金属人間
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著者名:海野十三 

 それはほんとうに実在するのか。それとも針目博士が頭の中にえがいていた夢にすぎないのかそのどっちか、よくはわからなかった。第一、博士の書き残してあるものを読みあさっても、金属Qなるものがどんなものやら、そしてどんな性質をもっているものやら、そこらがはっきり書いてない。そのうえに、博士の書いてある説明は現代において、普通に知られている理学(りがく)の範囲(はんい)をかなりとび出していて、解(かい)することがむずかしい。正しいのか、まちがっているのか、それさえ判定がつきかねる。
 だが、蜂矢十六は、そういうわけのわからないものの中に、自分も共にわからないでころがっているのは、おろかであると思った。じぶんは探偵だ。金属Qの理学に通じ、その論文を完成するのは、世の学者たちにまかせておけばいい。じぶんは身をもって金属Qという、怪(あや)しき物件(ぶっけん)にぶつかり、それを手の中におさえてしまえば、それでいいのであった。そしてそれはいそがねばならない。
 そこで蜂矢は、すこぶる大胆(だいたん)に、つぎの仮定を考えた。
 一、金属Qという怪物件(かいぶっけん)が実在(じつざい)する。
 二、金属Qは、人造(じんぞう)されたものである(針目博士だけが、それを創造(そうぞう)することができるらしい)。
 三、金属Qは、生命(せいめい)と、思考力(しこうりょく)とを持っている。
 蜂矢は、この三つの条件をそなえた金属Qが実在すると、かりに信じ、これをレンズと見なし、そのレンズを通してこれまでの怪事件を、見なおしたのであった。そのけっか、長戸検事のところへ出むいて、もう一度おとぎばなしをする必要を感じたのだ。
「検事さんもごらんになった、あの第二研究室の中の棚に並んでいた、へんな試作物(しさくぶつ)のことですがね。たしか『骸骨(がいこつ)の一』から『骸骨の八』までの箱がならんでいたそうですが、あの中にあったへんな試作物こそ、金属Qの兄弟だったんじゃないですかね」
「ふーン」
 検事は、天じょうのすみを見あげて、ため息ともうなり声ともつかない声を発した。
 ――そうだ。たしかにじぶんは「骸骨の一」とか「骸骨の二」とか札のついていたものを見物(けんぶつ)した。それは、すこぶるかんたんな立体幾何学的(りったいきかがくてき)な模型(もけい)のような形をしていた。
 大小三つの輪が、からまりあっているような、そしてかごのできそこないみたいにも見えるものがあった。あれがたしか「骸骨の一」であった。
 それから、三本の直線の棒が平行にならんでいて、そのあいだに助骨(ろっこつ)のように別のみじかい棒が横にわたっていて、もとの三本の直線の棒をしっかりとささえていた。それが「骸骨の二」であったと思う。じぶんは、ふしぎに思ったので、よく見て、いまもわすれないでいるのだ。
 そのつぎに「骸骨の三」は前の二つのものよりずっと複雑なものだった。いやにまがりくねった透明(とうめい)の糸みたいなものが走っていて、なんだかクラゲのような形をしていた。
 さてそのつぎの「骸骨の四」という仕切りの中を、針目博士が開いて、おどろきの目をみはったのだ。その箱の中には、かんじんの物件(ぶっけん)がはいっていなかった。
“どうしたのだろう。わけがわからない”
 と博士が叫んだ。その直後、さっきからじりじりと焦(じ)れていた川内警部が、火のついたような声で叫んだため、なにかそれが刺(し)げきとなったらしく、博士は“危険だ、みなさん外へ出てください”と追い出し、そしてそのあとであの爆発が起こったのだ。してみれば、「骸骨の四」が紛失(ふんしつ)していたことがひとつの手がかりかもしれない。いま、蜂矢探偵が、あのへんな透明な針金細工(はりがねざいく)のようなものを、金属Qの兄弟ではないかとうたがっているのも、根拠(こんきょ)のないことでもないと思われる。そこで検事はいった。
「……もし、そうだったら、どうしたというのかね」
「殺人事件の起こるまえに、金属Qだけは、第二研究室から逃げ出していたんです。博士は、それに気がつかないでいた。その金属Qは、お手伝いさんの谷間三根子(たにまみねこ)の部屋にもぐりこんでいた。そして彼女を殺したのです。三根子の両手両腕、肩や胸などに傷がたくさんついていますが、あれはみな、金属Qとわたりあったときにできた傷だと思うんです。どうですか」
 蜂矢は、にやにやと笑った。そのとき検事の方は、さっきとはちがってかたい表情になっていた。だが、黙(もく)していた。


   殺人者の追跡


「そののちになって、川内警部が足首の上を斬られ、田口巡査はほおを斬られましたね。あれもみな、金属Qのやった第二、第三の事件なんです。これはどうです」
 蜂矢探偵は、いよいよ検事のほうへ向きなおって、検事の答えはどうかと、目をすえる。
 検事は、目をとじた。そして無言(むごん)だ。
「そう考えると、針目博士邸(はりめはくしてい)における三つの殺人傷害事件(さつじんしょうがいじけん)も、かんたんに答が出てしまうのですがねえ。どうです検事さん。このおとぎばなしを採用なさったらどうですか」
 検事が、やっと目をあけた。かれは、エンピツのおしりで書類のうえをぴしりとうった。
「だめだ。いくら答がうまく出ようと、仮定のうえに立つ答は、ほんとの答とはいえない。金属Qがはたして谷間三根子を殺したか、川内君を斬り、田口巡査を斬ったか。そのところの証明ができないかぎり、その答を採用するわけにはいかん。まさか検事が全文おとぎばなしの論告はおこなえない」
 そうはいったが、検事も「もし犯人が金属Qならば」の仮定をおいて、答がずばりとでるその明快(めいかい)さには、心をうごかされているようすであった。
 蜂矢はかるくうなずいた。その仮定さえ証明できれば、検事も了解(りょうかい)すると見てとったからである。
「さあ、その仮定(かてい)が真(しん)なりという証明ですが、これは針目博士に会って聞けば、一番はっきりするんです。しかし困ったことに針目博士は姿を消してしまった」
「針目は死んだと思うか、それとも生きていると思うか、どっちです」
「みなさんの調査では、針目博士はからだを粉砕(ふんさい)して、死んだのだろうという結論になっていますね。ぼくもだいたいそれに賛成します」
「だいたい賛成か。すると他の可能性も考えているの」
「これは常識による推理ですが、針目博士はあの部屋の爆発危険(ばくはつきけん)をかんじて、あなたがた係官を隣室(りんしつ)へ退避(たいひ)させた。そしてじぶんひとり、あの部屋にのこった。博士のこの落ちつきはらった態度はどうです。博士はじぶんが助かる自信があったから、あの部屋にのこったんです。そう考えることもできますでしょう」
「それは考えられる。だがあのひどい爆発は、われわれがあの部屋を去るとまもなく起こった。博士が身をさけるつもりなら、なぜそのあとで、われわれのあとを追って出てこなかったのであろうか。そうしなかったことは、博士は爆発から身をさけることができなかったんだ。それにあの爆発は、じつにすごいものだったからね」
 検事は、そのときのことを思い出して、ため息をついた。
「あなたがたから見れば、爆発はたいへんすごいものであり、爆発はあッという間に起こったと思われるでしょう。しかし針目博士はあの部屋のぬしなんだから、そういうことはまえもって知っていたと思うんです。だから、いよいよわが身に危険がせまったときに、博士は非常用の安全な場所へ、さっととびこんだ。ただしこれは、あなたがたのあとについて、隣の部屋へのがれることではなかった。つまり、べつに博士は非常用の安全場所を用意してあり、そこへのがれたと考えるのはどうでしょう」
「そういう安全場所のあったことを、焼跡(やけあと)から発見したのかね」
「いや、それがまだ見つからないのです」
「それじゃあ想像にすぎない。われわれとて、もしやそんな地下道でもあるかと思ってさがしてみたが、みつからなかった」
「わたしは、もっともっとさがしてみるつもりです」
「いくらさがしても見つからなかったらどうする。それまでこの事件を未解決のまま、ほおっておくわけにはゆくまい」
「そうです。博士の安否(あんぴ)をたしかめるほかに、他のいろいろな道をも行ってみます。そのひとつとして、わたしは金属Qを追跡(ついせき)しているのです」
「え、なんだって、金属Qを追跡しているって。きみは正気(しょうき)かい」
 長戸検事は目をまるくして、蜂矢探偵の顔を見つめた。
「検事さん。わたしはもちろん正気ですよ」
「だってどうして金属Qを追跡することができるんだい。そんなものは、どこにもすがたを見せたことがない」
「さあ、そこですよ。金属Qのすがたを見た者はない。また金属Qのすがたがどんな形をしているか、それを知っている人もないようです。ですが金属Qは、まず第一に谷間三根子を殺害(さつがい)しました。あの密室をうちやぶって、中へとびこんだ連中は、室内に金属Qのすがたを発見することはできなかったが、そのすこしまえに金属Qが電灯のかさにあたって、かさをこわす音は耳で聞きました。そうでしょう」
 蜂矢の話は、事件のすじ道をたしかに前よりもあきらかにしたように思われ、検事も心を動かさずにいられなくなった。蜂矢はつづける。
「つまり、金属Qは、相当のかたさを持っているが、すがたは見えにくいものである。このように定義(ていぎ)することができます。このことを裏書するものは、つぎの警部と田口巡査の負傷です」
「あ、なるほど」
「見えない金属Qは、あの室内にとどまっていたんですが、きゅうにふとんのしたかどこからかとび出した。そのとき川内警部の足首の上を、すーッと斬った。そして金属Qは室外へとび出したのです。そこは廊下です。廊下を博士の居間(いま)のある、奥のほうへととんでいく途中、田口巡査のほおを斬った。そうでしょう。こう考えて行けば、われわれは金属Qを追跡していることになる。そう思われませんか」
 蜂矢の顔は、真剣だった。


