人造人間エフ氏
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著者名:海野十三 

 といっているうちに、「あっ、この歯車がこんなに折れている。歯車の歯がぼろぼろにかけている。なぜこんなことになったんだろうか」
 博士は、ふーんと呻(うな)った。


   大辻の冒険


 ここにしばらく忘れられた一人の人物がある。それは誰だったろうか? それは外でもない。足が痛いとか、腰がだるいとかいって、ふうふう息をつきながら、だんだん遅れてしまう大辻助手だった。
 彼は一体どうしたのであろうか。
 大辻助手は、胆(きも)がつぶれるほどのたいへんな場面をみた。それは、自分の主人の帆村探偵と正太少年とが、イワノフ博士のために岩かげにおいこまれるところだった。(これは一大事。うぬ、先生たちを捕虜(ほりょ)にされてたまるものかい)と、すぐにその場にとびだそうとしたが、待てしばし、このまま出ていっては、あの怪老人にあべこべにやっつけられるので、とびだしたい心をしいておさえつけ、しばらく様子をうかがっていた。そのうちに、大岩のまわりはしんかんとして、なに一つ物音がしなくなったので、
「しめた。これでみると、あのイワノフめは、まだおれさまという強い人間がいるということを知らないな。よし、そんなら、こっちもそのつもりで、うまくやってやるぞ」
 大辻は、この一大危難(いちだいきなん)におちいって、かえってにわかに勇気りんりんとふるいたった。
 彼はそれから、注意ぶかく巌のまわりをみてまわった。その彼は、やがて草むらのなかに、一つのまるい金網(かなあみ)をみつけた。金網の下はまっくらでよくわからないけれども、穴があいていて、かなり下の方まで通じている様子であった。
「これは一体なんだろう?」大辻は金網のうえに手をつけて、じっと身体をうごかさないでいた。すると、どこからともなく、しくしくという泣き声がきこえるのであった。
「あれっ、誰か泣いているぞ!」
 大辻はびっくりして顔をあげた。たしかにその泣き声は、地面の下から聞えてくる。
「はて、あれは正太君の泣き声かな、それとも先生が泣いているのかな。まさか先生ともあろうものが泣くとは考えられないけれど、いやそうではないかもしれない。先生でも、いよいよもうだめだというときには子供のようにわんわん泣くのかもしれない。よし、おれが助けてやろう」
 大辻は、金網に手をかけて、ひっぱった。金網はすぽんとひらいた。中をのぞくと、そこははたして、深い穴で、彼の身体がやっとはいれるぐらいの太さはある。
「よし、こうなったら、はいっていくぞ」
 大辻は大決心をかためて、足の方から穴の中へいれた。が、足は下までとどかない。そのうちに、つかまっていた草の根が、ごそりとぬけたので、あっという間に、彼の身体はすーっと下へおちだした。そしてやがてどしんという音とともに、穴の底に尻餅(しりもち)をついたが、そのとき何者か、きゃっといってとびのいたものがある。


   大手柄(おおてがら)


 大辻助手は、どんなにおどろいたか、しれなかった。なにしろ、高いところから、どすんとおちて、いやというほど腰をうった。さあ、すぐ起きあがろうとおもっても、腰ははげしくいたむばかりで力というものが、まるっきりはいらない。そばでは何者かが、きゃーっと、へんなこえを出してとびのいた。気味がわるいったらない。が、こっちはうごくことができない。
 大辻助手は、唸(うな)りたいのを、こえをだしてはたいへんと、口の中にのみこんで、一生けんめい観音(かんのん)さまを心の中で拝(おが)んだ。すると、しばらくたって、
「ひーい」と、一こえ、泣きごえがきこえる。それはたいへん細いこえだった。
「うむ、ゆ、幽霊だ!」
 とうとう大辻助手は、たまらなくなって、おどろきのこえをたてた。からだは大きいが胆玉(きもったま)の方は、それほど大きくないのがこの大辻助手だ。
「ええっ、幽霊。あれーえ」
 つづいて、かん高いこえで叫んだ者がある。それは大辻ではなかった。女の子のこえだった。大辻は二度びっくり!
 だが、はっきり女の子のこえとわかって、彼はややおちついた。さっきから、まっくらな、このしめっぽい空井戸(からいど)の底みたいな中で、きゃあきゃあいっていたのは、この女の子だったんだ。とたんに、大辻の頭の中に、一つの考えがぴーんとひらめいた。
 そこで彼は低い声で叫んだ。
「もしもし、あなたはマリ子さんじゃありませんか」
「えっ」相手は、おどろきのこえをだした。
「マリ子さんでしょう。わしは探偵じゃ、名探偵長の大辻という者です。えへん。正太君からたのまれて、ここまでマリ子さんをさがしにきたのです」
「それは本当ですか、あたし、マリ子よ」
「やっぱりそうだった。名探偵長がここへ来たからには、マリ子さん、安心をなさい」
「まあ、あたし、本当に助かるのかしら。あたしまた夢をみているのじゃないかしら」
 そうであろう。これが本当にマリ子であれば、そう思うのもむりではない。ウラル丸の中でイワノフ博士にかどわかされ、それから兄の正太とおなじ顔かたちをした人造人間エフ氏にひきずられるようにしてずいぶん苦しい目、かなしい目にあって苦しんできたのだ。死んだ方がましだと、なんべん思ったかしれない。しかしなんとかして生きていて、病気で寝ていると同じお母さまに、一度でもいいから会いたい。それまでは、どんなことがあっても倒れまいと、よわい少女の身をまもって、こらえてきたのであった。
「もう大丈夫。わしが――この名探偵長大辻がついている以上、何が来たってもう大丈夫だ。マリ子さん、どうぞ大船(おおぶね)にのった気で安心なさい」
 大辻は、マリ子に元気をつけようとおもい、名探偵長になりすまして、さかんにいばってみせるのだった。大辻は、たいへんお手柄をたてたわけである。が、そのお手柄のはじまりというのは、(あっ、幽霊だ!)と、本気でがたがたふるえたことにあるのだ。臆病のお手柄なんだから、あまりいばれたものではない。帆村探偵がきいたら、笑うだろう。
 マリ子は、大辻のことばをきいて、たいへん元気づいた。でも、どうしてこんな空井戸みたいなところから、にげだすことができるだろうか。マリ子はそれを心配して、大辻にうったえた。すると大辻は、からからと笑って、
「なあに、そんな心配は無用だ」
「どうして?」
「だって、わしは、この穴の上から、ここへおっこったんだもの。だからこの穴を逆に上にのぼっていけば、必ず外に出られるわけだ。ねえ、そうでしょう」
「そうね。でも、こんな深い縦穴(たてあな)をのぼるなんて、あたしにはそんな力はないのよ」
 と、かなしげにいった。
「なあに、それも心配無用だ。わしは、穴の中へおっこちるのも上手だけれど、上へのぼるのも大得意(おおとくい)なんだよ。なぜって、わしは山国(やまぐに)の生れでね、小さいときから、山のぼりや木のぼりをやっていて、それにかけてはお猿さんより上手なんだからね」
 お猿さんというよりは、ゴリラといった方が似あう大辻助手だった。


