旅愁
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著者名:横光利一 

 と早速青年は不躾けに云って手を出した。
 これが最初に会った日本人だったのか、とふとそう思うと、矢代は張り詰めていた喜びも急に堪え難い悲しさに変った。
「僕のフィルムは大切な預り物だから、君には渡せないね。誰です君は?」
 矢代はもうこの男には絶対フィルムは渡さないと思った。彼はもう車から降りるのもいやになり腰を上げなかった。すると、その青年の肩を掻き除けるようにして、痩せた眼の大きい美しい別の青年が後から顕れ、矢代に鄭重にお辞儀をした。
「私はハイラルのT社のものですが、この人は今日一寸手伝いに頼んだ人です。遠い所をたいへん御苦労でございました。今日は大雨が降りましたものですから、ハイラルの飛行機が出ませんので、この人を頼んだのです。どうぞフィルムを下さいませんでしょうか。」
 なるほど、この青年でこそ自分の念い描いていた日本人だと矢代は思った。彼はまた急に嬉しくなって来た。
「そうですか、雨ですかこれで、僕はまだ汽車が動いているような気持ちなものだから、――じゃ、これをどうぞ。」
 矢代は横に用意してあったフィルムの円鑵を青年に手渡した。誰もそれぞれ何をしているのか分らない泡立たしいときだったので、南はと思って見ると、彼もA社の人に引き立てられ廊下の方へ出て行くところだった。
 矢代は荷物を下げ、フィルムを持った青年に守られてプラットへ降りて行きながらも、前の円顔の青年の顔が見えると少し気の毒な気がして来た。待合室でも荷物の検査があったから、審査の始まるまで待っていなければならなかった。大連行の次ぎの汽車の出るまでまだ八時間も間があるとのことだった。ソビエット側の国境の駅とは違い、こちらの待合室は天井も高く、コンクリートの巌丈さで近代的な感じだったが、大きな包みを抱えて眠っている中国人の群衆の間から蠅が群り立ち、電灯の周囲を飛んでいるのが、先ずひと目で受けたヨーロッパとは違った間延びのした東洋の表情だった。矢代は検査の始まるまで広い待合室を眺めて立っていた。一緒の汽車で来た外人たちは睡眠の不足で元気のない顔つきだった。それにしてもこの汚い包みを抱え蠅の中でい眠っている群衆が地球の大半を埋めているのだと思うと、それを見て来た矢代は、今さら世界の上に蠅につき纏われた宿命の人種の多いのに驚いた。それは東洋のほとんど皆の国がそうだった。
 この皆の国から蠅を追い払う努力だけでも、人人のこれからの役目は大変な力が要ると矢代は思った。
「私は警察の者ですが、今夜はこれからどうされます。」
 と、私服の眼鏡をかけた背の高い日本人が、矢代に今井と書いた名刺を出して訊ねた。矢代は別にどこへ行く考えもなく汽車を待つだけと答えた。
「じゃ、まだ八時間もありますよ。何んなら宿屋をお世話しますから、そこで休んで行かれたらどうです。まだこれからならひと眠り出来ますよ。」
 矢代はこの特高課の今井の職責上の目的のことなど今は考えてはいられなかった。それよりも、話しかけてくれる日本人を見るとただ誰でも懐しくなり、職業の差別など全然消えて人間だけが直接話しよる魅力を強く感じた。
「じゃ、宿屋お世話して下さい。一時間でも眠られれば有りがたいな。」
「そうなさいよ。ここは良い宿屋はありませんが、まア休むだけなら沢山ありますから。」
 二人がこんな話をしているうちに荷物の検閲が始まった。ここでは所持金を検べなかったが、荷物の中味の検査はソビエット側よりも厳格で時間がかかった。南は矢代からずっと離れたところでA社の人たちに取り包まれ旅中の事など話していた。矢代の傍には特高課の今井がただ一人附き添っていてくれるだけだった。
 検査を済ませて外へ出たときはもう夜が明けていた。矢代は朝の日光に眼を細めて、レールを跨いだ。初めて見る日の光りのように爽快だった。彼は呼吸を大きくしながらあたりを眺めて歩いた。樹木の一本もない平原の胸の起伏が波頭のように続いていて、その高まった酒色の襞のどこからも日が射し昇っているように明るかった。短い草の背がハレーションを起しているらしい。一望遮るもののない平原のその明るさに囲まれた中で、街がまだ戸を閉めて眠っていた。刑事の今井は矢代の荷物を持ってやろうといって聞かず、「よろしよ、よろしよ。」と云って重い方を奪うように携げると、ステッキを地に引き摺って、人のいない通りを先に立った。
「実に美しい所だなア。」
 と矢代はときどき立ち停り周囲の平原の波を見ながら呟いた。先に歩いていた今井はその度びに矢代の傍まで戻って来て、賞められたことが嬉しいらしく彼も一緒に並んで平原を眺めた。乳房の高まりの連ったような地の起伏が、空に羞らう表情を失わず、嬉嬉として戯れ翻っている賑やかな嬌態で、見れば見るほど平原の美しさが増して来た。
「いつも見てると分りませんが、万ざら捨てたもんでもないでしょう。」と今井は謙遜に云ってまた先に立った。
「いや、たしかに美しい所ですよ。一寸類がありませんね。」
 矢代は疲れも忘れ宿舎へ行くのも惜しまれたほどだった。それも周囲のどちらを見ても美しさは変らなかった。人工の極致とも見える繊細な柔かさで、無限の末にまで届いて祈りのような悲しみが地の一面の表情だったが、それは見ていると、また奔放自由な歓びの線にも見え、清らかな希いに満ちた明け渡っていく世界の明るさにも変って来た。矢代は国境の方の蒼く幽かに薄靄の立っているあたりを指差して、
「あのあたりがつまり、国境ですね。」と訊ねた。
「まア、国境というのですがね。どこからどこが国境だか誰にも分りませんよ。それにどういうものですか、ここでは自殺をするものが多いのですが、不思議ですね。」
 永らくここで暮していても、それだけが分らぬという風に今井は声を落して歎じた。なるほど無理もない、ここなら死にたくなる美しさだと矢代は頷きながら宿舎のホテルへ案内されて入っていった。玄関へ顕れた女中が矢代の前にスリッパを揃えて出した。別に取り立てていうほどの婦人ではなかったが、これも矢代には初めて見る和服の日本の婦人だった。外人には見あたらぬ、特殊な皮膚の細やかな美しさが襟もとから延びているのを見て、思わず矢代はどきりとした。


 南と矢代の別れたのはハルビンの駅だった。彼は一路大連まで来てそこから飛行機で福岡まで飛ぶつもりだったのに、平壌まで来ると先きは雨がひどく不時着したので、途中から汽車に替えて海峡を渡った。彼は昼間の内地を見たいと思っていたが、下関へ上ったのは夜の一時ごろになった。東京行の出るまでには、まだ一時間半もあったので、彼は山陽ホテルで休息している間に東京の自宅へ電報を打った。そのついでに千鶴子へも打とうかと暫く茶を飲みながら考えたが、やはりそれだけは思い止まった。関門海峡の両側の灯が、あたりに人の満ち溢れている凄じさで海に迫っていた。眼にする物象が絶えず跳ね動いているような活気に矢代は人からも押され気味になり、受け答えにも窮する遅鈍なものが、いつの間にか自分になっているのを感じた。それはひどく時代の遅れた自分であり、早急の間に合いかねるその自分から錆が沁み出ているようだったが、しかし、ともかくも日本へ無事帰りついている自分であることだけはたしかだった。今はもうそのことだけで彼は嬉しく、後はどのような目に逢おうとも忍耐出来ると思い、彼は胸の中に笑いの綻ろんでいくようなゆったりとした気持ちで周囲を見廻した。人人の多くは洋服を着ていたが、どれも皆洋服のようには見えなかった。男たちは皆眼光が鋭く不意に殺到して来そうな気配の中を、婦人たちが何んの恐れげもなく歩いているのが、不思議と優雅ななまめいた魚の泳ぐ姿に見え楽しそうだった。
