みなかみ紀行
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:若山牧水 

 十月十四日午前六時沼津發、東京通過、其處よりM―、K―、の兩青年を伴ひ、夜八時信州北佐久郡御代田驛に汽車を降りた。同郡郡役所所在地岩村田町に在る佐久新聞社主催短歌會に出席せんためである。驛にはS―、O―、兩君が新聞社の人と自動車で出迎へてゐた。大勢それに乘つて岩村田町に向ふ。高原の闇を吹く風がひし/\と顏に當る。佐久ホテルへ投宿。
 翌朝、まだ日も出ないうちからM―君たちは起きて騷いでゐる。永年あこがれてゐた山の國信州へ來たといふので、寢てゐられないらしい。M―は東海道の海岸、K―は畿内平原の生れである。
「あれが淺間、こちらが蓼科(たでしな)、その向うが八ヶ岳、此處からは見えないがこの方角に千曲川(ちくまがは)が流れてゐるのです。」
 と土地生れのS―、O―の兩人があれこれと教へて居る。四人とも我等が歌の結社創作社社中の人たちである。今朝もかなりに寒く、近くで頻りに山羊の鳴くのが聞えてゐた。
 私の起きた時には急に霧がおりて來たが、やがて晴れて、見事な日和になつた。遠くの山、ツイ其處に見ゆる落葉松(からまつ)の森、障子をあけて見て居ると、いかにも高原の此處に來てゐる氣持になる。私にとつて岩村田は七八年振りの地であつた。
 お茶の時に山羊の乳を持つて來た。
「あれのだネ。」
 と、皆がその鳴聲に耳を澄ます。
 會の始まるまで、と皆の散歩に出たあと、私は近くの床屋で髮を刈つた。今日は日曜、土地の小學校の運動會があり、また三杉磯一行の相撲があるとかで、その店もこんでゐた。床屋の内儀が來る客をみな部屋に招じて炬燵に入れ、茶をすすめて居るのが珍しかつた。
 歌會は新聞社の二階で開かれた。新築の明るい部屋で、麗らかに日がさし入り、階下に響く印刷機械の音も醉つて居る樣な靜かな晝であつた。會者三十名ほど、中には松本市の遠くから來てゐる人もあつた。同じく創作社のN―君も埴科郡から出て來てゐた。夕方閉會、續いて近所の料理屋の懇親會、それが果てゝもなほ別れかねて私の部屋まで十人ほどの人がついて來た。そして泊るともなく泊ることになり、みんなが眠つたのは間もなく東の白む頃であつた。
 翌朝は早く松原湖へゆく筈であつたが餘り大勢なので中止し、輕便鐵道で小諸町へ向ふ事になつた。同行なほ七八人、小諸(こもろ)町では驛を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の長詩で名高い懷古園に入つた。そしてその壞れかけた古石垣の上に立つて望んだ淺間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせた。過去十四五年の間に私は二三度も此處に來てこの大きな眺めに親しんだものである。ことにそれはいつも秋の暮れがたの、昨今の季節に於てであつた。急に千曲川の流が見たくなり、園のはづれの嶮しい松林の松の根を這ひながら二三人して降りて行つた。林の中には松に混つた栗や胡桃が實を落してゐた。胡桃を初めて見るといふK―君は喜んで濕つた落葉を掻き廻してその實を拾つた。まだ落ちて間もない青いものばかりであつた。久しぶりの千曲(ちくま)川はその林のはづれの崖の眞下に相も變らず青く湛へて流れてゐた。川上にも川下にも眞白な瀬を立てながら。
 昨日から一緒になつてゐるこの土地のM―君はこの懷古園の中に自分の家を新築してゐた。そして招かれて其處でお茶代りの酒を馳走になつた。杯を持ちながらの話のなかに、私が一度二度とこの小諸に來る樣になつてから知り合ひになつた友達四人のうち、殘つてゐるのはこのM―君一人で、あと三人はみなもう故人になつてゐるといふ事が語り出されて今更にお互ひ顏が見合はされた。ことにそのなかの井部李花君に就いて私は斯ういふ話をした。私がこちらに來る四五日前、一晩東海道國府津の驛前の宿屋に泊つた。宿屋の名は蔦屋と云つた。聞いた樣な名だと、幾度か考へ出したのは、數年前その蔦屋に來てゐて井部君は死んだのであつた。それこれの話の末、我等はその故人の生家が土地の料理屋であるのを幸ひ、其處に行つて晝飯を喰べようといふことになつた。
 思ひ出深いその家を出たのはもう夕方であつた。驛で土地のM―君と松本から來てゐたT―君とに別れ、あとの五人は更に私の汽車に乘つてしまつた。そして沓掛驛下車、二十町ほど歩いて星野温泉へ行つて泊ることになつた。
 この六人になるとみな舊知の仲なので、その夜の酒は非常に賑やかな、而もしみ/″\したものであつた。鯉の鹽燒だの、しめじの汁だの、とろゝ汁だの、何の罐詰だのと、勝手なことを云ひながら夜遲くまで飮み更かした。丁度部屋も離れの一室になつてゐた。折々水を飮むために眼をさまして見ると、頭をつき合はす樣にして寢てゐるめい/\の姿が、醉つた心に涙の滲むほど親しいものに眺められた。
 それでも朝はみな早かつた。一浴後、飯の出る迄とて庭さきから續いた岡へ登つて行つた。岡の上の落葉松林の蔭には友人Y―君の畫室があつた。彼は折々東京から此處へ來て製作にかゝるのである。今日は門も窓も閉められて、庭には一面に落葉が散り敷き、それに眞紅な楓の紅葉が混つてゐた。林を過ぐると眞上に淺間山の大きな姿が仰がれた。山にはいま朝日の射して來る處で、豐かな赤茶けた山肌全體がくつきりと冷たい空に浮き出てゐる。煙は極めて僅かに頂上の圓みに凝つてゐた。初めてこの火山を仰ぐM―君の喜びはまた一層であつた。
 朝飯の膳に持ち出された酒もかなり永く續いていつか晝近くなつてしまつた。その酒の間に私はいつか今度の旅行計畫を心のうちですつかり變更してしまつてゐた。初め岩村田の歌會に出て直ぐ汽車で高崎まで引返し、其處で東京から一緒に來た兩人に別れて私だけ沼田の方へ入り込む、それから片品川に沿うて下野の方へ越えて行く、とさういふのであつたが、斯うして久しぶりの友だちと逢つて一緒にのんびりした氣持に浸つてゐて見ると、なんだかそれだけでは濟まされなくなつて來た。もう少しゆつくりと其處等の山や谷間を歩き廻りたくなつた。其處で早速頭の中に地圖をひろげて、それからそれへと條(すぢ)をつけて行くうちに、いつか明瞭に噸序がたつて來た。
「よし……」と思はず口に出して、私は新計畫を皆の前に打ちあけた。
「いゝなア!」
 と皆が言つた。
「それがいゝでせう、どうせあなただつてもう昔の樣にポイポイ出歩く譯には行くまいから。」
 とS―が勿體ぶつて附け加へた。
 さうなるともう一つ新しい動議が持ち出された。それならこれから皆していつそ輕井澤まで出掛け、其處の蕎麥屋で改めて別杯を酌んで綺麗に三方に別れ去らうではないか、と。無論それも一議なく可決せられた。
 輕井澤の蕎麥屋の四疊半の部屋に六人は二三時間坐り込んでゐた。夕方六時草津鐵道で立つてゆく私を見送らうといふのであつたが、要するにさうして皆ぐづ/\してゐたかつたのだ。土間つゞきのきたない部屋に、もう酒にも倦いてぼんやり坐つてゐると、破障子の間からツイ裏木戸の所に積んである薪が見え、それに夕日が當つてゐる。それを見てゐると私は少しづつ心細くなつて來た。そしてどれもみな疲れた風をして默り込んでゐる顏を見るとなく見廻してゐたが、やがてK―君に聲をかけた。
