断層顔
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◇暇つぶし何某◇

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著者名:海野十三 

   事件依頼人


 昭和五十二年の冬十二月十二日は、雪と共に夜が明けた。
 老探偵帆村荘六(ほむらそうろく)は、いつものように地上室の寝床の上に目をさました。
 美人の人造人間のカユミ助手が定刻を告げて起こしに来たからである。
「――そして先生。今日は人工肺臓をおとりかえになる日でございます。もうその用意がとなりの部屋に出来ています」
 カユミは、そういって、本日の特別の了知事項を告げた。
 老探偵はむっくり起上った。すっかり白くなった長髪をうしろへかきあげながら、壁にかかっている鏡の前に立った。
 血色はいい。皮膚からは血がしたたりそうであった。
 探偵は片手をのばして、鏡の隅についている釦(ボタン)を押した。
 するとその瞬間に、鏡の中の彼の姿は消え、そのかわりに曲線図があらわれた。
 その上には七つの曲線が入(い)り交(まじ)っていた。そして、十二月十二日の横座標の上に七つの新しい点が見ている前で加えられたが、それは光るスポットで表示された。――その七つの曲線は、彼の健康を評価する七つの条件を示していた。脈搏(みゃくはく)の数と正常さ、呼吸数、体温、血圧、その他いくつかの反応だった。鏡の前に立てば、ほとんど瞬間にこれらのものが測定され、そしてスポットとして健康曲線上に表示される仕掛になっていた。
「ふうん、今朝はこのごろのうちで一番調子がよくないて。そろそろ心臓も人工のものにとりかえたが、いいのかな」
 ――いや、こんなことを一々書きつらねて、彼の昭和五十二年における生活ぶりを説明して行くのは煩(わずら)わしすぎる。あとはもうなるべく書かないことにしよう。特別の場合の外は……。
 帆村が、人工肺臓もとりかえ、朝の水浴(みずあ)びをし、それから食事をすませて、あとは故郷の山でつんだ番茶を入れた大きな湯呑(ゆのみ)をそばにおいて、ラジオのニュース放送の抜萃(ばっすい)を聞き入っているとき、カユミ助手が入って来て、来客のあるのを告げた。そしてテレビジョンのスイッチをひねった。
 映写幕の上に、等身大の婦人の映像があらわれた。
 ハンカチーフで顔の下半分を隠している。その上から覗(のぞ)いている両眼に、きつい恐怖の色があった。
 服装は、頭に原子防弾(ぼうだん)のヘルメットを、ルビー玉の首飾、そしてカナダ栗鼠(りす)の長いオーバー、足に防弾靴を長くはいている。一メートルばかりの金属光沢をもった短いステッキを、防弾手袋をはめた片手に持っている。
 要するに、事件にまきこまれて戦慄(せんりつ)している若い女が訪れたのだ。特に教養があるというわけでもなく、さりとてうすっぺらな女でもなさそうだ。
 老探偵は、その女客を迎えて、応接間に招じ入れた。
 女は毛皮のオーバーを脱いだ。その下から真黄色なドレスがあらわれた。黄色いドレスと紅いルビーの首飾と蒼ざめた女の顔とが、ロマンのすべてを語っているように思った。探偵は、自分の脳髄の中のすべての継電器(リレー)に油をさし終った。
「どうぞお気に召すままに……。で、どんなことでございますかな、あなたさまがお困りになっていることは……」
 帆村は、黄金のシガレット・ケースを婦人客にすすめた。
「困りましてございます」客は煙を一口吸っただけだった。「……あたくし、恐ろしい顔の男に、あとをつけられていまして……。なんとか保護していただきたいのですけれど」
「それはお困りでいらっしゃいましょう」
 恐ろしい顔の男につけられている、保護を頼みたい――と、女客はいう。古めかしい事件だ。五千年前のエジプト時代――いや、もっと大昔のエデンの園追放後にはもう発生したその種の事件だった。それが今もなお、こと新しくおい茂るのだ。
「で、その男をどう処置すれば、ご満足行くのでございますか、奥様」
 探偵は、このとき始めて奥様と呼んだが、それはこのまだ名乗らない婦人にとって正(まさ)に図星だった。
「あたくしをつけ廻さないように……あたくしの眼界から完全に消えてしまうように、きまりをつけていただきたいのでございます」
「その男に約束させるか、その男を殺すかですね。奥様はどっちを……」
 老探偵は、声の調子を変えもせず、すらすらとその言葉を口にした。
「あのう、お金なら多少持っていますの」
 婦人は低い声で桁(けた)の多い数字を囁(ささや)いた。
「――しかし事は完全に処置されることを条件といたします」
「彼に死を与えるか、それとも完全に約束させるかのどっちかですが、果して彼が完全に約束を守るような男かどうか――おお、それについて、一体、かの男は奥様とどういうご関係の人物であるか、それについてお話し願いたいのですが……」
