爆薬の花籠
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著者名:海野十三 

 中は、見事にかざられた大広間であった。
 ニーナは、房枝をまねいて、その隅(すみ)にある小さい卓子(テーブル)へ案内した。
 その卓子のうえには、電話機がのっていた。ニーナは、受話器をとって、廻転盤(ダイヤル)をまわした。
 しばらくして、相手が出てきた。ニーナは、英語で早口に喋る。ドクトル・ワイコフという名が、しきりに出てくる。
「では、すぐにお出でをお願いしてよ。こっちは、皆でしんぱいしているのですからね。えっ、それはそうよ。ふふふふ。とにかく、おいでをお待ちしていますわ」
 房枝は、巡業先がメキシコであったので、英語は少しわかっていた。だから、ニーナの電話も、だいたい了解した。ドクトル・ワイコフがすぐ診察にきてくれることがわかった。だが(ええ、それはそうよ、ふふふふ)とは何のことであろうか。ちょっと気になる語であった。
(ゆだんはならない!)
 房枝はそう思った。
 ドクトル・ワイコフが現れたのは、それからものの十分とたたない後のことだった。長身のひじょうに貴族的な顔をもった医師だった。
 彼は、長椅子の上に寝ている黒川のそばに、自分のもってきたカバンを開き、診察にとりかかった。
「うん、ちょっと重傷だが、今手当をして、しばらく安静にさせとけばいいでしょう。お湯がわいているでしょうね。早くもってきてください。ちょっと手当をしておきますから」
 房枝は、黒川の後頭部の傷を見ていると、なんだか気が遠くなりかけた。こんなことではいけないと思い、なんとかして、黒川の手当の終るまで、がんばろうと、自分の気をはげましたのであった。手当はなかなかすまなかった。ニーナは、房枝のそばへきて、彼女を横から抱えながら、大丈夫よ、大丈夫よと、しきりになぐさめた。そのころになって房枝は、やっと雷洋丸でこのニーナと会ったことを思い出したのであった。

   悩(なや)ましい花園(はなぞの)

 房枝は、その夜をニーナの邸ですごした。
 黒川の傷は、かなり重く、熱が高くて、うわごとをいいつづけだった。だから房枝は、ニーナやドクトル・ワイコフの意見にしたがって、黒川をそのままそこに寝かせておくほかないと思った。
 ニーナとワイコフ医師とは、いくたびか、その広間へ下りてきて、親切にも、黒川を見守り、そしてまた房枝をなぐさめた。師父ターネフだけは、寝室へはいったらしく、はじめにちょっと顔を出しただけで、あとは現れなかった。
(ずいぶん親切な人たちだわ)
 と、房枝は、心の中で、あつい感謝をささげた。
 房枝は、なにもしらない純情な少女だったのである。かりそめにも、このようなニーナたちの親切の中に、おそろしい棘(とげ)がかくされていようなどとは、思ってもみなかった。お人形のように純情なことは、いいことである。しかし、そういう場合に、おそろしい棘のあることを気づかないでいることは、いいことではない。
 夜は明けはなれた。
 カーテンをひくと消毒薬でむんむんする室内のにごった空気が外へ出ていって、入れかわりに、サイダーのようにうまい朝の外の空気が入ってきた。
「ああ、房枝さん。あなた、おつかれでしょうねえ」
 ニーナ嬢が、いつの間にか階段を下りて、房枝の横に立っていた。房枝は、外に見えるうつくしい花壇(かだん)にながめ入っていたので、ニーナの近づいたのを知らなかった。
 房枝は、しみじみと礼をいった。黒川は、熱は高いが、幸いにも今ぐっすりと、ねこんでいるのだった。
「ああ、そう」
 と、ニーナはうなずいて、
「じゃあ、あの花壇のあるところへいってみません? いろいろとうつくしい花や、香(かおり)のいい花が、たくさんあるのです。あなた、花おきらいですか」
「いいえ、花はだいすきですの」
「ああそう。では、これからいって、あなたの好きな花を剪(き)ってあげましょう。あなた、どんな花、好(この)みますか」
「さあ、好きな花は、たくさんございますわ」
 房枝は、黒川がよくねむっているのに安心して、ニーナ嬢とつれだち、花壇へ下りた。全くすばらしい花園だ。小学校の運動場ほどの大きさのなだらかな斜面が、芝生と花でうずめられているのだった。朝陽(あさひ)をあびて花は赤、青、黄、紫の色とりどりのうつくしさで、いたいほど目にしみた。そしてえもいわれぬ香が、そこら中にただよい、まるで天国へ来たような気がするのであった。
「まあ、うつくしい」
 房枝は、徹夜の看護に充血(じゅうけつ)した目を、まぶしそうにしばたたきながらいった。
「ここにある花の種類は、七百種ぐらいあります」
「え、七百種。ずいぶん、種類が多いのですわねえ」
「その中に、メキシコにあって、日本にない花が、三百種ぐらいもまじっています。なかなか苦心して持ってきました」
「そういえば、あたくしがメキシコでお馴染(なじみ)になった花、名前はなんというのかしりませんけれど、その花があそこに咲いていますわ」
「じゃあ、あれをさしあげましょう」
「いいえ、花はあのままにしておいた方がいいんですの。きっていただかない方がいいわ」
 と、房枝は、上気した頬を左右にふって、辞退した。
「えんりょなさらないでよ」
「いいえ、その方がいいのです」
 と、房枝はニーナの好意を謝(しゃ)したが、そのとき気がついて、
「あーら、このいい香は、なんでしょ。あら、バラの匂(におい)だわ。まあ、これは大したバラ畠ですわね」
 房枝は、とつぜん目の前にひらけた一面のバラの園(その)に、気をうばわれた。
 ところがニーナは、そのすばらしいバラの園を、なぜか自慢しなかった。そして、房枝の腕をとると、前へ押しやるようにして、そのところを通りぬけた。
 房枝は、ニーナの心を、はかりかねた。
「ニーナさんは、バラの花が、おきらい」
「えっ」
 と、ニーナは、妙(みょう)に口ごもり、そしてあわてて首をふった。
「わたくし、きらいではありませんけれど、好きでもありません」
 と、わけのわからないことをいった。
 そのとき、房枝のあたまに、ふと浮かんだことがあった。それは何であったろうか。
 外でもない。バラオバラコという怪しい名前のことだ、あの脅迫状に託(たく)してあった。