「ねヱK―君、君一緒に行かないか、今日この汽車で嬬戀(つまこひ)まで行つて、明日川原湯泊り、それから關東耶馬溪に沿うて中之條に下つて、澁川高崎と出ればいゝぢやないか、僅か二日餘分になるだけだ。」
 みなK―君の顏を見た。彼は例のとほり靜かな微笑を口と眼に見せて、
「行きませうか。行つてよければ行きます、どうせこれから東京に歸つても何でもないんですから。」
と言つた。まつたくこのうちで毎日の仕事を背負つてゐないのは彼一人であつたのだ。
「いゝなア、羨しいなア。」
とM―君が言つた。
「エライことになつたぞ、然し、行き給い、行つた方がいゝ、この親爺さん一人出してやるのは何だか少し可哀相になつて來た。」
と、N―が醉つた眼を瞑ぢて、頭を振りながら言つた。
 小さな車室、疊を二枚長目に敷いた程の車室に我等二人が入つて坐つてゐると、あとの四人もてんでに青い切符を持つて入つて來た。彼等の乘るべき信越線の上りにも下りにもまだ間があるのでその間に舊宿まで見送らうと云ふのだ。感謝しながらざわついてゐると、直ぐ輕井澤舊宿驛に來てしまつた。此處で彼等は降りて行つた。左樣なら、また途中で飮み始めなければいゝがと氣遣はれながら、左樣なら左樣ならと帽子を振つた。小諸の方に行くのは二人づれだからまだいゝが、一人東京へ歸つてゆくM―君には全く氣の毒であつた。
 我等の小さな汽車、唯だ二つの車室しか持たぬ小さな汽車はそれからごつとんごつとんと登りにかゝつた。曲りくねつて登つて行く。車の兩側はすべて枯れほうけた芒ばかりだ。そして近所は却つてうす暗く、遠くの麓の方に夕方の微光が眺められた。
 疲れと寒さが闇と一緒に深くなつた。登り登つて漸く六里が原の高原にかゝつたと思はれる頃は全く黒白(あやめ)もわからぬ闇となつたのだが、車室には灯を入れぬ、イヤ、一度小さな洋燈(ランプ)を點したには點したが、すぐ風で消えたのだつた。一二度停車して普通の驛で呼ぶ樣に驛の名を車掌が呼んで通りはしたが、其處には停車場らしい建物も灯影も見えなかつた。漸く一つ、やゝ明るい所に來て停つた。「二度上」といふ驛名が見え、海拔三八〇九呎と書いた棒がその側に立てられてあつた。見ると汽車の窓のツイ側には屋臺店を設け洋燈を點し、四十近い女が子を負つて何か賣つてゐた。高い臺の上に二つほど並べた箱には柿やキヤラメルが入れてあつた。そのうちに入れ違ひに向うから汽車が來る樣になると彼女は急いで先づ洋燈を持つて線路の向う側に行つた。其處にもまた同じ樣に屋臺店が拵へてあるのが見えた。そして次ぎ/\に其處へ二つの箱を運んで移つて行つた。
 この草津鐵道の終點嬬戀驛に着いたのはもう九時であつた。驛前の宿屋に寄つて部屋に通ると爐が切つてあり、やがて炬燵をかけてくれた。濟まないが今夜風呂を立てなかつた、向うの家に貰ひに行つてくれといふ。提燈を下げた小女のあとをついてゆくとそれは線路を越えた向う側の家であつた。途中で女中がころんで燈を消したため手探りで辿り着いて替る替るぬるい湯に入りながら辛うじて身體を温める事が出來た。その家は運送屋か何からしい新築の家で、家財とても見當らぬ樣ながらんとした大きな圍爐裡端に番頭らしい男が一人新聞を讀んでゐた。

 十月十八日
 昨夜炬燵に入つて居る時から溪流の音は聞えてゐたが夜なかに眼を覺して見ると、雨も降り出した樣子であつた。氣になつてゐたので、戸の隙間の白むを待つて繰りあけて見た。案の如く降つてゐる。そしてこの宿が意外にも高い崖の上に在つて、その眞下に溪川の流れてゐるのを見た。まさしくそれは吾妻川の上流であらねばならぬ。雲とも霧ともつかぬものがその川原に迷ひ、向う岸の崖に懸り、やがて四邊(あたり)をどんよりと白く閉して居る。便所には草履がなく、顏を洗はうにも洗面所の設けもないといふこの宿屋で、難有いのはたゞ炬燵であつた。それほどに寒かつた。聞けばもう九月のうちに雪が來たのであつたさうだ。
 寒い/\と言ひながらも窓をあけて、顎を炬燵の上に載せたまゝ二人ともぼんやりと雨を眺めてゐた。これから六里、川原湯まで濡れて歩くのがいかにも佗しいことに考へられ始めたのだ。それかと云つてこの宿に雨のあがるまで滯在する勇氣もなかつた。醉つた勢ひで斯うした所へ出て來たことがそゞろに後悔せられて、いつそまた輕井澤へ引返さうかとも迷つてゐるうちに、意外に高い笛を響かせながら例の小さな汽車は宿屋の前から輕井澤をさして出て行つてしまつた。それに乘り遲れゝば、午後にもう一度出るのまで待たねばならぬといふ。
 が、草津行きの自動車ならば程なく此處から出るといふことを知つた。そしてまた頭の中に草津を中心に地圖を擴げて、第二の豫定を作ることになつた。
 さうなると急に氣も輕く、窓さきに濡れながらそよいでゐる痩せ/\たコスモスの花も、遙か下に煙つて見ゆる溪の川原も、對岸の霧のなかに見えつ隱れつしてゐる鮮かな紅葉の色も、すべてみな旅らしい心をそゝりたてゝ來た。
 やがて自動車に乘る。かなり危險な山坂を、しかも雨中のぬかるみに馳せ登るのでたび/\膽を冷やさせられたが、それでも次第に山の高みに運ばれて行く氣持は狹くうす暗い車中に居てもよく解つた。ちら/\と見え過ぎて行く紅葉の色は全く滴る樣であつた。
 草津ではこの前一度泊つた事のある一井旅館といふへ入つた。私には二度目の事であつたが、初めて此處へ來たK―君はこの前私が驚いたと同じくこの草津の湯に驚いた。宿に入ると直ぐ、宿の前に在る時間湯から例の佗しい笛の音が鳴り出した。それに續いて聞えて來る湯揉みの音、湯揉みの唄。
 私は彼を誘つてその時間湯の入口に行つた。中には三四十人の浴客がすべて裸體になり幅一尺長さ一間ほどの板を持つて大きな湯槽の四方をとり圍みながら調子を合せて一心に湯を揉んでゐるのである。そして例の湯揉みの唄を唄ふ。先づ一人が唄ひ、唄ひ終ればすべて聲を合せて唄ふ。唄は多く猥雜なものであるが、しかもうたふ聲は眞劍である。全身汗にまみれ、自分の揉む板の先の湯の泡に見入りながら、聲を絞つてうたひ續けるのである。
 時間湯の温度はほゞ沸騰點に近いものであるさうだ。そのために入浴に先立つて約三十分間揉みに揉んで湯を柔らげる。柔らげ終つたと見れば、各浴場ごとに一人づつついてゐる隊長がそれを見て號令を下す。汗みどろになつた浴客は漸く板を置いて、やがて暫くの間各自柄杓を取つて頭に湯を注ぐ。百杯もかぶつた頃、隊長の號令で初めて湯の中へ全身を浸すのである。湯槽には幾つかの列に厚板が並べてあり、人はとりどりにその板にしがみ附きながら隊長の立つ方向に面して息を殺して浸るのである。三十秒が經つ。隊長が一種氣合をかける心持で或る言葉を發する。衆みなこれに應じて「オオウ」と答へる。答へるといふより唸るのである。三十秒ごとにこれを繰返し、かつきり三分間にして號令のもとに一齊に湯から出るのである。その三分間は、僅かに口にその返事を稱ふるほか、手足一つ動かす事を禁じてある。動かせばその波動から熱湯が近所の人の皮膚を刺すがためであるといふ。
