幽霊塔
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著者名:黒岩涙香 

 併し叔父が此の塔を買おうと云うのは元々咒文や図□の為ではない。噂に伝わる宝とても初めから叔父の眼中にはないので有る、図□が充分に分らぬからとて何も失望する事はない、けれど兎に角此の図□は聖書と共に丸部家の血筋へ伝え来たった者で、今では叔父が其の最も近い血筋だから之を預って保管して置くと云う事に成った、之にはお浦も故障を入れる事は出来ぬ、併しお浦の拾い上げた銅製の鍵だけはお浦が何うしても放さぬ「他日必ず役に立ててお目に掛けます」と余に向って断言した。ハテな、何の様な役に立てる積りなのか。
 塔の検査は之だけで終り、吾々三人直ちに倫敦へ帰ったが、翌々日は早や買い受けの約条も終り、何の故障もなしに幽霊塔は本来の持主丸部家の血筋へ復った、是からは修繕に取り掛る可きで有るが、叔父は修繕の設計に付いては是非とも松谷秀子の意見を聞き度いと云い、此の後は何の様な招待にも必らず応じて出掛けて行く事にした、是は総ての招待に応ずれば一週間と経ぬ中に廻り逢う様に言ったあの怪美人の言葉を当てにしての事らしい、勿論余も最一度怪美人に、逢い度いから必ず叔父に随いて行く、お浦も同じく逢い度いのか随いて行く、けれど仲々廻り逢う事が出来ぬ、其の中に叔父は何所で探ったか一冊の本を買って来て余に示したが、其の本は「秘書官」と題した小説(だか実験談だか)で、米国で出版した者だ、著者は「松谷秀子」とある、叔父は之を余に示して「アノ方は米国の令嬢と見える、爾して此の様な書を著す所を見ると仲々学問も有る、事に依ると女ながらも米国政治家の私雇の書記でも勤めて居た者では有るまいか」と云われた、余は受け取って其の本を読んで見た、小説としては少しも面白い所はないが、如何にも米国の政治家の内幕を能く穿った者で、文章の美しい事は非常で有る、大体の目的は米国の平民主義の共和政治とを嘲り暗に英国の貴族制度と王政とに心を寄せた者だ、此の様な書は米国で好く言われまいけれど、英国の読書家には非常に歓迎せられるだろうと、余は此の様に思ったが、果せる哉是より数日を経て評論雑誌に此の書の評が出て、甚く著者の才筆を褒め、猶此の書の著者が先頃より此の英国へ来て居る、一部の交際社会に厚く待遇されて居ることや、目下サリー地方を漫遊して居る事まで書き加えて有る。
 此の時宛も其のサリー地方の朝倉と云う家から叔父の許へ奇妙な招待状が来て居た、奇妙とは兼ねて色々な遊芸を好む其の家の主人(朝倉男爵)が此の頃新たに覚えた手品を見せ度いと云うので有る、素人手品は総ての素人芸と同じく当人には甚く面白いが拝見や拝聴を仰せ付けられる客仁に取っては余り有難い者でない、朝倉男爵は通人だけに其の辺の思い遣りも有ると見え、猶隣の郷へ恰もチャリネとて虎や獅子などを使う伊太利の獣苑興行人が来て居るから夫をも見せると書き添えて有る、虎にしろ獅子にしろ叔父は余り其の様な事を好まぬ気質で、此の招待は断るなどと云って居たが、評論雑誌の記事を見てから急に行く気になり、相変らず余とお浦とは附き随われて出掛けて行ったが、途中で大変な事件を聞いた、夫は外でもない、チャリネ先生が印度とか亜弗利加とかから生け捕って来た大きな虎が、夜の間に柵を破って行方知らずと成ったと云う事で、警官などが容易ならぬ顔をして立ち騒ぎ、旅人にも夫々注意を与えて居る、実に是は容易ならぬ、寧(いっ)そ行かずに引き返す方が安全だ、未だ虎に食われて死に度くはない。
 斯う云う評議に成って暫く途中で停ったが、常の場合ならば無論引き返す所だけれど彼の評論雑誌の記事を思い出すと如何にも引き返えすのは惜しい、事に由れば才媛と云われる「秘書官」の著者も朝倉家へ来て居るかも知れぬ、猶深く気遣えば若しや其の才媛が其の虎に食われるかも知れぬ、真逆に斯くまでは口に出さぬが叔父もこの通りの考えと見え、思い切って行く事に成った、お浦だけは少し苦情を唱えたけれど、余と叔父とが行くと云えば決して自分一人帰りはせぬ、併し此の評議の為、予定の時間より余ほど後れ、愈々朝倉家へ着いたのは夜の九時であった。
 着くと朝倉夫人が独り出迎え、三人の遅いのを気遣って居た旨を述べて「サア丁度手品が是から興に入る所です、今お客の中で籖を引き、一人其の手品の種に使われる約束で、大変な方が其の籖に中(あた)ったから、実に大騒ぎでしたよ」と、自分の亭主の素人芸を唯一人で面白がり、客には口も開かせぬのは、随分世間に在る形だ、三人は烟に捲かれた心持で、電燈の光まばゆき廊下を通り、笑い動揺めく声が波の様に聞えて居る大広間へ這入ろうとすると、此の時満堂の電燈が一時に消えて全く暗(やみ)の世界となった、余も叔父も驚けばお浦も「アレー」と叫んだが主夫人は暗の中で説明し「ナニお驚くに及びませんよ、是が手品の前置きですよ、丁度パノラマへ這入る前にお客の目を暗まして置いて夫から大変な者を見せるのと同じ事です」とて、探りに探りに三人を大広間へ入れたが暫くすると堂の中が少しずつ明るくなり、正面の青白い幕へ、幻燈の画の様に、美人の姿が現われて動き始めた、尤も此の美人は背の高さが僅かに二尺位だから本統の美人で無く、幻燈の影であるに極って居る、所が篤と見て居る中に其の影が段々大きくなり、遂に本統の美人と為って、嫣然(にっこり)と一笑したが、読者よ、何うであろう、其の美人は擬(まご)う方も無い松谷秀子であった、余も叔父も逢い度いと思って居た怪美人だ、成るほど客の中から一人籖に中り手品の種に使われる事に成ったを今主夫人の云ったのが此の才媛で有ったと見える。

