三十年後の世界
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著者名:海野十三 

あれみたいに動くのです。歩道に平行に五本並んでいて、歩道に一番近いのが時速十キロで動いているもの。次が二十キロ、それから三十キロ、四十キロ、五十キロという風にだんだん早くなります。そしてその動く道路は、どこへ行くか、方向がかいてあるのです。……ほらごらんなさい。これが銀座行きの動く道路ですから」
 ようやく外に出た。日光がかがやいていた。それまでは地下にいたことが分った。なつかしい日光、うまい空気! しかし変だ。
「ここはどこですか。みたことがない野原ですね」
「ここが銀座です。あなたの立っているところが、昔の銀座四丁目の辻のあったところです」
「うそでしょう。……おやおや、妙な塔がある。それから土まんじゅうみたいなものが、あちこちにありますね。あれは何ですか」
 林と草原の間に、妙にねじれた塔や、低い緑色の鍋をふせたようなものが見える。
「あのまるいものは、住宅の屋上になっています。塔は、原子弾が近づくのを監視している警戒塔です。すべて原子弾を警戒して、こんな銀座風景になったのです。みんな地下に住んでいます。ときどきものずきな者が、こうして地上に出て散歩するくらいです。おどろきましたか」
 正吉はたしかにおどろいた。あのにぎやかな銀座風景は、今は全く地上から姿をけしてしまったのだ。


   近づく星人(せいじん)


「まだ、戦争をする国があるんですか」
 正吉少年は、ふしぎでたまらないという顔つきで、案内人のカニザワ区長にきいた。
「やあ、そのことですがね、まず戦争はもうしないことにきめたようです」
「戦争をするもしないも日本は戦争放棄(せんそうほうき)をしているんだから、日本から戦争をしかけるはずはないんでしょう。もっともこれは今から三十何年もむかしの話でしたがね」
 正吉はあのころ新憲法ができて、それには戦争放棄がきめられたことをよくおぼえていた。
「正吉君のいうことはただしいです。しかしですね。その後また大きな戦争がおこりかけましてね――もちろん日本は関係がないのですがね――そのために、おびただしい原子爆弾が用意されました。そのとき世界の学者が集って組織している連合科学協会というのがあって、そこから大警告を出したのです。それは二つの重大なことがらでした」
「どういうんですか、その重大警告というのは……」
「その一つはですね、いま戦争をはじめようとする両国が用意したおびただしい原子爆弾が、もしほんとうに使用されたときには、その破壊力はとてもすごいものであって、そのためにわれらの住んでいる地球にひびが入って、やがていくつかに割れてしまうであろう。そんなことがあっては、われわれ人間はもちろん地球上の生物はまもなく死に絶えるだろう。だから、そういう危険な戦争は中止すべきである――というのです」
 カニザワ東京区長は、そう語りながら、ハンカチーフを出して、顔の汗をぬぐった。おそらく氏は、その戦争勃発(ぼっぱつ)一歩前の息づまるような恐怖を、今またおもいだしたからであろう。
「で、戦争は起ったのですか、それとも……」
「もう一つ重大なことがらは」
 と区長は正吉の質問にはこたえず、さっきの続きを話した。
「連合科学協会員は最近天空においておどろくべき観測をした。それはどういうことであるかというと、わが地球をねらってこちらへ進んでくるふしぎな星があるということだ。それは彗星(すいせい)ではない。その星の動きぐあいから考えると、その星は自由航路をとっている。つまり、その星は、飛行機やロケットなどと同じように、大宇宙を計画的に航空しているのだ」
「へえーッ。するとその星には、やっぱり人間が住んでいて、その人間が星を運転しているんですね」
「ま、そうでしょうね――だからわれわれは、一刻もゆだんがならないというのです。その星はわが太陽系のものではなく、あきらかにもっと遠いところからこっちへ侵入(しんにゅう)して来たものだ。そしてその星に住んでいるいきものは、わが地球人類よりもずっとかしこいと思われる。さあ、そういう星に来られては、われわれはちえも力もよわくて、その星人(せいじん)に降参(こうさん)しなければならないかもしれない。そのような強敵を前にひかえて、同じ地球に住んでいる人間同士が戦いをおこすなどということは、ばかな話ではないか。そのために、われわれ地球人類の力は弱くなり、いざ星人がやって来たときには防衛力が弱くて、かんたんに彼らの前に手をつき、頭をさげなければならないだろう。――それをおもえば、今われわれ人類の国と国とが戦争するのはよくないことである。つまり、『今おこりかかっている戦争はおよしなさい』と警告したのです」
「ああ、なるほど、なるほど、そのとおりですね」
「それが両国にもよく分ったと見えましてね、爆発寸前というところで戦争のおこるのはくいとめられたんです。お分りですかな」
「それはよかったですね。しかし、そんならなぜ、あのようにたくさんの原子弾の警戒塔や警報所や待避壕(たいひごう)なんかが、今もならんでいるのですか」
 正吉には、そのわけが分らなかった。
「いやあれは、あたらしく襲来するかもしれない宇宙の外からの敵が原子弾をこっちへなげつけたときに役に立つようにと建設せられてあるんです」
「ああ、そうか。あの星人とかいう連中も、原子弾を使うことが分っているのですね」
「多分、それを使うだろうと学者たちはいっていますよ――それに、もう一つああいう防弾設備がぜひ必要なわけがあるんです」
「それはどういうわけですか」
「それは、ですね。わが地球人類の中の悪いやつが、ひそかに原子弾をかくして持っていましてね、それを飛行機につんで持って来て、空からおとすのです」
「どうしてでしょうか」
「どうしてでしょうかと、おっしゃいますか。つまり昔からありました、強盗(ごうとう)だのギャングだのが。今の強盗やギャングの中には、原子弾を使う奴がいるのです。どーンとおとしておいて、その地区が大混乱におちいると、とびこんでいって略奪(りゃくだつ)をはじめるのです。ですから、そういう連中を警戒するためにも、あれが必要なのです」
 そういってカニザワ区長は、警戒塔を指さした。
「いやあ、三十年後の強盗団は、さすがにすごいことをやりますね」
 と、正吉少年はおどろいてしまった。