 この時間湯に入ること二三日にして腋の下や股のあたりの皮膚が爛れて來る。軈ては歩行も、ひどくなると大小便の自由すら利かぬに到る。それに耐へて入浴を續くること約三週間で次第にその爛れが乾き始め、ほゞ二週間で全治する。その後の身心の快さは、殆んど口にする事の出來ぬほどのものであるさうだ。さう型通りにゆくわけのものではあるまいが、效能の強いのは事實であらう。笛の音の鳴り饗くのを待つて各自宿屋から(宿屋には穩かな内湯がある)時間湯へ集る。杖に縋り、他に負はれて來るのもある。そして湯を揉み、唄をうたひ、煮ゆるごとき湯の中に浸つて、やがて全身を脱脂綿に包んで宿に歸つて行く。これを繰返すこと凡そ五十日間、斯うした苦行が容易な覺悟で出來るものでない。
 草津にこの時間湯といふのが六箇所に在り、日に四囘の時間をきめて、笛を吹く。それにつれて湯揉みの音が起り、唄が聞えて來る。
たぎり沸(わ)くいで湯のたぎりしづめむと病人(やまうど)つどひ揉めりその湯を
湯を揉むとうたへる唄は病人(やまうど)がいのちをかけしひとすぢの唄
上野(かうづけ)の草津に來り誰も聞く湯揉の唄を聞けばかなしも

 十月十九日
 降れば馬を雇つて澤渡(さわたり)温泉(おんせん)まで行かうと決めてゐた。起きて見れば案外な上天氣である。大喜びで草鞋を穿く。
 六里ヶ原と呼ばれてゐる淺間火山の大きな裾野に相對して、白根火山の裾野が南面して起つて居る。これは六里ヶ原ほど廣くないだけに傾斜はそれより急である。その嶮しく起つて來た高原の中腹の一寸した窪みに草津温泉はあるのである。で、宿から出ると直ぐ坂道にかゝり、五六丁もとろ/\と登つた所が白根火山の裾野の引く傾斜の一點に當るのである。其處の眺めは誠に大きい。
 正面に淺間山が方六里に渡るといふ裾野を前にその全體を露はして聳えてゐる。聳ゆるといふよりいかにもおつとりと双方に大きな尾を引いて靜かに鎭座してゐるのである。朝あがりのさやかな空を背景に、その頂上からは純白な煙が微かに立つてやがて湯氣の樣に消えてゐる。空といひ煙といひ、山といひ野原といひ、すべてが濡れた樣に靜かで鮮かであつた。濕つた地(つち)をぴたぴたと踏みながら我等二人は、いま漸く旅の第一歩を踏み出す心躍りを感じたのである。地圖を見ると丁度その地點が一二〇八米突(メートル)の高さだと記してあつた。
 とり/″\に紅葉した雜木林の山を一里半ほども降つて來ると急に嶮しい坂に出會つた。見下す坂下には大きな谷が流れ、その對岸に同じ樣に切り立つた崖の中ほどには家の數十戸か二十戸か一握りにしたほどの村が見えてゐた。九十九折(つづらをり)になつたその急坂を小走りに走り降ると、坂の根にも同じ樣な村があり、普通の百姓家と違はない小學校なども建つてゐた。對岸の村は生須村、學校のある方は小雨(こさめ)村と云ふのであつた。
九十九折(つづらをり)けはしき坂を降り來れば橋ありてかかる峽の深みに
おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨(こさめ)の里といふにぞありける
蠶飼(こがひ)せし家にかあらむを壁を拔きて學校となしつ物教へをり
學校にもの讀める聲のなつかしさ身にしみとほる山里過ぎて
 生須村を過ぎると路はまた單調な雜木林の中に入つた。今までは下りであつたが、今度はとろりとろりと僅かな傾斜を登つてゆくのである。日は朗らかに南から射して、路に堆い落葉はからからに乾いてゐる。音を立てゝ踏んでゆく下からは色美しい栗の實が幾つとなく露はれて來た。多くは今年葉である眞新しい落葉も日ざしの色を湛へ匂を含んでとり/″\に美しく散り敷いてゐる。をり/\その中に龍膽(りんだう)の花が咲いてゐた。
 流石に廣かつた林も次第に淺く、やがて、立枯の木の白々と立つ廣やかな野が見えて來た。林から野原へ移らうとする處であつた。我等は双方からおほどかになだれて來た山あひに流るゝ小さな溪端を歩いてゐた。そして溪の上にさし出でて、眼覺むるばかりに紅葉した楓の木を見出した。
 我等は今朝草津を立つときからずつと續いて紅葉のなかをくゞつて來たのである。楓を初め山の雜木は悉く紅葉してゐた。恰も昨日今日がその眞盛りであるらしく見受けられた。けれどいま眼の前に見出でて立ち留つて思はずも聲を擧げて眺めた紅葉の色はまた別であつた。楓とは思はれぬ大きな古株から六七本に分れた幹が一齊に溪に傾いて伸びてゐる。その幹とてもすべて一抱への大きさで丈も高い。漸く今日あたりから一葉二葉と散りそめたといふ樣に風も無いのに散つてゐる靜かな輝かしい姿は、自づから呼吸を引いて眺め入らずにはゐられぬものであつた。二人は路から降り、そのさし出でた木の眞下の川原に坐つて晝飯をたべた。手を洗ひ顏を洗ひ、つぎつぎに織りついだ樣に小さな瀬をなして流れてゐる水を掬んでゆつくりと喰べながら、日の光を含んで滴る樣に輝いてゐる眞上の紅葉を仰ぎ、また四邊(あたり)の山にぴつたりと燃え入つてゐる林のそれを眺め、二人とも言葉を交さぬ數十分の時間を其處で送つた。
枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなんと申さむ
露霜のとくるがごとく天つ日の光をふくみにほふもみぢ葉
溪川の眞白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を
もみぢ葉のいま照り匂ふ秋山の澄みぬるすがた寂しとぞ見し
 其處を立つと野原にかゝつた。眼につくは立枯の木の木立である。すべて自然に枯れたものでなく、みな根がたのまはりを斧で伐りめぐらして水氣をとゞめ、さうして枯らしたものである。半ばは枯れ半ばはまだ葉を殘してゐるのも混つてゐる。見れば楢(なら)の木である。二抱へ三抱へに及ぶそれ等の大きな老木がむつちりと枝を張つて見渡す野原の其處此處に立つてゐる。野には一面に枯れほうけた芒の穗が靡き、その芒の浪を分けてかすかな線條(すぢ)を引いた樣にも見えてゐるのは植ゑつけてまだ幾年も經たぬらしい落葉松の苗である。この野に昔から茂つてゐた楢を枯らして、代りにこの落葉松の植林を行はうとしてゐるのであるのだ。
 帽子に肩にしつとりと匂つてゐる日の光をうら寂しく感じながら野原の中の一本路を歩いてゐると、をり/\鋭い鳥の啼聲を聞いた。久し振りに聞く聲だとは思ひながら定かに思ひあたらずにゐると、やがて木から木へとび移るその姿を見た。啄木鳥である。一羽や二羽でなく、廣い野原のあちこちで啼いてゐる。更にまたそれよりも澄んで暢びやかな聲を聞いた。高々と空に翔(ま)ひすましてゐる鷹の聲である。
落葉松(からまつ)の苗を植うると神代振り古りぬる楢をみな枯らしたり
楢の木ぞ何にもならぬ醜(しこ)の木と古りぬる木々をみな枯らしたり
木々の根の皮剥ぎとりて木々をみな枯木とはしつ枯野とはしつ
伸びかねし枯野が原の落葉松は枯芒よりいぶせくぞ見ゆ
下草のすすきほうけて光りたる枯木が原の啄木鳥(きつつき)の聲
枯るる木にわく蟲けらをついばむと啄木鳥は啼く此處の林に
立枯の木々しらじらと立つところたまたまにして啄木鳥の飛ぶ
啄木鳥の聲のさびしさ飛び立つとはしなく啼ける聲のさびしさ
紅ゐの胸毛を見せてうちつけに啼く啄木鳥の聲のさびしさ
白木なす枯木が原のうへにまふ鷹ひとつ居りて啄木鳥は啼く
ましぐらにまひくだり來てものを追ふ鷹あらはなり枯木が原に
耳につく啄木鳥の聲あはれなり啼けるをとほく離(さか)り來りて
 ずつと一本だけ續いて來た野中の路が不意に二つに分れる處に來た。小さな道標が立てゝある。曰く、右澤渡温泉道、左花敷温泉道。
