金属人間
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著者名:海野十三 

 博士邸は、あの爆発事件で、第二研究室が跡かたなくとんでしまって以来、住む人は留守番のほかに、検察庁から警官が詰めていたが、その人々もだんだんにへり、最後はただのひとりとなったが、今はそのひとりも常に詰めかけてはいず、三日に一度ぐらい、巡回(じゅんかい)にちょっと寄ってみるくらいだった。
 警戒の方も、このくらいかんたんになっていることゆえ、世間(せけん)も、この事件をもはやわすれかけていた。
 はじめ事件の捜査(そうさ)の指揮(しき)をとっていた長戸検事(ながとけんじ)は、もちろん、この事件をわすれてはいなかった。ひそかに毎日毎夜、頭をひねるのがれいになっていた。しかし表面にあらわれたところは、検事はやはりこの事件をわすれているように見えた。それは、この事件の捜査を蜂矢探偵に肩がわりをしたので、検事は任務から解放されたのだと、みんなはそう思っていた。
 さて、蜂矢探偵のきょうのいでたちや、肩にかついだ道具は、なにを語るであろうか。
 かれは、これまで針目博士邸につぎつぎに起こった怪事件を、くりかえし考えた。そのけっか、結論にたっすることができなかった。
(まだ方程式(ほうていしき)の数がたりないんだ)
 結論をだすには、まだしらべがたりないところがあることが、はっきりわかったのだ。
 そのたりない方程式の一つは、博士の第二研究室あとを掘りかえしてみることである。あの土の下から、かれは何ものかを発見したいと思っているのであった。
 その爆破跡は、これまでに検察庁やその他の方面の人々の手によって、いくどとなく念入りに掘りかえされたのだ。しかし、ついに重大なる手がかりと思われるものは、発見されなかったのである。それなれば、これから遅ればせに、蜂矢が掘ってみたところが、何も出てくるはずがない。ところが蜂矢探偵は、あえてもう一度掘りかえす決心を立てたのだ。
 かれは、博士邸(はくしてい)のさびついた門を押して、中へはいった。
 貞造(ていぞう)じいさんに、まずことわっておく必要があると思い、かれをたずねた。
「やあ。どなたかね。わしは、このところ腰がいたくて、ずっと寝こんでいますでな。ご用があれば、こっちへずっと入ってください」
 貞造は、そういって、ふとんの中から声をかけた。
 そこで蜂矢は中へはいって、見舞(みまい)をのべた。それからかんたんに、その後、邸内(ていない)におけるかわったことはないかとたずねた。
「いやあ。さっぱりございませんな。どなたも、ずっと見えませんですよ。あまり静かで、墓地(ぼち)のような気がしてまいりますわい」
 貞造は、そうこたえた。
 蜂矢は、それからいよいよ第二研究室のあとに立った。かれは首をひねって、焼跡(やけあと)の四隅(よすみ)にあたるところをシャベルで掘った。下からは土台石(どだいいし)らしいものが出てきた。その角のところへ、かれは竹を一本たてた。それからなわをもちだして、竹と竹とを一直線にむすんだ。
 するとなわばりの中が、第二研究室の跡になるわけであった。
 蜂矢は、それをしばらく見ていたが、こんどは別のなわの切(き)れ端(はし)を手に持って、第二研究室跡のうしろへまわった。そこは、すこしばかりの土地をへだてて、石造りのがんじょうな塀(へい)が立っていた。そして塀の内側には、樹齢(じゅれい)が百年近く経ている大きなケヤキが、とびとびに生(は)えていた。
 ちょうど、その研究室跡に近いところに一本のケヤキが、むざんにも枝も葉もなくなって、まる裸になって立っていた。それはもちろんあの爆発のために吹きとばされ、焼かれてしまったものであった。
 蜂矢探偵は、なわの切れはしを持って、塀と枯(か)れケヤキとの間や、枯れケヤキと研究室跡の外壁(がいへき)のあったところと思われるあたりとの間をはかったり、いろいろやった。そのうちについに答えが出たものと見え、かれはつるはしをふりかぶって、大地(だいち)へはっしとばかり打ちこんだ。
 そこは、枯れケヤキの立っているところから研究室の壁へ向かって、四十五度ほどななめに線をひき、そのまん中にあたる地点であった。
 かれはどんどん掘った。上衣をぬいで、シャツ一枚になって、えいやえいやと熱心に掘りつづけた。それがすむと、シャベルで土をすくって、わきの方へどかした。
 自分の掘っている穴の中へ、かれの頭がだんだんかくれていった。ずいぶん深い穴を掘っている。まちがいではないのか。かれは自信を捨(す)てなかった。そして探さ四メートル近くにたっしたとき、かれは穴の中で思わず、
「しめた。とうとう見つけた」
 と、思わずよろこびの声をあげた。直径(ちょっけい)七十センチばかりの、マンホールのふたのようなものが掘りあてられたのだ。
 かれは、この重い鉄ぶたをあけるために、地上においてきた道具をとるために、穴からはいあがった。ついでに汗をふいて、大きく深呼吸をし、それからポケットから紙巻(かみまき)タバコを出して火をつけた。
 かれは、生まれてはじめて、すばらしい味のタバコを吸ったと思った。かれはしばらくすべてをわすれて、タバコの味に気をとられていた。
「ああ、もしもし。きみは蜂矢君でしたね」
 とつぜん、蜂矢のうしろから声をかけた者があった。それは蜂矢が油断(ゆだん)をしていたときのことだったので、かれはぎくりとして、手にしていた短かいタバコをその場へとり落とし、うしろへふりかえった。
 そこに立っていた人物がある。誰だったであろうか。


   意外な一人物


 蜂矢がふりかえって顔を見あわしたその人物は、黒い服を着、白いカラーの、しかも昔流行したことのある高いカラーで、きゅうくつそうにくびをしめ、頭部には鉢巻(はちまき)のようにぐるぐる繃帯(ほうたい)を巻きつけ、その上にのせていた黒い中折帽子(なかおれぼうし)をとって、蜂矢にあいさつした。
「ほう。やっぱり蜂矢探偵でしたね。わたしをごぞんじありませんか、針目(はりめ)です」
「ああ、やっぱりそうでしたか」
 蜂矢は、うれしそうに目をかがやかして、針目博士にあいさつをかえした。
「なかなかご活躍のようですね。とうとう地下室へはいる口を掘りだされたんですね。感心いたしました」
「これは、ごあいさつです」
 と蜂矢はあたまをかいて、
「ご主人がいらっしゃるのを知らないままに、わたしが勝手(かって)なことをしてしまいまして申しわけありません。しかし、じつは針目博士は、あの爆破事件のとき、粉砕(ふんさい)したこの研究室と運命をともになすったように聞いていたのですから、もう博士はこの世に生きていらっしゃらないと思っていました。いや、これはとんだ失礼を申しまして、あいすみません」
「やあ、さあそれもしかたがありません。わたしはあの事件いらいきょうまで、姿をみなさんの前に見せなかったのですから、そういううわさの出たことはしぜんです。悪くはとりません」
 博士は、冷静な顔つきで、そういった。
「どうされたんですか、博士は、つまりあの爆発のときのことです」
「それはさっききみが掘りあてたとおり、第二研究室の床(ゆか)の下には、外へのがれる道がこしらえてあったので、いそいでそれへとびこんで、一命(いちめい)をまっとうしたのです」
「ああ、なるほど」
 と蜂矢はうなずき、
「すると第二研究室の床のどこかに、その秘密の地下通路へ通ずる入口があいていたはずですが、それが爆破後、跡をいくら掘ってみても発見できなかったというのは、どういうわけでしょうか」
 この質問は、蜂矢探偵ならずとも、この事件に関係した人々なら、誰でも知りたいことの第一であろう。
「それはかんたんなことです。わたしが先へ、その穴へとびこむ。するとそのあとで大爆発が起こり巨大なる圧力でもって、その穴をふさいでしまったんですな。おわかりでしょう」
「あッ、そうか」
 蜂矢探偵は、思わず感歎(かんたん)の声を発した。そうなんだ。大爆発のときに、それ位の巨大な力が出ることは予想のできることだった。それでそうなることを、どうして気がつかなかったのであろう。

