怪塔王
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著者名:海野十三 

   怪老人



     1

 怪塔王(かいとうおう)という不思議な顔をした人が、いつごろから居(い)たのか、それは誰も知りません。
 一彦(かずひこ)とミチ子の兄妹(きょうだい)が、その怪塔王をはじめてみたのは、ついこの夏のはじめでありました。
 そこは千葉県の九十九里浜(くじゅうくりはま)というたいへん長い海べりでありました。一彦は中学の一年生であり、ミチ子は尋常(じんじょう)の四年生でした。二人は夏休がはじまると、まもなくこの九十九里浜へまいりました。
 二人はたいへんふしあわせな兄妹で、小さいときに両親をうしないました。そののちは、帆村荘六(ほむらそうろく)という年のわかいおじさんにひきとられ、そこから東京の学校にも通わせてもらっていました。
 帆村荘六というと、ご存じのかたもあるでしょうが、有名な青年探偵です。帆村探偵という名は、きっとどこかでお聞きになったでしょう。荘六おじさんは機械のことになかなかくわしい人です。理学士だそうですからね。
 荘六おじさんは、夏休をむかえた兄妹を、この九十九里浜にある別荘へ遊びにやってくれました。
 九十九里浜は、なかなか景色のいいところです。そして実にひろびろとしたところで、さびしいくらいのものです。
 怪塔王に出会ったのは、一彦とミチ子がここへきてから、二三日のちのことでありました。兄妹が、波うち際(ぎわ)で、貝がらをひろって遊んでいますと、うしろでざくりざくりと砂を踏む音がするではありませんか。
「だれかしらん」
 と、うしろをふりかえってみると、背のひょろたかい一人の老人が、腰を曲げてよぼよぼと歩いていきます。肩には何がはいっているのか、大きな袋をしょっていました。
 一彦は、そのとき下から老人の顔をちらと見上げましたが、おやと思いました。なぜといえば、その老人の顔がいかにも奇妙な顔だったからです。

     2

 砂の上をざくざくと歩いてゆく老人の顔が、たいへん奇妙だったといいましても、決してこわい顔だの、おそろしい顔ではありません。
 いや、むしろおそろしいの反対で、ずいぶん滑稽(こっけい)な顔なのです。それは、よくお祭のときなどに、つくり舞台のまんなかへ出てきて滑稽なことをやってひとを笑わせるひょっとこだの、汐(しお)ふきだのというおかしい面をかぶった者がありますが、そのうちであの口のとんがった汐ふきそっくりの顔をしていたのです。
(あははは、おかしいな)
 と笑おうとした一彦でしたけれど、老人を笑うなんてよくないと思って、あわてて笑(わらい)をかみころしました。
 汐ふき顔の老人は、なんにも気がつかないという風に、兄妹のうしろをとおりすぎました。そしてどこまで行くのか、袋を肩にかついだままとぼとぼと浜づたいに向こうへいってしまいました。
「ミチ子、いまのお爺(じい)さんの顔を見た」
「ええ見たわ。口が狐のようにとんがって、ずいぶんおかしかったわ。兄さんも見たの」
「うん、僕も見たとも。笑いたくてね、それをこらえるのにとても困っちゃったよ。あはは」
「おほほほ」
「ミチ子、ちょっと兄さんが真似(まね)をしてみせようか。ほら、こんな具合に――」
 と、一彦が口をとがらせ、腰を曲げてよぼよぼと老人の通った砂の上を歩いてみせますと、ミチ子はおなかを抱(かか)えて、ほほほほと笑い転げました。
 ミチ子はあまり笑いすぎて、息ができないくらいでしたが、そのうちに兄の一彦があまり静かにしているので、はっと思いました。
「兄さん、どうしたの」
 一彦は返事もしないで、腰をかがめてじっと砂の上を見つめています。
「ミチ子、来てごらん。変なものが――」

     3

「ミチ子、来てごらん。変なものが――」
 という一彦の声に、ミチ子はいきなり胸をつかれたようにびっくりし、兄のそばへとんでゆきました。
「ほーら、こんなものが落ちている」
 と一彦が指さすところを見ると、砂の上に妙な形をした鍵(かぎ)が一つ落ちていました。
「あら、鍵ね」
 鍵にはちがいないが、普通の鍵の十倍ぐらい大きいようでした。色はまっくろで、鍵の切りこんだ牙(きば)みたいなところが、まるで西洋のお城の塔のような形をしています。その上怪(あや)しいのは、その鍵を握(にぎ)るところについている彫(ほ)りものです。それはよく見ると猿の頭の形になっていました。その彫刻の猿は、大きな口をあいて、上目(うわめ)で空の方でも眺めているような恰好(かっこう)をしています。
 一彦は、その鍵がたいへん気に入ったと見えまして、いつまでも砂地でその鍵をもてあそんでいました。
 ところがそこへ、ばたばたと駈けてきたものがあります。みると外ならぬ例の汐ふきのような顔をした老人でした。
 老人は、あたりをきょろきょろ見まわしながら、一彦とミチ子の前まできました。
「お子供衆、このへんに猿の鍵がおちていやしなかったかな」
 と、ふくみ声でたずねました。
「おじいさん、これですか」
 と、一彦が砂の中に埋めてあった鍵を出してみせますと、
「おお、これじゃこれじゃ」
 と、一彦の手からひったくるように鍵をとると、お礼もいわずに元きた道へ走り去りました。
「兄さん。あのおじいさん、とても変なひとね。ありがとうともいわなかったわ」
 と、ミチ子が怒ったような声でいいました。
 一彦はただ一言「うん」とこたえたまま、老人の後姿(うしろすがた)をじっと見つめていました。その顔には、ただならぬ真剣な色がうかんでいました。


   怪事件



     1

 九十九里浜の沖に、一大事件があったのを一彦とミチ子とが知ったのは、その翌朝のことでありました。
 一大事件とは、一体どんなことだったでしょうか。軍艦淡路(あわじ)――といえば、みなさんも、すぐ、あああの最新式の戦艦のことかとおっしゃるでしょう。そうです、軍艦淡路は、帝国海軍が世界にほこる実にりっぱな戦艦であります。工廠(こうしょう)で作りあげられ、海をはしるようになってからまだ一箇月にもなりません。いままでの戦艦とはちがって、たいへんスピードが早く、これまでの戦艦とは全くちがった不思議な形をしていました。まるで要塞(ようさい)が海に浮かんだような恰好だと、誰かがいいましたが、そのとおりでした。
 その軍艦淡路が、昨夜九十九里浜の沖で、どうしたわけか進路をあやまって、浅瀬(あさせ)にのりあげてしまったのです。
 いくら大きな最新式の軍艦でも、浅瀬にのりあげるとは変なことではありませんか。
 航海長は、決してあやまちをした覚えがないといっています。
 ただ不思議なことに、九十九里浜沖を走っていた軍艦淡路は、いつの間にか陸の方へひきよせられ、そして変だなと気がついたときは、もう遅く、浅瀬にのりあげてしまっていたのです。それから先は、機関をどんなにうごかしてみても、びくとも艦(ふね)はゆるがず、そのうちに軍艦の底の割れ目から海水がはいってきて、大きな艦体は、舳(へさき)を上にして傾(かたむ)いてしまいました。
 これが夜中の出来ごとなので、そのさわぎといったら大へんでありました。村の人々は軍艦淡路のふきならす非常汽笛に目をさまして、すぐさま、まっくらな浜べにかけつけたそうです。そのとき軍艦は探照灯をつけ、空にむけてしきりにうごかしていたといいます。
 一彦とミチ子とは、ぐっすり眠っていて、朝になるまでそれを知らなかったのです。

