樹木とその葉
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著者名:若山牧水 

 二日、三日、四日と夢中で過して漸く落着きかけた五日の午後、私は三島町の塚田君を見舞はうと思ひ立つた。同君には沼津の稻玉醫院副院長時代、始終子供たちの身體を診(み)て貰つてゐた。三島に單獨に開業してまだ幾らもたゝぬにこの騷ぎで、しかもそちらは隨分ひどくやられたと聞いて前から氣になつてゐたのである。電車の運轉が止まつてゐるので、舊街道の埃道をてく/\と歩き始めた。
 尻端折で歩くといふ事が不思議に私の心を靜かにしてくれた。と共に急にいろ/\な事が思ひ出されて來た。先づ東京横濱の知人たちの身の上である。
 この三日あたりから今度の事變の範圍が漸く解りかけた。そして何より驚かされたのは東京横濱地方に於ける出來事であつた。殆んど信じ難い事であつたが、而かも刻々にその事實が確められて來た。次いで起つて來たのはさうした大事變の中に於ける我が知人たちの消息如何である。何處々々が燒失したと聞けば其處に住んで居る誰彼の名が、顏が、直ぐ心に浮んだ。死傷何萬人と聞けばどうしてもその中に二人や三人は入つてゐなければならぬ樣な氣がしてならぬのである。丸ビルの八階はどうだ、六階はどうだつたらう、窓から飛んで二百人死んだといふではないか、通新石町の土藏はこれは最も危險だ、女の身でどうして逃げられたらう、身一つならばだが親を連れてはどんなに難儀したであらう、とそれからそれと想像が走る。しかも明るい方へは行かないでどうしても暗い方へ/\とのみ走りたがるのだ。先月伊豆に訪ねて來て呉れた時、今から思へばいつもほど元氣がなかつた、蟲が知らしてお別れに來たのではなかつたか、などと全く愚にもつかぬ事まで氣になつて來る。
 便所に行つた時、枕についた時、僅かの隙を狙つては起つて來る此等の懸念や想像が、いま斯うして獨りで歩いてゐると恰も出口を見付けた水の樣に汪然として心の中に流れ始めたのだ。果ては歩調も速くなつて、汗をかきながら急いでゐたが、黄瀬川の橋にかゝつた時、私は歩くのをよして其處の欄干に身を凭(よ)せかけた。そして汗を拭き帽子をとつてその熱苦しい想像邪念を追拂はうと努めた。
 が、それは徒勞であつたばかりでなく、却つて一種の焦燥をさへ加へた。焦燥はやがて一つの決心を私に與へた。
『よし、行つて來よう、行つて見て來よう!』
 さう思ひ立つともう大抵無事だと解つてゐる三島の方へなど行つてはゐられなかつた。三島はあと□しだ、と思ひ捨てながらとつとゝ踵をかへして歩き始めた。
 家に歸つてから妻との間にいろ/\の問答や相談が繰返された。入京の非常に難儀なこと、私自身の健康のこと、旅費のこと、それからそれと頭の痛くなるほど繰返されてゐるところへ、ひよつこり庭先へ服部純雄さんがやつて來た。彼は昨日岡山から職員總代、學生總代其他と三人の人を連れて、
『君たちを掘り出すつもりでやつて來たのだが、まア/\噂(うはさ)の樣でなくてよかつた。』
 と、言ひながら、その明るい笑顏を見せたのであつた。關西地方では最初沼津地方激震死傷數千云々といふ風に傳へられ、それに驚いて飛んで來たのであつたさうだ。その服部さんが勇しい扮裝を見せながら、『とても君危險で箱根から向うには行けないさうだ、此處まで來たついでに東京まで行つてやらうといま町でいろ/\用意をしたんだが……』
 と、その種々の危險を物語つた。
『それではあなたにも到底駄目ですネ。』
 と諦め顏に細君が私を見た。
 そして、その日の夕方、代りに大悟法君が萬難を冒して出かくるといふことに事は急變したのであつた。
 明けて六日の午前中、大悟法君と二人沼津中を馳け□つて用意を整へ、正午、折柄安否を氣遣つて伊豆から渡つて來て呉れた高島富峯君と共に大悟法君の悲壯な出立を沼津驛に見送つたのであつた。

 箱根を越え、御殿場を越えて逃げて來た所謂(いはゆる)罹災民の悲慘な姿で沼津驛前あたりが一種の修羅場化してゐる話をば人づてに聞いてゐたが、私が直接にさうした人を見たのはその六日の夕方、自宅の庭に於てゞあつた。
 玄關に立つてゐる異樣ないでたちの青年に見覺えはあつたが、直ぐには思ひ出せなかつた。名乘られて見ればそれは三年ほど前に、當時長野市にゐた紫山武矩君方で逢つた同君の末弟四郎君であつた。
