透明猫
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著者名:海野十三 

そして、ゴムのテープと、赤青のまだらの紐(ひも)が結ばれたままあった。その座ぶとんの上に、例のあやしい動物がねていることはたしかだった。
 だが、ふしぎなことに、二つの目玉は、どこにも見えなかった。
「あの目玉はどこへ行ったんだろう」
 青二は、そばへいって、手さぐりで動物をなでてみた。猫の頭にちがいないものが、たしかに手にさわった。
 しかし目玉は見えなかった。もしや目玉がなくなったのかと思って、青二は片手で動物の頭をおさえ、もう一方の手で目玉をさぐってみた。すると、
「ふうっ」と、動物はあらあらしい声をたてて、座ぶとんからはねあがった。
 そうでもあろう。いきなり目玉へ指をつっこまれたのでは、びっくりする。
 青二の手がひりひり痛(いた)んだ。見ると、血が出ている。今動物のために、ひっかかれたんだ。
 が、このとき青二は、おどろきのあまり、心臓がどきんと大きくうってとまった。それは、なんだか自分の手が、はっきり見えないのだった。ぼんやりとしか見えないのだった。
「どうしたんだろう」さっき青二の母親がいったことばが思い出された。「青二、どうしたの。お前の顔は、かげがうすいよ」と、いわれたのを。
 青二は柱にかかっている鏡(かがみ)の前へいって顔をうつしてみた。
「おゃっ」
 大きなおどろきにぶっつかった。鏡にうつった青二の顔は、うすぼんやりしていた。校服(こうふく)はちゃんとはっきりしているのに、くびから上が、ぼんやりしているのだった。
 やっぱり自分も、のぼせ目となったのかと思い、青二は、いくども目をこすって、鏡の中にうつる自分の顔を見なおした。
 だが、そのかいは、なかった。いくど見なおしても、彼の顔はぼんやりしていたし、両手をうつしてみても、やはりそれもはっきりうつらなかった。
「えらいことになった」と、青二はその場にうずくまってなげき悲しんだ。
 なぜそんなことになったのか、青二には、わからなかった。あの見えない猫と同じようなふしぎな現象(げんしょう)が、今自分のからだの上にあらわれて来たのだ。
「これからどうなるだろうか。自分もあの猫のように、からだがすっかり見えなくなってしまうのではあるまいか。ああ、そうなったら、もう生きてはいられない。自分は化け物あつかいされるだろうから……」
 青二は、ここで、重大な決心をしなければならなくなった。このままうちにいて、化(ば)け物あつかいされるか、それとも誰にも見つからない世界へにげていってしまうか。
 いろいろと考えなやんだ末……青二は、そっと家を出てゆくことにした。
 青二は、わずかの着がえをバスケットに入れ、また片手には、透明猫を入れたふろしき包みをもち、母親に気づかれないうちに、家を出てしまった。
 ただ母親がなげくとかわいそうだと思ったから、
「ぼくは急に旅行をします。心配しないで下さい。そのうちに、かならず帰って来ます。そして、うんとおもしろいおみやげ話をしましょう」
 と、いう遺書を、机の上において去った。

   妙(みょう)な福(ふく)の神(かみ)

 どこというあてもなく、青二は歩きつづけた。
 頭には、スキー帽をかぶり、風よけをふかくおろして顔をかくした。それからオートバイに乗る人がよくかけている風よけ眼鏡をかけた。そのガラスは黒かった。
 くびのところを、マフラーでぐるぐるまいた。くびのあたりを人に見られないためだった。また両手には、手袋をはめた。
 こうして歩いていれば、「あいつは寒がりだな」と思われるぐらいで、とがめられることはなさそうであった。
 歩きながら、どうして世の中にこんな奇怪(きかい)なことがあるのか、またどうしてそれが自分のからだをおそったのであろうかと、いろいろ考えつづけた。
