火星探険
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著者名:海野十三 

「このナイフを、僕が怪我させた少年に対し、謝罪の意味で贈りたいと思う、君から伝達を頼む」
 といった。そして博士は、人々の笑声と罵(ののし)りの声を後にして逃げるようにこそこそと、自動車の置いてある国道へ急いだ。


   豪華な昼食


 張(チャン)とネッドの二人が仕組んだ牛頭大仙人の占いは、思いがけなく大成功をおさめた。その証拠には、翌朝エリスの町を後にして、国道を北へ進んで行く例の箱自動車の中は、野菜と果物と缶詰とパンとで、いっぱいであった。そしてその間から張とネッドが、顔をキャベツのように崩して笑い続けていた。これだけの食糧があれば、来週一杯、食べものに困るようなことはあるまいと思われた。張もネッドも、これから大きい顔をして食事をとることができるのだ。
 さしあたり、その日の昼食は、近頃になくすばらしいものだった。路傍にある松林の中へ入って、清らかな小川を前に、四人の少年は各自の胃袋をはちきれそうになるまで膨(ふく)らますことができた。そしてそのあとには、香りの高いコーヒーと濃いミルクとが出た。
「こんなに儲かるんだったら、夏休みがすんでも学校へ帰らないで国中うって廻ろうか」
 ネッドは、たいへんいい機嫌で、黒い顔に白いミルクをつぎこみながらいった。
「いや、僕は御免だ」
 と、張が反対した。
「あれっ、君は、こんなに儲かったかといって、躍りあがって喜んだくせに……」
「だって、あんな重い牛の頭のかぶりものをかぶって、二時間も三時間も休みなしで呻(うな)ったり喚(わめ)いたりの真似をするのはやり切れん」
「でも、さっきは喜んでやったじゃないか」
 ネッドは承知をしないで張をにらむ。
「さっきは、僕たちが飢え死をするかどうかの境目だったから我慢したんだよ。君がいうように僕ひとりで毎日あんな真似をやった日には、きっと病気になって死んでしまうよ」
「弱いことをいうな。張君。とにかくあんなに儲かるんだから、辛抱しておやりよ」
「儲けるのはいいが、僕一人じゃ僕が損だよ。牛頭大仙人を、毎日代りあってやるんなら賛成してもいいがね」
「牛頭大仙人を毎日代りあってやるって。へえ、そんなことが出来るのかい。だって、水晶の珠をにらんで、どうして占いの答えを出すのか、僕たちに出来やしないじゃないか」
 山木が、言葉を投げた。
「なあに、あの占いのことなら、そんなに心配することはないよ。誰にでも出来ることだよ。つまり、水晶の珠をじっと見詰(みつ)めていると、急になんだか、喋(しゃべ)りたくなるからね。そのときはべらべら喋ればいいんだよ」
 張は、すました顔である。
「だって、それがむずかしいよ。僕らが水晶の珠を見詰めても、君のようにうまく霊感がわいて来やしないよ」
「それは僕だって、いつも霊感がわくわけじゃないよ」
「じゃあ、そのときはどうするんだい。黙っていてはお客さんが怒り出すぜ」
「そのときは、何でもいいから出まかせに喋ればいいんだ。するとお客さんは、それを自分の都合のいいように解釈して、ありがたがって帰って行くんだ。占いの答に怒りだすお客さんなんか一人もいないや」
 張は自信にみちた口ぶりである。
「呆れたもんだ。それじゃインチキ占いじゃないか」
 と、山木は抗議した。
「違うよ。こっちは口から出まかせをいうが、お客さんの方は自分の口から都合のよいように解釈して、答をにぎって帰るんだぜ。そしてあのとおり缶詰や野菜をうんと持込んでくれるところを見ると、皆ちゃんとあたっているんだぜ。だからよ、こっちのいうことは口から出まかせでもお客さんは何か思いあたるんだ。そしてその言葉によって迷いをはらし喜んで一つの方向へ進んで行くのだ。だから結構なことじゃないか。儲けても悪くないんだ」
 張仙人は、彼一流の考えをぶちまけた。これには山木も、すぐには返す言葉がなかった。
「じゃあ張君。さっき君に占ってもらった火星探険協会長のデニー博士ね、あのときの占いは、あれは本物なのかい、それとも口から出まかせなのかい」
 そういって聞いたのは、今まで黙って熱いコーヒーを啜(すす)っていた河合だった。
「はははは、あれかい。あの髭むくじゃらの先生のことだろう。あれは、君が出発前に僕がネッドを使っていわせた占いと同じようなもので水晶の珠を使わなくても分るんだ」
 張は、くすくすと笑いつづける。
「ふうん“二日後に僕たちが厄介を背負いこむだろう”などというあれだね。あれはひどいよ」
 河合は、張をにらんだ。が、あのときのことを思い出して、おかしくなって吹き出した。
「はははは、そう怒るな。とにかくあれは占うまでもなく、水晶さまにお伺いしないでも口からつるつると出て来たことなんだ。そういう場合は、ふしぎによくあたるんだ」
「あたるのは、あたり前だ。自分が二日後には追附くことが分っているんだもの。全くひどいやつだよ」
「おい張君。すると結局デニー博士に与えた占いはどういうことになるんだ。やっぱり君は博士の将来はこうなると知っていて、あのように喋ったのかね」
 こんどは山木が聞いた。
「そうでもないね。始め僕は、あの人が火星探険協会長だとは知らなかったんだ。だから何にも知ろうはずがない。ただ、博士が穴から顔を出したとき、あれだけの答が博士の顔に書きつけてあったんだ。僕はそれを読んで順番に喋ったにすぎないんだ」
「うそだい。博士の顔に、そんなことが書いてあるものか。考えても見給え。博士の顔と来たら髭だらけで、文字を書く余地は、普通の人間の三分の一もないじゃないか。字を五つも書けば、もう書くところなんかありやしない」
 山木がそういうと、河合とネッドが声をあげて笑った。多分デニー博士の愛すべき髭面を思い出したのであろう。
「もうそんなことは、どうだっていいじゃないか」
 と、張はコーヒーを入れたコップ代りの空缶を下において、ごろりと寝ころがった。
「でも、張君。それは罪だよ。デニー博士は、君の占ったことを本当だと思って、今も大いに悩んでいることだろうと思うよ。可哀そうじゃないか」
 山木は同情して、そういった。
 そうだ、火星探険協会長たるデニー博士は、この頃たいへん悩んでいて、これまで自信をもっていた自分の判断力に頼ることができなくなり、牛頭大仙人の水晶占いのことを聞きつけると、わざわざ駆けつけたものであろう。だから多分博士は、張のいったことを今本気で信じているのではなかろうか。きっと、そうだ。すると博士の火星探険計画に、これから何か重大な影響を及ぼして来ることだろう。これはたいへんなことになった。


