獄中生活
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著者名:堺利彦 

獄中生活堺利彦   一 監獄は今が入り時 寒川鼠骨君には「新囚人」の著がある。田岡嶺雲君には「下獄記」の著がある。文筆の人が監獄に入れば、必ずやおみやげ[#「おみやげ」に傍点]として一篇の文章を書く例である。予もまた何か書かずにいられぬ。 監獄は今が入り時という四月の二十一日午後一時、予は諸同人に送られて東京控訴院検事局に出頭した。一人の書記は予を導いてかの大建築の最下層に至った。薄暗い細い廊下の入口で見送りの諸君に別れ、予はひとり奥の一間に入れられた。この奥の一間には鉄柵の扉がついていて、中には両便のために小桶が二つおいてあるなど、すでに多少の獄味を示している。あとで聞けばこれが仮監というのであった。ここに待たされること一二時間の後、予は泥棒氏、[#「、」は底本では脱落]詐欺氏、賭博氏、放火氏などとともに、目かくし窓の狭くるしい馬車に乗せられた。乗せられたというよりは、むしろ豚のごとくに詰込まれた。手錠をはめられなんだだけがせめてものことであった。 ほどなく馬車は警視庁の門に入った。「お帰り!」「旦那のお帰り!」などと呼ぶ奴がある。「今に奥様が迎えに出るよ」などとサモ気楽げな奴もある。警視庁でまた二時間ばかり待たされて、夕飯の弁当を自費で食った。ここでは巡査達も打解けて「なぜ別に署名人をこしらえておかなかったのです」というのもあれば「そんなことをしないところが社会党じゃないか」というものもある。そんなことから暫くそこに社会主義の研究が開かれて盛に質問応答をやったのは愉快であった。   二 東京監獄 それからまた同じ馬車に乗せられて(今度は巡査氏の厚意によってややらくな席に乗せられた)東京監獄に着いたのはちょうど夕暮で、それから種々薄気味の悪き身体検査、所持品検査等のあった後、夜具と膳椀とを渡されてある監房に入れられた。 監房は四畳半の一室で、チャンと畳が敷いてある。高い天井には電灯がともされている。室の一隅にはあだかも炉を切ったごとき便所がある。他の一隅には小さな三角形の板張りがあって、土瓶、小桶などが置いてある。こりゃなかなかしゃれたものだと予は思うた。その夜はそのままフロックコートの丸寝をやった。 二十一日の朝、糒(ほしいい)のような挽割飯を二口三口食うたばかりでまた取調所に引出され、午前十時頃でもあったろうか、十五六人のものどもと一しょに二台の馬車に乗せられて、今度は巣鴨監獄へと送られた。 ここでチョット監獄署の種類別を説明しておかねばならぬ。まず東京監獄が未決監、市ガ谷監獄が初犯再犯などを入れるところ、巣鴨監獄が三犯以上の監獄人種および重罪犯などを入れるところの由。それから予らのごとき軽禁錮囚、および何か特別の扱いをうける分は、みな巣鴨に送られるのである。ついでに書いておくが女囚は八王子におかれ、未丁年囚は川越におかれる。   三 巣鴨監獄 巣鴨監獄に着いて、サアいよいよ奈落の底に落ちて来たのだと思うと、あまり気味がよくない。 まず玄関のような一室で素裸にせられて、それから次の室で、「口を開けい」「両手をあげい」「四ん這いになれい」などという命令の下に身体検査をうけて、そこで着物と帯と手拭と褌とを渡される。いずれも柿色染であるが、手拭と褌とは縦に濃淡の染分けになって、多少の美をなしているからおかしい。着物は綿入の筒袖で、衿に白布が縫いつけられて、それに番号が書いてある。この白布は後に金札に改められた。堺利彦はこれより千九百九十号というものになり了った。 この前後に姓名、年齢、原籍、罪名等について、それはそれは繁雑きわまる取調べがあった。