人造人間エフ氏
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著者名:海野十三 

「おっと、お待ちなさい」イワノフ博士は、太い腕をだしてマリ子をひきとめた。
「なかへ入るとあぶないです。ちょっとお待ちなさい。正太しゃん、よんであげます」
 博士は室内へひきかえした。
 マリ子は、こわごわ室内をのぞいた。中はたいへんうすぐらい。紫色の電灯がかすかな光をだしているだけで、どこかでしきりにじいじいじいと変な音がしていた。
「ああ、マリちゃん。待ちくたびれたのかね」
 兄の声がした。どんなにか待っていたその兄の声だった。
「まあ、兄ちゃん。ずいぶん待たせるのね」
 マリ子は、兄が奥から姿をあらわしたのをみると、その前にとびついた。
「だって、人造人間(ロボット)の研究はとてもおもしろいんだもの。マリちゃん、お前、一足さきへかえってくれない。兄さんは、もっと実験をみてから、帰るから」
「いけないわ、いけないわ」
 マリ子は、それを聞くと、正太の胸にすがりついて、放そうとはしなかった。
「だって面白いんだがなあ。ねえ、マリちゃん。イワノフ博士って、すてきにえらい方だよ。人造人間をたくさんこしらえて、世界中をもっと幸福にもっと便利にしようといわれるのだよ。僕、人造人間のこしらえ方まで習ってゆきたいと思っているのだがなあ」
「いけないわ、お父さまが心配していらっしゃるわ。すぐ一しょに帰りましょうよね」
 すると、そのときまで黙って二人の話をきいていたイワノフ博士が、声をかけた。
「では正太しゃん。今日はどうぞ、おかえりください。マリ子しゃん、心配しています」
「だって博士。ここを見せてくださるのは、今日かぎりなんでしょう。明日は、もう駄目で見せてくださらないのでしょう」と正太がいえば、
「では、明日一日だけ、もう一度あなたに見せます。あなたひとりで来るよろしいです」
 イワノフ博士は、にこにこ顔で、それをいった。


   正太(しょうた)の早寝


『人造人間(じんぞうにんげん)の家』を出てのかえり道、マリ子はたいへん機嫌がわるかった。
「兄ちゃん。もう二度と、イワノフ博士のところへいっちゃ駄目よ。博士はきっと恐ろしい人だとおもうわ。兄ちゃんは、あの部屋で、博士となにをしていらしたの」
「人造人間(ロボット)エフ氏という骨組だけしかできていない人造人間があるんだよ。そのエフ氏に日本語を教えてやっているんだよ」
 正太は、一向平気でもって、そういった。
「まあ、人造人間が日本語を覚えるなんて、ずいぶん変なことね」
「なかなかよく覚えるんだよ。僕が“ずいぶん寒いですね”というと、エフ氏もまたすぐ後から“ずいぶん寒いですね”と、おなじことをいうんだよ。そして僕の声をまねして、おなじような声で喋(しゃべ)るんだ。あまりおかしくて、僕吹きだしちゃった」
「まあ――」
「するとエフ氏もまたそのあとで、僕がやったと同じように、ぷーっとふきだしたので、大笑いだったよ。あははは」
「まあ、変ね」
 マリ子にとっては、それはおかしいというよりも、むしろ気味(きみ)のわるいことであった。このときマリ子が、気味わるく感じたことはまちがいではなかったようである。なぜならば、後(のち)にこのときのことをもう一度はっきり思いださねばならぬような恐ろしい事件が起ったのであるから。正太は、マリ子のとめるのもきかないで、そののちも、あきもせずに今日一日だけはとか、もう一日だけはなどといいながら、それでも四五日もイワノフ博士のところへ通ったであろうか。
 兄妹の父親も、このことをきいて心配しないでもなかったけれど、まさか後に起ったような大事件になるとは気がつかず、まあいい加減にしておいたのであった。正太が、最後にイワノフ博士を訪ねたのは兄妹がいよいよ日本へ帰るについて、汽船にのりこもうという日の前日のことであった。が、その日家中が出発の準備のため、荷造りやなにやかやでごったがえしの忙(いそが)しさの中にあるのにもかかわらず、正太は夜に入って、家へ帰ってきた。そして、
「僕、今日はなんだかたいへん睡(ねむ)いから、先へ寝かせてもらうよ」
 といって、ひとり先へ寝床へもぐりこんでしまった。


   航海中の出来事


 やかましい検査のあった後で、ようやく汽船ウラル丸は、ウラジオ港を出航した。
「ああ、お父さま。さよなら、さよなら」と、マリ子は舷側(げんそく)から、白いハンカチーフをふって埠頭(ふとう)まで見送りにきてくれた父親にしばしの別れを惜しむのであった。
「さよなら、さよなら」正太も声をはりあげている。
 やがて、父親の姿もだんだん小さくなり、埠頭も玩具(おもちゃ)のように縮(ちぢ)まり、ウラジオの山々だけがいつまでも煙のむこうに姿を見せていた。それでも兄妹は、まだ甲板(かんぱん)を立ち去ろうとはしなかった。このときマリ子は、兄の正太が最後にイワノフ博士邸から帰ってきたとき、たいへん気分がわるそうだったことをふと思いだしたので、
「ねえ、兄ちゃん。あれは一体どうしたの」
 と、たずねた。正太は、とつぜんの妹の問いに、はっとおどろいたようであったが、あたりを憚(はばか)るように声をひそめ、
「うん、マリちゃん。あの日ばかりは、さすがの僕も後悔したよ。つまりイワノフ博士の人造人間(じんぞうにんげん)エフ氏の実験をたいへん長いこと見せてくれたんだが、あの日は、人造人間エフ氏の身体と僕の身体との間になんだか怪しい火花をぱちぱちとばせてさ、急に目まいがして、しばらくなんだか気がぼーっとしてしまったんだよ」
「まあ、ひどいわね。イワノフ博士はまるで魔法使みたいね」
「それからどのくらいたったかしれないが、気がついてみると、僕はいつの間にか安楽椅子(あんらくいす)のうえにながながと寝ていたんだよ」
「あら、じゃ兄ちゃんは、博士からよほどひどいことをされたんだわ」
「さあ、博士からされたんだか、それとも僕と向いあっていた人造人間エフ氏からされたんだか分らないがね。とにかくそれからのちすっかり気持がわるくなって、家へ帰ってもすぐ寝床へもぐりこんじまったんだよ。お父さまには、だまっていておくれよ」
「兄ちゃんは、電気や機械の実験のことになると、すぐ夢中になるんですもの」
 二人が話に気をとられている最中、この汽船ウラル丸にだんだん近づきつつある一台の飛行機があった。それはどう考えても、日本の飛行機ではなかった。
「おや、変てこな飛行機が、この汽船をねらっているぞ」
 とつぜん二人の背後(うしろ)で、大きな声がしたので、正太とマリ子は、なにということなしにびっくりして、ふりかえった。するとそこには、いつの間に来たのか、甲板椅子のうえに、一人の老人の紳士が腰をおろしていた。その老紳士は、顔中髭(ひげ)だらけで髭の中から鼻と眼がのぞいているといった方がよかった。そして太い黒枠(くろわく)の眼鏡をかけていた。
「あっ、飛行機がなにか放りだした。おや信号旗(しんごうき)らしい。はて、これは変てこだわい」
 老紳士は、あたり憚らぬ大声でわめいた。
 なるほど汽船の上空五百メートルぐらいの高度に、四枚の信号旗を下にひいた風船が、ゆらりゆらりと流れてゆく。なんの信号旗か。誰にむけ、何をしらせようとする信号旗なのであろうか。汽船ウラル丸のうえに落ちた不安な影!