     2

 一彦とミチ子は、昨夜の怪事件を知ると、驚きのあまり、朝御飯もたべないで浜べにかけつけました。
「あっ、あれが軍艦淡路だ。すごいなあ」
「あら、あんなに傾いているわ。兄さん、あの軍艦は沈みはしないかしら」
「さあ、どうだか。誰かに聞いてみようよ、ミチ子」
 兄妹は、浜べにあつまった人たちの間をぬって、誰か事件にくわしい人はいないかしらとさがしまわりました。すると、そのときボートが浜べについて中から水兵さんが、どやどやと下りてきましたが、そのうちの一人が、警戒に来ているお巡(まわ)りさんのところへやってきて、話をはじめました。
「警官、藁(わら)むしろは集りそうですか」
「ここの村では、水兵さんが申し出られたほどは集りませんが、その半分ぐらいは集りそうです。のこりの半分は、いま方々へ人を出して集めていますから、心配はいりませんよ」
「そうですか。早くしてもらいたいですね。潮はこれからどんどん引くそうだから、軍艦はますますあぶなくなります」
「水兵さん、一体どうしてあんなことになったんです。航海長の失策ですか」
「いや、そんなことはない。全く不思議というよりほかはないのです。いつの間にか、あの大きな艦体が陸地へひきよせられていたというわけです。まるで磁石に吸いよせられた釘(くぎ)のようなわけですよ」
「変なことですねえ」
「変なことといえば、もっと変なことがあるんです」
「えっ、もっと変なことがあるんですか」
 とお巡りさんは、びっくり顔色をかえて水兵さんの面(おもて)を見つめました。
「そうです。さらに変なことというのは、軍艦の檣(ほばしら)が――これは鋼鉄でできているんですよ。それが一部熔(と)けて、飴(あめ)のように曲っているんです」

     3

 遭難軍艦の檣が、どうしたわけか飴のように曲っているという水兵さんの不思議そうな話に、一彦とミチ子が眼をあげて沖を見ると、なるほどそのとおり、後部の檣が、まん中から飴の棒を曲げたように曲っていました。
「風が吹いたわけでもないのにですねえ」
 と、お巡りさんが水兵さんに話しかけますと、
「じょ、冗談じゃありませんよ、警官。あれは鋼鉄の柱ですから、風が吹いたくらいで曲るものですか」
「なるほど、それもそうですね。これはどうも訳がわからないことになった」
 お巡りさんもとうとう匙(さじ)をなげだしてしまいました。
 そのうちに、空の一方から飛行機の爆音が聞えてきたと思ううちに、南の方から六つの機影がぐんぐん近づいてきました。
「ああ、偵察機だ。勇ましいなあ」
 と、一彦はもう大喜びです。
 偵察機は、三機ずつ二組の編隊を作っていましたが、やがて傾いている軍艦淡路のま上までくると、ぐるぐる廻(まわ)りだしました。機上から空中写真をとっているのでありましょう。
 それから暫(しばら)くすると、中の二機は機首をかえしてどんどんひきかえしていきました。
 あとには四機の偵察機が、はなればなれになって、九十九里浜の上空を、いつまでもぶんぶんと飛びまわるのでありました。
「ははあ、上空からこのへん一帯を警戒しているのだよ」
「兄さん、たいへんなことになって来たわねえ」
 ミチ子は目をまるくして、一彦の腕をしっかとおさえていました。
 しかし、まだこの浜べのさわぎは、ほんの始りだったのです。おひるごろになると、どこから来たのか、駆逐艦(くちくかん)だの、変な形をした軍艦とも商船ともわからない船だのが、およそ十隻(せき)ほども集ってきて、沖はなかなか賑(にぎ)やかになりました。


   帆村探偵



     1

 さわぎはますます大きくなって、午後になると陸戦隊がボートにのって、浜べにつきました。そしてただちに警戒につきました。
 沖合には、坐礁(ざしょう)した大戦艦淡路が傾いており、そのまわりには大小いろいろな軍艦がぐるっととりまき、空には尻尾(しっぽ)を赤く塗(ぬ)った海軍の偵察機が舞い、それを背景にして、浜べには陸戦隊が銃剣をきらめかして警戒をしているのです。
 しずかなほんの漁村にすぎなかったこの海べの村は、一夜のうちにたちまち姿をかえて、まるで戦場のようなさわぎになってしまいました。
「おお一彦君にミチ子ちゃんじゃないか。どこに行ったのかと思って、おじさんは心配していたところだよ」
 そういう声とともに、兄妹の肩をやさしくたたいた人がありました。
「あっ、帆村おじさんだわ。おじさん、いつここへいらしたの」
「ああおじさん、とうとうやって来たねえ。僕、なんだかおじさんが来るような気がしていたよ」
「ああそうかそうか」
 おじさんはにこにこ顔です。
 兄妹のおじさんて、誰だか皆さん御存じでしょうね。あの有名な青年探偵の理学士帆村荘六氏です。
「ねえ、おじさん。あの軍艦が坐礁したり、檣(ほばしら)が曲ったことについては、なにか恐しいわけがあるんだろう」
 と、一彦が遠慮のない問をかけますと、帆村探偵は口をきゅっと曲げて、
「うん、それについて君たちの力を借りたいことがあるんだよ。君たちは、向こうの丘の上に建っている塔のことについて、なにか知らないかね」
 といって、帆村ははるか向こうを指さしました。
「おじさん、塔って、どこにあるの」

     2

「どこといって、あの塔のことさ。ここから大分とおいから、君たち気がつかないのか」
 帆村の指さす方を兄妹がよく見ますと、なるほど丘のかげに一つの塔らしいものが見えます。
「おじさん、あれのこと?」
「そうだそうだ。丁度軍艦淡路が坐礁している丁度真正面になるだろう」
「おじさん、あの塔になにか怪しいことがあるの」
「さあ、それは今は何ともいえない。そうだ一彦君ここに双眼鏡があるから、これであの塔を見てごらん」
 帆村おじさんは、ポケットから、妙な形をした双眼鏡をとりだしました。それははじめ普通の双眼鏡に見えましたが、その先を起すと、蝸牛(かたつむり)が角をはやしたようになります。覗(のぞ)いて見ると、小形に似ずなかなか大きく、かつはっきりと見えます。
「どうだね、塔がよく見えるだろう。誰か窓からここを見ていないか、よく気をつけて見たまえ」
 あまりにも双眼鏡がよく見えるので、一彦はただぼんやりと塔をみつめていましたが、おじさんからいわれて塔の横腹に三段になってついている窓を一つ一つ丁寧(ていねい)に見ていきました。
 窓は手にとるようにはっきり見えました。するとどうでしょう。一番上の窓にはってある紫色のカーテンが、まん中からそーっと左右にひらかれるのが見えました。
「おや、塔の中に誰かいますよ」
「なに、いるかい。双眼鏡をこちらへお貸し」
「ちょっと待って、おじさん」
 と、一彦はなおもカーテンを見ていますと、そのうちにカーテンの間からあたりを憚(はばか)るように一つの顔があらわれました。その顔! その奇妙な顔!
「あっ、あの顔だ――」
 と、一彦はびっくりして双眼鏡から目を放しました。それは誰の顔だったのでしょうか。

