火星探険
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著者名:海野十三 

 ネッドは急に元気になっていった。
「それにしても、このむずかしい場面が、どうしてうまく解決するのだろうか」
 ブブンはなおも声高にどなっていた。そのときとつぜん、音楽が始まった。牛乳配達の自動車の運転台にひとりで待っている河合が、電気蓄音器を鳴らし始めたのだ。その曲はトロイメライ。聞いていると眠くなるような夢の曲がチェロによって奏でられる。ブブンの声がぴったりと停まる。彼の勝ち誇っていきり立った触角がだらりと下がり、そしてやがてそれは曲の旋律にあわせて、すこしずつくねり出した。
 ふしぎにも、音楽には弱い火星人だった。
 さっきから黙っていた火星人代表のギネがブブンの肩を叩いて何かいった。するとブブンはとびあがった。何かおどろいたらしい。彼は山木たちの方へ出て来て、
「へえっ。君たちは地球人の少年かね。おれは君たちが成人した地球人だと思っていたが……」
「そうです、ぼくたち四人は少年です」
「四人? 三人しか見えないが……」
「もう一人は、あの自動車の中にいます」
「あのうつくしい音を出しているのが、そうか」
「そうです」
「ふうん。これは意外だ。おれは君たちが成人の地球人だとばかり思って話をしていたが、まだ年端(としは)もいかない少年だとは思わなかった。少年でもあれくらいの考えを持っているのだから、成人した地球人は相当えらいのだろうね」
「えらいですとも。大人は皆、宇宙艇に残っていますよ。ぜひおだやかに会って下さい」
「よし、そうしよう。ああギネが、君たちが少年であることをもっと早く教えてくれたら、おれはあんなにがみがみいうんじゃなかった。なにしろギネは地球へ行ったことがあるんで、火星人の中では一番ものしりなんだ」
「えっ、ギネさんは地球へ来られたことがあるんですか」
「二三度行ったよ。そうだね、ギネ」
「そうです。三度行きました。そして地球人のことを研究してきました。だが私の行ったことは、地球人は気がつかなかったようです」
「へえっ、それはおどろいた。どうして行ったのですか。何に乗って」
「ははは、それはいいますまい。アメリカ語を話せるようになったのも、私がそれをしらべてきたからです。しかし私の地球研究はまだその途中でした。だから火星の方で地球人を迎える用意もできていなかったのです。それで私がいくらなだめても皆はいうことをきかず、地球人の入っている宇宙艇の方へ押しかけたわけです。私は地球人の長所や文化を皆に知らせた上で、地球と正式に友交関係を結ぶつもりでした。しかし君がたがあまり早く火星へ来てしまったので、私の計画もすっかり手違いになったのです」
 ギネは、さすがに物わかりのいいおだやかな火星人で、代表者としてはもって来いの人物だった。山木も張もネッドも、ほっと一息ついた。
 トロイメライの音楽が、軽快なワルツにかわった。
「さあ踊ろうや。ぼくたちの仕事だ」
 ネッドは張を引張りだして踊りはじめた。すると、さっきからすっかり温和(おとな)しくなったブブンもそれを真似して踊りだした。そのうしろにいたたくさんの火星人群も、また共にワルツの曲に合わせて舞いはじめた。
 河合が、こっちの険悪な場面を心配して、思い切ってまた音楽を始めたことがたいへんよかったのである。
 山木とギネの間には、打合わせがどんどん進んで、デニー博士をギネたちがおだやかに訪問してくる申合わせもついた。
 音楽にあわせて火星人の舞踊はだんだんにぎやかになって行き、音声を発して踊り回る姿はまことに天真らんまんであった。
 四少年と火星人の交歓は、ますますうまく行って、牛乳配達車のまわりには火星人がいっぱい集って来た。そしてその横腹に書かれた牝牛の絵を指して、ものめずらしげに打ち興じるのであった。牛は火星にはすんでいないのだ。いや牛ばかりではない。馬も羊も鹿も見たことがないのだった。
