金属人間
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著者名:海野十三 

「このほかに、茶釜の破片は落ちてなかったんだろうか」
「さあ。落ちていたかもしれませんが、ぼくの目にとまったのは、これだけでした」
「そうかい。とにかくこれはいいものを拾って来てくれた。これは、ぼくのところに保管しておくが、ひょっとすると今夜あたり、これがコウモリのように空中をとびまわるかもしれないね」
「えっ、なんですって」
「いや、なんでもないよ」
 蜂矢は、あとをいわなかった。それはじぶんの想像のために、小杉少年を不必要にこわがらせてもいけないと思ったからである。だが蜂矢の想像としては、もしもこの茶釜が、針目博士の作り出した金属Qであったとしたら、たとえそれが今は破片になっているにせよ、いつかは生きかえって、破片ながら動き出すかもしれないと思ったのであった。
 はたして、蜂矢探偵のこの予想は的中するかどうか。


   ふしぎな電話


 きゅうにある家出人事件(いえでにんじけん)がおきて、そのことについて蜂矢探偵は一生けんめいに走りまわっていたので、れいの茶釜破壊の日から約二十日間を、怪金属事件の捜査から、手をぬいていたのだった。
 ようやくその家出人も、ついに探しあてられて、ぶじ家にもどり、蜂矢の仕事も、ここに一段落となった。そこでかれは、ふたたび怪金属事件の方へあたまをふりむけることになった。
 この二十日間、さいわいべつに怪しい事件も起こらず、まず泰平(たいへい)であった。
 しかしいろいろなことが、あしぶみをしていた。針目博士の行方の捜査のこと。黒箱の中にはいっていた器械をしらべること。こわれた茶釜の行方をつきとめ、その破片をみんな集めることなどが、きゅうを要することだった。
 茶釜の破片あつめは、いまとなってはどうにも手おくれで、いたしかたがなかった。あの事件の直後、小屋の中をめんみつに探したなら、破片あつめはあるていど、成功したかもしれないのだがいまとなって後悔(こうかい)しても、もうおそかった。
 けっきょく、ちゃんとはっきりのこっているのは、小杉二郎少年が拾ってきて、いま蜂矢の書斎の金庫の中にある一破片だけであった。この破片は、もしや奇怪なる生き返りでもして、家の中をコウモリのように飛びまわりはしないかと、気をもませたものであったが、事実そういうことは起こらなかった。まったくしずかに箱の中にはいっているふつうの金属片にすぎなかった。蜂矢は、はじめはこれが飛びまわるかと、おそれをなしたものの、飛びまわらないとわかったいまは、少々がっかりしているふうであった。
 雨谷君も、まず正気(しょうき)にかえって、いまではふつうの人のようになり、退院も間ぢかという話であった。この雨谷君に茶釜の破片を持っているなら、参考のために見せていただきたいと申し入れた。しかし雨谷君のところには、ひとつもないことがわかった。
 そうなると、蜂矢の家にある一破片は、いよいよ貴重なものとなった。
 ほかの破片は、いったいどこへ行ったのであろうか。
 それはたぶん、掃除夫が集めて、塵芥焼却場(じんかいしょうきゃくば)にはこび、そこで焼いてしまったのであろう。むかしなら、そういうときには、金属材料は大切にあつかわれ、横にのけておいて、製鉄所へ回収されたかもしれない。今はもうおそまつにあつかっているので、焼いたあとは、灰の中へうずまり、ますます深く地中へうずもれていったことであろう。
 もしもあの茶釜の中に、蜂矢探偵が想像したように、生命のある怪金属(かいきんぞく)がはいっていたものなれば、その生命は、どうなったであろう。
 茶釜が破壊したときにいっしょに、怪金属の生命も終ってしまったのであろうか。
 いやいや、そうかんたんには断定できないであろう。もともと怪金属は、非常に小さいものであるから、もし茶釜の中にそれがはいっていたとしても、茶釜が破壊したときに、その生命が不運にも二つに折られるようなことは、まずまずないであろう。
 そうだとすると、怪金属は、どこかに今も生きている可能性がある。可能性があるというだけのことで、かならず生きているとはいえない。この二十日間、世の中に、怪金属を思い出させるような怪事件が報道されないところをみると、怪金属はあるいはすでに、死滅(しめつ)してしまったかもしれないのだ。
 蜂矢探偵は、きょうは実験室にはいって、れいの黒箱を解体し、いろいろとしらべている。
 かんじんの真空管(しんくうかん)や同調回路(どうちょうかいろ)がないので、このしらべもなかなか困難であったが、しかし蜂矢探偵は、持ちまえのやりぬく精神をもって、こつこつと仕事をすすめていった。
 すると、とつぜん電話がかかってきた。
 蜂矢は、ドライバーをほうりだして、受話器を取りあげた。異様(いよう)につぶれた声が聞こえてきた。
「……もしもし。探偵の蜂矢さんは、あんたかね」
「そうです。蜂矢十六(はちやじゅうろく)です。あなたはどなたですか」
「蜂矢君。きみは身のまわりを注意したまえ。ひょっとするときょうあたり、おそろしい奴がたずねて――」
 電話は、そこでぷつりと切れた。そのあといくら電話局に連絡しても、さっきの相手はふたたび出なかった。
 通話はあきらめた。
 だがこれはおかしなことになった。あやしい客がくるという警告だ。あの通話者(つうわしゃ)は、いったい何者だろうか。同情者(どうじょうしゃ)なのであろうか。それとも脅迫者(きょうはくしゃ)がみずから電話をかけてきたのであろうか。
 ちょうどそのとき、玄関の呼鈴(よびりん)が鳴った。訪問客だ。はたして、さっき電話で注意をうけた怪人物の来訪であろうか。それともふつうの事件依頼人(じけんいらいにん)であろうか。
 蜂矢は、玄関へ出ていって、秘密の透視窓(とうしまど)ごしに、外にたっている訪問客のすがたを見た。まっ黒な長いマントに、おなじ黒の頭巾(ずきん)をすっぽりかぶった異様な人物が、まるで影のようにそこに立っていた。
 蜂矢探偵は、ぎくりとした。