   老紳士のしんぱい


 飛行機は、船のはるかうしろを、ぐるぐるまわっている。なにかを待っているらしい。四枚の信号旗だけが、あとにのこって、ゆっくりと下へおちてくる。
「おじさん。あの信号旗は、どういうことをしらせているの」
 正太は、顔中ひげだらけの老紳士にたずねた。
「おお、なにかわけのわからぬ信号旗じゃよ」と老紳士は、いった。
「えっ、それはどういうこと」
「わけのわからぬ信号だよ。つまり暗号信号なんじゃ。あたりまえの信号でないのじゃ」
「暗号なの。暗号で、どういうことをしらせているの」
「わからん子供じゃなあ。暗号だからなにをしらせているのか、わからんのじゃ。ただわかることは、これからきっと、この船になにかたいへんなことがおこるだろうということだ」
 そういっているとき、また一つ、へんなことがおこった。――老紳士のいったとおりだった。そのへんなことというのは、誰がやったのかしらないが、船のうえから海のうえにむかって、ボールのようなものがぽんぽんと二つ、なげられた。そのボールは、海のうえへおちると、どういう仕掛がしてあったのか、たちまちぱっと火がついて、たくさんの煙をむくむくとはきだした。一つのボールからは、黄いろい煙、もう一つのボールからは赤い煙が、ずんずんと波のうえにたちのぼるのであった。
「ほら、はじまった。誰か、船のなかから、へんじのかわりにあの煙をだしたのだ。いよいよこれはへんなことになったぞ」
 老紳士は、ふなばたにつかまって、煙をにらみつけた。飛行機は、煙のあがるのをまっていたらしく、このとき機首(きしゅ)をめぐらして、ずんずんもときた方にかえっていった。
「船長、船長!」
 老紳士は、こんどは船長をよびだした。船長とて、このへんな事件をしらないではなかった。船員のしらせで、さっきから船橋(ブリッジ)にでて、このありさまをすべてみてしっていた。
「やあ大木さん。あなた、あまりさわがないでください。船客たちのなかには、気のよわい方もいますからね」
 大木さんというのは、この老紳士の姓であった。
「だって、これがさわがずにいられますかね。だからわしは、船の出る前から、船長にあれほど注意しておいたのじゃ。たしかにこのウラル丸は、港をでるまえから、わるいやつに狙(ねら)われていたんじゃ。うっかりしていると、このウラル丸は沈没してしまいますぞ」
 老紳士は、目のいろをかえていた。


   犯人か?


 船長は、わざとおちつきをみせ、
「大したことはありません。いざといえば、軍艦がすぐたすけにきてくれますよ」
 というが、大木老人はなかなかおちつけない。
「では、すぐ手はずをととのえたがいい。この船には、わしがこんな年齢(とし)になるまで汗みずたらしてはたらいて作った全財産が荷物になっているのじゃ。船が沈没してしまえば、わしの一生はおしまいじゃ。あれあれ、あの信号旗はなにごとじゃ。それから、この船から放りだした赤と黄との煙の信号は、あれはなにごとじゃ」
「あの煙のことは、私もあやしいとおもっていましらべさせています。誰が、あれを海のなかへ放りこんだか、いますぐにわかります。」
 船長は、そういって、下甲板の方をちらとみた。さっき一等運転士を船内へやって、それをしらべさせているのであった。
 そのとき、一等運転士の顔が、階段の下からあらわれた。そのうしろから船員の一団が、中国人のコックをつかまえて、あがってくる。
「船長。こいつです、あの煙のでるボールを海のなかへなげこんだ犯人は……」
 一等運転士は、中国人のコックの張(ちょう)をゆびさした。
「なんだ、張か。お前は、なぜあのような煙のでるボールを海のなかへなげこんだのか」
「いえ、船長。わたし、悪いことない。わたし、なにもしらない」
 張は、つよく首をふった。すると、後にいた船員が、張の背中をどんとなぐりつけ、
「こら、うそをいうな。お前がボールをなげこんだところを、おれはうしろからちゃんとみていたんだ。かくしてもだめだ」
「えっ、あなたみていた。それ、うそないか」
「お前こそ、大うそつきだ。よし、いわないなら、いえるようにしてやる」
 と船員がコックの腕をむずとつかむと、張はすぐさま泣きごえをたて、
「ああ、わたし、いうあるよ、いうあるよ。あたし、ボールたしかに海へなげこんだ」
「それみろ。なぜなげこんだのか」
「それは、わたししらない。よそのひとに、ボールなげこむこと、たのまれたあるよ。わたし、お金もらった。そのお金もわたしいらない。あなたにあげる」
「だれが、お金をくれといった」船長が、このときこえをかけ、
「よし、わかった。張、お前はだれにたのまれて、煙のでるボールをなげこんだのか。どんなひとだか、それをいえ」
「それをいうと、わたし殺される」張は、がたがたふるえ出した。


   張(ちょう)の白状


「それをいうと殺されるって、いったい誰に殺されるというのか」
 と、船長がきつくたずねた。
「その子供にですよ」と張はいって、はっと口をとじたが、もうまにあわない。
「えっ、子供だって」船長はききかえした。
「それをたのんだのは、子供か、おい、へんじをしろ」
 張は、歯のねもあわず、がたがたふるえている。
「わたし、いわない、いわない」
「なにをいっているのか。お前にたのんだのは子供だとまで白状してしまったんじゃないか。いわないといっても、そりゃもうおそいよ。お前にたのんだその子供というのは、どんな顔をしていたか。またどんななりをしていたか。それをいえば、お前の罪はゆるしてやる」
 張は、どうも困りはてたという風に、誰かたすけてくれる人はないかと、あたりにあつまった人々の顔をみまわした。そのとき、彼の目が、正太の顔のうえにおちたとき、どうしたものか、張はああっとおどろきのこえをあげ船員の手をふりはらってにげだした。
「おい待て、張!」
 船員たちは、にがしてはなるものかと張のあとをおいかけた。張は、もう死にものぐるいである。階段をごろごろとすべりおちるかとおもえば、扉にぶつかったり、椅子をひっくりかえしたり、まるで鼠のようににげまわったが、船員たちのはげしい追跡にあって、とうとう船具室のすみっこでつかまってしまった。そのときはもう、張は死骸(しがい)のようにのびていた。
 船長のところへしらせがいったので、やがて彼は船具室までおりてきた。
「おい、張。なにもかも、もうすっかり白状したがいいぞ」
「ううっ――」
「白状すれば、お前の罪をゆるしてやるといっているのが、わからないか。おい、張、さっきお前は、正太という船客の顔をみて、なぜおどろいてにげだしたのだい」
「ああっ、それは――」
「こっちにはすっかりわかっているんだ。はやく白状しただけ、お前の得だぞ」
「ああ、もういいます」と張はくるしそうにいった。
「――が、あの子供、そこにいると、わたしいえない」
「あの子供のお客さんはこの船具室にはいないよ」
「ほんと、あるな。では、いう。わたし、あの子供にたのまれた」


