金属人間
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著者名:海野十三 

 服装は、蜂矢探偵を追いつめている針目博士のほうは、黒いラシャの古風(こふう)な三つ揃(ぞろ)いの背広をきちんと身につけているのに対し、あとからあらわれた針目博士の方は、よごれたカーキー色の労働服をつけていた。服はきれいではないが、小わきにりっぱな機銃(きじゅう)みたいなものを抱えている。
「動くと、これをつかうぞ。すると、金属はとろとろと溶(と)けて崩壊(ほうかい)する」
 あとからあらわれた針目博士が、はやくちに、だがよくわかるはっきりしたことばでいった。
「待て、それを使うな。わしは抵抗しない」
 始めからいた針目博士が、苦しそうな声で押しとどめた。もはや蜂矢探偵の頭上に、一撃を加えるどころのさわぎではない。かれ自身がすくんでしまったのだ。
「蜂矢さん。もうだいじょうぶだ。横へ逃げなさい」
 あとからあらわれた針目博士がいった。
 いったい、どっちがほんとうの針目博士であろうか。
 蜂矢探偵は、壁ぎわをはなれて、自由の身となったが、この問題を解(と)きかねて、あいさつすべきことばに困った。
「おい、金属Q。こんどは、廻れ右をして壁を背にして、こっちへ向くんだ」
 金属Q――と、しきりに、あとからあらわれた博士が呼んでいるのが、はじめからいた方の針目博士のことだった。――ほんとかしら――と、蜂矢は目をいそがしく走らせて見くらべるが、顔はよく似ていて、くべつをつけかねる。
 金属Qと呼ばれた方の博士は、しぶしぶ動いて壁に背を向け、こっちへ向きなおったが、とつぜん早口で叫んだ。それは、妙にしゃがれた声だった。
「きさまこそ、金属Qじゃないか。わしは針目だぞ、ごまかしてはいかん。しかし、わしは今、抵抗するつもりはない」
 頭に繃帯を巻いた方が、こんどは機銃みたいなものを抱(かか)えた方にたいし、金属Qよばわりをするのだった。これではいよいよどっちがほんものの針目博士だかわからなくなった。
「きみこそ金属Qだ。そんなにがんばるのなら、仮面(かめん)をはいでやるぞ」
 とあとからあらわれた博士が自信ありげにいって、蜂矢の名を呼んだ。
「なにか用ですか」
「そのニセモノのそばへ寄(よ)って、頭に巻いている繃帯(ほうたい)をぜんぶほどいてくれたまえ」
 と、機銃みたいなものを抱えている博士がいった。
「むちゃをするな、傷をしているのに、繃帯をとるなんて、人道(じんどう)にはんする」
 と、壁のそばに立っている方の博士が、すぐ抗議した。
「蜂矢君。早く繃帯をとってくれたまえ。繃帯をとっても、血一滴(ちいってき)、出やしないから心配しないで早くやってくれたまえ」
 蜂矢は、ふたりの博士の間にはさまって、迷(まよ)わないわけにいかなかったが、とにかく繃帯をといてみれば、どっちがほんものかニセかがわかるかもしれないと思い、ついに決心して壁の前に立っている博士の頭へ手をのばした。博士は何かいおうとした。がもうひとりの博士が、機銃みたいなものを、いっそうそばへ近づけたので、顔色をさっと青くすると、おとなしくなった。
 蜂矢は、その機(き)に乗(じょう)じて、長い繃帯をといた。なるほど、繃帯はどこもまっ白で血に染(そま)っているところは見あたらなかった。ただ、その繃帯をときおえたとき、博土の頭部(とうぶ)をぐるっと一まわりして、三ミリほどの幅(はば)の、手術のあとの癒着(ゆちゃく)見たいなものが見られ、そのところだけ、毛が生えていなかった。
 なお、もう一つ蜂矢が気がついたのは、額(ひたい)の生えぎわのところの皮が、妙にむけかかっているように見えることだった。そのとき、後からあらわれた博士の声が、いらだたしく聞こえた。
「蜂矢君。こんどは、その高いカラーをはずしたまえ」
「カラーをはずすのですね」
 はじめから博士の特徴(とくちょう)になっていたその高いカラーを、蜂矢は、いわれるままに、とりはずした。すると蜂矢探偵は、そこに醜(みにく)い傷(きず)あとを見た。短刀(たんとう)で斬(き)った傷のあとであると思った。いつ博士はこんな傷をうけたのであろうか。すると、またもや、あとからあらわれた博士がいちだんと声をはりあげて、蜂矢に用をいいつけた。