 上りの汽車に乗ってからも、彼は満員の食堂車へ入って見た。ナイフとフォークを使う人人の手の早さが刀を使っているようで、狭い車内の傾いて飛ぶぐらぐらした中でも、揺れつつ肉を突き刺し巧みに口へ入れていた。総体が気忙しく立ち廻り、入り乱れているにも拘らず、それぞれ何んの間違いもなく無事安泰に流れてゆくようなその感じは、見ていても胸の空くほど凄じい勢いだった。それはもう西洋でもなければ東洋でもなかった。まさしくそれは世界で類のない一種奇妙な生の躍動そのもののような姿態だと思った。
 その夜はつづいた睡眠の不足で矢代はすぐ眠くなったが、寝台を取り忘れていたので、展望車の椅子にそのままうとうとした。彼の横にマニラから帰って来た青年が二人、十年ぶりだといって、窓から故郷の沿線の様子を楽しげに眺めていた。対い合った二人は嬉しそうに落ちつかないらしく右を見たり左を見たり、絶えずして眠らなかった。矢代にも向うから話しかけて来て、マニラの状況を報らせたり、どこから来てどこへ行くのかと訊ねたりした。矢代はシベリヤから帰って来たと答えると、シベリヤのどこかとまた訊ねた。乗車したのはベルリンからだと答えると、急に二人は他人行儀な冷淡な顔つきになって窓の外を向いてしまい、それからもう話そうとしなかった。矢代はそれを機会に横になって眠った
 眼が醒めたときもう朝になっていた。窓の下に海が拡がり砂浜の上を浴衣の散歩姿が沢山あちこちに歩いていた。夾竹桃の花が海面の朝日を受けて咲き崩れている間を、よく肥えた紳士が敷島を一本口に喰わえ、煙をぱッぱと吐き流して歩いているのを見て、矢代は瞬間眼の醒めるようなショックを受けた。淡路島らしい島が薄霧の上に煙って幽かに顕れて来る。雄松の幹のうねりが強く車窓に流れていった。日本の朝の日の光りを矢代は初めて見たのである。彼は車窓から乗り出すようにして、一見したところ、自分の国は世界で一番無頓着そうににこにこした、幸福そうな国だと思った。そのうちにシベリヤ以来すっかり忘れていた合服が夏の日にだんだん暑くなって来た。


 いつも矢代の旅は目的地へ着くころになると夜が来た。東京駅へ近づいて来たときもそうだった。故郷へ帰りついたと思う気持ちは、山陽線から東海道を上って来る車中の憶いの中に吸われてしまい、今は身心とも彼は疲れ果てていた。物音らしいものは耳鳴りで聞えず、かすめ通る灯火の綾の間に見えたホームの荷造の藁束が、いよいよ身近なものの匂いを伝えて迫って来る。継ぎはぎだらけの襯衣を着せられても苦にならぬ、里帰りの子のように疲れが気持ち良かった。
 汽車が停って矢代はホームへ降りた。最後の車のため人込みから離れた端れの柱の傍で、夏羽織の背の低い父の姿がすぐ彼の眼についた。父は暫く矢代を見つけなかったが、彼の方から片手を上げて父の方へ歩いてゆくと、父は「あッ」と口を開き、そのまま無表情な顔で近よって来た。その後から見えなかった母が小趨(こばし)りに追って来た。矢代は父の前で黙ってお辞儀を一度した。非常に鄭重なお辞儀をしたつもりだったのに、妙に腰が曲らず軽くただ頭を下げただけのような姿になった。
「どうも御心配かけました。」
 と矢代は父の後ろの母を見て云った。
「お帰りなさい。」
 母は矢代の顔を見ず羞しそうにそう云っただけで、重ねた両手を中に縮まるような姿で立っていた。父も母もさて次ぎにどうして良いのか分らぬらしく動かなかったが、矢代もやはりそのままだった。その間も東京駅の光景が薄霧の中から、見覚えのある活気を漸次鮮明に泛べて来た。赤帽が荷物を運んで行く後から三人はホームを出た。矢代は靴でしっかり歩いている筈なのに、まるで地から足が浮き上り、身体が絶えず飛び歩いているように思われた。障壁が尽く取り脱された自由な気持ちに、彼は自分がひらひら舞っている蝶に似て見え、眼につくあの灯この灯と広場の明りを眺めながらまたタクシを待った。
「とにかく分ったぞ。何んだかしら分った。」
 と彼はひとり呟いた。そのくせ何が分ったのか考えもしなかったが、もう考えずとも、証明を終えた答案から離れたような身軽さで、後を振り返る気持ちはさらになかった。
「何んか僕食べたいのですよ。お寿司がどうも食べたいなア。一寸お母さんさきに帰ってくれませんか。」
 矢代は母にそう云ってタクシに乗り込み途中で自分一人だけ銀座で降りるつもりだった。銀座の方へ動き出した車の中で、彼は、今は勝手気ままの云える子供の自分を、仕合せこの上もないことだと思った。母の縮みの襟もとが清潔な厳しさで身を包んでいる夏姿へ、彼は凭りかかるように反り、自分の永らく忘れていたのは、この母と父との労苦だったとふと思ったが、それも今は自分の身の疲れと同じように感じられた。
「もうじき涼しくなるが、まだ暑さは相当つづくね。」始終黙っていた父は誰にともなく一言云った。
「そうだ。まだ夏なんだな。」と矢代は呟くように云った。そして、季節のことなどすっかり忘れていた自分に気がついて初めて笑った。
「あなた、暑くないの。合服なんか着て。」
 矢代を見てそう云う母に、「何んだかもう分らないですよ。」と云いながら、彼は、春夏秋冬といってもどこのもそれぞれ違うのだと思ったり、東京よりもどこより先ず帰れば温泉へ行きたいと、パリで友人らと話したことを思い出したりした。しかし、こうして帰ってみれば、やはりどこより彼は東京が懐しかった。東京のどんな所が面白いのか分らなかったが、この地が間違いなく東京だと思うことで、彼は心が落ちつけるのだった。車が帝国ホテルの前まで来たとき、父は、
「洋行から帰ると、その晩はホテルへ泊る方が良いと人はいうが、お前すぐ家へ帰っても良いのか。」と訊ねた。
 洋行と父に云われると、矢代は突然身の縮むような羞しさを覚えた。
「洋行なんて――そんな大げさなものじゃなかったなア、僕のは。」
 矢代は一寸黙った。何を云おうとも、今は意味など出しようがないことばかりのように思われた。何か悲しくもあれば嬉しくもあり、どちらへ転げようとも同じな、ただ軽るがるとした気持ちだった。
「洋行というのはお父さん、あれは明治時代に云ったことですよ。」
 ふとまた彼はそう云ったが、今はそんなことより急に街が見たくなった。街のどこが見たいというより、いつも見ていたあそこもここもという風に見たくなり、そして、先ず何より寿司が食べたいと思った。
「幸子はだいぶ良くなりましたよ。今夜も来たいと云ったんだけれど、また悪くなられるとね。」
 と母は矢代の妹の容態のことを云った。
「良かったですよ。どうも、あれのことが気になってね。疲れが癒ったら、僕病院へ行きますよ。」
「そうしておくれ。喜ぶわ。」
「だけど、僕、何んだか一度、滝川の家へも行きたくってね。東北地方が一番見たいんですよ。」
