浮かぶ飛行島
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著者名:海野十三 

 伝声管が鳴って、当直入野一等兵曹がかけよる。
「艦長、無電班報告。英海軍駆逐機隊の無電交信を傍受せり。方向は、東南東、距離不明なれども、極めて接近せるものと認む」
 発信符号をしらべてあるから、無電の主は何者だと、すぐに分かるのだ。
 これを聞いて水原少佐は、唇をかんだ。
 しかしはじめの決意はすこしも変らなかった。
「艦長。監視班報告。左舷十度、高度五百メートルに艦載機の前部灯が見えます」
 おお柳下機だ。いよいよ戻ってきたのだ。
「信号灯点火、本艦の位置を示せ」
 号令とともに、艦首と艦尾に、青灯と赤灯とがついた。
「艦載機帰艦用意――探照灯、左舷着水海面を照らせ」
 艦内は号令を伝える声と、作業にかけまわる水兵たちの靴音やかけ声で、火事場のような騒であった。
 前檣からは、青白い探照灯がさっと波立つ海面を照らしつけた。
 もうこうなっては何もかもむきだしだ。英国機はもう頭上に来ているかも知れない。が、今はそんなことを心配している場合ではない。
 艦長水原少佐は厳然とかまえている。いざという時にびくともしない沈勇ぶりは、さすがにたのもしい限りだ。
 爆音は、もうそこへ近づいた。
 ばしゃーっという水音に続いて、どどどどどど。
 探照灯に照らし出された海面へ叩きつけるようなフロートの響。
 おおまぎれもなく柳下機だ。
 機は水面を一二度弾んでから、プロペラーをぶりぶりぶりと廻転させつつ、たくみに本艦に接近してくる。
 飛行班員は総員波にあらわれている甲板上で大活動を始めた。起重機の腕はしずかに横に伸びてゆく。その上によじのぼって繋留索を操っている水兵がある。いずれも人間業とも思えない敏捷さだ。
 海面を滑って来た柳下機が、起重機の腕の下をくぐろうとした時、繋留索はたくみに飛行機をくいとめた。
 水上機は波間より浮きあがった。
 飛行帽に飛行服の柳下空曹長の姿が見える。
 起重機はぐーっと動きだした。
 艦橋の上では艦長以下が固唾をのんでこの繋留作業の模様をみつめている。
 このとき艦橋当直下士官が叫んだ。
「艦長、聴音班報告です」
「おう、――」
「敵機襲来。その数六機。いずれも本艦頭上にあり。おわり」
「本艦頭上か。よし」
 次は急降下爆撃とおいでなさるか。
「作業、急げ!」
 甲板上では、飛行班の指揮者が呶鳴っている。
 と、その時左舷の方にあたって、眼もくらむような大閃光と同時に艦橋も檣も火の海!
 だだだーん、がががーん。
 ひゅうひゅうひゅう。ざざざざっ。
 天も海もひっくりかえるような大音響だ。
「空爆だ!」
「作業、急げ!」
「総員、波に気をつけ!」
 大きなうねりが、艦尾から滝のように襲いかかってきた。
 艦橋も檣(マスト)も起重機も、そして艦載機も、その激浪にのまれてしまったかと思われた。二千トンの潜水艦が、木の葉のようにゆれる。
「作業、急げ!」
 この騒ぎの中に落ちついた号令がたのもしく聞えた。
 水原少佐は全身ずぶぬれになったことも知らぬ気に繋留作業をみつめている。
 いま爆弾を落した敵機群がどこにいるのか、知らぬといった顔であった。
 がらがらがら、がらがらがらと、鎖は甲板を走る。号笛(パイプ)がぴいぴいと鳴る。
「よし、うまくいった。そこで一、二、三」
 ついに艦載機はうまく格納庫に入った。
 鉄扉は左右から固くとじられた。
 たたたたたっと、作業をおえて甲板を走ってかえる飛行班の兵員たち。
 天佑であったか、爆撃下の難作業は見事に成功したのだった。
 艦長は、はじめてにこりと笑って、爆音しきりにきこえる暗空を見上げた。そして、「急ぎ潜航用意、総員艦内に下れ!」
 と号令した。
 まことに水ぎわ立った引揚であった。
 甲板からも、艦橋からも、人影が消えた。艦はすでに波間にぐんぐん沈下しつつある。
 嚇かしのように、こんどは艦首はるか向こうに爆弾が落ちて、はげしい閃光と、見上げるように背の高い水柱と、硝煙と大音響と波浪が起きたけれど、わが潜水艦はまるでそれに気がつかないかのように、黒鯨のようなその大きな艦体をしずかにしずかに波間に没しさったのであった。


   壊れた窓硝子


 飛行島の鋼鉄宮殿の中。
 そこは重傷の杉田二等水兵がベッドに横たわっている病室であったが、入口の扉(ドア)を背に、可憐な梨花がしくしく泣いている。
「梨花。こんなたいへんなことをしでかして、お前どう詫びますか」
 と、かんかんになって怒っているのは、白人の看護婦だった。見れば、病室の大きな窓硝子(まどガラス)が二枚も、めちゃめちゃに壊れている。
 床の上には、雑巾棒がながながと横たわっている。
 白人看護婦に叱りつけられて、梨花は声をあげて泣きだした。
 杉田二等水兵はベッドに寝たまま、枕から頭をもたげ、
「おいおい、いい加減にして喧嘩はやめにしろ。――といったって、俺の日本語は一向相手に通じやしない。どうもこいつは弱った」
 と、また頭を枕の上にどしんとおいて、眼をつむった。
「この硝子は高いんですよ。お前なんかが一年働いたって、二年働いたって、買えるような硝子じゃなくってよ」
 と、白人の看護婦は、にくにくしげに梨花をにらみつけた。どうやら、まだまだ小言が足りないといった様子だ。
「あ、そうだ」
 杉田二等水兵はまた枕から頭をもたげた。そして両手を出して、手真似をはじめた。
 はじめ白人看護婦を指して右の人さし指を一本たて、こんどは梨花を指して左の人さし指を一本立てた。そしてそれを向かいあわせにもってきて、ぴょこぴょこさげ、両方の指がしきりにお辞儀をしているような型をやって見せた。
 梨花は、顔をあげて、杉田二等水兵の指芝居をながめている。白人看護婦の方は、腕ぐみをしたまま、ちらと見て、
(わかっているよ、わかっているよ)
 と、頤をしゃくってみせた。
 杉田二等水兵は、尚(なお)仲直りをさせようとして、自分の両手をがっちり握りあわせて、しきりに上下にふってみせた。
「梨花、さっきお前がたのみにいった硝子屋は、まだ来ないじゃないか」
 そういった白人看護婦の話から察すると、梨花はもうかなり前にこの窓硝子を破ったものらしかった。硝子屋に至急壊れた窓硝子を入れかえるように命じてあるものらしい。
「じゃ。もう一度、さいそくしてまいりましょうか」
「そうおし。早くなおしておいてくれなければ、あたしがドクトルに叱られちまうじゃないの」
 梨花が、かしこまって、扉から出ようとした時、この扉の外からノックの音があった。
 白人看護婦は、はっと胸をおさえて扉(ドア)の方を向いた。
 と扉があいて入ってきたのは、大きな硝子板を抱えた中国人の硝子屋だった。
「まあびっくりした。硝子屋かい。ずいぶん前にたのんだのに、来るのが遅いねえ」
「へえへえどうも相すみません。すぐに入れかえますよ、美しいお嬢さま」
 美しいお嬢さまと呼ばれて、看護婦はまあ――とうれしそうに眼を天井につりあげる。
 とたんに、がしゃんと大きな音。
「きゃっ、――」
 中国人の硝子屋が、硝子板のさきでもって、看護婦のそばにあった大きな花活(はないけ)を床の上につき落して壊してしまった。水がざあっと看護婦の白い制服にひっかかって、たいへんなことになった。
「あっ、あっ、あっ、これこのとおり、私、いくらでも弁償します。お嬢さん、ゆるしてください」
 中国人の硝子屋はしきりとあやまる。
 看護婦は、あまりのことに呆れて声もでないという風であったが、やがてつかつかと中国人のそばに寄ると見るまに、平手で彼の頬をぴしゃりとひっぱたいて、すたすたと部屋を出ていってしまった。
 中国人の硝子屋は、怒るか泣くかするかとおもいのほか、にやと笑った。意外、流暢な日本語で、
「うふふふ、俺の頬っぺたをうったんじゃ、手の方がいたかったろう」
 といった。ベッドの上の杉田二等水兵は、あっといったきり眼を皿のようにして怪中国人の顔をみつめたのも尤もであった。
 この怪しい硝子屋の正体は、そもなに者であろう――いうまでもなく、さきに梨花としめし合わせておいたわれ等の勇士川上機関大尉の巧みな変装であったのだ。
「おお、あなたは。――」
 とベッドの上におきあがろうとする感激の杉田二等水兵!
 川上機関大尉は、それを制して、硝子板をそこへおくと、いそいで杉田の枕辺にかけよった。
 梨花はけなげにも、扉の外に立って、見張にあたる。窓硝子は、彼女があやまって壊したのではなく、これぞ川上機関大尉のいいつけによってわざと壊したのであった。