薩摩なまり、東北なまり、茨城弁など、数多の看守が立ちかわり入れかわり、同じようなことを幾度となく聞きただしては手帳につけて行く。その混雑の有様、面白くもあれば、おかしくもある。中には「いつつかまった」と問うから、「つかまったことはありません」と答えると、不思議そうな顔をして解しかねているのもある。すべてが泥棒扱いだから堪らない。 褌、靴下、風呂敷、ハンケチ、銀貨入りの小袋、ボロボロの股引など、それはそれは明細なことで、人の頭の一つや二つぐらい平気で擲るくせに、事いやしくも財物に関するときは、一毫の微一塵の細といえども、決して決して疎略にはせぬのである。財産神聖の観念はずいぶん深くしみこんだものだ。瘤の一つ二つや血の二三滴より、葉書一枚、手拭一筋の方が余程彼等には重大に感ぜられると見える。 それから柿色の鼻緒のついた庭下駄をはかせられて外に出ると、「そこにシャガンで待ってろ」という命令が下る。暫く待っていると、今度は「立て」「進め」という命令が下る。二足三足進むと、「待て待て、帯の結びようが違う」と叱られる。謹んで承たまわるに、帯は蜻蛉に結んでそしてその輪の方を左に向けるのだとのこと。ヤットそれを直してまた行きかかると、「オイオイ手を振ってはイカン」とまた叱りつけられる。諸君試みにやってごらんなさい、手を少しも振らせずに歩くのは非常に困難なものであります。 行くこと半町ばかりにして、赤煉瓦の横長い建物の正面の入口に来た。鉄柵の扉に錠がおろしてある。サア来た、いよいよこれだなと思うていると、「新入が十五名」と呼びながら外の看守が我々同勢を内の看守に引渡した。我々は跣足になって鉄扉の中に入った。中はズウット長い石畳の廊下で、冷やりとした薄気味の悪い風がソヨリと吹く。「そこに坐る」といわれたのですぐ前を見ると、廊下の片側に薄い俎のようなものが幾つも並べてあって、その上に金椀だの木槽だのがおいてある。よく見れば杓子も茶碗もある。いうまでもなくこれが御膳部であるのだ。そして人の坐るところには、襤褸でこしらえた莚のようなものがズット敷きわたしてある。そこで十五名一列になって膳の前に坐ると、そこに突立っている看守から「礼!」という号令がかかる。それで一礼して箸をとる。予は僅に二箸三箸をつけたのみで、ほとんど何ものをも食い得なんだ。また、「礼!」という号令の下に一礼して立ちあがると、今度は右側の室の鉄の戸を開けて七八人ずつ入れられた。   四 巣鴨監獄の構造 ここでチョット巣鴨監獄の大体の構造を説明しておかねばならぬ。 まず正面の突当りが事務所で、その左右に南監と北監とがある。両監とも手の指を拡げたような形になって五個ずつの監に分れている。すなわち合計十監あって、その一監が、二十幾房かに分れている。それから遙か後ろの方に、七個の工場が並んで立っている。そのほかには、病監、炊所(附、浴場)、洗濯工場などがアチコチに立っている。そしてそれらの建物の間には、綺麗な芝原だの、運動場だのいろいろの畑だのがつくられている。 さて、この監獄が日本第一たるはいうまでもなく、世界中でも何番目という完美を極めたものだそうな。さすが日本はエライもので、監獄までが欧米に劣らぬほど繁昌するのだ。それはともあれ、今の正上典獄というのは、いわゆる文明流のやり方で、この日本第一の監獄に着々として改良を試みているとのこと。   五 初日、二日目、教誨師 予の入れられたのは北監の第六監で、最初の日は懲役七八年の恐ろしい男どもと一しょに六七人である房にいた。甚だおちつかぬ一夜を明して二日目になれば、まず呼出されて教誨師の説諭をうけた。教誨師というのは本願寺の僧侶で「平民新聞というのはタシカ非戦論でしたかな、もちろん宗教家などの立場から見ても、主戦論などということはドダイあるべきはずはないのです。