 と矢代は云った。母の実家の滝川家のある東北地方を見ることは、帰って彼のするべき計画の第一歩のように思われていたからだった。しかし、母とそんなことを話している間も、彼は父ひとりをそちらへ捨てているような自分の態度に気がついて、実はそうではない筈だのに、何ぜともなく父には、云うべきことも云いにくいことがさまざまにあるのだった。
 子供の洋行を誇りとしているらしい明治時代の父に、矢代は自分の思いを伝えるには、どう云えば良かろうと咄嗟に考えたが、さきから父はただ「ふむ、ふむ。」と云うばかりで、窓から外を見て黙っていた。前に父は、自分は金を儲けたら一度だけどうしても洋行をしてくるのだと、口癖のように云っていた。その父の若いころからの唯一の念願も、それも子の矢代が父に代って、その意志を遂げて帰って来た今だった。その子の云うことが父の希いに脱れた奇妙なことを云い出したのであってみれば、父に分らぬのも尤もと云うべきであった。
「やはり時代というものは、争われずあるんですね。これで。」
 矢代は有耶無耶なことを云って言葉を濁したが、洋行して来た自分よりも、子供にそれをさせることのみ専念して、身を慎しみ、生涯を貯蓄に暮しつづけた父の凡庸さが、自分よりはるかに立派な行いのように思われた。しかし、彼は父が何ぜともなく気の毒な感じがした。それはもう云いたくもない、生涯黙っていたいことの一つだった。彼は父の期待に酬いることの出来なかった辱しさを瞬間心底に感じたが、すぐまた諦め返して街の灯を見つづけた。
「ああ、しかし、いったい、何を自分はして来たのだろう。」
 ふとときどきそんなに彼は思った。そして、得て来た自分の荷物を手探りかけては、いや、何もない、袋は空虚だと、足もとに投げ出す気持ちの底から、暫く忘れていた千鶴子のことが頭をかすめ通って来るのだった。
 銀座裏で車を捨て矢代はひとり寿司屋を目あてに歩いた。通りや街の高い建物の迫りがまったくなかった。打ち水に濡れている暗い裏街をぬけて行く間も、彼はただ食い物を追うだけの自分を感じた。団十郎好みの褐色の暖簾の下った寿司屋へ入り、矢代は庭の隅の方に腰かけると、漆塗の黒い寿司台に電球の傘が映っていた。ジャパンという英語は漆という意味だということを、ふと矢代は思い出した。そして、黒塗に映えた鮪の鮮やかな濡れ色から視線が離れず、テーブルに凭れて初めて、彼はいつも一番舌の上に乗せたかったのは、この色だったと思った。
 鮪が出たとき、彼は箸でとるより指で摘んでみたくなつてつづけて幾つも口に入れてまた皿を変えた。身体の底に重く溜ってゆく寿司の量が、争われず自分の肉となり、血となる確かな腹応えを感じさせた。下を見るとここにも、靴まで濡れそうな打ち水がしてあった。「ははア、水だな。」と彼は云った。
 内庭に清水を撒く国は日本以外に見られなかったのを彼は思い出した。そして、山から谷から流れ出る、豊かな水の拭き潔めてゆくその隅隅の清らかさを想像して、自然にそこから生れて来た肉体や、建物や食物の好みが、およそ他の国のものとは違う、緻密な感覚で清められて来たことなど、瞬間のうちに彼には頷けた。しかし、今は矢代はそんなことも、特に考えようとしたのではなかった。
 もう街は遅くなっていたので人通りも少く、電灯も暗かった。彼は寿司屋を出てから、行きつけのおでん屋の方へ歩いてみた。日本を出発する前にいつも歩いた自分のコースを、またそのように歩いてみたくなったのだが、歩きながら彼は、これからの来る日も来る日も、こうして自分は同じ所を歩き、一生を過すのかもしれぬと思った。すると矢代は今までとは打って変って、急にぐらりと悲しくなった。今までの旅中はある街に着いても、二たびここを見ることもなく、明日は旅立って行くのだと思ったのに、今はそうではなかった。もうここは旅の納めで明日からここを動かぬのだった。ここは自分の生れ出た土地で、墳墓の地だと思い、いつの間にか人は識らずに自分の屍を埋める場所を、こんなに探し廻っているのだと思った。その過ぎた月日の物思いも、停ってみれば、停ったところからまた、月日がめぐってゆくのであろう。そう思うと、風の消えた湿った裏小路に踏みつけられた紙屑も、はッと眼差を合せたものの歓びに似て見えたりした。
 実際一つ一つのものが今の矢代には意味があった。そうしておでん屋の前まで来たとき、彼は何げなく敷居を跨ごうとした足を思わずまた引っ込めた。入口の敷居の土の上に、一握りの盛り塩が円錐形の姿を崩さず、鮮やかな形で眼についたからだった。「おや、こんなものがあったのだ。」と彼は思った。いつも人に跨がれ、踏みつけられたりしていたその塩であった。それが闇の中から、不意に合掌した祈りの姿で迎えてくれていたのだ。物いわないその清楚な慰めには、初めて彼も長途の旅を終えた感動を覚えた。彼は襟を正して黙礼しつつ敷居を跨いだ。跨ぐズボンの股間から純白のいぶきが胸に噴き上り、粛然とした慎しみで、矢代は鼻孔が頭の頂きまで澄み透るように感じた。彼は思いがけないこの清めに体中のねばりが溶け流れた。彼は中へ這入ってから、杉の板壁に背をよせかけても、それからはもう、杉の柾目が神殿の木目に顕われた歳月の厳しさや、和らぎに見えるのだった。人は知らず、これはただならぬ国へ帰って来たものだと、彼は暫く親しい主婦に銚子も頼めなかった。
 客は矢代の他に二人よりいなかった。二人の客はそれぞれ別の客だったが、一人は前からここでよく顔を合す常客で、他の一人は、腰かけたまま床下に俯向いていて、今にも吐きそうな苦しげな姿勢をしていた。鈍い電灯の下でその腰折れ客はときどき咽喉を鳴らした。
 矢代は見ていても別に二人の姿が気にかからなかった。板壁に人の凭りかかった油の痕跡が、黝ずんだ影法師となって泛んでいた。彼はその中の一つにも自分の油が滲みついているのを感じた。そして、あれが日本を発つ前の、自分の痛苦懊悩の日日の印刻かと思って懐しかった。彼は指頭で油の影を撫でてみた。
 そのうちにまた別の新客が一人、〆縄のような縄暖簾を額で裂いて顕われて、「やア。珍らしい人だね。」と矢代に声をかけた。それも常客の一人で、矢代の知人の田村という美術評論家だった。
「どうだったパリは?」
 傍の椅子へよりかかって、慰安かたがた云う田村に、矢代は早速には答えかねた。
「何んだかよく分らないね。あそこはどうも、僕にはむつかしい。」
 矢代は田村の猪口を云いつけた。田村はフランス崇拝家の多い中でも少し度を越した人物で、むしろ久慈以上のところがあったから、矢代も迂濶な返事でこの夜の気持ちを壊したくはなかった。
「しかし、面白かっただろう。良いことを君はしたよ。」
「僕はフランス語がよく出来ないからね。僕のは出来ぬ面白さだ。」
 矢代は出発前に自分のフランス語の貧弱さを素直に悔い、また知人たちもひそかに彼のその労苦を憐れんでいるのを知っていたから、田村の得意なフランス語に華を与えた譲歩も、酒の場の挨拶としてはしなければならなかった。
「とにかく、フランス語の教養がなけれやね。フランスへ行ったって面白くないさ。」