   再会


「ああ上官!」
 と杉田は胸がせまってあとはいえない。
 川上機関大尉は部下の手をぐっと握って、
「杉田、よく辛抱していたな。それでこそ、真の日本男児だ。銃剣をとって、敵陣地におどりこむばかりが勇士ではない。報国の大事業のため、しのぶべからざる恥をしのび、苦痛にこらえているお前も、また立派な勇士だ。しかし梨花にきけば、お前はこのごろ食事もあまりとらぬということじゃないか。そんなことをして体を弱らせておいては、いざという時に思いきった働きができないではないか」
 川上は部下を励ましたり叱ったりした。これにはさすがの杉田二等水兵も一言もない。
「川上機関大尉。私が悪うございました。これからは体を大切にいたします。そしてどんなことがあっても望を捨てず、ご奉公の折の来るのを待ちます。申しわけありませぬ」
 病床から、杉田は川上機関大尉の手をおしいただいた。
「うむ、よくいった。ここは敵地だ。焦るな。体力をやしなえ。そして機会がいたったときは、俺と一しょに死んでくれ」
「はい、――」
「杉田二等水兵。もう長話はできぬが、この飛行島もいよいよ近く動きだすぞ」
「えっ、飛行島がうごきだしますか」
「そうだ。試運転をはじめるようだ。貴様もよく気をくばっておれ、いよいよ手を借りるときは、梨花にたのんでお前に伝えるからな」
「はい、よく分かりました」
 このとき梨花が、扉をことことと叩いた。誰か来るとの知らせである。
 川上機関大尉は、もう一度病床の杉田の手を握りしめ、
「さあ、誰か来た。気づかれるな。俺の硝子入替えの腕前をそこで見物しとれ」
「上官は硝子の入替えにも御堪能でありますか。私はおどろきました」
「うふ、――」
 川上機関大尉は、杉田のそばをはなれるとまた元の中国人の硝子屋にかえって、ぬからぬ顔で壊れた窓硝子のパテをはがしにかかった。
 扉をあけて入ってきたのは、さきの看護婦とリット少将の二人だった。
「なんだマリー。こればっかりの窓硝子なんか何でもないじゃないか、どんどん入替えさせるがいい。しかし硝子は丈夫な硬質硝子でないと、本艦が二十インチの主砲をどんと一発放った時は、ばらばらに粉砕してしまうからな」
 川上機関大尉の眼がきらりと光った。
 二十インチの主砲!
 リット少将がつい不用意の言葉をもらしたのだ。杉田は英語がわからないし、硝子屋は中国人で、大したことはないと思っていたのかも知れない。
 川上機関大尉は、どこで修業してきたのか、ものなれた手つきで、どんどん窓硝子の取替え作業をすすめていった。
     ×   ×   ×
 こっちは、危いところで英国駆逐機隊の爆弾を避けることができた潜水艦ホ型十三号の艦内であった。
 艦は巧みなる潜航をつづけ、北東へずんずん脱出してゆくうち、いつしか夜はほのぼのと明け放れた。
 柳下航空兵曹長は、目ざめるとともに、昨夜の死の偵察のときに、空中から飛行島を撮影した沢山な写真が、どんな風にとれているか気になってたまらなかった。
 そこで彼は、服装をととのえると、すたすたと写真室の方へ歩いていった。
「おう、昨夜の写真はできているか」
 と、空曹長が外から声をかけると、中からは、仲よしの西條兵曹長の声で、
「おう、今、できた。しずかに入ってこい」
「なに、もうできとるか。いやに勿体ぶるな。それならなにをおいても第一番に俺様に見せなきゃいかんじゃないか」
 とふざけながら室内へ威勢よくとびこんだが、足を踏みいれること僅か一二歩で(しまった!)と思った。同時に、はっと挙手の敬礼をした。――
 無理もない。室内には、すでに艦長水原少佐以下の幹部士官が集っていて、いきをのむようにして、つぎはぎだらけの卓子(テーブル)かけよりも大きい空中撮影写真に見入っているところであった。
 柳下空曹長は、うらめしそうに西條の方を見れば、西條の眼は、「それみたことか。だから『しずかに入ってこい!』といったではないか」
 といたずらそうに笑っている。
 艦長はほほえみながら、柳下の方を向いて、
「おお、どうだ。元気は回復したか」と思いやりのある言葉をかけ、それから柳下のとってきた空中撮影写真を指さしながら、
「これを見よ。お前の奮闘の甲斐あって、この写真に川上機関大尉の生死に関する重大な手がかりが現れておる」
「はっ」
「肉眼では、煙幕その他にさえぎられて見えなかったのであろうが、写真にはちゃんと現れているのだ。これだ、甲板の上に黒々と書かれているこの記号だ。『○○×△』――見えるだろう」
「はあ、見えます。不思議ですなあ。昨夜はどういうものか、みとめることができませんでしたが」
「うむ。それはさっきいったとおりだ。この記号こそは、通信機のないときの制式組合暗号だ。で川上機関大尉は生きているぞ。しかもこの記号の意味は、すこぶる重大だ。それを解読してみると、『八日夜、試運転ヲスル』となる。飛行島はいよいよ仮面をはいで、大航空母艦として洋上を航進するのだ。われわれは、どんな困難をしのんでも、その試運転を監視せねばならない。帝国海軍にとっての一大脅威だ!」
 八日の夜といえば、あますところもう三昼夜しかない。三昼夜後には、この恐るべき洋上の怪物が波浪を蹴ってうごきだすところが見られるのだ。その壮絶なる光景をおもうて、一同は、思わず武者ぶるいをした。
 水原少佐は、無電班に命じて、この写真を即刻連合艦隊旗艦へ電送するよう命じた。
 南シナ海の空気は、次第に重くるしさを加えた。


   進退谷(きわま)る!