    第十二回 化けるのがお上手

 幻燈の影が何時の間にか本統の美人と為るのは別に珍しくは無い芸だ、併し素人としては仲々の手際だから客一同は喝采した。真に満堂割るる許りの喝采で、中には「朝倉男爵万歳」とまで褒める者も有った。猶も見て居る中に此の美人、即ち松谷秀子は、充分主人に頼まれた者と見え、其の所に在る音楽台に行き、客一同に会釈して音楽を奏し始めた、その上手な事は実に非常だ、爾して謡う声も鶯喉(おうこう)に珠を転すとやら東洋の詩人なら評する程だ、満堂又も割れる許りの喝采が起った、今度の喝采は全く怪美人の芸を褒めるので、主人男爵は与(あず)からぬのだ、頓て音楽が終ると美人の身体は段々に小さくなり何時の間にか幻燈の影と変って、羽の生えた天人の子供と為り天上の楽園の舞と成って終った、イヤサ黒人の幻燈なら此の通り手際好く終る所で有ろうが、流石は素人――イヤ流石などと褒めるには及ばぬ――其所は素人の悲しさで、幻燈の影を美人と差し替える事は出来るが、其の美人を逆戻しに段々小さくして元の幻燈の影にする事は出来ぬ、実は音楽の終ると共に手取り早くパッと燈光を消して満堂を元の暗にして結局を附けた、寧そ此の方が厭味が無くて好いと客の半分ほどは止むを得ずお世辞を云った、仲々お世辞の言い方は有る者だ。
 再び満堂が明るくなると松谷秀子は元の席へ復って居る、客は口々に主人を褒め又秀子を褒めたが、主人の芸は最一度と所望する人無けれど松谷秀子の音楽は是非最一度と後をネダる人が多い、シテ見ると秀子の芸が主人よりも上か知らん、其のうちにも余の叔父は嬉し相に立って行き再会の歓びを述べて最う一回をと言葉を添えたが其の様は恋人の有様で有る、秀子も甚く余の叔父を懐かしく思う様子で、特別の笑顔を現わしたが併し「私の音楽は二度目をお聞きに入れると荒が出ます」と謙遜して所望に応ぜぬ、其の辺の応対の様や物の言い振りの仇けない所を見ると余は実に矢も楯も耐らぬ、自分の魂が鎔けて直ちに秀子の魂に同化するような気がした、勿論余は秀子の身に何か秘密の有る事は知って居る、余自ら怪美人と云う綽名を加えた程だから、玲瓏(れいろう)と透き徹った身の上とは思わぬ。「秘書官」と云う著者で文学の嗜みのある事も分り今夜の芸で音楽の素養の有る事も分ったとは云え、或る方面から見れば之さえも怪しさの一つでは有るが、併し幾等怪しくても立派な令嬢には違いない、誰の妻としても決して非難すべき者ではない、自分自ら「私は密旨を帯びて居ます」など有体に云う所を見ても嘘偽りなどを云う様な暗い心でない事も分って居る、余は斯う思うと余り叔父と秀子との仲の好いのが気に掛かり、邪魔すると云う訳ではないが同じく秀子の傍へ行って、叔父を推し退ける程にして挨拶した。
 すると此の時、余の背後で、満場の人々に聞こえよがしに、大きな声をする者がある、それは浦原嬢だ、イヤ浦原嬢と許りでは読者に分るまい、例のお浦である、お浦の本姓は浦原と云い他人からは浦原嬢と呼ばれて居るのだ、浦原嬢は強いて此の怪美人の傍へ来るは見識に障ると思ったか顋(あご)で松谷嬢を指して「本統に貴女は化けるのがお上手です」と叫んだ、褒め様も有ろうのに化けるのがお上手とは余り耳障りの言葉ではないか、満場の人は異様に聞き耳を立てた様だ、松谷嬢は気にも留めず唯軽く笑って「私が化けたのではなく幻燈の光が化けさせて呉れたのです」浦原嬢は此の返事を待ち設けて居た様子で「アレ彼の様におとぼけ成さる、今夜の事では有りませんよ、仲働きが令嬢に化けるを云うのですよ」扨はお浦め、此の美人を昔のお紺婆の雇人古山お酉とやら云う仲働きとの兼ねての疑いを稠人(ちょうじん)満座の中で発(あば)いて恥を掻せる積りと見える、去れば怪美人は全く其の意味が分らぬ風で「エ貴女の仰有る事は、何だか私には」お浦「お分りに成りませんか、私は又仲働きとさえ云えば直ぐにお紺婆の仲働きとお悟り成さって何も詳しく申して貴女に赤面させずに済むだろうと思いましたのに、お分りがないなら詮方なく分る様申しましょう、婆あ殺し詮議の時に色男と共に法廷へ引き出された古山お酉と云う仲働きの事ですよ、ハイ下女の事ですよ、其のお酉が下女の癖に旨く令嬢に化け果(おわ)せたから夫で呆れる、イヤ感心すると褒めたのです」余は此の言葉を聞きお浦を擲倒(はりたお)して遣り度い程に思ったが爾も成らず、且は此の美人が果してお酉で有るか否やを見極め度いと云う心も少しは有る、何も自分だけは好い児に成ってお浦が確かめて呉れるのを待つと云う猾い了見ではないけれど、唯其の心が少し許りある為に、お浦を擲り倒すのを聊か猶予した、聊か猶予の間に争いは恐しく亢じて仕舞った。

    第十三回 毛髪悉く逆立つ

 お浦の言い方は実に毒々しい、乙に言葉を搦(から)んでは有るけれど全く抉(えぐ)る様に聞こえる、此の抉り方は女の専売で、男には何うしても出来ぬ事だ、若し怪美人が真に古山お酉と云う下女で旨く令嬢姿に化けて居る者とすれば迚も此の言葉に敵する事は出来ぬ、顔を赤めるとか遽(あわ)ててマゴつくとかする筈だ、処が怪美人は少しもマゴつかぬ、唯単に合点の行かぬと云う風で而も極めて穏かにお浦に振り向き「オヤ貴女の仰有る事を聴くと、何だか私が其の古山お酉だと云う様にも聞こえますが――」お浦「などと幾等おとぼけ成すっても無益ですよ、お酉が其の後米国へ渡った事まで知って居る人が有るのですから」怪美人は宛もお浦を狂気とでも思ったか全く相手にするに足らぬと云う風で「オヤ爾ですか」と云い、頬笑んで止んで仕舞った、若し此の頬笑みが通例の顔ならばセセラ笑とも見えるで有ろうが、非常に美しい此の美人の顔にはセセラ笑いなどと云う失敬な笑いは少しも浮ばぬ。何所迄も愛嬌のある頬笑だ、余は此の有様を見て全く此の美人松谷秀子が古山お酉でないと云う事を見て取った。尤も此の様を見ずとても下女や仲働きが「秘書官」と云う様な文章も観察と共に優れた本を著わし得る筈はない故、少し考えればお酉でないと充分に分る所では有るのサ。
 斯う軽く受け流されて浦原嬢は全く焦気(やっき)だ「オヤ、オヤ、夫では貴女はお酉を知らぬなどと白ばくれ成さるのですか」怪美人「イイエ私はお酉を能く知って居ますよ、今は何所に居るか知りませんけれど幼い時は友達の様に仲能く致しました」この打ち明けた而も訳もない返事に、お浦はギャフンと参った、ギャフンと参って何うするかと思うと「エ、悔しい」と云って立ち上り「何方も私には加勢して下さらぬ、道さんまで知らぬ顔で居るのだもの」と恨めし相に泣き出した、思えば可哀相にも有る、全く自分の間違った疑いの為自ら招いた失敗だとは云え満座の中で大声に言い出した事が少しも功能無しに終るとは成るほど悔しくも有ろう。
 叔父も非常に当惑の様子、余も捨て置き難い事に思い、お浦を取り鎭めようとすると、物慣れた当家の夫人がお浦を抱いて、宛で、小供を取り扱う様に「貴女は未だ幼い時から我儘に育った癖がお失せ成さらぬから了ません、第一其の様に人を疑う者ではなく、疑ったとて此の様な所で口に出す者では有りません、口に出せば自分の方が恥ずかしい思いをするに極って居ますよ、殊に松谷さんは「秘書官」の著者でも有り立派な紹介を以て此の国へ来た方ですもの」此の当然な戒めに少しは合点が行ったか「ハイ私が悪う御座いました、相手は下女の癖に大勢の人様に、全くの令嬢だと思わせる様に智慧に逞しい女ですもの私一人の力に余るは知れた事です、爾と気附かずに相手にして此の様な目に逢ったは全く私が馬鹿な為です」と何処までも怪美人を下女にして仕まって憤々と怒ッて此の室を出た。
 余は松谷秀子にも済まぬが兎も角お浦を捨て置く訳に行かぬから引き続いて室を出たが、見るとお浦は当家の夫人に送られて、慰められつつ自分に充行(あてがわ)れてある二階の室へ這入って仕舞った、余は直ぐに元の客間へ帰って行くも何となく極りが悪く、少し廊下でグズグズして凡そ二十分も経った頃一同の前へ出たが、一同は余ほど興を覚し、単に一座のテレ隠しの為に松谷秀子を強いて再び音楽台へ推し上せたと見えて、秀子が又も琴台に登って居る、けれど秀子も何となく沈んだ様子で音楽も甚だ引き立たぬ、其の傍に附き切りで秀子の為に譜の本を開いて遣りなどする親切な紳士は年にも恥じぬ余の叔父で有る、叔父は余の居ぬ間に余っぽど秀子にお詫びを申したらしい。
 其のうちに客も一人二人と次第に退き去り、全く残り少なと為って愈々会も終りになった、秀子は曲を終って降りて来たが、第一に余の傍へ来て「本統に私は浦原嬢にアノ様に立腹させて済みませんでした、直ぐに私も自分の室へ退こうと思いましたが皆様が夫では猶更本統の喧嘩らしくなるとて達ってお留め成さる者ですから」余「イエ何も貴女が済まぬなど仰有る事はありません、全くお浦が貴女へアノ様な無礼な言い掛りをしたのですよ」秀子「此の様な時は虎井夫人でも居て呉れますと又何とか皆様へお詫びをして呉れますのに」余は此の言葉を聞き、初めて虎井夫人の居ぬに気が附き「オヤあの夫人は何うしました」秀子「ハイ獣苑の虎が抜け出したと聞いて、若しも大事の狐猿を噛み殺されては成らぬと云い倫敦まで逃げて帰りました」
 言って居る所へ給使の一人が何か書き附けの様な者を持って来て秀子に渡し「直ぐに御覧を願います」と言い捨て立ち去った、秀子は「誰が寄越したのだろう」と云って開き読んだが、余はチラと其の文字を見て確かにお浦が寄越したのだと知った、扨は男ならば決闘状の様な者では有るまいかと、此の様に思ううち秀子は読み終って立ち去ろうとする、余「お浦から呼びに寄越したのなら、何もお出なさるに及びません、私が貴女に代ってお浦に逢いましょう」秀子「イヽエ、自分で行かねば宜く有りません、益々我が身に暗い所でも有る様に思われましては」と、斯う云い捨て廊下へ出た、此の時叔父は外の紳士と何事をか話して居て秀子を送る様子も無いから、余は自分で送ろうと思い続いて廊下へ出た、実はお浦と秀子の間に又何の様な争いが有ろうかと多少は心配にも堪えぬのだ、爾して廊下へ出ると早や秀子はズット先に居て右の方へ曲ろうとして居る、其所まで行くと又既に先の方の階段の所まで行って、丁度其の階段の下に在る銃器室とて鉄砲ばかり置いて有る室の中へ這入って仕舞った、銃器室で面談とは奇妙だと思ううち、階段の影から女の姿が忍び出た、之はお浦だ、其の忍び出る様は宛も泥坊猫が物を盗みでもする時の姿の様に見えた、扨は続いて銃器室へ這入るのかと思って居るうちお浦は這入りはせず、外から銃器室の戸へ錠を卸した、オヤオヤお浦は怪美人を銃器室へ閉じ込めたのだ、何の為だか少しも分らぬ、余は足を早めて其の所へ行ったが此のときお浦は早や階段の中程より上まで登り、其所から銃器室の窓を瞰下(みおろ)して爾して二階へ登り去って見えなく成った、余は益々お浦の所行を怪しみ、銃器室の戸を推して見ると全く怪美人は此の中へ閉じ籠められたに違いない、戸には錠が卸りて仲々開かぬ、鍵はお浦が持ち去ったので茲にはない、何にしても秀子の身の上が気遣われるから余は詮方なく階段を上り、丁度お浦が瞰(のぞ)いた通りに、銃器室の窓から其の中を窺(のぞ)いて見た、読者諸君よ、此の時の余の驚きは、仲々「驚き」など云う人間の言葉で盡され可き訳な者でない、毛髪悉く逆立った、其のまま身体が化石するかと疑った、何うだろう銃器室の一方に大きな虎が居て、今や怪美人に飛び附こうと前足を短くして狙って居るのだ、分った、お浦は此の室に虎が紛れ込んで居るのを見て松谷秀子を此の室へ誘き入れたのだ。