   すばらしい地下生活


 区長さんの話によると、人々は地下に家を持って、安全に暮しているが、事件や戦争のないときにはこうして、大昔の武蔵野平原にかえった大自然の風景の中に自分もとけこんで、たのしい散歩やピクニックをする人が少なくないとのことであった。
「じゃあ、前のような地上の大都市というものは、どこにもないのですね」
「そうですとも。昔は六大都市といったり、そのほか中小都市がたくさんありましたが、いまは地上にはそんなものは残っていません。しかし、地の中のにぎわいは大したものですよ。これからそっちへご案内いたしましょう」
 正吉は、区長たちの案内で、ふたたび地下へ下りた。
 地下といえば、正吉は地下鉄の中のかびくさいにおいを思い出す。鉄道線路の下に掘られてある横断用の地下道のあのくらい陰気(いんき)な、そしてじめじめしたいやな気持を思い出す。また炭坑(たんこう)の中のむしあつさを思い出す。
 だが、区長たちに案内されていった地下街は、まったく違っていた。陰気でもなく、じめじめなんかしておらず、すこしもかびくさくない。またむしあついことなんか、すこしもなかった。それからまた、いきがつまるようなこともなかった。
 だから、まるで気もちのいい山の上の別荘の部屋にいるような気がし、また気もちのいい春か秋かのころ、街道を散歩しているようでもあった。
「それは、ですね。この地下街を建設するためには、あらゆる衛生上の注意がはらってあって私たちが気もちよく暮せるように、いろいろな施設が備(そな)わっているのです。たとえば空気は念入りに浄化(じょうか)され、有害なバイキンはすっかり殺されてから、この地下へ送りこまれます。また方々に浄化塔があって、中でもって空気をきれいにしています。ごらんなさい、むこうに美しい広告塔が見えましょう。あれなんか、空気浄化器の一つなんですよ」
「ああ、あれがそうなのですか。広告塔と空気浄化器と二役をやっているのですか」
 十メートルくらいの高さの美しい広告塔だった。赤、青、紫、橙、黄などのあざやかな色でぬられ、そして、ぐるぐると回転している、目をうばうほど美しい塔だった。
「それから湿度は四十パーセント程度に保たれています。ですから、これまでの地下のようなじめじめした感じや、むしあつくて苦しいなどということもありません。また温度はいつも摂氏(せっし)二十度になっていますから、暑からず寒からずです。年がら年中そうなんですから、服も地下生活をしているかぎり、年がら年中同じ服でいいわけです」
「それはいいですね。衣料費がかからなくていいですね。昔は夏服、冬服なんどと、いく組も持っていなければならなかったですからね。ちょうど布ぎれのないときでしたからぼくのお母さんは、それを揃えるのにずいぶん苦労をしましたよ。――ああ、そういえば、ぼくのお母さんは……」
 と、正吉は声をくもらせて、はなをすすった。
「どうしました、正吉さん」
 と、大学病院長のサクラ女史が、うしろからやさしく正吉の顔をのぞきこんだ。
「ぼく……ぼく」
 と正吉はいいよどんでいたが、やがて思い切っていった。
「ぼく、急にぼくのお母さんに会いたくなりました。ぼくがあの冷凍球(れいとうきゅう)の中にはいるとき、ぼくのお母さんは五十歳でした。ああ、それから三十年たってしまったのです。するとお母さんは今年八十歳になったはず。お母さんは日頃から弱かったんです。お母さんは、とても、今まで長生きしているはずはない。ぼく……ぼく……もうお母さんに会えないだろうな」
 正吉少年のこのなげきは、たいへん気の毒であった。カニザワ氏とサクラ女史とカンノ博士の三人は、ひたいをあつめて何か相談していたが、やがてカニザワ区長が正吉にいった。
「もしもし、正吉君。われわれに、すこし心あたりがあるんです。うまくいくと、君のお母さんに会えるかもしれませんよ」
「えっ、ほんとですか。しかし母は、もう死んでいますよ」
「いや、そのことはやがて分りましょう。これから町を見物しながら、そちらへご案内してみましょう」


   人工心臓


 正吉は、区長たちからなぐさめられて、すこし元気をとりもどした。
 町を案内してもらったが、なるほどじつににぎやかであり、また清潔であった。昔は、にぎやかな町ほど、砂ほこりが立ち、紙くずがとびまわり、路上にはきたないものがおちていたものだ。
 しかし、この町はほこりは立たず、紙くずはなく、路面(ろめん)ははだしで歩いても足の裏がよごれないように見えた。
 町は、天井が高く、路面から三十メートルはあったろう。そして、その天井は青く澄んで、明るかった。まるで本ものの秋晴れの空が頭上にあるように思われた。
「あの天井には、太陽光線と同じ光を出す放電管(ほうでんかん)がとりつけてあるのです。その下に紺青色(こんじょういろ)の硝子(ガラス)板がはってあります。ですから、ここを歩いていると昔の銀ブラのときと同じ気分がするでしょう」
「ああ、あれはほんとうの空じゃなかったのですか――うん、そうだ。地面の中にもぐっていて、青空が見えるはずがない」
 正吉は、うっかり思いまちがいしていたことに気がついて、顔があかくなった。しかし、それほどほんものの秋空に見えるのだった。
 区長は、正吉を、りっぱな本屋につれこんだ。奥は住宅になっていた。いわゆるアパートメント式の住宅であった。そのうちの一軒の前に立った区長は、扉をこつこつと叩いた。すると中から返事があった。女の声だった。
「あっ、あの声は……」
 扉が内にひらいた。家の中から顔を出した白髪頭(しらがあたま)の老女があった。
「まあ、これは区長さん。それにサクラ先生に……」
「今日はめずらしい客人をお連れしました。ここにおられる少年にお見おぼえがありますか」
 区長にいわれて、老女は正吉を見た。
「まあ、正吉ではありませんか。うちの正吉だ。まあまあ、正吉、お前はどうして……」
 老女は、正吉の母親であったのだ。
「お母さん」
 正吉と母親とは抱きあってうれしなみだにくれました。
「お母さん、よく長生きをしていてくれましたね」
「正吉や。お母さんは一度心臓病で死にかけたんだけれど、人工心臓(じんこうしんぞう)をつけていただいてこのとおり丈夫になったんですよ」
「人工心臓ですって」
「見えるでしょう。お母さんは背中に背嚢(はいのう)のようなものを背おっているでしょう。それが人工心臓なのよ」
 正吉は見た。なるほど母親は、背中に妙な四角い箱を背おっている。それが人工心臓なのか。正吉は目をぱちくり。


