地球要塞
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著者名:海野十三 

 私は、磁石砲を入口に据付(すえつ)けるために、貴重な三十分ばかりの時間を費(ついや)し、それが終ると、久慈にくわしく注意をして、名残(なごり)惜しくもクロクロ島を出掛けたのであった。


   魚雷潜水艇(ぎょらいせんすいてい)――身動き出来ぬ船室


 私は、あいかわらず、忠実な部下である人造人間のオルガ姫を伴っていた。
 私たちの乗った魚雷型の高速潜水艇は、早や南洋岩礁(がんしょう)の間を縫って、だんだんと、本国に近づきつつある。それは、クロクロ島を出てから、三時間のちのことであった。
 私は、この高速潜水艇が、たいへん気に入っていた。成層圏飛行のように早く目的地へ達しはしないけれど、同じ深度をとおって、一直線に直行できるのは、この高速潜水艇であった。これは、地球の深海なら、どんな深さのところでも通れるし、スピードも、中々はやいから、敵の監視網や水中聴音器などは役に立たない。しかも、飛行機のように、空中から目立たなくていい。
「あと、五十分で、東京港に到着いたします」
 と、オルガ姫が叫ぶ。
 オルガ姫も自分も、この魚雷型潜水艇内に寝たきりである。だから、この潜水艇の胴中が、魚雷をほんのちょっと太くしたぐらいにすぎないことが知れる。
「そうか。まず、誰にも見付からなくて、いい按配(あんばい)だったな」
 と、私は、思わず、生きた人間に話すように、いったことである。三時間、こうして、身動きもならずじっと寝ているのも、退屈なものである。
 オルガ姫は、なにもこたえなかった。そういう主人のことばに対しては、何もこたえる仕掛けにはなっていなかったのである。
 東京で、私を迎えてくれるのは、一体誰であろうか。
 それは、もちろん私を招いた人であるが、その人こそ戦軍総司令官の鬼塚元帥(おにづかげんすい)であったのだ。
 今こそ、一切をここに書くが、私――黒馬博士は、国防上の或る重大使命をおびて、クロクロ島に乗り込み、はるばる例の西経三十三度、南緯三十一度というブラジル沖に派遣されていた者である。その使命が、あからさまにいって、どんなことであったか、それを話せば、どんな人でも、呀(あ)っといって腰をぬかすことであろうが、残念ながら、まだ書く時期が来ていない。いずれそのうち、だんだんと分ってくることであろう。
 とにかく私は、クロクロ島において、その重大使命の達成に、ようやく手をつけ始めたばかりのところで、とつぜん鬼塚元帥からの招電(しょうでん)に接したのであった。元帥の用向きは、一体なんであろうか。
 それは、尋常一様(じんじょういちよう)のことではあるまい。それだけは、容易に予想できる。もしそうでなければ、折角(せっかく)あのような重大使命をさずけて特派した私を、仕事にかかったばかりのところで、そう簡単に呼び戻すわけがない。
 だが、元帥の胸のうちは、ここでいくら私が考えてみても、分らない。
「東京港へはいります。港内司令所より、第四十三番潜水洞(せんすいどう)へはいれとの命令がありましたから、只今からそちらへはいります」
 オルガ姫が、なんでもやってくれるのだ。私は、早くこの魚雷型潜水艇から出て、美味なあたらしい空気を、ふんだんに肺の奥まで吸いこみたいと思った。
 艇のエンジンは、とつぜん停った。
 ぎいイ、ぎいイ、ぎいイ――と、金属の擦れ合う高い音がきこえる。わが艇は、ついに潜水洞の中につき、今台のうえにのって、ケーブルで曳きあげられているのだ。間もなく、艇は地下プラットホームへつくことであろう。
 空気窓が、ぱかッと音がして開いた。とたんに、待望久しかった新鮮の空気が、どっとはいって来て、下顎(したあご)から顔面をなでて、流れだした。
「開扉(かいひ)します」
 オルガ姫が叫んだ。
 外被(がいひ)が開いた。私の目に、プラットホームの灯が、痛いほどしみこんだ。私は、皮帯を外して、外へ出た。そして、しばらくは、柔軟体操をつづけた。身体中の筋肉という筋肉が、鬱血(うっけつ)に凝(こ)っていて、ぎちぎちと鳴るように感じた。
 オルガ姫は、まめまめしく立ち働いている。私の乗ってきた魚雷型潜水艇は、彼女の手によって、艇庫におさめられた。
 この地下プラットホームは、東京港に特に設けられた船舶用の発着所であった。船舶といえば、むかしは、桟橋(さんばし)についたり、沖合に錨をおろしたものであるが、目下わが国では、それを禁じてある。碇泊は、すべて禁止である。
 船舶はすくなくとも、東京港付近まで来ると、いずれも潜水してしまう。そして、潜水洞へ潜りこむように決められてあった。だから、わが国の艦船には、潜水の出来ないものは、一つもなかった。小さい船でも、わが潜水艇のように、潜水設備のあるものが相当多かった。つまり、潜水のできない艦船は、不全だというわけである。
 わが艦船が、こういう潜水式に改められるまでには、十年の歳月と、多大な費用とを要したが、それが完成すると、わが海運力は、世界一堅牢(けんろう)なものとなった。
 近頃、外国でも、そろそろ見習いはじめたようであるが、わが国は、むかしから海国日本の名に恥じず、この進歩的な潜水艦船陣を張り、堂々と世界の海をおさえているのは、まことに愉快なことである。
「おお、黒馬博士、お出迎えにまいりました」
 一人の美しい婦人が、私の前に立って、いんぎんに挨拶した。
「やあ、ご苦労です」
「鬼塚元帥が、たいへんお待ちです。どうぞ、お早くこの自動車(くるま)へ……。申しおくれましたが、妾(わたし)は、鬼塚元帥の秘書のマリ子でございます」
「やあ、どうも」
 鬼塚元帥も、このように目のさめるような美しい人造人間を使っていられる――と、私は妙なことを感心した。


