少年探偵長
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著者名:海野十三 

それまでは、煌々(こうこう)と明かるかったこの部屋だ。その状況のもとで、どうしてこの部屋へ忍びこめるだろうか。まるで見えないガラス体のような女だといわなければならない。
「いよいよ、こっちの用事だが」と女の声はいやに落ちつき払っている。
「おい、頭目さん、お前さんの大切にしている黄金メダルの半分をあっさりわたしに引き渡しておくれ。いやとはいわさないよ。早く返事をしてもらいたいね。おやおや、お前さんはなんてえ情(なさ)けない顔をするんだろう。わたしにゃ、紗の三重ベールなんか、あってもないのと同じこと、お前さんの素顔(すがお)が、ありありと見えているんだ」
 暗闇で、ものが見える目を持っていると自称(じしょう)する女であった。こういわれては、四馬頭目もぺちゃんこだ。
「うそだ。見えてたまるものか」頭目の声がした。腹立たしさと恐怖とに、語尾がふるえて聞える。
「まあ、そんなことは放っておいて、おい、頭目。早く黄金メダルをおだしよ。おい、返事をしなさい返事を……」
 頭目の声が、しばらくして聞えた。
「ばかをいえ。誰がだすものか」
 すると、くくくくッと女が笑いだした。
「お前さんも間ぬけだねえ。そんなことをいう前にお前さんの頭の上を見るがいい。みんなも見るがいい」
「なにッ」頭目は上を見た。
「あッ、あれは……」彼の頭上一メートルばかりのところに、闇の中にもはっきり光ってみえる小さい物体があった。しばらく目を定めてみると、それが例の黄金メダルの半分であることが、誰の目にも分った。
「そんなはずはない」と頭目の声。
「あッ、無い。無くなっている、黄金メダルの半分が……。いつ、盗みやがったか」
「おさわぎでない。動けば撃つよ。わたしゃ、気が短いからね」
「何奴(なにやつ)だ、きさまは」
「まっくらやみで、目が見える猫女と申す者でござる。ほらお前さんの大切な黄金メダルが動きだした」
 そのとおりであった。猫女のいったように、黄金メダルは空中をゆらゆらと動きだした。
「手をおだしでない。一発で片づけるよ」
 ふしぎふしぎ、黄金にかがやくメダルは空中をとぶ。一同は、あれよあれよと、その運動を見上げているばかり。
 そのうちに、宙飛(ちゅうと)ぶ黄金メダルは、流星(りゅうせい)のようにすーッと下に下りた。とたんに、扉がばたんと音をたてて閉った。
「あッ」一同は首をすくめた。
 と、頭目の大きな声が、出入口のところで爆発した。
「ちえッ。逃げられた。戸の向こうで、鍵(かぎ)をかけやがった。おい明かりをつけろ。懐中電灯をつけろ。大丈夫だ。今の女は、ここからでていったんだ。そしておれたちは、この部屋に閉じこめられているんだ」
 頭目はわめきたてる。
 そのとき、電灯がぱっとついた。眩(まぶ)しいほど明かるい。一同は見た。頭目が、次の部屋との間の扉のハンドルを握って、うんうんいっているのを見た。
「おお、頭目」
「みんなこい。この扉をこじあけろ。こわれてもさしつかえないぞ」
 と、頭目は扉を放れて、指をさした。
 そこで部下たちは集って、扉へどすーんと体あたりをくらわした。二度、三度、四度目に扉の錠がこわれて、扉は向こうにはねかえった。
「それッ」と頭目を先頭に、部下たちが続いて、そこから次の部屋へとびこんでいった。
 急に部屋はしずかになった。
 残っているのは、痩躯(そうく)鶴(つる)のような机博士と、それからもう一人は、椅子車(いすぐるま)にしばりつけられた戸倉老人だけであった。
 老人は、気を失っていた。
 机博士は天井(てんじょう)を仰いで、首をふった。
「はて、ふしぎなことだわい。まさか妖怪変化(ようかいへんげ)の仕業(しわざ)でもあるまいに……」
 と、不審の面持(おももち)で、両手をズボンのポケットに突込んだ。


   深夜の怪音


 さて、話は春木少年と牛丸少年の上に移る。
 春木少年は、生駒(いこま)の滝(たき)の前で焚火(たきび)をして、その夜を過ごしたことは、諸君もご存じのはずである。
 牛丸少年の方は、この山道にも明かるいので、闇の道ながらともかくも辿(たど)り辿って、町まで帰りつくことができた。
 牛丸君は、両親から叱(しか)られた。あまり帰りがおそかったので、これは叱られるのがあたり前である。
 彼は、春木君が家へたずねてこなかったことを知り、念のために、春木君が起き伏している伯母(おば)さんの家へいった。
 ところが、春木君はまだ帰ってこないので心配していたところだと、伯母さんは眉(まゆ)をよせていった。
 それから大さわぎとなった。同級生や、その父兄が召集された。その数が二十名あまりとなった。
