霊魂第十号の秘密
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著者名:海野十三 

「おお、お父さん」
 と叫んで、治明博士に抱きついた。
 博士はふらふらとして倒れそうになったが、やっと踏みこたえた。そして口の中で、アクチニオ四十五世の名をくりかえし、となえた。
「お父さん。ぼくは元の身体に帰ることができましたよ。よろこんで下さい」
「ほんとにお前は元の身体へ帰って来たのか」
「ほんとですとも。よく見て下さい。何でも聞いてみて下さい」
「ほんとらしいね。アクチニオ四十五世にお前も感謝の祈りをささげなさい」
 舞台の上で親子が抱きあって、わめいたり涙を流しているので、来会者には何のことだかわけが分らなかったが、やはり感動させられたものと見えて、またもや大拍手が起った。
 治明博士は、その拍手を聞くと、身ぶるいして、正面に向き直った。
「来会者の皆さま。私は本日、全く予期(よき)せざる心霊現象(しんれいげんしょう)にぶつかりました。それは信じられないほど神秘(しんぴ)であり、またおどろくべき明確(めいかく)なる現象であります。ここに並んで立っています者は、私の伜(せがれ)でありますが、この伜は永い間、自分の肉体を、あやしい霊魂に奪われて居りましたが、さっき皆さんが見ておいでになる前で、伜の霊魂は、元の肉体へ復帰したのであります。こう申しただけでは、何のことかお分りになりますまいが、これから詳(くわ)しくお話しいたしましょう……」
 とて、博士は改めて、隆夫に関する心霊事件の真相について、初めからの話を語り出したのである。
 その夜の来会者は、十二分に満足を得て、散会していった。そして誰もが、心霊というものについて、もっともっと真剣に考え、そして本格的な実験を積みかさねていく必要があると痛感(つうかん)したことであった。


