『地球盗難』の作者の言葉
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著者名:海野十三 

 巻頭に置いた『崩(くず)れる鬼影(おにかげ)』は昭和八年、博文館から創刊された少年科学雑誌「科学の日本」に書き下ろしたものである。極く単純な宇宙の神秘を小説にしたもので、他愛がないという外ない。
『盗まれた脳髄』は「雄弁(ゆうべん)」に載(の)ったもの。このテーマはずいぶん古くから持っていたものであるが、それを小説にしようと、あまり永い間あれやこれやと筋をひねったものであるから、書くときになって、もっといい扱い方があると思いながらも遂に一歩も新しい扱い方ができなかった作品である。僕は今にこの小説のようなことが確かに出来るだろうと思っている。
『或る宇宙塵の秘密』は「ラヂオの日本」に書いた短いもの。将来の科学小説として、この種のものがまず読書界に打って出るのではあるまいかと思う。この辺のものであれば、小説作法を知らない科学者にも、そう苦しまないで書けることと思う。
『キド効果』は「新青年」に書いた。これは作者として相当自信を持って書いたものである。それも将来の科学小説の一つの型になるものだと思っている。これが載ったのは或る年の新年号だった。そのとき紙上に八篇ほどの小説が載り、そしてどの作品が一番よかったかというので、読者採点を募集した。その結果、この『キド効果』は断然一等になるかと思いの外、断然ビリに落ちた。これには尠(すくな)からず悲観したが、僕は今も尚(なお)この作について自信を持っている。
『らんぷや御難(ごなん)』は「拓(ひら)けゆく電気」に書いたもの。これは卑近(ひきん)な生活の中に、科学を織りこんだもので、これまた一つの型だと思っている。
『百年後の世界』はAKから「子供の時間」に全国中継で放送したものの原稿である。空想に終始したものであって、荒唐無稽(こうとうむけい)であることはいうまでもないが、科学に趣味を持つ者にとって、このような表題について想を練(ね)ることは殊(こと)の外(ほか)愉快なものである。これは「子供の時間」である。が早く「演芸放送」の時間に堂々と科学小説が打って出る日が来てもいいと思う。このときに、音響効果を適当にやれば、普通のドラマでは到底(とうてい)出せないような新しい感覚的な娯楽放送を聴取者のラウドスピーカーに送ることが出来ように思っている。
『流線間諜(スパイ)』は「つはもの」に連載されたスパイ小説である。この小説のテーマは、結局科学小説なのであるが、それをたいへん自慢にしていたところ、後から人の話では、これと同じことを実際ソ連の或る学者が計画しているというニュースが出ていたという話であって、僕は愕き且(か)つ感心したことであった。
『放送された遺言(ゆいごん)』は、僕の書いた科学小説の第二作であって、昭和二年「無線電話」という雑誌に自ら主唱(しゅしょう)し、友人槙尾赤霧(まきおせきむ)と早苗千秋(さなえちあき)とに協力を求めて、三人して「科学大衆文芸」というものを興(おこ)したが、そのときに書いたものである。そのときは『遺言状放送』という題名であった。僕は翌昭和三年に、処女作の探偵小説『電気風呂の怪死事件』を書いたが、その作以前に、実は科学小説三篇を書き下ろしていたのである。本篇はその一つである。
 右に続いて第三作『三角形の秘密』を書いた。これも勿論、同誌の科学大衆文芸欄に出たものである。三作中、これが一番マシであるように思う。この頃僕は、当時売出した江戸川乱歩氏の探偵小説を非常に愛読していた。作風のいくぶん似かよえるは、全く此の小説の影響である。
 さて右の科学大衆文芸はどういう反響があったかというと、「そんな下らない小説にページを削(さ)くのだったら、もう雑誌の購読は止めちまうぞ」とか、「あんな小説欄は廃止して、その代りに受信機の作り方の記事を増(ま)して呉れ」などという投書ばかりであって、僕はまだ大いに頑張(がんば)り、科学文芸をものにしたかったのであるが、他の二人の同人(どうにん)たちがいずれも云いあわせたように後の小説を書いてくれずになって、已(や)むなく涙を嚥(の)んで三ヶ月で科学大衆文芸運動の旗を捲(ま)くことにした。実に残念であった。前にもいったとおり昭和二年のことだった。
『壊(こわ)れたバリコン』は昭和三年五月「無線と実験」に載ったものであるが、これこそは実に僕の科学小説の処女作である。実をいえば、これを書いたのは昭和二年のはじめであって、書いた動機は、その頃「科学画報」に科学小説の懸賞募集があったので、それに応じたというわけであった。そのときは『或る怪電波の秘密』といったような題であったが、これが見事に一等二等を踏みはずし、選外佳作となった。しかし何分にも選外にでも入るとは想像していなかったので、その発表の出たときは誌上にわが名を発見して非常に嬉しかったものである。小説を作る度胸(どきょう)は、このときに出来たといっても過言(かごん)ではない。なおそのうえ僕を楽しませたものは、そこに書かれてあった数行の作品批評であった。詳(くわ)しいことはもう忘れちまったが、何でも「思いつきは鳥渡(ちょっと)面白いが、いろいろ幼稚で成っていない。もっと勉強しろ」というようなことが書いてあったように思う。これを読んで、よし大いに勉強してこの次は入選するぞと興奮したことであった。後年「無線と実験」で乞(こ)われるままに、これを誌上に送ったが、いくぶん手を入れ、また落選作と分っては極(きま)りがわるいので題名を『壊れたバリコン』と変えた次第であるが、今から考えるとまことに相済(あいす)まぬことをしたと思う。
 さて最後に据えてある『地球盗難』は、昭和十一年「ラヂオ科学」誌上に連載された科学小説であって、僕の書いたものでは最長篇であり、且つは最近の作である。それは宇宙の神秘を取扱ったり、妙な生物が他の遊星から飛来(ひらい)することなどは『崩れる鬼影』にちょっと似ているが、作者の覘(ねら)ったところはその題名に示す『地球盗難』なる不可思議なる四文字に籠っているのであって、自分としても相当苦労をした作品であるが、尚、これを書き上げるについて、柴田寛(ゆたか)氏の激励(げきれい)と、友人千田実(せんだみのる)画伯(がはく)こと西山千(せん)君の卓越(たくえつ)した科学小説挿絵(さしえ)と、原稿催促(さいそく)に千万の苦労を懸けた林誠君の辛抱強さとがなかりせば、到底完成しなかったであろう。本書上梓に当って篤(あつ)くお礼を申上げたい。

 さて、これから僕は、いよいよ腰を据えて科学小説を書くつもりである。ではどんなものを書くか。その答はここには書かないで、小説の形にした上で諸君に答えようと思う。
 科学小説を大いに隆盛(りゅうせい)にしたい。僕一人の力だけでは到底どうなるわけのものではない。有力にして天分有る隠れたる作家が多数現われ、そこに科学小説壇というものを作り、お互いに研究し合い、刺戟し合いしてこそ、始めて意義あり且つ甚大(じんだい)なる発展が期待されるのである。僕はこの拙著(せっちょ)を公(おおやけ)にするに際して、この事を敢えて本格的科学者の一団に向い、声を大きくして叫びたく思う者である。
   世田谷竹陵亭に於て




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