    第十四回 虎は早や余の上へ

 余は何れほど驚いたかは、読者自ら此の時の余の地位に成り代わって考えれば分るだろう、此の時の驚きは到底筆や口に盡す事は出来ぬ。読者銘々の想像に任せるより外はない。
 真に咄嗟の間では有るけれど余が心は四方八方に駈け廻った、第一お浦の邪慳なのに驚いた、如何に腹が立ったにもせよ人を虎穴も同様な所へ欺き入れ、爾して外から錠を卸して立ち去るとは何事だろう、余はお浦を斯くまでも邪慳な女とは思わなんだが実に愛想が盡きて仕舞った。今まで仮初(かりそめ)にも許嫁と云う約束を以て同じ屋根の下に暮して来たのが、忌々しい、併し夫よりも差し迫った問題は何うして此の松谷秀子を虎の顋から救い出すかと云うに在るのだ、余は秀子の様を見て其の最と静かに落ち着いて居るにも驚いた、秀子は虎の恐ろしい事を知って居るか知って居ないか、見た所では殆ど知って居ないと思わるるほど落ち着いて、虎に向ったまま睨み合って居る、真に泰然自若とは此の事だ、感じの有る人間に、何うして此の様な場合に斯うも落ち着く事が出来るだろう、余りの事に虎までも少し呆気に取られ、相手の胆略を計り兼ねて大事を取って居るらしい、併し何時まで虎が猶予して居る者ではない、助けるなら今の間だ、今の間に何とかせねば成らぬ。
 何とかとて何と仕様もないけれど、ないと捨て置く事は出来ぬ、余は必死と考えて、何うしても余自から虎と秀子との間へ飛び降り自分を秀子の身代りとして虎に噛ませ、爾して其の間に秀子を逃げさせる外はないと決心した、余の今瞰いて居る窓から、銃器室へ飛び降りるは左まで六ずかしいことでない、けれど飛び降りると、虎と秀子との間へは行かず、丁度虎の背後へ落ちる事になる、併し夫も好かろう、虎は自分の背後へ急に何者か落ちて来たを知り、驚いて振り向くに違いない。振り向いて何うするだろう、直ちに余を取って押えて噛み殺すが一つ、驚いて元自分の這入って来た窓から逃げ出すが一つだ、若し逃げ出すとせば此の上もない幸いよ、丁度虎の這入って来たと思われる窓は、秀子の這入って来た入口と相対し、庭の方に開け放しに成って居る、虎が立ち去る気に成れば、何時でも立ち去ることは出来るのだ、唯少し工合の悪い事は、其の窓から立ち去るには、背後に落ちた余の身体を踏み越して行かねばならぬ、虎が少しも余を害せずに穏かに踏み越して行く様な事をするだろうか、少々覚束無いけれど仕方がない、運を天に任せて遣って見るのサ。
 余が此の通り決心したのは少しの間だ、話すには長く掛かるけれど、実際は二分とは経って居ぬ、余は何事も決心すると同時に実行する流儀ゆえ、思案の定まるが否や直ぐに窓の横木へ手を掛けて足から先へ虎の背後の方へブラ下り、自分の身を真直ぐに垂れて置いて爾して手を離し、丁度虎の背後へドシリと大きな音をさせて落ちた、兼ねて余は体操に熟達して居る故、是しきの事は訳も無く不断ならば下へ落ちて倒れもせずに其のまま立って居る所だのに、此の時は余ほど心が騒いで居たと見え、落ちると共に□と横様に倒れて仕舞った、今まで泰然自若として虎と睨み合っていた松谷秀子も是には痛く驚いたと見え、声を立てて打ち叫んだ、何でも「アレ丸部様」と云った様で有った、併し其の声と殆ど同時に虎は早や余の上へ傘の様に被さって来た、余は殺されても仕方がないと断念めては居る者の、何の抵抗もせずに阿容(おめ)々々と食われて仕舞うは否だ、叶わぬ迄も力の限りを盡して雌雄を決して見ねば成らぬ、ナンの虎ぐらいがと跳ね返して飛び起きようとしたが、早や虎の蒸苦しい様な臭気がプーンと鼻に入り、爾して其の熱い息が湯気の様に顔に掛かる、余は是だけで既に気が遠くなり雌雄を決するなどは扨て置いて此のまま命が盡きると思った、動物園などで虎を見た人は爾まで臭いものとは思うまいが、実際虎に組み伏せられて見ると実に驚く、何うせ命がけの場合だから、痛いことや恐ろしい事は何とも思わぬけれど、臭い許りは如何とも仕方が無い、殆ど目へ浸みるかと思われる程で呼吸さえもする事が出来ぬ、余は悶いても駄目だと悟った、若し此の臭気さえなくば虎の目へ指を突っ込んでなりとも一時の勝を制する工風も有ろうが、余は最う身動きも得せぬ中に殺されて仕舞うに違いない、彼は余の身体を一揉に揉み転し、柱の様な重い前足に余を踏まえ爾して口を開いて余の顔を噛み砕こうとしたが、余の運が虎の運より強かったと見え、此の時一発の銃声、余の耳下で聞こえると共に、虎は自ら転りて跳ね退き、実に凄まじい怒りの声を発して咆哮(ほえたけ)ったが、第二発目に聞える銃声と共に一躍り躍り揚って大山の頽れる様に其の所へ死んで仕舞った、誰が虎を射殺して呉れたのだろう。

