火星探険
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著者名:海野十三 

「あたいをコロラド大峡谷(だいきょうこく)まで、一しょにつれていってくれるかい。それを約束するなら生き返ってもいいよ」
 ネッドは、際(きわ)どいかけひきをやった。山木と河合とはふき出した。
「生き返るのがいやなら、ここでいつまでも死んでいるがいい」
「それよりも張(チャン)を見てやろうよ」
「張も死んだまねをしているのじゃないか」
 山木と河合とは、張の方へ走り寄った。張は仰向けになって伸びている。
「あ、血が出ている。これはほんとうにたいへんだぞ」
「おい、張、しっかりするんだよ」
「龍王洞(りゅうおうどう)の仙人さま、死んじゃ損ですよ」
 ネッドもいつの間にか傍へよってきて、張少年に声をかけた。
「ううッ。痛い……」
 皆の呼ぶ声が、張に通じたと見え、彼は呻(うな)り声(ごえ)をあげ、顔をしかめた。
 張は死んだのではない。
 三人の少年たちは安心をして元気づいた。張の怪我したところを調べてみると、それは左の上膊(じょうはく)(上の腕)を何かでひどく引裂いていた。傷はいやに長く、永く見ていると脳貧血(のうひんけつ)が起りそうであった。河合は、箱自動車の方へとんで帰って、救急袋を持ち戻った。そこでとりあえず張の腕を包帯(ほうたい)でしばって血どめを施したが、それはうまくいかないと見え、せっかく巻いた包帯がすぐまっ赤になった。
「ううッ、痛いよ、痛いよ……」
 張は蒼くなって痛みを訴えた。
 三人は困った顔をした。ほんとうのお医者さまにみせる外ないのであろう。三人は張をかつぎあげて、崖をよじのぼり、箱自動車のうしろをあけて、折りたたんだ天幕の上に張を寝かした。傍にはネッドをつけ、山木と河合とは再び運転台に乗って道路を全速力で走り出した。早くどこかの町へとびこんで、張をお医者さまにみせて手当をうけなければならない。
 それから四キロばかり行った先に、小さな町があり、そして医院があった。張をその中へかつぎこんで手当をうけた。傷の中から硝子(ガラス)の破片が大小七つも出てきた。これをとりのぞいたので、張は楽になり、死ぬように泣き喚(わめ)くことはやめた。まあ、よかったと、三人は顔を見あわせた。
「張、どうするかい。この傷ではたいへんだから、村へ戻るかい。戻るならネッドといっしょに、バスに乗ってかえるんだね」
 山木は張にそういった。
 張はすぐ返事しなかった。張は、医院の廊下にべったり座ると、腰に下げていた袋の中から大切にしている水晶の珠を取出し、それにお伺いをたて始めた。張の手当をした老医師は、張がぺったり廊下に座ったのを見て張が腰をぬかしたのだと思い、あわてて奥からとびだしてきた。が、この有様を見てとって、気味がわるいなあといった顔付きになって、白髪頭(しらがあたま)を左右に振った。
「やっぱり、旅行を続けた方がよい――というお告げだ。山木君、河合君。僕は一しょに行くよ」
 張は元気な声でいった。
 山木と河合は相談をした結果、張とネッドをコロラド大峡谷まで連れて行くことに決めた。その代り五週間も遊びまわることは許されなかった。人数が倍にふえたから、食糧は半分の日数しか持たないし、それにお医者さまに治療費を払ったので、残りのお金もとぼしくなった。とにかくこれからはお互いに倹約してやっていかないと、果して目的のコロラド大峡谷まで行けるかどうか、安心はならないのだった。山木と河合の心配を余所(よそ)に、ネッドと張は大元気でふざけている。全く現金な両人だ。とうとうコロラド行をものにしてしまったのだ。


   経済会議


 その夜は天幕(テント)を河原へ張って泊った。翌朝になると、まだ燃えている油に砂をかけてやっと消し、それから競技用自動車に綱をつけて崖の上へ引張りあげ、道路の上に置いた。だがこの自動車はエンジンがかからなかった。仕方がないから綱で箱自動車のうしろへつなぎ、箱自動車でそのまま曳(ひ)いて出発した。大きな牛をかいてある箱車のあとに、ぺちゃんこに押しつぶされた競技用自動車が綱に曳かれてふらふら走っていくところは、実にへんな光景で、街道の至るところに大笑いの種をまいた。
 いくら笑われても、車上の四少年は笑うことをしなかった。いろいろ気にかかることがあって、笑う元気がなかったのである。
 聴けば、張とネッドの乗ってきた自動車は洗濯倶楽部(クラブ)で借りたものであるが、ブレーキがどうかしているらしく、出発当時からあぶないことばかりであったそうな。その洗濯倶楽部には、ネッドの義兄が会員として入っているので、その手づるで借りることができたという。しかしこのようなぺちゃんこの車になっては、どう詫びて返したらいいだろうかと、日頃は楽天家のネッドも箱車の後から顔をのぞかせて青息吐息であった。
 それでも旅程は一日一日とはかどって、だんだんアリゾナ州へ近づいていった。とはいうものの、まだやっと半道を過ぎたばかりである。
 その頃、貯蔵の食糧が、がっかりするほど減ってしまった。この調子でいくと、四人はコロラド大峡谷の中で餓死(がし)するおそれがあることが分った。食糧係の河合は、目を皿のように丸くして、この一件をどうするかについて一同に相談をかけた。
「僕とネッドがむりに加わったからいけないんだ。その原因は僕たちにあるんだから、なんとか僕たちで考えよう」
 張は、わるびれずにいった。その様子があまり気の毒だったので、山木が言葉をかけた。
「おい張君。君が大切にしている水晶さまにお願いして、缶詰を二箱ぐらいなんとか都合してもらえまいか」
「冗談じゃない。そんなうまい力は、水晶さまにありゃしない」
 張が正直なことをいったので、皆は声を揃えて笑った。するとネッドがいった。
「それなら、水晶さまを誰かに売って、そのお金で缶詰を買ったらどうだろう」
「ば、ばか」
 と張は怒って、ネッドを睨(にら)みつけたが、とたんに力が身体にはいって傷が痛みだした。彼は三人の笑いの中に、ひとり歯をくいしばった。
「しかし何とかして食糧を手に入れないと、この旅行はもう続けられないよ。つまりここから引返すか、何とか食糧を手に入れて旅行を続けるか、どっちかを決めるんだ」
 重大な経済会議が開催された。
「旅行は続けなきゃいやだ。コロラド大峡谷を見なければ、あたいは引返さないよ」
 ネッドは、好きなことをいう。
「じゃ食糧問題をどうする?」
「稼いで食糧を手に入れればいいじゃないか。野菜でも缶詰でも手に入ればいいんだろう……」
「ネッド、ちょっと待て。稼ぐ稼ぐというが僕たちがどうして稼げるだろうか。グルトンの村にいれば、知っている人もあるから、働かせてくれるだろうが、こんな旅先で、知らない人ばかりのところで、誰が働かせてくれるものか」
 河合は悲観説をさらけ出していった。
「ううん、ちがうよ。やればやれるよ。つまりこういう土地には特別の稼ぎ方があるんだ、もし僕に委(まか)してくれるなら、明日からちゃんと稼いでみせるよ」
「へえ、おどろいたね。それはほんとうかい」
「ほんとうだとも」
「でも、稼ぐために毎日朝から晩まで稼がなければならないとすると、いつになったらコロラド大峡谷へ行き着けるか、わからないぞ」
 と、山木が注意をした。
「大丈夫だ。時間は夕方から二三時間ぐらいあればいい。きっと儲(もう)かるよ」
 ネッドは、だんだん自信にみちた顔になってくる。
「ネッド。一体何をするのか」
「まあ、それは明日までお預りだ。しかし少し舞台装置がいるね」
「えっ、なんだって、ブタイ何とかいったね」
「ああ、そうなんだ。この箱自動車の中にある布や道具などを利用してもいいだろう。僕は張と一しょに、いい儲けをとってみせるよ。だから夕方から二三時間、この箱自動車ごと僕に貸しておくれよ」
「大丈夫かなあ、またこの前のように崖から落ちるんじゃないか。そうなれば、僕たち四人は破産だよ。村へも帰れやしない」
「まあいい、あたいの腕前を見ておいでよ」
 ネッドはひとりで悦(えつ)に入っていた。