   負けない二人


 大辻助手は、物事がうまくいくと、たいへん元気の出る男だった。そのかわり、物事がちょっとけつまずいて、うまくいかないと、とたんにくさるという悪いくせがあった。
「さあ、マリ子さん。わしの背中におんぶするんだ。ぐずぐずしていると、また悪い奴にみつかるからね」
 マリ子は大辻の背中にとびついた。大辻はそこで、バンドを外(はず)して、マリ子を背にくくりつけた。マリ子は、お尻の下のところがバンドにしめつけられてくるしいが、そんなぜいたくなことをいっていられない。マリ子の両手は、大辻の肩をしっかりとおさえる。大辻は、その穴をのぼりはじめた。
 彼は、ポケットから大きな水兵ナイフを出して口にくわえている。両足と両手と、この四つの手足が、穴の壁を押しているが、まるで煙突の中に蟹(かに)が入っているような恰好である。彼は、たくみに手足をかわるがわるうごかし穴の壁を上へのぼっていくのであった。水兵ナイフは、穴の壁に、手足をかける凹(くぼ)みをつくるためたいへん便利であった。
 穴をのぼりきるまでに、丁度三十分かかった。大力を自慢にしている大辻助手も、さすがにこの三十分間のむりな働きに力のありったけを出してしまったものとみえ、穴の外に出ると同時にものもいわずに、草の上にどしんと倒れて了(しま)った。
「大辻さん。しっかりしてよ」
「ふーん」
「はやくにげましょうよ。だれか追いかけてくるとたいへんだから」
「ふーん」
 なにをいっても、しばらくは、ふーん、ふーんと唸(うな)っていた大辻だったが、やがて牛がやるように、むっくり起きあがると、
「ばんざーい。もう、こわい者はいないぞ。さあ、ひきあげよう!」
 マリ子を背中におうと、大辻は、うすぐらい山道を下へ、どんどんと駈(か)けおりていった。
 大辻は、たいへんうれしかったのだ。そして大得意だった。彼は、帆村のことや正太のことを思い出さなければならないのだが、彼はそんなことなしに、どんどん山を下りていった。あまりにうれしすぎたのであった。大得意だったのである。
 麓村(ふもとむら)へ、麓村へ! その間、人造人間エフ氏にも追いかけられないように祈りつつ、大辻助手はどんどんと山を下りていく。
 さてこっちは、イワノフ博士である。人造人間エフ氏の身体をあけて、そこにぎっしりつまっている器械をなおしているうちに、彼はなにか気になる物音をきいた。
「はてな、あれはなんの音だろうか?」
 博士は、どこかでざざあ、どどーんと、岩石がこわれておちる音をきいてたち上った。
「ふむ、あの探偵と小僧とが、脱走をしようとおもって岩穴(いわあな)をくずしているのかもしれない。きっとそれにちがいない。うむ、ひどい目にあわせてくれるぞ」
 博士は、ピストルをもって、室を出ていった。地下道にひびく博士の足音。
 博士は、帆村探偵と正太少年とを放りこんである土牢(つちろう)の前に、そっと近づいた。そして小さい格子窓(こうしまど)のところへよった。かすかな豆電球がともっている土牢であった。博士の目は、そのうすぐらい明りをたよりにして石牢の中をのぞいた。
「あっ、いた――二人とも、あそこに長くなって倒れている。さっきのやつが、よほどきいたとみえるな。これで安心、大安心だ。すると、あのもの音はマリ子を入れてある奥の牢の方かもしれない。そっちを見てこよう」
 そういって博士は、地下道を奥の方へとはいっていった。
 ところが博士が向うへいったとわかると、帆村と正太は、がばとはねおきた。じつは二人とも、わざと倒れている様子をしていたのである。
「さあ、今のうちだ。いよいよ穴があくぞ」
 二人は、蝗(いなご)のように壁にとびついた。そして棒切(ぼうきれ)みたいなもので、暗い壁をつついていたが、どうしたものか、にわかに壁をとおしてさっと一条(すじ)の光がとびだした。