   朝刊におどろく

 バラオバラコ?
 これを、房枝は、こじつけかもしれないが、次のように、あたまの中で書きなおしてみた。
 バラ雄(オ)バラ子!
 そしてこのニーナの邸には、すばらしいバラの花園があるのだった。しかもニーナは、そこを通るとき、いやな顔をした。すると何だか、バラ雄バラ子というのが、わけがありそうにもおもわれないこともない。
(でも、まさか、あたしたちは、あの脅迫状を書いた人のとこへ来ているのではないでしょうに。あのとき、ネオン・ビルで、あたしたちを待ちかまえていたのは、トラ十だったんですもの。だとすると、バラオバラコというのは、トラ十の変名だということになるけれども……)
 妙なことから、房枝はきゅうに里ごころがついた。
「あのう、ニーナさん。しばらく黒川さんのことを、おねがいしますわ」
「ええ、いいです。しかし、どうかしましたか」
「いいえ、べつにどうもしませんけれど、あたし、ちょっと曲馬団へかえってきますわ。ゆうべから、団長とあたしが団の方へかえってこないので、皆が心配しているでしょうから」
「ああ、そうですか。あのう、それ、もっとあとになさいませ。食事の用意できたころです。一しょに食事して、それからになさい」
「でも、皆が心配しているといけませんから」
「まあ、待ってください。とにかく、食堂へいってみましょう。あたくし、十分ごちそう、用意させました。メキシコから来たよいバタあります。チーズ、おいしいです」
 ニーナは、しきりに房枝をとめるのだった。
 房枝は、それまで黒川の重傷を心配するあまり、曲馬団の仲間のことを、すっかり忘れていたが、さぞ今ごろは、彼らはさわぎだして、警察へいったりしていることだろう。警察へいっても、房枝たちのいどころがわかるわけがない。房枝は、すぐにかえる決心をした。
 ニーナは、屋内(おくない)へいそぐ房枝の腕をかかえて、しきりに朝食をとっていけとすすめる。
 広間へ房枝が上ったとき、彼女は、
「あらっ」
 といった。それは[#「それは」は底本では「それに」]、師父ターネフが、彼女を見ると、あわてて奥へ姿を消したからであった。そのときのターネフは、一向牧師らしからぬ服装をしていたからであるかもしれない。ニッカーをはいていて、まるでゴルフにでもいくような姿だった。靴は、泥にまみれていたようにも思われる。それにしても、まさかあわてて奥へ逃げこむこともなかろうものを。
 ニーナは、房枝をむりやりに食堂へひっぱっていった。その食堂には[#「その食堂には」はママ]、映画でよく見るのと同じく、華麗ですがすがしい広間で、芝居の舞台に使うような椅子や卓子(テーブル)がならんでいた。
 房枝は、むりやりに、一つの椅子に腰をかけさせられてしまった。
 ニーナは、ちょっとといって、いったんかけた席を立って奥へひっこんだが、間もなく急ぎ足で現れた。手には、日本の新聞を手にしている。
「おお房枝さん。あたくし、あなたの帰るのをとめて、いいことをしました」
「え。まあ、どうして」
 房枝は、ニーナにそういわれてひどく胸さわぎがした。
「この新聞、ごらんください。たいへんです」
「えっ、たいへんとは、どうしたんでしょう」
 房枝は、ニーナの手にした新聞を、おそるおそるのぞきこんだ。
「この記事、ごらんなさい。けさミマツ曲馬団、火災をおこして焼けてしまいました」
「まあ」
 房枝は、夢を見ているのではないかと、あやしんだ。
 だが、手にとった新聞には、まちがいなくミマツ曲馬団が今暁(こんぎょう)二時、一大音響とともに火を出して、すっかり焼けてしまったことと、そして団員と思われる二十数名の犠牲者が、その焼跡から発見されたことが、写真まではいって報道されているのであった。
「な、なんということでしょう」
 その写真には、炎々(えんえん)たる焔(ほのお)に包まれた、ミマツ曲馬団の天幕(テント)がうつっていた。夢ではないのだ。なんという不運なミマツ曲馬団であろうか。一体、この火事の原因は何であろうか。
 新聞記事には“原因は目下取調中であるが、ガソリン樽(たる)が引火爆発したのではないかとの説もある”[#「説もある”」は底本では「説もある。」]
(ガソリンの樽――そんなものはない。ガソリン樽の引火なんて、そんなことはうそだ!)
 と、房枝は、はやくも、記事のあてにならないことを見やぶった。
 では、一体どうしたのであろうか。
 爆発するものなんか、おいてなかったはずである。しかも団員が、それがために二十数名も死んでしまうなんて、そんなひどい爆発力をもったものはないはず。
(だが、ひょっとしたら、あれではないかしら)
 房枝の胸は、それを考えついたとき、まるで早鐘(はやがね)のように鳴りだした。
 ああ、あの花籠だ! あれこそ爆薬入りの花籠ではなかったか? おそろしかった雷洋丸事件の当時のことが、今更にありありと思いだされた。房枝は、そばにニーナ嬢が立っていることも忘れて、
「ああ、きっとあれだ!」と、こぶしを握って叫んだ。

   ああ、惨事(さんじ)の後(あと)

 房枝は、ニーナたちのとめるのをふりきって邸を出た。それは一刻もはやく、城南(じょうなん)の惨事のあとへいって、団員たちの様子を見たいためだった。
 房枝が、停留場の方へかけだしていくあとから、ニーナが追ってきた。
「もしもし房枝さん。あたくし、あなたを自動車で送ってさしあげます。自動車で、スピードを出すのが一等早く、向こうへつきます」
 それから、二十数分後に、城南の曲馬団の惨事のある附近まできた。
「ニーナ嬢、すぐかえりますか」
 と、自動車を運転してきたワイコフ医師がいった。
「いいえ、もうすこし、ここにいます。あたくし、房枝さんのこと、心配です」
「では、ここに自動車をおいておくのはまずいから、例のホテルへ車をまわしておきますよ」
 ワイコフ医師は、そういって、急いで、車をまわして立ち去った。
 房枝は、惨事の小屋跡へかけよった。
「こらこら、はいっちゃいかん」
 警官が、房枝の前に、立ちふさがった。
 ニーナが、房枝をかばうようにうしろから抱きとめた。
 しかし警官の肩越しに、惨事の跡がよく見えた。一夜のうちに、こうもかわるものであろうか。目をおおいたい惨状であった。天幕の柱が燃えおちて、ひどく傾いている。天幕の燃えのこりが、泥にそまって、地上に散らばっている。火事は全焼とまではいかず、八割ぐらいの火災で、二割がたは焼けのこっていた。だが焼けのこっているものも、どれ一つ満足なものはなかったのである。
「だって、あたし、ミマツ曲馬団のものなんですのよ。ゆうべ、団長の黒川さんが、丸ノ内で負傷したので、それを介抱(かいほう)して、ここにはいなかったんですの。新聞をよんで、いそいで様子を見に戻ってきたんですわ」
 房枝は、けんめいになって、事情を説明した。
「なんだって、ミマツの団員で、ゆうべ、ここにいなかったというのか。おお、それは逃がさんぞ」
 警官は、房枝の手を、しっかりつかまえた。
「お前の名は、なんというのか」
「房枝ですわ」
「房枝? そしてこっちの西洋人は?」
「あたくし、ミマツ曲馬団に関係ありません。房枝さんを車にのせて、ここまでとどけたのです」
 ニーナが、こたえた。
「いいわけはあとにして下さい。だれであっても、一応しらべなければ、ゆるせません」
 警官が手をあげたので、附近にいた警官たちが、応援のため、ばらばらとかけつけてきた。そして房枝とニーナとは、いやおうなしに、捕りおさえられてしまった。
「こっちへきなさい」
 ニーナは、怒るかと思いのほか、あんがい平気であった。そして、惨事の現場(げんじょう)を、めずらしげにしきりに眺めていた。
 房枝の方は、そんなに落ちついていられなかった。散らばった幟(のぼり)の破片(はへん)、まだぷすぷすといぶっている木材、なにを見ても胸がせまる。生きのこった団員は、どこにいるのであろうか。その姿が見えない。そしてこの惨事のほんとうの原因は何であったのか。
 二人は、警官のため、前後をまもられて、その場を引立てられていったが、そのとき、ばたばたと駈けてきた男があった。
「おお、房枝さんですね。いつ、ここへかえってきたのですか」
 そういった男は、外ならぬ帆村であった。
「ああ帆村さん。あたし、今ここについたところよ。皆さんのことが心配になって、焼跡へいってみようと思ったら、この警官の方におしもどされたのよ」
 警官は、帆村の顔と房枝の顔とを見くらべて、
「おや、帆村さん。この女を知っているのですか」
「知っていますとも、これはこのミマツ曲馬団の花形で、房枝さんという模範少女ですよ」
「ほ、やっぱりほんとうでしたか。私は、こいつはあやしい奴(やつ)だと思いましてね。しかし、団員とあれば、他の団員も全部、警察におさえてあるのですから、やっぱりこの女、房枝といいましたかな、この房枝嬢も、連れていかなければなりません」
 帆村は、うなずき、房枝の方を向いて、
「房枝さん、このミマツ曲馬団の火事には、いろいろうたがいがあるのです。火事を出したということよりも、火事のまえに起った爆発のことが、問題になっているのです。あなたも知っていることを、みんな警官に話してくださいよ」
 と、注意を与えた。
「そうだ、帆村君のいうとおりだ」
 部長の服をきた警官は、大きくうなずいて、
「房枝さん、あなたは、きっと知っているだろう。新聞には、ガソリンの樽がどうとかしたと書いてあるが、われわれは、そんなことを信じていない。どんな爆発物があったか、それを話してください」
 帆村が来てくれたので、房枝に対する警官の態度は、にわかにていねいとなった。
 房枝は、あの花籠のことを、いおうかどうしようかと思い、何の気なしに、ニーナの方をふりかえった。すると、さっきから房枝を見つめていたニーナは、なぜかあわてて目をそらした。