    第十五回 聊か不審

 誰が虎を射殺して呉れただろう其の人こそは実に余が命の親だ。
 全体余は、単に怪美人の危急を救い度い一心で自分の力をも計らずに此の室へ飛び込んだ者の、思えば乱暴極った話で、如何に腕力が強くとも赤手空拳で虎を制する事の出来る筈がない、若し此の通り虎を射殺して呉れる人がなかったなら、余は唯自分が殺されるのみでない、怪美人秀子までも虎に遣られて、余の助け度く思う本来の念願も届かぬ所だ、爾すれば今此の虎を射留めて呉れた人は秀子に対しても命の親だ、イヤイヤ斯う云う中にも秀子は実際何うしただろう、果して助かって居るか知らんと、余は起き上って見廻したが、直ぐに我が目の前に、鉄砲を手に持ったまま立って居るは確かに秀子だ、余は呆れて一語をも発し得ぬ間に、秀子は落ち着いた声で「オヽ貴方はお怪我がなかったのですか、万一にも貴方を射ては為らぬと私は深く心配しましたが」と、早や鉄砲を一方の卓子の上に置き、介抱でも仕ようと云う面持で余の傍へ寄って来る、嗚呼余は怪美人を助ける積りで却って怪美人に助けられた、扨は余が命の親は此の美人で有ったかと思えば憎うはない、余「実に貴女の落ち付いて居らっしゃるには驚きました、全く其のお蔭で私は助かりました」怪美人は頬笑みて「貴方は私を助けて下さる為に、アノ窓から飛び込んだのでしょう」余「ハイそうでは有りますが、迚も私の力で虎を退治する事は出来ず、反対に貴女に助けて戴いたのは」怪美人「イヽエ、全く私が貴方に助けられたのです。私は此の室に這入って初めて虎の居るのに気の附いたとき、射殺すより外はないと思いましたが、若し遽てて鉄砲を取り上ぐれば虎が悟って直ぐに飛び附くだろうと思い、何うかして虎が少しの間でも他の方角へ振り向く時は有るまいかと唯夫を待って居たのです、或る旅行家の話に何でも猛獣に出会ったとき少しでも恐れを示しては到底助からず、極静かに大胆に先の眼を睨み附けて居れば先も容易に飛び附く事は出来ず、ジッと此方の様子を伺って居る者だと兼ねて聞いて居ましたから私は其の通りにして居たら、貴方が飛び込んで下さって、虎が貴方へ振り向きましたから夫で初めて鉄砲を取り上げる隙が出来たのです、取り上げてからは、モッと早く射る事も出来ましたけれど何でも急所を狙って一発で射留めねば成らぬと思い、夫に若し誤って貴方を射てはと、充分に狙いを附けた者ですから」余「イヤ夫にしても能く弾丸(たま)を籠めた鉄砲が有りましたネ」怪美人「ハイ是は今朝、獣苑の虎が逃げたと聞いた時、此の家の主人が若しも何の様な事で此の辺へ迷って来ぬとも限らぬから、何時でも間に合う様に弾丸を籠めて置くと云い、兼ねて此の家に逗留して居る数人の客を此の室へ連れて来て、誰でも虎を見次第(みしだい)直ぐに他の者へ合図を与え、爾して此の室へ駆け附けて鉄砲を取り出す事を約束を致しました、私も両三日以前から此の家へ逗留して居る者ですから、其の時に此の室へ来て居たのです」余は何にも云わず、唯主人の周到な注意に感服し情が余りて我知らず秀子の両手を我が両手に捉え「アヽ有難い」と心底から感謝した。
 此の時鉄砲の音に驚き、此の室へ駆け附けた人は多勢有った、其の真先に立つは此の家の主人で、外から此の室の戸を推排(おしひら)こうとして「オヤ是は怪しからぬ、先刻誰にも開く様に鍵を錠の穴へ押し込んで置いたのに其の鍵が見えないが」と云って更に何処からか合鍵を取って来て戸を開き中へ這入った、主人「今のは確に先刻約束した合図でしょうネ、虎は何処に居ます」とて、煙に満ちた室中を見廻して「ヤヤ、最う丸部君が射殺したのですか流石に日頃銃猟自慢を成さる丈の手際は有る」余「イヤ私ではなく松谷嬢が射留めました」主人「夫は愈々感服です、成るほど嬢は米国に居らしった丈け銃猟も男子に劣らぬ程と見えます、何しろ私が此の虎猟に洩れたのは遺憾です」と云い、少しも余と秀子が此の室へ這入った異様な事情には気が附かぬ様子だ、尤も気の附く筈もない、虎の居るを知って人を誘き込む人や上の窓から虎の背後へ天降る狂気じみた人などは余り世間に類がないからネエ。
 客一同も口々に「何うして一発や二発で射殺しました」「何うして虎を見附けました」「虎は何だって此の室へ這入って居ました」など、宛も余と秀子とが虎の心まで知って居る様に問う者さえ有ったけれど、秀子は敢て浦原お浦に疑いの掛るを好まぬと見え、成る丈け事もなげに答えた故、客一同は虎が此の室で眠って居るのを余と秀子とが見附け忍び寄って射留めたのだと思って仕舞った、斯う思わせたのは全く秀子の力で、余は益々深く其の心栄の美しいに感心したが、客の中に唯一人心の底で聊か事情を疑った人が有る、夫は余の叔父だ、叔父は物静かでは有るけれど多年検事を勤めただけ、斯様な場合には幾分か当年の鋭い所が未だ残って居る、叔父「夫にしても此の室の戸へ外から錠を卸し爾して鍵まで見えなく成って居たのが聊か不審ではないか」と言いだした。