   赤三角研究団


 話はここで変って、赤三角研究団というものについて記さなければならない。
 赤三角研究団とは、変な名前である。が、これにはその団員が研究衣の肩のところに、赤い三角形のしるしをつけているので、そうよばれる。本当のちゃんとした名前が別にあるのだが、土地の人は誰も皆、赤三角研究団とよびならわしているので、ここでも当分そのように記して置こう。
 さて、この赤三角研究団は元気のいい青年たちで編成せられて居り、研究団の本部はアリゾナの荒蕪地(こうぶち)にあった。そこからは遙かにコロラド大峡谷の異観が望見された。
 荒蕪地というのは、あれはてた土地のことで、ここは砂や小石や岩石のるいが多く、畑にしようと思ってもだめであった。だから人もあまり住まず、雑草がおいしげっているばかり、鳥と獣が主なる居住者だった。そういうところに、赤三角研究団の本部が置かれてあったが、その建物は、この土地以外の人だと、どこにあるか分らなかった。というわけは、本物の建物は、地中深いところにあって、外からは見えなかった。ただその建物の出入口にあたるところが小さい塔になっていた。
 塔とはいうものの、たった三階しかなく、各階とも部屋の広さは五メートル平方ぐらい、屋上が展望台になって居て、柱に例の赤三角のついた旗がひるがえっていた。見渡すかぎり雑草のしげる凸凹平原の中に、こうした旗のひるがえる小塔のあることは、このあたりの風景をますます異様のものにした。
 赤三角研究団の団員は、どういうわけか、いつもたいてい防毒面のようなものを被ってこの荒蕪地を走りまわり、測量をしたり、煙をあげたり、そうかと思うと小型飛行機を飛ばしたり、時には耕作用のトラクターのように土を掘りながら進行する自動車を何台かならべて競争をするのだった。
 この赤三角研究団は、いったい何のためにこんなことをやっているのであろうか。
 さて赤三角研究団では、この頃又へんなことを始めた。例の荒蕪地の方々に大小さまざまな檻(おり)を建てたのである。そしてその中にさまざまな動物を入れた。馬や牛や羊はいうに及ばず、鶏や家鴨(あひる)などの鳥類や、それから気味のわるい蛇(へび)や鰐(わに)や蜥蜴(とかげ)などの爬蟲類(はちゅうるい)を入れた網付の檻もあった。早合点をする人なら、ははあここに動物園が出来るのかと思ったことであろう。ところが本当はそうでない。その証拠には、檻の傍にかたまっている研究団の人々の傍で話を聞いてみるのが早道である。
「どこまで進行したかね」
「もうあと、檻一つ出来れば、それで完了だ。全部で四十個の檻が揃うわけだ」
「もう一つ残っている檻って、何を入れる檻かね」
「第十九号の檻だ。チンパンジー(類人猿)を入れる檻だ」
「ああ、そうか。おいおい、瓦斯(ガス)の方は準備は出来ているかあ」
「出来すぎて、皆退屈しているよ、昼から野球試合でも始めようかといっている」
「ふふふ、えらく手まわしがいいね。もちろん瓦斯試験もすんでいるんだろうなあ」
「大丈夫だとも、何なら野球場だけをR瓦斯で包んで、その瓦斯の中で野球をしようかといっている」
「だめだ、R瓦斯を出しちゃ。瓦斯放出は今日の午後三時からということになっているから、厳格に時間を守るように。そうでないと思い懸けない事件が起ると、責任上困るからなあ」
「僕達は全部マスクをつけているからいいではないか」
「ああ、僕達はいいが、村民でまだ引揚げない連中もあるだろう」
「しかし、放送で再三注意しておいたからねえ、“この地区では瓦斯実験を行うので危険につき今日の正午以後翌日の正午まで立入禁止だ”と繰返し注意を与えてある。だから、このへんにまごまごしている者はいないよ」
「だが、念には念を入れないといけない。とにかくR瓦斯の放出時間は午後三時だ。それより早くは、やらないからそのつもりで……」
 この会話によると、この地区一帯に、本日の午後三時以後R瓦斯がまかれるらしい。R瓦斯というのは、或る学会雑誌に出ていたが、それは元々この地球にはなかった瓦斯であり天文学者が火星にこのR瓦斯なるものがあることを報告したのに端を発し、この地球でも研究資料としてR瓦斯の製造が始まったのだ。R瓦斯は地球生物にどんな影響を与えるか。それについてこの赤三角研究団が今研究を始めているのであった。今回は、一般動物だけに限り、人間に対しては行わない。それは人間に対して行うにはまだ危険の程度が分らないからであった。今回の動物実験がすんだ上で、次回には更にあらゆる準備をととのえ、人間を試験台にすることとなっていた。今まで室内で研究した結果によると、モルモットなどは非常に強く作用して、顔をゆがめ転げまわって悶々とするそうだ。そして一時間後には死んでしまうという。この瓦斯は、今日は非常に重くし、試験地区以外へは移動しないように注意されていた。
 さて時刻はどんどん過ぎていって、いよいよ午後三時となった。それまでに、この広い試験地区内は念入りに人間のいないことがたしかめられた。いるのはマスクをつけた団員と、四十個の檻の中に入っている動物だけであった。団員はその日瓦斯が放出されたら、動物の生態を調べる仕事や、またその瓦斯の中で発電機をまわしたり、エンジンをかけたり、喞筒(ポンプ)を動かしたりの重要な仕事を持っていて、今日は総出でやることになっている。
「もうすぐ瓦斯を放出するが、街道の方をよく気をつけているんだぞ。自動車がやって来たら、すぐ停めて他の道へまわってもらうんだ」
「はい、よろしい」
 間もなくR瓦斯は、十五台の自動車に積んだタンクから濛々(もうもう)と放出された。黄(き)いろ味(み)を帯びたこの重い瓦斯は、草地をなめるようにして静かにひろがって行った。やがて檻を包み、岡を包み……あっ、たいへん、その岡の蔭から一台の牛乳配達車がふらふらと現われた。大きな箱に、乳をしぼられる牝牛の絵、そして貼付けられたる牛頭大仙人の大文字。これぞ間違いなく彼の山木、河合、張、ネッドの四少年の乗っているぼろ自動車であった。なぜ今頃、岡の蔭から現われたのか、彼等の自動車は何も知らないと見え、黄いろ味を帯びた雲のような瓦斯の固まりの中へずんずん入って行く。さあ、たいへんなことになった。