   毒瓦斯(ガス)――スパイの活躍


 私たち三名は、すばらしい流線型の自動車に、乗り込んだ。
 これは完全流線型というやつで、二枚貝の貝殻一つを、うんと縦に引伸し、そして道路の上に伏せた――といったような恰好であった。むかしの人が見たら、まさか、これが自動車だとは、気がつかないであろう。
「元帥閣下は、そんなにお待ちかねの様子でしたか」
「はい、それはもう、たいへんお待ちかねで、潜水洞四十三番へ、たびたび電話をおかけになるというようなわけで……」
「元帥閣下は、なにか、怒っていられる様子は、なかったですか」
「いいえ、たいへん上機嫌でいらっしゃいました。どうやら、あなたさまは、御栄転になるとの噂が専らでございますわ。黒馬博士、このたび、あなたさまは、どっちの方面から、お帰りになったのでございますの」
「今度はね、私は……」
 と、いいかけて、私はとつぜん、ごほんごほんと咳(せき)こんだ。こいつは油断がならない。マリ子という女は、へんなことを尋ねる。ことによると、第五列かもしれない。
「ああ、苦しい。海上があまり涼しかったもので、すっかり咽喉をこわしてしまいましてねえ。おい、オルガ姫咳止(せきど)めの丸薬をくれないか、三粒あればいいよ」
 オルガ姫は、私の前にいたが、鞄の中から、丸薬(がんやく)入りの缶を出して、私の掌(てのひら)に、三つの黒い丸薬をのせた。
「水、水を早くくれ」
 オルガ姫は、水筒の水を、大きなコップに三分の一ほどついだ。
 私は丸薬を掌にのせたまま、まず、水をぐっと呑みほした。
「あら、水の方を、先にお呑みになって……」
 と、マリ子は、怪訝(けげん)な顔。
 私は、彼女の見ている前で、更に怪訝なことをやってみせた。それは、そのコップを下におかないで、いきなりコップの口で、私の鼻と口とを覆ったのである。
 コップの口は、ぐちゃりとなって、私の鼻と口とのまわりに密着した。――このコップは、口のまわりだけが粘質硝子(ねんしつガラス)で、できているので、こうすると、うまく顔に密着するのだ。
「あなた、しっかりしてください。気が変になったのでは……」
 と、マリ子が、さわぎたてるのを尻眼にかけて、私は掌にのせていた三つの黒い丸薬を、ぱっと足もとに投げつけた。
「呀(あ)っ!」
 とたんに、丸薬はとび散り、それに代って、うす紫の瓦斯が、もうもうと立ちのぼりはじめた。
「ああッ、毒瓦斯(ガス)!」
 マリ子は、あわてて、座席から腰をあげ、自動車のハンドルに手をかけた。
 だが、毒瓦斯の効目(ききめ)の方が、もう一歩お先であった。マリ子は、ハンドルを握ったまま、顔色を紙のように白くして、どうと、前にのめったのである。おそるべき第五列の女スパイの死だ。
「おお、あぶない」
 私は、そのとき、快速力で走っていた自動車が、エンジンを停め、ゆうゆうと頭をふって、地下道の壁に突進していくのを認めた。運転手も、マリ子と名のる女スパイとともに、毒瓦斯にやられてしまい、レバーやハンドルから、手を放してしまったのである。
 私は、ぐにゃりと伸びた運転手の肩ごしに、手をのばして、ハンドルをぐっとつかんだ。
 片手でハンドルを握ったのだ。
 無理である。たいへん無理である。しかし私は、死にものぐるいで、ハンドルを左に切った。地下道の厚い壁はわが自動車めがけて、鋼鉄艦のごとく驀進(ばくしん)してきたが、私が、力一ぱいハンドルを切ったため、壁は、ぐーッと右に流れた。
「おお、これで衝突をのがれたか……」
 と思ったが、とたんに車体は、左に傾くと思う間もなく、呀っという間に、顛覆(てんぷく)してしまった。
 そのとき、自動車の硝子戸が、うまく壊れてくれなかったら、私はコップを鼻や口から外し、わが撒いた毒瓦斯により、自ら生命を縮めたかもしれない。コップを放すのが、窓硝子のこわれたよりも遅かったため、私の一命は、幸いに助かった。
 それでも、しばらくは胸が灼(や)けつくようで、とても気持がわるかった。私は、オルガ姫をよんで、外に助けだされた。
「ふん、おどろかせおった。このマリ子という奴は、どこの国のスパイだろうか」
 私は、マリ子の服を改めたが、彼女は悪心ぶかく、証拠になるような何物も持っていなかった。
 私が、呆然(ぼうぜん)として、顛覆した自動車に、腰をかけていると、後方から、数台の快速自動車が追いかけて来た。
 私は、また敵が現われたかと、顔をしかめて痛む腰をあげ、オルガ姫を楯として、身構えた。
(第五列だ)
 と思う間もなく、車は停った。
 車上からは、十数名の軍人がばらばらと下りてきた。
「おお、黒馬博士。お身体に、お怪我はありませんでしたか。私は鬼塚元帥の副官であります」
 そういって、りっぱな将校が、私の前へ、元帥の書面を出した。
“コノ者ニ伴ワレ、スグ来レ。鬼塚”
 私は将校を見上げた。
「貴官は、本物でしょうな」
「田島大佐です」
「しかし、第五列が猖獗(しょうけつ)をきわめているようじゃありませんか。現に私は今……」
「申し訳ありません。私たちも、途中で、第五列部隊のため、妨害をうけたのです。もちろんそれは、プラットホーム付近で、博士を誘拐(ゆうかい)する目的だったのでしょう。とにかく、近頃めずらしい事件です」
「事件のあとで、めずらしい事件だと感心していては困るですね」
「全く、御説のとおり。警備部隊の引責はのがれませんが、またその一方において、敵がいかにわが黒馬博士を高く評価しているかという証拠になります。博士、今後も、どうぞ御注意のほどを……」
「わかりました」
 私は、田島副官の率直なことばに、好感をもって、それまでの不機嫌を直して、
「私が、早くに、この女は第五列だなと、気がついたから、よかったようなものの、気がつくのが遅ければ、どこへ連れていかれたか分らんですぞ」
「大きに、御説のとおりです。して、その第五列というのは、どこにいますか」
「顛覆している自動車の中を見てください。そこに、運転手もろとも、長くなって伸びているでしょう」
 私が、そういうと、田島大佐は、部下を随(したが)えて、壊れた自動車の中をのぞきこんだ。
「おやッ、マリ子じゃないか」
 大佐は、びっくりしたような声を出した。
「御存知でしたか、その女を……。さだめし、黒表(ブラックリスト)にのっている豪の者なんでしょうね」
 と、私がいえば、大佐は硬い声で、
「いえ、博士。この女は、元帥の秘書のマリ子でありますぞ」
「なに、元帥の秘書のマリ子?」
 私は困惑した。
「そうですか、それにちがいありませんか」
「たしかに、マリ子です。マリ子の顔を見まちがえるようなことはない」
 やっぱり元帥の秘書だったのか。私は、とんだ失策をやってしまったと思った。仕方がないから、私は、マリ子がたしかに第五列の一員と思われたから、毒瓦斯で殺してしまったのだと、率直に一切を白状して、何分の処分を、大佐に委せるといった。
「あははは。これはおかしい」
 と、田島大佐が、私の話をきいているうちに、腹をかかえて、笑いだした。私は、むっとした。
「なにが、おかしいのですか。私が失策したことが、そんなにおかしいのですか」
 私は、大佐のへんじ如何によっては、いってやりたいことばがあった。
「いや、博士。これは、とんだ失礼を。笑ったのは、博士が思いちがいをしていられるからです。元帥の秘書のマリ子なら、毒瓦斯などで死ぬような者ではありません。なぜといって、マリ子は人造人間なんですからね」
「ああ、やっぱり人造人間ですか」
 では、私におけるオルガ姫のようなものだ。
「そうです、人造人間です。ですから、毒瓦斯を吸って死んだマリ子は、にせ者のマリ子にちがいありません。そして、そいつは、生身(なまみ)の人間でしょう。いま、よく調べてみます」
 大佐は、そういって、自動車の中から、マリ子をひっぱりだした。彼は、マリ子の頸のあたりをしきりに調べていたが、やがて、
「おお、やっぱりそうだ」
 といって、指先で、マリ子の皮膚をいじっているうちに、ベリベリと音をさせて、マリ子の頸(くび)のところから顔面へかけて皮膚を、はいでしまった。その下からは、マリ子とは、似てもつかない鼻の高い、白人女の顔が出て来た。
「マスクだ。巧妙なマスクを被っていたのだ。元帥秘書のマリ子と、そっくりの完全マスクを被っていたのだ」
 私は、万事を悟って、苦笑した。なんだ、つまらない奇計(トリック)である。
 大佐は、白人女の死顔を、じっと眺めていたが、
「はて、この顔は、見覚えがある。これはたしか、アストン女史というポーランド女だ。アストン女史が、東京へはいりこんで活躍するとは、はて、訳がわからないぞ」
 大佐の疑問は、尤(もっと)もであった。私には、見当がつかない。ポーランド女が、なぜ東京へはいりこんで、私にクロクロ島のことを聞きだそうとしたのであろう。
 それから二十分ほど後、私たちは、鬼塚元帥と、大きな卓子(テーブル)を囲んで、向いあっていた。
 まず話題は、ここへ来る途次、私の惹(ひ)き起したポーランド女の殺害事件についてであった。
 元帥は、私たちの報告を、しずかにうなずきつつ、聞き入っていたが、
「まあ、その辺で、話の筋は分った。いずれにしろ、大東亜共栄圏を侵略しようという敵国の肚(はら)の中が、手にとるように分る。黒馬博士に、とつぜん帰国を願ったのも実はそのためじゃ」
 私は、元帥が、なにか思いちがいをしているのではないかと思った。
「元帥閣下、大東亜共栄圏を侵略しようとする外国があるにしても、只今すぐには、手が出ないのではありませんか」
「なぜじゃ、それは……」
「でも、只今、米連(べいれん)と欧弗同盟(おうふつどうめい)とは、第三次の戦争を起そうとしています。一方は北南アメリカ大陸に陣どり、他方はヨーロッパとアフリカの両大陸を武装し、これから喰うか喰われるかの大戦闘が始まるのではありませんか。ですから、只今、大東亜共栄圏に手を伸ばすにも、その余裕がない筈です。そうではありませんか」
「うん、われわれも、昨日(きのう)までは、そう思っていた。そう信じていたのじゃ。ところが、昨日(きのう)になって、おどろくべき真相が曝露したのじゃ」
 元帥は、沈痛な面持でいった。
「おどろくべき真相とは?」
 私は、過去においてこのように元帥が、顔色を悪くしたことを知らないので、内心非常に安らかでなかった。
「うむ、実におどろくにたえぬ真相じゃ」
 と、元帥は拳を固めて、卓子の上を、どんと叩いて、
「皆、聞け、よろしいか。始めて聞いたのでは、信じられないかもしれないが、米州連邦と欧弗同盟国とは、互いに戈(ほこ)を交えて、戦闘を開始するのではない。彼等は、協力して東西から、わが大東亜共栄圏を挟撃(きょうげき)しようというのである」
「まさか、そんなことが……」
 と、私は言下(げんか)に否定した。米連と欧弗同盟は、三十年来の敵同志だ。それが、急に手を握るなんて、あるものか。第一、双方とも、既に戦闘するつもりで、高度の大動員を行っているではないか。