   ひどい逆(さか)ねじ

「さあ、よくは存じませんが、あたしたちの曲馬団を爆破するかもしれないぞ、という脅迫状がきていたのです」
 房枝は、ありのままをいった。そしてバラオバラコという名前のあった、その脅迫状のことをいった。
「その手紙を今持っていますか」
「いいえ、持っていません」
「どこにあるのですか。ぜひ見たいものだが。ねえ、部長さん」
 と、帆村は、警官をふりかえった。
「そうだ、手紙を見れば、また手がかりもあるはずだ。その手紙はどうしたのですか」
「黒川団長が持っているはずです。団長さんは、ゆうべ重傷を負い、いまニーナさんのお邸でやすませていただいているのですわ」
「えっ、ニーナさんの邸?」
 帆村は、そういって、ニーナの顔を仰いだ。
「そうです。あたくし、房枝さんと黒川さんとを助けました。ゆうべからけさまで、あたくし、いろいろ介抱しました。黒川さん、だいぶん元気づきましたが、まだうごかすことなりません」
「ほう、すると、ニーナさんは、ゆうべ黒川氏を助けてからのちは、一歩も外に出なかったのですか」
「そのとおりです。なぜ、そんなことを、たずねますか」
「いや、ちょっとうかがってみたのです。では、師父のターネフさんは、やはり邸にずっといられましたか。もちろん、ゆうべ、あなたがたが、房枝さんたちを助けて、邸に戻られてからのちのことをいっているのですが」
「ああ、師父ターネフですか。ターネフは、どこへも出ません。ゆうべは、ずっと邸にいました」
「あらっ、そうかしら」
 房枝は、ニーナのことばに誤(あやま)りがあるように思った。けさがたターネフを見かけたが、ターネフは疲れたような顔をしており、どこを歩いたのか、靴は泥だらけであったようにおぼえている。
「房枝さんは、師父ターネフが邸にいなかったことを知っているようだな」
「いえ、そんなこと絶対にありません。ターネフは、ずっと邸にいました」
 ニーナは房枝に代って、ターネフが邸にいたといいはった。
 部長が、なにかいおうとしたが、そのとき帆村が、それと目くばせをしたので、部長はなにもいわなかった。
「じゃあ房枝さんも、ニーナさんもとにかく一度向こうへいって、捜査本部の方の質問に、こたえられたらいいでしょう」
 帆村は、別れのあいさつのかわりにそういった。
「あら、帆村さん。あたしを助けてはくださらないのですか」
 房枝は、不服(ふふく)そうにいった。
「いや助ける助けないも、警官のいうところに従われたがいいでしょう。なにしろ、東京のまん中に原因不明の爆破事件が起るなんて、物騒(ぶっそう)なことですからね。当局はこういう方面のことについては、たいへん警戒をしているのです。知っていることはなんでも正直に話されたがいいでしょう」
 帆村探偵のことばは、房枝にとって、なんだか冷(ひや)やかに聞こえた。
「房枝さん、元気をお出しなさい」
 とニーナが、かえって房枝をなぐさめた。
「ええ、ありがとう」
 ニーナは、房枝の肩に手をかけて、
「房枝さん。警官たちは、あなたを不必要にくるしめています」
「な、なにをいう」
 若い警官が、ニーナを叱りつけた。それは、始めに彼女たちをとりおさえた若い警官だった。
「あたくし、いいます」と、ニーナは、胸をはっていった。
「この爆破事件の容疑者は、すでにあなたの手に捕(と)らえられているではありませんか。そのうえに、房枝さんをうたがうのはいけません」
 ニーナは、妙なことをいいだした。
「なにッ!」
「あたくし、よく知っています。トラ十というあやしい東洋人が、あなたがたの手に捕らえられたはずです」
「えっ、それを知っているのか。どうして」
「そのあやしい東洋人トラ十は、ミマツ曲馬団の爆破が起って間もなく、三丁目の交番を走りぬけるところを、警官にとらえられましたのです」
 おどろいた。全くおどろいた。警官たちも、帆村もニーナのことばには、おどろいてしまった。
「ニーナさん。あなたは、なぜそんなことを御存じなんですか。どこから知ったか、こたえてもらいましょう」
「ほほほほ。あたくし、公使館の人から聞きました。日本中のこと、なんでも、すぐわかります」
「えっ、公使館の人? とにかく、向こうへいって、もっとくわしく聞きましょう。さあニーナさんも、向こうへ歩いてください」
「いやです」
 ニーナは、首をつよくふった。
「あたくしは、もうかえります」
「いや、かえることはなりません」
「いいえ、あたくし、あなたのような警官に自由をしばられるような、わるいこと、しません。あなた、たいへん無礼です。そんなことをすると、わが公使館は、だまっていません。むずかしい国際問題になります。それでもよろしいですか」
「うむ」
「ほほほ、あたくし、邸にいます。逃げかくれしません。話あれば、公使館を通じて、お話なさい。ほほほほ」
 ニーナは、勝ちほこったように、警官たちの顔を見おろした。ニーナをおさえようとすればおさえられるが、こんな小さいことで、国際問題を起しては申訳ないと、このうえニーナをとめることを断念した。
 だが、後日になって、メキシコ公使館へ連絡をしたところ、公使館では、ターネフやニーナはメキシコ人ではないから、公使館では、彼らのことで責任はおわないと明言した。が、そのときはもう、あとの祭だった。
 それはさておき、ニーナは、にんまりと嘲笑(ちょうしょう)をうかべたのち、こんどは房枝の手をとって、
「ねえ房枝さん。曲馬団だめになっても、あたくし、あなたを保護します。あたくしの邸へおいでなさい。そのうちお迎えにきます」といった。
「はあ、ありがとうございます」
 房枝は、ほんとうに、感謝しているらしい。ゆうべからのニーナの親切が身にしみているからそういったのだろうが、それでいいのか。
 そばで、帆村は、唇をかみながら、もくもくとして、ふかい考えにおちている。