   瓦斯(ガス)中毒


 四少年の自動車にはラジオ受信機が働いていないことが、この椿事(ちんじ)の原因だった。ラジオを聞いて注意していれば、こんな間違いはなかったのだ。受信機は一台積みこんであったが、牛頭大仙人の占い用として転用したので、今はラジオが聞けない状態となっていたのだ。
 しかも四少年の自動車は、昨日の夕方ちょうどこのあたりで大峡谷が遠望出来るようになったので大喜び、道もないこの原野へ自動車を乗入れたのだ。そして岡の中腹に大きな洞窟(どうくつ)があるのを見つけ、その中に車を乗入れ昨夜はそこで泊ったのである。それから今日の朝を迎えたが、すぐ出発は出来なかった。それはエンジンの調子が悪くなったからだ。何しろ古いおんぼろ自動車のことだから、エンジンを直すといっても簡単にはいかない。たいへん手間がとれて出発は午後三時となったのだ。
 この間、研究団員も、この洞窟の中まで点検には入って来なかった。いくら物好きでも、まさかこんな奥深い中に人間が隠れていようとは思わなかったからである。
 少年たちの自動車は、ゆうゆうと黄いろ味がかったR瓦斯(ガス)の雲の中を徐行して行く。なにしろ石ころが多いために、車が走らないのであった。
 研究団員が、この牛乳配達車を見つけるまでに約十五分ばかり時間がたった。それを見つけた団員ビル・マートンはおどろいた。彼は早速このことを本部へ知らせると共に、そこに居合わせた同僚五名に直ちに仕事を中止させ、そして全員を自動車に乗せ、あの牛乳配達車のいる方向へ向って飛ばしたのだった。
 この車が現場に到着したときは、牛乳配達車の方は、岩の上には車輪をのしあげ、ぐらりと左に傾いたまま停車していた。車はこうして、じっとしていたが、じっとしていないのは人間の方だった。四少年は、山木も河合も張もそしてネッドも、岩石散らばる荒蕪地の上を転々として転げまわり、そしてはははは、ひひひひと笑い転げていた。いったい何がおかしいというのであろうか。
 そこへ自動車を乗りつけ、車から降りたビル・マートンを始め六名の団員は、雑草と岩石の上を転げまわって笑う四人の少年の姿をうちながめ、一せいに表情をかたくして、その場に立ちすくんだ。
 やがてマートンが叫んだ。
「ああ、大きな手ぬかりだった。この人たちは危険なR瓦斯を吸ってしまったのだ。そしてこの通り苦しんでいる」
「苦しんでいるのじゃないよ。おかしくて仕方がないという風に、笑い転げているんだ」
「ちがうよ。おかしくて笑っているのではないよ。おかしくもないのに笑っているのだ。R瓦斯の中毒なんだ、こうしてひどく笑い転げるのは……。さあ、この人達を僕たちの車にのせて病院へ連れて行こう。早くしないと、この善良にして不幸な人達は、笑い疲れて死んでしまうだろう。さあ、手を貸せ」
「よし。じゃあ大急ぎだ」
「おや、これは子供だね。東洋人だ」
 こうして山木たちは、マートン青年たちの手によって現場からはこび去られた。車上でも、山木たちは、はあはあひいひいと笑いもがき、それをそうさせまいと思っておさえつけるマートンたちの努力はたいへんなものだった。
 本部の地下室にある医務室へ、四人は一旦収容せられたが、そこに居合わせた医務員は四少年の病状を見て、
「これはなかなかの重態だ。ここに置いたのではうまく手当が出来なくて、危篤に落入るかもしれない。これはどうしても、サムナー博士の居られる本館病院へ送りつけないと、安心がならない」
 といって、ここでは十分の治療ができないことをはっきりさせた。そこでマートンたちは、笑いまわる四少年を再び車に乗せて、サムナー博士の居る本館病院へと移動させたのであった。
 本館というのは二十五粁(キロ)ばかり西北方へ行った地点にあり、コロラド大峡谷を目の前に眺める眺望絶佳な丘陵の上にあった。それは一つの巨大なる塔をなしていた。しかもその塔は、西の方へかなり傾斜して、十度まではないが八度か九度は傾いていた。まるで魚雷が不発のまま突き刺さったような恰好である。そして小さい丸い窓が、点々としてあいているが、その窓の大きさは塔全体から考えると非常に小さく、どこか八つ目鰻(うなぎ)の目を思わせるところがあった。
 塔の上は、天文台の屋根のように、半球を置いたような形をしていた。その外に、旗をあげるのにいいような斜桁(しゃこう)や、超短波用らしいアンテナが三つばかりあり、まるで塔がかんざしを刺したような形に見えた。
 マートンたちの自動車は、この塔の中に吸い込まれるようにして見えなくなった。がそのとき自動車が塔にくらべてたいへん小さく見えた。まるで赤いポストの方へ向って豆が転っていったほどであった。塔はすこぶる巨大なのであった。塔の全部をまっ赤に塗った巨塔が、丘陵の上に傾いて立っているところは何となくものすごく、そして不気味で、この土地に慣れない者はあまり永くこの塔を見ていられないといっている。
 この塔は何か。サムナー博士のいる病院があることは分っているが、病院だけではないのだ。団員たちは「本館」と呼んでいるが、本館とだけでは分らない。
 さてその詳しいことは、これから述べることにしよう。


   巨大な斜塔


 あぶないところで、四少年は生命をとりとめた。あのまま濃厚なR瓦斯(ガス)の中に二三時間放っておかれたら、死んでしまったことであろう。
 サムナー博士は、この瓦斯をよく知っているのでこの四人の少年をうまく治療している。それでも、四少年がここへ収容されてから、笑いがとまるまでには六時間もかかった。
 笑いはとまったけれど、四少年の健康は元のとおりになったわけでない。まだしきりに痙攣(けいれん)がおこる。もう声をたてて笑うようなことはないが、痙攣がおこると、顔がひきつったり、手足がぴくぴく動いたりするので、歩くことも出来ず、ベッドの上に寝ているより外(ほか)なかった。
 二週間たった或る日サムナー博士は午前の診察で、四少年をいつもよりは非常に詳しく診察した。その上で次のようなことをいった。
「君たちは、今日診たところでは、まず中毒から直ったものと思う。今日から君たちは、自由にどこでも歩いていっていい。しかしどこを歩いてもいいといっても、本館から外に出ることはまだ許されない。というのはあの瓦斯の影響はまだよく分っていないために、いつまたこの前のような症状になったり、重態に陥ったりするか分らないのだ。それでこの本館にさえいてくれれば、いざというときには私が直ぐかけつけて手当をしてあげられるわけだから、ぜひこの本館に停(とど)まっていてもらいたいのだ。幸い、君たちの目的であったコロラド大峡谷は、本館の屋上へ登れば、手にとるように見えるわけだから、当分そんなことで辛抱してこの本館に停っていてもらいたい」
 博士は、かんでふくめるように、少年たちに説明したので、皆はよく分った。そして博士が、もう帰っていいというまでは、この建物の中で暮すことを承知した。
 その日から、四人の少年たちは、始めはおずおずと、病室から外に出た。そして長い廊下や、曲ってついている階段を歩いたり、娯楽室や食堂へ入ったり、それからまた、盛んに仕事をしている実験室をのぞいたり、ずっと下の方にあるエンジン室では目をぱちくりしたり、いろいろと愕(おどろ)いたりうれしがったりすることが多かった。
 中でも四人の少年たちを喜ばせたものは、塔の上から風景絶佳のコロラド大峡谷を眺めることだった。絵にかいたようだというが、それ以上にうるわしい風景だった。そして一日のうちに、大谿谷はいくたびも違った顔をしてみせた。すがすがしい朝の風景、真昼になってじりじりと岩が燃えるような男性的な風景、巨岩にくっきりと斜陽の影がついて紫色に暮れて行く夕景などと、見るたびに美しさが違うのであった。四人の少年は、声もなく大谿谷の美にうたれて、時間の過ぎ行くもしらず塔上に立ちつくすのであった。
 一週間は夢のように過ぎた。さすがに四人の少年は、この本館内での生活に退屈を感ずるようになった。博士に、それとなく聞いてはみたが、当分ここから出してくれそうもない。困ったことである。夏休みはもう何日も残っていないから帰りたいといったところ、博士は学校の方には通知を出しておいたからすっかり直るまでここにいていいのだと答えた。それではもう仕様がない。
 或る日、ネッドが顔を輝かして、仲間のところへ戻ってきた。四人の少年の乗って来た牛乳配達車が、この本館の或る部屋にちゃんとしまってあるのを見付けたというのである。
「そうか。それはいいものを見つけたね。すぐ行ってみよう」
「すっかりそのことは忘れていたね」
 四人の少年は、にわかに元気づいて、ネッドを案内に先立たせ、その部屋へ行ってみた。そこは地階七階にある倉庫の一つであった。彼等の自動車の外にも、乗用車やトラックが入れてあった。少年たちはその方にはちょっと目をやっただけで、あとは懐しい箱車の上によじのぼり、まだ罎詰などがたくさん残っている箱車の中に入ったりした。
 こうして自分たちのぼろ車のところで遊んでいると、ふしぎに退屈しなかった。それで一日のうち何時間はここで遊ぶことに相談がまとまった。但しそれを看護婦なんかにいうと叱られるかもしれないので、ここで遊ぶことは内証にして置くことに決めた。
 そういうことが、また次の大事件に関係する原因になるとは露知らぬ四少年だった。