『ア、さうでしたネ、さアお上んなさい。』
『まだ二人ほど連れがあるんですが……』
『どうぞ、お呼びなさい。』
 一人は四郎君のすぐ上の兄さんで早稻田大學、一人はその友人で農科大學の學生だと解つたが、三人とも古びた半纒(はんてん)を引つかけたまゝで下はから脛の、見るからに變な樣子であつた。
『アツ!』
 私は初めて氣がついた、彼等はすべて小田原の人であつたのだ。それで、この異樣な樣子が呑み込めると同時に口早やに問ひ掛けた。
『君等はやられたのですね、どうでした、小田原は?』
『すつかりやられました、身體一つで燒出されました……』
 漸く私は彼等を座敷に招じた。聞けば彼等は三人共各學校柔道の選手で、九月一日には小田原小學校で始業式の濟んだあとが柔道大會となり、彼等は全て柔道着か裸體かになつて式場(雨天體操場などであつたらうと思ふ)に出てゐた。ドツと來ると共に學校は潰(つぶ)れてしまつた。幸ひ彼等のゐた場所は場内の中央であつたゝめ、落ちた屋根も其處だけは多少の空隙を殘してゐて壓死をば免れたが、まん中どころ以外に並んで見物してゐた幼い生徒たちは殆んど全部ひしやがれてしまつた。そのうち小使部屋から火が出た。何處をどう掻き破つて出たのだか兎に角に三人とも素裸體で、諸所に擦傷を負ひながらもつぶれた屋根の下から這ひ出す事が出來た。出て見ると町にはすつかり火が□つてゐたさうだ。其處へ津浪が寄せ、やがて凄じい龍卷が起つて紙片の樣に人間其他を空中に卷きあげた。
『何しろ町中全部が燒けたものですから食物が無いのです、救助米が多少□つてるのですけれど、如何してだか東京方面を主にして小田原などにはほんの申譯ばかりにしかよこさないのです、で、米を少し持つてゆかうとこれから鈴川の親戚まで行くところです。』
 と一人が言ふと、一人は笑ひながら着てゐる半纒を引つぱつて、
『裸體ではしやうがないものですから、途中の親戚で道了講の宿屋をしてゐる家に寄つてこれを三枚貰つて來たのです。』
 私は今朝小田原から山を越えて來たといふ三人に強ひて足を洗はせて、今夜此處に泊る事にさせた。そしてようこそ此處に私の住んでゐる事を思ひ出して呉れたと想つた。
 酒を取りにやつた女中が歸つて來たらしく、勝手の方で時ならぬ笑ひ聲がするので行つて訊いて見ると、近所の者が酒屋に集つて、
『いま若山さんところに不逞鮮人が三人入つて行つたが、どういふ事になるだらう。』
 と騷いでゐたといふのだ。なるほどさう言はれゝば三人共髮の長い、眼のぎよろりとした、背の痩高い連中で、おまけに人夫などの着さうな半纒を着たところ、鮮人と見られても否やは言へぬ風采であつたのだ。
 久し振だ、勿體(もつたい)ない樣だと言ひながら三人の人たちが盃をあげてゐるところへ、
『先生、やつて來ましたよ。』
 と、聞き馴れた聲が玄關で起つた。思ひもかけぬ笹田登美三君が大きな荷物を擔いで立つてゐるのだ。
『やア笹田さんだ/\。』
 子供たちが一齊に飛び出して來た。同君は矢張り大阪地方の新聞記事を見て、不安でならぬので出懸けて來て呉れたのであつた。そしてそれこそ喰べものにも困つてゐはせぬかとわざ/\澤山な餠をついて擔いで來て呉れた。なほ來がけに寄つた大阪の某君の許から頼まれたと云つて渡された包を開いて見ると、食料、藥品、燃料と、くさぐさの心づくしが收めてあつた。
『まアほんとに、どうしませうねヱ。』
 一つ/\手にとつては妻は早や涙ぐんでゐる。
 やがて皆床を敷いて横になつた。その前から小さなのが一つ二つとゆれてゐたのであつたが、九時頃でもあつたか、やゝ大きいのがゆら/\と動いて來た。丁度私は便所に行かうと廊下を歩いてゐた所で、『來たナ』と思つて立ち止つた途端にツイ眼の前の座敷から、
『ワツ!』
 と言ふと身體を揃へて庭の方へ飛び出したものがあつた。びつくりして見ると小田原組の三人だ。揃ひも揃つて長いのが三人、水泳の飛び込み其處のけの恰好で、双手を突き擴げて二三間あまりも闇を目がけて跳躍した有樣はまつたく壯觀で、フツと思ふと同時にこみあげて來た笑ひは永い間私の身體を離れなかつた。
 彼等も私に合はせて笑ふには笑つたが、それからどうしても屋内に眠る事が出來なくなり、たうとう茣蓙を持ち出して庭の木蔭に三人小さくかたまつて寢てしまつた。私たちは三日の雨の夜から引續いて屋内に寢る事になつてゐたのだ。
