浮かぶ飛行島
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著者名:海野十三 

「おお、あれだ。早く」
 少佐の命令で、ボートはすーっとその方へよっていった。そして手練の水兵が棒と綱とでもって、巧みに半裸体の人間を艇内へ拾いあげた。
「あ、日本人らしい。ひどく右腕をやられている」
「おお川上だ。川上だ。川上、長谷部が救いに来たぞ」
 長谷部少佐は、救われた人の骨ばった顔を見るや、われを忘れて駈けよった。軍医が、前に出てきて、心臓に耳をあてた。
「どうだ、助けてやれないか」
「ああ指揮官、心臓は微かながらまだ動いています。すぐ注射をしましょう。多分、大丈夫でしょう」
「そうか。では早いとこ、頼む」
 長谷部少佐は、友のくぼんだ眼窩のあたりをうるわしげに見つめていた。注射は一本二本三本とつづけられた。
 そのとき少佐は、川上機関大尉のくぼんだ眼窩の中に、丸い眼球がかすかにうごくのを見つけて、おどりあがった。
「あっ、生きかえった。おい川上、しっかりしろ。俺だ、俺が分からんか。俺は長谷部だ」
 と、川上の手の甲をたたきつつ、声をかぎりに呼べば、
「おお、――」
 川上機関大尉は、微かに声を発した。そして光のない眼であたりを見まわしていたが、そのうちに、少佐の手をぐっと握りかえした。彼の頬には、だんだん血の色が浮かびあがった。
「おお、気がついたか。川上、貴様はたいへんな手柄をたてたな。羨ましいぞ」
「なあに、――」川上は口をもごもごした。
「なあに、どうしたというのか」
「いや、飛行島を爆破したのは、俺じゃない。あの、脱走兵杉田二等水兵の手柄だよ。身をもって爆弾庫にとびこんだあの水兵を、皆して褒めてやってくれ。俺は――俺は……」
 川上機関大尉の眼から、熱い涙が、せきを切ったようにあふれてきた。そして潮やけした頬をつたって、幾条かの涙の道をつけた。
 ああ、なんという謙遜な言葉であろう。ああ、なんという部下思いの言葉であろう。
 彼は、自分のたてた大功を誇らず、まず何よりも忠勇な部下であり、そしてまた一度は脱走兵の汚名を着た杉田のために、その功を称(たた)えたのであった。
「いや、よく分かっとる」と、長谷部少佐は戦友の手をやさしく撫でつつ、
「杉田も、えらい奴だ。貴様が優しくて強いから、そんないい部下ができたのだ。結局やっぱり貴様がえらいということになるのだ。さあ、飛行島は、ついに爆破された。これで英国の間違った永い間の悪夢も、きっと覚め、東洋における大日本帝国の正しい地位を考えなおすことになろう」
 その飛行島は、いま戦友に抱えられた川上機関大尉の肩越しに、ぐるっと一転して、前世紀の巨獣の頤のような組立鉄骨やおびただしい浮標をぬっとつきだし、最後の醜体をさらしたかと思うと、こんどは急に海底に吸いこまれるように、ずぶずぶと沈んでしまった。そしてそのあとには、凄じい水泡(みなわ)と大きな渦が、いつまでもぐるぐるまいていた。
 それにしても飛行島の主、リット提督はどうなったであろうか。彼の行方を知っているものは、ただの一人もない、しいて知りたければ、かのブルー・チャイナ号のつきない怨をのせて、いつまでもぐるぐる廻っている、あの飛行島の沈んだあとの大きな渦巻に聞いてみるがいい。




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