のろのろ砲弾の驚異
◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

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著者名:海野十三 

     1


 今私は、一人の客人を伴(ともな)って、この上海(シャンハイ)で有名な風変(ふうがわ)りな学者、金博士(きんはかせ)の許へ、案内していくところである。
 博士の住居(すまい)が、どこにあるか、知っている人は、ほんの僅かである。人はよく、博士が南京路(ナンキンろ)の雑鬧(ざっとう)の中を、擦(す)れ切った紫紺色(しこんしょく)の繍子(しゅうし)の服に身体を包み、ひどい猫脊(ねこぜ)を一層丸くして歩いているのを見かけるが、博士の住居を知っている者は、殆んどない。
 金博士の住居は、南京路でも一等値段がやすく、そして一等繁昌(はんじょう)している馬環(ばかん)という下等な一膳飯屋(いちぜんめしや)の地下にあるのだ。
「さあ、ここがその馬環です。どうです、たいへんな繁昌でしょうが」と私は、客人をふりかえった。「足の踏み入れようもないというのが正(まさ)にこの店のことだが、第一このむーんとする異様な匂いには、慣れないものは大閉口(だいへいこう)で、とたんにむかむかしてくる。だが、とにかくこの中へ入っていかねば、博士に会えないのだから、一時鼻をつまんで、息をしないようにして、私についていらっしゃい。邪魔になるお客さんは、遠慮なく突きとばしてよろしいのである。お客さんは、突きとばされて丼(どんぶり)の中に顔を突込(つっこ)もうと、誰も怒るものはいないであろう。遠慮していれば、いつまでたっても、奥へ通れない。さあ遠慮なく、こうして突きとばすですな。しかし懐中物(かいちゅうもの)だけは要慎(ようじん)したがいいですぞ。突きとばされるのを予(あらかじ)め待っていて、突きとばされると、とたんにこっちの懐中物を失敬する油断のならぬ客がいるからね。あれっ、もうやられたって。ああ待った。もうさわいでも駄目です。一度やられると、たとえやった犯人の顔がわかっていても、二度とお宝(たから)は出て来ないのです。さわぎたてると、どうせろくなことにはならない。また何か盗(と)られます。生命(いのち)などは、盗られたくないでしょうから。
 さあ、ようやく奥へ来ました。ここには小房(しょうぼう)が、いくつか並んでいる。こっちへ来てください。ここへ入りましょう。はいったら入口のカーテンを引きます。さあ、椅子に腰をおかけなさい。そして、両手でこの大きな円卓子(まるテーブル)を、しっかりと抑(おさ)えていてください。しっかりつかまっていないと、あとで舌を噛(か)んだり、ひっくりかえって腰をうったりしますよ。はい、今うごきます。秘密の釦(ボタン)を今押しましたから。そら床もろとも、下(お)りだしたでしょう。しっかり卓子につかまっていなさいといったのは、ここなんだ。そうです、この小室(しょうしつ)全体が、エレベーター仕掛(じかけ)になっているのです。床も天井も壁も、一緒に落ちていくのです。もう今はたいへんなスピードで落ちていますよ。なにしろ、これがエレベーターなら、地階三十階ぐらいに相当する下まで下りるのです。なにしろ、地面から測って、二百メートルもあるそうですからね。
 爆撃(ばくげき)をさけるためですかって。もちろんそれもありましょうが、もう一つの理由は、金博士は宇宙線を極度(きょくど)に避(さ)けて生活していられるのです。あの宇宙線なるものは、二六時中、どんな人間の身体でも、刺(さ)し貫(つらぬ)いているので……」
 話の途中に、エレベーターは停(とま)った。
 私は客人の手をとって、エレベーターを出ると、しばらくは真の闇(やみ)の中の通路を、手さぐりで歩いていった。
 二百メートルばかり歩いたところで、通路は行き停りとなる。そこで私は、今切り取ったばかりのような土の壁を、ととんとんと叩いた。すると、ぎーいと音がして、私たちは眩(まぶ)しい光の中に、放り出された。
 そういう段取(だんどり)になれば、私は間違(まちがい)なく、闇の迷路(めいろ)をうまく選(よ)り通ってきたことになるのである。下手をやれば、いつまでたっても、この光の壁にぶつからないで、しまいには、進むことも戻ることもならず、腹が減って、頭がふらふらになる。
 私は、はげしい目まいをおさえて、しばらく強い光の中に、うつ伏(ぶ)していた。土竜(もぐら)ならずとも、この光線浴(こうせんよく)には参る。これも博士の警戒手段の一つである。
 私は、ようやく光になれて、顔をあげることが出来た。
「やあ金博士。とつぜんでしたが、ロッセ氏を案内して、お邪魔(じゃま)に参(まい)りました」
「ほう、その人は、英国人(えいこくじん)じゃないだろうな。英国人なら、ここには無用だから、さっさと帰ってもらおう」
 と、金博士は、大きなウルトラマリン色の色眼鏡(いろめがね)を手でおさえながら、椅子のうえから立ち上ったのであった。