   仮面(かめん)を取れば

 うつくしいニーナ嬢は、ワイコフ医師の操縦する自動車にのって、邸へもどった。
 玄関をはいって、大広間でガウンをぬいでいると、階段の上から師父ターネフが、いそいで下りてきた。
「おおニーナ。いまごろまで、なにをぐずぐずしていたんだ。下手(へた)なことをやったんじゃないかと、わしは気が気じゃなかったぞ」
 ターネフは、いつになく、落着をうしなっていた。
「だって、あなたから命じられた、偵察任務をおえるまでは、現場を引あげるわけにはいかないではありませんか」
 偵察任務と、ニーナはいった。房枝は、ニーナが、親切にも自動車で、現場までおくってくれたのだと思っていたが、そうばかりでもなく、ニーナは、偵察にいったのだという。
「ニーナ、二階へ来い」
 ターネフは、そういって、また階段をそそくさと、上へあがっていった。ニーナは、ワイコフ医師にガウンをなげつけるようにして、師父のあとを追った。
 二階に、ターネフの占領している広い部屋があった。南向きの窓からは、例の花畠が一目で見おろせる。
 ターネフは、安楽椅子(あんらくいす)に、どっかと身をなげかけた。その前に小さいテーブルがあって、酒の壜(びん)と盃(さかずき)とソーダ水の筒とがのっている。ターネフは、およそ師父らしくない態度で、足をくみ、そして、酒のはいったコップをとりあげると、ぐーっとあおった。
「おい、ニーナ。お前は、もっと、用心ぶかく、そしてもっと、すばしこくやってくれないと困るよ。こっちの正体を、相手にかぎつかせるようでは、役に立たない」
 ターネフは、きゅうくつな師父ターネフの仮面をかなぐりすてて、ターネフ首領をむきだしにしている。前にトラ十がずばりと指したように、ターネフは世界骸骨化本部(がいこつかほんぶ)から特派された極東首領であり、ニーナは、その姪(めい)でもなんでもなく、彼の部下の一人であったのである。
「バラオバラコの名で、房枝と黒川とを、うまく丸ノ内へつれだす計画だって、お前の不注意のため、トラ十にかぎつけられたんだ。そして、あべこべに、われら二人が、トラ十のために逆襲され、ぐるぐるまきにされて、自動車の中へとじこめられたときには、わしは腹が立って、気が変になりそうだった」
 ターネフは、さかんにこぼすのだった。この話によってみると、バラオバラコは、ターネフとニーナのことであることがわかる。そして又、トラ十がとつぜん房枝たちを襲(おそ)ったわけもわかる。
 ニーナは唇をかんでいたが、このとき急に顔をあげ、
「あたくしばかりお責めになっては、不服ですわ。あなただって、ずいぶんまずいことをなさいましたわ」
「そうでもない」
「だって、そうですわ。けさ、現場からこの邸へおかえりになったところを、房枝に見つけられたことに気がついていらっしゃいませんの。現場で房枝を訊問(じんもん)した帆村探偵は、それをちゃんと悟ってしまったようですわ」
「えっ、そんなことがあるものか。探偵は、わしが、爆発事件の犯人だといったのかね」
「そこまで、はっきりいいませんが、部長の警官が『ターネフはあやしい、よくしらべなければ』といおうとするのを、あの探偵は、すばやくとめたんです。あなたにゆだんをさせておいたところを、ぴったりとおさえるつもりだと、あたしにらんだのですけれど。あなたは現場で、なにかまずいことをおやりになったのではないのですか」
「うむ」
 と、ターネフは、眉(まゆ)を八字によせ、
「じつは、ちょっとまずいことをやってきたんだ」
「ああ、やっぱり、そうなのね」
「それを、ごまかそうと、いろいろやっているうちに、時間をとってしまったんだ。だが、まず警官たちに気づかれることはないと思うが」
「思うが、どうしたんですか」
「うむ、万一、気がつかれたら、わしは日本の警察官に対し、あらためて敬意を表するよ。とにかく、トラ十をあそこへひっぱり出したところまでは、実にうまく筋書どおりにいったんだがなあ」
 そういって、ターネフ首領は、いまいましそうに舌打をした。
「万一、ここで分かってしまったら、かんじんの大仕事が出来なくなるではありませんか」
「ああ、そのこと、そのこと。じゃあ仕方がない。もう猶予(ゆうよ)はできないから、わしは荒療治(あらりょうじ)をやることにしよう。お前はわしとは別に、房枝をうまく丸めて、例の計画をすすめるのだ」
「ええ、あの子のことなら大丈夫、ワイコフさんも、手を貸してくれることになっていますわ」
 ターネフ首領、ニーナ嬢との密談は、近くなにか更に大事件をおこそうとしていることがうかがわれる。彼らは、いったい何をねらっているのであろうか。どんな陰謀を考えているのであろうか。しかもその日は遠くないようだ。気にかかる!