   迫る大危機――敵は黒幕の主


 私は、思ったとおりを、元帥に対して、申し述べたのであった。
「米連と欧弗同盟とは、宿敵です。ここへ来て双方(そうほう)刃物をふり上げているのに、今更、どうして手を握れましょう」
 元帥は、唇をへの字に結んで、首を大きく、左右へ振った。
「わが判断には、絶対に誤りなしじゃ。それに、ここに信ずべき確証もある」
 といって、元帥は、卓子(テーブル)のうえの電文綴(つづり)の上に、大きな手を置いた。
「どうも仕方がないのだ。狙われるだけの価値があるのじゃ。わが大東亜共栄圏は、三十年来の建設的努力が酬いられて、ついに今日世界の宝庫となるに至ったのだ」
 元帥の眉が、ぴくんと動く。
「米連と欧弗同盟とは、戦闘開始の一歩前に、このどんでんがえしの盟約を行ったのである。白人の外交は、いつの世にも、あまりに複雑怪奇である」
「すると、白色人種と有色人種との間に、歴史的な、そして宿命的な戦闘が始まるのですか」
 私は、そのように聞かずにはいられなかった。
 元帥は、私の鋭い質問に対しては、直接には応えず、
「白色人種だの有色人種だのという区別を考えることが、既におかしいのである。だが、白人の中には、或る利己的な謀略上、そういう考え方を宣伝する悪い奴がいるのだ。われ等有色人種の道義としては、全く想いもよらないことだが、白人の中には、有色人種を今のうちに叩いておかなければ、やがて有色人種のため、白色人種が奴隷になってしまう日が来ると、本気でそう信じている者がいる。そして、今、この誤れる思想が、燎原(りょうげん)の火の如く、白人の間にひろがっているのだ。だから、われわれの真の敵は、一般白人にあらずして、今回謀略上このような怪思想の宣伝を始めた黒幕の主こそ、われわれの真の敵である」
「なるほど。その黒幕の主こそ、正しくわれわれの大敵でありますな」
 ここに至って、私はようやく、鬼塚元帥のいうことに理解がいったのであった。
 ああ、とつぜん確認された意外な大敵! そは、一体何者であろうか。汎米連邦のワイベルト大統領か、或いは又、欧弗同盟のビスマーク将軍か、それとも、また別の怪人物であろうか。
「それで、博士、わが外交陣は、これより懸命の活躍をはじめ、戦争の勃発を、極力おさえるつもりであるが、しかし……」
 といって、鬼塚元帥は、しばらく目を瞑(めい)じ、
「……しかし、それが不成功に終った暁には、われわれは、大東亜共栄圏の自衛上、武器をとって立ち上らなければならないのだ。そして、世界史始まって以来の最大の死闘が、この地球上に展開されるであろう。そのへんの覚悟は、して置いて貰いたい」
「元帥閣下、よく分りました。貴官のお考えでは、戦闘はいつから始まりますか」
「余の予想では、早ければ、あと二十四時間のちだ」
「え、二十四時間のち?」
 私は、おどろいた。戦機は、そのように迫っているのであろうか。
「そして私に対する何か新しい御命令がありますか」
「そのことじゃ、黒馬博士」
 と、元帥は、顔を私の方へ近づけ、
「博士は、直ちにクロクロ島へ戻ってもらいたい。そして今後、わが命令を待ち、命令が達したらば、クロクロ島を指揮して、戦線へ出てもらいたい。これを渡しておく。これがわが命令の暗号帳だ」
 そういって、鬼塚元帥は、紫色の表紙のついた暗号帳を、私の手に渡した。「分っているだろうが、暗号帳の保管は、特に注意をするように、いいかね」
「は」私は、それを、急ぎ懐中にしまった。
「多分、クロクロ島司令への命令は、一つとして、困難でないものはないであろう。且(か)つ、今日は大西洋に、明日は南氷洋にと、ずいぶんはげしい移動を命ずることであろう。どうか、われわれの大東亜共栄圏のため、粉骨砕身(ふんこつさいしん)、闘ってもらいたい」
「承知しました。大丈夫です」
「では、すぐさま、クロクロ島へ戻ってもらいたい」
「はい。すぐさま、出発いたします」
「折角、祖国へ戻ってきたのに、何の風情(ふぜい)もなく、すぐさま追いかえして、気の毒じゃのう」
「いえ、今は、それどころでは、ありません。いずれ、あの世で、ゆっくりお目にかかりましょう」
「うん、わしも今それをいおうと思っていたところだ」
 と、元帥はこたえた。元帥も、今度は、容易ならぬ決心をして居られる。うしろの壁に、一枚の色紙が懸けてある。その文字に、
“戦如風発(たたかうやかぜのはっするごとく)攻如決河(せむるやかわのけっするごとし)”
 とあるのを、私は、大きな感動とともに、二、三度読みかえした。たしかに三略にある名句である。
 私は、元帥に別れの挨拶をして、再び魚雷型快速潜水艇にうちのり、急遽(きゅうきょ)、クロクロ島へ引返したのであった。もちろん、オルガ姫を伴って……。
 最大速力を出して、クロクロ島までは、四時間で帰りつくことができるはずだった。私はその間、元帥との会見に緊張しすぎた反動で、睡りを催しうつらうつらとしていたが、いつの間にかぐっすり寝込んでしまったらしい。
 やがて気がついたときには、オルガ姫が、只ならぬ様子で、しきりに叫んでいるのが、耳に入った。――
「一大事です。クロクロ島が、原位置(げんいち)におりません!」
「ええッ!」私は、わが耳を疑った。それが本当なら、一大変事(いちだいへんじ)勃発(ぼっぱつ)である!