   怪火(かいか)


 中国人コックの張は、意外にも、煙をだすボールを海のなかへなげこむことを、正太少年にたのまれたと白状した。
「ええっ、あの正太さんに頼まれたというのか」
 まさかとおもったのに、張が正太に頼まれたといったものだから、船長もことの意外におどろいた。もしや張が、同じ姿の少年である正太を、同じ人とみまちがえたのではないかと念をおしたが、張はつよくかぶりをふって、
「いや、あの子供にちがいない。わたし、人の顔、まちがえることない」というのであった。
 船長はじめ、これを聞いていた一同は、この中国人がうそをいっているのでないと知った。すると、こんどはあのかわいい日本少年の正太が、たいへんあやしい人物になってしまう。それはどうしたものであろうか。
 正太は、船長からよばれて、その前へいった。張は、正太がマリ子をつれてはいってきたのをみると、さもおどろいた顔つきで、船員のうしろにかくれた。
「正太さん。さっき海へなげこんだ煙のボールは、あなたにたのまれて、この中国人コックの張がやったのだといいますが、なにかいいわけすることがありますか」
「えっ、なんですって」と正太も、はじめてきく意外なうたがいにびっくりして「とんでもない話です。僕はそんなことはしません」
「いや、あの子供、わたしにたのみました。わたし、けっしてうそいわない」
 張は船員のかげから、正太少年をゆびさして、ゆずろうとはしない。すると、大木老紳士がおこったような顔をして、前へでてきた。
「そうだ。正太君がやらなかったことは、あのときわしも正太君のうしろにいて、みてしっている。正太君につみはない」
「そうですか。これはへんなことになった。張は正太君にたのまれたというし、あなたがたは正太君がやったのではないという。どっちがいったい本当なのだろう」
 正太にも、この事件がたいへんふしぎにおもえてきた。
(まてよ。もしかしたら、僕にたいへんよく似た少年がこの船のなかにいるのではないかしら)
 そのことを船長にいいだそうかとおもったが、彼はとうとういわないでしまった。なぜなら、そのときとつぜん船内で大さわぎがはじまったからである。
「おう、火事だ、火事だ。第六船艙(せんそう)から、火が出たぞ。おーい、みな手を貸せ」
 怪しい船火事! 船員も船客も、いいあわせたように、さっと顔いろをかえた。
 そのとき、老紳士がはきだすようにいった。
「そらみろ。さっきの信号が怪しかった。船火事だけですめばいいが」
 そのことばがおわるかおわらないうちに、海面にうきあがった潜水艦隊。あっというまに、ウラル丸をぐるっととりまいてしまった。


   燃えるウラル丸


「あっ、潜水艦だ! おや、あれはどこの潜水艦か。日本には、あんなのはない!」
 ウラル丸の甲板(かんぱん)上を、目のいろをかえた船客がさわぎたてる。船内では、船火事をはやく消さないと、船が沈むかもしれないというので、消火にかかっている船員たちの顔には、必死のいろがうかんでいる。
「おい、船底(ふなそこ)の荷物の間から、さかんに煙をふきだしているぞ。ポンプがかりに、そういってやれ。もっと力をいれてポンプをおさないと、とてもものすごい火事を消せないとな」
「おい、こっちだこっちだ。こっちからも煙がでてきた。船客の荷物に火がついたぞ」
 船火事と、怪しい潜水艦!
 二つのものにせめたてられ、ウラル丸の船客も船員も、いきがとまりそうだった。正太とマリ子は、甲板にでて、潜水艦をにらんで立っていた。
「兄ちゃん。あの潜水艦は、なにをするつもりなのかしら」
「さあ、なにをするつもりかなあ――」
 正太ははっきりわからないような返事をしたが、その実こころのなかでは、この潜水艦はたぶん、ソ連の艦(ふね)であり、そして船火事をおこしてウラル丸が沈むのを見まもっているのであろうと考えていた。しかしそれをいうと、妹のマリ子がどんなにしんぱいするかもしれないとおもい、ことばをにごしたわけだった。そのとき、兄妹のうしろを、気が変になったようなこえをだしてとおる者があった。それは例の大木老人だった。
「ああ、わしはたいへんな船にのりこんだものじゃ。わしが一生かかってようやく作りあげた全財産が、焼けて灰になってしまう。たとえ灰にならなくても、その次は、あの怪潜水艦のために、水底へしずめられてしまうのじゃ。ああ、わしはもう気が変になりそうじゃ」
 大木老人はあたまの髪を両手でかきむしりながら、走ってゆく。
「兄ちゃん。あのお爺さんは、あんなことをいっているわよ。あの潜水艦は、ウラル丸をしずめようとおもっているのね」
 マリ子は、とうとう第二のおそろしいことに気づいてしまった。
「なあに、大丈夫だよ」
「いいえ、大丈夫ではないわ」
「ねえ兄ちゃん、あたしたちは火事で焼け死ぬか、潜水艦のために殺されるか、どっちかなんだわ。そうなれば、もう覚悟をきめて、日本人らしく死にましょうよ。そうでないともの笑いになってよ」


   正太の決心


(そうだ。僕はぼんやりしていられない!)
 正太は、はっと吾にかえった。今の今まで彼は気のよい少年としてひっこんでいたが、彼は今こそふるいたつべき時であるとおもった。自分のいのちはどうでもよいが、マリ子だけはどうにかして無事にこのさいなんから切りぬけさせ、日本に待っていらっしゃるお母さまの手にとどけなければならない。そうだ、それだ。マリ子を救わなければならない。
(自分のいのちを的にして、一つおもいきりこの危難とたたかってみよう)
 正太は、いまやよわよわしい気持をふりすてて、いさましい日本少年としてたたかう決心をしたのだった。
「ねえ、マリちゃん。どう考えても、まだしんぱいすることはないよ。僕も、船員のひとに力をあわせて、ウラル丸がたすかるようにはたらいてくるから、マリちゃんはさびしいだろうけれど、その間、船室で待っておいでよね」
「まあ兄ちゃんちょっと待ってよ」
「兄ちゃんのことはいいよ。はやく船室にはいって……」
「兄ちゃん、兄ちゃん……」
 マリ子はこえをかぎりに、兄の正太をよびとめたが、正太はどんどんと甲板(かんぱん)の人ごみのなかにはしりこんで、姿は見えなくなった。
 そのとき、ウラル丸の船橋(ブリッジ)には、船長と一等運転士が顔をそばへよせて、なにごとか早口で囁きあっていた。
「船長。どっち道、もうだめですよ」
「そう弱気をだしちゃ、こまるね。しかし無電機をこわされちまったのは困ったな」
「無電技士が、しきりにSOSをうっているとき、うしろに人のけはいがしたので、ふりむいた。するととたんに頭をなぐられて、気がとおくなってしまった。そのとき、ちらりと相手の顔をみたそうですが、それが例の正太という少年そっくりの顔をしていたそうですよ」
「そうか。あの少年は、いつの間にやら、私のところから逃げだしたとおもったが、そんな早業(はやわざ)をやったか。無電機をこわしたのも、もちろん無電技士をなぐりつけた犯人と同一の人物にちがいない。――というと、正太という少年のことだが、あんなかわいい顔をしていながら、見かけによらないおそろしい奴だな」
「そうです。おそろしい奴です。そしておそろしい力をもった奴です。無電技士を気絶(きぜつ)させたばかりではなく、無電機のこわし方といったら、めちゃめちゃになっていまして、大人だってちょっと出ないくらいの力をもっているんですよ、あの正太という子供は!」


   怪少年?


