のろのろ砲弾の驚異
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◇暇つぶし何某◇

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著者名:海野十三 

     1


 今私は、一人の客人を伴(ともな)って、この上海(シャンハイ)で有名な風変(ふうがわ)りな学者、金博士(きんはかせ)の許へ、案内していくところである。
 博士の住居(すまい)が、どこにあるか、知っている人は、ほんの僅かである。人はよく、博士が南京路(ナンキンろ)の雑鬧(ざっとう)の中を、擦(す)れ切った紫紺色(しこんしょく)の繍子(しゅうし)の服に身体を包み、ひどい猫脊(ねこぜ)を一層丸くして歩いているのを見かけるが、博士の住居を知っている者は、殆んどない。
 金博士の住居は、南京路でも一等値段がやすく、そして一等繁昌(はんじょう)している馬環(ばかん)という下等な一膳飯屋(いちぜんめしや)の地下にあるのだ。
「さあ、ここがその馬環です。どうです、たいへんな繁昌でしょうが」と私は、客人をふりかえった。「足の踏み入れようもないというのが正(まさ)にこの店のことだが、第一このむーんとする異様な匂いには、慣れないものは大閉口(だいへいこう)で、とたんにむかむかしてくる。だが、とにかくこの中へ入っていかねば、博士に会えないのだから、一時鼻をつまんで、息をしないようにして、私についていらっしゃい。邪魔になるお客さんは、遠慮なく突きとばしてよろしいのである。お客さんは、突きとばされて丼(どんぶり)の中に顔を突込(つっこ)もうと、誰も怒るものはいないであろう。遠慮していれば、いつまでたっても、奥へ通れない。さあ遠慮なく、こうして突きとばすですな。しかし懐中物(かいちゅうもの)だけは要慎(ようじん)したがいいですぞ。突きとばされるのを予(あらかじ)め待っていて、突きとばされると、とたんにこっちの懐中物を失敬する油断のならぬ客がいるからね。あれっ、もうやられたって。ああ待った。もうさわいでも駄目です。一度やられると、たとえやった犯人の顔がわかっていても、二度とお宝(たから)は出て来ないのです。さわぎたてると、どうせろくなことにはならない。また何か盗(と)られます。生命(いのち)などは、盗られたくないでしょうから。
 さあ、ようやく奥へ来ました。ここには小房(しょうぼう)が、いくつか並んでいる。こっちへ来てください。ここへ入りましょう。はいったら入口のカーテンを引きます。さあ、椅子に腰をおかけなさい。そして、両手でこの大きな円卓子(まるテーブル)を、しっかりと抑(おさ)えていてください。しっかりつかまっていないと、あとで舌を噛(か)んだり、ひっくりかえって腰をうったりしますよ。はい、今うごきます。秘密の釦(ボタン)を今押しましたから。そら床もろとも、下(お)りだしたでしょう。しっかり卓子につかまっていなさいといったのは、ここなんだ。そうです、この小室(しょうしつ)全体が、エレベーター仕掛(じかけ)になっているのです。床も天井も壁も、一緒に落ちていくのです。もう今はたいへんなスピードで落ちていますよ。なにしろ、これがエレベーターなら、地階三十階ぐらいに相当する下まで下りるのです。なにしろ、地面から測って、二百メートルもあるそうですからね。
 爆撃(ばくげき)をさけるためですかって。もちろんそれもありましょうが、もう一つの理由は、金博士は宇宙線を極度(きょくど)に避(さ)けて生活していられるのです。あの宇宙線なるものは、二六時中、どんな人間の身体でも、刺(さ)し貫(つらぬ)いているので……」
 話の途中に、エレベーターは停(とま)った。
