太平洋魔城
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著者名:海野十三 

 アメリカの艦艇が、さかだちとなって、ゆらゆらと水中に、しずみはじめるごとに、司令官ケレンコは、太刀川にむかいほこらしげにいった。
 だが、太刀川は、わざと、
「相当ですが、私の理想からいえば、まだやり方がにぶいですね」
 という。
「なに、あれでまだにぶい?」ケレンコはにやりとして、
「うふん、だが、あれが日本艦隊だったら、もっと、こっぴどくやっつけるんだが、なにをいっても友邦アメリカだから、遠慮してあのくらいにとどめておくのだよ。うふふふ」
 ケレンコは、鬼のように笑った。
 その時、とつぜん、潜水兜が、ぴんぴんと、異様な音をたててなった。
 とたんに、たんたん、じゅじゅというひびきがつづいて起り、急に上から、おさえつけられるような重くるしさを感じた。
「あ、あぶない。運転士、すぐ左旋回で、うしろへひっかえせ!」
 ケレンコが、さけんだ。
「は、はい」
「はやくハンドルをまわせ。ぐずぐずしていると、みんなこっぱみじんになるぞ。敵の爆弾が、近くの海面におちはじめたんだ!」
「は、はい!」
 運転士は、力一ぱいハンドルをまわした。
 だが、そんなことで爆弾からにげさることはできなかった。すぐ頭のうえに、ものすごいやつが落ちてぱっと爆発した。あっと思う間もなく、三人ののった水中快速艇は、まるで石ころのように、海底をごろごろところがって、はねとばされた。もちろん三人が三人とも、しばらくは気がとおくなって、どうすることもできなかった。
「うーむ」とうなりながら、ケレンコが気がついたときは、彼ののっていた快速艇は、みにくくうちくだかれ、頭を海底の泥の中につきこんでいた。
 あたりを見まわしても、太刀川の姿が、見えない。
(逃げたかな)と思った、ケレンコは、
「運転士」とよんだ。
 すると、かすかなうなり声が、運転台からきこえた。
「司令官閣下もうだめです。快速艇は、うごかなくなりました。どうしたらよいでしょう」
「心配しないでもよい。今に他の艦が通りかかるだろう。――それより、あれはどうした。太――いや、リーロフ大佐は?」
「リーロフ大佐は、さっき艇から下り、前へまわって、故障をしらべていたようですが」
 司令官ケレンコは、座席から立ちあがって、艇をでた。さいわい艇についている照明灯一つが、消えのこっているので、あたりは見える。
「おお司令官閣下」
 とつぜん、ケレンコは、うしろからよびかけられた。
 ふりかえってみると、リーロフ大佐の潜水服をきた太刀川が立っている。
「お、お前は無事じゃったか」
「はい。ごらんのとおり、だが、この艇はもうだめです。ただ今、無電をもって、別の艇をよんでおきました」
「ほう、それは手まわしのいいことだ」
 とケレンコはうなずき、
「お前のいったとおり、こんな目にあうと知ったら、酒を用意してくるんだったね」
「いや、どうもお気の毒さまで……」
 といっているとき、後方から、一隻の大きな潜水艦がやってきた。
 それをみて、太刀川は、「おや」と思った。
「これは恐竜型潜水艦じゃないか。快速艇をたのんだつもりだったのに……」
 潜水艦は、やがてケレンコたちのすぐそばへきて、とまった。すると艦橋から、大きな声がした。水中超音波の電話で、艦内からよびかけているのだ。
「司令官閣下。おむかえにまいりました。おめでとうございます。恐竜第六十戦隊が、三十数隻のアメリカ艦艇を撃沈して、全艦無事いま凱旋してくるというしらせがありました」
「うむ、そうか。三十数隻では、十分とはいえないが、とにかく恐竜万歳だ。祝杯をあげよう」
「祝いの酒は、本艦内にたくさん用意してまいりました。さあすぐおのり下さい。いま潜水扉をあけます」
「うむ」ケレンコは、なにか、ひとりでうなずきつつ、太刀川をうながして、迎えの潜水艦の胴中についている潜水扉から、艦内へはいった。
 太刀川もケレンコにつづいて艦内へはいったが、とたんに通路のむこうから、こっちを見てにやにや笑っている体の大きい士官の顔!
 あ、リーロフ大佐だ! 本もののリーロフ大佐だ!


   万事休す


「あ、リーロフ大佐だ!」
 太刀川時夫は、潜水着の中で、おもわずさけんだ。
 無理もない。リーロフの潜水着をきて、リーロフになりすましているところへ、本もののリーロフ大佐があらわれたのである。
(錨にしばりつけたはずのあのリーロフが?)
 そんなことを考えてみる余裕さえなかった。
 太刀川時夫の運命は、きまった。太平洋魔城の大秘密を、ことごとく見てしまった以上、生きて日本へかえされるはずはない。
 逃げるか?
 とっさに考えて、あたりを見まわしたが、潜水扉は、すでに水兵の手で、ぴたりととじられてしまい、その前に、二人のたくましい哨兵が、こっちへ逃げてきてもだめだぞといわんばかりに、けわしい目つきで、はり番をしているのだった。
 リーロフ大佐は、大股でつかつかと歩みよって、いった。
「おい、太刀川。おれの潜水服の着心地はどうだったかよ」
 だが太刀川は無言のままだ。
「おれのいうことが聞えないらしい。はてさて、こまったものだ」
 と、わざとらしくいって、
「ふん、さっきは貴様のおかげで、もうすこしで古錨をかついだまま亡霊になりはてるところだった。運よくケレンコ閣下が通りかからなければ、すくなくとも今ごろは、冷たい海底にごろ寝の最中だったろう」
 リーロフ大佐は、そういって、太刀川をにらみつけると、コップ酒を、うまそうにごくりとのんだ。
「おい、なんとかいえ。おればかりにしゃべらせないで。いや、待て待て。その兜をぬがせてやろう。どんな顔をしているかな」
 リーロフ大佐は、コップを水兵に渡して、太刀川の方へ、すりよってきた。その手に、太いスパナー(鉄の螺旋(ねじ)まわし)が握られていた。
 太刀川は、それでも無言で、つっ立っている。
「おい、水兵ども。おれの潜水服をぬがせてしまえ」
 そういうと、水兵たちは、どっと太刀川にとびかかって潜水服をぬがせた。
 兜の下から青白くこわばった太刀川の顔があらわれた。
「あっはっはっは。こわい顔をしているな。おい、太刀川。さっきから、こうなるのを待っていたんだ。積り重る恨のほどを、今、思い知らせてやるぞ」
 リーロフ大佐は、酔った勢いも手つだって、鋼鉄製のスパナーを、目よりも高くふりあげた。
 たくましい水兵たちは、太刀川をおさえつけて、さあ、やりなさいといわんばかりに、リーロフの方へつきだした。