   口ひげのある弟


 人工心臓は、ほんとの心臓と違って、人間のつくった機械だから、ずっと大きい。だから胸の中にはいらず背中にそれをくくりつけてある。
 胸の中から二本の管(くだ)が出て、この人工心臓につながっている。一方は赤くぬってあり、もう一つは青くぬってある。赤い方は、きれいな血がとおる動脈、青い方は静脈だ、そして人工心臓は、その血を体内に送ったり吸いこんだりするポンプなのである。
 昔あったジェラルミンよりもっと軽い金属材料と、すぐれた有機質の人造肉とでこしらえてあるのだと、専門のサクラ女史が説明してくれた。
「こんなものをぶら下げていると、かっこうが悪くてね。正吉や、お前が見ても、へんでしょう」
 と、母親は笑った。
 なつかしい母親の笑顔だった。
「かっこうなんか、どうでもいいですよ。その人工心臓の力によって、もっともっと長生きをして下さい」
「お医者さまは、あたしの悪い心臓を人工心臓にとりかえたので、これだけでも百歳までは生きられますとおっしゃったよ」
「百歳とは長生きですね」
「いいえ。お医者さまのお話では、もっと長生きができるんだよ。百歳になる前に、もう一度人工心臓を新しいのにとりかえ、それからその外の弱って来た内臓をやはり人工のものにとりかえると、また寿命(じゅみょう)がのびるそうだよ」
「じゃあ、お母さん、そういう工合にすると二百歳までも、三百歳までも、長生きができることになるじゃありませんか。うれしいことですね。お父さんなんか、昭和二十年に死んじまって、たいへん損をしたことになりますね」
「ほんとにおしいことをしました。お父さまももう十五、六年生きておいでになったら、わたしと同じように、ずいぶん長生きの出来る組へはいれるのにねえ。そうすればお母さんは、今よりももっと幸福なんだけれど……」
 正吉の母は、早く亡(な)くなった正吉の父親のことをしのんで、そっと涙をふいた。
 そのときだった。りっぱなひげをはやした三十あまりになる紳士と、それよりすこし下かと思われる婦人とが、かけこんで来た。
「あ、お母さん。ここへ、兄さんが訪ねて来てくれたんですって」
「あたしの兄さんは、どこにいらっしゃるの」
 正吉はその話を聞いて、目をぱちくり。
「おお、お前たちの兄さんはそこにいますよ。ほら、そのかわいい坊やがそうですよ」
 母親は正吉を指(ゆびさ)した。
「えっ。この少年が、僕の兄さんですか。ちょっとへんな工合だなあ」
「まあ、ほんとうだわ。写真そっくりですわ。でもあたしの兄さんがこんなにかわいい坊やでは、兄さんとおよびするのもへんですわね」
「正吉や。こっちはお前の弟の仁吉(にきち)です。またそのとなりはお前の妹のマリ子ですよ」
「やあ、兄さん」
「兄さん、お目にかかれてうれしいですわ」
「ああ、弟に妹か――」
 といったが、正吉も全くへんな工合であった。弟妹(きょうだい)に会ったようではなく、おじさんおばさんに会ったような気がした。


   びっくり農場


 思いがけない母親とのめぐりあいに、正吉少年はたいへん元気づいた。見しらぬ世界のまっただ中へとびこんだひとりぼっちの心細さ――というようなものが、とたんに消えてしまった。
「ここからどこへつれていって下(くだ)さるのですか」
 と、正吉はカニザワ区長やサクラ院長などをふりかえって、たずねた。
「君がびっくりするところへ案内します。ちょっぴり、教えましょうか。日本の新しい領土なんです。ハハハ、おどろいたでしょう」
「日本の新しい領土ですって。それはへんですね。日本は戦争にも負けたし、また今後は戦争をしないことになったわけだから、領土がふえるはずがないですがね」
「そう思うでしょう。しかしそうじゃないんです。君がじっさいそこへ行ってみれば分りますよ」
「近くなんですか」
「いや、近くではないです。かなり遠いです。しかし高速の乗物で行くからわけはありません」
 正吉は区長さんのいうことが理解できなかった。土地がせまくなったところへ、海外から大ぜいの同胞(どうほう)がもどって来たので、たいへん暮しにくくなり、来る年も来る年も苦しんだことを思い出した。中でも一番苦しかったのは食糧だった。
「ああ、そうそう」と、正吉はいった。
「ねえ区長さん。田畑(たはた)や果樹園(かじゅえん)はどうなっているのですか。地上を攻撃されるおそれがあるんなら、地上でおちおち畑をつくってもいられないでしょう」
「そうですとも、もう地上では稲(いね)を植えるわけにはいかないし、お芋(いも)やきゅうりやなすをつくることもできないです。そんなものをつくっていても、いつ空から恐ろしいばい菌や毒物をまかれるかもしれんですからね。そうなると安心してたべられない」
「じゃ農作物は、ぜんぜん作っていないのですか」
「そんなことはありません。さっきあなたがおあがりになった食事にも、ちゃんとかぼちゃが出たし、かぶも出ました。ごはんも出たし、ももも出たし、かきも出た」
「そうでしたね」
「では、まずそこへ案内しますかな。ちょうどよかった。すぐそこのアスカ農場でも作っていますから、ちょっとのぞいていきましょう」
 アスカ農場だという。地上には田畑も果樹園もないと区長さんはいっている。それにもかかわらず農場と名のつくところがあるのはおかしい。まさか、地中にその農場があるわけでもあるまい。地中では、太陽の光と熱とをもたらすことができないから、農作物が育つわけがない。
「ここです。はいりましょう」
 大きなビルの中に案内された。こんな会社のような建物の中に、いったいどんな農場があるのであろうか。
 が、案内されて三十年後の地下農場を見せられたとき、正吉はあっとおどろいた。
 かぼちゃも、きゅうりも、稲も昔の三等寝台のように、何段も重なった棚の上にうえられていた。みんなよく育っていた。
「このきゅうりを見てごらんなさい」
 そこの技師からいわれて、正吉はそのきゅうりをみていた。
「おや、このきゅうりは動きますね。どんどん大きくなる」
 正吉はびっくりしたり、きみがわるくなったり、これはおばけきゅうりだ。
「この頃の農作物は、みんなこのようなやり方で栽培(さいばい)しています。昔は太陽の光と能率のわるい肥料で永くかかって栽培していましたが、今はそれに代って、適当なる化学線と電気とすぐれた植物ホルモンをあたえることによって、たいへんりっぱな、そして栄養になるものを短い期間に収穫できるようになりました。こんなきゅうりなら、花が咲いてから一日乃至(ないし)二日で、もぎとってもいいほどの大きさになります。りんごでもかきでも、一週間でりっぱな実となります」
「おどろきましたね」
「そんなわけですから、昔とちがい、一年中いつでもきゅうりやかぼちゃがなります。またりんごもバナナもかきも、一年中いつでもならせることができます」
「すると、遅配(ちはい)だの飢餓(きが)だのということは、もう起らないのですね」
「えっ、なんとかおっしゃいましたか」
 技師は正吉の質問が分らなくて問いかえした。正吉は、気がついてその質問をひっこめた。まちがいなく五十倍の増産がらくに出来る今の世の中に、遅配だの飢餓だのということが分らないのはあたり前だ。