     3

「あの顔って、どんな顔だ」
 と、帆村は一彦の手から双眼鏡をとって、すぐ目にあてて見ました。しかし帆村の目には、一彦が見た塔上の怪人の顔は、もううつりませんでした。
「もう顔をひっこめたらしい。一彦君、どんな顔を見たんだ」
 と、探偵帆村荘六になりきって、おじさんは一彦を離しません。
「おじさん、それが変な顔です。汐ふきのお面みたいな顔です」
 するとミチ子も、それに声をあわせて、
「ああ、あの変なおじいさんのことなの。そうだったわね。昨日ここを通りかかったところを兄さんと一しょに見て笑ったのよ。だって、とても変な顔なんですもの、ほほほほ」
 と、ミチ子はあの口のとびだした滑稽な顔を思いだして、おかしくてたまりません。
「とにかく、実はあの塔を調べてみろというその筋からの命令で、こうしておじさんは、はるばるやってきたのだ。じゃあミチ子はあぶないから、家(うち)で待っておいで。おじさんは一彦君と一しょにいってみるから」
 ミチ子は、すこし不満でしたが、帆村探偵がとめるので、仕方なく家へかえってお留守をすることになりました。
 怪塔は、そこから一キロほどの道のりでありました。塔のうしろはこの辺に珍しい森になっていて、また前は海との間に寝たような形の丘が横たわっていました。
 一彦と帆村とは、たいへん急ぎ足でいきましたけれど、そこへつくまでには、三十分もかかりました。傍(そば)に来てみると、塔はますます高く、見るからに頭の上からおしつけられるような感じのする塔でありました。
「おじさん、ここに入口があるよ」
「うむそうか。開くかどうかやってみよう」
 といいながら、帆村は注意ぶかくゴムの手袋をはめ、ドアの把手(とって)を握っておしてみましたが、びくとも動きません。

     4

 怪塔王は、塔の一番上の部屋の中に、どっしりと据(す)えた肘掛椅子(ひじかけいす)にうずくまって、向こうを向いています。
「あっはっはっ。なにをしたって、お前たちに入口のドアがあいてたまるものかい。あっはっあっはっ」
 怪塔王は、壁を眺めてはからからと大声で笑っています。
 そうです、この壁には、どうしたものか、塔の入口と同じ光景がうつっていて、その前に、帆村探偵と一彦とがうろうろしているのがうつっています。まるで映画がうつっているようにも見え、また魔法の鏡がかかっているようにも見えます。なにしろ塔の下の入口の光景が、このように塔の階上の室で見えるのですからね。
「あっはっはっ。まだ諦(あきら)めよらんな。それでは一つおどかしてくれるか」
 そういいながら、怪塔王は机の上から長い管(くだ)のついたマイクロフォンをとりあげて、口のそばに持っていくと、
「おいおい、なぜうちのまわりをうろうろしているんだ。ははあ、鍵穴をのぞいたな。変なまねをしていると、今に頭の上から、毒ガスをぶっかけるぞ」
 帆村と一彦の頭の上からふってきたのは、それは破鐘(われがね)のような大きな声でした。
「これはかなわん。おい一彦君、はやく逃げるんだ」
 と、帆村探偵はふだんにも似ず、弱音をはいて逃げだしました。
「あっはっはっ、ざまを見ろ」
 怪塔王は、なおもからからと笑いつづけます。
 怪塔王とは一体何者でしょうか。しかしとにかくこの怪塔に、おどろくべき最新科学による仕掛(しかけ)がしてあることは確(たしか)です。
 では、いま沖合に坐礁している軍艦淡路の事件とも、なにか関係があるのではないでしょうか。それにしてもあの勇敢な帆村探偵は、なぜしっぽをまいて逃げだしたのでしょうか。


   砂丘



     1

 帆村探偵と一彦少年とは、怪塔王にどなりつけられましたので、一目散に逃げだしました。怪塔からものの五百メートルも走ったところに、砂が風のため盛りあがって丘になっているところをみつけましたので、二人はこれさいわいと、そのかげにとびこみました。
 砂丘のかげから、後(うしろ)の怪塔をふりかえってみますと、別に何者もこっちへ追いかけてくる様子もなく毒ガスらしいものも見えないようです。二人はほっと安心のため息をつきました。
「なあんだ、おじさんは探偵のくせに、ずいぶん弱虫なんだね。これはかなわん、にげろにげろ――などと大きな声を出して逃げるなんて……」
 と、一彦は砂丘のかげに寝ころがったまま帆村荘六おじさんを弥次(やじ)りました。
 すると帆村探偵はにやりと笑って、
「うふふふ、ずいぶん弱虫に見えたろうね。それでいいんだよ。あの怪塔の大将は、なにかテレビジョンのような機械をつかって、僕たちが忍びよったところを、手にとるようにはっきり見ているんだ。ところが、こっちには向こうの大将が見えないんだから、喧嘩(けんか)にならないじゃないか。あんなときには、こっちが弱虫で、すっかり腰をぬかしたように見せておくと、向こうは本当に自分が勝ったんだと思って安心するんだ。そこで向こうが油断をする、そこを覘(ねら)って、こっちが攻めていく、どうだ、いい考(かんがえ)だろう」
「へえー、では帆村おじさんは、それほど弱虫ではないんだね。そうとは知らなかったから、さっき僕は、がっかりしちゃったよ」
 帆村はまたにやりと笑いました。
「さあ、そこで一彦君、こんどはいよいよ怪塔を攻める方法を考えるんだ。一体どうしたらあの塔の中にうまく忍びこめるだろうか」
「さあ――」
 これには一彦も弱ってしまいました。

     2

 一体どういう風にやれば、あの怪塔の中にしのびこめるでしょうか。
 あの聳(そび)えたった高い塔を、どこから攀(よ)じのぼればいいのでしょうか。
 入口の扉には、錠(じょう)がおりています。
 いや、そればかりではないのです。塔の近くへよると、怪塔王はそれをすぐ知ってしまいます。なにしろ、塔の三階にいて、入口の附近の様子がありありと見えるテレビジョン機械をもっているのですもの。
 そう考えてくると、怪塔の中に忍びこむには二重三重のむずかしい問題があります。
「どうだね、一彦君。いい考がうかばないか」
「僕、なにもわからないや」
「なにもわからないようじゃ駄目だねえ。もっと考えなくちゃ」
「おじさんは何か考えているの」
「うん、おじさんも実は困っているんだが、とにかく昼間行くと怪塔王に見られてしまうから、夜になって近づくのがいいということはわかるよ」
「なるほど、おじさんはえらいや。それからのちはどうするの」
「それからのちは――困っているのだ」
「おじさん、梯子(はしご)か竹竿(たけざお)をもっていって、一階の窓にとりつきガラス窓をこわしてはいってはどう」
「それは駄目だ。さっき窓をよく見てきたんだが、ガラス窓の外にはもう一枚鉄の扉がしまるようになっている。夜になると、きっと、窓は鉄の扉にとざされて、なかなかはいれないと思うよ」
「それじゃ困ったね。窓からは駄目だ」
「入口の扉をあける合鍵でもあればいいんだが……」
「鍵?」
 そのとき一彦は、ふと猿の頭のついた鍵のことをおもいだしました。昨日怪塔王が砂の上におとしていったあの大きな変な形をした鍵のことです。