   怪少年


 何者だろう。ふしぎな服装の訪問客は、顔を頭巾の奥ふかくかくしているので、誰だか見当がつかなかった。
「先生。あやしい人ですよ。おいかえしましょうか」
 小杉少年が、蜂矢探偵の方を心配そうな顔で見て、そういった。その訪問客は、長い黒マントの下にピストルぐらいかくしていそうであった。とにかく、雨も降っていないのに、なぜあのように、下にひきずるほど長いマントを着ているのだろう。こんな怪しい客はおいかえすにかぎる。
「ちょっとお待ち。怪しいお客なら、特にていねいに応待をして、応接室へご案内しなさい」
「それでは、あべこべですね。先生、あの長いマントの下から、ピストルがこっちをねらっているかもしれませよ。きっと、そうだ」
「もちろん、こっちは充分に注意をするから大丈夫だ。それにさっき電話で、“きょう怪しい客が行くぞ”と知らせがあったほどだから、怪しい客にはぜひお目にかかりたい」
「先生はかわっていますね。それではぼぐが玄関へ出ますが、先生はくれぐれも注意をおこたらないようにしてくださいよ」
 小杉少年は、蜂矢探偵があまり大胆すぎるので、気が気でない。
 それから小杉少年は、玄関へとび出していった。玄関をあける音、それから客と小杉との対話が、客にはわからない秘密屋内電話の線をつたわって、蜂矢のところへ聞こえてくる。
 それを聞いていると、怪しい客は、小杉の質問には答えようとはせず、ただすこしも早く蜂矢探偵に会わせてくれ、会うまでは、何にも説明しないとがんばっているようす。
「そんなことでは、先生に取次(とりつ)ぎができません」
 というと、怪しい客は、
「そんなら、きみに取次ぎはたのまない。じぶんが奥へふみこんで、蜂矢探偵に面会をとげるであろう」
 といって、かれは前に立ちふさがる小杉少年の胸をぽんと押しかえした。すると小杉は、うしろへひっくりかえった。怪しい客は、えらい力持(ちからもち)だった。
 怪しい客は、どしどし奥へはいりこんだ。そして蜂矢探偵が書斎にいるのを見つけると、つかつかとその前へ―。
「蜂矢君。茶釜の破片をわたしたまえ」
 怪しい客は、しゃがれた声を出して、ぶっきらぼうにいう。
「いったいきみは、誰ですか」
 蜂矢探偵は、しずかなことばで、怪しい客にたずねた。
「茶釜の破片をわたしたまえ。いそいで、それをわたしたまえ」
「なぜ、きみにわたす必要があるんですか。それがわからないと、たとえその破片が手もとにあったとしても、きみにはわたせませんね」
「そんなことは必要ない。早くわたせ」
「きみは礼儀(れいぎ)を知りませんね。人間というものは、いやな命令をされると、ますます反抗したくなるものですよ。けっきょくきみは自分の思うとおりにならなくて、困るでしょう。そういうやりかたは、きみにとってたいへん損ですよ」
「早く破片を手にいれたいのだ。これがきみにわからんのか」
 怪しい客は、いらいらしてきたらしく、大きな黒頭巾(くろずきん)の奥で、しきりに小さな顔をふりたてている。そのとき蜂矢は、怪しい客の顔が、ほんとうの人間の顔ではなく、マネキン人形の首であることを見破った。そのマネキン人形は、かわいい少年の首であった。
 人形の首が、なぜ口をきくのか。生きている人間のように、ものごとを考えたり、こっちの話を聞きわけたりするのか。とにかく、これはとんでもない怪物であることが察しられた。
「いや、ぼくは、礼儀を知らない人間とおつきあいをするのは、ごめんです。もちろん、何をおっしゃっても、ぼくは聞き入れませんよ。協力するのはいやです……」
「いうことをきかないと、殺すぞ」
「殺す、ぼくを殺して、なんになりますか。すこしもきみのためにはならない、茶釜の破片をしまってある場所は、もしぼくが殺されると、きみにおしえることができない。それでもいいんですか」
「ううむ――」
 怪しい客は、うなりごえとともに、からだをぶるぶるふるわせて、
「早く出せ。きみが茶釜の破片を持っていることは、今きみが自分でしゃべった」
「たしかに、持っています。話によれば、おわたししてもいいが、礼儀は正しくやってもらいましょう。まず、そのいすに腰をかけてください。ぼくもかけますから、きみもかけてください」
 そういって蜂矢探偵は、先に自分のいすに腰をおろした。
「わたしは腰をかけることができないのだ」
 怪しい客は、うめくようにいった。
「なぜ、きみにそれができないのか。そのわけを説明したまえ。およそ人間なら、誰だって腰をかけるぐらいのことはできる。きみは、人間でないのかね」
 蜂矢は、ことばするどく相手にせまった。
 すると怪しい客の全身が、がたがたと音をたてて、大きくふるえだした。怒(いか)りに燃えあがったのか、それとも恐怖(きょうふ)にたえ切れなくなったためか。


   恐ろしき笑い声


「もうきみの力は借りない。今まで人間のまねをしていたが、ああ苦しかった。もうこれからはわたしの実力で、必要とするものをさがし出して持っていくばかりだ」
 怪(あや)しい客は大立腹(だいりっぷく)らしく、声をあらげて叫んだ。と、かれの頭巾(ずきん)が、ひとりでにうしろへひっぱられ、今まで頭巾(ずきん)でかくれていたマネキン人形の首が、むき出しにあらわれた。
「あッ」
 これには蜂矢もおどろいて、思わず声をあげた。にこにこ笑っている木製の男の子の首だ。がそれだけではない。マネキン人形の頭の上に、やかんのふたぐらいの大きさの金属らしい光沢の物体がのっている。それが生きもののように、はげしく息をしている。ふくれたり、ちぢんだり、横に立ったり、形をかえたり。いよいよ怪しいものだ。
「待ってくれ。きみのいうことは、きく。らんぼうするな」
 蜂矢は、まっさおになっていすから立ちあがりあとずさりした。今までの落ちつきをうしなって、日頃の蜂矢には見たくても見られないほどの大狼狽(だいろうばい)だ。どうしたのだろう。
「もうきみと口をきく必要はない。しずかにしていろ。きみの脳にたいし直接問いただすことがあるんだ。茶釜の破片(はへん)のかくしてある場所を問いただすんだ。もうきみには答えてもらう必要はない。用がすめば、きみを殺してやる」
「待て、金属Q! 話が残っているんだ。待ってくれ、骸骨(がいこつ)の第四号!」
「ふふふふ。そこまで、きみは知っているのか。それを知っていながらわたしのじゃまをするとは、いよいよゆるしておけない。いじわるの人間よ。あとできっとかたづけてやる」
「まあ待て、きみに一つ重大な注意をあたえる。きみを作った針目博士はちゃんと生きているぞ。博士はきみを逮捕(たいほ)するために、一生けんめい用意をととのえている。それを知っているか」
「針目は死んだ。生きているわけはない。でたらめをいうな」
「博士が死んだと思っていると、きみはとんだ目にあうよ。この前きみが浅草公園(あさくさこうえん)の小屋の中で、綱わたりをしていたときに、きみはいつもりっぱに、らくらくとあの芸当(げいとう)をやりとげていた。ところが最後の日、きみは綱わたりに失敗して墜落(ついらく)した。そして茶釜はめちゃめちゃにこわれてしまった」
「それがどうした。過(す)ぎたことが」
「きみは、あの日、なぜ綱わたりに失敗して、墜落したかそのわけを知っているのかい。それをぼくが話してやる。あれはね、針目博士が特殊の電波をもちいてきみをまひさせたんだ。きみは思いだしてみるがいい」
「ふーん。どうもおかしいと思った。針目博士が生きているなら、これはぐずぐずしてはいられない。おい、博士はどこにいる」
「知らないよ。ほんとうに知らない。ぼくたちも博士の居所(いどころ)を探しあてたいと思っているのだ」
「ううーん。うそつきどもの集まりだ。よし、おれは他人の力によって征服されるものか。さあ、仕事だ。茶釜の破片を出せ。いや、きみの返事なんかいらない。直接にきみの脳からきいてやる」
 そういうと、怪しい客――金属Qは蜂矢におどりかかった。
 蜂矢はひらりとからだをかわしたが、金属Qはとてもす早く、蜂矢は二度目にはねじ伏(ふ)せられた。とたんにひどい頭痛を感じた。
「うーッ、苦しい」
「はっはっはっ。金庫の中にしまってあるのか。もうきみには用はない。いや、殺してやるんだ」
 このとき小杉少年がとびこんできて、ゴルフのクラブで、金属Qのうしろから力いっぱいなぐりつけた。
「ややッ。誰だ」
 金属Qは、びっくりしてうしろをふり返った。そのすきに蜂矢は立ちあがって、いすをつかんで怪人の足をはらった。怪人は大きな音をたててひっくりかえった。が、すぐさまはね起きると、こんどはふたりには目もくれず金庫の前にとんでいった。すると金庫は、とつぜん火を吹いた。金庫のかたい扉(とびら)のまん中に大穴があいた。怪人は、その中から、蜂矢のたいせつにしていた茶釜の破片をつかみだした。
「だめだ。これはただの鉄片(てつへん)だ。おれがさがしている大切な十四番人工細胞(じんこうさいぼう)ではない。ちえッ、いまいましい」
 がちゃんと、鉄片は床にたたきつけられた。と怪人は大きなマントをひるがえして窓からさっととび出した。
「ああッ、待て」
 蜂矢は立ちあがって、窓から外へ手をのばした。しかしそれはもう間に合わなかった。
「二郎君。怪人の行方(ゆくえ)を監視していてくれ。ぼくは長戸検事(ながとけんじ)のところへ電話をかけるから……」
 蜂矢はいすの背をとびこえて、電話機のところへとんでいった。