   いまわしい疑(うたが)い

 ニーナは現場から大手をふって、かえっていったが、房枝の方は、そこにとめておかれて、捜査本部の取りしらべをうけた。
 帆村探偵も、そばにいて、房枝の答えることをじっときいている。
「ニーナさんは、親切な方ですわ。あの方をあやしむのはまちがいだと思います」
 房枝は、どこまでも、ニーナを弁護しているのだった。
「じゃあニーナのことは、それくらいにして、トラ十こと丁野十助のことだが、あいつは、ミマツ曲馬団へも一度雇われたいとたのんで来たのではなかったかね」
 若い検事が、きびきびと質問をする。
 房枝は、かぶりをふって、
「いいえ、そんなことを聞いたことはございませんわ。トラ十さんは、雷洋丸(らいようまる)にのっているとき会ったきりで、こんど内地へかえってきてからは、丸ノ内のくらやみで会うまでは、まだ一度も会ったことがございません」
「ふーん。それは本当かね。まちがいないかね。トラ十は、ミマツ曲馬団(きょくばだん)へもう一度雇われたいと思って、いくどもたずねていったといっている。そのために、トラ十は、郊外のある安宿に、もう一週間もとまっているといっているぞ。本当に、トラ十が曲馬団をたずねていったことはないか」
「さあ、ほかの方ならどうか存じませんけれど、あたしにはおぼえがございません」
「それなら、もう一つたずねるが、トラ十以外の者で、誰かこのミマツ曲馬団に対して恨(うらみ)を抱いていた者はないか」
「あのう、バラオバラコの脅迫状のことがありますけれど」
「バラオバラコのことは、別にしておいてよろしい。そのほかにないか」
「ございません。ミマツ曲馬団は、皆さんにたいへん喜ばれていましたし、団員も、収入がふえましたので、大喜びでございました。ですから、ほかに恨をうけるような先は、ございませんと存じます」
「そうか。取りしらべはそのくらいにしておきましょう」
 検事は、そういって、警官たちと、ひそひそとうちあわせを始めた。
「どうだ。もうこのくらいでいいだろう。トラ十をもっとしらべあげることにしよう」
「それがいいですね。そして、山下巡査が見つけた沼地についた大きな足あとが、トラ十の足あとであるという証明がつけばいいんですがねえ。あそこのところが合うように持ってきたいものですなあ」
「まあ、そのことは、後にするがいい」
 と検事は、おしとめて、こんどは帆村の方に向き、
「おい帆村君。君は何かこの娘に聞きたいことはないか。許すから何でも聞いておきたまえ」
「はあ、それでは、ちょっと」
 と、さっきから黙っていた帆村が、房枝の方へ向き直った。房枝は、帆付から何をきかれるのかと、ちょっとはずかしくなった。
「ちょっと伺(うかが)いますが」
 と、帆村は、意外にも、かたい顔を房枝の方に向け、
「あなたは、ミマツ曲馬団の誰かを殺害(さつがい)しようという計画をもっていたのではないですか」
「えっ、なんとおっしゃいます?」
 帆村の問は、房枝をおどろかせたばかりではない。検事はじめ警官たちも、その問にはおどろいてしまった。それは房枝を爆破事件の犯人として疑っているようにも聞える質問だったから。
「じゃあ、もう一度いいます。あなたは、ミマツ曲馬団の誰かを殺害する考えがあったのではないですか」
「まあ、帆村さん、あまりですわ。と、とんでもない」
 房枝は、肩をふるわせて叫んだ。
 帆村は、なぜとつぜん、こんなことをいいだしたのであろうか。ならんでいる警官たちの目が、一せいに帆村の顔にうつる。
「あなたは、そういう考えのもとに、爆発物を、曲馬団のどこかに仕掛けておき、そしてあなたは、自分の体を安全なところへ移すため、丸ノ内へ出掛けていったのではないですか。一人でいくのは工合がわるいから、黒川新団長をさそっていった」
「まあ、待ってください。帆村さん。あたくしが、そんな人間に見えまして、ざんねんですわ」
 房枝は、すすり泣きをはじめた。しかし帆村は、一向動じないかたい表情で、
「だから、バラオバラコの脅迫状も、実は、あなたが自分で作ったものであると、いえないこともない。あなたが安全な場所へ出かける口実を作るため、自分で脅迫状を出したのではないのですか」
「あ、あんまりです。あんまりです」
 と、房枝は、とうとう泣きくずれてしまった。
 それを見かねたものか、検事は、
「おい帆村君。その点は、われわれももちろん考えてみたが、この娘は、それほどの悪人ではなさそうだ。われわれもそのことについてはうたがっていないのだから、それでいいではないか」
「はい、それではどうぞ」
 帆村は、かるくおじきをして、後へ下った。
 房枝は、くやしくて仕方がなかった。帆村探偵は、りっぱな青年だと思っていたのに、なんというひどいことをいう人であろう。あろうことかあるまいことか、自分を殺人犯だとうたがうなんて、そんな仕打があるであろうかと、日頃の好意が、すっかり消しとんでしまった。
 帆村は、ただ沈痛(ちんつう)な顔をしている。彼の胸の中には、他人にいえない何かのなやみがひそんでいるもののようであった。

   出迎人(でむかえにん)

 房枝は、その夜は、警察署の保護室ですごした。
 その翌日となって、房枝は、警察署を出ていいことになった。そのとき、ミマツ曲馬団の生き残り組の中に入っていたスミ枝も、一しょに出ることを許された。
 スミ枝は、署の外に出ると、房枝のそばにすがりつかんばかりにして、一時もはなれようとはしなかった。
「房枝さん、どうぞ、あたしを残していってしまわないでよ、ねえ」
「大丈夫よ。これから、一しょに働き口をさがしましょうよ」
「ほんとう? うれしいわ、あたし」
 と、スミ枝は、またつよく房枝の腕(うで)にすがりついて、
「ああ房枝さん。あたしの持っているこの包の中にね、あなたの持物も、すこしばかり入っているのよ」
「あら、そう」
「うちの曲馬団の向かいに、大きな工場があるでしょう」
「ええ、あるわ」
「あそこの工場の中へ、曲馬団の衣裳や道具なんかが、ばらばらと落ちたんですって、あたしあの翌朝、浅草(あさくさ)の小母(おば)さんところを早く出て、曲馬団へかけつけたんだけれど、工場の前でうろうろしていると、工場の守衛さんが、あたしのことをおぼえていて、こっちに、お前のところのものがたくさん落ちてきたよといって見せてくれたのよ。話をきいて、びっくりしたけれど、あたし、欲ばりだもので、早速その品物を見せてもらって、自分のものを選(よ)って持ってきたのよ。ついでに、房枝さんのものも持ってきたわ」
「あら、スミ枝さんは親切ね」
「そういわれると、あたしはずかしいわ。だって、正直にいうと、房枝さんも死んでしまったろうから、房枝さんの形見をもらうつもりで、持ってきたんだわ。ごめんなさいね」
「形見だって、ほほほほ。本当に、もうすこしで、形見になるところだったわねえ」
「ごめんなさい。あとで見せるわね。あの、いつかの奥様みたいな方が持ってきた手箱(てばこ)もあるのよ」
「あら、そう、あのよせぎれ細工(ざいく)の手箱が」
 房枝は、道子夫人からいただいた手箱が焼け残っていたと聞いて、とたんに、なつかしく、夫人のことが思い出された。
(ああ、あの奥様はあたしが死んでしまったと思っていられるかもしれない、安心をおさせ申すために、おたずねしなければならないけれど、つい、お所をうかがっておかなかったので、こういうときに困ってしまうわ)
 と、ざんねんに思った。
 それから、房枝は、忘れていた道子夫人のことを考えつづけはじめたが、とたんに、じゃまがはいった。
「おお、房枝さん」
 いきなり、横町からとびだしてきた者があった。
「あら」
 房枝は、おどろきの声を発したが、そのままスミ枝の手をとって、急ぎ走りぬけようとした。
「房枝さん、お待ちなさい」
 よびとめたのは、ほかでもない、帆村荘六だったのである。
 房枝は、どなりつけたいような、むかむかする胸をおさえて足早に歩いた。
「おお、房枝さん」
 こんどは、別な声が房枝をよびとめた。なまりはあるが、カナリヤのようにきれいに澄(す)んだ声だった。それはニーナだった。そばには、ワイコフ医師もいた。
「あら、ニーナさん」
「あたくし、待っていました。黒川さん、あなたに会いたがっています。すぐ来てください」
「あら、そうですか。どうしたのでしょう、容態でもわるくなったんじゃありません?」
「ええ、そうです、そうです。黒川さん、至急、あなたに会いたがっています。それからね、房枝さん。あたくし、あなたのために、しんせつなことを考えました」
「親切なことって」
「あなたを、あたしのところで、よい給料で働いてもらおうと思います。仕事は、むずかしくありません」
「そうですか。でも、あたし、この方と一しょに働こうって、約束したばかりなんですのよ」
 といって、房枝はそばでけげんな顔をしているスミ枝を指した。
「おお、こちらのうつくしい娘さんですか。うつくしい女の人、たいへんよろしいんです。房枝さんと一しょに働いていただきましょう。その仕事、たいへんいい仕事です。くわしいこと、あとで話します。自動車が待っていますから早くのってください」
 房枝とスミ枝が、顔を見合わせて、どうしようかと考えているうちに、ニーナは、自分の思ったことを、どんどんやった。道ばたに待っている自動車のところへ来ると、ワイコフに扉(ドア)をひらかせ、二人をおしこむようにして、自動車にのせてしまった。
「あら、ちょっと房枝さん。すてきな自動車ね」
 スミ枝は、もう自動車に気をうばわれてしまっている。
 房枝は、走りだした自動車の窓外に、目を走らせた。電柱のそばに帆村が立って、じっと房枝の方を見おくっていた。
「ほほほ、房枝さんをおこらせた探偵さん、くいつきそうな顔していますね」
 ニーナは、どこで知ったか、そういって、愉快げに笑った。ワイコフの操縦する自動車は、町の辻をまがって、国道の方へすべりこんでいった。
 自動車が見えなくなってしまうと、帆村探偵は、たばこをとりだして火をつけた。
「房枝さん、あんたは、とうとう本気でおこってしまったようだね。はははは」
 と、彼は口の中で、つぶやくようにいった。なぜか彼の顔からは、近頃のあのいたましいかげが急に取れ、その目は希望にかがやいていた。

