未来の地下戦車長
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著者名:海野十三 

「おじさん、もぐらは、どういう具合に、土を掘るの」
 一郎は、大事なことを、たずねた。
「さあ、それはよく知らんねえ。しかし、もぐらの鼻は、かたくて、ほら、こんなにとがっているだろう。それから前脚なんか、こんなに掌(て)が大きくて、しかも外向(そとむ)きについているだろう。つまり、鼻と前脚とで、やわらかい土を掘るのにちがいないよ」
 お百姓さんは、自分の知っているだけのことをいった。一郎は、うなずいて、
「おじさんは、もぐらが土を掘っているところを、そばに立ってみていたことがあるの」
 と、きいてみた。
「ばか、いわねえもんだ。土を掘るのは夜中だというのに。わしはな、こう見えても、夜中に、わざわざ土を掘るところを見にいくようなばかじゃねえぞ」
 一郎は、それはばかではなくむしろかしこいのだと説明したが、お百姓さんには、それが一向に通じなかった。
 そこで一郎は、自分は、もぐらが土を掘るところを見て、もぐら式の戦車をつくりたいからお百姓さんに、生きているもぐらを、できるだけたくさん、つかまえておいてもらいたい。もぐら一頭につき、五十銭ずつで買うからと頼みこんだ。
「ええ、それは本当かね。一頭につき、本当に五十銭だな」
 お百姓さんは、きげんをなおして、にこにこ笑いだした。


   もぐら一箱


 もぐらがつかまったら、お百姓さんは、一郎のところへ、ハガキをくれることになっていた。
 一郎は、生きているもぐらを買って、どうするつもりであろうか。
 それから四五日たって、お百姓さんから、ハガキが来た。もぐらがたくさんとれたから、至急、買いに来てくれというのである。
 一郎は、さっそく、車をひいて、お百姓さんのところへいってみた。
「こんちは。もぐらが、つかまったそうですね」
 お百姓は、畑をたがやしていたが、一郎を見ると、鍬(くわ)をそこへおいて、やってきた。
「はあ、本当に来たね。お前さんは、本当に、五十銭ずつで買ってくれるのかね」
「大丈夫、本当です」
 お百姓は、しきりに念をおすのだ。
「皆、買うかね」
「それはもちろん。皆買います。多いほど、うまくいくと思うから」
「よし。じゃあ家へ来なせえ。納屋(なや)に入れてあるから」
 お百姓さんにつれられて、一郎は、その家へいった。大きな百姓家だった。この辺で、一番大きいお百姓さんだということだった。
 お百姓さんは、納屋の戸を、がらがらとあけて、中にある大きい箱を指した。
「この箱の中にはいっているよ。中へ、光がさしこまないように、よく目ばりをしてあるが、これだけ頭数をそろえるのに、わしは、ずいぶんくろうしたよ」
「へえ、そうですか。それで、皆で、幾頭はいっているのですか」
 一郎は、もぐらの数をたずねた。
「そうだなあ。数えちがいがあるかもしれんが、すくなくとも、二十六頭は、はいっているよ」
「へえ、二十六頭。あの、もぐらが………」
 二十六頭のもぐらが、はいっているときかされ、一郎は、さすがにおどろいた。彼は、せいぜい四五頭だろうとおもっていたのである。
「二十六頭とは、ずいぶんな数ですね」
「そうだよ。わしは、こんな骨折ったことはない。おかげで、このあたり一帯のもぐら退治ができたよ。どれ、はっきりした数を、かぞえてみようか」
 お百姓さんは、懐中電灯をつかって、箱の中のもぐらの数をしらべた。
「ああ、わかったよ。二十六頭じゃなかった」
「はあ。少なくても、やむを得ません」
「いや、もっとたくさんだ。皆で、ちょうど三十頭ある」
「えっ、三十頭? 一頭五十銭として、皆で、ええと十五円か」
「にいさん。どうも、すみませんね」
「いや、どういたしまして……」
 一郎は、十五円也(なり)の、もぐら代には、おどろいたが、正直なお百姓さんと約束したことだから、どうも仕方がない。ちゃんと十五円を払って、三十頭のもぐらのはいった箱を、車のうえにつんだ。
「お前さん、三十頭ものもぐらを、どうするつもりかね。やっぱり、毛皮をとるのだろうが……」
「いや、毛皮のことは、考えていないのです。ところで、おじさん。どこか、ひろびろとしたところは、ありませんかね。もちろん、畑みたいなところは、だめです。なるべく、木のすくない、そして土がやわらかで、草は生えていてもいいが、あまり草がながくのびていないところはないでしょうか」
「さあ、どこだろうなあ。一体、そこで、何をしなさるつもりじゃな」
「ええと、それは、まあ、こっちの話なんですが、とにかく、そんな場所があったらおしえて下さい」
「そうじゃなあ。ひろびろとして、木がなく、土がやわらかで、草がみじかいところというと……」
 お百姓さんは、しばらく首を曲げていたが、やがて、とんと足をふんで、
「あるよ、あるよ。この道を、むこうへ、一キロばかりいって、左を見ると丘がある。まわりには松の木が生えているが、その丘の上は、三十万坪もあって、たいへんひろびろとしている。そこがいいだろう」
「そんなところがあるのですか」
「いってみなさい。あまり人がいないよ」