 そのうちに、歩きくたびれて、青二は小公園のベンチに腰をおろした。
 おなかもすいたので、包(つつみ)をあけて、パンを取出してたべた。びんにつめていた水をのんだ。おなかのすいたのが少しなおり、のどのかわきがとまった。
 だが、青二はかなしくなった。
「この次の食事から、自分で買って、たべなくてはならない。お金はすこしあるが、一日二日たてば、それもなくなるだろう。それから先はどうしたらいいのだろう」
 青二はうちへもどろうかと考えた。
「いやいや、こんな化け物みたいなからだを持って帰ったら、お母さんがなげきかなしむばかりだ。どんなにうちがこいしくても、自分はうちへかえれないのだ」
 ぽたぽたとあつい涙が青二のほおをつたって、膝のうえへ落ちた。
「おい坊や。なにをそんなにふさいでいるんだい」とつぜん声を青二にかけた者がいた。
 青二はびっくりして顔をあげた。するとそこには一人の青年が立っていた。ダブルの背広を着、頭髪をながくのばして、きれいに分けた紳士風の青年だった。しかし服装の小ぎれいなわりに、顔はやけトタンのようにでこぼこし、四角な頬(ほほ)には、にきびがたくさんふき出ていた。
 が、青年は、にこやかに笑顔をつくって、青二を見下ろしていた。
「泣くなんて、男の子のすることじゃないよ。おれだって引揚げて来たときは泣きたくなったさ。だけど、泣いたってしょうがないと思ってあきらめて、あとはどんな苦しいことがあっても、にこにこして暮らしているさ。楽天主義(らくてんしゅぎ)にかぎるよ。そして困ったら、三日でも四日でもよく考えるんだ。考えて、道がひらけないことってないよ。坊やお前はうちがないんだろう」
 いいえ、と答えようとしたが、青二は今はうちを出たんだから自分はうちなしだ。だから青二はうなずいた。
 青年は「そうだろうと思った」といって「それから、食うに困っているんだろう」ときいた。
 青二は、やっぱりうなずくしかなかった。
「よおし、心配するな。おれについて来い。お前ひとりぐらいは、たらふく食わせてやる。さあ行こう」
 どうしてその青年が、青二にそう親切(しんせつ)なのか分らなかった。しかし今はその青年に力を借りるよりほか道がないことが、青二に分っていた。そこで青二は、この青年に、重大な秘密をあかすことにした。
 ただし青二は、自分のことは、さすがにいいだすことが出来なかった。猫のことだけを話したのである。
 すると青年六さんは、目をかがやかして喜んだ。
「え、そいつは、すばらしいじゃないか。たいへんな金もうけがころがりこんだものだ。いや……お前、これは大もうけになるぜ。おれに万事(ばんじ)をまかせなよ。そして利益は五分五分に分けよう」
 六さんはすっかり乗り気になった。
「ところでちょっと、その本尊(ほんぞん)さまというのを見せてくれよ」
 そこで青二は、猫のはいっているふろしきを、六さんにさわらせた。
「なるほど、たしかにこの中に、猫みたいなものがはいっているぞ」
「そこで、ふろしきの中をのぞいてごらん」
 青二は、ふろしきのはしをすこしあけて、六さんに中をのぞかせた。
「おや、いないね。あら、ふろしきの外からさわると、ちゃんとはいってるんだが……」
 ふしぎに思った六さんは、こんどは手袋をはめた手を、ふろしきの中にさしいれた。
「ありゃりゃ、おどろいたなあ。ちゃんと猫みたいなもののからだにさわる。ふーん、やっぱり透明猫だ。インチキじゃねえ。へえーっ、お前はまあ、大した金のなる木を持っているじゃねえか。よし、これなら小屋がけをして、一人十円の入場料で、いらっしゃい、さあいらっしゃい、さあいらっしゃいとやれば、一日に二千人ははいる。すると一ン二が二で二万円」
 青二はおどろいた。何といい計算の名人だろう。