   花の慰問隊(いもんたい)

 それから一週間ほどしてのことだったが、都下の新聞やラジオのニュースによって、
「増産運動(ぞうさんうんどう)・花の慰問隊」
 という風がわりな慰問隊が結成せられたことが伝えられ、国民をたいへんに感激させた。
 その「花の慰問隊」というのは、うつくしい少女たちの集りで、そのうつくしい少女が、これはまた更にうつくしい花束をもって、東京にあるたくさんの生産工場その他を訪問し、朝から晩まで、機械と共働きをしている男女職工さんたちをなぐさめようというのであった。この「花の慰問隊」の訪問をうけた工場では、そこで働いている職工さんたちが、どんなに喜ぶかしれない。その結果、仕事の方もどんどんはかがいって、かならずいつもよりは、たくさんの品物ができることであろう。つまり花の慰問隊は、増産運動までをやろうというのであった。
 この「花の慰問隊」結成のことは、ニュースがひろがっただけでも、たいへんなよい反響があった。
 各新聞紙は、争うようにして、花の慰問団の写真をのせた。
 そのときカメラの焦点は、つねに一人の明朗な、はつらつたる美少女に合わされていた。その少女こそ、ほかならぬ房枝であったのである。
 花の慰問隊の少女たちは、はじめのうちは、数十名にすぎなかった。そして一日に、三、四箇所の工場をまわるにすぎなかったが、新聞や、ラジオでこのことが伝わると、日毎に参加の隊員がふえてきて、一週間たつかたたないうちに、隊員の少女たちは、三百余名という多数となった。
 房枝は、いつとなしに、花の慰問隊長にあげられていた。
 ニーナは、房枝の後援者であった。いや、もっとはっきりいうと、はじめから、この花の慰問隊をつくるのに力を入れていたのであった。しかしニーナのことは、どの新聞にも出なかった。それは全くふしぎなくらいであった。
 だが、その理由は、ニーナと房枝との間に、かたい約束があったからである。即ち、慰問隊の結成は、すべて房枝がいい出したことにしておくことと、それからもう一つ、花の慰問隊のことを聞いて、ある富豪(ふごう)が、名前をかくしてかなりたくさんな金を、慰問隊のために寄附したこと、この二つのことを、ニーナは房枝にまもるように約束したのであった。その実、この寄附金は、すべてニーナのふところから出たのであった。といっても、ニーナのお小遣(こづかい)から出たのではなくて、もっとえらい筋から出ているのであった。今後も、入用なだけの金は、いくらでも房枝に渡されることに、ニーナとの話がついていた。
 次の日曜日が、花の慰問隊の大会ときまった。これこそ表面はいかにもうつくしいが、一度その内幕をのぞくと、そこにはターネフ一派の実におそるべき陰謀がいままさに行われようとしているのであった。それは、どんな大事件をもたらすのであろうか。ターネフが「もはや荒療治のほかなし」と放言したが、その荒療治の日は、いよいよ近くに迫ったのであった。房枝は、そんなこととは、夢にも思っていない。ニーナたちをうたがうどころではない、ニーナのかくれた美挙(びきょ)にすっかり感激し、ニーナをすっかり信じかつうやまっているのであるからまことに困ったものであった。
 帆村探偵は、今なにをしているのであろうか。
 そしてついに、その日が来た。花の慰問隊の大行進! 東京の工場という工場が、うつくしい花束や、おそろしい爆薬を秘めた花籠で飾られる日が来たのであった。

   あやしき見張(みはり)