   のぞき穴


 ネッドはどんな方法で、稼ぐのであろうかと、山木と河合とは話し合ったが、よく分らない。その翌日午前から午後へかけて、ネッドは張と共に走る箱車の中に入ったきりで外へは殆んど出ずに、何か夢中で仕事をしているらしかった。
 やがて約束の午後四時となった。
 ネッドは、箱の中から運転台のうしろの羽目板を叩いて、自動車を停めよと信号した。
 車は停った。
 ネッドは箱から出て来た。
「ちょっとした工事をするから、手伝ってくれよ」
 どこへ工事をするのかと思っていたら、ネッドは車の側に箱を置き、その上にのぼると牛の画の腹の下にハンドボールで穴を円周状(えんしゅうじょう)にあけた。そのあとで金槌(かなづち)で真中を叩いたから、ぽっかりと窓があいた。
「何をするんだ、ネッド」
 河合はおどろいて、尋ねた。
「さあ、こんどは僕の腰掛けを高いところにこしらえるんだ」
 ネッドは山木と河合を手伝わせて、箱の後部の上に、猿の腰掛のようなものを横に取付けた。そしてその上へ掛けてみて、
「さあ、いらっしゃい、いらっしゃい」
 と叫んだ。
「何だ、見世物か。ははあ、この穴から中をのぞくんだな」
 山木はその穴に目を当ててのぞいたが、ぶるっとふるえて身体を後へ引いた。
「うわっ、たいへんだ。角の生えたへんな動物が、この中に入っている。いつ入ったんだろうか」
「へえ、角の生えた、へんな動物だって……」
 河合がびっくりして、山木に替って穴から中をのぞいた。
「なあんだ、張が笑っているだけじゃないか」
「そんなことはないよ」
「さあさあ、この幕を張るから、みんな箱車の屋根へのぼって手伝え」
 ネッドの声が、頭の上に聞えた。どこから出して来たか大きな文字の書いた幕を手にしている。よく見るとそれは自分たちの天幕だったが、文字はネッドが書いたものらしい。その幕を、ネッドのいうままに、箱自動車の上に横へのばして張ってみて呆れた。
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“神秘なる世界的占師、牛頭大仙人はここに来れり。未来につき知らんとする者は、ここに来りて牛頭大仙人に伺いをたてよ。即座に水晶の珠に照らして、明らかなる回答はあたえられるべし。料金は一切不要、但し後より何か食糧品一品を持ち来りて大仙人に献ずべし”
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 たいへんな宣伝文だ、ネッドの作文にしてはうますぎる。ひょっとすると、ネッドが何処かで読んだ星占師(ほしうらないし)の広告文を覚えていて、それをすこしかえて出したのであろう。
「呆れたねえ、張を牛頭大仙人にして、占いをやるのか。それで張は、さっきあんなへんなものを被っていたんだな」
「何か食糧品を一品持って来いとは、はっきり書いたものだ」
「おいおい、何を感心しているのか、まだ仕事が残っているんだ。その下に穴をあけて、この曲ったメガフォンをとりつけるんだ、中をのぞきながら、このメガフォンで張――いや牛頭大仙人の声が聞けるようにするんだ」
 ネッドは張切って命令を下した。山木も河合も、始めは呆れはしたが、なんだか面白くなったので、二人で力をあわせて画の牛の乳房のところに穴をあけ、そこに曲ったフォン(多分古いラジオ受信機のラッパであろう、こんなものをどこで探してきたんだろう)を取付けた。
「さあ、もういいから、これであそこに見える町の中を一周り練って廻り、そしてここへ戻ってくるのだ」
 ネッドは、猿の腰掛の上から叫んだ。山木と河合とがその方を見上げると、ネッドはいつの間に服装をかえたのか、頭には赤いターバンをぐるぐる巻き、身体にはぞろりと長く引摺(ひきず)ったカーテンのような衣を着、いやに取済ました顔付をしていたが、山木たちがあまりいつまでも見つめているものだから、はずかしくなって、とうとうぷっとふき出した。
「さあ、ぼんやりしないで、一刻も早く神秘の箱車を走らせたり、走らせたり」
「おい、大丈夫か」
 山木と河合とは、運転台にとびあがり、早速エンジンをかけて車を動かした。
 おどろいたのは、そのエリス町の人々であった。天から降ったか地から湧(わ)いたか、異様な箱自動車ががたがた音をさせて入ってきて、牛頭大仙人の占いを、顔の真黒な子供とも老人とも区別がつかない従者が高い腰掛の上から宣伝したものであるから、みんな目を見はっておどろいた。これをネッドたちの方からいえば、宣伝効果百パーセントであった。
 従って、この箱車が元の町はずれの野原へ戻って来たときは、後から町の閑人たちがぞろぞろと行列を作ってついてきたもんだ。
「ふん、しめた。これなら明日一ぱいの食糧ぐらいなら集まりそうだ」
 猿の腰掛の上でネッドは胸算用をして、にっと笑った。
 いよいよ占いが始まった。希望者は一列にならんで、自分の順序を待った。若い男女もあれば、老人もすくなくない。
 箱の中では張が傷のいたみをこらえつつ、大車輪でもってすごい声を出しつづけた。
「牛頭大仙人さま。この間から見えなくなったわしの鍬(くわ)はどこにあるだかねえ」
「汝家に帰りて、裏門より入り、そこより三十歩以内をよく探して見よ」
「へへへ、どうも有難う」
 若者にかわって、足の悪い老人がのぞく。
「伺(うかが)うだが、今年のわしのリューマチは左の脚に出るかね、それとも右の脚に出るだかね」
「今年の冬は、始めは左の脚に、後に雷が鳴って右の脚にかわる」
「へへへへ、これはおそれ入りました」
 たいへんな繁昌ぶりである。笑声と歎声が入りまじってその賑(にぎや)かさったらない。張もネッドも大汗をかいている。山木も河合も共にのぼせあがって顔が金時のようにまっ赤だ。
 そのとき向うから走って来たりっぱな自動車がぴたりと停って、中から現れた一人の老紳士があった。その服装と態度から見て、かなり学問のある人らしい。それもその筈、この人こそデニー博士といって「火星探険協会」の会長であった。そのデニー博士は、何思ったか、すたすたと群衆の方へ近づく。