   海底都市


 動く道路を降りて丘になっている一段高い公園みたいなところへあがった。もちろん地中のことだから頭上には天井がある。壁もある。その広い壁のところどころに、大きな水族館の水槽(すいそう)ののぞき窓みたいに、横に長い硝子板(ガラスばん)のはまった窓があるのだった。
 その窓から外をのぞいた。
「やあ、やっぱり水族館ですね」
 うすあかるい青い光線のただよっている海水の中を、魚の群が元気よく泳ぎまわっている。こんぶやわかめなどの海草の林が見え、岩の上にはなまこがはっている。いそぎんちゃくも、手をひろげている。
「水族館だと思いますか」
 区長さんが笑いかけた。
「よく見て下さい。今、燈火(あかり)をつけて、遠くまで見えるようにしましょう」
 そういって区長は、窓の下にあるスイッチのようなものを動かした。すると昼間のようにあかるい光線が、さっと水の中を照らした。その光は遠くにまでとどいた。魚群がおどろいたか、たちまちこの光のまわりは幾組も幾組も、その数は何万何十万ともしれないおびただしさで、集って来た。
「これでも水族館に見えますか」
 と、区長がたずね、
「いや、ちがいました。これは本物の海の中をのぞいているのですね」
 遠くまで見えた。こんな大きな水族館の水槽はないであろう。
「お分りでしたね。つまりこのように、わが国は今さかんに海底都市を建設しているのです」
「海底都市ですって」
「そうです。海底へ都市をのばして行くのです。また海底を掘って、その下にある重要資源を掘りだしています。大昔も、炭鉱で海底にいて出るのもありましたね。
ああいうものがもっと大仕掛になったのです。人も住んでいます。街もあります。海底トンネルというのが昔、ありましたね。あれが大きくなっていったと考えてもいいでしょう」
 正吉は海底都市から出かけて、ふたたび上へあがっていった。
 とちゅうに停車場があって、たくさんの小学生が旅行にでかける姿をして、わいわいさわいでいた。
「あ、小学生の遠足ですね。君たち、どこへ行くの」
「カリフォルニアからニューヨークの方へ」
「えっ、カリフォルニアからニューヨークの方へ。僕をからかっちゃいけないねえ」
「からかいやしないよ。ほんとだよ。君はへんな少年だね」
 正吉は、やっつけられた。
 そばにいた区長がにやにや笑いながら、正吉の耳にささやいた。
「ちかごろの小学生はアメリカやヨーロッパへ遠足にいくのです。この駅からは、太平洋横断地下鉄の特別急行列車が出ます。風洞(かざあな)の中を、気密(きみつ)列車が砲弾(ほうだん)のように遠く走っていく、というよりも飛んでいくのですな。十八時間でサンフランシスコへつくんですよ」
「そんなものができたんですか。航空路でもいけるんでしょう」
「空中旅行は、外敵(がいてき)の攻撃を受ける危険がありますからね。この地下鉄の方が安全なんです。なにしろ巨大なる原子力が使えるようになったから、昔の人にはとても考えられないほどの大土木工事や大建築が、どんどん楽にやれるのです。ですから、世界中どこへでも、高速地下鉄で行けるのです」
「ふーン。すると今は地下生活時代ですね」
「まあ、そうでしょうな。しかし空へも発展していますよ。そうそう、明日は、羽田空港から月世界探検隊が十台のロケット艇(てい)に乗って出発することになっています」
 正吉は大きなため息をついてひとりごとをいった。
「三十年たって、こんなに世界や生活がかわるとは思わなかったなあ。こんなにかわると知ったら、三十年前にもっと元気を出して、勉強したものをねえ」
 あとで分った話によると、例のモウリ博士は月世界探検に行ったまま、遭難(そうなん)して帰れなくなっているということだ。こんどの探検隊が、きっと博士を救い出すであろう。


   宇宙探検隊


 正吉は、その日以来、宇宙旅行がしてみたくてたまらなくなった。
 三十年前、やがて月世界へ遊覧(ゆうらん)飛行ができるようになるよと予言する人があったら、その人はみんなから、ほら吹きだと思われたことであろう。それが今は、ほんとに出来るのだという。なんという進歩であろう。
 正吉は、そのことを東京区長のカニザワ氏と、大学病院のサクラ女史とに相談してみた。すると二人は、そういうことはカンノ博士にたのむのが一番いいであろうと教えてくれた。
 そうだ、カンノ博士。
 博士とは、しばらくいっしょにならないが、カンノ博士こそは、正吉少年を冷凍球(れいとうきゅう)から無事にこの世へ出してくれた恩人の一人で、有名な生理学の権威(けんい)である。
「ほんとに行きたいのかね、正吉君」
 カンノ博士は、人のよさそうな笑顔で、正吉を見まもった。
「ぜひ行きたいのです。三十年のながい間、ぼくは眠っていて、知識がうんとおくれているのです。ですからこんどは、今の世の中で、一番新しいものを見て一足(いっそく)とびに学者になりたいのです」
 正吉は、子供らしい欲望をぶちまけた。
「ほんとに学者になるつもりなら、一足とびではだめだよ。こつこつと辛抱づよくやらなければね。宇宙旅行だってそうだ。見かけは花々しく見えるが、ほんとうに宇宙旅行をやってみれば、はじめから終りまで辛抱競争(しんぼうきょうそう)みたいなものだ。ちっともおもしろくはないよ」
 カンノ博士のことばは、じつに本当のことであったけれど、正吉には、博士が正吉の宇宙旅行を思いとどまらせようと思って、つらいことばかり並べているのだと思った。
「ぼくは辛抱するのが大好きなんです。三十年も冷凍球の中に辛抱していたくらいですからね」
「ああ、そうか、そうか、それほどにいうのなら、連(つ)れていってやるかな」
「えっ、今なんといったんですか」
 正吉はあわててたずねた。カンノ博士は、いよいよニヤニヤ笑顔になって正吉を見ていたが、やがて口を開いた。
「じつはね、私たちはこんど、かなり遠い宇宙旅行に出かけることになった。お月さまよりも、もっと遠くなんだ。早くいってしまえば火星を追いかけるのだ。そのような探検隊が、一週間あとに出発することになっているが、君を連れていってやっていい」
「うれしいなあ。ぜひ連れてって下さい」
「しかし前もってことわっておくが、さびしくなったり、辛抱(しんぼう)が出来なくなって、地球へぼくを返して下さい、なんていってもだめだよ」
「そんなこと、誰がいうもんですか」
 正吉は、胸を張(は)ってみせた。
「大丈夫かい。それから火星を追いかけているうちに、火星人のためにわれわれは危害(きがい)を加えられるかもしれない。悪くすればわれわれは宇宙を墓場(はかば)として、永い眠りにつかなければならないかもしれない。つまり、火星人のため殺されて死ぬかもしれないんだが、これはいやだろう。見あわすかい」
「いや、行きます。どうしても連れてって下さい。たとえそのときは死んで冷たい死骸(しがい)になっても、あとから救助隊がロケットか何かに乗って来てくれ、ぼくたちを生きかえらせてくれますよ。心配はいらないです」
「おやおや、君はどこでそんな知識を自分のものにしたのかね。たぶん知らないと思っていったのだが……」
 カンノ博士は小首をかしげる。
「先生は忘れっぽいですね。この間、大学の大講堂で講演なさったじゃないですか。――今日外科(げか)は大進歩をとげ、人体を縫合(ぬいあわ)せ、神経をつなぎ、そのあとで高圧電気を、ごく短い時間、パチパチッと人体にかけることによって、百人中九十五人まで生き返らせることが出来る。この生返り率は、これからの研究によって、さらによくなるであろう、そこで自分として、ぜひやってみたい研究は、地球の極地に近い地方において土葬(どそう)または氷に閉(とざ)されて葬られている死体を掘りだし、これら死人の身体を適当に縫合わして、電撃生返り手術を施(ほどこ)してみることである。すると、おそらく相当の数の生返り人が出来るであろう。中には紀元前何万年の人間もいるであろうから、彼らにいろいろ質問することによって、大昔のことがいろいろと分るであろう。そんなことを、先生は講演せられたでしょう」
「ハハン。君はあれをきいていたのか」
「きいていましたとも、だから、もう今の世の中では、死んでも死にっ放しということは、ほとんどないことで、死ぬぞ、死んだらたいへんだ、なんて心配しないでよいのだと、先生の講演でぼくは分ってしまったんです。ですから連れてって下さい」
「よろしい。連れていってあげる」
「ウワァ、うれしい」
 正吉はよろこんで、カンノ博士にとびついた。


