火星兵団
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著者名:海野十三 

そうした先生の心をなおさらいらいらさせるかのように、例の胸がむかむかするにおいが、うしろからにおって来る。
「けしからん。なぜ、私を、こんな目にあわすのか。そのわけを、話したまえ」
 先生は、体をふりながら、見えない相手にまた呼びかけた。今度は思いきって、せい一ぱいの大声でどなった。
 相手は、あいかわらず、返事をしなかった。だが、先生がたいへん大きな声を出したので、相手もよほどおどろいたものと見え、急にうしろで、何だかわけのわからない叫び声が聞えた。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 ぷく、ぷく、ぷく、ぷく。
 彼らの叫び声はそんな風に聞えた。その叫び声のわけは、一向にわかりそうもないが、そのひゅうひゅう、ぷくぷくと言う声は、何か話をしているらしいことが、おぼろげながらわかった。これは、火星人の言葉なのであろう。
(この人間が、今大きな声を出したではないか。逃げるつもりではないか)
(逃げるかもしれない。もっときつく、おさえているんだ)
 と、言ったような言葉でもあろうかと、先生は思った。だがそれは先生の思い違いで、ほんとうは火星人はそんな、なまやさしい話をしていたのではなかった。それは、いずれだんだんとわかる。
 先生はその話声からして、自分のうしろにつきしたがっている火星人の人数が六、七人、あるいはもっと多人数であることを覚った。
 ひゅうひゅう、ぷくぷく。
 新田先生を、後からおさえつけた火星人たちは、一体何を言っているのであろう。
 しばらくすると、火星人の話は、まとまったものとみえ、新田先生は、また後からぐんぐん前に押された。
「どこまで、連れて行くつもりかなあ」
 新田先生は、少し不安になって来た。
 ひゅうひゅう、ぷくぷく。
 火星人は、おこったような声を出した。
 それから十五、六歩も歩いたところに岩があった。その岩のかげに、人間のはいれるくらいの穴があった。
 火星人は、後から、ぐんぐん押した。その穴の中へ、押込むつもりらしい。その穴の中には、一体何があるのであろうか。
「ええい、どうなることか。行くところまで行ってやれ」
 先生は、もう度胸をさだめた。そうして、火星人の意にさからうことなく、穴をくぐった。穴の中から、例のいやなにおいが、ぷうんと鼻をうった。
 中はまっ暗であった。しかし、中はあんがい広くて、人間がはいっても、頭がつかえるようなことはなかった。
 先生は、くさいにおいには閉口しながらも、一生けんめいがまんしながら、穴の奥の方まで、連れて行かれた。
 目かくしは、いつのまにか、取れてしまったようである。
 穴の中の暗さにも、だんだんなれて来たものとみえ、あたりの様子がぼんやりわかって来た。
 その時、まず先生をおどろかしたのは、いつの間にか、自分の前を歩いている異様な火星人の姿であった。穴の中は暗いので、それで安心して、火星人は、先に立って歩いているらしかった。彼らのかっこうの悪い胴体が、歩く度に重そうにゆれた。
 すると、とつぜん先生は、明かるい光の中へ押出された。
「あっ!」
 先生の目は、くらくらとした。


   30 妙な申出


 穴の中で、新田先生はとつぜんまぶしい光をあびせかけられ、はっとした。
 眼がくらくらとして、頭のしんが、つうんと痛くなった。そうして、ひょろひょろと、足元があやしくなって、踏みこたえるいとまもなく、その場にどすんと尻餅をついてしまった。
(どうにでもなれ!)
 先生はもう覚悟をきめた。
 耳元では、例の通り、ひゅうひゅうぷくぷくと、火星の生物が、奇声を出しながらしきりに騒いでいた。
 しばらくして新田先生は、とつぜん呼びかけられた。
「さあ、顔を上げなさい、新田先生」
 先生はびっくりした。いきなり人間の言葉で、呼ばれたのであった。しかも自分の姓まで、知っているのだ。
 一体自分を呼んだのは誰?
 新田先生は、光の中に顔を上げた。
 目の前に一人の男が立って、先生の方を見ていた。黒い長マントを着て、つばの広い帽子をかむった長身の男だった。眼には黒いふちの大きな眼鏡をかけているのだった。
「あっ、丸木?」
 新田先生はおどろいて、その場にはね起きようとしたが、相手のために肩をおさえつけられた。それは、かなりの強い力だったから、新田先生は起きあがることが出来なかった。
「そうだ。わしは丸木ですよ」
 と、黒マントの男は、へんにしわがれた声で言った。
「君は丸木か。いつぞやは、私(わし)をひどい目にあわせたな。それはいいが、君はまた千二少年をさらって、どこへ連れて行ったのか。早く返したまえ」
 怪人丸木は、それには答えず、
「新田先生。我々は、あなたに相談があるのだ」
 穴の中の広間で、めずらしくも、怪人丸木と新田先生とが、にらみあっている。
 その丸木が、いつになく、やさしい猫なで声を出して、新田先生に相談があると言ったのである。
「相談とは、何です」
 と、新田先生はゆだんをしない。
 すると、丸木は、
「まあ、そこへおかけ」
 と言って、先生に、腰かけにちょうどいいほどの大きな石ころをすすめ、自分はのっそりとつっ立ったままで話をはじめた。
「どうぞ、君もおかけなさい」
 と、先生は礼儀正しく、丸木にも腰をかけることをすすめたが、丸木は、いや、私は、この方がいいのですと言って、あいかわらずつっ立ったままだった。他の火星人は、先生と丸木とをとおまきにして、つっ立っている奴もあれば、無作法(ぶさほう)にもごろんと地面に寝そべっている者もあった。
「ところで、新田先生。相談というのは外でもないが、先生は、この地球がやがてモロー彗星と正面衝突して、ばらばらにこわれてしまうのを知っているでしょうね」
「知っていますよ」
 と、新田先生は、すぐに返事をした。
「それが、どうしたのですか」
「いや、どうもしやしませんが、モロー彗星に衝突されると、皆さん、地球の人類は、死んでしまうわけだが、その対策は出来ていますか」
「対策というと……」
「つまり、その場合、何とかして助かる工夫が出来ているかと、私は聞くのです」
「さあ、それは……」
 と言ったが、先生は、返事につかえた。
 日本をはじめ、世界各国では、その日の用意として、全工業力をあげてロケットをたくさんつくっていると噂に聞いているが、それを丸木に話していいものかどうか?
