火星兵団
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著者名:海野十三 

 見えるのは、十メートルほど下に淀んでいる黒い水面ばかりであった。しかし彼は、そのままの姿勢で、しばらくはこの黒い水面をじっと見つめていた。
 そのうちに、彼はとつぜん身近に、ひゅうひゅうという妙な音を聞いた。
 すわ!
 千二は、びっくりして、その場にぱっと身を起した。
 とつぜん耳にしたところの怪音。ひゅうひゅう、ひゅうひゅうと、鞭(むち)かなんかを振るような音だ。その音なら、さっきも、彼はたしかに自分の耳で聞いたのである。あのうす桃色の怪物体が、天狗岩のうえに下りて来たあの時に。
 ひゅうん。
 いきなり、千二の耳もとに、怪音が聞えた。
「あ、痛っ」
 何者かが、ふいに、千二の持っていた懐中電灯を叩きおとした。
「だ、誰だ」
 千二は、身近くに、誰かがいるなどとは、想像しなかった。だからそれだけに驚きはひどかった。――立直ろうとする時、又もや、
 ひゅうん。
 と唸りごえが聞えたかとおもうと、千二少年は背中を、どすんと強くなぐられた。
「ううむ」
 つづけざまの、不意打の襲撃だった。何も見えないまっくら闇の中で、おもいがけない見当から、なぐられたり、つきとばされたり、ひどい目にあった。しかも相手は、何者だか、まるっきりわからない。千二は、はあはあ息をついていたが、そのうちに何者かが、すぐ目の前をとおりすぎるようなけはいを感じたので、思いきって、
「やっ」
 とさけぶと、ここぞと思う見当に向かって、とびついた。
 すると、はたして手ごたえがあった。
「うぬ、もうにがさないぞ」
 千二は、どなった。そうして、しっかりとおさえつけた。その相手というのは、何者であったろうか。とにかくそれは、手ざわりだけでは、苔がはえた土管のような気がした。生き物のようではなかった。
 まったく妙な手ざわりである。苔がはえた土管のように、上はぬるぬるしていて、しかもたいへん固いのであった。それが、千二が闇の中でとらえた相手であった。その形はくらがりのことで、はっきり見えない。
「これは、間違えて、何か別のものをつかまえたのではないかしらん」
 とすこしの間、千二は、そう思った。
 しかし、千二のつかまえている土管みたいな怪物は、彼のおさえつけている下から、はねかえそうとしているらしく、しきりにもくもくと動いたし、また、しばらくたって、
 ひゅう、ひゅう。ひゅう、ひゅう。
 と、しのびやかな鳴き声を立てたので、今おさえているのが、例の怪物であることに、決して間違がないと知った。
 だが、こうしておさえつけていても、千二は、決していい気持ではなかった。とびつく前は、相手は人間か、またはこの湖によく下りる鳥だろうと思っていた。ところが、それとはまったく手ざわりの違った、ぬれ土管(どかん)の怪物だったのである。でも後から考えると、彼はよくまあ勇敢に、組附いたりしたものだと感心する。これが闇夜の出来事ではなく、昼間の出来事で、相手の姿がはっきり見えていたとしたら、彼は決してとびつきはしなかったろう。いやその反対で、きっと顔色をかえて、逃出したことであろう。
「さあ、ずるい奴め。土管の中からひっぱり出してやるぞ」
 千二は、本気でそう言って、相手の体をなでまわしたが、さあたいへん、土管だと思ったのに、その先は鉄甲のように、まるい。
「ぷく、ぷく、ぷく」
 とたんに、その怪物は、うなった。そうして千二の体を、細い紐みたいなもので、ぎゅっとしめつけた。その力の強いことといったら……。
「うむ、苦しい」
 千二少年は、遂にたえきれなくなって、悲鳴をあげた。怪物は、妙な手ざわりの紐で、千二の体をぎゅうぎゅうしめつけるのであった。そのうちに息が止りそうになった。
「ああっ!」
 もうだめだと思った。天狗岩の上で、変な怪物にしめ殺されてしまうんだと、覚悟しなければならなかった。そのとき千二の瞼の裏に、わが家に、彼の帰りを待っている父親千蔵の顔が、ぼうっと浮かんだ。
「あ、お父さん」
 すると、父親千蔵の顔が、にやりと笑って、
「おい千二。負けちゃならねえぞ。かまうことはない。そのけだものを、水の中にひきずりこめよ。お前の得意の水練で、相手をやっちまうんだな」
 と、千二をはげました。きっとそれは、人間が息たえだえになる時に、必ず見る幻であったと思うが、また同時に、孝心ぶかい千二に対し、神が助けの手をのべさせたもうたものと思われた。
「よし、負けるものか」
 千二は、勇気百倍した。そうして力いっぱい相手をつきとばした。
 だが、そんなことで離れるような相手ではない。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう。
 かの怪物は、うなり出した。
「うぬ、この野郎!」
 千二は、もう必死だ。相手が離れないと見ると、そのままずるずると相手をひきずって、岩の先の方へ――。
 怪物は、驚いたか、また一段とうなりごえも高く、妙な紐で千二の首をしめつける。いよいよ千二の息は、止りそうだ。死んではならない。その時千二は、
「えい!」
 と叫んで、どうと横に転がった。
 千二は、怪物もろとも、どうと横にころがった。にぶい音がした。怪物が、横腹をうったのである。
 天狗岩のうえを、千二と怪物とは、取組んだまま、上になり下になり、ごろごろと転がる。
「なにくそ。負けてたまるものか」
 と、千二はどなっているが、実のところ、どうやら怪物の方が力がつよいようだ。千二は、すこぶる危い!