 正太はそんな力持であろうか。
 船長と一等運転士とは、正太のおそろしい力に身ぶるいをしていると、そこへひょっこりと、正太少年が顔をだしたものだから、二人は、あっといって、二三歩うしろへよろめいた。
「船長さん。まだ日本の軍艦はこないんですか」
「えっ?」
「船長さん、SOSの無電はうったのですか。それともまだうたないのなら、早くうってはどうですか」
 船長と一等運転士とは、顔をみあわせた。そして二人とも心のなかで、(この少年は、なんという図々しい少年だろう。自分が無電機をこわしておきながら、まだ無電をうたないのかなどとたずねるとは)と、あきれたり、おどろいたり。
「船長さんたちは、海の勇士ではありませんか。しっかりしてください」
 正太は、一生けんめいに船長と一等運転士をはげました。
 それをきいていた一等運転士は、こころのなかにむっとして、ポケットからピストルをぬきだすと、正太をめがけて、今にも銃口(じゅうこう)をむけそうな気配を示した。そのとき、電話のベルが、けたたましく鳴った。それは正太のために、一命をすくったようなものであった。
「船艙(せんそう)から電話がかかってきたのだろう。おい、なんだ」と、船長が電話にかかった。
「なに、船艙の火事が消えた。それはいいあんばいだ。……ええっ、電気仕掛の口火がみつかったって。それをつかって、荷物とみせかけてあったダイナマイトを爆発させたことがわかったのだって? そいつはおどろいたね。……その電気仕掛の口火を誰がつけたのかわからないって。ふんふん、それはわからんことはないよ」
 と船長は、じろりと正太の方に眼をうごかしたが、すぐ眼を元にもどして、
「とにかく、火事の方がかたづいたら、こんどは怪潜水艦と取組む番だ。いつこっちへ、魚雷(ぎょらい)がとんでくるかもしれないから、お前たちはすぐ昇降階段の下へ集っていろ。そしていつでも甲板へとびだせるように用意をしておくんだ。命令をするまでは、甲板へ出てはならない。こっちがうろたえているところを潜水艦にみつかると、都合がわるいからね」


   急潜航(きゅうせんこう)


「ねえ船長さん。まだ僕は、なんだかうたがわれているようで、気もちがわるいですね」
 と、正太がいった。
 船長は受話器をかけながら、ふふんと鼻のさきで笑った。
「この前も信号の煙のでるボールを海になげこんだようにうたがわれ、それを大木さんが口をだしてくれて、うたがいが晴れたはずですが、まだ船長さんたちは僕をうたがっているようです。一体どこがそんなにうたがわしいのですか」
「なにを。君はなんという図々しい少年だ」一等運転士が前へのりだす。
「まあ待て一等運転士。そのことよりも、今はあそこに見える潜水艦から魚雷のとんでくることをしんぱいせねばならないのだ」
「船長。それはわかっていますが、でもこの子供のいうことをきいていると、むかむかしてきてたまりません」
 正太は、もっといいたかったが、船長がいったとおり、今はウラル丸を狙っている怪潜水艦の方が大事であることに気がつき、それ以上、自分のことでいうのをひかえた。
「ねえ船長さん。僕にできることなら、なんでもしますよ。ボートを漕(こ)ぐことなんか、僕にだってできますよ」
「ふん。君はだまっていたまえ」
 船長は、じっと海面をながめている。一等運転士はまた潜水艦と正太とを、半分半分にながめていたが、そのうちおどろきのこえをあげ、
「おや、船長。潜水艦が潜水にうつったようではないですか」
 一等運転士のいうとおりだった。ウラル丸をとりまいていた四隻(せき)の怪潜水艦が、にわかにぶくぶくと水中にもぐりはじめたのだ。
「そうだ、いやにあわてているようだね。どうしたんだろう」といっているところへ、ぶーんと飛行機の音が耳にはいってきた。しかもかなりたくさんの飛行機らしい音だ。
「あっ、飛行機だ。どこの飛行機だろう」
 そういっているうちに、南の空から翼(よく)をつらねて堂々たる姿をあらわしたのは、九機からなるまぎれもない、わが海軍機の編隊であった。
「あっ、日本の飛行機だ。海軍機だ」
「ああ、はじめにうったSOSの無電が通じて、わがウラル丸をたすけにきてくれたのだ。だから怪潜水艦は逃げだしたのだ。うわーっ、ば、ばんざーい」
 海面には、いつしか怪潜水艦の姿は消えさっていた。海軍機は、ウラル丸のうえをとおりすぎ、堂々たる編隊のまま、なおも北の方へとんでいく。


   ゆるせない砲撃


 怪潜水艦のあとをおいかけていた海軍機の大編隊が、とつぜん三つの編隊にわかれた。
「おや、どうしたのだろう」
 これを船橋のうえでながめていた正太少年はふしぎにおもった。
 すると、どどーんという大きな音がして、ぱっぱっぱっと高角砲のたまが空中で破裂した。そこはちょうど、編隊のまん中であった。飛行機の方でぐずぐずしていれば今の砲撃で、機体はばらばらになるところだった。たちまちそれと察して、編隊をといた海軍機もえらかった。そうおもっていると、つづいて二回目の砲撃だ。どどーん、ぱっぱっぱっと、ものすごい音をたて、目のくらむようなはげしい光をたてる。船長も船員も、正太もマリ子も、みんなびっくりしてこの砲撃を見守っている。一体、どこからこの高角砲弾(こうかくほうだん)はとんできたのであろうか。
「やあ、飛行機が急降下するぞ!」
 正太がさけんだそのとき、三つにわかれた編隊は、それぞれ宙がえりもあざやかに、機首をさかさまにしてひゅーっとまいさがる。
 どこを狙っているのか? それはすぐわかった。波間に見えつかくれつしているのは、さっきにげだしたはずの怪潜水艦だ。にげると見せておいて、にげもせず、波間からすきを見て、どどん、どどんと空中へ死にものぐるいの砲撃をはじめているのだった。ずるい潜水艦だ。
 そのとき急降下中のわが編隊は、つばさの下から、黒い爆弾をぽいと放りだした。爆弾は風をきって、海上めがけておちてゆく。そのあげく、どどどーん、ぐわーんという大爆発だ。海上からは、まるで大きな塔のような水柱(みずばしら)がたち、海面にはものすごい波のうねりがひろがってゆく。そのなかに、まっくろな煙がすーとたちのぼりはじめた。おやとおもうまもなく、その煙はどどんと一度に爆発して、海面は一めんの焔の海と化した。潜水艦に命中したのである。卑怯な不法砲撃を海軍機にむかってやったため、とうとうあべこべにやっつけられたのだ。そのころまた次の爆弾が海面にもぐりこんだ。あらためて、ものすごい爆発がおこった。天地はいまにもくずれそうに、ふるえるのだった。高射砲は、すっかりだまりこんでしまった。
 硝煙は海面をおおって、あたりをだんだん見えなくしてゆく。天候もわるくなってきたようだ。そのうちに、飛行機のすがたも、煙霧(えんむ)のなかにとけてしまって、やがて見えなくなった。ただエンジンだけが、つづいてはげしい唸(うな)りごえをたてていたが、それもいつしかとおくになってしまった。ウラル丸の船員といわず船客といわずみんないいあわしたようにほっとため息をついて、なに一つこわれたところのない船体をふしぎそうにながめまわすのであった。


