時計屋敷の秘密
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著者名:海野十三 

(おいてけぼりになって、こんなくらいところで土左衛門(どざえもん)になるのか、いやだなあ、うん、もっと、頭をはたらかせて、逃げ出す道を探そう)
 絶望におちいりやすくなった自分の心を一所けんめい激励(げきれい)して、八木君は、はじめいた奥のところへもどってきた。
 そこには、上からわずかながらも、あかりが照らしている。開きそうもないが、扉がある。また人だか鬼だか分らないが、頭の上の厚いガラスの板の上を、何者かが歩いているのを見たことがある。八木君は、そこからなんとかして死地を脱する道を発見したいものだと考えた。
 はたして、それはうまくいくであろうか。

   水地獄

 八木君は、もう一度、一番奥の重い鉄扉(てっぴ)のところへいってみた。
 いろいろやってみたが、扉はびくともしない。たたけば、こっちの手が痛くなるだけであった。八木君は、あきらめた。
 ただこのとき、彼は一つの発見をした。扉の上に、うき彫(ぼ)りになって、牡牛(おうし)がねそべり、そしてその牡牛はこっちを向いて、長い舌を出しているのが、とりついていることだった。八木君は、むりをして、扉の一角に足をかけて、扉の上までのぼってみたのである。
 この牡牛のうき彫りが、単なる装飾(そうしょく)であるのか、それとも何か外に意味があるのか、そのとき八木君には答を出している余裕(よゆう)がなかった。
 次の手は、ガラス天井(てんじょう)を破ることであった。ガラスはそうとう厚いようであるから、ジャック・ナイフしか持っていない彼に、はたして破れるかどうか、見込(みこ)みはうすかった。
 このとき水かさはまして、八木君の乳のあたりから下をひたしていた。いやな思いである。もう五十センチも水かさが増せば、いやでも土左衛門だ。働くのは今のうちだ。
 八木君は、ガラス天井の下で、かたわらの土壁へジャック・ナイフをたてて、土を掘りだし、足場を作りはじめた。つまり土壁に、段をつけるのである。そしてその段をのぼって、ガラス天井へ近づこうという考えであった。これはうまい考えであるように見えて、じつはなかなか困難なことであった。せっかく一段を掘り、次にその上の第二段目を掘っていると、水かさがましてきて、はじめの第一段をひたしてしまう。
 これは残念と、八木君はそれへ足をかけようとしたが、水がはねて段はずるずるにぬれ、八木君がそれへ上ろうとして力をいれると、とたんに足がすべって、どぶんとその身は濁水(だくすい)の中に落ちてしまった。そして彼は、いやというほど泥水(どろみず)をのまされた。
 時間は迫る。
「だんだん苦しくなるぞ、それよりか、泥水の中にすっぽりつかって、早く溺死してしまった方がどんなに楽かしれないよ。君、早く死んだがいいよ」
 死神の声であろう。そのことばは、早く楽になるから溺死しなさいと誘惑(ゆうわく)している。
「いやだ、死ぬまでに、まだまだやってみることがあるんだ。お気の毒さまねえ、死神君」
 八木君は元気をふるい起して、もう一度あらためて、土の壁に段をきりこんでいった。
 やがてそれはできた、彼は、こんどは失敗しないで、段の上へよじのぼることができた。そしてガラス天井に、はじめて手をつけた。それはひやりとして、思ったよりは、ずっと厚かった。
 失望するのは、死のちょっと手前のことにして、八木君はさっそくジャック・ナイフでガラス天井をつきあげた。
 きいーッと、いやな音がして、ナイフはガラスの表面をつるりとすべった。ガラスの方がナイフより硬いのだ。
 ナイフの柄(え)の方をかえし、それを金づちがわりにして、下から、がんがんとたたいてみた。ガラス天井は、そのままだった。ナイフの柄についていた角材がかけた。これもだめだ。
「まだもう一つ、やってみることがある。ガラス天井の端(はし)まで掘ることだ。そこまで掘れば、上にあがる穴ができるかもしれない」
 八木君は、最後の望みをこのことにかけていた。
 ガラス天井が土壁にささえられている。そこを横に掘っていくのだ。彼は、刻々にましてくる水面をにらみながら、ジャック・ナイフの刃(やいば)を水平にして、ガラス天井の下を横に深くえぐっていった。ナイフの刃とガラスがいきおいよくぶつかって、赤い火花が見えることもあった。そしてガラス天井の下は、だんだん奥深く掘れ、八木君のからだが横にはいれるほどになった。
 八木君はそれをよろこんだ。
 が、すぐ次に絶望が待っていた。
 というのは、土の壁の奥が、はっしと音がして、そこにあらわれたのは巨大なる岩であった。その岩を掘ることはできない。最後の希望をかけて、彼はガラス天井の端を上へおしあげてみた。だが重いガラス天井は、びくともしなかった。
「ああ、もうだめか」
 八木君ががっかりして頭をさげると、頭は濁水(だくすい)の中にざぶりとつかり、彼はあわてて頭をあげた。するとごていねいに、頭をガラス天井にいやというほどぶつけてしまった。
 水は、あと十センチばかりで天井につくんだ。彼の生命(せいめい)もついにきわまった。
 それまではりつめていた気持が、絶望と共にいっぺんにゆるんだ。八木君は意識をうしない、からだはぐにゃりとなって水の中に沈んだ。
 もう、おしまいだ。