 私は客人の手をとって、エレベーターを出ると、しばらくは真の闇(やみ)の中の通路を、手さぐりで歩いていった。
 二百メートルばかり歩いたところで、通路は行き停りとなる。そこで私は、今切り取ったばかりのような土の壁を、ととんとんと叩いた。すると、ぎーいと音がして、私たちは眩(まぶ)しい光の中に、放り出された。
 そういう段取(だんどり)になれば、私は間違(まちがい)なく、闇の迷路(めいろ)をうまく選(よ)り通ってきたことになるのである。下手をやれば、いつまでたっても、この光の壁にぶつからないで、しまいには、進むことも戻ることもならず、腹が減って、頭がふらふらになる。
 私は、はげしい目まいをおさえて、しばらく強い光の中に、うつ伏(ぶ)していた。土竜(もぐら)ならずとも、この光線浴(こうせんよく)には参る。これも博士の警戒手段の一つである。
 私は、ようやく光になれて、顔をあげることが出来た。
「やあ金博士。とつぜんでしたが、ロッセ氏を案内して、お邪魔(じゃま)に参(まい)りました」
「ほう、その人は、英国人(えいこくじん)じゃないだろうな。英国人なら、ここには無用だから、さっさと帰ってもらおう」
 と、金博士は、大きなウルトラマリン色の色眼鏡(いろめがね)を手でおさえながら、椅子のうえから立ち上ったのであった。


     2


 博士は、大の英国嫌いである。英国人と酒とは、大嫌いであった。
「ああ博士。ロッセ氏は日本人です」
「本当か、綿貫(わたぬき)君。氏は、日本人にしては色が黒すぎるではないか」
 綿貫とは、私の名前だ。
「氏は、帰化(きか)日本人です。その前は、印度(インド)に籍(せき)がありました」
「どうぞよろしく」
 ロッセ氏は、流暢(りゅうちょう)な日本語で、金博士にいんぎんな挨拶(あいさつ)をした。
 博士は、無言のまま肯(うなず)いて、私たちに椅子を指すと、自分は再び椅子に腰をおろした。私たちの囲んだ机の上には、何をやっているのか分らないが、夥(おびただ)しい紙片(しへん)が散らばっていた。そして紙片の上には、むずかしい数字の式が、まるで蟻(あり)の行列のように、丹念(たんねん)に書き込んであった。
「きょうお連れしたロッセ氏は、電気砲学の権威です」と、私は紹介の労をとって、「ロッセ氏は、三ヶ月程前に、初速(しょそく)が一万メートルを出す電気砲の設計を完成されたのですが、残念にも、今日本では、それを引受けて作ってくれるところがないために、すっかりくさってしまわれたんです。それでこの上海(シャンハイ)へ、憂鬱(ゆううつ)な胸を抱いて、なにか気分をほぐすものはないかと、遊びに来られたのですが、私は、博士を御紹介するのがよいと思ったので、実は、ロッセ氏には事前(じぜん)に何にも申さないで、とつぜんここへお連れしたわけですから、どうぞ話相手になってあげていただきたい」
 私が思いがけなくすっかり底を割ってしまったので、ロッセ氏は、私の話の途中、いくたびも仰天(ぎょうてん)して、私の袖(そで)をひいて、話をやめさせようとしたほどであった。
 博士は、かるくうなずいていたが、私の話を聞き終ると、
「それは、くさるのも無理ではない」
 と、同情の言葉を洩(も)らし、
「わしは、あなたがロッセ氏であることは、今綿貫君の紹介で初めて知ったわけだが、しかしあなたのことは、電気砲の論文を読んで、前から知っていたよ」
 と、たいへんいい機嫌(きげん)の様子で、立ち上ってロッセ氏の黒い手を握った。
 ロッセ氏の面上(めんじょう)には、いたく感激の色が現れた。
「だが、ロッセ君。そんなに初速の早い電気砲をこしらえて、どうするつもりなんかね」
