浮かぶ飛行島
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著者名:海野十三 

「カワカミを逃がすな。撃て!」
 逆上したか、スミス中尉が叫んだ。
 銃声がつづいた。暗中に、銃口から吐きだされる錆色の焔。
 うわーっと、奥の方でうめいた者がある。そして床の上に転がったらしい物音。
 川上機関大尉がやられたのか?
 いや、彼は飛鳥のように身をかわして、出入口にすりよると、警備隊と入れかわって、さっと外にとびだした。
 甲板は冷たい雨と風とにたたかれていた。しかし夜明が近くなったとみえ、空がぼんやり白んでいた。
 甲板を昇降口の方へ一散に走りながら、川上機関大尉は組立鉄骨の間に残してきた杉田二等水兵のことを心配した。もう夜が明けるとすると、早く彼をどこか別のところへ隠さなければならない。あのままでは、きっと見つかってしまうであろうと思った。
 太い鋼索をたよりに、昇降階段をすべるように駈けおりていたとき、とつぜん彼の鼻先にどーんと大きな音がして、空中に赤と青との星がばらばらと散った。花火だ。
「あっ、花火信号だ。非常警報だぞ。全戦隊に呼びかけたものらしいが、はて何ごとが起ったのかしら」
 と、いぶかる折しも、下の飛行甲板から叩きつけるような爆音が起り、一台の飛行機がぶーんと滑走路を走りだした。そして飛行島を飛びだした。
「おお、飛行機の出動だ。いまごろ何事が起ったというのか」
 川上機関大尉は、つぎつぎに起る不審な出来事に、小首をかしげたが、そのとき後にあたって、わーっという喊声(かんせい)が聞え、それと同時に、ぴゅーんと一発の弾丸が頭の上をかすめてすぎた。
「見つかったらしい。よし、こんなところで撃たれてはならぬ。もう一息だ」
 川上機関大尉は、残りの階段を一気にかけおりた。また一台の飛行機が、爆音高く飛行甲板の上を走り去るのが聞えた。
 このとき川上機関大尉の頭の中にすばらしい考えが、電光のように閃いた。


   天の与(あたえ)


「そうだ。千載一遇の機会が向こうからやってきたのだ。これも神様の助であろう」
 川上機関大尉は、ちょっと眼を閉じて、黙祷した。そして次の瞬間には、大尉ははや日本刀を片手にさげ、飛行甲板を匐(は)うように駈けだした。
 彼の眼は、飛行機の出発点にそそがれている。そこには、微かな灯火が光っていた。下からエレベーターが飛行機をのせて上ってくる。四五台の飛行機が翼をすれすれに、ごたごたしているのが見える。大勢の整備員が、その間を入りみだれて走っている。エンジンをかけている者もあれば、別なところに設けられた爆弾庫の口から爆弾をかついで、廊下づたいに甲板へ出て、飛行機に積んでいる者もある。爆弾庫の口は、鋼鉄宮殿の一角に隠れて設けられてあり、爆弾ははるか下の艦底にある爆弾庫から、エレベーターにのって入れかわり立ちかわりするすると上ってくるのであった。
 川上機関大尉が眼をつけたのは、いま飛行機に積もうとしている爆弾であった。
 爆弾は、爆弾庫口(ぐち)から水兵の手によって甲板に運ばれ、ひとまず飛行機エレベーター脇の甲板の隅に積みかさねられた。すると飛行機づきの整備兵が、その爆弾の山から一個ずつとって、飛行機の胴につりさげるのであった。川上機関大尉は、なにくわぬ顔をして、爆弾の山に近づいた。
「さあ、今だ」
 彼は、大胆にも、無造作に一個の二キロ投下破甲爆弾をむずと小脇に抱えとるや、なに食わぬ顔をして、すたすたと歩きだした。
 誰も、これを怪しむ者がなかったのは、天佑というべきであった。誰も忙しく立ち働いていたので、気がつかなかったのだ。