   覆面の囚人(しゅうじん)

 だが、もし他の人がいて、この場の光景をもうすこし眺めていたとしたら、その人は、意外なる出来事にぶつかって、大きなおどろきにうたれたことであろう。
 八木君は、もはや死体のようになってガラス天井のすぐ下に水づかりになっている。八木君がそうなるすこし前から、ガラス天井の上では、ひとりの人物が活躍していた。
 その人物は、両足を重いくさりでつながれていた。そしてそのくさりの一端から、また別のくさりがのびて、太い鉄の柱をがっちりとつかんでいた。
 その人物は、昔西洋の僧侶(そうりょ)が着ていたようなだぶだぶの服を着ていたが、すそは破れて、膝のすぐ下までしかなかった。そしてやせこけて骨と皮ばかりになった足首を、鉄のくさりがじゃけんに巻いていた。その人物は、顔にお面をかぶっていた。頭の上から口のところまで、まっくろになった重そうなお面をかぶっていた。あごから下はお面はなかったが、そのかわりに、とうもろこしのようなひげがもじゃもじゃと、のび放題になっていた。
 そういう怪人物が、ガラス天井の上で、さっきから活躍していたのだ。
 彼は見かけにあわない力を、そのかまきりのようにやせさらばえた身体からひねり出し、鉄の棒をてこにつかって、大きな土台石(どだいいし)を動かそうとして、一所けんめいやった。
 その土台石の奥には、すでに大きな穴が用意されてあった。それは多分この鉄のくさりにつながれた怪しい囚人が、ひまにまかせて、これまでに掘っておいたものであろう。土台石の一個が、ついにくるりと一回転して、奥の穴へころがりこんだ。
 と、どっと濁水(だくすい)が侵入してきた。
 怪人は鉄の棒を放りだして、ガラス天井に腹ばいになると、岩がなくなって出来た穴の中へ、細い長い腕をつっこんだ。
 間もなく、怪人は、
「おおッ」
 と、うなった。そして全身の力をこめて、穴から何か引っぱりだした。もちろんそれは八木少年の身体であった。
 少年のずぶぬれになった上半身が、穴から出て来た。
 怪人は、ぎりぎりと歯ぎしりをしながら、両手をつかって少年の身体を、なおも引っぱり出した。
 それは成功した。
 八木少年は、意識をうしなったままではあるが、濁水から完全に救いだされ、ガラス天井の上にびしょぬれの身体を横たえた。
 怪人は、よほどつかれたと見え、八木少年のそばにどんと尻餅(しりもち)をつき、はっはっと大きく呼吸をはずませた。そのとき、怪人は苦しい呼吸をつくために、顔をあげた。すると彼が顔につけているお面がはじめてはっきり見えた。それは見るからにおそろしい死神のお面であった。まわりを黒い布でつつみ、その奥に、半ば骸骨(がいこつ)になった死神の顔がのぞいている――というマスクであった。
 何人であろうか、こんなおそろしいお面をつけて、こんなところに鉄のくさりでつながれているのは。
 かなり永い間、怪人は呼吸をはずませ、肩を波のように上下し、指でのどをかきむしり、苦しみつづけていた。そのうちに、ようやくおさまったものと見え、ふらふらと立ち上った。そして鉄の棒をとって、土台石を動しはじめた。元のように土台石を直そうというのであろう。
 八木君は、溺死(できし)したのではなかろうか。土台石を元へもどすよりも、早く八木君をかいほうしてもらいたいと、この際、誰でも思うであろう。ところが怪人は、そんなことは捨(す)ておいて、土台石を元のとおりに直すことに夢中になっているように見えた。そして、その間にも、ときどきうしろをふりかえって、このガラス廊下の入り口の方を気にしていた。

   語る怪囚人(かいしゅうじん)