「これはしたり、そのような御たずねでは恐れ入ります。初速の大きいことは、すなわち射程(しゃてい)が長いことである。しからば、われは敵の砲兵陣地(ほうへいじんち)乃至(ないし)は軍艦の射程外にあって、敵を砲撃することが出来るのです。こんなことは常識だと思いますが……」
 と、ロッセ氏は、羞(はじ)らいながら応(こた)えた。金博士からメンタルテストをされたように感じたからであろう。
「そういう考えじゃから、命中率はだんだん低下し、砲弾代などが、やたらにかかるのじゃ。射程には、自(おのずか)ら限度がある。ただ砲弾を遠方へ飛ばすだけなら、射程をいくらでも伸ばし得られるが、砲門附近の風速(ふうそく)と、弾着地点(だんちゃくちてん)附近の風速とを考えてみても、かなりちがうのである。射程長ければ、命中率わろしである。そうではないか」
 金博士は、鉛筆を握って、紙のうえに、しきりに弾道曲線(だんどうきょくせん)を描きつつ喋(しゃべ)る。
「ですが、金博士。僕はぜひともいい大砲を作りたいと思って、そのような初速の大きい電気砲を設計したのです。一発撃ってみて、命中しなければ、二発目、三発目と、修整(しゅうせい)を加えていきます。十発のうち、二発でも一発でも命中すれば、しめたものです」
「そういう公算的(こうさんてき)射撃作戦は、どうも感心できないねえ。なぜ、そんなに焦(あ)せるのであるか。もっと落着いて、命中しやすい方針をとってはどうか。ロッセ君、あなたの話を聞いていると、聞いているわしまで、なんだかいらいらしてくる。それでは、戦闘に勝てない。ロッセ君、あなたは日本人だというけれども、あなたの電気砲設計の方針は、日本人的ではないですぞ。それとも、近代の日本人は、そんなにいらいらして来たのかな」
 色眼鏡(いろめがね)の底に、金博士の眼が光る。
 ロッセ氏は、次第(しだい)に沈痛(ちんつう)な表情に移っていって、しきりに唇を噛(か)んでいる。私は、それをとりなそうにも、いうべき言葉を知らなかった。――ロッセ氏が、或る秘(ひ)め事(ごと)を、ここで告白するのでなければ、どうにもならないのであった。
 しばらく、息づまるような沈黙が、金博士の書斎に続いたが、やがて博士は、やおら椅子から立ち上って、室内をこつこつと歩きだした。
「ねえ、ロッセ君」
「はあ」
「わしは君に、一つのヒントを与える。砲弾の速度を、うんと低下させたら、どんなことになるか」
「射程が短縮されます。技術の退歩(たいほ)です。ナンセンスです」
「いや、わしのいっているのは、射程は、うんと長くとるのだ。ただ砲弾の速度を、極(きわ)めて遅くするのだ。そして命中率を、百パーセントに上げることが出来る。それについて、一つ考えてみたまえ。解答が出来たら、また訪ねてきなさい、わしは相談に乗ろうから」
「砲弾の速度を下げるのは、ナンセンスですが……とにかく折角(せっかく)のおすすめですから、一つ考えて来ましょう」
「そうだ。そうしたまえ。それが、うまくいくようなら、あなたの企図(きと)している英国艦隊一挙撃滅戦(えいこくかんたいいっきょげきめつせん)も、うまくいくだろう」
「えっ、なんですって」
「いや、あなたの懐中(かいちゅう)から掏(す)った財布(さいふ)をお返しするよ。これは上から届けて来たものだが、いくら暗号(あんごう)で書いてあるにしても、英艦隊撃滅作戦の書類を中に挟(はさ)んでおくなんて、不注意にも、程がある」


     3


 外へ出ると、ロッセ氏は、大昂奮(だいこうふん)の面持で、私を捕(とら)えて、放そうとはしなかった。
「ねえ、綿貫(わたぬき)君。われわれは、もっと語ろうではないか。素敵(すてき)なブランデーをのませる家を知っているから、これからそこへ案内しよう」