 杉田二等水兵の病室では、中国人の硝子屋に変装している川上機関大尉が、器用な手つきで窓硝子の入替えをつづけている。
 室内では、リット少将が、看護婦マリーの怒ったりわめいたりするのをしきりになだめている。
 梨花は扉(ドア)のそとに小さくなっている。
 杉田二等水兵は、上官の正体が見破られはしないかと、ベッドの中ではらはらしている。しかし川上機関大尉はおちつきはらって、窓枠に硝子板をはめて、パテをつめている。
 そこへ駈けこんできたのが、スミス中尉であった。スミス中尉が駈けこんでくる時には、きっと一大事が起っているものと考えてよい。リット少将は、またかというような顔をして、看護婦の肩から手をはなした。
「閣下、一大事でございます」
「どうもそうらしいね。労働者がさわぎだしたとでもいうのか」
「いえ。そんなことではありません、香港経由の東京電報です。これをごらんください」
 と、スミス中尉はリット少将の前に、数枚の紙片をさしだした。
 窓枠にのぼっている川上機関大尉の眼がぎょろりとうごく。
「うーむ、――」
 とリット少将は紙片を見つめたまま、ひくいうめきに似た驚きの声をあげた。
「横須賀軍港付近において英国水兵殺害さる。加害者は日本少年。――ふーむ、なんという野蛮な国だろう」
 と、少将は自分の国のずるさや野蛮さは棚にあげて、つぶやいた。
 次の一枚の電文には、その事件がくわしくしるされていた。
 それによると、横浜港に入港していた英国巡洋艦ピラミッド号の一水兵が、横須賀軍港近くの小高い丘で、桜井元夫という中学生に刺し殺されたというのであった。
 その少年の告白によれば――
 水兵が要塞地帯の写真をとっていたので、注意すると、水兵は、はじめぎょっとした様子であったが、あたりに人通りのないのを見すますと、ナイフを揮って襲いかかって来た。そこで少年は必死に逃げたが、遂に崖のところに追いつめられて絶体絶命となったので、已むなく習い覚えた柔道の手でナイフを奪いとりざま、相手をつきとばした。その時運悪くナイフで急所をついた。――というのであった。
 が、理由はともかく、光栄ある英国海軍の水兵が、日本人の手によって殺害されたということは、由々しき一大事だというのであった。
 日英関係のけわしい折柄、英国が、これを国交上の大問題としてとりあげたのは、尤もなことであった。
 今からちょうど百年前、英国は中国を相手に阿片(あへん)戦争をおこしたが、この時たった一人の英人宣教師が殺されたのを口実として、あの香港を奪いとって今日におよんでいるのである。英領埃及(エジプト)においてしかり、英領印度においてしかり、英領アフリカ植民地においてもまた同様であった。英国のこれまで他国を奪いとるときに用いた手段は、いつもこれであった。
 リット少将は、電文をよみながら、奇異な叫声をあげたが、やがて、うす気味悪い笑を口のあたりに浮かべると、
「ふーん、いよいよ面白くなって来たぞ。この分では、意外に早く、飛行島の威力をしめす時が来るかも知れぬ」
 つぶやくようにいうと、東京電報をスミス中尉にかえし、ベッドに横たわる杉田二等水兵の方をぐっとにらみつけた。
 その時川上機関大尉は、すっかり窓硝子の入替えをおわって、下におりた。そしてなにくわぬ顔をして、リット少将とスミス中尉の間をすりぬけ、いまや扉に手をかけようとした時、スミス中尉は腕を伸ばして、
「あ、待て!」
 と大喝一声、川上機関大尉の腕をねじりあげた。
「あ痛、たたた、――」
 と、川上は顔を伏せてわざと痛そうに悲鳴をあげると、スミス中尉は威たけ高になって、
「貴様だな、昨夜飛行甲板の上いっぱいに、ペンキでいたずら書をやったのは」
「そんなことを――」
「黙れ。貴様の手首にくっついている黒ペンキが、なにもかも白状しているぞ。なぜあんなことをやった。これ、こっちへ顔を見せろ」
 といったが、その時スミス中尉の心臓はどきっととまりそうになった。
「あっ、貴様はこの前の怪中国人!」
 中尉は、リット少将に眼くばせすると同時に、非常呼集の笛をひょうひょうと吹いた。
 それに応じて、廊下にどやどやと入りみだれた靴音が近づいてきた。警備隊員が銃をもって駈けつける音だ。
 いまはこれまでと、川上機関大尉は観念した。この敵をなぐり殺すことなどは、さしてむつかしいことではないが、自分にはもうすこし果さなければならぬ重大任務がある。ここは一刻も早く逃げることだ。
 だが警備隊員はすでに入口にせまっている。ほかに出口はない。リット少将もスミス中尉もピストルを持っているだろう。とすると遂に袋の鼠となりはてたのか。
(捨身だ!)
 とっさに肚をきめた川上機関大尉は、
「えい!」
 と叫んで身をしずめた。
「うーむ」
 スミス中尉は脾腹をおさえ、その場に倒れた。川上磯関大尉得意の当身(あてみ)であった。
 リット少将はさすがに武将だ、いちはやくベッドのうしろに隠れて、ピストルを乱射する。入口からは、遂にわーっと警備隊員が銃剣をきらめかしてとびこんできた。
「杉田、起きあがっちゃいかんぞ!」
 と、川上大尉は大声で叫んで室の真中に仁王立ちとなった。彼の手には、窓硝子を挟んできた二枚の板片が握られているばかりで、他に弾丸や銃剣をふせぐべき道具はなに一つもちあわしていない。
 ああわれらの大勇士川上機関大尉の運命やいかに?