 怪囚人は、一息いれると、八木少年のそばににじりより、気を失っている少年をよびさまそうとつとめた。
 少年は、やっと気がついた。そしてきょろきょろと、あたりを見まわした。
「あ、あなたは?」
 怪囚人は、しっかりと少年を抱(かか)えていて、はなさなかった。そして仮面をかぶった自分の顔を見られまいと、顔をそっぽに向けていた。
「もう心配ありません。きみの生命、助かりました」
 怪囚人は聞きにくいことばで、少年をなぐさめた。
「ああ、そうだった、ぼくが地下道の中で溺死(できし)するとき、あなたはぼくを助けてくだすったのですね。ありがとう、ありがとう」
「そうです。私、君を助けました。君はかわいそうでありました。私は自分のためにこしらえてあった、脱走(だっそう)の穴を利用して、きみを救いました」
「えっ、脱走ですって、あなたは誰です」
 八木少年は相手の腕をおしのけて、相手をよく見ようとした。怪囚人は、もはや自分の姿を見られることをさけようとはしなかった。
「おお、あなたは……」
 八木少年はびっくりして、うしろへとびのいた。おそろしい顔だ、太い鉄鎖(てっさ)でつながれている囚人だ。極悪(ごくあく)の人間なのであろう。なんというおそろしいことだ。
 だが、次の瞬間、八木少年は前へとび出すと、死神の面をかぶった囚人の膝に、がばとすがりついた。そして涙と共に、おわびをいった。
「すみません、あなたは、ぼくの生命の恩人(おんじん)です。その恩人に対し、ちょっとの間でも、ぼくがおそろしそうに、後へ身をひいたことはおわびします」
「その心配、いりません。私、おそろしい仮面をつけています。私の姿、おそろしいです。君がにげようとしたこと、むりではありません。しかし、私、悪者(わるもの)ではありません。不幸にして、悪人のためにとらわれ、ここに永い間つながれているのです」
「ああ、そうでしたか、いったい、どうしてそんなことになったのですか、あなたは、どこの何という方ですか」
「くわしい話、あとでいたします」
「今、話して下さい」
「今、話すこと、よろしくありません。そのわけは、たいへん急ぐ仕事があります。そしてその仕事は、きみの力でないと、できないのです」
 怪囚人は、そういった。しかし八木少年にはのみこみかねた。急ぐ仕事というのは、いったい何のことであろうか。これをたずねると、怪囚人は、こういった。
「おどろいてはいけません。この屋敷は、このままでは、あと一時間とたたないうちに、大爆発(だいばくはつ)をして、あとかたもなくなってしまいます」
「えっ、この時計屋敷が、あと一時間とたたないうちに大爆発をするんですって、それはたいへんだ。この屋敷には、たくさんの人たちがまよいこんでいるのです。ぼくの友だちも四人、この屋敷にはいっています。そういう人たちを助けてやらねばなりません。ああ、そうだ、その前に、ぼくはあなたを助けます」
「お待ちなさい、その人たちを助けること、なかなか困難(こんなん)と思います。それよりも、君に急いでしてもらいたいことは、その大爆発が起らないようにすることです」
「なんですって、この屋敷の爆発が起らないようにすることも、まだ出来るんですか。それはどうすればいいのですか」
「それは、今動いている大時計をとめることです」
「えッ、あの大時計をとめるって……あ、大時計は動いているんですね。いつ、あんなに動きだしたんだろう」
 八木少年は、どこからともなくひびいて来る大時計の時をきざむ音に、はじめて気がついて、おどろいた。
「大時計は、すこし前に鉦(かね)を三つうちました。このままでは、あと一時間ばかりして、四つうつでしょう。四つうてば、この屋敷は、こなみじんになるのです」
「それはどうしたわけですか」
「わけを説明しているひまはありません。君は早く大時計をとめて来るのです」
「いったい、どうすれば、あの大時計をとめることが出来るのですか」
「子供の力では、出来ないかもしれぬ。いや今、君に行ってもらう外に、方法はないのだ。もっとこっちへよりなさい。大時計の仕掛はこうなっている……」
 と、怪囚人は、鉄の壁へ、釘(くぎ)の折(お)れで、大時計の図をかきだした。