 一同は提灯(ちょうちん)や懐中電灯を持ち、太鼓や拍子木(ひょうしぎ)や笛を持って暗い山中へ登っていった。
「迷い児の迷い児の春木君やーい」世の中が進んでも、迷った子供を探す呼び声は大昔も今も同じことであった。
「迷い児の迷い児の春木君やーい」
 どんどんどん、どんどんどん。かあちかち、かちかちッ。
 にぎやかに山を登っていった一行は、生駒の滝の前に焚火があるのを発見し、それに力を得て近づいてみると、当の春木君が火のそばで、いい気持にぐうぐう睡っているのを見出し、やれやれよかったと、胸をなで下ろした。
 二人は、もう一度叱られ直して、山を下り、無事にめいめいの家へはいった。
 その翌日になると、二人のことは町内にすっかり知れわたり、学校からは受持の先生が見えるというさわぎにまでなって、ふだんはのんき坊主の二人もすっかりちぢこまってしまった。
 生駒の滝事件のことは、二人の口からもれたので、遂には警察署にまで伝わり、その活動となった。二少年も証人として現場へ同行した。
 機銃弾は発見されたが、血だまりは雨に洗われたためか、はっきりしなかった。
 ヘリコプターがとんできて、空中吊上(つりあ)げの放(はな)れ業(わざ)をやったことは、牛丸少年の話だけで、それを証明するものがなかった。この次に、そういうものが飛んでいるのを見たら、気をつけることに申合わせができただけだ。
 春木少年は、戸倉老人からゆずられた黄金メダルなどのことについては、遂にいわなかった。彼は、そのことについて牛丸に話すこともしなかった。彼は、このことについてゆっくりと、自分でできるだけの研究をしてみたいと思った。その上で、話した方がいい。時がきたら、牛丸にも話をするつもりだった。
 なにしろ瀕死(ひんし)の戸倉老人が彼に残していったことばによると、黄金メダルの件は、非常な機密であって、うっかりこれに関係していることを洩(も)らしたが最後、思いがけないひどい目にあうにちがいないと思われた。現に、あの好人物(こうじんぶつ)の老人がむごたらしく瀕死の重傷を負っていたこと、それにつづいて牛丸君が見たとおり、老人がヘリコプターで誘拐(ゆうかい)されたそのものものしさから考えて、これはうっかり口にだせないと、春木少年を警戒させたのだ。
 だが、春木少年は、その謎を秘めた宝の鍵・黄金メダルの片われと、小文字でうずめられた絹(きぬ)ハンカチの焼けのこりを、いつまでも厳封(げんぷう)して机のひきだしの奥に収(しま)っておくことはできなかった。それは三日目の夜に入ってのことであったが、春木君は自分の勉強部屋にはいって、ぴったり扉をしめて錠をかけ窓にはカーテンを引き、それから例の二つの宝の鍵の入った包を取出して、机上(きじょう)のスタンドのあかりの下に開いてみた。ぴかぴか光る三日月形(みかづきがた)の黄金片と、焼けこげのある絹ハンカチの一部とは、共に無事であった。
「ああ、ちゃんとしていた」
 と、春木少年は自分の胸をおさえた。
「ふふふふ。ぼくは、この間の事件から、いやに神経質になったようだぞ。こんなものは、何んでもないんだ。おもちゃみたいなものだ。あの戸倉とかいった老人は、気が変になっていたんじゃないかなあ」彼は、今までと反対の心になって、二つの宝の鍵をばかばかしく眺めた。
「だが、これはほんとの金かな」
 彼は、黄金メダルを手にとって撫(な)でてみた。なかなか美しい。そして重い。やっぱり黄金(きん)のように見える。黄金なら、これだけ売っても大した金になる。
(いっそ、売ってしまってやろうか。売ってしまえば、めんどうなことはなくなる。それがいい、そのうち貴金属商(ききんぞくしょう)に、そっと見せて、値段がよければ売ってしまってやれ)
 そんなことを考えていたとき、夜の静けさをついて空の一角から、ぶーンとにぶい唸(うなり)が聞えてきた。
 春木は、はっと目をかがやかした。
「飛行機が飛んでいる。まさかこの間のヘリコプターではないだろうが……」耳をすましていると、どうもふつうの飛行機の音とはちがう。
「あッ、ヘリコプターだ。いけないぞ」
 彼は、机上のスタンドのスイッチをひねって、室内をまっくらにした。そして手さぐりで、二つの宝の鍵を包んで、元のようにひきだしの奥へおしこんだ。
 ヘリコプターの音は、だんだんこっちへ近づいてくるようだ。春木少年は、急に恐怖におそわれ、がたがたとふるえだした。
「分った。ぼくの黄金メダルを奪いにきたんだ。それにちがいない」春木少年は、そう思った。
 たいへんである。彼は生駒の滝の前で、あの黄金メダルを死守(ししゅ)した戸倉老人が、賊のためどんなにひどい目にあったかを思いだした。それからとつぜん滝の前へおりてきたヘリコプターが、倒れている戸倉老人に対して猛烈な機関銃射撃をやったあげくに、老人を吊りあげて飛び去ったことを思いだした。これは牛丸君から聞いたことだが、おそらくほんとうであろう。