   意外な出来事


 光だ! 暗い壁から、ぱっとさしこんだ光だ!
 その光は、みるみる大きくなっていった。帆村と正太は、あらそうようにして、この光のそばにくっついて、はなれない。
「ふん、よく見える!」低いこえで帆村がいった。
「見えるの、室内が……」と、これは正太少年だった。壁に穴があいたのだ。壁穴をとおして、となりの室内が見える。
「あっ、あそこに人造人間がいる。正太君、ちょっとここへ来て、中を見たまえ。僕が抱いてあげよう」帆村は正太を、うしろから抱きあげて、穴をとおし室内の様子をみせてやった。
「あっ、あいつだ。僕そっくりの顔をしている。人造人間エフ氏だ」
「正太君、しずかに――」と、帆村は注意をした。
「ねえ正太君。いま見ると、壁の穴から、大してとおくないところに、イワノフ博士が大事にしている人造人間エフ氏を操縦する器械が見える。机のうえに乗っているんだ。あいつを、なんとかして壊(こわ)してしまおうではないか。すると人造人間はきっとうごかなくなってしまうとおもうよ」
「ああ、それはうまい考えですね」
「博士がかえってこないうちに、あれを壊してしまおう。ちょっと横にどいていたまえ」
 探偵帆村は、短い棒を手ににぎると、穴の中に手をさし入れた。穴が小さいので、手を一本入れると、向うを見るのがなかなか厄介(やっかい)である。
 帆村は、あらかじめ見当をつけておいてから、右手をにゅっと出して、ひゅうひゅうと棒をふった。だが棒が短いのか、帆村の腕が短いのか、うまく器械にあたらない。
「もっと長いものはないかしら。よわったな、じゃこうしてみよう」
 と、帆村は、棒をひっこめると、ハンカチーフをべりべりとさいて大急ぎで紐(ひも)をつくり、それを棒のさきにくくりつけた。それから紐の他の端には、ナイフをくくりつけた。
「これで、もう一度やってみよう」
「なるほど、帆村さんは、うまいことを考えだすなあ。僕すっかり感心しちゃった」
「なあに、くるしまぎれのちえだ」帆村は、ふたたび穴の中に右手をいれた。そして、手にもった棒をふりまわした。棒の先に紐で結ばれたナイフは、きりきりまわっていたが、やがてがたんと手応(てごた)えがあった。が、それっきり、棒がうごかなくなった。
「あれえ、どうしたのかな」といったが、帆村の腕は、腋(わき)の下まで穴の中にすっぽり入っているので、穴の隙間(すきま)がない。したがって向うも見えない。すると、とつぜん、大きな声だ。
「だ、誰だ!」イワノフ博士のこえだ。
「しまった。もう、いけない」帆村は、もうこれまでと思い、棒を握ったまま、満身(まんしん)の力をいれて、ぐっと手もとへひっぱった。
 ずいぶんくるしかったが、棒はやっとうごいた。重いものが床の上におちる音がした。それはエフ氏を操縦する器械が下におちたのである。そのとたんに、
「あ、いたい」と、帆村が叫ぶ。このとき棒は彼の手から放れてしまった。彼は大急ぎで穴から腕をひっこめた。
「うおーっ」と、獣(けだもの)のようなものが呻(うな)るこえ。
「さあ、たいへん。ううん、よわった」これはイワノフ博士のこえ。
 博士の室内からは、なにかどすんどすんと重いものがぶつかっている気配(けはい)だ。そうかと思うと帆村と正太の押しこめられている壁までが、ずしんずしんとひびいて、壁土がばらばらとおちはじめた。
「これ、人造人間エフ氏。しずまらんか。しずまれというのに」
 博士の室内のもの音は、ますます大きい。いろいろなものが、こわれていくらしい。
「あっ、どうするのだ」
 と、博士が叫んだとき、帆村と正太のはいっていた室の土壁が、がらがらと崩れた。あっとおもう間もなく、その穴からとびこんで来たものは、人造人間エフ氏であった。たいへんな力であった。
 さあ二人は、どうなるであろうか。


   暴れる人造人間(じんぞうにんげん)