   大発見

 話は、四人の少年たちの方へうつる。
 地震のあとで、放(ほう)りこまれた部屋の一方の壁がするすると上にあがって、そのむこうにあらわれたのは、ほこりの積った古風な実験室みたいな部屋であり、そこに一つ額縁(がくぶち)が曲ってかかっていたが、その中の油絵はまん中が切りとられていて、なかったこと、そしてそれはどうやら人物画らしいことなど、すでに諸君の知っているところである。
「おどろいたね。どこへいっても、からくり仕掛ばかりの屋敷だ」
 あまり物事におどろかない五井少年も、こんどはおどろいた様子。
「なんだろう、この部屋は。錬金術師(れんきんじゅつし)の部屋みたいだが、おい、四本君。これは君のお得意(とくい)の科目だぜ」
 六条が、四本の背中をつっつく。
「ふん。たいへん興味がわいてくるね。でも、ぼくには、これがなにをする部屋だか、さっぱり分らないよ。どこから調べたらいいのかなあ」
 四本は、部屋の中を歩きまわる。
 もう一人の二宮少年は、あいつづいて起るおどろきの事件に、すっかり心臓を疲らせたと見え、ふだんのお喋(しゃべ)りがすっかり無口になって、青ざめた顔で、みんなのそばを離れまいとして、ふうふういいながらついてくる。
「ははあ、こんなものがあったぞ」
 四本が、とつぜん頓狂(とんきょう)な声をあげたので、のこりの少年たちは、彼の方へ寄っていった。
「これは何だか分るかい」
 と、四本が、棚に並んでいたガラス壜(びん)の一つをとりあげて、みんなに見せた。中には、黄いろ味をおびた、やや光沢(こうたく)のある結晶している石がはいっていた。
「知らないね。いったい、それは何だ」
「これは、昔から日本にもあるといわれてたが、そのありかはなかなか知れていない水鉛鉛鉱(すいえんえんこう)だよ」
「すいえんえんこう、だって。それは何だ」
 こうなると四本の話をだまって聞くより手がない。
「これは昔たいへん貴重なものとして扱われた鉱石なんだ。つまりこの中には、モリプデン――水鉛ともいったことがあるね――そのモリプデンが含有(がんゆう)されているんだ。ここまでいえばもう分ったろう。モリプデンの微量(びりょう)を鋼(はがね)にまぜると、普通の鋼よりもずっと硬いものが出来るんだ」
「ああ、モリプデン鋼のことか」
「大昔は、刀鍛冶(かたなかじ)たちが、行先を知らせず、ひとりで山の中へはいりこみ、一ヶ月も二ヶ月も家へかえらないことがあった。それは刀鍛冶が、この水鉛[#「水鉛」は底本では「水」]の鉱石を探すために山の中へ深くはいりこむのだ。そしてその場所を見つけても誰にも知らせないで、自分だけの用に使っていた。しかしその刀鍛冶が年をとって死にそうになると、ひそかに自分のあとつぎの者におしえたこともあったそうだ。とにかく、この水鉛鉛鉱が、この部屋には、あっちにもこっちにもおいてあるんだ。この謎を君たちはどう解くかね」
 問う少年の瞳(ひとみ)も、聞かれる少年たちの瞳も、共に輝いて、水鉛鉛鉱の上に集まる。
「ふん、分った。この屋敷を建てた混血児(こんけつじ)のヤリウスは、水鉛鉛鉱を売って儲(もう)けたんだろう。貿易もしたのだろう」
「そうだろうねえ」と四本も相づちをうち「なにしろ水鉛鉛鉱というものは、世界においてもめずらしい鉱石なんだから。……それからもっと謎を解けないかしら」
「そのヤリウスが、うまい商売を捨てて、なぜどこかへ行ってしまったんだろう」
「そのことなんだ。ぼくの想像では、ヤリウスは、水鉛鉛鉱がかなりたくさん出る場所を知っていたんだと思う。その証拠には、この部屋だけにでも、あっちにもこっちにも、たくさん標本や見本の鉱石が、無造作においてあるからね。ほら、そこの隅には、樽にいっぱいはいっている」
 なるほど、小さい酒樽(さかだる)であったが、その中にいっぱいはいっていた。
 少年たちが、感心して樽の中をのぞきこんでいるとき、大時計の音が、ゆっくり、かちかち聞えてきた。
 ところが、あと五分足らずで、この屋敷は大爆発を起すことになっていた。四少年の中には、それに気がついている者は一人もない。あと、たった五分だ。
 大危険は迫っている。
 それなのに、その大危険の時刻を知っている八木少年はどうしたのであろう。