   「骸骨(がいこつ)の四」とQと


「なるほど。そう考えると、すじ道がたつ。感心したよ、蜂矢君」
 検事はポケットからタバコを出して、火をつけた。
「さあその先です」
 と蜂矢はこぶしでじぶんの手のひらをたたいた。
「それから先、金属Qはどこへ行ったかわからない。わかっているのは、あなたがたが、博士に談判して、倉庫や研究室をおしらべになったことです。それから爆発が起こったというわけです」
「ちょっとまった、蜂矢君。れいの『骸骨の四』ね。第二研究室の箱の中からすがたをけしていて、針目博士がおどろいたあれだ。あの『骸骨の四』と金属Qとはおなじものだろうか。それとも関係がないものだと思うかね」
 検事も、いつの間にか、蜂矢のおとぎばなしに出てくる仮定を、しょうしょう利用しないではいられなくなったらしい。
「ああ、そのことですか。わたしは問題をかんたんにするため、いちおうその『骸骨の四』と金属Qとが同一物であったと仮定します。もしこの仮定がまちがっていたところで、たいしたあやまりではないと思います。同一物でないとしても、両者は親類ぐらいの関係にあるものと思います」
「ふーン。そうかね」
「つまりどっちも博士の研究物件なんです。そしてどつちも生命(せいめい)と思考力(しこうりょく)とを持っているものと考えられる。いや、その上に活動力(かつどうりょく)を持っているんです。『骸骨の四』は、金属Qと同一物であるか、そうでないにしても、金属Qは『骸骨の四』から生まれた子か孫かぐらいのところでしょう。けっして他人ではない」
 蜂矢のほおが赤く染まった。かれも、じぶんのたてた推理に興奮(こうふん)してきたのであろう。
「これは気味のわるいことになった」
 と検事は、指にはさんだタバコから、灰がぼたりとひざの上へ落ちるのにも気がつかない。
「われわれは知らないうちに、金属Qと同席していたことになるんだね。これは生命びろいをしたほうかね。いやな気持だ」
「検事さん、これはあなたのお信じにならない、おとぎばなしの仮定のうえに立つ推定なのですよ。それでも気味が悪いですか」
 蜂矢が皮肉ではなく、まじめにたずねた。
「うむ。なんだか知らないが、ぼくはいましがた、とつぜんいやな気持におそわれた。いままでの経験にないことだ。そうだ、これはきみの話し方がじょうずなせいだろう。ぼくはやっぱりおとぎばなしなんか信じることはできないね。はははは」
 と検事は笑った。そしてタバコを口へ持っていったが、火は消えていた。
「ところが検事さん。いままでの話は、おとぎばなしや仮定であったかもしれんですが、ここに新しく、厳然(げんぜん)たる怪事実が存在することを発見しました。このものは、考えれば考えるほど、おそろしい正体(しょうたい)を持っていると思われてくるのです。まさに二十世紀がわれわれに、おきみやげをする奇蹟(きせき)である。というか、それとも、われわれは実にばかにされていると思うんです」
 蜂矢の目が、あやしく光ってきた。
「それは何だい。きみのいっていることはチンプンカンプンで、意味がわかりゃしない」
「いや、そうとでもいわなければ、その怪事実のあやしさ加減(かげん)をすこしでも匂(にお)わすことができないのです。まあ、それよりは、さっそくこれからご案内しましょう。わたしといっしょに行ってください。そして検事さんはご自分の目でごらんになり、そしてご自分の頭で、その怪事実の奥にひそむ謎をつまみ出してください」
「え、どこへ行ってなにを見ろというのかい」
「今、浅草公園にかかっている“二十世紀の新文福茶釜(しんぶんぶくちゃがま)”という見世物を見物に行くんです。これは、わたしの助手である小杉(こすぎ)少年が、わたしに知らせてくれたものです。じつは茶釜じゃなく、めしたき釜の形をしているんですが、それがひょこひょこ動き出し、音楽に合わせておどったり、綱わたりもするんです。しかもインチキではないらしい……」
「インチキにきまっているよ。きみもばかだねえ」
「いや、ところがわたしのしらべたところは、インチキでないのです。わたしは気がついたのです。あの新文福茶釜こそ、金属Qそのものが、茶釜にばけているのかもしれません」
「なに、金属Qだって。よし、すぐ出かけよう。そこへつれていってくれたまえ」
 検事は立ちあがって帽子をつかんだ。