   離れ業


 われ等の大勇士川上機関大尉が危い!
 重大命令をうけて秘密の飛行島に忍びこみ、幾度か危い目に遭いながらも、今までは武運にめぐまれて、どうにかきりぬけて来た彼――その彼にも最後の日はついに来たのか。思えば無念ではないか。
 あと二日で、飛行島は、試運転をやろうというのである。そして、どこかに隠されてある二十インチ砲が、大空にむっくりと恐しい姿を現すところが見られるというのである。
 わが日東帝国のため、いよいよこれから本当の腕をふるって貰わねばならぬという時、部下思いの川上機関大尉は、杉田二等水兵を見舞ったばかりに、変装を見破られてしまったのである。
 飛行島建設団長リット少将と警備隊員は、彼を、ぐるりと取りまいて銃口をつきつけた。
 機関大尉は、とっさに強敵スミス中尉を、突き倒したが、敵は多勢、味方は一人、しかも敵の人数は刻々ふえるばかりである。最早どうすることも出来ない。機関大尉は、ついに部屋の真中に身うごきもならず、突立ったままであった。
「杉田、貴様は起きるなよ」
 この期におよんでも、自分の身を心配する前に、部下の杉田のことをしきりに気づかっている。
「上官!」
 と、杉田はベッドの上で、歯をばりばりとかみあわせて悲痛な思だ。いくら起きるなと命令しても、いま自分の前で上官が射殺されようとしているのだ。
「杉田、俺のことなら心配するな。俺は大丈夫だ!」
「でも、――」
 早口に叫ぶ川上機関大尉、上官の自信ある言葉をかえって心配する杉田二等水兵。
 一秒、二秒、三秒……
(もう、こちらのものだ)リット少将はじめ警備隊員が、そう思ったのも無理はなかった。
 沈勇なる川上機関大尉は、その相手の心のちょっとしたゆるみの瞬間を狙っていたのだった。
「ええい!」
 と一声、室内の空気を破るすごい気合が聞えたかと思うと、驚くべきことが起っていた。彼の体を弾丸のごとく縮め、硝子窓の真中めがけてぶっつけたのであった。いや、ぶっつけたのではなくて、その大きな窓硝子を全身でもってうちやぶり、外へとびだして行ったのであった。
 がちゃん、がらがらがら。
 ひどい音だ。その音が、リット少将の耳にはいった時は、機関大尉は、硝子の破片もろとも、窓の外へおどり越えていたのであった。
 二枚の板片――彼が両手にしっかと持っていたその板片は、この大冒険にあたって、彼の顔面がじかに窓硝子に当って大怪我をするのを安全にふせいだのであった。
 機関学校時代、機械体操にかけては級中に鳴りひびいた川上機関大尉であればこそできた離れ業であった。
「ああ!」
「おお!」
 さすがのリット少将も、また警備隊員達も、この早業にすっかり胆をつぶしてしまって、藁人形のように窓硝子の穴を呆然とみつめるばかりであった。
 杉田二等水兵は、胸がすーっとした。そして、
「おお!」と、思わずうなった。こんな痛快なことがまたとあろうか。もう死んだものと諦めた刹那(せつな)に、ぱっと生きかえったのである。死中に活を求める。これこそ日本にのみ伝わる武芸の神秘であった。
「おい、お前たち、なにをしている。早く追え!」
 リット少将の、われ鐘のような怒声に、警備隊員たちは、やっとわれにかえった。
「あっ、向こうへ飛びおりたぞ」
「逃がすな」
 すぐさま二手にわかれて川上機関大尉のあとを追いかけた。が、機関大尉が、いつまでも追って来る彼等を待っているはずはなかった。
 窓枠の上にのぼり、こわれた窓から外を恐る恐る覗いた警備隊員の顔と、一方外から、大廻をして破れた窓を見上げた警備隊員の顔とが、上からと下からとくすぐったく視線をぶっつけ、
「ちぇっ、逃げられたか」
「恐しくはしっこい奴めだ」
 と、つぶやきながら横を向いてしまった。飛行島のアンテナ線にとまっていた阿呆鳥の群が、このとき白い糞を下におとして、藍をとかしたような大空にぱっと飛び立った。


   懸賞の首


 自室に戻ったリット少将の、怒った顔こそ、この飛行島ができてからこの方の大見物であった。
「ばかめ、ばかめ、大ばかめ!」
 自分自身を罵るように呶鳴り散らしながら、絨毯の上をどすんどすんと歩きまわるのであった。
「相手は、たった一人ではないか。たった一人の東洋人を捕らえかねて、島内がまるで蜂の巣をつついたように騒ぎまわっているとは、一たい何たるざまだ。リット、お前は、何のために、大勢のすぐれた部下を率いているのだ」
 日頃から、われこそ、大英帝国の名誉を傷つけぬ名将と、自負しているリット少将としては、この無念さは、無理からぬことであった。
「このままでは、捨ておけん。いかなる犠牲を払っても、奴をひっ捕らえるのだ。そして八つざきにしてやるのだ」
 そこへ、リット少将お気に入りのスミス中尉が、姿をあらわした。
「閣下、さきほどは不体裁なところをお目にかけまして申しわけありません」
「おおスミス中尉か。君は武芸にかけてはたいへん自信があるようなことをいっていたが、東洋人にはききめがないらしいね」
「恐れ入りました。それにしても、どこにどうして生きていたのか、死んだとばかり思いこんでいた川上が、生きていて、甲板に妙なものを書いたり、火をつけたり、又硝子屋などにばけて、島内を騒がせていようとは夢にも思いませんでした」
 中尉は、先刻、脾腹をしたたか突かれて眼をまわしたので、このことにつきこれ以上、話をするのは損だと思った。そこで、
「閣下、これからあの川上に対する処置は、いかがなさいますか」
「そのことだて」
 とリット少将は、また苦虫をかみつぶしたような顔になり、
「もう試運転まであと二日しかないというのに、あの川上を、このままにして置くことはできない。そうだ。これから島内大捜索を命令しよう。それには大懸賞に限る。川上を生捕にした者には二千ポンド(一ポンドは現在約十七円位)の賞金を与える。また川上を殺した者には、一千ポンドを与える。どうだ、これなら顔の黄いろい労働者たちも、よろこんで川上を追いまわすにちがいないではないか」
「二千ポンドに一千ポンドですか」
「そうだ、賞金が少いとでもいうのか」
「そうです。川上があと二日間に捕らえられなければ、この飛行島は試運転を思いとどまらなければなりません。
 今朝も聞きましたが、横須賀軍港付近において、わが水兵が日本の少年の手によって殺害された大事件から、英日両国の間は急に悪くなり、いつどんな事が起るかもしれない様子だというではありませんか。わが飛行島のためには、又とない機会(チャンス)がいま来ようとしているわけです。
 ところがです、その前に彼が飛行島の秘密を探って、本国へ知らせたらどういうことになりますか。油断のならぬ日本海軍のことですから、何をはじめるか分からないではありませんか」
「わしにもそれくらいのことは、ちゃんと分かっているよ、そうくどくどしゃべらなくとも、……それでどうだというんだ」
 少将閣下は、たたみかけて叫んだ。
「もちろん閣下にもお分かりのことと思いますが、とにかくそういうわけで、ここ二日のうちに川上を捕らえて、殺してしまわねばなりません。それを間違いなくやるためには、賞金をうんと奮発して労働者達を総動員することが大切です。あの大豪川上に向かう者は、一つしかない自分の命を捨ててかからねばならぬのです。賞金は、命を捨てさせるに十分なほど慾心をもえたたせる金額でなくてはいけません。二千ポンドに一千ポンドなどとは、この飛行島建設費の何万分の一……」
「もういい。分かった。もういうな」
 リット少将は口にくわえていた葉巻を思わずぷつりと噛みきって、
「よおし、二万ポンドに一万ポンド! どうだ、これなら文句はなかろう」
 賞金は一躍十倍にはねあがった。
「えっ、二万ポンドに一万ポンド! そいつはすばらしい」
 と、スミス中尉は思わず靴の裏で、床の上をどんと蹴った。