「つぎは、その男の面(つら)の皮(かわ)をはぎたまえ。えんりょなく、はぎ取るんだ」
「顔の皮をむくのですか」
 蜂矢は、おどろいて、命令する人の方をふりかえった。あまりといえば、惨酷(ざんこく)きわまることである。


   落ちた仮面


「わけはないんだ。それ、その男の額(ひたい)のところに、皮がまくれあがっているところがある。それを指先でつまんで、下の方へ、力いっぱいはぎとればいいんだ」
 なんという惨酷な命令だろうと、蜂矢は、この命令を拒絶(きょぜつ)しようと考えたが、ちょっと待った、なるほどそれにしてはおかしい額ぎわの皮のまくれ工合(ぐあい)だ。
(ははあ。さては……)
 と、かれはそのとき電光のように顔の中に思い出したことであった。もうかれは躊躇(ちゅうちょ)していなかった。いわれるままに、そのまくれあがった額のところの皮を指でつまんで、下へ向けてひっぱった。
 すると、おどろいたことに、皮は大きくむけていった。皮の下に、白い皮下脂肪(ひかしぼう)や赤い筋肉があるかと思いのほか、そこには、ごていねいにも、もう一つの顔面(がんめん)があった――蜂矢探偵の手にぶらりとぶら下がったものは、なんと顔ぜんたいにはめこんであった精巧(せいこう)なるマスクであった。
 そのマスクの肉づきは、うすいところもあり、またあついところもあり、人工樹脂(じんこうじゅし)でこしらえたものにちがいなかった。
 マスクのとれた下から出てきた新しい顔は、どんな顔であったろうか。
 それは針目博士とは似ても似つかない顔であった。頬骨のとび出た、げじげじ眉(まゆ)のぺちゃんこの鼻をもった顔であった。
「あッ」
 蜂矢探偵は、あきれはててその顔を見守った。
 はじめから、高いカラーをつけた針目博士を、怪しい人物とにらんではいたが、まさかこんな巧(たく)みな変装(へんそう)をしているとは思わなかった。
 しかもマスクの下からあらわれたその顔こそ、前に警視庁の死体置場から、国会議事堂の上からころがり落ちた動くマネキン少年人形の肢体(したい)とともに、おなじ夜に紛失(ふんしつ)した猿田の死体の顔とおなじであったから、ますます奇怪(きかい)であった。
 これでみると、蜂矢探偵をこの地下室へ案内した針目博士こそ、金属Qのばけたものであると断定して、まちがいないと思われる。怪魔金属Qは、議事堂の塔の上から落ちて死体置場に収容せられたが、夜更(よふ)けて金属Qはそろそろ動き出し、身許不明の猿田の死体の中にはいりこみ、そこをどうにか逃げ出したものらしい。そういうことは、金属Qの力と智恵とでできないことではない。その上で、彼はおそらくこの針目博士の地下室へもぐりこみ、そこで針目博士そっくりのマスクを作ったり、健康を早くとりもどすくふうをしたり、博士の古い服を盗み出して着たり、その他いろいろの仕事をやりとげたのであろう。
 まことにおどろくべき、そしておそるべき怪魔金属(かいまきんぞく)Qであった。
 こうして、始めにあらわれた針目博士の正体が金属Qであるとすれば、あとからあらわれた針目博士こそ、ほんものの針目博士なのである。そう考えて、この際(さい)まちがいないであろう。蜂矢は、その方へふりかえった。
「これでいいですか、針目博士」
 すると機銃(きじゅう)みたいなものを、なおもしっかり抱(かか)えている針目博士が、
「それでよろしい。どうです。わかったでしょう。かれこそニセモノであったのです。まったく油断もならぬ奴です。もともとわたしが作った金属Qですが、まったくおそろしい奴です」
 といって、博士は顔を青くした。
「どういうわけで、あなたに変装したのでしょうか。何か、はっきりした計画が、金属Qの胸の中にあるんでしょうか」
 蜂矢探偵は、そういってたずねた。
 あとになって考えると、蜂矢のこの質問は、あんまり感心したものでなかった。そんな質問はあとでゆっくり聞けばよかったのである。それは不幸なできごとの幕あきのベルをならしたようなものだった。
「それはですね。金属Qという奴は――」