 枯芒を押し分けてこの古ぼけた道標の消えかゝつた文字を辛うじて讀んでしまふと、私の頭にふらりと一つの追憶が來て浮んだ。そして思はず私は獨りごちた、「ほゝオ、斯んな處から行くのか、花敷温泉には」と。
 私は先刻(さつき)この野にかゝつてからずつと續いて來てゐる物靜かな沈んだ心の何とはなしに波だつのを覺えながら、暫くその小さな道標の木を見て立つてゐたが、K―君が早や四五間も澤渡道の方へ歩いてゐるのを見ると、其の儘に同君のあとを追うた。そして小一町も二人して默りながら進んだ。が、終(つひ)には私は彼を呼びとめた。
「K―君、どうだ、これから一つあつちの路を行つて見ようぢやアないか。そして今夜その花敷温泉といふのへ泊つて見よう。」
 不思議な顏をして立ち留つた彼に、私は立ちながらいま頭に影の如くに來て浮んだといふ花敷温泉に就いての思ひ出を語つた。三四年も前である。今度とは反對に吾妻(あがつま)川の下流の方から登つて草津温泉に泊り、案内者を雇うて白根山の噴火口の近くを廻り、澁峠を越えて信州の澁温泉へ出た事がある。五月であつたが白根も澁も雪が深くて、澁峠にかゝると前後三里がほどはずつと深さ數尺の雪を踏んで歩いたのであつた。その雪の上に立ちながら年老いた案内者が、やはり白根の裾つゞきの廣大な麓の一部を指して、彼處にも一つ温泉がある、高い崖の眞下の岩のくぼみに湧き、草津と違つて湯が澄み透つて居る故に、その崖に咲く躑躅や其の他の花がみな湯の上に影を落す、まるで底に花を敷いてゐる樣だから花敷温泉といふのだ、と言つて教へて呉れた事があつた。下になるだけ雪が斑らになつてゐる遠い麓に、谷でも流れてゐるか、丁度模型地圖を見るとおなじく幾つとない細長い窪みが、絲屑を散らした樣にこんがらがつてゐる中の一個所にそんな温泉があると聞いて私の好奇心はひどく動いた。第一、そんなところに人が住んで、そんな湯に浸つてゐるといふ事が不思議に思はれたほど、その時其處を遙かな世離れた處に眺めたものであつたのだ。それがいま思ひがけなく眼の前の棒杭に「左花敷温泉道、是より二里半」と認めてあるのである。
「どうだね、君行つて見ようよ、二度とこの道を通りもすまいし、……その不思議な温泉をも見ずにしまふ事になるぢやアないか。」
 その話に私と同じく心を動かしたらしい彼は、一も二もなく私のこの提議に應じた。そして少し後戻つて、再びよく道標の文字を調べながら文字のさし示す方角へ曲つて行つた。
 今までよりは嶮しい野路の登りとなつてゐた。立枯の楢がつゞき、をり/\栗の木も混つて毬と共に笑みわれたその實を根がたに落してゐた。
夕日さす枯野が原のひとつ路わが急ぐ路に散れる栗の實
音さやぐ落葉が下に散りてをるこの栗の實の色のよろしさ
柴栗の柴の枯葉のなかばだに如(し)かぬちひさき栗の味よさ
おのづから干て搗栗(かちぐり)となりてをる野の落栗の味のよろしさ
この枯野猪(しし)も出でぬか猿もゐぬか栗美しう落ちたまりたり
かりそめにひとつ拾ひつ二つ三つ拾ひやめられぬ栗にしありけり
 芒の中の嶮しい坂路を登りつくすと一つの峠に出た。一歩其處を越ゆると片側はうす暗い森林となつてゐた。そしてそれが一面の紅葉の渦を卷いてゐるのであつた。北側の、日のさゝぬ其處の紅葉は見るからに寒々として、濡れてもゐるかと思はるゝ色深いものであつた。然し、途中でやゝこの思ひ立ちの後悔せらるゝほど路は遠かつた。一つの溪流に沿うて峽間を降り、やがてまた大きな谷について凹凸烈しい山路を登つて行つた。十戸二十戸の村を二つ過ぎた。引沼村といふのには小學校があり、山蔭のもう日も暮れた地面を踏み鳴らしながら一人の年寄つた先生が二十人ほどの生徒に體操を教へてゐた。
先生の一途なるさまもなみだなれ家十ばかりなる村の學校に
ひたひたと土踏み鳴らし眞裸足に先生は教ふその體操を
先生の頭の禿もたふとけれ此處に死なむと教ふるならめ
 遙か眞下に白々とした谷の瀬々を見下しながらなほ急いでゐると、漸くそれらしい二三軒の家を谷の向岸に見出だした。こごしい岩山の根に貼り着けられた樣に小さな家が竝んでゐるのである。
 崖を降り橋を渡り一軒の湯宿に入つて先づ湯を訊くと、庭さきを流れてゐる溪流の川下の方を指ざしながら、川向うの山の蔭に在るといふ。不思議に思ひながら借下駄を提げて一二丁ほど行つて見ると、其處には今まで我等の見下して來た谷とはまた異つた一つの谷が、折り疊んだ樣な岩山の裂け目から流れ出して來てゐるのであつた。ひた/\と瀬につきさうな危い板橋を渡つてみると、なるほど其處の切りそいだ樣な崖の根に湯が湛へてゐた。相竝んで二個所に湧いてゐる。一つには茅葺の屋根があり、一方には何も無い。
 相顧みて苦笑しながら二人は屋根のない方へ寄つて手を浸してみると恰好な温度である。もう日も□(かげ)つた山蔭の溪ばたの風を恐れながらも着物を脱いで石の上に置き、ひつそりと清らかなその湯の中へうち浸つた。一寸立つて手を延ばせば溪の瀬に指が屆くのである。
「何だか溪まで温かさうに見えますね。」と年若い友は言ひながら手をさし延ばしたが、慌てゝ引つ込めて「氷の樣だ。」と言つて笑つた。
 溪向うもそゝり立つた岩の崖、うしろを仰げば更に膽も冷ゆべき斷崖がのしかゝつてゐる。崖から眞横にいろ/\な灌木が枝を張つて生ひ出で、大方散りつくした紅葉がなほ僅かにその小枝に名殘をとゞめてゐる。それが一ひら二ひらと絶え間まなく我等の上に散つて來る。見れば其處に一二羽の樫鳥が遊んでゐるのであつた。
眞裸體になるとはしつつ覺束な此處の温泉(いでゆ)に屋根の無ければ
折からや風吹きたちてはらはらと紅葉は散り來(く)いで湯のなかに
樫鳥が踏みこぼす紅葉くれなゐに透きてぞ散り來わが見てあれば
二羽とのみ思ひしものを三羽四羽樫鳥ゐたりその紅葉の木に
 夜に入ると思ひかけぬ烈しい木枯が吹き立つた。背戸の山木の騷ぐ音、雨戸のはためき、庭さきの瀬々のひゞき、枕もとに吊られた洋燈の燈影もたえずまたゝいて、眠り難い一夜であつた。

 十月二十日
 未明に起き、洋燈の下で朝食をとり、まだ足もとのうす暗いうちに其處を立ち出でた。驚いたのはその、足もとに斑らに雪の落ちてゐることであつた。慌てゝ四邊(あたり)を見廻すと昨夜眠つた宿屋の裏の崖山が斑々として白い。更に遠くを見ると、漸く朝の光のさしそめたをちこちの峰から峰が眞白に輝いてゐる。
ひと夜寢てわが立ち出づる山かげのいで湯の村に雪降りにけり
起き出でて見るあかつきの裏山の紅葉の山に雪降りにけり
朝だちの足もと暗しせまりあふ峽間(はざま)の路にはだら雪積み
上野と越後の國のさかひなる峰の高きに雪降りにけり
はだらかに雪の見ゆるは檜(ひ)の森の黒木の山に降れる故にぞ
檜の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ
 昨日の通りに路を急いでやがてひろ/″\とした枯芒の原、立枯の楢の打續いた暮坂峠の大きな澤に出た。峠を越えて約三里、正午近く澤渡温泉に着き、正榮館といふのゝ三階に上つた。此處は珍しくも双方に窪地を持つた樣な、小高い峠に湯が湧いてゐるのであつた。無色無臭、温泉もよく、いゝ湯であつた。此處に此の儘泊らうか、もう三四里を歩いて四萬(しま)温泉へ廻らうか、それとも直ぐ中之條へ出て伊香保まで延ばさうかと二人していろ/\に迷つたが、終(つひ)に四萬へ行くことにきめて、晝飯を終るとすぐまた草鞋を穿いた。