 探偵は、機会が到来したと思って、始めから知りたかった問題にとりついた。が、その結果は香(かんば)しくなかった。
「今までに何の関係もなかった男なんでございますの。これまで全然見たこともなかった人でございますの。あんな醜い歪(ゆが)んだ顔の人を、これまでに一度でも見たことがあれば、忘れるようなことはございませんもの。それなのに、あたくしは今、あの化物みたいな男にしょっちゅうつけ狙われているんでございます。ああ、いやだ。おそろしい。気が変になりそう……」
「そういう次第なら、警察へ訴えて、かの男に説諭(せつゆ)して貰うという方法が、この際もっとも常識的かと思われますが」
「ああ、何を仰有(おっしゃ)います。警察があたくしたちのために何程のことをしてくれるものでございましょうか。ただ、徒(いたず)らにかきまわし、あたくしたちをいらいらさせ、そして世間へいっとき曝(さら)しものにするだけのことで、あたくしの求めることは何一つとして得られないのです。ごめんですわ。あたくしは直線的に効果ある方法を採るのです。それが賢明ですから。あなたさまは、事件の秘密性をよく護って下さる方であり、ほんのちょっぴりしかお尋ねにならないし、そして思い切った方法で解決を短期間に縮めて下さる、その上に常に事件依頼者の絶対の味方となって下さる方だと世間では評判していますので、それで依頼に参ったわけですわ。この世間の評判は、どこか間違っているところがございまして」
「過分のお言葉でございます。とにかく早速ご依頼の仕事にとりかかることといたしまして、只一つお伺いいたしますことは、甚だ失礼でございますが、御つれあい様とのご情合はご円満でございましょうか」
 女客は嘲笑の色を浮べたが、それは反射的のものらしく、すぐさまその色は消えた。
「はあ、至極(しごく)円満……つれあいはあたくしを非常に愛し、そして非常に大切にしてくれて居ります」
「あなたさまの方は如何(いかが)です、おつれあい様に対しまして……」
 帆村は一つの機微にも神経質になることがあった。
「それは……」と女客は明らかに口籠(くちごも)ったがしかしおっかぶせるように「それはあたくしの方も、つれあいを愛しています。それはたしかでございます」
 帆村は、ある瞬間、硬くなったように見えた。しかし彼はすぐ次の問で追いかけた。
「おつれあい様とご一緒におなりになりましたのは何年前でございましたか」
 帆村は、客が案外短い年月をのべるだろうと予期した。
「三ヶ月前でございました」
 ほう、それは予期以上に短い。この二十四五歳になる婦人としては、つれあいを持つには遅すぎる。しかもあの通り麗(うる)わしい女人なのに。
「失礼ながら、たいへん遅く御家庭を作られたものですな。その前に、別の方とご一緒であったことはございませんでしたか」
 女客は明らかに憤(いきどお)りの色を見せ、つんと顔を立てた。
「あたくしのつれあいは碇曳治(いかりえいじ)でございます。桝形(ますがた)探険隊の一員でございますわ。そう申せばお分りでもございましょうが、桝形探険隊は今から六年前の昭和四十六年夏に火星探険に出発しまして、地球を放れていますこと五年あまり、今年の秋に地球へ戻ってまいりました。これだけ申上げれば、あたくしがこんど始めて家庭を持ったことを信じていただけると存じますが、いかがでございましょう。実際あたくしは、あの人と知り合ってから六年間という永い間を孤独のうちに待たされたのでございます」
「イカリ・エイジと仰有いましたね」
 探偵の質問は、燃えあがる女客に注いだ一杯の水であった。だが帆村としては、そんなつもりでしたことではない。桝形探険隊については興味があって、普通人以上の知識を持っていたのであるが、碇曳治なる隊員のあることを知らなかったので、それを尋ねたわけだ。
「ええ、碇曳治ですわ。宇宙の英雄ですわ。あたくしのつれあいは、ロケット流星号が重力平衡圏(ニュウトラル・ゾーン)で危険に瀕(ひん)したとき、進んで艇外へとび出し、すごい作業をやってのけたんでございますのよ。その結果、流星号はやっと危険を脱れて平衡圏を離脱し、この大探険を成功させる基(もと)を作りましたのです」
「なるほど、なるほど。……それでは数日間の余裕を頂きまして、この事件の解決にあたりますでございます。もちろん解決が早ければ、数日後といわず、直ちに御報告に伺います。では、私の方で御尋ねすることは全て終りましてございます。そちらさまからお尋ねがございませんければ、これにて失礼させて頂きとうございます」
「それではここに手つけの小切手と、あたくしの住所氏名を。しかしこの件についてはつれあいにも秘密厳守で進めて頂きますから、そのおつもりで」
 谷間シズカ女は椅子から立上った。