   博士の噂


 デニー博士は、頬髭(ほほひげ)顎髭(あこひげ)の中から、疲れた色を見せていた。長身猫背(ねこぜ)を丸くし、右手ににぎったステッキで歩行をたすけている。これが、かの有名な火星探険協会長のデニー博士の姿である。
「おや、火星会長のデニー博士だぜ、なぜこんなところへやって来たのかな」
 牛頭大仙人の鎮座するけばけばしい装いの箱車をや少し離れたところから見物していた町の中年の男が、眉をあげていった。
 その傍に山木と河合が立っていた。そしてこの言葉を聞きとがめた。
「なに、火星会長、火星会長とは、どういう意味ですか」
 その男はジグスといって、エリスの町に住んでいる靴屋の大将だったが、こういう事柄について何でも知っているのが自慢だった。
「火星会長を知らないのかね、くわしくいえば、火星探険協会長さ、あのよぼよぼ爺さんがまだわしのように若かった頃――そうさ、今から三十年前のことだが、その頃からあの博士は火星にとりつかれて、火星探険の熱ばかりあげているんだ」
 わしのように若いといったジグスは、そう若くもなく、頭のてっぺんで髪が禿げていた。
「へえ、そうですか、それでデニー博士は火星へ何度ぐらい行ってきたんですか」
 と山木が、まじめな顔をして訊(き)いた。
「ばかをいっちゃいかん、いくら子供だって……」とジグスは呆れ顔になり「あのよぼよぼ博士はもちろんのこと、地球上のどんなえらい人間だって、火星へ旅行をしたことのある者なんて一人もあるもんかね。火星は月よりもっと遠いのだよ。その月世界へ行った者だって、唯一人居ないじゃないか」
「なるほど、そうでしたね」
 山木は、頭をかいた。すると河合が代ってジグスに訊いた。
「で、今でも博士は火星探険協会長の仕事をしているのですか」
「それは、性(しょう)こりもなくやっているよ」とジグスは河合の顔をながめやって「今から三十年前に、隣村の森の中に塔を建てて、そこを研究所にして、しきりに大空をのぞいていたがね。塔の屋根が丸くて、そして中で機械をまわすと割れ目が出来、そこからでかい望遠鏡がにゅっと出るのさ。ところが、そこの研究所は今はからっぽさ」
「へえっ、どうしたんですか」
「引越したんだよ、引越先はなんでもアリゾナ州の方だという話だがな。とにかく引越して貰って幸いさ、この近所で火星の鬼とつきあいなんかされては村の迷惑だからね」
 ジグスは、首をすくめて見せた。
「なぜ引越したんでしょう」
「それはお前、こういうわけだ。つまりアリゾナの方が、ここよりは土地が高いから、それだけ火星に近いという便利があるからよ」
「はははは」
「笑う奴があるか、本当のことだぜ。それに三十年も使った塔だから、もう古くなって、あの仙人の自動車みたいにがたがたになったのさ。それでアリゾナに新しい塔を建てたというわけだ」
「お金はあるのですね、そんなに塔を建てかえるようでは……」
「それはあるさ。火星探険なんて変った仕事だからなあ。そういう変った仕事には、ふしぎと金を出す人間がいるのさ」
「本当に博士は火星探険に出かけるつもりなんでしょうか」
「出かけるつもりはあるらしい。だが、あんなよぼよぼでは、火星まで行き着かないうちに死んでしまうだろう。なにしろ火星まで行き着くには十年か二十年はかかるからなあ」
「そうでしょうね。それで、一体何に乗って行くんですか」
「それが全然わからないのさ、だから、博士の火星探険はお芝居で、結局行かないうちに博士が死んで、協会は解散になるといっている者も居るが、わしはそうは思わないね。博士は何か深く考えて、秘密に乗物を用意していると思うね。それを皆に明かさないのは、何しろ火星まで行き着くための乗物だから、その秘密を知られないように隠してあるんだと思う」
「おじさんは、なかなか博士びいきなんですねえ」
「博士びいき? そういうわけじゃねえが、あの爺さんの姿は、もう三十年あまりもこの二つの目で見ているんだから、いろいろ悪口をいうものの、本当は人情がうつらぁね。それに近年博士に対して大人気(おとなげ)ない攻撃をする奴がだんだん殖えて来るのには、わしでも腹が立つね。わしの力で出来ることなら博士に力を貸して威勢よく火星探険へ飛出させたいと思うが、何しろ博士があのとおりよぼよぼじゃあ、後押しをしてもその甲斐がないよ」
 そういうところをみると、ジグスはなかなか博士の同情者の一人らしい。
「おや、デニー博士が、張(チャン)――いや牛頭仙人に何かお伺いをたてているぜ」
 と、このとき山木がびっくりしたように叫んだ。
 そのとおりだった。デニー博士は箱車の覗き穴へ自分の顔をぴったりと当てて、牛頭仙人とさかんに押問答をやっているようだった。そしてラッパからしゃがれた張の作り声が、はっきりしない言葉となって飛出すたびに、そのまわりに集っていた町の人々は、どっと笑いくずれるのであった。博士だけはますます熱中して、箱車の穴の中に、そのもじゃもじゃの髭面をつきこみそうだった。