   生きている地下戦車


 その夜、一郎は、もぐらのはいった箱を、車にのせて、お百姓さんにきいたその丘のうえへいってみた。ぼんやりと西の空に、月が出ていた。なるほど、そこは、ひろびろとしている。三十万坪はあろう。
 芝草らしいものが生えているが、草は、同じくらいに、短くかられている。ねころがっても、いいようなところであった。
「これは、いいところだなあ。ここなら、もぐらを放すのには、もってこいの土地だ」
 一郎がもぐらを買いしめたわけは、夜になって、もぐらを放って、生きている地下戦車であるもぐらが、土を掘るところを見るつもりだったのである。
「草のみじかさかげんも、これならおあつらえ向きだ。もぐらさん、さあ放すから、どんどんここを掘ってみておくれ」
 一郎は、車のうえから、箱を下ろして、その入口を開いた。箱のうしろを叩くと、もぐらは、おどろいて、われがちに、せまい入口からぞろぞろと、とびだした。
 淡い月光の下に、草原をもぐらの大群が、突撃隊のように、ころころと、はっていくところは、なかなか風(ふう)がわりな風景であった。一郎は、地下戦車長になる前に、もぐら隊長になろうとは、ゆめにも考えていなかった。
 一郎は、十五円のもぐら隊のあとから、にこにこ笑いながら、様子を見まもっていた。
 なにしろ、もぐらの数は多いし、それに、ここは、べらぼうにひろいから、もぐらの行方を、いちいちしんぱいする必要はなかった。いずれそのうち、もぐらのどれかが土を掘りだすだろうから、そうしたら、そのもぐらのそばへいって、彼の地下進撃ぶりを観察すればいいのであった。
 もぐらの大群は、まっくろな一かたまりになって、青草のうえを、はいまわっている。永いこと車にのせられたので、まだおどろいているらしい。一郎はそり身になって、もう西の森かげに落ちそうな淡い片われ月を見上げた。
「ああ今ここに、高度国防国家日本建設の、かがやかしき歴史が、くりひろげられていくのだ。
 だがぼくの外(ほか)に、だれも、それを知っている者がないのだ。
 ああ、なんという神秘(しんぴ)な夜であろう。――だが一体、ここは、ばかにいいところだ。こんないいところを放っておかないで、家でも建てたらいいだろうに、おしいことだ」
 一郎は、詩情にかられたり、それからまた土地監理(かんり)案を考えたり――。
 そのうちに、もぐらの群が、なんだか、大きくなったように見えた。それはへんなことだから、そばへいってみると、どうであろう。もぐらはそれぞれ、草原(くさはら)に穴をあけて、中へもぐりこんでいるではないか。中には、もう一メートルちかい穴を掘り、草原のうえに、土をもりあがらせているものさえいた。
「さあ、しめた。生きている地下戦車隊が、地下進撃をおこしたぞ」
 これから、いよいよ、もぐらのお手並拝見である。一郎は、懐中電灯をつけて、そっと、もぐらのそばによった。
 草原が、むくむくともりあがってくると、つづいて、くろい土があがってくる。下では、もぐら先生が、汗だくで、活動しているのであった。だが、中はよく見えない。
 そこで一郎は、もってきた杖のさきで、もぐらをおどかさないようにそっと土をどけた。すると月光と懐中電灯の光がもぐらの背をてらす。もぐら先生は、急に光をあびて、びっくり仰天(ぎょうてん)、大いそぎで、土の中にもぐりこむのであった。
「ああ、やっている、やっている」
 一郎はかんしんして、もぐらが、あわてふためいて土を掘るのを、のぞきこんだ。
「なるほどなあ。もぐら戦車は、はじめ、あの先のとがったかたい鼻で、土を掘りくずし、それから前脚をつかって、その土を、うしろへかき出す。なるほどねえ、上手なものだ。ふーん、かんしんしたぞ」
 一郎にほめられていることもしらず、もぐら先生は、まぶしくて苦しくてたまらない。だから、命がけで、土を掘るのだった。
「これは十五円出した値うちがあったぞ。なかなか参考になる。これでもぐらが、象ぐらい大きかったら、本当の戦争に、もぐら隊をつかったかもしれないねえ。ふーん、かんしんした」
 一郎は、さかんに、かんしんしていたが、かくしから、帳面を出すと、もぐらの活動ぶりを写生しはじめた。


   設計命令下る


 話は、それから、急に五年先へとぶ。
 岡部一郎は、今やりっぱに成人して、ある機械化兵団(きかいかへいだん)の伍長(ごちょう)になっていた。
 これは、一郎が、少年戦車兵を志願して、めでたく入隊したことにより、この躍進の道が、ひらけたのであった。一郎は、まじめで、ねっしんだから、いつも、模範兵であった。
 選抜試験をうけると、そのたびに通過し、まだ年も若いのに、その冬には、伍長になった。
 今でも彼は、毎朝営舎(えいしゃ)で目をさますと、まず真先(まっさき)に宮城(きゅうじょう)を遥拝(ようはい)し、それから「未来の地下戦車長、岡部一郎」と、手習(てなら)いをするのであった。演習にいっているときには、土のうえに木の枝などをつかって、書くこともあった。
 当時、一郎の隊長は、加瀬谷少佐(かせやしょうさ)であった。少佐は、一郎に目をかけて、特にきびしく教育をした。他の兵が、遊んでいるときも、一郎は少佐の前に坐って、いろいろむつかしい数学や技術の教育をうけた。それからまた、ときには、外国の研究などについても、少佐は、知っているだけのことを、話してきかせた。
 ある日のこと、加瀬谷少佐は、若き岡部伍長をよんで、いった。
「岡部伍長。今日は、お前に、問題をあたえる。相当困難な問題ではあるが、全力をあげて、やってみろ」
「はい」
「その問題というのは、一、最も実現の可能性ある地下戦車を設計せよ――というのだ」
「はい、わかりました。一、最も実現の可能性ある地下戦車を設計せよ」
「そうだ。一つ、やってみろ。今から一週間の猶予(ゆうよ)をあたえる。その間、加瀬谷部隊本部附勤務を命ずる」
「はい」
 一郎は、それをきくと、もう胸の中がうれしさ一ぱいで、ろくに口もきけないほどだった。
「では、引取ってよろしい。明日から、早速(さっそく)はじめるのだぞ」
「はい。自分の全力をかたむけて、問題をやりとげます」
 岡部伍長は、厳粛(げんしゅく)な敬礼をして、よき部隊長の前を下がった。
 さあ、たいへんである。
 これは、今までのように、彼の趣味だけの仕事ではない。軍からの命令であった。国軍のために、実戦に役立つ地下戦車を設計するのだ。たいへんな任務であった。
 彼は、早速(さっそく)その夕刻(ゆうこく)、原隊(げんたい)から、所持品一切をもって、隊本部へ移った。
 彼のために、一つの部屋があたえられた。それは、やがて倉庫になるらしい木造のガランとした部屋であった。
 夕食が済むと、彼は、下士官集会所へも顔を出さず、この新しい部屋へもどってきて、電灯をつけた。
 彼は、どこから手をつけようかと考えながら、ひろい部屋の中を、こつこつと靴音をさせながら、あるきまわった。
 彼は、ふと、窓のそばによった。凍(こお)りついたつめたい窓硝子(まどガラス)の向こうに、今、真赤な月がのぼりつつあった。
 ああ、月がのぼる。
「月を見ると、思い出すなあ」
 と、岡部伍長は、ふと、ひとりごとをいった。
「ゴルフ場ともしらず、三十頭のもぐらを放して、もぐらが土を掘るところを研究したあの夜、あの月を見たなあ」
 もぐら事件のことを思うと、たのしいやら、おかしいやらであった。
 彼は、あのだだっぴろいうつくしい大草原(だいそうげん)が、ゴルフ場だとは、気がつかなかったのであった。ゴルフ場と知ったら、もちろん、もぐらを放(はな)つような、そんならんぼうなことをやらなかったろう。それがゴルフ場だとわかったのは、あの事件が、新聞に出てからのことであった。
 その新聞記事というのが、ふるっていた。
“○○ゴルフ場の怪事件、某国(ぼうこく)落下傘隊(らっかさんたい)の仕業か、多数のもぐらを降下さす”
 彼には、すっかりわけがわかっていたからこの新聞記事を読んでいるうちに、ふきだしてしまった。
 だが……。
 あのゴルフ場の番人が、真夜中になって、クラブハウスの窓から、はるか向こうのゴルフ場の一隅に、怪火(かいか)がゆらぎ(これは一郎のもっていた懐中電灯のことだ)それから朝になっていってみると、約百頭のもぐらが、折角(せっかく)手入れしてあったゴルフ場のフェアウェイを、めちゃめちゃに掘りかえしてあったというのだ。
 百頭とは、話が多すぎる。
 とにかく、このように多数のもぐらが、一時に、ゴルフ場へ匐(は)いこむ筈(はず)がない。だからこれはきっと、空中から落下傘で、もぐらを下(お)ろしたのであろう。
 その目的は、どんなことか、さっぱりわからないが、あの怪火は、落下傘隊員がふりまわしたものであろう――と、まことしやかに報じていた。
「あれは、おかしかったなあ。――しかし、それはそれとして、おれはやっぱりもぐらを基本とした地下戦車を設計するぞ」
 岡部伍長は、自信あり気に、独言(ひとりごと)した。