     3

「そうだ、あの鍵があれば、入口があくかも知れない」
 と、一彦はひとり言をいいました。
「なに、鍵だって? 一彦君は、あの入口の鍵をもっているのか」
 と、帆村探偵は、おどろきの声をあげました。
 そこで一彦は、今その鍵をもっているわけではないこと、しかし昨日一彦が変な鍵を砂の上で拾ったこと、そして間もなく怪塔王がひきかえしてきて、その鍵をもっていってしまったことなどを話しました。
「ああ惜しいことをした。その鍵があれば、今どんなに役に立ったかしれないのだが」
 と、帆村探偵は残念そうにいいました。
 一彦も、帆村探偵におとらず残念におもいましたが、そのときふと気がついたことがありました。
「ねえ、おじさん。鍵の形がはっきりわかっていると、それと同じ鍵をもう一つ作ることができるねえ」
「なんだって、鍵の形がわかっているのかね」
 そこで一彦は、昨日それを持って遊んでいたときに、湿(しめ)った砂におしつけて、鍵の型をいくつも作ったことを話しました。そして、もしかすると、昨日遊んだところに、まだ鍵の型が一つや二つは残っているかもしれないといったのです。
 それを聞いて、帆村探偵はとびあがってよろこびました。
「そいつはいいことを聞いた。ではこれからいって探してみようじゃないか」
 二人は砂丘のかげからとび出すと、どんどんかけだし、昨日一彦とミチ子が遊んだ浜辺へやって来ました。
 さいわい昨日は風も弱くて砂をとばさず、またそこは湿った砂地でありましたので、一彦の作った鍵の型は、あちこちにのこっていました。
「うむ、しめた。これなら合鍵が作れる!」
 帆村は大喜びで、一彦の手をぐっと握りしめました。

     4

 帆村探偵と一彦は、一歩一歩怪塔の入口に近づきました。そしてもう一歩で、入口の扉に手が届くというところまで近づいたそのときでありました。突然あたまの上から、破鐘(われがね)のような声がおちてきました。
「こーら、誰だ。また二人づれで来やがったな」
 その声は、あまりに不意であり、そして大きかったものですから、こちらの二人は思わずその場に木のようにかたくなってしまいました。
「ねえ、おじさん、どうしよう」
「うむ」
 帆村は唸(うな)るばかりでありました。
 するとつづいて、塔の上からまた破鐘のような声がひびいてきました。
「まだぐずぐずしているのか。まごまごしているとこんどは本当に毒ガスをひっかけるぞ」
 そういう声は、たしかにこの前の怪塔王の罵(ののし)り声でありました。そして本当に毒ガスがでてきたのでもありましょうか、塔の上に別の赤い灯(ひ)がつきました。
「おい、一彦君。残念だが引きかえそう」
 と、帆村は無念そうにいいました。
「おじさん、やっぱり退却するの」
「うん、どうも仕方がないよ。折角(せっかく)鍵まで用意してきたけれど、これじゃ深入りしない方が後のためになる。さあ一、二、三で駈けだそう。走るときは真直に走っちゃ駄目だよ。鋸(のこぎり)の歯のようにときどき方向を急にかえて走るんだぜ。そうしないと、塔の上から射撃されるおそれがある」
 と、帆村の注意は、どこまでも行きとどいていました。
 こうして帆村と一彦とは、折角怪塔まで近づきながら、遂に怪塔王に気づかれてしまって、残念ながら引きかえすこととなりました。
 二人は、この失敗にそのまま勇気をくじいてしまうでしょうか。


   不思議な木箱



     1

 さて、その翌日の夜のことでありました。
 怪塔のあたりはいつものように闇の中に沈んで、三階目の窓に黄いろい灯のついていることも、昨日のとおりでありました。
 その夜も更(ふ)けて、時刻はもう十二時ちかくでもありましたろうか。
 ちょうどそのとき、塔の向こうから、車の轍(わだち)の音がごとごと聞えてきました。
 そのうちに塔の前に姿をあらわしたのは、大きな木箱を積んだ馬車でありました。馭者(ぎょしゃ)は台の上にのっていましたが、酒にでも酔っているらしく、妙な声ではな唄をうたっていました。車をひっぱる痩馬(やせうま)は、この酔払い馭者に迷惑そうに、とぼとぼとついていきます。
「こーら、老いぼれ馬め、もっとさっさと歩くんだ。俺さまの手にある鞭(むち)の強いことを、手前(てめえ)は知らないな」
 ぴしりと鞭は、空中に鳴りました。
 痩馬は、痛さにたえかねたらしく、ひひんと嘶(いなな)いて急に駈けだしました。そのとき、車の上から、積んでいた木箱がつづいて二つ、がたんと地上に転げおちました。それは馬車が急に走りだしたせいでありましょう。
 木箱二つが、砂の上に転がりおちたことを馭者は知らないようでありました。彼はなにかわけのわからぬことをわめきながら、かわいそうな痩馬に、ぴしぴしと鞭を加えて走らせていきます。そしてそのまま闇の中に見えなくなってしまいました。
 砂上にのこされた木箱二つ。いつ誰が拾いにきてくれますやら。
 この木箱の落ちたところは、ちょうど例の怪塔の扉の前でありました。怪塔王は、この木箱を室のうちから見たのか見なかったのかわかりません。
 それから二十分もたってのちのことでありました。もう誰にも忘れられたような二つの木箱が、そのとき不思議にも砂の上をしずかにはいだしました。まるで木箱が生き物になったようです。一体これはどうしたというのでありましょうか。

     2

 怪塔王は塔の中で一体なにをしていたのでしょうか。
 怪塔王は、そのとき寝床のなかにあの変な顔をうずめてぐうぐうと眠っていました。怪塔王は、夜が更けると一度すこしのあいだ寝ることにしています。二時間ほど眠ると、こんどはまた起出して、夜中から朝がたまで仕事をするのです。これを怪塔王の間眠(あいだねむり)と申します。
 しかし塔の前で、馬車の上から大きな木箱が、がらがらずどんと大きな音をたてて地面の上に転げおちたその地響(じひびき)に、ふと目をさましました。
「な、なんだろう。軍艦のやつめ、大砲をうちだしたかな」
 と、寝床から起きあがって、テレビジョンを壁にうつしてみました。
 このテレビジョンの器械には、自動車のハンドルみたいなものがついていて、これを廻すとレンズがうごきます。そのレンズの向いた方角なら、どこでも塔の外の景色が思いのままに壁にうつるのでありました。
 昼間だけではありません。夜間でもはっきりうつります。テレビジョン器械は、人間の眼よりもはるかに感じがするどく、人間の眼にみえないものでも器械の力でよく壁にうつしだすのです。
 怪塔王は、レンズを軍艦の方にむけ、壁に夜の海面の光景をうつしだしました。軍艦が大砲をうつと大砲の煙が出ているはずです。そう思って怪塔王が見てみましたが、一向(いっこう)煙もあがっていません。
「じゃあ何の音だろう」
 と、怪塔王は不思議がってテレビジョンを方々へまわしてみましたが、なんの変ったこともありません。ただ塔の前に、大きな木箱が二つ落ちているばかりでした。そして積荷をおとした馬車が向こうへゆくのも見えます。
「なんだ、ばかばかしい。あの箱が落ちた音だったか。ああねむいねむい」
 と、怪塔王はまた寝床にもぐりました。