 どこまでも手荒(てあら)い賊どものやり方だ。最新式の乗り物や殺人の器械を自由に使いこなして、必ず目的を達しないではやまないというすごい賊どもだ。
「ぼくなんか、とてもかなわないや。これはおとなしく黄金メダルを渡した方が安全だよ」
 春木少年は、抵抗することの愚(おろ)かさをさとった。だが、くやしい。
「……待てよ。戸倉老人は、生命にかけて、黄金メダルを賊どもに渡すまいと、がんばったのだ。それをぼくがゆずり渡されたんだから、ぼくも生命にかけて、これを守るのがほんとうじゃないか」
 少年の気が、かわってきた。すると恐怖がすうーッとうすれていった。
「よし。逃げられるだけ逃げてやれ」
 春木は考え直した。そしていったんしまった黄金メダルと絹のきれとを再びとりだし、すばやくズボンのポケットにねじこむと、裏口からそっと外へでた。
 ヘリコプターは、いよいよ近くに迫っていた。
 信号灯(しんごうとう)か標識灯(ひょうしきとう)かしらないが、色電灯(いろでんとう)がついているのが見える。
 春木は、首をちぢめて、塀(へい)のかげにとびこんだ。二十日あまりの月明(つきあ)かりであった。姿を見られやすいから、行動は楽でない。
 彼はヘリコプターから見つけられないようにと、塀づたいに夜の町をぬって、山手へ逃げた。
 二百メートルばかりいくと、そこから向こうは急に高く崖(がけ)になっていた。崖の上には稲荷神社(いなりじんじゃ)の祠があった。このごろのこととて屋根はやぶれ軒は傾き、誰も番をしていない祠だった。春木は、その石段をのぼることをわざとさけ、横の方についている草にうずもれた急な小道をのぼっていった。もちろん姿を見られないためだった。
 崖の上にのぼりついて、彼はほっとした。ここなら、まず、大丈夫である。
 というのは、ここは山の裾(すそ)で、ひどい傾斜(けいしゃ)になっている。稲荷神社のまわりには、古い大きい木がぎっしりとり囲んでいて、枝がはりだして隙間(すきま)のないほどだ。それに境内(けいだい)もごくせまい。ここなら、ヘリコプターが下りてこようとしても、翼(つばさ)が山の木にさわって、とてもうまくいかないであろう。春木は、そういう推理にもとづいて、崖の上のお稲荷さんへかけあがったのである。


   おそろしき事件


 おそろしい事件が、この時には既(すで)に、あらまし終っていたのだ。
 今、その最後の仕上げが行われつつあった。
 さて、それはどういう事件であったろうか。
 ヘリコプターがだんだんこっちへ近づいてくるので、春木は不安になった。ヘリコプターは、このままの方向で飛びつづけると、お稲荷(いなり)さんのうしろの山に、ぶつかるにちがいなかった。春木は、自分がここにいることを、やっぱりヘリコプターに見つけられたかと思ったくらいだ。
 ところがヘリコプターは、お稲荷さんの方までは飛んでこなかった。その途中にある河原(かわら)の上と思うあたりで、得意の空中足ぶみをはじめたのである。
 その河原は、春木のいるところからは右手に見えていたが、その川は芝原水源地(しばはらすいげんち)のあまり水が流れていて、末(すえ)は湊川(みなとがわ)にはいるのだ。
「何をするつもりかなあ」
 と春木は、こわごわ崖の上の木立のかげからのびあがってその方を注意していた。
 すると、河原の向う岸に、四五人の人影が固まって歩いているのに気がついた。彼らは上流の方へ向って歩いている。が、とつぜん彼らはひっかえした。影が長くなった。その先頭に、小さい影が一つ走っていた。
 その小さい影は、ある一軒の家の石段にあがりかけた。とあとの群が、その小さな影の上に重(かさ)なった。
 人影の群は、ふたたび前のように、岸の上を上流に向って歩きだした。彼らは固まっていた。
 そして小さい影は、彼らの頭の上にかつがれているらしかった。
 春木は、このとき、どきんとした。
「あ、あの家は牛丸君の家だ。……すると、もしや。あの小さい人影は、牛丸君ではなかったか」
 はっきりした理由は分らないけれど、牛丸君も自分も、この間からヘリコプターの賊と因縁(いんねん)がついて、なんだかいつも睨(にら)まれているような気がしてならなかった。
 だから春木は、すぐ牛丸君が誘拐(ゆうかい)されていると、かんづいたわけである。そしてそれはほんとうに正しい観察であった。
 牛丸少年をかつぎあげた怪漢(かいかん)の一同は、それから間もなく白い河原の中へ下りていった。そこには、おあつらえ向きにヘリコプターが上に待っていて、綱(つな)だか縄梯子(なわばしご)だかを下ろしてあった。