   方眼紙(ほうがんし)


 岡部伍長は、仕事はじめの夜に、窓から見たまんまるい月のことを、いつまでも忘れられなかった。
 その夜、彼は午後九時まで、地下戦車の設計に、頭をひねったのであった。その結果、どんなものが出来たであろうか。岡部の机のうえには、大きな方眼紙(ほうがんし)がのべられ、そのそばには、さきをとがらせた製図鉛筆が三本、置かれてあったが、午後九時、彼が寝台(しんだい)へ立つまでに、その方眼紙のうえには、一本の線も引かれはしなかった。
「むずかしい。とても、むずかしい!」
 さすがの岡部伍長も、太い溜息(ためいき)とともに、憂鬱(ゆううつ)な顔をした。
 ふだん、こんなものが出来たらいいだろうと思うがとか、そいつは、こんな恰好(かっこう)のものになるだろうとか、頭の中で、あそび半分に考えているときは、思いの外(ほか)、まとまった或る形が、うかびあがってくるものだが、さあ本当にこしらえてみよということになると、手をつけるのに、なかなか骨が折れる。
 それはそのはずである。実際につくるとなると、車輪一つのことだって、正しい知識が入用(いりよう)になるのだ。錐(きり)をつかえばいいと分っていても、しからば、実際にはどんな形の錐にすればいいのか、その錐をうける土のかたさは、どんな抵抗を生(しょう)じるものであろうか。錐をうごかす動力は、どのくらい入用で、どんなエンジンを使えばいいか等々、かぞえ切れないほどの問題が出てくるのであった。
 それだけではない。こっちをたてると、あっちがたたないことがまた問題となる。土をけずる錐は、大きいほどいいわけだが、錐を大きくすると、こんどは地下戦車自身が大きなものになって、地下の孔(あな)をくぐることがむずかしく、速度も出なければ、馬力ばかりたくさん要(い)って不経済のようにも思う。こっちをたてて有利にすれば、あっちがたたなくなって不利となるのだ。
「うわーい、いやになっちまうな」
 岡部伍長は、線一本引いてない方眼紙の上をにらみつけながら、丸刈(まるがり)のあたまを、やけにガリガリとかいて、寝所(しんじょ)へ立った。
 寝台へもぐりこんだが、もちろん岡部伍長は、ねむられなかった。
「ええと、どうしてやるかな。形は、どうも土龍式(もぐらしき)がいいと思うのだが……」
 もぐらの鼻の代りに、円錐形(えんすいけい)の廻転錐(かいてんきり)をつかうのがいいと、はじめから思っていた。しかしそれをどうして廻すか。それを廻して、はたして土はけずれるか。けずれても前進するかどうか。それから第一、廻転錐を廻す動力をどうするのか。また、けずりとられた土をどうするのか。――岡部伍長の頭の中は、麻のようにみだれた。
 みなさんだったら、このような問題を、どう片づけますか?
 岡部伍長は、寝ぐるしい一夜を送った。
 彼は、すこしも睡(ねむ)れなかった――と思っていた。
 しかし、夜中に営内の巡視(じゅんし)が、彼の寝ている部屋へも廻ってきたとき、彼、岡部伍長は、たしかに眼をとじ、ごうごうといびきをかいて寝ていたそうである。
(この男は、えらいいびきだな)
 巡視の士官(しかん)は、苦笑をして、後に従っている下士官(かしかん)をふりかえった。
(は、よく寝とります)
 すると岡部は、むにゃむにゃと口をうごかし、(……あ、そうか。もぐら君、君の鼻に、錐(ドリル)を直結すれば、よかったんだな。なあんだ、わしゃ、そこに気がつかなかったよ。はははは)
 と、気味のわるいこえをたてて、岡部は笑った。そして、とたんに、くるりと、寝がえりをうって、また、ぐうぐうと寝こんでしまった。
 士官と下士官とは、思わず目と目を見合わせた。
(夢を見て、寝言をいっとるようじゃが、あれは一体なんじゃ)
(さあ、もぐらがどうとかしたといっておりました。報告書に書いて置きますか)
(ふむ。――いや、それにもおよばん。毛布(もうふ)をよくかけといてやれ)