   甥(おい)の蜂葉(はちは)助手


 女客を送出した帆村が、読書室へしずかに足を踏み入れたとき、窓ぎわに立っていた青年がふりかえった。
「おじさま、お早ようございます」
「やあ、ムサシ君か」
 甥の蜂葉十六(はちはじゅうろく)、十六だから〔十六六指(むさし)というゲームがあるから〕ムサシだとて帆村は彼をムサシという。しかしこの古い洒落(しゃれ)は今どきの若い者には通じない。
「僕はみんな聞いていましたがねえ」と蜂葉は壁にはめこみになっている応接室直通のテレビジョン装置を指し、「おじさんは今の女に惚(ほ)れているんですか」
 物にさっぱり動じない老探偵ではあったが、彼の甥だけは老探偵の目をむかせる特技を持っていた。――帆村は目を大きくむいて失笑した。
「惚れているとは……よくまあそんな下品な言葉を発し、下品なことを考えるもんだ。今の若い者の無軌道。挨拶の言葉がないね」
「だって、そういう結論が出て来るでしょう。おじさまは今のお客さんから当然聞き出さなくてはならない重大な項を、ぼろぼろ訊き落としています。なぜ名探偵をして、かの如く気を顛倒(てんとう)せしめたか。その答は一つ。老探偵――いや名探偵は恋をせり、あの女に惚れたからだと……」
「というのが君の推理か。ふふん。で、私がいかなる重大事項を訊き落としたというのかね」
「たとえば、ええと……あの婦人がなぜその男を恐れているのか、その根拠をはっきりついていませんね」
「恐怖の理由は、あのひとがはっきり説明して行った。その男の顔がたいへん恐ろしいんだそうな。それがいつもあのひとをつけねらっていると思っている。それだけの理由だ」
「それはあまりに簡単すぎやしませんか。恐怖の理由をもっと深く問(と)い糺(ただ)すべきでしたね。真の原因は、もっともっと深いところにあると思う」
「君はわざわざ問題を複雑化深刻化しようとしている。それはよくないね。物事は素直に見ないと誤りを生ずる」
「でも、それではおじさまの判定は甘すぎますよ。これはすごい大事件です」
「そうかもしれないが、とにかくあの婦人の立場においては、あれだけのことさ」
「僕は同意が出来ませんね。おじさま。あの婦人が恐怖しているその男はどんな顔の男か。それを訊かなかったじゃないですか。こいつは頗(すこぶ)る大切な事項なのに……」
「そんなことは訊くまでもないさ。これから行って、あのひとにまといついているその男の顔を実際にわれわれの目が見るのが一番明瞭で、いいじゃないか」
「呑気(のんき)だなあ」
「ムサシ君。事件依頼者からは、なるべくものを訊かないようにするのがいいのだよ。こっちの手で分ることなら、それは訊かないに越したことはない」
「そうですかねえ」
 甥の蜂葉十六は不満の面持だ。
「君も一緒に行ってくれるだろう。私はあと五分で出掛ける。もちろんあの恐ろしい顔の男を見るためにだ」
「僕はもちろんお供しますよ、おじさま」
 甥は急に笑顔になった。
 水銀地階区三九九――が谷間シズカと碇曳治との愛の巣の所在だった。
 老探偵は甥と肩を並べて、その近くまでを動く道路(ベルト・ロード)に乗って行き、空蝉(うつせみ)広場から先を、歩道にそってゆっくり歩いていった。
 このあたりは五年ほど前に開発された住宅区であったが、重宝(ちょうほう)な設計のなされているのに拘(かかわ)らず、わりあいに入っている人がすくなかった。それは場所が、最も都心より離れていて、不便な感じのするためであったろう。しかし時間の上からいえば、高速度管道を使えば、都心まで十五分しかかからないのであったが……。みんな性(せっ)かちになっているんだ。
