特許多腕人間方式
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著者名:海野十三 

 応接室に待っていると、係りの神谷審査官が、横手の厚い扉を開いて、現われた。審査官は、余の顔を見るより早く、
「どうも君、困るね。この忙しい中を、あんなものを出願して、われわれをからかうなんて、困るじゃないか」
 と渋面を作った。
「いえ、からかうなんて、そんな不真面目な考えはありません。ぜひ、本気でもって、ご審査願いたいのです。早く審査をやっていただいてありがとうございました」
「なんだ、君は本気なのか。いや、それは呆れたものだ。で、今日の用件は、そのことで来たのかね、それとも他の事件で……」
「いえ、あの『多腕人間方式』のことについて、審査官に、もっと認識を深くしていただこうと思いまして、参りました。あれは、義手とは違います。ぜんぜん違うのです」
 と、余は、所信を滔々と披瀝した。
「いやだねえ、君は案外本気なんだね。とにかく、その旨、意見書を出したまえ。僕も、もう一度、考え直してみるから」
 余は、来た甲斐があったと悦び、審査官の後姿を拝みながら、そこを辞去した。
 ×月×日 雪やむ。
 意見書を提出せり。

      4

 ×月×日 晴、風強し。
 神谷審査官より、またまた拒絶理由通知書が来た。
 愕いて、これを読み下すと、拒絶スベキモノト認ムという主文は同じで、その理由としては、次のようなことが綴られていた。これは、この前の理由とは違った別個の理由であった。それによると、

『本願ノ要旨ハ、一個ノ人体ニ、三本又ハ三本以上ノ多数ノ腕ヲ添架スルニ在ルモノト認ム。然ルニ、本願ト同様ナル着想ハ、本願出願以前ニ、帝国領土内ニ於テ存在シ、且遍(アマネ)ク知ラレタルトコロニシテ、例エバ奈良唐招提寺金堂ニ保管セラレアル千手観音立像ハ、四十臂ヲ有ス。仍リテ本願ハ其ノ出願以前ニ於テ、公知ニ属スルヲ以テ、特許法第一条ニ該当セザルモノト認ム』

 審査官は、千手観音を持ち出して、この出願を一蹴したのであった。
 (千手観音を担ぎだすなんて、こいつは、いよいよ以て非常識だ。発明内容という奴が、あの審査官には、てんで分ってはいないのだ)
 余は、天井を仰いで、慨歎これ久しゅうした。その揚句、余は、原稿紙をのべ、ペンをとりあげると、ただちにすらすらと、審査官へ申し送るべく次のような意見書を書いた。

  意見書

審査官ハ、本願拒絶ノ理由トシテ、奈良唐招提寺金堂ニ安置シ奉ル千手観音立像ガ四十臂ヲ有シ給フ事実ヲ指摘セラレタリ。然レドモ本願ノ要旨ハ、右ノ千手観音ノ構造トハ全ク別個ノ発明思想ノ上ニ樹ツモノナリ、何トナレバ、援用立像ニ於テハ、多数ノ腕ハ、悉(コトゴト)ク右又ハ左ノ腕関節ニ支持セラレ、之ヲ支持点トシテ運動スル如ク構成セラレタルニ対シ、本願発明ニ於テハ、問題ノ多腕ヲ腕関節ニ添架セザルコトヲ特徴トスルモノニシテ、本願特許請求範囲主文ニモ明記セル如ク「……機械腕ヲ、腕関節ノ運動ト無関係ナル如キ身体ノ部位ニ取付ケ」ルモノナリ。仍リテ両者ハ根本的ニ構造ヲ異ニスルモノト謂フベク、従テ本願ハ、援用立像ヲ以テ拒絶セラルル理由ヲ発見シ得ザルモノナリ。
右意見侯也

 つまり余の言いたいことは、千手観音の腕は、いずれもその付け根が腕のところの関節へ集まっている。ところが、こっちの出願のものは、腕関節のないところへ取り付けるのだから、これは根本的に構造が違うのである――と意見を述べたのであった。
 早速この意見書は、タイプへ回した。夕方には、それが出来てきたので、ただちに郵便局へ出掛け、特許局宛書留で出した。
 これで黒白が決定しないとすると、この出願事件は、大体脈がなくなったも同様だ。
 ×月×日 また雪
 万歳。
 ついに意見は徹った。
 特許局から、公告決定の通知が、舞いこんで来た。