「ま、負けてたまるか!」
 そのとき怪物は、千二のうえにのしあがって、があんがあんと、かたい身体(からだ)を千二にぶっつけるのであった。その痛いことといったら、まるで自動車につきあたられるような気持であった。怪物は、千二をおしつぶすつもりらしい。
 このとき、千二の気持は、かえってだんだんおちついてきた。どうせ死ぬのなら、という覚悟がついたせいかもしれない。日本の少年は、死の一歩前まで勇ましくたたかうのだぞと、日頃教わってきた先生のお言葉を思い出したためでもある。
「水の中へ、怪物をひっぱりこむんだ!」
 父親の幻は、一生けんめいに、応援してくれる。そこで千二は相手の怪物のすきをうかがって、
「えい、やっ!」
 と、満身の力をこめて、はねかえした。そのきき目はあった。
 怪物の身体が、くるっと一転した。そしてひゅうひゅうと、苦しそうに呻った。そのとき両者の体は、一しょにごろごろと転がっていく。だんだんはずみがついてくる。そのうちに、体が急に軽くなった。
(あっ、落ちるのだな)
 両者の体は、つぶてのように落下していく。
 どぶうん。はげしい水音がきこえた。水柱が、夜目にも高くのぼった。
 それっきり千二は、気が遠くなってしまった。


   3 第二の謎


 話は、すこしかわるが、「火星兵団」のことを、ラジオで放送して、世間の注意をうながした蟻田老博士のことである。
 蟻田博士が、警視庁の大江山捜査課長から大いに叱られたことは、前に言った。それは「火星兵団」につき、博士があまりにもでたらめすぎることを言出したので、警視庁では、世の中をまどわすものとして、叱ったのである。
 しかし当の博士は、それがたいへん不服であった。
 その翌日、博士は、大江山課長をたずねて、警視庁へのこのこはいって来た。
「やあ、大江山さん。わしはどうも貴官から言いつけられた命令を、はいはいと言って聞いておられないように思いますのじゃ」
 博士は、課長の顔を見ると、いきなり大きな声で、こう言った。
「困りますねえ、蟻田博士」
 と、大江山課長は、椅子からたちあがって、博士の肩をおさえ、
「私がお伝えした命令が聞かれないとあれば、やむを得ず、博士の自由をおしばりすることになるかもしれませんぞ」
「ははあ、わしを留置場へおしこめると言うのでしょう。うむ、やりたければ、どうぞおやりなさい。しかしそのために『火星兵団』を用心することが、おろそかになるわけじゃから、大損ですぞ。天下はひろいが、今『火星兵団』の秘密を解く力のあるものは、はばかりながら、わしの外には誰もないのじゃからのう」
 蟻田博士は、白髪頭をふりたてて、盛に言いまくるのだった。
「じゃ、博士は、火星が兵団をつくって、今夜にも我々の住む地球へ、攻めて来るとでも言われるのですか」
「今夜にも、火星の生物が地球へ攻めて来るかどうか、それはまだはっきり言えないが、『火星兵団』と言うからには、火星の生物は、どこかと戦いを交えるつもりにちがいない。すると、地球を攻める場合もあるわけじゃ」
「ねえ博士」
 と、大江山課長は、何とか博士をなだめすかしたいものだと思い、ますます下から出て、
「博士のお考えは、ごもっともです。ですが、火星に生物がすんでいるか、すんでいないかもわかっていないのに、いきなり市民にむかって、火星の生物が、今夜にも攻めて来るぞとおどすのは、どうでしょうかね。つまり、よけいな心配をかけるわけで、あまり感心しないと思うんですがね」
「なに、おどす? わしが、ありもしないことで、市民をおどすとでも言われるのかな」
 と、蟻田博士は大不服らしく、白髪頭をぶるぶるとふるわせ、
「とんでもない間違じゃ。これほどわしが本気で心配しているのが、貴官にはまだおわかりにならぬかのう。ああそんなことでは、前途が案じられる。が、わしの言うことが信じられないとあれば、もう何を言ってもむだじゃ。わしは、もう一つ重大なことを、聞かせるつもりで来たが、もう何も言うまい。だが、後で貴官は、きっと思い知られる時があるじゃろう。はい、さようなら」
 博士は、そう言って、無念そうな顔つきで、課長の部屋を出ていこうとする。
「もう一つ、重大なことを聞かせるつもりで来た!」と蟻田博士は言った。その言葉は、課長の耳に、たいへん無気味にひびいた。
「もし、蟻田博士、お待ちください。もう一つ重大なことと言うのは、一体何ですか」
 と、博士のうしろに、おいすがった。
 蟻田博士は、課長の手を払って、小ばかにしたような目で、じろりとふりかえったが、そのまま出ていく。
「博士、聞かせてください」
「ふん、聞きたいと言われるか。聞いても、やっぱり信じられまいと思うが――」
 と博士はあきらめ顔で、
「こういう謎がおわかりかな。近く地球の上では、『暦がいらなくなる日が来るであろう』どうじゃ、おわかりかな」
(近く地球の上では、暦がいらなくなる日が来るであろう)
 蟻田博士は、みずから、これが謎の言葉だと言って、大江山課長にぶっつけた。
 課長は、もちろん面くらった。
(ふむ、「近く地球の上では、暦がいらなくなる日が来るであろう」ううむ、はてな!)
 蟻田博士は、課長が困った顔をしているのを見ると、それ見たかと言わぬばかりに、にやりと笑って、部屋を出ていった。
 課長は、もうその後を追おうとはしなかった。
「はてな、どういう意味かしらん」
 課長は、ひとりごとを言うと、腕を組んで考えこんだ。
「ねえ、課長さん。あの博士は、変なんですよ。変な人の言うことを、本気になって考えていると、こっちもまた変になってしまいますよ」
 佐々(さっさ)という、年の若い、顔の赤い元気な刑事が、課長の後へ来て、なだめるように言った。
「うむ、博士は変かもしれないとは思っていたが、それにしても、今の言葉は、変に気になる言葉じゃないか」
「なあに、気にするからいけないのですよ。あんなことを、なにも考えることはありませんよ。僕だって、変なことなら、なんでも言えますよ」
「ほう、言えるかね」
「言えますとも。たとえば、猫がピストルを握って、人を殺したぜ。いや、今日、僕の前をラジオが通りかかったので、右手で掴まえたよ。どうです、こんなことなら、いくらでも言えますよ」
 佐々刑事は、口から出まかせを言う。
 だが、課長は笑いもせずに言った。
「いや、博士の言った謎は、そんなふざけたものとはちがうようだ。もっと、ほんとうのことがはいっている。これは、明日までに、よく考えて見ることにしよう」

 蟻田老博士が、かえりぎわに、なげつけていった謎の言葉を、大江山課長は、その夜も大いに考えた。しかしどうも、一向にとけなかった。
 明くれば、その翌朝、課長は、警視庁へ出勤する道すがらも、バスの中で、いろいろ考えつづけたが、やはりとけなかった。
(近く地球のうえでは、暦がいらなくなる――とは、はてな)
 出勤してみると、大江山課長は、或る別の事件で、急に目がまわるようないそがしさとなった。それがため、あれほど気になっていた老博士の謎だったが、いそがしさにまぎれて、忘れるともなく、忘れてしまった。
 それは、一週間ほど、のちのことだった。
 ふと、大江山課長は、蟻田博士がぶつけていったあの謎の言葉のことを、思いだした。
(はて、あれは、どこまで考えたのだったかなあ)
 大江山課長は、それを思いだすのに、たいへん骨が折れた。それとともに、課長は、ふしぎな気持におそわれた。それは外でもない。あれほど、ぎゃんぎゃんやかましいことをいった蟻田博士が、その後うんともすんともいってこないことだった。
 課長は、その日も時間がたつにしたがって、博士のことが気がかりになった。そこで彼は、部下の刑事をよびだした。
「おい、佐々(さっさ)。君、これからすぐ出かけて、蟻田博士がなにをしているか、様子をみてきてくれ」
「ははあ、いよいよまた始りますね」
「なにが、始るって」
「いや、変な人相手の、新こんにゃく問答が始るんでしょう。こんどは、こっちも負けずに、でたらめな文句を用意していって、変な博士をあべこべに、おどかしてやるかな。うわっはっはっ」
 佐々刑事は帽子をつかんで、課長の部屋をとびだした。が、しばらくすると、彼は顔色をかえて、戻ってきた。
「課長、いけませんや」
 顔色をかえて戻ってきた佐々刑事は、大江山課長の机のうえに、はいあがるような恰好をして、ものものしいこえを出した。
「どうしたのか、佐々」
 課長も、胸になにかしら、するどいものを突込まれたような感じがした。
「課長! 蟻田博士が、姿を消してしまったんです」
「姿を消した? すると家出したのか、それとも殺されたのか、どっちだ」
 大江山課長も、息をはずませて、問いかえした。
 全く、厄介(やっかい)なことになったものである。「火星兵団」をいいだした博士が、奇怪な謎をのこしたまま姿を消すなんて、めいわくな話である。
「わしの外(ほか)に、この謎をとく力をもった人間は、居ないであろう」
 などと、大きなことをいった博士である。
 それは、いくぶん大げさにいったのであろうが、それにしても、謎を出した御当人がいなくなっては、たいへん困る。
 ――大江山課長は、佐々がどんな返事をするかと、目をすえて待っている。
 佐々は、課長が、家出か殺されたのかと急な問いをかけたので、鳩が豆鉄砲(まめでっぽう)をくらったように、目をまるくして、しばらくは口がきけなかったが、やがて、ごくりと唾(つば)をのんだ。
「ええええ、そ、それは……」
 佐々は、あわてると、つかえる癖(くせ)があった。
「そ、それは――つまり、蟻田博士は、いつの間にか、天文室からいなくなったのです。机の上も、望遠鏡の位置も、博士がその部屋にいるときと、全く同じ有様です。天窓も、あけ放しです。ですから天体望遠鏡にも、机の上においた論文や本のうえにも、露がしっとりおりて、べとべとです」
「ふうむ、なるほど」
「だから、博士は、ちょっと便所にでもいくような工合に、行方不明になったんです」
 蟻田老博士の行方不明!