   ケレンコの腹の中


 太刀川は、声もたてず、しずかに瞼(まぶた)をとじていた。
 リーロフが、満身の力をこめて、スパナーをふりおろそうとした時、うしろから、その腕を、むずとつかんだ者がある。
「あ、誰だ。……」
 リーロフは、まっ赤になってどなった。
「リーロフ。なにをばかなまねをする。わしのつれてきた珍客を、お前は、どうするつもりだ」
 司令官ケレンコだった。
 ケレンコは、奥へいって、艦長から報告をきくと、すぐ引返して来たのだ。
「はなしてください、ケレンコ司令官。この太刀川こそ、わが海底要塞にとって、たたき殺してもあきたりない人物じゃないですか」
「そんなことは、よく知っているよ。しかしお前は、あんがい頭が悪いね。太刀川と知りつつ、海底要塞を案内したり、恐竜型潜水艦の威力を見せてやったりしたのは、一たい何のためか、それぐらいのことがわからないで、副司令の大役がつとまるか」
 ケレンコは、リーロフを小っぴどくとっちめた。だが、リーロフはひるまなかった。
「でも、ケレンコ閣下、太刀川みたいなあぶない奴は、早く殺しておかないとあとで、とんだことになりますぜ」
「それだから、お前はだめだというんだ。太刀川は、日本進攻の際の、このうえないいい水先案内なんだ。お前には、それが分からないのか」
「え?」
「この男は、海洋学の大家だぞ。ことに、日本近海のことなら、なんでも知っているはずだ。この知識をわれらの目的につかうまでは、太刀川は大事な人間なんだ。おい太刀川。貴様にも、はじめてわけが分かったろう。生かすも殺すも、わしの勝手だ。だが、わしの命令にしたがえば、恩賞はのぞみ次第だ」
 太刀川は、
(何を、ばかな)
 と思ったが、それには答えず、何事を考えたのか、にやりと笑った。
「おい、衛兵長。それまでこの太刀川を監禁しておけ」
「は。どこへ放りこみますか」
「あいている部屋ならどこでもよい。それから、上等の食事に、酒をつけてな」
「は。たいへんな御馳走ですな」
「余計なことをいうな。しかし、逃げないように。もし逃がしたら、お前をはじめ衛兵隊全員、銃殺にするぞ」
「は、はっ」
 衛兵長とよばれた下士官は、それきり一言もなかった。太刀川は、引立てられた。
 リーロフ大佐は、それでもあきらめかねたか、酔眼(すいがん)をこすりながら、太刀川のそばに近づくと、たくましい腕をふりあげて、太刀川をなぐりつけようとした。
 司令官ケレンコは、それをたしなめるようににらみつけると、衛兵たちにむかって、
「早くつれていけ!」
 と命令した。


   くさい監禁室


 潜水艦が、海底要塞にかえりつくと、太刀川は、大勢の衛兵たちにつれられて、臨時一号監禁室に放りこまれた。
 そこは、どうやら、海底要塞の、ごく底の方らしく、臨時というだけあって、まるで倉庫であった。器械を入れてあったらしい木箱や、まだときもしない貨物や、酒樽みたいなものが、ごたごたと山のように積みあげてある。そのすみに、古ぼけた寝台がおいてあった。それはまだいい。たまらないのは、この部屋にみちている悪臭だった。
「あ、たまらない臭だな」
 と、衛兵長は、まっ先に顔をしかめた。
「なんだね、このむかむかする臭は」
「缶詰がくさったらしいんです。捨てろという命令が出ないので、そのままになっているんです」
 と、部下の一人がこたえた。
「これは、やりきれん。早いところ、この日本猿を片づけてしまわないと」
 衛兵長は、顔をしかめながらいった。
「日本猿を、こっちへつれてこい。鉄の足枷をはかせ、その鎖にゆわえつけとくんだ。貴様が逃げだせば、こっちの命までが、ふいになってしまうからな。しっかりゆわえておけよ」
 無言の太刀川を、五人ばかりでおさえつけると、両脚に、鉄でつくったゲートルのようなものをはかせ、その合わせ目に、ぴーんと錠をおろし、更に鉄のゲートルの穴に、二本の重い鉄の鎖を通した。その鎖のはしは、床下に、しっかりと埋っている。まるで重罪人あつかいだ。
「おい、できたか。どうもこの悪臭には、降参だな」
「もう大丈夫です。絶対に逃げられません」
「そうか。では、その方は、それでよしと、あとは飯をくわせてやれ。酒もすこしばかりつけてやれ。だがこの悪臭の中で、食えるかな」
 衛兵長が、そういいながら出ていこうとするので、五人の部下はおどろいて、
「衛兵長。どこへいくのですか」
「うん、おれはちょっと、司令官のところへ報告をしてくる。お前たちは、いいつけたとおり見はっているんだ」
 衛兵たちは、たがいに顔を見合わせてあきれた。が、衛兵長の靴音がきこえなくなると、彼等もみんな外に出た。
「ここならまだ、ましだ。この中にいちゃ、目まいがしそうだ」
「じゃおれは食物をとってくるからな」
「いや、それはおれがいこう」
「待て、おれもいく」
 衛兵たちは、先をあらそって、廊下をかけだして行った。あとには、気のよい衛兵が、たったひとりで、廊下ではり番をしている。
 太刀川時夫は、悪臭をじっとがまんしながら、ゆがんだベッドに腰を下した。祖国日本の一大事を、どうして知らせたものかと、おもいなやんでいるのだ。
「あのステッキがあればなあ」
 日本を出発するときに原大佐からもらったステッキを彼はおもいだした。クリパー艇が沈没するまでは、たしかに持っていたが、海底要塞の中にすいこまれてからこっち、ステッキはどこへいったか行方がしれないのだ。
 ぬけ出すか!
 今では、それさえ思いもよらないことになってしまった。
 太刀川が、腕をくんで思案にくれている時である。
 部屋のすみっこに積んである空樽が、人も鼠もいないのに、ぐらぐらとうごきだした。