「とにかくこれからきみを、その地下室の中へわたしみずからご案内いたしましょう。さっきのところから入ってみますか。せっかくきみが掘ったものだから」
「じゃあ、そうしていただきましょう。おお、博士は頭に繃帯(ほうたい)をしていらっしゃるが、どうなすったのですか――けがでもなさったのですか」
「ああ、これですか」
 と博士はにやりと笑って、頭へ手をあてた。
「昨夜、じつは某方面にあるわたしのかくれ家を出ようとしたとき、人ちがいをされて、頭をなぐられて、こんなけがをしたのです。まだすこし痛みますが、たいしたことはありませんから、心配しないでください」
 蜂矢は、それを聞いて、それはたいへんお気のどくさまとあいさつをした。
 それから彼は、博士とともに穴の中へおりていった。重い鉄蓋(てつぶた)を、蜂矢はうまくつりあげて、横へたてかけた。
「さあ、どうぞ」
 蜂矢は、博士に先頭(せんとう)をゆずった。
「きみから先へはいってください。いいですよ、えんりょしなくても……」
「ぼくには、中の勝手がわかりませんから、博士。どうぞお先に」
「そうですか。では先へはいりましょう」
 博士は、先に穴の中へはいった。そして地下道に立って、上を見あげ、
「蜂矢君。何してますか。大丈夫ですよ。おりてきたまえ」
 そういってから博士は、横を向いて、にたりと気味のわるい笑いを頬のあたりに浮かべた。
「じゃあ、おりますよ」
「さあ、早くおりてきたまえ」
 蜂矢は、穴へおりた。
 だがかれはどうしたわけか、その前に穴の上へ、ぽんと手帳をほうりあげた。なぜ手帳を捨てたのであろうか。
 それと同時に、木かげに少年の二つの目が光った。小杉二郎(こすぎじろう)少年の目だった。


   意外な工場


「早くおりてこないと、きみの相手にはなってやらないぞ。わたしにことわりもなく、こんな穴を掘って、けしからん奴だ」
 異様(いよう)な姿の針目博士は、ごきげんがはなはだよろしくない。
 もうすこし蜂矢探偵が穴の上でぐずぐずしていたら、博士はほんとうに怒って、ずんずん中へはいってしまったかもしれない。
 ちょうどきわどいところで、蜂矢は穴の中へとびこんで、博士のそばに、どすんとしりもちをついた。
「お待たせして、すみません。なにしろ、こんなところに地下道(ちかどう)があるなんて、きみのわるいことです。つい、尻(しり)ごみしまして、先生に腹を立たせて、あいすみません」
 蜂矢は、そういって、あやまった。
「はははは。きみは、見かけに似合(にあ)わず臆病(おくびょう)だね。そんなことでは、これからきみに見せたいと思っていたものも、見せられはしない。見ている最中(さいちゅう)に気絶(きぜつ)なんかされると、やっかいだからね」
 博士は、意地のわるいうす笑いをうかべで、そういった。
 蜂矢は、博士のことばに、新しい興味をわかした。それは博士が蜂矢に何か見せたがっているということだ。いったいそれは何であろうか。
「さあ、こっちへはいりたまえ。このドアは、しっかりしめておこう」
 博士は、地下道の途中(とちゅう)にあるドアをばたんとしめ、それにかぎをさしこんでまわした。蜂矢は、そのときちょっと不安を感じた。しかしすぐ気をとりなおして、力いっぱい博士とたたかおうと思った。かれは、これから針目博士が彼をどんなにおどろかそうとしているか、それをすでにさとって、覚悟(かくご)していた。
「ほら、こんな広い部屋があるんだ。きみは知らなかったろう」
 とつぜん、すばらしく大きな部屋へはいった。二十坪以上もある広い部屋、天じょうはひじょうに高い。そしてこの部屋の中には、えたいの知れない機械がごたごたとならんでいて、工場のような感じがする。もちろん人は、ひとりもいない。
「ここは、なにをするところだか、きみにわかるかい」
 針目博士は、からかい気味(ぎみ)に蜂矢に話しかける。
「さあ、ぼくにはわかりませんね」
 あの第二研究室の下に、こんなりっぱな部屋があるとは、想像もつかなかった。針目博士という学者は、じつにかわった人だ。
「わからなければ、教えてあげよう。この機械は、金属人間を製作する機械なんだ。つまりここは、金属人間の製作工場なんだ。どうだ、おどろいたか」
「金属人間の製作工場ですって」
 蜂矢は、思わず大きな声を出して、問いかえした。博士がこんなにずばりと、金属人間のことを口にするとは予期(よき)していなかったのだ。
「そのとおりだ。金属人間をこしらえる工場なんだ。きみは知っているかね、金属人間というものはどんなものだか?」
 博士の方から、かねて蜂矢が最大の謎と思っている金属人間のことに、ずばりとふれてきたものだから、蜂矢はおどろきもし、また内心ふかくよろこびもした。
「くわしいことは知りませんが、針目博士が金属Qの製作に成功せられたことは聞いています」
「ははは、金属Qか」
 博士はうそぶいて笑った。
「君は金属Qを見たことがあるかね」
 蜂矢は、すぐには返事ができなかった。見たと答えるのが正しいか、見ないといったほうがよいか。
「はっきり手にとってみたことはありませんねえ」
「手にとってみるなんて、そんなことはできないよ。だが、すこしはなれて見ることはできるのだ。どうだ、見たいかね」
「ぜひ見たいものですね」
「よろしい。見せてやろう。金属Qを、近くによってしみじみ見られるなんて、きみは世界一の幸運者(こううんもの)だ」
 そういうと博士は、いきなり上衣をぬぎすてた。チョッキをぬいだ。高いカラーをかなぐりすてた。
 その下から、おそろしい大きな傷あとがあらわれた。くびからのどへかけて、はすかいに十センチ近い、大傷(おおきず)を、あらっぽく糸でぬいつけてある。そんなひどい傷をおって、死ななかったのが、ふしぎである。
 博士は、ワイシャツもぬぎとばして、上半身はアンダーシャツ一枚になった。
 それでもうおしまいかと思ったが、博士はまたつづけた。手を頭の繃帯(ほうたい)にかけた。それをぐるぐるとほどいた。
「おおッ」
 ようやくにしてとれた長い繃帯(ほうたい)の下からあらわれたものは、頭のまわりをぐるっと一まわりした傷あとであった。
 それを見ると、蜂矢は気絶(きぜつ)しそうになった。
 博士は、蜂矢探偵を前にして、いったい何をする気であろうか。