「二万円はすこし少ないなあ。入場料を二十円にあげる。そのかわりお客をあおってしまう。ええっと『十万円の懸賞(けんしょう)』だとゆくんだ。『もしこの透明猫がインチキなることを発見されたるお客さんには、即金で、十万円を贈呈(ぞうてい)いたします』と書いてはりだすんだ。するてえと、慾の皮のつっぱった連中がわんさわんさとおしかけて、十万円とふしぎな見世物の両方につられてどんどんはいる。二十円の入場料だってやすいくらいだ。まず一日に二万人ははいるね。すると二二ンが四で、四十万円だ。ほう、これはこたえられねえ」

   大懸賞(だいけんしょう)の見世物(みせもの)

 その小屋がけは、六さんの顔がすこしはきく、ある盛(さか)り場にたてられた。
「現代世界のふしぎ、透明猫(とうめいねこ)あらわる」
「これを見ないで、世界のふしぎを語るなかれ」
「シー・エッチ・プルボンドンケン博士曰く、“透明猫は一万年間に一ぴきあらわれるものであるんである”と」
「インチキにあらず。ちゃんと生きています。インチキを発見された方には、即金で金十万円也を贈呈(ぞうてい)します。透明猫普及研究協会総裁村越六麿敬白」 六さんはえらい名前までこしらえて、でかでかと、とびらにはり出した。
 こいつは、はたして大あたりだった。二十円をはらって入場者がはいること、はいること。
「大入満員(おおいりまんいん)につきしばらく客どめ。そのあいだ、ここに出してある透明猫いけどりの大冒険(だいぼうけん)の図をごらんなさい。こっちにあるのは、透明猫のいつわりなき写真でござい。今見おとせば、末代までも話ができん。さあ、いらっしゃいいらっしゃい。いや今しばらく大入満員の客どめだ」
 六さんは、ものものしいかっこうで、さかんに小屋の前にあつまる群衆をあおりつける。
 場内では、青二が、これまた太夫(たゆう)の服を着、顔と手足とのどはかくし、きれいにかざりたてた小宮殿のような透明猫のはいった箱のそばに立って、つめかける客の一人一人に、箱の上の穴から手を入れさせ、透明猫をなでさせるのであった。
 猫はねむいところを、たくさんの人々になでられ、毛をひっぱられ、つかまれるので大むくれ。箱の中をあばれまわって、ふーっ、きゃあーっ、と、うなる。
 それがまた客の人気にかなった。まだ順番のこない客たちは、箱をのぞきこんで、猫の声はすれど、その姿がさっぱり見えないのに興味をつのらせる。
 これは魔術(まじゅつ)ではないかと、箱の中を隅(すみ)から隅までさぐるお客も多かった。そういう人は、透明猫のために手をひっかかれたり、ごていねいに指の先をかみつかれたりして、おどろいたり、感心したりで引きさがるのであった。
 初日の入場料のあがり高は、四十五万円もあって、六さんの胸算用をはるかにとびこした。
「まあ一万円とっときねえ、おれも一万円とる。これは今夜のうちに小づかいに使っちまっていいんだ。のこりの四十三万は、銀行に積立てておこう。毎日こんなにはいるんじゃあ、さつで持っていては、強盗にしてやられるからねえ。そして貯金が一千万円ぐらいになったら、ここへすごい常設館をたてて、大魔術とサーカスと透明猫と、三つをよびものにして、ここへ遊びに来る人の金をみんなさらってしまうんだ」
 六さんは、えらい鼻息であった。そしてその夜、青二をつれて、近所の奥まった家へつれこんで、すごいごちそうを注文し、酒をもってこさせて、大宴会をやった。
 六さんの体に酒が入ると、急にことばがからんで来た。
「やいやい、坊(ぼう)や。なんだってお前は、まだ帽子をとらねえんだ。おれを甘くみてやがるとしょうちしねえぞ。こら、帽子をとれ。手前はこの総裁六さん――じゃあねえ、何とか六麿のアソンを何と思ってやがるんだ」
 そばにいた女たちが、六さんをとめたけれど、六さんはとうとう青二におどりかかって、その帽子をひったくってしまった。