「火星兵団」の謎を解く力のあるのは、自分だけだと、いばっていたその老博士が、とつぜんいなくなったのだ。
 佐々刑事が、大江山課長に、今報告したところによると、博士の邸内にある天文室の様子は、ふだんとすこしも変らず、天窓はあけ放しになっていて、机の上にも、望遠鏡にも、露がおりているというのだ。
「博士が部屋から姿を消したのは、何時(いつ)のことかね」
 と、大江山課長は、たずねた。
「それは、わかりませんよ。あの邸内には、博士一人が住んでいるだけなんですから、誰も知らないのです」
「ふむ、博士は一人で暮しているのか。じゃあ、食事などは、どうするのだろうか」
「食事は、外に食べにいったり、または、パンなどを買いためておいて、それを出して食べているらしいんですよ。私がさっきいった時も、包紙から、パンが顔を半分出していました」
 博士は、よほどの変り者である。
「でも一日のうちには、誰か博士邸をたずねて来る者がありそうなものだ。たとえば、ガスのメートルを見るために、ガス会社の人が来るとか、洗濯物の御用聞がやって来るとか、そんな者が、ありそうではないか」
「さあ、どうですかな。今後の調べを待つほかはありませんね」
「ふうん、そいつは弱ったね」
 と、課長は眉の間に、しわをよせて、考えこんだ。
「どうしますか。ラジオ自動車隊へ、すぐ手配をしてはどうですか」
「いや、そんなことはしない方がいい。おい佐々。君、案内してくれ。僕がいって、一つよく、調べてみよう」
「えっ、課長と私と二人きりで……」
「そうだ」
 と、課長はうなずき、
「それから博士の失踪のことは、当分世間へは秘密にしておくのだ」


   4 わからない話


 蟻田老博士の行方不明になった事件は、新聞にも出なかったし、ラジオのニュースでも放送されなかった。
 そのわけは、主として大江山捜査課長のふかい考えで、世間には知らせない方がいいということになったのである。報道禁止命令が、新聞社へも放送局へも発せられた。そうして、課長の部下は、老博士の行方をつきとめるために、四方八方に散って、大活動を始めた。
 だが、老博士の行方は、いつまでも、なかなかわからなかった。
 そのうちに、二十日(はつか)ほどの日数が過ぎてしまった。ちょうどそのころ、読者もまだよくおぼえておられることと思うが、あの天狗岩事件が起ったのである。
 天狗岩事件といえば、友永千二少年が、夜釣にいく途中、はからずも天狗岩の上に、怪しい物体が飛んで来たのを見つけ、それから彼は勇敢にも、天狗岩へ上ったところ、怪しい者に組みつかれ、もみあううちに、両方もろとも、天狗岩をすべって、どぼんと湖の中に落ちてしまった事件のことだった。
 だから、その当時、蟻田老博士は行方不明のままだし、そこへ持って来て千葉県下の出来事ながら、奇怪な天狗岩事件が持上ったわけである。この二つの怪事件の間には、何かつながりがあるのか、どうであろうか。
 いや、それよりも、友永千二少年は、その後どうなったのであろうか。湖の中に落ちて、そのまま溺れ死んでしまったのであろうか。
 千二少年は、生きていた。
 彼は今、ふと我に返った。とたんに感じたことは、なんだか、大変長い夢を見つづけていたということであった。
「ああっ――」
 千二は、うす眼をひらいた。
「ああっ――」
 千二少年が、正気をとりもどしたときに、まずはじめて感じたものは、においだった。それはじつに異様なにおいだった。
 彼は、くすんくすんと鼻をならして、そのにおいが、なんのにおいであるかを知ろうとした。だが、彼のおぼえているものに、そんなにおいのするものはなかった。しいて、それに似たにおいをさがしてみると、牛小屋の傍(かたわ)らを通ったときの、あのたまらないにおい――そのにおいを、もすこし上等にして、その中へ海草のにおいをまぜると、いま千二がかいでいる異様なにおいに近いものになる。けれども、牛小屋と海草のにおいを合わせただけではない。そのうえに、もう一つ、なんだかにおったことのない、妙にぴりぴりしたにおいが交っていたのである。なんとなくうまそうでいて、そしてむかむかするにおいだ。
 におったことのない妙なにおい!