 丸木の眼が、黒眼鏡の奥で、きらりと光ったようである。
 怪人丸木の質問に、新田先生はどう返事をしようかと、迷ってしまった。
 丸木は先生の困った様子を見てとって、それを自分のつごうのいい方へとった。
「お困りの様子だが、まったくお気のどくに思う。皆さん方は、永久に地球の人類が栄えるものと思っていられたのであろうが、モロー彗星というやつが、それを正面から、じゃまをするんですからね。もっとも、モロー彗星は、意地わるをたくらんで、じゃまをするわけではなく、不幸にも、モロー彗星の進む道が、地球の道とちょうど合うことになっているんですから、これはどうも仕方のないことですよ。その点は、先生にもよくおわかりでしょうね」
「それは、よくわかっています」
「それならよろしい。来るべきこの大事件は、地球の人類にとって最大の不幸である。しかしそれは同時に、モロー彗星にとってもまた不幸な出来事である。そうでしょうが」
 先生は、うなずいた。今まで、考えなかったが、モロー彗星にとっても不幸であるに違いない。しかしモロー彗星の上には、この地球みたいに、生物が住んではいないだろうから、いくら不幸だと言っても、我々の不幸にくらべると、くらべものにならないと思った。
「わしはずっと前から、この不幸な事件について、モロー彗星にも、また地球の人類にも同情をしていた。そうして、何とかして外力を用いて、一方の軌道をすこし外してみる方法はないものかと、研究をしたこともあった」
 丸木がとつぜん、けなげなことを言出したので、先生はおどろいた。
「だが、そいつは、なかなかむずかしいことだ。ちょっと我々の手におえないことです。だから、この上は、せめて皆さんがた地球の人類の命を、一人でも多く救ってあげたいと、思うようになったのです」
 怪人丸木は、親切そうなことを言出した。
「それは、御親切さまに……」
 と、新田先生は怪人丸木にお礼を言った。
 ほんとうに親切なのだか何だかわからないが、とにかく丸木は、熱心を面にあらわして、地球の人類をモロー彗星の衝突で死ぬことから、助けてやろうというので、これには、挨拶としてお礼を言わないわけにいかない。
「で、あなたは一体、我々人類を、どうやって助けて下さるのですか」
「そのこと、そのことです」
 と、怪人丸木は両足で地面をとんとんと踏鳴らしながら、
「ねえ、先生。わしは、火星に持っている宇宙艇を、たくさん地球へよこそうと思うのです」
「宇宙艇と言うと……」
「つまり、さっき先生は、外で見られたろうと思うが、山の頂(いただき)に火星のボートが、斜になって、立っていたでしょう」
「ああ、あれが火星のボートですか」
 先生は、始めてそれを知ったような顔をして、うなずいた。
「宇宙艇と言うやつは、あのボートよりも、何倍も大きい乗物なんだ。この宇宙をどんどん走るやつで、それはとてもこの地球の上では、どこにも見当らないりっぱな乗物なんですよ」
 丸木は、身ぶりをまぜて、ほこらしげに話をした。
「この地球の上にだって、ロケットと言うものがありますぞ」
「ロケット? はて、それはどんなものかな」
 丸木はまだロケットを知らないらしいので、先生は、地面に図をかいて、こんなものだと説明してやった。
 丸木は、たいへん熱心に、それを聞いていたが、
「ははあ、ロケットとは、そんなものか」
 と、安心したような声で言った。
「あのロケットなどというものは、全く、おもちゃみたいなものだ」
 と、怪人丸木は笑う。
 新田先生は、ちょっとむっとした。
「わが火星にある宇宙艇は、スピードもたいへん早いし、人を乗せるにしても、一せきの中に千人や二千人は、大丈夫だ。一万人乗のものもある。この地球には、そんなに人の乗れるロケットはないでしょう」
 丸木は、ほこらしげに言ったことである。
「火星の宇宙艇には、そんなに、たくさんの人が乗れるのですか」
 と、新田先生は、思わず、ためいきをついた。わが地球のロケットでは、せいぜい五十人ぐらいの人間が乗れるだけである。
「だから先生、この際地球の人類は、自分だけの力でこの難関を切りぬけようとしてもだめですよ。わが火星の力がなくては、地球人類の生命は、助らないのだ。だから、我々の申出を受けて下さるがいい」
 丸木は、いよいよ得意そうに言った。
「なるほど。そんなりっぱな火星の宇宙艇を、たくさん借りることが出来れば、我々も大助りです。政府に話をすれば、きっと喜ぶでしょう」
「そうです。きっと喜ぶでしょう。先生、あなたは、やっと、我々の話を、本気で聞いてくれるようになりましたね」
「で、私に、政府へ話をしろと、おっしゃるのですか」
「その通りです。そうして、こういうことも、よく話をしてもらいたいのです。わが火星の宇宙艇の着陸場として、この附近の山中を我々にゆずってもらいたいのです」
「えっ、何ですって」
 丸木は、少し言葉じりをふるわせながら、
「つまり、この山梨県の山中を、我々火星人に、自由に使わせてもらいたいのです」
 と、何でもないことを、おずおずと申し出た。どうも、丸木の話しぶりがへんだ。


   31 火星人


 たいへんな相談をかけられたものである。地球人類を救ってやるから、この山梨県の山中一帯を、火星人にゆずれと言うのだ。
 新田先生は、そんな相談をかけられても、返事をすることは出来ない。先生は、この山梨県の地主でも何でもないのだから。
「そんな相談を受けても、私にはとりきめる力がありませんよ」
 先生は、正直に怪人丸木に返事をした。
 すると丸木は、むっとしたようであった。
「なぜ、とりきめが出来ないのかね」
 丸木は、時々らんぼうな口のききかたをする。
「私は、そんなことに力のない一国民ですからねえ」
「そんなことはない」
 と、丸木は強く言いきった。
「我々は、君を人間の代表として、相談をしているのだ。力があるもないも、もう一箇月もすれば、地球の人類は、誰も彼も、なくなってしまうではないか。君は人間だろう。人間なら、人間として、りっぱに我々に返事が出来るはずだ」
 どうもよく、丸木の言っていることが、のみこめないが、火星人は、人間界のことなら、どの人間に相談してもいいのだと、思っているらしかった。
 先生は、はからずも人間の代表に選ばれて、むしろ、たいへんめいわくだった。
 どうしたものかと、なやみながら、ふと前を見ると、怪人丸木のまわりには、いつの間にか例のドラム缶に、細い手足をはやしたような火星人が、たくさん集って来て、しきりにこっちを見ている。
 先生は、その時、火星人が、まん中に妙な機械を抱えこんでいるのを見つけて、あれは一体何であろうかと、不思議に思った。それは、ラジオの機械の上に、うちわを立てたような機械だった。先生がこっちから何か言うと、丸木以外の火星人は、その機械の方に、ねっしんに顔をよせる。
「どうしても、そんな相談に、約束は出来ません」
 先生は、きっぱり言った。
「まだ君は、そんなことを言うのか」
 怪人丸木は、いよいよきげんを悪くした。
 すると、他の大勢の火星人も、とつぜん奇妙な声を立てて、騒ぎ出した。
 その時先生は、その大勢の火星人が、大事そうに抱いているへんな機械が、ひょっとすると、人間の話を、火星人にわかるように直す変話機ではないかと、気がついた。
 その時先生は、とつぜん火星人の一人に、胸ぐらを取られて、びっくりした。
「こら、らんぼうし給うな」
 と、先生は彼の手を振りはらったが、彼はしっかと握って、放さなかった。その時、先生は火星人の手が、まるで鋼鉄の棒のように固くて、そうして冷たいのを知っておどろいた。
 そのらんぼうな火星人は、先生をなぐりつけるつもりか、一方の手を振上げた。その時、火星人の腕のつけねに妙な音がした。ぎりぎりぎりと、何か歯車で鎖を巻くような音だった。
「何をするっ」
 先生は、必死になってそれを防ぎながら、火星人の目を見た。
 火星人の目は、じっと遠いところを見つめているようであった。ガラス玉のような、うつろな動かない目であった。
 そのくせ、火星人の腕はのびて、先生の頭をめがけて、はげしくうちおろすのであった。
「あっ!」
 先生は、受損じて、頭が割れたかと思った。そうして、ふらふらと倒れそうになったので、先生は前後の考えもなく、火星人の胴中(どうなか)に抱きついた。
 すると、火星人はあわて出したようであった。そうして急に弱くなって、ごろんとその場に倒れた。
 新田先生は、火星人を下に押さえつけたまま、ふうふうと苦しい息をはいた。何かどなりつけてやりたかったが、あまりに息切れがはげしくて、声を出そうにも、声が出なかった。
 下になっている火星人は、両手、両足を動かして盛にもがいた。
 ひゅう、ひゅう。ぷく、ぷく、ぷく。
 火星人は、妙な声をあげてうなった。
 新田先生は、この時火星人の体について、重大な発見をした。
 それは、ひゅうひゅうぷくぷくと言う声が、火星人の口から出ていないで、のどのあたりから出ていることだった。
 先生は、おどろいて火星人の、のどを見た。すると火星人の首は、もう少しで、肩から外れそうになっていた。
 やっぱり、首なしの生き物なのだ。火星人は――。
 ひゅうひゅうぷくぷくの声は、首と肩とのつぎ目のあたりから、もれて来るのであった。
 首の外れる生物! 首なしの生き物!