 こう矢代に面と向って云った正直者の知人のいたのも彼は思い出した。そして、自分の外遊に関しては、定めし嘲笑の様子が見えぬ部面で起ったことだろうと想像もしたが、それが以後、いちいちそれに満足を与えるような結果となって来ている自分の胸中を、彼はどんな表情で示して良いか、苦しむのだった。
「僕は君らの一番いやがる人間になっているのだよ、もう訊いてくれたって駄目だよ。」
 と実は彼はこんなに皆に云いたかった。しかし、こういう云い方など、もう自分を説明する何んの役にも立たぬと知り、彼は田村の盃に黙って酒を注ぐ歎きもまた感じた。
「僕はフランスにいたとき、日本に心酔してさんざ笑われたよ。どうも日本が好きになって困ったね。向うにいる日本のインテリは、日本の内地にいるインテリなんか、知識階級だとは全然思っちゃいないんだよ。よくしたもので、そう思われると、何んとなく自分も、自分を知識階級だと思わなくなるもんだね。」
 田村は何か云いかけたが、眼鏡の底からただ細かく眼を光らせただけで黙っていた。ふと矢代は田村を見ると、彼の洋服姿がフランス語を習っている神官に見えて来た。
「実際おかしなものだ。まア誰も彼も、遊ぶときまで論理論理と云ってるよ。僕はまるで論理の景色を見に行ったようなものさ。世界の人間がこんなになってしまえば、何んか起るぞ今に。」
「まア、僕はフランスを見ないから何んとも云えないがね。しかしそれはそうだろうな。」
「見たって云えないよ。――とにかく、僕は何も、どこの国に心酔して行ったというわけでもなし、特にフランスを見たくって行ったわけでもないが、まア、地球というものは円いものかどうかと、検しにいってみたような結果だな。しかし、たしかに地球は何んとなく円いと思ったね。」
 矢代は特に謙遜や弁解を示そうとしてこんなに云ったのではなかった。振り返って旅中のことを思いめぐらす自然の言葉が、加わる疲れとともに、このように弱まって出たのであった。それは考えると物足りなく寂しかったが、そうかといって、この夜も昼もフランスでなくては納まらぬ田村の前で、ここのこの小料理屋の木目が、今の僕には神殿の木目の美しさに似て見えるのだと云ったなら、この田村は何んとふれ廻って歩くことだろうと、云いたいことも、一途に彼は抑え慎しむことに努力した。
「絵は見たか?」とまた田村は、何よりそこを自分は一番希んでいるのだと云いたげな様子で訊ねた。
「見た。」と一こと云うと矢代は黙った。
「どうだった絵は?」
「意外に下手な絵の多いのにびっくりしたね。」
「そうだろうな。」
 田村は、お前のことならと云う意味も含めて、もし自分ならと、云いたいところも、歯痒ゆそうに微笑にまぎらせて、その口に猪口をあてた。矢代はこれから会うものごとに、みな誰も田村のように同情を自分に示すさまがありありと感じられ、自分にとって一番難しいのは、何んといっても日本の内部のこの外国語を習っている神官たちだと、直覚するのだった。そして、それも所詮は他人のことではなく、自分自身のことだった。ああ、自分のことだ、みんな。――これは難しい、実に云いがたく難しい、実生活の犇めきよせた世界の中へいよいよ自分も帰って来たものだと思った。
 窓から外に眼を向けると、泡を集めたようにどろりとしたメタン瓦斯(ガス)の漂う運河をへだて、互に肩を凭り合せて傾いた木造の危険な家並のところどころに、灯火を透した蚊帳の青さが、夏の名残りを見せていた。矢代はふと、大理石に囲まれたベニスの運河を思い出し、セーヌ河の重厚な欄壁の間を流れる水を思い泛べた。そして、暫くはあの河、この水と思うまにまに泛んで来る海港や、ロザンヌ、フロウレンスと連って来る、水上の灯火がしだいに幻のように閃きわたって来るに随い、も早や異国の匂いの脱けきれぬ自分の身の漂いを感じ、旅の愁いはこうしてこれから行く先ざきの自分に、深まり続いてゆくのみであろうか、もうこれは、自分からは取り去ることは出来ないのだろうか、と歎いた。
 その夜、矢代は帰りのタクシで千鶴子の家の方を是非廻ってみたくなった。店が日本橋にあり本宅が目黒と聞いていたから、目黒の方なら廻りもそんなに遠くはなかった。しかし、彼は車の中で、もう会うまいと決めていた千鶴子に、着いたこの夜、会わずにいられぬ自分が寂しかった。いつかは耐えきれぬものであるなら、明日か明後日を待つのも良いと思われるのに、この夜でなければ明日もないと思うのが寂しかった。そして、「追えども去らぬ夢幻し」と悩んだ古人の呟きが、彼の口から自然に出た。
 運転手に教えた番地も近よって来ると速力も鈍った。大きな樹木の立ち並んでいる屋敷街は、どの家も鈍い灯だけ残してみな門を閉めていた。幾曲りも同じような小路を折れて入る中に交番があった。運転手にそこで千鶴子の家の「宇佐見」の名を訊かせてみると、尋ねる家はもうよほど近づいていた。彼は曲り角で車を待たせて歩いた。幹の中ほどから二つに分れた椎の大木が、道路の中央にただ一本立ちはだかっていて、そこを折れると、両側に長くつづいた練塀に狭められ、あたりは一層暗くなった。どの家の塀の中からも大樹が覗いていて、樹の香が鼻を透して来た。矢代は闇の中を歩いているうちに、車を降りたときの胸騒ぎがしだいに無くなるのを感じた。千鶴子の家を見つけても今ごろから中へは入れぬ事情だったが、今はただ見て置けばそれで良いと思った。彼は云われたまま眼で追って行く左側の所に、趣味の良い太めの建仁寺垣を連ねた門が見えた。そこの門標にはまぎれもなく宇佐見の名がはっきり眼についた。彼は人通りの誰もない道路の中央の所に立って、光りを除け、暫く欅の一枚板の閉った門を見つめていた。葉の細かい椎と椿の大木が門の裏側に茂っていて、そこから玄関までよほどの距離の庭があるらしかった。潜戸の隙から中を覗くと、庭いちめんの白い砂が夜気を吸いあつめ、寝静った玄関をがっしりと守っていた。矢代は一見して、その単調な厳しさからカソリックの千鶴子のしつけが頷かれた。漂う和らぎは厳しさの結果から来ているらしい。整然とした規矩もあった。矢代はこれがあの自分の夢の生い育った家だったのかと思うと、まだ旅のうつろいやまぬ夢心地も、急に醒め冷えて来るのを覚えた。もし今ここへ千鶴子が顕われて来たなら、ともに異国に遊んだその姿も別人のように見えるにちがいないと思った。彼は夢の脱落してゆく下から顕われた正体に面と対った感じで、暫くはそこから動かず立っていたが、自分と千鶴子との間に立ちはだかりて二人を会わさぬものは、争われず、この欅の門扉に厳しく顕われ出ている家風だと思った。彼は待たせてあった車の方へ戻っていった。車の中でも彼は、マルセーユへ上陸した途端に、同船の男たちがいままでの千鶴子を眼中から振り落してしまったときの、一日の恐るべき変化を思い出した。あのヨーロッパへ上陸した途端に、まったく千鶴子の魅力の消え失せた日とは逆に、今は彼女に面会することさえ出来ぬこの変化は、これはいったい何んだろう。
 矢代は車のライトに照し出されては消えてゆく家家を見ながら、その一つ一つに具った家風の違いを思うと、千鶴子と結婚する無理から起って来る自分の方の両親の困難が想像された。それは絶えず千鶴子の家へ自分の両親の頭を下げさせることであった。
「洋行から帰ると、その晩はホテルで泊る方が良いというが――」