 彼らが、その梯子にとりついて、だんだん上へひきあげられていくのが見えた。ただひとり河原に残っていた人影があったが、それは大きな人影であって、牛丸君ではなかったようである。このとき牛丸君は、あの戸倉老人のときと同じように、綱にくくりつけられ、ヘリコプターの中へずんずん引きあげられているのにちがいない。
 ヘリコプターは、この離れ業をたいへんすばしこくやってのけると、早やぐんぐん上昇を始めた。
「ひどい奴(やつ)だ」
 春木は、むちゃくちゃに腹が立った。しかしどうすることができようか。
 相手は、自分たちが持っていない文明の利器(りき)を使って、好きなことをやってのけるのだ。手だしができやしない。
 ヘリコプターは、ぐんぐん舞いあがり、それから予想していたとおり、山を越えて、北の方へいってしまった。
(もうおしまいだ。ああ、かわいそうな牛丸君よ。……しかし賊どもは、君を誘拐してって、どうするつもりだろうか。君は、なんにも関係がないのに……)
 春木少年はそう思って、すこしばかり心が痛んだ。自分の身替(みがわ)りに、牛丸君が誘拐されたのではないかと気がついたからである。やっぱり、黄金(おうごん)メダル探しが目的なんだろう。
 あのとき生駒の滝の前で、自分は既に黄金メダルを戸倉老人からゆずられ、そして老人のいうところに従って、ヘリコプターから見られないようにするため、岩かげにかくれた。
 ところがそこに大きな穴があいていて、自分はその中へ落ちこんだ。
 そのあとへ牛丸君がきた。そしてヘリコプターに乗っていた悪者どもから見られてしまったのだ。戸倉老人が誘拐されてって、黄金メダルを調べられたが、持っていなかったので、それではあの少年に渡したのではあるまいか、なにしろ戸倉老人は重傷であったから、倒れていた位置を動くことはできなかったはずだ。そういう考えから悪者どもは牛丸君を今夜奪っていったのであろう――と、春木少年はこのように推理を組立ててみたのである。
 そのあとに、新しい不安が匐(は)いあがってきた。それは、「悪者どもが牛丸君を調べて、黄金メダルなんか知らないことが分ったら、悪者どもはその次はどうするであろうか。こんどは自分を誘拐にくるのではなかろうか。いや、なかろうかどころではない、悪者どもは必ず自分を襲うにちがいない」と気がついたからである。
「いやだなあ。これはたいへんだ」
 春木少年は身ぶるいした。どうしたら助かるだろうか。どうしたら安全になるであろうか。
 それは警察の保護をもとめるのが一番よいと思われた。
「だが、待てよ」
 警察の保護を受けるのはいいが、そうなると、あの黄金メダルのことも公(おおや)けに知られてしまう。すると戸倉老人の心に反することになりそうだ。また、せっかくここまで秘密にしてきたこの謎の宝ものを、むざむざと世間に知らせてしまうのは惜しい気がする。それから始まって、全世界に知れわたると、われもわれもと宝探し屋がふえて、結局、春木自身なんかのところへその宝は絶対にころげこんでこないであろう。
 春木少年は、やはり人間らしい慾(よく)があったために、黄金メダルを警察へ引きわたすのは、もうすこし見合わすことにした。
「しかし、そうなると、どうしたら安全になるだろうか。自分の生命も安全、黄金メダルも安全、という方法はないものか」そう考えているとき、目の下の校舎の窓にぱっと明かりがついた。


   スミレ学園


 それはスミレ学園の校舎であった。スミレ学園というのは有名な私立学校であって、下は幼稚園から、上は高等学校までの級(クラス)を持っていた。どの組も人数が少く、先生は多く学費はかなり高価であったが、ここで教育せられた生徒はたいへんりっぱであったから、入学志望者は毎年五六倍もたくさん集った。
 灯(あかり)のついたのは、室内運動館であった。その二階の一室に灯がついたのである。運動をする場所は床から二階までぶっ通しになっているが、その外にすこしばかり小さい部屋が一階と二階についていた。一階は運動具をおさめる室などがあり、二階は図書記録室の外に、宿直室があった。今はこの宿直室は体操の先生である立花(たちばな)カツミ女史が寝泊りしていた。この先生は、列車に乗って遠方から登校するので、翌日も授業のある日は、ここに泊っていく。
 春木少年は、自分の学校の先生ではないが、立花先生を見おぼえていた。なにしろ女史は目につく婦人だった。背丈(せたけ)が五尺五寸ぐらいある、すんなりと美しい線でかこまれた身体を持っていた。そしてととのった容貌(ようぼう)の持ち主で、ただ先生であるせいか、冷たい感じのする顔であった。春木少年は、東京に住んでいたころ、近所にこの立花先生によく似た婦人があったので、先生の顔はすぐおぼえてしまった。