 私は、初めから覚悟をしていたので、ロッセ氏のいうがままに、ついていった。
 ホテル・クナンの、しずかな酒場(さかば)の片隅(かたすみ)に、ロッセ氏は、私を連れていった。
「この卓子(テーブル)は、僕の特約の席なんだ。では、お互いの健康を祝(しゅく)して……」
 と、ロッセ氏は、琥珀色(こはくいろ)の液体の入ったグラスを高くさしあげて、唇へ持っていった。
「ふう、これでやっと落着いた。金博士も、ひどいところを素破(すっぱ)ぬいて、悦(よろこ)んでいるんだねえ。宿敵艦隊(しゅくてきかんたい)の一件が、あそこで曝露(ばくろ)するとは、思っていなかった」
「まあいいよ。私も、すこし独断(どくだん)だったけれど、あなたを早く、博士に紹介しておいた方がいいと思ったもんだから、黙って連れていったんだ」
「ああ、金博士は、驚異(きょうい)に値(あたい)する人物だ。一体あの人は、中国人かね、それとも日本人かね」
「そのことだよ」
 と、私は、グラスの酒を、きゅうとのみ乾(ほ)して、
「一体、金という名前は、中国にもあるし、日本人にもある。それから朝鮮にもあるんだ。もちろん満洲にもあることは、君も知っているだろう。ところで博士は、その中の、どこの人間だか知らないといっている。博士は捨児(すてご)だったんだ。たしかに東洋人にはちがいないが、両親がわからないから、日本人だか中国人だか分らないといっている」
「赤ちゃんのときは、何語を話していたのかね」
「それは広東語(カントンご)だ。もっとも、博士がまだ片言(かたこと)もいえないときに、広東人の金氏が拾い上げて、博士を育てたんだからねえ、赤ちゃんのときに広東語を喋(しゃべ)ったのは、あたり前だ」
「ふしぎな人物だ。そして、あの穴倉(あなぐら)の中でなにをしているのかね」
「博士は、科学者だ。いや、もっと説明語を入れると、国籍のない科学者だ。国籍のない人といっても、ユダヤ系というわけではない。博士は曰(いわ)く、わしは国籍こそ無けれ、あくまで東洋人だといっている」
「で、博士は一体、毎日どんなことをやっているのか」
「博士は、なんでも、気に入った科学をとりあげて、どんどん研究を進めている。今は、宇宙線と重力(じゅうりょく)との関係を研究しているが、今までにも、たくさんの発明がある。その中で、かなり古臭(ふるくさ)くなった発明を、方々の国に売って、莫大(ばくだい)な金を得ている。博士の資産(しさん)は、何百億円だか見当がつかない。が、それよりも驚異に値するのは、博士の自主的研究は独得なる発展を遂(と)げ、今世界中で一等科学の進んだアメリカや、次位(じい)のドイツなどに較(くら)べると、少くとも四五十年先に進んでいると、或る学者が高く評価している。だから、博士は、科学に関しては、世界の人間宝庫(にんげんほうこ)であるともいわれている」
 私が最大級の讃辞(さんじ)を博士に捧(ささ)げていると、ロッセ氏は、そうかそうかと、ペルシャ猫(ねこ)のように澄(す)んだ瞳(ひとみ)をくるくるうごかして、しきりに感服(かんぷく)の面持(おももち)だった。
「だから、博士がうんといえば、あなたの設計した電気砲も、博士の秘密工場の手で実際に作ってくれるだろう。そうすれば、あなたの念願している英艦隊(えいかんたい)の撃滅(げきめつ)のことも――」
「いや、博士は、初速の速い電気砲が気に入らないらしい。むしろ、速度の遅い、そして射程の長い砲弾を考え出せといわれたが、僕には、何のことだか分らないのだ。なぜなら、速度を遅くすることと、射程を長く伸ばすこととは、互いに相(あい)傷(きず)つける条件なんだからねえ」
「うむ、まるで謎々(なぞなぞ)だね」
「そうだ、謎々だ。それも解答のない謎々を出題されたような気がする。博士は、ひょっとしたら、僕をからかったのかもしれない」