   怪魔(かいま)の最後(さいご)?


 怪魔金属(かいまきんぞく)Qが逃げた!
 怪金属Qは、長い黒マントに黒頭巾(くろずきん)を着て人間の形をよそおい、日比谷公園(ひびやこうえん)の方へ逃げた。
 怪金属の実体(じったい)というべきものは、マネキン人形の頭部のてっぺんに乗っている。それを捕(とら)えるんだ!
 このような知らせが、長戸検事のところへ蜂矢からとどいたので、検事はびっくりしたが、かねて待っていたことだから、すぐ手続きをとって、警察力のすべてをあげて怪魔(かいま)の追跡(ついせき)と逮捕(たいほ)にとりかかった。
 連絡の電波は、四方八方(しほうはっぽう)にみだれとんで、金属Qの行方をたずねまわる。
「いました。金属Qらしい長マントの怪人が議事堂の塔の上にいます」
「なに。議事堂の塔の上に怪魔がいるというのか」
 長戸検事は今は金属Q捜査隊長(そうさたいちょう)に任命せられていたので、これを聞くとただちにぜんぶの隊員へ放送した。
「手配中の犯人は議事堂の塔上(とうじょう)にのぼっている。包囲(ほうい)して、取りおさえよ」
 命令一下、警官隊は議事堂へむけて突進した。自動車とオートバイとの洪水(こうずい)だ。それに消防隊が応援にかけつける。
 選抜隊が百名、いよいよ屋上へ通じている階段をのぼって、塔のもっとも下の遊歩場(ゆうほじょう)へ姿をあらわした。
 怪魔は、塔の上で、ぐったりとなっている。やっぱり疲れはてたものと見える。風に、長マントがまくれる。黒頭巾(くろずきん)が、ひとりでこっくりこっくりとおじぎをしているが、これも風のいたずららしい。
 附近の建築物の屋上にも、警官隊がぎっしりとのぼって、もし怪魔がこっちへ逃げてきたときは取りおさえようと、手ぐすねひいている。
 そのうちに怪魔は気がついたらしく、塔(とう)の尖端(せんたん)に立ちあがって、きょろきょろと下をながめまわした。と、思ったら、怪魔はマントの下から、石のようなものを下へばらばらとまいた。それは下にせまっている警官隊のまん中で大きな音をあげて破裂(はれつ)した。警官たちは将棋(しょうぎ)だおしになった。
「うてッ」
 警官たちも今はこれまでと、下から銃器(じゅうき)でもって応じた。上と下とのはげしいうちあいはしばらくつづいた。警官たちは、どんどん新手(あらて)をくりだして、怪魔を攻(せ)めたてた。
 怪魔はついにふらふらしだした。
「あ、あぶない」
 怪魔のからだが塔の上からすっとはなれた。
「下へ飛ぶぞ。逃がすな」
 大きく弧(こ)をえがいて、長い黒マントの怪魔は議事堂の庭の上に落ちた。そして動かなくなった。
「とうとう自分でお陀仏(だぶつ)になったか」
「あんがい、かんたんな最期(さいご)をとげたじゃないか」
「大事なところを弾丸(たま)にうちぬかれたのだろう」
 怪魔のからだは、ばらばらになっていた。もちろんこれはマネキン人形の手足や胴中(どうなか)や首であるから、そのはずである。
 長戸検事がかけつけ、怪魔のばらばらになったからだを念入(ねんい)りにしらべた。
「はてな。なんにもない」
「検事さん、あれがありませんか」
「おお、蜂矢君」
 と検事はすこしおくれてかけつけた蜂矢をふりかえって、
「あれが見えないよ。人形の首はこのとおりあるが、きみがいったようなやかんのふたみたいなものは見えない」
「もっと徹底的(てっていてき)にしらべましょう。しかしあれは怪力(かいりき)を持っていて、危険きわまりないものですから、ぴかりと光ってあらわれたら、すぐ警官隊はそれをたたき伏せなければ、あぶないですよ」
「よろしい」
 蜂矢探偵は念入りにしらべた。
 だが、やっぱりこわれたマネキン人形のばらばらになった部分のほかに何もなかった。
「あるはずなんだがなあ」
 蜂矢は、首をかしげる。
「あれだけが逃げたんじゃないかなあ」
「そういう場合もあるでしょう。あなたの部下の誰かが、これを見かけたでしょうか」
「いや、そういう報告はない」
「ふしぎですね」
 この謎はとけないままに、その日は暮れた。怪魔(かいま)はどこへ行ったのであろうか。どこにかくれているのであろうか。
 怪魔のばらばらになった遺骸(いがい)は、どこにどう始末をするか、ちょっと問題になった。けっきょく、やっぱり大事をとって、これを怪魔の死体としてあつかうこととなり、たるに入れ、死体置場(したいおきば)の中へはこびこまれ、その夜は警官隊をつけて厳重(げんじゅう)な警戒をすることになった。なんだかあまりにものものしいようであるが、なにしろ相手がえたいの知れない怪物であるだけに、ゆだんはすこしもできなかった。
 はたしてその夜ふけて、怪魔の遺骸(いがい)をおいてある死体置場に、世にもあやしいことが起こった。


   死体置場(したいおきば)の怪(かい)