「うおーっ」
 と、ものすごい唸(うな)りごえをあげて、人造人間エフ氏は、部屋の中をあばれまわる。姿だけ見ると、それはまるで正太少年があばれているとしか見えなかった。エフ氏のそのときの顔といえば、そのものすごい唸りごえに似合わず、にこにこ笑っていた。にこにこ笑いながら、ものすごい唸りごえをあげて、手あたり次第、壁をつきこわしていくのである。これは、ものすごい顔をして、あばれられるのとちがい、かえってよけいに気味(きみ)がわるかったと、後に帆村探偵が、そのときのことを思いだして、語ったことであった。帆村と正太少年とは、壁の隅っこに小さくなって、人造人間が、こっちへやってこないことを祈っていた。でも、あまりに、そのあばれ方が、はげしくなるので正太はついに、帆村のそばへすりよった。
「帆村さん、大丈夫?」
「うん、たいてい大丈夫だろう」
 帆村探偵のこえは、おちついていた。そのこえをきくと、正太は、急に気がつよくなった。
「帆村さん。エフ氏は、なぜあばれているんですか」
「さあ、よくは分らないが、さっきエフ氏を動かす器械を下におとしたろう。あのとき、その器械のどこかがこわれてしまったので、それでエフ氏が急にあばれだしたんだと思うよ」
 帆村探偵は、このさわぎの中にも、なかなか頭をはたらかせた。正太は、それをきいて、また恐しくなった。
「じゃあ、エフ氏は、気が変になったわけですね。もし僕が気が変になったら、あんな姿であばれるんだと思うと、いやだなあ」と、正太は、心がくらくなった。
「ああもっともだ」と、帆村は相槌(あいづち)を打って、「あんなものは、見ない方がいいよ。君は、頭をさげて、じっと見ないでいたまえ」と、帆村は正太の頭を抱(かか)えてやった。
 人造人間エフ氏は、ますますものすごくあばれる。土をとばし、石塊(いしころ)をとばし、まるで闘牛(とうぎゅう)が穀物倉(こくもつぐら)のなかであばれているようであった。イワノフ博士は、どうしたであろうか。
 博士は、向うの部屋で、これも背中を丸めて、じっとこっちの様子を見守っている。
「あっ、たいへんだ。こうでもなければ、これをこう動かしてみるか」
 よく見ると、博士は、人造人間の操縦機を前において、しきりに、たくさんのスイッチを切ったり入れたりしているのであった。たしかに、どこかが故障らしく、博士の思うようにはうまくいかないので、よわっているのだった。
「ちぇっ、これでもだめだ。仕方がない。この操縦器を一度分解して、なおすより外ないらしい」
 博士は、もう夢中で、額(ひたい)の汗をはらいながら、ネジ廻しをもち出して、操縦器の分解にかかった。そのとき、博士の持つネジ廻しが、どこにふれたものか、ぱっと火花が出た。
「あっ」と、イワノフ博士がおどろきのこえをあげたとき、今まで監禁室(かんきんしつ)であばれていた人造人間は、くるっとむきをかえて、博士の部屋にとびこんできた。
「あっ、あぶない!」
 と、博士のおどろきのこえが終るか終らないうちに、人造人間エフ氏は、まるで砲弾(ほうだん)のような速さでもって、天井へ向けてとびあがった。どーんとすごい音、そしてばらばらとおちてくる土や石塊(いしころ)。それっきり人造人間エフ氏の姿は、見えなくなってしまった。
 人造人間エフ氏は、どうしたのであろうか。いまエフ氏は、真暗(まっくら)な空を、ひゅーっとうなりごえをあげながら、砲弾のように、東の方にむかってとんでいく。
 そして、どうしたのか、ときどき身体がぱっと気味わるく光った。光るたびに、エフ氏の身体は空中でぐるぐる廻転して、まるで人間花火みたいであった。エフ氏の身体は、だんだんと、空高くのぼっていくように思われた。その当時、あれ模様の空からは、急にはげしい風が吹きはじめたが、それはエフ氏が風(かぜ)の神(かみ)に早がわりをしたかのように思われた。
 エフ氏は、はげしいいきおいで、空をとんでいく、夜中だから、まだいいようなものの、もしもこれが昼間であったとしたら、道ゆく人たちは、空を飛ぶ少年姿のエフ氏を仰いでさぞ胆(きも)をつぶしたことであろう。きっと、百人や二百人は、目をまわすものがでてきたことであろう。


   岩窟(がんくつ)の押し問答(もんどう)