 と、博士が蜂矢探偵の質問に答えはじめたとき、機銃のような形をした人工細胞破壊銃(じんこうさいぼうはかいじゅう)をかまえた博士に、ちょっと隙(すき)ができた。
 この人工細胞破壊銃というのは、その名のとおり、人工細胞にあてると、それをたちまちばらばらに破壊しさる装置で、強力に加速された中性子(ちゅうせいし)の群れを、うちだすものだ。かねて博士は安全のために、こういうものが必要だと思い設計まではしておいたのであるが、「生きている金属」を作る研究の方をいそいだあまり、実物はまだ作っていなかった。その後、金属Qがあばれるようになって、博士はかくれて、この人工細胞破壊銃の製作に一生けんめい努力したのだ。そのけっか、きょうの事件に間にあったのだ。
 が、今もいったように、博士の手許にわずかな隙ができたのだ。
「ええいッ」
 とつぜん金属Qが身をひるがえして、前へとびだした。そしてかれは、博士の抱えていた破壊銃の銃先(つつさき)を、力いっぱい横にはらった。
「あッ」
 と、博士が叫んだときは、もうおそかった。破壊銃は博士の腕をはなれて横にすっ飛び、旋盤(せんばん)の方をとび越して、その向うに立っていた配電盤(はいでんばん)にがちゃんとぶつかった。もちろん破壊銃は壊(こわ)れた。ガラスの部分がこなごなになって、あたりにとび散った。


   金属Qの始末


「なにをするッ」
 と、針目博士が、どなる。
「銃はこわれた。こうなりゃ、こっちのものだぞ」
 金属Qは、はんにゃのような形相になって、博士にとびついていった。
 大乱闘(だいらんとう)になった。ものすごい死闘(しとう)であった。金属Qの方が優勢(ゆうせい)になった。かれは、どこから出るのか、くそ力を出して、手あたりしだい、工具であろうと、器具であろうと、何であろうと取って投げつける。
 蜂矢探偵は、このすごい闘いの外にあった。かれはしばし迷った。仲裁(ちゅうさい)すべきであろうか、それとも針目博士に味方すべきであろうかと。
 針目博士は、はじめのうちは、器物(きぶつ)を投げることを控(ひか)えていた。しかし相手がむちゃくちゃにそれを始め、わが身が大危険となったので、博士はついに決心して、手にふれたものを相手めがけて投げつけた。もう一物のよゆうもないのだ。死ぬか、相手を倒すかどっちかだ。声をあげて蜂矢探偵に協力を頼むひまもない。
 ここに至って蜂矢探偵も心がきまった。
(ここはいちおう、正しい博士に味方して、仮面をはがれた相手を倒さなくてはならない)
 蜂矢探偵は、すぐ目の前の台の上においてある大きなスパナをつかんだ。それをふりあげて、金属Qになげつけようとした。そのとき遅く、かのとき早く、どしんと正面から腰掛(こしかけ)がとんできて、
「あッ」
 と蜂矢が体(たい)をかわすひまもなく、ガーンと彼の頭にぶつかった。かれは、一声うなり声をあげるとうしろへひっくりかえり、そのまま動かなくなった。
 それから、どのくらいの時間が流れたかわからないが、蜂矢はようやく息をふきかえした。ずきずき頭が痛む。それへ手をやってみると大きなこぶができていた。血もすこし出ていた。しかしたいしたことではないようだ。
 蜂矢はふらふらと起きあがった。
 その気配(けはい)を聞きつけたか、部屋の一隅(いちぐう)から声があった。
「ああ、気がついたかね、蜂矢君」
「やッ」
 蜂矢は、どきんとしてその声の方を見た、そこには針目博士がいた。博士は頭部にぐるぐると繃帯を巻いていた。その正面のところは赤く血がにじんでいた。
「安心したまえ、怪物は、とうとうくたばったからね」
 そういって博士は、自分の前を指さした。そこには、れいの金属Qが倒れていた。
「死んだんですか」
「いや、まだ油断がならない。金属の本体を取り出して、始末しないうちは、ほんとうの意味で金属Qは死んだとはいえないのだ、今それを始末するところだ。きみは見物していたまえ」
 そういって博士は前かがみになって、たおれた人の頭のところでごそごそやっていたが、やがてうす桃色をしたぐにゃりとしたものを両の手のひらにのせて、部屋のまん中へ出てきた。それは脳みたいなものであった。
「それは何ですか」
 と、蜂矢はたずねた。