   敦賀(つるが)港


 そののちは、べつにかわったこともなく、ウラル丸はついにめでたく敦賀(つるが)の港に錨(いかり)をおろした。ウラル丸の検疫(けんえき)がすんだ。もうこのうえは上陸してもよいということになった。そこで桟橋(さんばし)に、横づけとなりそして出口がひらかれた。
 まっさきに出口へ突進したのはひげだらけの老紳士大木であった。
「さあ、おまえたちも、わしについて、早く上陸するのじゃ。こんな縁起(えんぎ)のわるい船は、すこしでも早くおりたがいいぞ。さあ、わしについてくるのじゃ」
 大木老人は、正太とマリ子の手をとって、他の船客をらんぼうにおしのけながら、出口をとおりすぎようとする。大木老人はそれでもいいが、彼に手をとられた二人の兄妹(きょうだい)こそ大めいわくだ。マリ子などは、さっきからいくたびか足を踏まれたり、そして顔を大人の洋服ですりむいたり、全くひどい目にあっている。
「もしもし、あなたがたは、切符をどうしました。切符をおいていってください」
 出口にがんばっていた船員が、大木老人たちをよびとめた。
「なんじゃ、切符かね」
 大木老人は、もどってきて、ポケットからしわだらけの切符をとりだした。
「さあ、おまえたちも切符を出して、このおじさんにくれてやるんじゃ」
 大木老人は、兄妹の方をふりかえっていった。正太とマリ子は、それぞれ切符をとりだして、船員にわたした。
「兄さん、はやく出ましょうよ」
 マリ子は正太の腕をひっぱった。そのときマリ子は、兄の腕がたいへん固いので、びっくりした。それをたずねようとおもっているとき、また大木老人がうしろをふりかえって、
「さあさあ、なにをぐずぐずしているのじゃ。早くこっちへおりてこんか」
 と、ひげをうごかしながらどなった。
 マリ子は、それに気をとられてそのまま汽船をおり、桟橋に立った。
「こっちじゃ。この自動車にお前さんがたもおのり。わしが途中まで送っていってやるよ」
 大木老人は、なにもかも胸のなかにのみこんでいる気になって、車の中から兄妹をいそがせた。正太がさきに自動車のなかに入った。
 マリ子もつづいて入った。扉(ドア)はしまる。自動車は、警笛をならしながら、すぐさまたいへんなスピードを出して、桟橋からはしりさった。
 あまりスピードを出したものだから、桟橋ではたらいていた仲仕が、びっくりして身体をかわした。そしていうことに、
「ああ、らんぼうな奴だ。おれが今、あのままじっとしていたら、あの自動車はおれの身体を半分轢(ひ)いていったろう。なんだって、あのようなスピードを出すのじゃろう」
 そういって、彼はとおざかりゆく自動車の番号を、にらみつけた。


   にせ切符


 それから三十分ばかりたってのことであった。ウラル丸の船客は、もうほとんどみんな出てしまった。出口に立って、船客から切符をうけとっていた切符掛(がかり)の船員は、すこしつかれをもよおし、あたりはばからぬ大あくびをした。そのとき奥から、高級船員があらわれて、こえをかけた。
「おい、あくびなんかするなよ。そのあいだに、船客切符の番号でもあわしておけ」
 つまらないところを見られたものだと、切符掛の船員は、ぶつぶついいながら、一号二号三号と切符をそろえだした。彼は、もうすこしで全部の切符をかぞえおわろうとしたとき、船客がひとりそこへ出てきた。
「もしもし切符はこっちへください」
 そういって、船員が手を出した。見ると、その船客というのは一人の少年だった。少年の顔をみると、切符掛の船員は、あれっ、へんだなと、こころのなかで、さけんだ。
「ああ切符なら、これです」
 少年は、十九号と番号のうってある切符をさしだした。切符掛が切符をうけとろうとすると、かの少年はあわてて、手をひっこめた。
「ま、待ってください。いま船をおりるわけじゃないんです」
「だって、船はここでおしまいですよ。早くおりてください」
「それはわかっていますよ。しかし僕の妹がどこへいったのか、見えないんです」
「えっ、なんですって」
「さっきから妹のマリ子を船内あちこちとさがしているんですが、どこへいったのか、いないんです。僕、困っちゃったなあ」
 少年は、ほんとうに困っているらしくみえる。だが、船員は、この少年のふるまいを、たいへんあやしいとにらんだ。
「もしもし、ちょっとその切符をみせなさい」
「切符よりも妹をはやくしらべてください」
「いやいやそうはいきません。その切符はあやしいですぞ。君は十九号という切符をもっているが、ほら、これをごらんなさい。十九号という切符は、もうすでに私がちゃんとお客さまからいただいてある。君のもっている切符は、にせ切符だ。君は、どこからそんなにせ切符をもってきたのか。それともじぶんでこしらえたのか。これ、もうにがさんぞ」
 そういって切符掛は、少年にとびつくがはやいか、力にまかせてねじふせてしまった。この少年の顔をよくみると、ふしぎにも、正太少年と、そっくりの顔をしていた。


   ほんとうの切符


 このしらせが、船長のところへいった。船長はおどろいて出口のところへとんできた。
「ふーん、やっぱり君だったか。どうしてにせ切符をもっているのか、へんじをしたまえ」
「おじさんがたは、僕の切符をにせ切符だ、にせ切符だというが、なぜそういうんです。この切符は、ちゃんとお父さんに買ってもらった切符で、にせ切符なんかじゃない。よくしらべてから、おこったがいいや」少年は、顔をまっ赤にしていった。
 船長はうなずき、切符掛から、十九号と書いた二枚の切符をとって、くらべてみた。どっちもおなじような切符だ。船長は、指さきで切符の紙の質をしらべたり、それがすむと陽(ひ)にすかしてみたり、いろいろやった。
「ふーん、こいつはへんだ。こっちの切符は本物だが、こっちの切符はにせ切符だ」
 船長は、にせ切符の方へ、赤鉛筆でしるしをつけた。
「はっきり、にせ切符だということがわかりましたか」と切符掛はにやりと笑い、そして少年の方をむくと急にこわい顔をして「おい、もうだめだぞ。船長さんが目ききをした結果、おまえの切符は、にせ切符ときまった。さあ、白状(はくじょう)せい!」
「待て」
 船長は、船員の肩をおさえた。
「えっ」
「君は、おもいちがいをしている。この少年の持っている切符の方が本物で、はじめに君がうけとっておいた十九号の切符の方がにせ切符なんだ。この少年を、にせ切符のことでうたがったのはわるかった。君もこの少年にあやまりたまえ」
 そういって、船長は少年にわびをいった。切符掛は、なんだかわけがわからないが、船長があやまれというので、そのあとについてぺこぺこ頭をさげた。少年は、みんなにあやまられても、別にうれしそうでもなかった。彼の顔は、さっきよりも一そう青ざめていた。