 火星での大きな動物といえば、蛙にちょっと似た動物が居るきりだった。もっともその奇獣(?)は猫ほどの大きさがあったが……。
 四少年が、火星人をこの牛乳配達車に乗せてやると、火星人たちはますます上機嫌になった。彼等は箱の上に鈴なりになり、奇声をあげてわめきさけび、周囲で見物している彼等の仲間と呼びあって大よろこびだった。その中には、たくさんの火星の子どもが交(まじ)っていたが、彼等は身体がたいへん小さく、犬の子ぐらいであった。しかし大きな頭に大きな目玉をぐるぐる動かし、短かい触手をふりたてるところは火星人の大人とかわらなかった。かわっているところは、首から下が非常に短くて、ほうずきの化物みたいに見えた。


   大団円


 さてこの物語も、ここらで結末に入らなければならない。
 火星探険団長のデニー博士たちと火星人の会見は、四少年の下工作が功を奏してたいへんうまく平和的にいった。そして火星と地球の間にやがて定期航空をひらくことと、火星と地球の間に互いに不足している資源を融通しあうこと、もう一つ両者の間に文化学術の交流を行うことについて一応諒解が成立した。これは博士にとっても意外な大きな収穫だった。博士が火星航空路に成功しただけでもすばらしい収穫であるのに、なおその上にこの功績を加えたのであった。
 それから博士は、次の仕事にとりかかった。それは地球へ無電連絡を確立することと、壊れた宇宙艇の修理が出来るかどうかを調べることだった。
 地球との通信は、うまく行くようになった。発電機を動かす燃料も、十分にあり、新しい送受信機を組立てる部品を揃えることも出来た。
 もう一つの仕事の、壊れた宇宙艇が修理できるかどうかは、一行の運命をきめてしまう重大なことがらだった。この調査には一週間を要した。その結果はとても出来ないことが分った。一行の人々の目の前は、急に暗くなった。第一、機材がどうしても足りないし、工作機械は十分でないし、それに燃料は絶対不足だった。デニー博士は、思い切って宇宙艇を小型のものに設計がえをし、乏しい機械からこれを作ることを考えたが、これにも難関があって成功は望まれそうもなかった。それはエンジンをそのままのせると、艇は重くなりすぎて飛び出せそうもなかったし、それかといってエンジンを小型にすることは、工作上とてもここでは出来ない相談だった。ただエンジンを解体して、従来のものの二分の一または四分の一にすることは出来たが、博士の考えていた小型のものに丁度いいのは、四分の一にしたエンジンを取付けることだった。だからこれはやれそうに見えたが、そこで実際に馬力と速力とを計算しているとエンジンが非常に能率を悪くする関係で、火星を出てから地球に達するまでに五ヶ年もかかることが分り、しかも五ヶ年間エンジンを動かすための燃料といえば莫大(ばくだい)なもので、とても用意が出来そうもなかった。こんなわけで、一行は遂に地球に帰還するための乗物を用意することが出来ないことが明らかとなった。一行の失望と落胆は、ここに記すも気の毒なほどだった。
「マートンさん。地球へ救援を求めることは出来ないのですか。つまり、別の宇宙艇をこの火星へよこしてもらうのです」
 河合が、マートン技師にいった。
「さあ、不可能だろうね。なにしろ火星まで届くほどの有力なる宇宙艇を作り得る組織を持っている工場は、わがデニー先生の火星探険協会をおいて他にないんだからね」
「宇宙艇というものは、全然他では出来ないのですか」
「今出来ているのは、われわれのものを除くとせいぜい月世界まで届くぐらいのものなんだ。それも一旦月世界まで行っても帰還することはむずかしいからね」
「困ったものですねえ」
「ああ、全く困った」
 いつも元気で、最後まで希望を捨てないマートン技師も、今は別人のように悲観の淵に沈んでいる。
「ああそうだ」と河合が叫んだ。
「マートンさん、まだやってみることがあるではありませんか」
「まだやってみることが? それは何……」