 死体置場の警戒のために、その部屋に詰めていた警官は、長夜(ちょうや)にわたって、べつに異常もないものだから、いすに腰をおろしたまま、うつらうつらといねむりをしていた。
 ところが、とつぜん怪しい物音がして、警官をねむりから引き起こした。
「やッ。今のは、何の音……」
 と、すばやく部屋の中を見わたすと、意外な光景が目にうつった。
「あッ」
 警官は、おそろしさのあまり、全身に水をあびせられたように感じた。
 見よ。そこに収容(しゅうよう)されてあった二つの死体が並べてあったが、それにかぶせてあった布(ぬの)がとり去られてあった。そして警官が目をそこへやったとき、男の死体が、上半身をつつーッと起こしたかと思うと、警官の方へ顔を向け、上眼(うわめ)でぐっとにらんだのである。
「わッ」
 警官はおどろきの声をたてた。そして気が遠くなりかけた。
 すると、その男の死体は、よろよろと立ちあがった。そしてあやつり人形のような動きかたをして警官の方へふらふらと近づいた。
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」
 警官は、おそろしさに、たまらなくなって、合掌(がっしょう)してお念仏(ねんぶつ)をとなえ、目をとじた。
 ばさり。
「うーむ」
 ばさりというのは、死体が冷たい手で、警官の横面(よこつら)をなぐりつけた音であった。
「うーむ」という呻(うな)り声(ごえ)は、とうとうこらえきれなくなって、その警官が目をまわしてしまったのである。
 その警官は、それから三十分ほど後、交代の同僚がやってきたときに発見され、手当(てあて)をくわえられて、われにもどった。
「おお、気がついたか。しっかりしなくちゃいかんよ。いったいぜんたいどうしたんだ」
 同僚が警笛(けいてき)を吹いたので、たちまち宿直(しゅくちょく)の連中がかけつけて、人事不省(じんじふせい)の警官をとりまいて、元気をつけてやった。
「あーッ、おそろしや。死体が棺の中に起きあがって、ふらふらとこっちへやってきた。そしてわたしをにらんだ。わたしは、死体にくいつかれると思った。おそろしいと思ったら、気が遠くなって、あとのことはおぼえていない」
「なるほど、そういえば、死体が一つたりないが、どこへ行ったんだろう」
 死体の行方が問題となって、警官たちはお手のものの捜査を開始した。
 しばらくすると、さっき目をまわした警官は、もうすっかり元気をとりもどしたが、行方をたずねる男の死体は、どこにも見あたらなかった。
 ふしぎだ。
 どこへ行ったんだろう。第一、死体が歩くというのはおかしい。
 だが、死体がなくなったことは、まちがいない。出口は、方々にある。そのどこかを抜けて通ったものにちがいない。
 死体置場は、さらに念入りにしらべあげられた。そのけっか、二つの新しい発見があった。
 その一つは、議事堂の塔から落ちた怪少年の死体――これは死体といっても、マネキン人形のからだなのであるが――その死体が、それを入れてあった箱の中にはなく、手や足や胴などがばらばらになって、箱の外にほうりだされていたことである。
 そして、それを集めてみると、マネキン人形の首だけが足りなかったのである。
 もう一つのこと。それは、たずねるマネキン人形の首の破片(はへん)と思われるものが、なくなった男の死体のはいっていた棺(かん)のうしろのところに、散らばって落ちていたことだ。
 この二つのことが、なぜ起こったのか、すぐにはとけそうもなかった。
 紛失(ふんしつ)した死体の主は、上野駅のまえで、トラックに追突(ついとつ)されてひっくりかえり、運わるく頭を石にぶつけて、脳の中に出血を起こして頓死(とんし)した四十に近い男であって、どこの何者ともわからず、ただ服の裏側に「猿田(さるた)」と刺繍(ししゅう)したネームが縫(ぬ)いつけてあるだけであった。職業もはっきりしないが、からだはがんじょうであるけれど、農業のほうではなく、手の指や頭部(とうぶ)の発達を見ても、文筆労働者(ぶんぴつろうどうしゃ)でもなく、所持品から考えても商人ではない。けっきょく、わりあい財産があって、のんきに暮らしている人ではあるまいかと察(さっ)せられた。そして東京の人ではなく、地方から上野駅でおりたばかりのところを、やられたのであろうと思われた。
 そのうちに、地方から、「猿田なにがし」という人物の捜査願(そうさねがい)が出てくるであろう。そうしたらその身分もあきらかになる。それを当局は待つことにして、「猿田」の死体の方は、ひきつづきげんじゅうに捜査をすすめていたのである。
 だが、死体の行方は、いつまでたっても知れなかった。


   蜂矢探偵(はちやたんてい)の決心


 蜂矢探偵(はちやたんてい)は、ようやくからだがあいたので、ひさしぶりに、怪金属Qの事件の方にかかれることとなった。
 探偵は、カーキー色の服を着、シャベルとつるはしとをかついで、針目博士邸(はりめはくしてい)へ行った。
 博士邸は、あの爆発事件で、第二研究室が跡かたなくとんでしまって以来、住む人は留守番のほかに、検察庁から警官が詰めていたが、その人々もだんだんにへり、最後はただのひとりとなったが、今はそのひとりも常に詰めかけてはいず、三日に一度ぐらい、巡回(じゅんかい)にちょっと寄ってみるくらいだった。
 警戒の方も、このくらいかんたんになっていることゆえ、世間(せけん)も、この事件をもはやわすれかけていた。
 はじめ事件の捜査(そうさ)の指揮(しき)をとっていた長戸検事(ながとけんじ)は、もちろん、この事件をわすれてはいなかった。ひそかに毎日毎夜、頭をひねるのがれいになっていた。しかし表面にあらわれたところは、検事はやはりこの事件をわすれているように見えた。それは、この事件の捜査を蜂矢探偵に肩がわりをしたので、検事は任務から解放されたのだと、みんなはそう思っていた。
 さて、蜂矢探偵のきょうのいでたちや、肩にかついだ道具は、なにを語るであろうか。
 かれは、これまで針目博士邸につぎつぎに起こった怪事件を、くりかえし考えた。そのけっか、結論にたっすることができなかった。
(まだ方程式(ほうていしき)の数がたりないんだ)
 結論をだすには、まだしらべがたりないところがあることが、はっきりわかったのだ。
 そのたりない方程式の一つは、博士の第二研究室あとを掘りかえしてみることである。あの土の下から、かれは何ものかを発見したいと思っているのであった。
 その爆破跡は、これまでに検察庁やその他の方面の人々の手によって、いくどとなく念入りに掘りかえされたのだ。しかし、ついに重大なる手がかりと思われるものは、発見されなかったのである。それなれば、これから遅ればせに、蜂矢が掘ってみたところが、何も出てくるはずがない。ところが蜂矢探偵は、あえてもう一度掘りかえす決心を立てたのだ。
 かれは、博士邸(はくしてい)のさびついた門を押して、中へはいった。
 貞造(ていぞう)じいさんに、まずことわっておく必要があると思い、かれをたずねた。
「やあ。どなたかね。わしは、このところ腰がいたくて、ずっと寝こんでいますでな。ご用があれば、こっちへずっと入ってください」
 貞造は、そういって、ふとんの中から声をかけた。
 そこで蜂矢は中へはいって、見舞(みまい)をのべた。それからかんたんに、その後、邸内(ていない)におけるかわったことはないかとたずねた。
「いやあ。さっぱりございませんな。どなたも、ずっと見えませんですよ。あまり静かで、墓地(ぼち)のような気がしてまいりますわい」
 貞造は、そうこたえた。
 蜂矢は、それからいよいよ第二研究室のあとに立った。かれは首をひねって、焼跡(やけあと)の四隅(よすみ)にあたるところをシャベルで掘った。下からは土台石(どだいいし)らしいものが出てきた。その角のところへ、かれは竹を一本たてた。それからなわをもちだして、竹と竹とを一直線にむすんだ。
 するとなわばりの中が、第二研究室の跡になるわけであった。
 蜂矢は、それをしばらく見ていたが、こんどは別のなわの切(き)れ端(はし)を手に持って、第二研究室跡のうしろへまわった。そこは、すこしばかりの土地をへだてて、石造りのがんじょうな塀(へい)が立っていた。そして塀の内側には、樹齢(じゅれい)が百年近く経ている大きなケヤキが、とびとびに生(は)えていた。
 ちょうど、その研究室跡に近いところに一本のケヤキが、むざんにも枝も葉もなくなって、まる裸になって立っていた。それはもちろんあの爆発のために吹きとばされ、焼かれてしまったものであった。
 蜂矢探偵は、なわの切れはしを持って、塀と枯(か)れケヤキとの間や、枯れケヤキと研究室跡の外壁(がいへき)のあったところと思われるあたりとの間をはかったり、いろいろやった。そのうちについに答えが出たものと見え、かれはつるはしをふりかぶって、大地(だいち)へはっしとばかり打ちこんだ。
 そこは、枯れケヤキの立っているところから研究室の壁へ向かって、四十五度ほどななめに線をひき、そのまん中にあたる地点であった。
 かれはどんどん掘った。上衣をぬいで、シャツ一枚になって、えいやえいやと熱心に掘りつづけた。それがすむと、シャベルで土をすくって、わきの方へどかした。
 自分の掘っている穴の中へ、かれの頭がだんだんかくれていった。ずいぶん深い穴を掘っている。まちがいではないのか。かれは自信を捨(す)てなかった。そして探さ四メートル近くにたっしたとき、かれは穴の中で思わず、
「しめた。とうとう見つけた」
 と、思わずよろこびの声をあげた。直径(ちょっけい)七十センチばかりの、マンホールのふたのようなものが掘りあてられたのだ。
 かれは、この重い鉄ぶたをあけるために、地上においてきた道具をとるために、穴からはいあがった。ついでに汗をふいて、大きく深呼吸をし、それからポケットから紙巻(かみまき)タバコを出して火をつけた。
 かれは、生まれてはじめて、すばらしい味のタバコを吸ったと思った。かれはしばらくすべてをわすれて、タバコの味に気をとられていた。
「ああ、もしもし。きみは蜂矢君でしたね」
 とつぜん、蜂矢のうしろから声をかけた者があった。それは蜂矢が油断(ゆだん)をしていたときのことだったので、かれはぎくりとして、手にしていた短かいタバコをその場へとり落とし、うしろへふりかえった。
 そこに立っていた人物がある。誰だったであろうか。