 立花先生のことを、このへんの子供は、タチメンとよんでいた。それは身体が長い銀色の魚タチウオに似ていて、先生は女だからメスで(この町ではメスのことをメンという)つづけていうとタチウオのメン、つまりタチメンという綽名(あだな)がついたのである。
 春木少年は、今ごろなぜ立花先生が起きたのであろうかとふしぎに思った。先生ではなく、他の人が灯をつけたのかとも思った。しかしそのとき先生の顔が窓ぎわにあらわれた。そしてちょっと外を見てから、急いでカーテンをひいた。それだけのことであったが、タチメン先生にちがいなかった。
「そうだ。タチメン先生に、この黄金メダルを預ってもらおう。先生なら、女だけれど、体操の先生だから強いだろうし、秘密をまもって下さいといえば、承知して下さるだろう。そうすれば、ぼくも黄金メダルも安全になるのだ」
 春木は、そう考えついた。
 彼は、そのつもりになって、そこをでかけようとしたとき、急に事態がかわった。というのは、川向うの牛丸君の家の前でさわぎが起っているのが見えたからだ。どうやら家の人が外へとびだして、救いをもとめているようであった。家の人たちは、今まで家の中で悪者どもにしばられていて、縄をほどくことができなかったのであろう。
「これは、こうしていられない。ぼくもすぐいって、さっき見たことを家の人に教えてあげなくてはならない」
 この方が急を要することだった。春木少年は走りだしたがまたもや戻ってきた。彼は、そこに聳(そび)えている椋(むく)の木の根方を、ありあわせの石のかけらで急いで掘った。
 しばらくして、彼が手をとめると、根方には穴が掘れていた。春木少年はポケットをさぐって、黄金メダルと絹(きぬ)ハンカチの燃えのこりをだした。それからそれを鼻紙に包んだ。その包を、穴の中に入れた。それから、土をどんどんかぶせた。そして一番上に弁当箱ほどの丸い石を置き、それからまわりを固く踏みかためた。
「まあ、一時こうしておこう。でないと、牛丸君の家の前までいったとき、もしも悪者が残っていて、ぼくをつかまえでもしたら、大切な宝ものをとられてしまうからなあ」
 春木少年は、どこまでも用心ぶかかった。
 そうなのである。油断はならないのだ。さっきヘリコプターが牛丸君をつりあげ、そして仲間をひっぱりあげて空へ舞いあがっていったが、あのとき河原に一人だけ残っている者があったではないか。それは誰であるか分らなかったけれど、もちろん悪者の仲間にちがいない。彼はそれからどこへいったか見えなくなってしまったが、いつひょっくり姿を現わすかしれないのだ。あんがい近所の塀のかげにかくれて、牛丸君の家の様子を監視しているのかもしれない。そうだとすると、あそこへ大切な宝ものを持っていくのはやめたがいいのだ――と、春木少年は考えたのである。
 黄金メダルは春木少年の身体をはなれたので、彼は身軽(みがる)になった。彼は崖の小道を、すべるようにかけ下り、牛丸君の家の方へ走っていった。
 息せき切って、牛丸君の家の前へいってみると、はたしてそのとおりだった。牛丸君のお父さんやお母さんが気が変になったようになってさわいでいた。近所の人々も、だんだん集ってきた。そのうちにエンジンの音がして、警官隊が自動車にのって、のりつけた。
 牛丸君のお父さんの話によると、四名の怪漢(かいかん)がはいってきて、ピストルでおどかしたそうである。強盗と同じだ。そして牛丸君をひっとらえると、ちょっと用があるからきてくれ、生命には別条ないから心配いらない、しかしいうことをきかないと痛い目にあうぞ、といって、牛丸君を外へつれだしたという。家の人はピストルでおどしつけられ、縄でぐるぐる巻きにされていたので、牛丸君を助けることができなかったということだ。
 それから先のことは、春木少年がお稲荷(いなり)さんの崖の上から月明(つきあ)かりに見ていたとおりだった。
「警察はもっと早くきてくれないと、だめだなあ」
 と、近所の人がいった。
「そうだ、そうだ。それに自動車ぐらいもってきたんじゃだめだ。相手は飛行機を使って誘拐するんだから、警察もすぐ飛行機で追っかけないと、いつまでたっても、相手をつかまえることができない」別の人が、そういった。
 全くそのとおりであった。しかし警察の方では、そんなにきびきびやれない事情があるようであった。
 春木少年は、牛丸君の両親に、お見舞だけをいって、さよならをした。この間のカンヌキ山のぼりのことをいわれるかと思ったが、両親ともそのことについてはなにもいいださなかった。それよりも一刻も早く息子を取りかえしてもらいたいと警察の人にすがることに一生けんめいだったのである。


   ひげ面男(づらおとこ)の登場