   観音堂(かんのんどう)うら


 すばらしい人気だった。
「二十世紀の文福茶釜は、こちらでござい。これを一度みないでは、二十世紀の人だとはいえない。これを見ないで、二十世紀の科学文化をかたる資格はない。東京第一の見世物はこれでござい。
 坊っちゃん、お嬢ちゃん、さあ、いらっしゃい。学童諸君も大学生諸君も、早く見ておいたがよろしい。社会科に関係あり、理科に関係あり。
 このめずらしい『鉱物』を見おとしては一代の恥(はじ)ですよ。さあ、いらっしゃい。入場料はびっくりするほどやすい。たった三十円です。こどもさんは大割引のたった十円」
 観音堂(かんのんどう)のうらにあたる空地(あきち)に、本堂そこのけの背の高い大きな小屋がけをし、サーカスそっくりのけばけばしいどんちょうやら大看板(おおかんばん)、それに昔のジンタを拡大したような吹奏楽団(すいそうがくだん)が、のべつまくなしに、ぶかぶかどんどん。
 この大宣伝政策はみんな、かの大学生雨谷金成(あまたにかねなり)、いや、この興行主(こうぎょうしゅ)の雨谷狐馬(あまたにこま)が、頭の中からひねりだしたもの。
 花形大夫(はながただゆう)の二十世紀文福茶釜は、じつは彼が新宿(しんじゅく)の露天(ろてん)で、なんの気なしに買ってきた、めしたき釜(がま)であった。
「どうです、長戸さん、この景気は……」
 と、蜂矢探偵は検事の顔を見る。
「いやあ、大したものだね。おそるべき大あたりの興行だ。これじゃ表の観音さまのおかせぎ高よりは多いだろう」
 検事は目をぱちくり。
「それじゃ、われわれも場内へはいってみましょう。二郎君。入場券を買っておくれ、大人二枚に子供一枚。子供というのは、君のぶんだよ」
 そういって蜂矢はポケットから、紙幣(さつ)をまいたのを出して、その中から七十円をとって、小杉少年にわたした。
 少年は、すぐかけていって券を買って来た。そこで三人は、すごい人波にもまれながら、小屋の入口から中へはいった。
 三千人あまりの入場者が、ひしめきあって、舞台の上の怪物の動くあとを、目で追いかけていた。
 舞台は、拳闘のリングのように、見物人に四方をかこまれてまん中にあり、いちだん高くなっていた。そして舞台から二本の花道が、楽屋(がくや)の方へわたされていた。
 大学生雨谷(あまたに)は、りっぱな燕尾服(えんびふく)をつけ、頭髪はとんぼの目玉のように光らせ、それから長い口ひげをぴんと上にはねさせ、あごには三角形のあごひげをはやして、どうやら西洋の悪魔の化身(けしん)のように見える。
 手にはぴかぴか光る銀の棒を持って、二十世紀茶釜にしきりに気あいをかけている。
「いよいよ、これより千番に一番のかねあい、大呼び物の綱わたりとございまする」
 美しい女助手が六人、ばらばらとあらわれ、舞台に高く綱をわたす。そのあいだ、問題の怪物は、台の上の、赤いふとんの上にどっしりしりをおちつけ、ごとごととからだをゆすぶっている。
 綱は引きはられた。助手たちは、左右へぱっと、花が飛ぶようにわかれると、三角軒狐馬師(さんかくけんこまし)がしずしずと舞台の中央に立ちいでて、口上をのべる。
「いよいよもって、二十世紀茶釜の綱わたりとございまする。ところがこの綱わたりは、あっちにもある、こっちにもあるというかびくさい綱わたりとはちがい、すこぶる奇想天外(きそうてんがい)、大々奇抜(だいだいきばつ)なる綱わたりでございまする。それはじつに、ユークリッドの幾何学を超越(ちょうえつ)し」
 と、ここまでいうと、れいの花のような女助手が左右から雨谷のうしろにきて、雨谷のからだに、うらがまっかな大学教授のガウンを着せ、それから雨谷の頭の上に、ふさのついた四角い大学帽をのせる。
「しかして二十世紀の物理学の弱点をつき、大宇宙の奥にひそめられたる謎をば、かつ[#「かつ」はママ]ギリシャの科学詩人――」
「能書が長いぞ」
「早くやれッ。演説を聞きにきたんじゃねえや。綱わたりをやらかせ」
「そうだ、そうだ。早く茶釜の綱わたりを見せろ」
「……いや、諸君のご熱望にこたえ、くわしき説明はあとにゆずり、ではさっそく綱わたりをお目にかけまする。花形茶釜大夫(はながたちゃがまだゆう)、いざまずこれへお目どおりを。はーッ」
 すると、れいの怪物の釜が、赤いふとんからむくむくと動きだして、ぬっとさしだした雨谷の手の上にひょいと乗る。
 そのまま、お客のまえを、釜はあいさつするように、つつーッと通る。
 それが一巡(ひとまわ)りすると、釜は綱のはしへ、ひょいとのせられる。
 一本の綱だ。その綱はゆらゆらとゆれている。その上へ、釜がのる。見たところ、はなはだ不安定だ。
 だが、怪物の釜は、どんとおしりをおちつけて、落ちはしない。