   意外な一人物


 蜂矢がふりかえって顔を見あわしたその人物は、黒い服を着、白いカラーの、しかも昔流行したことのある高いカラーで、きゅうくつそうにくびをしめ、頭部には鉢巻(はちまき)のようにぐるぐる繃帯(ほうたい)を巻きつけ、その上にのせていた黒い中折帽子(なかおれぼうし)をとって、蜂矢にあいさつした。
「ほう。やっぱり蜂矢探偵でしたね。わたしをごぞんじありませんか、針目(はりめ)です」
「ああ、やっぱりそうでしたか」
 蜂矢は、うれしそうに目をかがやかして、針目博士にあいさつをかえした。
「なかなかご活躍のようですね。とうとう地下室へはいる口を掘りだされたんですね。感心いたしました」
「これは、ごあいさつです」
 と蜂矢はあたまをかいて、
「ご主人がいらっしゃるのを知らないままに、わたしが勝手(かって)なことをしてしまいまして申しわけありません。しかし、じつは針目博士は、あの爆破事件のとき、粉砕(ふんさい)したこの研究室と運命をともになすったように聞いていたのですから、もう博士はこの世に生きていらっしゃらないと思っていました。いや、これはとんだ失礼を申しまして、あいすみません」
「やあ、さあそれもしかたがありません。わたしはあの事件いらいきょうまで、姿をみなさんの前に見せなかったのですから、そういううわさの出たことはしぜんです。悪くはとりません」
 博士は、冷静な顔つきで、そういった。
「どうされたんですか、博士は、つまりあの爆発のときのことです」
「それはさっききみが掘りあてたとおり、第二研究室の床(ゆか)の下には、外へのがれる道がこしらえてあったので、いそいでそれへとびこんで、一命(いちめい)をまっとうしたのです」
「ああ、なるほど」
 と蜂矢はうなずき、
「すると第二研究室の床のどこかに、その秘密の地下通路へ通ずる入口があいていたはずですが、それが爆破後、跡をいくら掘ってみても発見できなかったというのは、どういうわけでしょうか」
 この質問は、蜂矢探偵ならずとも、この事件に関係した人々なら、誰でも知りたいことの第一であろう。
「それはかんたんなことです。わたしが先へ、その穴へとびこむ。するとそのあとで大爆発が起こり巨大なる圧力でもって、その穴をふさいでしまったんですな。おわかりでしょう」
「あッ、そうか」
 蜂矢探偵は、思わず感歎(かんたん)の声を発した。そうなんだ。大爆発のときに、それ位の巨大な力が出ることは予想のできることだった。それでそうなることを、どうして気がつかなかったのであろう。

「とにかくこれからきみを、その地下室の中へわたしみずからご案内いたしましょう。さっきのところから入ってみますか。せっかくきみが掘ったものだから」
「じゃあ、そうしていただきましょう。おお、博士は頭に繃帯(ほうたい)をしていらっしゃるが、どうなすったのですか――けがでもなさったのですか」
「ああ、これですか」
 と博士はにやりと笑って、頭へ手をあてた。
「昨夜、じつは某方面にあるわたしのかくれ家を出ようとしたとき、人ちがいをされて、頭をなぐられて、こんなけがをしたのです。まだすこし痛みますが、たいしたことはありませんから、心配しないでください」
 蜂矢は、それを聞いて、それはたいへんお気のどくさまとあいさつをした。
 それから彼は、博士とともに穴の中へおりていった。重い鉄蓋(てつぶた)を、蜂矢はうまくつりあげて、横へたてかけた。
「さあ、どうぞ」
 蜂矢は、博士に先頭(せんとう)をゆずった。
「きみから先へはいってください。いいですよ、えんりょしなくても……」
「ぼくには、中の勝手がわかりませんから、博士。どうぞお先に」
「そうですか。では先へはいりましょう」
 博士は、先に穴の中へはいった。そして地下道に立って、上を見あげ、
「蜂矢君。何してますか。大丈夫ですよ。おりてきたまえ」
 そういってから博士は、横を向いて、にたりと気味のわるい笑いを頬のあたりに浮かべた。
「じゃあ、おりますよ」
「さあ、早くおりてきたまえ」
 蜂矢は、穴へおりた。
 だがかれはどうしたわけか、その前に穴の上へ、ぽんと手帳をほうりあげた。なぜ手帳を捨てたのであろうか。
 それと同時に、木かげに少年の二つの目が光った。小杉二郎(こすぎじろう)少年の目だった。