   奇蹟見物


「さあ、よく見るがいい。今、金属Qを、この頭の中から取りだすからね」
 博士(はくし)は、とくいのようすだ。
 それにひきかえ、蜂矢探偵はまっさおになり、失心(しっしん)の一歩手前でこらえていた。もしもかれが、金属人間事件の責任ある探偵でなかったら、もっと前に目を白くして、ひっくりかえっていただろう。
 それから先、博士がしたことを、ここにくわしく書くのはひかえようと思う。くわしく書けば読者の中に、ひっくりかえる人が出るかもしれないからだ。それだから、かんたんに書く。――博士は、両手をじぶんの頭にかけると、帽子をぬぐような手軽さで、頭蓋骨(ずがいこつ)をひらき、中から透明な針金細工(はりがねざいく)のようなものを取りだし、それを手のひらにのせて、蜂矢探偵の目のまえへさしだした。
「うーむ」
 と、探偵は歯をくいしばって、博士の手のひらにのっている奇妙(きみょう)な幾何模型(きかもけい)みたいなものを見すえた。
 あの爆発のおこる前「骸骨(がいこつ)の四」だけが箱の中になかった。それで博士があわてだした。そのことを、いま蜂矢探偵は思いだした。
 博士はだまっている。気味のわるいほどだまっている。蜂矢は「これは骸骨の四ですか」とたずねようとして博士の顔を見ておどろいた。なぜなら博士の顔色は、人形のように白かった。生きている人の顔色とは思われなかったのである。
「針目博士。どうしました」
 と、蜂矢がさけんだ。
 そのとき博士は、いそいで手をひっこめた。そして手のひらにのせていたものを、すばやくもとのとおり頭蓋骨の中におしこんで、両手で頭の形をなおした。それから深呼吸を三つ四つした。すると博士の顔に、赤い血の色がもどってきた。死人の色は消えた。
 博士は、そのあとも、しばらく苦しそうに肩で息をしていたが、やがて以前のとおりの態度にかえって、蜂矢をからかうような調子で話しかけた。
「どうです。お気にめしましたかね。ところがこっちは、どえらい苦しみさ。ああ、きみをよろこばすことの、なんとむずかしいことよ」
 蜂矢は、このときには、ふだんの落ちつきはらったかれにもどつていた。奇々怪々(ききかいかい)なる博士のふるまいである。いったい、なんでそんなことをするのか、その秘密をここでつきとめてしまいたい。
「いま、見せてくだすったのがれいの行方不明になった『骸骨の四』ですか」
 ずばりと斬(き)りこんだ。
「よく知っているね。そのとおりだ。くわしくいえば、金属Qという名前があたえられた第一号だ。つまり、たくさん作った生きている金属の試作品の中で『骸骨の四』がまっ先に、生きている金属となったのだ、そこでこれを金属Qと名づけた」
「なるほど」
「いま、きみが見たのは、金属Qだけではなくその金属のまわりを、人工細胞十四号が包んでいるものだ。それは金属Qを保護するものなんだ。もっともはじめのころのように、人工細胞十四号は完全に金属Qを包んでいない。欠(か)けている個所(かしょ)があるのだ。そのために、金属Qはいつも不安な状態におかれてある。ああ、人工細胞十四号がほしい。この上の部屋にはあったんだが、この部屋にはないらしい」
 博士は、不用意に歎(なげ)きのことばをもらした。そしてその後で、はっと気がついて、蜂矢をにらみかえした。
「はははは、昼間からねごとをいったようだ。ところで蜂矢君。きみは感心に、気絶もしないでもちこたえているね」
 蜂矢はうすく笑った。
「すばらしいものを見せていただきまして、お礼を申します。すると、あなたは、針目博士ですか。それとも金属Qなんですか」
 金属Qが、人間の形をしたものを動かしている、その人間は、針目博士によく似ていたが、その人間のからだを支配しているのは金属Qである。ちょうど、金属Qが、二十世紀文福茶釜(にじゅっせいきぶんぶくちゃがま)にこもっていたように。――これが蜂矢のつけた推理だった。
「どっちだと思うかね」
「金属Qでしょう」
「ちがう」
「じゃあ、なんですか」
「針目博士と金属Qが合体したものだ。二つがいっしょになったものだ。しかし、もちろん金属Qは、針目博士よりもかしこいのだから、支配をしているのは金属Qだ。おどろいたかね、探偵君」
 博士はそういって、からからと笑うのであった。その笑い声が、蜂矢の耳から脳をつきとおし、かれは脳貧血(のうひんけつ)をおこしそうになった。


   恐怖の計画


「気味のわるい話は、もうよそう。こんどはもっと愉快(ゆかい)な話をしよう」
 博士は、とつぜんそういった。
 蜂矢は、いうことばもなく、おしだまっている。
「生きている金属が作られるなんて、すばらしいことではないか」
 そういいながら、博士は手ばやくぬいだ服を着て、胸をはって、いかめしく室内を歩きまわりながら演説するような、くちょうでいった。
「生命と思考力とを持った金属が、人工でできるなんて、愉快なことだ。人間は、もっと早く、このことに気がつかなくてはならなかったのだ。植物にしろ動物にしろ、また鉱物にしろ、それを作っている微粒子(びりゅうし)をさぐっていくと、みんな同じものからできているんだからね。だから、植物と動物に生命と思考力があたえられるものなら、鉱物にもそれがあたえられていいのだ。そうだろう」
「植物に思考力があるというのは、聞いたことがありませんね」
「じっさいには、あるんだよ。人間の学問が浅いから、気がつかないだけのことなんだ。とにかく植物のことなんか、どうでもよろしい。今は生きている金属のことだけを論ずればいいのだ。金属を人工するのは、他のものをこしらえるよりも、一番やさしいことだ。そして、そのとき生命と思考力を持つように設計工作してやれば、生きている金属ができあがるのだ。生命も思考力も、電気現象(でんきげんしょう)にもとづいているのだから、そういうことを知っている者なら、かんたんにやれるのだ」
「なるほど」
「そこでわしは、これからこの部屋で、生きている金属をじゃんじゃん作ろうと思う。そしてそれを人体に住まわせる。かまうことはない、生きている金属は人間よりもかしこくて、強力なんだから、思いのままに人間を襲撃(しゅうげき)して、そのからだを占拠(せんきょ)することができるんだ」
 おだやかならない話になったので、蜂矢探偵は、からだをしゃちこばらせる。そんなことならいつ自分も、そのへんからとび出してきた怪金属のため、からだをのっとられるかもしれないと思えば、不気味(ぶきみ)である。
 博士は、そんなことにはおかまいなしに、しゃべりつづける。
「それを進めていくと、この世の中に金属人間がたくさんふえる。たびたびいうとおり、金属人間は、ふつうの人間よりもかしこいのだから、金属人間群は、ふつうの人間が百年かかってやりとげる科学の進歩を、金属人間は二、三年のうちにやりとげてしまう。世の中は、急速に進歩発展するだろう。すばらしいことじゃないか、探偵君。ふん、あんまり深く感心をして、ことばも出ないようだね」
 そのとおりだった。なんという奇抜(きばつ)な計画であろう、またなんというおそろしいことであろう。もしもそんなことができたなら、人間の立場はあやうくなる。蜂矢の背すじにつめたい戦慄(せんりつ)が走った。
「まあ、講義はそのくらいにしてこんどはいよいよ、しんけんな話にうつる。きみをここまでひっぱりこんだことについて、説明しなくてはならない。だが、もうきみはかんづいているだろう」
「なんですって」
「きみのからだをもらいたいのだ。わしは仲間のひとりに、きみのからだを世話(せわ)したいと思うのだ」
「とんでもない話です。わたしはおことわりします」
 と、蜂矢はうしろへ身をひいた。まったくとんだ話である。そんな怪金属にこの身を占拠(せんきょ)されてたまるものか。
「きみがなんといおうと、わしは思ったとおりにやるのだ。じたばたさわぐのはよしたがいいぞ」
 博士は、じりじりとつめよってくる。蜂矢探偵は、だんだんうしろへさがって、やがて壁におしつけられてしまった。
「どうするんです。金属Qは、ただひとりのはず。ほかに仲間があるなんて、うそです。きみが、わたしのからだへはいりたいのでしょう」
 さすがに探偵は、いいあてた。その事情はわからないが、相手の計画しているところはわかるような気がする。
「ふふふふ、どっちでもいいじゃないか」
 いつのまにやら博士の手には、大きなハンマーが握られていた。博士はそれを頭上にふりあげて、今や蜂矢の頭に一撃をくわえようとしたとき、
「待て、金属人間。動くな。動けば生命(いのち)がないぞ」
 と、ひびいた声。
 蜂矢はおどろいて、そっちへ目を走らせた。するとこはふしぎ、もうひとりの針目博士が蜂矢をおびやかしている針目博士の方へしずしずとせまってくる。その博士は腕に機銃(きじゅう)に似たような物をかかえていた。
 ふたりの針目博士だ。どういうわけであろう。