   絶望のクロクロ島――名状しがたい大戦慄(だいせんりつ)


 どこへ行ってしまったか、クロクロ島!
「あのとおり堅牢(けんろう)なクロクロ島だ。また、あのとおりすばらしい戦闘力をもったクロクロ島だ。そのクロクロ島が、まるで、煙のように消え去るとは、合点がいかない」
 私の心は、じりじりしてきた。
(よし、このうえはオルガ姫にたよらず、自分の手で捜してみよう)
 私は、スイッチを切りかえると、自ら操縦のハンドルを握った。
 それから私は、透過(とうか)望遠鏡に目をあてた。この透過望遠鏡というのは、一種の電子望遠鏡で水中はもちろん水上であれ空中であれ、すっかり透過されて見え、その視界距離も零距離から五百キロメートルの遠方まで、どこでも手にとるように見えるというすばらしい光学器械である。私は、この透過望遠鏡を目に当てたまま、そこら中をぐるぐる廻った。
 二時間あまりというものを、私は夢中になって、探しまわったのであった。或るときは、海底の軟泥の中をかきわけ、また或るときは、山のような巌床のうえへ匐(は)いあがり、そうかと思うと、急に水面に浮かびあがり、いろいろと力のかぎりをつくして展望したのであった。――だがついに私の得たものは、はげしい疲労と、真暗な絶望とだけであった。
 クロクロ島は、どこへいったか、影も形もないのである。
「ああ、――」
 私は、ハンドルを握って仰臥(ぎょうが)したまま、長大息した。
 どうしたのであろう、わがクロクロ島よ。このときぐらい私は血の通った生きた人間を恋しく思ったことはない。傍にいるオルガ姫は、なにごとであれ私の命令を忠実にまもる部下ではあったが、惜しいことに、彼女は人造人間だから、話しかけて、相談するわけにはいかなかった。
「ああ、話相手がほしい。すこしぐらい変でもいい、生きている人間の話相手がいてくれたら……」
 私は、なんだか、めまいを覚えた。不安の影が、黒い翼(はね)をぐんぐんひろげて、私の体を包んでしまおうとする。このまま私は、深海に死んでいくのではないかと、心ぼそさが、こみあげてきた。私は思わずも、ハンドルを握りしめた。そして、誰も聞いていないのに、大きなこえを出して口から出まかせに、わけのわからぬことを喚(わめ)きたてた。
 絶望だ! 絶望だ!
 そんなことを、どのくらい続けていたか、私はよく憶(おぼ)えていない。
 その間にも、私の操縦する潜水艇は、どこをどう、うろついたのかも全く知らない。
 気のついたときには、私は、あやめもわかぬ暗闇の中にいた。
「おや」
 と思った私は、耳を澄ました。
 だが、何の物音も聞えなかった。――光も音もない世界へ、私は放りこまれていたのである。
 しかしこのとき、もう私は、かなりの落着きをとりかえしていた。
「オルガ姫!」
 私は、暗闇に向って、助手の名を呼んだ。
 返事がない。
「オルガ姫!」
 私は、更に声を大きくして叫んだ。
 だが、その応答はなかったのである。
(こいつは、いかん。何ということだ!)
 事態は重大化した。一大変事が起ったのである。どこにいても、すぐ返事をして飛んでくるはずのオルガ姫が、私の傍から離れ去ったのだ。
 クロクロ島は、影を消すし、横に寝ているはずのオルガ姫まで、どこかへ行ってしまった。なにがなんだか、さっぱりわけがわからない。
 私は、ふと気がついて、両手を伸ばして、あたりをさぐった。
「なんにもない。ハンドルもないのだ」
 一大事だ。私はいつの間にか、極秘(ごくひ)の潜水艇の外に出ていたのである。
 私は、そっと両手をついて、頭をあげた。
「おッ、起きあがれるぞ!」
 私は起き上った。だが、そこにも、次の大きなおどろきが待っていた。私の足の下に、踏んでいるはずの大地が感ぜられないのであった。
(足の裏が、無感覚になったのであろう)
 そう思いながら跼(かが)んで、足の下をさぐった。このときぐらい、私が愕(おどろ)いたことはない。足の下には、なんにもない。床もなければ、大地もない。それは全く、空っぽの空間だけがあったのである。
 名状しがたい大戦慄が、私の背中を、匐(は)いのぼった。怪また怪!