 岩窟の中では、帆村と正太の二人が、元気をもりかえした。エフ氏がとびだしたので、イワノフ博士は、すっかりあわてている。そこをねらって、帆村と正太とは、右と左とから、博士をおさえつけたのだった。
「さあ、イワノフ博士。しずかになさい」
「あっ、わしをおさえて、一体どうしようというのか」
「知れたことです。人造人間を日本へもちこんだあなたの悪い仕業(しわざ)を、どうしてこのままゆるしておけるものですか」と帆村は、博士ににげられないように、その手に、縄(なわ)をかけた。
「おや、これはなにをするのかね」博士は、じろりと、帆村をにらんだ。
「お気の毒ですが、こうなっては、どうもやむを得ません。あなたに逃げられると、またとんでもないさわぎをくりかえさなければなりませんのでね」
 帆村は、はっきりと博士に対して、引導(いんどう)をわたした。
「ぶ、無礼な奴じゃ。だが今にみるがいい。貴様の方で、どうぞこの縄をとかせてくれという時がくるだろうよ」と、イワノフ博士は、ぶつぶついいながら怒っている。
 帆村は、そんなおどかしの手には乗らない。そこで正太少年に目くばせして、博士のうしろから気をつけているようにたのんだ。帆村は、ここでイワノフ博士に、人造人間の秘密を早くいわせるつもりだった。
「博士。あなたは、人造人間エフ氏を日本へ連れこんで、どうするつもりだったのですか」
「ははあ、そろそろ取調べがはじまったというわけだな。そんなことは、そっちで考えてみたらいいだろう」博士は、ふてぶてしく、顔を天井(てんじょう)の方にむけていった。
「博士、返事ができないようですね。いや、その返事は、あとで聞くことにしましょう」と、帆村は、イワノフ博士の様子をじっとうかがいながら、「博士。あなたは、人造人間エフ氏を、この電波操縦器でもって、いつも動かしていたのでしょう。人造人間は、いわば自動車のようなもので、運転手がのって、エンジンをかけ、そしてハンドルをとると動くので、自動車ひとりでは動かない。それと同じように、エフ氏も、エフ氏ひとりでは動かない。博士が、この操縦器についているたくさんのスイッチを、うまい工合に入れたり切ったりしないかぎり、エフ氏は動かないでしょう。どうです、それにちがいありますまい」
 帆村は、するどく、人造人間の秘密に切りこんだ。
「はははは、そこまで分っていれば、なにもわしに聞くことはないじゃないか。どうじゃ、日本には、人造人間などというこんなりっぱな器械があるかね。いや、ありますよといっても、世界中の誰も信用しないであろう」
 と、博士は、いやなことをいう。帆村は、それには一向とりあわず、さらに一歩前に出て、
「ねえ博士。そこで僕は一つ、あなたに御注意をしますが、どうも、あの人造人間エフ氏は、あなたの自由にならなくなっているように思うんですがね。つまり、エフ氏は、勝手に動きだしているように思うんです。これは、御心配なさらなくてもいいのですか」
 帆村の質問は、たしかに博士の痛いところをついたようであった。それまで、いばって胸をはっていたイワノフ博士が、帆村のこの質問をきくと、急にあわてだした。
 ここぞと、帆村はまたするどく、言葉でもって切りこんだ。
「どうです、博士。人造人間エフ氏は、あなたの心にそむいて、こんなに壁に穴をあけ天井をつきぬき、そのうえどこかへとびだしました。まさか、あなたは、エフ氏に対し、博士が苦心してつくったこの岩窟を、こんな風にこわせとは、命令されなかったのでしょうにねえ」
「うむ。それは……」
「博士。エフ氏を、このまま放(ほう)っておいて、それでさしつかえないのですか。エフ氏に勝手なことをさせておいていいのですか。もしやエフ氏が、海の中へとびこんだとしたらどうでしょう。たちまち海水が、身体の中の器械をぬらしてしまって、動かなくなるでしょう、そうなれば、折角(せっかく)の人造人間が、だめになってしまいます」
「海水ぐらいは平気じゃ。いや、これは……」
 と、口をおさえたが、この博士の言葉から考えると、人造人間は、水にぬれても大丈夫(だいじょうぶ)のようにできあがっているらしい。どこまでもよくできた人造人間だった。