「この中に、金属Qの本体がはいっているんだ。はやいとこ、これを焼き捨てる必要がある。そうでないと、金属Qはまた生きかえってくる。生きかえられたんでは、また大さわぎになる」
 博士は、大きな硬質ガラス製のビーカーの中に、そのぐにゃりとしたうす桃色のものを入れた。それからガスのバーナーに火をつけ、その上に架台(かだい)をおき、架台の上に今のビーカーを置いた。
 それから博士は、薬品戸棚のところへ行った。
 博士が、棚から薬品のはいった瓶を三つも抱えてもどってくるまでの少しの時間に、蜂矢は部屋の隅にたおれている人のようすを知るために、その方へ目を走らせた。その人は、もちろんしずかに伸びていた。そしてその頭部が開かれ、頭骸骨がお碗(わん)のようになって、中身が空虚(くうきょ)なことをしめしていた。
 怪金属Qがやどっていた肉体は、ふたたびもとの死体に帰ったのである。
 ぱっと茶褐色(ちゃかっしょく)の煙があがった。れいのビーカーの中である。博士が、液体薬品のはいった瓶の口をひらいて、ビーカーの中へそそぎこむたびに、茶褐色の煙が大げさにたちのぼるのだった。金属Qがはいっているという脳髄は、ビーカーの中で、沸々(ふつふつ)と沸騰(ふっとう)する茶褐色の薬液(やくえき)の中で煮られてまっくろに化(か)していく。
「これでいい、もうこれで、金属Qは生存力を完全にうしなった。やあやあ、骨を折らせやがった。おお、蜂矢君。もう安心していいですぞ」
 博士は、そういって、蜂矢の方へにやりと笑ってみせた。
 そのときであった。この部屋の戸が外からどんどんと、われんばかりにたたかれた。
「あけろ、あけろ、検察庁の者だ」
 長戸検事の声らしいものもまじっている。


   大会見


「おおッ……」
 博士は、その場にとびあがり、おどろきの色をしめした。そしてさッとからだを壁ぎわにひいて、乱打(らんだ)されている戸をにらみつけた。
 蜂矢は、博士がいやにおどおどしているのを見て、気のどくになった。
「針目さん。心配しなくてもいいですよ。長戸検事たちがきてくれたのでしょう」
「わたしは、なにも心配なんかしていない。しかしなぜ今ごろ、長戸検事がこんなところへ来たのか、わけがわからない」
 博士は口ではそういったが、蜂矢の目には、博士がやっぱり胸をどきどきさせているように思われた。
「わけはわかっているのです。さっきぼくが、ニセの針目博士にここへつれこまれるのを小杉少年が見ていて、いそいで検事に知らせたのでしょう。それで検事がぼくを助けにきてくれたのですよ。戸をあけてもいいですか」
「ふーん」
 針目博士は、しばらくうなっていたが、
「それなら、戸をあけてよろしい。しかしこの部屋の中で、わたしにことわりなしに、勝手なことをしないように誓わせておくんだな。でなければ、わたしはすぐさま検事たちを追いだすから、そのつもりで」
 と、きびしく申しわたした。
 蜂矢は、うなずいて、戸のところへ行って向う側へ声をかけ、やはり長戸検事たちであることをたしかめたうえで、かけ金(がね)をはずして戸を開いた。
「やあ、先生。よく生きていてくれましたね」
 まっ先にとびこんできたのは小杉少年であった。少年は蜂矢の胸にとびついて、喜びに目をかがやかした。
「よう、蜂矢君。どうしたんだ」
 そのうしろに長戸検事の緊張した顔があった。ことばつきはやさしいが、蜂矢と室内をかわるがわるにながめて、一分のすきもなかった。
 そこで蜂矢は、かいつまんで、この部屋へはいってからの、いきさつを説明した。そして、
「……そういうわけで、怪人Qは、それの製作者であるところの針目博士の手で、あのとおり焼きすてられたのです。どうか、くわしいことは博士にたずねてください。しかしですね、博士はいま、かなり興奮しているようですから、腹をたてさせないように気をつけたがいいですよ」
 と、かれとしての説明を終った。
 そこで針目博士と長戸検事の会見となったわけであるが、検事はよく蜂矢の忠告を守って、ひきつれてきた部下たちをしずかに入口にならばせておくだけで、捜査活動は自分ひとりでやることにした。
「ずいぶん、しばらくお目にかかりませんでしたなあ、針目博士」
「そうでした、そうでした。で、きょうは何用あって、ここへきたのですか」