   地階の窓


 地下七階にあるこの倉庫に四名の少年が集まると、必ず自分たちの身上がこれからどうなるのか、またこの巨塔は何だろうかということについて論じ合うのが例であった。
 その謎は深い。毎日のように論じ合っても、その謎は解けなかった。
 山木が張(チャン)をからかっていった。
「こうなったら、牛頭大仙人の予言をつつしんで承るより方法がないよ。おい牛頭の仙ちゃん、一つ水晶の珠で占っておくれよ」
「だめ、だめ。僕に占いなんか出来やしないよ」
 牛頭大仙人で村人を黒山のように集めたときの元気はどこへやら、張少年は赤くはにかんで隅っこへうずくまる。
「だめなことはないよ。じゃあ僕が水晶の珠を持ってくるから、君は占いたまえ」
 ネッドが立上って、傍にほこりだらけになっている牛乳配達車の箱の中へ入っていった。
「だめ、だめ。ほんとうは、僕は占いなんかできやしないんだ」
「ふふふふ、張君がほんとうのことを白状したぞ。占いや予言なんて、あれはでたらめにきまっているさ。僕は前から知っていた」
 と、小さい技師の河合がいった。
「そうもいえないよ」と山木が反対した。
「占いは、一種のたましいの働きなんだ。だからたましいを小さいピンポンの球のように固めることができる人は占いができる人だとさ。張君は、それができるんだろう」
「そういわれると、僕にも思いあたることがあるよ、ときによると、僕のたましいはピンポンの球ぐらいに固まることがあるよ」
 と、張が、真面目な顔付で膝をのりだした。
「そうだろう。そういうときに占いをすればちゃんと当るのさ。そうそう、そのことを精神統一というんだ」
「うそだ、あたるもんか」
 と、河合はあくまで反対だ。
「そんなら、あたるかどうか、ここでやってみればいい、さあ水晶の珠を持ってきたよ」
 ネッドは、水晶の珠を張の前へ置いた。
「一体何を占うんだい」
「これから僕たちはどうなるか、それを占ってみな」
「よし、やってみるぞ」
 張は水晶の珠の前にあぐらをかき、それから両手を珠の方へぐっと伸ばし、目をつぶった。そうしたままで、張はしばらく眉の間にしわをこしらえ、むずかしい顔をしていたが、やがて目を大きく開いて水晶の珠を穴のあくほど見つめた。その大げさな表情を見ていた河合は、ぷっとふきだして笑いかけたが、山木がそれを見て河合の口を手でふたをした。
「しずかに……」
 そのとき張が、へんな声を出して喋りだした。
「……ああら、たいへん。僕たち四人の胸に大きな勲章がぶら下っているよ……」
「でたらめ、いってらあ」
 河合が山木の手の下から呼んだ。
「しずかにしないか、こいつ……」
 山木が河合の口をぎゅうとおさえた。
 と、張は、
「おやおやおや、景色が一変した。僕たち四人は、牛の背中にのって、ニューヨーク市のブロードウェイを通っているぞ」
「牛の背中にのって……」
 ネッドが目をまるくした。
「……紙の花片が、大雪のようにふってくる。五色のテープが、僕たちの頭上をとぶ。すばらしい歓迎ぶりだ……」
「うそだよ、そんなこと。僕たち四人がそんなすばらしい目にあう気づかいないよ。だって、僕たちは、おこずかいを貯めて、やっと自動車旅行をしている身分じゃないか」
 と河合が、山木の手を払っていえば、山木も、
「ふうん、話が少しお伽噺(とぎばなし)みたいだね」
 と、今はうたがいを持ったらしく、首をひねる。
 そのときだった。どこかでベルがけたたましく鳴りだした。と、人々のわめく声、つづいて乱れた足音が廊下をかけて行く。
「何だろう、あれは……」
「火事じゃないかな」
「火事じゃないだろう。映画が始まるんじゃないかな」
「よし、張君に占わせよう。さあ張君。占った。あのベルの音は、何事が起ったのか」
「さあ、困ったなあ」
「さあ早く早く」
 ネッドが水晶の珠を張の方へおしつける。
「まあ、待て、もっと落着かなくては……」
「そんなことは後にして、廊下へ出て、誰かに聞いてみなくちゃ……」
 と、河合は立って扉をあけようとした。そのときどすんと非常に大きい音が聞えたと思うと、部屋が今にも崩れそうに、震動した。河合は扉のハンドルをつかんだまま床の上におしつけられた。他の三人の少年たちは平蜘蛛(ひらぐも)のようにへたばった。と、次の瞬間には、部屋全体がきりきりきりと独楽(こま)のように廻り出した。室内にあった自動車同士が、はげしくぶつかり合い、ドラム缶がひっくりかえり、油がどろどろ流れだす。缶はがらんがらん転げまわる、少年たちはその下敷になるまいと逃げ廻る、いやたいへんなさわぎとなった。
 が、そのさわぎも二分間ほどで終り、あとは大体しずまった。ただ、床がたえずこまかい震動をつづけているのと、張ってある紐がゆらゆらゆれているのと、それからときどきぐいっと床が持上げられるように感ずるのと、それだけがいつものこの部屋とはちがっていた。しかしさっきのあの物音と震動とは一体何事であったのか。
 そのとき河合はようやく扉をひらくことに成功した。彼は廊下にとび出した。それに続いて三少年も、とび出した。
 廊下には人影がなかった。また人声もしなかった。静かでありながら、何だか様子がおかしい。
「おや、こんなところに窓があいている。今まで窓なんかなかったのに……」
 と、河合がいいながら、そのふしぎな窓のところまで行って、外をのぞいた。
「おやっ、たいへんだ。皆早く来い……」
 河合はのどが張り裂けるほどの声で、仲間をよんだ。ふだん沈着な彼は、一体何におどろいたのだろうか。とつぜんそこにあいた窓をとおして、彼は外に何を見たのであろうか。