 崖(がけ)の上のお稲荷(いなり)さんでは、春木少年が黄金メダルを埋(うず)めていってしまった後、おかしなことが起った。
 それは、お稲荷さんの荒れはてた祠(ほこら)の中から、一人の人物が、のっそりとでてきたのである。
 その人物は、まず両手をうんとのばして、
「あッ、あッ、ああーッ」と大あくびをした。
 月に照らしだされたところでは、彼の顔は無精(ぶしょう)ひげでおおわれ、頭もばさばさ、身体の上にはたくさん着ていたが、ズボンもジャケツも外套(がいとう)もみんなひどいもので、破れ穴は数えられないほど多いし、ほころびたところはそのままで、ぼろが下っていた。外套にはボタンがないと見え、上から縄でバンドのようにしばりつけてあった。放浪者(ほうろうしゃ)であった。
「さっきから見ていりゃ、あの小僧め、へんなまねをしやがったぜ。いったい、あの木の根元に何を埋めたのか、ちょっくら見てやろう。食えるものなら、さっそくごちそうになるぜ」空腹(くうふく)を感じていると見え、そのひげの男は舌なめずりをして、下へ下りてきた。そしてのっそり、崖の上の椋(むく)の木のところまでいった。
 彼はすぐ埋めてある場所を発見した。そうでもあろう、春木少年が踏みつけていったすぐあとのことだから、気をつけて探せば、すぐ目にとまる。
「ははあ。この石が目印ってわけか」ひげ面男は石をけとばすと、そこへしゃがみ、両手を使って土をかきだした。間もなく彼は目的物をつかんで立ち上った。
「なあんだ、これは……」彼はあてが外れたという顔つきで、紙包を開いて中を見たが、よく正体が分らないので、それを持ったまま、祠の方へひきかえしていった。
 祠の傾(かたむ)いた屋根をくぐり、格子の中へはいると、御神体(ごしんたい)をまつった前に、三畳敷(じょうじ)きぐらいの板の間があり、そこに破れむしろが敷いてあった。そこがこのひげ面男――姉川五郎(あねがわごろう)の寝室であった。
 彼は、むしろの上にごろんと寝ると、隅っこのところへ手をのばして、ごそごそやっていたが、やがてその手が、船で使う角灯(かくとう)をつかんできた。彼はマッチをすって、それに火をつけた。この場所にはもったいないほどの明かりがついた。その下で、彼は紙包を開いた。
 すると、絹の焼け布片(きれ)がでてきた。彼はそれを無造作(むぞうさ)にひらいた。こんどは黄金メダルがでてきた。ぴかぴか光るので彼はびっくりした。それを掌(てのひら)にのせて、いくども裏表をひっくりかえして、見入った。
 絹の焼け布片の方は、紙と共にこの男の手をはなれ、折から吹きこんできた風のため、ひらひらと遠くへころがっていった。もしもこの光景を戸倉老人や春木少年が見ていたとしたら、おどろいて後をおっかけたことであろう。
「何じゃ、これは」三日月型の黄金メダルは、姉川の掌の上でさんざん宙がえりをやったが、その正体はこのひげ面男に理解されなかったようである。
「ぴかぴかしているが、これは鍍金(メッキ)だよ。それに半分にかけていちゃ、売れやしない。ああ、くたびれもうけか。損をしたよ」
 ひげ面男は、黄金メダルを腹立たしそうにむしろの上に放りだすと、角灯をぱっと吹き消した。そしてごろんと横になった。しばらくすると、大きないびきが聞えてきた。空腹をおさえて、ひげ面先生は睡ってしまったのである。
 それから数時間たって、夜が明けた。
 ひげ面男の姉川五郎は、早起きだった。もっとも朝日が第一番に祠の破れ目から彼の顔にさしこむので、まぶしくて寝ていられなかった。
 彼は、むしろの上に起きあがって、たてつづけて大あくびを三つ四つやって、ぼりぼり身体をかいた。それから何ということなくあたりを見まわした。すると、ぴかりと光ったものが、彼の充血した眼を射た。
「何? ああ、昨夜(ゆうべ)の屑(くず)がねか。おどかしやがる」
 彼はひとりごとをいって手を延(の)ばすと、むしろの上から黄金メダルをひろいあげた。そして朝日の下で、また裏表をいくどもひっくりかえして見た。
「鍍金にしてはできがいいわい。まさか、本ものの金じゃなかろうね。おい屑がねの大将、おどかしっこなしだよ。おれはこう見えても心臓がよわい方だからね」
 彼は黄金メダルを手にして、左右をふりかえった。角灯が目にはいった。それを引きよせ、その角のところで、黄金メダルを傷つけた。メダルは楽に溝(みぞ)がきざみこまれ、下から新しい肌がでてきた。それを姉川五郎は、陽(ひ)にかざして目を大きくむいて見すえた。
「おやおや。中まで金鍍金(きんメッキ)がしてあるぞ。えらくていねいな仕上げだ。……待て、待て。これは、本ものの金かもしれんぞ。そんなら大したものだ。叩き売っても、一カ月ぐらいの飲み料ははいるだろう。善は急げだ。さっそくでかけよう」