 博士はすぐ質問の矢をはなった。
「それは、あなたにお目にかかって、怪人Q事件について、最初からもう一度、説明をしていただくためです。われわれは正直に告白しますが、これまでの捜査はみんな失敗でありました。それに気がついたので、いままでの努力を惜しいが捨てまして、はじめから出直すことにきめたのです。おいそがしいでしょうが、もう一度われわれの相手になっていただきたい」
 と、長戸検事は、むきだしにのべて、博士にたのみこんだ。
「わたしはいそがしいんで、頭のわるい検察当局の尻(しり)ぬぐいなんかしていられないのです。わたしを待っている重大な問題がたくさんある――いや、これはすべてわたしの研究に関する問題のことであって、しゃばくさい刑事のことじゃありませんよ。だから、わたしとしては、きみの申し入れをおことわりするのが、あたりまえだ。だが、せっかく来たことでもあるし、わたしもたいへんやっかいにしていた金属Qが、あのとおり完全に分解して、生命を失ったことゆえ、みじかい時間ならばきみの申し入れをきいてあげてもよい。できるだけかんたんに、ききたいことをのべたまえ。われわれの会話は、十五分間をこえないのを条件とする」
 博士は、いやに恩にきせて、長戸検事の申し入れをきいてやるといった。
「では、さっそくお願いしましょう。議事堂の塔の上から落ちて、からだがバラバラになったマネキン人形がありましたが、あれにも怪金属Qがついていたのでしょうか」
「わかりきった話です。Qがあのマネキン人形を動かしたんでなければ、マネキン人形があんなにたくみに動くことはない」
「すると、文福茶釜(ぶんぶくちゃがま)となって踊ってみせたのも、やっぱりQのなせるわざですか」
「それも明白(めいはく)。あの二十世紀文福茶釜、じつはアルミ製の釜だが、あの中にQがまじっていたのです。そうでなければ、釜が踊ったり綱わたりができるものではない」
「なるほど、では、なぜQが茶釜になったのですかな」
「針目博士邸――いやこの研究所からとび出したQがねえ、きみ、道ばたで、アルミの屑(くず)かなんかをふとんにして寝ていたんだ。Qは金属だから、金属をふとんにしたほうが気持よく眠られる。そこで寝ていたところを、人がひろって屑金問屋へ持っていったんだ――いったんだろうと思う。Qは金属がたくさん集まっているので、いい気になって、その中に寝てくらしているうちにある日、熔鉱炉(ようこうろ)の中に投げこまれ、出られなくなった。そのうちに、鋳型(いがた)の中につぎこまれ、やがて、かたまってお釜になっちまった。そうなると出ることができない。やむをえず、文福茶釜を神妙につとめたんだというわけ。そんなところだろうと思う」
 博士は、まるで見てきたように、かたってきかせたのであった。もう時間は残りすくない。


   Qの興奮(こうふん)


「文福茶釜が綱から落ちてこわれたのはどういう事情でしょう。あれは博士が何か器械をつかって茶釜を落としたといううわさもありますがね」
「そのとおり、博士、いやわしは、見物席にまじっていて、Qの運動の自由をうばう特殊電波を茶釜にむけて発射した。そこで茶釜は落ち、こわれてしまったというわけ。わしはあんなあやしげな見世物(みせもの)を、一日も早くなくしてしまわないといけないと思って、思いきってそれをやったのだ」
「あなたが、その場からお逃げになったのはどういうわけです。逃げなければならない理由はないと思いますがね」
「なあに、あの場でわあわあさわがれるのがいやだったからだ。それにわしは――わたしはぼろ服をまとって変装していたのでね。新聞記者にでもつかまれば、いいネタにされてしまうから、こいつは逃げるにかぎると思って逃げたんだ」
 博士の説明は、水を流すように、よどみがなかった。
「まあ、それで――茶釜がこわれたので、Qは解放されて、自由に動きまわれるようになったのですね」
「そのとおりだ。それでマネキン人形をつけて、それをあやつるようになったんだが、その途中Qは、じぶんのからだの一部分が欠けていることに気がつき、それを一生けんめいにさがしてあるいた形跡がある。そこにいる蜂矢君のところへも、Qはおしかけたようだ。そうではなかったかね、蜂矢十六先生」