   熱心な投書


 巡視の士官たちが、戸口から出ていってしまうと、岡部は、その物音に夢をやぶられたか、ぱっと毛布をおしのけて、寝台のうえに半身をおこした。
「ああ、成功。大成功だ。すばらしい考えを思いついたぞ!」
 彼は、寝言ではなく、はっきりとものをいって、いそいで寝台を下りた。上靴(じょうか)をつっかけて、彼は、とことこと歩きだしたが、五六歩あるいて、急にはっとした思いいれで、その場に立ちどまり、
「……忘れないうちに、いまのすばらしい発明を手帖に書きとめて置かなければならないと思ったが……ちぇっ、なあんだ、ばかばかしい。わはははは」
 彼は、だれも見ていないのに、きまりわるげに、あたまを、ガリガリとかいて、寝台の方へ廻れ右をした。そしてまた、毛布の中に、もぐりこんだ。
「ちぇっ、夢だったか、ばかばかしい。行軍していると、水車小屋のかげから現れたもぐらというのが、体の大きいやつで牛ぐらいあるもぐらの王様だったから、こいつは使えるなと思ったんだ。そのもぐらの先生め、わしの鼻に廻転錐(かいてんきり)を直結しなさいという。なるほど、これは何というすばらしい考えだと……いや、目がさめてみれば、あれまあ、なんというばかばかしい夢をみたもんだな! な、なあーんだ」
 彼は、毛布の中で、くっくっと、いつまでも笑いがとまらなかった。
 その夜は明けて、翌日となった。
 岡部伍長は、腫(は)れぼったい瞼(まぶた)をこすりながら、また自分の机にかじりついた。
「きょうこそは、なんとか形をこしらえなければ……」
 と、彼は、がんばりはじめた。
 だが、その日も正午になったが、彼が睨(にら)んでいる方眼紙の上には、やはり一本の線も引かれなかった。
 こうした日が、三日間続いた。しかも彼は、方眼紙の上に、あいかわらず一本の線も引くことができなかった。頭をつかいすぎたことと、夜眠られないためとで、さすがの彼も、半病人のようになってしまった。
 その日の午後、加瀬谷少佐から電話がかかってきて、すぐ部屋へ来いということだった。はい、まいりますと応(こた)えたものの、岡部は、たいへん憂鬱(ゆううつ)だった。きっと隊長は、三日間の結果を報告しろといわれるであろうが、彼は、報告すべき何物ももっていなかった。報告すべき何物もないということは、遊んでいたと同じだと思われても仕方がない。彼は、いやでいやで仕様(しよう)がなかったけれど、隊長に命令で呼ばれて、いかないわけにもいかなかったので、唇をかみしめながら、隊長室の扉を叩いた。
 加瀬谷少佐は、待っていた。そこへ入っていった岡部の顔を見ると、少佐は、いちはやく万事(ばんじ)を察したが、それとは口に出さず、
「おい岡部。わしのところへ、このような投書が廻ってきたよ。民間にも、地下戦車をつくることに熱心な者があると見えて、これを見よ、田方松造(たがたまつぞう)という少年から、地下戦車の設計図を送ってよこした。よく見て参考になるようだったら、使うがよろしい。」
「はい」
「こういう図面だが、どうじゃ、うまくいくと思うか」
 そういって、加瀬谷少佐は、封筒の中から一枚の紙をとりだして、それをひろげた。その紙面には、別記のような田方式(たがたしき)地下戦車〔第一図〕が描(えが)いてあった。

 この戦車は、頭のところが、例のロータリー除雪車に似た廻転鋸(のこぎり)になっていて、そのうしろに、車体があり、後方は流線型(りゅうせんがた)になっていた。そして車体には、小さな車輪が左右で十二個つき、なかなかいい恰好(かっこう)であった。
「どうだ、岡部。これは実現できるか、どうか。お前の意見は、どうか」
 加瀬谷少佐は、かさねて、岡部にたずねた。
「はい。これは、前進しないと思います」
「前進しない。なぜか」
「たとえば、これを山の中腹に突進させたといたします。なるほど、この廻転鋸がまわれば、周囲の土をけずりますが、しかし前方の土をけずりません。ですから、この車体で前方へ押しても、前方から押しかえされますから、前進出来ません」
「なるほど。では、これを如何に改良せばよろしいか」
「自分の考えとしましては、この先の廻転鋸は力がありませんから、鋸でなく、錐(きり)にかえた方が有効だと思います」
「錐か。どんな形の錐を用いるのか。ちょっと、これへ描いてみよ」
「はい」
 少佐に命令されて、岡部は、ちょっとたじろいだが、ぐずぐずしていることは出来ないので、鉛筆をとりあげた。そして、かんたんな図ではあったが、咄嗟(とっさ)に浮んだ形を、そこに描いてみた。〔第二図〕

「なんだ、これは? 芋(いも)か葉巻煙草(はまきたばこ)かという恰好だな」
 と、少佐は、にが笑いをして、岡部伍長の顔を見上げた。


   第一号の試験


「はい。すこぶるかんたんでありますが、これなら、前進する自信があります」
 岡部伍長の顔は、真赤にほてっている。
「どういうのかね。説明をきこう」
「はい。この大きな部分が、車体であります。エンジン、乗員、その他武装もついているのであります。この前方の三角形は、実は円錐形(えんすいけい)の廻転錐(かいてんきり)を横から見たところでありまして、これが廻転するのであります。自分の最も苦心しましたところは、この回転錐であります」
「ほう、ここを苦心したか。どういう具合に苦心したのか」
「はい」
 と岡部はいったが、まさか夢に見たもぐらの話をするわけにもいかないので、
「……ええ、要するに、この円錐形の廻転錐はふかく土に喰(く)い入(い)り、土をけずりながら、車体を前進させます」
「なるほど、ぎりぎりと、ふかく喰(く)いこみそうだな。車体が、大根の尻尾のように、完全な流線型(りゅうせんがた)になっているようだが、これはどうしたのか」
「はい。これは、錐のためけずりとられた土が車体のまわりを滑(すべ)って後方へ送られますが、送られやすいためであります」
「そうなるかなあ」
 と、少佐は、首をひねった。
「少佐どの。けずられた土は、どんどん後方へ送られますが、そこに或る程度の真空が出来ます。ために、土は、とぶようにますます後方へ送り出されると考えます」
「ふむ。これだけかね。ほかに何か、附属品はつかないのか」
「いいえ、つきません。これだけでたくさんであります」
「それはすこし乱暴だぞ」
「自分は、そうは思いません。これで大丈夫だと思います」
「そうかなあ」
 加瀬谷少佐は、しばらく考えこんでいたが、
「ふむ、なにごとも勉強になることじゃから、大至急、それを実物に作らせてみよう。そして、その上でお前は、運転してみるのだ」
「は、承知しました」
 机上(きじょう)で、念には念を入れ、ふかく考えてみることは、大いに必要であるが、しかし考えただけで万事が解(と)けると思っては、大まちがいである。つまり、考えだけでは、解けないことがあるのだ。それを考えに迷いこんで時間におかまいなしに、いつまでも考えていると、結局そのものは、解けない問題ばかりがあまりにふえてきて、泥田(どろた)へ足をふみこんだように、ぬきさしならぬこととなる。
 だから、考えるのも、或る程度にとどめなければならぬ。そして早く、実物をつくって実行してみることが、解決を早くする。そのうえ、実物をつくって実行してみると、机の上では、とても気がつかなかったような困難な問題がひょこひょことびだしてきて、行手(ゆくて)を阻(はば)むものである。そこをのりこえなければ、本当に役に立つものは出来ない。
 それから三ヶ月の間かかって、岡部伍長がはじめて設計した地下戦車が、工廠(こうしょう)の中で、実物に仕上がった。
 さあ、いよいよその試運転の当日である。
 防諜(ぼうちょう)のこともあるので、その地下戦車第一号は、厳重なおおいをかけられ、夜行列車に積まれ、東京から程近い某県下の或る試験場へ届けられた。
 ここはその試験場であるが、見渡すばかりの原野(げんや)であった。方々に、塹壕(ざんごう)が掘ってあったり、爆弾のため赤い地層のあらわれた穴が、ぽかぽかとあいていたり、破れた鉄条網(てつじょうもう)が植えられてあったり。
 試験に従事するのは、加瀬谷少佐を隊長に、ほかに一ヶ小隊の戦車兵であった。
 問題の地下戦車第一号は大型の二台の牽引車に鋼条(こうじょう)でつながれ、まわりを小型戦車にまもられながら、ひきずられて、いった。その大きさは、三十トン戦車ぐらいのものであった。
 岡部は、もちろん、その地下戦車の中に入り、座席にしがみついていた。
 試験をするのに、ちょうど、都合のいいように、土地が切り開いてあった。
「さあ、その斜面に、地下戦車の鼻さきをつっこんでやれ」
 少佐は、ときどきにたりと笑いながら、部下を指揮した。
 なにしろこの地下戦車は、土の中ではどんどん走るのかもしれないが、地上では、進退が甚(はなは)だ自由でない。それというのが、この戦車には、地上を走る車輪さえついていないのであった。
「どえらいことになりましたね」
 少佐のそばに目を丸くして立っていた萱原(かやはら)という古強者(ふるつわもの)の小隊長が、少佐に向っていったことである。