 それも道理であった。これこそ、火星の生物の汗のにおいであったのだ。火星の生物の汗のにおいが、その部屋一ぱいに、みちていたのである。
 はじめ千二は、ちょっといいにおいだと思ったけれど、間もなく胸がむかむかしてきた。それほどいやらしいにおいであった。
 そのとき、ぎーぃと音がして、誰かが近づいた気配(けはい)である。
 千二は、ぱっと眼をひらいた。それまで千二は、正気にかえったとはいうものの、ぐったりして眼をつぶって、ただ鼻ににおいだけを感じていたのだった。
「おい君、いま元気にしてやるぜ」
 うす桃色の湯気の中から、とつぜん、この言葉が聞えたのである。
「えっ」
 千二少年は、その方を見た。
 湯気は、もうもうと渦を巻いていた。その向こうに、何者か立っている。ぼんやりと、頭のかっこうのようなまるいものが見えた。
「だ、誰?」
 千二は、まるい頭のようなものに、声をかけた。
「誰でもない。おれだよ」
 湯気の中から、ぬっと姿をあらわした者があった。
 頭には、つばの広い、黒い中折帽子をかぶり、そうして同じ黒い色の長い外套(がいとう)を、引きずるように着た大男であった。
 黒い色のレンズのはまった大きな眼鏡をかけているので、人相のところは、はっきりしない。
 その眼鏡の上には、太い眉毛がのぞいている。
 鼻は、まるで作り物のように、すべっこくて、きちんと三角形をなして、とがっている
 唇は、肉がうすくて、たいへん横に長い。
 あごのあたりは、よく見えない。外套の襟(えり)を立てて、その中に頬から下を、ふかく埋めているのである。
 胴中(どうなか)は、さっきも言ったように、たいへんふといのであるが、両方の腕は、外套の上からではあるが、たいへん細くて長い。だから胴中と腕とが、妙につりあわない。全く、千二少年の知らないおじさんだった。
 千二は、この黒いものずくめの、かっこうの悪いおじさんを一目みた時に、すでにもう、たいへんいやな気持になった。遠慮なく言うと、蜘蛛(くも)の化物(ばけもの)みたいな人間なんだから……
「誰です。おじさんは!」
「おじさん? おじさんて、何のことかね」
「おじさんというのは、あんたのことをさして言ったんですよ」
 おじさんという言葉を知らないなんて、変な大人(おとな)である。千二は、いよいようす気味が悪くなって、立上ろうとした。
 が、立上ることは出来なかった。よく見ると、彼の下半身は、何かで縛られているらしく、立とうとしても、体がいうことを聞かないのであった。
「ああ、こらこら。じっと寝ているがいい。今おれが、お前を元気にしてやるよ」
 と、蜘蛛の化物みたいな、その黒いものずくめの大男が言った。
「もう、たくさんです。それよりも、あんたは誰なのか、それを教えて下さい。そうして僕が、どうしてこんなところに来ているのだか、それを教えて下さい」
「はははは。そんなに気になるかね。ほんとうのことを言って聞かせてもいいが、お前がおどろくだろうから、まあ、やめにしよう」
「そんなことを言わないで、教えて下さいな」
「そうか。きっとおどろかない約束をするなら、教えてやってもいい」
 その蜘蛛の化物みたいな大男は、ものを言うたびに、唇を境にして、鼻の下からあごまでの間が、障子紙のように、ぶるぶるふるえるのだった。どうも只者ではない。
「僕、おどろいたりしませんよ」
 千二少年は、心の中に決心した。どんなことがあっても、おどろくまいと。
「そうか。きっとおどろかないな」
 と、その大男は念をおして、
「では教えてやろう。いいかね。お前が今こうしているところは、火星のボートの中だ。そうしてこの中には、火星の生物が、十四、五体も乗組んでいるのだ」
「えっ、火星のボートの中ですって」
「なんだ。やっぱりおどろくじゃないか」
 火星のボートの中! これがおどろかないでおられようか。
 火星のボートの中に、千二はいたのである。何時(いつ)の間に、火星のボートの中にはいったのか、さっぱりわからない。
「すると、僕の体は、もう地球から離れてしまったのですね」
「ううっ、まあそのへんのことは、何とでも考えたがよかろう」
 蜘蛛の化物みたいな大男は、ちょっとあわてたらしかったが、ともかく返事はした。
 そうか、火星のボートの中か。道理で変なにおいがすると思った。こんな変なにおいは、地球の上ではないにおいだ。
 だが、ボートにしては、天井があるのが、不思議である。火星では、天井のあるボートを使うのだろうか。
「おい。お前を今元気にしてやるから、そのうえで、一つ頼みたいことがあるんだ」
 その男は、突然用事のことを話しかけた。
「頼みたいことですって」
 千二は、目をぱちぱちして、この不思議な男の顔を見上げた。
「一体、おじさんは、何という人なの。ああそうか。おじさんも、やはり火星の生物なんだね」
 そうだ、それに違いない。人間と同じ恰好をしていたので、今まで、人間のように思って話をしてきた。しかし火星のボートの中にいて、いばっているからには、やはり火星の生物に違いない。しかし、それにしては、日本語がこんなにうまいのは、どうしたということであろう。
「お、おれのことかね」
 と、その大男は、またどぎまぎしているようだったが、やがて蜘蛛のように肩を張ると、
「お、おれは人間さ。お前と同じ人間なんだよ。ほら、よくごらん。人間と同じ顔をしているだろう。話だって、よくわかるだろう。火星の生物じゃないさ。だから、おれをこわがることはない。仲好くしようや」
 と、そのきみのわるい大男は言うのであった。とんでもないことだと、千二は心の中で思ったが、口に出しては、この大男をおこらせるだろうと思って、やめた。
「おじさんは、ほんとうに人間ですか」
「そ、それにちがいない。なぜ、そんなくだらんことを聞くのか」
「でも、変ですね。火星のボートの中に、地球の人間が一しょにいるなんて」
 千二は、生まれつき胆はふとい方だった。始めは、びっくりして、すこし、あわてていたが、だんだん気が落ちついて来た。
「べつに、変なことはない。まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。おれのたのみを聞いてくれれば、たくさんお礼をするよ」
「さっきから、たのみがあると言っているのは、どんなことですか」
 こんなきみのわるい男にたのまれる用事なら、どうせ、ろくなことではあるまい。
「なあに、ちょっとした買物があるんだ。くすりを買いたいんだ。それについていってもらいたい」
「えっ、くすりの買物? どこへ買いにいくのですか」
「どこでも近いところがいい。たくさんくすりを売っているところがいいのだが、東京までいった方がいいだろうね」
「東京? へえ、東京ですか。ははあ、すると、僕たちは、また地球にまいもどるのですか」
「ふふん、それはまあ、なんとでも考えるさ。とにかく東京までいこうじゃないか。今すぐお前を元気にしてやるから、待っていろ。元気にしてやらないと、途中で歩けなくなっては困るからね」
 大男は、向こうへいこうとする。それを見て千二は、うしろから呼びかけた。
「おじさん、ちょっと待ってください。おじさんの名前は、なんというのですか」
「おれの名前か。それは――」
 と、かの大男は、背中を見せたまま、だまって立っていた。すぐには、名前が出て来ないらしい。
「おじさんは名前がないのですか」
「ばかを言え。おれの名前は……」
 と、彼はうなっていたが、
「そうだ、おれの名前は、丸木(まるき)というんだ。丸木だ。よくおぼえておけ」
 そう言うなり、丸木と名乗る大男は、うす桃色の湯気(ゆげ)の彼方に、姿を消してしまった。
 あとには千二一人がのこった。あいかわらず、寝かされたままである。からだは、やはり思うように、うごかない。一体どんなものをつかって、自分のからだを縛ってあるのか、それをたしかめるために、首をもち上げようとしたが、首がじゅうぶんに上らない。のどのところも、何ものかで、床に縛りつけられているらしい。千二は、いつの間にか、彼が捕虜(ほりょ)になっていることに気がついた。
 捕虜といっても、あたり前の捕虜ではない。火星の生物が乗組んでいる火星のボートの中に、捕虜となってしまったのである。これから先どうされるのであろうか。このまま火星へつれていかれるのであろうか。それとも火星の生物の餌食になってしまうのであろうか。考えれば考えるほど、不安はだんだん大きくなって来る。こうなると、うす気味わるい男ではあるが、あの黒いものずくめの、丸木と名乗るおじさんを、たよるしかない。
 その時、とつぜん、湯気の向こうに、火花のようなものが、ぱっときらめいたかと思う間もなく、千二は全身に、数千本の針をふきつけられたように感じた。
「あっ、いたい」
 だが、それは針ではなかった。全身がぴりぴり痛むのだった。電気にさわった時の感じと同じだ。いつまでもぴりぴりと痛む。
 ぴりぴりと、はげしい痛みが、千二のからだを、だんだんつよくしめつけていった。
「あっ、苦しい」
 おしまいに、千二はもう息が出来ないくらい、苦しくなった。
「おうい、丸木さあん」
 千二は、遂(つい)に悲鳴をあげた。このままこのぴりぴりが続いたら、彼の血管(けっかん)は裂(さ)けてしまうだろうと思われた。
「丸木さん、早く来て……」
 と、千二は、歯をくいしばって叫んだ。
 すると、とたんに、そのぴりぴりが止った。
 湯気の向こうから、誰かのっそりと出て来た。見ると、それは外ならぬ丸木であった。
「なあんだ、人間というやつは、ずいぶん弱いものだなあ、はははは」
 丸木は、笑い声をあげた。しかし千二は、丸木が笑い声をあげているのに、その顔は少しも笑っているような顔に見えないのを、不思議に思った。それからもう一つ、「なあんだ、人間というやつは、ずいぶん弱いものだなあ」などと、自分も人間のくせに、人間の悪口を言ったのを、たいへん変に感じた。
「どうだ、千二。体に元気が出て来たろう」
「えっ」
 言われて気がついた。なるほど、さっきまで、手足が抜けるようにだるかったのに、今はすっかりなおってしまった。そうして筋肉がひきしまって、その場にぴょんと飛上りたいほどの気持だった。
「ほう、これは不思議だ」
 と、千二が目をぱちくりさせると、
「さあ、千二。さあ起きろ、起きろ」
「起きろと言っても、僕は縛られているんです。起上れるものですか」
「それはもう解いたよ。起きろ。起きてこれからすぐ、買物にいくんだ」
 丸木は、心得顔に言った。


   5 あ、火星の生物!