 さっきから蜂矢十六は、検事と博士を底辺(ていへん)の二頂点(にちょうてん)とする等辺三角形の頂点の位置に腰をかけて、からだをかたくして聞いていたが、とつぜん博士に呼びかけられて、はっとわれにかえった。
「ああ、そんなこともありました。博士のおっしゃるとおりです」
 博士はまんぞくそうにうなずいた。
「なぜ、Qはここから逃げ出したのでしょうか、ここにいれば一等安全でもあり、おもしろい目にもあえるし、博士からもかわいがられたでしょうに。どうしてでしょうか」
 と、長戸検事は、博士が息つくひまもないほど、すぐさま質問の矢をはなった。もうあと一分間ばかりで、約束の時間がきれる。
「それはきみ、すこしちがっているよ。Qはここにおられなくなったんだ。かれは殺人をやって、ひどく興奮したんだ。その殺人は、かれが計画したものではなく、ぐうぜん、若い女を殺してしまったので、かれの興奮は二重になった。そこへ警官がのりこんでくるし、かれはいよいよあわてた、かれは生きものなんだから、そのように興奮したり、あわてたりするのは、あたりまえだ。そうだろう」
「ごもっともなご意見です」
「かれはね、Qとして生命をえて、うれしくてならない。第二研究室の中で、ひとりぴんぴんとびまわっていたのだ。このときわしは二つの失策をしている。一つは、Qがそんなに活動的になっていることを知らなかったんだ。まだまだ、クモがはうぐらいのものだと思っていた。ところが実際は、Qは三次元空間(さんじげんくうかん)を音よりも早くとびまわることができたんだ」
「なるほどなあ」
「よろしいか。それから二つには、わしはうっかりしていて、かれQがかぎ穴から抜け出せるほど小さくて細長いからだを持っていることを考えずにいたんだ。だから、ある夜、Qはかぎ穴から外に広い空間があることに気がつき、かぎ穴から抜け出したのだ。つぎの室にはわしがいたが、ちょうど文献(ぶんけん)を読むことに夢中になっていたので、Qはそのうしろを抜けて、戸のすき間から廊下へ抜け出した。わかるだろう」
「ええ、よくわかりますとも」
「それからお三根(みね)さんの部屋へはいりこんだ。めずらしい部屋なので、Qはよろこんで踊りまわっていると、お三根が寝床(ねどこ)から起きあがった。水を飲みに行くつもりか、かわやへ用があったのか、とにかく起きあがったところへ、Qがとんでいってお三根ののどにさわった。Qのからだはかみそりの刃(は)のようにするどいので、お三根ののどにふれると、さっと頸動脈(けいどうみゃく)を切ってしまったのだ。思いがけなく、Qは人間の死ぬところを見て興奮した。そして、朱(あけ)にそまって死んでいくお三根のまわりを、なおもとびまわったので、お三根のからだのほうぼうを傷つけた。どうだ。わかるかね」
「よくわかります。それだけよくごぞんじだったのに、あなたはなぜはじめに、そのことをわれわれに説明してくださらなかったのですか」
「おお……」
 と、博士はうめいた。
「これは最近になって、わしがつけた結論なんだ。事件当時には、わしもあわてていて、なにも判定することができなかったんだ」
 博士の話は、なかなか鋭いところをついていた。思いがけない殺人に、みずから興奮してあわてたQは、お三根の部屋でうろうろしているうちに、すっかり疲れてふとんのすそに眠ってしまったところを、川内警部がぎゅうと踏みつけたので、Qはおどろいて目をさまし、とびあがった。そのときかみそりのように鋭いQが、警部の左の足首にさわったので、さっと斬ってしまったのだ。
 Qはいよいよおどろき、戸口から廊下へとび出し、もとの研究室へひきかえした。そのとき田口警官が、廊下をこっちへやってくるのとすれちがった。すれちがうとたんに、Qは田口の右ほおにさわって斬ってしまった。
 そこでQはますますあわて、その建物から外へとびだした。そうして人に拾われるようなことになったのだ。
 と、博士は見ていたように、話をしたのである。
 その話の間に、約束の時間は過ぎてしまった。だが博士は、それに気がつかないのか、しゃべりつづけた。興奮の色さえ見せて、かたりつづけたのであった。


   大団円


「おどろきました、感じいりました」