 探偵は、ゆるやかな坂道をあがっていった。この坂の上が三九九の一角で、そこにアパートがあるはずだった。最近のアパートは目に立たぬ入口が十も二十もあって、人々は自分の好む通路を選んで入ることが出来る。――それだけに探偵商売には厄介(やっかい)だった。
「来たね。ふうん。これはあのあたりから入りこむのがいいらしい」
 老探偵の直感は、多年みがきをかけられたものだけに凄いほどだった。甥は、いざとなれば、すぐ伯父の前へとび出して、相手を撃ち倒すだけの心がまえをして、しずかについて行く。
 地中に眼鏡橋が曲ってついている――ような通路がついて、奥の方へ曲って入りこんでいる。が、天井にはガス放電灯が青白い光を放って、視力の衰えた者にも十分な照明をあたえている。
 老探偵が、急に立停った。心得て甥が伯父の背越しに頤(あご)をつき出す。
「七つ目のアーチの蔭に――ほら、身体を前に乗り出した」
「見えます、僕にも。ああッ。……実にひどい顔!」
「ううむ」老探偵も携帯望遠鏡を目にあてたまま呻(うな)る。「ああいう畸形にお目にかかるは始めてだ。胎生学(たいせいがく)の原則をぶち壊している。傾壊しかかった家のようじゃないか」
「おそろしい顔があったものですね」
 前につき出した顔や、後に流れたような顔は、それほどふしぎではない。その他のおそろしい顔であっても、まず原則として、顔のまん中の鼻柱を通る垂直線を軸として、左右対称になっているものである。おそろしい大関格のお岩さまの顔であっても、腫物(はれもの)のためなどで左右の目がやや対称をかいているが、全体から見ると顔の軸を中心として左右対称である。――ところが今見る顔はそうでない。第一、鼻柱が斜めに流れている。そして全体が斜めに寝ている。ふしぎな顔だ。その上に、腫物のあととも何とも知れぬ黒ずんだ切れ込みのようなものが顔のあちこちにあって、それが彼の顔を非常に顔らしくなくしている。唇も左の方に、かすがいをうちこんだようなひきつれが縦に入っている。こんな曲った顔、こんな気味の悪い顔は、図鑑にものっていない。いびつな頤は見えるけれど、いびつである筈の頭蓋は茶色の鍔広(つばひろ)の中折帽子のために見えない。
 老探偵は、いつの間にか相手を小型カメラの中におさめていた。
「おいムサシ君。これからあの人物に、面会を求めてみる」
「逃げ出すようなら取押えましょうか」
「いや、相手の好きなままにして置くさ。機会はまだいくらでもある」
 その言葉が終るが早いか、老探偵は通路の角からとび出した。甥はそれを追いかけるようにして進む。
 が、老探偵の歩調は、だんだん緩(ゆる)くなっていった。彼の口には、いつの間にかマドロス・パイプが咥(くわ)えられていた。煙草をすっかりやめた彼にも、仕事の必要からして代用煙草のつまったパイプを嘗(な)めることもある。彼はゆっくりした歩調で、怪漢の前に近づいた。そして遂に足を停めた。
「失礼ですが、谷間シズカさんという方の住居が、このへんにございませんでしょうか」
 突然話しかけられて怪漢はびっくりしたらしく、奇怪な顔が更にひん曲ってふしぎな面になったが、男はすぐ手袋をはめた両手で、自分の目から下の顔を蔽(おお)った。彼ははげしく左右に首を振った。
「左様で。ご存じありませんか。それは失礼を……。へんなことを伺いますが、あなたさまは前に船に乗っていらっしゃらなかったでしょうか。わしも永いこと船乗りだったんですが、わしはあなたさまを何処かでお見受けしたように思いますがな……」
 すると相手は、獣のような叫び声をあげた。そして老探偵をその場へつきたおすと自分は素早くばたばたと逃げ出した。甥の蜂葉が、ピストルを構えた。老探偵が「射つな」と叫んだ。怪漢は、ひどく足をひきながら、蝙蝠(こうもり)が地面を匐(は)うような恰好(かっこう)で逃げていった。そして坂の途中で、アパートとは反対の左側の壁へとびこんでしまった。