しかしまた、その時節というものがありますからな、そこにはまたいろいろな議論もありましょうが、ドウです時節ということも少しお考えなさっては」というのが予に対する教誨であった。なかなか如才のないことをおっしゃる。午後には無雑作にグルグルと頭を刈られた。これでまず一人前の囚人になった。   六 監房、夜具、食物 監房は八畳ばかりの板張りで、一方の隅に井戸側のようなものがあって、その中が低く便所になっている。一方の隅には水の出るパイプがあって、その下にチョイとした手洗鉢がとりつけてある。天井は非常に高く、窓は外に向って一つ、廊下に向って一つ、いずれも手のとどかぬところにある。朝早くなど、その窓から僅かの光線の斜めに射し入るのが、何ともいわれぬほどうれしく感ぜられる。 夜具はかなりに広いのが一枚、それを柏餅にして木枕で寝るのだ。着物は夜も晝も同じものでただ寝るときには襦袢ばかり着て着物を上に掛けろと教えられた。役に就く人には別に短着と股引とがある。 食物はずいぶんひどい。飯は東京監獄と違って色が白い。東京監獄は挽割麥だが、こちらは南京米だ。このごろ麦の値が高くなって、南京米の方が安く上るのだそうな。何にせよ味の悪いことは無類で、最初はほとんど呑み下すことが出来なんだ。菜は朝が味噌汁といえば別に不足はないはずだが、その味噌汁たるや、あだかもそこらの溝のドブ泥をすくうて来たようなもので、そのまた木槽たるや、あだかも柄のぬけた古柄杓のようなもので、その縁には汁の実の昆布や菜の葉が引かかっているところなど、初めはずいぶん汚なく感じた。次の夕飯の菜は沢庵に胡麻塩、これはなかなかサッパリしてよい。時々は味噌菜もある。唐辛子など摺りこんで、これも案外うまくこしらえてある。昼が一番御馳走で毎日変っている。まず日曜が豆腐汁、それから油揚と菜、大根の切干、そら豆、うずら豆、馬肉、豚肉など大がい献立がきまっている。豚肉などといえば結構に聞ゆれど、実のところは菜か切干かの上に小さな肉の切が三つばかり乗っているまでのことだ。それでも豚だ豚だとみなが大喜びをする。昼の菜の中で予輩の一番閉口したのは、輪切大根と菜葉とのときで「ヤァ今日は輪大か」と嘆息するのが常であった。飲むものはヌルイ湯ばかり。 聞くところによれば、この三度の菜の代が、今年の初めまでは平均一銭七厘であったが、戦争の開始以後は五厘を減じて一銭二厘となったとのこと。戦争はヒドイところにまで影響するものだ。   七 特別待遇 六監にいること十日ばかりの後、予は十一監に移された。この十一監は十個の本監のほかにある別監で、古風な木造の、チョット京都の三十三間堂を思い出させるような建物である。監房は片側に十個あるだけで、前は廊下を隔てて無双窓になっている。房内は十二畳ばかりで、前後は荒い格子になって、芝居の牢屋の面影がある。後の方の格子には障子が立てられて、その障子の内にタタキの流し元と便所とが並んでいる。便所のところには板でこしらえた小さい屏風のようなものが立ててある。すべてここは広々として、気が晴れて、窓や障子を開けたときには空も見える。木も見える、雀の飛ぶのも見える、猫の来るのも見える。煉瓦と石と鉄とでかこうた本監にくらべると、居心地のよいことは何倍か知れぬ。 うけたまわるに、この十一監は特別待遇の場所で、軽禁錮の者、重禁錮中の教育ある者(社会にて身分ありし者)、老衰の者などを集めてある。ほかに、モウ本刑を務めあげて、附加刑の罰金を軽禁錮に換えられた、いわぬる換刑の者もここに来ている。
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