   とんだ災難


 やがて博士は、箱車から顔を放した。
 改めて笑声が、まわりから起った。
「博士さま、お前さまは“コーヒーに追いかけられて大火傷をするぞ”といわれたでねえかよ、はははは」
「はははは。それによ、お前さまの将来は“この世界の涯まで探しても寝床一つ持てなくなるし、自分の身体を埋める墓場さえこの世界には用意されないであろう”といわれたでねえか。やれまあお気の毒なことじゃ。はははは」
「おまけによ、お前さまは“心臓を凍らせたまま五千年間立ったままでいなければならぬ。一度だって腰を下ろすことは出来ないぞ”といわれたでねえかよ。お気の毒なことじゃ。はっはっはっはっ」
 笑声のおこりは、博士が牛頭仙人からお告げにあるらしい。すると博士は、コーヒーに追いかけられること、寝床も墓も持てないこと、五千年間立ちん棒をすることを告げられたのだ。
 博士は人だかりをかきわけるようにして出てきた。山木も河合も、博士の顔をよく見ることができた。博士は口の中でなにかぶつぶついっていた。
「デニーの旦那。アリゾナの方はどうですかね」
 ジグスが声をかけた。
「や、や、ふん、ジグスか。このへんの衆はあいかわらず口が悪いのう」
 博士は、ジグスの問いにはこたえず、憤慨(ふんがい)の言葉をもらした。
「旦那。みんな口は良くないが、腹の中はみんないいんですぜ。旦那が一日も早く火星へ飛んで行けるように、みんな祈っているんですよ」
「そうとも思われないが……」
「旦那、火星への出発はいつですか。もうすぐですか」
「そんなことは、話せないよ」
「いって下さいよ。わしは仲間のやつと賭をしているんですからね」
「どんな賭だね。君はどういう方へ賭けたのかね」
「わしですかい。わしはもちろん、デニー博士は今年の十二月までに地球を出発して火星へ向かうであろうという方へ入れましたよ。今となってはとんだところへ入れたものです」
「ふふふふ。まあいいところだ」
「なんですって。もう一度いってくださらんか」
「いや、ふふふふ。賭けというものは必ず負けるものじゃと思っていればいいのだ。そうすれば思いがけない儲けがころがりこむじゃろう」
「ねえ旦那。火星探険の乗物は、何にするのですかい。ロケットかね、それとも砲弾かね」
「ふふふふ。素人には分らんよ。もっともわしにもまだはっきりきまらないのだがね」
「なんだ、まだ乗物が決まらないのじゃ、わしの賭けもはっきり負けと決った」
「君みたいに気が早くてはいかんよ。火星探険でも何でもそうじゃが、焦っては駄目じゃ。気を長く持って、いい運が向うから転がりこむのを待っているのがよいのじゃ。な、気永に待っているのがよいのじゃ。待っていれば必ずすばらしい機会は来るもの。焦(あせ)る者不熱心な者は、そういうすばらしい機会をつかむことができん」
「旦那。お前さんの火星探険は三十年も機会を待っているようだが、それはあまりに気が永すぎますぜ。悪くいう者は、デニー博士は火星探険などと出来もしない計画をふりまわして金を集める山師だ、なんていっていますぜ」
「山師? とんでもない下等なことをいう仁があるものじゃ。今に見ていなさい。一旦その絶好の機会が来れば、余は忽然(こつぜん)としてこの地球を去り、さっと天空はるかへ舞いあがる……」
「あ、いたッ」
 博士の言葉のうちに、横合で悲鳴が聞えたその方を見ると、一人の少年が地上にうちたおされていた。その少年は顔を両手でおさえていた。そして顔も手も血だらけであった。その少年は山木だった。
「あっ、これは失敗じゃ。つい力が入って、このステッキが顔にあたったものと見える」
 デニー博士は、ふりあげたステッキを下におろして、赤い顔をした。
 河合とジグスは、すぐ駆けよって、たおれている山木を抱きおこした。そしてハンカチで鼻をおさえてやった。山木は、博士のステッキを鼻にうけ、鼻血を出したのであった。
「おお、日本の少年君、すまんことをしたね。勘弁してくだされ。さぞ痛むことじゃろう」
 博士も山木を抱くようにして、自分の失敗について謝った。
「いいんです。もう大丈夫です」
 と、山木は首をふって見せた。すると、またどくどくと鼻血が流れて服をよごした。そのまわりには町の人々が黒山のように集まって来て、わいわいいい出した。デニー博士はいよいよあわてて、「おいジグス君。この少年を、僕の車にのせて医師のところへ連れて行こうと思うが、どうだろう」
「いや、もう大丈夫ですよ。さわがないでください」
 山木は、はずかしそうにいった。河合が紙を巻いて、山木の鼻の穴に栓(せん)をかってやった。そして顔の血をすっかり拭ってやったので、山木の顔は元気に見えた。
 そのときデニー博士は、ジグスを呼んで、ポケットから一挺(いっちょう)の古風なナイフを出すと彼の手に渡して、
「このナイフを、僕が怪我させた少年に対し、謝罪の意味で贈りたいと思う、君から伝達を頼む」
 といった。そして博士は、人々の笑声と罵(ののし)りの声を後にして逃げるようにこそこそと、自動車の置いてある国道へ急いだ。


   豪華な昼食


 張(チャン)とネッドの二人が仕組んだ牛頭大仙人の占いは、思いがけなく大成功をおさめた。その証拠には、翌朝エリスの町を後にして、国道を北へ進んで行く例の箱自動車の中は、野菜と果物と缶詰とパンとで、いっぱいであった。そしてその間から張とネッドが、顔をキャベツのように崩して笑い続けていた。これだけの食糧があれば、来週一杯、食べものに困るようなことはあるまいと思われた。張もネッドも、これから大きい顔をして食事をとることができるのだ。
 さしあたり、その日の昼食は、近頃になくすばらしいものだった。路傍にある松林の中へ入って、清らかな小川を前に、四人の少年は各自の胃袋をはちきれそうになるまで膨(ふく)らますことができた。そしてそのあとには、香りの高いコーヒーと濃いミルクとが出た。
「こんなに儲かるんだったら、夏休みがすんでも学校へ帰らないで国中うって廻ろうか」
 ネッドは、たいへんいい機嫌で、黒い顔に白いミルクをつぎこみながらいった。
「いや、僕は御免だ」
 と、張が反対した。
「あれっ、君は、こんなに儲かったかといって、躍りあがって喜んだくせに……」
「だって、あんな重い牛の頭のかぶりものをかぶって、二時間も三時間も休みなしで呻(うな)ったり喚(わめ)いたりの真似をするのはやり切れん」
「でも、さっきは喜んでやったじゃないか」
 ネッドは承知をしないで張をにらむ。
「さっきは、僕たちが飢え死をするかどうかの境目だったから我慢したんだよ。君がいうように僕ひとりで毎日あんな真似をやった日には、きっと病気になって死んでしまうよ」
「弱いことをいうな。張君。とにかくあんなに儲かるんだから、辛抱しておやりよ」
「儲けるのはいいが、僕一人じゃ僕が損だよ。牛頭大仙人を、毎日代りあってやるんなら賛成してもいいがね」
「牛頭大仙人を毎日代りあってやるって。へえ、そんなことが出来るのかい。だって、水晶の珠をにらんで、どうして占いの答えを出すのか、僕たちに出来やしないじゃないか」
 山木が、言葉を投げた。
「なあに、あの占いのことなら、そんなに心配することはないよ。誰にでも出来ることだよ。つまり、水晶の珠をじっと見詰(みつ)めていると、急になんだか、喋(しゃべ)りたくなるからね。そのときはべらべら喋ればいいんだよ」
 張は、すました顔である。
「だって、それがむずかしいよ。僕らが水晶の珠を見詰めても、君のようにうまく霊感がわいて来やしないよ」
「それは僕だって、いつも霊感がわくわけじゃないよ」
「じゃあ、そのときはどうするんだい。黙っていてはお客さんが怒り出すぜ」
「そのときは、何でもいいから出まかせに喋ればいいんだ。するとお客さんは、それを自分の都合のいいように解釈して、ありがたがって帰って行くんだ。占いの答に怒りだすお客さんなんか一人もいないや」
 張は自信にみちた口ぶりである。
「呆れたもんだ。それじゃインチキ占いじゃないか」
 と、山木は抗議した。
「違うよ。こっちは口から出まかせをいうが、お客さんの方は自分の口から都合のよいように解釈して、答をにぎって帰るんだぜ。そしてあのとおり缶詰や野菜をうんと持込んでくれるところを見ると、皆ちゃんとあたっているんだぜ。だからよ、こっちのいうことは口から出まかせでもお客さんは何か思いあたるんだ。そしてその言葉によって迷いをはらし喜んで一つの方向へ進んで行くのだ。だから結構なことじゃないか。儲けても悪くないんだ」
 張仙人は、彼一流の考えをぶちまけた。これには山木も、すぐには返す言葉がなかった。
「じゃあ張君。さっき君に占ってもらった火星探険協会長のデニー博士ね、あのときの占いは、あれは本物なのかい、それとも口から出まかせなのかい」
 そういって聞いたのは、今まで黙って熱いコーヒーを啜(すす)っていた河合だった。
「はははは、あれかい。あの髭むくじゃらの先生のことだろう。あれは、君が出発前に僕がネッドを使っていわせた占いと同じようなもので水晶の珠を使わなくても分るんだ」
 張は、くすくすと笑いつづける。
「ふうん“二日後に僕たちが厄介を背負いこむだろう”などというあれだね。あれはひどいよ」
 河合は、張をにらんだ。が、あのときのことを思い出して、おかしくなって吹き出した。
「はははは、そう怒るな。とにかくあれは占うまでもなく、水晶さまにお伺いしないでも口からつるつると出て来たことなんだ。そういう場合は、ふしぎによくあたるんだ」
「あたるのは、あたり前だ。自分が二日後には追附くことが分っているんだもの。全くひどいやつだよ」
「おい張君。すると結局デニー博士に与えた占いはどういうことになるんだ。やっぱり君は博士の将来はこうなると知っていて、あのように喋ったのかね」
 こんどは山木が聞いた。
「そうでもないね。始め僕は、あの人が火星探険協会長だとは知らなかったんだ。だから何にも知ろうはずがない。ただ、博士が穴から顔を出したとき、あれだけの答が博士の顔に書きつけてあったんだ。僕はそれを読んで順番に喋ったにすぎないんだ」
「うそだい。博士の顔に、そんなことが書いてあるものか。考えても見給え。博士の顔と来たら髭だらけで、文字を書く余地は、普通の人間の三分の一もないじゃないか。字を五つも書けば、もう書くところなんかありやしない」
 山木がそういうと、河合とネッドが声をあげて笑った。多分デニー博士の愛すべき髭面を思い出したのであろう。
「もうそんなことは、どうだっていいじゃないか」
 と、張はコーヒーを入れたコップ代りの空缶を下において、ごろりと寝ころがった。
「でも、張君。それは罪だよ。デニー博士は、君の占ったことを本当だと思って、今も大いに悩んでいることだろうと思うよ。可哀そうじゃないか」
 山木は同情して、そういった。
 そうだ、火星探険協会長たるデニー博士は、この頃たいへん悩んでいて、これまで自信をもっていた自分の判断力に頼ることができなくなり、牛頭大仙人の水晶占いのことを聞きつけると、わざわざ駆けつけたものであろう。だから多分博士は、張のいったことを今本気で信じているのではなかろうか。きっと、そうだ。すると博士の火星探険計画に、これから何か重大な影響を及ぼして来ることだろう。これはたいへんなことになった。