 と、こういう心配と小さな誇りを持っている父に、頭をいつも下げさせてゆく子供に自分がなることは、いわば、洋行したためばかりに起って来た悲劇であった。船で日本を離れ始めてからは、乗客たちの身分とか、財産とか、名誉とかいうものの一切は、人の頭から吹き飛んだ平等対等の旅人となっていられた。しかし、その習慣も、帰れば誰に命ぜられたものでもなく、忽ちこのような、かき消えた自然さで再びもとのわが身に還った落ちつきである。とはいえ、実はそれも自分の身分を考えず、頂きの高さで人と平等に眠っていた身が、眼を醒すと同時に、下まで墜落して行く狂めくような呆然たる静けさに、それは似たものだった。こんなことは矢代もみな想像していたことだったが、しかし、それがこれほど早く前の自分の姿を見る寂しさに変ろうとは。――
「君、日本へ帰れば、もう君と千鶴子さんとは会わないにちがいないよ。だから今のうちさ。」
 こんなに久慈が彼に奨めた日のことなども、矢代は思い出した。しかし、もしこれが自分の自然の姿であるなら、むしろ夢から早く醒めただけでも結構だと思った。たしかに、千鶴子と自分との交遊は事実あったことだったが、それも夢と等しいものだったと、思えば思い得られる自分の国の変化だった。またそれは同時に、自分自身の変化でもあるのだった。何がこのように変らしめたのか分らなかったが、パリにいたときの同じ思いを貫きつづけていても、水が氷になるように、いつの間にやら揺れ停って質の変っている自分であった。それは氷か水か、自分がどちらか分らなかったが。――


 渋谷からは路も暗かったが、ライトの中に泛き出される繁みや看板など、矢代には見覚えのものが多くなった。どれも暫く見ぬ間にひどく衰えた姿になっていた。それでも彼は窓ガラスに額をあてて、迎えてくれる風物を見逃すまいと努力した。繰り顕われては走り去るそれら一瞬の光景が、どれも鄙びた羞しさで、顔を匿して逃げ走る生き物のように見えた。溝を盛り起して道路の上まで這い繁っている夏草の一叢の所で、矢代は車を降りた。自宅の門がもうすぐそこだった。
 彼は門の引手をひき開ける手具合も、暫く不在のうち、度を忘れてつい大きな音を立てた。
 まだ母はひとり起きていた。彼は奥座敷で帰った挨拶を母にし直してから、初めて襖や天井を見廻した。廊下の方から幽かに肥料の漂って来るにおいがした。ふと彼は永く忘れていた子供のころのまま事を思い出した。柱の手擦れた汚れや、砂壁の爪の痕跡など、それぞれ自分の身を包んでいた殻のように感じられ、加わる疲れのまま見降ろしている畳目が、無きに等しい軽やかなもの思いに似て見えた。彼は母の出してくれた茶をただ今はがぶがぶ飲むばかりだった。
「へんなものだなア。お茶がうまいというのは。もう一ぱいくれませんか。」
 矢代は母に、こう云いながらも、そんなことを云おうとしていた自分ではなかったと思った。しかし、何ぜこんなに悲しくさみしいのだろう。嬉しくて溜らぬ筈だのに、それに何ぜこんなにさみしいのだろう。それは云うに云われぬことだったが、今の自分のこの気軽さや歎きなど誰に洩してみたところで、忽ち押し流されてしまうそぞろな空しさだと思われた。彼はまた元気を出し浴衣を着替えに立ち上った。
 ひと風呂浴びてから彼は母の前で横に身を崩すと、ようやく自分の家にいるらしいくつろいだ気分に幾らかなった。
「はい。お茶。」
 と云って、母が出してくれた二度目の茶の熱さは、初めて体内を洗うように感じられた。彼は外国のことなど、一言も母が訊こうとしないのが気持ち良かった。ただ妹の幸子の病状や、親戚のことの変りなど、矢代に訊かれるまま話すだけだったが、こうして母と話している間だけ、あたりに光りの満ち和ぐ思いのするのが、円光に染って休んでいるようで愉しく、屈託のない暫くだった。彼はいつかは自分もこんなに円く曲って、母の胎内にいたこともあるのだと思った。そのときを彼はこの部屋だと見立て、それから遠く海を渡り、陸を廻って来た自分の変りをまた思ったが、見て来た世界のさまを頭に泛べ、元の古巣に戻っているこの自分の物思いは、もう母に話しても分らぬあれこればかりかと思われた。しかし、それにしても、何にいったい自分は悩み、何を希んでやまんのだろうか。――それにまた、この眼をつむったような寂しさはどうしたというのだろう。それは追えども追えども去らぬ寂しさだった。
「あなたお金足りたの。先日も三千円ばかり送ったんだけど、それは受取ってないようですよ。」
 母にそう云われて矢代ははッと我に還った。異国で金を握り、銀行から出て来るときの、あの仏にあったそのままのような明るさを思い出したのだった。
「それは知りませんね。いつです?」
「今から一と月ほど前よ。」
「じゃ、駄目だ。」
 矢代は、すべてが過ぎ去った日のことだと思ってがっかりした。その金が日本へ戻って来ることは確実だったが、異国で使う金額と、日本で使う同額とは、為替(かわせ)関係の意味ではなく、まったく別のものだった。
 金にしてそうであるなら、まして千鶴子という生きた婦人のことである。千鶴子の心や身体に変りはなくとも、千鶴子その人の価値が変っている、ある全く不可思議な質の転換を、矢代とて今はどうしようもない、すべては過ぎ去った日のことだと、また肱を枕に彼は畳目に眼を落した。誰の仕業でもない、時でもなければ、人でもなく、自分でもない、地上の出来事のうちもっとも恐るべきことで、そしてまた平凡な一事実に関したことだった。しかし、それがも早や誰に通じることだろう。それもたとい異国の旅をしたことのないものであろうとも、共通に身に襲いかかってやまぬ、日常茶飯のことだのに。――
「そうでしたか。しかし、それは失敗ったなア。」
 とまた暫くして矢代は云って笑顔を撫でた。もし自分が久慈や田村のように、寝ても醒めても、ヨーロッパ、ヨーロッパと浮ごとを云って旅をつづけていられたなら、どんな仕合せな旅だったことだろうと思った。
 西洋から帰る多くのものが、船中から神戸を見て、思わず悲しさに泣き出すというもの狂わしい醜態がある。それはいつもあることだが、しかし、天平平安のむかし遣唐使の去来した船中でも、幾度久慈のような青年に演じられたことだろうかと、矢代は思った。それらのものも、言葉が通ぜず通訳を伴って行き、同僚たちから受けた屈辱に耐え得たものたちが、帰って多くの仕事をし上げた。それに引きかえて、言葉に練達したものの多くは、絶望のあまり終生を故郷の草の中に埋め、溜息と化して死んでいった事実の多かったのも、むかしと変らぬ、今日に似た旅愁の所業の一つかとも思われた。そう思うと、矢代もさまざまこれから身に受けるにちがいない屈辱も耐え忍ばねばならぬ自分だと思い、唇を灼く茶の香の中から、意志を強めてかかる決意もまた燃えて来た。
「もう外国へ行くのは、あたしこりこりしましたよ。行くものは良いかもしれないが、家で留守をしているものの心配は、大変だからね。まだお金はあるだろうかと思ったり、言葉も通じない所で、さぞうろうろしていることだろうと思ったり、それはそれは心配なものですよ。」
 母は元気を恢復して来たらしい矢代の様子を見て、愚痴らしいものも初めて洩した。
「お金のないときはそれや弱ったけれど、言葉なんか、日本語で結構間にあいますよ。どこだって通じる。むしろ外国語をうまく使う方が、日本でこそ尊敬されるが、外国人からは馬鹿にされる方が多いですからね。」