 丸木の言ったことはうそではなかった。まさか起上れないだろうと思って、千二は、ためしに首をもたげた。すると、ちゃんと首が上るのだった。
 おやおや、不思議だと思い、今度は両手をついて、上半身を起してみると、なるほどちゃんと上半身が起上った。(あっ、いつの間に、縄を解いたのかしら)
 飛起きて、千二は足元を見まわした。彼のからだを縛っていた縄が、そこらに落ちているだろうと思ったのである。
 だが、足元には、細紐(ほそひも)一本すら、落ちてはいなかった。まるで見えない透明の縄で、からだを縛られていたようだ。
「さあ、こっちへ来い」
 丸木は、大きな声で、千二をよびつけた。
「え、どうするのです、この僕を」
「どうするって、これから東京へいくのじゃないか。東京へ着くまでは、これで目隠しをしておく。あばれちゃいけないぞ」
 丸木の言葉が終るか終らないうちに、千二の目は、急に見えなくなった。
「あっ!」
 と、千二は、両手を目のところへもっていった。目をこすろうとしたのだ。ところが、おどろいた。ちょうど目の前が、ゴム毬を半分に切ったようなやわらかいもので、蓋をしたようになっている。
「こんなもの!」
 と、千二は、そのゴム毬の半分みたいなものを、むしり取ろうとしたが、つるつるすべるだけで、そのもの自身は、かたく目を蓋していて、取れない。
「あははは。何をしているのか。お前の力ぐらいでは、取れやしないよ。さあさあ、しばらくの間だ。がまんしろ」
 そう言うと、丸木は、千二の背中をどんとついた。千二は、あっと言って、たおれた。その時、何だか、ばさりと音がして、千二の首から下を包んでしまったものがある。
 千二は、目かくしをされたまま、袋のようなものの中に入れられた。
 どうなることかと、彼は気が気ではなかった。
 そのうちに、丸木が、
「どっこいしょ」
 と、かけごえをしたと思うと、千二の体は袋にはいったまま宙に浮いた。
 それから丸木は、歩き出した。
 千二の体は、袋の中で、たいへん揺れた。
 しばらくすると、袋のまわりにひゅうひゅうという鳴き声が、集って来た。ひゅうひゅうひゅうと、しきりに鳴き合わせている。
「あっ、例の怪しい声だ!」
 千二の胸はどきどきして来た。それとともに、珍しいにおいが、ぷんぷんにおうのであった。
(うむ。丸木さんが、さっき言ったが、火星の生物が、袋の外に集って来たのに違いない。あの、ひゅうひゅうという口笛を吹くような声、それからこの気もちの悪いへんなにおい、この二つが見附かると、そこに火星の生物がいると考えていいんだ)
 千二少年は、たいへん大事なことを知った。これから、この二つのことに気を附けていると、そこに、火星の生物がいるか、いないかがわかると思った。
 それにしても、丸木のおじさんという人は不思議なおじさんである。火星の生物と、おそれ気もなく話をしている。一体、このおじさんは、何者なのであろうか。この次によく尋ねてみることにしようと、千二は思った。
 丸木のおじさんと火星の生物との話は、しばらくしてすんだらしい。丸木のおじさんは、火星語が出来るようだ。例のひゅうひゅうとしか、聞きとれない言葉である。
「おい、千二。しばらく目が廻るかも知れんが、我慢しろよ」
 突然、丸木の声が聞えた。
 目がまわるかもしれないが、がまんをしろと、丸木の注意である。
 その言葉が終るか終らないうちに、しゅうしゅうとはげしい音が始った。蒸気がふき出すような音であった。
 それと同時に、袋の中に、はいっている千二の体は、ゴム毬が転がるように、ぐるぐるまわりだした。
「わっ、目がまわる!」
 目がまわって、胸が悪くなった。千二はよだれをだらだらと出した。
「丸木さん、僕は苦しいよ」
 千二はとうとう悲鳴をあげた。
 だが、その声は、しゅうしゅうという音にかき消されて、丸木の耳には達しなかったようである。丸木は、うんともすんとも返事をしなかった。
 どうなることかと、千二は気が気ではなかった。
 しかし、それはものの四、五分しかつづかなかった。しゅうしゅうという音がとまった。
「さあ、千二。外へ出るんだ」
 千二は、袋の中から出してもらえるのだとばかり考えていた。しかしそれはまちがいだった。千二は袋ごと、どさっと下におろされた。その時彼はひやりとした大地を感じた。そうして、ぴちゃりぴちゃりと、さざなみが汀(みぎわ)を叩くらしい音を聞いたと思った。
「ああ湖の近くだ」
 千二は、おぼえのある磯くさいにおいをさえ、かぎわけた。
「ねえ、丸木のおじさん。僕をちょっと外へ出して下さいよ」
「外へ出して、どうするんだ」
 丸木が、怒ったような声でたずねた。
「ちょっとうちへ寄っていきたいんです」
「だめだめ。そんなことはだめだ!」
 丸木は、あたまごなしに叱りつけて、
「これから東京へ出るんだ。しっかりつかまっていろ」
 外へ出してやるぞと丸木が言ったのは、千二を袋から外へ出すことではなかった。後になって考えて見ると、あの時千二は、湖の底から、何かある乗物に乗って、水面に浮かび出たものと思われる。それを操縦したのは、もちろん丸木にちがいなかったが、その乗物は、一体どんな乗物であったか、それをここに書くと、誰でもびっくりするであろう。
「さあ、出発だ。いいかね」
 丸木が、そう言うと、千二の体は、ふたたび袋の中でゆられ出した。しかし今度は、もうしゅうしゅうと音はしない。丸木が、千二のはいった袋を肩にかけて、歩き出したと思われる。
 丸木は、どんどん歩きつづけた。
「丸木さん、汽車に乗っていかないの」
 千二は、袋の中から声をかけた。
「汽車?」
 丸木は、ちょっと言葉を切って、
「汽車なんかをつかうより、歩いた方が早いや」
「うそばっかり」
 千二は、丸木が、汽車より早く歩けると言ったので、うそつきだと思った。
 しかし、これは後に、千二の考えちがいだったことがわかった。いや、妙な話である。たいへんな話である。
 袋の中にゆられながら、千二は、その間に、これまでのことをふりかえってみた。するといろいろと腑におちないことが、たくさん出て来た。
 中でも千二にとって不思議でたまらないのは、この丸木が、いつの間にか千二の名を知っていたことである。千二は、まだ一度も彼の名前を名乗らなかったし、服のどこにも名前は書いてないのだ。
 丸木というこのおじさんは、考えれば考えるほど、うす気味の悪いおじさんだ。