   赤三角研究団


 話はここで変って、赤三角研究団というものについて記さなければならない。
 赤三角研究団とは、変な名前である。が、これにはその団員が研究衣の肩のところに、赤い三角形のしるしをつけているので、そうよばれる。本当のちゃんとした名前が別にあるのだが、土地の人は誰も皆、赤三角研究団とよびならわしているので、ここでも当分そのように記して置こう。
 さて、この赤三角研究団は元気のいい青年たちで編成せられて居り、研究団の本部はアリゾナの荒蕪地(こうぶち)にあった。そこからは遙かにコロラド大峡谷の異観が望見された。
 荒蕪地というのは、あれはてた土地のことで、ここは砂や小石や岩石のるいが多く、畑にしようと思ってもだめであった。だから人もあまり住まず、雑草がおいしげっているばかり、鳥と獣が主なる居住者だった。そういうところに、赤三角研究団の本部が置かれてあったが、その建物は、この土地以外の人だと、どこにあるか分らなかった。というわけは、本物の建物は、地中深いところにあって、外からは見えなかった。ただその建物の出入口にあたるところが小さい塔になっていた。
 塔とはいうものの、たった三階しかなく、各階とも部屋の広さは五メートル平方ぐらい、屋上が展望台になって居て、柱に例の赤三角のついた旗がひるがえっていた。見渡すかぎり雑草のしげる凸凹平原の中に、こうした旗のひるがえる小塔のあることは、このあたりの風景をますます異様のものにした。
 赤三角研究団の団員は、どういうわけか、いつもたいてい防毒面のようなものを被ってこの荒蕪地を走りまわり、測量をしたり、煙をあげたり、そうかと思うと小型飛行機を飛ばしたり、時には耕作用のトラクターのように土を掘りながら進行する自動車を何台かならべて競争をするのだった。
 この赤三角研究団は、いったい何のためにこんなことをやっているのであろうか。
 さて赤三角研究団では、この頃又へんなことを始めた。例の荒蕪地の方々に大小さまざまな檻(おり)を建てたのである。そしてその中にさまざまな動物を入れた。馬や牛や羊はいうに及ばず、鶏や家鴨(あひる)などの鳥類や、それから気味のわるい蛇(へび)や鰐(わに)や蜥蜴(とかげ)などの爬蟲類(はちゅうるい)を入れた網付の檻もあった。早合点をする人なら、ははあここに動物園が出来るのかと思ったことであろう。ところが本当はそうでない。その証拠には、檻の傍にかたまっている研究団の人々の傍で話を聞いてみるのが早道である。
「どこまで進行したかね」
「もうあと、檻一つ出来れば、それで完了だ。全部で四十個の檻が揃うわけだ」
「もう一つ残っている檻って、何を入れる檻かね」
「第十九号の檻だ。チンパンジー(類人猿)を入れる檻だ」
「ああ、そうか。おいおい、瓦斯(ガス)の方は準備は出来ているかあ」
「出来すぎて、皆退屈しているよ、昼から野球試合でも始めようかといっている」
「ふふふ、えらく手まわしがいいね。もちろん瓦斯試験もすんでいるんだろうなあ」
「大丈夫だとも、何なら野球場だけをR瓦斯で包んで、その瓦斯の中で野球をしようかといっている」
「だめだ、R瓦斯を出しちゃ。瓦斯放出は今日の午後三時からということになっているから、厳格に時間を守るように。そうでないと思い懸けない事件が起ると、責任上困るからなあ」
「僕達は全部マスクをつけているからいいではないか」
「ああ、僕達はいいが、村民でまだ引揚げない連中もあるだろう」
「しかし、放送で再三注意しておいたからねえ、“この地区では瓦斯実験を行うので危険につき今日の正午以後翌日の正午まで立入禁止だ”と繰返し注意を与えてある。だから、このへんにまごまごしている者はいないよ」
「だが、念には念を入れないといけない。とにかくR瓦斯の放出時間は午後三時だ。それより早くは、やらないからそのつもりで……」
 この会話によると、この地区一帯に、本日の午後三時以後R瓦斯がまかれるらしい。R瓦斯というのは、或る学会雑誌に出ていたが、それは元々この地球にはなかった瓦斯であり天文学者が火星にこのR瓦斯なるものがあることを報告したのに端を発し、この地球でも研究資料としてR瓦斯の製造が始まったのだ。R瓦斯は地球生物にどんな影響を与えるか。それについてこの赤三角研究団が今研究を始めているのであった。今回は、一般動物だけに限り、人間に対しては行わない。それは人間に対して行うにはまだ危険の程度が分らないからであった。今回の動物実験がすんだ上で、次回には更にあらゆる準備をととのえ、人間を試験台にすることとなっていた。今まで室内で研究した結果によると、モルモットなどは非常に強く作用して、顔をゆがめ転げまわって悶々とするそうだ。そして一時間後には死んでしまうという。この瓦斯は、今日は非常に重くし、試験地区以外へは移動しないように注意されていた。
 さて時刻はどんどん過ぎていって、いよいよ午後三時となった。それまでに、この広い試験地区内は念入りに人間のいないことがたしかめられた。いるのはマスクをつけた団員と、四十個の檻の中に入っている動物だけであった。団員はその日瓦斯が放出されたら、動物の生態を調べる仕事や、またその瓦斯の中で発電機をまわしたり、エンジンをかけたり、喞筒(ポンプ)を動かしたりの重要な仕事を持っていて、今日は総出でやることになっている。
「もうすぐ瓦斯を放出するが、街道の方をよく気をつけているんだぞ。自動車がやって来たら、すぐ停めて他の道へまわってもらうんだ」
「はい、よろしい」
 間もなくR瓦斯は、十五台の自動車に積んだタンクから濛々(もうもう)と放出された。黄(き)いろ味(み)を帯びたこの重い瓦斯は、草地をなめるようにして静かにひろがって行った。やがて檻を包み、岡を包み……あっ、たいへん、その岡の蔭から一台の牛乳配達車がふらふらと現われた。大きな箱に、乳をしぼられる牝牛の絵、そして貼付けられたる牛頭大仙人の大文字。これぞ間違いなく彼の山木、河合、張、ネッドの四少年の乗っているぼろ自動車であった。なぜ今頃、岡の蔭から現われたのか、彼等の自動車は何も知らないと見え、黄いろ味を帯びた雲のような瓦斯の固まりの中へずんずん入って行く。さあ、たいへんなことになった。