 と、矢代はこんなに自分の不得手な語学に、少しは手柄を与えてやりたくなって云った。それは弁解に等しいものだったが。
「へえ、そんなものですかね。」
「それや、外国語を使うに越したことはないですが、そこは何んというか、僕だって少しは自尊心も出ますからね。妙なもので、外国にいると自分の国の言葉が、非常に有難くなるんですよ。ですから、日本語を使うと日本人には笑われるけれども、まア、一度はそんな真似も、やってみたくなるんですね。」
 事実を云えば、異国にいる日本人の多くの者の争う点は、能ある鷹は別として、その滞在国の言葉が出来るか否かということか、出来ても発音とか読書力とかでまた争い、練達しているものはまた、不思議とどちらが出来るかということで争うのが常だった。
 矢代は初めこれらのことも当然だと思い、気にもかからず尊敬さえしたのだが、それがどこでもここでも、同族のものを軽蔑する主要な原因のごとき観を呈している醜さを発見してからは、勉強とは云え、あまりにその修練の人格の無さに腹立たしさを感じ、多少は知っている異国の言葉もそのものの眼の前では、つい彼は使いたくはなくなった。そして、以来頑固にひとり日本語を押し通して用を足す反抗をつづけてみたが、まったく通じない日本語も、行くところどこでも不便少く目的を達したのを思うにつけ、知っている日本語さえ話さぬ西洋人の思惑や工夫もまた感じられて、一層彼は日本人の争いに眉がひそんで来るのだった。
「もう遅いですからお土産は明日にして、今夜はお母さん、休みましょうよ。」
 スーツの中には買い蒐めた品もあり、その後に遅れて船で着く珍らしい土産のあるのも、まだつきぬ旅の名残りとなって矢代に明日を待たせるのであった。


 二三日家にいて、矢代は母の郷里の温泉へ休養に行くことにした。外国から帰ったものでそのまま家に滞っているものは、どういうものか、原因不明の高熱がつづき、入院する危なさを通るのが例である。矢代も溜った疲れを揉みほぐしてしまいたいだけではなく、母の東北の郷里もこの際よく見直して置きたかった。
「幸子の病院も見舞ってやりたいですが、良くなっているのなら、まア温泉から帰ってからにしよう。どうも旅の気持ちを抜いて、すっかり身体を洗いたいのですよ。」
 矢代はこう云って妹の方の見舞いを後にするのを母に納得させた。母も自分の郷里の温泉を、この際子供が選んでくれたことを喜ぶ風だった。
「あんな所より箱根の方が良さそうなものだけれどね。何が面白いの。あんなところ。」
「それや面白いですよ。西洋らしい所を見るのはもう倦き倦きして、疲れるばかしだからなア。」
 矢代は云いながらも、一度前に、母の実家に女中奉公をしていたことのある婦人に、用を頼んだある日のことを思い出した。その婦人の嫁ぎ先の主人が東京に出て大工をしていた関係から、矢代の家の破損の部分を直して貰いたいと頼んでやった手紙の返事が、すぐ来た中に、
「今日子供が自動車に跳ねられて死にましたものですから、悲しくてごたごたいたしております。主人もすぐお伺い出来ますかどうか分りませんが、遅れましても不悪(あしからず)おゆるし下さいませ。」
 と下手な字で鄭重に書いてあった。
 自分の子供の不慮の死のあったその日、すぐ手紙の返事を書けるという律儀な恐るべき婦人の精神に、返事を書くことの嫌いな矢代は水を打たれたように覚えたことがあった。彼がその婦人と同じ母の郷里へ行きたく思うのも、一つは、自分の怠惰な心を正したいためもある。
 彼の母の郷里は、東京から十時間もかかる東北地方の日本海よりに面していた。矢代の行った温泉場はその地方でも特に質朴で、古風なことでは日本でも有名な湯治場であったが、避暑客のまったく去ってしまった一帯の淋しい山峡では、野分の後に早くも秋雨を降らせていた。見たところ、このあたりの風習や気質には珍らしく西洋の影響を受けたものは殆どなかった。矢代は真黒な太い木組の浴槽に浸ったり、暇にまかせてその地の歴史を検べたりしながら身を休めた。
 百軒あまり人家の密集している町は、湯に包まれた一つの木造の家のようなものだった。町の南端に流れている河鹿の多い川の水中から湯の煙が立ち昇り、百日紅の花の下を、泡立つ早い流れが日光に耀いていた。その周囲を包んだ変化に富んだ山波の姿は、巧緻な樹木の繁りを見せて矢代は倦きなかった。
「われ山民の心を失わず。」
 このように山を見て云った芭蕉の言葉も、矢代は思い出しつつ山にも登った。山懐ろの秋の静かな日溜りの底で、膨れ始めた嬌奢な栗の毬がまだ青く見降ろされた。遠く向うの海岸のトンネルの中から、貨物列車のぞろぞろ出て来る姿を見ると、彼は田舎芝居を見ているような、道化た煙草好きの男を何んとなく思い出した。そして、あれが日本に顕われ出て来た初めての西洋の姿かと思い、膝に肱つき、下を見降ろしながら、彼は見て来た西洋を想い浮べては感慨に耽けるのだった。
 煙を噴き出す貨物列車は蛇に見え、稲の穂の実っている田の中を通り脱けてまた煙を苦しげに、ぽッぽッと吐いて眼界から消えて行く。
 このような素朴な景色を遠望しているとき、矢代は、自然にまた自分の父の若い時代を思い出した。彼の父は青年時代に福沢諭吉の教えを受け、欧州主義を通して来た人物だった。ただひたすらに欧米に負けたくない諭吉の訓育のままに、西洋も知らず、山間にトンネルを穿つことに従事し、山岳を貫くトンネルから文化が生じて来るものだと確信した、若若しい父の青年時代を思うと、矢代は父とは違う自分の今の思いも考えざるを得なかった。
「洋行というのは、あれは明治時代に云ったことですよ。お父さん。」
 父にそう云った子供の自分らの時代では、いつともなく洋行を渡行という言葉に変えて西洋に立ち対っていたのだが、立ち対う態度を洋式にしているうち、いつとは知れず心魂さえ洋式に変り、落ちつく土もない、漂う人の旅の愁いの増すばかりが若者の時代となって来たのである。
「わしはトンネルに初めて汽車を通すときは夜も眠れなかった。自分の作ったトンネルだからね。どういう間違いで崩れてしまわないとも限らないから、そっと夜起きて、草はらの中に隠れて、トンネルから出て来る汽車の顔を見てたものだ。無事に出て来てくれると、やれやれと思って家へ帰って、また眠ったよ。」
 視界にただ一点幾何学を顕した半円のトンネルの口を見降ろしながら、矢代は、父の話した明治の初期の苦心がその弧形かと思った。今は父は庶民金庫に勤めているとはいえ、自分を育て西洋へまで渡らせてくれたのも、つまりは今見降ろしているその弧形のためだった。また自分のみならず、どれほど多くのものが父の作ったトンネルを潜り、便益を得て来たことだろうと思うと矢代も、実益を多く残して老いの皺の深まってゆく父の顔を、自分に較べて見るのだった。しかし、自分は――彼はトンネルの口を見降ろしつつ、降りるべき土もない旅の愁いを深めるばかりの自分かと思った。
「われ山民の心を失わず。」
 このような芭蕉の村里びとの自覚も、矢代にはもう遠ざかった音のようなものに見え、半弧を描いた父の苦心のトンネルが、なおも彼に、お前は旅をせよと云わぬばかりの表情で、海岸にレールを長く吐き流して曲っている。