   人造人間(じんぞうにんげん)の操縦


 博士は、急に、そわそわしはじめた。立ってもすわってもいられない様子だ。帆村探偵は、正太の方に、目配(めくば)せをした。
 正太は、帆村の顔色を察して、だまって、うんうんとうなずいた。
「ねえ、博士。人造人間が、こわれないうちに、この操縦器をつかって、おとなしく呼びもどしておいたがいいでしょう」
「うん、それはそうだが、わしの手は動かない。この縄をといてくれ」
「はははは。あなたの方でといてくれといいだしましたね。しかし、とくことはなりません」
「なぜとかないのか。とかないと、人造人間は大あばれにあばれて、今に、日本の国民全体が、大後悔(だいこうかい)しても、どうにもならんような一大事がおこるが、それでもいいのじゃな」
「博士、おどかしは、もうよしてください」と帆村はひややかにいい放った。
「なるほど、あなたの手は動きません。しかし口は利けるのですから、口でいってください。僕がそのとおりに、操縦器のスイッチを切ったり入れたりしましょう」
「ははあ、分った。貴様、人造人間の操縦法を、わしから聞きだそうというのじゃな」
「そうです。早くいえば、そうです」
 博士は、しばらく考えこんでいた。が、やがてその面上(めんじょう)には、決心の色がうかんできた。
「仕方がない。わしの知っていることを、君におしえてやろう」
 博士の考えが、たいへん変った。帆村に、人造人間の動かし方をおしえるという。そういう博士の心変りの奥に、どんなおそろしい計略があるのか、決して油断はできなかったが、とにかく今、人造人間エフ氏があばれ出しているのだから、博士としてはとりあえず帆村の力を利用してでも、エフ氏を自分の手許(てもと)にとりもどしたい気持であることは、よくわかった。
「さあ、おしえるから、よくおぼえるのだ、いいかね。この主幹(しゅかん)スイッチをおすと、電波が出て、エフ氏の身体の中にある受信機に感じるのだ」
「なるほど」
「そうしておいて、こっちに一から百まであるスイッチのどれかをおすのだ。このスイッチは、いろいろと、ちがった動作をするようにできている。わしのポケットに、それを説明した虎(とら)の巻(まき)があるから、出してみたまえ」イワノフ博士は、身体をねじってポケットを帆村の方に向けた。この中には、なるほど操縦虎の巻と書いた小さな本があった。
「どうだ。よくできているじゃろう。たとえば第十九番のスイッチを入れると、人造人間エフ氏は、相手の心の中をすっかり知ってしまう」
 博士は、たいへんなことをいいだした。人間の心がわかる仕掛(しかけ)があるというのだ。
「イワノフ博士。相手の心の中がわかるなんて、そんなばかばかしいことができるのですか」
「ふん、そんなことにおどろくような頭脳(あたま)じゃから、日本では、科学の発達がおくれているというのだ」と、博士は軽蔑(けいべつ)の色をみせて、「人間が物を考えるということは、脳髄(あたま)の働きだということになっているが、その脳髄の働きというのは、じつはやはり電気の作用なのだ。そしてラジオと同じように、或る短い電波となって、人間の身体の外へも出てくる。電波が出てくるんだから、それをつかまえることは、やはり受信機さえあれば、できることじゃ。もちろん、ラジオの受信機とはちがう。もっと短い電波に感ずる特別の受信機じゃ。これはエフ氏の身体の中に、とりつけてある。どうだ、おどろいたか」
「なるほど。そうして、相手の心の中がわかれば、それに従って返事をしたり、握手したり、一しょに歩いたりすることができる」
 ああ、なるほど、そういっているときだった。室内にあったラジオの受信機が、いきなり臨時ニュースを喋(しゃべ)りだした。
「東海道線が不通となりました。保土ヶ谷のトンネルが爆破されました。例の怪少年が、この事件に関係しているようです。現場(げんじょう)一帯は大警戒中ですが、戦場のようなさわぎが始まっています」
 博士と帆村は、思わず目と目とを見あわせた。


   大事件!


 保土ヶ谷トンネルが爆破された! 人造人間エフ氏が、それに関係しているという! 東海道線が、不通となってしまった!
 帆村探偵はイワノフ博士を、じっと睨(にら)みつけている。彼は心の中の苦悶(くもん)をかくすことができなかった。なぜなら、帆村はその夜、東北方面の優秀な特科兵で編成された某師団が、その夜を期して西の方へ急行することを知っていたので、それを思いあわせて、たいへん心が痛んだのであった。
 その出征師団(しゅっせいしだん)は、どうするであろう。保土ヶ谷トンネルが爆破されてしまえば、列車はもちろん通じない。すると、一たん列車から下りて、あの山路を越えていかねばならないが、あの重い機械化された部隊が、あの□(けん)を越えていくのは、たいへんな手間でもあり、時間つぶしであった。しかし、この出征師団は、ある戦況に応ずるため、一時間でも早く目的地の大陸へつかないと、その戦地において、わが大陸軍は、大なる損害をこうむらなければならない。
 いや、保土ヶ谷トンネルの爆破だけでおわれば、まだいいのであるが、イワノフ博士は、手を縛られていながら、さっきから小気味よげに、(今にごらんなさい。もっともっとたいへんなことが起るから……)と、いいたげな顔をしているのであった。それを考えると、帆村の腸(はらわた)は、煮えくりかえるおもいだった。
「イワノフ博士。あなたは、人造人間エフ氏をとりしずめる方法を知っておいでだろう。すぐそれをやってください」
 と、帆村探偵は、くやしいのをおさえて、博士にいった。するとイワノフ博士は、それ見たかという顔で、
「だめだめ、そんなことは。なにしろ、器械の故障なんだから、なにをしてもだめだよ。わしの手におえないものが、君の手におえるはずがないじゃないか」と、うそぶく。
 帆村は、歯をくいしばって、くやしがったが、どうすることもできない。
 すると、さっきから、じっとこれを見ていた正太少年が、口をだした。
「帆村のおじさん。こうすればいいのじゃないんですか。つまり、その操縦器をこわしてしまうんですよ。それさえこわしてしまったら、エフ氏も自然うごかないんじゃないのですか」
「うん、正太君、えらい。それはいい思いつきだ、じゃあ、操縦器をうちこわすか!」
 といって、帆村は、よこ目で、イワノフ博士の顔をみた。博士は、ふふんと、鼻の先で、それを笑っているようであった。帆村は、ちょっと迷った。ここでイワノフ博士が狼狽(ろうばい)してくれればいいのに、すこしもおどろいた様子がみえないのである。といって、いつまでもぐずぐずしているわけにはいかない。せっかく手に入れた操縦器をぶちこわすのは、残念だが、どうも仕方がない。帆村は、その岩窟(がんくつ)の隅にもたせてあった大きな鉄の棒をとりあげた。そして、操縦機を睨みながら、うんと大きく、ふりあげたのであった。
「あははは、そんなことをして、あとで、後悔しないがいいぞ」
 それにかまわず、帆村は、えいやッと鉄の棒をうちおろした。その一瞬、一大音響の下に目もくらむような電光が、ぱっと室内を照らした。
「あッ!」と、帆村は、おどろきのこえをあげると、その場にもだえつつ、ばったりたおれた。
「ふふふふ、それ見ろ。だから、よせといったのだ」
 博士は、せせら笑って、立ちあがった。いつの間にか、博士をしばってあった縄が、全部とけていた。おどろいたのは、正太であった。
「イワノフ博士、あなたは、悪い人だ。帆村さんを、元のようにかえしてあげなさい」
「なにをいうか、正太。お前も、一しょにそこで長くのびているがいい」
 そういうと、イワノフ博士は、正太の頤(あご)をがんとつきあげ、正太があっといって倒れるのを尻目に、すばやく、部屋をとびだした。岩窟の外は、闇であった。イワノフ博士は、懐中電灯をつけると、どんどん麓(ふもと)の方へかけだした。遠くの空が、うす赤くこげている。どうやらそれは、戸塚の方角らしい。