     3

 二つの木箱がそろそろと塔の入口にむかって匍(は)いだしたときには、怪塔王はテレビジョンを消して、もう寝床の中にはいったあとでありました。
 もっと永く起きていれば、このそろそろ動く怪しい木箱が目にうつったかも知れないのです。怪塔王にとっては珍しい大失敗でした。
 二つの木箱は、塔の入口にぴったりとよりそいました。
 すると木箱はすうと持ちあがり、箱の下に二本の足がにょきりと生(は)えました。二つの箱ともそうなのでしたが、一方の箱の足は長く、もう一つの箱の足は短くて細くありました。
 そのうちに、長い足の生えた木箱の横腹に、円い穴がぽかりとあきました。
 しばらくすると、その穴の中から一本の手がにゅうと出てきました。
 その手は、しきりに入口の扉をさぐっています。よく見ると、その手は大きな鍵をにぎっているではありませんか。大きい鍵です。もし近づいてよく見た人があったら、その鍵の握りのところに猿の彫りものがついているのがわかったでしょう――といってくれば、この箱から生えている手の持主が何者であるか、そろそろおわかりになったでしょう。
 そうです。この大きな箱の中には、帆村荘六探偵がはいっていました。そしてもう一つの小さい箱の中には一彦少年がはいっていました。
 二人は、怪塔王の目をくらますために、こうして底のない箱にはいったり、馬車をやとったりしたのでありました。
 いまや、鍵を握った帆村探偵の手は、鍵穴にとどきました。鍵はすいこまれるように鍵穴にはいりました。
「さあしめた!」
 鍵をまわすと、がちゃりと錠は外れました。二人はもう大よろこびです。かぶっていた箱を表に放りだすと、すばやく塔の中にとびこみ、ぴたりと入口をしめました。
 はじめてはいった怪塔の中!


   螺旋(らせん)階段



     1

 怪塔の中は、まっくらです。
 帆村探偵と一彦少年とは、用意にもってきた懐中電灯をぱっとつけました。あたりを照らしてみるとそこはまるで物置のように、なんだか訳のわからぬ機械が、いくつもいくつも壊れたままに積みかさねてありました。
「おじさん、これは何の機械だろうね」
 と、一彦はそっと帆村の腕をひっぱって、たずねました。
「ふうん、この機械かね。はっきりわからないけれど、こっちにあるのは、電気を起す機械だし、それからまたあそこにあるのは、どう考えても圧搾(あっさく)空気を入れるいれものだねえ。そのほかいろいろなものがある。どれもみな壊れているようだ。なぜこんなものを集めてあるのかなあ」
 と、帆村はふしぎでしかたがないという風に、頭をふりました。
 そのうちに目にはいったのは、この円い缶詰(かんづめ)のなかにはいったような部屋の真中についている螺旋階段でした。
 螺旋階段というのは、普通の階段のようにまっすぐではなく、ぐるぐるとねじれている狭い階段のことです。
 二人はそれをつたって、二階へあがっていきました。
 この二階もまっくらですが、懐中電灯で照らしてみますと、ここはたいへんきちんとしていまして、黒ぬりの美しい配電盤や、そのほか複雑な機械がずらりと並んでいました。
「ここは何をするところなの」
「さあおじさんにはわからないよ。しかしまるで軍艦の機関室みたいだね」
「塔の中に、軍艦の機関室があるなんて、変だね」
「うむ変だねえ。なにか訳があるのにちがいない――さあ、いよいよこの上に怪塔王がいる部屋があるのにちがいない。一彦、しっかりするんだよ」
 と、帆村探偵は一彦をはげまし、三階につづく螺旋階段の手すりに手をかけました。

     2

 怪塔王の部屋は、いよいよこの階段を一つのぼれば、そこにあるのです。帆村探偵もさすがにのぼせ気味で、息づかいもあらくなってまいりました。一彦少年はというと、これは体をちぢめて、鼠(ねずみ)をねらう子猫のようなかっこうに見えました。
 足音をしのばせながら、螺旋階段を一段ずつのぼっていく二人のひたいには、いつしかあぶら汗がねっとりとにじみでました。帆村の右手には、愛用のコルト製のピストルがしっかとにぎられています。一彦少年は、一たばの綱をもって、いつでもぱっと投げられるようにと身がまえをしていました。
 まっさきに立っている帆村が、下をむいて手で合図をいたしました。
(おい一彦君、いよいよ階段をのぼりきるぞ。怪塔王はすぐそこにいるんだ。かくごはいいか)
 と、いったような意味をこめて、いよいよ最後の決心をかためさせたのです。勇ましいといっても一彦はほんの少年です。ついて来るといって聞かないので、やむをえず一しょにつれてきましたが、これからさきの危険をおもうとき、帆村おじさんの心配はひととおりではありません。
 帆村探偵は、階段のすき間から、そっと三階の様子をうかがいました。
 部屋のなかには、弱いスタンドが一つ、ほのあかるい光を放っているだけでありました。円形になった室内には、たくさんの本棚がならんでいます。テーブルの上には、わけのわからない機械が組立中のまま放りぱなしになっています。また高い脚のある寝台も見えました。
 帆村は、一彦に合図をして、じっと耳をすませました。どこからか、ごうごうという鼾(いびき)のおとがきこえてまいります。
(しめた、怪塔王は、あの寝台のうえで眠っているんだな)
 よし、それなら飛びこむのは今だと、帆村はにっこり笑い、一彦をそばへ招くと、そっと耳うちをしました。

     3

 帆村探偵は、階段の「最後の段」をおどりこえ、床(ゆか)の上にえいと飛びあがりました。そしてさっと照らしつけた手提(てさげ)電灯は、怪塔王のねむる寝台の上へ――
「あっ!」
 帆村は思わず、足を一歩うしろにひきました。なぜって、彼は寝台の上にかかっている薄い羽蒲団(はねぶとん)の間から怪塔王の目がじっとこっちをにらんでいるのを発見したからです。はじめて見る怪塔王の顔――ああ、なんという変な顔もあったものでしょう。
 帆村はピストルを怪塔王の目に狙(ねらい)をつけ、もし相手がうごけば、すぐさま引金をひく決心をしていました。
 ところが、ごうごうごうと、どこからか、たしかに寝息らしいものが聞えてきます。
(変だな)
 すると後からついてきた少年が、寝台をゆびさし、
「おじさん。怪塔王は目をあけたまま眠っているんだよ」
「ふーむ、そうかね」
 ほんの僅(わず)かの話声でありましたが、それが人間ぎらいの怪塔王の耳に入ると、彼はがばと寝台から跳ねおきました。
「ああーっ、よく眠った」
 と、両手をあげたところを、帆村が、
「動くな。動くとうつぞ。手をあげたままでいろ。下すとうつぞ」
 と叫べば、怪塔王ははじめて気がついて、はっと首をすくめました。そしてあの滑稽な顔を、そろそろと帆村の方に向け、
「お前は誰じゃ――おや、いつも塔の前でうろうろしていた奴じゃな。うん、子供もついて来ている。それでこの俺さまをとっちめたつもりでいるのだろうが、それはたいへんな間違(まちがい)だぞ。あっはっはっ」
 と、怪塔王の声が、にくにくしげに、室内にひびきわたりました。

