこ)って居る記録や古来人の口に存って居る所などを寄々に取り調べて自分で合点して居るだけの事を申しましょう、最う長く話して居る時間も有りませんから、掻い摘んで申しますが」と、斯う云って秀子は説き初めた。
 秀子「此の家の第一の先祖が昔の国王ランカスター家の血筋から出て居る事は勿論御存じで有りましょうが、其のランカスター家の最後の王であった顕理(へんりい)六世が死する時に、後の王位をヨーク家より争われ相に見えましたから、六世は昔から朝廷に伝わって居る金銀珠玉を取り纒めて悉く此の家の先祖へ与え斯うして置けば縦しや王位はヨーク家に伝わるとも王位よりも値打ちの有る宝物は依然として我が血筋に伝わる訳だと申しました、夫だから咒語に「明珠百斛、王嘉福を錫う」とあるのです、其ののち果たしてヨーク家から王位を争う内乱を起しまして此の家の先祖は朝廷を立ち退き身を隠す事と為りました、其の頃朝廷に出入りする僧侶のうち慾心の逞しい者が有りまして、内乱の軍が猶朝廷へ推し寄せぬ間に、其の宝を取り、之は自分が保管を頼まれたのだと称し、幾頭幾台の馬や車に附けて奪い去ったのです、咒語に有る妖□(ようこん)とは此の僧侶を指したのです、けれど此の僧侶も取り出した者の何しろ王位よりも貴(たっと)いと云われる程の宝ゆえ、隠して置く所もなく、殊には内乱の徒が軍資にする為其の宝へ目を附ける恐れが有りますから、止むを得ずして湖水の底へ沈めたと申します、誠に此の先祖と云うは不幸な人で、逃げたまま再び世に出る事が出来ず、配所同様の侘しい所で、空しく宝の安否を気遣いながら死んだとの事ですが、然し其の配所の様な所で実子を一人儲けました、其の実子は父から宝の事を聞いては居ますけれど、何所に何う成って在るかは知らず、是も我子に宝の行方を詮索せよと遺言して死に、其ののち代々子も孫も唯宝の行方を尋ねるのみを生涯の目的とし子々孫々同じ様で暮しましたが、遂に此の塔を立てた人の世と為り、漸く僧侶の仕業で水の底へ沈んで居る事を調べ上げました「妖□奪い去りて、夜水竜哭す」とは即ち僧侶が水底に沈めた事を指したのでしょう「言(ここ)に湖底を探って、家珍□に還る」と有るので、遂に其の人が湖水の中から其の宝を取り出した事が分るでは有りませんか」
 成るほど爾う聞いて見れば咒語の意味は実に明白である、今まで無意味の文字と云われ、或いは狂人が囈言(たわごと)を記したに過ぎぬなどと笑われた彼の咒語は、其の実苦心惨憺の余に成った者で、之を作った当人は一字一字に心血を注いだに違いない、余は之まで聞いて、思わず目の覚めた様な気がして、腹の中に彼の咒語を誦しつつシテ「逆焔仍熾なり、深く諸を屋に蔵す」とは何の意味ですと問い掛けた。
 秀子は事もなげに「其れが此の塔を立てた事を指すのでしょう、記録も色々に成っていて、諸説区々(まちまち)と云う有様で確かに斯うと断言は出来ませんが、私の最も確実と云うのは此の塔を建てた時代が丁度閣竜英(くろんうぇる)の革命の時で有っただろうと思います、此の革命と前に宝を盗まれた時の内乱とは二百六七十年ほど時代も違い事柄も違って居ますけれど「逆焔仍熾なり」とは逆徒の勢が仲々盛んだとは閣竜英の徒を指したのでしょう、閣竜英の改革は御存じの通り千六百四十年代の事ですから今より凡そ二百五十年以前です爾すれば此の塔の年齢も今は三百五十歳ほどに当るのです、世間では数千年を経た塔だと云いますけれど爾うは経て居ぬのです、若し其の時に宝が水の底から出たなどと分れば閣竜英に没取せられる事は無論ですから、何うか之を無事に隠して置きたいと云うので此の様な塔を立て、爾して暗に自分の子孫へ知らせる様に、咒語を作ったのです「深く諸を屋に蔵す」との語の中に、深く塔の底へ蔵めて置くと云う意味が見えて居るでは有りませんか」