 稲の重く垂れ靡いている穂に、裾の擦れ流れる音が爽やかだった。これを耕し刈り採る苦労を少しも知らぬ自分だと矢代は思ったが、見る限り、いちめんに実った穂の波うつ中に浸っていると、まだ誰かが、年中怠らず労務をつづけていてくれる辛苦が歓ばしく思われ、せめてこれを感じることだけは忘れぬようにと戒めた。彼は宿の子供と一緒に、竹を細く切り接いで作った蛇の玩具の青い尾を握って、戯れに稲の穂の中を泳がせつつ海の方へ出て行くこともあった。無花果の実の熟れ連った海沿いの白い道を、水平線に随って歩いたり、波の洗う芒の中に一群の寂しい墓標を尋ねてみたりして、山村の心にも馴れしたしんだ。そのまに北の海は秋雨の降り込む照り曇りの変りが激しくなった。
 矢代は母の実家の滝川家へときどき行ってみた。その地方ではただ二軒よりはないと云われ、建物の粋を凝らして作られた自慢の家だと聞かされていたのも、彼はこのごろになって漸くその美しさが分るようになった。使用された家中の材木のどの一つにも節がなく、八十年をへた年月の風雪にかかわらず、狂いや罅が一つも見られなかった。それらの良材のすべても目立たぬように渋を塗りこめ、生地の放つ尊厳さを薄め匿した心遣いの顕れも、都の風とは違っていた。その代りに、長押や柱のところどころに打ち込められた蔦の金具の紋章が、起居の間も先祖の心を失わしめぬ訓戒を伝えているのも、自分の家とは違った武士の血統だと矢代は思った。
 いつかも母が矢代に滝川家の自分の父のことを、こんなに話したことがあった。
「あたしのお父さんはそれは厳しい方でしたよ。矢代の家へあたしがお嫁に来るとき、平民の矢代には娘をやれないと云って、赦してくれなかったんだけれど、だんだん調べてみたら、矢代の家は平民でも前の戦国時代にはお大名だったことが分って、初めて許してくれました。」
 この母の呟きも幼少のころ聞かされたので、意味はよく彼には分らなかったが、長じるに随い、睦じかった中に母と父とのときどきの不和に似た、混じりのあったのも、このあたりの両家の家風の違いに原因していることが感じられた。滝川家と遠く離れている九州を郷里としている父が、どうしてこの保守を何より貴ぶ地方の滝川家の娘と結婚したかは疑問だったが、恐らく母の長兄の東京に遊学中、二人の間を結んだかと想像せられるのみで、両親からこの事に関して彼は一言の話もまだ聞かなかった。しかし、戦国時代の話が出るときに限って、矢代の父が意気込んで自分の家系のことを妻に云う言葉の陰には、それ相当の復讐に似た淡い憂いもあるのだった。
「そんならどうしてここの家、士族じゃありませんの。」
 と矢代の母が父に、訊ね返した不服そうな言葉を、何か二人の気ばだった表情の間から、矢代は思い出すこともある。表面静に見えながら気象の強い母は、家系のことでは負け目を感じるのが不快らしく、何より武士道を重んじる心の姿勢は、年とともに母の中から強く感じ、そのために矢代は、父と母との間に立って苦しんだ日も、母の実家へ来る度びに思い起す記憶である。
 矢代が歴史に興味を感じ始めたのは、つまりはこの父母の家系の相違がもとだったが、平民の父が妻の実家の士族の遺風を尊びつつ、秘かに自分の平民をも誇るところは、他にまた特別の理由のあるのが後に分った。
 母の実家の滝川家の先祖は、士族とはいえ徳川系の譜代大名の士族ではなく、その以前の最上義光の家臣であった。最上家が上杉謙信の枝城の村上に滅ぼされて、その家臣の滝川家も野に隠れているとき、徳川時代となった。そして、土地を鎮める手段として、滝川家は新しい城主に召し抱えの身となって再び立った関係上、それ以来この地には徳川譜代の士族と最上時代の旧士族との土に対する伝統の古さを誇りあう意識が、いまだに他のどの土地よりも濃厚に顕れているのが現状だった。徳川時代を通じて、つねに譜代の士族に圧迫されていた旧士族の最上家の臣たちは、明治になると再び勢力を盛り返し、進んで文明進化の急先鋒に立った。そのため、この地の市会は二士族の勢力の渦巻きを絶えず描いて、大正、昭和となってもなおそれを続けている、保守限りもない遺風となっている。
 日本でもっとも保守主義と謳われているこの地の人心の底を、こうして流れ続けていた意識の中に滝川家があったということは、矢代家にとっては一つの幸福な事であった。何ぜかというと矢代の家も最上義光と同時代に、彼の九州の先祖の城はカソリックの大友宗麟によって、日本で最初に用いられた国崩しと呼ばれた大砲のために滅ぼされたのである。しかし、矢代家は城主の守る運命として、滅んで後に野に隠れたといえ、滝川家のごとく新しい城主の臣となる決意の出る筈はなかった。しかし、最上家同様に永く徳川時代を野人として隠忍して来たこの矢代家の悲しみは、どういう偶然か明治となって、ともかく最上家の永い悲しみの末の家臣である滝川家の娘と結びついたのだった。
 このことは、滝川家が士族であり矢代家が平民であるという、階級的な観点から見た場合に起る、ある無益有害な観念を無くさせる上に都合が良かった。それのみか、他の地と違い何より保守を尊ぶ気風を持った土地の滝川家としては旧士族を誇りとしている以上、当然に仰がねばならぬ旧主最上家の位置に、矢代家もまた同様位置する理由により、自家の士族も矢代家の平民に対しては、ある観念が逆に起り得べき立場にもあった。
「それじゃ矢代家、どうして士族じゃありませんの。」
 と矢代の母が良人に不平を洩した失敗のときも、父としては、妻の家が旧主最上家と共に滅ぶべき所を、浮き上った一時期の明るさに対して、それを暗さとして指摘し得られる場合だったが、恐らく子の矢代の身の上を思い、それも父は差しひかえたのにちがいない。
 すべてこれらの事は、この二家にとっては偶然とはいえ、偶然には神秘という契機をもった必然性が常にある。――このように感じたのは、恐らく子の矢代よりも、黙黙としてトンネルを穿つことに専心した彼の父の労苦の中から見出すことが出来るかもしれない。


 東京へ矢代の帰ったのはもう十月を越していた。彼はその翌朝眼を醒してからすぐ庭へ出てみた。朝日の射した庭にはもうよく爆けた石榴(ざくろ)の実が下っていた。彼は一番近くに垂れている石榴を摘まみ下げ、実の裂け口に舌をつけて汁を吸いながら、今日は一つ妹の幸子の所へ見舞に出かけようと思った。自分の勤めていた建築会社の整理部の仕事は、彼の小父の会社であり、当分休暇の届けをそのままにしていてもよかったので、すぐ社の方へ出る用もなかったが、病気もよほど良くなったという妹にだけはすぐ彼は会いたかった。矢代がパリで幸子から受けとった手紙の中に、
「お兄さんは東京を故郷だと発見されて羨ましいと思いますが、あたしは自分の故郷がどこにあるのか分りません。それが悲しいと思います。」
 そういう意味のことが書いてあったのを思い出し、彼は幸子のため凋れた気持ちを何より先ず慰めてやりたかったが、生れて以来東京で育って離れたことのない妹に、お前の故郷はここの東京だと教えたとて、東京を故郷だと思えない心に向って何んと説くべきか、彼にはそれもパリ以来の気がかりなことの一つだった。分りよく妹には両親の家系の違いを話し、先祖の苦しみや歎きがどんな希いで自分たちの肉体に伝わっているかも話さねばならぬ。