 いよいよ今日の日曜日は、花の慰問隊の大行進! 東京の工場という工場が、うつくしい花束、いや、おそろしい爆薬を秘めた花籠でもって飾られるのだ!
 その早朝のこと、例の城南(じょうなん)の警察署へ、一台の帆自動車(ほろじどうしゃ)がすべりこんだ。
 運転台にのっていた警官が、すばやく外へ下りて、自動車の扉(ドア)をあけると、中から、度のきつい近眼鏡をかけた紳士がひらりととび下り、階段をあがって、さっと警察署の中に姿を消した。
「おう、田所(たどころ)検事だ。いよいよ御入来だな」
 そういったのは、署の前の、煙草店から出てきたあやしい黒眼鏡の男だった。
 彼はそういうと、横を向いて、道路の傍(かたわら)で故障になった自動車をなおしている修繕工らしい長髪の男に目くばせした。すると、修繕工はかるくうなずいた。黒眼鏡の男は、そのままそこを立ち去ったが、あとには長髪の修繕工が、いかにも体がだるそうに、ぼつぼつ自動車の修理にとりかかった。が、彼の目は自動車にそそがれるよりも、警察署の表口と裏口あたりにそそがれる方がひんぱんであった。どうしても張番(はりばん)をしているとしか見えない。
 何者であろうか、こうして、警察署に気をくばっている曲者たちは?
 そのとき署内では、大急ぎで駈けつけた田所検事を中央にかこんで、署長や司法主任や係官の刑事や巡査が、額(ひたい)をあつめて、会議の最中であった。
「そうか、昨日の午後四時か」
 と、田所検事は、近眼鏡にちょっと手をかけて、目をしばたたく。
「ええ、午後四時でしたな。トラ十へ、これをさしいれたいから頼みますと、にぎりずしが一折(おり)と、鼻紙(はながみ)一帖(じょう)とをもってきたのです。そこへ出たのが、この間、拝命(はいめい)したばかりの若い巡査だったが、『トラ十へ』という声に気がついて、その巡査を押しのけて前へ出て応接したのが、ここにいる甲野(こうの)巡査です。甲野巡査の第六感の手柄ですよ。ははは」
「署長さん、第六感なんて、そんなものじゃないのです。そうもちあげないで下さい」
 甲野巡査が、頭をかく。
「じゃあ、これから後のことを、甲野巡査から聞こう。話したまえ」
「は、検事さん。トラ十へ差し入れ、というので、私はぎくんときました。だって、これは秘密になっていますが、トラ十は五日前に、ここの留置場を破って逃げ出して、今はここにいないんです。だからうっかりしていると、トラ十なんか、ここにはいやしないぞといいたくなる。しかしそういっては、トラ十の逃げ出したことがばれる。私は前へとび出していくと、受付の巡査に代って『よろしい、ここへおいてゆけ』といったのです。そしてすしをもちこんだ当人の住所姓名をたずねると、トラ十の従弟(いとこ)で、この先のこれこれの工場に働いている者ですといって、すらすらと答えたんです。そこで私は、すしをうけとって『よろしい』というと、その男は帰っていきました」
「なるほど」
 検事はうなずいた。
「さあ、そこですしの始末ですが、これには困りました。なにしろ、トラ十はここにはいないのですからねえ。もったいないが、われわれが代りに食べるというわけにもいかない。すしは、机の上においたなりになっていました。がそのうちに、思いがけない事件がもちあがったのです」
「ほう、猫の一件だな」
「そうなんです。私たちが、うっかりしている間に、警察署の小使が飼っている玉ちゃんという猫が、昨今(さっこん)腹が減っていると見え、いつの間にか机の上のすしを見つけ、紙包の横を食い破ると、中のすしを盗んで食っているのです。『ああ猫がすしを食べている!』と、誰かがいったときには、もう二つ三つは、玉ちゃんの腹の中に入っていたのでしょうが、皆がさわぎだして、玉ちゃんのところへ飛んでいったのですが、そのときどうしたわけか、猫は逃げもせず、そこにうずくまっているのです。そしてだらだらよだれをたらしている。『変だな』と思ったときには、猫は、とつぜん大きなしゃっくりをはじめ、それからさわぎのうちに、冷たくなって死んでしまったのです。すしの中には、毒が入っていたのですなあ」
「うむ、そうらしい。毒物は検定にまわしたろうね」
「もちろん、すぐまわしました」
 とこれは署長がこたえた。
 小使さんの猫玉ちゃんが、トラ十へさし入れのすしを盗み食いをして毒死した、という事件が、ここの署員たちをたいへん驚かせ、そして、田所検事へ急報せられたというわけであった。すしを持って来た男は、もちろん玉ちゃんを殺すつもりではなく、留置所につながれているトラ十を毒殺するつもりであったらしい。いったい何者であろうか、トラ十を殺そうとたくらんだ者は? そしてまた、なにゆえにトラ十の死が、望まれているのであろうか。ミマツ曲馬団の爆破事件以来、大活動をしている田所検事の最大の興味は、実にその点にあったのである。

   裏(うら)をかく棺桶(かんおけ)

 田所検事を中心に、会議はつづけられる。
「帆村荘六から、何か連絡はなかったかね」
 検事が思い出したようにそれをいった。
「ああ、帆村君の連絡ですか。このところ、さっぱり何もいってこないのですがね」
 と署長はいって、部下の顔を見まわし、
「おい、誰か、帆村君の消息を知っている者はおらんか」
 だが、誰も、これに答える者はなかった。一体帆村荘六はどこで何をしているのであろうか。房枝をすっかり怒らせてしまい、彼のところから房枝が逃げてしまった後、彼はどこかへ姿をかくしてしまった。
「今日は、帆村君の気にしていた花の慰問隊の大会日ですから、もうそろそろどこからか、帆村君が現われなければならぬ筈(はず)ですがねえ」
「昨夜、ここで起った毒ずし事件のことを、帆村荘六に早く知らせてやりたいものだが、連絡がないのじゃ、どうにもしようがないね。ええと、時刻は今、午前八時か」
 田所検事は、時計を見ながら、しきりに帆村の出現を気にしている。
「田所さん。すると毒ずしの件の方は、大急ぎで手を入れてみますか、それとも、もうすこし形勢をみることにしますか」
 署長は、たずねた。
「そのことだよ」と、田所検事は、改まった顔で一同を見まわし、
「毒ずし事件は、よほど考えてやらないと、せっかくの大魚をにがすことになる。そこで、さっきから考えていたわけだが、ここで一つ、大芝居をうとうと思うんだが」
「大芝居?」
 検事が大芝居などといいだしたので、一座はおどろいて目をぱちくり。
「大芝居というほどのものでもないが、さっそく棺桶を一つ、署内へ持ってこさせるのだ」
「はあ、棺桶を。棺桶をどうするのですか」
 署長は、検事が何をいいだすことやらと思い、たずねかえした。
「その棺桶には、人間と同じくらいの重さのものを入れ、そのうえで、蓋(ふた)には釘をうち、封印をしてトラ十の泊っていた、あの安宿へ持っていくのだ」
「ははあ」
「つまり、トラ十は署内で死んだから、屍体(したい)を下げ渡す。だから知合の者が集まり、通夜回向(つうやえこう)をして、手篤(てあつ)く葬(ほうむ)ってやれとむりにでも、宿の主人に押しつけてしまうんだ」
「なるほど。毒ずしをトラ十が食べて死んでしまったという事実の証明をやるわけですね」
「そのとおりだ。すると、犯人の方じゃ、うまくいったと安心をし、そして、油断をするだろう。それから後のことは、いうまでもあるまい」
「なるほど、なるほど。それは名案の芝居ですなあ。しかし、その棺桶をそのまま焼場へ持っていかれては、芝居だということが分かってしまいますねえ。なにしろ、棺の中には、トラ十の身代りに、沢庵石(たくあんいし)か何かを入れておくわけですから、火葬炉(かそうろ)の中でいくら油をかけて焼いてみたところが石は焼けませんからね。あとで、うそだということがばれてしまいます」
「なあに、問題は、今夜だけしずかにお通夜をさせればいいのさ。明日になれば、トラ十の死因について、すこし疑わしいことがあるから、改めて警察署へ引取るからとか、何とかそのへんはよろしくやればいいじゃないか」
「わかりました。それなら、きっとうまくいきます。じゃあ、早速芝居にかかりましょう」
 田所検事の計略によって、ありもしないトラ十の屍体が棺の中に収められて、警察署の裏口から運び出された。そして例の安宿へ届けられたのであった。
 宿の方では大さわぎとなった。しかし警察署からの話でもあるし、持ちこまれた棺を押しかえすこともならず、とうとう筋書どおりに通夜回向をすることとなり、近所の長屋のおかみさんや老人などが、ぼつぼつ花や線香をもって集まってきた。
 すっかり、筋書どおりにうまくいった。
 このてんまつは、警察署の前で張番をしていたあやしい自動車修繕工の目にも分かりすぎるほど映り、すっかり彼を有頂天(うちょうてん)にしてしまった。彼は棺のあとに見えがくれについて、例の安宿(やすやど)へ送りこまれるところまでたしかめた。そのうえで再び署の前へとってかえし、その実、別に故障もしていない古自動車の運転台にとびのると、いそいでエンジンをかけ、走りだした。それはもちろん、このてんまつを報告するためであった。覆面の犯人たちは、まんまと一杯、田所検事の計略に、ひっかかってしまったわけだった。

   かたみの手箱(てばこ)