「ここには火星の生物がいるのだ」と、驚きもせずに言ったのも、丸木だった。
 千二を袋の中に入れ、それをかついで走る丸木という人物は、考えれば考えるほど、腑に落ちないところのある人物だ。どうしても、ただの人間とは思われない。
 千二は袋の中から、声をかけた。
「ねえ、丸木さん。おじさんは、なぜ火星のボートの中にいたの。僕が火星のボートの中で、目をさました時、おじさんは隣の部屋から出て来たでしょう。すると、おじさんは、僕より早くから、あのボートの中にいたわけね」
 丸木は、どんどんスピードをあげて、走り続けながら、
「こら、千二。よけいな口をきくものじゃないよ。だまっていなさい」
 と、叱りつけた。丸木は、たいへん気をわるくしているらしいことが、その声からわかった。
 千二は丸木に叱られて、しばらく黙っていた。しかし彼は、間もなくまた丸木に話しかけた。
「ねえ、丸木さん。今は、まだ昼かしらん、それとも夜かしらん」
「よく喋る子供だな。そんなことぐらい、きかなくても、わかるじゃないか」
 丸木の返事は、あいかわらず、ぶっきらぼうであった。
「僕には、昼だか夜だか、どっちだかわからないんですよ。だって、僕は、厳重な目かくしをされているんだもの」
「ああ、そうだったね」丸木は、ようやく思い出したらしい。「いまは夜だよ。外は、真暗(まっくら)で、どの家も戸をしめているよ。そんなことを聞いて、一体どうする気だ」
「そして今、幾時?」
「時刻か、さあ、幾時だかわからない」
「おじさんは、時計をもっていないの」
「時計? 時計なんか持っているものか。おい千二。東京へ近くなったから、もうお喋りしちゃならんぞ」
「えっ、もう東京の近くまで来たの」
 千二は、丸木の足のはやいのにおどろいた。さっきから、まだものの二十分とたっていないのに、はや東京の近くへやって来たというのだ。そんなばかげた話はない。千二は、丸木がうそをついているのだと思った。
 丸木は、かまわず、どんどんと駈けつづけた。しばらくして、丸木はこえをかけた。
「おい千二、もう東京の中だ。買物をするのには、銀座がいいのだろうね」
「さあ、僕はよく知らない。だって僕は、そう幾度も東京へ来たことがないんだもの」
「なあんだ。お前は、こんな近い東京をよく知らないのか。とにかく、銀座へ出よう。さあ、このへんなら、人通りがないから、お前の目かくしを取るには、いい場所だ」
 そう言うと、丸木ははじめて足をとめた。そうして袋の中にはいっていた千二は、丸木の肩から下された。
「今、中から出してやるし、目かくしもとってやるが、その前に一つ、きびしく言っておくことがある」
 丸木は言葉のおしりに、力を入れて言った。
 千二は、丸木が何を言出すかと、だまって、待っていた。
「いいか。忘れないように、よく聞いているんだぞ。ここでお前のからだを自由にしてやる。しかし買物が終らないうちに逃出したりすると、お前の命があぶないぞ。命が惜しければ、よく言うことを聞くんだ。わかったか」
 千二は、丸木からおどかされて、ほんとうのところは、腹が立った。
(なにを、この野郎!)
 と思った。千二少年も日本人である。むやみにおどかされて、それでおめおめ引込んでいるような、弱虫ではない。だが、この場合、千二は、丸木ととっくみあいをする時ではないと思ったので、
「僕、逃げたりなんかしないよ」
 と答えた。
「逃げないと言ったな。よし、その言葉を忘れるな。ふふふふ。やっぱり人間という奴は、命がおしいとみえる」
 と、丸木は、ふふふふと、鼻の先で笑いながら、千二を袋の中から、ひっぱり出した。
「さあ、ちゃんと立ってみろ。うしろを向いて、しっかり立てと言うんだ」
 千二の足は、ふらふらだった。袋の中で、へんな工合に足をまげていたので、足が変になっていた。
 丸木は、千二の頭の後で、ごとごとやっていたが、そのうちに、千二の目の中に、ぱっと夜の光が飛びこんで来た。
 うつくしい広告灯の灯だった。銀座が、千二のすぐ目の前に立っていた。
「あっ、ほんとうにもう東京へ来たんだ。丸木さん、僕たちは、さっき千葉県にいたはずだけれど、どうしてこんなに早く東京へ着いたの」
「そんなこと、どうでもいいじゃないか」
 すぐ横で、丸木のこえがした。
 千二が、横をふりむくと、そこには、例の黒ずくめの服装をした丸木が、眼鏡をきらきらさせて、立っていた。
「さあ、薬屋へいくんだ。いいかね。逃げると承知しないぞ」
 そう言って丸木は、千二の手を握った。
 それは氷のように冷たい手だった。いや、丸木は革の手袋をはめているらしい。
 二人の立っているところは、銀座裏の掘り割りのそばで、人通りはなかった。だからこの二人は、怪しまれることもなしに、こんな会話をすることが出来た。
「薬屋へいって、なにを買うの」
「ボロンという薬だ。ボロンの大きな壜を、二、三本買いたいのだ」
「ボロンを、どうするの。何に使うの」
「おだまり。お前は、早く薬屋をさがせばいいのだ」


   6 悪人(あくにん)丸木(まるき)


 丸木におどかされながら、千二は、賑やかな銀座の通に、ようやく一軒の薬屋さんを見つけて、その店先をくぐった。
 千二は薬剤師らしい白い服を着た店員に、
「あのう、ボロンの大壜(おおびん)を二、三本売ってくれませんか」
 と、おそるおそる言った。
「ボロン? ボロン? 硼素(ほうそ)のことですか」
「さあ……」
「白い粉末になっているやつでしょう」
「さあ、どうですかねえ」
 千二は、何も知らないので、弱ってうしろをふり向いた。すると、店先で、他人をよそおっていた丸木が、
(それだ、それだ)
 という意味を千二につたえるため、うなずいてみせた。千二は、元気づいて、
「ああそれですよ。白い粉末のボロンです」
「精製のものと、普通のものとありますが、どっちにしましょうか」
「さあ、精製のと普通のと、どちらがいいのでしょうかねえ」
 千二は、またうしろをふり返った。すると丸木は、手を上にあげて、信号をした。精製の方のがいいという意味らしい。
「いい方を下さい」
「はい、承知しました。三本でよろしいのですね。では一本、ただ今二円三十銭ですから、三本で、六円九十銭いただきます」
「六円九十銭ですとさ」
 千二は、丸木の方をふり返って、そう言った。
 すると、おもいがけなく、丸木が急に、そわそわしだした。
 たいへんあわてているのであった。彼はしきりに胸のところを叩いている。何かよほど困ったことがあるらしい。