    第十六回 重い荷物

 叔父の不審は成るほど有理(もっとも)至極であるが、併し真逆に余と怪美人とを此の室へ閉じ籠めて外から、錠を卸して去る様な悪戯者が有ろうとは、誰とて思い寄る筈がない、殊に客一同は虎の死骸を取り囲んで思い思いに評をして居る場合ゆえ、此の様な陰気な問には耳を傾けぬ、纔(わずか)に其のうちの一人が「ナニ此の様な遽てた時には必ず後で合点の行かぬ様な椿談が有るもんだよ、多分朝倉男爵が戸の引き手を廻さずに唯無暗と引っ張ったから、錠の卸りて居ぬ者を卸りて居る様に思ったのだろう」と云った。スルト二人ほど「爾だ、爾だ、是も話の種を増したと云う者だ」とて打ち笑った、主人男爵は何か弁解し相に構えたけれど、若し深く洗い立てして客の中の誰かの名誉にでも障る様な事が有っては主人の役が済まぬと思ったか、夫とも真実に自分の思い違いと思ったか同じく打ち笑って「夫にしても合い鍵の用意が有って仕合せでした、合い鍵を右へ廻したか左へ廻したか夫さえ覚えぬ程ですけれど、若し合鍵がなかろう者なら、益々周章(あわて)て、錠の卸りて居もせぬ戸を、自分の腕が脱けるまで引っ張る所だったかも知れませんアハヽヽヽ」と訳もなく腹を抱えたので、叔父の疑いは煙に捲かれた様に消えた。
 併し叔父自身は猶疑いの解けぬ様で、客一同が或いは虎の死骸を評し或いは松谷嬢の狙いを褒め或いは昼間より鉄砲を籠めて万一に備えて置いた主人男爵の注意を称するなど我れ先に多舌(しゃべ)り立てて居る間に、切(しき)りに室の中を詮索する様子で有った、余は眼の角から、見ぬ振りで見て居たが到頭叔父は卓子の下に落ちて居る紙切れの様な者を拾い衣嚢の中へ入れた様だ。
 此の外には別に記すほどの事もなく此の夜は済んだ、翌朝余は早くに叔父の室へ機嫌伺いに行った、叔父は余よりも早く起きたと見え既に卓子に向い、宛も昔検事で居た頃、罪案を研究した様に、深く何事をか考え込んで居たが、余に振り向いて、言葉短かに「お浦を是へ呼んで来い」と云った。扨は早やお浦の仕業に気が附いたかと、少し驚きながら其の命に従ったが、何うだろうお浦は叔父よりも猶早く起きたと見え、今朝早々に荷物を纒め倫敦へ立ったとの事だ、風を喰って逃げたとは此の事だろうか。
 余は直ぐに叔父へ其の旨を復命した、叔父は聞き終って別に驚きもせず前よりは更に厳(おごそ)かな声で「夜前の事はお浦の詐略だろう」余「エヽ何と」叔父「イヤ、己は昨夜松谷嬢の元へ給使が手紙を持って来た時、既にお浦が害意を以て嬢を呼び出すのでは有るまいかと疑ったが、其の方が直ぐに後から附いて行った様子ゆえ間違いもなかろうと思ったのに、アノ通りだ、其の方が彼の室へ這入ると直ぐにお浦が外から戸をしめたに違いない、お浦は虎の居る事を知って居たので有ろう」真逆に余が窓から天降った事までは推量し得ぬと見えるが、何しろ其の活眼には敬服だ、余「何うして其の様にお疑いです」叔父「是を見よ」とて差し出さるるは一片の紙切れで有る、文句は「至急御話し申し度き事有之候間、直ぐに銃器室まで御出被下度候、若し私を恐れて躊躇なされ候わば夫が何よりも、御身が古山お酉たる証拠に候、浦原浦子より」と有る。扨は叔父が昨夜拾ったのは此の書き附けだ、秀子が手に持ったままアノ室へ這入り、鉄砲を取る時に落した者と見える、此の書き附けが何も彼も説明して居るのだろう、余はグウの音も出ぬ、唯叔父に向って頭を垂れる許りだ、叔父「其の方は直ぐに倫敦へ行ってお浦を呼んで来い、一応当人を詰問した上で、松谷秀子に向い、己から充分に謝せねば成らぬ」是も有理至極の言い分で有る、余「ハイ直ぐに倫敦へ行きますが若しお浦が茲へ来ぬと言い張れば」叔父「其の時は己が行く」凛然と言い切った、逆らう余地もない。
 余は直ぐに倫敦へ帰ったが、お浦は早や茲でも荷物を引き纒めて出奔した後だ、唯余に一通の走り書きを残して有る「貴方が命を捨ててまで折角の私の計略を邪魔するとは驚き入り候、貴方がアノ女を何れほど愛するか又私を何れほど愛せぬかは明らかに分り候、勿論私も御存じの通り初めより貴方を愛する心はなく、唯丸部家の相続が全く他人に渡るを惜しみ貴方と夫婦約束をなせしまでゆえ、今は約束を取り消して綺麗に他人となり互いに誰と婚礼するも自由自在の身に帰る可く候。愛無くして夫婦と為らば末は互いに妨げ合いて不愉快に終ること既に昨夜までの事にて思い知られ候、私は根西夫人に従い今日出発して大陸へ旅立ち、貴方が私に分れて如何に淋しきかを思い知る頃帰り来る可く候、私の留守中にあの仲働が叔父様を(併せて貴方を)鎔(とろ)かし丸部家を横領するは目に見えたる所なれど如何とも致し方無く候、今既に貴方も叔父様も心の鎔けたる者に御座候、彼女は確かに幽霊塔の底に在りと云う宝物まで奪い去る大望に候、彼の女の身に深い秘密の有ることは、左の手に異様な手袋を嵌め、何の場合にも夫を脱がぬ丈にても明白の次第に候、貴方なり叔父様なり彼の女と婚礼の約束を成さるには彼の手袋を取らせたる上にて成さる可く候、是だけ御誡(おんいまし)め申し置き、猶貴方が彼の女に陥られる事あらば□は全く陥めらるる貴方の過ちゆえ私は知り申さず候」
 余は「何の小癪な」と嘲笑ったが、兎に角お浦から夫婦約束を解かれて自由自在の身と為ったのが嬉しい、此の後は最う何れほど秀子を恋慕い、縦しや夫婦約束を仕たとても差し支えは無い、斯う思って重い荷物を解き捨てた様な気がしたが併し自分の仕合せを喜んでのみ居る場合で無い、兎に角お浦に逢わねばと直ぐに兼ねて知る根西夫人と云う人の許を尋ねたが間の悪い時は悪い者で、一歩違いに行違い、追い掛けて行く先々で毎もお浦の立った後へ行って、到頭一日無駄に暮した、勿論叔父には其の旨を電報した、爾して翌日も日の暮まで馳せ廻ったが逢う事は出来ず、三日目にはドバの港まで追い掛けたが是も一船先にお浦と根西夫人との一行が立った後で有った、落胆して倫敦の叔父の家まで帰って見ると、叔父からは「最う来るには及ばぬ、己は近日帰る」と云う電報が来て居る、来るには及ばぬとは何事ぞ。人に之ほどの苦労を掛けて、扨は余の便を待たずに怪美人へは充分に詫びをして其の心を解く事が出来たと見える、爾すれば最う倫敦へ帰る筈だのに近日帰るとは是も何事ぞ、扨は、扨は、怪美人松谷秀子と分るるに忍びずして便々と日を送る気か。事に由ると是はお浦の手紙に在る事が当るか知らんなど、余は気が揉めて成らぬけれど、来るに及ばぬと明らかに制して来たのを、押し掛けて行く事も出来ず、身を掻きむしる程の思いで控えて居ると二日、三日、四日を経って、叔父はニコニコ者で帰って来た、帰って来て直ぐに余を一室へ呼び、今迄の陰気な顔を、見違える程若返らせて「コレ道九郎、其の方に祝して貰わねば成らぬ事が有る、何しろ目出度いよ」余は悸(ぎょっ)とした、「ハイ、夫ほどお目出度い事ならお祝い申しますが」と返事の声も何となく咽に詰った、叔父「己は此の年に成って此の様に嬉しい事はない」余に取っては少しも嬉しくはない、叔父「本統に嬉しいよ、アノ『秘書官』の著者よなア」余「エヽエヽ松谷秀子ですか」叔父「爾よ、其の松谷秀子がよ、己の親切に絆(ほだ)されて、到頭約束をして呉れた」余は全く声が出ぬ、漸く縊(くび)られる様な思いで「何時御婚礼を成されます」と問い返した辛さは真に察して貰い度い。

    第十七回 小利口な前置き

「何時御婚礼を為されます」との余の問いに、叔父は甚く驚いた様子で「其の方は何を云うのだ婚礼などと」余は怪訝に思い「松谷秀子と貴方の御婚礼は」叔父「アハヽ是は可笑しい、其の方は五十に余った己が再び婚礼すると思うのか、爾ではないよ、松谷秀子を己の養女にするのだよ」斯う聞いては実に極りが悪い、極りは悪いが併し嬉しい、彼の秀子が此の叔父の養女として永く此の家に、余と一緒に棲む事と為れば、其のうちに又何の様な好い風の吹くまい者でもない。
 叔父は猶説明して「己は直ぐにも披露し度いけれど、当人の望みに由り、愈々幽霊塔の修繕が出来上り己が引き移って転居祝いの宴会を開く時に、一緒に養女の披露をする。夫まで秀子は今まで通り此の土地の宿屋に居て日々此の家へ来る筈だ」余「何しに来ます」叔父「己の書き物などを手伝いに来るのサ実は朝倉家に居る間も手紙の代筆などを頼んで見たが流石『秘書官』の著者だけに、己が在官中に使って居た書記よりも筆蹟文章ともに旨い。是から日々此の家へ来て幽霊塔の修繕に就いての考案などを己と相談し其の傍ら己の書斎をも整理して呉れる筈だ、其の様な事柄には仲々面白い意見を持って居るよ、己は先ア娘兼帯の秘書官を得た様な者だ」と云い、更に思い出した様に「シタがお浦は何うした」と問うた。余はお浦が根西夫人と共に外国へ行った一部始終を告げ、且(かつ)は余とお浦との間の許婚も取り消しに成った事を話した、叔父は真面目に「己もお浦を彼の様に恐ろしい心とは思わず其の方と夫婦にしたら好かろうと其の様に計ったが、今では其の約束の解けるのは当然で有る、其の代り其の方には更に立派な許婚が出来るだろう」と様子ありげに云うた、何でも立派な許婚とは確かに秀子を指して居るらしい、余は襟元がゾクゾクした。
 話の漸(ようや)く終る所へ、取り次の者が来て、異様な風体の子供が余に面会を求めて居ると伝えた、或いは慈善を乞う乞食の子ででも有ろうかと思い、余は叔父の前を退いて直ぐに玄関へ出て見ると成るほど十五六歳に見える穢い子供が立って居て、卒然と一枚の田舎新聞を出し「此の広告に在る電報を人に頼まれて掛けたのは私ですが、頼み主を白状すれば幾等お銭呉れるのです」と、憎いほど露出(むきだ)しに問い掛けた、余は今以て、余の叔父を幽霊塔の近辺へ誘き出した彼の贋電報の作者が誰で有るかと怪しんで居る事ゆえ、聊か喜び、先ず子供の身姿を見て、是ならば充分と思う値を附け「三磅(ぽんど)遣(や)るよ」と云うに、子供は単に「夫ではお話に成りません」と云って早やスタスタ立ち去り掛けた「コレ、コレ待て、貴様は幾等欲しいのか」子供「十磅」余「エ、夫は余り高過る」子供「でも頼んだ人から手紙が来て、此の広告を知らぬ顔で居れば今から二月の後、五磅遣ると云って来ました、其の方に従うが得ですもの」五磅と云う分外の報酬を此の子に遣り口留めを仕ようとする所を見ると先も余ほど自分の名を厭う者に違いない、爾すれば愈々彼の贋電報は深い目的が有って掛けた者ゆえ余も愈々差出人を知らねば成らぬ。「好し、十磅は茲に在る」と云って夫だけの紙幣を差し出して示すと、小供は「是だけ戴いても茲へ来る旅費も掛って居ますから余り旨い事は有りません」小利口な前置きを置いて爾して、説き出した。