 待たれるのは被害地からの便りであつた。
 大悟法君からの第一便は名古屋驛から來たがそれからぴつたり止つたまゝで何の音沙汰も無い。東京、横濱の誰一人からも來ない。毎日町へ出かけて買つて來る大阪地方の新聞紙は日一日と不安を強め確かめてゆくばかりだ。
 其處へ十日の正午少し前、電信配達夫が門前に自轉車を乘りすてた。その姿を見るとすぐ私は机を離れて玄關へ急いだのであつたが、妻の方が速く其處に出て受取つた。そして發信人の名を、
『ミ、チ、ヤ』
 と讀んだのを耳にした。
『ナニツ!』
 と言ひさま彼女の手から引つとつて中を見た。
『コチラヘキタアスユク』
 シズオカ局發である。
 妻とたゞ眼を見合せた。
『生きてたナ!』
 といふ感じが、言葉にならずに全身に浸み巡つたのである。
 電報は二通であつた。他の一通の發信人には『トシヲ』とある。
『トウケウミナブ ジ アンシンセヨイマヨコハマニユク』
 發局は同じく靜岡だ。
『道彌さんが生きて歸つて、それに利雄さんがことづけたのだ。』
 と直ぐ思つた。
 皆無事、の範圍は解らないが兎に角に重な人たちに事の無かつたとだけは解してよろしい。
 泣くとも笑ふとも解らぬ顏を突き合せて夫婦はなほ暫く無言のまゝ縁側に立つてゐた。
『オイ、今日のお晝には一杯つけるのだよ。』
 嚴として妻に命令した。地震記念に私は永年の習慣となつてゐた朝酒と晝酒とをやめる事に三四日前からなつてゐたのだ。
 九月六日附、「再度上京の時」と脇書した鉛筆の葉書が十一日に中島花楠君から來た。あとで思つたのだが恐らくこれは高崎の停車場あたりで書かれたものだらう。
貴方のお宅もお見舞ひせず、失禮。遂々本所の兩親弟妹四人が完全に燒死したといふ悲しきお知らせをします。何が何だか解らない頭で燒跡をウロ/\してゐます。是から義弟の家へ(是は無事)整理にゆく處です。咲子の家(芝新堀)も全燒です。是にはまだ行きませんから生死は判りません。社友の中にも氣の毒な方が少くないでせう、高久君はどうしたらう。
 中島君が早々東京へ出立した事をば名古屋の他の社友から早速通知があつて知つてゐた。行つてそして斯んな事になつたのだ、と暗然とした。後で直ぐこの取消は來たのであつたが。
 十一日にミチヤさんが靜岡の實家からやつて來た。見るからに憔悴して、さながら生きた幽靈と云つた形である。不思議な氣持で食卓を中に相向ひながら、私は幾度も涙を飮んだ。瞳孔も緊つてゐず、ともすれば話の返事もちぐはぐになりがちであつた。
 然し、この人に逢つて愈々東京の大體は解つた。誰も無事、彼も無事、あの人も私同樣着たまゝで燒出されたさうですけれど、命だけは助かりました、といふ同君の話を聞きながら、又しても瞼は熱くなつて來るのである。
『さうすると、殆んど全部東京の知人は助かつたといふわけか、どうも本統でない樣な氣がするが。』
『まつたく何かの奇蹟を聞く樣ですね。』
 と妻も食卓にしがみつく樣にしてゐて言つた。
 サテ横濱が氣になる。長谷川も、齋藤も、梅川も、自宅は横濱で、會社は東京だ。
 其處へ『トシヲ』の電報が來た。十二日午後零時三十分、『テツセンダイ』局發だ。
『ギ ンサクキリコブ ジ イヘマルヤケ』
 越えて十三日にまた同文のものが『ゴテンバ』局發で來た。おもふに同君が大事をとつて一は東北方面へ、一は關西方面へ逃げてゆく人に托して同文のものを發したのであつたらう。
 それから續いて追々と各自に無事を知らせる通知が來たが、中に横濱の高梨武雄君からの封書で(前略)以上の人みな無事、唯だ一人金子花城君のみ今以て行衞不明です。
 と云つて來た。そして終(つひ)にこの人だけは永遠に我等の世界の人でなくつた事を、ずつと遲れて二十七日に知る事が出來た。

 豫定した行數を夙うに超過しながら書きたい事は一向に盡きない。いつそ、この十日前後の記事を以てこの變體な日記文を終らうと思ふ。この偉大な事變に對して動かされた我等の心情も實に多大なものがあつた。然し、それはまだ/\ものに書き綴るべき境地にまで澄んでゐない。我等はいまなほ實に不安な動掻の中に迷つて居るのだ。此處には唯だノート代りのこの記事を殘して恐しかつた『彼の時』の思ひ出にするのみである。(九月二十九日)




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