   二人の針目博士(はりめはくし)


 針目博士(はりめはくし)が、ふたりあらわれた。
 蜂矢探偵は、わが身の危険も忘れて、しばしふたりの針目博士の顛を見くらべた。
 どっちも同じような顔つきの針目博士であった。ちょっと見ただけでは見分けがつかなかった。どっちの針目博士も、青い顔をしている。しかしどっちかというと、後(あと)からあらわれた博士の方がいっそう青い顔をしている。
 ところが顔いがいのところを見ると、だいぶんちがいがあった。蜂矢探偵を壁のところにまで追いつめた針目博士の方は、いやに高いカラーをつけて、くびのところが窮屈(きゅうくつ)そうに見える。また頭部に繃帯(ほうたい)をしている、その上に帽子をかぶっている。
 これにたいして、あとから現われた針目博士の方は無帽(むぼう)である。頭には繃帯を巻いていない。
 服装は、蜂矢探偵を追いつめている針目博士のほうは、黒いラシャの古風(こふう)な三つ揃(ぞろ)いの背広をきちんと身につけているのに対し、あとからあらわれた針目博士の方は、よごれたカーキー色の労働服をつけていた。服はきれいではないが、小わきにりっぱな機銃(きじゅう)みたいなものを抱えている。
「動くと、これをつかうぞ。すると、金属はとろとろと溶(と)けて崩壊(ほうかい)する」
 あとからあらわれた針目博士が、はやくちに、だがよくわかるはっきりしたことばでいった。
「待て、それを使うな。わしは抵抗しない」
 始めからいた針目博士が、苦しそうな声で押しとどめた。もはや蜂矢探偵の頭上に、一撃を加えるどころのさわぎではない。かれ自身がすくんでしまったのだ。
「蜂矢さん。もうだいじょうぶだ。横へ逃げなさい」
 あとからあらわれた針目博士がいった。
 いったい、どっちがほんとうの針目博士であろうか。
 蜂矢探偵は、壁ぎわをはなれて、自由の身となったが、この問題を解(と)きかねて、あいさつすべきことばに困った。
「おい、金属Q。こんどは、廻れ右をして壁を背にして、こっちへ向くんだ」
 金属Q――と、しきりに、あとからあらわれた博士が呼んでいるのが、はじめからいた方の針目博士のことだった。――ほんとかしら――と、蜂矢は目をいそがしく走らせて見くらべるが、顔はよく似ていて、くべつをつけかねる。
 金属Qと呼ばれた方の博士は、しぶしぶ動いて壁に背を向け、こっちへ向きなおったが、とつぜん早口で叫んだ。それは、妙にしゃがれた声だった。
「きさまこそ、金属Qじゃないか。わしは針目だぞ、ごまかしてはいかん。しかし、わしは今、抵抗するつもりはない」
 頭に繃帯を巻いた方が、こんどは機銃みたいなものを抱(かか)えた方にたいし、金属Qよばわりをするのだった。これではいよいよどっちがほんものの針目博士だかわからなくなった。
「きみこそ金属Qだ。そんなにがんばるのなら、仮面(かめん)をはいでやるぞ」
 とあとからあらわれた博士が自信ありげにいって、蜂矢の名を呼んだ。
「なにか用ですか」
「そのニセモノのそばへ寄(よ)って、頭に巻いている繃帯(ほうたい)をぜんぶほどいてくれたまえ」
 と、機銃みたいなものを抱えている博士がいった。
「むちゃをするな、傷をしているのに、繃帯をとるなんて、人道(じんどう)にはんする」
 と、壁のそばに立っている方の博士が、すぐ抗議した。
「蜂矢君。早く繃帯をとってくれたまえ。繃帯をとっても、血一滴(ちいってき)、出やしないから心配しないで早くやってくれたまえ」
 蜂矢は、ふたりの博士の間にはさまって、迷(まよ)わないわけにいかなかったが、とにかく繃帯をといてみれば、どっちがほんものかニセかがわかるかもしれないと思い、ついに決心して壁の前に立っている博士の頭へ手をのばした。博士は何かいおうとした。がもうひとりの博士が、機銃みたいなものを、いっそうそばへ近づけたので、顔色をさっと青くすると、おとなしくなった。
 蜂矢は、その機(き)に乗(じょう)じて、長い繃帯をといた。なるほど、繃帯はどこもまっ白で血に染(そま)っているところは見あたらなかった。ただ、その繃帯をときおえたとき、博土の頭部(とうぶ)をぐるっと一まわりして、三ミリほどの幅(はば)の、手術のあとの癒着(ゆちゃく)見たいなものが見られ、そのところだけ、毛が生えていなかった。
 なお、もう一つ蜂矢が気がついたのは、額(ひたい)の生えぎわのところの皮が、妙にむけかかっているように見えることだった。そのとき、後からあらわれた博士の声が、いらだたしく聞こえた。
「蜂矢君。こんどは、その高いカラーをはずしたまえ」
「カラーをはずすのですね」
 はじめから博士の特徴(とくちょう)になっていたその高いカラーを、蜂矢は、いわれるままに、とりはずした。すると蜂矢探偵は、そこに醜(みにく)い傷(きず)あとを見た。短刀(たんとう)で斬(き)った傷のあとであると思った。いつ博士はこんな傷をうけたのであろうか。すると、またもや、あとからあらわれた博士がいちだんと声をはりあげて、蜂矢に用をいいつけた。
「つぎは、その男の面(つら)の皮(かわ)をはぎたまえ。えんりょなく、はぎ取るんだ」
「顔の皮をむくのですか」
 蜂矢は、おどろいて、命令する人の方をふりかえった。あまりといえば、惨酷(ざんこく)きわまることである。