     4

「おれの寝ているところへ、踏みこんでくるとは、さても太い奴じゃ。あっはっはっ」
 と、怪塔王は寝床の上にあぐらをかいて、大笑いをしました。
「なにをいう。貴様の悪だくみはもうすっかり種があがっているぞ。おとなしくしろ」
 と、帆村探偵がピストルをかざすと、
「なんだ、そんなピストルでおれを脅(おびやか)そうというのか。貴様はよっぽど大馬鹿者だぞ。おれは、やろうと思えば、帝国の最新鋭艦でも、なんの苦もなく坐礁させるという恐しい力をもっているのだ。そんなピストルぐらい何がこわいものか」
 帆村探偵も、一彦も、これを聞いて、胸をつかれたようにはっとしました。「淡路」の坐礁事件につきどうしてそんな怪事がおこったかと苦心してしらべていた矢さきに、怪塔王が自分でもって、「あれはわしがやったのだ」と白状したのですから、そのおどろきといったらいいようもありません。
「な、なにをいう。嘘(うそ)だ嘘だ。自分でもって、そんな大それたことをやったなどというはずがない」
 と、帆村が叫べば、
「うふふ」
 と、怪塔王は気味わるく笑って、
「なにもわしが喋(しゃべ)ったとて、そう驚くことはないじゃないか、これはせめて貴様たちの冥途(めいど)のみやげにと思って、聞かせてやったばかりよ」
「えっ、冥途のみやげにとは――僕は貴様などに降参したおぼえはないぞ」
 すると怪塔王は、又おかしくてたまらぬという風にからから笑い、
「なんだな、貴様たちは一度この塔へはいればもう二度と外へは出られないということを知らないのだな。わっはっはっ」
 一彦はこれを聞くと、もうたまらなくなって帆村の腰にしがみつきました。
 帆村は危険とみて、ピストルをとりなおすなり、寝床の上にのばしている怪塔王の足をめがけて、ピストルの引金をえいっとひきました。

     5

 怪塔王をねらって、帆村がピストルの引金をひくと、轟然(ごうぜん)一発、弾丸は怪塔王の足をぷつりとうちぬいた――かと思いのほか、案にたがって怪塔王は煙の間から顔を出して、にやにやと笑っています。
「おや、これはいけない」
 と、つづいてまた一発!
 しかし怪塔王はつづいてにやにや笑っているばかりです。
 三発目を、帆村が撃とうとすると、怪塔王は手をあげてとめました。
「これ、無駄にたまをつかうなよ」
「なにっ!」
「なにもかにもないよ。ほら見るがいい、貴様のうったピストルのたまは、こんなところに宙ぶらりんになっているじゃないか」
 そういって怪塔王は、寝床の上から長い指を帆村の方にむけました。
 はじめのうちは、帆村には、何のことやら、さっぱりわけがわかりませんでしたが、よくよく怪塔王の指さしたところを見ると、なるほど奇怪にも二発の弾丸がまさしく宙ぶらりんになっています。それはちょうど、帆村と怪塔王との向きあった真中のところです。二発の弾丸は下にもおちず、お行儀よく頭をそろえて向こうを向いているではありませんか。
「おじさん、怪塔王は魔法をつかっているのだよ」
 と、一彦が早口で帆村にささやきました。
「あっはっはっ、そのちんぴら小僧は魔術といったな。魔術なんて下品なものではない。これこそ、わしの得意とする磁力術じゃ」
 磁力術? 磁力術とはなんのことでしょう。鉄をすいつける磁石の力のことらしいのですが、そんな強い磁石があるのでしょうか。
「ほら見なさい。貴様のうったたまは、わしがつくってある目にみえない磁力壁をとおりぬけることができんのじゃよ。さあどうだ、降参するか」

     6

 あまりにも不思議な怪塔王の力に、帆村も一彦も、ぼんやりしてしまいました。ピストルを撃っても、弾丸が途中で壁の中に埋まったように停ってしまうのですから、ピストルなんか何の役にもたちません。
 軍艦淡路をひきよせたというのも、これと同じ力をつかったのだと、怪塔王は秘密をもらしましたが、なんという恐しい力があったものでしょう。またここはなんという気味のわるい塔でありましょう。
 といって、帆村も一彦も、ここで怪塔王に降参するつもりはありません。そんな女々(めめ)しい考(かんがえ)はすこしも持っていません。力のあらん限り、どこまでもこの怪人をやっつけなければならぬと、かたく決心をしていました。
「ははあ、二人ともむずかしい顔をしているじゃないか。まだ何か、わしに手向かう方法はないかと考えているのだな。あっはっはっ、そうはいかないよ。こんどは、わしがお前たちを片づけてしまう順番だ。覚悟をするがいい」
 というと、怪塔王は寝台を向こうへ下りようとして、後向きとなりました。
(今だ!)
 帆村探偵は、大胆にも怪塔王がうしろを向いたすきをのがすことなく、うしろから、「やっ」と掛声(かけごえ)して飛びつきました。
「な、なにをする」
 怪塔王はせせら笑いました。そして後をむき、片手をのばすと、帆村をどしんとつきとばしました。
「あっ――」
 怪塔王の力のおそろしさといったら、まるで自動車に跳ねとばされたような気がしました。
 さすがの帆村も、ころころと転がって、うしろの壁にどしんとつきあたりました。
 するとそれが合図でもあるかのように、がちゃんと大きな音がして、天井(てんじょう)からなにか黒い大きいものがどっと落ちて来ました。帆村は一彦の名を呼びました。そして二人は抱きついたまま、思わず首をちぢめました。


   鉄の檻(おり)



     1

 天井からおちて来た黒い大きいものは、一体なんであったでしょうか。怪塔の正体はいよいよ出(い)でて、怪また怪です。
「あっ、これは鉄の檻(おり)だ!」
 帆村は身のまわりを見まわして、びっくりしました。天井からおちて来たのは、実に鉄の檻でした。
 それは天井から床までとどく鉄の棒が、さしわたし五メートルもある円形に並んでいる鉄の檻でありました。
 こうなると、出ようとしても出られません。鉄の檻を、もう一度天井にひきあげてもらわないかぎり、この檻から外に出ることはできないように思われます。
 ピストルをうっても、もう怪塔王にはとどかないし、その上、おもいがけない鉄の檻にとりかこまれたのですから、帆村も一彦も手も足もでません。
「一彦君、ここへはいるのには、もっとよく調べてからにすればよかったね。これでは、僕たちは、怪塔王につかまるためにわざわざやってきたようなものだ」
 といえば、一彦少年は思いのほか元気な顔をあげて、
「おじさん、だめだなあ。こんなになってからいくら弱音をはいても、なんにもならないじゃないか。それよりは元気を出して考えるんだよ。一生懸命になって考えると、またすてきなことがみつかるよ」
「よく言った、一彦君。おじさんが弱音をはいたのはわるかった。さあ元気を出して、怪塔王とたたかうぞ」
 すると近くでくすくす笑う声がしました。はっと目をあげてみると、それは怪塔王が檻の中をのぞきこみながら、心地よげに笑っているのでありました。
「あっはっはっ、なにをいっているか。お前たちは、もうこの塔から出られないのだ。あきらめるがよい」