「そんなことはないよ。博士は、からかうなんて、そんな人のわるいことはしない。ああまで真剣で、大真面目(おおまじめ)なんだ。謎々をかけたにしても、博士は必ずその解答のあることを確(たしか)めてあるのだと思う」
「そうかなあ。速度の遅くて、射程の長い、そして命中率百パーセントの砲弾! そんなおそろしいものが、この世の中にあるとは、どうしても思われないが……いや、僕たちは、既成(きせい)科学に対し、すっかり囚人(しゅうじん)になっているのがいけないのかもしれない」
 ロッセ氏は、そういって、ぶるぶると身顫(みぶる)いをすると、急いでグラスを唇のところへ持っていった。


     4


 私たちが外に出たときは、夜もだいぶん更けて、さすがの南京路(ナンキンろ)も、人影が疎(まば)らであった。
 二人は、アルコールにほてった頬を夜風に当てながら、別に当てもなく、路のあるままに、ぶらぶら歩いていった。私たちの話題は、やはり金博士と、そして博士よりロッセ氏に与えられた奇怪なる謎々とに執着(しゅうちゃく)していた。
 それはもう、四五丁も歩いた揚句(あげく)のことだったと思うが、ロッセ氏は、急に両の手を頭の上にのばし、拳固(げんこ)をこしらえて、まるで夜空に挑(いど)みかかるような恰好(かっこう)で、はげしく振り廻しはじめた。たいへん昂奮(こうふん)の様子である。
「おい、ロッセ君。一体、どうしたのか」
「うん。やっぱり、われわれは、金博士に騙(だま)されたんだ。あんなばかばかしいことが出来てたまるものか。砲弾が低速で走れば、たちまち落ちるばかりではないか。高速であればこそ、遠いところへも届く」
「それはそうだね」
「あの金博士の意地悪(いじわる)め。僕は、英艦隊を一挙(いっきょ)にして撃沈(げきちん)したいため、うまうまと博士の見え透(す)いた悪戯(いたずら)に乗せられてしまったんだ。ちくしょう、ひどいことをしやがる」
「……」
 ロッセ氏は、天に向って、しきりに博士の名を呪いながら、停っては歩き、そして又停っては歩きした。よほど口惜(くや)しそうだった。
 私は、博士のことを、そんな人物だとは思わないが、ロッセ氏から、のろのろ砲弾についての討論を聞いているうちに、だんだんと氏のいうところも尤(もっとも)だと思うようになった。
「なるほど、反対条件だねえ」
「博士よ、豚に喰(く)われて死んでしまえ」
「まあ、そういうな。背後(うしろ)をふりかえってから、ものをいって貰おうかい」
 ふしぎな声が、とつぜん、私たちのうしろから聞えたので、私ははっと思った。
「誰だ?」
「あっ!」
 生れてからこの方、私はこんなに愕(おどろ)いたことは初めてだった。悲鳴をあげると共に、私は愕きのあまり、鋪道(ほどう)のうえに、腰をぬかしてしまった。なぜといって、私が振り返ったとき、そこには声をかけた筈(はず)の誰もいなかった。しかし何物も居ないわけではなかった。私は、まっ黒の、大きな筒(つつ)のようなものが、私の背中にもうすこしで突き当りそうになっているのを発見して、愕いたのである。それは、どう見ても、口径(こうけい)四十センチはあると思う大きな砲弾であったのである。
「どうだ。この砲弾が見えるかね」
 砲弾が、ものをいった。ふしぎな砲弾であった。そういいながら、砲弾は、私の鼻先(はなさき)を掠(かす)めてそろそろと向うへ、宙を飛んでいった。大体地上から一メートルばかり上を、上から見えない針金(はりがね)で吊(つ)られたかのように落ちもせず、すーっと向うへいってしまった。そして最後に、私は、その砲弾が辻(つじ)のところを、交通道徳(こうつうどうとく)をよく弁(わきま)えた紳士のように、大きく曲(まが)ったのを見た。そして間もなくその怪(あや)しい砲弾は、ビルの蔭に見えなくなってしまった。なんというふしぎなものを見たことであろうか。夢か? 断(だん)じて夢ではない。