 姉川は、黄金メダルをポケットの中へねじこんだ。それから彼は、腰縄をといて、外套をぽんと脱いだ。それから手を天井(てんじょう)の方へ延ばして、天井裏をごそごそやって、そこに隠してあった上衣(うわぎ)をとりだして、それをジャケツの上に着た。それからもう一度天井裏へ手をやると、帽子をだしてきた。それをぼさぼさ頭にのせたところを見ると、型はくずれているが、船乗(ふなの)りの帽子だった。それから彼は、賽銭箱(さいせんばこ)の中から破れ靴をだして足につっかけズボンをひとゆすり、ゆすりあげてから、悠々と石段を下りていった。
 こんな一大事が発生しているとは知らず、春木少年は八時ごろにお稲荷さんへのぼってきた。
 昨夜、宝ものを椋の木の根方に埋めたが、埋め方がうまかったかどうか、それを検分するために、彼は朝早く崖をのぼってやってきたのである。
「ああッ!」彼の目は、すぐさま、異常を発見した。椋の木の根方はむざんに掘りかえされてある。春木少年は青くなって、そこへとんでいった。
「やられた」土の上に膝をついて、掘りかえされた穴の中を探ってみたが、昨夜彼が埋めたものは、影も形もなかった。そばを見れば目印においた丸石が放りだしてある。彼はがっかりした。そこに尻餅をついたまま、しばらくは起きあがる力さえなかった。
(失敗(しま)った。やっぱり、机の奥にしまっておけばよかったんだ。あわててもちだしたり、うっかりこんなところへ埋めたり、とんでもないことをしてしまった。せっかく戸倉老人が呉(く)れたのに、おしいことをした。……しかし誰がここから掘りだして持っていったのだろうか)
 春木少年は、大がっかりの底から、ようやく気をとり直して立ち上った。
(なんとか取返したいものだ。まだ、絶望するのは早かろう)
 少年は、推理の糸口をつかみ、それからその糸を犯人のところまでたぐっていくために、境内(けいだい)をぶらぶらと歩きだしたが、そのとき生々しい足跡が祠の前からこっちへついているのを発見し、
「これかもしれない」
 と、緊張した。彼は祠の中をのぞきこんだ。
 その結果、彼は姉川五郎の寝室があるのを見つけた。
「ぼくはうっかりしていた。ここにいた男に見られちまったんだよ」くやし涙が、春木少年の頬(ほお)をぬらした。いくらくやんでも諦(あきら)めきれない失敗だった。
 もしや祠の中のどこかに黄金メダルをかくしていないであろうかと思い、彼は祠の中へはいあがって、念入りにしらべた。だが、そんなものはあろうはずがなかった。ただ、彼は祠の破れ穴のところに、絹の焼け布片がひっかかっているのを発見し、声をあげてよろこんだ。
 黄金メダルとこれとの両方を失ったかと思ったが、焼け布片だけでも自分の手にもどってくれたことは、不幸中の幸であると思った。この上は、この焼け布片は大切に保管し、二度とこんなことにならないようにしなくてはならないと思った。姉川五郎は、黄金メダルを握って、どこへいったのであろうか。
 二つに割れている黄金メダルの一つは、こうして春木少年の手からはなれてしまった。もう一つは、六天山塞(ろくてんさんさい)の頭目(とうもく)四馬剣尺(しばけんじゃく)の手から猫女(ねこおんな)の手へ移った。このあと、この二つの貴重なる黄金メダルは、いかなる道を動いていくのであろうか。メダルの二つの破片がいっしょになるのは何時のことか。
 それにしても、この黄金メダルに秘められたる謎はどういうことであろうか。事件はいよいよ本舞台へのぼっていく。


   少年探偵なげく


 まったく春木少年は、がっかりしてしまった。
 もうなにをするのも、いやであった。自分のすることは何一つうまくいかないことが分った。彼はすっかりくさってしまった。
 瀕死(ひんし)の戸倉老人が、いのちをかけて、かれ春木少年にゆずってくれた大切な黄金メダルの半ぺら! あれが、今ではもう彼の手にないのだ。
(お稲荷さまだから、どろぼうから守ってくれると思っていたのに……)
 境内(けいだい)の木の根元に、うずめたのが運のつきであった。誰かがさっそく掘りだして持っていってしまった。
(きっと、あの祠に寝起(ねおき)している男にちがいない)
 春木少年は、あれからいくどもお稲荷さんの崖(がけ)にのぼって、裏手からそっと祠をのぞいた。だが、いつ見ても、破(やぶ)れござが敷きっぱなしになっているだけで、主人公の姿は見えなかった。
 春木は、がっかりしたが、いくどでもくりかえしあそこへいってみる決心だった。
 黄金メダルを盗まれたことも、くやしくてならない大事件だったが、それよりも町中にひびきわたった大事件は、牛丸平太郎(うしまるへいたろう)少年がヘリコプターにさらわれたことだった。