  公告決定通知
本願ハ拒絶ノ理由ヲ発見セザルヲ以テ、公告スベキモノト決定セリ

 輝かしい日だ、雪は降りしきっているが……。『多腕人間方式』が、いよいよ一つの財産権となったのだ。
 特許登録されるまでには、これから六十日間の公告期間を経過しなければならないが、財産権としては、この出願公告の日から、立派に効力を発生するのであった。
 公告期間六十日間に、もし他より特許異議申立てがあれば、これと争わなければならないから、特許登録の日は、先へ伸びる。なるべく、異議申立てのない方がよろしいが、たとえ申立てがあったとしても、こっちは作戦おさおさ怠りなのであるから、ただちに起って、異議申立方を撃滅するであろう。
 公告決定の悦びを、発明者田方堂十郎氏に一刻も早く伝えたかったので、余は事務所の表に錠をかけ、この通知書を懐にして、田方氏を、蒲田×丁目なる氏の止宿しているアパートに訪ねていった。
 ところが、氏には、会えなかった。
 氏は、一カ月ほど前から、ぶらりと出ていったまま、いまだに帰ってこないそうである。アパートの監理人のかみさんは、弱っていた。
「いったいどうして、帰って来ないのですかな」
 と余が尋ねると、かみさんは、
「あの人には、厄介な病気があるんですわ」
「病気? それは、どんな病気?」
「発明気違いなのですの。この間も、なにやら世界的の発明をして、何とかいう弁理士に頼んで、特許出願してもらったといっていました。田方さんは、そのときその弁理士へ百円置いて来たそうですのよ。うちのアパート代を七カ月分も滞らせているのにね。あきれかえってものがいえませんのよ」
「はあ、そうですかな。じゃ、また伺います」
 余は、形勢悪しと見て、ただちに退却をした。せっかく田方氏を悦ばせてやろうと訪ねていったのに、行方不明では、がっかりしてしまう。それに、余は、この公告決定とともに、田方氏から、成功報酬として金一百円也を請求する権利があるので、実はそのへんのことも大たのしみにしていったんだが、これではどうも仕様がない、あーあ。

      5

 ×月×日 曇り、また雪ちらちら。
 本日も出勤。長蛇逸したる如き金一百円の成功報酬を、今日も机の前に坐って、残念がること、例の如し。
 しかるところ、午前十一時ごろ、余は、未知なる二人の紳士の来訪を受けたり。金巻七平氏及び後頭光一氏なり。
 余は、心を静めて、両氏を引見した。両氏の用件は、意外にも、先日公告の『多腕人間方式』の権利を買いたしということだった。両氏は、それについて食事でもしながら、懇談したきが故に、ぜひお伴をという。依って余は、両氏の請うがままに身を委せ、築地の某料亭へ連れていかれたり。
「実は、発明者の田方堂十郎氏を、ご住居にお訪ねしたのですが、ご不在でして、結局、代理人たる先生にお願いするのが、最善の得策と考えまして、お願いに上りましたような始末で……」
 と、金巻氏がいえば、後頭氏もこれにかぶせて、
「先生のお力を持ちまして、一時間でも早く、あの権利を譲渡していただきたいのです。先生へは充分御礼をいたします。成功報酬は、千円でも二千円でも出します」
 余は、内心愕いた。とんでもない商売が、世の中には転がっているものだ。弁理士商売は、これは悪くないぞ、もしこれが夢でなければ……。
「ちょっとお待ち下さい」
 と、金巻氏が、後頭氏を抑え、
「その前に、あの特許で作った実物の腕を見せて頂こうじゃありませんか。それを拝見した上でのことに……」
「いや、そんなことを、言っている場合じゃありませんよ。ぐずぐずしていると、他所へ取られてしまう。もし外国人などに買われてしまったら、どうしますか。国防上、由々しき問題だ。すぐ決めましょう」
「しかし。三本目の腕をつける場所が、ちょっと心配になるのでしてナ、背嚢を背負うのに邪魔になったり、駈け足に邪魔になったりするのでは困るですからなあ」
 両氏の話を聞いていると、あの『多腕人間方式』を兵器に利用する計画のようであった。そこで余は、両氏に説明を求めた。
「……ご他言は絶対なさらないように願いますが、実は、あれを作ったうえで新兵器に採用願う計画なのです。要するに、三本目の腕を、兵隊さんに取付けるのです。兵隊さんの腕が、三本にふえると、とても強くなりますよ。たとえば、射撃をする場合を例にとりますとね、一本の手は銃身を先の方で握り、他の一本の手は、遊底をうごかし、そしてもう一本の特許の腕は引金を引く。そうなると、小銃の射撃速度は、たいへん速くなります。また、白兵戦の場合でもそうです。敵と渡りあうとき、敵の二本腕に対して、こっちの二本の腕で五分五分の対抗ができます。そうして、敵の二本腕の活用を阻止しておき、こっちは特許の三本目の腕を、そろそろ繰り出して軍刀を引っこぬき、ぶすりと敵の背中を刺して倒します。そうなれば、三本腕の兵の方が、絶対優勢です。そうじゃありませんか」
「ああ、なるほどなるほど」
 それを聞くと、今度は余の方が、昂奮してきた。そうだ、始めから、そんな気がしていたが、 この『多腕人間方式』は、実にすばらしい発明なんだ。しかしさすがの余も、これを国防方面へ応用することには気がつかなかった。
「今の話は、どうかこの場かぎりに願いたいのです。しかし私どもは、あの特許の実物が、いま申しましたような働きをするに充分だと認めれば、特許の買い取り価格をそうですねえ、まず二百万円までは出します」
「二百万円、あの『多腕人間方式』の特許権が二百万円になるのですか」
 余は、もう愕きを、隠していることができなかった。
「よろしい。なんとしても発明者を探し出して、連れてまいりましょう。もちろん、実物も、彼氏のところにあるはずですから、持参してご覧にいれられるように計らいましょう」
 余は、すべてを請合ったのだった。