   空間の大戦慄(だいせんりつ)――おそるべきX大使の魔力


 さすがの私も、この恐怖の一瞬に、全身からありとあらゆる精力が、一度に抜け去ったように思った。
 が、最後の一歩手前で私は、もしやと考えた。
「これは、夢を見ているのではないか」
 私は、そういうときに誰もがするように、われとわが頬を、指さきで、つよくひねった。
「あ、痛い!」
 頬は痛かった。――しからば、これは、夢ではないのだ。
 夢であった方が、まだましであった。これが夢でないとしたら私は、この不思議な現象を、何と理解したらいいであろうか。全くもって、物理学では説明のつかないことになった。
「ああ、恐ろしい」
 私は、もう恐怖を、隠しきれなかった。そして体を丸くして、両腕に自分の膝小僧を抱えた。
「――夢でなければ、私は、気が変になったのかしらん」
 私は順序として、今度はそう思わないではいられなかった。
(気が変になったのであれば――気が変になったということを、どんな方法で確認したらいいのであろうか?)
 解らない、解らない!
 気が変になった者が、自分で自分の変になったことを検定する方法はない。地獄だ、無間地獄の中へ落ちこんだようなものだ。
 私は、暗闇の中に竦(すく)んでしまって、化石のようになっていた。真の絶望だ!
 私は、もう、すべてのことを忘れていた。鬼塚元帥からの密令のことも、欧弗同盟国と汎米連邦の開戦説のことも、また、その両国が連合して、大東亜共栄圏を脅かそうという風説のことも……。いや、そればかりではない。私は、今の今まで心配していたクロクロ島のことさえ忘れそれから、オルガ姫のことや、私の乗っていた筈の快速潜水艇のことさえ、一時忘れてしまった。
 ただ、私の頭脳(あたま)の中に一杯に拡がっていることは、この不思議な空間のことであった。どこからも解く糸口のない謎!
 もしそのまま、私が後一時間も、そのままで放って置かれたら、恐らく私は、本当に発狂してしまったのかもしれない。
 だが、私は、一つの大きなことを見落していたのである。この不可思議な現象を解く鍵が、まだ一つ、残っていたことを!……真の絶望ではなかったのである。
 その鍵とは?
 それは外でもない、「時間」という鍵であったのだ。
 時間だった。その鍵は!
 時間のみが、その不可思議の扉を開く力を持っていた。――つまり、時間の動きが、ともかくも、私を絶望の世界から救ってくれたのである。
 時間の動きだ。時間が、どんどん経っていった。時間の速さが、どの位であったか、それは知らない。とにかく、何時間か何十時間かが経過した後、私は不意に、一道の光明の中に放りだされたのである。――それは、音響として私の耳を撃った。百雷(ひゃくらい)が一時に崩(くず)れ落ちたかのように、その音響は、私の鼓膜を揺りうごかした。――それは、単に言葉に過ぎなかったのではあるけれど……。
“どうかね、黒馬博士。もういい加減、閉口(へいこう)したろうねえ”
 恐怖の声! 戦慄(せんりつ)の言葉!
 私は悪寒(おかん)と共に、ぶるぶるッと、慄(ふる)えあがった。
(どうかね、黒馬博士。もういい加減、閉口したろうねえ)
 ――とは、どこかで聞き覚えのある声音(こわね)ではある!
(ああ、そうだ!)
 私は、思い出した。そしてまた、大きな戦慄が、私の全身に匐い上った。
「おお、X大使か、貴様は!」
 私は、暗闇に向って、声をふり絞った。
 空間から不意に飛び出した声は、たしかに、あの超人X大使の声に違いないと思われた。
「おい、黒馬博士。君は、ひどい奴だ」
 と、その声は、私を責めた。たしかにX大使の声だ!
「わしは君と、大いに友好的に、つきあおうと思っているのに、君はわしに危害を加えようとした。磁力砲というのかね、あれは……。クロクロ島の入口に備えつけて、久慈に使わせたのは……」
 X大使の声には、深い恨(うら)みが籠(こも)っていた。――私は、ようやく、一つの光明(?)を掴んだのであった。それは実に私が今、怪人X大使の捕虜になっているという事態を悟り得たことであった。
 おそるべきX大使の魔力よ。


   怪声(かいせい)張(は)るX大使――白人種結社から派遣されたスパイ?


「あれは正当防衛だ。あなたから、恨まれる筋はないのだ」
 X大使だと知って、私は猛然と、敵愾心(てきがいしん)を盛り起した。
「なんだ。その正当防衛という意味は?」
 X大使の声が、問いかえした。
「そうではないか、X大使、断りもなく、わがクロクロ島の内部まで侵入して来るような相手に対しては、吾々は、いかなる手段を用いても、防衛するのだ。当り前のことではないか」
「なあんだ、そんな意味か。ばかばかしい」
 と、X大使は、吐き出すようにいって、
「君の方では、あれで、厳重な戸締りをしたつもりなんだろうねえ。人間なんて、自惚(うぬぼれ)ばかりつよくて哀れなものだ」
「人間? お互いに人間であることに、変りはない。X大使よ、君は人間の悪口をいうが、それは天に唾をするようなものではないか。つまり自分の悪口をいっているわけだからねえ」
 私は、むかむかして、こっぴどく大使をやっつけたつもりだった。
 しかし、X大使は、無遠慮にからからと笑い、
「あははは、可哀いそうな者よ。なんとでも、好きなように自惚れているがいい。そのうちに君たちの大東亜共栄圏は、白人たちの土足の下に踏みにじられるだろう」
「やあ、そういう君は、白人種結社から派遣されたスパイだろう」
「違う」
 と、X大使は、言下につよく否定したが、しばらくその後を黙っていて、やがてなんだかわざとらしい調子の言葉になって、
「……まあ、なんとでも想像するがいい。しかしとにかく、わしは君に警告しておく。もう、あのようなくだらん磁力砲(じりょくほう)などを仕掛けるのはよせ」
「余計な御忠告だ。そういう君は、磁力砲の偉力に、すっかり参ったというわけだろうが……」
 私は、大使が、悲鳴をあげているのだと確信した。
 するとX大使はまた、ふふんと鼻で嗤(わら)い出して、
「おい、黒馬博士。君は学者のくせに、いつまで、迷夢(めいむ)から覚めないのか。君は、この暗黒世界のことを、何だと考えているのか」
 X大使の言葉は、私の腕に、針を突込んだように痛かった。私は、かなり強がりをいっているものの、踏みしめるべき大地のないこの暗黒世界に、ひとり封じこめられている気味のわるさに、これ以上怺(こら)えかねていたところである。
 しかし私は、こんなところで、敵に弱味を見せてはと思い、
「あははは。X大使よ、それよりも、磁力砲の偉力を思い出したがいいぞ。君の身体は、磁力砲のために大怪我をしたではないか。だから君は、今私の前に姿を見せることができないのだろう。そして、声ばかりで、私を嚇(おど)している。そんな嚇しに、誰がのるものか」
 と、いってやった。
「おかしなことをいう」
 X大使はちょっと腹を立てたような声になって、
「わしが、磁力砲のため、大怪我をしたと思っているのか。それがため、わしが姿を見せないと思っているのか。ふふん、とんでもない独(ひと)り合点(がてん)だ。わしは、ちゃんとしているのだ。今、姿を見せてやろう」
 そういったかと思うと、とつぜん、空気を破って、奇妙な高い調子の震動音が聞えてきた。そのうちに、暗黒の中に、朦朧(もうろう)と、白く光った人の形があらわれて来た。
(おやッ、出たな。まるで、大魔術を見ているようだ)
 人の形は、どんどん明瞭度(めいりょうど)を加えていった。そして、ものの三十秒も経たないうちに、その人影は、嘗(かつ)て私が見たことのある彼(か)の奇怪なる服装をしたX大使の姿となり果てたのであった。高圧潜水服に全身を包んだような、大使の不思議なる姿!
「どうだ、わしの姿が見えるだろう」
「舞台の上の大魔術というところだ。入場料をとっているなら、拍手を送りたいところだが、そんな手で、私はごま化されないぞ。これは、君の本当の体ではなくて、幻影にすぎないのだ」
「幻影? 可哀いそうな人間よ。これでも、幻影か」
 X大使は、とつぜん私の方に近づき、私が身をかわそうとするのを先まわりして、やっと、かけごえをして、私の腕を掴んだ。
「うむ、痛い! 骨が、折れる……」
 X大使の握力は、まるで万力機械(まんりききかい)のように、強かった。幻影ではないX大使であった。私は歯を喰いしばって、疼痛(とうつう)にたえた。
「ははは、それ見たことか」
 X大使は、憫笑(びんしょう)すると、やっと手を放した。
「だが、黒馬博士。わしの真意は、君を殺すことではない。いや、それよりも、正直なところ、わしは君と友好的に協力し合いたいのだ。どうだ、承知しないか」
 突然、X大使の言葉は、妥協的になった。
 だが、私は油断しなかった。
「身勝手なことを、いってはいかん。私をこんな目にあわせて置きながら、友好的協力もなにも、あったものじゃない」
 私は、すかさず抗議をしてやった。
「まあ、そういうな。今、君が遭っている異変は、魔術でもなんでもない。わしは君に、わしの偉力を、ちょっぴり見せたかったのだ。――だが、今君は、わしに対して感情を害しているようだ。わしは、これ以上無理に君を圧迫しまい。私は自ら一時退却する。しかし、この際、君に一言のこして置くから、忘れないでいてもらいたい」
 と、X大使は、改まった調子で、
「今後、君たち大東亜共栄圏の民族は、更に大きな危険に曝(さら)されることになるだろう。そのとき、救援が欲しかったら、わしに求めるがいい。わしは、ちょっとした交換条件をもって、君たちを全面的に援助するだろう。どうか、それを忘れないで……」
 そういったかと思うと、X大使の姿は、俄(にわ)かに、アーク灯のごとく輝きだした。いや、大使の姿だけではない。私の身のまわりの暗黒世界が、一時に眩(まぶ)しく輝きだした。私はあっと叫んでその場にひれ伏した。そして知覚を失ってしまったのである。