   落ちた仮面


「わけはないんだ。それ、その男の額(ひたい)のところに、皮がまくれあがっているところがある。それを指先でつまんで、下の方へ、力いっぱいはぎとればいいんだ」
 なんという惨酷な命令だろうと、蜂矢は、この命令を拒絶(きょぜつ)しようと考えたが、ちょっと待った、なるほどそれにしてはおかしい額ぎわの皮のまくれ工合(ぐあい)だ。
(ははあ。さては……)
 と、かれはそのとき電光のように顔の中に思い出したことであった。もうかれは躊躇(ちゅうちょ)していなかった。いわれるままに、そのまくれあがった額のところの皮を指でつまんで、下へ向けてひっぱった。
 すると、おどろいたことに、皮は大きくむけていった。皮の下に、白い皮下脂肪(ひかしぼう)や赤い筋肉があるかと思いのほか、そこには、ごていねいにも、もう一つの顔面(がんめん)があった――蜂矢探偵の手にぶらりとぶら下がったものは、なんと顔ぜんたいにはめこんであった精巧(せいこう)なるマスクであった。
 そのマスクの肉づきは、うすいところもあり、またあついところもあり、人工樹脂(じんこうじゅし)でこしらえたものにちがいなかった。
 マスクのとれた下から出てきた新しい顔は、どんな顔であったろうか。
 それは針目博士とは似ても似つかない顔であった。頬骨のとび出た、げじげじ眉(まゆ)のぺちゃんこの鼻をもった顔であった。
「あッ」
 蜂矢探偵は、あきれはててその顔を見守った。
 はじめから、高いカラーをつけた針目博士を、怪しい人物とにらんではいたが、まさかこんな巧(たく)みな変装(へんそう)をしているとは思わなかった。
 しかもマスクの下からあらわれたその顔こそ、前に警視庁の死体置場から、国会議事堂の上からころがり落ちた動くマネキン少年人形の肢体(したい)とともに、おなじ夜に紛失(ふんしつ)した猿田の死体の顔とおなじであったから、ますます奇怪(きかい)であった。
 これでみると、蜂矢探偵をこの地下室へ案内した針目博士こそ、金属Qのばけたものであると断定して、まちがいないと思われる。怪魔金属Qは、議事堂の塔の上から落ちて死体置場に収容せられたが、夜更(よふ)けて金属Qはそろそろ動き出し、身許不明の猿田の死体の中にはいりこみ、そこをどうにか逃げ出したものらしい。そういうことは、金属Qの力と智恵とでできないことではない。その上で、彼はおそらくこの針目博士の地下室へもぐりこみ、そこで針目博士そっくりのマスクを作ったり、健康を早くとりもどすくふうをしたり、博士の古い服を盗み出して着たり、その他いろいろの仕事をやりとげたのであろう。
 まことにおどろくべき、そしておそるべき怪魔金属(かいまきんぞく)Qであった。
 こうして、始めにあらわれた針目博士の正体が金属Qであるとすれば、あとからあらわれた針目博士こそ、ほんものの針目博士なのである。そう考えて、この際(さい)まちがいないであろう。蜂矢は、その方へふりかえった。
「これでいいですか、針目博士」
 すると機銃(きじゅう)みたいなものを、なおもしっかり抱(かか)えている針目博士が、
「それでよろしい。どうです。わかったでしょう。かれこそニセモノであったのです。まったく油断もならぬ奴です。もともとわたしが作った金属Qですが、まったくおそろしい奴です」
 といって、博士は顔を青くした。
「どういうわけで、あなたに変装したのでしょうか。何か、はっきりした計画が、金属Qの胸の中にあるんでしょうか」
 蜂矢探偵は、そういってたずねた。
 あとになって考えると、蜂矢のこの質問は、あんまり感心したものでなかった。そんな質問はあとでゆっくり聞けばよかったのである。それは不幸なできごとの幕あきのベルをならしたようなものだった。
「それはですね。金属Qという奴は――」
 と、博士が蜂矢探偵の質問に答えはじめたとき、機銃のような形をした人工細胞破壊銃(じんこうさいぼうはかいじゅう)をかまえた博士に、ちょっと隙(すき)ができた。
 この人工細胞破壊銃というのは、その名のとおり、人工細胞にあてると、それをたちまちばらばらに破壊しさる装置で、強力に加速された中性子(ちゅうせいし)の群れを、うちだすものだ。かねて博士は安全のために、こういうものが必要だと思い設計まではしておいたのであるが、「生きている金属」を作る研究の方をいそいだあまり、実物はまだ作っていなかった。その後、金属Qがあばれるようになって、博士はかくれて、この人工細胞破壊銃の製作に一生けんめい努力したのだ。そのけっか、きょうの事件に間にあったのだ。
 が、今もいったように、博士の手許にわずかな隙ができたのだ。
「ええいッ」
 とつぜん金属Qが身をひるがえして、前へとびだした。そしてかれは、博士の抱えていた破壊銃の銃先(つつさき)を、力いっぱい横にはらった。
「あッ」
 と、博士が叫んだときは、もうおそかった。破壊銃は博士の腕をはなれて横にすっ飛び、旋盤(せんばん)の方をとび越して、その向うに立っていた配電盤(はいでんばん)にがちゃんとぶつかった。もちろん破壊銃は壊(こわ)れた。ガラスの部分がこなごなになって、あたりにとび散った。