   カワカミ騒ぎ


 かくして飛行島の大捜索がはじまった。
 川上機関大尉の首にかけられた賞金はおどろくなかれ、二万ポンドに一万ポンド!
 この告示が、島内隈なく貼りだされると、人心は鼎(かなえ)のようにわきたった。どの告示板の前にも、黒山のような人だかりだった。
「賞金二万ポンドだって? うわーっ、おっそろしい大金だな」
「それだけ貰えると、故郷へとんでかえって、山や川のある広い土地を買いとり、それから美しいお姫さまを娶って、俺は世界一の幸福な王様になれるよ。うわーっ、気が変になりそうだ」
「おお、俺も気が変になりそうだ。誰か俺の体をおさえていてくんな、俺が暴れだすといけないから……」
 と、たいへんな騒がはじまった。
 告示板には、川上機関大尉の写真こそ出ていなかったが、その人相や背の高さ、それから皮膚の色や服装などもくわしく記されていたので、飛行島の人たちは、それをいそがしくノートにとったり、文字の読めない連中は、人に読んでもらったりして、めいめい川上機関大尉の顔をいろいろに想像して、胸の中におさめた。
 それからさきが、またたいへんであった。
 飛行島の人たちは、もうこれまでのように、甲板や通路の上を、のんきに大手をふって歩けなくなった。向こうから来る人影があれば、彼奴こそお尋者のカワカミではないかと思い、いざといえば相手の上におどりかかろうと、泥棒猫のような変な恰好ですれちがうのであった。
 いや、こっちが向こうを狙っているばかりではない。向こうもまた、こっちが二万ポンドではないかしらと思い、実に怪しげな物腰で、そろりそろりと横むき歩きで近づく。
 こうして近づいて、お互さまにカワカミでなかったと分かったとき、彼等はきまって、チェッと舌打をした。相手の大きな舌打が自分に聞えると、お互にがっかりしてすれちがう。歩行者は、こうして人に行き会うたびに、心を疲らせた。まことに、ふきだしたくなるような騒であった。
 リット少将にとって、二万ポンドの大懸賞金を放りださねばならなくなったことは大悲劇であったが、その大懸賞金を追いかける飛行島の人々の血走った眼の色などは、およそ大喜劇というほかない。
 いや、その大喜劇は、その夕方になってもっとはげしくなった。
 それは夕刻六時までに「カワカミ大懸賞捜索本部」へ引かれて来た重大犯人川上の数がなんと七十何名という夥しい数に達したことであった。
 川上機関大尉が七十何名もいる?
 当の川上機関大尉がこれを聞いたら、どんな顔をするであろうか。
 いや、その七十何名の中に、本物の川上機関大尉がまじっているかもしれないのだ。そして、夥しいこのカワカミ集団を見て苦笑(にがわらい)をしているかもしれない。
 もしその中に本物の川上機関大尉がまじっていたら、やがて苦笑だけではすまなくなるだろう。スミス中尉は、こんど川上機関大尉をひっとらえたら、すぐ殺してしまわねばならぬといっているではないか。
 さあ、七十何名の囚人の中に本物の川上機関大尉がまじっているかどうか――
「おい、もうここは締切ったぞ。カワカミを持ってくるなら、明日の朝にしてくれ。室の中はカワカミで満員だ。連れてきたって、入りきれやしないぞ」
 と、一人の捜索本部の役員が室の外におしよせている人々に向かって呶鳴っていると、そこへまた一人少しとんまらしいのがやって来て、
「わーい、こりゃすごいや。ことによると、カワカミというのは『東洋人』という日本語かもしれないぞ。だって七十何名のカワカミは、誰がなんといっても多すぎらあ」
「なにをいっているんだ、貴様。それよりも早く奥へいって手伝ってこい」
「え、奥へいって、一たいなにを手伝うのかね」
「なにをって? 分かっているじゃないか。七十何名のカワカミの中から、本物のカワカミを選りだすんだ」
「ああなるほど籤引かい」
「籤引? あきれた奴だ、選りだすんだ」
「ふふん、選りだすといっても、モルモットの中から鼠を探すときのように、そんなに簡単に選りだせるかね」
「無駄口を叩かないで、早く奥へいってみろよ。面白いから」
 飛行島のワイワイ連中にとっては、いかにも面白い慰みごとかもしれないが、川上機関大尉にとっては、それは死ぬか生きるかの重大問題であった。


   鑑定場


 一人のカワカミと、それを捕らえてきた殊勲者とは、別々に鑑定委員の前によびだされることとなった。
 カワカミはいずれも後手に縛られ、頸のまわりに番号を書いた赤い巾(きれ)をまきつけてあった。まるで猫の頸っ玉のようだ。半裸体のもおれば、洋服を着ているのもいる。
 殊勲者の方は、同じ番号のついた青札を手に持っていた。そして彼等はお互に、自分の捕らえたカワカミこそ本物で、貴様の捕らえたのは偽物だなぞと、罵りあっていた。
「おーい、青札の第一号はいるか。いたら、こっちへ入れ」
 と鑑定委員は呶鳴る。
「へーい」
 入ってきた第一号は、印度人であった。
「貴様はどこであの偽物のカワカミを引張ってきたんだ」
「に、偽物? じょ、冗談はよしてください」
 と印度人は顔を真赤に染めて、
「わしの引張ってきたのが本物のカワカミでなけりゃ、この飛行島には本物のカワカミは一人もいないってことですよ」
「じゃあ、どこから引張ってきたか、早くいえ」
「いいですかね。わしは今日、鋼鉄宮殿の下で昼寝をしていたんですよ。そこへがらがらがらどしーんです。びっくりして上を見ると、窓硝子がめちゃめちゃにこわれて、一人の男――つまりあのカワカミが――とびだしてきたんです。これが二万ポンドの懸賞犯人とは、わしも凄い運につきあたったものだと思い、すぐさま追いかけましたよ、そうして大格闘の末、やっと捕らえたんです。さあ、これだけいえば、いくらなんでもお分かりになったでしょう」
 と、印度人は眼をぎょろつかせて、べらべらとしゃべりたてた。
「よし! それだけいえばよく分かるよ。この太い大法螺(おおぼら)ふきめ。おい、警備隊員、こいつの背中に鞭を百ばかりくれて、甲板から海中へつきおとせ」
「なにをいうんです。いまいったとおり、あれが本物のカワカミ……」
「だまれ。この大うそつきめ。貴様はカワカミが窓から逃げだしたとき、二万ポンドの懸賞犯人だからと思い、すぐ追っかけたといったね」
「そうですとも。わしは……」
「ばか! 窓から逃げだしたときには、まだ懸賞の話はきめていなかったわい。これでもまだ白いの黒いのとほざきおるか」
「うへー」
 というわけで、途中まで本物の川上機関大尉かと思った捕物第一号も、哀(あわれ)たちまち偽物であることが露見した。
 こういう面倒な取調が、次から次へとつづいていった。たいへんな手間であった。