   秘密のぬけ穴


 うごきだした樽は、ひょいと横にのいた。すると、そのあとにあいた穴から思いがけない人の顔があらわれた。まっくろな顔だった。原地人だ!
 原地人は、穴から出て来ると音をしのばせて、こっちへはいだした。と思うと後をふりかえって、手まねきをするようであった。すると、また一人、その後からあらわれた。長いひげをはやした東洋人の顔。
 つづいて、第三の顔があらわれた。これは白人だ。
 その時であった。太刀川時夫が気がついて、がばとはねおきたのは。
 彼は、とつぜん身近に、人の気はいがしたので、はねおきて、その方をじーっと見つめた。すると、天からふったか地からわいたか、部屋のすみっこに三つの思いがけない顔が、こちらを見ている。
「あ、ダン艇長」
 と、太刀川はひくくさけんで、ベッドから立ちあがった。
 ダン艇長! そうだ、その白人は、ダン艇長にちがいない。他の二人はいうまでもなくロップ島の酋長ロロと、あの手品のうまいクイクイの神様こと、実は日本人漁夫の三浦須美吉であった。
 ダン艇長も、鉄鎖でつながれている太刀川を見て、
「おお、……」
 と、いって、かけだそうとした。それを、酋長ロロと三浦須美吉が、無言でぐいとおしもどした。
 この部屋の外には、衛兵がいるのだ。もしこれが知れたら、非常警笛が鳴りひびき、同時に衛兵たちがどやどやとなだれこんで来て、四人をうむをいわさず、銃殺してしまうだろう。
 ダン艇長は、気がつくと、そーっと太刀川のそばに近づいて、
「太刀川さん。これは一たいどうしたのですか」
 といって、時夫の手を握った。
「ありがとう。これにはわけがあるが、僕は、捕虜になってしまったんです。しかしあなたがたは、どうしてこんなところへ?」
 するとダン艇長は、
「太刀川さん。これは、すばらしい探検記ですよ。だが、僕たちは、このまえ一度、あなたをみかけましたね」
「そうそう、海底の汽船が沈没していたところでしょう」
「そうです、あの時、僕はあなたを見つけたのですが、あまりのことにびっくりしたのです。実は、太刀川さん。僕はこの酋長ロロのすんでいるロップ島へながれついて、一命を助ったのです。酋長ロロは、なかなかりっぱなそして勇敢な人間です。そのロップ島からすこしはなれたところにカンナ島という石油が出る島がありますが、そのカンナ島の古井戸から、この海底城(ダン艇長は海底城という言葉をつかった)へ、秘密の通路があることを知って、僕たちをつれてきてくれたのです」
 聞けば聞くほど、奇々怪々な話であった。
「その秘密通路というのは、一たい誰がつくったものですか」
 太刀川は、そう問いかえさずにはいられなかった。
「いうまでもなくこの海底城をつくった人間がつくったのです。カンナ島に、かくれた石油坑があればこそ、この海底城に、電灯がついたり、ポンプがまわったりしているのです」
「なるほど」
 太刀川は、その大がかりなのに、今さらのように感嘆した。
 その時、クイクイの神様こと、三浦須美吉が、前へのりだしてきて、太刀川の腕をとった。


   日本人同士


(こいつ、なにをするんだろう)
 太刀川は、クイクイの神様が、指さきで、腕をこするので気味わるく思ったが、ふと、
(おや、なにか字を書いているようだぞ!)
 気がついた。よく見ると、それは日本の片仮名だった。
「アナタハ、ニッポンジンカ。ワタクシモ、ニッポンジンダ」
「ほほう、……」
 と、太刀川はおどろいて、クイクイの神を見なおした。
「僕は日本人で、太刀川時夫というんだ。君は誰だ」
「ああ、やっぱりあなたも日本人!」
 クイクイの神様は、いきなり太刀川にすがりついた。
「うれしい。こんなところで日本人に会うなんて、まったく夢のようです。ダン艇長が、あなたのことタツコウとよぶので、フィリピン人かと思っていたんです。よかった。わたしも日本人、三浦須美吉という者です」
「え、三浦須美吉」
 こんどは太刀川の方が、おどろいた。
「じゃ、君が三浦須美吉君か」
「そうです。あなたはどうしてわたしの名前を……」
「知っているとも、僕は、君が海中へ流した空缶の中の手紙によって、はるばる大海魔を探しに来たのだ。それにしても君はよく生きていたね」
 二人の日本人は、手に手をとって、うれしなきだ。さっきからいぶかしそうに見ていたダン艇長と酋長ロロも、それと気がついて、ふしぎなめぐり合いにおどろいた。
 太刀川は、今までのことを手みじかに話した上、このおそるべき海底要塞の日本攻略準備がなった以上、これを一刻も早く日本へ知らせなければならぬと語った。
「よく、おあかし下さいました。私も、死んだつもりで、祖国日本のために働きます」
 三浦須美吉は、体をふるわせて、太刀川の前にちかったが、足もとの鉄の鎖に気がつくと、ダン艇長、酋長ロロに、
「早く」
 というように目くばせして、鉄の鎖を、ぐいとひっぱった。鎖が、がちゃりとなった。