 そんな不思議な生物が、この世の中にあっていいものか。
 気がついて、先生はもう一度火星人の目を見直した。
 目は相かわらず、ガラス玉のように遠いところを見つめていた。そうして少しも動かないのであった。まるでつくりものの目だ。
 火星人の、のたうち廻るのを押さえつけながら、先生は苦しい息の下に、なおも敵の体に気をつける努力を忘れなかった。
 先生は火星人の口を見た。
 口は半ば開いたきりであった。そうしてうるおいがなく、動かなかった。もちろんそこからはげしい息づかいも聞かれなかった。どう考えても火星人は、こしらえものの首を肩の上にのせているとしか思われない!
(おどろいた。火星人のやつめ、こしらえものの首をのせているらしい!)
 先生が下に組みしいているこの火星人だけが、そうではないのだ。丸木だと思われる怪人も、この前、首をころりと落したことがある。
 先生は急に、気持が悪くなった。首がなくて、生きていられるなんて、不思議なことだ。とても、ほんとうだと、思われないことだ。
 だが火星人は、まさしく首なしで生きているのだった。それをしょうこ立てるように、ちょうどその時、先生の下でもがいていた火星人の首がもげて、ころころと向こうへころがって行った。
「あっ、とうとう首が落ちた!」
 あまりの奇怪さに新田先生は、もうたまらなくなって火星人の腹の上から飛びのこうとして上半身をおこした。その時であった、先生がもう一つの、おどろくべきものを見たのは……。
 それは、一体何であったろうか?
 新田先生が、上半身をおこした時、先生は火星人の胸についている大きな二つのボタンに、ぐっと睨まれたように思ったのである。
 ボタンに睨まれる?
 そんなことがあっていいであろうか。とにかく、確かに大きな二つのボタンに、睨まれたような気がしたのであった。そうして確かに、そのボタンはぐるぐると目玉のように、動いたのであった。
「ああっ」
 先生は思わずさけび声を立てて、もう一度その目玉のように動く大きなボタンを見た。すると、どうであろう。奇怪にも、今の今まで見えていた二つのボタンは、あとかたもなく消えて、火星人の胸は前のように、ドラム缶のように固い表面があるきりだった。
 この時火星人は、す早くはね起きた。
 気味の悪い火星人と組みうちをやって、新田先生は、いろいろと不思議な目にあった。火星人の首が、今にも落ちそうになっていたことや、その火星人の声が、肩のあたりから聞えたことや、それからまた、火星人の胸に、目玉のように動く大きなボタンがちらと見えたと思ったら、また直ぐなくなってしまったことなど、どれ一つとして、不思議でないことはなかった。
 火星人の体には、いろいろの、ひみつがあるらしい。少くとも地球の人類が持っている体とは、そのつくり方が、たいへん違うようだ。
 新田先生は、この時以来、どうかして、火星人の体のひみつを、ぜひ早く知り尽くしたいものだと考えるようになった。火星人の体のひみつが、はっきりわからなければ、こうして火星人とつきあっていても、何だか安心していられない気がした。
 先生の組みうちの相手になったその火星人は、すっくと立ちあがったが、それで引込むのかと思ったら、そうではなく、またじりじりと先生に向かって来た。
 先生は、もうかなり疲れていたが、ここで弱みを見せては、敵になめられると思い、
「まだ来るか、来るなら来い!」
 と、大手をひろげた。
 すると、さきほどから、両人の組みうちを、かたわらから、じっと見ていた丸木が、急に両人の間に割って入り、何だかわけのわからない言葉をぺらぺらとしゃべった。
 それはどうやら、らんぼうな火星人を叱りつけたものらしい。先生の敵は、すごすごと廻れ右をして、仲間の後へかくれてしまった。
「新田先生」
 と、今度は丸木が先生に話しかけた。
「これ以上、火星人をおこらせないのが、身のためですよ。さっきの話は承知してください」
 怪人丸木が、新田先生におしつけようとするのは、山梨県一帯の山中を、火星人にゆずりわたせということだった。
「そんなことを言っても、私には、きめる力がないのだ。それは、政府へ申し込んで下さい。私は、そんなことには何の力もない、一人の教師なんだから……」
「ふふふふ、こまった人間だ」
 と、丸木は、うす笑いをしながら、
「わしの目から見れば、先生であろうが、政府の役人であろうが、どっちも地球の人間と見ることにかわりはない。わしは、これ以上くどくど言うことはやめます。要するに、わしたちの相手は、人間でありさえすれば、誰でもいいのだ。人間どうしの相談なら、先生だとか、役人だとか、そんなうるさい資格が必要かもしれないが、火星人対地球人の相談には、人間が勝手にきめた地位や資格のことを考える必要はないのだ」
 と、丸木は少しむずかしいことを言ったのち、
「ねえ、先生。ぐずぐずしていると、あなたがたの足の下にふみつけている地球が、煙のようになって、ふきとんでしまうのですよ。わしたちは火星人だから、そんなことになっても、一向こまりはしない。こまるのは、あなたがた地球の人間たちばかりだ。そうでしょうが」
 先生は、だまっていたが、もちろん、丸木の言うとおりにちがいなかった。
「だから、先生。あなたは、地球の人間を代表して、わしに返事をしてくれればいいのです。先生がうんと言って承知をしてくれれば、わしたちは出来るだけの力を出して、先生をはじめ地球の人間をすくうつもりです。人間だけではない、牛や馬や犬や猫や、それから桜の木や、松の木や、かつおや、ひらめのような魚や、それから、鶴や蛇や、地球上のありとあらゆるものを、一通りすくい出して、火星につれていってあげる」
「えっ、人間ばかりでなく、たくさんの動物や植物までも、のせて行くのですか」
 新田先生は、火星人丸木の言葉を、おどろいて聞きかえした。
「そうですとも」
「なぜ、そんなことをするのですか。一人でも、多くの人間をのせて行ってもらいたいと思うのに、牛馬や木などに、場所を取られては、惜しいです」
「いや、わしたちは、こう考えているのです。人間だけを火星に持って行ったのでは、向こうで、人間がくらしに困るかと思う。だから、あらゆる植物や動物を、持って行ってあげようと言うのです」
「なるほど。そういうわけですか」
 新田先生も、丸木の言葉が、ようやくわかったような気がした。