   すごい空中曲芸


「早く綱をわたらせろ」
「足はどうした。茶釜から足がはえないぞ」
「タヌキの首もはえないや」
「さきに説明を打ち切りましたが……」
 と雨谷が、ここぞと声をはりあげての口上(こうじょう)だ。
「二十世紀の茶釜は、昔の文福茶釜のようなタヌキのばけた動物とはちがい、純正(じゅんせい)なる『鉱物』でござりまする。その証拠には、お見物のみなさんがたよ、この二十世紀茶釜は足もはえませずタヌキの首もでませず、お見かけどおりの、いつわりのない釜でござりまする。それが、あたかも生(せい)あるもののごとく、綱わたりをいたしまするから、ふしぎもふしぎ、まかふしぎ。さあ大夫さん、わたりましょうぞ。はーッ」
 雨谷の口上に、二十世紀茶釜は、そろそろと綱の上をわたりはじめた。
 あれよ、あれよと、見物の衆の拍手大かっさいである。小杉少年も蜂矢探偵も、手をぱちぱちとたたく。ただ長戸検事だけは、こわい目を舞台へ向けて、手をたたくどころか、にこりともしない。
 あやしい茶釜は、するすると綱の上を走ってまんなかまで進んだ。そこでぴったりととまった。
「茶釜はひとまず休憩(きゅうけい)、絶景(ぜっけい)かな、絶景かな、げに春のながめは一目千金(ひとめせんきん)……」
 と、釜はまたそろそろと綱をわたりだした。囃方(はやしかた)がおもしろくはやしたてる。
「どうです、長戸さん」
 蜂矢は、検事の耳にささやいた。
「なんだかあやしいね。あれは何か仕掛けがあって綱わたりをしているんだろうね」
「さあ、そこが問題なんですが、まあ、もうすこし見ていらっしゃい」
 釜は、綱を向うのはしまでわたりきると、こんどは引き返しだ。むぞうさに綱の上をつつーッと走る。
「さあ、これよりはお目をとめてご一覧、二十世紀茶釜は脱線(だっせん)の巻とござい」
 雨谷の口上。するとふしぎな釜は綱をふみはずした。あっ、落ちるかと思ったが、落ちもしない。綱をふみはずしたまま、あやしい釜は宙に浮いている。
「つぎなる芸当は、二十世紀茶釜は宙がえり飛行の巻……」
 するとあやしい釜は綱のまわりを、くるッくるッとラセン状にまわりだした。なぜ釜が、そんな宙がえり飛行をするのかわからない。
「このところ糸くり車。これよりいよいよ早くなりまして急行列車の車輪とござい」
 釜はくるくると、目にもとまらぬ速さでまわりだした。観客は拍手大かっさいである。
「これこれ釜さん。ちょいと見物の衆に拍手のお礼をなされよ」
 雨谷がいうと、ものすごい速さでラセン回転をしていたあやしい釜は、ぴたりと舞台の中央に――おお、それは宙づりの形でもって、ぴたりととまり、おじぎをするように見えた。
 またもや見物席よりは拍手のあらしだ。
「ごあいさつすみましたれば、つぎは大呼びものの大空中乱舞(だいくうちゅうらんぶ)とござい。はーッ」
 口上(こうじょう)とともに、釜は舞台の上をはなれて、見物席の上へとんでいった。そこでひらりひらりと、まるでこうもりのように飛びまわるのであった。見物人は、ほうほうとおどろきの声を発してあやしい釜のあとを目で追いかける。
「どうです、検事さん」
 蜂矢探偵は、長戸のそでをひいた。
「うむ、じつに奇怪きわまる。どうしてあんな空中乱舞ができるのだろうか。あれが仕掛けによるにしても、それは非常にすぐれた仕掛けであるにそういない」
「ぼくはあれについて、三人の技術者と、二人の科学者の意見をもとめましたが、この五人の専門家の感想はおなじでありました。つまりああいう運動は、今日の科学技術の力では、とてもやらせることができないというんです。この言葉は、ご参考になるでしょう」
「ふーむ。すると、あれは仕掛けあって動いているのではないという解釈なんだね」
「そうなんです、その五人の専門家の意見というのはね」
「じゃあ、なんの力で動くのか、解釈がつかないではないか。あの釜を動かしている力のみなもとは、いったいなんだ」
「それこそ金属Qですよ」
「金属Q?」
「針目博士が作った金属Qです。生きている金属Qです。生きているから動きもするし、宙がえりもする」
「はっはっはっ。きみは解釈にこまると、みんな金属Qの魔力にしてしまう。いくら原子力時代でも、そんなふしぎな金属Qが存在してたまるものか。またはじまったね。きみのおとぎばなしが」
「長戸さん。あなたはここへきて、さっきからあれほど、金属Qなるものの活動をごらんになっておきながら、まだその本尊(ほんぞん)を信じようとはせられないのですか」
「あれは一種の妖術(ようじゅつ)だよ」
「では、誰が妖術を使っていると思われるのですか」
「それはあの燕尾服(えんびふく)の男とその一統(いっとう)か、あるいは針目博士だ」
「針目博士ですって。あなたは博士がまだこの世に生きていると思っているんですね」
「いや、確信はない。しかし、もしも針目博士が生きていたら、この種(しゅ)の妖術を使うかもしれないと思うだけだ」
 そういっているとき、とつぜん場内がそうぞうしくわきあがった。それは一大椿事(いちだいちんじ)が発生したからだ。その椿事を、蜂矢も長戸も、たがいに論争しながらも、ちゃんと見ていたのである。だからふたりも、他の観客とおなじように「あああッ」と叫んで、席から立ちあがった。
 その一大椿事とは何?


   一大椿事(いちだいちんじ)とは?


 一大椿事というは、二十世紀茶釜が上から落ちて、小さな破片にわれてしまったことである。
 そのすこのしまえ、かのあやしい釜は、見物人の頭の上の飛行を一巡(ひとまわ)りおえて、からだをひねって、ひらりと舞台の上へもどってきた。そしてもういちど綱わたりをはじめたのだ。
 見物人たちは、めでたく場内大飛行に成功してもどってきた二十世紀茶釜に拍手をあびせかけた。綱わたりははじまっているが、もう誰も以前のように、その綱わたりが成功するか失敗するかについて、手に汗をにぎっていなかった。成功するのは、もうあたりまえといってよかった。
 ところが、その予想が狂ったのである。二十世紀茶釜は、綱のまん中まできたとき、とつぜんすうーッと下に落ちていった。
 がちゃーン。
 金属的なひびきがして、二十世紀茶釜は、舞台のゆかにあたってこわれてしまった。
「やあ、茶釜がこわれた」
「ようよう、芸がこまかいぞ。二十世紀茶釜は、このとおり種もしかけもありませんとさ」
「ああ、そうか。わっはっはっはっ」
 見物席のわきたつ中に、きもをつぶして、その場にぶっ倒れそうになったのは、興行主(こうぎょうしゅ)の大学生雨谷(あまたに)だった。かれは、こわれた釜のそばへかけより、ひざを折って破片(はへん)をひろいあつめ、むだとは知りつつも、その破片をつぎあわしてみた。
 だめだった。二十世紀茶釜はもとのとおりにならなかった。かれは落胆(らくたん)のあまり、場所がらをもわきまえないで、舞台にぶっ倒れて、おいおいと泣きだした。
「おい、あそこにあやしい奴がいる。逃げるつもりらしい。逃がすな」
 そういったのは、長戸検事であった。
 かれはさすがに、職掌(しょくしょう)がら落ちついていて、あのような大椿事(だいちんじ)のときにもあわてないで、ひとりのあやしい人物をみとめたのだ。その人物は、舞台のすぐ前にいて、いす席にはつかず、たって見物していた。そしてあの事件の起こるすこし前になって、かれは、吊皮(つりかわ)でくびから吊(つ)って小脇にかかえていたカバンぐらいの大きさの黒い箱を胸の前へまわした。その箱と舞台とをはんぶんにのぞきながら、かれはその箱を手でいじっていた。そのうちに、かれがさっと顔をきんちょうさせた。そのせつなに、舞台では二十世紀茶釜が、綱を踏みはずして下に落ちたのであった。
 するとその人物は、いっしゅん硬直(こうちょく)していた。快心(かいしん)のほおえみをもらしたようにも思えたが、なにしろその人物は、茶色の、型のくずれたお釜帽子(かまぼうし)をまぶかにかぶり、大きな黒めがねをかけ顔の下半分は、黒いひげでおおわれていたので、その表情をはっきりたしかめることができなかった。
(あやしい奴!)
 検事の目が、はりついたようにじぶんの上にあると知ってか知らないでか、その怪人物は席をはなれて、わきたつ見物人たちをかきわけて場外へ出ようというようすだ。そこで長戸検事は、蜂矢探偵に、
「あそこに、あやしい奴がいる。逃がすな」
 と声をかけたのであった。
 検事が席を立って走りだしたので、蜂矢はかれのあとにしたがわないわけにいかなかった。だがこのとき蜂矢十六は舞台の方へ、かなりひきつけられていたのである。その心をあとへ残し、助手の小杉少年にそれッと目くばせをして、わずかのことばを少年の耳にのこすと、蜂矢は検事のあとを追いかけた。
 小屋の出口のところで、検事は不良青年数名(ふりょうせいねんすうめい)につかまって、なぐりっこをやっていた。そこへ蜂矢はとびこんで、不良青年たちをあっさりとかたづけた。そしで検事を助けて、場外へでた。
「あ、あそこにいる」
 怪人物は公園から町の方へ逃げだすところだった。かれはちらりとうしろを見た。
 蜂矢は検事とともに全速力で追った。
 怪人物は、うしろを見ながら、ひろい道路を馬道(うまみち)の方へかけていく。かれは老人のように見えながら、いやに足が早かった。しかし検事は学生のとき短距離の選手だったから、足には自信があったし、蜂矢は若さで追いつくつもりだった。
 怪人物は、馬道の十字路をはすかいにわたった。そのとき自動車が怪人物をじゃました、だから追うふたりがつづいて、その十字路をよこぎったときには、わずかに距離を十メートルほどにちぢめていた。もうすこしだ。
 がちゃーン。
 怪人物は小脇にかかえていた黒い箱を歩道の上におとした。
「あッ、それを拾(ひろ)わせるな」
 検事が叫んで、黒い箱の方へとびついた。蜂矢もその黒い箱にちょっと注意をうつした。それが怪人物にとっては、絶好の機会だった。二人が顔をあげて、怪人物の方をみたとき、怪人物のすがたはもうなかった。
 怪人物は、かきけすようにすがたを消してしまったのである。異様(いよう)な黒い箱だけが、ふたりの手にのこった。