 ふと、傍(かたわら)を見ると、ロッセ氏も、鋪路(アスファルト)のうえに、じかに坐っていた。氏も、私と同様に、腰を抜かしたのにちがいない。
「見ましたか、今のを……。ねえ、ロッセ君」
 私は、氏の肩を、ぽんと叩(たた)いた。
 するとロッセ氏は、とつぜん吾れにかえったらしく、ふーっと、鯨(くじら)のようにふかい溜息(ためいき)をついた。そして私に噛(かじ)りついたものである。
「ロッセ君、しっかりしたまえ」
「見ました、たしかに見ました。しかし、僕は気が変になったのではないだろうか。大きなまっ黒な砲弾が、通行人のように、落着きはらって、向うへいったのを見たんだからね」
「それは、私も見た」
「砲弾が、ものをいったでしょう。あの声は、たしかに金博士の声だった。金博士が、砲弾に化(ば)けて通ったんだろうか。わが印度(インド)では、聖者(せいじゃ)が、一団(いちだん)の鬼火(おにび)に化けて空を飛んだという伝説はあるが、人間が砲弾になるなんて……」
「ほう、なるほど。あの声は、金博士の声に似ていた。それは本当だ」
 私は、ロッセ氏には答えず、思わず自分の膝を叩いた。


     5


 金博士秘蔵(ひぞう)の潜水軍艦弩竜号(どりゅうごう)の客員(きゃくいん)となって、中国大陸の某所(ぼうしょ)を離れたのは、それから、約一ヶ月の後だった。
 もちろんロッセ氏も、共に博士の客であった。
 弩竜号は、おどろくべき精鋭(せいえい)なる武装船(ぶそうせん)であった。総トン数は、一万トンに近かったが、潜水も出来るし、浮かべばちょっとした貨物船に見えた。弩竜号に関しては、ぜひ報告したい驚異がいろいろあるが、本件の筋にはあまり関係がないから、ここには記さない。
 弩竜号は、大陸を離れて五日目には、灼熱(しゃくねつ)の印度洋(インドよう)に抜けていた。その日のうちに、セイロン島の南方二百浬(カイリ)のところを通過し、翌六日には、早やアラビア海に入っていた。
「ソコトラ島とクリアムリア群島との、丁度(ちょうど)中間(ちゅうかん)のところへ浮き上るつもりです」
 と、金博士が、地図の上を指でおさえながらいった。
「博士、もっと、例の反重力弾(はんじゅうりょくだん)のことについて、話をしていただきましょう」
「ああ、あなた方を愕かしたあのものをいう、のろのろ砲弾のからくりのことかね。印度洋へ入ったら、いう約束だったから、それでは話をしようかね。からくりをぶちまければ、他愛(たあい)もないことなのさ。砲弾が、ものをいったのは、砲弾の中に、小型の受信機(じゅしんき)がついていて、わしの声を放送したんだ」
「それは、もう分っています。それよりも、なぜ、あのように低速で飛ぶのですか。落ちそうで、一向(いっこう)落ちないのが、ふしぎだ」
「それは、大したからくりではない。重力を打消(うちけ)す仕掛(しかけ)が、あの砲弾の中にあるのだ。これはわしの発明ではなく、もう十年も前になるが、アメリカの学者が、ピエゾ水晶片(すいしょうへん)を振動させて、油の中に超音波(ちょうおんぱ)を伝えたのだ。すると重力が打消され、油の中に放りこんだ金属の棒が、いつまでたっても、下に沈んでこないのであった。その話は、知っているだろう」
「ええ、その話なら、知っています」
「そのアメリカ人の着想(ちゃくそう)に基(もとづ)いて、わしが低速砲弾に応用したんだ。つまり、砲弾の中に、それと似た重力打消装置(じゅうりょくうちけしそうち)がある。もし重力を完全に打消すことができたら、砲弾は、地球と同じ速さで、地球の廻転と反対の方向に飛び去るわけだが、それはわかるだろう」