「では、そのへんで、わしたちの申出を、承知してくれますね」
「いやいや、丸木さん」
 と、先生はあわてて、丸木をさえぎり、
「その話は、いくら私に相談をかけられてもだめです。政府に話をして下さい」
 すると丸木は、ぶるぶると体をふるわせ、
「どうも君は話のわからない人間だ。もうよろしい。わしたちはこんなことで、ぐずぐずしておられないのだ。兵団長は、もうこれで十五へんも、話はきまったかと聞いて来られた。この上、ぐずぐずしていると、わが火星の大計画はくずれてしまって、とりかえしのつかんことになる。……」
 と、丸木は妙なことを口走って、しきりに足ぶみをした。
 新田先生は、丸木の言った言葉の中から「兵団長」だの「わが火星の大計画」だの「とりかえしがつかん」だのと言う謎のような言葉を、頭の中でおさらいをしてみて、不審顔であった。


   32 はいって来た者


 新田先生が、火星人の申出を、うんと言ってきかないので、丸木は、とうとうおこってしまった。
 丸木は、うしろをふりかえって、奇妙な声をあげて、両手を、頭のうえで振った。
 それが、合図であったらしい。うしろに集って、丸木と新田先生との話を、熱心に聞いていた火星人たちは、一時に立って先生に向かって来た。
「な、なにをするっ」
 先生は、近よる火星人たちを、しかりつけた。
 しかし、相手は大ぜいであり、こっちは一人である。もうどうすることも出来なかった。あっという間に、先生は、両手両足を、火星人たちに取られて、真暗な奥の方へ、引きずりこまれてしまった。そうして、やがてどさりと柔かい土の上に、なげだされた。
「あっ、いたっ!」
 先生は、腰骨のところを、したたかに打って、痛さのあまり、しばらくは、呼吸(いき)が出来ないほどだった。
 先生は、ぐったりとして、地上にへたばったまま身動きさえしなくなった。
 それから、どのくらいたったか、わからない。そのうちに、先生は、ふと、眠りから、目ざめた。冷たい、ひやりとした土が、先生に、
(さあ、しっかりして下さい、先生)
 と、励ますように、思われた。このしっとりとした土さえ、やがて間もなく、数十億年もすみなれた故郷を、奪われてしまうのだ。先生は、なんだか、涙もろくなってしまった。
 先生は、起上った。
 逃げることが出来たら、逃げだそうと思って、手さぐりで、はいだしていった。
 しばらくはっていくと、ぼうっと薄桃色の光が見えた。
(しめた、あれが出口だろう)
 と、はいだしていったが……。
 穴の入口の、うすもも色の光りもの!
 監禁のうき目にあっている先生は、ここを逃出したい一心で、これに近づいた。
 すると、その光りものは火星人だということがわかった。
(しまった!)
 と、思った時にはもうおそかった。
 火星人は、くるりと後をふり向き、先生の方へのこのこ歩いて来た。そうして、右手をふり上げたかと思うと、びゅうんという、うなりとともに、何だか鎖のように固いものが飛んで来て、先生の背をぴしりと打った。
「ああっ!」
 先生は、思わず悲鳴を上げて、そこへ、へたばった。
 火星人は、またぞろ右手を上げた。
 先生はそれを知っていたが、さっき強く打たれたいたみで、もう逃げることが出来ないのだった。
 やがてまた強い一撃が、先生の頭の上に、降って来るかと、先生は目をつぶった。
 しかし次の一撃は、いつまでたっても、上から、降って来なかった。
 不思議に思った先生は、おそるおそる顔を上げた。すると火星人は、いつそこへ来たのか黒マントの丸木の前に、しきりに、憐みを乞うている様子だった。
 丸木は、首を横に向けた。すると、前にかしこまっていたその火星人は、外へ出てしまった。丸木に叱られでもしたのであろうと、先生は思ったことである。
 黒マントの丸木は、先生の方へ寄って来た。何か用事でもありそうな様子である。
 新田先生は、立上って、身がまえた。
 怪人丸木は、ずんずん前に寄って来る。彼の手には、妙な形の灯火(ともしび)がにぎられている。まるで竹筒のようでもあり、爆弾のようにも見える。
 先生は、じりじりと下った。
 穴ぐらの監禁室の中!
 新田先生は、もうさがれるところまで、後さがりした。
 それでも、黒マントの怪人丸木は、まだじりじりと先生に迫って来る。もうこれ以上、後にさがれない。先生はさっき丸木の言うことに、どうしても従わないと言ったので、丸木は大へんきげんを悪くしているはずだ。こうして、今また丸木が先生の前に迫って来たからには、いよいよ丸木は、先生の体に危害を加えるつもりではないか。
 そう思うと、じりじりと穴の奥まで、追いつめられた先生は、もうどうにも助かる道がないように思った。先生は最後の勇気を出して、自分の鼻の先に迫って来た丸木の顔を、ぐっとにらみつけた。
「おや!」
 この時先生は、非常におどろいた。急にくらくらと目まいを感じたほど、おどろいたのであった。
 それは一体なぜだったろう。
 丸木の眼は、いつも黒く色のついた眼鏡をかけていることは、誰でも知っている。今丸木はマントの下から手を出して、その眼鏡をとったのである。すると、その下から二つの眼が現れて、くるくると動いた。――生きている目だ!
 火星人もそうであるように、怪人丸木もよく自分の首を下に落した。
 ぽっくり下に落ちる火星人の首には、目玉がついているけれど、先に先生が発見したように、その目玉はガラス玉同様で、決して生きている人間の目玉のように動きはしないのである。ところが今、丸木の目玉が、くるくるぎょろぎょろと動いたので、先生は、びっくりしてしまったのだ。なぜ急に丸木の目玉が、生きている人間の目玉のように、動き出したのであろうか? 丸木だけが火星人として、特別仕掛のにせ首を持っているのだろうか?
 先生は、丸木の動く目玉に、気を失いそうなくらいおどろいた。全く丸木という奴は、なみなみならぬ怪物だ。
「しずかに、声を立ててはいけない!」
 怪人丸木が、とつぜん口を開いた。その声は、あたりをはばかるような低い小さい声だった。
 先生は、二度びっくりであった。なぜなら怪人丸木の唇がたしかに動き、その中からは白い歯も見えた。丸木だけは、他の火星人と違って、作り物の首を肩の上にのせていないのか。
「……」
 新田先生は、声もなく恐怖の色を浮かべた。全く、どんなに考えても、正体のわからない奴は、この丸木だ!