   新月号(しんげつこう)離陸


 やっぱり東京の空港から、探検隊のロケット艇は出発した。
 艇の名前は、「新月号」という。
 新月号は、あまり類のないロケットだ。艇(てい)の主要部は、球形(きゅうけい)をしている。
 その外につばのようなものが、球の赤道にあたるところにはまっている。そしてこれはどこか風車か、タービンの羽根ににている。
 空気のあるところをとぶときは、このつばの羽根が、はじめ水平にまわり、離陸したあとは、すこしずつ縦(たて)の方へ傾(かたむ)いていって、斜(なな)めに空を切ってあがる、なかなかおもしろい飛び方をする。
 そして、もう空気がほとんどないところへ来ると、このつばの羽根が、球から離れる。
 そのあとは球(きゅう)だけとなる。この球がロケットとして、六個の穴からガスをふきだして、空気のない空間を、どんどん速度をあげて進んでいくのだ。
 球形の外郭(がいかく)には、たくさんの窓があいている、もちろん穴はあいていない。厚い透明体の板がこの窓にはまっている。そしてこの窓は暗黒の中に美しい星がおびただしく輝いている大宇宙をのぞくために使う。
 新月号のこの球の直径は、約七十メートルある。だから両国の国技館のまわりに、でっかい円坂をつけたようにも見える。
 この新月号は、ただひとりで宇宙の旅をすることになっていた。
 こういう形のロケットは、今まであまり見受けなかったことで、あぶながる人もいた。学者の中でも、疑問をもっている人があんがい少なくなかった。
 しかし、この新月号の設計者である、カコ技師は、安全なことについては、他のどのロケットにもまけないといっていた。そして、それを証明するために、自分も機関長として、新月号に乗組み、この探検に加わることとなった。
 それでは、新月号の艇長は、いったい誰であろうか。これこそ宇宙旅行十九回という輝かしい記録をもつ有名な探検家マルモ・ケン氏であった。カンノ博士は、観測団長だった。
 スミレ女史が通信局長であった。女史は、正吉を冷凍から助けだしてくれた登山者中の一人であった。
 こうして新月号に乗組んだ者は、正吉をいれて総員四十一名となった。
「はじめて宇宙旅行をする者は、地球出発後七日間は、窓の外を見ることを許さない」
 こういう命令を、マルモ艇長(ていちょう)は、出発の前に出した。
「なぜ、あんな命令を出したんだろう」
 と、正吉はおもしろくなかった。飛行機に乗って離陸するときでさえ、たいへん気持がいい。ましてや、このふうがわりの最新式ロケット艇の新月号で離陸せるときは、さぞ壮観(そうかん)であろう。だからぜひ見たい。
 また高度がだんだん高くなって、太平洋と太西洋とがいっしょに見えるようになるところもおもしろかろう。ぜひ見たい。
 なぜマルモ艇長は、それを禁ずるのであろうか。しかも一週間の永い間にわたって外を見てはいけないというのはなぜだろう。
 正吉は、カンノ博士にあったとき、その話をした。すると博士はニヤリと笑って、
「フフフ、それは艇長の親心というものだ。艇長は君たちのことを心配して、そういう命令を出したんだ。まもった方がいいね」
 と艇長の肩を持った。
「なぜ七日間も、窓から外をのぞいちゃいけないんですか、ぼくはその理由を知りたいです」
「それは……それは、今はいわない方がいいと思う。艇長の命令がとけたら、そのとき話してあげるよ」
 それ以上、カンノ博士は何もいわなかった。
 正吉と同じ不満を持った、初めての宇宙旅行組の者が二十人ばかりいた。それぞれ、こそこそ不満をもらしていたが、先輩たちは何も説明しなかった。みんな艇長からかたく口どめされているのだった。
 見るなといわれると、どうしても見たくなるのが人情であった。正吉は、そのうちこっそりと外をのぞいてやろうと決心した。


   窓の外には


 新月号は夜明けと共に地球をはなれて空中へとびあがったが、その出発の壮観を見た者は、あまり多くなかった。
 それから新月号はぐんぐんと上昇を続け、成層圏(せいそうけん)に突入した。成層圏もやがて突きぬけそうになって高度二十キロメートルを越えるあたりでは、あたりは急に暗くなり、夜が来たようであった。しかし、本当の夜が来たのではなく空気がすくなくなって、そのところでは太陽の光がいわゆる乱反射(らんはんしゃ)をして拡散(かくさん)しないために、あたりは暗いのであった。
 しかし太陽は上空に、丸く輝いている。それはちょうど月が夜空に輝いているに似ていて、太陽そのものは輝いているが、まわりは明るくないのだ。
 そのころ星の群は一段と輝きをまし、黒い幕の上に、無数のダイヤモンドをまき散らしたようであった。
 このような光景が、このあといつまでも続くのであった。
 昼も夜もない暗黒の大宇宙であった。しかし太陽はやっぱり空を動いて見える。
 大宇宙は、このように静かだ。生きているという気がしない。むしろ死んでいるように見える。それはあたりがあまりに暗黒であるのと、太陽にしても星にしても、暗黒の広い空間にくらべて、あまりに小さくて淋(さび)しいからであろう。
 が、もしこのとき、目をうしろにやったとしたら、どうであろう。彼はびっくりさせられるであろう。
 艦長が妙な命令を出したのも、じつはうしろをふりむいてびっくりさせないためであったのだ。
 それはちょうど出発後四日目のことであった。正吉は、窓の外をのぞく絶好の機会をつかんだ。
 通路を歩いていると、頭の上で、へんな声をあげた者がある。
 何だろうと思って、正吉は上を見た。
 すると、通路の天井の交錯(こうさく)した梁(はり)の上に、一人の男がひっかかって、長くのびているではないか。
「あぶない」
 正吉は、おどろいた。放っておけば、あの人は、梁(はり)の間から下へ落ち、頭をくだくことであろう。早く助けてやらねばと思った。
 他の者をよぶひまもない。正吉は、傍(かたわら)の柱にとびついて、サルのように上へのぼっていった。木のぼりは正吉の得意とするところだ。
 天井までのぼり切ると、あとは梁を横へつたわって進んだ。まるでサーカスの空中冒険の綱わたりみたいだ。
(早く、早く。あの人が梁から落ちれば、もうなんにもならない)
 じつにきわどいところで、彼の身体は梁でささえられている。まるで天秤(てんびん)のようだ。
 正吉は、やっとのことで、その人の身体をつかまえた。つかまえたのと、その人が息を吹きかえしたのとほとんど同時であった。
「あーァ」
 その人は呻(うな)った、見るとそれは料理番の若者で、キンちゃんとよばれている、ゆかいな男であった。
「キンちゃん。どうしたの。しっかり」
 正吉は、梁のむこうへ落ちて行きそうなキンちゃんの身体を、一所懸命おさえながら、キンちゃんをはげました。
「あッ、こわいこわい、おれは気が変になる。助けてくれッ」
 キンちゃんは、両手で顔をおさえて変なことを口走る。
「キンちゃん。おかしいよ、そんなにさわいじゃ。ぼくは小杉だよ」
「小杉?」
 キンちゃんは、ようやく目をあいて、正吉を見た。そしてホッと大きな溜息(ためいき)をついた。おなじみの正吉の顔を見て、安心したのであろう。
「こんなところで、何をしていたの」
 と正吉がきくと、キンちゃんはまた顔をしかめて苦しそうにあえぎだした。
「こわい、こわい、正ちゃん。その窓から外を見ない方がいいよ。気が変になるよ」
「あッ、そうか。君は窓から外を見たんだね。艇長に叱(しか)られるよ」
 正吉はそういったが、見ると窓のおおいが破れている。キンちゃんが破ったものだろう。正吉は急に外が見たくなった。
「正ちゃん、およしよ。だめだ、外を見ちゃ……」
 と、キンちゃんがとめるのにもかまわず、正吉は、とうとう窓から外を見た。
「あッ、あれは……」
 正吉の肩が大きく波打っている。顔は、まっさおだ。
 正吉は何を見たか。
 大きなビルを四、五十あつめたくらいの大きさの、まんまるい黄色に光る球を見たのであった。
 それは地球だ。地球だった。
 地球の大きな球が、空間に、つっかえ棒もなしにいるところは凄(すご)いというか、恐ろしいというか、艇長が外を見るなと命令したわけが、やっと分った。