   金属Qの始末


「なにをするッ」
 と、針目博士が、どなる。
「銃はこわれた。こうなりゃ、こっちのものだぞ」
 金属Qは、はんにゃのような形相になって、博士にとびついていった。
 大乱闘(だいらんとう)になった。ものすごい死闘(しとう)であった。金属Qの方が優勢(ゆうせい)になった。かれは、どこから出るのか、くそ力を出して、手あたりしだい、工具であろうと、器具であろうと、何であろうと取って投げつける。
 蜂矢探偵は、このすごい闘いの外にあった。かれはしばし迷った。仲裁(ちゅうさい)すべきであろうか、それとも針目博士に味方すべきであろうかと。
 針目博士は、はじめのうちは、器物(きぶつ)を投げることを控(ひか)えていた。しかし相手がむちゃくちゃにそれを始め、わが身が大危険となったので、博士はついに決心して、手にふれたものを相手めがけて投げつけた。もう一物のよゆうもないのだ。死ぬか、相手を倒すかどっちかだ。声をあげて蜂矢探偵に協力を頼むひまもない。
 ここに至って蜂矢探偵も心がきまった。
(ここはいちおう、正しい博士に味方して、仮面をはがれた相手を倒さなくてはならない)
 蜂矢探偵は、すぐ目の前の台の上においてある大きなスパナをつかんだ。それをふりあげて、金属Qになげつけようとした。そのとき遅く、かのとき早く、どしんと正面から腰掛(こしかけ)がとんできて、
「あッ」
 と蜂矢が体(たい)をかわすひまもなく、ガーンと彼の頭にぶつかった。かれは、一声うなり声をあげるとうしろへひっくりかえり、そのまま動かなくなった。
 それから、どのくらいの時間が流れたかわからないが、蜂矢はようやく息をふきかえした。ずきずき頭が痛む。それへ手をやってみると大きなこぶができていた。血もすこし出ていた。しかしたいしたことではないようだ。
 蜂矢はふらふらと起きあがった。
 その気配(けはい)を聞きつけたか、部屋の一隅(いちぐう)から声があった。
「ああ、気がついたかね、蜂矢君」
「やッ」
 蜂矢は、どきんとしてその声の方を見た、そこには針目博士がいた。博士は頭部にぐるぐると繃帯を巻いていた。その正面のところは赤く血がにじんでいた。
「安心したまえ、怪物は、とうとうくたばったからね」
 そういって博士は、自分の前を指さした。そこには、れいの金属Qが倒れていた。
「死んだんですか」
「いや、まだ油断がならない。金属の本体を取り出して、始末しないうちは、ほんとうの意味で金属Qは死んだとはいえないのだ、今それを始末するところだ。きみは見物していたまえ」
 そういって博士は前かがみになって、たおれた人の頭のところでごそごそやっていたが、やがてうす桃色をしたぐにゃりとしたものを両の手のひらにのせて、部屋のまん中へ出てきた。それは脳みたいなものであった。
「それは何ですか」
 と、蜂矢はたずねた。
「この中に、金属Qの本体がはいっているんだ。はやいとこ、これを焼き捨てる必要がある。そうでないと、金属Qはまた生きかえってくる。生きかえられたんでは、また大さわぎになる」
 博士は、大きな硬質ガラス製のビーカーの中に、そのぐにゃりとしたうす桃色のものを入れた。それからガスのバーナーに火をつけ、その上に架台(かだい)をおき、架台の上に今のビーカーを置いた。
 それから博士は、薬品戸棚のところへ行った。
 博士が、棚から薬品のはいった瓶を三つも抱えてもどってくるまでの少しの時間に、蜂矢は部屋の隅にたおれている人のようすを知るために、その方へ目を走らせた。その人は、もちろんしずかに伸びていた。そしてその頭部が開かれ、頭骸骨がお碗(わん)のようになって、中身が空虚(くうきょ)なことをしめしていた。
 怪金属Qがやどっていた肉体は、ふたたびもとの死体に帰ったのである。
 ぱっと茶褐色(ちゃかっしょく)の煙があがった。れいのビーカーの中である。博士が、液体薬品のはいった瓶の口をひらいて、ビーカーの中へそそぎこむたびに、茶褐色の煙が大げさにたちのぼるのだった。金属Qがはいっているという脳髄は、ビーカーの中で、沸々(ふつふつ)と沸騰(ふっとう)する茶褐色の薬液(やくえき)の中で煮られてまっくろに化(か)していく。
「これでいい、もうこれで、金属Qは生存力を完全にうしなった。やあやあ、骨を折らせやがった。おお、蜂矢君。もう安心していいですぞ」
 博士は、そういって、蜂矢の方へにやりと笑ってみせた。
 そのときであった。この部屋の戸が外からどんどんと、われんばかりにたたかれた。
「あけろ、あけろ、検察庁の者だ」
 長戸検事の声らしいものもまじっている。


   大会見


「おおッ……」
 博士は、その場にとびあがり、おどろきの色をしめした。そしてさッとからだを壁ぎわにひいて、乱打(らんだ)されている戸をにらみつけた。
 蜂矢は、博士がいやにおどおどしているのを見て、気のどくになった。
「針目さん。心配しなくてもいいですよ。長戸検事たちがきてくれたのでしょう」
「わたしは、なにも心配なんかしていない。しかしなぜ今ごろ、長戸検事がこんなところへ来たのか、わけがわからない」
 博士は口ではそういったが、蜂矢の目には、博士がやっぱり胸をどきどきさせているように思われた。
「わけはわかっているのです。さっきぼくが、ニセの針目博士にここへつれこまれるのを小杉少年が見ていて、いそいで検事に知らせたのでしょう。それで検事がぼくを助けにきてくれたのですよ。戸をあけてもいいですか」
「ふーん」
 針目博士は、しばらくうなっていたが、
「それなら、戸をあけてよろしい。しかしこの部屋の中で、わたしにことわりなしに、勝手なことをしないように誓わせておくんだな。でなければ、わたしはすぐさま検事たちを追いだすから、そのつもりで」
 と、きびしく申しわたした。
 蜂矢は、うなずいて、戸のところへ行って向う側へ声をかけ、やはり長戸検事たちであることをたしかめたうえで、かけ金(がね)をはずして戸を開いた。
「やあ、先生。よく生きていてくれましたね」
 まっ先にとびこんできたのは小杉少年であった。少年は蜂矢の胸にとびついて、喜びに目をかがやかした。
「よう、蜂矢君。どうしたんだ」
 そのうしろに長戸検事の緊張した顔があった。ことばつきはやさしいが、蜂矢と室内をかわるがわるにながめて、一分のすきもなかった。
 そこで蜂矢は、かいつまんで、この部屋へはいってからの、いきさつを説明した。そして、
「……そういうわけで、怪人Qは、それの製作者であるところの針目博士の手で、あのとおり焼きすてられたのです。どうか、くわしいことは博士にたずねてください。しかしですね、博士はいま、かなり興奮しているようですから、腹をたてさせないように気をつけたがいいですよ」
 と、かれとしての説明を終った。
 そこで針目博士と長戸検事の会見となったわけであるが、検事はよく蜂矢の忠告を守って、ひきつれてきた部下たちをしずかに入口にならばせておくだけで、捜査活動は自分ひとりでやることにした。
「ずいぶん、しばらくお目にかかりませんでしたなあ、針目博士」
「そうでした、そうでした。で、きょうは何用あって、ここへきたのですか」
 博士はすぐ質問の矢をはなった。
「それは、あなたにお目にかかって、怪人Q事件について、最初からもう一度、説明をしていただくためです。われわれは正直に告白しますが、これまでの捜査はみんな失敗でありました。それに気がついたので、いままでの努力を惜しいが捨てまして、はじめから出直すことにきめたのです。おいそがしいでしょうが、もう一度われわれの相手になっていただきたい」
 と、長戸検事は、むきだしにのべて、博士にたのみこんだ。
「わたしはいそがしいんで、頭のわるい検察当局の尻(しり)ぬぐいなんかしていられないのです。わたしを待っている重大な問題がたくさんある――いや、これはすべてわたしの研究に関する問題のことであって、しゃばくさい刑事のことじゃありませんよ。だから、わたしとしては、きみの申し入れをおことわりするのが、あたりまえだ。だが、せっかく来たことでもあるし、わたしもたいへんやっかいにしていた金属Qが、あのとおり完全に分解して、生命を失ったことゆえ、みじかい時間ならばきみの申し入れをきいてあげてもよい。できるだけかんたんに、ききたいことをのべたまえ。われわれの会話は、十五分間をこえないのを条件とする」
 博士は、いやに恩にきせて、長戸検事の申し入れをきいてやるといった。
「では、さっそくお願いしましょう。議事堂の塔の上から落ちて、からだがバラバラになったマネキン人形がありましたが、あれにも怪金属Qがついていたのでしょうか」
「わかりきった話です。Qがあのマネキン人形を動かしたんでなければ、マネキン人形があんなにたくみに動くことはない」
「すると、文福茶釜(ぶんぶくちゃがま)となって踊ってみせたのも、やっぱりQのなせるわざですか」
「それも明白(めいはく)。あの二十世紀文福茶釜、じつはアルミ製の釜だが、あの中にQがまじっていたのです。そうでなければ、釜が踊ったり綱わたりができるものではない」
「なるほど、では、なぜQが茶釜になったのですかな」
「針目博士邸――いやこの研究所からとび出したQがねえ、きみ、道ばたで、アルミの屑(くず)かなんかをふとんにして寝ていたんだ。Qは金属だから、金属をふとんにしたほうが気持よく眠られる。そこで寝ていたところを、人がひろって屑金問屋へ持っていったんだ――いったんだろうと思う。Qは金属がたくさん集まっているので、いい気になって、その中に寝てくらしているうちにある日、熔鉱炉(ようこうろ)の中に投げこまれ、出られなくなった。そのうちに、鋳型(いがた)の中につぎこまれ、やがて、かたまってお釜になっちまった。そうなると出ることができない。やむをえず、文福茶釜を神妙につとめたんだというわけ。そんなところだろうと思う」
 博士は、まるで見てきたように、かたってきかせたのであった。もう時間は残りすくない。