「新田先生、何とか返事をしなさいよ。おっとおっと、大きな声を出してはいけない。火星人だの、それから丸木なんかに知れると大変なことになる」
 怪人丸木は、先生の耳のそばに口をつけて、ささやくように、こう言った。
「えっ、丸木に知れると大変だと言って……丸木は君じゃないか」
「違う違う。丸木じゃない。わしだよ。新田先生。わからないのかい」
「えっ、君は、誰?」
「わしだよ、佐々(さっさ)刑事だ」
「ええっ、佐々刑事? へえ、佐々さんですか。ほんとうですか」
 新田先生は、あまり話が意外なので、信じてよいかどうか、大迷いのかたちであった。
「よくわしの顔を見たまえ。へんな仮装のお面をかぶっているが、わしだということが、わかるだろう。何しろ、こんな竹ぼらのような声を出す人間が、世間にそうたくさんあるものかね」
「ああなるほど、佐々さんだ。あっ、佐々さん、あなたはよくまあ、こんなところへ……」
 と、新田先生は、喜びのあまり、佐々の手に、すがりついた。
「どうしてあなたは、丸木に変装したりなんかして、こんなところへ忍びこんだのですか」
 と、新田先生は佐々に尋ねた。もちろん、大方そのわけは、察しがついてはいたが……。
「わしの任務かね」
 と、佐々刑事は、仮装のお面をぬいで上にあげ、
「わしの任務については、くわしく言うことは、許されていないさ。大江山捜査課長にでも聞いてもらうんだね。しかし新田先生。わしは重大使命を帯びて、こうして火星人に近づいているんだ。わしは今、命がけで仕事をやっているんだ」
 先生はうなずいた。なるほど、単身火星人の群に飛びこむなんて、命がけの仕事でなくて何であろうか。
「それで、その仕事と言うのは……」
「それはやっぱり、あまりしゃべれないけれど、とにかく先生、今夜これから、大変なことが起るよ」
「大変なこと? 佐々さん、それは何ですか」
「今夜の中に火星のボート群が、かなりたくさん、このへん一帯に着陸するだろうよ。火星人はいよいよその数を増して来るんだ」
「えっ、そうですか。それはどうも話が、早すぎますね。さっき私は、ぜひこの山中一帯をゆずってくれと、丸木に責められたんです。もちろん私が、うんと言わないので、丸木はおこっていました。その時の丸木は、まさか佐々さんじゃなかったでしょうね」
「違うよ違うよ。あれは本物の丸木だ。わしはかげのところから、そっと隙見をしていて、知っているよ」
 と、佐々はにが笑いをして、
「そこで先生。わしは、いよいよ思いきったことをやるつもりだよ」
 怪人丸木に変装した佐々刑事が、すこぶる、はりきっているのは、たのもしいことであった。とりこになっている新田先生も、佐々の話を聞いていると、自然に勇気が出て来るような気がした。
「ねえ、佐々さん、私は一つ、大変心配していることがあるんだが……」
「心配ごとって、それは何だね。早く言いたまえ」
「それは外でもない、千二少年の行方のことなんですがね」
「ああ、千二のことか」
「どうです、佐々さん。千二少年は、丸木につれられて行ったんだが、ここで見かけなかったでしょうか」
 先生はどこまでも教え子の千二のことを、心配しているのだった。これも先生なればこそで、まことにありがたいことであった。
 佐々刑事は、首を左右に振って、
「見かけなかったねえ」
「いないのでしょうか。一体、千二少年はどうしたんだろうな」
 先生の目は、憂いに曇った。
「千二の行方も捜さなければならんが」と佐々刑事は言って、
「わしが課長から命ぜられていて、まだ果してないのは、蟻田博士が去年の大地震以来、どうなったということだ。君はその後、蟻田博士と会ったことがあるかね」
「いや、どういたしまして……」
 と、新田先生は首を振って、
「何しろ私はあの大地震以来、つい先ごろまで、病院のベッドに寝ていたんですからねえ」
「ふん、なるほど。考えてみればあの大地震というやつが、我々の仕事をどのくらい邪魔したか知れない。いや、こんなぐちを、今言ってみても仕方がないがね。まあいいや。どんな災難であろうと、困ったことであろうと、もうおどろくものか」
 佐々刑事は、立上った。
 丸木の顔に似せた面をかぶり、黒い眼鏡をかけると、全く丸木そっくりに見える。
「もう、行くんですか」
 と、新田先生は、少し心細くなって、声をかけた。
「そうだ。こんなところにぐずぐずしていて、本物の丸木やそのほかの火星人に見つかっては、せっかくのわしの冒険も、とたんに、だめになってしまうからね」
「あ、ちょっと待って下さい」
 と、新田先生は、佐々刑事を呼止めた。
「佐々さん。ぜひ、この際、伺っておきたいのですが、丸木と火星人とは、別ものなんでしょうか。それとも同じ火星人でしょうか」
「そりゃ、同じことさ。丸木も、確かに火星人だと思われる」
「でも、見たところ、服装が違うじゃありませんか」
「うん、もちろん、丸木という奴は、火星人の中でも、頭かぶの火星人らしい。しかし火星人であることは、同じことさ。丸木は、黒い眼鏡をかけたり、黒いマントを着ているが、わしの考えでは、あれは、人間に近づくため、ああしているのだと思うね。つまり、あの蟻の化物みたいな、火星人独得のへんな体を、見られないためさ」
「じゃ、丸木も、マントを脱ぐと、火星人と同じことですか」
「確かに、その通りだ。しかし、マントを着ていてくれて、こっちは大助りさ。もしも丸木が一般の火星人と同じように、蟻の化物みたいな体をむき出しにしていたら、こんどのように、わしは、彼らの陣営に忍びこむなんてことは、出来なかったろうねえ。何が、幸いになるかわからない。はははは」
 なるほど、佐々刑事の言う通りであった。しかし、彼は、なんという豪胆な刑事なんであろうかと、先生は、改めて感心した。


   33 大襲来


 新田先生は、佐々刑事から火星人のことについて、もっとたくさん聞きたかったが、その時、佐々は何かの音におどろき、
「じゃあ、また後で、もう一度来る!」
 と言捨てたまま、新田先生をそこにおいて出て行ってしまった。
 穴の中は、またもとの闇にかわった。そうして、また心細いこととなった。
 それから、かなり長い時間が過ぎた。
 新田先生は、穴の中で空腹を感じながらも、今に何ごとかが、起るだろうと待構えていた。
 その時刻のことは、はっきりしなかったが、とにかく、かなり夜更(よふけ)になって、新田先生は、ごうんごうんという遠雷のような響を耳にした。
「あっ、いよいよ来たなっ!」
 と、先生は、穴の中に、居ずまいを直した。火星のボートが、いよいよこの山中目がけて、やって来たのであろう。
 ごうんごうんという怪音は、先生の耳のせいか、だんだん大きくなって来るようであった。火星のボートが、ますます近づいて来たのであろう。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 ぷく、ぷく、ぷく、ぷく。
 妙な声を立てて、火星人たちが、騒ぎ出した。新しくやって来る火星のボートの着陸の用意で、大変いそがしくなったのであろう。
 新田先生は、その時、またもや穴の奥から、そろそろと這出して行った。
(今こそ、脱走するのに、もって来いの時だろう!)