「なるほど、なるほど」
 と、私も前へのり出した。
「しかし、重力をそれほど完全に打消さず、或る程度打消せば、それに相当した速度が得られる。低速砲弾においては、ほんのわずか重力をうち消してあるばかりだ。それでも、途中で地面に落ちるようなことはない」
「それはいいが、砲弾の飛ぶ方向は、どうするのですか」
 ロッセ氏が、息をはずませて訊(き)く。
「それは飛行機や艦船(かんせん)と同じだ。舵(かじ)というか帆というか、そんなものをつけて置けば、いいのだ。操縦は遠くから電波でやってもいいし、砲弾の中に、時計仕掛(とけいじかけ)の運動制御器(うんどうせいぎょき)をつけておいてもいい。――それはまあ大したことがないが、わしの自慢したいのは、この砲弾は、はじめに目標を示したら、その目標がどっちへ曲ろうが、どこまでもその目標を追いかけていくことだ。だから、百発百中だ」
「ほう、おどろきましたな。目標を必ず追いかけて、外(はず)さないなんて、そんなことが出来ますか」
「くわしいことは、ちょっといえないが、軍艦でも人間でも、目標物には特殊な固有振動数(こゆうしんどうすう)というものがあって、これは皆違っている。最初にそれを測(はか)っておいて、それから砲弾の方を合わせて置けば、砲弾は、どこまでも、目標を追いかける。先夜(せんや)、あなたがたを追いかけていったのも、その仕掛けのせいだ。尤(もっと)も、君たちに会えば、用がないから、わしのところへ戻ってくるように調整しておいたのだ。これはわしの自慢にしているからくりじゃ」
「なるほど。そんなことになりますかな」
 と、感心しているとき、監視部(かんしぶ)から電話がかかってきた。敵艦隊が遂に現れたというのである。博士は、すぐさま弩竜号に、浮揚(ふよう)を命じた。
「二百発の低速砲弾を、敵の四隻(せき)の巡洋戦艦(じゅんようせんかん)に集中する。一艦につき五十発ずつだ。五十発の命中弾をくらえば、どんな甲鈑(かんぱん)でも、蜂(はち)の巣になるじゃろう。しかも、第一発が命中した個所(かしょ)を、次の第二弾が又同じ個所を狙(ねら)って命中するのだから、まるで、錐(きり)でボール紙の函に穴をあけるようなものじゃ。まあ、見ていたまえ」
 博士は、テレビジョンの映幕(スクリーン)を見ながら、八門(もん)の四十センチ砲の射撃を命じたのであった。二百発の砲弾は、まるでいたずら小僧(こぞう)の群(むれ)を襲う熊蜂(くまばち)の群のように、敵艦にとびついていったが、まことにふしぎな、そして奇怪な光景であった。それから十五分ほどたって、四隻がてんでに舷側(げんそく)から火をふきながら、仲よく揃って、ぶくぶくと波間(なみま)に沈み去ったその壮観(そうかん)たるや、とても私の筆紙(ひっし)に尽(つく)し得るものではなかった。
 ロッセ氏は、映幕(スクリーン)の前に、金博士の手を握り、子供のように慟哭(どうこく)した。余程(よほど)嬉(うれ)しかったものと見える。無理もない、それは確実に、印度民族奮起(ふんき)の輝かしき序幕を闘いとったことになるのであったから。
 しかしその日の新聞電報は、地中海から廻航中(かいこうちゅう)の英艦隊が、例によってドイツ潜水艦のため、多少の損傷(そんしょう)を蒙(こうむ)ったとだけ報ぜられ、四隻とも即時(そくじ)撃沈(げきちん)されたことにも、また金博士の弩竜号が活躍したことについても、全然触(ふ)れていなかったのは、どうしたわけか、私には一向分らないところである。




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