 と、長戸検事は厳粛(げんしゅく)な顔になっていった。
「あなたはどうしてそこまで、おわかりになったのでしょう。Qをお作りになったのは、あなたであるにしても、Qの行動をそこまでくわしく知る方法とか器械があるのでしょうか」
 博士は、はっとしたようすだった。きゅうにふきげんになった。そして腕時計を見た。
「おお、もう約束の十五分間は過ぎている。会見は終りにします。これ以上、なにもしゃべれません。さあみなさん、出ていってもらいましょう。はじめからの約束ですから」
 だんだんと語勢(ごせい)を強くして、博士は手をあげ、戸口(とぐち)を指した。
「わたしのいまの質問は、いちばん重要なものですから、きょうの会見のさいごに、それだけはお答えください」
 検事は、くいさがる。
「おたがいに約束は守りましょう。さあ、いそいで帰ってください」
 と、博士は、ますますこわい顔つきになって、検事をにらみすえた。
「まあ、もうしばらく待ってください。博士、もしあなたがこの答えをなさらないと、あなたは不利な立場におかれますが、かまいませんか」
「答えることはしない。何者といえども、わしの仕事をじゃますることをゆるさない。じゃまをする者があれば、わしは実力を持って容赦(ようしゃ)なくその者を、外へたたき出すばかりだ」
 博士の全身に、気味のわるい身ぶるいが起こった。
 蜂矢十六は、このとき検事のうしろに、ぴたりと寄りそって、なにごとかを検事に耳うちした。それを聞くと検事は夢からさめたような顔になって、うなずいた。検事は、博士に向かって、ていねいに頭をさげた。
「たいへん失礼をしました。おゆるしください。それでは、わたしどもはこれでおいとまいたします。また明日、五分間ほどわれわれに会っていただきたいと思いますが、いかがですか」
「ばかな。もう二度ときみたちの顔を見たくない。早く出ていくんだ」
「ああ、たった五分間です。それも博士のご都合のよろしい時刻をいっていただきます」
「いやだ。帰りたまえ」
「すると明日はご都合がわるいのですかな。どこかお出かけになりますか」
「よけいなことを聞くな」
「では、明後日にどうぞお願いします」
「じゃ、明日会うことにしよう。午後二時から五分間、時刻と面会時間は厳守(げんしゅ)だ」
 とつぜん博士が態度をかえて、いったんことわった明日の会見を約束した。検事はほっとした。
 博士もなんとなくなごやかな顔にもどった。
「では、失礼しましょうや、長戸さん」
 蜂矢がうながした。博士に一礼すると、カバンを抱(かか)えるようにして、戸口から外へでた。
 さて、その翌日のことだったが、きのうとおなじ顔ぶれの長戸検事一行が、針目博士邸(はりめはくしてい)へ向かった。もちろんその中に蜂矢探偵もまじっていた。その蜂矢は、いつになく元気がなかった。
「おい、蜂矢君。どうしたんだ。元気をだすという約束だったじゃないか」
 気になるとみえ、長戸検事は蜂矢のそばへ行って肩を抱えた。
 蜂矢は苦笑した。
「どうもきょうは調子が出ないのです。ぼくだけ抜けさせてもらえませんか」
「それは困るね。ここまでいっしょにきたのに、いまきみに抜けられては、おおいに困るよ」
 と、検事はいって、蜂矢の顔をのぞきこんだが、蜂矢はほんとうにすぐれない顔色をしているので、検事はきゅうに心配になって、
「うむ、蜂矢君。抜けていいよ。早く帰って寝たまえ。あとから医務官(いむかん)を君の家へさし向けてあげる」
 といって、蜂矢が一行とはなれることをゆるした。そこで蜂矢はとちゅうからひきかえした。
 ところが、検事一行が博士の門の手前、百メートルばかりのところまで近づいたとき、
「おーい、おーい」
 と後から呼ぶ者があった。一同が振り返ってみると、いがいにも蜂矢が追いかけてくるのだった。
「どうした、蜂矢君」
 蜂矢は息を切って、さっきかれひとりが抜けようとしたことをわびた。そしてかれのせつなる願いとして、午後二時五分過ぎまでは、ぜったいに博士邸に、はいらないことにしてくれといった。検事はおどろいて、その理由の説明を蜂矢にもとめた。
「なにも聞かないで、二時五分まで待ってください。なんにもなかったら、そのときはぼくはあなたがたにあやまってわけを話します」