   正太の心配


 正太は船をおりた。船のなかで、行方不明になった妹マリ子のことが心配でたまらない。警察署へいって、このことを話すと、さっそくさがしてくれることになった。
 だが、正太には、警察のさがしかたが、なんだかたいへん頼(たよ)りなくおもわれた。マリ子は、一体どこへいったのであろうか。正太はあてもなく敦賀(つるが)の町をさまよってマリ子をさがしてあるいたが、なんの手がかりもなく三日の日がすぎた。
 船長は、たいへん気の毒がって、このうえは東京へいって、誰かいい探偵をたのむのがいいだろうとおしえてくれた。そして船長は、自分の名刺をつかって、紹介状をかいてくれたのであった。宛名を見ると、「帆村荘六(ほむらそうろく)どの」としてあった。
 帆村荘六? どこかで聞いたような名前だった。船長は正太をなぐさめながら、この帆村探偵は若い理学士だが、なかなかえらい男だから、きっとマリ子をさがしだすだろうと、正太に力をつけてくれた。そこで正太は、やっとすこし元気づいて、なごりおしくも敦賀の町をあとに、東京へむかったのであった。それはウラル丸が敦賀の港について五日目のことだった。
 ここで話は一日前にさかのぼる。場所は、東京九段の戦勝展覧会場の中であった。朝早くから、会場の門はひらかれていた。お昼からは、見物人でたいへん混んだが、さすがに朝のうちは、すいていた。
 その朝、番人はなんにもあやしまないで、入場をさせたが、正太やウラル丸の船長や、それから敦賀警察署の警官たちに見せると、かならず「あっ」と叫ばずにはいられないようなあやしい二人づれの入場者があった。
 その二人づれとは、一人は上品な少年、もう一人はその妹と見えるかわいい少女であった。いや、もっとはっきりいうと、その少年は、正太そっくりの顔をしていたし、その少女は、正太の妹のマリ子そっくりであった。二人は仲よく手をつないで、会場にならんでいる、分捕(ぶんどり)の中国兵器やソ連兵器を、ていねいに見てまわった。
「かわいい坊っちゃんにお嬢さん。こんな早くから見に来て、かんしんですね」
 会場のあちこちに立っている番人が、いいあわしたように、二人にこんな風に話しかけた。
 二人は、それをきいて、にっこりと笑うのであった。やがてこの正太とマリ子に似た二人づれは、この展覧会で一等呼び物になっているソ連から分捕った新型戦車の前に来た。
 正太に似た少年は、その前にずかずかとよると、まるで匂いをかぎでもするように、戦車に顔をすりよせた。それからというものは、正太に似た少年の様子がへんになった。
 ちょうどそのとき、二人のあとから入って来た村長らしい見物人を、わざとさきへやりすごすと、正太に似た少年は、俄(にわ)かに目をぎょろつかせ、あたりに気をくばった。マリ子は、人形のように、じっと室の隅に立っていた。ぱちぱちぱちと、とつぜんはげしい音がきこえた。見ると、その呼び物のソ連の新型戦車が火をふいているのであった。よく見ると戦車は真赤に熟しつつ、どろどろと形が熔(と)けてゆくのだ。そして、その前には、正太に似た少年が、大口をあいて、はあはあ息をはきかけている。その息が戦車にあたると、戦車はどろどろと飴(あめ)のように熔けてゆくのであった。
 なんというあやしい少年のふるまいであろう。それは人間業(にんげんわざ)とはおもわれない。一体彼は何者であろうか。


   燃える戦車


「おう、たいへんだ。戦車が燃えている。いやどろどろに熔(と)けている、おい、みんな早くこい」
「何だ。火事か。えっ、鋼鉄(こうてつ)づくりの戦車がひとりで焼けている?」
 展覧会場は、たちまち大さわぎになってしまった。警官隊がトラックでのりこんでくる。サイレンを鳴らして、消防自動車がとびこんでくる。たんへんなさわぎだ。このさわぎが始まると、二人の少年少女はいちはやく会場の外へにげだした。そしてどこかへいってしまった。
 ホースをもって、消防手がのりこんでくると、そのとけくずれた戦車をしきりにのぞきこんでいる髭(ひげ)だらけの老人紳士があった。
「うふふふ、これはすごいことになったぞ。三センチもある鉄板(てっぱん)が、ボール紙を水につけたようにとけてしまった。とてもおそろしい力だ」
「おい邪魔だ。おじいさん、あっちへどいてくれ。水がかかるよ」
「なあに、水をかけることはないよ。もう火はおさまっている。戦車がとけて、鉄の塊(かたまり)になっただけでおさまったよ。はははは」
 老紳士は、声たからかに笑って、消防士においたてられて立ちさった。その老人紳士は誰あろう、ウラル丸でさかんにさわいでいた老人だった。自分の全財産をつんだウラル丸が沈没するというので、船長にくってかかったあの老人であった。
 戦車どろどろ事件は、その筋(すじ)をたいへんおどろかしもし、困らせもした。大事の分捕品(ぶんどりひん)が形がなくなったことも大困りだが、なぜどろどろにとけくずれたか、そのわけがわからないのだ。番人たちは、憲兵隊の手できびしくしらべられた。だが彼等も、本当のことはなに一つ知っていなかった。狐に化かされたようだというのが、そのしらべのしめくくりであった。まさかあのかわいい少年少女が、おそろしい犯人だと、気がついた者はない。それから二日おくれて、正太少年は、ひとりさびしく汽車にゆられて東京についた。
 少年は、なにをおいても、郊外にある家へかえって、病床(びょうしょう)にある母にあいたかった。しかし本当のことをいったら、母はどんなに心配するかもしれない。母にはすまないが、マリ子は船の中で病気になり、敦賀の病院に入っていることにしておこうと決心をした。その正太が、東京郊外の武蔵野に省線電車をおり、それから砂ほこりの立つ道を、ひとりぽくぽく家の方へ歩いているときだった。彼は母にあってよどみなくいうべき言葉を、あれやこれやと考えながら歩いていたので、ついぼんやりしていたらしい。それが、ふと目をあげて、向こうにつづくひろびろとした畑道をながめたとき、彼は意外なものを見つけて、おもわず「あっ」とおどろきの声をあげた。
「あっ、あれはマリ子じゃないか」
 二百メートル先の向こうの畑道を、二人の少年少女が、手をひいて歩いていく。その少女のうしろ姿を見たとき、正太はそれが妹のマリ子だといいあてたのだった。なぜといって、その少女は、船の中にいたときのマリ子の服と同じ服を着ていた。赤い帽子も同じであった。おかっぱの頭の恰好や歩きぶりまで、たしかにマリ子にちがいなかった。
「おーいマリ子」
 正太は、マリ子が誰と歩いているのかを考えるひまもなく、うしろからよびかけた。すると二人は、一しょにくるっと正太の方をふりかえった。そのとき正太は、おそろしいものを見た。
 妹マリ子のそばに立っている連れの少年の顔は、なんとふしぎにも、自分そっくりの顔をしているではないか。こうもよく似た顔の少年があったものだ。
「おーい、君は誰だ」
 正太が声をかけると、かの正太そっくりの少年は、いきなりマリ子を背に負い、後をふりかえりながら、どんどん逃げだした。その足の早いことといったら、韋駄天(いだてん)のようだ。
「おーい、待て。マリ子、お待ちよ」
 正太は、二人のあとをおいかけた。畑道をかけくだってゆくと、郊外電車の踏切があった。マリ子を背負った怪少年は、踏切をとぶように越していった。正太はあと五十メートルだ。
 そのとき意地わるく、踏切の腕木(うでぎ)が下がった。そしてじゃんじゃんベルが鳴りだした。急行電車がやってきたのだ。正太が踏切のところまでかけつけたときは、もうどうにもならなかった。番人は、それとさとって、腕木の下をいまにもくぐりそうな正太をぐっとにらみつけた。
「あぶないあぶない。入っちゃ生命がない!」