   Qの興奮(こうふん)


「文福茶釜が綱から落ちてこわれたのはどういう事情でしょう。あれは博士が何か器械をつかって茶釜を落としたといううわさもありますがね」
「そのとおり、博士、いやわしは、見物席にまじっていて、Qの運動の自由をうばう特殊電波を茶釜にむけて発射した。そこで茶釜は落ち、こわれてしまったというわけ。わしはあんなあやしげな見世物(みせもの)を、一日も早くなくしてしまわないといけないと思って、思いきってそれをやったのだ」
「あなたが、その場からお逃げになったのはどういうわけです。逃げなければならない理由はないと思いますがね」
「なあに、あの場でわあわあさわがれるのがいやだったからだ。それにわしは――わたしはぼろ服をまとって変装していたのでね。新聞記者にでもつかまれば、いいネタにされてしまうから、こいつは逃げるにかぎると思って逃げたんだ」
 博士の説明は、水を流すように、よどみがなかった。
「まあ、それで――茶釜がこわれたので、Qは解放されて、自由に動きまわれるようになったのですね」
「そのとおりだ。それでマネキン人形をつけて、それをあやつるようになったんだが、その途中Qは、じぶんのからだの一部分が欠けていることに気がつき、それを一生けんめいにさがしてあるいた形跡がある。そこにいる蜂矢君のところへも、Qはおしかけたようだ。そうではなかったかね、蜂矢十六先生」
 さっきから蜂矢十六は、検事と博士を底辺(ていへん)の二頂点(にちょうてん)とする等辺三角形の頂点の位置に腰をかけて、からだをかたくして聞いていたが、とつぜん博士に呼びかけられて、はっとわれにかえった。
「ああ、そんなこともありました。博士のおっしゃるとおりです」
 博士はまんぞくそうにうなずいた。
「なぜ、Qはここから逃げ出したのでしょうか、ここにいれば一等安全でもあり、おもしろい目にもあえるし、博士からもかわいがられたでしょうに。どうしてでしょうか」
 と、長戸検事は、博士が息つくひまもないほど、すぐさま質問の矢をはなった。もうあと一分間ばかりで、約束の時間がきれる。
「それはきみ、すこしちがっているよ。Qはここにおられなくなったんだ。かれは殺人をやって、ひどく興奮したんだ。その殺人は、かれが計画したものではなく、ぐうぜん、若い女を殺してしまったので、かれの興奮は二重になった。そこへ警官がのりこんでくるし、かれはいよいよあわてた、かれは生きものなんだから、そのように興奮したり、あわてたりするのは、あたりまえだ。そうだろう」
「ごもっともなご意見です」
「かれはね、Qとして生命をえて、うれしくてならない。第二研究室の中で、ひとりぴんぴんとびまわっていたのだ。このときわしは二つの失策をしている。一つは、Qがそんなに活動的になっていることを知らなかったんだ。まだまだ、クモがはうぐらいのものだと思っていた。ところが実際は、Qは三次元空間(さんじげんくうかん)を音よりも早くとびまわることができたんだ」
「なるほどなあ」
「よろしいか。それから二つには、わしはうっかりしていて、かれQがかぎ穴から抜け出せるほど小さくて細長いからだを持っていることを考えずにいたんだ。だから、ある夜、Qはかぎ穴から外に広い空間があることに気がつき、かぎ穴から抜け出したのだ。つぎの室にはわしがいたが、ちょうど文献(ぶんけん)を読むことに夢中になっていたので、Qはそのうしろを抜けて、戸のすき間から廊下へ抜け出した。わかるだろう」
「ええ、よくわかりますとも」
「それからお三根(みね)さんの部屋へはいりこんだ。めずらしい部屋なので、Qはよろこんで踊りまわっていると、お三根が寝床(ねどこ)から起きあがった。水を飲みに行くつもりか、かわやへ用があったのか、とにかく起きあがったところへ、Qがとんでいってお三根ののどにさわった。Qのからだはかみそりの刃(は)のようにするどいので、お三根ののどにふれると、さっと頸動脈(けいどうみゃく)を切ってしまったのだ。思いがけなく、Qは人間の死ぬところを見て興奮した。そして、朱(あけ)にそまって死んでいくお三根のまわりを、なおもとびまわったので、お三根のからだのほうぼうを傷つけた。どうだ。わかるかね」
「よくわかります。それだけよくごぞんじだったのに、あなたはなぜはじめに、そのことをわれわれに説明してくださらなかったのですか」
「おお……」
 と、博士はうめいた。
「これは最近になって、わしがつけた結論なんだ。事件当時には、わしもあわてていて、なにも判定することができなかったんだ」
 博士の話は、なかなか鋭いところをついていた。思いがけない殺人に、みずから興奮してあわてたQは、お三根の部屋でうろうろしているうちに、すっかり疲れてふとんのすそに眠ってしまったところを、川内警部がぎゅうと踏みつけたので、Qはおどろいて目をさまし、とびあがった。そのときかみそりのように鋭いQが、警部の左の足首にさわったので、さっと斬ってしまったのだ。
 Qはいよいよおどろき、戸口から廊下へとび出し、もとの研究室へひきかえした。そのとき田口警官が、廊下をこっちへやってくるのとすれちがった。すれちがうとたんに、Qは田口の右ほおにさわって斬ってしまった。
 そこでQはますますあわて、その建物から外へとびだした。そうして人に拾われるようなことになったのだ。
 と、博士は見ていたように、話をしたのである。
 その話の間に、約束の時間は過ぎてしまった。だが博士は、それに気がつかないのか、しゃべりつづけた。興奮の色さえ見せて、かたりつづけたのであった。