 私は此處で順序として四萬温泉の事を書かねばならぬ事を不快におもふ。いかにも不快な印象を其處の温泉宿から受けたからである。我等の入つて行つたのは、といふより馬車から降りるとすぐ其處に立つてゐた二人の男に誘はれて行つたのは田村旅館といふのであつた。馬車から降りた道を眞直ぐに入つてゆく宏大な構への家であつた。
 とろ/\と登つてやがてその庭らしい處へ着くと一人の宿屋の男は訊いた。
「ヱヽ、どの位ゐの御滯在の御豫定でいらつしやいますか。」
「いゝや、一泊だ、初めてゞ、見物に來たのだ。」
 と答へると彼等はにたりと笑つて顏を見合せた。そしてその男はいま一人の男に馬車から降りた時強ひて私の手から受取つて來た小荷物を押しつけながら早口に言つた。
「一泊だとよ、何の何番に御案内しな。」
 さう言ひ捨てゝおいて今一組の商人態の二人連に同じ樣な事を訊き、滯在と聞くや小腰をかゞめて向つて左手の溪に面した方の新しい建築へ連れて行つた。
 我等と共に殘された一人の男はまざ/\と當惑と苦笑とを顏に表して立つてゐたが、
「ではこちらへ。」
 と我等をその反對の見るからに古びた一棟の方へ導かうとした。私は呼び留めた。
「イヤ僕等は見物に來たので、出來るならいゝ座敷に通して貰ひ度い、たゞ一晩の事だから。」
「へ、承知しました、どうぞこちらへ。」
 案のごとくにひどい部屋であつた。小學校の修學旅行の泊りさうな、幾間か打ち續いた一室でしかも間の唐紙なども滿足には締つてゐない部屋であつた。疊、火鉢、座蒲團、すべてこれに相應したものゝみであつた。
 私は諦めてその火鉢の側に腰をおろしたが、K―君はまだ洋傘を持つたまゝ立つてゐた。
「先生、移りませう、馬車を降りたツイ横にいゝ宿屋があつた樣です。」
 人一倍無口で穩かなこの青年が、明かに怒りを聲に表はして言ひ出した。
 私もそれを思はないではなかつたが、移つて行つてまたこれと同じい待遇を受けたならそれこそ更に不快に相違ない。
「止さうよ、これが土地の風かも知れないから。」
 となだめて、急いで彼を湯に誘つた。
 この分では私には夕餉の膳の上が氣遣はれた。で、定つた物のほかに二品ほど附ける樣にと註文し、酒の事で氣を揉むのを慮つて豫じめ二三本の徳利を取り寄せ自分で燗をすることにしておいた。
 やがて十五六歳の小僧が岡持で二品づつの料理を持つて來た。受取つて箸をつけてゐると小僧は其處につき坐つたまゝ、
「代金を戴きます。」
 といふ。
「代金?」
 と私は審(いぶか)つた。
「宿料かい?」
「いゝえ、そのお料理だけです。よそから持つて來たのですから。」
 思はず私はK―君の顏を見て噴き出した。
「オヤ/\君、これは一泊者のせゐのみではなかつたのだよ、懷中を踏まれたよ」

 十月廿一日
 朝、縁に腰かけて草鞋を穿いてゐても誰一人聲をかける者もなかつた。帳場から見て見ぬ振である。もつとも私も一錢をも置かなかつた。旅といへば樂しいもの難有いものと思ひ込んでゐる私は出來るだけその心を深く味はひたいために不自由の中から大抵の處では多少の心づけを帳場なり召使たちなりに渡さずに出た事はないのだが、斯うまでも挑戰状態で出て來られると、さういふ事をしてゐる心の餘裕がなかつたのである。
 面白いのは犬であつた。草鞋を穿いてゐるツイ側に三疋の仔犬を連れた大きな犬が遊んでゐた。そしてその仔犬たちは私の手許にとんで來てじやれついた。頭を撫でてやつてゐると親犬までやつて來て私の額や頬に身體をすりつける。やがて立ち上つて門さきを出離れ、何の氣なくうしろを振返ると、その大きな犬が私のうしろについて歩いてゐる。仔犬も門の處まで出ては來たがそれからはよう來ぬらしく、尾を振りながらぴつたり三疋引き添うてこちらを見て立つてゐる。
「犬は犬好きの人を知つてるといふが、ほんたうですね。」
と、幾度追つても私の側を離れない犬を見ながらK―君が言つた。
「とんだ見送がついた、この方がよつぽど正直かも知れない。」
 私も笑ひながら犬を撫でて、
「少し旅を貪り過ぎた形があるネ、無理をして此處まで來ないで澤渡にあのまゝ泊つておけば昨夜の不愉快は知らずに過ごせたものを……。」
「それにしても昨夜はひどかつたですネ、あんな目に私初めて遭ひました。」
「さうかネ、僕なんか玄關拂を喰つた事もあるにはあるが……、然しあれは丁度いま此の土地の氣風を表はしてゐるのかも知れない。ソレ上州には伊香保があり草津があるでせう、それに近頃よく四萬(しま)々々といふ樣になつたものだから四萬先生すつかり草津伊香保と肩を竝べ得たつもりになつて鼻息が荒い傾向があるのだらうと思ふ。謂はゞ一種の成金氣分だネ。」
「さう云へば彼處の湯に入つてる客たちだつてそんな奴ばかりでしたよ、長距離電話の利く處に行つていたんぢやア入湯の氣持はせぬ、朝晩は何だ彼だとかゝつて來てうるさくて仕樣がない、なんて。」
「とにかく幻滅だつた、僕は四萬と聞くとずつと溪間の、靜かなおちついた處とばかり思つてゐたんだが……ソレ僕の友人のS―ネ、あれがこの吾妻郡の生れなんだ、だから彼からもよくその樣に聞いてゐたし……、惜しい事をした。」
 路には霜が深かつた。峰から辷つた朝日の光が溪間の紅葉に映つて、次第にまた濁りのない旅心地になつて來た。そして石を投げて辛うじて犬をば追ひ返した。不思議さうに立つて見てゐたが、やがて尾を垂れて歸つて行つた。
 十一時前中之條着、折よく電車の出る處だつたので直ぐ乘車、日に輝いた吾妻川に沿うて走る。この川は數日前に嬬戀(つまこひ)村の宿屋の窓から雨の中に佗しく眺めた溪流のすゑであるのだ。澁川に正午に着いた。東京行沼田行とそれ/″\の時間を調べておいて驛前の小料理屋に入つた。此處で別れてK―君は東京へ歸り私は沼田の方へ入り込むのである。
 看板に出てゐた川魚は何も無かつた。鷄をとり、うどんをとつて別杯を擧げた。輕井澤での不圖した言葉がもとになつて思ひも寄らぬ處を兩人(ふたり)して歩いて來たのだ。時間から云へば僅かだが、何だか遠く幾山河を越えて來た樣なおもひが、盃の重なるにつれて湧いて來た。午後三時、私の方が十分間早く發車する事になつた。手を握つて別れる。
 澁川から沼田まで、不思議な形をした電車が利根川に沿うて走るのである。その電車が二度ほども長い停電をしたりして、沼田町に着いたのは七時半であつた。指さきなど、痛むまでに寒かつた。電車から降りると直ぐ郵便局に行き、留め置になつてゐた郵便物を受取つた。局の事務員が顏を出して、今夜何處へ泊るかと訊く。變に思ひながら澁川で聞いて來た宿屋の名を思ひ出して、その旨を答へると、さうですかと小さな窓を閉めた。
 宿屋の名は鳴瀧と云つた。風呂から出て一二杯飮みかけてゐると、來客だといふ。郵便局の人かと訊くと、さうではないといふ。不思議に思ひながらも餘りに疲れてゐたので、明朝來て呉れと斷つた。實際K―君と別れてから急に私は烈しい疲勞を覺えてゐたのだ。然し矢張り氣が濟まぬので自分で玄關まで出て呼び留めて部屋に招じた。四人連の青年たちであつた。矢張り郵便局からの通知で、私の此處にゐるのを知つたのださうだ。そして、