「丸木さん、一体どうしたの」
 千二は、丸木のところへやって来て、わけをたずねた。
 丸木は、いかめしい姿に似合わず、ひどくあわてている。その様子が、ますますはげしくなった。
「おい千二。お前、金を持っていないか」
「僕? 僕は、お金なんかすこしも持っていない。なにしろ、魚をとりにいくために家を出かけたので、お金なんか一銭も持っていないですよ」
「そうか。それは、どうも困った」
「丸木さんは、お金を持っていないの。なくしたんですか」
「いや、お金のことは知っていたが、ついそれを用意することを忘れた。そうだ、買物をする時には、お金がいるんだったなあ。ああ、大失敗だ」
 丸木は、ひとりでさわいでいる。
「じゃあ、ボロンを買うのは中止ですね」
「それは困る。どうしても、ボロンを買っていかなければ、困ることがあるのだ」
 丸木は、今はもう自分に代って、千二に用事をしてもらっていることが、がまん出来なくなった。彼はいきなり薬剤師の白い服をつかまえ、
「ねえ君、金はあとでとどけるから、ボロンを渡してくれたまえ」
 薬剤師はおどろいた。いきなりお客さんに、自分の服をひっぱられたのだから。
「あっ、そう乱暴しちゃ服がやぶれますよ。はなして下さい」
「ぜひ、ぜひボロンをたのむ」
 丸木は、必死であった。
「いや、いけません」
 年のわかい薬剤師はすこし怒っているらしく、きっぱり丸木のたのみをしりぞけた。
「そう言わないで。あとから君にも、たっぷりお礼をする」
「いや、だめです。お金を持って来なければ、ボロンでも何でもお渡し出来ません」
「どうしても、だめか」
 と、丸木はうらめしそうに、薬剤師をにらみつけた。
「お金を持って来ない人に、どんどん薬を上げていたのでは、商売になりませんや。じょうだんじゃありませんよ」
 と、若い薬剤師は、丸木にからかわれたとでも思ったのか、本気になって、怒っている。
「ふふん。どうしてもだめか」
 丸木は、あらあらしい息で、またうなった。全く気味のわるい人物である。
「ああ金! 金さえ持って来れば、ボロンを売ってくれるんだな」
「もちろんですよ。たった六円九十銭ぐらいのお金に、おこまりになるような方とも見えません。じょうだんはおよしになって下さいよ。本気のお買物なら、もう午後九時も近くなりましたから、早くお願いいたします」
「金は、今ここに持っていないのだ。だが、すぐあとから持って来る。金を持って来れば、かならずボロンの大壜を三つ渡してくれるね」
「そんなに、くどくおっしゃって下さらなくとも、大丈夫です。かならずお渡しいたします」
「きっとですぞ。きっとだ! もしそれをまちがえたら……」
 と言いかけて、丸木は、後の言葉をのみこみ、
「いや、すぐにお金を持って来る。待っていてくれたまえ」
 おし問答のはて、丸木は薬屋の店をとび出した。
「おい千二。お金を手に入れなければならないんだ。さあ、お前も来い」
 何を考えたか、丸木は、千二の手を取ってどんどん走りだした。
 もう午後九時は近い。が、銀座通は、昼間のように、たいへんにぎやかであった。
 丸木はその人込の中をわけていく。一体彼は、なぜお金を持っていないのであろうか。
 丸木は、千二の手を引いたまま、夜の銀座通の人波をかきわけて、どんどん前へ歩いていく。
「丸木さん、どこへいくの」
 千二が、心配になって聞くと、
「だまっておれ。声を出すと、ひねりころすぞ」
 丸木は気がいらいらしているらしく、ひどい言葉で、千二をしかりつけた。千二は、丸木の冷たい手から、自分の手をはなそうと試みたが、丸木の手は、まるで大きな釘抜のように、千二の手をしめつけていて、はなすことが出来なかった。
 丸木の歩調が、少しばかり遅くなった。彼はしきりに、いろいろなものを売っている店先に、目を向けている。そこには、美しく飾られた飾窓をのぞきこんでいる人もあれば、中で何か買物をしている人も見える。
「ああ、金だ、金だ」
 丸木は、時々ひとりごとを言った。
 そのうちに、丸木はぴったりと足を止めた。
「どうしたの、丸木さん」
「しっ、だまっておれと言うのに……」
 この時丸木の目は、大きな鞄店の中で、りっぱなハンドバッグをたくさん前に並べ、どれを買おうかと、しきりに見ている一人の年の若い、洋装の女の上に釘づけになっていた。
 やがて、その洋装の女は、中で一番りっぱな鰐革のハンドバッグを買った。その時かの女は、抱えていた白い蛇の革のハンドバッグの中から、たくさんの紙幣をつかみだして、店員に支払った。
「ああ金だ。たくさん金を持っている」
 丸木は、またうなった、そうして、買物をして出ていくその洋装女の後姿をふりかえって、じっとみつめていたが、
「おい千二。ここで待っていてくれ」
 と言った。
 丸木は、千二に向かって、ここに待っていてくれと言うのだ。
「ああ、待っていますよ」
 千二は、ひょっとすると、この間に、丸木の手から逃出すことが出来はしないかと思ったので、そう返事をした。
「すぐ、おれはここへ帰って来る」
 そう言置いて、丸木は千二をはなすと、すたすた歩き出した。
(どこへいくのだろう?)
 千二は、その時ふといやな気持になった。丸木は、さっき見とれていた、あの洋装女から、金を借りるつもりではないかと思ったのである。だしぬけにそんなことを頼まれては、さぞかし女の人は驚くだろう。
 千二は、たいへん心配になった。
「おうい、丸木さん」
 千二は、じっとしていられなくなって、丸木の後を追いかけた。
 だが、丸木の姿は、いつの間にか人込のなかに吸いこまれて、どこへいったのか、わからなくなった。それでも千二は、あっちへいったり、こっちへかえったり、いやな胸さわぎをおさえつつ、しきりに丸木の姿をさがしもとめたのだった。しかし、それは、遂にむだに終った。
 千二は、またいつの間にか、元の所へもどって来た。
「おい、千二」
 だしぬけに呼ばれて、千二はびっくりした。それは丸木だった。いつの間にか、丸木が帰って来ていたのだった。
「ああ、丸木さん。どうしたの」
「どうしたって、ふふふふ」と、丸木は、へんな笑い方をして、「お金はこんなにある。さあ、これを持っていって、あの薬屋で、ボロンの大壜を三本買ってくれ」
 そういう丸木の手には、たくさんの紙幣(さつ)が握られていた。不思議なことである。どこでこんな大金をつくったのか。
 どこから手に入れたか、丸木の握っている大金!