 矢代は引き下げている石榴の枝が少し高すぎたため、背伸びをしながらときどきふらついた。が、また枝をぐいと下げて石榴の皮の裂け目を手で拡げた。爆けこぼれた粒粒の二三が襟もとから胸の間へ忍び込むと、そこからまた腹まで沁み転げてゆく冷たさに、思わず彼は前に背を曲げて笑った。それでも、実を枝から□ぎ放して彼は食べようとしなかった。樹から繋がりのまま直接噛み破る酸味に口の周りの濡れるのが、これこそ故郷の味の一つだと思われて愉しかった。
 粒の一つ一つの薄紅が朝日に射し映え複眼の玉となって犇めき詰っていた。その実の重さを受けると、貴重な陶器の握覚を感じ、矢代は一つで足らずすぐ次ぎの枝をまた引きよせた。華やかに群りよった実の重量で枝は房のように垂れ流れていた。鰯雲の尾を曳いた鮮明な空だった。石榴の隙間から見えるその空を仰向きに、実を食い破っている矢代に、燦爛たる朝の充実した光りが降り濺(そそ)いでいた。
「ああ美味い。」
 矢代は今は完全に素肌の感覚に戻り身を震わせて云った。彼はふとパリのノートル・ダムで繊細巧緻な稜線の複合した塔の姿を見たときに、胸のときめきを覚えた自分を思い出した。しかし、今のこの野人の爽かな身震いは、ソロモンの栄華の極みだに野の百合にも及ばざらんと歎じた、聖書の文句の意味となり、彼にはある特別な感動を伴って激しく貫き透って来るのだった。
「パンがもう焼けてますよ。」
 と母は庭から戻って来た矢代に云った。朝食を急激に和食に変える辛さを母は想ったものか、彼女から矢代にそう訊ねたとき、朝だけはパンにしたかったいつもの癖が出て、うっかりパンと答えてしまったが、今の彼にはこういうことも自己批判めいた種となって、一途に烈しく和色に偏してゆこうとする自分の保守さ加減も、まだ徹底出来ぬのだと思った。
「パンか。」
 テーブルに向い、トーストを裂いて食べながらも、矢代は妙に自分の中で争うのだった。それは丁度、争いの種子を噛み摧き、嚥み下すような調子だったが、しかし、これからいちいち食い物までこんなに気になって来ては、これは堪らないとまた自分に抵抗もした。殊にカソリックの千鶴子にこの次ぎ会ったときの自分を想像すると、異国で見たときとは異り、思いがけない二人の違いを発見しては、互に遠ざかるばかりかもしれぬと、さらに苦しみも増すのだった。なおその上、カソリックの大友宗麟のために滅ぼされた先祖の城のことを思う場合には――。


 手紙ではときどき矢代は妹を慰めていたが、見舞いに行き遅れていたことは、汽車に乗ってからもやはり後悔めいた気持ちがした。また婚期の遅れゆく幸子のことを考えるときは、今まで殆ど気もとめなかったことだのに、それが突如ただならぬ寒けとなって襲ったりした。自分が結婚する場合妹を先にしてからでなくては納りの悪さのあることなど、たとい考えることを避けていても、不思議と妹の婚期のことだけは心から脱けなかった。
「いや、自分は嫁など貰わぬ。」
 こういう気持ちも矢代にはあった。殊に千鶴子と会ってからは、他の誰かと結婚する意志など一層感じなかったとはいえ、それも家のことを考えるときは、徒労なことになりそうな薄弱な部分も無くもなかった。それに今日妹と会えば、母の意を伝えて矢代の結婚の相手をそれとなく奨める幸子の苦心も、想像していて先ず間違いのないことだった。
 海に面した丘の上の病棟で矢代は初めて幸子と会った。見たところ妹は病人らしい様子が少しもなかった。円顔で頭の廻りの早そうなくるくるした眼は、いつも兄の考えを通り脱け、勝手なところへ出てまた廻る癖があるので、自然矢代も妹にだけは言葉を濁す癖があった。
「帰りたいと思ってるんだけど、急いでまた悪くなるの恐いから、当分は動かないつもりなの。」
 幸子はそう云ってから、毎日ここから海を見ては矢代のことを想像して愉しんだと話した。ミラノで買った革製のハンドバッグや、パリの財布、ベニスのショールなど、矢代の出した土産物を手にとって妹は面にも嬉しさを顕した。矢代は東北の湯治場のことや滝川家のことなどをあれこれと話したが、外国のことについてはあまり云い出そうとしなかった。
「日本海を見てここへ来ると、太平洋の明るさは特によく分るものだね。北の方はもう秋雨がひどいよ。」
「どこが一番良かった?」
 知りきった東北のことより外国のことを何より訊きたいらしい。幸子の眼つきは、何かに飛びつきそうな光りだった。矢代はそれが不愉快で幾らかいやらしく感じたが、それもやむを得ない病人の歓びかもしれぬと思い、
「そうだなア。」と云いながら、窓から麓の漁村を見降ろして一瞬ヨーロッパの風景を頭に泛べた。
「そこにいるとき良い所と、後で思い出してから良くなる所とあってね。一口では云えないものだ。」
「でもまア、あたしたちの面白そうなところよ、パリはいいでしょう?」
「うむ。」と矢代は低く口の中で呟くように云って苦笑した。
 幸子は眼ざとく兄の表情の濁りを見てとると不審そうに一寸黙った。
「まア、あんなものだなア。」とまた矢代は云って顔を赧らめながら幸子から顔を背けた。
「おかしな人。」
「何が?」
「じゃ、つまらなかったの、行って?」
 執拗に表情の後を追って来そうな幸子の視線を、今は矢代は手で払い除けたかった。
「そういうことは、そのうちおいおい話すとして、それより早く身体を善くすることだ。幸スケのような病気をする奴は、やはり心がけが善くないからだよ。」
「そう云われれば、それまでだけれど。――でも、お母さん心配してらっしてよ。お兄さんひどく元気がないようだが、どうしたのかしらなんて。別に心配するほどのことも無いんでしょう。パリまで行って――」
「無いさ。」矢代は簡単にそう云ってまた笑った。しかし、これで自分のどこかにやはり元気の無さそうな部分が見えるかもしれぬと思うと、その原因が千鶴子のことだとは分らぬながらも幸子だけは、外国での男の間に生じる出来事など想像出来るにちがいないことであれば、さきから執拗く表情を追って来るのも、そのあたりの不審が元であろうと矢代には思われた。
「もっとも、興奮が醒めると多少は元気も無くなるがね。」
 矢代は妹の気持ちを早く他の事に反らしたくてそんなに云った後から、都合好く、平壌で不時着したときに会った妓生(キーサン)の話を思い出したのでそれを聞かせた。またその妓生が彼に洩した話は疲れて平壌へ降りたときの矢代には何より興味を覚えたことだった。
 福岡まで大連から一飛びに飛ぶ筈だった飛行機が前方の風雨のため平壌で停ってしまった夜、矢代はここが妓生の産地だと聞かされていたのを思い出し、こういうときこそ朝鮮の歌を聴きたいと思って料理屋へ出かけた。そこは一流の料理屋で窓の下に大同江が流れていた。部屋には渋色の紙が敷いてあるだけだったが、同様に暗い隣室では彼には分らぬ二三の話声だけ高く聞えた。川水に灯火のない夜のためか、その声は洞の中に沈んだざわめきの酒声に聞え、ヨーロッパから帰って来て着いたばかりの矢代には、一帯の光景が荒涼とした暗の中に慰めに見えてひどく彼は寂しくなった。
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