   恐怖の命令


 カワカミ容疑者連の取調の方は、ずっと慎重にとりはこばれていた。
 この方の鑑定委員は八名の中国人があたっていた。
 取調の箇条は五つあった。それは、いずれも日本通と自称する八名の中国人委員が、智恵をしぼって考えだしたもので、それによると、この飛行島には、川上以外に一人の日本人もいない筈だから、一人の日本人をさがし出せば、それが川上だというのであった。
 では、その日本人を探し出す五つの箇条とは、一たいどんなことであったか。――赤札の第一号のカワカミ氏は、ばかに鄭重に風呂場へみちびかれた。
 すこし面喰いながら風呂に入ると、男がきてしきりに体を洗ってくれる。このとき彼は、天井の節穴がきらきらうごくような気がした。
(人の眼?)
 と思ったが、男は、彼の足首を握って、念いりに洗うのであった。そのとき男は、しきりに彼の足の指――ことに足の拇指(おやゆび)と第二指との間の隙間をじろじろとながめていたようである。
 風呂から上って外へ出ると、ちゃんと小ざっぱりしたタオルのガウンがおいてあって、これを体にまとった。それから食堂であった。
 入口に委員がいて、彼の赤札第一号に、口をあいてはあーと大きな息をはいてみてくれという。彼がそうすると、委員は変な顔をして、第一号の口中の臭(におい)を、すんすんと嗅いでいた。
 それがすむと、食卓に坐らされた。大きな丼に、うまそうな蕎麦がいっぱい入っている。それを食べろというので、傍にあった長い箸――それは日本の箸の二倍も長いやつだった――をとりあげて、ぬるぬる逃げまわる蕎麦を食べた。
 それがすむと、これを読んでみよと、何だか日本文字を書いた紙片をもってきた。第一号はそれを見せられたとき、
「わしにはさっぱりわからぬ」
 と、あっさり断った。
 そこを出ると、また卓子を前にひかえた中国人委員がいて、
「貴様は落第だ。かえってよろしい」
 と、横柄な口をきいた。
 こうして第一号は放免されたのだった。
 第二号以下も、同じような取調がつづけられた。
 これだけの取調のなかに、五つの箇条が巧みに調べあげられたのだ。
 まず第一に、裸にしたのは、衣服についた所持品しらべのためだった。
 風呂に入れたのは、体を検査するためだった。足の拇指と第二指との間の隙をみた。日本人だと、幼いときに下駄を履いたので、ここのところが鼻緒のため丸く透いている。それから膝頭が曲っているのは、幼いとき畳に坐ったため。風呂に入って顔の洗い方も、日本人はタオルを動かすけれど、中国人はタオルよりも顔の方を動かす。
 次は食堂であるが、はあーと息をはかせたのは、日本人と中国人の口臭がちがうというのであった。
 食堂に入って、蕎麦を食べさせたが、中国人と日本人とでは、箸の使い方がちがう。中国人は箸の一番端を持って、掌を上向きにして蕎麦をはさむ。日本人はそうしない。
 それから最後にサイタ、サイタ、サクラガサイタと日本の片仮名を読ませる。日本人ならすらすら読むだろうという委員の考えだが、誰がそんなものを読んで日本人たることを自分でさらけだすやつがあるものか。
 中国人委員の考えだしたこの悠長な試験を、七十何名かのカワカミ連にこころみるのだから、なかなか時間がかかった。とうとうその夜も明け、その翌日までかかった。そのころはまた、第二日目のカワカミ召しつれの訴が大勢おしかけてきたので、その夥しい人間の群をみると、試験委員は脳貧血をおこしそうになった。これをいちいち丁寧にやっていたのでは、自分たちの体がたまらぬと思ったので、それから後は、どんどん手間をはぶいて簡単にやることにした。
 こうしてやっと三日目の朝までかかって、ようやく終った。取調べたカワカミの容疑者総数はみんなで百二十七名。その結果、一たいどうなったであろうか。
 リット少将は、鋼鉄の宮殿の中を、いらだたしそうに歩きまわりながら、スミス中尉の報告をまちわびている。
「一たい、いつまで調べているのか。あいつは若い癖して、いやに気が永くていかんわい。――といって、外に手腕のある奴、信用のおける奴はいないし、困ったものだ」
 そういっているところへ、スミス中尉が、眼を鰯(いわし)のように赤くして入ってきた。
「ああ少将閣下。調(しらべ)がやっと一通り片づきましてございます」
「ふーん、片づいたか、一通り?」
 と、腹の立っているところを皮肉の一言でやっとおさえつけ、
「――で、結果はどうなったか」
「はい、ほんとのカワカミと思われる者を選びだしましたから、閣下に見ていただこうと思います。おーい、こっちへ連れてこい」
 とスミス中尉が、隣室に向かって叫べば、
「おう、――」
 とこたえて、大勢の試験委員が縄尻をとって引立ててきたのは、後手にくくられた七名の東洋人!
「なあんだ、この中のどれがカワカミか」
 と、リット少将は呆れた。
 スミス中尉は、澄ましたもので、
「ここまでは、カワカミらしき者を選りだしましたが、これ以上区別がつきません。あとは閣下のお智恵によりまして、御判別をあおぎたいと考えます」
 スミス中尉は、今まで数回川上機関大尉に出くわしているのであるが、いつも巧みな変装姿だったので、素顔を知らない。事実、見分けがつきかねているのだった。
 なるほど、どれも、見れば見るほど、この間の硝子屋によく似ている。
「なんじゃ、わしにこの七名の中から、本物のカワカミを選びだせというのか」
 リット少将とて、同じことであった。
 少将は、奥にひっこんだ眼をぎょろりと光らせながら何事かしばらく考えこんでいたが、
「ちょっと耳を貸せ、スミス中尉」
 中尉は、はっと答えて、少将の前に頭をさしだした。少将は、二言三言、なにかしら囁いた。
 スミス中尉の顔色が、このとき蒼白にかわった。
 それも道理であった。少将は、賞金はどうするつもりなのか、「七名の中から一名をとるに及ばぬ。七名とも残らず射殺してしまえ」と、常になき断乎たる命令をいい放ったのであった。
 ああ何たる非道! 射殺されることになった罪なき七名の運命こそ、哀(あわれ)ではないか。
 いや諸君、それよりも気がかりなのは、この七名の中に、本物の川上機関大尉がいて、彼等と運命を共にしたのではあるまいか。もし、そうだったら帝国の安危にかかわる重大使命はどうなるというのだ。