   愛の巣訪問


「おじさま。駄目ですね」
 帆村を抱き起して、服についた泥を払ってやりながら、甥っ子は思ったことをいった。
「なにが駄目だい」
「まずいじゃありませんか。いきなりあの男に、谷間シズカさんのことを聞いたりして……。あれじゃ彼は大警戒をしますよ」
「あれでいいんだよ。わしはちゃんと見た。あの男にとっては、谷間シズカなる名前は、さっぱり反応なしだ。意外だったね」
「ははあ、そんなことをね」
 蜂葉青年は、ちょっと耳朶(みみたぶ)を赭(あか)く染めた。
「船乗りだったろうの方は反応大有りさ。そこでわしを突倒して逃げてしまった」
「どうして船乗りだと見当をつけたんですか」
「それはお前、あの帽子の被り方さ。暴風(サウエスター)帽はあのとおり被ったもんだよ」
「ははあ。それで彼が船乗りだったら、この事件はどういうことになるんです」
「それはこれから解(と)くのさ。彼が船乗りだというこの方程式を、われわれは得たんだ」
「関連性がないようですねえ」
「いや、有ると思うね。彼が船乗りだということが分ると、そのことがこの事件のどこかに結びつくように感じないか」
「さあ、……」
 甥は、脳髄を絞ってみたが、解答は出なかったので、首を左右に振った。
「あんまりむずかしく考えるから、反(かえ)って気がつかないんだねえ」
 老探偵は笑って、オーバーのポケットへ両手を突込んだ。
「さて、ちょっと谷間夫人を訪問して行くことにしよう」
「正式に面会するんですか」
「いや略式だよ。君に一役勤めて貰おう。こういう筋書なんだ」
 老探偵はその甥に何かを低声(こごえ)で囁いた。甥はいたずら小僧みたいな目をして、悦(よろこ)んでそれを聞いていた。
 たしかに碇曳治と谷間シズカの名札のかかったアパートがあった。甥は呼鈴を押そうとした。
「待った。計画変更だ。この家にはテレビジョン電話が入っている。電話で呼出せばいいよ。君は新聞社から電話をかけていることにするんだ」
 帆村はポケットから紐(ひも)のついた器械をとり出して、玄関の壁へ匐いこんでいる電線に、重ねた。そしてしばらくそれをいじっていたが、間もなく甥の方へ振返って合図をした。蜂葉は、替ってその器械を受取った。そして低声で電話をかけだした。
「……碇さんのお宅ですね。奥さんでいらっしゃいますか。こちらはサクラ新聞社です。御主人いらっしゃいますか。いらっしゃいましたら、ちょっと電話に出て頂きたいんです」
 かの谷間シズカ夫人は、蒼ざめた顔を一層険悪にして、テレビ映写幕から蜂葉を睨んだ。
「どういう御用でしょうか。おっしゃって頂きます」
「実は御主人のファンから手紙とお金が届いているんです。つまり御主人が火星探険隊員として大きな殊勲をたてられたことに対して一読者から献金して来たんですがね、そのことについて一寸(ちょっと)お話したいんです」
 この申入れは、てきめんの効果があった。シズカ夫人はたちまち表情を一変して、得意の笑顔となり、別室へ碇を呼びに行った。帆村は、側路に取った別の小型の映写幕装置へ両眼をぴったりあてていた。これは相手の顔が見えるだけで、帆村の顔は先方へ電送されない。
 碇曳冶の憤った面が、幕面にとび出して来た。
「折角だが、そんな金は貰いませんよ。送り返して下さい。僕はそんなに礼讃される男じゃない。放っておいてください。そして僕のことを探険隊員として新聞でよけいな報道をすることはもうよして下さい。甚だ、迷惑だ」
 碇が電話を切ろうとしたのを、傍にいたシズカ夫人がその手をおさえて、代りに電話に出た。
「どうも何とも申訳ありません。あのひとは非常な謙遜家(けんそんか)でございまして、このごろでは自分を英雄として宣伝されることをたいへん嫌って居りますんですのよ。新聞社の方へは、あたくしが代りに伺いまして、お詫びやらお礼を申上げますから、どうかお気を悪くなさらないように」
「いや、気は悪くしてはいませんが、ファンの手紙と金は受取って下さい。じゃあ郵便でそっちへお送りしましょう」
 老探偵の合図によって、テレビ会見は終幕となった。器械をしまって、足音を忍んで、アパートの前を立ちのいた。
 下りの坂道にかかったとき、蜂葉はもう辛抱が出来ないという風に、無言行(むごんぎょう)の伯父に呼びかけた。
「今の僕のやり方でよかったですか」
「結構だった」
「そんならいいが……しかしおじさま、あれだけでは碇に怒鳴りつけられただけで、さっぱり収穫はないじゃないですか」
「君はそう思うかね」老探偵は唇をぐっとへの字に曲げた。「私はいろいろと新しいことを知った」
「え、新しいことをですか。どんなことです。それは……」
「君にも分っていると思うんだが、あの二人は正(まさ)に同居していたこと」
「そんなことなら僕だって分る……」
「それからシズカ夫人は碇氏を誇りとしていること。ところが碇氏はそうでなくて、探険隊員のことで宣伝されるのを厭(いや)がっていること――このことが私には最も大きな収穫だった。それによって私は、これからすぐに訪問しなければならない所が出来た」
「面白いですね。どこへでもお供します。しかしおじさま。事件の本筋を離れるんじゃありませんか。だって碇氏の方のことを調べたって、シズカ夫人につけまとう恐ろしい顔の男の方は解決されないでしょうから……」
「まあ、私について来るさ。とにかく何でもいいから、腑(ふ)に落ちないものが見つかれば、それをまず解決して行くのがこの道の妙諦(みょうたい)なんだ。案外それが、直接的な重大な鍵を提供してくれることがあるんでね」
「またおじさまの経験論ですか。それは古いですよ。統計なんておよそ偶然の集りです。確率論で簡単に片附けられる無価値なものですよ」
「条件をうまく整理すれば、そんなに無価値ではなくなる。まあ、行こうや」