   銃声


 廊下にいた衛兵が、それに気がついた。
「おや」
 と思ってのぞくと、この有様だからぴりぴりぴりと、警笛をならした。
 酋長ロロは、腰をぬかし、三浦は、立ちすくんだ。ダン艇長は、腰におびていたピストルを手にとって、身がまえる。
 とたんに、轟然たる銃声がひびいた。
「うーん」
 と、さけんだのは、ダン艇長だった。彼の体は、後にのけぞって、どすんと床にころがった。衛兵が、真先にねらい撃ったのである。
「ひゃー」
 と、酋長ロロは、こんどは腰がはいったのか、ぴーんととびあがった。
 そこをまた、だーんと一発!
 ぎゃっという妙な悲鳴、酋長ロロも、そこへたおれてしまった。そのつぎは、三浦須美吉と、太刀川時夫だ。
 衛兵は、銃口を三浦の方へむけた。
「あっ、あぶない。三浦君、そこへ伏せ」
 太刀川は、さけんだ。
 ところが三捕は、伏せをするどころか、衛兵の方をみて、げらげらと笑いだしたのである。
 衛兵はびっくりして鉄砲をひいた。よく見ると、黄いろい顔をした妙な風体(ふうてい)の男が、長いひげをひっぱりながら、こっちをむいてあはははと笑うのである。
 三浦は、気が変になったわけではない。例のクイクイの神様に、ちょっと早がわりをしただけのことである。神様になると、妙に気がおちつくのであった。
「待て、ポーリン」
 という声とともに、入口に、どやどやと足音がきこえたが、いきなりとびこんできたのは、衛兵長であった。
 クイクイの神は、すばやく両手をあげて、降参の意をしめした。
「生き残ったのは、こいつだけか」
 と衛兵長は、いって、
「おい、ポーリン。しばっちまえ」
 と、命令した。
 三浦がしばられている間に、部下の衛兵たちは、ぞくぞくあつまってきた。
「こいつら、一たいどこからまぎれこんだのだろう。それとも、前から、この要塞の中にいたのかな。どうもふしぎだ」
 衛兵長は、つぶやいて、
「とにかく司令官のところへ、こいつを引立てよう。さあ、歩け。この長ひげめ!」
 三浦は、衛兵長に腰をけられて、いやいやながら歩きだしたが、その時、とつぜん、妙な節まわしで、唄をうたいだした。
「いまにイ、たすけるかーら、たんきを、だアすナ」
 それは三浦のとくいな磯節だった。
 太刀川は、それをきくと、三浦の方に向かって、自分の足を指さし、
「君をけとばした奴が、鍵をもっている!」
 といった。日本語だから誰にも分かるはずがない。うまくいったら、鍵をとってくれというのだが、すこぶる無理な注文である。
 三浦が、引立てられていったところは、司令官室であった。
 しかし一同は、衝立(ついたて)のかげで、しばらく待っていなければならなかった。
 というのは、奥で、しきりにケレンコ司令官のあらあらしい声が聞えているからであった。
「……日本攻略の日は、明朝にせまっているのに、貴様は、酒ばかりのんでいる。少しつつしみがたりないではないか」
 その声は、三浦に聞えたが、ロシア語だからその意味を知ることはできなかった。もし太刀川が、これをきいたとしたら、どんなにおどろいたろう。一たいあの恐竜型潜水艦に勝てるような防禦兵器が、わが日本にあるのだろうか。
 危機は、もう目と鼻との間にせまっているのだ。
「うーい。日本攻略は攻略、戦争は戦争。酒は酒ですぞ。リーロフは、戦闘にかけちゃ、ふん、お前さんたあ、第一この腕がちがうよ」
 そういっている相手は、やっぱり副司令のリーロフ大佐だった。
「無礼なことをいうな。よし、ただ今かぎり、貴様の副司令の職を免ずる」
「なに、副司令の職を免ずる」
 酔った勢いも手つだって、リーロフも負けていない。
 とつぜん椅子がたおれ、靴ががたがたとなる音がきこえた。司令官ケレンコとリーロフ大佐とが、日本攻略を前に、大喧嘩をはじめたのだった。


   鍵を掏(す)る神


 クイクイの神様こと三浦須美吉を引きたててきた衛兵長は、司令官の前で、工合のわるいことになった。
 ケレンコ司令官とリーロフ大佐が、扉の向こうでつかみあいを始めたからである。室内に入るに入れず、そうかといって、このままひきかえすわけにもいかない。
「えッへん」
 衛兵長は、わざと大きな咳ばらいをした。
「ええ、司令官閣下、ただ今わが海底要塞に怪人物が三人、しのびこんでいるのを発見しましたぞ。私が引っとらえて、ここへつれてきましたが、ものすごい奴であります」
 衛兵長じまんの、大声がケレンコの耳に入らないはずはなかった。
「おい、リーロフ。しずかにしろ」
 司令官は、リーロフ大佐になぐられた頤(あご)を、いたそうにさすりながら、大佐に目くばせした。
(われわれ二人の格闘は一時休戦だぞ――)
「な、なにを、……」
 リーロフ大佐は、床にたおれたまま歯をむきだして、どなった。たった今、ケレンコ司令官から、副司令の職をはぎとられたことが、大いに不平でならないのだ。
 だが、喧嘩はとにかく一時おさまったらしいので、衛兵長は、室内へはいった。
「司令官閣下。この男です、監禁室にあてた倉庫の中から、とびだしてきた奴は」
 そういって、クイクイの神様の背中を、どんと前についた。
「ほう、この髭(ひげ)もじゃか」と、ケレンコは目をみはって、
「ところで衛兵長、お前は、三人のあやしい男を発見したとかいったが、あとの二人はどうしたのか」
「はい、二人はその場で、鉄砲でうちたおしてあります。ご安心ください」
「おお、そうか」
 と、司令官はうなずき、クイクイの神様の方にむいて、
「おい、髭もじゃ。貴様は、何者だ。又どうして、こんなところへはいりこんだのか」
 クイクイの神様である三浦須美吉には、ことばは通じなかった。彼は、そんなことはかまわず、
「ああ、ゼウスの神よ、奇蹟をもたらせたまえ」
 妙な言葉をとなえて、上目づかいに天井をみあげた。
「ああ神よ、床にはうこの牛男が、奇蹟をもたらすといいたまうか」
 牛男というのは、酔っぱらいのリーロフ大佐のことだった。クイクイの神様は、つと手をのばして、リーロフの服にさわったかと思うと、ぎゃっとさけんで、掌のうちに一箇の鶏卵をぬきとった。
「おお、牛男は、卵を生んだ」
 クイクイの神様は、あきれ顔のリーロフ大佐の掌に、いま彼の服からぬきとった卵をのせてやった。
「あれ、この髭もじゃ先生、おれの体から卵を、ぬきだしやがったぜ。これは、ふしぎだ」
 リーロフは、目をまるくして、掌のうえにのっている卵をみていたが、
「おお、ほんとうの卵だ。この海底要塞の中で、卵にお目にかかるなんて、たいへんな御馳走にありついたものじゃ」
 ケレンコ司令官をはじめ、その場にいあわせた将校や兵士も、クイクイの神様の手なみにあっけにとられている。
「ああ神よ。次なる奇蹟は、こっちのいかめしき鮭男から、下したまえ」
 クイクイの神様は、こんどはくるりと後へむいて、手を衛兵長の腰のあたりにさしのばした。
「これ、そばへよるな」
 衛兵長が、たじたじとなる刹那(せつな)、
「ええい!」
 クイクイの神様は、衛兵長の腰のあたりから、また一箇の鶏卵をぬきだして、その掌のうえにのせてやった。
「おお、神の力は、広大無辺である」
「あれ、いやだねえ。とうとうわしは卵を生むようになったか」
 衛兵長は、掌にのせられた卵を、気味わるそうにながめつつ、大まじめでいった。
 そばに立っていた将校や兵士が、くすくすと笑った。
 クイクイの神様になりすました三浦須美吉は、してやったりと、心の中でにやりと笑った。こんなことはなんでもない。ほんのちょっとした手品にすぎない。卵は、島で仕入れ、服の下にかくしておいたものである。
「こら、さわぐな」
 ケレンコ司令官が、にがにがしそうにどなった。
「子供だましの魔術をつかうあやしい男だ。だが明日の行動について、これから幕僚会議をひらくから、この男のとりしらべは後まわしだ。向こうへつれていって監禁しておけ」