   空飛ぶ塔


 窓硝子(ガラス)に四人の少年が、めいめいの顔をおしつけて、顔色も蒼白に言葉もなく、ぶるぶる慄(ふる)えている。八つの目は、遙かに下方に向けられている。下には美しいコロラド大峡谷の全景があった。
 ふしぎだ。夢を見ているのではなかろうか。地階の窓から、コロラド大峡谷の全景が見下ろせるはずがない。
 が、事実ちゃんとそれが見えているのだ。絵ではない。映画でもない。テレビジョンでもない。実景が見えているのだ。その証拠に村が見える。白い煙を吐いて走っている列車が見える。おお、四発の旅客機さえ見えるではないか、その飛行機は、窓のすぐ向うを飛んでいる――いや、今すれちがって見えなくなった。
 ふしぎだ。空中を飛んでいるぞ。それにちがいない。窓から外を見ていると……。だが、いつわれわれは飛行機に乗りかえたろうか。そんなことはない、ああ、そうだ。現にわれわれは、ちゃんと廊下に立っているではないか、本館の廊下の上に……。
 しかし、窓から外を見れば、どうしてもわれわれは今飛行機の中にいるとしか思われない。大峡谷の景色は、さっきから思えば、ずっと小さくなった。その代り、ずっと遠方までの広い風景が一望の中に入っている。ふしぎでならないが、さっきにくらべて、もうかなり高度が増したようだ。
「おい、どうしたんだろう」
「どうしたんだろうね」
「気が変になったんだろうか」
「僕たちが四人ともいっしょに気が変になるなんて、あるだろうか」
「変だ、変だ、どうしても変だ」
「変どころのさわぎじゃないよ。僕たちは、空中へ放りあげられたんだ」
 そういい切ったのは河合少年だった。さすがに彼は、このさわぎの中から一つの考えをまとめる力を持っていた。
「空へ放りあげられたって」
 山木も張もネッドも、同時にそう叫んだ。
「ほら、下をごらん。あそこに見えるのは地上だ。地上があんなに小さく遠くなっていく……」
「ほんとだ。で、僕たちはどうして空中へ放りあげられたんだろう」
 山木は早口で、河合にきく。
「さあ、分らないね、それは……」
「家ごと空へ放りあげられるというのは変じゃないか。飛行機は空を飛ぶけれど、家が空を飛ぶ話をきいたことがない」
「噴火じゃないかしら」
 ネッドが、ぶるぶる唇をふるわせながらいった。
「噴火。噴火して、どうしたというんだい」
「この塔の下に火山脈があってね、それが急に噴火したんだよ。だから塔が空へ放りあげられたんだ」
「そうかもしれないね。とにかくたいへんだ。そのとおりだとすれば、やがて僕たちは、えらい勢いで地上めがけて落ちていくよ。そして大地へ叩きつけられて紙のようにうすっぺらになるぜ。いやだなあ」
 と、のっぽの山木がさわぎだした。
「僕もいやだよ」とネッドも叫んだ。
「人間が紙のようにうすっぺらになっちゃ、玉蜀黍(とうもろこし)や林檎(りんご)や胡桃(くるみ)なんかのように、平面でなくて立体のものは、たべられなくなっちゃうよ」
「それどころか、僕たちは地上へ叩きつけられたとたんに、きゅーっさ。死んでしまうんだぞ」
「死ぬんか。ほんとだ。死ぬんだな。ちぇっ、張の占いなんか、さっぱりあたらないじゃないか。さっき君は僕たち四人が勲章を胸にぶらさげて牛に乗ってブロードウェイを行進するのだの、紙の花輪やテープが降ってくるんだのいったけれど、これから墜落して死んじまえば、そんないいことにあえやしないや」
「だから、僕の占いはあたらないといっておいたじゃないか」
「あーあ、困ったなあ」
 さっきから河合ひとりは黙りこんで、しきりに下界の様子と、どこからともなく聞こえてくる機械的な音に耳をすませていたが、このときとつぜん大きな声をあげた。
「そうだ。それにちがいない」
 他の三少年はおどろいた。
「おい河合君。どうしたのさ」
「分ったよ。僕たちは今、ロケットに乗っているのさ。ロケットに乗って空中旅行をしているんだよ」
「ロケットに乗って? でも、変だねえ。僕たちはロケットに乗りかえたおぼえはないよ。これは本館だからねえ」
「うん、これは本館さ、あの傾斜した巨塔さ。今空中を飛んでいるんだよ」
「そ、そんなばかなことが……」
「いや、それにちがいない。あの巨塔は、実はロケットだったのさ、半分は地中にかくれていたが、それが今こうして空中を飛んでいるのさ。だから地階の窓から外が見えるようになったわけだ」
 河合は大胆な解釈をつけた。
「へえっ、僕たちの住んでいた建物がロケットだって。それは気がつかなかったよ」
 皆はあきれ顔であった。


   意外な離陸


 河合の大胆な解釈は、大体において的中していた。それは、あれから一時間ほど後、四少年は廊下でビル・マートン青年にめぐりあい、意外な真相をきくことができた。そのマートン青年――いやマートン技師が、油だらけになった身体を二階廊下のベンチの上に横たえているそばを、四少年は通りかかったのである。少年たちに声をかけられ、マートンは大儀そうに上半身を起した。彼はたいへん疲れ切っていた。
「どうしたんですか、マートンさん」
 と、少年たちは彼をとりまいていった。
「ああ、君たちも逃げおくれた組だな」
 マートンは気の毒そうにいった。
「えっ、逃げおくれたとは……」
「おや、知らないのかね、君たちは……。この宇宙艇(うちゅうてい)はね、まだ出発するはずではなかったんだ。機関室で、或るまちがいの事件が起ったため、こうしてまちがって離陸したんだ」
「へえっ、機関室でまちがったのですか」
「うん。君たちは、さっき警報ベルの鳴ったのをきかなかったかね。“総員退去せよ”と、ベルがじゃんじゃん鳴ったよ。それをきくと、多くの者は外へとび出し、そして助かったんだ」
 そういえば、たしかにベルがけたたましく鳴っていた。それにつづいてさわがしい人声や駆足の音を耳にしたが、あれが総員退去せよとの警報だったんだ。今になって気がついては、もうおそい。
「……で、マートンさんと僕たちだけ、逃げおくれたんですか」
 と、河合少年はたずねた。
「いや、まだ十数名残っている。僕は逃げれば逃げられたんだが、せっかくこしらえた宇宙艇から去るにしのびなかったのでね。たとえこの宇宙艇がどこの空中で、ばらばらに空中分解してしまうにしてもさ」
「宇宙艇ですって」
「空中分解! ほんとうに空中分解しますか」
 少年たちの矢つぎ早の質問に対し、マートン技師は次のように語った。
 この巨塔は宇宙艇であった。宇宙艇とは大宇宙を飛ぶ舟という意味である。そしてこの宇宙艇は河合がいったようにロケットで飛ぶ仕掛になっていた。但し、普通のロケットとはちがい、時速十万キロメートルぐらいは楽に出せるすばらしい原子エネルギー・エンジンによるロケットだそうである。
 しかもその塔は、ロケット塔であって、現に今こうして天空を飛びつつある。たいへんな場所へもぐりこんだものだ。これから僕たちはどうなるのかと、四少年の胸の中に不安な塊が出来る。
「君たちはずっと前から僕たちが火星探険協会の者だと感づいていたんだろう」
「いいえ。そんなことないです」
「そうかね。それにしては、皆なかなか落着いているじゃないか」とマートン技師は四人の少年の顔を見わたし「ほらこの前君たちがR瓦斯を吸って人事不省になったね。あの出来事によって、君たちは感づいたろうと思ったがね」
「ああ、R瓦斯。あの実験は、やっぱり火星探険に関係があるのですか」
「そうとも、大いに関係があるんだ。あのときいろいろな動物を、原っぱにつくった檻の中に収容しておいて、R瓦斯にさらしたのだ。その結果、ほとんどすべての動物が、あの瓦斯を吸って死んでしまったよ」
「僕たち人間でも昏倒(こんとう)するぐらいですものねえ」
「そうだ。しかしその中で、割合平気でいたものがある。それは鰐(わに)と蜥蜴(とかげ)と蛙(かえる)だ」
「爬蟲(はちゅう)類と両棲(りょうせい)類ですね」
「うん、もう一つ、牛が割合に耐えたよ。その次の実験には、マスクを牛に被せた。すると更によく耐えることが分った」
「R瓦斯というのは、どんな瓦斯ですか」
「R瓦斯は、火星の表面に澱(よど)んでいる瓦斯の一つで、これまで地球では知られなかった瓦斯だ」
「毒瓦斯なんですね」
「地球の生物にとってはかなり有毒だ。しかし火星の生物にとっては、R瓦斯は無害なんだ。いや彼等にとっては棲息するために必要な瓦斯なんだ、ちょうどわれわれが酸素を必要とするように……」
 マートン技師が、そういって話をしているとき、別の部屋の扉が開いて、別の青年がとび出して来た。そしてマートンを見るなり、絶望的な声を出して叫んだ。
「遂に失敗だ。この宇宙艇は地球へ引返すことを断念しなければならなくなった」
 地球へ引返すことを断念しなければならない! すると、これから一同はどうなるのか。天空を、あてもなく彷徨(さまよ)うのか、それとも火星か月世界かへ突進むことになるのか。それにしても宇宙旅行は、たいへんな年月を要する。乗組員の生命は、それを完成するまでもつであろうか。食糧は、燃料は?