   怪少年出没


 おしいところで、正太は妹と怪少年においつけないで終った。踏切の腕木(うでぎ)があがったあとは妹を背負った怪少年の姿はもう小さくなっていた。
 それでも正太は、ここで妹をとりかえさねばいつとりかえせるやらわからないと一生懸命においかけたがもうすでにおそかった。やがて二人の姿は、村の家ごみの中に消えてしまった。
「ああざんねんだ。とうとうのがしてしまった」
 正太は、道のうえに坐って、おちる涙を拳(こぶし)でふいていた。
 怪少年が、マリ子をさらっていったのだった。あの怪少年は、一体何者だろうか。それにしてもマリ子の様子が、ふにおちない。兄が声をかけたのだから、「ああ兄ちゃん」とかなんとかいって、こっちへかけだして来そうなものだ。しかしじっさいは、妹はこっちをみても知らん顔をしていた。じつにふしぎだ。ただ一つ、正太の心をなぐさめたものは、敦賀で見うしなった妹マリ子が、いつの間にか東京へ来ていたことである。マリ子が東京にいるならそのうちにまたどこかで会えるかもしれないと、正太ははかないのぞみをつないだ。正太は、その足で、久方(ひさかた)ぶりにわが家の門をくぐった。
 病床の母は、おもいのほか元気だった。この分なら近いうちに起きあがれるかもしれないということであった。しかし母はマリ子の病気のことをきくとたいへん心配して、正太にいろいろとききただした。正太はつくりごとをはなしているので、母親からあまりいろいろきかれると、返事につまった。
「お母さん、マリ子は、はしかのような病気です、大したことはありません。ただ他の人にうつるとわるいから、あと一ヶ月ぐらい入院していなければならないのです」
 そういって正太は、母親をなぐさめた。それをきいて母親はやっと顔いろを和(やわらげ)たのだった。
 帆村探偵の事務所は、丸の内にあった。ウラル丸の船長からもらった紹介状を出すと、帆村はすぐ会ってくれた。
 この探偵は、背が高くて、やせぎすの青年だった。茶色の眼鏡をかけ、スポーツ服を着ていた。しきりに煙草をぷかぷかふかしながら、正太の話をきいていたが、たいへん熱心にみえた。
「よくわかりました、正太さん」
 と帆村探偵は、たのもしげにうなずいて、
「とにかく全力をあげて、マリ子さんの行方(ゆくえ)をさがしてみましょう。しかしですね、正太君、いまお話をきいて僕がたいへん面白く感じたことは、あなたの見た怪しい二人づれの少年少女と、昨日九段に陳列してあったソ連戦車をどろどろに熔(と)かした怪事件がありましたが、そのときあのへんをうろついていたやはり二人づれの怪少年少女があるのですが、どっちも同じ人物らしいことです。これはなかなか、手のこんだ事件のように思われますよ」
「戦車事件は、新聞でちょっと読みましたが、たいへんな事件ですね。しかし、妹のマリ子が、あのようなおそろしい事件にかかわりあっているとは、僕にはおもわれないのですが――」
「もちろん、マリ子さんにはなんの罪もないのでしょう。マリ子さんと一しょにとびまわっている少年、つまり正太君のにせ者が、いつも先にたってわるいことをしているのにちがいありません。その少年をひっとらえて、あなたと一しょに並べると、これはまたおもしろいだろうとおもいます。じつは、そのことについては、私にもいささか心あたりがあるのです」
「心あたりというと、どんなことでしょう」
「それがねえ――」と帆村探偵は、ちょっと言葉をとめて「いって、いいかわるいか、わからないが、どうもちかごろ怪しい外国人が入ってきて、すきがあれば日本の工場をぶっつぶしたり、軍隊の行動を邪魔したりしようと思っている。ゆだんはならないのです。ことに……」
 といっているとき、扉があいて、帆村の助手の大辻がつかつかとはいってきた。
「先生、いまラジオが臨時ニュースを放送しています。横須賀(よこすか)のちかくにある火薬庫が大爆発したそうです」


   爆発現場(ばくはつげんじょう)


 火薬庫が大爆発をしたというしらせだ。帆村探偵は、椅子からたちあがった。
「正太君。いまおききになったように、火薬庫が爆発したそうですが、私はすこし心あたりがあるから、これからすぐそっちへいってみます。君も一しょについてきませんか」
 帆村探偵にいわれ、正太ももちろん尻ごみをするような弱虫ではなかった。
「ええ、僕はどこへでもついてゆきますよ。ですけれどねえ、探偵さん、マリ子を何時とりかえしてくれますか」
「さあ、それはまだはっきりうけあいかねるが、私の考えでは、この火薬庫の爆発事件も、なにか君の妹さんと関係があるような気がしますよ。とにかく爆発現場へいってみれば、わかることです」
「じゃあ、これからすぐいきましょう」
「よろしい。おい大辻、三人ですぐでかけるが、用意はいいか」
「はい、用意はできています。そんなことだろうと思って、私は車を玄関につけておくように命じておきました」
 帆村と正太と大辻の三人は、玄関に出た。自動車はちゃんとそこに待っていた。大辻が運転をした。三人はとぶように京浜国道をとばして現場へ急行した。一時間も走ったころ、山かげを廻った。すると運転台の大辻が、
「ああ先生、あそこですよ。たいへんな煙がでています」
 と、前をゆびさした。なるほど、まっ黒な煙が、もうもうとふきだしている。
「そうだ。あそこにちがいない。おい大辻、全速力ですっとばせ!」
 帆村探偵の命令で、なお全速力で、現場に近づくにしたがって、爆発のため破壊された家や塀(へい)の惨状(さんじょう)が、三人の目をおどろかせた。現場ちかくで頤紐(あごひも)かけた警官隊に停車を命ぜられた。
「おいおい、ここから中へはいってはいけない」
 三人は車をおりた。帆村が口をきくと、非常線を通してくれた。三人は、地上に大蛇(だいじゃ)のようにはっている水道のホースのうえをとびこえながら、なおも奥の方へすすんだ。
「おい、そっちいっちゃ、あぶない。そっちには、まだ爆発していない火薬庫があるんだ」
 そういって一人の警部が、帆村たちにこえをかけたが、急に気がついたという風に、
「おう、帆村君か。君もやってきたのか」
 と、帆村に話しかけた。帆村がその方を見ると、それは彼と親しい警部だった。
「やあ、河原警部さんじゃありませんか。どうもご苦労さまです。一体どうして爆発がおこったんですか」
「そのことだよ」と河原警部は首をかしげて「どうも原因がわからなくて困っているのだ。君もなにか気がついたら、参考にきかせてくれたまえ」
 帆村探偵はたのもしげにうなずくと、すぐさま一つたずねた。
「爆発の前に、少年と少女が現場附近をうろついていたというようなしらせはありませんか」
「少年と少女とがうろついていなかったかというのかね。はてな、そういえば誰かがそんなことをいっていたよ。その少年と少女とが、どうかしたのかね」
「その少年が、どうも怪しいんですよ。あれはただの人間じゃありませんよ」
「えっ、人間じゃない」河原警部はふしぎそうな顔をして、
「人間じゃなければ、何だというのかね。まさか化物(ばけもの)だというのではないだろうね」
 帆村探偵は、なんとこたえたろうか。