   牡牛の扉

 八木少年は、ふと吾(わ)れにかえった。
 彼は、小暗い階段の下に倒れていた。
 気がつくが早いか、さっと頭をかすめたことは、怪囚人から教えられたことだ。ことに、この屋敷が、もう一時間とたたないうちに大爆発をするというおそろしい危険のことであった。
 大時計を、すぐにとめなくてはならない。
 そのために、自分は怪囚人に別れて、急いでガラス張りの道路[#「道路」はママ]を、怪囚人に教えられたとおり、走りだしたはずだった。それにもかかわらず、なぜ自分はこんなところに倒れているのであるか、訳が分らなかった。
 足もとを見ると、そこにはやはり厚いガラスがはってあった。すると怪囚人のいたところから、ここまでずっと同じガラス張りの通路がつづいているのにちがいない。
 彼はうしろをふりかえった。怪囚人の姿が見えるかもしれないと思ったからである。怪囚人は自分がこんなところで滑るかなんかして倒れたままでいるのを、遠くから見ながら、やきもきしているのではなかろうか。
 そう思って、奥をすかして見たのであるが、奥はいよいよ暗く、それに通路が曲っているので、怪囚人の姿を見ることができなかった。
 そこで八木少年は、前進することにきめ、階段をかけあがった。
 階段をのぼり切ったところに、頑丈(がんじょう)な扉がしまっている。錠(じょう)がおりていると見え、押(お)せど叩けどびくとも動かない。
「困った!」
 が、そのとき彼は救われた。扉の上に、牡牛の像が、うき彫(ぼ)りにつけてあったからだ。
 彼はのびをして牡牛の舌(した)を指先でつきあげた。
 すると、奇妙なことに彫刻の中の舌がひっこんだ。と同時に、ぎーッと音がして重い扉は向こうへ開いた。
「あッ、ありがたい」
 牡牛の舌を下からつきあげると扉があく。このことは、怪囚人が教えてくれたことの一つであったのだ。
 そこを急いで越えて前方を見ると、すこし通路を行ったところに、またもや上へのびる石の階段があった。
 八木少年は、どんどんと階段をあがった。階段の上には、頑丈な扉があった。前と同じようであった。その扉の上には、やはり牡牛のうき彫がとりつけてあった。前に見た二つの牡牛の像もそうだったが、どれもすこしずつ牛の姿勢がかわっていた。
 だが、どの牛も舌をだらりと出していた。それを上へおしあげると扉が開くことは、このたびも同じことであった。
 同じようなことを五六回くりかえすうちに、さすがの八木少年も、息がきれ、頭がふらふらになって、ぶっ倒れそうになった。しかもまだ、教えられたとおり、大時計の歯車と振子(ふりこ)のあるところまでつかないのであった。
 このとき八木少年は知るよしもなかったけれど、大時計は四つの鉦をうつ五分前のところをさしているのであった。
 そして八木君が、大時計の振子と歯車のあるところに出るには、まだ四つの扉を開いて急階段をかけあがらなくてはならなかったのである。はたして今はふらふらの八木少年は、間にあうだろうか。
 時計屋敷の崩壊(ほうかい)を前にして、大時計はますますおちついた調子で、こッつ、こッつと、時をきざんでいく。
 もしこの時計屋敷が、あと五分足らずの間に爆発すれば、少年たちも、その前にいった村人たちも、また八木君を救った怪囚人もみんな死んでしまうことになる。また時計屋敷の秘密も、すっかりうしなわれてしまうのだ。
 あます時間は、あと四分ばかり。
 さて、どうなることであろうか。

   無我夢中