 彼は悠々せまらぬ態度で、鋼鉄宮殿の中にはいった。中から一人の水兵が出合いがしらに、川上機関大尉にぶつかった。はっと思う瞬間だったが、水兵はおどろいてとびのくなり、挙手の敬礼をして走りさった。
 だが、油断は大敵であった。
 細心の注意をもって、川上機関大尉は、うす暗い廊下を奥へ進んでゆく。彼の目的は、一たいどこにあるのであろうか。
 いうまでもなく、爆弾庫を狙っているのである。小脇に抱えている投下爆弾を、爆弾庫になげこんで、一挙にして飛行島を破壊し海底に沈めてしまおうというのであった。
 なんという破天荒の計画であろう。またなんという大胆な行動であろう。
 爆弾庫の口が、やっと見えた。
 川上機関大尉は、さあもう一息だとばかり、爆弾を小脇にしっかり抱えて、つつーっと小足早に駈けだした。
「待て!」
 いきなり後から、川上機関大尉の肩をつかんだ者がある。
 ふりはなして、走ろうとすると、また肩をつかまれた。
「待て! 怪しい奴だ」
 大力でもって、川上はずるずるとひきよせられた。
 誰? ふりかえると、フランク大尉であった。
「あ、貴様、まだ生きていたのか。そんな恰好をしていても俺はだまされないぞ」
「えい、放せ」
「放してたまるか。そこに抱いているのは爆弾ではないか。おい、それをどうする気か」
「なにを!」
 フランク大尉は、鉄拳を固めて川上機関大尉の頤を狙ってつきだした。二人の組打となった。爆弾はどんと下に落ちて、ごろごろと壁の方へころがった。
 川上機関大尉も懸命だが、フランク大尉の強いことといったら、話にならぬ。
 組打が長びいて、フランク大尉の加勢が五人十人とふえて来ては面倒だ。機関大尉は気が気ではなかった。
(残念だ! もう一歩というところで――)川上の腸(はらわた)はちぎれるようであった。
 そのとき何者か、川上機関大尉の落した爆弾に駈けよって、ひょいと肩にかついだ者があった。


   輝く二勇士


「おお、その爆弾に手をふれる奴は、うち殺すぞ」
 川上機関大尉は、必死で呶鳴った。
「上官、もうすっかれ敵に囲まれました。爆弾は上官に代り、私が持って投げこみます」
「おお杉田か。貴様はどうしてここへ」
「どうして私ばかりがじっとしていられましょう。私は縛られた紐をといて下甲板に上り爆弾庫を狙って来たのです。が、今ここで会うのは、天の引合せです。――や、機関銃隊が出てきました。もう猶余はなりません。では上官、お別れです」
「おう杉田。では頼むぞ。爆弾の安全弁を外すことを忘れるな」
 敵と引組んだまま甲板に転んでいる川上機関大尉は、フランク大尉の鉄拳の雨に叩かれながら、喉もはりさけるように叫んだ。
 杉田の返事は、もうなかった。
 甲板の薄明の中に、重傷まだ癒えぬ杉田二等水兵が、爆弾をしっかり小脇に抱いて、とととっと走ってゆくその後姿が見えた。川上にとって、それが杉田二等水兵の見納となった。
「――天皇陛下、ばんざーい」
 血を吐くような絶叫がかすかに聞えた。それは正しく杉田二等水兵の声であった。そのとき彼の姿は、爆弾庫の口から消えていたのだ。彼は爆弾の安全弁を外すと、そこへ飛びだした敵の水兵を片手で殴り倒すが早いか、爆弾を抱えたまま、爆弾庫の中に身をおどらせてとびこんだ。川上機関大尉に代り、身をもってこの大任務を遂行したのであった。
 杉田の姿が見えなくなると、川上機関大尉は、全身の力をふるって逆にフランク大尉をしめあげた。
「ううっ」
「えい!」
 一秒、二秒、三秒……。その時ぴかり! 眼もくらむような一大閃光!
 途端に二人の転がっている甲板が、鰐の背中のように震えだしたと思った刹那、が、が、がーんと百雷が一時に落ちたような大爆音!