「いま自轉車を走らせましたから迫つ附けU―君も此處へ見えます。」
 といふ。
「アヽ、さうですか。」
 と答へながら、矢つ張り呼び留めてよかつたと思つた。U―君もまた創作社の社友の一人であるのだ。この群馬縣利根郡からその結社に入つてゐる人が三人ある事を出立の時に調べて、それぞれの村をも地圖で見て來たのであつた。そして都合好くばそれ/″\に逢つて行きたいものと思つてゐたのだ。
「それは難有う。然しU―君の村は此處から遠いでせう。」
「なアに、一里位ゐのものです。」
 一里の夜道は大變だと思つた。
 やがてそのU―君が村の俳人B―君を伴れてやつて來た。もう少しませた人だとその歌から想像してゐたのに反してまだ紅顏の青年であつた。
 歌の話、俳句の話、土地の話が十一時過ぎまで續いた。そしてそれ/″\に歸つて行つた。村までは大變だらうからと留めたけれど、U―君たちも元氣よく歸つて行つた。

 十月廿二日
 今日もよく晴れてゐた。嬬戀以來實によく晴れて呉れるのだ。四時から強ひて眼を覺まして床の中で幾通かの手紙の返事を書き、五時起床、六時過ぎに飯をたべてゐると、U―君がにこ/\しながら入つて來た。自宅(うち)でもいゝつて言ひますから今日はお伴させて下さい、といふ。それはよかつたと私も思つた。今日はこれから九里の山奧、越後境三國(みくに)峠の中腹に在る法師(ほふし)温泉まで行く事になつてゐたのだ。
 私は河の水上(みなかみ)といふものに不思議な愛着を感ずる癖を持つてゐる。一つの流に沿うて次第にそのつめまで登る。そして峠を越せば其處にまた一つの新しい水源があつて小さな瀬を作りながら流れ出してゐる、といふ風な處に出會ふと、胸の苦しくなる樣な歡びを覺えるのが常であつた。
 矢張りそんなところから大正七年の秋に、ひとつ利根川のみなかみを尋ねて見ようとこの利根(とね)の峽谷に入り込んで來たことがあつた。沼田から次第に奧に入つて、矢張り越後境の清水越の根に當つてゐる湯檜曾(ゆびそ)といふのまで辿り着いた。そして其處から更に藤原郷といふのへ入り込むつもりであつたのだが、時季が少し遲れて、もうその邊にも斑らに雪が來てをり、奧の方には眞白妙に輝いた山の竝んでゐるのを見ると、流石に心細くなつて湯檜曾から引返した事があつた。然しその湯檜曾の邊でも、銚子の河口であれだけの幅を持つた利根が石から石を飛んで徒渉出來る愛らしい姿になつてゐるのを見ると、矢張り嬉しさに心は躍つてその石から石を飛んで歩いたものであつた。そしていつかお前の方まで分け入るぞよと輝き渡る藤原郷の奧山を望んで思つたものであつた。
 藤原郷の方から來たのに清水越の山から流れ出して來た一支流が湯檜曾のはづれで落ち合つて利根川の溪流となり沼田の少し手前で赤谷川を入れ、やゝ下つた處で片品(かたしな)川を合せる。そして漸く一個の川らしい姿になつて更に澁川で吾妻川を合せ、此處で初めて大利根の大觀をなすのである。吾妻川の上流をば曾つて信州の方から越えて來て探つた事がある。片品川の奧に分け入らうと云ふのは實は今度の旅の眼目であつた。そして今日これから行かうとしてゐるのは、沼田から二里ほど上、月夜野橋といふ橋の近くで利根川に落ちて來てゐる赤谷川の源流の方に入つて行つて見度いためであつた。その殆んどつめになつた處に法師温泉はある筈である。
 讀者よ、試みに參謀本部五萬分の一の地圖「四萬」の部を開いて見給へ。眞黒に見えるまでに山の線の引き重ねられた中に唯だ一つ他の部落とは遠くかけ離れて温泉の符號の記入せられてゐるのを、少なからぬ困難の末に發見するであらう。それが即ち法師温泉なのだ。更にまた讀者よ、その少し手前、沼田の方角に近い處に視線を落して來るならば其處に「猿ヶ京村」といふ不思議な名の部落のあるのを見るであらう。私は初め參謀本部のものに據らず他の府縣別の簡單なものを開いて見てこの猿ヶ京村を見出し、サテも斯んな處に村があり、斯んな處にも歌を詠まうと志してゐる人がゐるのかと、少なからず驚嘆したのであつた。先に利根郡に我等の社中の同志が三人ある旨を言つた。その三人の一人は今日一緒に歩かうといふU―君で、他の二人は實にこの猿ヶ京村の人たちであるのである。
 月夜野橋に到る間に私は土地の義民磔(はりつけ)茂左衞門の話を聞いた。徳川時代寛文年間に沼田の城主眞田伊賀守が異常なる虐政を行つた。領内利根吾妻勢多三郡百七十七箇村に檢地を行ひ、元高三萬石を十四萬四千餘石に改め、川役網役山手役井戸役窓役産毛役等(窓を一つ設くれば即ち課税し、出産すれば課税するの意)の雜役を設け終(つひ)に婚禮にまで税を課すに至つた。納期には各村に代官を派遣し、滯納する者があれば家宅を搜索して農産物の種子まで取上げ、なほ不足ならば人質を取つて皆納するまで水牢に入るゝ等の事を行つた。この暴虐に泣く百七十七箇村の民を見るに見兼ねて身を抽んでて江戸に出で酒井(さかゐ)雅樂守(うたのかみ)の登城先に駕訴をしたのがこの月夜野村の百姓茂左衞門であつた。けれどその駕訴は受けられなかつた。其處で彼は更に或る奇策を案じて具さに伊賀守の虐政を認めた訴状を上野寛永寺なる輪王寺宮に奉つた。幸に宮から幕府へ傳達せられ、時の將軍綱吉も驚いて沼田領の實際を探つて見ると果して訴状の通りであつたので直ちに領地を取上げ伊賀守をば羽後山形の奧平家へ預けてしまつた。茂左衞門はそれまで他國に姿を隱して形勢を見てゐたが、斯く願ひの叶つたのを知ると潔く自首するつもりで乞食に身をやつして郷里に歸り僅かに一夜その家へ入つて妻と別離を惜み、明方出かけようとしたところを捕へられた。そしていま月夜野橋の架つてゐるツイ下の川原で磔刑に處せられた。しかも罪ない妻まで打首となつた。漸く蘇生の思ひをした百七十七箇村の百姓たちはやれ/\と安堵する間もなく茂左衞門の捕へられたを聞いて大いに驚き悲しみ、總代を出して幕府に歎願せしめた。幕府も特に評議の上これを許して、茂左衞門赦免の上使を遣はしたのであつたが、時僅かに遲れ、井戸上村まで來ると處刑濟の報に接したのであつたさうだ。
 舊沼田領の人々はそれを聞いていよ/\悲しみ、刑場蹟に地藏尊を建立して僅かに謝恩の心を致した。ことにその郷里の人は更に月夜野村に一佛堂を築いて千日の供養をし、これを千日堂と稱へたが、千日はおろか、今日に到るまで一日として供養を怠らなかつた。が、次第にその御堂も荒頽して來たので、この大正六年から改築に着手し、十年十二月竣工、右の地藏尊を本尊として其處に安置する事になつた。
 斯うした話をU―君から聞きながら私は彼の佐倉宗吾の事を思ひ出してゐた。事情が全く同じだからである。而して一は大いに表はれ、一は土地の人以外に殆んど知る所がない。さう思ひながらこの勇敢な、氣の毒な義民のためにひどく心を動かされた。そしてU―君にそのお堂へ參詣したい旨を告げた。
 月夜野橋を渡ると直ぐ取つ着きの岡の上に御堂はあつた。田舍にある堂宇としては實に立派な壯大なものであつた。そしてその前まで登つて行つて驚いた。寧ろ凄いほどの香煙が捧げられてあつたからである。そして附近には唯だ雀が遊んでゐるばかりで人の影とてもない。百姓たちが朝の仕事に就く前に一人々々此處にこの香を捧げて行つたものなのである。一日として斯うない事はないのださうだ。立ち昇る香煙のなかに佇みながら私は茂左衞門を思ひ、茂左衞門に對する百姓たちの心を思ひ瞼の熱くなるのを感じた。