   危険信号


「なにごとも、体験じゃ。とはいうものの、この地下戦車を目的物にあてがってやるまでに、いやに世話がやけるねえ」
「はあ。やっぱり、これは車輪が入用(いりよう)ですなあ」
「岡部伍長は、この次には、車輪をつけるといいだすだろう」
「いや、少佐どの。この次には、岡部は、砲弾みたいに、火薬の力でこの地下戦車を斜面へうちこんでくれなどといい出すのじゃありませんかなあ」
「うむ、いいだしかねないなあ、岡部のことだから……」
 そのうちに、用意が出来た。
 地下戦車の鼻さきが、やわらかい赤土の中にすこしばかり入った。そして牽引車(けんいんしゃ)は、後に退いた。
「では、始めます」
 地下戦車の蓋(ふた)があいて、岡部伍長が顔を出し、信号旗をふった。
 加瀬谷少佐は、それにこたえて、手をふった。
 岡部が中に引込むと、また一つの首が、出てきた。そして手をふった。
「やあ、ご苦労!」
 それは、同乗を命ぜられた工藤上等兵(くどうじょうとうへい)だった。
「萱原准尉(かやはらじゅんい)。工藤は、命令をうけて、別にいやな顔をしなかったか」
「いや、大悦(おおよろこ)びでありました。工藤上等兵と来たら、生命を投げだすようなことは、真先(まっさき)に志願する兵でありまして……」
「ははは、まさか、今日のところは、一命には別条(べつじょう)はあるまい」
「そうですかなあ。私は、心配であります」
 そういっているとき、地下戦車の蓋は、ぱたんと閉った。車体のうしろの排気管(はいきかん)から、白い煙が、濛々(もうもう)と出てきた。
「うむ、いよいよ出るらしい」
 加瀬谷少佐をはじめ、試験部隊の一同は、固唾(かたず)をのんで、問題の地下戦車の上に視線をあつめる。
 そのときであった。
 岡部伍長の乗った地下戦車が、ぶるぶるんと震(ふる)えたようである。ぎりぎりという音がして、戦車の頭部から、土がぱらぱらととびちる。
 円錐形の廻転錐が、いよいよ廻転をはじめて、赤土をけずりだしたのであった。
「ああ、もぐっていくぞ。案外、いいね」
 加瀬谷少佐は、戦車のはねとばす土を、頭からかぶりながら、熱心に、地下戦車の廻転錐のところを注視(ちゅうし)する。
 ぶるぶるん、ぶるぶるん。ぎりぎり、ぎりぎり。
 地下戦車は、すさまじく土をはねとばしながら、すこしずつ、斜面(しゃめん)の土中(どちゅう)につきすすんでいった。
「やるやる、すごいぞ」
 そのうちに、土が、とばなくなってしまった。それは地下戦車が、頭部をすっかり土中に入れてしまったからである。
「おお、これからいよいよ本当の前進じゃ。うまくいくかな」
 少佐は、手に汗を握っている。
 萱原(かやはら)准尉は、自分が運転をしているかのように、額(ひたい)に汗をにじませて少佐と並んで、地下戦車のうしろから覗(のそ)く。
 地下戦車は、それから更に深く土中に入(い)りこんだ。おおよそ、全長の三分の二ばかりが、土中にはいりこんだのであるが、それっきり進まなくなってしまった。
「おや、進まなくなったぞ」
「エンジンは、かかっているのですが……」
「そばへいって、車体を叩(たた)いて、聞いてやれ」
「はい」
 萱原准尉が、とんでいって、いわれたように車体を上からどんどん叩いた。
「おい、岡部伍長、どうした?」
 ところが、それには返事がなかった。
 しかしそのとき、エンジンの響は、さらに一段と大きくなった。全馬力(ぜんばりき)を出しはじめたものらしい。
「おい岡部。どうした!」
 かさねて、萱原准尉が、とんとんと車体を叩いた。
 然(しか)し、応(こた)えはない。
 そのうちに、准尉は、びっくりしたようなこえをあげた。
「おや、これは、へんだぞ」
「どうしたのか、萱原」
「ああ、そうか。車体が廻っているのです。車体が左に廻っております」
「なに、車体が左へ廻っている。それはたいへんだ。それじゃ、宙返(ちゅうがえ)りをやっているのじゃないか。飛行機じゃあるまいし、戦車の宙返りは、感心しないぞ。岡部伍長、なにしとる!」
 そのうちに、戦車の排気管から、赤い煙が濛々(もうもう)と出て来た。そしてエンジンが、ぱたりと停ってしまった。少佐は、それをみて、大きくうなずき、
「ああ、あれは危険信号だ。おい、全隊、土を崩して、地下戦車を急ぎ掘り出せ!」
 珍らしい号令が出た。
 待機していた小隊の全員は、鶴嘴(つるはし)とシャベルとをもって、戦車のそばに駈けつけた。
 そして急いで土を崩して、地下戦車を救いにかかった。どうやら、地下戦車第一号は、失敗の巻(まき)らしい。