   記録秘録


 桝形(ますがた)探険隊事務所では、帆村たちを、防弾天井越しに青空の見える円天井広間へ招じ入れた。
 桝形隊長は、帆村とは前々から或る仕事に関して同僚であったことがあり、しかもその当時帆村の並々ならぬ尽力によって、彼が危機を救われたこともあって、帆村に対しては最大級の礼をもってしなければならない立場にあった。だが、彼が心の底から帆村に感謝しているかどうか、それは分ったものでない。こういう場合、世間では先に自分を救った者を煙ったく思って敬遠したり、又ひどい例では、隙があらば恩人の足をすくって川の中へ放り込もうとする者さえある。
 桝形は、五十がらみの、でっぷり肥ったりっぱな体躯の男だったが、帆村たちの待っている青空の間へ足を踏み入れると、急ににこにこ顔になって、親しげな声をかけた。
「きょうは、この前の火星探険のことについて少し教えてもらいたくてね」
 帆村は、ぶっきら棒にいった。
「何だ、仕事かい。まさか新しい利益配当の提訴事件じゃないんだろうね。もう隊には、儲けはちっとも残っていないんだから」
「そんなことじゃない。或る探険隊員について知りたいのだ。碇曳治という人がいたね。新聞やラジオで、宇宙の英雄ともちあげられた男だ」
「ははあ、又縁談の口かね。あの男ならもう駄目だよ。七年越しの岡惚れ女と今は愛の巣を営んでいるからね」
「谷間シズカという女のことをいっているんだね」
「おや、もうそれを知っているのか。それでないとすると、どういう事件だい」
「僕の仕事は依頼者のために秘密を守る義務を負わされているのでね。……ところであのときの記録綴(つづり)を見せて貰いたいんだ。いつだかもすっかり見せて貰ったが、書庫へ行った方が、少しは君たちの邪魔にならなくていいだろうね」
 桝形は苦がり切っていた。図々しい探偵の要求をはねつけることはむずかしい。
「隊員といえども閲覧禁止という規定にしてあるんだが、まあ君だからいいだろう。こっちへ来給え」
 書庫は地階十三階にあって、隊長室の後隣の部屋になっていた。桝形は帆村たちの傍から一秒間も目を放そうとしなかった。
「どうも変だね。始めの方には、隊員名簿の中に碇曳治の名がない、途中から以後には彼の名がある。これはどういうわけかね」
「はははは。そんなことかい。名探偵にそれ位のことが分らないのか」
「最初の隊員総数三十九名。帰還したときには四十名となっている。碇曳治は、始めつけ落されている。なぜだろう。隊長たる君が勘定から洩らしている隊員。ああ、そうか碇曳治は密航者なんだ。そうだろう」
「もちろん、そういうことになる」
 桝形は冷静を装って、事もなげに言った。帆村はそれには目もくれず、立上って別の書類を棚から下ろして来た。それは「航空日誌」であった。彼は最初の頁から、熱心に目を落として行った。
「あった。○八月三日(第三日)総員起シノ直前、第五倉通路ニ於テ密航者ヲ発見ス。随分簡単な記録だ。それから後は……」
 帆村は頁の上を指先で突きながら、先をさぐって行った。同じ日の終りの方に、もう一つ記事があった。
「各部長会議ハ食糧、空気、燃料等ノ在庫数量ヲ再検討シタル結果、隊員ヲ今一名増員可能ト認ムル者五名、不可能ト認ムル者四名トナリタリ。(数字抹消)事ハ決マリタリ。抽籤(ちゅうせん)ノ結果、碇曳治ヲ隊員第四十号トシテ登録スルコトヲ、本会議ハ承認セリ。余事ハ交川(まじりかわ)博士ニ一任シ、処理セシム。――なるほど、三日目に碇は隊員の資格を得たんだ。そして定員は三十九名から一名増加して四十名になったんだ」
 桝形の目が、凍りついたように帆村の横顔を見ている。帆村は相変らずそんなことには無礼者だ。(彼の甥が、忠実なる監視灯の役目をつとめて、情報を靴の音で知らせている)
「この日誌の文句は写して置こう」
 と、帆村は手帖(てちょう)の中に連記する。
「桝形君。ここのところに抹消されたる文字があるが、これはどう読むんだろう」
「抹消、すなわち読まなくていい文字だ」
「だってこれを読まないと文章が舌足らずだぜ」
「文芸作品じゃないからそれでもよかろう」
「記録文学の名手が、ここでだけ手をぬくのは変だね。とにかくこの碇洩治が密航者としての処断を受けないで一命を助かり、隊員に編入せられたのに彼は大感激し、あとで大冒険を演じ流星号の危機を救い、一躍英雄となった――というわけなんだね」
「そのとおりだ。実際彼の活躍ぶりは……」
 と、桝形は俄(にわ)かに雄弁になり、あの当時のことを永々と喋り出した。帆村はふんふんと、しきりに感心している。しかし彼の手は、別冊の頁をしきりに開いていた。それは交川博士の手記にかかる「通信部報告書」だった。同じ八月三日の記載に、次のような文句があった。
「……密航者一名ヲ法規ニ照シテ処理ス。二十三時五分開始、同五十五分終了」
 それからその欄外に鉛筆書で「23XSY」“畜生、イカサマだ云々”、「要警戒勝者」と、三つの文句が横書になっている。帆村の顔は硬(こわ)ばった。
「密航者は一名かと思ったら、そうじゃなく、二名居たんだね。」
 帆村は叫んだ。
「君の解釈は自由だ」
 桝形は太々(ふてぶて)しく言い放った。
「ちゃんとここに書いてある。この『通信部報告書』に。これは交川博士の筆蹟(ひっせき)だ」
 帆村は「密航者一名ヲ法規ニ照ラシテ処理ス云々」のところを指した。そのとき別の書類が、欄外の鉛筆書きの文字を隠蔽(いんぺい)していた。それは偶然か故意か、明らかではない。
「これを読んでから、もう一度『航空日誌』に戻ると、密航者が二名あったことがはっきり推定される。なかなか狡(ずる)い――いや、巧妙な記載だね」
 桝形は帆村の言葉を聞き流している。
「抽籤で、碇曳治が流星号の中に残されることとなった。そして他の一名は、法規に照らして交川博士の手により処理された。それに違いない。――他の一名は何者か。どういう処理をしたのか。説明して貰えないかしら」
「その判断は君の常識に委(まか)そう」
「分っていることは、姓名不詳の密航者は流星号の中に停ることを許されず、その日の二十三時に、外へ追放されたんだ。そうだね。それは死を意味するのかね」
「艇外のことについて、僕は責任を持っていないんだ。だからどうなったか知らない」
「それはどうかと思うが、しかし今君を糾弾(きゅうだん)するつもりはない。僕の知りたいのは、姓名不詳氏がどう処理されたかということだ。交川博士に聞けば分るんだが、博士は今何処に――」といいかけて帆村は突然電撃を受けたようにぶるぶると慄(ふる)えた。「……交川博士は探険の帰途、不慮の最期を遂げたんだったね」
「君は何でも知っているじゃないか」
「いずれ全部を知るだろう――。しかし今は知りつくしていない。――博士と話をすることが出来ないなら、通信部の誰かに会って訊いてみたい。紹介してくれたまえ」
「もう解散してしまって、誰も居ないよ。通信部は完全に解散してしまったのだ」
「そうか。それは残念だ。しかし名簿は残っているだろうから、それを手帖へ控えて行こう」