   司令官室の激論


 室の外へつれだされて、クイクイの神様こと三浦須美吉は、(ほい、しめた)
 と、思った。
 もうこの司令官室に用はないのだ。彼の掌の中には、衛兵長のポケットから、すりとった一個の鍵がかくされていたのである。卵を出すとみせて、手さきあざやかに、この鍵をすりとったのだ。
 この時、床のうえに寝そべっていたリーロフ大佐が、むくむくとおき上った。そして司令官には、目もくれないで、部屋を出ていこうとする。
「おい、リーロフ大佐。どこへいく」
「どこへいこうと、おれの勝手だ」
「いっちゃならん。日本進攻を前にして最後の幕僚会議を開こうというのに出ていくやつがあるか」
「副司令でもないおれに、会議の御用なんかまっぴらだ。おれはおれの実力で自由行動をとる。あたらしい副司令には、太刀川時夫を任命したがいいだろう」
「なにをいうんだ。リーロフ、少し口がすぎるぞ、貴様は、明日のことをわすれているのか。われわれが、スターリン(ソビエトの支配者)の命令をうけ、これだけの時間と労力と費用とをかけて、この海底大根拠地をつくったのは何のためであったか。明日こそいよいよ恐竜型潜水艦をひきいて、日本艦隊を屠(ほふ)り去り、そして東洋全土にわれわれの赤旗をおしたてようという、多年の望がかなう日ではないか。その明日を前にして、貴様のかるがるしい態度は、一たいなにごとか」
「いや、おれはケレンコ司令官の戦意をうたがっているのだ。いつも、口さきばかりで、今まで一度も言ったことを実行したことがないではないか。君は、要塞の番人にあまんじているのだ。ほんとうの戦闘をする気のない司令官なんか、こっちでまっぴらだ」
「リーロフ大佐、何をいう。近代戦で勝利をおさめるのに、どれほどの用意がいるかを知らないお前でもないだろう。ことに相手は、世界に威力をほこる日本海軍だ。われわれはどうしても今日までの準備が必要だったのだ」
「ふふん、どうだか、あやしいものだね。君がやらなきゃ、おれは今夜にも、恐竜型潜水艦で、東京湾へ突進する決心だ。なあに、日本艦隊がいかに強くとも、東京湾の防備が、いかにかたくとも、あの怪力線砲をぶっとばせば、陸奥(むつ)も長門(ながと)もないからねえ。いわんや敵の空軍など、まあ、蠅をたたきおとすようなものだ」
 リーロフ大佐は、いよいよ鬼神のような好戦的な目をひからせる。
「おい、リーロフ。それほど何もかもわかっている君が、なぜ目先のみえない乱暴なふるまいをするのか」
「おれは、日本艦隊を撃滅するのをたのしみに、はるばるこんな海底までやってきたんだ。勝目は、はじめからわかっているのに、いつまでもぐずぐずしている司令官の気持がわからない。明日攻撃命令を出すというが、ほんとうか、どうか、いつもがいつもだから、あてになるものか」
 ケレンコ司令官は、リーロフ大佐のことばを、腕組して、じっときいていたが、やがて顔をあげ、
「よし、わかった。君の心底は、よくわかった。余が君を副司令の職から去ってもらおうとしたのは、大事を前にして、粗暴な君に艦隊をまかせておけないと思ったからだ。君がそれほど戦意にもえているのなら、今後は、粗暴なことをやるまい。なにしろ明日になれば、わが全艦隊は出動して、余も君も、ひたむきに太平洋の水面下を北へ北へと行進するばかりだからね」
「わたしもというと……」
「リーロフ大佐、君をあらためて副司令に任命するのだ」
「なんじゃ。それは、ごきげんとりの手か」
「いつまでも、ばかなことをいうな」とケレンコ司令官は、リーロフをたしなめて、
「そのうえ、もう一つ重大任務をさずける。これを見ろ」
 と、ケレンコ司令官は、テーブルの上の海図を指し、
「わが海底要塞に、今ある潜水艦は、三百八十五隻だ。余はそのうち二百五十五隻をひきいて、これを主力艦隊とし、大たいこの針路をとって、小笠原群島の西を一直線に北上する」
「ふん。そこで、のこりの百三十隻の潜水艦は?」
「その百三十隻をもって、遊撃艦隊とし、われわれよりも先に出発させ、針路をまずグァム島附近へとって、日本艦隊をおびきよせ、そのあたりで撃滅し、次に北上を開始し、紀淡海峡をおしきって、瀬戸内海をつくんだ。そのうえで、艦載爆撃機をとばせて、大阪を中心とする軍需工業地帯を根こそぎたたきつぶしてしまう」
「ふふん。話だけはおもしろい。この遊撃艦隊をひきいていく長官は、誰だ。もちろん、わたしにそれをやれというんだろう」
 リーロフ大佐は、先まわりをしていった。ケレンコ司令官は、いかめしい顔つきで、ぐっとうなずき、
「そのとおりだ。遊撃艦隊司令長官リーロフ少将だ。そうなると、君は提督だぞ。これでも君は、人をうたがうか。いやだというか」
「わたしは少将で、そっちは太平洋連合艦隊司令長官兼主力艦隊長官ケレンコ大将か。ふん、どうでも、すきなようにやるがいい」
 リーロフのことばは、どこまでも針をふくんでいる。
「さあ、そうときまったら、むだないさかいはよして、すぐに最後の幕僚会議だ。さあさあ、全幕僚を招集してくれ」
 ケレンコ司令官は、リーロフの気を引きたてるように、うながした。