     2


 博士は、大の英国嫌いである。英国人と酒とは、大嫌いであった。
「ああ博士。ロッセ氏は日本人です」
「本当か、綿貫(わたぬき)君。氏は、日本人にしては色が黒すぎるではないか」
 綿貫とは、私の名前だ。
「氏は、帰化(きか)日本人です。その前は、印度(インド)に籍(せき)がありました」
「どうぞよろしく」
 ロッセ氏は、流暢(りゅうちょう)な日本語で、金博士にいんぎんな挨拶(あいさつ)をした。
 博士は、無言のまま肯(うなず)いて、私たちに椅子を指すと、自分は再び椅子に腰をおろした。私たちの囲んだ机の上には、何をやっているのか分らないが、夥(おびただ)しい紙片(しへん)が散らばっていた。そして紙片の上には、むずかしい数字の式が、まるで蟻(あり)の行列のように、丹念(たんねん)に書き込んであった。
「きょうお連れしたロッセ氏は、電気砲学の権威です」と、私は紹介の労をとって、「ロッセ氏は、三ヶ月程前に、初速(しょそく)が一万メートルを出す電気砲の設計を完成されたのですが、残念にも、今日本では、それを引受けて作ってくれるところがないために、すっかりくさってしまわれたんです。それでこの上海(シャンハイ)へ、憂鬱(ゆううつ)な胸を抱いて、なにか気分をほぐすものはないかと、遊びに来られたのですが、私は、博士を御紹介するのがよいと思ったので、実は、ロッセ氏には事前(じぜん)に何にも申さないで、とつぜんここへお連れしたわけですから、どうぞ話相手になってあげていただきたい」
 私が思いがけなくすっかり底を割ってしまったので、ロッセ氏は、私の話の途中、いくたびも仰天(ぎょうてん)して、私の袖(そで)をひいて、話をやめさせようとしたほどであった。
 博士は、かるくうなずいていたが、私の話を聞き終ると、
「それは、くさるのも無理ではない」
 と、同情の言葉を洩(も)らし、
「わしは、あなたがロッセ氏であることは、今綿貫君の紹介で初めて知ったわけだが、しかしあなたのことは、電気砲の論文を読んで、前から知っていたよ」
 と、たいへんいい機嫌(きげん)の様子で、立ち上ってロッセ氏の黒い手を握った。
 ロッセ氏の面上(めんじょう)には、いたく感激の色が現れた。
「だが、ロッセ君。そんなに初速の早い電気砲をこしらえて、どうするつもりなんかね」
「これはしたり、そのような御たずねでは恐れ入ります。初速の大きいことは、すなわち射程(しゃてい)が長いことである。しからば、われは敵の砲兵陣地(ほうへいじんち)乃至(ないし)は軍艦の射程外にあって、敵を砲撃することが出来るのです。こんなことは常識だと思いますが……」
 と、ロッセ氏は、羞(はじ)らいながら応(こた)えた。金博士からメンタルテストをされたように感じたからであろう。
「そういう考えじゃから、命中率はだんだん低下し、砲弾代などが、やたらにかかるのじゃ。射程には、自(おのずか)ら限度がある。ただ砲弾を遠方へ飛ばすだけなら、射程をいくらでも伸ばし得られるが、砲門附近の風速(ふうそく)と、弾着地点(だんちゃくちてん)附近の風速とを考えてみても、かなりちがうのである。射程長ければ、命中率わろしである。そうではないか」
 金博士は、鉛筆を握って、紙のうえに、しきりに弾道曲線(だんどうきょくせん)を描きつつ喋(しゃべ)る。
「ですが、金博士。僕はぜひともいい大砲を作りたいと思って、そのような初速の大きい電気砲を設計したのです。一発撃ってみて、命中しなければ、二発目、三発目と、修整(しゅうせい)を加えていきます。十発のうち、二発でも一発でも命中すれば、しめたものです」
「そういう公算的(こうさんてき)射撃作戦は、どうも感心できないねえ。なぜ、そんなに焦(あ)せるのであるか。もっと落着いて、命中しやすい方針をとってはどうか。ロッセ君、あなたの話を聞いていると、聞いているわしまで、なんだかいらいらしてくる。それでは、戦闘に勝てない。ロッセ君、あなたは日本人だというけれども、あなたの電気砲設計の方針は、日本人的ではないですぞ。それとも、近代の日本人は、そんなにいらいらして来たのかな」
 色眼鏡(いろめがね)の底に、金博士の眼が光る。
 ロッセ氏は、次第(しだい)に沈痛(ちんつう)な表情に移っていって、しきりに唇を噛(か)んでいる。私は、それをとりなそうにも、いうべき言葉を知らなかった。――ロッセ氏が、或る秘(ひ)め事(ごと)を、ここで告白するのでなければ、どうにもならないのであった。
 しばらく、息づまるような沈黙が、金博士の書斎に続いたが、やがて博士は、やおら椅子から立ち上って、室内をこつこつと歩きだした。
「ねえ、ロッセ君」
「はあ」
「わしは君に、一つのヒントを与える。砲弾の速度を、うんと低下させたら、どんなことになるか」
「射程が短縮されます。技術の退歩(たいほ)です。ナンセンスです」
「いや、わしのいっているのは、射程は、うんと長くとるのだ。ただ砲弾の速度を、極(きわ)めて遅くするのだ。そして命中率を、百パーセントに上げることが出来る。それについて、一つ考えてみたまえ。解答が出来たら、また訪ねてきなさい、わしは相談に乗ろうから」
「砲弾の速度を下げるのは、ナンセンスですが……とにかく折角(せっかく)のおすすめですから、一つ考えて来ましょう」
「そうだ。そうしたまえ。それが、うまくいくようなら、あなたの企図(きと)している英国艦隊一挙撃滅戦(えいこくかんたいいっきょげきめつせん)も、うまくいくだろう」
「えっ、なんですって」
「いや、あなたの懐中(かいちゅう)から掏(す)った財布(さいふ)をお返しするよ。これは上から届けて来たものだが、いくら暗号(あんごう)で書いてあるにしても、英艦隊撃滅作戦の書類を中に挟(はさ)んでおくなんて、不注意にも、程がある」


     3



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