    第百十三回 人生の沙漠

 是だけの説明を聞いて見れば最早咒語の意味は疑う隙間がない、読者は覚えて居るだろうけれど茲に其の全文を再録せん。
明珠百斛、王錫嘉福、妖□偸奪、夜水竜哭、言探湖底、家珍還□、逆焔仍熾、
深蔵諸屋、鐘鳴緑揺、微光閃□、載升載降、階廊迂曲、神秘攸在、黙披図□、
 全く此の家の先祖が国王より賜わった莫大の宝物を此の塔へ隠して置いて、爾して其の旨を子孫へ暁らせる為に作ったのである、先祖代々此の家の当主が相続の時に必ず咒語を暗誦せねば成らぬ事に成って居た仔細も分る、此の塔の底なる、今余と秀子との立って居る此の室に其の宝が隠れて居るのだ。
 秀子は説き終って「此の咒語を解き明して宝を取り出す道を開いたのが、私の密旨の一部です、一部だけでも仕遂げたのは未だしもの幸いゆえ、之を父上と貴方とへの万一の御恩返しと致します」斯う云って未練もなく立ち上った、之で全く此の所を、イヤ此の家を立ち去る積りと見える、余は再び叫んだ「貴女は先刻私が、貴女の身に掛かる濡衣が総て晴れる事と成ったと云ったのを何とお聞きでした、昔の汚名も新しい疑いも悉く無実であると云う事が明白に分る事と為って居ますのに」誠ならば嬉しやとの心、顔には現われねど、何所にか動き立つ様に見えた、秀子「誰れが其の無実と云う事を証明して呉れますか」余「夫は権田時介が」秀子は唯怪訝に、「ヘエ」と云った儘だ。
 余は自惚かも知れぬけれど「私が証明します」と答えたなら秀子が定めし喜んだで有ろうけれど、権田時介が証明するとでは余り嬉しくないと見え、確かに失望の様が見えた、爾して「でも権田さんは其れを証明する代りに何うせよとか斯うせよとか報酬の様に何か条件を附けるのでしょう」其れは勿論である、救うて遣る代りに己の妻と為れと云うのが彼の唯一の目的である、けれど決して妻に成らねば救わぬと云うではない、又救うた報酬に無理に妻にしようと云うでもない、唯救うて遣って其の上に猶及ぶ丈の親切を盡したなら其のうちには秀子が自然と恩に感じ、自分を愛する事に成るだろうと、極めて気永く、極めて優しく、決心して居るに外ならぬ。実に秀子に対しては此の上の恩愛はないので全くの無条件で有る、然り秀子に対しては全くの無条件で、条件は唯余に対してのみ有るのだ、決して秀子の愛を横合いから偸むな、何うでも秀子に愛想を盡される様にせよと唯是だけが余への条件、余が之を守りさえせば秀子は何の約束をもするに及ばぬ、何の条件にも縛られる事はない、余は斯様に思い廻し「イイエ権田は貴女に対しては何の条件もないのです」と貴女に対してはの一語へ、聊か力を込めて云うた。
 無条件と聞いて秀子は初めて安心した様子である「エエ無条件ですか、其れは聊か不審ですが――イヤ私から何の約束をするには及ばぬと、全く爾う云うのですか」念を推すも尤もである、余「無論です」秀子は暫し考えて、何とやら言いにくげに、何とやら物静かに「ですが貴方は」と余に問うた、「……ですが貴方は」アア此の短い一語実は千万無量の意味が有る、秀子は権田が何の条件を望まぬと知って、確かに之は余から充分の報酬を約束した者と見て取った、余が其の通り報酬を約束するからには、条件は余から持ち出す者だろうと思った、其れだから「ですが貴方は」と問うのである、此の言葉を通例の言葉に引き延せば「権田さんが、私を妻にするなどの条件は出さぬとすれば、貴方は其の条件を出しませぬか」と云うに帰するのだ、此の身を妻にする気はないかと問うのも同じ事である。勿論昨日までも夫婦約束が出来て居た間であるもの斯う問うは尤もである、余は心底から嬉しさの波が全身を揺ぶる様に覚えたけれど、悲しや何の返事する事も出来ぬ、茲で嬉しい顔色を見せてすら権田への約束を破るのである、秀子の生涯を誤らせるのである、罪に汚れた見下げ果てた女を何うして妻などにせられる者かと全く愛想を盡した様な容子を見せよ、と云うのが権田からの註文である、真逆其の様な容子を見せる事は出来ぬけれども、何と返辞して宜い事やら、返辞の言葉がグッと余の咽に支えた、余は応とも否とも何とも云わず、顔を傍向(そむ)けて徒らに目を白黒した。
 斯様な時に女ほど早く人の心の向背(こうはい)を見て取り、女ほど深く不興を感ずる者はない、秀子は忽ち余の心変りを見て取った、勿論態々(わざわざ)余の昨日からの不実らしい所業を許して呉れようとて、余に許しの言葉を掛けたのを余が雀躍して飛び附きはせずに却って顔を反したのだから怒るのも無理はない、之を怒らねば秀子でない、秀子以下の女である、けれど又其の怒りを陽(あらわ)に現わすのも秀子でない、秀子以下だ、秀子は再び何にも云わぬ、唯静かに手燭を取り上げた、余は今更熱心の色を示されもせず唯当り前に「ドレ私が送りましょう」と云った、秀子は実に冷淡である、唯「イイエ、独りで歩まれます」此の一語が余に対して生涯の勘当状である、余も単に「爾うですか」と味のない返事をしたが、此の時初めて、秀子の愛を失うが何ほど辛いかと云う事を思い知った、今までとても権田の条件に服して以来秀子を失わねば成らぬ者と幾度か嘆きは嘆いたけれど実際に秀子の愛を失うたのは今が初めてである、全く余が心は宇宙の太陽系統から太陽を引き去った様に、最暗黒と為って了った、滋味もない露気もない、此の後の生涯は、生涯の搾滓(しめかす)である、人間一人が生きながらの搾滓と為って了ったのだ、清風も有り清水も有り、萠え出る草の緑も咲き盛る花の紅も有る絶景の沃野を通り盡して索々(さくさく)の沙漠に入ったのだ、本統に死んで了い度く成った、何にも言わずに秀子より先に立って此の室を去ろうとした、秀子は全くの他人に向かう調子で「ですが丸部さん、貴方は此の塔の底に宝の有る事を知りながら其の宝が塔の底の何所に、何の様に成ってあるか其の実質は何であるか、其れを見届けずにお立ち去りなさるのですか」と問うた、余「ハイ見届ける必要は有りません、幾百年此の底に隠れて居た者ですから、其の儘に隠れさせて置きましょう、縁が有れば誰か又外の人が取り出すでしょう」後は野となれ山と為れ、人間世界を捨てた様な此の身に宝などが要る者か、腹の中は全く自狂(やけ)の有様である。

    第百十四回 第一号家珍

 縦しや王位よりも貴い宝にせよ、既に人間の搾滓と為った余に取っては何の必要もない、余は全く塔の底の宝を、手にも附けずに捨て置いて立ち去る積りである。

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