   戦闘開始


 ケレンコ司令官の部屋で、会議がはじまった。
 テーブルの上の大海図を前に、おもだった者が、額をあつめて、作戦にふける。
 そこへ、監視隊からの、無電報告が、つぎつぎとしらされて来る。
「ただ今、十日午後六時。北北西の風。風速六メートル。曇天(どんてん)。あれ模様。海上は次第に波高し」
「よろしい」
 だが、しばらくすると、おどろくべき報告がはいってきた。
「……日本第一、第二艦隊は、かねて琉球附近に集結中なりしが、ただ今午後六時三十分、針路を真東にとり、刻々わが海底要塞に近づきつつあり。彼は、決戦を覚悟せるものの如し」
「ほう、日本艦隊もついにはむかってくるか。どこで感づいたのだろうか。いやいや、もっと見はってみないと、にわかに日本艦隊の考えはわかるまい。とにかくリーロフ提督、君のひきうける敵艦隊の行動について、ゆだんをしないように」
 と、ケレンコがいえば、リーロフは海図をながめて、無言でかるくうなずいた。
 おそろしい時が、刻一刻と近づきつつある。ケレンコのひきいる怪力線砲をもった恐竜型潜水艦隊の、おそるべき攻撃破壊力の前に、わが日本海軍が、はたしてどれほどの抵抗をみせるであろうか。
 この時、快男児太刀川時夫は、一たい、どうしていたか。
 ――われわれは、目をうつして彼が両脚をしばられて、とじこめられている部屋をのぞいてみよう。
 太刀川は、どうしたのか、脚をしばられたまま、床のうえに、うつぶせになって、たおれている。床のうえに、血が一ぱい流れている。あっ、足がつめたい。
 太刀川は、ついにやられてしまったのか。
 いや、待った。彼の顔を、横からみると、どうもへんだ。たしかにソ連人の顔である。ソ連人が、太刀川のかわりに、両脚をしばられて死んでいるのである。
 そのとなりにたおれているのは、ダン艇長らしくしてあるが、これもやはりソ連兵だ。その向こうにころがっているロップ島の酋長ロロらしいのも、よくみると酋長の腰布が、藁たばの上にふわりとおいてあるばかりだ。
 もちろんクイクイの神様もみえない。みんな、どこかへいってしまったのだ。一たいどうしたというのであろうか。
 この時、司令官室では、そのすみにある、むらさき色のカーテンのかげから、するどい二つの目が、のぞいていたのである。室内の将校たちは、明日にひかえた作戦会議に、夢中になっていて、気がつかない。部屋の外を、がちゃりがちゃりと音をさせて歩いているのは、衛兵である。みんな安心しきっているのだ。
 このするどい目の主こそ、わが太刀川青年であった。
 彼は、全身の注意力を耳にあつめて、作戦会議の成行をうかがっているのである。
「それでは紀淡(きたん)海峡に集めないで、一隊を豊後(ぶんご)水道にまわすことにしよう。呉(くれ)軍港をおさえるのには、これはどうしても必要だ。どうだ、リーロフ少将」
 ケレンコ司令官の声だ。
「いや、おれは、紀淡海峡一本槍だ。せっかくの勢力を、いくつにも分ける作戦は、どうもおもしろくない」
 リーロフは、相かわらず、なかなか剛情だ。
 カーテンのかげの太刀川青年は、じーっと息をころして、きいている。
 それにしても彼は、どうしてこんなところへはいりこむことができたのか。――
 クイクイの神様の三浦は、たくみに衛兵長から鍵をうばうと、何くわぬ顔をしてひきたてられて行き、太刀川と同じ監禁室に入れられた。衛兵たちは、出発前夜の酒と御馳走に夢中になっていたので、三浦をほうりこむと、そのくさい部屋から、あたふたと出ていった。だから、三浦が、太刀川の足の枷(かせ)をほどくことはなんでもなかったのだ。
 太刀川と三浦とは、衛兵にうたれてきずついたダン艇長と酋長ロロのきず口に、とりあえず手当をして、ありあわせの布でしばった。
 ダン艇長は、右の腕をうたれ、酋長ロロは耳のところにすりきずをうけただけだが、二人とも、びっくりして気をうしなっていたのであった。
 太刀川が「よし!」とさけんで、立ちあがったとき、監禁室の扉(ドア)を、どんどんとたたく者があった。
「すわ、衛兵だ!」
 一同はびっくりして、その場に立ちすくんだが、太刀川は三浦に命じて扉をひらかせた。するとそこに立っていたのは、守衛のソ連兵ではなく、意外にも意外、とっくの昔に死んだものとばかり思っていた石福海少年だったのである。