   確認された侵入――三角暗礁へ船をつけろ


 再度、私が吾れに戻ったときには、なんという不思議か、私は元の快速潜水艇の中に横たわっていた。
「深度、百五十!」
 オルガ姫の声だ。
 私は夢を見ていたのか。
「おい、オルガ姫。クロクロ島の所在は、どうした」
「はい。まだ、見当りません」
 いつの間にか、スイッチが切りかえられて、操縦その他は、オルガ姫が担当していることが分った。
 夢を見ていたのであろうか。本当に、あれは夢だったか。
 そのとき私は、右掌(みぎて)を、しっかり握っているのに気がついた。
「なんだろう?」
 私は掌を開いた。中から出てきたのは、一枚の折り畳んだ紙片であった。
 私は、その紙片を開いてみた。
「おお、これは……」
 私は、愕然(がくぜん)とした。
「友好的に協力を相談したし。X大使」
 簡単だが、ちゃんと文章が認(したた)めてあった。いつ、誰が、私の掌の中に、この紙片を握らせたのであろうか。しかしこんなものがあれば、さっきからのX大使との押し問答は、夢だとは思われなかった。
 私は、改めて、惑わざるを得なかった。
「オルガ姫、われわれがクロクロ島のあった場所に戻りついてから、只今までの間に、なにか異変はなかったか」
 私はそういう質問を発して、姫の返事やいかにと、胸をとどろかせた。
「自記計器のグラフを見ますと、三分間ばかり、はげしい擾乱(じょうらん)状態にあったことが、記録されています」
「なに擾乱状態が……」
 私は、手を伸ばして、自記計器の一つである自記湿度計の中から、グラフの巻紙を引張り出した。なるほど、つい今しがた、三分間に亘って、湿度曲線がはげしく振震(しんしん)していた。
 湿度が、こんなに上下にはげしく震動するなんて、常識上、そんなことが起るはずはなかった。これは、異変と名づけるほかに、説明のしようがない。たしかに、今しがた三分間の異変があったということが、グラフによって確認されたわけである。
「ふーん、やっぱりX大使は、本当にここへやって来たんだな」
 X大使の来訪(らいほう)は、今や疑う余地がなかった。私には、その会見の時間が、三分間どころか、もっともっと永いものに感ぜられたのであった。私の感じでは、すくなくとも三十分はかかったように思う。
 大使の来訪は確認されたが、その他の奇異な現象については、今のところ、私はそれを解く力は持たなかった。――暗黒の世界の位置、足の裏の下に、大地も床もなかった不思議。X大使の姿が、闇の中から朦朧(もうろう)と現われ、そしてやがて話が終ると、一団の火光と変じて消え去ったことの謎! それらのことを説明するには、私は、あまりにも無力であった。
 しかし私は、これらの怪奇きわまる謎を、近き将来において、きっと解いてみせるであろう。
 いや、後日、私はついにその謎を、科学的に、りっぱに解くことが出来たのであった。それとともに、X大使の正体も何も、急にはっきり分ってしまった。そこにおいて、われわれは人智(じんち)の想像を絶する新世界を身近に発見して、一大驚異にぶつかることになるのであるが、そのことは、いずれ後で、くわしく述べるときが来る。
 私の頭脳(あたま)は、一週間も徹夜をつづけたぐらい、疲れ切っていた。
 しかし私は、鬼塚元帥から申し渡された重大使命を忘れる者ではない。祖国日本は、今大危難の矢おもてに立っているのである。ぐずぐずしていることは、許されない。われわれは直ちに、最善の行動を起さなければならないのである。私は拳(こぶし)を固めると、自分の頭に、自らはげしい一撃二撃三撃を加えた。
 私は残念ではあったが、ついにクロクロ島の捜索を、一時断念することに決めた。
 といって、このように窮屈な、快速潜水艇に缶詰みたいになっているわけにはいかない。
 私は、決心した。
「おい、オルガ姫。三角暗礁へ、艇(ふね)をつけろ」
「三角暗礁へ! はい」
 私は、一時、三角暗礁に拠って、おもむろに次の作戦を練るよりほかに、いい方法はないと思ったのである。
 三角暗礁!
 これは、いわば、私たちが非常の場合を予想してこしらえて置いた秘密の根拠地であった。そして、その名称のとおり、海面からはうかがうことの許されない深海の底に設けられた根拠地であったのである。
 その位置は、南アメリカ大陸を西へ越した南太平洋にある、有名な仏領タヒチ島に近いところであった。布哇(ハワイ)島からいえば、丁度真南に当り、緯度で四十度ばかり南方にあたる。
 私たちは、その三角暗礁へ急行した。


   三角暗礁(あんしょう)にて――クロクロ島の紛失(ふんしつ)