    第十八回 異様な花道

 小供の説き出した所に由ると、幽霊塔から僅かに七八丁離れた所に、草花を作って細々に暮して居るお皺婆と云う寡婦が有る、其の家は千艸屋(ちぐさや)と云って近辺で聞けば直ぐ分る、此の小供は其の家に雇われ草花の配達をして居る小僧である、或る時其の家へ年頃五十位の背の低い婦人が来て草花を買い、帰りがけに密(そっ)と小僧を物影に呼び、誰にも知らさずに此の電報を打って呉れと頼み、後々までも無言で居る様にとて口留めの金を一磅呉れた、其の翌朝、草花を配達して田舎ホテルへ行った所、其の婦人が犬猫よりも大きい狐猿を抱いて宿を立つ所で有ったと、是だけの事である、シテ見れば贋電報の本人は全く松谷秀子の附添人虎井夫人だ、勿論小僧の言葉に疑いは無いけれど、念の為に何か汝の言葉が証拠が有るかと問うた所、証拠は無いが五日程経て此の手紙が来た、と云って小僧の差し出すのを見ると、全く余が電信局で見た頼信紙の拙い文字と同じ筆蹟で「電信の事、誰にも云うな新聞の広告にも返事するな、誰にも知られぬ様に伏せ果せたなら今より二月の後、持って行って褒美を五磅遣る、きっとだよ」と書いて有る、是で充分だから余は約束の金を与え小僧を帰した。考えると余り愉快では無い、勿論怪美人、イヤ最う怪美人とは云うまい松谷秀子だ、其の秀子が知った事では無く全く秀子に隠して仕た事に相違は無いが、兎も角秀子の附添人が此の様な事を仕たかと思えば余の心中は何と無く穏かならぬ、贋電報まで作って余の叔父を誘き寄せる所を見ると叔父に対して何か軽からぬ目的を持って居るとしか思われぬ、爾すればお浦の疑った事も幾分か事実らしくも成る、併しナニ、併しナニ、秀子の知らぬ事だから何も虎井夫人の罪の為に秀子を疑う可き道はないなど、余は成る可く我が心で疑いを掻き消す様にしたが、実際秀子に逢って其の美しい顔を見ると、其の様な疑いは自分で掻き消す迄も無く独りで消えて仕舞った、決して悪事をする様な顔ではない。
 此ののち秀子は毎日又――一日置きほどに此の家へ来た、多くは虎井夫人が附いて居る、偶には一人の時も有る、叔父とは既に養父養女の約束が出来て居るから親密なは当り前だが、余とも仲々親密に成った、彼の虎殺しの一条から余は秀子を命の親と思い、イヤ余の方は何うでも好い、虎殺しがなくとも何がなくとも秀子を命の親と思う、秀子が顔を見せて呉れねば余の命は長く続かぬ、秀子も自ら余の為に助かった様に思う、殊に余が一身の危険をも構わずに虎の背後に飛び降りた心意気を深く喜び、此の後とても余にさえ縋って居れば何の様な敵をも防いで呉れると思って居るらしい、余は実に有難くて耐えられぬ、勿論何の様な敵だとて防いで遣る、遣るは遣るが余も其の防いで遣る可き権利の有る身分に早く成り度い、敵に向って「何故己の妻でも何でもない女を窘(いじ)めるか」では移りが悪い、保護するには何うしても我が物と云う動かぬ証拠を踏まえてからでなくば肝腎の所で足許がグラついて力が抜ける、尤も此の権利を得るのを今では爾まで六つかしいと思わぬ、折を得て余から縁談を言い込めば難なく整い相に見えるが併し、斯う思う度に、妙に心へ浮んで来て、気に成るのはお浦の言葉だ、お浦は甚く秀子の素性を怪しんだが、実際全く何者だろう、叔父は養女にまでしたのだから定めし素性を聞いたでは有ろうが余は未だ聞かぬ、時々言葉を其の方へ向けるけれど秀子は夫となく最と巧みに返事を避け、話を外の方へ振り向けて仕舞う。僅かに聞き得たのは、此の国へ来るまで米国のルイジヤナ州の州会議員から挙げられた行政官何某の秘書を勤めて居て、爾して彼の「秘書官」と云う書を著し、其の書の出版前に米国を出たと云う一事だけだ。
 先ず此の様な様で幾月をか経たが其のうちに幽霊塔の大修繕が出来上り、愈々引き移って、茲に転居の祝いと秀子を養女に仕た披露とを兼ね宴会を開く事に成った、叔父は一方ならぬ喜びで、最う恨みだの悲しみだのと云う事は一切忘れ、成る丈世を広く、余命を面白く送ると云い、朋友は勿論、是まで疎遠に成って居る人や多少の恨みの有る人にまで招状を発し、来る者は拒まずと云う珍しい開放主義を取った、余は今まで幽霊塔、幽霊塔と世人から薄気味悪く思われた屋敷が斯くも快豁(かいかつ)な宴会の場所と為り又此の後の余等の住居になるかと思えば何とやら不思議な国へ住居する様な心地がしてただ物新しい感じがする、居心(いごころ)は何の様だろう、何の様な事柄に出会すだろうと此の様に怪しんで、其の当日宴会の刻限より余ほど早く、未だ午後五時に成らぬうち汽車で塔の村へ着いた、停車場から凡そ二哩半の道を馬車も雇わずブラブラと歩んで行ったが、今思うと是が全く一家一族、最と異様な舞台へ入る花道の様なもので有った。