   生きていた石福海


 さすがの太刀川も、これには、おどろいた。
「おう、石福海。お前、よくまあ、無事に生きていたねえ」
 石福海は、用心ぶかく、扉をしめると、太刀川をみてにっこり笑ったが、そのまますりよってきて、
「先生、今日という今日は、じつに、うまくいきました」
「なにがさ」
「この外にいる衛兵たちを、みんな眠らせてしまったのです。酒の中に、眠薬を入れておいて出しましたから、衛兵たちは、それをたらふくのんで、今しがたみんな、だらしなくころがって、眠ってしまいました。逃げるなら、今のうちですよ」
「ふーむ、そうか。石、よくやってくれた」
 太刀川は、石少年の手をつよくにぎった。
「先生、わたくしは、先生がこの要塞の中にいられることを前から知っていました。わたくしもあの日、渦にまきこまれて気をうしないましたが、気がついてみると、魔城の一室にとらえられていたのです。それから、ずっと大食堂の給仕につかわれていたのです。おしらせしたいと思ったですが、なかなか見張がきびしくて、とても近づけませんでした」
「おお、そうかそうか」
 ダン艇長たちも、この話をきいて、おどろいたり、感心したりだった。
「では、太刀川さん。今のうちに逃げだそうじゃないですか」
 ダン艇長がいった。
「いや、待ってください。どうやら今夜は、われわれにとって、このうえない好機会のようです。わが祖国のために、又世界の平和のために彼等をうちのめしてやるのには……」
「それは危険だ。一まず、カンナ島へひきあげて、それからにしては……」
「僕は、今宵ソ連兵たちが大盤ぶるまいをうけたのは、おそらく明日、太平洋へ乗りだすための前祝だと思うのです。もしそうだとすると、ぐずぐずしていたのでは、間にあいません。今夜のうちに、彼等をやっつけてしまわないと、おそいかもしれません」
「でも、このきびしい海底城を、どうすることもできないではないですか」
 ダン艇長は、太刀川のやろうとする魔城爆破を、一まず思いとどまらせようとしたが、太刀川の決心はつよかった。太刀川は、ケレンコが恐竜型潜水艦をつかって、たくさんのアメリカの艦艇を撃沈したことなど話してダン艇長をうごかした。
 彼はついに決心して、太刀川の手をにぎり、この大計画に力をあわせることをちかった。
「日本人が二人、アメリカ人が一人、中国人が一人、原地人が一人。同志はみんなで五人だ」
 と、太刀川は、いった。
 一同はまず監禁室の中をつくろうため、酔いつぶれて、寝ころがっているソ連兵をひっぱりこんで、自分等の身がわりにした。中にふらふらと抵抗して来た奴があったが、ダン艇長は、たちまちやっつけてしまった。
 太刀川等は、それからさっそく作戦を相談した。
 その結果、石福海は、監禁室につづく通路を、はり番していることになった。
 のこった四人は、二手に分かれることになった。
 クイクイの神様の三浦と、ロップ島の酋長ロロとは、太刀川からあるすばらしい秘策をさずけられると、いそいで例の秘密通路から、カンナ島へかえっていった。
 太刀川とダン艇長とは、たがいの受持をきめると、ケレンコたちが会議をしている司令官室へ向かった。
 太刀川は、司令官室の前を、行きつもどりつしている一人の衛兵に、不意にうしろからとびついて首をしめた。衛兵は、声もたてずに、ぐにゃりとなった。
 その体を、ダン艇長が横だきにして、片隅につれて行くと、その武装をそっくり頂戴して、衛兵になりすまし、なにくわぬ顔をして、司令官室の前を、行きつもどりつ、警備をしているのである。白人が白人にばけることは、やさしい。
 太刀川は、その間に、司令官室へもぐりこんだのであった。
 だが、二人は、この時、別働隊の三浦と酋長ロロがとりかかったはずの仕事の進行を、しきりと気にしていたのである。
 太刀川は、カンナ島へかえっていった三浦と酋長ロロとに、どんな秘策を、さずけたのであろうか。


   壊滅一歩前


 幕僚会議は、いよいよ熱心につづけられた。
 日本を攻略するについて、あらゆる場合が考えられ、その用意がなされていった。
 太刀川は、そのたびに、はやる心をじっとこらえた。
「七時半だ。もういいころだが」
 太刀川は、カーテンのかげから、そっとぬけでた。
「太刀川さん、いよいよあの時刻が来ましたよ」
 ダン艇長はいった。
 それから二人は、石福海が張番をしている監禁室へかけだしていった。
 太刀川は、つまれたあき樽の中に、首をさしいれて耳をすました。
 カーン、カーン。カーン、カーン。
 鉄管をたたくような音がきこえた。
 ダン艇長の耳にも、はっきりときこえた。
「いよいよ、カンナ島の用意が出来たんだ」
「じゃ。こっちからも、信号を」
 と太刀川はダン艇長に目くばせした。ダン艇長は、あき樽のうしろにもぐりこんだ。そこには、カンナ島へのぼる鋼鉄階段があったが、その階段を、ダン艇長は落ちていた鉄棒で、力一ぱいなぐりつけた。
 カン、カン、カン。――カン、カン、カン。
 三点信号だ!
 その信号は、はるか上のカンナ島の出口で、耳をすまして聞いている三浦と酋長ロロに通じたことであろう。
「さあ、もうぐずぐずしていられない。それ、始めよう」
 太刀川は、はいだしてくると、用意してあった弁当箱二つほどの大ききの火薬の導火線に、火をつけた。
 この火薬は、この海底要塞の様子をよく知っている石福海少年が、工事用の火薬置場から、もちだしたもので、導火線の長さは、時間にして、わずか十二分であった。
 三人は、導火線があき樽のかげでぷすぷすともえ出すのをたしかめたのち、室外にとびだした。そして入口の扉をぴったりしめると、太刀川の身がわりにころがっている衛兵のポケットから、鍵をとりだして、ぴちんと錠までおろした。こうしておけば、誰も、導火線のもえるこの監禁室の中にはいれない。
「あと、十一分半だ! さあ、急ごう!」
 太刀川は、ダンと石福海とをうながして、またくらい廊下をかけだした。彼等は、これからどうするつもりだろうか。カンナ島への階段をのぼっていくのかと思ったのに、彼等は自ら、その口をふさいでしまったのである。
 そこに太刀川のふかい考えがあった。すばらしい計画だったけれど、命がけの冒険であった。だがこうなれば、命を捨てることなんか、太刀川にはなんでもなかったのだ。
 太刀川は、できるなら、恐竜型潜水艦を一隻、お土産にもらっていきたかったのだが、どれも、あつい鉄扉をもった格納庫の奥ふかくしまわれてあって、なかなか引っぱりだすことができない。その鉄扉の一つを開けるにも、海底要塞の心臓部というべき中央発電所の大モーターを動かしてかからねばだめなのだ。たとえモーターをうごかして鉄扉をあけることができても、潜水艦をうごかすには専門の知識がいるので、とてもこの三人ではもって行けない。
 そこで、恐竜型潜水艦のことは思い切り、そのかわり水中快速艇をうばって逃げることにした。これなら、このまえケレンコと一しょにも乗ったし、そしていつも海底要塞の出口のところにつないであるので、なんとか手に入れることもできそうだ。あと十一分の導火線しかのこっていない今、できるだけはやく、この海底要塞から遠くへのがれるためにも、それが必要だったのである。
「あ、あれが出口だ」
 太刀川らは、やっとのことで、出口にたどりついた。
「番をしている兵がいる」
「よし、やっつけるばかりだ」
 そこの衛兵も、例の酒が体にまわっているとみえて、
「あああ、あやしい奴!」
 と、いうさけびもしどろもどろだ。太刀川の鉄拳に、脾腹をやられ、ぎゃっとたおれるところを、三人はすばやく通りぬけて、潜水服置場に走った。ここには、あきれたことに、誰もいない。今夜は、衛兵たちはみな、さっき倒した番兵一人に、一切の見張をまかせて、ふるまい酒に酔いくらっているらしい。三人はこれさいわいと、潜水服を壁からおろして、すっぼりかぶってとめ金をした。
「あ、もうあと五分だ。いそがないと、われわれの命があぶない」
 と、ダン艇長がさけんだ。
「先生、わたくしは、うごけません」
 石福海は、潜水服を着たのはいいが、体が小さいので、前へも後へもうごけなくなった。
「よし、だいてやるから、安心しろ」
 太刀川とダン艇長とが、両方から石少年をかかえて、ついに防水扉を開いて外へ出た。


