秋草と虫の音
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著者名:若山牧水 

曼珠沙華いろ深きかも入江ゆくこれの小舟のうへより見れば
 東京の、三宅坂から濠越に見る宮城の塀の近くに唯だ一個所だけこの花の群つて咲くところのあるのを偶然見つけて、毎年それを見に行つたものだが、今でも咲くかどうかと、ふといま思ひ出された。東京の近郊にはこの花は少なかつた。相模野には非常に多い。

 蝦夷菊、これは畑の花だが、東京近郊には頻りに作らるゝ。厭味の花と見ればそれ、それを忘れてぼんやり見てをればこれまた秋のはじめのものである。手にとつては駄目、畑のまゝで見るべきである。
ひしひしと植ゑつめられし蝦夷菊の花ところどころ咲きほころべり
蝦夷菊の花畑のくろにかいかがみ美しみ見ればみな揺れてをる
蝦夷菊の花をいやしと言ふもいはぬも眼のかぎりなるえぞ菊の花

 彼岸花も水辺に多いが、みぞ萩もまたさうである。眼につかぬ花で、見てをればいかにも可憐である。
このあたり風のつめたき山かげに咲きてあざやけきみぞ萩の花
 この花は、幼いころの記憶からか、私によく旧のお盆を思ひ出させる。続いては小さい紅色をして空に浮んでをる精霊蜻蛉(しやうりやうとんぼ)が思ひ出されて来る。
みぞ萩の花さく溝の草むらに寄せて迎火たく子等のをり

 蝦夷菊は畑の花、それを野原に移した様な松虫草がある。
 寒国の花と見え、この近在でも見かけるには見かけるが、信州あたりのゝ方が遥かに色がいゝ。むらさき色の花である。
 桔梗も山国の方がいゝ様だ。

 おなじく山国の花に、竜胆(りんだう)がある。春竜胆もあるが、秋がほんたうの竜胆らしくていゝ。
 これは秋も末、冬のはじめの日向などに落葉に茎を埋められて咲いてゐるのが、ほんたうにいい。濃紫にいくらか藍のまじつたといふ様な深い色、それはどうしても落葉の早い山国でなくては見られない。
つづらをりはるけき山路登るとて路に見てゆく竜胆の花
散れる葉のもみぢの色はまだ褪(あ)せず埋めてぞをる竜胆の花を
さびしさよ落葉がくれに咲きてをる深山竜胆の濃むらさきの花
摘みとりて見ればいよいよむらさきの色の澄みたるりんだうの花
越ゆる人まれにしあれば石出でて荒き山路のりんだうの花
笹原の笹の葉かげに咲き出でて色あはつけきりんだうの花
 また、
わが妻が好めるはなは秋は竜胆春は椿の藪花椿

 おなじく秋の終りの花に刈萱があり、吾木香(われもかう)がある。
 寂びた様で、おもひのほかにつややかなのは吾木香であらう。故あつて髪をおろした貴人の若い僧形といつたところがある。
 刈萱もまた見るにつれてあたたかみの感ぜらるゝ花である。すがれ始めた野辺のひなたの花である。

 秋のはじめから終りまで、そのときどきに見て見飽かぬのは薄であらう。
わが越ゆる岡の路辺のすすきの穂まだ若ければ紅ふふみたり
 の頃もよく、十五夜十三夜のお月見に何はなくともこの花ばかりは供へたく、また、秋もいつしか更けて草とりどりに枯れ伏したなかにこの花ばかりがほの白い日かげを宿してそよいでゐるのも侘しいながらに無くてはならぬ眺めである。

 おなじく平凡だが、書き落してならぬものに野菊があり、姫紫苑(ひめじをん)がある。
 自分の好みからか、いつ知らず私は野原の花ばかりを挙げて来た。庭の花に、ダリヤあり、コスモスあり、鶏頭がある。
 ダリヤは夜深く机の上に見るがよく、コスモスは市街のはづれの小春日和を思はせる。鶏頭はまた素朴な花で、隠れ栖(す)む庭の隅などに咲くべきであらう。
動かじな動けば心散るものを椅子よダリヤよ動かずもあれ
灯を強みダリヤがつくるあざやけき陰に匂へるわれの飲料(のみもの)
眼にも頬にも酔あらはれぬ夜なるかな黒きダリヤの蔭に飲みつつ
はなやかに咲けども何かさびしきは鶏頭の花の性(さが)にかあるらむ
伸び足りて真赤に咲ける鶏頭にこのごろ咲くは西づける風
くれなゐの色深みつつ鶏頭の花はかすかに実をはらみたり

 今、考へてみると不思議に私はコスモスの歌を作つてゐない。

 薄の花を虫にたとへたならば先づこほろぎではあるまいか。さほどに際立つたものでなく、サテいつ聞いてもしみ/″\させられるはこほろぎである。
わがねむる家のそちこち音(ね)に澄みてこほろぎの鳴く夜となりにけり
こほろぎのしとどに鳴ける真夜中に喰ふ梨の実のつゆは垂りつつ
使ひ終へていまたてかけしまな板の雫垂りつつこほろぎの鳴く

 こほろぎと同じく、飼つておくわけでもないに部屋のうちに来て鳴く虫に茶たて虫といふがゐる。かげろふのずつと小さな様な虫で、ほとんど眼にもつかぬほどであるが、よく障子の桟にとまつてゐて鳴く。声とてもほのかなものではあるが、聞くとなく耳の傾けらるゝ侘しい音色である。夜ふけなど、ともすると時計のちくたくと聞違へることもあり、時計虫とも呼ばれてゐる。茶たて虫とは茶をたてる茶碗のなかのかすかな響に似てゐる謂であらう。

 松虫鈴虫はあまりに月並化されてゐる。ではどの虫が好きだらうと考へて来ると私には先づ馬追虫である。
 いつも田舎住ひをしてゐる難有(ありがた)さに、この虫がをりふし蚊帳にとんで来てとまつて鳴くのを聞く。
やすらかに足うちのばしわが聞くや蚊帳に来て鳴く馬追虫を
めづらしく蚊帳に来ていま鳴き出でし馬追虫の姿をぞおもふ
家人のねむりは深し蚊帳にゐて鳴くうまおひよこゑかぎり鳴け




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