   人造人間(じんぞうにんげん)か、人間か


「警部さん、あの怪少年は、一種の化物ですよ」
 帆村探偵は、大まじめでいった。
「化物の一種だとすると、狸かね狐かね。はははは、そんなばかばかしいことが……」
「警部さん。その怪少年というのは、ここにいる私の連(つ)れの正太君そっくりの身体、そしてそっくりの顔をしているのですよ」
「なんだ、この少年と似ているのか。ふーん、じゃ、あの化け物もかわいい少年なんだね」
「そうです。似ているというよりも、双生児(ふたご)のように、いやそれよりも写真のようにといった方がいいでしょうが、この正太君そっくりなんです」
「なんだ双生児(ふたご)なのか」
「いや、双生児のようによく似ているというはなしです。それがたいへんおかしい。だから私は、こう考えているのです。あの怪少年は、人造人間にちがいない」
「えっ、人造人間? はははは、君はますますへんなことをいうね」
「いやじつは、さっき正太君から聞いた話で思いあたったのですが、あの怪少年こそ、ウラジオの人造人間研究家のイワノフ博士がこしらえた人造人間エフ氏じゃないかと思うのです。これはこれからのち、よくしらべてみないとわかりませんけれど」
「人造人間エフ氏!」
「いよいよこれはなんだかわからなくなった」
 そういっているとき、さっきから二人の傍(そば)に立って爆発現場(ばくはつげんじょう)を見まわしていた正太少年は、いきなり大きなこえをはりあげ、
「あっ、あそこに大木老人がいる。僕ちょっといって、大木老人にあってきます」
 それをきいた帆村は、正太の指さしている方を見た。なるほど髭(ひげ)だらけの眼鏡をかけた老人が、なんの用事があってか、壊(こわ)れた火薬庫のあとをうろついている。
「ちょっとお待ち、正太君。あの老人にあうのは、ちょっと待って下さい」
「なぜ大木老人にあってはいけないのですか。あの老人は、僕にもマリ子にもたいへん親切だったんですよ、さっき、僕が帆村さんにくわしくお話したでしょう」
「それはわかっています。それだから、ちょっと待ってくださいと、とめたんです」といって帆村は正太の顔をじっと見て、
「ねえ正太君。私はあの老人を一番あやしいと睨(にら)んでいたのですよ。なんだってあの老人は、怪少年があらわれると、いつでもかならずそのあとに姿をあらわすのでしょうか」
「僕、大木老人はいい人だと思うがなあ。船の中でも、僕のことをたいへんかばってくれましたよ。あのとき僕は、もうすこしで船の中の牢屋(ろうや)にいれられるところだったんです。そのとき大木老人がきてくれて、僕が無罪だということをさかんにいってくれたんです。だから僕は、牢にも入らないで、船の中をずっと自由に歩きまわることができたくらいなんですよ」
「それがどうもあやしい」
「あれ、どうしてです。僕を助けてくれた人があやしいとは、わけがわかりませんよ」
「いや、いまによく分るでしょう。私には、大木老人となのるあの怪人物が、なにをもくろんでいたか、分るような気がするのです。正太君、いま僕のいった言葉を忘れないように」
「どうもへんだあ」
 正太は、帆村探偵のいったことが、なかなかのみこめなかった。探偵は、大木老人を何者だと考えているのだろうか。


   裏山の怪


 帆村探偵は、大木老人のあとを、どこまでもついていってみるといいだした。正太はそれをきいて、むだなことだと思った。それよりも、人造人間エフ氏かもしれないというその怪少年をおいかけた方がいいと思い、帆村にはなすと、探偵は、
「とにかく私は、大木老人をおいかけます。君は私についてきますか、ついてくるのがいやなら、私ひとりでいきます」
「僕は、マリ子の方をさがしたいのです」
「そうですか。よくわかりました。では、正太君には、私の助手の大辻をつけてあげましょう。大辻はなかなか力があるから、きっと君の役に立つでしょう」
 そういって帆村は、大辻を正太の方につけ、そそくさと出かけてしまった。探偵は、なにか心の中に、はっきり考えていることがあるらしかった。
「さあ、坊っちゃん。先生のいいつけで、わしは坊っちゃんのお伴をすることになりましたが、これから何をしますかね」
 大辻は、仁王さまのように大きな男、太い腕を胸にくんで、正太を見おろす。
「じゃあ大辻さん。僕が探偵長になるから、大辻さんは僕の助手というようにしてこれから妹と怪少年のあとをおいかけようや」
「なに、わしは助手か。ああなさけない。わしはいつまでたっても万年助手(まんねんじょしゅ)だ」
「じゃあ、いやだというの」
「いやじゃない。いやだなどといったら、あとで先生から、叱(しか)られるよ」
「ついてくるのなら、それでもいいが、大辻さんは、あまり役に立たない探偵なんだろう」
「じょ、じょうだんいっちゃこまるよ。先生もさっきいったじゃないか。力にかけては、双葉山でも大辻にはかなわないとね」
「あんなことをいってらあ。やっぱり双葉山の方がつよいにきまっているよ」
「子供のくせに、なまいきなことをいうな。出かけるものなら、さっさと出かけようぜ」
 正太は、探偵長になったつもりで、さっそく河原警部にはなしをし、さっき少年と少女を見たという警官にひきあわせてもらった。
「ええ、私がたしかに見つけました。二人は裏山の方へはいっていったようですがね」
 警官がそういったので、二人は、すぐさま裏山へわけいった。道はだいたい一本筋だった。二人は一生けんめいに、山道を走った。
 あっ、あそこにいる。正太が目ざとく、怪少年と妹の姿を見つけた。下り坂のところを、怪少年がマリ子をひきずるようにして下ってゆく。
「ああ、なるほど、あれか」と大辻は汗をふきながら、
「けしからん怪少年だ。お前さんの妹さんは、へたばりそうじゃないか」
「大辻さん。一二三で、おいかけようや」
「うむ。お前さんはそうしなさい。わしは、この草むらの中を通って、先まわりをしよう。ちょうど、あの曲り道の向こうあたりで、両方からはさみうちだ」
「よし、じゃあ元気でやろうね」

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