   偵察(ていさつ)ロケット


 七日以後は窓もひらかれ、外をのぞいてもさしつかえないことになった。そのころ地球は、ずっと形が小さくなり、小山ぐらいの大きさとなったので、恐ろしさが減(へ)った。もうあれを見て発狂したり、気絶(きぜつ)する者もなかろう。
 地球は小さくなったが、いよいよ光をまして白く輝く大陸の輪郭(りんかく)もよく見える。しかし球という感じがだんだんなくなって、平面のような感じにかわっていった。
「キンちゃん、あれから後、いくど気絶したの」
 正吉がそういって料理番のキンちゃんをからかうと、キンちゃんは顔をまっ赤(か)にして、
「あのとき一ぺんこっきりだよ。そんなにたびたびやって、たまるものか。それよりか、今日の夕食にはすごいごちそうが出るよ」
「すごいごちそうというと、お皿の上に地球がのっかっているといった料理かね」
「また地球で、わしをからかうんだね。地球のことはもう棚(たな)にあげときましょう。さて今夜の料理にはね、牡牛(おうし)の舌の塩づけに、サラダ菜(な)をそえて、その上に……」
「雨ガエルでも、とまらせておくんだね」
 正吉は、じょうだんをいって、食堂から出ていった。
 廊下(ろうか)の曲(まが)り門(かど)のところで、正吉は大人の人に、はちあわせをした。誰かと思えば、それは藍(あい)色の仕事服を着て、青写真を小脇に抱えているカコ技師であった。
「あ、あぶない。正吉君、なにを急いでいるのかね」
「いま、食堂ですてきに甘いものをたべて来たので、元気があふれているんです。ですからこれから艇長のところへ行って探検の話でも聞かせてもらって来るつもりなんです。艇長のすごい話はこっちがよほど元気のときでないと、聞いているうちに心臓がどきどきして来て気絶しそうになりますからね」
「このごろどこでも気絶ばやりだね。だから僕もいつもこうして気つけ用のアンモニア水のはいった小さいびんをポケットに入れてもっている」
 そういってカコ技師は、透明(とうめい)な液のはいっている小びんを出してみせた。
「それを貸して下さい。それを持って艇長のとこへ行ってきますから……」
「だめだよ、正吉君、艇長はいまひるねをしておられる。一時間ばかり、誰も艇長を起すことは出来ないのだ」
「ああ、つまらない」
「つまらないことはないよ、機械室へ来たまえ。これから偵察ロケットを発射させるんだから」
「偵察ロケットですって。それは何をするものですか」
「本艇のために、目の役目をするロケットだ。このロケットには人間は乗っていない。電波操縦(でんぱそうじゅう)するんだ。だからこのロケットはうんと速度が出せる。これを発射して、本艇よりも先に月世界の表面に近づかせる。いいかね。ここまでの話、分るかね」
「ええ、分ります」
「その偵察ロケットには、テレビジョン装置がのせてある。だからそれがわれわれの目にかわって月世界の方々を見る。それが電波に乗って本艇へとどく。本艇ではそのテレビ電波を受信して、映写幕にうつし出す。つまりこれだけのものがあると、本艇の目がうんと前方へ伸びたと同じことになる。たいへんちょうほうだ」
「なぜ、そんなことをするんですか」
「これは、もし前方に危険があったときは、偵察ロケットが感じて知らせてよこす。本艇はさっそく逃げることができる。偵察ロケットの方は破壊されてもかまわない。それには人間が乗っていないのだからね」
「音も聞けるわけですね。偵察ロケットにマイクをのせておけばいいわけだから」
「技術上は、そういうこともできる。しかしこの場合、音をきく仕掛はいらない」
「なぜですか」
「だって、月世界には空気がない。空気がなければ、音はないわけだ」
「ああ、そうでしたね」


   月の噴火口(ふんかこう)