「ああっ――」「きゃあ――」えらいさわぎが起った。
 六さんは一ぺんに酒のよいがさめてしまうし、女たちは悲鳴の声をひきながらその座敷からにげだした。
 なぜ。青二の帽子の下には、なんにもなかった。首のない青二が、そこにめいわくそうに動いているだけだった。
 六さんは、腰をぬかしてしまって、口をぱくぱく開くがひとこともいえなかった。
 さて、その夜のさわぎもどうやら片づいて、六さんと青二は、そこを引きあげた。そのとき六さんは、口どめ料として、そのうちへ五万円を出した。
 二人はホテルへとまった。
 六さんはベッドの上で、青二に相談をかけた。どうだ青二も透明なものなら、透明猫の見世物よりも「透明人間あらわる」の方が、人がたくさん集まるから、青二が思い切って見世物になるようにすすめた。
「いやです。ぼくはいやです」
「ばかだねえ、お前さんは。こんなすばらしい儲け口は又とないよ。どうやすく見つもっても億円のけたのもうけ仕事だ。それをにがす法はない。さあ、透明人間でやってください」
 下からおがまんばかりに、六さんはくどいた。しかし青二は、しょうちしなかった。
 その夜はそのままとなり、次の日の朝が来た。青二はベッドから下りて背のびをしたが、ふと、となりのベッドを見ておどろいた。
 なんということだろう。たしかに六さんと思われる人物が、そのベッドの上にねむっていたのであるが、顔も手足ももうろうとしていた。そして大きな二つの眼の玉だけが光っていた。六さんも透明人間(とうめいにんげん)になりつつあるらしい。
 さわぎはその日に全市へひろがった。
 それはあっちでもこっちでも、人間がかげがうすくなる事件、だんだんからだが消えて見えなくなってゆく事件が発生して、大さわぎとなった。
 そういう人たちは、しらべてみると、みんな前の日に、「透明猫」の見世物(みせもの)を見て、そのあやしい猫にさわった者ばかりであったが、そういうことがはっきりするには、それから五日もかかった。
 その間に、全市の透明人間は、ますますかずがふえていった。透明になった者が誰かのからだにさわると、かならずその人のからだがやがてもうろうとなって透明化することが分った。つまり伝染性があるのだ。
 大きな恐怖がひろがっていった。だが、このさわぎは、事件発生後七日目に急に解決することとなった。
 というのは、はじめの「透明猫」をつくった羽根木博士という学者が、その筋へ名乗り出たからである。
 博士の研究は、肉体の透明化にあった。からだを、空気と同じ反射率、屈折率(くっせつりつ)をもたせることにあった。博士は、かびの一種が、そういうことに強い働きのあることを発見し、自分の研究室でそのかびを培養(ばいよう)しては、いろいろな虫やモルモットや猫に植えていたのである。
 例の猫も、前足と後足とをそれぞれしばり、かびを植えた直後だったが、その後足のひもがとけたので、研究室から外へにげだし、崖の下へおちた。そのとき青二が通りかかって猫を拾ったわけだ。
 しかし青二は猫にさわったので、青二もまた透明になった。見世物小屋でこの猫にさわった連中も、みな同じことだった。博士は、そのかびを殺す薬を用意していたので、それを注射することによって、透明人間たちはみんなもとの不透明にもどることが出来た。
 青二も今はうれしく自分の家へもどることができた。六さんも心を改め、もうけをほんとうに山わけにした。青二のお母さんも、青二がもどってきたので大よろこびであった。のこる問題は、羽根木博士の研究のことであるが、博士は今まで発見していなかったこの研究の結果を、どういう方面に活かして使おうかと、今、考え中だそうである。




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