    第十九回 鳥巣庵

 ブラブラと歩み、幽霊塔の間近まで行くと聊か余の注意を引いた事がある。幽霊塔には隣と云う可き家がない、一番近い人家は、小さい別荘風の建物で、土地の人が鳥巣庵(とりのすあん)と呼ぶ家である、此の家と幽霊塔とは二丁の余も離れて居れど、其の間に人家はない樹木ばかりだ、だから之を隣家と云えば云っても好い、聞く所に由ると昔都の贅沢家が唯夏ばかり遊びに来る為に建てた消夏亭で有るけれど先年幽霊塔でお紺婆が殺されて以来持主は其の様な近所は気味が悪いと云い、雑作まで取り外して他の別荘へ運んで仕舞い、爾して此の家は幽霊塔同様に立ち腐れに成って居た相だ。今まで余が此の土地へ来る度に其の家の壁に「雑作なし、貸し家」と云う朽ち掛けた札の下って居るのを見た、所が今度は、是も幽霊塔同様に誰か借り手が出来たと見え、其の札もなくなり、爾して中へは一通り雑作を仕た様子で、内外の掃除も届き、一目で以て中に人の気の有る事が分るのみならず矢張り今日が引越しと見え、多少の荷物などを停車場の辺から車で引いて来て箱に入れて居る、ハテ扨、此の借受人は何者で有ろうと、余計な事ながら余は其の家の窓を見たが、窓に誰だか人が居て、遽てて其の戸を締めて了った、何でも窓から首を出し余の様子を見て居たらしい、それが反対に余から認められるが厭だと思い急に戸を占めたのでは有るまいか、勿論誰だか分らぬけれど瞰(のぞ)いて居たのは若い婦人らしい、戸を締める途端に、華美な赤い着物が余の目へチラと見えた。
 けれど取り糺す訳に行かぬから余は其のまま去って幽霊塔まで行ったが、前に見た時とは大違い、手入れ一つで斯うも立派に成る者かと怪しまるる程に、塔の年齢が三四代若返って居る、殊に屋敷の周囲に在る生垣などは、乱雑に生え茂って垣の形のない程に廃れて居たのが、今は綺麗に刈り込んで結び直し、恐らく英国中に是ほど趣きの有る生垣は有るまいと自慢じゃないが思われる、余は内よりも先に外の有様を検め度いと思い、生垣に添うて一廻り巡って、終に裏庭から堀端へ出て土堤を上った、土堤を猶も伝うて行くと、読者の知っての通り、お紺婆を殺して牢死した殺人女輪田夏子の墓が有る、先に怪美人が此の墓に詣でたのを見て余は非常に怪しんだが、今度も亦詣でて居る人が有る、イヤ詣でたか詣でぬかは知らぬが、様子有りげに墓の前にたたずんで居るが、此の人は女でない。三十四五歳に見ゆる立派な紳士だ。
 余の足音を聞き、悪い所を見られたとでも思ったか素知らぬ顔で立ち去ろうとする、勿論余は引き留める事も出来ぬが、何うか其の顔を見たいと思い、顔の見える方へ足を早めた。先は真逆に逃げ走る訳にも行くまい、墓より少し離れた所で三間ほど隔てて余と顔を合わせたが、余は最早此の後十年を経て此の人を人込の中で見るとも決して見違える恐れはない、別に異様な顔ではないけれど、妙に妙に、ノッペリして、宛かも女子供に大騒ぎせられる俳優(やくしゃ)の顔とでも云い相だ、何となく滑らかで、何となく厭らしい、美男子は美男子だが余は好まぬ、恐らくは秀子とても決して好みはすまい、此の人は余と顔を合わせて宛も挨拶でも仕たそうに見えた、併し余が余り怪しむ顔をして居た為か思い直した様子で、徐々と立ち去り掛けた、何所へ立ち去る積りであろう、余は何うも見届けねば、気が済まぬ。夫とはなく見送って居ると、余が来た通りの道を取り土堤から生垣の外へ降り、頓て姿が隠れて了った、余は其の間に走って生垣の所へ行くと、先は後をも見ずに、何事をか考え考え外へ出る、是ならば振り向く気遣いもなかろうと余は猶も尾けて行ったが、或いは尾けられると知って故と背後を向かぬかも知れぬ、何うも爾らしい、爾して到頭彼の鳥巣庵へ這入って仕舞った、扨は是が鳥巣庵の主人かな、縦しや主人ではなくとも、夏子の墓の辺に徘徊する所を見ると何か一種の目的が有ってではなかろうか、鳥巣庵の窓から余を瞰(のぞ)いて居た女の影と云い、鳥巣庵が急に塞った所と云い、それこれを考え合わすと何だか偶然ではなさそうにも思われる。

    第二十回 意外な人々

 余は何うも鳥巣庵の事が気に掛かる、誰が借りたで有ろう、何故に借りたで有ろう、彼の窓から余を瞰いた女は誰で有ろう、爾して彼の家に住む一人が殺人女の墓を見て居たのは何の為で有ろう。
 其のうちに宴会の時刻と為った。叔父は此の前日に数名の下部(しもべ)を引き連れて此の家へ来、松谷秀子も今朝来たと云うことで二人とも非常な好い機嫌である、来客も中々多く、後から後からと遣って来る、やがて叔父より客一同に対して、此の度松谷秀子を養女にしたとの披露も終り、客より夫々の祝詞なども済み、爾して愈々舞踏に取り掛る場合と成った、勿論客の眼は一番多く秀子に注ぎ、誰も彼も先に秀子と共に躍(おどろ)うと思い其の旨を申し込むけれど、秀子は充分に返事をせぬ。何だか物思わしげに控えて誰をか待って居る様子に見える、扨は最初の相手に余を選ぶ積りで夫で他の人を断って居るのだな、と余は斯う思って秀子の傍に行き「秀子さん何うか最初の踊りを私と御一緒に」と云うに、秀子は少しも喜ぶ様子が無い。「イイエ先刻から皆様に御断り申して居ります、今に否と云われぬ人が来るだろうと思いますから」オヤオヤ余より猶其の様な人が有るだろうか、余は聊か嫉ましい様な気がした、「其の人は誰ですか。以前から今夜の会に共に躍ると約束して有るのですか」秀子「イイエ約束はして有りませんが、若し其の人が所望すれば私は断る事が出来ません、其の人の許しを得ぬうち他の人と踊れば後で叱られるかも知れませんから」と益々異様な言い様だ。後で叱るなどとは父か所天(おっと)で無くては出来ぬ事だ、余「其の人は誰ですか。私の叔父ですか」秀子「イイエ、阿父(おとう)様では有りません」早や阿父様と云うは聊か耳立って聞こえるけれど、是は先日既に余の叔父が、爾後は阿父様と呼ぶ様に厳重に言い渡したので有る、余「叔父でなければ誰ですか、誰ですか、其の人の名を仰有(おっしゃ)い」秀子は余の熱心な有様が可笑いのか「オホホホ、其の様に仰有らずとも今に分ります」余「分る事なら今仰有い」秀子「権田時介と云う弁護士ですよ」余「エ、権田時介ですか」と余は驚いて叫び「権田時介なら私も知って居ますが彼はアノ殺人女の――」秀子「ハイ人殺しの裁判を受けた輪田お夏を弁護した其の人です」余「何故貴女は彼を夫ほど尊敬します、彼は貴女の何ですか」秀子は少し口籠って「何で有ろうとあの方の差図には、私は従わねば成りません」余「分りました、彼は貴女の未来の良人ですね」若し未来の所天ならずば、何で差し図などする者か、するとも何で従わねば成らぬ筈が有る者か、余は今までに此の女に許嫁の所天などが有ろうとは思いも寄らず、深く取糺しもせずに只管心を寄せたのが余り馬鹿馬鹿しい、余は何たる愚人だろう、夫にしても秀子とても、既に主の有る体なり、今までに余に打ち明けてよさ相な者だ、余の思いが日一日に深くなる事は秀子自ら知って居ねば成らぬのにと、余は殆ど恨めしく思うたが、秀子は静かに「エ、私の未来の所天、飛んでも無い事を仰有る、私は未だ所天などを定められる身の上では有りません」
 所天で無くて差し図するとは聊か怪しいけれど未だ未来の所天が定まらぬとは何よりも安心だ、余は我知らず笑顔と為って、今疑った詫びを述べようとして居ると、此の所へ遽ただしく虎井夫人が遣って来た、夫人はいきなり秀子の手を取り「大変ですよ、あの人達が来ましたよ、早くお逃げなさい、サア早く」と秀子を引き立て、殆ど悔しそうに「茲まで漕ぎ着けて彼の人に逢うとは実に残念です」何の事やら余には少しも分らぬが、早く逃げよとは尋常の事では無い、虎井夫人は秀子が急に逃げようともせぬを悶(もど)かしがり「到底逢わぬ訳には行きますまいが、兎に角、暫し他の室に避け心を落ち着けて夫からお逢いなさい、ソレ斯う云う中に最う彼処へ遣って来ますよ」と云って無理に秀子を引き立てる様にして盆栽室の方へ行って了った。余は全体何者を斯う恐れるのかと振り向いて見ると、茲へ這入って来る一組の客は実に意外な人々で有る。一番先に立つのが余の元の許嫁浦原お浦で、お浦と手を引いて居るは、先刻殺人女輪田お夏の墓の辺にたたずんで居て余に認められた、彼の鳥巣庵の住人、ノッペリした紳士で有る、其の背後からお浦と共に外国に行って居た根西夫妻が遣って来る、扨は秀子が逃げたのは此の一行を恐れたに違い無い、真逆にお浦から仲働きの古山お酉などと疑われるが辛くての事でも有るまいが、兎に角余はお浦に逢って其の手を引ける紳士の名をも知らねば成らぬと思い、進み出でお浦の前に立った、お浦は平気な顔で「道さん貴方は此の方を御存じですか、之は此の塔の前の持主、不幸なお紺婆の養子で高輪田長三と云う方です、叔父さんへ此の塔を売り渡したのも此の方です」扨は是がお紺婆の相続人であるのかと、余は初めて知ったが、是でお浦の目的も分った、此の人ならば無論仲働きお酉の顔を知って居る故、夫で秀子を此の人に見せ、爾して化の皮を引剥(ひんむ)くと云う積りである、其の執念の深いには驚くが、夫にしても秀子が此の人を恐れて逃げたのは何故だろう、虎井夫人の言った事を考え合わすと、何だか看破せられるを恐れると云う様子も無きにしもあらずだ。