   戦場そっくり


 博士は、どんどんと山道を駈けくだっていった。老人とも見えない足早であった。
「さあ、もう日本に永くいることは、無用だ。行きがけの駄賃(だちん)というやつで、かねて計画しておいた帝都東京を焼きうちして、それからおさらばということにしよう」
 イワノフ博士は、からからと笑って、なおも、走りつづけた。
 こっちは、帆村探偵だった。電撃をうけて、彼は一時ひっくりかえったが、ほどなく、正気にかえった。あたりは、しーんとしずまりかえっていたのに、びっくりして、はね起きた。起きてみて、三度(たび)びっくりだ。傍(そば)に正太少年が、長くなって倒れているではないか。
「おい正太君、しっかりしなさい」と、抱(かか)えあげて、ゆすぶると、正太も気がついた。
「おい、イワノフ博士がいないぞ。さては、にげたか」
 そのへんを探したが、もちろんイワノフ博士の姿が見つかるはずがない。そのとき、二人の頭の上で、またラジオが鳴りだした。また臨時ニュースだ。
「臨時ニュースを申上げます。保土ヶ谷トンネルの爆破現場(ばくはげんじょう)は、わが軍隊によって、完全に包囲されました。怪少年と見えたのは、どうやら恐るべき人造人間であることが推定されましたので、戦車部隊が、円陣(えんじん)をつくりまして、だんだん輪を小さくして、人造人間を捕えるのに努力中であります。――あ、只今、追加のニュースが入りました。人造人間は、さきほどから、急に様子がかわりまして、しきりに土を掘っています。たとえどこへ潜りこみましょうとも、もう間もなく捕えられることでありましょう。臨時ニュースを、おわります。なお、いつ、避難命令が出ますかわかりませんから、どうぞスイッチをお切りにならないようにと、当局からのご注意がありました」
 帆村と正太とは、おもわず走りよって、手を握った。
「行こう、保土ヶ谷へ」
「行きましょう」
 二人は、外へとびだした。が、まっくらで山道を歩くのは、たいへんむずかしそうであった。二人は、また岩窟(がんくつ)にかえり、手提電灯(てさげでんとう)をさがしてから、改めて山を下っていった。
「よかったですね。エフ氏は、間もなくつかまりますよ。博士は、どうしたんでしょうか」
「博士も、現場へいったのではないかしらん。早く電話のかけられるところまで出たいものだ。だが、大体、もう安心だろう。博士だって、老人だから、そのうちにくたびれて、警官にとっつかまるだろう」
 二人は、だんだん気がかるくなったようにみえた。しかし、そんなに安心していていいのであろうか。イワノフ博士は、どうしたのであろうか。帆村と正太とは、大いそぎで山をくだっていったが、四十五分ほどのちに、ついに非常線にひっかかった。非常線にひっかかることは、二人にとって、かえって喜びであった。
 帆村は、警官隊へ、これまでのことを、かいつまんで話をした。そしてイワノフ博士を捕える手配をすることが大事であると告げた。幸いなることに、その近くに警察ラジオの送受信機をもった自動車が、警戒と連絡のために来ていたので、帆村は、すぐさま、その送信機をつかって、逃げたイワノフ博士を捕えるよう、彼の考えをのべたのであった。それを聞いていたのは、警視庁の大江山捜査課長であったが、
「よし、わかった。では、すぐ手配をするから、安心してくれたまえ」
 といって、帆村のはたらきをほめた。帆村と正太とは、それから自動車で、保土ヶ谷のトンネル附近へ、はこんでもらった。現場は、火事場さわぎであった。消防自動車が高いビルの消火のときにつかう長い梯子(はしご)をまっすぐ上にのばし、その上から探照灯でもって、エフ氏の逃げこんだ谷あいを照らしていたが、その明るい光は、一本や二本でなく、方々から同じところに集められているので、谷あいは、真昼のような明るさである。
「どうしました、人造人間は?」と、帆村が一人の警官にきけば、
「人造人間は、あの大きな木が倒れているあたりから、地中へもぐりこんだきり、なかなか出てこないのだ」
 そのとき、その谷あいが、轟然(ごうぜん)たる一大音響とともに爆発した。ものすごい火柱がたち、煙と土とが、渦(うず)をまいた。すべては探照灯に照らしだされて、更にものすごさを加えた。