   瓦斯(ガス)中毒


 四少年の自動車にはラジオ受信機が働いていないことが、この椿事(ちんじ)の原因だった。ラジオを聞いて注意していれば、こんな間違いはなかったのだ。受信機は一台積みこんであったが、牛頭大仙人の占い用として転用したので、今はラジオが聞けない状態となっていたのだ。
 しかも四少年の自動車は、昨日の夕方ちょうどこのあたりで大峡谷が遠望出来るようになったので大喜び、道もないこの原野へ自動車を乗入れたのだ。そして岡の中腹に大きな洞窟(どうくつ)があるのを見つけ、その中に車を乗入れ昨夜はそこで泊ったのである。それから今日の朝を迎えたが、すぐ出発は出来なかった。それはエンジンの調子が悪くなったからだ。何しろ古いおんぼろ自動車のことだから、エンジンを直すといっても簡単にはいかない。たいへん手間がとれて出発は午後三時となったのだ。
 この間、研究団員も、この洞窟の中まで点検には入って来なかった。いくら物好きでも、まさかこんな奥深い中に人間が隠れていようとは思わなかったからである。
 少年たちの自動車は、ゆうゆうと黄いろ味がかったR瓦斯(ガス)の雲の中を徐行して行く。なにしろ石ころが多いために、車が走らないのであった。
 研究団員が、この牛乳配達車を見つけるまでに約十五分ばかり時間がたった。それを見つけた団員ビル・マートンはおどろいた。彼は早速このことを本部へ知らせると共に、そこに居合わせた同僚五名に直ちに仕事を中止させ、そして全員を自動車に乗せ、あの牛乳配達車のいる方向へ向って飛ばしたのだった。
 この車が現場に到着したときは、牛乳配達車の方は、岩の上には車輪をのしあげ、ぐらりと左に傾いたまま停車していた。車はこうして、じっとしていたが、じっとしていないのは人間の方だった。四少年は、山木も河合も張もそしてネッドも、岩石散らばる荒蕪地の上を転々として転げまわり、そしてはははは、ひひひひと笑い転げていた。いったい何がおかしいというのであろうか。
 そこへ自動車を乗りつけ、車から降りたビル・マートンを始め六名の団員は、雑草と岩石の上を転げまわって笑う四人の少年の姿をうちながめ、一せいに表情をかたくして、その場に立ちすくんだ。
 やがてマートンが叫んだ。
「ああ、大きな手ぬかりだった。この人たちは危険なR瓦斯を吸ってしまったのだ。そしてこの通り苦しんでいる」
「苦しんでいるのじゃないよ。おかしくて仕方がないという風に、笑い転げているんだ」
「ちがうよ。おかしくて笑っているのではないよ。おかしくもないのに笑っているのだ。R瓦斯の中毒なんだ、こうしてひどく笑い転げるのは……。さあ、この人達を僕たちの車にのせて病院へ連れて行こう。早くしないと、この善良にして不幸な人達は、笑い疲れて死んでしまうだろう。さあ、手を貸せ」
「よし。じゃあ大急ぎだ」
「おや、これは子供だね。東洋人だ」
 こうして山木たちは、マートン青年たちの手によって現場からはこび去られた。車上でも、山木たちは、はあはあひいひいと笑いもがき、それをそうさせまいと思っておさえつけるマートンたちの努力はたいへんなものだった。
 本部の地下室にある医務室へ、四人は一旦収容せられたが、そこに居合わせた医務員は四少年の病状を見て、
「これはなかなかの重態だ。ここに置いたのではうまく手当が出来なくて、危篤に落入るかもしれない。これはどうしても、サムナー博士の居られる本館病院へ送りつけないと、安心がならない」
 といって、ここでは十分の治療ができないことをはっきりさせた。そこでマートンたちは、笑いまわる四少年を再び車に乗せて、サムナー博士の居る本館病院へと移動させたのであった。
 本館というのは二十五粁(キロ)ばかり西北方へ行った地点にあり、コロラド大峡谷を目の前に眺める眺望絶佳な丘陵の上にあった。それは一つの巨大なる塔をなしていた。しかもその塔は、西の方へかなり傾斜して、十度まではないが八度か九度は傾いていた。まるで魚雷が不発のまま突き刺さったような恰好である。そして小さい丸い窓が、点々としてあいているが、その窓の大きさは塔全体から考えると非常に小さく、どこか八つ目鰻(うなぎ)の目を思わせるところがあった。
 塔の上は、天文台の屋根のように、半球を置いたような形をしていた。その外に、旗をあげるのにいいような斜桁(しゃこう)や、超短波用らしいアンテナが三つばかりあり、まるで塔がかんざしを刺したような形に見えた。
 マートンたちの自動車は、この塔の中に吸い込まれるようにして見えなくなった。がそのとき自動車が塔にくらべてたいへん小さく見えた。まるで赤いポストの方へ向って豆が転っていったほどであった。塔はすこぶる巨大なのであった。塔の全部をまっ赤に塗った巨塔が、丘陵の上に傾いて立っているところは何となくものすごく、そして不気味で、この土地に慣れない者はあまり永くこの塔を見ていられないといっている。
 この塔は何か。サムナー博士のいる病院があることは分っているが、病院だけではないのだ。団員たちは「本館」と呼んでいるが、本館とだけでは分らない。
 さてその詳しいことは、これから述べることにしよう。