 検事は、蜂矢を笑おうとしたが、思いとどまった。そして部下たちとともに、博士邸の門から三十メートルほど手前の空地(あきち)にはいって、休憩をとった。
 おそるべき事件が、午後二時を数秒まわったときに発生した。
 それは第二の爆発事件だった。天地のくずれるばかりの音がして、博士邸からはものすごい火柱が立った。もし一行が、博士に約束したとおり、その時刻、博士の研究室にはいっていたとしたら、どうであろう。長戸検事以下の警官たちも蜂矢十六も、一瞬にして貴重な生命をうばい去られたことだろう。
 いったい何故(なにゆえ)に第二の爆発が起こったのであろうか。それは前回のものよりもはるかに強烈なるものであって、博士邸をまったく粉砕(ふんさい)してしまったのをみても、そのはげしさがわかる。事件後焼跡(やけあと)に立った一同は、カッパのような顔色にならない者はなかった。
 ふしぎにも針目博士はすがたをあらわさなかった(いや、その後も博士は引き続いて、すがたをあらわさないのだ)。前日より、いささか考えるところがあって、ひそかにこの邸のまわりに私服警官数名を配置し、博士の行動を監視させておいた。ところが、かれら監視当直の者の話では博士はずっと邸内にとどまっていたらしく、けっして外出しなかったそうである。
「蜂矢君。きみはどうしてこんどの爆発を予知したのかね」
 検事は、うしろをふりかえって、生命(せいめい)を拾うきっかけを作ってくれた探偵にたずねた。
「わかりませんねえ。ただ、さっきはきゅうに気持が悪くなったんです。いまはなんともありません。これは一種の第六感ではないでしょうか」
「きみの第六感だとね。なるほど、そうかもしれない」
 いつもならまっこうから、ひやかす長戸検事が、笑いもせず、そういってうなずいた。
「とにかくきみもぼくも、きのう博士をうさんくさい人物とにらんでいたことは、意見一致のようだね。そうだろう」
「そうです。かれこそ、怪金属Qにちがいありません。Qは、ほくが気絶(きぜつ)している間(ま)に、本当の針目博士を殺し、そして博士の頭を切り開いて、じぶんがその中へはいりこみ、あとをたくみに電気縫合器(でんきぬいあわせき)かなにかで縫いつけ、ぼくが気がついたときにはすっかり、針目博士にばけていたのにちがいありません」
「そうだ。そうでなくては、われわれを呼びよせて、みな殺しにする必要はなかったはずだ。もし本当の博士だったとしたらね」
「本当の博士なら『わし』などとはいわず『わたし』というはずです。それから話のあいだに、博士であることをわすれて、Qが話しているような失策を二度か三度やりましたね」
「そうだった。そんなことから、Qはぼくたちを生かしておけないと考え、きゅうにきょうの午後二時かっきり、時刻厳守(じこくげんしゅ)で会うなんていいだしたのだろう。どこまでわるがしこい奴だろう」
 このとおり長戸検事と蜂矢探偵の意見はあったようだが、はたしうる一点はそのとおりかどうか、いま、にわかにはっきり断言はできない。
 もしも万一、ふたりの説がほんとうで、怪金属Qが第二の爆発をのがれて、生命(せいめい)をまっとうしているとしたら、そのうちにきっと奇妙な事件がおこり、新聞やラジオの大きなニュースとして報道されるだろう。諸君は、それに細心(さいしん)の注意をはらっていなくてはならない。これは常識をこえたあやしい出来事だと思うものにぶつかったら、なにをおいても、検察当局へ急報するのが諸君の義務であると思う。
 Qは、人間よりもすぐれた思考力と、そして惨酷(ざんこく)な心とを持っているので、もしかれが生きていたなら、こんどはじめる仕事は、われわれの想像をこえた驚天動地(きょうてんどうち)の大事件であろうと思う。
 ただに日本国内だけの出来事に注意するだけでなく、広く全世界、いや宇宙いっぱいにも注意力を向けていなくてはならない。
 大魔力(だいまりょく)を持った人造生命(じんぞうせいめい)の主人公Qこそ、小さい日本だけを舞台にして満足しているような、そんな小さなものではないのだから。




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