 その朝、房枝は、ニーナ邸で、早くから目をさました。
 傍(かたわら)のベッドでは、スミ枝がいい気持そうに寝込んでいた。まるでお伽噺(とぎばなし)にあるお姫さまのような豪華なベッドに、ふっくらと体をうずめてねむっているのであった。
 房枝は、窓ぎわへいって、カーテンをそっとあけて、下を見おろした。花壇には、今もうつくしい花が咲き乱れていた。いくらきってもつんでも絶えることのない珍しい花であった。
 つばのひろい麦わらの帽子をかぶった庭男が、しきりに花の間をくぐって、如露(じょろ)で水をやっているのが見えた。
 そういう庭男が、あっちに一人、こっちに一人、二人で水をまいていた。
 今日の花の慰問隊の集合は、午後一時ということになっていた。場所は日比谷公園であった。それから各工場へ、手わけして花の美女隊が、大行進を始めることになっていた。午前中は工場の増産能率を害するというので、このように午後の出勤と決められていたのである。
 今日の花の大慰問が終れば、これで当分一段落となる。房枝の体も、明日からはあくことになるので、さてそのあとは、どんなことをして暮そうかと、そのようなことが、はや気がかりになった。ニーナは、いつまでも、房枝の生活の面倒を見てくれるつもりかもしれないけれど、そういつまでも厄介になるわけにはいかない。
 房枝は、またベッドのところへ戻ってきて、そのうえに腰をおろした。スミ枝は、まだねむっている、すうすうと気もちよさそうないびきまでかいて。
 房枝は、手をのばして、枕許(まくらもと)においてあった手箱を手にとった。
 よせぎれ細工の手箱であった。これは、房枝の大好きな彦田博士の夫人道子から贈られたものであった。そしてミマツ曲馬団大爆破のとき、二、三百米(メートル)先の工場の中へとびこんでいたのをこのスミ枝が取りかえしてきてくれたのであった。
 房枝は、その手箱を胸のうえに、そっと抱きしめた。
「ああ、そののち奥様にもずいぶんながくお目にかからないような気がしますわ。あたしの大好きな奥様は、おたっしゃでいらっしゃるでしょうか。このまえは、奥様のお身の上をお案じ申すあまり、『どうかもうお帰りになってくださいまし、そして、もう二度とこんなところへは、おはこびになりませんように』と、そのような失礼なことを申し上げました。お怒りになりましたかしら。お怒りになっては、房枝は悲しゅうございますわ。あたくしは、奥様とお別れするのは、どんなにかつらいことでございました。でもあたくしは、そうしなければならなかったんでございます。なぜと申しまして、あたしたちミマツ曲馬団の者は、たえず、あやしい者に狙われていました。ですから、そのそば杖(づえ)が、万一奥様のお身にあたるようなことがあれば、あたくしは、どんなにか心ぐるしいのでございます。あたくしの手足が千切(ちぎ)れることよりも、奥様の一本のお指から赤い血がふきだすことの方がよっぼど悲しいのでございます。ああ奥様、房枝は、大好きな奥様にお目にかかれなくてさびしいのでございますけれど、こうして、じっとこらえております。ただ奥様の御安泰(ごあんたい)をのみ、おいのりいたしております」
 房枝は、道子夫人の手になる手箱に、そっと頬ずりをして、
「でもここに、奥様のあついお情のこもった手箱がございますので、房枝は、どんなにか、なぐさめられているのでございますわ。奥様は、手芸(しゅげい)にも御堪能(ごたんのう)なのですわねえ。ああ、おそばに毎日おいていただいて、奥様から手芸をおしえていただくことが出来たら、房枝はどんなに幸福でしょう。ああ、だめです、そんなこと。房枝がミマツ曲馬団の生き残り者である間は、どこからかおそろしい悪魔が、今にもとびかかってきそうな姿勢で、こっちをにらんでいるのです。そういう禍(わざわい)をもって、どうしてあたくしが、奥様のおそばへまいれましょう」
 房枝は、いつになく、感傷な少女になりきってなげくのであった。
「あーら、房枝さん。泣いたりして、どうしたのよう」
 ねむっていると思っていたスミ枝が、むっくり頭をあげて房枝によびかけた。
「あら、スミ枝さん。あたし、泣いてなんかいないわよ」
「あんなことをいっているわ。ああ、よくねちゃった。ここは天国みたいね」
 スミ枝は、ベッドから飛び下りた。そして部屋の隅の洗面器の前に立って、鏡に顔をうつして、あかんべえをやった。
「そうそう、房枝さん。その手箱ね。一個所(かしょ)だけ、よせぎれの色がかわっているんだけど、あの爆発で、色がかわってしまったのかしら」
 ふしぎなことを、スミ枝がいい出した。
「あら、そんなことがあるかしら。スミ枝さん、それはどこなの」
「ちょっと、ここへ持ってきてごらんなさい」
 スミ枝は、ピンを口にくわえて、髪を解(ほど)きながらいう。
「ほーら、ここよ。ここのところだけ、色がちがうでしょう」
「ああ、ここね。これは昔の安いメリンスの古ぎれね。ほかのところのよせぎれが、ちりめんだの、紬(つむぎ)だの、黄八丈(きはちじょう)だののりっぱなきれで、ここだけがメリンスなのねえ。でも、これは爆発で色がかわったのではなくて、もともと、これはこんな色なのよ」
「そうかしら、でも、へんね」
「なぜ」
「でも、へんじゃないの。そこのところだけ、安っぽいメリンスのきれを使ってあるなんて、どうもへんだわよ。きれが足りなかったんだとは、思われないわ」
 スミ枝が、無遠慮に、いいはなつところを聞いていると、なるほど、へんでないこともなかった。房枝は、その色がわりの安いメリンスのきれに、じっと目をおとしていたが、
「あら」と、とつぜん叫んだ。
「なによ。房枝さん。どうしたの」
「いえ、このメリンスの模様ね、梅の花に、鶯(うぐいす)がとんでいる模様なんだけど、あたし、この模様に何だか見覚(みおぼえ)があるわ」
「あら、いやだわ」
 スミ枝が、ぷーっとふきだした。
「スミ枝さん。なぜ、おかしいの?」
「だって、梅の花に鶯の模様なんて、どこにもあるめずらしくない模様よ。それをさ、房枝さんたら、何だか見覚があるわなんて、いやにもったいをつけていうんですもの」
「ほほほほ。そうだったわねえ。梅に鶯なんて、ほんとうにめずらしくない模様だわ。ほほほほ。でも」
 つりこまれたように、房枝は高らかに笑ったが、そのあとで、やはり小首をかしげる房枝だった。
「あーら、いやな房枝さん。まだ、はっきりしないの」
「でも、あたし、この模様、たしかに見覚があるのよ。もうこのへんまで思い出しているんだけど、そのあとが出てこないのよ」
 房枝は、そういって、頸(くび)のところへ手をやった。スミ枝が栓(せん)をひねって、湯をじゃあじゃあ出しはじめた。

   地下室の密議(みつぎ)

 そこは窓のない部屋だった。
 壁のところには、配電盤や棚のようにかさねた高級受信器などの機械類が並んでいた。
 二人の外人が、電信をうけていた。
 どうやら、ここは地下室らしい。

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