 空気は裂けて、猛獣のように荒れ狂った。鼻をつく硝煙、真赤な火焔、ひっきりなしの爆音、それに呼応して天空高くとび上る大水柱! あたりは闇黒と化し、天地も瞬間にひっくりかえったかと思われた。なんという凄絶な光景であったろう。
     ×   ×   ×
「長谷部少佐、今のを見たか」
「は、見ました。司令官。飛行島が爆破したのではありますまいか」
「うむ、そうかもしれない」
 駆逐艦清風の艦橋で、双眼鏡を手にとって語る二人の将校があった。
 駆逐艦清風は、いま浮かぶ飛行島へ、海上あと十キロのところまで近づいていた。その後に従うのは、いずれも帝国海軍が快速と攻撃力とを誇る最新一等駆逐艦十六隻だ。いや、それだけではない。そのすぐ後方には、水雷戦隊が暁闇の波浪をのりきって驀進しつつある。そのうちに、灰色の雲間を破って、わが海の荒鷲隊が勇姿を現すことであろう。主力艦隊も、堂々とこちらへ前進しつつあるのにちがいない。
 艦艇のマストには、戦闘旗がひらひらとひるがえった。
 飛行島大戦隊は、夜明とともに、わが艦隊に頭をおさえられた形だった。まだまだ海戦は起らないものと思っていたのに、不意に日本艦隊が現れたのだった。飛行島大戦隊は狼狽の色をかくしきれなかった。
 いや、もし、こういう際に、リット提督の乗る飛行島がちゃんとしていてくれれば、たとい駆逐艦隊現れようとも海の荒鷲が襲いかかろうとも、また主力艦隊が押しよせて来ようと、飛行島の持つ二十インチの巨砲が物をいうであろうし、島内にかくされた無数の新鋭駆逐機や雷撃機が凄じい威力を表したであろうに、今はすべてが、後の祭となってしまった。
 飛行島は、ついに戦(いくさ)の前に爆破してしまったのである。そしてその残骸は、がくりと傾き、艦列からはるか後方におくれて、いたずらに波浪の洗うにまかせているのであった。
 殷々(いんいん)たる砲声が、前方の海面に轟きはじめた。
 いよいよ彼我(ひが)の砲撃戦がはじまった。こうなっては、飛行島大戦隊も逃げるわけにゆかない。
 こわれかかった飛行島を後にのこして、全艦隊は死にものぐるいに、日本艦隊の左翼方面へつっかかっていった。ここに壮烈なる世紀の大海戦の幕が切って落されたのだった。
 雨は重く、風はいよいよ烈しく、空はますます低くたれた。砲煙爆煙は、まるで濃霧のように海面を蔽った。砲声はいよいよ盛んに、空中部隊はエンジンも焼けよと強襲に出で、そしてあちらこちらに、炎々と艦上の火災が眺められた。
 次第に北方に移動しゆく大海戦の煙の中をくぐって、突如勇姿を現した一隻のわが駆逐艦があった。
 それは長谷部少佐が、昇進とともに艦長となった駆逐艦清風であった。艦橋に立つ少佐の前には、古谷司令官の鶴のような長身が見える。
「おお、司令官。あれに飛行島が見えます。あ、なんという惨状!」
 さすがの長谷部少佐も、あまりの無慚な飛行島の有様に眼を蔽いたいほどだった。
「うむ、こいつにほんとうに向かって来られては、わが艦隊も相当苦戦に陥ったであろう。おお長谷部少佐、あれを見よ。飛行島はしずかに沈没してゆくぞ。今のうちに、例の川上等を捜索してはどうだ」
「は。では直ちに出かけることにしましょう」
 駆逐艦清風は、速力をゆるめて、静止へ――。モーター・ボートが、舷側からおろされた。長谷部少佐を指揮官として、決死の戦闘員十五名がのりこんだ。ボートは巧みに本艦をはなれ、舳を飛行島に向け、水煙をたてて驀進してゆく。
 長谷部少佐は、船首に立って、友の姿はいずこぞと海面を流るる死体の一つ一つに注意をくばる。