 この騒ぎのうちに、先生は監禁の手からのがれたいと思ったのである。
 穴の中から外の方へ、そろそろと這って行ったが、幸いにも、さっきの番人がいたところに、誰もいない。
「しめたっ!」
 新田先生は、番人のいないのを幸い、どんどんと、穴の中を這って前進した。
 すると、とつぜん目の前に、ぴかっと光りものがした。
 そうして、火星人から奇妙な叫び声をあびせかけられた。
「あっ、見つかったか」
 先生はおどろいたが、かねて覚悟をしていたこととて、いきなり身をひるがえして、後へ戻ると、壁にぴたりと体をつけた。とたんに後を、風のように行きすぎたものがあった。火星人が、先生の跡を追って、穴の奥の方へ行ったのであった。
「今だ!」
 先生は勇気を出して、またもや、穴の入口の方へ向かって、這って行った。まるで、もぐらのような、かっこうであった。
 しばらく夢中になって、這って行くうち、また前方から光りものが現れて、ぱっとこっちを照らした。
「ちょっ、しまった!」
 先生は、今度はいよいよだめかなと思ったが、もう一度と、またぞろ身をひるがえして、壁に体を押しつけた。
 すると、とたんに先生の体は、ずるずると壁の中にはいってしまった。
「ああっ!」
 先生は、声をあげたが、もう遅かった。先生の体は、もんどり打ってころげ込んだ。
 いよいよ深い底なし井戸へでも、落込んだのかと思ったが、気がついてみると、先生は、うすあかりのともった小さい部屋の中にいた。かくし部屋だ。いや、よく見れば、そこは倉庫みたいなところで、いろいろなものが、ごたごたおいてあった。その中に、先生の目にふととまったのは、黒い長マントと黒い帽子とであった。よく見れば、黒眼鏡もあるではないか。
 先生はあることを思いついた。
 黒マントに黒帽子に黒めがね!
 新田先生は、それをじぶんの、からだにつけた。すると、先生は、すっかり怪人丸木とおなじ姿に変ってしまった。
「こういう姿をしておれば、しばらくでも火星人の目をごまかすことが出来るであろう。その間に、何とか次のことを考えよう」
 その時、壁穴のそとでは、先生のあとを追って来た火星人の、ひゅうひゅうという声がした。先生を探しているのだ。
 先生は、もうその時、別の入口から、外に出ていた。あたりには、同じような姿をした火星人が、しきりに、走りまわっていた。もちろん、黒マントのない、はだかみたいな火星人も、たくさんいた。
 黒マントを着ている火星人は、おなじ仲間の中でも、すこしはえらい火星人のようで、先生が、黒マントを着て、前に進むと、はだかの火星人は、さっとからだを横飛にして、先生のため道をあけるのであった。
 こうして、先生は、火星人の中に、うまく、まぎれこんでしまった。
 このころ、先生を追いかけていた番人たちも、もう、あきらめてしまったようである。
 先生は、火星人の間をすりぬけて、穴の入口から外へ飛びだした。
 先生は、久方ぶりに、新しい空気を吸って、元気をとりもどした。
 だが、外は真暗(まっくら)であった。その上雨風がはげしく、この山中をたたいていた。時おり、ぴかぴかと電光が光って、ものすごさを加えた。
「ああ、たいへんな嵐だ!」
 先生は、一度、雨の中に飛びだしたものの、吹飛ばされそうになったので、また穴の入口へもどらなければならなかった。
 その時であった。あたまの上はるかに、また、ごうんごうんと雷とも違う、気味の悪い音がしはじめた。
 嵐の中に気味の悪いごうん、ごうんという音は、また大きくなって来た。
 がらがら、ぴかぴかと、雷がひっきりなしにあたりの山々に落ちた。そうして、足の下に踏まえている大地が、地震のように揺れた。
 その時先生の目は、一隻の火星のボートのすがたを捕えた。はげしい電光が、あたりを昼間のように明かるく照らした時、先生の立っているところから百メートルぐらい先に、火星のボートがあざやかに着陸するところを見てしまったのであった。
 火星のボートは、例の通り大きな塔のような形をしていた。そうしてボートは、電光に見まがうような明かるい光に包まれながら、空中から降って来たのである。そうして、地ひびきとともに大地に突きささったのである。
 先生は火星のボートが、地面に突きささってから、少し左右にゆらぐところまで、はっきり見てしまった。でも、思いの外やわらかく大地へ突きささった。何かよい方法があって、大地に近づくとともに、スピードをゆるめる仕掛がついているらしい。
 そのうちに、また次の新しい火星のボートが降って来た。一隻ではなかった。二隻、三隻、四隻……いや、数えているひまがない。おどろくべきたくさんの火星のボートは、百雷が一時に落ちる時のように、巨大な光と音とを立てて、空中から舞いおりた。雨と風とは、いよいよはげしさを加え、雷はしきりにあたりの山中に落ちた。
 火星のボートと落雷と、どっちがどっちだかわからないような、恐しい光景であった。
「ああ――」
 と、新田先生は、ため息をついて、全身を雨に打たれながら、もの陰にたたずんでいた。一体これからどうなるのであろうか。


   34 火星兵団


 大雷鳴の中に、山梨県の山中に着陸した火星のボートは、その数およそ五、六十隻であった。
 これこそ火星兵団の敵前着陸だ。
 しかるに、地球の人類は、この恐るべき兵団を、やすやすと着陸させてしまったのである。もっとも、誰がこのような火星兵団の襲来を、あらかじめ考えていたであろうか。
 我が日本について考えてみても、これは全く意外な出来事であった。また、そうなるまでの事情はともかくも、いいことではなかった。我が日本は昔から、日本本土を敵に占領されたことはなかった。いくら地球外に住んでいる火星人の襲来だからといって、本土の一部を占領されたことは、決していいことではない。新田先生は、闇の中にたたずみながら、くやしさに涙をぽろぽろと落した。
 たくさんの火星のボートは、何(いず)れも皆着陸が終ったらしい。空中を飛ぶあの大きな音も、もう聞えなくなった。そうして、火星のボートは、船体から例のうすもも色の光を出して、あちこちに塔を並べたように立っていた。
 時々妙な怪音が、ひとしきりやかましく耳を打つのであったが、それは、今着いたばかりの火星人たちが、点呼を受けているのであろう。
 今度はかなりたくさんの火星人が、着いたらしいのであるが、その割に騒ぐ様子もなかった。
(ははあ、それでみると、火星人はかなり教育程度が進んでいると見える)
 と、新田先生は、心の中でひそかに、そう思ったのであった。
 先生は、この上は、何とかして、ここを抜出して、この一大事を出来るだけ早く、警察なり軍隊なりに知らせなければならないと思った。
 新田先生は、そろそろと、もの陰から這出した。今のうちに火星人の目をのがれて、山を下ろうと考えたのであった。
 先生は手さぐりで雑草の間をくぐって、山を下り出した。
 すると下の方から、また例の、ひゅうひゅうぷくぷくと火星人の声がして、こっちへ近づいて来る様子なので、びっくりしてまたもとへ引返した。
 先生は、もとのもの陰に戻ったつもりであった。
 ところが、しばらくすると、先生はそれが間違で、また別の場所へ来ていることに気がついた。
 そこも、一つの洞穴(ほらあな)であったが、火星人が十四、五人ごろごろと転がっていた。
(これは大変!)