     2

「なんといおうと、この塔からりっぱに出ていってみせるぞ」
 帆村探偵は、鉄の檻のなかから、怪塔王をじっと睨(にら)みつけました。
「ほう、それは勇ましいことだ。じゃあ、まあよく考えてみるがいいさ。これからお前たちを、考えるのにはもってこいという場所へおくってやろう」
 考えるのにはもってこいの場所?
 それは一体どんなところなのでしょうか。
 怪塔王は、にやりと笑うと、また寝台のところへ歩いていって、後向きになりました。
「あっ、わかった。あそこに秘密のボタンがあるのだ」
 と一彦が叫びました。
「秘密のボタン――そうかもしれない」
 と、帆村は檻につかまって、怪塔王の背中をじろじろみつめています。
 秘密のボタンをおしたので、この檻が天井から下りて来たのでしょう。発射されたピストルの弾丸が空中でとまるのも、その秘密ボタンをおしたためでしょうか。さて今度、怪塔王はどんなボタンをおすつもりなのでしょうか。
「あっはっはっ」
 と、寝台にとりついている怪塔王が、二人の方をむいて笑いました。
「なにを――」
 と、帆村と一彦とが、睨みかえしました。
 そのとき、二人の立っている床がごくんと揺れたかと思うと、ああら不思議、そのまますうっと下にさがりはじめました。まるでエレベーターで下りるような工合です。
「あっ、僕たちをどうするのだ」
 と叫んだが、もうどうにもなりません。二人の立っている床は、どんどん下って、やがて十四五メートル下のまっくらな部屋へおりていって、止りました。どうやら、三階から一階へおりたらしいのです。
「あっ、止った」
「まっくらで、なにも見えない」
「手提電灯をつけてみよう」
 帆村は、ポケットから手提電灯を出すと、かちりとスイッチをひねりました。

     3

 手提電灯は、ぱっと真暗の一階をてらしました。
「おじさん、ここはやっぱり一階だよ」
 と一彦少年が叫びました。そうです、たしかに見覚えのある倉庫のような一階に違いありません。
 帆村探偵は無言で、じっとあたりを見廻していました。
「帆村おじさん、この鉄の檻から出る工夫はないの」
「うむ、鉄の檻ではどうもならないね」
 と、いいながら、探偵は鉄の檻が床についているあたりに手提電灯をさしつけてみていましたが、そのとき何を思ったか、一彦少年の腕をぎゅっと握りました。
「一彦君。大きな声を出しちゃいけないよ」
 と、まず注意をあたえてから、
「ほら、ここをごらん」
 と、帆村が指したところを見ると、鉄の檻が床から二十センチメートルばかり浮いているのです。
 一彦は、早くもこの意味をさとって、おどろきの声をだすまいと口に手をあてました。
「ほう、床に転がっているこの丸太ん棒が邪魔(じゃま)をしているから、檻が床までぴったり下らないのだ。これは天の助(たすけ)だ。一彦君、君は小さいから、この檻と床との隙間をくぐって檻から這出(はいだ)してごらん」
「ええ、僕、やってみる!」
 一彦は、すぐさま床に仰(あお)むけに寝ころぶと、頭の方からそっと檻の下を這出しました。あぶないことです。もしもこのとき丸太ん棒が鉄の檻から外れるようなことがあれば、鉄の檻の一番下にはまっている円形の太い台金でもって、一彦のやわらかい体はたちまち胴中から、ちょんぎられてしまうでありましょう。
 そんなことがあってはたいへんと、帆村は檻のなかにわずかにはいっている丸太ん棒の端(はし)を、力のあらんかぎりおさえていました。

     4

 きわどい冒険がつづきます。
 一彦は怪塔の鉄檻の下にわずかにあいた隙間をくぐって、死にものぐるいで外にぬけようとしています。
 うまく頭が向こうへ出ました。
 一彦はなおも一生懸命に、両足で床をうんとけりました。すると肩が檻の向こうへ出ました。つづいて手が出ました。
「もう大丈夫!」
 あとはするりと向こうへぬけ出ました。
「おじさん、抜けられたよ。おじさんも出られないかなあ」
 と、一彦は鉄格子につかまって、帆村の方をのぞきこみました。
 そのときです、鉄の檻が、がたんとうごきだしたのは。
 それはきっと一彦が檻を出るときに、うれしさのあまり檻を足で蹴(け)ったので、その震動が怪塔王の耳にはいり、鉄檻に隙間があってよく下りきらないのを知ったため、檻をむりにも下に下そうとしているのでありましょう。
 丸太ん棒がみしみし鳴りだしました。鉄の檻が力一杯丸太ん棒を圧(お)しつけ、これをくだこうとしているのです。
 しかし丸太ん棒です。上から圧すのは鉄の檻にしろ、そうかんたんにくだけるはずがありません。めきめきという音がするばかりで、一向(いっこう)隙間は狭くなりません。
「一彦君、その棒の向こうの端をもって、力一杯おこしてみないか。隙間がもうすこし大きくひろがるかもしれないから」
 さすが帆村探偵です。たいへんいいところに気がつきました。
 一彦は檻の外へ長く出ている丸太ん棒の端をもって、ううんと力一杯もちあげてみました。
 めきめきとまた高い音がしましたが、果して檻と床との隙間は、さらに五センチほども広がりました。しめたと帆村は勇敢に、檻の下に頭を入れました。

     5

 帆村探偵は一生懸命です。
 檻と床との隙間に、顔を横にして入れると、うまく向こうへ頭がでました。しかしとたんに胸のところで支(つか)えました。
「一彦君、もっとしっかり」
 一彦少年の腕はもう折れそうでした。しかしここで帆村を檻の外に出さなければとおもい、うんと腰に力を入れて、ええいと丸太ん棒をもちあげました。
 帆村の体はまたすこし向こうへ出ましたが、こんどは帆村おじさんのお尻が支えてしまいました。
 一彦は、このときあまりに腕がぬけそうなので、ちょっと力をゆるめた拍子に、鉄の檻は正直に下りました。
「あ痛い。ああっ――」
 帆村おじさんはお尻をはさまれて、悲鳴をあげました。六十二キログラムもあるおじさんのお尻ですから挟まれて痛いのもむりありません。こんなことなら、もっと痩(や)せっぽちに生まれてくればよかったと思いましたがもう間にあいません。
 おどろいたのは一彦です。
 丸太ん棒を肩にあてて、ええいやっと力を入れますと、とたんにぽきりと音がして、鉄の檻は、がたんとはげしく床にぶっつかりました。その音をきいたとき、一彦はおじさんの胴中が二つになったと思い、おどろきのあまり頭がぽーっとしてしまいました。
「どうした一彦君、しっかりしなくちゃ駄目じゃないか」
 帆村探偵の声に、一彦ははじめて気をとりなおし、顔をあげてみると、あんなに心配した帆村は、いつの間にやら檻の下からぬけて一彦の体をかかえているではありませんか。おじさんは危機一髪、檻が落ちる前にひらりととびでたのです。
「ああ、おじさん助ったんだね。ああ僕、どうしようかと思った。よかった。よかった」
 と、一彦は喜(よろこび)のあまり、おじさんの首に手をまわして抱きつきました。