   闇夜の試運転


 予定からちょうど二十四時間も遅れて、海の大怪物浮かぶ飛行島は、いよいよその巨体をゆるがせつつ、しずかに海面をすべりだした。
 墨をながしたような闇夜だった。
 ああなんたる壮観であろうか!
 これがもし昼間であったら、飛行島の乗組員たちは、手のまい足のふむところをしらないほど、狂喜乱舞したことだろう。
 だが、昼間の航行は、絶対に禁物であった。そんなことをすれば、たちまち世界の注意は、この飛行島のうえにあつまり、今後極秘の行動をとることは、はなはだむずかしいことになるであろうし、また飛行島が隠しもっている意外な武器も明るみに出て、その攻撃力が少からず殺(そ)がれてしまうであろう。試運転は闇夜にかぎるのだ。
 いま島内の乗組員、住民達は、みな眼をさましてきき耳をたてているのだった。
 そうであろう、耳をすませば、遠い地鳴のような音がゴーッと響いて来るのである。内燃機関がこのようにはげしい音をたてたのは、今夜がはじめてのことだった。
 飛行島は、いまや海上を航行しているのだ。いくら堅固につくられてあるとはいえ、さすがに鋼鉄の梁も壁も、気味わるくかすかに震動するのであった。
「あっ、あれは何の音だ」
「いやに不気味な音じゃないか。おや変だぞ、部屋が傾くようだぜ」
 部屋が傾くのではない、飛行島が傾くのであった。波浪ははげしく飛行島舳部の支柱を噛んでいる。住民たちの多くは、部屋が傾くのを知って、飛行島が航行しているのに気づかないのであった。
「おっ、飛行機だ」
「一たいどうしたのだろう」
「今夜はどうやら演習らしいぞ」
 と、下甲板から顔を出した労働者がいった。
「おや、あの灯(あかり)はなんだ。うむ、飛行島のまわりをぐるっと取巻いている。軍艦の灯じゃないか」
 というのも当っていた。
 試運転中の飛行島の空は、六十余機の戦闘機と偵察機とにまもられ、またその周囲は、三十隻の駆逐艦と十五隻の潜水艦によって、二重三重に警戒されているのであった。
 空からなりと、海面からなりと、一機の敵飛行機であれ、一隻の怪ジャンクであれ、向こうから近づけば、どんなことがあっても生かしては帰さぬ決心であった。飛行島の秘密は、あくまで守らねばならない。
 闇夜の海面を圧する轟々たる爆音は、護衛の飛行団が発するエンジンの響であった。
 飛行島の周囲に、ちらちらする灯火は、護衛駆逐艦の標識灯であった。
 また護衛の潜水艦は、飛行島の前方の海面下を警戒しつづけている。
 この三段構の警戒網を突破し得る不敵の曲者(くせもの)は、よもやあり得ないものと信ぜられた。
 建設団長のリット少将は、いまやこの飛行島の艦長然として、はじめて司令塔に入ったのである。この司令塔の内部こそ、およそ近代科学の驚異であった。
 一言でいいあらわせば、人間の脳の組織を顕微鏡下で見たとでもいうよりほかないであろう。
 飛行島の甲板、砲塔、格納庫、機関部、操縦室、監視所、弾薬庫、各士官室、無電室、その他ありとあらゆる島内の要所から、この司令塔内へ向かって、幾十万、幾百万の電線が集っているのであった。
 それは通信線もあれば、点火装置もあれば、速度調整装置、照準装置、そのほか飛行島のすべての働きが電流仕掛で司令塔内より至極手軽に動かされるようになっていた。そういう設備の末の端が円形のジャック孔となって、まるで電話交換台の展覧会というか、蜂の巣を壁いっぱいに貼りつけたというか、司令塔の壁という壁をあますところなく占領していた。
 その間に、幾段もの縞模様となって、丸形の計器や水平形の計器などが、ずらりと並んでいた。それ等はすべて夜光式になっていて、たとえ司令塔の電灯が消えても、ちゃんと計器の指針がどこを指しているかが分かるように造られてあった。
「速度、十五ノットか。よし、この辺で、もう五ノット上げてみい」
 リット少将は、飛行島の速度を、さらに注意ぶかく上げることを命じた。
 二十ノットに速度を上げよと、電話は機関部にとどいた。
「おう、二十ノット」
 命令は、伝声管や高声器でもって、半裸体で働いている部員に伝えられてゆく。
「二十ノット。よろしい、いま重油の弁(バルブ)をあけるよ」
 弁を預かっていた面長な男が、大きなハンドルをしずかにまわしながら、計器の針の動くのをじっとみつめている。と、突然、
「おや、お前は誰だ」
 そこへ監督にやってきた機関大尉フランクが、うしろから呼びかけた。
 面長な東洋人は、フランクの声が聞えないふりをして、なおもしずかにハンドルをまわしていた。
「ええ、二十ノット、出ました」
 彼は落着いた語調で、伝声管の中に報告をふきこんだ。
 諸君、このものしずかな東洋人は、一たい何者であったろうか。


   怪東洋人


 まっ暗な南シナ海の夜であった。
 文明の怪物ともいうべき飛行島は、いま波濤を蹴って、南へ南へと移動してゆく。
 飛行島の前後左右は、それをまもる艦艇がぐるっととりまき、一片の浮木も飛行島に近づけまいとしている。
 空には、空軍の精鋭が、かたい編隊をくんで、もし空から近よる敵機あらば、何国のものたるをとわず、一撃のもとに撃ちおとしてくれようと、ごうごうと飛びつづけている。
 飛行島は、だんだんにスピードを上げていって、いまや時速二十ノット!
 夜間のこととて、わずかにもれる光に、舷側の白い波浪や艦尾に沸くおびただしい水沫、それから艦内をゆるがす振動音などが乗組員たちの耳目をうばっているにすぎないが、昼間だったら、まさに言語に絶する壮観であったに違いない。
 飛行島を動かしている機関部の諸エンジンは、すこぶる好調であった。これでゆけば、最大スピードの三十五ノットを出すことも、さほど難しくはなかろうと思われた。
 ここはその飛行島の機関部――
 重油の弁(バルブ)を巧みに開いて、飛行島のスピードを今二十ノットに上げたばかりの機関部員は、面長の東洋人であった。
(二十ノット、出ました)
 と、伝声管のなかにおとした音声も、どっしりとおちついている。まことに頼もしい機関部員だ。
 それを傍から見下している機関大尉フランクの顔は、これはまた反対に、非常に険しい。彼の右手は、ピストルのサックを探っているではないか。
 東洋人にはフランクのこうした様子が見えないのか、彼は顔色一つかえないで、じっとメートルの面を見守っている。
「エンジンはつづいて好調」
 かの東洋人は、憎いほどものしずかな調子で、だが歯ぎれのよい英語で、伝声管から司令塔へ報告する。
「おい! 貴様は誰だ?」
 フランクは憤りをこらえかねて呶鳴りつけた。が、東洋人は、びくともしない。いや、自分のことと思っていないのか、
「はあ、はあ、リット少将閣下ですか。エンジンの調子は見込よりもむしろ実際の方がずっとよろしいようであります。――はあ、どのエンジンにつきましても、すでに検査をおえました。さすが大英帝国の機械だけあります。――はあ、はあ、承知いたしました。なお細心の注意をおこたらず、身命を賭して、エンジンをおあずかりいたします。どうか御安心ください」
 これを聞いていた機関大尉フランクの顔といったらなかった。まず真赤になり、眼をとび出すほど見開いて、やがて蒼白になっていった。
 司令官リット少将と、なれなれしく会話をとりかわしているこの東洋人は、一たい何者であろうか。
 フランク大尉は今まで見たこともない男が、自分が受けもっている機関部で、何の不思議もなく働いているのに、まずあっけにとられ、次の瞬間頭がくらくらとするほど驚いた。
 それにしても、いつもここにいる部員たち、殊に、彼が最も信頼しているケント兵曹は、今どこへ行って、何をしているのか。
 彼は、飛行島にとって最も恐るべきことが、目前に起っていることを感じると、最早ためらうべき時でないと、ずっしりと重いピストルを握りなおして、東洋人の頭にぴたりと銃口を向けた。
「こら」その声はふるえを帯びていた。
「貴様は何者だ。命が惜しかったら、いまから十かぞえる間に姓名を名のれ。その間に名のらなかったら、おれは機関部第二分隊長の実力をもって、貴様を射殺する」
 ピストルを握ったフランク分隊長の右手は、わなわなとふるえていた。
 いうまでもなく、この東洋人こそ、われらの大勇士、川上機関大尉の変装姿であったのだ。


   川上機関大尉現る!