   意外な工場


「早くおりてこないと、きみの相手にはなってやらないぞ。わたしにことわりもなく、こんな穴を掘って、けしからん奴だ」
 異様(いよう)な姿の針目博士は、ごきげんがはなはだよろしくない。
 もうすこし蜂矢探偵が穴の上でぐずぐずしていたら、博士はほんとうに怒って、ずんずん中へはいってしまったかもしれない。
 ちょうどきわどいところで、蜂矢は穴の中へとびこんで、博士のそばに、どすんとしりもちをついた。
「お待たせして、すみません。なにしろ、こんなところに地下道(ちかどう)があるなんて、きみのわるいことです。つい、尻(しり)ごみしまして、先生に腹を立たせて、あいすみません」
 蜂矢は、そういって、あやまった。
「はははは。きみは、見かけに似合(にあ)わず臆病(おくびょう)だね。そんなことでは、これからきみに見せたいと思っていたものも、見せられはしない。見ている最中(さいちゅう)に気絶(きぜつ)なんかされると、やっかいだからね」
 博士は、意地のわるいうす笑いをうかべで、そういった。
 蜂矢は、博士のことばに、新しい興味をわかした。それは博士が蜂矢に何か見せたがっているということだ。いったいそれは何であろうか。
「さあ、こっちへはいりたまえ。このドアは、しっかりしめておこう」
 博士は、地下道の途中(とちゅう)にあるドアをばたんとしめ、それにかぎをさしこんでまわした。蜂矢は、そのときちょっと不安を感じた。しかしすぐ気をとりなおして、力いっぱい博士とたたかおうと思った。かれは、これから針目博士が彼をどんなにおどろかそうとしているか、それをすでにさとって、覚悟(かくご)していた。
「ほら、こんな広い部屋があるんだ。きみは知らなかったろう」
 とつぜん、すばらしく大きな部屋へはいった。二十坪以上もある広い部屋、天じょうはひじょうに高い。そしてこの部屋の中には、えたいの知れない機械がごたごたとならんでいて、工場のような感じがする。もちろん人は、ひとりもいない。
「ここは、なにをするところだか、きみにわかるかい」
 針目博士は、からかい気味(ぎみ)に蜂矢に話しかける。
「さあ、ぼくにはわかりませんね」
 あの第二研究室の下に、こんなりっぱな部屋があるとは、想像もつかなかった。針目博士という学者は、じつにかわった人だ。
「わからなければ、教えてあげよう。この機械は、金属人間を製作する機械なんだ。つまりここは、金属人間の製作工場なんだ。どうだ、おどろいたか」
「金属人間の製作工場ですって」
 蜂矢は、思わず大きな声を出して、問いかえした。博士がこんなにずばりと、金属人間のことを口にするとは予期(よき)していなかったのだ。
「そのとおりだ。金属人間をこしらえる工場なんだ。きみは知っているかね、金属人間というものはどんなものだか?」
 博士の方から、かねて蜂矢が最大の謎と思っている金属人間のことに、ずばりとふれてきたものだから、蜂矢はおどろきもし、また内心ふかくよろこびもした。
「くわしいことは知りませんが、針目博士が金属Qの製作に成功せられたことは聞いています」
「ははは、金属Qか」
 博士はうそぶいて笑った。
「君は金属Qを見たことがあるかね」
 蜂矢は、すぐには返事ができなかった。見たと答えるのが正しいか、見ないといったほうがよいか。
「はっきり手にとってみたことはありませんねえ」
「手にとってみるなんて、そんなことはできないよ。だが、すこしはなれて見ることはできるのだ。どうだ、見たいかね」
「ぜひ見たいものですね」
「よろしい。見せてやろう。金属Qを、近くによってしみじみ見られるなんて、きみは世界一の幸運者(こううんもの)だ」
 そういうと博士は、いきなり上衣をぬぎすてた。チョッキをぬいだ。高いカラーをかなぐりすてた。
 その下から、おそろしい大きな傷あとがあらわれた。くびからのどへかけて、はすかいに十センチ近い、大傷(おおきず)を、あらっぽく糸でぬいつけてある。そんなひどい傷をおって、死ななかったのが、ふしぎである。
 博士は、ワイシャツもぬぎとばして、上半身はアンダーシャツ一枚になった。
 それでもうおしまいかと思ったが、博士はまたつづけた。手を頭の繃帯(ほうたい)にかけた。それをぐるぐるとほどいた。
「おおッ」
 ようやくにしてとれた長い繃帯(ほうたい)の下からあらわれたものは、頭のまわりをぐるっと一まわりした傷あとであった。
 それを見ると、蜂矢は気絶(きぜつ)しそうになった。
 博士は、蜂矢探偵を前にして、いったい何をする気であろうか。


   奇蹟見物


「さあ、よく見るがいい。今、金属Qを、この頭の中から取りだすからね」
 博士(はくし)は、とくいのようすだ。
 それにひきかえ、蜂矢探偵はまっさおになり、失心(しっしん)の一歩手前でこらえていた。もしもかれが、金属人間事件の責任ある探偵でなかったら、もっと前に目を白くして、ひっくりかえっていただろう。
 それから先、博士がしたことを、ここにくわしく書くのはひかえようと思う。くわしく書けば読者の中に、ひっくりかえる人が出るかもしれないからだ。それだから、かんたんに書く。――博士は、両手をじぶんの頭にかけると、帽子をぬぐような手軽さで、頭蓋骨(ずがいこつ)をひらき、中から透明な針金細工(はりがねざいく)のようなものを取りだし、それを手のひらにのせて、蜂矢探偵の目のまえへさしだした。
「うーむ」
 と、探偵は歯をくいしばって、博士の手のひらにのっている奇妙(きみょう)な幾何模型(きかもけい)みたいなものを見すえた。
 あの爆発のおこる前「骸骨(がいこつ)の四」だけが箱の中になかった。それで博士があわてだした。そのことを、いま蜂矢探偵は思いだした。
 博士はだまっている。気味のわるいほどだまっている。蜂矢は「これは骸骨の四ですか」とたずねようとして博士の顔を見ておどろいた。なぜなら博士の顔色は、人形のように白かった。生きている人の顔色とは思われなかったのである。
「針目博士。どうしました」
 と、蜂矢がさけんだ。
 そのとき博士は、いそいで手をひっこめた。そして手のひらにのせていたものを、すばやくもとのとおり頭蓋骨の中におしこんで、両手で頭の形をなおした。それから深呼吸を三つ四つした。すると博士の顔に、赤い血の色がもどってきた。死人の色は消えた。
 博士は、そのあとも、しばらく苦しそうに肩で息をしていたが、やがて以前のとおりの態度にかえって、蜂矢をからかうような調子で話しかけた。
「どうです。お気にめしましたかね。ところがこっちは、どえらい苦しみさ。ああ、きみをよろこばすことの、なんとむずかしいことよ」
 蜂矢は、このときには、ふだんの落ちつきはらったかれにもどつていた。奇々怪々(ききかいかい)なる博士のふるまいである。いったい、なんでそんなことをするのか、その秘密をここでつきとめてしまいたい。
「いま、見せてくだすったのがれいの行方不明になった『骸骨の四』ですか」
 ずばりと斬(き)りこんだ。
「よく知っているね。そのとおりだ。くわしくいえば、金属Qという名前があたえられた第一号だ。つまり、たくさん作った生きている金属の試作品の中で『骸骨の四』がまっ先に、生きている金属となったのだ、そこでこれを金属Qと名づけた」
「なるほど」
「いま、きみが見たのは、金属Qだけではなくその金属のまわりを、人工細胞十四号が包んでいるものだ。それは金属Qを保護するものなんだ。もっともはじめのころのように、人工細胞十四号は完全に金属Qを包んでいない。欠(か)けている個所(かしょ)があるのだ。そのために、金属Qはいつも不安な状態におかれてある。ああ、人工細胞十四号がほしい。この上の部屋にはあったんだが、この部屋にはないらしい」
 博士は、不用意に歎(なげ)きのことばをもらした。そしてその後で、はっと気がついて、蜂矢をにらみかえした。
「はははは、昼間からねごとをいったようだ。ところで蜂矢君。きみは感心に、気絶もしないでもちこたえているね」
 蜂矢はうすく笑った。
「すばらしいものを見せていただきまして、お礼を申します。すると、あなたは、針目博士ですか。それとも金属Qなんですか」
 金属Qが、人間の形をしたものを動かしている、その人間は、針目博士によく似ていたが、その人間のからだを支配しているのは金属Qである。ちょうど、金属Qが、二十世紀文福茶釜(にじゅっせいきぶんぶくちゃがま)にこもっていたように。――これが蜂矢のつけた推理だった。
「どっちだと思うかね」
「金属Qでしょう」
「ちがう」
「じゃあ、なんですか」
「針目博士と金属Qが合体したものだ。二つがいっしょになったものだ。しかし、もちろん金属Qは、針目博士よりもかしこいのだから、支配をしているのは金属Qだ。おどろいたかね、探偵君」
 博士はそういって、からからと笑うのであった。その笑い声が、蜂矢の耳から脳をつきとおし、かれは脳貧血(のうひんけつ)をおこしそうになった。