「丸木さん。このお金は、どこから持って来たんですか」
 千二は、息をはずませて、たずねた。
「ふふふふ。さっき、洋装の美しい女がいたのを、知らなかったかね。あの女が持っていた金だよ」
「はあ、そうですか。あの女の人が、丸木さんに貸してくれたというんですか」
「貸してくれたって。いや、ちがうよ。あの女の持っていたのを、こっちへもらって来たんだ。そんなことはどうでもいいじゃないか」
「すると、丸木さんは、あの女の人から、お金を取ったんですね。女の人は、きっと怒ったでしょう」
「ふん、怒ったかどうだか、ちょっとなぐりつけたら、おとなしくなって、地面に寝てしまったよ」
「えっ、そんなことをしたんですか。丸木さんはいけないなあ。女の人をいじめたりしちゃ、いけないですよ。もし、死んでしまったら、どうします」
「死ぬ? はははは、死ぬことが、そんなにたいへんな問題かね」
 丸木は、悪いことをしたと思わないのか、声高く笑った。
(ああ、悪い奴だ。丸木さんは、とんでもない悪人だ!)
 千二は、あきれてしまった。
「おい千二、何をぐずぐずしているのか。金が手にはいったんだから、すぐボロンを買うんだ。さあ、一しょにいってくれ」
 丸木の冷たくてかたい手が、千二の手くびをにぎった。千二は、丸木にひきずられるようにして、人影もようやく少くなった銀座の通を走った。そうして、例の薬屋の店先まで来た。その時丸木は、驚きの声をあげた。
「おや、この家だと思ったが、店がしまっている」
 薬屋の店は、もうしまっていた。そうであろう。商店法により、午後九時を過ぎると、店をしまう規則になっている。
 丸木は、ぷんぷんおこりだした。
 そうして、薬屋の戸を、われるようにどんどん叩いた。
「もしもし、さっきの店員の人。金を持って来たから、ボロンを売ってくれたまえ」
 店の中では、人の話しごえが聞えるが、だれも丸木にこたえる者がなかった。
「もしもし、さっき君は、金を持って来れば売るとやくそくしたじゃないか。さあ、ボロンを売ってくれたまえ」
 すると店内から、ばかにしたようなこえで返事があった。
「もう九時を過ぎましたから、商店法の規則で、品物はうれません。明日(あした)にして下さい」
 これを聞いて、丸木は、獣のようにおこりだした。
「おいおい、金を持って来れば、売ると言ったのに、それじゃあ話が違う。ぐずぐず言わないで、この戸をあけろ」
「そりゃ売ると言いましたが、今晩のうちに売るとは言わなかったですよ。商店法なんですから、なんといってもだめです」
「なにっ、どうしても売らないと言うのか。今になって売らないと言うなら、この戸を叩きこわして、はいるぞ」
「そんな乱暴なことをやっちゃ、だめですよ。しかしこの戸は、あなたのような乱暴な人をはいらせないために、かなり丈夫に出来ているんです。お気の毒さまですが、あなたの手が痛いだけですよ」
 店員もなかなか負けていない。丸木は、それを聞くと、益々たけりだした。
「これだけ言っても、言うことをきかないなら、わしは、好きなとおりにやる。お前などを相手にせんぞ!」
 そう言うと、丸木は二、三歩さがり、きっと戸をにらんだ。
 驚いたことに、戸はめりめりと鳴った。今にもこわれそうだ。
 丸木は、からだでもって、薬屋の戸にぶっつかる。
 見ている千二は、びっくりした。
「丸木さん、およしなさい」
 千二は、一生けんめい、丸木をとめにかかったが、丸木の耳には、もう千二の言葉などは、全く聞えないらしい。
 そのとき、千二は、妙な音を聞いた。
 ひゅう、ひゅう、ひゅう、ひゅう、ひゅう、ひゅう。千二は、その妙な音を聞きながら、
(あれ、あの音は、どこかで聞いた音だぞ)
 と思った。しかし彼はすぐさま、そのことを忘れてしまった。そのわけは、丸木が、ついに、めりめりと薬屋の戸をおしたおしてしまったからである。
「あっ、乱暴者!」
「おい、みんな、力を借せ。こいつを取りおさえて、交番へつきだすんだ」
 奥で顔をあらっていた店員たちも、どっと店にとび出した。そうして、十人近い人数で、一人の丸木をとりまいた。
 だが、丸木はすこしも、ひるまない。長い外套の下から、足をだして、店員たちを蹴たおした。丸木に蹴られた店員は、だれでも、ううといったきり、二度とおきあがって来なかった。
 残った店員たちは、この烈しい丸木のけんまくに、すこしおそれをなして、後へひきさがる。
 その間に、丸木は、薬の壜を並べた棚のところにとんで行って、壜の上にはってあるレッテルを一々見ては、ちがっていると見えて、かわるがわる両手につかんで、店員の方へなげとばす。劇薬も毒薬もあったものではない。さわぎは、ますます大きくなった。
 そのうちに、丸木は、大きな声でさけんだ。
「ああ、あった。ボロンの壜があったぞ」
 と、丸木は、その場におどりだした。
 その時、丸木の後頭部めがけて、野球のバットが飛んで来て、ぐわんと大きな音をたてた。店員の一人が、この乱暴者を静かにさせるため、ありあわせのバットで、丸木の後から、なぐりつけたのだった。
 だが、丸木は、それには一向驚かなかった。そうしてボロンの壜を大事そうに、幾度もなでまわした。
「あれっ、こいつ! びくともしないぞ。へんだなあ」
 店員は、もう一度力まかせに、バットを振って、丸木の頭をなぐりつけた。丸木の頭は、ぐわんといった。そのはげしい音では、頭が破(わ)れたかと思ったが、やはり丸木は平気だった。しかし、どうしたわけか、その時から丸木の首は、急に曲ってしまった。たいへん妙な工合で、まるでおもちゃの人形の首を、ぎゅっと曲げたような恰好であった。
 丸木は、それでも平気であった。首を曲げっ放しで、ボロンの壜を腹のところに抱えると、表へとび出した。
 店頭には、もちろん、このさわぎをみようというので、弥次馬連中が、わいわい集って来て、店内をのぞいていたが、丸木は、おそれ気もなく、その連中を垣でもおしたおすように突きのけて、一散に戸外に走り出したのだった。
「おうい、待て。薬品どろぼう、待て!」
 店員と弥次馬連中が一しょになって、丸木の後を追いかけた。店をしめて、静かになったばかりの銀座は、とんだことから、火事場のようなさわぎになった。
「あれっ、いないぞ。どこへ行ったんだろう!」
「おい薬品どろぼう、こっちへ出てこい」
 出て行くものもないだろうが、とにかくどこへ逃込んだか、丸木の行方はわからなくなった。


   7 やみとひかり


 銀座に起った怪事件については、あくる朝の新聞は、たいへん大きな見出しで、でかでかと書きたてた。
「怪人、銀座に現れ、薬屋を荒す」

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