   科学する心


 せっかく骨を折って設計した地下戦車第一号が、ものの見事に、失敗の作となってしまったので、岡部一郎の落胆(らくたん)は、非常に大きかった。
 彼は、掘りだされた醜態(しゅうたい)の地下戦車の中から瓦斯(ガス)にふかれたまっくろな顔を外へ出したとき、その両眼は、無念の涙で一ぱいだった。
 彼は、戦車からはいだすと今にもぶったおれそうな身体を、両脚で支(ささ)えて、加瀬谷少佐の前に出た。
「部隊長どの、自分は……」
 とまではいったが、あとはのどにつかえて、声が出なくなった。彼は、歯をくいしばって、われとわが横面(よこつら)を、がーんとなぐりつけた。そして、はっとしたところで、彼は、懸命の声をふりしぼって、
「……自分は、すまないことをいたしました。用意が足りんで、まことに、すまないであります」
 岡部一郎は、それだけいうと、もうたまらなくなって、思わず戦車服の袖(そで)で、両眼をおさえた。ぽたぽたと、大粒の涙が、戦車帽の袖から、下に落ちて、土にしみこんだ。
 加瀬谷少佐は、じっと岡部伍長のこの様子を見ていたが、そのとき、形を改(あらた)め、
「岡部伍長、今日の地下戦車の試験は、ついに失敗におわった、お前の設計は、まだ充分でない。そのことは、部隊長として、叱(しか)り置く」
 と、きめつければ、岡部伍長は、涙にぬれた顔をあげ、厳然(げんぜん)と不動の姿勢をとって、
「はい」と、こたえた。
「だが、この失敗のためにお前に命じた地下戦車研究の志(こころざし)がもしすこしでも鈍(にぶ)るようなことがあれば、わしはお前をさらに叱りつけねばならん」
 加瀬谷少佐は、一段と声をはげましていった。
「はい」
「もし、ここでお前の志がくじけることあらば、わしは、お前の御奉公(ごほうこう)の精神をうたがう。つまり、お前は、自分一個の慾心(よくしん)で、これまで地下戦車の研究をつづけていたのだと思い、わしはお前を新(あらた)に叱るぞ」
「は」
「地下戦車の研究は、お前一個の慾望を充たすために、命ぜられているものではない。おそれおおくも、皇軍の高度機械化を一日も速(すみや)かに達成するため、特に地下戦車の設計製作の重責(じゅうせき)をお前が担(にな)っているのである。お前は、それを忘れてはならぬ。一日も速かに地下戦車が欲しいこの時局に、多大の物資を使って、而(しか)もついに失敗したということは、もちろん感心できないことである。しかしながら、失敗を失敗として、そのまま終らせてはならぬ。失敗はすなわち、かがやかしい成功への一種の発条(はつじょう)であると思い、このたびの失敗に奮起して、次回には、更にりっぱな地下戦車を作り出せ。そのときこそ、今日の不面目(ふめんぼく)がつぐなわれ、それと同時に、皇軍の機械化兵力が大きな飛躍をするのだ。泣いているときじゃない。失敗を発条として、つよくはねかえせ。どうだ、わしのいうことがわかるか」
 加瀬谷少佐のことばには、無限の慈愛(じあい)が言外(げんがい)にあふれていた。
「は、はい」
 岡部伍長は、感激のあまり、腸(はらわた)が千切(ちぎ)れそうであった。
 感激は、岡部伍長一人のものではなかった。彼と一緒に、その地下戦車にのりこんでいた工藤上等兵も、伍長の横に直立したまま、唇をぶるぶるふるわせていた。部隊長の傍(かたわら)に並いる萱原准尉その他の隊員たちも、ひとしく尊(とうと)い感激のうちにおののいていた。
 ああ歴史的なその大感激の場面よ。その場にいあわせた者は、誰一人として、その日のことを永遠に忘れえないであろう。
「……岡部伍長は、只今より、あらためて粉骨砕身(ふんこつさいしん)、生命にかけて、皇軍のため、優秀なる地下戦車を作ることを誓います」
「よろしい。その意気だ。しかし、機械化兵器の設計にあたって、いたずらに気ばかり、はやってはいかん。機械化には、あくまで、冷静透徹(れいせいとうてつ)、用意周到、綿密にやらんけりゃいかんぞ。新戦車をもって敵に向ったときに、あっけなく敵のためにひっくりかえされるようじゃ、役に立たん。おもちゃをこしらえるのでない。あくまで実戦に偉力(いりょく)を発揮するものを作り出すのだ」
「はい。わかりました」
「よろしい。では、本日の試験は、これで終了した。――おい、岡部伍長と工藤上等兵は、大分疲労しておるようじゃから、皆で、よくいたわってやれ」
 加瀬谷少佐は、慈父(じふ)のような温いことばをそこに残して、立ち去った。感激に、また涙を落としている二人の兵のまわりを、萱原准尉その他が取り巻いて、やさしく肩を叩いてやるのが見える。


   改良型第二号


 そのことあってのち、岡部伍長は、また一段と、地下戦車の研究に、ふるいたったようであった。
 彼はまた、例の倉庫の中の研究室にこもって、計算尺をうごかし、紙のうえに、鉛筆を走らせ、一分の時間もおしいという風に見えた。
 第一号戦車の失敗以来、一緒に戦車にのりこんだ工藤上等兵が、あらたに彼の助手として、その部屋に机をならべることになった。これは、一つには当人の希望でもあったし、また一つには、加瀬谷部隊長のおもいやりもあって、それが許されたのであった。
 だが、岡部伍長は、別に工藤上等兵の手をかりるほどの用はなかったのである。むしろ、工藤が邪魔になって仕方がないくらいであったが、それに反して、工藤はとても大悦(おおよろこ)びであった。
「伍長どの。こんどの設計は、すばらしいようですね。こいつはきっと、大成功ですよ」
 工藤は、岡部の前へ来て、方眼紙にかいた設計図を、熱心にのぞきこむのであった。
「おい工藤。そう、お前の頭を前に出してくれるな。そして、しばらくだまっていてくれ」
「は。邪魔をして、わるかったでありますね」
「いや、邪魔というのではないが、お前がこえを出すと、とたんに、そこまで出かかったいい考えが、ひっこんでしまうのだ」
「そうでありますか。では、だまっております」
 工藤は、ちょっとさびしそうな顔になって、自分の机の上に、本をひろげる。
 そんなことがくりかえされているうちに、何時(いつ)からはじまったか、岡部もよくおぼえていないが、工藤上等兵が、この部屋の出入に、きまってボール紙の函(はこ)を携帯しているのに気がつくようになった。
「工藤。お前がいつも手に持っているその函には、何がはいっているのか。ばかに、大事にしているじゃないか。中には、菓子でもしのばせてあるのではないか」
「ちがいますよ。伍長どの。自分は、御存知(ごぞんじ)のように、酒はすきですが、甘いものは、きらいであります」
「じゃあ、中には何がはいっているのか」
「は、この中には、ソノ、ええと、自分の身のまわりの品がはいっているのであります。あやしいものではありません」
「そうか。それならいいが……」
 工藤は、ほっとしたような表情になった。
「伍長どの。邪魔だとは思いますが、どうぞ自分にも、こんど作る地下戦車のことを、話してください。自分は、気が気ではありません」
「ああそうか。また、この前のように失敗すると困るというのだろう」
「いや、そうではありません。あの失敗――いや、あの日以来、自分は、地下戦車というものに、たいへん興味をもつようになりました。このごろでは、夢に地下戦車のことを見ることが多くなって、自分でもおどろいているのであります。で、どう改良されるのでありますか、こんどの地下戦車は――」
 工藤は、いつの間にやら、顔を、岡部伍長の机の上へ、ぬっとさしのばしていた。
 岡部は、工藤の熱心な面持(おももち)を見ると、もう叱りつけることは出来なかった。そこで彼は、出来かかった設計図を、工藤の前へよせてやり、鉛筆でその上を軽く叩いて、
「まあ、やっと、ここまで出来たんだが、いや、こんどは深く考えさせられたよ。なにしろ、前回にこりているからね」
「前回は、自分の身体が、地下戦車の――胴の中でくるくる転がりだしたのには、おどろいたであります。まさか、戦車の胴が、ぐるぐる廻転をはじめたとは思わなかったものですからなあ。こんどは、大丈夫ですか」
「ああ、そのことは、第一番に考えた。こんどはもう、大丈夫だ。胴は決して廻らない。そのために、こういう具合に、地下戦車の腹に、キャタビラ(履帯)をつけた」
 そういって岡部は、図のうえを、鉛筆で叩いた〔第三図〕。