   恐怖の計画


「気味のわるい話は、もうよそう。こんどはもっと愉快(ゆかい)な話をしよう」
 博士は、とつぜんそういった。
 蜂矢は、いうことばもなく、おしだまっている。
「生きている金属が作られるなんて、すばらしいことではないか」
 そういいながら、博士は手ばやくぬいだ服を着て、胸をはって、いかめしく室内を歩きまわりながら演説するような、くちょうでいった。
「生命と思考力とを持った金属が、人工でできるなんて、愉快なことだ。人間は、もっと早く、このことに気がつかなくてはならなかったのだ。植物にしろ動物にしろ、また鉱物にしろ、それを作っている微粒子(びりゅうし)をさぐっていくと、みんな同じものからできているんだからね。だから、植物と動物に生命と思考力があたえられるものなら、鉱物にもそれがあたえられていいのだ。そうだろう」
「植物に思考力があるというのは、聞いたことがありませんね」
「じっさいには、あるんだよ。人間の学問が浅いから、気がつかないだけのことなんだ。とにかく植物のことなんか、どうでもよろしい。今は生きている金属のことだけを論ずればいいのだ。金属を人工するのは、他のものをこしらえるよりも、一番やさしいことだ。そして、そのとき生命と思考力を持つように設計工作してやれば、生きている金属ができあがるのだ。生命も思考力も、電気現象(でんきげんしょう)にもとづいているのだから、そういうことを知っている者なら、かんたんにやれるのだ」
「なるほど」
「そこでわしは、これからこの部屋で、生きている金属をじゃんじゃん作ろうと思う。そしてそれを人体に住まわせる。かまうことはない、生きている金属は人間よりもかしこくて、強力なんだから、思いのままに人間を襲撃(しゅうげき)して、そのからだを占拠(せんきょ)することができるんだ」
 おだやかならない話になったので、蜂矢探偵は、からだをしゃちこばらせる。そんなことならいつ自分も、そのへんからとび出してきた怪金属のため、からだをのっとられるかもしれないと思えば、不気味(ぶきみ)である。
 博士は、そんなことにはおかまいなしに、しゃべりつづける。
「それを進めていくと、この世の中に金属人間がたくさんふえる。たびたびいうとおり、金属人間は、ふつうの人間よりもかしこいのだから、金属人間群は、ふつうの人間が百年かかってやりとげる科学の進歩を、金属人間は二、三年のうちにやりとげてしまう。世の中は、急速に進歩発展するだろう。すばらしいことじゃないか、探偵君。ふん、あんまり深く感心をして、ことばも出ないようだね」
 そのとおりだった。なんという奇抜(きばつ)な計画であろう、またなんというおそろしいことであろう。もしもそんなことができたなら、人間の立場はあやうくなる。蜂矢の背すじにつめたい戦慄(せんりつ)が走った。
「まあ、講義はそのくらいにしてこんどはいよいよ、しんけんな話にうつる。きみをここまでひっぱりこんだことについて、説明しなくてはならない。だが、もうきみはかんづいているだろう」
「なんですって」
「きみのからだをもらいたいのだ。わしは仲間のひとりに、きみのからだを世話(せわ)したいと思うのだ」
「とんでもない話です。わたしはおことわりします」
 と、蜂矢はうしろへ身をひいた。まったくとんだ話である。そんな怪金属にこの身を占拠(せんきょ)されてたまるものか。
「きみがなんといおうと、わしは思ったとおりにやるのだ。じたばたさわぐのはよしたがいいぞ」
 博士は、じりじりとつめよってくる。蜂矢探偵は、だんだんうしろへさがって、やがて壁におしつけられてしまった。
「どうするんです。金属Qは、ただひとりのはず。ほかに仲間があるなんて、うそです。きみが、わたしのからだへはいりたいのでしょう」
 さすがに探偵は、いいあてた。その事情はわからないが、相手の計画しているところはわかるような気がする。
「ふふふふ、どっちでもいいじゃないか」
 いつのまにやら博士の手には、大きなハンマーが握られていた。博士はそれを頭上にふりあげて、今や蜂矢の頭に一撃をくわえようとしたとき、
「待て、金属人間。動くな。動けば生命(いのち)がないぞ」
 と、ひびいた声。
 蜂矢はおどろいて、そっちへ目を走らせた。するとこはふしぎ、もうひとりの針目博士が蜂矢をおびやかしている針目博士の方へしずしずとせまってくる。その博士は腕に機銃(きじゅう)に似たような物をかかえていた。
 ふたりの針目博士だ。どういうわけであろう。


   二人の針目博士(はりめはくし)