   さらば地球よ


「たいへんだ。もう地上へ引返せないんだとさ」
「困ったな。一体われわれはこの先どうなるんだ」
「どうなるって……さあ、どうなるかなあ」
 天空飛ぶ巨塔にとりのこされた人たちは、窓から下界を見おろして、すっかり青くなっている。そういっているうちにも、家も森も川も、どんどん小さくなっていく。天空飛ぶ巨塔――いや巨大なる宇宙艇は、今やぐんぐん飛行速度をはやめて高度をあげつつある。
「いや、とにかく、このまんまじゃ、どんどん地球から遠去かっていくわけだから、やがてわれわれは宇宙の迷子(まいご)になってしまうだろうね」
「なに、宇宙の迷子? いやだねえ、それは宇宙にもおまわりさんがいて、迷子になりましたから道を教えて下さい、うちへ送って下さいといって頼めるならいいんだけれど……」
「そうはいかないよ。宇宙の迷子になって、そのはては食糧がなくなって餓死だよ」
「餓死? いやだねえ、いよいよいやだねえ。僕は日頃からくいしん坊だから、餓死となれば第一番に死んじまうよ。何とかならないものかなあ」
「なにしろエンジンが真赤になってひとりで働いていてねえ、どうにも手がつけられないんだそうだ」
「方向舵ぐらい曲げられるだろうが」
「いや、それもだめだ。舵を曲げようとしても、さっぱりいうことをきかないそうだ」
「うわあ、それじゃ絶望じゃないか」
 いくらさわいでみても、宇宙艇が地上へ引返す様子はなかった。そればかりか、原子エンジンは、ますます調子づいて、艇の尾部からものすごいいきおいで瓦斯を噴射するので宇宙艇の速度はだんだんあがって行く。時速二千キロが、三千キロになり、四千キロになり、今や時速四千五百キロの目盛を越えようとしている。
 地球へ帰りたい一心で、危険とは知りつつ落下傘で艇外へ脱出した者も三人あった。四人の少年は、大人ほど取乱してはいなかった。はじめはちょっとおどろいたが、まもなく少年たちは窓の外に見られるめずらしい下界の風景にうち興じて、恐さも不安も知らないように見えた。
「愉快だね。え、あの青いのは太平洋だね。カリフォルニアの海岸線が、あんなにうつくしく見えている」
 山木は、誰よりも一番元気がいい。
「僕は、一度飛行機に乗ってみたいと思っていたが、空を飛ぶっていいもんだねえ」
 ネッドは、窓枠に頬杖をついて、緑色がかった絨毯(じゅうたん)のような下界を飽かず眺めている。
 張は無言。河合は鉛筆を握って、手帖に何かしきりに書きこんでいる。
「やっ、星が見えるぞ、あそこに……昼間だっていうのに星が見えらあ」
 山木がおどろいて、指を高く上に伸ばした。すると今まで黙っていた河合が、手帖から目をはなして、「そうだとも。このあたりは成層圏(せいそうけん)だからねえ。僕の計算によると、もう高度は十五キロぐらいになっているはずだ」
「成層圏! いつの間に成層圏へはいったんだか、気がつかなかったよ」
「これからますます空は暗くなるから星が見える。だんだん星の数がふえる」
「ほう、神秘な国」
 張が感嘆の声を放った。
「ああ下界があんなにぼんやり霞んで来ちゃったよ。ああ、地球が消えて行く」
 ネッドが、泣き声になった。
 しかし地球は消えはしなかった。ただ地球の陸や河や海の境界がだんだんぼんやりしてきて、地形が分らなくなった。そのかわり全体がぎらぎらと眩(まぶ)しく銀色に光を増した。今や自分たちが大宇宙の真只中に在ることが、誰にもはっきり感ぜられた。