 堂のうしろの落葉を敷いて暫く休んだ。傍らに同じく腰をおろしてゐた年若い友は不圖(ふと)何か思か出した樣に立ち上つたが、やがて私をも立ち上らせて對岸の岡つゞきになつてゐる村落を指ざしながら、
「ソレ、あそこに日の當つてゐる村がありませう。あの村の中ほどにやゝ大きな藁葺の屋根が見えませう、あれが高橋お傳の生れた家です。」
 これはまた意外であつた。聞けば同君の祖母はお傳の遊び友達であつたといふ。
「今日これから行く途中に鹽原太助の生れた家も、墓もありますよ。」
 と、なほ笑ひながら彼は附け加へた。
 月夜野村は村とは云へ、古めかしい宿場の形をなしてゐた。昔は此處が赤谷川(あかたにがは)流域の主都であつたものであらう。宿を通り拔けると道は赤谷川に沿うた。
 この邊、赤谷川の眺めは非常によかつた。十間から二三十間に及ぶ高さの岸が、楯を並べた樣に並び立つた上に、かなり老木の赤松がずらりと林をなして茂つてゐるのである。三町、五町、十町とその眺めは續いた。松の下草には雜木の紅葉が油繪具をこぼした樣に散らばり、大きく露出した岩の根には微かな青みを宿した清水が瀬をなし淵を作つて流れてゐるのである。
 登るともない登りを七時間ばかり登り續けた頃、我等は氣にしてゐた猿ヶ京村の入口にかゝつた。其處も南に谷を控へた坂なりの道ばたにちらほらと家が續いてゐた。中に一軒、古びた煤けた屋根の修繕をしてゐる家があつた。丁度小休みの時間らしく、二三の人が腰をおろして煙草を喫つてゐた。
「ア、さうですか、それは……。」
 私の尋ねに應じて一人がわざ/\立上つて煙管で方角を指しながら、道から折れた山の根がたの方に我等の尋ぬるM―君の家の在る事を教へて呉れた。街道から曲り、細い坂を少し登つてゆくと、傾斜を帶びた山畑が其處に開けてゐた。四五町も畦道を登つたけれども、それらしい家が見當らない。桑や粟の畑が日に乾いてゐるばかりである。幸ひ畑中に一人の百姓が働いてゐた。其處へ歩み寄つてやゝ遠くから聲をかけた。
「ア、M―さんの家ですか。」
 百姓は自分から頬かむりをとつて、私たちの方へ歩いて來た。そして、畑に挾まれた一つの澤を越し、渡りあがつた向うの山蔭の杉木立の中に在る旨を教へて呉れた。それも道を傳つて行つたのでは廻りになる故、其處の畑の中を通りぬけて……とゆびざししながら教へようとして、
「アツ、其處に來ますよ、M―さんが。」
 と、叫んだ。囚人などの冠る樣な編笠をかぶり、辛うじて尻を被ふほどの短い袖無半纏を着、股引を穿いた、老人とも若者ともつかぬ男が其處の澤から登つて來た。そして我等が彼を見詰めて立つてゐるのを不思議さうに見やりながら近づいて來た。
「君はM―君ですか。」
 斯う私が呼びかけると、ぢつと私の顏を見詰めたが、やがて合點が行つたらしく、ハツとした風で其處に立ち留つた。そして笠をとつてお辭儀をした。斯うして向き合つて見ると、彼もまだ三十前の青年であつたのである。
 私が上州利根郡の方に行く事をば我等の間で出してゐる雜誌で彼も見てゐた筈である。然し、斯うして彼の郷里まで入り込んで來ようとは思ひがけなかつたらしい。驚いたあまりか、彼は其處に突立つたまゝ殆んど言葉を出さなかつた。路を教へて呉れた百姓も頬かむりの手拭を握つたまゝ、ぼんやり其處に立つてゐるのである。私は昨夜沼田に着いた事、一緒にゐるのが沼田在の同志U―君である事、これから法師温泉まで行かうとしてゐる事、一寸でも逢つてゆきたくて立ち寄つた事などを説明した。
「どうぞ、私の家へお出で下さい。」
 と漸く色々の意味が飮み込めたらしく彼は安心した風に我等を誘つた。なるほど、ツイ手近に來てゐながら見出せないのも道理なほどの山の蔭に彼の家はあつた。一軒家か、乃至は、其處らに一二軒の隣家を持つか、兎に角に深い杉の木立が四邊(あたり)を圍み、濕つた庭には杉の落葉が一面に散り敷いてゐた。大きな圍爐裡端には彼の老母が坐つてゐた。
 お茶や松茸の味噌漬が出た。私は圍爐裡に近く腰をかけながら、
「君は何處で歌を作るのです、此處ですか。」
 と、赤々と火の燃えさかる爐端を指した。土間にも、座敷にも、農具が散らかつてゐるのみで書籍も机らしいものも其處らに見えなかつた。
「さア……。」
 羞しさうに彼は口籠つたが、
「何處といふ事もありません、山でゝも野良でゝも作ります。」
 と、僅かに答へた。私が彼の歌を見始めてから五六年はたつであらう。幼い文字、幼い詠みかた、それらがM―といふ名前と共にすぐ私の頭に思ひ浮べらるゝほど、特色のある歌を彼は作つてゐるのであつた。
 收穫時の忙しさを思ひながらも同行を勸めて見た。暫く默つて考へてゐたが、やがて母に耳打して奧へ入ると着物を着換へて出て來た。三人連になつて我等はその杉木立の家を立ち出でた。恐らく二度とは訪ねられないであらうその杉叢が、そゞろに私には振返へられた。時計は午後三時をすぎてゐた。法師までなほ三里、よほどこれから急がねばならぬ。
 猿ヶ京村でのいま一人の同志H―君の事をM―君から聞いた。土地の郵便局の息子で、今折惡しく仙臺の方へ行つてゐる事などを。やがてその郵便局の前に來たので私は一寸立寄つてその父親に言葉をかけた。その人はゐないでも、矢張り默つて通られぬ思ひがしたのであつた。
 石や岩のあらはに出てゐる村なかの路には煙草の葉がをりをり落ちてゐた。見れば路に沿うた家の壁には悉くこれが掛け乾されてゐるのであつた。此の頃漸く切り取つたらしく、まだ生々しいものであつた。
 吹路(ふくろ)といふ急坂を登り切つた頃から日は漸く暮れかけた。風の寒い山腹をひた急ぎに急いでゐると、をり/\路ばたの畑で稗や粟を刈つてゐる人を見た。この邊では斯ういふものしか出來ぬのださうである。從つて百姓たちの常食も大概これに限られてゐるといふ。かすかな夕日を受けて咲いてゐる煙草の花も眼についた。小走りに走つて急いだのであつたが、終(つひ)に全く暮れてしまつた。山の中の一すぢ路を三人引つ添うて這ふ樣にして辿つた。そして、峰々の上の夕空に星が輝き、相迫つた峽間(はざま)の奧の闇の深い中に温泉宿の燈影を見出した時は、三人は思はず大きな聲を上げたのであつた。
 がらんどうな大きな二階の一室に通され、先づ何よりもと湯殿へ急いだ。そしてその廣いのと湯の豐かなのとに驚いた。十疊敷よりもつと廣からうと思はるゝ湯槽が二つ、それに滿々と湯が湛へてゐるのである。そして、下には頭大の石ころが敷いてあつた。乏しい灯影の下にづぶりつと浸りながら、三人は唯だてんでに微笑を含んだまゝ、殆んどだんまりの儘の永い時間を過した。のび/\と手足を伸ばすもあり、蛙の樣に浮んで泳ぎの形を爲すものもあつた。
 部屋に歸ると炭火が山の樣におこしてあつた。なるほど山の夜の寒さは湯あがりの後の身體に浸みて來た。何しろ今夜は飮みませうと、豐かに酒をば取り寄せた。罐詰をも一つ二つと切らせた。U―君は十九か廿歳、M―君は廿六七、その二人のがつしりとした山國人の體格を見、明るい顏を見てゐると私は何かしら嬉しくて、飮めよ喰べよと無理にも強ひずにはゐられぬ氣持になつてゐたのである。