      6

 ×月×日 晴、風強し。
 ついに、発明者田方氏の所在が分った。
 例のアパートのおかみさんが、極力あの区一帯を捜索してくれた結果、ついに分ったのであった。氏はしゃあしゃあとして、付近にある他のアパートに住んでいたのであった。
 余が入っていくと、発明者田方氏は、ベッドのうえに寝て、本を読んでいた。
「やあ、これは……逃げかくれはしない」
 彼は、愕いたようすもなく、ベッドに寝たままであった。
「ご病気ですか」
 その田方氏は、頭に、妙な頭巾をかぶっていた。婦人がパーマネントのセットのときにかぶるような器械兜に似ていたが、形は、むしろピエロのかぶるように、円錐状をなしていた。そしてどこか、起重機にも似ているし、また感じが、歯科医の使うグラインダー装置に似ているところもあった。
「いや、拙者は病気ではない。寒いときには、こうして寝ながら勉強しているに限ります。なにしろ、石炭も炭もありませんからなあ。しかしあんたがたの来訪を受けたから、マレー語独修第四十一課の途中じゃが、ここでいったんお休みとするか」
 そういって、田方氏は首をちょいと曲げた。すると、とつぜん、頭巾が、がしゃがしゃと動きだし、すっーと長く伸びたかと思うと、その先端が、くるっと曲って本の方へのび、そして本のページを折ると、ばたりと本を閉じた。すると田方氏は、頤をひいた。すると今度は、その機械の腕は、本を持ったまま、すーっと横のテーブルのうえへ持っていって、静かに置いた。
(あれぇ、これが、氏の発明の三本目の腕なんだな)
 余は、息がとまったように思った。
 田方氏は、首を反対の方へ曲げた。すると長く伸びていた機械腕は、ばさっと音をたてて、氏の頭のうえに畳まれてしまい、元のような頭巾になってしまった。
「ほう、素晴らしいご発明ですね」
 と、余は心から讃辞を呈した。
「しかし、三本目の腕を、頭に取り付けるんだとは、考えつきませんでした」
「寒いときは、三木目の腕を使うに限るですぞ。なにしろ機械腕のことだから、出し放しにしておいても、寒くなしさ。首の運動次第で、こいつがどうでも自由に動くのです。なかなか具合がよろしい。あまり具合がいいものだから、だんだんものぐさくなって、どちらへも失礼していたというわけだが、借金ばかり殖えてね」
 借金? という言葉に、余は、大切なことを氏に報告するのを忘れていたことに気がついた。
 出願公告決定のこと。それから、この特許権が二百万円に売れそうなこと。いや、もう大丈夫売れる。あの金巻、後頭両氏に、田方氏がいま頭にかぶっている機械腕を見せたら、そのときは、もう否も応もなしに、「買ったッ!」と叫ぶことであろう。
「田方さん。あなたの発明が、公告になりましたよ」
 と、私は詳細を早口で喋った。
「そして、あなたの発明を、ぜひ売ってくれという人が来ているのです。二百万円で買おうといっていますが……」
「ええッ、二百万円? 本当ですか、売れるにちがいないとは思っていたが、二百万円とは……」
 二百万円に売れたと聞いた瞬間に、発明者田方氏は、それまでの悠々たる落着きぶりを一時に失ってしまった。氏は大昂奮の態で、ベッドの上に跳ね起きると、大歓喜のあまり、首を右左へ強く振った。
 がちゃり!
 妙な音がしたと思ったら、とたんに、例の機械腕が、ぬっと前へ伸び、それから今度は内側へ折れ曲り、そして田方氏の首を、ぎゅっと締めつけてしまった。
「あっ、失敗(しま)った。おい、手を貸してくれ」
 田方氏の首から、三本目の腕をはなすのに、余と、アパートのかみさんとは、大骨を折らなければならなかった。
「やあ、くるしかった。二百万円と聞いたものじゃから、うれしさのあまり、つい間違って、首を振ったのです。あははは、あははは、機械というやつは、正直すぎて困るですな」
 余は、あらためて、氏の素晴らしい発明に対して、讃辞を呈した。そして、
「頭に、第三の腕をとりつけるとは、まったく画期的なご発明ですなあ」
 といえば、氏は、「なあに、その点は大したことはありませんよ。ほら、この動物をごらんなさい」
 氏はいつだが持っていた動物図鑑を余の前に開いてみせた。氏の機械腕が指さした図を見るとそれは小さいときから余らになじみ深き象であった。
 大発明のタネは、きわめて身辺に転がっているのだ。ただ、その人が、気がつかないだけのことである。




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