   ああ太平洋魔城


 外は、海水が、海底要塞の照明灯にてらしだされてうつくしくかがやいていた。
「ああ、あそこに水中快速艇がある」
「早く、早く。あともう四分しかない。これでは、安全なところまで、逃げられないかもしれない。たいへんなことになった」
「なあに、ダン艇長。心配は、あとにして、一刻も早くとび出そう」
 太刀川は、エンジンをかけた。ハンドルをしっかりにぎつて、アクセルをふめば、水中快速艇は、矢のように走りだした。
「あと、もう二分!」
「もう一キロメートル半、遠のいた」
 あと二分のちに、なにごとか起るのであろうか。まず、監禁室にのこしておいた火薬箱が爆破するであろう。
 だが、そればかりの爆薬で、あの堅牢無比の海底要塞が、びくともするものではない。それでは……
「もうあと一分だ!」
「三浦、ロロの二人は、うまくやってくれたろうか」
 この二人は、カンナ島で、どんなことをやっていたのか。じつは、これこそすばらしい思いつきであったのだ。
 それはカンナ島の石油の利用であった。無尽蔵といわれるカンナ島の石油は、大きな油槽にたくわえられ、必要なときに、海底要塞へおくられていた。太刀川はこの話をきいたとき、この石油を、海底要塞に通ずる秘密通路へながしこむことを考えついたのである。
 秘密通路にながれこんだ石油は、どうなるか――まずあの監禁室にはいり、それから扉のすき間から外へあふれだし、やがて川のようになって、廊下をながれ、中央発電所の空気窓から、滝のようになって中へとびこむだろう。いや、海底要塞の中、いたるところ、石油びたしになってしまうだろう。
 そのとき、火薬が爆発して火がついたら、どういうことになるか?
 まさに、たいへんである。この世のものとは思えない、おそろしい大爆破だ。――わが太刀川がねらったのはここである。
「ああ、あと三十秒だ! 神よ!」
 と、ダン艇長がうめくようにいった。
「さあ、水面にうきあがるぞ。島だ。カンナ島だ!」
 太刀川は、ハンドルをきりきりとまわした。あっという間に、水中快速艇は、どしーんと、海岸の砂にのりあげた。
 そのとたん、ダン艇長は、艇から、あやうくなげだされようとした。
 十二分はすぎた。時間だ。
 太刀川は、操縦席から、どさりと砂浜のうえになげだされたが、すぐさまはねおきて、月光にうかびあがる大海面をふりかえった。
(はてな?)
 太刀川は、もう立っていられなくなって、ふらふらとそのまま尻餅をつこうとした。その時、前方の海面が、ぱっと、真昼のようにかがやいた。太刀川が生まれてはじめて見たものすごい明るさだった。
「あ!」
 というさけび、ついで、まっ赤な焔が、天をついた。ゴ、ゴ、ゴーッ、ドドドーッ、バリバリバリッ。
 天地もくずれるような大音響! ひゅーうと、嵐のような突風が三人の頬をうった。大地は、大地震のように、ゆらゆらとゆれた。三人は、砂上にはった。その上を、どどーんと、大波がとおりこしていった。大爆発によって生じた津波が、カンナ島にうちあげたのであった。
「とうとう、やった。海底要塞の大爆破だ……」
 太刀川がさけんだ。
 ごうごうの爆音は、それからまだ十四、五分もひっきりなしにつづき、閃光はぴかぴかと夜空にはえた。
 海は一面、すさまじい焔が、もえひろがって、ものすごくかがやいている。
 砂上にたちつくしている太刀川の頬を、あつい涙が、はらはらとつたわっておちた。
 思えばあやういところであった。もしも一隻の恐竜型潜水艦が、太平洋へとびだしたとしたら、こんなことではすまなかったであろう。日本の海軍は、世界にほこる強大な海軍であるが、怪力線砲をもつ恐竜型潜水艦の威力も、われわれは、わすれることはできない。恐竜型潜水艦は、かたく下りたあつい鉄扉にさえぎられ、一隻もとびだすことができなかったのは、何よりであった。
 魔城ほろんで、太平洋はその名のようにふたたび平和にかえった。
 ケレンコ、リーロフの両雄は、おそらく魔城と運命をともにしたことであろう。
 小笠原諸島の南沖を西に進んでいたアメリカの大艦隊は日本の大陸政策を、さまたげる目的でやって来たのだが、途中、恐竜型潜水艦のため、大損害をこうむり、その二日後、やっとのことで、フィリピンのマニラにはいった。ダン艇長の報告で、共産党海軍の仕業とわかり、文句のいいようがなかった。その上、乗組員の士気が、おとろえたので、どうすることもできなかった。
 しかし、これによって、太平洋は、永久に、波しずかなることを得るであろうか。
 無事大任をはたした太刀川時夫は、これについて、原海軍大佐に、次のように語っている。
「日本の将兵はつよい。軍艦もすばらしい。しかし、これだけでは十分でない時代となった。太平洋の平和を永久にたもつには、どうしても正義の国日本が、今までにない科学兵器を発明することが大切である」
     *   *   *
 最後に、太刀川青年と一しょに、はたらいた人々は、どうなったであろう。ロップ島の酋長ロロは、よき酋長として附近の島々の住民たちからも敬(うやま)われ、三浦須美吉は、郷里平磯にかえり、相かわらず遠洋漁業にしたがっている。わが愛する石福海少年は、東京の太刀川の家にとどまって、昼は軍需工場にはたらきつつ、夜学に通って一生懸命勉強しているということである。




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