 おお川上機関大尉!
 どこにどうしていたのか、川上機関大尉は、再び、われらの前に現れたのだ。
 そもそも飛行島の秘密を探る命令が川上大尉にくだったのは、もちろん彼が、飛行島を動かすエンジンなどの諸機械にくわしいところを見こまれたからであるが、しかし理由はただそれだけではない。彼の鋭い頭の働きと、底知れぬ大胆さと、そしていかなる死地にあっても、くそおちつきにおちついて物事を考える。そして、よしとなったらどんなことでもやり通さずにはおかない恐るべき実行力を見こまれたからであった。
 一たい人間というものは、その相手から思いきった大胆なことをやられると、却って気をのまれてしまって、なにも手だしができないものである。これが死地にあって敵と闘うときの最上の極意である。わが川上機関大尉は、この尊い極意をちゃんと心得ていたのだ。
 フランク大尉はピストルの引金に手をかけた。
「覚悟はよいか。一から十まで数えおわれば、この引金をひくのだぞ。さあ数えるぞ、一(ひ)イ、二(ふ)ウ、三(み)イ、……」
 数え出したフランク大尉の緊張にひきつってゆく真青な顔。
 だが見よ、どうしたというのだ。川上機関大尉は、死が数秒の後に迫っているというのに、エンジンの前のハンドルを懸命にあやつり、メートルの指針をいちいち直してゆく操作ぶりのあざやかさ! まるで目前の仕事に身も魂も打ちこんでいる真剣そのものの姿ではないか。フランク大尉は、その凄じい気魄にたじたじとなったが、必死にこらえて、
「――五(い)ツ、六(む)ウ、……」
 のこるはわずか、あと四つの数だ!
 ピルトルの引金を握りしめた右手から油汗がにじみ出した。
 轟々たるエンジンの唸は、室内をゆりうごかして、一段とものすごい。
「――七(なな)、八(や)ア、九(こ)ノ……」
 あっ、のこりの数は、もうあと一つ!
 そのとき突然、高声器が大きな声を発した。
「二十五ノットに、スピードを上げい!」
 司令塔からの号令だ。
「はい、二十五ノットに上げまあす」
 川上機関大尉は、一秒のおくれもなく、伝声管のなかに復誦した。そしてただちに給油弁(バルブ)を開くために、ハンドルをぐるぐる廻しはじめた。
(十(とお)オ!)
 と、最後の数字をかぞえようとして、フランク大尉は、それを喉の奥にのみこんだ。すっかり気を奪われたのであろう。ピストルの銃口だけは、川上機関大尉の方に向いているが、引金にあたっている指にはもう力がはいっていない。
 気が臆したフランク分隊長は、こうなればもう銅像みたいなものだった。
「はい、二十五ノット、よろしい。エンジンはいずれも快調です。異常変動、全くみとめられず!」
 川上機関大尉の声は、いよいよ冴えた。
 その声がフランク大尉の鼓膜をうつと、彼は反射的にピストルの引金をぎゅっと握りしめた。
(十(とお)オ!)
 その瞬間、
「あっ、分隊長! な、なにをなさるんです」


   フランク分隊長の話


 左手の通路から、おどりこんできたのは、ケント兵曹だった。
「あっ、あぶない」
 と叫ぶのも口のうち、彼はフランク大尉と川上機関大尉との間に、すばやく立ちふさがった。
「おい、退け。なにをするんだ」
「フランク大尉、あなたこそ、何をなさるんです」
「ケント兵曹。のかんか!」
「お待ち下さい。――まちがいがあってはなりません」
「なに、まちがい? 何のまちがいだ」
「ああ、御存じないのですか。いまわが飛行島は試運転中で、それにつきまして、リット少将閣下は、わが機関部が最善の成績を上げるようにと訓令せられました」
「そんなことは、よく分かっている」
「ところが、さっきこの第四ディーゼル・エンジン班の一人の部員が急にめまいがしてぶっ倒れましたが、それにつづいてたおれる者続出、今では十六七名という多数にのぼっております」
「そ、そんなことがあるものか。俺は、そんな報告に接しておらぬぞ」
「あれ、フランク大尉は御存じなかったのですか」
 ケント兵曹は、あきれ顔で大尉の顔を見上げた。
「――で、でも、そんなことがあろうはずがありません。機関部は上を下への大騒動でありました。上官にその報告が行っていないなんて……」
 フランク大尉は、それを聞くと、何を思い出したか、
「そうだ。ふむ、あれかもしれぬ」
「えっ、なんとおっしゃいます」
「うむ。実は今から三十分ほど前、リット少将の副官から電話がかかってきて、『飛行島の三十六基のエンジンのうち、調子の合わないものが二三あるらしく、司令塔のメートルをみていると、あるところへ来ると、変な乱調子が起る。だから、貴官はすぐさま、三十六基のエンジンの仕様書と試験表とを各班からあつめて、すぐこっちへ持ってこい』という命令だ。そこで俺は、あとをゼリー中尉にたのんで、さっそく仕様書と試験表をあつめに出かけたのだ」
「おや、そんなことがありましたか。そのゼリー中尉が、真先にぶっ倒れたのですが、御存じでしょうな」
「いや、知らない。その報告も受けていない」と、フランク大尉はつよくかぶりをふった。
「俺は、試験部へ行って、リット少将閣下が命令せられたものを集めるのに夢中になっていた。ところがその仕様書はすぐ集ったが、試験表の方がなかなか揃わない。それに手間どって、試験部の責任者を呶鳴りつけたりしているうちに、時間はどんどん廻って、二三十分かかってしまった」
「では、大尉は、ずっと試験部におられたのですね」
 ケント兵曹は、やっと話がのみこめたという風だった。
「そうだ。試験部の、机の引出をみな引き出して、やっと試験表を三十通までみつけたが、あとの六通が見あたらない。あまり遅れてもと思って、足りないままで、副官の前へ持って出たがとたんに大恥をかいた?」
「大恥とは何です?」
「うむ。副官はそんな電話をかけてそんな命令を出した覚がないといわれるのだ」
「そりゃ、変ですね」
「変だ。まったく変だ。とにかく副官に笑われて、ここへかえってきたのだ。重大な試運転の真最中に、誰か副官の声色をつかって、俺を一ぱいくわせたのかとむかっ腹をたててここへ帰ってくると、ほら、そこにいる怪しい東洋人が眼にうつったではないか」
「あ、なーるほど。それでよく分かりました」
 ケント兵曹は、そういってから、はじめて、東洋人がこの機関部へきたわけを次のように話した。
「この男は、第六班から、応援によこした機関部員ですよ。フイリッピン人で、カラモという男です。なかなかよく働きます。三人分ぐらいの持場を、彼一人でひきうけていますが、少しもまちがわないです。こういう事故が起った際にはあつらえ向の男です」
 フランク大尉は、うなずきながら聞いていたが、眼をぎょろりと光らせたかと思うと急に声を落して、
「だが、怪しい奴じゃないか。おいケント兵曹。殊によると、あいつは例の日本将校カワカミじゃないかねえ」


   ピストルの監視下に


「カワカミですって?」
 と、ケント兵曹はあきれ顔をしてといかえした。
「フランク大尉。監視隊は七名ものカワカミを捕らえ、リット少将の命令でみな殺してしまったそうですよ。いや、これは上官の方がよく御存じのはずですが」
「それはそうだったが、でもケント兵曹。あの横顔を見ろ、どっかカワカミに似ているじゃないか」
 フランク大尉はしばし思案顔であったが、何事か決心したものとみえ、
「うむ、やっぱりカワカミに違いない。万一違っていた時は俺が責任をとればよいのだ」
 といいざま、一旦しまったピストルを、ふたたびサックの中からだして、さっと川上の頭を狙った。
「あっ、なにをせられます」
「ケント兵曹。退け、俺は飛行島の秘密をまもらねばならぬ」

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