   エンジンなおらず


 そのとき四少年の大好きな青年技師ビル・マートンが廊下をこっちへ急ぎ足で来るのを河合が見つけた。
「マートンさん、エンジンはうまくなおりましたか」
「だめなんだ、河合君」マートンは肩をすくめて見せた。
「エンジンは、まるで馬のようにスピード・アップしている。この調子でゆけば、第一倉庫にある原料が全部使いつくされるまで、エンジンを停めることはむずかしかろうね」
 ひどいことだ。どこまでも飛びつづけるしかないのだ。しかも舵がきかなくて、思う方向へも向けられない。つっ走るとはこのことだ。
「すると、今われわれの宇宙艇は、どの方向へ飛んでいるんですか」と河合が尋ねた。
「真東へ飛んでいる。黄道の面と大体一致しているよ。かねてわれわれが計画しておいた方向へは走っているんだがね」
「われわれが準備しておいた方向というと」
「火星に会える方向のことさ。でも三週間ばかり早すぎたよ」と、マートン技師は事もなげにいった。
「ほう、そうですか。この宇宙艇はやっぱり、火星へ行くように準備してあったんですか」
 山木も、いまさらながらおどろいた。
「そうだとも、デニー先生は、今年こそそれを決行する考えでおられた。もちろんこれは反対者も多かったがね。とにかく先生はお気の毒な方だ」
 と、マートン技師は、しんみりとした調子でそういった。この言葉から思うと、マートンはデニー博士の同情者であるらしい。
「デニー博士は、この宇宙艇に乗っているんですね」
「そうだ。さっき椿事(ちんじ)を起こしたとき、先生のところへ行って、危険が迫っていますから早く外へ出て下さいとすすめたが、先生は“お前たちこそ逃げろ。わしはどうあっても艇からはなれない”といって、避難することを承知せられなかった」
「するとデニー博士は、この艇と運命を共にせられる決心なんですね」
「先生は、何十年の苦労を積んだあげく、この艇をつくられたんだ。だからこの艇は自分の子供のように可愛いいのだ。そればかりではない。この艇のことについては自分が一番よく知っている。だから椿事が起れば、その際最もいい処置をなし得る者は自分であるという信念をもっていられる。だから、先生はこの艇に残っておられるのだ」
 デニー博士は、もう老いぼれた学者で、もっと悪いことに、気もへんであるし、出来もしない火星探険をするといっている山師の一人だという評判であったが、このマートン技師の話によると、それはまちがいのようである。
「じゃあ、このまま飛んで火星まで行ってくればいいですね」山木が、そういった。
「そう簡単にはいかないよ。出発も三週間早かったし、方向も大体あっているとはいえ少しはずれているし、それからエンジンを制御すること、食糧問題のこと、そういうものがすべて満足にいかないと、火星に出会うところまでいかない。僕たちは今一所けんめいにそのような方向へ持っていこうと努力しているんだよ」
 マートン技師の顔にははっきりと苦悩の色が出ていた。
「食糧も少いのですか」
 ネッドが心配そうにたずねた。彼は誰よりもおなかのすく性質だったから。
「ああ、不足だね。さっき報告があったところでは、三ヶ月分があるかどうか、すこし心配だそうだ」
「たった三ヶ月分ですか」
「マートンさん。火星までは日数にしてどれだけかかるのですか」
「始めの計画では、最もいいときに出発すると約三十日後には火星に達する予定だった。それには時速十万キロを出し、火星までの直線距離を五千五百万キロとして航路の方はこれより曲って行くから結局三十日ぐらいかかることになっていたんだ」
「僕たちもぼんやりしないで、大人の人々といっしょに働こうじゃないか」
 河合がいった。
「そうだ。そうだ。それはいいことだ」
「何でもします。お料理なら自信があります」
 と、張が前へのりだした。
「僕は何をしようかなあ。ボーイさんの代りをやりましょう」
 これを聞いてマートン技師はたいへんよろこんだ。全く、本艇は十数名しか乗組んでいないので、手不足で困っているのだった。
 マートン技師は早速このことを艇長デニー先生のところへ持っていった。先生は、お前に委(まか)せるといわれた。そこでマートンはいろいろの人にたずねてみた結果、張は料理人に、ネッドはボーイに、それから河合はマートンといっしょにエンジンの方を手伝い、山木は隊長デニー博士のところで雑用をすることに決った。そこで四少年は、
「それじゃ、めいめいの持場で、しっかり役に立とうね。しっけい」
 と挨拶して、たがいに一時別れたのであった。
 さて、そういう間も、一番たいへんなのは機関室であった。マートン技師のあとについてその室へとびこんだ河合少年は、そのとたんに心臓が停まる程のおどろきにぶつかった。機関室は二階から地下十階までの十二階をぶっ通した煙突(えんとつ)のような部屋だった。その艇長の部屋に、複雑な機械が幾重にも重なりあい、大小さまざまのパイプは魚の腸(はらわた)の如くに見え、紫色に光る放電管、白熱する水銀灯、呻(うな)る変圧器などが目をうばい耳をそばだてさせる。七八人の人々が配電盤の前に集って計器の面を見入っている。抵抗のハンドルをぎりぎりと廻す。ぽっ! 配電盤のうしろから青い火が出る。配電盤の前に居た人々はあっといって後へとびのく。と、火が消える。すると人々は、またもや配電盤の方へ寄ってくる。変になったエンジンはまだ直らない。
 人々の中に、一段と背の高い老人が交っていた。それこそ河合少年の見覚えのある火星探険協会長のデニー博士であった。
 博士は、この前エリス町に姿をあらわしたときとは違い、目は鋭い光を持ち、頬は赤く輝き、たいへん逞(たくま)しく見えた。彼は宇宙艇が地上を放れて以来すこしもこの室から去らず、エンジンの調子を直そうとして一生けんめいにやっているのだった。
 このようなデニー博士の大奮闘にもかかわらず、エンジンは一向いい調子にもどらないのであった。
「ねえ河合君」とマートン技師が河合少年の肩へ手をかけていった。
「これだけの大きなエンジンを扱うのに、たった八人の技術者しかいないんだぜ。君が働いてくれるなら、どんなに助かるかしれない」
「ええ、働きますとも。しかし僕は何をすればいいのでしょう」
「それはデニー先生が命令される。さあ、いっしょに配電盤の前へ行こう」
 マートン技師に連れられて、河合少年は配電盤の前に集まる技術者の一団に加わった。機械の好きな河合少年は、心臓をどきどきさせて、デニー博士の命令を待った。


   重力は減る


 変になったエンジンの調子を正常にとりもどすことは、絶望かとも思われた。すでに地上から飛びだしてから十四時間を経過したが、あいかわらずエンジンは勝手に働き続けている。
 それでもデニー博士は、次々にエンジンに手を加えている。機械の間から青い火花が散ったり、絶縁物がぼうぼうと燃えだしたり、とうぜん[#「とうぜん」はママ]油がふきだしたり、にぎやかなことであった。河合少年はマートン技師と組んでそういうときに勇敢に機械の中にとびこみ、応急処置を行った。
 誰も余計な口をきく者はいなかった。十四時間ぶっ通しに、すこしの乱れもなくエンジンと闘っている技術者だった。
 このときデニー博士が、くるっと背中を廻して、一同の方へ向いた。何か新しくいうことがあるらしい。
「諸君。これから後は、二交代制にする。というのは、エンジンは変になっているけれど、これ以上悪化することはないと思われる。だから当分、変になったエンジンの番をしていればいいのだと思う。どうせ第一倉庫の原料を使いつくせば、エンジンは自然に停止するに決まっているんだ。そうなるのは今から約四日後のことだ。そうと分れば全員で張番をしているにもあたらない。A組とB組と二つこしらえて交代制でやろう」
 河合少年はマートン技師と共にB組に入った。デニー博士もB組だった。B組は今から三時間休養をとることになり、A組の方はエンジンに対し厳重な張番と応急処置を続けることになった。
「河合君。くたびれたろう。おなかもすいたろう。さあ食堂へ行って、うんと食べてきたまえ」
 と、マートン技師は河合少年に、食堂へ行くことをすすめた。
「はい、ありがとう。マートンさんは食堂へ行かないのですか」
「後から僕も行くよ。その前にデニー博士とすこし相談しておくことがあるのでね、君は遠慮せずに先へ行ってきたまえ」
 そういわれたので河合少年は、一足先へ食堂へ行った。
「お、河合君。その姿は、どうしたんだ」
 ネッドが河合をいち早く見つけて、そばへ寄ってきた。そういわれると、なるほど河合は自分の服が油だらけになっているのに気がついた。
「ちょっとお手伝いをしたところが、この有様さ。ところで張君は、うまくやっているかい」
 と、河合は料理係になった張少年のことを心配してたずねた。
「張君のことか。彼奴は大喜びだよ。なぜって、御馳走のつまった缶詰の中にうづまっているんだからね。ところで君は何をたべるかね。何でも持ってきてやるよ」
 ネッドは、にこにこして、たずねた。
「そうだね、あついコーヒーとね。それから甘いものだ。ショート・ケーキか、パイナップルの缶詰でもいいよ」
「よし、何でもあるから、うんと持ってこよう」
「でも、食料品が足りないという話だから持って来るのは少しでいいよ」
「なあに、うんとあるから大丈夫」
 ネッドは心得顔で、調理場へ入っていった。
 河合が待っていると、調理場で大きな叫び声が聞えた。何だろうと思っていると、間もなくネッドが妙な顔をして河合の方へやってきた。彼は左手でパイ缶を持ち、右手には皿を持ち、その皿でパイ缶を上からおさえつけるようにしている。
「どうしたんだ、ネッド」
 と、河合はたずねた。
「いやあ、へんなことがあるんだよ。パイ缶をあけたんだよ。すると中からパイナップルがぬうっと出てきたんだよ。まるでパイナップルが生きているとしか思えないんだ。それとね、甘いおつゆがね、やはり缶から湯気のようにあがってきて、そこら中をふらふら漂(ただよ)うんだよ。おどろいたねえ。まるで化物屋敷みたいだ」
「ふうん、それはふしぎだなあ」
「だからこうして缶の上をお皿でおさえているんだ。気をつけてたべないといけないぜ」
「どういうわけだろうね、それは……」
 河合はネッドから缶をうけると、ふたになっている皿を下へおいた。すると缶の中からにょろにょろと甘いおつゆが煙のように出てきた。そしてその下から、黄いろいパイナップルの一片がゆらゆらとせりあがってきた。
「ああこれだね。へんだなあ」
「早く、フォークでおさえないと、パイナップルが逃げちまうよ。さっきも調理場で、一缶分そっくり逃げられちまったんだ」
「なるほど、これはいけない。パイナップル、待ってくれ」
 河合はフォークをふるって空中を泳ぐようにして、動いているパイナップルの一片をぐさりとつきさした。
 これは一体どうしたわけだろう。
 地球からもうかなり遠くはなれたため、重力が減ってきたせいである。重力が減ると、物質はみんな軽くなる。そのために、こうしたふしぎな現象が次々に起って、人々をおどろかせ、まごつかせるのであった。