 其處へ一升壜を提げた、見知らぬ若者がまた二人入つて來た。一人はK―君といふ人で、今日我等の通つて來た鹽原太助の生れたといふ村の人であつた。一人は沼田の人で、阿米利加に五年行つてゐたといふ畫家であつた。畫家を訪ねて沼田へ行つてゐたK―君は、其處の本屋で私が今日この法師へ登つたといふ事を聞き、畫家を誘つて、あとを追つて來たのださうだ。そして懷中から私の最近に著した歌集『くろ土』を取り出してその口繪の肖像と私とを見比べながら、
「矢張り本物に違ひはありませんねヱ。」
 と言つて驚くほど大きな聲で笑つた。

 十月廿三日
 うす闇の殘つてゐる午前五時、昨夜の草鞋のまだ濕つてゐるのを穿きしめてその溪間の湯の宿を立ち出でた。峰々の上に冴えてゐる空の光にも土地の高みが感ぜられて、自づと肌寒い。K―君たち二人はけふ一日遊んでゆくのださうだ。
 吹路の急坂にかゝつた時であつた。十二三から廿歳までの間の若い女たちが、三人五人と組を作つて登つて來るのに出會つた。眞先の一人だけが眼明で、あとはみな盲目である。そして各自に大きな紺の風呂敷包を背負つてゐる。訊けばこれが有名な越後の瞽女(ごぜ)である相だ。收穫前の一寸した農閑期を狙つて稼ぎに出て來て、雪の來る少し前に斯うして歸つてゆくのだといふ。
「法師泊りでせうから、これが昨夜だつたら三味や唄が聞かれたのでしたがね。」
 とM―君が笑つた。それを聞きながら私はフツと或る事を思ひついたが、ひそかに苦笑して默つてしまつた。宿屋で聞かうよりこのまゝこの山路で呼びとめて彼等に唄はせて見たかつた。然し、さういふ事をするには二人の同伴者が餘りに善良な青年である事にも氣がついたのだ。驚いた事にはその三々五々の組が二三町の間も續いた。すべてゞ三十人はゐたであらう。落葉の上に彼等を坐らせ、その一人二人に三味を掻き鳴らさせたならば、蓋し忘れ難い記憶になつたであらうものをと、そゞろに殘り惜しくも振返へられた。這ふ樣にして登つてゐる彼等の姿は、一町二町の間をおいて落葉した山の日向に續いて見えた。
 猿ヶ京村を出外れた道下の笹の湯温泉で晝食をとつた。相迫つた斷崖の片側の中腹に在る一軒家で、その二階から斜め眞上に相生(あひおひ)橋が仰がれた。相生橋は群馬縣で第二番目に高い橋だといふ事である。切り立つた斷崖の眞中どころに鎹の樣にして架つてゐる。高さ二十五間、欄干に倚つて下を見ると膽の冷ゆる思ひがした。しかもその兩岸の崖にはとり/″\の雜木が鮮かに紅葉してゐるのであつた。
 湯の宿温泉まで來ると私はひどく身體の疲勞を感じた。數日の歩きづめとこの一二晩の睡眠不足とのためである。其處で二人の青年に別れて、日はまだ高かつたが、一人だけ其處の宿屋に泊る事にした。もつともM―君は自分の村を行きすぎ其處まで見送つて來てくれたのであつた。U―君とは明日また沼田で逢ふ約束をした。
 一人になると、一層疲勞が出て來た。で、一浴後直ちに床を延べて寢てしまつた。一時間も眠つたと思ふ頃、女中が來てあなたは若山といふ人ではないかと訊く。不思議に思ひながらさうだと答へると一枚の名刺を出して斯ういふ人が逢ひ度いと下に來てゐるといふ。見ると驚いた、昨日その留守宅に寄つて來たH―君であつた。仙臺からの歸途沼田の本屋に寄つて私達が一泊の豫定で法師に行つた事を聞き、ともすると途中で會ふかも知れぬと言はれて途々氣をつけて來た。そしてもう夕方ではあるし、ことによるとこの邊に泊つて居らるゝかも知れぬと立ち寄つて訊いてみた宿屋に偶然にも私が寢てゐたのだといふ。あまりの奇遇に我等は思はず知らずひしと兩手を握り合つた。

 十月廿四日
 H―君も元氣な青年であつた。昨夜、九時過ぎまで語り合つて、そして提灯をつけて三里ほどの山路を登つて歸つて行つた。今朝は私一人、矢張り朗らかに晴れた日ざしを浴びながら、ゆつくりと歩いて沼田町まで歸つて來た。打合せておいた通り、U―君が青池屋といふ宿屋で待つてゐた。そして昨夜の奇遇を聞いて彼も驚いた。彼はM―と初對面であつたと同じくH―をもまだ知らないのである。
 夜、宿屋で歌會が開かれた。二三日前の夜訪ねて來た人たちを中心とした土地の文藝愛好家達で、歌會とは云つても專門に歌を作るといふ人々ではなかつた。みな相當の年輩の人たちで、私は彼等から土地の話を面白く聞く事が出來た。そして思はず酒をも過して閉會したのは午前一時であつた。法師で會つたK―君も夜更けて其處からやつて來た。この人たちは九里や十里の山路を歩くのを、ホンの隣家に行く氣でゐるらしい。

 十月廿五日
 昨夜の會の人達が町はづれまで送つて來て呉れた。U―、K―兩君だけは、もう少し歩きませうと更に半道ほど送つて來た。其處で別れかねてまた二里ほど歩いた。收穫前の忙しさを思つて、農家であるU―君をば其處から強ひて歸らせたが、K―君はいつそ此處まで來た事ゆゑ老神まで參りませうと、終(つひ)に今夜の泊りの場所まで一緒に行く事になつた。宿屋の下駄を穿き、帽子もかぶらぬまゝの姿である。
 路はずつと片品川の岸に沿うた。これは實は舊道であるのださうだが、故(ことさ)らに私はこれを選んだのであつた。さうして樂しんで來た片品川峽谷の眺めは矢張り私を落膽せしめなかつた。ことに岩室といふあたりから佳くなつた。山が深いため、紅葉はやゝ過ぎてゐたが、なほ到る處にその名殘を留めてしかも岩の露はれた嶮しい山、いたゞきかけて煙り渡つた落葉の森、それらの山の次第に迫り合つた深い底には必ず一つの溪が流れて瀧となり淵となり、やがてそれがまた隨所に落ち合つては眞白な瀬をなしてゐるのである。歩一歩と醉つた氣持になつた私は、歩みつ憩ひつ幾つかの歌を手帳に書きつけた。
きりぎしに通へる路をわが行けば天つ日は照る高き空より
路かよふ崖のさなかをわが行きてはろけき空を見ればかなしも
木々の葉の染まれる秋の岩山のそば路ゆくとこころかなしも
きりぎしに生(お)ふる百木(ももき)のたけ伸びずとりどりに深きもみぢせるかも
歩みつつこころ怯ぢたるきりぎしのあやふき路に匂ふもみぢ葉
わが急ぐ崖の眞下に見えてをる丸木橋さびしあらはに見えて
散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり
しめりたる紅葉がうへにわが落す煙草の灰は散りて眞白き
とり出でて吸へる煙草におのづから心は開けわが憩ふかも
岩蔭の青渦がうへにうかびゐて色あざやけき落葉もみぢ葉
苔むさぬこの荒溪の岩にゐて啼く鶺鴒(いしたたき)あはれなるかも
高き橋此處にかかれりせまりあふ岩山の峽(かひ)のせまりどころに
いま渡る橋はみじかし山峽の迫りきはまれる此處にかかりて
古りし欄干(てすり)ほとほととわがうちたたき渡りゆくかもこの古橋を
いとほしきおもひこそ湧け岩山の峽にかかれるこの古橋に
 老神(おいがみ)温泉に着いた時は夜に入つてゐた。途中で用意した蝋燭をてんでに點して本道から温泉宿の在るといふ川端の方へ急な坂を降りて行つた。宿に入つて湯を訊くと、少し離れてゐてお氣の毒ですが、と言ひながら背の高い老婆が提灯を持つて先に立つた。どの宿にも内湯は無いと聞いてゐたので何の氣もなくその後に從つて戸外へ出たが、これはまた花敷温泉とも異つたたいへんな處へ湯が湧いてゐるのであつた。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:66 KB

担当:undef