   深夜の坂道


 帆村は甥と共に、そこを引揚げて彼の事務所へ戻った。
 若い甥は、帆村をそっちのけに昂奮(こうふん)していた。帆村はそれをしきりになだめながら順々に仕事をつづけていった。
「こうなれば、谷間シズカ夫人の事件なんか後まわしにするんですね」
 蜂葉は、そうするように伯父へ薦(すす)めたい一心から、そんな事をくりかえし口走った。
 帆村は何とも応えなかった。
 いつの間か、夜は更けた。
「おい、出掛けるよ。ついて来るかい」
「行きますとも。ですが、一体どこへ?」
 帆村の目あては、例のだらだら坂だった。厳冬であるが、ここは地下街のことだから、気温は二十度に保たれている。
 帆村は確信に燃えているらしく、その坂をさっさと昇っていった。
 坂を昇り切ろうとしたとき、帆村は甥に合図をした。
 二人は突然足を停めると、左へ向きをかえた。蜂葉が、あたり五メートル四方が満月の下ほどの明るさになる照明灯を点じた。帆村の姿も蜂葉の姿も、光の中にむきだしであった。蜂葉の手に光っているピストルまでが……。
「静かに、静かに。あなたが逃げなければ、ピストルは撃ちません」
 老探偵は、圧しつけるような調子で、自分に向い合っている醜怪なる顔の男に呼びかけた。彼は壁の奥に貼りつけられたようになっている。汚い帽子の鍔(つば)の下から、節穴のような両眼を光らせ、歪んだ口を引裂けるほど開いて歯をむき出している……
「木田健一さん。あなたのことはよく知っていますよ。無電局23XSYの技師の草加(そうか)君から、みんな聞きましたよ。あなたの不運と不幸に心から同情します」
 老探偵のこの言葉に、その男の醜怪な顔は、奇妙な表情に変った。感情が動いたのである。
「私たちはこれからあなたと御一緒に、この上の家へ参りたいと思います。そして私たちは、徹頭徹尾、あなたの味方として、あなたにお手伝いしたいと思うのです。承知して下さるでしょう」
 歪んだ顔の男は、一時呆然(ぼうぜん)となっていた。だがようやく老探偵のいうことを理解したらしい。
「あなたがた、どういう人です」
 かすれた声で、怪人はたずねた。
 帆村は正直に名乗った。
 怪人は、帆村たちが警察の命令を受けて彼を逮捕に来ているのでないことをいくども確めた後、始めて同行を承諾した。
「しかし相手に会っても、あなたの恨みを述べるだけになさい。暴力をふるうことはよくありません。それはあなたがその筋の同情を失うことにもなりましょうから」
 老探偵は、小さい子供にいってきかせるように言った。
 三人は歩き出した。
 だが蜂葉は気が気でなかった。
「おじさま、いいんですか。もし万一のことがあったなら……」
 彼は低声で伯父に注意した。この怪人を谷間シズカ夫人に会わせたとき、怪人はかっとなって夫人の頸を締めるようなことはないであろうか。もしそんなときには、帆村は事件依頼人に対してどういって申訳をするのだろう。
 だが、帆村は、心配しなくていいという意味の合図を甥に示しただけで、歩調を緩めようともしなかった。大した自信だ。
 三人が、アパートの入口へ続いた通路へ二足三足、足を踏み入れたとき、突如として奥から銃声が響いた。十数発の乱れ撃ちの銃声だった。
「しまったッ」
 老探偵はその場に強直して、舌打ちをした。かれの顔は、驚愕(きょうがく)にひきつっていた。
「行ってみましょう! 何事が――」
「待て、ムサシ君。もう遅いのだ」
 帆村の声は平常に戻っていた。
「なにが遅いというのです」
「射殺されたのだよ。あの男が……」
「あの男とは?」
「碇曳治が射殺されたんだ」帆村はそれから木田の肩へ手をおいた。「木田さん。あなたが恨みをいいたかった人は、一足違いで、死骸になってしまったらしいですよ。あなたは不満かも知れないが、約束ごとと思って諦めて下さい」
 木田は奇声をあげて、身体をがたがた慄わせている。老探偵は、木田をなだめながら彼を抱えるようにして、アパートへ入っていった。
 帆村の推察は当っていた。
 裏口のところに、碇は全身朱(あけ)にそまって死んでいた。軽機(けいき)を抱えた特別警察隊員が集合していた。その隊長は、帆村と面識のある江川警部だった。
「ああ、帆村さん、殺してしまいましたよ。反抗したものですからね」
 警部の話によると、交川博士殺しの嫌疑で碇曳治を要急逮捕に向ったところ、彼はいきなりピストルを二挺とりだして反抗をしたので、それから双方の撃ち合いとなり、遂にここで彼を撃ち倒したのだという。
「夫人はどうしました」
 と、帆村は尋ねた。
「夫人は見えないのです。それから手廻り品なども見えないし、衣類戸棚も空っぽ同様なんです。夫人はどこかへ行っているらしいですね」
「おお、そうですか」
 帆村は、ほっと小さい吐息(といき)をもらした。それから、甥に護られて暗がりの中にしょんぼり立っている木田のところへ行き、
「木田さん。もうこれ位でいいでしょう。さ、もう引揚げようではありませんか。そしてあなたはおさしつかえなくば、私たちと一緒にぜひ私の家へ寄って下さいませんか。今夜はあなたをお客さまにしたいのです」