 針目博士(はりめはくし)が、ふたりあらわれた。
 蜂矢探偵は、わが身の危険も忘れて、しばしふたりの針目博士の顛を見くらべた。
 どっちも同じような顔つきの針目博士であった。ちょっと見ただけでは見分けがつかなかった。どっちの針目博士も、青い顔をしている。しかしどっちかというと、後(あと)からあらわれた博士の方がいっそう青い顔をしている。
 ところが顔いがいのところを見ると、だいぶんちがいがあった。蜂矢探偵を壁のところにまで追いつめた針目博士の方は、いやに高いカラーをつけて、くびのところが窮屈(きゅうくつ)そうに見える。また頭部に繃帯(ほうたい)をしている、その上に帽子をかぶっている。
 これにたいして、あとから現われた針目博士の方は無帽(むぼう)である。頭には繃帯を巻いていない。
 服装は、蜂矢探偵を追いつめている針目博士のほうは、黒いラシャの古風(こふう)な三つ揃(ぞろ)いの背広をきちんと身につけているのに対し、あとからあらわれた針目博士の方は、よごれたカーキー色の労働服をつけていた。服はきれいではないが、小わきにりっぱな機銃(きじゅう)みたいなものを抱えている。
「動くと、これをつかうぞ。すると、金属はとろとろと溶(と)けて崩壊(ほうかい)する」
 あとからあらわれた針目博士が、はやくちに、だがよくわかるはっきりしたことばでいった。
「待て、それを使うな。わしは抵抗しない」
 始めからいた針目博士が、苦しそうな声で押しとどめた。もはや蜂矢探偵の頭上に、一撃を加えるどころのさわぎではない。かれ自身がすくんでしまったのだ。
「蜂矢さん。もうだいじょうぶだ。横へ逃げなさい」
 あとからあらわれた針目博士がいった。
 いったい、どっちがほんとうの針目博士であろうか。
 蜂矢探偵は、壁ぎわをはなれて、自由の身となったが、この問題を解(と)きかねて、あいさつすべきことばに困った。
「おい、金属Q。こんどは、廻れ右をして壁を背にして、こっちへ向くんだ」
 金属Q――と、しきりに、あとからあらわれた博士が呼んでいるのが、はじめからいた方の針目博士のことだった。――ほんとかしら――と、蜂矢は目をいそがしく走らせて見くらべるが、顔はよく似ていて、くべつをつけかねる。
 金属Qと呼ばれた方の博士は、しぶしぶ動いて壁に背を向け、こっちへ向きなおったが、とつぜん早口で叫んだ。それは、妙にしゃがれた声だった。
「きさまこそ、金属Qじゃないか。わしは針目だぞ、ごまかしてはいかん。しかし、わしは今、抵抗するつもりはない」
 頭に繃帯を巻いた方が、こんどは機銃みたいなものを抱(かか)えた方にたいし、金属Qよばわりをするのだった。これではいよいよどっちがほんものの針目博士だかわからなくなった。
「きみこそ金属Qだ。そんなにがんばるのなら、仮面(かめん)をはいでやるぞ」
 とあとからあらわれた博士が自信ありげにいって、蜂矢の名を呼んだ。
「なにか用ですか」
「そのニセモノのそばへ寄(よ)って、頭に巻いている繃帯(ほうたい)をぜんぶほどいてくれたまえ」
 と、機銃みたいなものを抱えている博士がいった。
「むちゃをするな、傷をしているのに、繃帯をとるなんて、人道(じんどう)にはんする」
 と、壁のそばに立っている方の博士が、すぐ抗議した。
「蜂矢君。早く繃帯をとってくれたまえ。繃帯をとっても、血一滴(ちいってき)、出やしないから心配しないで早くやってくれたまえ」
 蜂矢は、ふたりの博士の間にはさまって、迷(まよ)わないわけにいかなかったが、とにかく繃帯をといてみれば、どっちがほんものかニセかがわかるかもしれないと思い、ついに決心して壁の前に立っている博士の頭へ手をのばした。博士は何かいおうとした。がもうひとりの博士が、機銃みたいなものを、いっそうそばへ近づけたので、顔色をさっと青くすると、おとなしくなった。
 蜂矢は、その機(き)に乗(じょう)じて、長い繃帯をといた。なるほど、繃帯はどこもまっ白で血に染(そま)っているところは見あたらなかった。ただ、その繃帯をときおえたとき、博土の頭部(とうぶ)をぐるっと一まわりして、三ミリほどの幅(はば)の、手術のあとの癒着(ゆちゃく)見たいなものが見られ、そのところだけ、毛が生えていなかった。
 なお、もう一つ蜂矢が気がついたのは、額(ひたい)の生えぎわのところの皮が、妙にむけかかっているように見えることだった。そのとき、後からあらわれた博士の声が、いらだたしく聞こえた。
「蜂矢君。こんどは、その高いカラーをはずしたまえ」
「カラーをはずすのですね」
 はじめから博士の特徴(とくちょう)になっていたその高いカラーを、蜂矢は、いわれるままに、とりはずした。すると蜂矢探偵は、そこに醜(みにく)い傷(きず)あとを見た。短刀(たんとう)で斬(き)った傷のあとであると思った。いつ博士はこんな傷をうけたのであろうか。すると、またもや、あとからあらわれた博士がいちだんと声をはりあげて、蜂矢に用をいいつけた。
「つぎは、その男の面(つら)の皮(かわ)をはぎたまえ。えんりょなく、はぎ取るんだ」
「顔の皮をむくのですか」
 蜂矢は、おどろいて、命令する人の方をふりかえった。あまりといえば、惨酷(ざんこく)きわまることである。


   落ちた仮面


「わけはないんだ。それ、その男の額(ひたい)のところに、皮がまくれあがっているところがある。それを指先でつまんで、下の方へ、力いっぱいはぎとればいいんだ」
 なんという惨酷な命令だろうと、蜂矢は、この命令を拒絶(きょぜつ)しようと考えたが、ちょっと待った、なるほどそれにしてはおかしい額ぎわの皮のまくれ工合(ぐあい)だ。
(ははあ。さては……)
 と、かれはそのとき電光のように顔の中に思い出したことであった。もうかれは躊躇(ちゅうちょ)していなかった。いわれるままに、そのまくれあがった額のところの皮を指でつまんで、下へ向けてひっぱった。
 すると、おどろいたことに、皮は大きくむけていった。皮の下に、白い皮下脂肪(ひかしぼう)や赤い筋肉があるかと思いのほか、そこには、ごていねいにも、もう一つの顔面(がんめん)があった――蜂矢探偵の手にぶらりとぶら下がったものは、なんと顔ぜんたいにはめこんであった精巧(せいこう)なるマスクであった。
 そのマスクの肉づきは、うすいところもあり、またあついところもあり、人工樹脂(じんこうじゅし)でこしらえたものにちがいなかった。
 マスクのとれた下から出てきた新しい顔は、どんな顔であったろうか。
 それは針目博士とは似ても似つかない顔であった。頬骨のとび出た、げじげじ眉(まゆ)のぺちゃんこの鼻をもった顔であった。
「あッ」
 蜂矢探偵は、あきれはててその顔を見守った。
 はじめから、高いカラーをつけた針目博士を、怪しい人物とにらんではいたが、まさかこんな巧(たく)みな変装(へんそう)をしているとは思わなかった。
 しかもマスクの下からあらわれたその顔こそ、前に警視庁の死体置場から、国会議事堂の上からころがり落ちた動くマネキン少年人形の肢体(したい)とともに、おなじ夜に紛失(ふんしつ)した猿田の死体の顔とおなじであったから、ますます奇怪(きかい)であった。
 これでみると、蜂矢探偵をこの地下室へ案内した針目博士こそ、金属Qのばけたものであると断定して、まちがいないと思われる。怪魔金属Qは、議事堂の塔の上から落ちて死体置場に収容せられたが、夜更(よふ)けて金属Qはそろそろ動き出し、身許不明の猿田の死体の中にはいりこみ、そこをどうにか逃げ出したものらしい。そういうことは、金属Qの力と智恵とでできないことではない。その上で、彼はおそらくこの針目博士の地下室へもぐりこみ、そこで針目博士そっくりのマスクを作ったり、健康を早くとりもどすくふうをしたり、博士の古い服を盗み出して着たり、その他いろいろの仕事をやりとげたのであろう。
 まことにおどろくべき、そしておそるべき怪魔金属(かいまきんぞく)Qであった。
 こうして、始めにあらわれた針目博士の正体が金属Qであるとすれば、あとからあらわれた針目博士こそ、ほんものの針目博士なのである。そう考えて、この際(さい)まちがいないであろう。
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