   巨大な斜塔


 あぶないところで、四少年は生命をとりとめた。あのまま濃厚なR瓦斯(ガス)の中に二三時間放っておかれたら、死んでしまったことであろう。
 サムナー博士は、この瓦斯をよく知っているのでこの四人の少年をうまく治療している。それでも、四少年がここへ収容されてから、笑いがとまるまでには六時間もかかった。
 笑いはとまったけれど、四少年の健康は元のとおりになったわけでない。まだしきりに痙攣(けいれん)がおこる。もう声をたてて笑うようなことはないが、痙攣がおこると、顔がひきつったり、手足がぴくぴく動いたりするので、歩くことも出来ず、ベッドの上に寝ているより外(ほか)なかった。
 二週間たった或る日サムナー博士は午前の診察で、四少年をいつもよりは非常に詳しく診察した。その上で次のようなことをいった。
「君たちは、今日診たところでは、まず中毒から直ったものと思う。今日から君たちは、自由にどこでも歩いていっていい。しかしどこを歩いてもいいといっても、本館から外に出ることはまだ許されない。というのはあの瓦斯の影響はまだよく分っていないために、いつまたこの前のような症状になったり、重態に陥ったりするか分らないのだ。それでこの本館にさえいてくれれば、いざというときには私が直ぐかけつけて手当をしてあげられるわけだから、ぜひこの本館に停(とど)まっていてもらいたいのだ。幸い、君たちの目的であったコロラド大峡谷は、本館の屋上へ登れば、手にとるように見えるわけだから、当分そんなことで辛抱してこの本館に停っていてもらいたい」
 博士は、かんでふくめるように、少年たちに説明したので、皆はよく分った。そして博士が、もう帰っていいというまでは、この建物の中で暮すことを承知した。
 その日から、四人の少年たちは、始めはおずおずと、病室から外に出た。そして長い廊下や、曲ってついている階段を歩いたり、娯楽室や食堂へ入ったり、それからまた、盛んに仕事をしている実験室をのぞいたり、ずっと下の方にあるエンジン室では目をぱちくりしたり、いろいろと愕(おどろ)いたりうれしがったりすることが多かった。
 中でも四人の少年たちを喜ばせたものは、塔の上から風景絶佳のコロラド大峡谷を眺めることだった。絵にかいたようだというが、それ以上にうるわしい風景だった。そして一日のうちに、大谿谷はいくたびも違った顔をしてみせた。すがすがしい朝の風景、真昼になってじりじりと岩が燃えるような男性的な風景、巨岩にくっきりと斜陽の影がついて紫色に暮れて行く夕景などと、見るたびに美しさが違うのであった。四人の少年は、声もなく大谿谷の美にうたれて、時間の過ぎ行くもしらず塔上に立ちつくすのであった。
 一週間は夢のように過ぎた。さすがに四人の少年は、この本館内での生活に退屈を感ずるようになった。博士に、それとなく聞いてはみたが、当分ここから出してくれそうもない。困ったことである。夏休みはもう何日も残っていないから帰りたいといったところ、博士は学校の方には通知を出しておいたからすっかり直るまでここにいていいのだと答えた。それではもう仕様がない。
 或る日、ネッドが顔を輝かして、仲間のところへ戻ってきた。四人の少年の乗って来た牛乳配達車が、この本館の或る部屋にちゃんとしまってあるのを見付けたというのである。
「そうか。それはいいものを見つけたね。すぐ行ってみよう」
「すっかりそのことは忘れていたね」
 四人の少年は、にわかに元気づいて、ネッドを案内に先立たせ、その部屋へ行ってみた。そこは地階七階にある倉庫の一つであった。彼等の自動車の外にも、乗用車やトラックが入れてあった。少年たちはその方にはちょっと目をやっただけで、あとは懐しい箱車の上によじのぼり、まだ罎詰などがたくさん残っている箱車の中に入ったりした。
 こうして自分たちのぼろ車のところで遊んでいると、ふしぎに退屈しなかった。それで一日のうち何時間はここで遊ぶことに相談がまとまった。但しそれを看護婦なんかにいうと叱られるかもしれないので、ここで遊ぶことは内証にして置くことに決めた。
 そういうことが、また次の大事件に関係する原因になるとは露知らぬ四少年だった。


   地階の窓


 地下七階にあるこの倉庫に四名の少年が集まると、必ず自分たちの身上がこれからどうなるのか、またこの巨塔は何だろうかということについて論じ合うのが例であった。
 その謎は深い。毎日のように論じ合っても、その謎は解けなかった。
 山木が張(チャン)をからかっていった。
「こうなったら、牛頭大仙人の予言をつつしんで承るより方法がないよ。おい牛頭の仙ちゃん、一つ水晶の珠で占っておくれよ」
「だめ、だめ。僕に占いなんか出来やしないよ」
 牛頭大仙人で村人を黒山のように集めたときの元気はどこへやら、張少年は赤くはにかんで隅っこへうずくまる。
「だめなことはないよ。じゃあ僕が水晶の珠を持ってくるから、君は占いたまえ」
 ネッドが立上って、傍にほこりだらけになっている牛乳配達車の箱の中へ入っていった。
「だめ、だめ。ほんとうは、僕は占いなんかできやしないんだ」
「ふふふふ、張君がほんとうのことを白状したぞ。占いや予言なんて、あれはでたらめにきまっているさ。僕は前から知っていた」
 と、小さい技師の河合がいった。
「そうもいえないよ」と山木が反対した。
「占いは、一種のたましいの働きなんだ。だからたましいを小さいピンポンの球のように固めることができる人は占いができる人だとさ。張君は、それができるんだろう」
「そういわれると、僕にも思いあたることがあるよ、ときによると、僕のたましいはピンポンの球ぐらいに固まることがあるよ」
 と、張が、真面目な顔付で膝をのりだした。
「そうだろう。そういうときに占いをすればちゃんと当るのさ。そうそう、そのことを精神統一というんだ」
「うそだ、あたるもんか」
 と、河合はあくまで反対だ。
「そんなら、あたるかどうか、ここでやってみればいい、さあ水晶の珠を持ってきたよ」
 ネッドは、水晶の珠を張の前へ置いた。
「一体何を占うんだい」
「これから僕たちはどうなるか、それを占ってみな」
「よし、やってみるぞ」
 張は水晶の珠の前にあぐらをかき、それから両手を珠の方へぐっと伸ばし、目をつぶった。そうしたままで、張はしばらく眉の間にしわをこしらえ、むずかしい顔をしていたが、やがて目を大きく開いて水晶の珠を穴のあくほど見つめた。その大げさな表情を見ていた河合は、ぷっとふきだして笑いかけたが、山木がそれを見て河合の口を手でふたをした。
「しずかに……」
 そのとき張が、へんな声を出して喋りだした。
「……ああら、たいへん。僕たち四人の胸に大きな勲章がぶら下っているよ……」
「でたらめ、いってらあ」
 河合が山木の手の下から呼んだ。
「しずかにしないか、こいつ……」
 山木が河合の口をぎゅうとおさえた。
 と、張は、
「おやおやおや、景色が一変した。僕たち四人は、牛の背中にのって、ニューヨーク市のブロードウェイを通っているぞ」
「牛の背中にのって……」
 ネッドが目をまるくした。
「……紙の花片が、大雪のようにふってくる。五色のテープが、僕たちの頭上をとぶ。すばらしい歓迎ぶりだ……」
「うそだよ、そんなこと。僕たち四人がそんなすばらしい目にあう気づかいないよ。だって、僕たちは、おこずかいを貯めて、やっと自動車旅行をしている身分じゃないか」
 と河合が、山木の手を払っていえば、山木も、
「ふうん、話が少しお伽噺(とぎばなし)みたいだね」
 と、今はうたがいを持ったらしく、首をひねる。
 そのときだった。どこかでベルがけたたましく鳴りだした。と、人々のわめく声、つづいて乱れた足音が廊下をかけて行く。
「何だろう、あれは……」
「火事じゃないかな」
「火事じゃないだろう。映画が始まるんじゃないかな」
「よし、張君に占わせよう。さあ張君。占った。あのベルの音は、何事が起ったのか」
「さあ、困ったなあ」
「さあ早く早く」
 ネッドが水晶の珠を張の方へおしつける。
「まあ、待て、もっと落着かなくては……」
「そんなことは後にして、廊下へ出て、誰かに聞いてみなくちゃ……」
 と、河合は立って扉をあけようとした。そのときどすんと非常に大きい音が聞えたと思うと、部屋が今にも崩れそうに、震動した。河合は扉のハンドルをつかんだまま床の上におしつけられた。他の三人の少年たちは平蜘蛛(ひらぐも)のようにへたばった。と、次の瞬間には、部屋全体がきりきりきりと独楽(こま)のように廻り出した。室内にあった自動車同士が、はげしくぶつかり合い、ドラム缶がひっくりかえり、油がどろどろ流れだす。缶はがらんがらん転げまわる、少年たちはその下敷になるまいと逃げ廻る、いやたいへんなさわぎとなった。
 が、そのさわぎも二分間ほどで終り、あとは大体しずまった。ただ、床がたえずこまかい震動をつづけているのと、張ってある紐がゆらゆらゆれているのと、それからときどきぐいっと床が持上げられるように感ずるのと、それだけがいつものこの部屋とはちがっていた。しかしさっきのあの物音と震動とは一体何事であったのか。
 そのとき河合はようやく扉をひらくことに成功した。彼は廊下にとび出した。それに続いて三少年も、とび出した。
 廊下には人影がなかった。また人声もしなかった。静かでありながら、何だか様子がおかしい。
「おや、こんなところに窓があいている。今まで窓なんかなかったのに……」
 と、河合がいいながら、そのふしぎな窓のところまで行って、外をのぞいた。
「おやっ、たいへんだ。皆早く来い……」
 河合はのどが張り裂けるほどの声で、仲間をよんだ。ふだん沈着な彼は、一体何におどろいたのだろうか。とつぜんそこにあいた窓をとおして、彼は外に何を見たのであろうか。