   黒箱(くろばこ)の謎


「うーん、ざんねん。うまく逃げられてしまったわい」
 長戸検事は、大通りのヤナギのかげで汗をふきながら、そういった。とり逃がした怪人物をあきらめたようなことをいいながらも、まだかれの目は往来(おうらい)へいそがしく動いていた。
「きょうは逃がしても、そのうちにきっとつかまりますよ」
 蜂矢探偵が、検事をなぐさめた。
「そうだ。とにかく、彼奴(あいつ)はこのへんですがたを消したんだから、どこかこの近くに巣(す)くっているのにちがいない。ああ、そうだ。怪人物がおとしていった黒箱を、ちょっとしらべてみよう。こっちへだしたまえ」
 その黒箱は、さっきから蜂矢が検事からあずかって、こわきに抱いていたのだ。それは木の箱だった。しかしかなり重いところをみると、中に金属製の何物かがはいっているにちがいない。
「どこかあくんだろうが、どうしたらいいだろうかね」
 検事は、こういうことになると、いつも手をやく方であった。そこで蜂矢のたすけをもとめる。
「さあ、どこがあくんですかな」
 蜂矢もその場にしゃがんで、黒箱をいろいろといじってみる。なかなかあかなかったけれど、蜂矢がその黒箱の板の節穴(ふしあな)に小指を入れてみたときに、きゅうに箱がばたんとはねかえり、四方の枚がはずれた。そして中から出てきたものは、銀色のうつくしい金属光沢(こうたく)をもった箱であった。
「二重箱(にじゅうばこ)になっているんですね。なかなか用心ぶかい作りかただ」
 蜂矢は、おどろいていった。
「なるほど。そしてこれは何かの器械らしいが、いったいなんの器械かね。なんに使う器械かね」
「さあ。待ってくださいよ」
 蜂矢は、ポケットからドライバーを出して器械の裏蓋(うらぶた)をあけた。中を見ると、ラジオ受信機に似た、こまかい部品器具が集まっており、赤や青や黄のエンパイヤ・クロスのさやをかぶった電線が、くもの巣のように配線してあった。
「電波を出す器械のようですね。いわゆる送信機の一種らしいのですが、かんじんの真空管がぬいてあるし、電波長(でんぱちょう)を決定する、同調回路(どうちょうかいろ)のところもねじ切ってあるから、はっきりわかりませんねえ」
 蜂矢は、いよいよおどろきの色を見せてそういった。
「なんだって、かんじんの真空管やら、何やらがぬいてあるというのかい。誰がそんなことをしたのだろう。やっぱり、あのあやしい男のしわざか」
 検事は自問自答した。
「そうでしょうね。あの怪人物は、なかなか注意ぶかくやっていますね。ただのネズミじゃありませんね」
「そうだ。こうなると、こんな黒箱なんかに目をくれないで、彼奴(あいつ)をおいつめた方がよかったんだ。そして、みんな彼奴の註文(ちゅうもん)に、こっちがはまったことになる。まったくわれながらだらしがないわい」
 検事は、苦笑してくやしがった。
「とにかくこの黒箱は持ってかえって、なおよくしらべてみましょう。時間をたっぷりかけてしらべると、もっとはっきりしたこの器械の性質なり使いみちなりがわかるかもしれません」
「そうしてくれたまえ」
 そこでふたりは、ヤナギの木かげから腰をあげた。
「検事さんは、これからどうしますか」
「もう一度、二十世紀茶釜の小屋のようすを見てから、役所へもどることにしよう」
「では、おともしましょう」
 ふたりは、道をひきかえして、浅草公園のうらから中へはいった。
 さっきまで大にぎわいだった小屋のあたりには、もう人影もまばらだった。
 小屋のまえに立ってみると、あの景気のよい呼びこみの声もなく、にぎやかすぎるほどの楽隊の楽士たちも、どこへ行ったかすがたがなく、表の札売場(ふだうりば)はぴったりと閉じられ、「都合により本日休業」のはり紙が四、五枚はりつけられ、そよかぜにひらひらしていた。
 ふたりは、小屋の中へはいってみた。
 なかには、もちろん見物人はただのひとりも残ってはいず、この小屋の雑用(ざつよう)をしているらしい老人が四、五名、のんきそうに舞台の上でタバコをすい、茶をのんでいるだけだった。
「おいきみ、興行主(こうぎょうしゅ)の雨谷(あまたに)君は、どこにいるのかね」
 検事が、そういって、たずねた。
 その筋(すじ)の人だということは、老人たちにもすぐぴーんときたらしく、かれらはぺこぺこと頭をさげて、
「へい、だんな。雨谷さんは、さっき寝台自動車(しんだいじどうしゃ)にのせられて、なんとか病院へ行きましたがね」
「どこか、からだの工合がわるいのかね」
「へい。なんですか、心臓が悪いとか、アクマがどうしたとかいってましたがね、あっしはよくみませんので。へへへへ」


   茶釜小屋(ちゃがまごや)の終幕(しゅうまく)