「ああ、なるほど。おや、こんどの地下戦車は、錐(きり)のところが、ずいぶんかわっておりますね」
「そうだ。この前の地下戦車は、直進する一方で、方向を曲げることができない。それでは困るから、こうして、廻転錐(かいてんきり)を三つに分けた」
「なるほど。この算盤玉(そろばんだま)のようなのが、新式の廻転錐でありますか。これが、どうなるのでしょうか」
「つまり、この三つの廻転錐は、それぞれ一種の電動機を持って直結されているんだ。そして、電動機の中心を中心点として、廻転錐は約九十度、どっちへも首をふることができるのだ。そして、いいところでぴったり電動機の台をとめる。そうすると、廻転錐の首は、もうぐらぐらしない。そして、この首は、多少、前へ伸びたり、また戦車の胴(どう)へ引込むようにもなっているんだ」
「なかなか考えられましたね」
 と、工藤上等兵は、にこにこ顔だ。


   神々ここに在(あ)り


 あたらしい地下戦車の説明を、岡部はつづける。
「こうしておけば、三つの廻転錐の軸を平行にしておいて廻すと、地下戦車は前進するのに一等便利だ。しかしどっちかへ曲る必要のあるときは、三つの廻転錐の軸を外向きにひろげるのだ。すると大きな穴があく。大きな穴があけば、地下戦車は、ぐっと全体を曲げても、穴につかえない。まずこれで、十五度乃至(ないし)三十度のカーヴは切れるつもりだ」
「はあ、いいですなあ」
 工藤は、かんしんのていである。
「第三の改良点は、掘りとった土を、後へ送る仕掛だ。これはなかなかむずかしい問題なんだが、どうやらこれで、うまくいきそうに思う」
「ほう、それはどういう仕掛になっていますか」
「つまり、廻転錐でもって削(けず)られた土は、まず錐のうしろへ送られる。すると土は、地下戦車の胴にあたるが、戦車の胴の前方は、深い溝(みぞ)のついた緩(ゆる)やかな廻転式のコンベヤーになっていて、土を後(あと)へ搬(はこ)ぶのだ。そして土は、戦車の側面に出るが、ここは、蛇の腹のような別のコンベヤーになっていて、どしどし土を後方へ送る」
「なるほど。ここでありますか」
 工藤上等兵は、せんざんこうという鱗(うろこ)だらけの背中のような地下戦車の胴を指す。
「そうだ。地下戦車の胴は、後へいくほど細くなっているから、土は具合よく、後へ送られるのだ。それからもう一つ重要なことは、この戦車が腹の下のキャタピラで前進すると戦車の後方には隙が出来る。最初うまくやれば、このところは、真空になる。だからその隙間へ、前から送られてくる土を吸いこむ働きもする。まるで、真空掃除器のようなものだ。どうだ、わかったかね」
「はあ、大体わかったように思いますが、これは前回の地下戦車第一号とちがって、ずいぶん進歩したものですなあ。いや、これで自分の祈願(きがん)も、ききめがあらわれたというものであります」
 工藤上等兵は、わがことのように喜び、
「で、この戦車第二号は、いつから試作にとりかかるのでありますか」
「さあ、この設計を、もう一度よくしらべ直した上で、加瀬谷部隊長殿へ報告しようと思っとる。あと半年はかかるだろうな」
「そんなにかかりますか。それは待ちどおしいですね」
「いや、試作伺(うかが)いのこともあるし、予算のこともあるし、工場や資材の関係もあって、おれの思うようにはいかないんだ。なにしろ、まだわが国は貧乏国(びんぼうこく)で、資材は足りないし、製作機械もずいぶん足りないし、技術者の数も少ない。うんと整備しなければ、アメリカやソ連やドイツについていけない」
「なるほど。すると、まだまだ祈願(きがん)をしなければ、日本はりっぱになりませんね」
「そのとおりだ。――そうだ、今日は、一度この設計図を部隊長殿にごらんに入れることにしよう。おい工藤。部隊長殿は御在室(ございしつ)か、ちょっと見てきてくれ」
「はい」
 工藤は、岡部の命令で、すぐさま部屋を出ていった。
 岡部伍長は、やっと設計を終ったので、さすがにほっとして、机に頬杖(ほおづえ)をついた。すると、どこからともなく、ぷーんと、いい匂いが鼻をうった。
「おや、へんだなあ。このいい匂いは、酒だ! どこに酒があるのかしらん」
 伍長は立ちあがって、あたりを見まわした。どうも、よくわからない。彼は、鼻をくすんくすんいわせながら、机のまわりを歩きまわっていたが、そのうちに気がついたのは、工藤上等兵の机上(きじょう)にのっていたボール紙の函(はこ)であった。
「あっ、これだ!」
 函をとりあげて、蓋のところを鼻につけてみると、ぷーんとつよい酒の匂いがする。
「けしからん、工藤のやつ、いくら酒好きにしろ、こんなところに酒をかくしておくなんて……」
 岡部伍長は、顔を硬(かた)くして、工藤上等兵の大事にしている函の蓋を開いてみた。
「おや、これは何だ」
 函の中には、意外にも、たくさんの神社のお護(まも)り札(ふだ)が、所もせまく張りつけられてあった。そのお札には、“四月三日祈願”という具合に、一つ一つ日附が書いてあった。また函の一番奥には、工藤の筆跡(ひっせき)で、“岡部伍長殿の地下戦車完成大祈願(だいきがん)。その日までは、絶対禁酒のこと”と記してあった。そして函の中には、小さい薬びんが一つ転(ころが)っていて、栓(せん)の間から、酒がにじんで、ぷーんといいかおりを放っていた。
 ここにおいて、岡部伍長は一切をさとった。工藤は、彼のため外出のたびに神社廻りをして祈願をなし、好きな酒も絶(た)って、一生けんめいに地下戦車が完成するように願をかけていたのであった。工藤が、常にこの函を大事にして、いつも身のまわりから放さなかったわけも、これでわかった。
「おお工藤。ありがとう。おれは、きっと完成してみせるぞ。ああ、ありがとう」
 岡部伍長は、思わずお札(ふだ)の入った函を、頭の上におしいただいた。