 偵察ロケットは、三台も発射された。
 それは小型のロケットで、砲弾のような形をしていた。
 あと十二時間すると、月の上空へ達するそうである。
 この光景はテレビジョンにおさめられ、地球へ向けて放送された。
「月世界って、そんなに危険なところですか。大地震でもあるのですか」
 正吉はカコ技師のそばからまだはなれない。
「もう地震はないね。月世界はすっかり冷えきって、死んでしまった遊星(ゆうせい)だから」
「じゃあ、強盗(ごうとう)でもあらわれるのですか」
「まさか強盗は出ないよ。いやしかし、強盗よりももっとすごい奴があらわれる心配がある」
「なんですか、そのすごい奴というのは……」
「それはね、われわれ地球人類でない、他の生物が月世界へやってくるといううわさがあるんだ。この前にも、ある探検隊員は、それらしい怪しい者の影をみて、びっくりして逃げて帰ったという話である。また、ある探検隊員は月世界で行方不明になったが、さいごに彼がいた地点では格闘(かくとう)したあとが残っている。またそこに落ちていた物がわれわれ人類の作ったものではないと思われる。そういうことから、他の遊星の生物がかなり、前から月世界へ来ているではないか。それなら、これから月世界へ行くには、よほど警戒しなくてはならないということになったのだ」
 カコ技師の話は、正吉をおどろかせた。この宇宙は、地球人類だけが、ひとりいばっていられる世界だと思っていたのに、それが今は夢として破れ去り、ほんとうは他の星の生物たちといっしょに住んでいる雑居(ざっきょ)世界だということが分りかけた。これはゆだんがならない。また、考えなおさなければならない。もしや宇宙戦争が始まるようになっては、たいへんである。
 正吉は、そんなことを考えていると、なんとなく気分がすぐれなくなった。カコ技師はすぐそれを見てとった。
「正吉君。いやにふさぎこんでしまったじゃないか。とにかく人間は、どんなときにも元気をなくしてしまってはおしまいだよ。そうそう、いま映画室でポパイだのミッキー・マウスの古い漫画映画をうつしているそうだから、行ってみて来たまえ。そして早く、にこにこ正ちゃんに戻りなさい」
 カコ技師にいわれて、正吉は、そのことばに従った。
 映画はおもしろくて、おなかをかかえて笑った。すぐそばに、正吉よりもっと大きな声で笑いつづける者がいた。よく見ると料理番のキンちゃんであった。
 映画がすむと、キンちゃんが、室内競技場へ行こうと、さそってくれた。正吉は、いっしょに行った。そこには非番の艇員たちが、声をあげて遊んでいた。正吉たちもその仲間にはいって、バスケットボールをしたり、ビール壜(びん)たおしをやったりした。そして時間のたつのが分らなくなった。
 カコ技師が、いつの間にか正吉のうしろに来ていて、声をかけた。
「例の偵察ロケットがね、さっきから月世界の表面に接触(せっしょく)したよ。あのロケットが送ってよこすテレビジョンが、いま操縦室の映写幕にうつっているから、見にこない」
「えっ、もう見えていますか。行きますとも」
 カコ技師について操縦室へはいっていくと、そこには本艇の主だった人々がみんな集っていた。そして副操縦席のうしろの椅子に腰をおろして計器番の上にはりだした映写幕にうつるテレビジョンを見ながら、意見を交換していた。
 映写幕の上には、大きな丸い環(かん)が、いくつもうつってそれがゆるやかに下から上へ動いていく。
「いま見えているのは知っているね。月の表面にある噴火口といわれるものさ」
「ああ、本で見たことがあります」
 正吉はカコ技師にもたれながら答えた。噴火口のまわりの壁は、ずいぶん高くそびえている。そして右側に、黒々とした影をひいている。
「映写幕の左上の隅のところにあるのがアポロニウスという噴火口だ。その下の方――つまり北のことだが、危難(きなん)の海という名のついた海のあとさ。ほら、だんだん大きな噴火口が下の方からあらわれてくる……」
 大きな噴火口があらわれては、消える。
 画面が急にかわった。映写幕の右の方に月の面(めん)が大きく弧線(こせん)をえがいてうつった。ここにはまたもっと大きい噴火口が集っている。
「さっきのと、ちがう別の偵察ロケットのテレビジョンに切りかえられたんだ。今うつっているのは月の南東部だ。まん中へんに見える細長い噴火口がシッカルトだ。直径が二百五十キロもある。壁の一番高いところは二千七百メートル。大きいだろう」
「すごいですね」
 白く光る月面を見ていると、なんだか身体がこまかくふるえてくるようだ。
「そのずっと左の方に有名なティヒヨ山が見える。高さは五千七百メートル。四方八方へ輝条(きじょう)というものが走っているのが見える」
「ぼくたちは、どこへ着陸するのですか」
「予定では、『雲の海』のあたりだ。そうだ、雲の海は、いま画面のまん中あたりの下の方にある。つまりティヒヨ山から北東の方向へ行ったところにある」
「すごいですね」
「こわくなりゃしない? こわければ上陸しないで、本艇に残っていていいんだよ」
「いいえ、ぼくはだんぜん上陸します。でないと月世界まで来た意味がありませんもの」


   ついに着陸


 偵察ロケットはだんだん高度を低くし、月面に近づいていった。そしてていねいにいく度もいく度も同じ地域の上空をとんだ。
「大丈夫のようです。別にかわったものを見かけませんから」
 そういって艇長の方を向いたのは、観測団長のカンノ博士だった。
「うむ。まず、大丈夫らしいね。では着陸の用意をさせよう」
 艇長はマイクを手にとりあげて、その用意方(よういかた)を全艇へつたえた。
「さあ、忙しくなったぞ」
 と、カンノ博士は正吉にしばらくの別れを告げて、操縦室から去った。
 着陸の用意は、二十四時間かかった。
 いまはカコ技師も、はればれとした顔つきになって、喫煙室(きつえんしつ)へ来て、煙草をうまそうに吸いながら、だれかれと話しあっている。
「こんどは装甲車(そうこうしゃ)を五台出動させることができる。だから上陸班は十分に活動ができると思う」
「装甲車というと、どんなものですか」
「一種の自動車さ。そしてガソリンではなく原子力エンジンで動く。それから外側が厚さ十センチの鋼板で全部包んである」
「じゃあ、戦車ですね」
「戦車は砲をつんでいる。これは砲はつんでいないから、戦車ではない。やはり、装甲車だ」
「なぜこんな乗物を使うんですか。敵がいるわけでもないのでしょう。なぜそんな厚い装甲がいるんですか」
「それはね、第一に隕石(いんせき)をふせぐために、これくらいの厚い装甲が必要なんだ」
「隕石というと、流れ星のことでしょう。あんなものはこわくないではありませんか。地上に落ちてくるのは、ほとんどないのですから」
「いや、ところがそうではない。地球の場合だと、空気の層があるから、隕石はそこを通りぬけるとき空気とすれ合って、ひどく高温度になり、多くは地上につかないうちに火となって燃えてしまう。しかし月世界には空気がないから隕石は燃えない。そのまま月の上へ落ちてくる。君たちの頭の上へこれが落ちて来たら、頭が割れて即死(そくし)だ。だからそんなことのないように装甲車に乗って上陸するんだ。分ったかね」
「なるほど。隕石に気をつけないと、あぶないですね。すると私たちは月世界の上を、この二本の足で歩かないのですか」
「歩くことも出来る」
「だって、隕石が上からとんで来て、大切な頭がぐしゃりとやられたんでは……」
「ひとりで歩く場合には鋼鉄(こうてつ)のかぶとをかぶって歩く。中くらいの隕石ではあたってもこのかぶとでふせぐことができる」
「ああ、そんなものも用意してあるんですね」
「そうだ。それに、本艇には隕石を警戒している隕石探知器というものがあって、隕石が降ってくると、千キロメートルの彼方で早くもそれを感知して電波で警報を発する。この警報はかぶとをかぶって歩いている連中にも受信できるようになっている。だからこの警報を聞いたら、大急ぎで、反対の側の山かげや地隙(ちげき)にかくれるとか、または本艇へかけもどって来れば、一そう安全だ。だから君たち、心配はいらないんだよ」
 カコ技師の話は、はじめて月世界へ行く連中を安心させるいい話だった。
 だが、月世界と地球とは、いろいろなところにおいて様子がたいへんかわっているので、まだまだ面くらうことがたくさんあるはずであった。
 やがていよいよ、月世界に着陸する時間が来た。
 艇は、いま向きをかえ、月面と平行にとんでいる。雲の海附近にかなり広い沙漠帯(さばくたい)があってそこが着陸に便利だと知れていた。
 その着陸コースに三度目にはいった時に、艇は前部からガスの逆噴射(ぎゃくふんしゃ)を開始し、だんだん速度をゆるめると共に浮力をつけた。そこらは操縦のお手ぎわだった。そしてついに見事に雲の海に着陸した。
 もし下手な着陸をやれば、月面に衝突して、たちまち艇は一個の火の塊(かたまり)となって、全員もろとも消えてなくなるであろう。
「よかった。おめでとう」
「艇長。おめでとう」
 艇内には、よろこびのことばが飛んだ。
 正吉は、さっきから窓によって、はじめて見る月世界の景色に魂(たましい)をうばわれている。
(ああ、ずいぶんすごいところだなあ。高い山、くらい影、木も草もない。これがほんとの死の世界だ。空はまっくらだ。あそこに輝いているのは太陽らしい。ここは雲の海だというが、水一滴(いってき)ない。こんなところに一週間も暮したら、気がへんになって死にたくなるだろうなあ)
 だが正吉は、やがてこの死の国のような月世界で、ふしぎな者にめぐりあい、一大事件の中にまきこまれるなどとは、夢にも思っていなかった。