 その夜、小杉二郎少年が蜂矢のところをたずねてきたので、ひるま茶釜破壊の椿事(ちんじ)があってからあとの、小屋のなかのようすがだいたいわかった。
「あの雨谷(あまたに)という茶釜使(ちゃがまつか)いの人は、たしかに気がへんになったようですよ。はじめは舞台の上にうつぶして、わあわあ泣いていたんですが、しばらくすると、むっくり起きあがりましてね、歌をうたい出したんです。それから踊るようなかっこうをしながら、綱わたりをはじめたんです。文福茶釜にかわって、じぶんが綱わたりを見せようというのです。見物人は、わっとかっさいしました」
「ふーん。それはかわっているね」
「ところが、とつぜん雨谷はおこりだしましてね、見物人をにらみつけて、さかんに悪口をとばすのです。見物人たちの方では、これをおもしろがって、わあわあとさわぎたてる。すると雨谷はますます怒って、ゴリラのように歯をむきだし、どんどんと舞台をふみならし、たいへんな興奮です。あげくのはてに、足もとに落ちていた文福茶釜の破片を拾いあげて、これを見物人席へ投げはじめたからたいへんです」
「ほうほう。それはたいへんだ。見物人はけがをしやしなかったかい」
「けがをしました。だから見物人の方が、こんどはほんとうに怒ってしまいましてね、こんどあべこべに見物人の席から、茶釜の破片(はへん)を舞台へ向かって投げかえす。すると雨谷の方でも、それに負けていずに投げかえす。しまいには、茶釜の破片だけでなくて、棒ぎれや電球や本や弁当箱までが、見物人席と舞台の間にとびかうさわぎです」
「えらいことになったもんだね」
「小屋の方の人も、ものかげから声をからして、見物人の方へしずまってくださいとたのむのですが、さっぱりききめなしです。そうかといって、そういう人たちは舞台の前へでるわけにもいかないのです。見物人の見えるところへでると、たちまち見物人から何かを投げつけられて、けがをしなければなりませんからね」
「雨谷君は、まだけがをしていなかったのかい」
「けがをしていたらしいが、当人は気が変になっているらしく、けがをしていることに気がつかないで、なおも舞台の上であばれていたんです。ところが、見物人の席から板ぎれがとんできましてね、これが雨谷の頭にごつんとあたったんです。そこで雨谷はばったり倒れてしまいました。そしたら、さわぎはきゅうにしずまってしまったんです。そして見物人たちはどんどん小屋から出ていってしまいました」
「ははあ、なるほど。雨谷君が死んだと思ったんだな。それで人殺しのかかりあいになるのをおそれて、みんな小屋から逃げだしたんだな」
「そうなんでしょう。とにかくこれで、さわぎはしずまりました。雨谷は、外へかつぎ出され、寝台自動車(しんだいじどうしゃ)に乗せられて、本所(ほんじょ)の百善病院(ひゃくぜんびょういん)へつれて行かれました。ぼくはそれを見おくって、そこを引きあげたんです。これがすべてのお話です。」
「そうかい。よくわかった」
 蜂矢探偵は、少年の労(ろう)をねぎらったのち、ふと思い出したかのように、
「あれはどうしたろうか。問題の文福茶釜の破片はどうしたろう」
「ああ、それはですね。ひとつだけぼくが拾ってきましたよ。いま持ってきます。」
 二郎は玄関へ行ったが、まもなく風呂敷包を持って引き返してきた。
「場内でひろったんですが、たしかにこれは二十世紀文福茶釜の破片の一つです。よく見てください」
「これが、そうなのかい」
 蜂矢は、その破片を手にとって、いくども裏表をひっくりかえして見いった。この破片は、釜のごく一部分であるが、釜のつばもついていた。
「このほかに、茶釜の破片は落ちてなかったんだろうか」
「さあ。落ちていたかもしれませんが、ぼくの目にとまったのは、これだけでした」
「そうかい。とにかくこれはいいものを拾って来てくれた。これは、ぼくのところに保管しておくが、ひょっとすると今夜あたり、これがコウモリのように空中をとびまわるかもしれないね」
「えっ、なんですって」
「いや、なんでもないよ」
 蜂矢は、あとをいわなかった。それはじぶんの想像のために、小杉少年を不必要にこわがらせてもいけないと思ったからである。だが蜂矢の想像としては、もしもこの茶釜が、針目博士の作り出した金属Qであったとしたら、たとえそれが今は破片になっているにせよ、いつかは生きかえって、破片ながら動き出すかもしれないと思ったのであった。
 はたして、蜂矢探偵のこの予想は的中するかどうか。


   ふしぎな電話


 きゅうにある家出人事件(いえでにんじけん)がおきて、そのことについて蜂矢探偵は一生けんめいに走りまわっていたので、れいの茶釜破壊の日から約二十日間を、怪金属事件の捜査から、手をぬいていたのだった。
 ようやくその家出人も、ついに探しあてられて、ぶじ家にもどり、蜂矢の仕事も、ここに一段落となった。そこでかれは、ふたたび怪金属事件の方へあたまをふりむけることになった。
 この二十日間、さいわいべつに怪しい事件も起こらず、まず泰平(たいへい)であった。
 しかしいろいろなことが、あしぶみをしていた。針目博士の行方の捜査のこと。黒箱の中にはいっていた器械をしらべること。こわれた茶釜の行方をつきとめ、その破片をみんな集めることなどが、きゅうを要することだった。
 茶釜の破片あつめは、いまとなってはどうにも手おくれで、いたしかたがなかった。あの事件の直後、小屋の中をめんみつに探したなら、破片あつめはあるていど、成功したかもしれないのだがいまとなって後悔(こうかい)しても、もうおそかった。
 けっきょく、ちゃんとはっきりのこっているのは、小杉二郎少年が拾ってきて、いま蜂矢の書斎の金庫の中にある一破片だけであった。この破片は、もしや奇怪なる生き返りでもして、家の中をコウモリのように飛びまわりはしないかと、気をもませたものであったが、事実そういうことは起こらなかった。まったくしずかに箱の中にはいっているふつうの金属片にすぎなかった。蜂矢は、はじめはこれが飛びまわるかと、おそれをなしたものの、飛びまわらないとわかったいまは、少々がっかりしているふうであった。
 雨谷君も、まず正気(しょうき)にかえって、いまではふつうの人のようになり、退院も間ぢかという話であった。この雨谷君に茶釜の破片を持っているなら、参考のために見せていただきたいと申し入れた。しかし雨谷君のところには、ひとつもないことがわかった。
 そうなると、蜂矢の家にある一破片は、いよいよ貴重なものとなった。
 ほかの破片は、いったいどこへ行ったのであろうか。
 それはたぶん、掃除夫が集めて、塵芥焼却場(じんかいしょうきゃくば)にはこび、そこで焼いてしまったのであろう。むかしなら、そういうときには、金属材料は大切にあつかわれ、横にのけておいて、製鉄所へ回収されたかもしれない。今はもうおそまつにあつかっているので、焼いたあとは、灰の中へうずまり、ますます深く地中へうずもれていったことであろう。
 もしもあの茶釜の中に、蜂矢探偵が想像したように、生命のある怪金属(かいきんぞく)がはいっていたものなれば、その生命は、どうなったであろう。
 茶釜が破壊したときにいっしょに、怪金属の生命も終ってしまったのであろうか。
 いやいや、そうかんたんには断定できないであろう。もともと怪金属は、非常に小さいものであるから、もし茶釜の中にそれがはいっていたとしても、茶釜が破壊したときに、その生命が不運にも二つに折られるようなことは、まずまずないであろう。
 そうだとすると、怪金属は、どこかに今も生きている可能性がある。可能性があるというだけのことで、かならず生きているとはいえない。この二十日間、世の中に、怪金属を思い出させるような怪事件が報道されないところをみると、怪金属はあるいはすでに、死滅(しめつ)してしまったかもしれないのだ。
 蜂矢探偵は、きょうは実験室にはいって、れいの黒箱を解体し、いろいろとしらべている。
 かんじんの真空管(しんくうかん)や同調回路(どうちょうかいろ)がないので、このしらべもなかなか困難であったが、しかし蜂矢探偵は、持ちまえのやりぬく精神をもって、こつこつと仕事をすすめていった。
 すると、とつぜん電話がかかってきた。
 蜂矢は、ドライバーをほうりだして、受話器を取りあげた。異様(いよう)につぶれた声が聞こえてきた。
「……もしもし。探偵の蜂矢さんは、あんたかね」
「そうです。蜂矢十六(はちやじゅうろく)です。あなたはどなたですか」
「蜂矢君。きみは身のまわりを注意したまえ。ひょっとするときょうあたり、おそろしい奴がたずねて――」
 電話は、そこでぷつりと切れた。そのあといくら電話局に連絡しても、さっきの相手はふたたび出なかった。
 通話はあきらめた。
 だがこれはおかしなことになった。あやしい客がくるという警告だ。あの通話者(つうわしゃ)は、いったい何者だろうか。同情者(どうじょうしゃ)なのであろうか。それとも脅迫者(きょうはくしゃ)がみずから電話をかけてきたのであろうか。
 ちょうどそのとき、玄関の呼鈴(よびりん)が鳴った。訪問客だ。はたして、さっき電話で注意をうけた怪人物の来訪であろうか。それともふつうの事件依頼人(じけんいらいにん)であろうか。
 蜂矢は、玄関へ出ていって、秘密の透視窓(とうしまど)ごしに、外にたっている訪問客のすがたを見た。まっ黒な長いマントに、おなじ黒の頭巾(ずきん)をすっぽりかぶった異様な人物が、まるで影のようにそこに立っていた。
 蜂矢探偵は、ぎくりとした。