   大団円


 あらたに設計された地下戦車第二号は、それから一ヶ月のちに、実物が出来上った。
 これから半年もかからなければ出来まいと思われたのに、僅(わず)か一ヶ月で出来上ったのには、或るわけがあった。
 そのわけというのは、外(ほか)でもない、国際情勢が急に悪化(あっか)したからである。かねて○○国境方面に、世界最大を誇る大機械化兵団を集中中であった○○軍は最近にいたりついにわが皇軍陣地(こうぐんじんち)に対して、露骨(ろこつ)なる挑戦をはじめるに至り、しかも○○鉄道は、その方面へ、ぞくぞくと大兵力を送っていることが判明した。そこでいよいよここに、○○国境を新戦場として、互(たがい)に誇(ほこ)りあう彼我(ひが)の精鋭機械化兵団が、大勝(たいしょう)か全滅(ぜんめつ)かの、乾坤(けんこん)一擲(てき)の一大決戦を交えることになったのである。そこで、機械化部隊を、さらに高度に強化する必要にせまられ、地下戦車の試作も急にいそがれることになったのであった。
 試作が出来上った岡部式の地下戦車第二号は、前回と同じく、某県下(ぼうけんか)の演習場へ引出された。
 暁(あかつき)を待って、覆布(おおい)がとりのぞかれると、その下から、地下戦車はすこぶる怪異(かいい)な姿をあらわした。
「ほう、前回の地下戦車とは、まるで形がちがってしまったな」
 と、感歎(かんたん)の声を放つ見学の将校もいた。
 こんどの地下戦車は前のものよりも、すこし重量を増して、四十トンちかくとなったが、これは主として原動機を三個に分けたためであった。
 岡部伍長と工藤上等兵のほかに、もう二名の兵があらたに、この中にのりこんだ。
 加瀬谷少佐は、この日、ことの外(ほか)、にこにこしていた。こんどこそ、この地下戦車はうまくうごくであろうと見極(みきわ)めていたからだった。
「地下戦車第二号、出発します」
 岡部伍長は車上から上半身を出して、加瀬谷部隊長の方へ報告した。少佐は、手をあげた、伍長は挙手の礼をして、旗をふると、姿を車内に消した。外蓋(そとぶた)が、ぱたんと閉じられた。つづいてごうごうとエンジンが、まわりだした。まもなく地下戦車は、そろそろと動きだした。そして、前方二十メートルのところにある丘の腹に向っていった。
「この前のときは、地下戦車が自力で動かないものだから、牽引車(けんいんしゃ)で後から押したもんだ。こんどはちゃんと自分で走るからわしは安心したよ」
 少佐は、傍(かたわら)の将校の方をむいて、眼を細くして笑った。
 そのうちに、地下戦車は、三本の角(つの)みたいな廻転錐(かいてんきり)を、ぷすりと赤土(あかつち)の丘の腹につきたてた。
 ぷりぷり、ぎりぎりぎり。赤土が、霧(きり)のようになって、後方へとぶ。エンジンの音が一段と高くなる。
「ほう、こんどは、岡部のやつ、なかなか鮮(あざや)かにやってのけるぞ。ほう、どんどん深く入っていくわ」
 部隊長をはじめ、見学の将校団は、思わず前へ出ていった。地下戦車は、まるで雪を削(けず)るロータリー車のように、すこぶる楽々と、赤土の中へもぐっていった。そして、まもなく戦車の尾部(びぶ)が土中にかくれ、あとは崩(くず)れ穴(あな)だけになったが、その穴からは、もくもくと赤土が送り出されてきた。それもほんのしばらくで、やがて地下戦車の入ったあとは妙な崩(くず)れ跡(あと)をのこしたきりで、戦車が今どんな活動をしているのか、さっぱり状況がわからなくなった。
 ただどこやらから、地下戦車のエンジンの響きが聞えるのと、立っている人々の足に、じんじんじんと、異様(いよう)な地響(じひびき)が伝わるのと、たったそれだけであった。
「どうしたのでしょう」
「さあ、丘の向うから顔を出すのじゃないかなあ。まっすぐ進めば、そうなる筈だが……」
 将校たちの中には、丘をのぼって向う側を見ようと移動する者もあった。しかし地下戦車はなかなか顔を出さなかったので、待ちかねて、加瀬谷部隊長がにこついている、また元の場所に戻ってきた。
「加瀬谷少佐、地下戦車は、行方不明になってしまったじゃないか。またこの前のように、土中でえんこして救助を求めているのじゃないか」
「いや、大丈夫でしょう。あと三十分ぐらいたつと、予定どおり、きっと諸君をおどろかすだろう」
「三十分? そうかね」
 それから三十分ばかりすると、一度消えて聞えなくなった地下戦車のエンジンの音が、また聞えだした。
「おや、こっちの方角だぞ」
 一行は、後をふりかえった。するとおどろくべし、後方百メートルのところの草原(くさはら)が、むくむくともちあがると見るまに、その下から盛んに土をとばしながら地下戦車の大きな背中が、ぬっとあらわれたのには、一同はおどろき且(か)つよろこんで、思わず声をそろえて、万歳(ばんざい)を叫んだのであった。
 ああ、ついに実用になる地下戦車が完成したのだ。これこそ、わが機械化部隊の歴史的瞬間であった!
 すっかり巨体(きょたい)をあらわした地下戦車の中から、岡部伍長がまっ赤に上気(じょうき)した顔をあらわした。彼は報告のため、加瀬谷少佐の前に駈(か)けつけ、ぴったりと挙手(きょしゅ)の礼をし、
「岡部伍長外三名、地下戦車第二号を操縦して、地下七百メートルを踏破(とうは)、只今帰着(きちゃく)しました。戦車及び人員、異状なし、おわり」
「おお、よくやった。おれは満足じゃ」
 と、少佐は、つと前にすすんで、岡部伍長の手をつよく握った。
「おい岡部、お前も満足じゃろう。とうとう地下戦車長として成功を収めたんだからなあ」
「いや、まだ成功はして居(お)りません」
「なに、成功をしとらんというのか」
「はい。操縦してみまして、まだまだ気に入らないところを沢山発見しました。自分は、さらに改良の第三号を作りたいと思います。それが完成すれば、どうやらこうやら、皇軍機械化部隊のお役に立つことと思います」
 岡部一郎は、この輝かしい成功の誉(ほまれ)をしりぞけて、どこまでも謙遜(けんそん)したのは、床(ゆか)しきかぎりであった。




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