「あ、日本刀の鞘みたいなものを背負っているのが、左舷前方に見えます」
 突然眼のさとい水兵が叫んだ。
「日本刀を背に? どこだ」
「指揮官、あれです」長谷部少佐は、水兵の指す海面を見た。扉か卓子かわからないが、とにかく大きな板片の上に、背中に黒鞘を背負ってうつぶしている半裸体の人間があった。
「おお、あれだ。早く」
 少佐の命令で、ボートはすーっとその方へよっていった。そして手練の水兵が棒と綱とでもって、巧みに半裸体の人間を艇内へ拾いあげた。
「あ、日本人らしい。ひどく右腕をやられている」
「おお川上だ。川上だ。川上、長谷部が救いに来たぞ」
 長谷部少佐は、救われた人の骨ばった顔を見るや、われを忘れて駈けよった。軍医が、前に出てきて、心臓に耳をあてた。
「どうだ、助けてやれないか」
「ああ指揮官、心臓は微かながらまだ動いています。すぐ注射をしましょう。多分、大丈夫でしょう」
「そうか。では早いとこ、頼む」
 長谷部少佐は、友のくぼんだ眼窩のあたりをうるわしげに見つめていた。注射は一本二本三本とつづけられた。
 そのとき少佐は、川上機関大尉のくぼんだ眼窩の中に、丸い眼球がかすかにうごくのを見つけて、おどりあがった。
「あっ、生きかえった。おい川上、しっかりしろ。俺だ、俺が分からんか。俺は長谷部だ」
 と、川上の手の甲をたたきつつ、声をかぎりに呼べば、
「おお、――」
 川上機関大尉は、微かに声を発した。そして光のない眼であたりを見まわしていたが、そのうちに、少佐の手をぐっと握りかえした。彼の頬には、だんだん血の色が浮かびあがった。
「おお、気がついたか。川上、貴様はたいへんな手柄をたてたな。羨ましいぞ」
「なあに、――」川上は口をもごもごした。
「なあに、どうしたというのか」
「いや、飛行島を爆破したのは、俺じゃない。あの、脱走兵杉田二等水兵の手柄だよ。身をもって爆弾庫にとびこんだあの水兵を、皆して褒めてやってくれ。俺は――俺は……」
 川上機関大尉の眼から、熱い涙が、せきを切ったようにあふれてきた。そして潮やけした頬をつたって、幾条かの涙の道をつけた。
 ああ、なんという謙遜な言葉であろう。ああ、なんという部下思いの言葉であろう。
 彼は、自分のたてた大功を誇らず、まず何よりも忠勇な部下であり、そしてまた一度は脱走兵の汚名を着た杉田のために、その功を称(たた)えたのであった。
「いや、よく分かっとる」と、長谷部少佐は戦友の手をやさしく撫でつつ、
「杉田も、えらい奴だ。貴様が優しくて強いから、そんないい部下ができたのだ。結局やっぱり貴様がえらいということになるのだ。さあ、飛行島は、ついに爆破された。これで英国の間違った永い間の悪夢も、きっと覚め、東洋における大日本帝国の正しい地位を考えなおすことになろう」
 その飛行島は、いま戦友に抱えられた川上機関大尉の肩越しに、ぐるっと一転して、前世紀の巨獣の頤のような組立鉄骨やおびただしい浮標をぬっとつきだし、最後の醜体をさらしたかと思うと、こんどは急に海底に吸いこまれるように、ずぶずぶと沈んでしまった。そしてそのあとには、凄じい水泡(みなわ)と大きな渦が、いつまでもぐるぐるまいていた。
 それにしても飛行島の主、リット提督はどうなったであろうか。彼の行方を知っているものは、ただの一人もない、しいて知りたければ、かのブルー・チャイナ号のつきない怨をのせて、いつまでもぐるぐる廻っている、あの飛行島の沈んだあとの大きな渦巻に聞いてみるがいい。




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