   怪少年


 何者だろう。ふしぎな服装の訪問客は、顔を頭巾の奥ふかくかくしているので、誰だか見当がつかなかった。
「先生。あやしい人ですよ。おいかえしましょうか」
 小杉少年が、蜂矢探偵の方を心配そうな顔で見て、そういった。その訪問客は、長い黒マントの下にピストルぐらいかくしていそうであった。とにかく、雨も降っていないのに、なぜあのように、下にひきずるほど長いマントを着ているのだろう。こんな怪しい客はおいかえすにかぎる。
「ちょっとお待ち。怪しいお客なら、特にていねいに応待をして、応接室へご案内しなさい」
「それでは、あべこべですね。先生、あの長いマントの下から、ピストルがこっちをねらっているかもしれませよ。きっと、そうだ」
「もちろん、こっちは充分に注意をするから大丈夫だ。それにさっき電話で、“きょう怪しい客が行くぞ”と知らせがあったほどだから、怪しい客にはぜひお目にかかりたい」
「先生はかわっていますね。それではぼぐが玄関へ出ますが、先生はくれぐれも注意をおこたらないようにしてくださいよ」
 小杉少年は、蜂矢探偵があまり大胆すぎるので、気が気でない。
 それから小杉少年は、玄関へとび出していった。玄関をあける音、それから客と小杉との対話が、客にはわからない秘密屋内電話の線をつたわって、蜂矢のところへ聞こえてくる。
 それを聞いていると、怪しい客は、小杉の質問には答えようとはせず、ただすこしも早く蜂矢探偵に会わせてくれ、会うまでは、何にも説明しないとがんばっているようす。
「そんなことでは、先生に取次(とりつ)ぎができません」
 というと、怪しい客は、
「そんなら、きみに取次ぎはたのまない。じぶんが奥へふみこんで、蜂矢探偵に面会をとげるであろう」
 といって、かれは前に立ちふさがる小杉少年の胸をぽんと押しかえした。すると小杉は、うしろへひっくりかえった。怪しい客は、えらい力持(ちからもち)だった。
 怪しい客は、どしどし奥へはいりこんだ。そして蜂矢探偵が書斎にいるのを見つけると、つかつかとその前へ―。
「蜂矢君。茶釜の破片をわたしたまえ」
 怪しい客は、しゃがれた声を出して、ぶっきらぼうにいう。
「いったいきみは、誰ですか」
 蜂矢探偵は、しずかなことばで、怪しい客にたずねた。
「茶釜の破片をわたしたまえ。いそいで、それをわたしたまえ」
「なぜ、きみにわたす必要があるんですか。それがわからないと、たとえその破片が手もとにあったとしても、きみにはわたせませんね」
「そんなことは必要ない。早くわたせ」
「きみは礼儀(れいぎ)を知りませんね。人間というものは、いやな命令をされると、ますます反抗したくなるものですよ。けっきょくきみは自分の思うとおりにならなくて、困るでしょう。そういうやりかたは、きみにとってたいへん損ですよ」
「早く破片を手にいれたいのだ。これがきみにわからんのか」
 怪しい客は、いらいらしてきたらしく、大きな黒頭巾(くろずきん)の奥で、しきりに小さな顔をふりたてている。そのとき蜂矢は、怪しい客の顔が、ほんとうの人間の顔ではなく、マネキン人形の首であることを見破った。そのマネキン人形は、かわいい少年の首であった。
 人形の首が、なぜ口をきくのか。生きている人間のように、ものごとを考えたり、こっちの話を聞きわけたりするのか。とにかく、これはとんでもない怪物であることが察しられた。
「いや、ぼくは、礼儀を知らない人間とおつきあいをするのは、ごめんです。もちろん、何をおっしゃっても、ぼくは聞き入れませんよ。協力するのはいやです……」
「いうことをきかないと、殺すぞ」
「殺す、ぼくを殺して、なんになりますか。すこしもきみのためにはならない、茶釜の破片をしまってある場所は、もしぼくが殺されると、きみにおしえることができない。それでもいいんですか」
「ううむ――」
 怪しい客は、うなりごえとともに、からだをぶるぶるふるわせて、
「早く出せ。きみが茶釜の破片を持っていることは、今きみが自分でしゃべった」
「たしかに、持っています。話によれば、おわたししてもいいが、礼儀は正しくやってもらいましょう。まず、そのいすに腰をかけてください。ぼくもかけますから、きみもかけてください」
 そういって蜂矢探偵は、先に自分のいすに腰をおろした。
「わたしは腰をかけることができないのだ」
 怪しい客は、うめくようにいった。
「なぜ、きみにそれができないのか。そのわけを説明したまえ。およそ人間なら、誰だって腰をかけるぐらいのことはできる。きみは、人間でないのかね」
 蜂矢は、ことばするどく相手にせまった。
 すると怪しい客の全身が、がたがたと音をたてて、大きくふるえだした。怒(いか)りに燃えあがったのか、それとも恐怖(きょうふ)にたえ切れなくなったためか。