 無我夢中とは、このときの八木少年のことだった。
 迫るこの時計屋敷の爆発時刻、間にあわなければ自分ももろともに屋敷の瓦礫(がれき)の下におしつぶされてしまうのだ。しかしもしも間にあって、あの大時計をとめることができればたくさんの人の生命を救い、そしてこの大きな古い由緒(ゆいしょ)ある建物をまもることができるのだ。八木少年は、爆発を今とめることのできるのは自分だけであると思い、一所けんめいに階段をかけあがり、扉の錠をはずして又階段をあがり、又新しい扉にぶつかっていった。
 大時計の下に出ることができたときは、うれしく涙が出た。
 その涙をはらいおとして、八木少年は、大時計のゆらりゆらりと動いている大きな振子に抱きついて、両足をつっぱった。
 大時計は、ぎいッと音をたて、歯車はごとんと停った。
 その時、大時計の針は、鉦を四つ鳴らすちょうどその一分前のところを指していた。
「やあ、八木君だ」
「ほんとだ、八木君が時計の振子にぶら下っている」
 さっき八木君が階段をがたがたと踏みならしてかけあがっていったそのあらあらしい音を、実験室にいた四少年は聞きつけて、とび出して来たのだった。
「ああ、うまく会えたね。よかった。ちょっと手をかしてくれたまえ」
 八木君は、みんなの手を借りて、振子からはなれることができた。
 彼は、この時計がもうすこし動いていたら、この屋敷は大爆発したことだろうと、怪囚人から聞いたことを話した。四少年は、それを聞いておどろいた。そしてその怪囚人のところへ行ってみることになった。
 ところが、どうしたわけか、さっき八木君が開いて通って来た扉が、彼が閉めもしないのに、ぴったり閉っていた。それを開こうとしたが、なかなかあかない。秘密錠(ひみつじょう)になっている牡牛の彫刻があるかと探したが、そんなものはなかった。もちろん鍵穴もない。いろいろとやってみたが、扉はついにあかなかった。
「これはめんどうだ、時間がかかる、あとのことにしよう」
 と、四本がいい出し、ほかの者もそれにさんせいしたので、あとまわしになった。そして五少年は、実験室をしらべる仕事をつづけることになって、そっちへ動き出した。
「あ、あの振子を、あのままにしておくのは、心配だ。振子が動きださないように、縄(なわ)なんかでしばっておきたいが、縄はないかしらん」
 縄はなかったが、細い紐(ひも)が実験室にあったのを思いだした者があって、それをとって来た。そして五少年みんなで力をあわせて、重い大きな振子を紐でむすんで、その紐の他の端を階段の手すりにゆわきつけた。こうしておけば、振子は動かないから安心していられると、みんなはそう思った。
 みんなは、元の実験室へもどった。
 はじめてその部屋を見る八木君は、四本君の話を聞いて、目をかがやかせた。そしてしげしげとこの部屋を見まわした。
「へんだね、その額は……」
 と、八木君がいった。
「ああ、へんだね。絵が切ってあるところが、へんだというのだろう」
 六条君がいった。
「いや、そのことではなくて、切ったカンパスの裏に板がはりつけてあることだよ。板がはりつけてあるなんて、めずらしいことだ」
 そういいながら八木君は、腰かけの上にのって、傾いているその額縁を両手でつかんで裏を見た。
「む、この額のうしろの壁には穴があいているよ。穴の向こうに、部屋があるらしい。やあ、たしかに部屋だ、うす暗いけれど見えるよ」
 四少年はびっくりして、腰かけにあがっている八木君の足もとにかけ集った。