   隆夫(たかお)のメモ


 呼鈴(よびりん)が鳴ったので、玄関のしまりをはずして硝子(ガラス)戸を開いた隆夫の母親は、びっくりさせられた。意外にも、夫と隆夫とが、門灯の光を浴び、にこにこして肩を並べていたからだ。
 治明博士は、靴をぬぎながら、さっそく、長いいきさつとその信ずべき根拠について、夫人に語りはじめた。その話は、茶の間へ入って、博士の前におかれた湯呑(ゆのみ)の中の茶が冷えるまでもつづいたが、隆夫の母親には、博士の話すことがらの内容が、ちんぷんかんぷんで、さっぱり分からなかった。だが、母親は、今夜のめでたい出来事が分らないのではなかった。かわいい隆夫が、前の状態から抜けて、元の隆夫に戻っていることを、隆夫の話しぶりや目の動きで、すぐそれと悟った。隆夫が元のように戻ってくれれば、それだけで十分であった。どうして隆夫が変り、どうして隆夫が癒(なお)ったか、そんな理屈(りくつ)はどうでもよかったのである。夜は更けていたが、親子三人水入らずの祝賀(しゅくが)の宴がそれから催(もよお)された。隆夫も、父親治明博士も、母親も、話すことが山のようにあった。そして時刻の移っていくのが分らなかった。
 電話がかかってきたので、母親は立っていった。そのとき柱時計が午前一時をうった。受話器をはずして返事をすると、電話をかけて来たのは三木健(みきけん)であった。
「もしもし。こっちは三木ですが、もしやそちらに、隆夫君が帰っていませんかしら」
「えッ、隆夫ですって。あのウ、少々お待ち下さいまし」
 治明博士がすばしこく電話の内容を感づいて立って来たので、母親ははっきりした返事をしないで、相手に待ってもらった。替って、治明博士が電話口に出た。
「隆夫は、こっちに来て居ません。だいぶん以前から、どこかへ行ってしまって、うちには寄りつかんそうです。どうかしましたか」
 と、知らない風を装(よそお)った。これは意地悪(いじわる)ではなく、当分そうしておくのが、双方のためになると思ったからだ。
 三木健の、おどおどした声が、受話器の奥からひびいて来た。
「ぼくは、ほんとに困り切っているのです。とにかく隆夫君はずっとうちに泊っているのです。しかし今夜にかぎって、まだ戻って来ないので心配しているのです。もしや、そちらへ帰ったのではないかと思ったものですから、お電話したんです」
「なんだか事情はよくのみこめませんが、君のご心労(しんろう)は深く察します。名津子さんは、どうですか。おたっしゃですか」
「そのことも、ちょっと心配なんです。今夜姉は卒倒(そっとう)しましてね、ぼくたちおどろきました。それから姉は、昏々(こんこん)と睡りつづけているのです。お医者さんも呼びましたが、手当をしても覚醒(かくせい)しないのです。昼間は、たいへん元気でしたがね」
 それを聞くと、治明博士はどきりとした。
「卒倒されたというんですか。それは今夜の幾時ごろでしたか」
「姉が卒倒した時刻は、そうですね、たしか八時半ごろでした」
「今夜の八時半ごろ。なるほど」
「どうかしましたか」
「いや、どうもしません。とにかくそのまま静かに寝かしておいておあげになるがいいでしょう。四五日たてば、きっとよくなられるでしょう。多分、今までよりも、もっと元気におなりでしょう」
 電話を切って、茶の間へ戻っていく博士は、
「八時半か。あの時刻にぴったり合うぞ」
 と、ひとりごとをくりかえした。午後八時半といえば、隆夫がレザールの前で倒れた時刻だ。隆夫の肉体に宿っていた霊魂第十号が追い出され、そのあとへ隆夫の霊魂が仮(か)りの宿レザールの身体をはなれて飛びこんだその時刻にぴったりと一致する。あの出来ごとが、てきめんに名津子にひびいたとすれば、これは名津子の身の上にも一変化(ひとへんか)起るのではなかろうかと、博士は推理した。
 博士は、茶の間の自分の座に戻ってから、彼の考えを隆夫と、その母親に説明し、当分の間、隆夫は、この家に居ないことにしておいた方がよいと、結論を述べた。隆夫は、その夜ゆっくりと足を伸ばして睡った。
 翌日からは、彼はなつかしい電波小屋にとじ籠(こも)った。そして多くの時間を、仮りのベッドの上で昼寝に費(ついや)し、ときどき起き出でては荒れたままになっている実験装置の部品や結線を整理した。その間に、彼はこれまでの事件についてのメモを書き綴(つづ)った。
 そのメモの中から、少しばかり抜いておこう。
――自分ノ感ジデハ、此ノ空間ヲ往来シテイル電波ノ諸相ニツイテノ研究ハ、ホンノ手ガツイタバカリダト思ウ。ワレワレ通信技術者ガワレワレノ組立テタ器械ニヨッテ放出シテイル通信用電波ノ外ニ此ノ空間ニハ現ニ多種多様ナ未知ノ電波ガ飛ビ交(まじ)ッテイルノダ。ソレヲ探求(たんきゅう)シツクスコトハ容易デナイト思ウガ、ゼヒトモ速カニソノ研究ニ着手スベキダ。
 カカル未知電波ノウチノアルモノハ、時ニ雑音(ざつおん)トイウ名ノモトニワレワレニ知ラレテイル。シカシ果シテソレガ雑音ナドトイワレルニ十分ナ屑電波(くずでんぱ)ダトスルコトハ早計ニ過ギルト思ワレル。雑音コソハ、直チニ研究ニ取懸(とりかか)ルニ適シタ未知電波ダ。コレヲ探求シ、分析(ぶんせき)シ、整頓(せいとん)シ、再現スルコトニヨッテ、ワレワレハ自然界ノ新シキ神秘ニ触レルコトガ出来ルノデハナイカト思ウ。
 自分ガ関係シタ霊魂第十号モ、カカル雑音ノ中カラ姿ヲ現ワシタノデアル。第十号ハ頗(すこぶ)ル野心ニ燃エタ霊魂ダッタ。第十号ハ人間界ニ肉迫(にくはく)シ、ソシテ遂ニ人間ノ霊魂ヲ捉(とら)エルニ至ッタ。ソノ択(えら)バレタル霊魂ノ持主ハ、不運デモアッタガ、又、捉(とら)エラレルニ適シタホドノ脆弱性(ぜいじゃくせい)ト不安定トヲ持ッテイタ気ノ毒ナ人デアッタ。ソウイウ種類ノ人間ハ、案外身辺ニ少ナクナイノデアル。深イ注意ヲモッテカカル人間ニ対シ適当ナ電波的保護ヲ急グノデナケレバ、世ノ中ニハ「手ニオエナイ神経病者」トイワレルモノガ年ト共ニ激増スルデアロウ。
 自分ハ健康ヲ回復シタラ、此ノ方面ノ研究ニ没頭シヨウト思ウ。ソシテ、可能ナラバ霊魂第十号ニモウ一度会イ、彼及ビ彼ノ背後ニアル心霊科学ト握手シ、同ジ目的ニ向ッテ協力シタイモノダ。(以下略)
 治明博士の予想した如く、一週間後に名津子はすっかり元気になり、それまでの妖(あや)しき態度も消え、元の名津子に戻った。そして隆夫や健(けん)や二宮(にのみや)や四方(よつかた)の交際も旧(もと)に復した。
 なお、隆夫は改めて名津子と結婚した。隆夫の方が年下であることは、二人の間にも親たちの間にも、もはや問題でなかった。




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