「われわれの力だけでは、もうどうにも手の施(ほどこ)しようのないことは分りましたが、しかしここは火星国です。火星人の智恵、火星の資源、火星人の労働力――そういうものはうんとあるではありませんか。それにあのギネという火星人は、これまで秘密のうちに、地球まで三回も往復しているんだそうですから、あの火星人に頼めば、われわれの知らない強力なエンジンを貸してくれるかもしれませんよ。そしてたくさんの火星人の労働力を借りるなら、どんな巨大な宇宙艇だって楽に早く建造することが出来るのではないですか」
「おお、それはすばらしいアイデアだ。そうだ、われわれはわれわれの力だけで解決することを考えていたので、宇宙艇の再建造は不可能だと決めてしまわねばならなかったんだ。火星人に協力を求める! なるほど、そうだったね。そういう道があるのだ」
 河合少年の思付(おもいつき)は、早速(さっそく)マートン技師からデニー博士に伝えられた。博士はそれを聞いて喜んだ。そしてその方向に、問題を解決する道を進むことになった。
 それからはとんとん拍子に行った。ギネの好意で、火星政府もエンジンを貸すことを承諾し、火星人の技術団をつけて地球まで行かせることにしてくれた。但しこのエンジンの秘密は当分地球人には公開されないことを一つの条件として……。
 それから半年の後、地球人と火星人の合作による新宇宙艇の建造はめでたく完成した。この新艇には“太陽の子”という名前がつけられた。火星も地球も共に太陽の子であるという意味を含めたもので、同じく太陽の子である以上、仲よくしましょうという平和精神が盛られてあるのだった。
 試運転も地球人と火星人の協力でうまく行った。そして一ヶ月後に、地球帰還の用意万端は成り、いよいよ“太陽の子”号は、はなばなしく初航空の旅についた。地上からは火星人たちの盛んな見送りがあり、艇からはデニー博士一行と、地球訪問の火星人使節団と技術団とが手を握り、触手を動かして挨拶をかわした。こうしてめでたい地球人と火星人との協力による宇宙旅行が始まったのであった。
 デニー博士が調査作製した宇宙航路によって、“太陽の子”号は最も条件のよい航路を選び、地球へ近づいて行った。そしてわずか十五日で、その航路を突破した。“太陽の子”号がニューヨーク郊外の新飛行場“火星”へ無事着陸すると、地球は――いや全世界は歓喜と興奮の渦にまきこまれた。デニー博士以下の乗組員たちは大統領に出迎えられ、光栄ある讃辞を受けた。また火星からの異形の使説団一行は大歓迎をもって迎えられた。
 デニー博士は大統領の車に同乗して、はなばなしいニューヨーク入りをした。一行の上に、七色の紙が花のように降り、市民たちは家もすっかり空っぽにして沿道に集り、歓呼をあびせかけた。
 山木、河合、張、ネッドの四少年は、例の牛乳配達車に乗って、行進の中に加わった。これがまたたいへんな歓呼で迎えられ、牛乳配達車の上は花束が山のように積まれ、絵の牝牛の首にも美しい赤と青と白とのリボンがつけられた。――張の予言は、たしかに的中したのだった。
 それからデニー博士がどんなに盛んな歓迎攻めに会ったか、それは記すまでもないであろう。
 しかしデニー博士は重要な仕事を持っていたので、火星使節団とわが世界代表との間に立って連日大奮闘をした。しかしその甲斐あって、双方の間にひろい協力の条約が成立し、地球と火星との定期航空路も共同経営をすることに決まった。そしてなお更に一歩進んでわが太陽系惑星が平和連合星団を建設することに話がまとまった。
 デニー博士はやがて、火星に永住することとなった。博士は駐火星地球大使に任ぜられたのである。博士の銅像はニューヨークと、もう一つデニー塔のあったアリゾナの二ヶ所に建てられた。
 四少年は、褒美(ほうび)のお金によって、すばらしい自動車と飛行機を買うことが出来、それを乗りまわしている。その自動車と飛行機には例の大きな牝牛が描かれてあるということだ。




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