   意外な人

 いったい、それはどんな部屋であろうか。額のうしろの秘密の穴から出入りできる部屋であるから、ただの部屋ではあるまい。
「かまうことはない。どんどん、はいってみようよ」
 少年たちは元気であった。
 そこで額を横へひっぱって、うしろの穴から、少年たちは中へはいっていった。
 うす暗い部屋、ぷーンとかびくさい。畳(たたみ)がしいてあるが、すっかりくさって、ぶよぶよである。
 目が暗さになれてくると、少年たちはその部屋のひろいのに気がつき、それと同時に、その部屋のまん中に、鉄格子があるのを発見した。
 鉄格子というよりも鉄の檻(おり)といった方がいいであろう。その鉄格子は、床と天井とをつらぬいていた。
「あっ、檻の中に人がいる!」
 二宮君が悲鳴をあげて叫んだ。
「なに、人だって」
 みんなこわごわ檻の方へ寄って、中をのぞきこんだ。なるほど人が倒れている。洋服を着ている男らしい。何者か。
 四本君がこのとき懐中電灯の光を、檻の中の人の顔にさしつけた。
「おや、骸骨だよ。骸骨が洋服を着ている」
「手も、白骨になっている」
 檻の中で死んでいる人物は、やはり囚人でもあろう。しかも年代がずいぶんたっているらしい。洋服を着ているところから見ると、外国人であろうか、それとも当時の新しがり屋であろうか。
「まさかヤリウスの白骨死体じゃなかろうね」
 六条君がいう。
「ヤリウスはこの屋敷から出ていったのだ。だからヤリウスではないよ」
 五井君の推理だ。
「しかし、この屋敷から出ていったヤリウスから、その後たよりが来たという話もないじゃないか。だからヤリウスがここで白骨になっていても、つじつまはあうわけだ」
 四本君は、とっぴな説をたてる。
 そのとき八木君が檻の中を指した。
「見てごらん、白骨の右手のそばに、手帳みたいなものが落ちているじゃないか。あれをこっちへひっぱり出して、中を読んでみたら、なにか秘密が分るかもしれないよ」
 八木君の発見はすばらしかった。棒を檻の中へさしこんで、その手帳をかきよせた。そしてその中を開いてみると、えらいことが書いてあった。それは今日まで外部には全く知られていない、この時計屋敷の秘密であった。
 要点だけを書きぬいてみると、次のようになるのであった。
「わが犯(おか)せる罪のため、ついに私の上に天罰(てんばつ)が下った。今や私はこの檻の中で餓死(がし)するばかりだ。
 ざんげのために、わがおそろしき罪を記しておく。私は主人ヤリウス様がどこからか持ち出してくる貴重な水鉛の鉱石に目がくれたのだ、私はそれを横領(おうりょう)しようとした。その水鉛のありかも分ったように思ったので、或る夜私はヤリウス様の寝所を襲ってこれを縛(しば)りあげ、地下牢の中へほうりこみ、鉄の鎖でつなぎ、顔にはおそろしい死神の仮面をかぶせた。
 世間に対しては、とつぜんヤリウス様がこの土地を去られたことを告げ、雇人(やといにん)も全部解雇(かいこ)し一人のこらずこの土地にとどまることを許さなかった。そのために私は相当な金を使った。
 私はひとりとなって後、いよいよ巨万(きょまん)の富をひとり占(じ)めするつもりで屋敷を後にして水鉛の埋蔵(まいぞう)されている場所へ入ったが、それは私の思いちがいで、本当の埋蔵場所ではなかった。私は屋敷へ帰ると、地下牢の囚人ヤリウス様を責めて、その場所を語らせようとしたが、ヤリウス様はなんとしても語らなかった。
 私は金に困ってきたので、やむなくこの屋敷を左東左平に売った。私は金を受取ってこの屋敷を立ちのいたと見せたけれど、実はすぐ秘密の地下道からこの屋敷の中へもどった。
 この屋敷には、ヤリウス様のお好みによって作られた秘密の部屋や通路や仕掛(しかけ)るいがたくさんある。そのことは左平には話してなかったので、私はその秘密の部屋にかくれて暮すことができる。そしてそれからもヤリウス様を責(せ)め、あるいは自分でいろいろ書類などを調べ、水鉛の埋蔵場所を知ろうとしたが、だめだった。ところが、左平はいつどうして気がついたのか知らないが、この屋敷に自分たち家族以外の者がいることをかんづいた。そこで秘密の部屋を探すのに熱心になった。
 探し出されては困るから、私はあべこべに左平をおどかすことにした。いろいろな怪異(かいい)を見せて彼と彼の家族をおどかした揚句(あげく)、先に左平の妻と娘を殺し次に左平を殺した。そして左平の妻と娘は奥の座敷に寝ているようにつくろい、左平は時計の器械のそばで首つりをしているようにつくろったが、すべて私がやったことだ。
 それは、この屋敷に怪談をつくるのが目的であったが、私の計画は図にあたって、村の人々はこの屋敷へはいって来て、左平一家のむざんな最後を見、おどろいてしまった。そして時計屋敷の怪談がひろくひろがったのだ。
 ところが、私にも天罰の下るときが来た。それは私がヤリウス様が絶対秘密にしていた実験室を発見し、それにつづいてその隣りの一室よりこの部屋へ額のうしろからはいれることを知った直後、この部屋の秘密を調べるため、畳をあげようとしたとき、とつぜん大きな音がして天井からこの鉄格子の檻が下りて来て私を中へ閉じこめてしまったのだ。それが私の悪運のつきだった。
 それでも私は、この檻から出て生きのびるためいろいろなことをやってみたが、すべてだめであった。屋敷の中にいるのは、地下につないであるヤリウス様と、檻の中の私とだけである。村人はこわがって、誰一人として近づかない。左平をぶら下げた以来とまったままの大時計が、うまく動き出して鳴ってくれ、村人を呼びあつめてくれたらと祈ったが、それもかなわぬことだった。
 私は天罰の下ったのを知った。そして今や死にのぞみ、わが罪をざんげして、おゆるしを乞(こ)う。最後ののぞみは、誰かが地下から、ヤリウス様をすくい出してくれることだが、これもはかない望みだ。私はヤリウス様をも同様に餓死させて、最後に主人殺しの罪を加えることになるのだ。そう思うと私は、自分の罪のおそろしさに気が変になりそうになる。
 神よ、あわれなるわがたましいを救いたまえ。
  明治四年十二月門田虎三郎」
   大団円(だいだんえん)