   大団円


 おもいがけない爆発だった。
「ははあ、正太君。人造人間エフ氏は、とうとう自爆をしたんだよ」
 帆村探偵は、手をひいている正太に教えてやった。
「ああ、とうとう自爆したんですか」と、正太はほっと溜息(ためいき)をつき、
「でも、いくら人造人間でも、僕と全く同じ形をした少年の身体が、こなごなにとび散ったとおもうと、なんだかへんな気がするなあ」と、いった。もっともなことである。
 人造人間の自爆は、他の方からも、つたえられてきた。やれやれこれで安心だというものもあれば、惜しいことをしたというものもあった。
「さあ、残るはイワノフ博士の行方(ゆくえ)なんだが、一体どうしたんだろう」
 帆村は、しきりに、そのことを気にしていた。イワノフ博士の行方について、くわしいことが帆村の耳に入ったのは、その次の日の朝であった。
 それを話してくれたのは、横浜の水上署の警官で飛田(とびた)という人だった。その話というのは、こんな風であった。
「いや、全くおどろきましたよ、昨夜の十時ごろでしたかね。私が、ランチにのって、港内を真夜中の巡回(じゅんかい)をやっていますと、海面にへんなものを発見したんです。船でもないのですが、海面を相当のスピードで進んでいくものがある。すぐさまエンジンをかけて、こいつを追跡しましたよ。ところが、びっくりしたじゃありませんか。近づいてみると、これがたいへんなものです。なんだと思いますか、あなたは。じつに、そいつは、人間の形をしているのですよ。髭(ひげ)づらの老人でしたが、服を着たままで、港外の方へ泳いでいくんです。いや、ところがです。泳ぐといっても、クロールやなんかではない。魚雷(ぎょらい)が波をきって進んでいくようなあんばいで、すっと波を切って走っていくんですからね、しかも相当のスピードでいかなオリンピックの選手だって、ああはいきませんよ。私は、まるで狐(きつね)にばかされているような気がしましたが、なにしろはやいのですから、そのままに放(ほう)っておけません。すぐさま無電で、本署に報告しました。――本署ではおどろいて、私になおも追跡を命ずるとともに、警備艦隊へ知らせたんです。そこで、大さわぎとなったんですが、その泳ぐ怪人を追跡していったのはついに私のランチだけで、他の艦艇は、みな間にあいませんでした」
 と、飛田警官は、そこで身ぶるいした。
「それはイワノフ博士にちがいないというんですね。え、老人ですよ、小さい探照灯で照してよく見ましたが、洋服のまま泳いでいました。とにかく追跡しているうちに、その怪人は、海中に出ている大きな浮標(ふひょう)のようなものに泳ぎつき、そのうえによじのぼったんです。浮標の上からも、数人の水兵が、手をさしのべて、この怪人をひっぱりあげました。こうお話しても、浮標の上に、水兵がいるのは、おかしいとおっしゃるのでしょう。ごもっともです。それは、これから説明しますが、おやおやと私が訝(おか)しく思っているうちに、その浮標は、ずんずんと海中に沈んでいったんです。(あっ、潜水艦だ!)と気がついたときには、もうあとの祭です。つまりその怪人はそこに待ちうけていた潜水艦の中にひっぱりこまれ、そして逃げてしまったんです。いや、でたらめではないのです。当局のえらい方からも、後で話を聞きましたが、その潜水艦は、たしかに○○のものにちがいないとの話でした」
「私の話というのは、まあざっと話すと、このへんでおわりですが、その怪人は、なぜ魚雷のように海面を走ったのか、その謎はさっぱり解けないのです。帆村さん、あなたには、この話をきいて、なにか思いあたることはありませんか」
 飛田警官の話は、大体右のようなものであった。それを聞いていた帆村は、ぶるぶると身体をふるわせ、
「あッ、そうか。それで分った。なぜ、もっと早く気がつかなかったろう」
「えっ、何が?」
 と、正太少年は、ふしぎそうに、このただならぬ帆村探偵の様子を見守った。
「おい正太君。あのイワノフ博士というのも、じつは人造人間だったんだよ」
「ええッ、博士も人造人間ですか。まさか――」
「ううん、それにちがいない。エフ氏は、あの操縦器でうごく人造人間、イワノフ博士の方は、潜水艦の中に操縦器がある人造人間――それだけのちがいだ。それで始めて、潜水艦との関係がはっきりした。どこまで恐ろしい科学の力だろう。われわれ日本人は、しっかりしなきゃならない!」
 と、帆村探偵はそういって、眉(まゆ)をぴくんと動かした。




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