   当った予言


 この日、デニー博士はついにコーヒーに追駆けられた。まことに前代未聞の珍事件であった。そしてそれをはっきりと目で見た山木が、仲間の少年たちの集っている食堂へとびこんできて、その顛末(てんまつ)を語った。
「ああ、僕は今日ぐらいびっくりしたことはないよ。だってコーヒーがね、本当にデニー博士を追駆けまわしたんだよ。そして僕は、その湯気のたつ熱いコーヒーが博士を火傷(やけど)させないようにと思って、一生けんめいコーヒーと角力をとったのさ。そしてこれ、僕はこんなに両手を火傷しちゃった」
 山木はそういって、火傷で赤くふくれあがった両手を、河合と張とネッドの前にだして見せた。
「やあ、ひどい火傷だ」
「でも、君のいうことがよくわからないね、コーヒーがデニー博士を追駆けたといって、それは何のことかね」
 ネッドは、顔を前へつきだした。
「コーヒーが博士を追駆けたのさ。それしかいいようがないよ」
 山木はそういったものの、自分でもおかしくなったか、声をあげて笑った。
「僕にはわかるよ」と河合がいった。
「さっき僕はパイナップルの一片が空中をゆらゆら泳ぎだしたもんだから、フォークをもって追駆けまわしたのさ。博士の場合は、あべこべにコーヒーが博士を追駆けたんだろう」
「そうなんだ。博士の部屋で、電気コーヒー沸しを使ってコーヒーを沸していたのさ。すると博士が“あっ、熱い”と叫んで椅子からとびあがったんだ。見るとね、博士の背中へ何だか棒のようなものが伸びているんだ。それがね、よく見るとコーヒーなんだ。コーヒー沸しの口から棒のようになって伸びているんだ。茶っぽい棒なんだよ。それで僕は、博士の背中にもうすこしでつきそうなその茶っぽい棒をつかんだのさ。ところが“あちちち”さ。両手を火傷しちゃった、そのコーヒーの棒で……。だってコーヒーはうんと熱く沸いていたんだからねえ」
「ふうん、それは熱かったろう」
「ところがコーヒーの棒は、まるで生きもののように、博士の逃げる方へいくらでも追駆けていくのさ。僕は、博士を火傷させては大変だと思ったから、またコーヒーをつかんだ。それから後、何べんも火傷した。どういうわけだろうね、コーヒーは博士ばかりを追駆けまわしたんだ」
「それはそのはずだよ。博士が逃げると、そのうしろに真空ができるんだ。真空ができるということは、そこへコーヒーを吸いよせることになるんだ。ちょうど低気圧の中心へ向って雨雲が寄ってくるようなものだよ」
 河合は、そういって説明をした。
「そうかねえ。しかし、張君はえらいね。だって今にデニー博士がコーヒーに追駆けられるだろうということをちゃんと予言しているんだからね」
 と山木は、傍でさっきから、にやりにやりと笑っている張少年の方へ振向いた。
「ふふふふ。おそろしいよ、僕は……。僕の予言があたるんなんて、全くおそろしいことだ」
 張は、得意と恐怖とをつきまぜて、口をゆがめて笑うのだった。
「デニー博士の将来について張君は三つの予言をしたね。その一つがあたったんだから、残りの二つもきっとあたるに違いない」
 ネッドは、目をくるくるさせて、そういった。占いの話になると、彼は誰よりも一番熱心になる。
「何だったけな、あとの二つの予言は……」
 山木が首をかしげる。
「第二は世界のどこにも、一つの寝床一つの墓場ももたなくなるだろうというのさ。第三は、博士は心臓を凍らせて、五千年立ちん坊をつづけるだろうというのさ」
 ネッドは、よく覚えている。
「そういう予言だったかなあ」
 張が、感心していう。占った当人の張は、もうそんなことはきれいに忘れてしまったらしい。
「博士の寝床も墓場もないとは気の毒だ。すると博士は一体どこに寝たらいいんだろう。またどこにお墓をもったらいいんだろうか。その予言のとおりなら、博士はどうすることもできないじゃないか」
 と、山木はいう。彼はこのところ張の予言に大変興味をわかせているのだ。
「さあ、どういうことになるか、僕にはわからないね」
 ネッドも首を左右に振る。
「博士は心臓を凍らせて五千年も立ちん坊をしていなければならないのだって。いよいよ気の毒な博士だ。しかしなぜ、そんなに永い間立ちん坊をするんだろう。ねえ、張君」
「僕がなにを知るものかね」と張は強くかぶりを振った。
「おやおや、御本尊(ごほんぞん)がしらないんじゃ、誰にもわかるはずがない」
「その時がくれば何もかもわかるんだろう。時はすべてを解決するというからね」
 黙っていた河合二郎が、そういった。


   探険決意


 人工重力装置が働きだしたので、宇宙艇の中でのパイナップルの一片が空中を泳いだり、コーヒーが人を追駆けたりするさわぎはなくなった。
 人工重力装置というのは、この宇宙艇の中に特別に重力の場を人間の力で作る器械であった。この器械が働きだすと、すべてのものは地上におけると同じようにどっしり落着いた。これから先、宇宙を進めばいよいよ地球に遠くなるから重力は更に減ってくるわけだ。だからどうしても、この器械が入用である。
 もしこの器械がなかったとしたら、艇内ではあらゆるものが机の上や床の上から放れ、空中で入り乱れて大変な混乱を起したことであろう。
 人工重力装置が動きだしてから五日目になって、本艇においては非常によろこばしい事件が起った。
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