 と、先生がそこを飛出そうとすると、前方から怪人丸木がはいって来た。
 丸木は、洞穴にはいると、大きな声でどなった。それは、先生には何を言っているのか、よくわからない火星人の言葉であった。
 すると、転がっていた一同は、がばとはね起きて丸木の前に並んだ。
 先生はびっくりした。ここで見つかっては大変である。どこかに体をかくすところはないかと、前後左右を見廻すと、ちょうど幸いにも、あまり大きくない機械を、山のように積上げてあるところがあったので、先生は急いでその後に体をかくした。
 丸木は、先生のいることには、どうやら気がつかないらしく、しきりに火星人を前に、声高に話をしている。一体何の話をしているのか、先生はこれを知りたかったが、火星人の言葉を知らないので、どうにもならない。
 ところがその時、先生は、どこかで人間の小さい話声を耳にした。
 怪人丸木が洞穴の一室で、隊員たちを前に、何かわけのわからない火星人の言葉で、しきりにしゃべっている。その同じ室の隅では、新田先生が、つみ上げられた機械の後に、じっと小さくなってかくれている。すると、その時先生はとつぜん、かすかな人間の声を耳にしたものだから、びっくりしてしまった。
(誰だろう。あのように小さい声で、一生懸命にしゃべっているのは?)
 先生は不思議に思って、声のする方を、しきりにさがしてみた。その声は、どうやら、機械の中から聞えて来るようであった。先生はますますおどろいて、
(はて、このように、機械をつみ上げた中に、誰かが、かくれているのだろうか)
 しかし、それはどうも、ありそうなことと思われない。その声は大変小さい声であった。いや、むしろ大変遠い声だと言った方がいいであろう。小さい声だが、大変はっきりした言葉である。それがしきりにしゃべっているのである。
「……だから、我々は、短い時間のうちに、この重大な仕事をやってしまわなければならない。さもないと我々火星兵団が、危険を冒し、こうして地球上へ来たことが、まったく、むだになる。……」
 はっきりと、そういう声が、新田先生に聞えたのである。
 先生は改めて、びっくりし直した。なぜと言って、この言葉の中には、明らかに、「火星兵団」と言う言葉があった。それから「こうして地球上に来たことが……」などと言っている。この言葉は地球の上で、火星兵団の中の一人が、しきりにしゃべっている言葉らしいことがわかる。それにしても、人間にわかるような言葉(実にその言葉は、日本語だったのである)を使っているのはなぜであろうか?
 先生はあることに気がついた。
 新田先生は、積んである機械の箱の中に、そっと手を差入れた。
 幸いにも、箱の蓋があいているものがあったので、中の機械をさぐることは、思いの外やさしかった。
(おお、これは妙なものだ。電話機のような形をしているぞ)
 先生は、手さぐりでそれをひっぱり出した。それは小さな胸あてのようなもので、真中には、送話機の口と同じに、小さいラッパのようなものがついており、またその胸あての両側からは、お医者さんが使う聴診器のような管が二本、かなり長くついているのであった。例の小さい声は、確かにこの機械の中からしているのであった。
(これは、不思議だ)
 先生は、その聴診器のゴム管みたいなものを、耳の中に入れてみた。しかし、何の音もしなかった。さっきまで、聞えていた例の小さい人間の声もしなくなったのである。
(変だぞ)
 そこで先生は、ゴム管みたいなものを、耳の穴からはずした。すると、また前のように、どこからか、小さい人間の声が聞えて来るのであった。先生は、あせりながら、その機械を、ひねくり廻しているうちに、やっと、声の出るところがわかった。それは、胸あてのようなものの真中についているラッパから聞えて来ることがわかった。
(あっ、ここから聞えるのだ!)
 先生は、耳にあてた。しばらく聞いているうちに、先生は重大なことを見つけた。それは、丸木の声と、この小さなラッパから出て来る声とが、いつも同じ時に大きくなったり、また、とまったりするのである。
(ふうん、この機械を使えば、火星人の言葉が日本語に直って聞えるのだ。すばらしい機械を見つけたぞ!)
 変話機だ!
 変話機が見つかったのだ。
 新田先生は、鬼の首をとったように嬉しかった。変話機のラッパの方に耳をあて、またゴム管の穴を怪人丸木の方に向けると、丸木が、火星人の言葉でしゃべっていることが、みな日本語に直されて、ラッパから出て来るのだった。
 この機械は、あべこべにして働かせると、日本語が、火星人の言葉に直るのであった。そういう場合は、火星人は二本のゴム管の穴を耳に近づけ、ラッパを人間の方に向ける。つまり、その時はラッパが一種のマイクの働きをし、ゴム管のある方が、受話機になるのであった。
(しめた。これはいいものが手にはいった。ようし、丸木が何を言っているか、しばらく聞いていてやろう)
 と、新田先生は、息を殺して、変話機から聞えて来る丸木の言葉に聞入ったのであった。
「……だから、我が隊は、出来るだけ早く、この仕事をすまさなければならない。地球の人間に勘づかれたら、それから後は、人間どもは用心を始めるから、人間をつかまえることが、ますますむずかしくなる。……」
 丸木は、人間をつかまえることについて、話をしているらしい。人間をつかまえるといって、一体誰をつかまえるつもりであろうか。
 丸木の言葉は、なおも続く。
「……我々の計画では、男と女とが同じ数だけ入用だ。ぜひとも男を五百人、女を五百人集めてくれ。このうち、我々が集めて持って行くのは、生まれたばかりの赤ん坊が百人、五歳ぐらいの小さい子供が百人、それから十歳から十五歳ぐらいの子供が百人――つまり子供は三百人だ。その上に、二十五歳ぐらいの若い大人が百人、それから四、五十歳の大人が百人、これでちょうど五百人だ。その外の人間に用事はない。……」
 丸木は、とんでもないことを言っている。
 丸木は、隊員に向かってなおもしゃべりつづける。新田先生は、変話機にかじりついて、一生けんめいに、丸木の話をぬすみ聞きしている。
「……どうだ、わかったろうな、みんな。人間に近づいた時は、さっきも言ったように、なるべく相手の顔を見ないようにしろ。こいつをさらうのだと見当をつけたら、足音を忍ばせて、うしろからどんどん追いせまり、さっき教えたような方法で、早いところ、袋を頭の上からかぶせ、それがすんだら、すぐさま、人間の足を、こういう工合にかついで、例の人間箱の中に入れてしまうのだ。いいかね。……それが出来れば、後は、出来るだけ気を落ちつけて、その人間箱を自分のそばにならべて、ゆっくりゆっくり歩いて行くのだ。その時そわそわしていようものなら、人間箱をつきたおして、せっかくの獲物(えもの)が人間に気づかれてしまったり、また、お巡りさんや刑事に怪しまれて、かえってこっちがとりおさえられるから、出来るだけ用心をするんだぞ」
 新田先生は、これを聞いていて、ますます驚いた。丸木たちは、こんな手で、人間を五百人もさらって行くつもりなのである。
「隊長!」
 と、火星人の一人が、違った声を出して丸木に呼びかけた。
「何用か、三八九」
「ねえ隊長、わしは、どうも人間というものが恐しくてならんのです。ほかの役にかえてくれませんか。たとえば、草とか木とかを集める方へ廻して下さい」
「だめだ、だめだ。われわれは、はじめから一等むずかしい役をすることにきまっているのだ。むずかしい役をやるのだから、われわれは火星兵団の中でも、特別にごほうびをもらっているのだ。姿だって、人間そっくりの道具をもらっているではないか」
 怪人丸木と、その部下の火星人とのあいだに、とんでもない話がつづいている。それは、地球の人間を捕えることについてである。
 これを聞いていた新田先生は、顔色をかえた。丸木は、この前、
(地球がこわれる前に、君たち地球の人間を出来るだけたくさん、すくってあげたいと思っているのだ)
 と言ったが、その当時、丸木たちの親切に、お礼を言ったものだ。ところが、今聞いておれば、丸木は、
(人間を集めるのだ。人間を捕えるのだ!)