   空飛ぶ塔


 窓硝子(ガラス)に四人の少年が、めいめいの顔をおしつけて、顔色も蒼白に言葉もなく、ぶるぶる慄(ふる)えている。八つの目は、遙かに下方に向けられている。下には美しいコロラド大峡谷の全景があった。
 ふしぎだ。夢を見ているのではなかろうか。地階の窓から、コロラド大峡谷の全景が見下ろせるはずがない。
 が、事実ちゃんとそれが見えているのだ。絵ではない。映画でもない。テレビジョンでもない。実景が見えているのだ。その証拠に村が見える。白い煙を吐いて走っている列車が見える。おお、四発の旅客機さえ見えるではないか、その飛行機は、窓のすぐ向うを飛んでいる――いや、今すれちがって見えなくなった。
 ふしぎだ。空中を飛んでいるぞ。それにちがいない。窓から外を見ていると……。だが、いつわれわれは飛行機に乗りかえたろうか。そんなことはない、ああ、そうだ。現にわれわれは、ちゃんと廊下に立っているではないか、本館の廊下の上に……。
 しかし、窓から外を見れば、どうしてもわれわれは今飛行機の中にいるとしか思われない。大峡谷の景色は、さっきから思えば、ずっと小さくなった。その代り、ずっと遠方までの広い風景が一望の中に入っている。ふしぎでならないが、さっきにくらべて、もうかなり高度が増したようだ。
「おい、どうしたんだろう」
「どうしたんだろうね」
「気が変になったんだろうか」
「僕たちが四人ともいっしょに気が変になるなんて、あるだろうか」
「変だ、変だ、どうしても変だ」
「変どころのさわぎじゃないよ。僕たちは、空中へ放りあげられたんだ」
 そういい切ったのは河合少年だった。さすがに彼は、このさわぎの中から一つの考えをまとめる力を持っていた。
「空へ放りあげられたって」
 山木も張もネッドも、同時にそう叫んだ。
「ほら、下をごらん。あそこに見えるのは地上だ。地上があんなに小さく遠くなっていく……」
「ほんとだ。で、僕たちはどうして空中へ放りあげられたんだろう」
 山木は早口で、河合にきく。
「さあ、分らないね、それは……」
「家ごと空へ放りあげられるというのは変じゃないか。飛行機は空を飛ぶけれど、家が空を飛ぶ話をきいたことがない」
「噴火じゃないかしら」
 ネッドが、ぶるぶる唇をふるわせながらいった。
「噴火。噴火して、どうしたというんだい」
「この塔の下に火山脈があってね、それが急に噴火したんだよ。だから塔が空へ放りあげられたんだ」
「そうかもしれないね。とにかくたいへんだ。そのとおりだとすれば、やがて僕たちは、えらい勢いで地上めがけて落ちていくよ。そして大地へ叩きつけられて紙のようにうすっぺらになるぜ。いやだなあ」
 と、のっぽの山木がさわぎだした。
「僕もいやだよ」とネッドも叫んだ。
「人間が紙のようにうすっぺらになっちゃ、玉蜀黍(とうもろこし)や林檎(りんご)や胡桃(くるみ)なんかのように、平面でなくて立体のものは、たべられなくなっちゃうよ」
「それどころか、僕たちは地上へ叩きつけられたとたんに、きゅーっさ。死んでしまうんだぞ」
「死ぬんか。ほんとだ。死ぬんだな。ちぇっ、張の占いなんか、さっぱりあたらないじゃないか。さっき君は僕たち四人が勲章を胸にぶらさげて牛に乗ってブロードウェイを行進するのだの、紙の花輪やテープが降ってくるんだのいったけれど、これから墜落して死んじまえば、そんないいことにあえやしないや」
「だから、僕の占いはあたらないといっておいたじゃないか」
「あーあ、困ったなあ」
 さっきから河合ひとりは黙りこんで、しきりに下界の様子と、どこからともなく聞こえてくる機械的な音に耳をすませていたが、このときとつぜん大きな声をあげた。
「そうだ。それにちがいない」
 他の三少年はおどろいた。
「おい河合君。どうしたのさ」
「分ったよ。僕たちは今、ロケットに乗っているのさ。ロケットに乗って空中旅行をしているんだよ」
「ロケットに乗って? でも、変だねえ。僕たちはロケットに乗りかえたおぼえはないよ。これは本館だからねえ」
「うん、これは本館さ、あの傾斜した巨塔さ。今空中を飛んでいるんだよ」
「そ、そんなばかなことが……」
「いや、それにちがいない。あの巨塔は、実はロケットだったのさ、半分は地中にかくれていたが、それが今こうして空中を飛んでいるのさ。だから地階の窓から外が見えるようになったわけだ」
 河合は大胆な解釈をつけた。
「へえっ、僕たちの住んでいた建物がロケットだって。それは気がつかなかったよ」
 皆はあきれ顔であった。


   意外な離陸


 河合の大胆な解釈は、大体において的中していた。それは、あれから一時間ほど後、四少年は廊下でビル・マートン青年にめぐりあい、意外な真相をきくことができた。そのマートン青年――いやマートン技師が、油だらけになった身体を二階廊下のベンチの上に横たえているそばを、四少年は通りかかったのである。少年たちに声をかけられ、マートンは大儀そうに上半身を起した。彼はたいへん疲れ切っていた。
「どうしたんですか、マートンさん」
 と、少年たちは彼をとりまいていった。
「ああ、君たちも逃げおくれた組だな」
 マートンは気の毒そうにいった。
「えっ、逃げおくれたとは……」
「おや、知らないのかね、君たちは……。
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