   大団円


「おどろきました、感じいりました」
 と、長戸検事は厳粛(げんしゅく)な顔になっていった。
「あなたはどうしてそこまで、おわかりになったのでしょう。Qをお作りになったのは、あなたであるにしても、Qの行動をそこまでくわしく知る方法とか器械があるのでしょうか」
 博士は、はっとしたようすだった。きゅうにふきげんになった。そして腕時計を見た。
「おお、もう約束の十五分間は過ぎている。会見は終りにします。これ以上、なにもしゃべれません。さあみなさん、出ていってもらいましょう。はじめからの約束ですから」
 だんだんと語勢(ごせい)を強くして、博士は手をあげ、戸口(とぐち)を指した。
「わたしのいまの質問は、いちばん重要なものですから、きょうの会見のさいごに、それだけはお答えください」
 検事は、くいさがる。
「おたがいに約束は守りましょう。さあ、いそいで帰ってください」
 と、博士は、ますますこわい顔つきになって、検事をにらみすえた。
「まあ、もうしばらく待ってください。博士、もしあなたがこの答えをなさらないと、あなたは不利な立場におかれますが、かまいませんか」
「答えることはしない。何者といえども、わしの仕事をじゃますることをゆるさない。じゃまをする者があれば、わしは実力を持って容赦(ようしゃ)なくその者を、外へたたき出すばかりだ」
 博士の全身に、気味のわるい身ぶるいが起こった。
 蜂矢十六は、このとき検事のうしろに、ぴたりと寄りそって、なにごとかを検事に耳うちした。それを聞くと検事は夢からさめたような顔になって、うなずいた。検事は、博士に向かって、ていねいに頭をさげた。
「たいへん失礼をしました。おゆるしください。それでは、わたしどもはこれでおいとまいたします。また明日、五分間ほどわれわれに会っていただきたいと思いますが、いかがですか」
「ばかな。もう二度ときみたちの顔を見たくない。早く出ていくんだ」
「ああ、たった五分間です。それも博士のご都合のよろしい時刻をいっていただきます」
「いやだ。帰りたまえ」
「すると明日はご都合がわるいのですかな。どこかお出かけになりますか」
「よけいなことを聞くな」
「では、明後日にどうぞお願いします」
「じゃ、明日会うことにしよう。午後二時から五分間、時刻と面会時間は厳守(げんしゅ)だ」
 とつぜん博士が態度をかえて、いったんことわった明日の会見を約束した。検事はほっとした。
 博士もなんとなくなごやかな顔にもどった。
「では、失礼しましょうや、長戸さん」
 蜂矢がうながした。博士に一礼すると、カバンを抱(かか)えるようにして、戸口から外へでた。
 さて、その翌日のことだったが、きのうとおなじ顔ぶれの長戸検事一行が、針目博士邸(はりめはくしてい)へ向かった。もちろんその中に蜂矢探偵もまじっていた。その蜂矢は、いつになく元気がなかった。
「おい、蜂矢君。どうしたんだ。元気をだすという約束だったじゃないか」
 気になるとみえ、長戸検事は蜂矢のそばへ行って肩を抱えた。
 蜂矢は苦笑した。
「どうもきょうは調子が出ないのです。ぼくだけ抜けさせてもらえませんか」
「それは困るね。ここまでいっしょにきたのに、いまきみに抜けられては、おおいに困るよ」
 と、検事はいって、蜂矢の顔をのぞきこんだが、蜂矢はほんとうにすぐれない顔色をしているので、検事はきゅうに心配になって、
「うむ、蜂矢君。抜けていいよ。早く帰って寝たまえ。あとから医務官(いむかん)を君の家へさし向けてあげる」
 といって、蜂矢が一行とはなれることをゆるした。そこで蜂矢はとちゅうからひきかえした。
 ところが、検事一行が博士の門の手前、百メートルばかりのところまで近づいたとき、
「おーい、おーい」
 と後から呼ぶ者があった。一同が振り返ってみると、いがいにも蜂矢が追いかけてくるのだった。
「どうした、蜂矢君」
 蜂矢は息を切って、さっきかれひとりが抜けようとしたことをわびた。そしてかれのせつなる願いとして、午後二時五分過ぎまでは、ぜったいに博士邸に、はいらないことにしてくれといった。検事はおどろいて、その理由の説明を蜂矢にもとめた。
「なにも聞かないで、二時五分まで待ってください。なんにもなかったら、そのときはぼくはあなたがたにあやまってわけを話します」
 検事は、蜂矢を笑おうとしたが、思いとどまった。そして部下たちとともに、博士邸の門から三十メートルほど手前の空地(あきち)にはいって、休憩をとった。
 おそるべき事件が、午後二時を数秒まわったときに発生した。
 それは第二の爆発事件だった。天地のくずれるばかりの音がして、博士邸からはものすごい火柱が立った。もし一行が、博士に約束したとおり、その時刻、博士の研究室にはいっていたとしたら、どうであろう。長戸検事以下の警官たちも蜂矢十六も、一瞬にして貴重な生命をうばい去られたことだろう。
 いったい何故(なにゆえ)に第二の爆発が起こったのであろうか。それは前回のものよりもはるかに強烈なるものであって、博士邸をまったく粉砕(ふんさい)してしまったのをみても、そのはげしさがわかる。事件後焼跡(やけあと)に立った一同は、カッパのような顔色にならない者はなかった。
 ふしぎにも針目博士はすがたをあらわさなかった(いや、その後も博士は引き続いて、すがたをあらわさないのだ)。前日より、いささか考えるところがあって、ひそかにこの邸のまわりに私服警官数名を配置し、博士の行動を監視させておいた。ところが、かれら監視当直の者の話では博士はずっと邸内にとどまっていたらしく、けっして外出しなかったそうである。
「蜂矢君。きみはどうしてこんどの爆発を予知したのかね」
 検事は、うしろをふりかえって、生命(せいめい)を拾うきっかけを作ってくれた探偵にたずねた。
「わかりませんねえ。ただ、さっきはきゅうに気持が悪くなったんです。いまはなんともありません。これは一種の第六感ではないでしょうか」
「きみの第六感だとね。なるほど、そうかもしれない」
 いつもならまっこうから、ひやかす長戸検事が、笑いもせず、そういってうなずいた。
「とにかくきみもぼくも、きのう博士をうさんくさい人物とにらんでいたことは、意見一致のようだね。そうだろう」
「そうです。かれこそ、怪金属Qにちがいありません。Qは、ほくが気絶(きぜつ)している間(ま)に、本当の針目博士を殺し、そして博士の頭を切り開いて、じぶんがその中へはいりこみ、あとをたくみに電気縫合器(でんきぬいあわせき)かなにかで縫いつけ、ぼくが気がついたときにはすっかり、針目博士にばけていたのにちがいありません」
「そうだ。そうでなくては、われわれを呼びよせて、みな殺しにする必要はなかったはずだ。もし本当の博士だったとしたらね」
「本当の博士なら『わし』などとはいわず『わたし』というはずです。それから話のあいだに、博士であることをわすれて、Qが話しているような失策を二度か三度やりましたね」
「そうだった。そんなことから、Qはぼくたちを生かしておけないと考え、きゅうにきょうの午後二時かっきり、時刻厳守(じこくげんしゅ)で会うなんていいだしたのだろう。どこまでわるがしこい奴だろう」
 このとおり長戸検事と蜂矢探偵の意見はあったようだが、はたしうる一点はそのとおりかどうか、いま、にわかにはっきり断言はできない。

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