     6

 怪塔王の住む怪塔にはいりこんだのはいいが、しばしばあぶない目にあわされ、いよいよこれで命がなくなるかと思ったことも二度三度とつづき、あげくの果、どうやらこうやら鉄の檻をくぐりぬけた帆村と一彦少年とでありました。まあ運のいい方でしょう。
 しかし檻からぬけでたといっても、それで二人の危険はなくなったのではありません。
「おじさん、もう一度この階段をあがっていって、怪塔王に組みつこうよ」
 さっき泣いた烏(からす)が、もう笑ったとおなじように、さっきはだいぶん弱気を出していた一彦も、帆村おじさんが檻から抜けだすと、急に強くなりました。そして癪(しゃく)にさわる怪塔王をもう一度襲撃して、あの低い鼻にくいついてやりたいと思いました。
 それを聞いていた帆村は、一彦の頭をかるくなでながら、
「だけれど、ここは一度出なおすことにしようよ。怪塔王をやっつけるためには、もっとりっぱな武器を用意してこなければ、とても退治することはできないよ。戦艦淡路があんなにやっつけられたことを考えても、それがよくわかるんだ。僕たちは、怪塔王をあまり見くびっていた。怪塔王は、僕たちの思っていたよりも二倍も三倍も、いや十倍も二十倍もおそろしい科学魔なんだよ。残念だけれど、僕ら二人の手にはとてもおえない」
 と、くやしそうにいいました。
「じゃあ、これから僕たちは、ここを逃げだすの。つまんないや」
「そんなことをいっていられないのだ。さあ幸(さいわい)にこの扉はさっきあけたばかりだから、そこをあけて、外へとびだそう」
 帆村探偵は少年をなだめながら、さっき猿の鍵であけておいた扉をさっと開きました。
 二人の目には、九十九里浜が夜目にもしろくうつったことと思うでしょうが、そうではありません。扉の外には、どうしたことか、考えもしなかった土の壁が出口をぴったりふさいでいました。


   検察隊



     1

 遭難した軍艦淡路の士官室に、この事件の検察隊本部がおかれてありました。検察隊というのは、このおそろしい事件が、どうして起ったのか、またどういう害を軍艦や乗組員にあたえたかを調べる係なのです。
 検察隊長は、この軍艦の第一分隊長塩田大尉(たいい)でありました。この大事件とともに、艦長安西大佐(あんざいたいさ)から命ぜられたものでありました。もちろんこのほかに東京から派遣(はけん)された捜索隊(そうさくたい)や県の警察署もそれぞれに活動していましたが、塩田大尉は、自分の乗組んでいた軍艦に起った事件ですから、どうかして自分の手でしらべあげたいと思っていました。
 いま塩田大尉は、士官室の大きな卓子(テーブル)の上に、この辺の地図をひろげ、検察隊の士官や兵曹などと、額をあつめて相談をしているところです。
「どうも分らん」
 と、塩田大尉は、太い首をよこにふりました。
「東京から派遣された調査隊の中に、帆村荘六という探偵がいた筈だが、その後一向ここへやって来ないじゃないか」
「それがですね、塩田大尉」と、小浜(こはま)という姓の兵曹長が、達磨(だるま)のように頬ひげを剃(そ)ったあとの青々しい逞(たくま)しい顔をあげていいました。
「それがどうも変なのであります」
「なにが変だ」
「この先の別荘に泊っているので、今朝からいくども使者をやっていますが、その別荘にはミチ子さんという、親類のお嬢さんがいるきりで、本人は一彦君というミチ子さんの兄にあたる少年をともなって出たまま、まだ帰ってこないというのであります」
「ふーん、どこへ行ったのかな」
「お嬢さんもよく知らないといっていましたが、なんでも向こうの塔を見にいったとかいう話です」
「なに塔だって。その塔とはどこにある塔か」
「さあそれがどうも、艦橋からすぐ前に見えていた塔であるように思われるのです」

     2

「ああ、あの塔のことか」
 といいましたから、塩田大尉も怪塔のことは、かねて知っていたと見えます。そうでしょうとも。坐礁(ざしょう)した軍艦のすぐ前に見えるのですから。
「おい小浜兵曹長、そこで誰かを塔にいかせて、帆村の様子をたずねにやったかね」
 すると兵曹長は頭をかいて、
「いや、そこまではやって居りません。しかし塩田大尉、なぜ帆村探偵のことをそんなに気にされますか」
「うん、それはこういうわけだ。僕はこの前の遠洋出動のとき、あの帆村荘六の『探偵実話』という本を読んだことがあるんだ。今もどこかにその本があるかも知れない。帆村探偵というのは、理学士かなんかで、なかなか新しい探偵術をもって、科学応用の悪人を征伐(せいばつ)してあるくという変り者だ。だから彼がわが軍艦淡路の事件で、この土地にやって来たからには、きっと相当に活躍するだろうと思うんだ。僕は、それをひそかに期待していたんだが、彼が別荘に帰って来ないというのは、どうも変だね」
 そういって塩田大尉は、思いいれもふかく首をかしげた。
 それから暫(しばら)くたっての後であった。
 階段を急ぎ足でかけおりてきたのは、小浜兵曹長であった。ふうふうとあらい息をはきながら、駈けこんだのは士官室だ。
「塩田大尉、た、たいへんです」
 テーブルを前に、この事件をその後どうしらべるかについて考えこんでいた大尉は、小浜兵曹長のあわてた顔をじっとみあげ、
「なんだ小浜。また鶏(とり)のようにあわてとるじゃないか」
「いや、あわてるだけのことはありますよ。私は酉(とり)の年ですからね」
「酉年は知っている。大変の方はどうしたのか」
「そ、それです。塩田大尉、すぐ甲板へあがってください。貴下でもきっと顔色をかえられるような、たいへんなことが起っています」

     3

 甲板の上へ出ると、なにかたいへんなことがあるというしらせです。塩田大尉は小浜兵曹長をひきつれて、すぐさま昇降口をかけあがりました。
 軍艦淡路の甲板の上からは、いつに変らぬ九十九里浜の長い汀(みぎわ)がうつくしく見えていました。
 だが、塩田大尉の目には、べつにたいへんらしいこともうつりませんでした。
「小浜兵曹長、たいへんとは一体何がたいへんなのか」
 すると兵曹長は、大尉の前へ腕をのばして海岸の方をゆびさしました。
「塩田大尉、あれをごらんください。あそこにたっていた塔が、どこかへ姿を消してしまったではありませんか」
「なに、塔が姿を消したって。誰がそんなばかばかしいことを本当にするものか」

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