    第二十一回 時計の音盆

 お浦は全く秀子に対し戦争の仕直しに遣って来たのに違い無い、前の戦争は秀子を虎の顋に推し附け充分の勝利と云う間際で失敗した、今度は高輪田長三と云う恐る可き後押しを連れて居る、万に一つも失敗せぬ積りで有ろう。
 成るほど、若しもお浦の疑う通り秀子を仲働き古山お酉とやらに化けた者とすれば、此の高輪田長三に一目見られたなら直ぐに看破される筈だ、夫にしてもお浦は何うして此の様な屈強な味方を得たで有ろう、後で聞けば、お浦が根西夫人と三ヶ月ほど旅行して居るうち偶然に伊太利の宿屋で懇意に成ったと云う事だ、道理で分った、お浦は先頃より頻りに叔父の所へ詫び手紙を寄越して居た、一刻も早く此の高輪田長三を連れて秀子の化の皮を引剥(ひんむ)きたいと思った為で有ろう、叔父はそう執念深く人を怨まぬ気質で、一時はお浦の所業を怒ったけれど間も無く心が解け、帰参を許す気に成った、併しお浦へ帰参を許すは秀子に対して聊か憚る可き様に思い少し躊躇して居た様子で有ったが何に付けても思い遣りの有る秀子が夫と察し、若し私の為にお浦さんが何時までも此の家へ出入りが叶わぬ様では何だか私がお浦さんを恐れて邪魔でもする様に当り誠に心苦しいから何うか早速にお浦さんを許して上げて下さいと此の様に叔父に嘆願したと云う事だ、此の辺から見ると秀子は決して古山お酉では無い、若しお酉ならば益々お浦を避けこそすれ故々(わざわざ)口を利いて其の帰参に骨を折る筈は、決してない、トサ余は今まで全く斯う思い詰めて居たけれども、今し方、秀子が遽てて逃げた所を見ると何だか心もとなくもある、若しや秀子は、お浦には看破される恐れはないが高輪田長三に逢っては迚も叶わぬと斯う思ったのでは有るまいか。爾すれば矢張お酉かしらん。
 真逆にとは思うけれど余は何となく心配で寧そ叔父が何時迄もお浦の帰参を許さねば好かったのにと、今更残念だけれど仕方がない、お浦は余に反し最う全くの勝利が見えたと安心してか、充分落ち着いて居て、今迄の様に粗暴でない、真に貴婦人の如く、物静かだ、言葉も振舞いも一寸と奥底の計り難い所がある、猶も余に向い説き明す様に「此の高輪田さんは輪田お紺の養子ですから此の頃まで単に輪田長三と云ったのですが、養子になる前の姓が高田と云い、此の頃実家の相続をも兼ねてせねば成らぬ事と成った為、実家の姓と養家の姓とを合わせて高輪田と改めた相です。今夜は私の知って居る方へは大抵お引き合せ申す筈です」とて、言葉の中へ秀子にも引き合わせろと云う意味をこめて居るらしい、余は唯「爾ですか」と云うより上の言葉は出ぬ、お浦「爾して此の度根西さんが此の隣の鳥巣庵を借り、私も高輪田さんも、根西夫人が再び旅行に出る迄は一緒に居る筈ですから、此の後は最う隣同志で、毎日お目に掛られます」余は呆れて「アア根西夫妻が隣の家を借りましたか。分りました。先刻窓から私を見て急に姿を隠したのは浦原さん、貴女でしたネ」と極めて他人行儀に恭々しく云うた、お浦「爾です、彼処に居る事を知らさずに不意に来た方が貴方も叔父様もお喜びなさるだろうと思いましたから認められぬ様に姿を隠しましたのさ」旨く口実を設けるけれど、全くの所は秀子へ少しも覚らせずに出し抜けに来て看破すると云う計略の為で有ったに違いない、斯う云う中にもお浦は夫となく室中を見廻して居る、秀子は何処に居るだろうと夫とはなく捜して居るのだけれども秀子の姿は見えぬ、終には耐り兼ねたか「今夜は秀子さんにも逢ってお祝いを述べましょう、ナニ道さん、イヤ丸部さん、私は少しも秀子さんを恨みはしませんよ、元は私が此の家の娘分で、今は追い出されて、其の後を秀子さんが塞いだと云えば世間の人は定めし私が恨む様に思うかも知れませんが夫は邪推です、御存じの通り私は叔父に追い出されたのではなく、自分から出たのですもの、叔父の圧制に堪え兼ねて。夫ですから後へ養女の出来たのを寧そ嬉しいと思って居ます、ハイ全くです」と余に向って斯まで空々しく云うは余り甚い、恨みの満ち満ちた置き手紙を残して置いた癖に、最う夫さえ忘れたのかしらんと、余は之にも聊か呆れた、幼い頃は我儘でこそ有れ斯う嘘など云う女ではなかったのに、イヤイヤ人を欺いて虎の居る室へ追い込み、爾して外から戸の錠を卸して去る様な女だもの、偽りを云う位は何で不思議がある者か。
 お浦は、夫となく再び問うた、「エ、丸部さん、今夜の女主人公は何処に居ます、松谷秀子さんは」余は止むを得ず「多分舞踏場に誰かと踊って居るのでしょう」お浦は思い出した様に「ドレ私も舞踏しましょう、サア高輪田さん」と云って、高輪田を引き立てる様にして舞踏室の方へ行こうとする、此の時丁度塔の上の時計が、一種無類の音を発して時の数を打ち始めた、何故だか知らぬけれど、高輪田は、此の音に、震い上る程に驚き、歩み掛けた足をも止め「ア十二時か知らん」と殆ど我知らずの様に呟いて其の数を指で算(かぞ)え始めた、十二時が何故恐ろしいか、彼の顔は全く色を失い、幽霊にでも出会ったと云う様に戦いて居る、頓て時計は十一だけ打って止んだ「アア十一時か」と彼はホッと安心の息を吐き、初めて自分の異様な振舞いに気が附いた様子で「此の時計は巻き方に秘密が有るとの事で、養母お紺が生存中は誰にも巻かせませんでした。此の音を聞くと其の頃のことを思い出して、私は何だか神経が昂ぶります」と云うた、併し此の言い開き丈では何故特に十二時を恐れて、十一時と知って安心したかを証明するに足らぬ、お浦は気にも留めずに振り向いて「少し舞踏でもすれば直ぐに神経は強くなりますよ、サア行きましょう」と高輪田を引っ立てて舞踏室へ這入った、余は兎に角も秀子の様子を見届けねば成らぬと思いお浦の姿の見えなくなるを待って、多分秀子が潜んで居るだろうと思う盆栽室へ、密(そっ)と行った、茲でも矢っ張り容易ならぬ事に出会(でっくわ)した。

    第二十二回 盆栽の蔭

 盆栽室は中に様々の仕切などが有って、密話密談には極々都合の好い所だ、舞踏室で舞踏が進む丈益々此の室へ休息に来る人が多くなる、中には茲で縁談の緒(いと)口を開く紳士も有ろう、情人と細語(ささめごと)する婦人もないとは限らぬ、併し余が秀子を尋ねて此の室へ入った頃は猶だ舞踏が始まったばかりの所ゆえ誰も来て居ぬ、隈なく尋ねて見たけれど、確かに茲へ来た様に思われる秀子さえも来ては居ぬ、扨は猶だ舞踏室にマゴマゴして居て若しやお浦に捕まったのでは有るまいかと、更に舞踏室へ引き返して見たが、茲にも確か秀子は居ないで、只お浦が余の叔父に向って彼の高輪田を紹介して頻りと何事をか語って居る、多分は叔父に秀子の居所を聞き、連れて行って逢わせて呉れと迫って居るので有ろう。兎も角秀子の姿が見えぬ丈は先ず安心だ、何でも秀子はお浦を避けて自分の室へでも隠れたので有ろう、爾ならば余も強いて秀子に逢わねば成らぬと云う事はない、再び盆栽室へ退いて、植木の香気に精神を養うて爾して篤と秀子の事を考えて見よう、真に今夜の様な時は、何の様な事件が起ろうも知れぬから咄嗟の間に好い分別の出る様に余ほど心を爽かにして置かねば成らぬ。

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