 望遠鏡に、ケープ・ホーンの、鬼気(きき)迫る山影がうつったかと思う間もなく、南米大陸は、ぐんぐんと後に小さくなって、やがて視界に没した。
 それから間もなく、海水の色がかわり、潮の流れがまるで違ってきた。
 雲霞のごとき、魚群を、いくたびとなく蹴散らしながら、全速力をつづけること小一時間、
「三角暗礁が見えます」
 と、オルガ姫が知らせた。
 望遠鏡の向きをぐっと変えると、なるほど前方に、大きな氷柱(ひょうちゅう)を逆さにして立てたような、怪奇な姿をした三角暗礁が見えてきた。
 暗礁の頂上が、磨ぎすましたように、三角の稜(りょう)をつくって、上を向いているのであった。それで、三角暗礁の名があった。
 付近には、妙な渦がまいていて、船舶は、魔の海として近づかない。ただ魚だけは、絶好の游泳場として、寄ってくる。
 三角暗礁は、だんだん大きく見えてきた。
 暗礁の中腹に横に抜ける一つの大きな洞穴がある。これは、わが潜水艦隊が、技師たちを連れていって穴をあけたものである。この洞が、安全な着船場となっていたのである。
「洞穴(どうけつ)に、艇(ふね)をつけろ」
 私は、命令をした。
 オルガ姫は、速い潮流に流されそうになる艇を、巧みに操縦して、暗礁のまわりを、二、三度ぐるぐる円を描いて廻っていたが、やがて、艇は吸い込まれるように洞穴の中へ入った。
 洞穴の中は、真暗であった。
 昼寝をしていた魚が、びっくりして、中から飛び出してきた。
 洞穴は、奥行が、二百メートルばかりもあって、奥はなかなか広くなっている。そこまで入っていくと、自然に継電気(けいでんき)が働いて、洞穴の天井に電灯が点くようになっている。
 艇(ふね)がこの洞穴の広間へ、舳(へさき)を突込んだとき、果して、ぱっと点灯した。そして、そこに、怪奇をきわめた広間の有様が、人の眼を奪う。
 天井は高く、五十メートルばかりもある。
 四囲の岩壁は、青味をおびた黒色をしていて、そのうえに、苔(こけ)や海草が生え、艇が水を動かすものだから、ゆらゆらと揺れる。
 この洞穴は、向うへも抜けられるようになっているが、洞内の海水は澱(よど)んでいて、ほとんど流れがない。
 岩壁には、太いパイプに、蓋をかぶせたようなものが、あちらこちら合計して六つほども、飛び出している。大きいのもあれば、小さいのもある。これは、岩礁の中にある部屋部屋への耐水入口である。
 オルガ姫は、巧みに、艇をこのパイプへ寄せた。
 艇は胴中から、同じようなパイプが、くりだされる。そして、それが伸びて、岩壁のパイプの蓋とぴったり合う。こうすれば、艇内と岩壁の中とが、耐水性に保たれるのであった。あとは、艇のパイプの蓋を開き、それからその奥に見える岩壁のパイプの蓋を開く。こうすれば、艇内と岩壁の内部との交通路が開ける。
 万事は、オルガ姫が匐(は)い出して、うまくやってくれた。
 私が呼ばれたときには、この通路が、既にちゃんと出来ていて、オルガ姫は岩の中から、私に声をかけたのであった。
 私も、つづいてパイプの中に匐い込み、向うへ通り抜けた。そこはもう、暗礁内の密室であった。
 密室は、ビルディングのように、十階になっている。各階は、整然と分けられ、食料品、燃料、機械類、資材、清水などが貯えられているほか、弾薬庫もあれば、寝室もあり、執務室(しつむしつ)もあった。
 だが、普段、この三角暗礁には、誰も留守番がいなかった。だから、私が中に入っていっても、誰も私を迎えてくれる人がなかったわけである。
 孤独は、いつまでもつづく。しかし、科学が進んでくれば、人間は、ますます孤独の生活に耐えねばならなくなる。それは、一人の人間が、夥(おびただ)しいたくさんの機械を操(あやつ)らねばならないからである。人間なら、誰も彼も、こうした機械群をうけもつ。そうしないと、外敵の侵略を喰い止めるに充分な、科学的防備力を発揮することが出来ない。
 私はオルガ姫を連れて、機械室へはいった。
 この部屋には、通信装置が完備していた。私はその前の椅子に、腰をかけた。
 私は、まことに遺憾(いかん)であったが、クロクロ島の紛失(ふんしつ)について、鬼塚元帥に報告をする決心を固めたのであった。元帥は私の報告を聞いて、どんなに気を落されることであろうか。それを思うと、私は電鍵(でんけん)に手をふれる勇気が、一時に消失するのを覚える。
 でも、私は、ついに主幹スイッチを入れた。パイロットランプが青から赤に変り、そして真空管に火が点いた。
 私は、元帥からさずかった貴重な暗号帳を開きながら、電鍵を叩いたのであった。
 ところが、元帥のいる戦軍総司令部は、なかなか出て来なかった。
(暗号が、違っているのかな?)
 私は、暗号帳をひっくりかえして、しらべた。しかし、私の打っている暗号には、間違いがないことが分った。私は、不安を覚えた。
 そこで、一時、戦軍総司令部を呼び出すことをやめて、その代りに、空中から司令部の電波をキャッチしようと、回路を受信側に切りかえ、受話器を耳にかけた。
 波長帯は、三十五ミリ前後であった。
 波長を合わしたところ、そのあたりは、はげしい空電で混乱していた。
 この短い波長帯に、空電はおかしいと、気がついた私は空電を波型検定用のブラウン管にかけてみた。
 すると、愕(おどろ)くべきことが分った。
 その空電は、自然現象の空電ではなくして、人間が作った空電であった。つまり、総司令部の波長帯を妨害して、通信をさせまいと努めている者があるのである。
 私は竦然(しょうぜん)とした。
 総司令部の波長帯が知られてしまい、そこに妨害電波が集中しているとすると、これは只事ではない。
(ひょっとしたら、わが総司令部の上に、最悪の事態が襲来したのではなかろうか?)私は、非常な焦燥を感じた。
 鬼塚元帥が予感したとおりの、最悪の事態が早くも来てしまったに違いない。
(これは困った。どうしたものだろう)と、私は痛むこめかみを抑えて、最善の処置について、考えこんだ。
 そのときであった。受信機についている高声器から、とつぜん、電話が鳴り響いた。
「――本鑑ノ左舷前方十五度ニ、黒キ大ナル漂流物アリ、一見島ノ如キモノ漂流シツツアリ。全艦隊ハ直チニ針路ヲ北北東微北ニ転ゼヨ!」それは、流暢なる英語であった。漂流する一見島の如きもの――おお、それこそクロクロ島にちがいない。
 そのクロクロ島は、確かに米連の主力艦隊とおぼしき艦隊の間近を漂流しているのである。しかも米連の主力艦隊は、この三角暗礁に、かなり近いところを航行中のようである。ここに息づまるような新事態が発生した!
「オルガ姫、方向探知器を読め。今の無線電話の送信位置は、どこになっているか」
 私は、大声で叫んだ。