 門田虎三郎の遺書(いしょ)だった。
 白骨(はっこつ)になって檻の中に倒れているのは、門田虎三郎だったのである。
 それは何者であろうか。
 記憶のよい読者は、この門田虎三郎が、ヤリウスの家扶であったことをおぼえていられることと思う。
「おそろしいことだねえ」
 五人の少年は、目と目を見合わせた。
「しかし、これで時計屋敷の秘密は、ついにとけたわけだ」
 時計屋敷の秘密はとけた。
 そうであろうか。いやいや、悪人門田家扶の遺書によってとけたのは、この屋敷の秘密の一部にすぎない。門田が知らない秘密が、まだこの屋敷に関してまだまだ残っているではないか。
 水鉛鉛鉱の埋蔵場所はどこだ。
 ヤリウスの最期はどうであったか。
 それと八木君が地下道の奥であった死神の仮面をかぶった怪囚人との間には、なにか関係があるのか。
 その二人は同一人ではあり得ない。ヤリウスが今もし生きていたら百歳をはるかに越すわけで、そんなことはあり得ないと思う。
 北岸さんたちは、今どこにどうしているのだろうか。あの大時計が四時をうてば大爆発するというが本当だろうか。もし本当ならそれは誰が仕掛けたのか、ヤリウスが仕掛けたものなら、それはなぜであったか。
 こうして拾ってみると、この時計屋敷には、まだまだ大きな秘密が残っている。それが全部とける日は、いつのことであろうか。
 その一つは、間もなくとけた。
 というのは、少年の中で耳のはやい二宮君が、この部屋のどこかで、とんとんとんという音が、かすかではあるがするのを聞きつけたのがはじまりだった。
 それと知って五少年は、部屋中を探しまわったあげく、天井の隅のところが震動(しんどう)して、かすかに壁土が落ちてくるのを発見した。
「あッ、天井の上に、誰かいるんだ」
 方々探しまわった末、天井の上にあたる部屋から救いだされたのは、永らく行方をたずねられていた北岸をはじめ七人の村人だった。その人たちは、あやうく餓死(がし)の一歩手前で救われたのだった。
 腹ぺこのかすれ切った声で、彼らが語ったところによると、七人の村人はこの屋敷の中へはりいこんで、その奇々怪々(ききかいかい)なる部屋部屋を見て歩いているうちに、とつぜん床(ゆか)が落ち、あッという間に一同はこの部屋へ落ちこんだのだ。出るには壁が高くて出られず、そこで一同は今までそこに閉じこめられていたのだという。
 北岸たちは、この屋敷を一刻も早く出たがった。日の光を見、いい空気をすいたい。それから、うまい水ものみたい、と少年たちに訴えた。
 そこで少年たちは、北岸たちを両わきから抱(かか)えて、時計屋敷の外へつれだした。それがために、少年たちはいくども往復しなくてはならなかった。
 その仕事の最後は、北岸を、八木君と四本君が抱きかかえて出ることだった。その三人が、屋敷の窓から外へ出たとき、とつぜん地震が襲来(しゅうらい)した。
 かなり強い地震であったが、前に起った地震の余震(よしん)であるにちがいなかった。
 その話をしながら、三人が庭の方へすこし歩いたとき、八木君が、
「ちょっと、しずかに」
 と、おどろいたような声を出し、それから、北岸さんの身体から手を放すと、その両手を耳のうしろへひろげ、くるっと頭をあげて大時計を見上げた。
 かち、かち、かち、かち……。
 かすかながら、聞えてくる音があった。
「たいへんだ。大時計が動いている。早くにげなくては……」
 大時計が動き出したのは、今の余震(よしん)で、振子をしばっていた古い紐(ひも)がぶっつりと切れ、それで振子は大きくゆれだしたのだ。
「たいへんだ。時計屋敷が爆発するぞ、溝(みぞ)の中へかくれろ」
 大時計が動きだせば、わずか一分ばかりの後に大爆発が起ることが予想された。たった一分間だ。みんなのあわてたのも道理であった。
 まちがいなく一分後に、時計屋敷は大爆発し、天にふきあがり、崩壊(ほうかい)し去った。砂塵(しゃじん)のようになった破片がおさまると、さっきまで見えていた大時計台が、どこへけし飛んだか姿を消していて、屋敷跡へ目を向けた者の背筋(せすじ)を冷くした。
 五少年と七人の村人は、あやういところを助かった。
 このへんでこの物語の筆をおかなくてはならないが、まだ二つばかりお話しすることが残っている。
 その一つは、水鉛鉛鉱の埋蔵場所というのは時計屋敷の真下だったことである。爆発の跡を探しているうちに、大地が掘れて、その鉱脈のあるのが発見された。
 もう一つは、八木君を救ってこの屋敷の秘密を教えた怪囚人のことであるが、八木君は、あの硝子(ガラス)の床のある地下道がそっくり残っているのを見つけて、そこへはいっていった。しかしふしぎなことに、見おぼえのある鉄の鎖(くさり)と死神の仮面は見つかったが、かんじんの怪囚人の姿はなかった。
 怪囚人は、どうなったか。その謎だけは、今もなお解けない。
「あれはヤリウスさんの幽霊だったかもしれないよ」
 と、八木君は結論をこしらえた。
「いや、もう溺死(できし)しそうになってから、君は恐怖のために、しばらく気がへんになっていたんじゃないか、だから会(あ)いもしない怪囚人に会ったように思っているのじゃないか」
 四本君がそういった。
「どうも分らないね」
「とにかくふしぎなことだ」
「世の中のことは、なんでもみんな答が出るというわけにはいかないよ」
「水鉛鉛鉱の鉱脈が見つかったのは、思いがけない大手柄(おおてがら)だったね」
 そこで、少年たちは晴れやかにほほえんだ。




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