   恐ろしき笑い声


「もうきみの力は借りない。今まで人間のまねをしていたが、ああ苦しかった。もうこれからはわたしの実力で、必要とするものをさがし出して持っていくばかりだ」
 怪(あや)しい客は大立腹(だいりっぷく)らしく、声をあらげて叫んだ。と、かれの頭巾(ずきん)が、ひとりでにうしろへひっぱられ、今まで頭巾(ずきん)でかくれていたマネキン人形の首が、むき出しにあらわれた。
「あッ」
 これには蜂矢もおどろいて、思わず声をあげた。にこにこ笑っている木製の男の子の首だ。がそれだけではない。マネキン人形の頭の上に、やかんのふたぐらいの大きさの金属らしい光沢の物体がのっている。それが生きもののように、はげしく息をしている。ふくれたり、ちぢんだり、横に立ったり、形をかえたり。いよいよ怪しいものだ。
「待ってくれ。きみのいうことは、きく。らんぼうするな」
 蜂矢は、まっさおになっていすから立ちあがりあとずさりした。今までの落ちつきをうしなって、日頃の蜂矢には見たくても見られないほどの大狼狽(だいろうばい)だ。どうしたのだろう。
「もうきみと口をきく必要はない。しずかにしていろ。きみの脳にたいし直接問いただすことがあるんだ。茶釜の破片(はへん)のかくしてある場所を問いただすんだ。もうきみには答えてもらう必要はない。用がすめば、きみを殺してやる」
「待て、金属Q! 話が残っているんだ。待ってくれ、骸骨(がいこつ)の第四号!」
「ふふふふ。そこまで、きみは知っているのか。それを知っていながらわたしのじゃまをするとは、いよいよゆるしておけない。いじわるの人間よ。あとできっとかたづけてやる」
「まあ待て、きみに一つ重大な注意をあたえる。きみを作った針目博士はちゃんと生きているぞ。博士はきみを逮捕(たいほ)するために、一生けんめい用意をととのえている。それを知っているか」
「針目は死んだ。生きているわけはない。でたらめをいうな」
「博士が死んだと思っていると、きみはとんだ目にあうよ。この前きみが浅草公園(あさくさこうえん)の小屋の中で、綱わたりをしていたときに、きみはいつもりっぱに、らくらくとあの芸当(げいとう)をやりとげていた。ところが最後の日、きみは綱わたりに失敗して墜落(ついらく)した。そして茶釜はめちゃめちゃにこわれてしまった」
「それがどうした。過(す)ぎたことが」
「きみは、あの日、なぜ綱わたりに失敗して、墜落したかそのわけを知っているのかい。それをぼくが話してやる。あれはね、針目博士が特殊の電波をもちいてきみをまひさせたんだ。きみは思いだしてみるがいい」
「ふーん。どうもおかしいと思った。針目博士が生きているなら、これはぐずぐずしてはいられない。おい、博士はどこにいる」
「知らないよ。ほんとうに知らない。ぼくたちも博士の居所(いどころ)を探しあてたいと思っているのだ」
「ううーん。うそつきどもの集まりだ。よし、おれは他人の力によって征服されるものか。さあ、仕事だ。茶釜の破片を出せ。いや、きみの返事なんかいらない。直接にきみの脳からきいてやる」
 そういうと、怪しい客――金属Qは蜂矢におどりかかった。
 蜂矢はひらりとからだをかわしたが、金属Qはとてもす早く、蜂矢は二度目にはねじ伏(ふ)せられた。とたんにひどい頭痛を感じた。
「うーッ、苦しい」
「はっはっはっ。金庫の中にしまってあるのか。もうきみには用はない。いや、殺してやるんだ」
 このとき小杉少年がとびこんできて、ゴルフのクラブで、金属Qのうしろから力いっぱいなぐりつけた。
「ややッ。誰だ」
 金属Qは、びっくりしてうしろをふり返った。そのすきに蜂矢は立ちあがって、いすをつかんで怪人の足をはらった。怪人は大きな音をたててひっくりかえった。が、すぐさまはね起きると、こんどはふたりには目もくれず金庫の前にとんでいった。すると金庫は、とつぜん火を吹いた。金庫のかたい扉(とびら)のまん中に大穴があいた。怪人は、その中から、蜂矢のたいせつにしていた茶釜の破片をつかみだした。
「だめだ。これはただの鉄片(てつへん)だ。おれがさがしている大切な十四番人工細胞(じんこうさいぼう)ではない。ちえッ、いまいましい」
 がちゃんと、鉄片は床にたたきつけられた。と怪人は大きなマントをひるがえして窓からさっととび出した。
「ああッ、待て」
 蜂矢は立ちあがって、窓から外へ手をのばした。しかしそれはもう間に合わなかった。
「二郎君。怪人の行方(ゆくえ)を監視していてくれ。ぼくは長戸検事(ながとけんじ)のところへ電話をかけるから……」
 蜂矢はいすの背をとびこえて、電話機のところへとんでいった。


   怪魔(かいま)の最後(さいご)?


 怪魔金属(かいまきんぞく)Qが逃げた!
 怪金属Qは、長い黒マントに黒頭巾(くろずきん)を着て人間の形をよそおい、日比谷公園(ひびやこうえん)の方へ逃げた。
 怪金属の実体(じったい)というべきものは、マネキン人形の頭部のてっぺんに乗っている。それを捕(とら)えるんだ!
 このような知らせが、長戸検事のところへ蜂矢からとどいたので、検事はびっくりしたが、かねて待っていたことだから、すぐ手続きをとって、警察力のすべてをあげて怪魔(かいま)の追跡(ついせき)と逮捕(たいほ)にとりかかった。
 連絡の電波は、四方八方(しほうはっぽう)にみだれとんで、金属Qの行方をたずねまわる。
「いました。金属Qらしい長マントの怪人が議事堂の塔の上にいます」
「なに。議事堂の塔の上に怪魔がいるというのか」
 長戸検事は今は金属Q捜査隊長(そうさたいちょう)に任命せられていたので、これを聞くとただちにぜんぶの隊員へ放送した。
「手配中の犯人は議事堂の塔上(とうじょう)にのぼっている。包囲(ほうい)して、取りおさえよ」
 命令一下、警官隊は議事堂へむけて突進した。自動車とオートバイとの洪水(こうずい)だ。それに消防隊が応援にかけつける。
 選抜隊が百名、いよいよ屋上へ通じている階段をのぼって、塔のもっとも下の遊歩場(ゆうほじょう)へ姿をあらわした。
 怪魔は、塔の上で、ぐったりとなっている。やっぱり疲れはてたものと見える。風に、長マントがまくれる。黒頭巾(くろずきん)が、ひとりでこっくりこっくりとおじぎをしているが、これも風のいたずららしい。
 附近の建築物の屋上にも、警官隊がぎっしりとのぼって、もし怪魔がこっちへ逃げてきたときは取りおさえようと、手ぐすねひいている。
 そのうちに怪魔は気がついたらしく、塔(とう)の尖端(せんたん)に立ちあがって、きょろきょろと下をながめまわした。と、思ったら、怪魔はマントの下から、石のようなものを下へばらばらとまいた。それは下にせまっている警官隊のまん中で大きな音をあげて破裂(はれつ)した。警官たちは将棋(しょうぎ)だおしになった。
「うてッ」
 警官たちも今はこれまでと、下から銃器(じゅうき)でもって応じた。上と下とのはげしいうちあいはしばらくつづいた。警官たちは、どんどん新手(あらて)をくりだして、怪魔を攻(せ)めたてた。
 怪魔はついにふらふらしだした。
「あ、あぶない」
 怪魔のからだが塔の上からすっとはなれた。
「下へ飛ぶぞ。逃がすな」
 大きく弧(こ)をえがいて、長い黒マントの怪魔は議事堂の庭の上に落ちた。そして動かなくなった。
「とうとう自分でお陀仏(だぶつ)になったか」
「あんがい、かんたんな最期(さいご)をとげたじゃないか」
「大事なところを弾丸(たま)にうちぬかれたのだろう」
 怪魔のからだは、ばらばらになっていた。もちろんこれはマネキン人形の手足や胴中(どうなか)や首であるから、そのはずである。
 長戸検事がかけつけ、怪魔のばらばらになったからだを念入(ねんい)りにしらべた。
「はてな。なんにもない」
「検事さん、あれがありませんか」
「おお、蜂矢君」
 と検事はすこしおくれてかけつけた蜂矢をふりかえって、
「あれが見えないよ。人形の首はこのとおりあるが、きみがいったようなやかんのふたみたいなものは見えない」
「もっと徹底的(てっていてき)にしらべましょう。しかしあれは怪力(かいりき)を持っていて、危険きわまりないものですから、ぴかりと光ってあらわれたら、すぐ警官隊はそれをたたき伏せなければ、あぶないですよ」
「よろしい」
 蜂矢探偵は念入りにしらべた。

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