   米連艦隊に遭遇――煙幕(えんまく)の中のクロクロ島


「……只今、艦隊の位置は、わが三角暗礁の東、約七十キロです」
 オルガ姫は、すぐさま、米連艦隊の位置を報告した。電波が聞えれば、もうしめたもので、どの地点でその電波を出したかを、計器でちゃんと出すことが出来る。ただ、こうした海底の暗礁の中で、それをやるには、かなりいい受信機をもっていないと駄目である。
「ふーん、約七十キロ、東か。よし、じゃあ、すぐ出かけよう。オルガ姫、魚雷型快速潜水艇の入口をあけておけ」
「はい」
 オルガ姫は小走りに、すっ飛ぶようにして、廊下を駈けだしていった。
 私は出発にのぞみ、三角暗礁記と記された大きな帳面をひろげ、大急ぎで、いま三角暗礁をはなれるに至った事情と、その時刻とを書きこむことを忘れなかった。これは、後からくる者への引継ぎ上、どんなに急いでも、書き残しておく義務があったのである。
 ペンを机のうえになげだすと、私はオルガ姫のあとを追って、廊下を走った。それから三分ののち、私たちは又あの狭くるしい魚雷型潜水艇の中に、横たわっていた。
「出発!」
「はい、出発します」
 私は寝たまま、プリズム反射鏡をとおし、窓外にうつりゆく洞穴(ほらあな)の景色にさよならをした。クロクロ島が、どういうことになっているのか判らないが、米連艦隊に見つかり、しかもそのすぐそばを漂流しているのだとすれば、救いだすのにとても骨が折れる。下手をやれば、こっちまで艦隊の砲撃目標になって、彼等を一層得意にさせることになろう。だから、三角暗礁も、これが見納めになるかもしれない。
 エンジンの音が、高くなった。
 艇は三角暗礁をぬけだして、海中をまっしぐらに走りだした。
 さあ、いよいよ戦闘開始だ。
 赤外線望遠鏡で、外をながめていると、ついに大型艦艇の船底が見えだした。
「おお、いるいる。一隻、二隻、三隻……ええと、これはたいへんだな。皆で二十五隻か。ふーん、これは、たしかに主力だ」
 米連艦隊の主力が、大体北方にむけ進行中であることが分った。
 私は、次に望遠鏡を廻転して、クロクロ島らしい漂流物の位置をもとめた。
「おお、やはりクロクロ島だ。浮きっ放しで漂流しているんだな。宇宙線ダイナモの故障らしい。なぜ予備発電機を使わないのであろうか」
 私は、じれったくなった。
 そのときであった。鈍い音響が、水中を伝わってきた。
「おや、なんだろう、あの音は……」
 といっているとき、水中が急に明るくなった。一大火光が、ぱっと四方にひろがったと思うと、それが、つつッと上へのぼって、小さくなった。と、またつづいて、同じような火光が、つづけざまに……。
「そうか、わかった。あれは、砲弾だ。うむ。クロクロ島が、砲撃をうけているんだな。こいつは、よくないぞ」
 クロクロ島は、無類丈夫にできている。しかしいくらクロクロ島でも、二十五隻から成る主力艦隊の巨砲の標的となっては、たまらない。こいつは、早く助けないといけない。
「煙幕放出用意。第一号から第五号まで、安全□(あんぜんえん)抜け」
「はい」
 オルガ姫は、忠実だ。
「はい。第一号から第五号まで、安全□抜きました」
「よろしい。上昇始め」
「はい、上昇始めます。深度八十、七十六、七十四、七十二……」
 オルガ姫は、早口で深度を読む。
「……深度十二、十一、十、九、八……」
 深度が五となったとき、私は煙幕放出を号令した。そして直ちに、逆に降下を命令した。
 ぶすッ、しゅう、しゅう。
 はち切れたような音だ。煙幕筒の第一号から第五号までが、海面で口を開いたのであった。これにより、おそらく十秒とたたないうちに、クロクロ島は、灰色の煙幕でもって、すっかり隠されてしまうはずであった。
 わが潜水艇は、反転して、石のごとく、海底めがけておちていく。
 私は耳をすましていた。米連艦隊の砲撃が、ぱったりと杜絶(とだ)えたのを確認した。
(うまくいったらしい。とうとう、クロクロ島は、煙幕の中に、見えなくなったのにちがいない)
 私はほっと一安心して、なおも海上の様子をうかがっていた。そのころ、艇は水平にもどって、同じ水深のところを、ぐるぐると環をかいてまわりだしたのである。


   嗚呼(ああ)、クロクロ島!――一発の水中榴弾


 クロクロ島が煙の中に見えなくなったので、今ごろはさぞ米連艦隊の連中を、まごつかせているだろう。私は、そのように考えていた。
「オルガ姫。もう一度艇を上昇させて、煙幕の端の方から、テレスコープを出してみろ」
 私は、命じた。
 クロクロ島なら、いろいろと素晴らしい光学器械が備えつけてあるが、この魚雷艇は場所が狭いため、いくらもいいものが付いていない。
 艇は上昇して、再び水深二メートル位へ上った。テレスコープが、そろそろとくりあげられる。――音はなんにも聞えない。もちろん、砲声も銃声も聞えない。林のごとく静かである。少し気味がわるくなった。
 テレスコープが、波の上に頭を出した。とたんに、私の頭の中に入ってきた光景は、前方千メートル位のところに並んだ米連艦隊の偉容であった。クロクロ島を中心にして、ぐるっと取り巻いている様子である。なんというものものしい光景であろうか。
 感嘆の心は、まもなく、はげしい憤りに変った。
 だだん。どうん、どうん。
 とつぜん、また砲撃が始まった。猛烈な砲撃である。今度は主砲を撃ちだしたものと思われる。クロクロ島付近に集る夥しい砲弾の雨! 海上も海底も、ひっくりかえるような騒ぎである。
「どうしたのかな。せっかく煙幕を張って、クロクロ島を保護してやったものなのに……」
 と、私は意外の感にとらわれた。
 クロクロ島は、やはり煙幕にとりまかれていた。しかるに、その上に、米連艦隊の砲弾は集中しているのであった。煙幕はあれど、さっぱり役に立っていないことが、明らかになった。すると、米連艦隊は、煙幕をとおして、標的の実体を見分ける特殊な測距儀をもっているのであろう。
「しまった!」
 私は、歯ぎしりを噛んだ。だが、もう遅かった。
 私は潜水艇を再び沈降させ、水中を見廻したが、赤外線望遠鏡の奥に、クロクロ島が、巨体を傾斜したまま、横すべりに沈没していくのが見えた。
「ああっ、タンクをやられたな。海水が、やっつけられたタンクの中に、どんどん浸入しているらしい」
 沈没速度は、見る見るうちにはげしくなり、そしてクロクロ島は、ついに、海底に突きこんだ。乾泥が、高速度映画のように、海水の中に、緩(ゆるや)かな土煙をたてる。千切れた海草が、ふらふらと舞い上っていくのが、爆風で跳ねあげられた人間のように見える。
 クロクロ島の中にいる筈の久慈たちは、一体なにをしているのであろうか。その前、クロクロ島は、巡航中の米連艦隊の鼻の先を、悠々と漂流していたという。それは、正気の沙汰ではない。久慈たちは、なぜその前に、救助信号を出さなかったのであろうか。そう考えてくると、久慈たちは、既にクロクロ島の中で、死んでしまっているのではあるまいか。なぜ、そんな重大な事態を惹き起したのであろうか――と、私は頭脳の中を、いろいろな考えが、走馬灯のようにぐるぐると駈けまわる。
 ああ遂に、超潜水艦は、沈没し去ったのだ。南半球において重大使命を果すはずのクロクロ島が、その機能を失ってしまったのだ。作戦は、一大くいちがいを起した。祖国日本にとっては、事態はまた更に一歩、険悪化した。クロクロ島の設計者であり、そして、つい先頃までは、その中に起伏していた私としては、こんなに残念なことが又とあろうか。私は、クロクロ島のまわりを、張りさけるような胸をおさえつつ、一周した。
 そのときであった。
 赤外線望遠鏡の中に、突如として、怪影を認めた。
「ああ、潜水艦だ!」
 潜水艦が一隻、こっちへやってくる。正しくそれは、米連艦隊に属する潜水艦である。それは多分、クロクロ島の最期をたしかめに来たのであろう。いや、クロクロ島の正体を、調べに来たのかもしれない。これは、たいへんである。折角作りあげた秘密艦クロクロ島のことを、知られてしまってなるものか。
「よし、あの潜水艦を、このまま帰さないことにしよう」
 私は咄嗟(とっさ)の間に、決戦の覚悟をきめた。折柄、クロクロ島の沈没しているあたりは、煙のような乾泥がたちこめ、咫尺(しせき)を弁じなかった。私はその暗黒海底を巧みに利用して、その物陰から、敵の潜水艦に向って、一発の水中榴弾を撃ちだしたのであった。命中するか、それとも外れるか。もし外れるようなことがあれば、敵に勘づかれて、私は非常な不利な状態に落ちこまなければならない。私は、水中榴弾(すいちゅうりゅうだん)の炸裂するのを、じっと待った。


   舵器損傷(だきそんしょう)!――本艇は沈下しつつあります


 じじじン、じじじン
 水中を、爆発音が波動してきた。敵の潜水艦の艦橋付近に、見事に命中したのだ。
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