 と、部下に話をしているのであった。丸木たちは、人間を捕虜にして、火星へつれて行くつもりらしい。
「けしからん。地球人類が、火星人の捕虜なんかになってたまるものか」
 と、新田先生は、ものかげでひとり歯をくいしばった。しかし、そうは言うものの、地球のこわれる日はもう目の前にせまっている。その上、この洞穴(ほらあな)で見ていてもよくわかるように、智慧にかけては人間よりも火星人の方がずっと進んでいるようだ。たとえば、火星人の持っている火星のボートだって、じつにすばらしいものである。人間の力では、とてもあのようなものをつくることは出来ない。だから、まともにたたかえば、これはどうしても火星人の勝で、地球人類の負となるだろう。これはたいへんなことになったものである。
「では、二十四時間の後に、お前たちは、人間狩に出発するのだぞ。それまでは十分に養分をとったり、人間に見あらわされないような練習を積んだりしておけ」
 丸木は、隊長らしくおごそかに命令し、そうして心こまやかな注意を、部下たちに与えたのである。
 先生は、さしせまった事件を前になやんだ。


   35 佐々(さっさ)刑事


 こっちは、佐々刑事であった。
 彼は丸木のあとを追ってくらがりの中を歩いているうちに、とうとう相手のすがたを見失ってしまった。
 実はその時、丸木は隊員のところへ行って、例の二十四時間後に、東京へ出発のことを話すため、洞穴の中へはいっていったのである。そうして丸木の話は、新田先生によってすっかり聞かれてしまったのである。
 そうとは知らない佐々刑事は、丸木のすがたを見失ったことを、大変残念に思いつつ通りかかったのが、一隻の火星のボートのそばだった。
 その火星のボートは、例の通り大きな塔のような巨体を、地に対して、すこしかたむきかげんにしてそびえ立っていたが、ふと見ると扉が少しあいている。
「おや、これは……」
 火星のボートの出入りは、かなりきびしかったから、これまでも、佐々刑事はその内部をうかがおうとして、ついに一度も、その目的をはたすことが出来ないでいた。ところが、今めずらしく火星のボートの扉が少しあいていて、中からぼんやりとあかりが見えるのであった。
「ふむ、これはもっけの幸いだ」
 と、佐々刑事は身をひるがえすと、ボートのそばへ近づいた。
 扉に手をかけて中をのぞいたが、いいあんばいに、誰もいない。火星人の番兵か誰かが、扉のかぎをかけ忘れて、どこかへ行ってしまったらしい。
「こいつはしめた。しからば、まっぴらごめんと、中へ入ってみるか」
 佐々刑事は、およそ世の中に、恐しいというものを知らない人間だった。だから扉があいておれば、後のことはたいして心配しないで、のこのこはいって行く彼だった。
 佐々刑事は、丸木と同じような姿をして、火星のボートの入口から中へはいりこんだ。
 誰もいない!
「おやおや、誰もいないぞ。どうしたというのかなあ」
 佐々刑事は、あたりをぐるぐる見廻しながら、しばらくそのへんを歩き廻った。がらんとした部屋で何もない。
 そのうちに、彼は何の気なしに、扉に手をかけて動かしてみているうちに、どうしたはずみだったか、扉が、ぐうっと動き出して、やがてばたんと音を立てて閉まってしまった。
「あれっ、扉が閉まったぞ」
 と、佐々刑事は、扉のところへ行ってハンドルを握り、扉をあけにかかった。
 ところがハンドルは、どうしたものか、右にも左にも、廻らなかった。したがって、扉はしまったきりで、あかないのである。
 あたり前の人間なら、このへんで顔色を変えて、おどろくところであるが、さすがは佐々刑事である。べつだんおどろく様子も、あわてる様子もなく、
「ははあ、扉にかぎがおりてしまったんだろう。が、まあいいや。そのうちに、誰かがあけるだろう」
 と、おちついたもので、彼は次の部屋へはいって行ったのである。
 次の部屋は、大変くさかった。彼がまだ一度もかいだことのない変なにおいであった。その部屋は、休憩室らしい様子であった。ここにも、誰もいなかった。
 もう一つ次の扉をあけると、そこは機械室になっていた。天井は急に高くなって、ビルヂングの床を三階分もぶちぬいたような高さであった。そこは、たしかに機械室には違いなかったが、地球上にある工場では、こんな風変りな機械室を持っているところはない。まるで、化学工場と変電所と要塞砲とを組合わせたような形だ。
 火星のボートの中を、すみずみまでよく見て廻ったのは、人間では佐々刑事が始めてであろう。
 佐々は階段をのぼって、だんだん上へいった。そうしてとうとう頂上までいった。
 すると、どこからか、何かしきりに話をしているような声が聞える。
「はてな、誰だろう?」
 と、佐々は廊下に立ちどまって耳をすました。
 話声は、壁の中から聞えて来るのであった。
「はてな、この壁の中に部屋があるらしいが、どこから出入するのかなあ?」
 と、佐々はあたりを見廻したが、別に扉もない様子であった。
 その時、話声はぴたりととまった。
「おや?」
 と、佐々は壁の方に耳をすりよせた。すると、どこかで、するすると扉の開くような音がした。佐々は、すばやくまたあたりを見廻した。
「あっ」
 ちょうど、彼の立っていたところの後の廊下のまん中に、大きな円い穴があきかかっている。
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