   意外な再生


 蜂葉は、それから数日経って、久しぶりに伯父とゆっくりと語る機会を迎えた。彼は待ちかねていた木田と碇の事件の結末を知りたいと伯父にいった。
「碇も木田氏も共に船員仲間だったんだね。桝形探険隊の出航の話を聞くと、二人で謀議して密航を企てた。そして三日目に見つかってしまった。君も知っているとおり、隊では検討の結果、あと一人だけ収容できるが、もう一人はだめと分った。そこで二人のどっちが残るかを抽籤で決めた。すると碇が勝籤(かちくじ)を引いた。木田氏は負けたのさ。そして法規により木田は密航者として艇外へ追放されることになったが、彼を迎えるものは死であった。なぜといって地球を出発してから三日も経っているんだから、落下傘を身につけたところで、とても生きて地上には降りられないわけさ。
 木田の処理は交川博士に命じられた。博士は流星号の機械関係の最高権威なのだ。博士は木田を落下傘で下ろすかわりに、別の方法を取ろうと考えた。それは博士がかねて研究した人体を電気の微粒子に分解して電送することだ。これは百パアセント成功するとは保証されていなかったが、落下傘を背負って暗黒の天空へ捨てられるよりは、余程(よほど)生還の可能性が大きかった。このことは博士から木田に対して密談的に相談せられ、木田は同意した。そしてそれはその夜午後十一時から始められることになり木田と博士は、艇内の人々から完全に離れて博士の機械室にとじ籠った。
 そのうちに木田が変になりだした。彼は碇と共にさっき運命の抽籤をしたが、それはトランプでやったんだが、このときになって木田は、碇が前にトランプ詐術の名手であったことを思出したんだ。そこで今日の抽籤も、碇が手練の詐術によって勝札をつかんだものと思ったんだ。そこで碇を呪い、抽籤のやり直しを博士に訴えたんだが、これはもうどうにもならぬことだった。果して碇が詐術を使ったかどうか、証拠がないのだから、それに処置命令はもう出ている。博士は彼をなだめて、遂に仕事にかかった。博士は相手局としてかねて連絡のついている23XSY無電局を呼び出し、木田の身体を電気的に分解してその局あて電送したのだ。この作業がすんだのが午後十一時五十五分で、五十分かかったわけだ。序(ついで)だからいうが、私はこれを『通信部報告書』で読んだが、そのときにこれが一つの手懸りであるのに気がついた。なぜといって、もしも木田に落下傘をつけさせて艇外へ放出するのなら、こんなに五十分間もかかるはずはない。だからこんなに手間取ったのは、それではない処理がとられたのに違いない。一体それは何だろうという疑いになり、それから報告書の欄外にある博士の鉛筆書きの文字に注意を向けたのだった。
 23XSYという記号は、すぐ無電局名だと分った。“いかさまだ”というのはよく分らなかったが、これはこんど木田氏から親しく話を聞くことが出来た。「要警戒勝者」という文字からは、気の毒な博士の最期のことを連想させた。これは私の勘だがね。君の軽蔑するあれさ。それはともかくも、私はこれに気がついたので、これは大変な事件だと思いその筋へ報告して置いたんだが、あの日私たちが一足遅れになってしまった。
 木田氏の身体は23XSY無電局で受信せられ、再び身体に組立てられたが、不幸にも送信機と受信機の調子が完全に合わなかったことと、運悪く当夜強い空電(くうでん)があったために、再生の木田氏は、あんなに断層のある醜い顔、いびつな身体になってしまったんだ。しかし木田氏が生命を失わなかったことは祝福すべきだ。その木田氏は身体が恢復(かいふく)すると碇曳治に恨みをかえさないではいられなかった。これは誰にでも了解できることだろう。彼は醜い顔ゆえに、極力(きょくりょく)人目をさけながらも、碇の行方を探し、そして遂に探しあてて彼の身辺を狙うようになったんだ。それをシズカ夫人が誤解して、夫人自身が怪人につけ狙われていると感じたんだ。――そのあとは、君の知っているとおりだ。うん、それからもう一つ、シズカ夫人のことだが、あの夫人は昔、碇と木田の両方から想われていたんだそうな、そして始めは木田の方が好きだった。ところが木田は行方不明になる。それから碇の方は探険から帰って来て英雄だとはやされる。その碇がシズカ夫人につきまとう。そんなだんどりで二人は同棲することになってしまったという。このことについて、私はおせっかいながら一つの結末を考慮中だ」

 老探偵が何を考慮中だったのか、それは後になって、谷間シズカが端麗な若者と結婚したのによって知れる。
 その若者は、旧知の人々からは「永らく行方不明を伝えられた木田健一が、ひょっくり戻って来て、昔の恋中の谷間シズカと結婚した」といわれている。
 これについて老探偵のやったおせっかいというのは、例の無電局の江川技師に頼み込み、木田の身体をもう一度分解して空間へ電波として送り出し、それを別の局で受信してもう一度木田氏の身体を組立て直したのであった。そのとき江川技師の並々ならぬ努力によって、木田の顔面と身体の歪みを直すと共に、混入していた空電をすっかり除去した。その結果、木田は若々しい美青年に戻ることが出来たそうである。
 昭和も五十何年だから、こんなことが出来る。三十年前には、夢にも思いつかなかったことだ。そうではないか。




◇ピンチです!◇
★暇つぶし何某★

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