   空気服(くうきふく)


「全員空気服をつけよ」
 艇長からの命令が、各室へつたわった。
「さあ、空気服だ。かぶと虫の化けものになるんだ。やっかいだな」
「やっかいだって。でも、空気ににげられちまって死ぬよりはましだろう」
「もちろん死ぬよりはましさ。だが、空気服はきゅうくつだから、ぼくはきらいさ」
 空気服というのは、身体のすっぽりはいる潜水服みたいなもので、あたまに潜水兜(せんすいかぶと)に似たかぶとをかぶる。しかし空気服についているかぶとは、前半分ほど透明だ。
 空気服の中には地球の上と同じほどの濃(こ)さの空気がはいっている。そしてたえず空気をきれいにし、不足の酸素を補給する。空気服は特製の人造ゴムまたは軽硬金属板(けいこうきんぞくばん)で出来ていて、外界と服の中とは、完全に気密――つまり空気が逃げる穴や隙間(すきま)がない。
 それからこの空気服は、かなりの圧力にたえるように、しっかりした材料で作られている。
 空気服の特長は、もっとある。月世界は非常に寒い。そこで空気服の中は、いつも摂氏(せっし)十八度に温められてある。
 まだ仕掛がある。空気のない月世界などでは、音を出すことができない。音は空気の波であるから、空気がなければ音は出ないわけだ。そうすると、人と人とは、声で話をすることができない。しかしおたがいに思うことを、相手に通ずることができないと困る。そこで空気服の附属品として無線電話機がとりつけてある。くわしくいうと極超短波(きょくちょうたんぱ)を使う無線電話機で、耳のところに小型の高声器(こうせいき)があり、のどの両脇にマイクロホンがあたっていて、空気服を着ている人は空気服の中で普通にしゃべれば、それがマイクロホンと器械を通じて電波となり、他の人々の器械に感じ、耳のそばの高声器から、ことばとして聞えるのであった。
 空気服には、この外に、かんたんな食事をとり、また水や牛乳やレモン水などをのむ仕掛が、かぶとの内側にとりつけてあり、その外いろいろおもしろい仕掛もあるが、くわしく話しているときりがないから、このへんにしておこう。
 そういう便利で重宝(ちょうほう)な空気服を、乗組員の全部がつけろという命令である。これは着陸のとき、万一艇が破損して、艇内の空気が外にもれてしまうようなことがあっても、この空気服を着ていれば平気でいられる。そればかりか、空気服をつけている者は、破損の箇所(かしょ)を応急修理するために活動ができる。だから空気服を全員につけさせるのだ。
 点検が行われた。空気服のつけ方が正しいか悪いかをしらべるのだ。もし悪い者があると、すぐつけ直す。そうしておいてやらないと、万一のとき空気服が役に立たない。艇長マルモ・ケンはすぐれた宇宙探検家であるからして、こういう大事なことに、深い注意を払(はら)うのだった。
 空気服点検もおわった。全員異状がない。
「着陸用意。全員部署(ぶしょ)につけ」
 ロケットはだんだん高度を下げていった。一たん艇内にたたみこんであった翼を出し、これにも噴射ガスが月の面にあたって、反射してくるのをあて、一種の浮力(ふりょく)としてはたらかせる。その外にも、ガスを月の面(おもて)の前後に叩きつけて、スピードのかわるのを、人体にちょうどいい程度に調節する。
 それでも、かなりのスピードが出ていた。雲の海というところは、やや黒ずんだ沙漠であるが、それが艇の下を洪水のように流れていく。
 が、ついに艇は、月の面にふれた。とたんにガスの放出はとめられ、艇は滑走(かっそう)で前進する。艇の通りすぎるうしろには、もうもうと砂煙があがって、まるで艇が火災を起したようだ。
 やがて艇は停った。その下三分の一が、雲の海の砂にうずもれた状能で、停止した。
「やれやれ。無事着陸したぞ」
「えっ、無事着陸しましたか。月世界へついたんですね」
「もちろんのことさ。ほかのどこへ着陸するものかね」
「ああ、うれしい。さっそく地球にのこして来た家族へ電話をかけたいものだ」
「それは間もなく許されるだろう。その前に本艇が着陸した目的の仕事を片づけてしまわねばならない」
「その目的というのは、何ですね」
「今に分るよ。見ておいで」
 高級艇員と、こんど初めて月世界旅行について来た若い艇員との間に、こんな話がとりかわされている。
 正吉少年の姿が[#「姿が」は底本では「艇が」]見えない。
 いや、いや。装甲車が用意されているそばに、彼は立っていた。


   勝手がちがう話


「さあ、乗った」
 そういったのは、カンノ博士だった。観測班長だ。
 博士も正吉も、さっきまで着ていた空気服をぬいでいた。装甲車に乗る者は、それを着ないでいいのだ。もちろん用心のために持っているが、それは装甲車の中が、気密になっているからである。
 装甲車は、みんなで十台あった。一台をのこして、九台が出かけるように命令されている。正吉少年が乗りこんだ装甲車は、一号車であった。いよいよ出かけるときになって、隊長マルモ・ケン氏が乗りこんだ。この一号車長は、カンノ博士だった。
「出発」
 号令と共に、空気服を着ている艇員が、三重戸の一つを、電気の力であけた。空気がもれないように、戸のあわせ目が複雑な構造になっていた。一号車は中へ進む。すると次の戸があった。
 一の戸が閉まる。二の戸が開く。
 一号車は、またその中へはいる。すると三の戸につきあたりそうになった。
 その三の戸も、開かれた。その外は、まぶしい月世界の風景があった。
 一号車は、音もなく、外へゆらゆらと出て行く。そのあとに三の戸が閉った。
 一つの装甲車が外に出るまでに、このようなことが数回くりかえされる。
「どうだね、正吉君。月の世界は、あまり気持のいいところじゃなかろう」
 カンノ博士は正吉にいった。
 正吉は小窓から外を熱心にながめていたが、
「墓場(はかば)に日があたっているような風景ですね」
 と、いった。
「ははは。おもしろいことをいう。とにかく月世界には、空気が全(まった)くないから、かすむということがない。近くの景色も、遠方の景色も、どっちも同じにはっきり見えるんだ。だから景色にやわらか味というものがない。
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