 なにしろ、そのさらわれ方が、あまりに人もなげな大胆なふるまいで、親たちも近所の者も手のくだしようがなく、あれよあれよと見ている目の前で、ヘリコプターへ吊りあげられ、そのまま空へさらわれてしまったのだ。
 警官隊の来ようもおそかった。またたとえ間にあったとしても、やはりどうしようもなかったにちがいない。飛行機を持っていない警官隊は、どうしようもない。
 牛丸平太郎は、みんなにかわいがられていた少年だから、この誘拐(ゆうかい)事件の反響も大きかった。ことに、その前に春木君が山の中で、行方不明になった事件のとき、牛丸君が誰より早くこれを知らせたことで、牛丸少年を知っている人は多かった。
 春木としても、一番仲よしの友だちを、そんなひどい目にされたので、くやしくてならなかった。それで、ぜひ捜査隊(そうさたい)の中へ加えて下さいと、先生にまでとどけておいたほどである。
「ああ、そうか。それはいいね。この前は、牛丸君が春木君の遭難を知らせた。こんどはその恩がえしで、春木君が牛丸君を探しにいくというわけだね。まことにいいことだ」
 と、受持の主任(しゅにん)金谷(かなや)先生は、ほめてくれた。
「先生。牛丸君は、なぜさらわれていったのでしょうか」
 その時春木は、先生にたずねた。
「それがどうも分らないんだ。牛丸君の家は旧家(きゅうか)だから、金がうんとあると思われたのかもしれないな。そんなら、あとになって、きっと脅迫状(きょうはくじょう)がくるよ」
「脅迫状ですか」
「うん。牛丸平太郎少年の生命(いのち)を助けたいと思うなら、何月何日にどこそこへ、金百万円を持ってこい――などと書いてある脅迫状さ。しかしほんとは牛丸君の家は貧乏しているので、そんな大金はないよ。もしそう思っているのなら、賊の思いちがいさ」
 金谷先生は、牛丸君の家の内部のことをよく知っているらしかった。
「それじゃあ、なぜ牛丸君は、さらわれたんでしょうね」
「分らないね。牛丸君は、君のようにとび切り美少年(びしょうねん)だというわけでもないし……そうだ、君は何か心あたりでもあるんじゃないか。あるのならいってみなさい」
 と、金谷先生は春木の顔をじっと見つめた。
 そのとき春木は、例の生駒(いこま)の滝(たき)の事件のことをいってみようかと思った。あのときからヘリコプターにねらわれているのではなかろうかといい出したかった。しかし春木は、それをいったら、あの黄金メダルのことまでうちあけてしまいたくなるだろうと思った。その黄金メダルは、今はもう彼の手もとにないのだ。すべてあれからあやしい糸がひいているように思う。それなら、ここで先生にうちあけてしまった方がいいのではないか。
 だが、春木は、ついに、それをいいださずにしまった。
 そのわけは、彼が口をひらこうとしたとき、そばを立花カツミ先生が通りかかったためである。この女の先生はスミレ学園につとめているが、方々の学校へもよく来る。そして体操の話をしたり、あたらしい体操や運動競技を教えていくのだ。
「やあ、立花さん」と、金谷先生が声をかけた。
「おや、金谷先生。こんなところにいらしたんですか」
 と、立花先生は、そばへ寄ってきた。春木は、おじぎをして、二人の先生の前を離れた。そういうわけで、彼は黄金メダルまでの話をいいそびれてしまったのだ。
 このとき春木には聞えなかったけれど、神さまは口のあたりに軽い笑いをおうかべになり、悪魔はちょッと舌打ちをしたのであった。なぜだろう。


   絹(きぬ)のハンカチの文句(もんく)


 その夜にも二回、その次の日の朝にも三回、春木少年はお稲荷さんの祠を偵察(ていさつ)した。
 だが、彼が見たいと思った浮浪者の姿を見ることはできなかった。その浮浪者は、その夜はとうとうこの祠の中の寝床へはかえってこなかったのである。
(なぜ、帰ってこないのだろうか。ひょっとしたら、あの黄金メダルを売りにいって、お金がはいったから、帰ってこなかったのではあるまいか)
 春木少年の推理はするどく、かの姉川五郎の気持をある程度まで、ぴったりあてた。
 困(こま)った。売ったのなら、その売った先をいそいで探さないと手おくれになる。といって、それを聞くには浮浪者が帰ってこないと、聞くわけにいかない。彼はまたもや昨日の失敗がくやまれてくるのだった。
(ぐずぐずしていると、ますます工合(ぐあい)が悪くなる!)
 少年にも、そのことがはっきり分った。
「そうだ。ぼくは、なんというバカ者だったろう。盗まれるなら、あの黄金メダルに彫(ほ)りつけてあった暗号文みたいなものを、べつの紙にうつしとっておけばよかったんだ」
 ああ、そう気がつくのが、おそかった。
 黄金メダルは、もう春木少年の手にはないのだ。まったく注意が足りなかった。人に見せまい、大切に大切にしようと思って、黄金メダルの暗号文もよく見ないで、しまっておいたのだ。
「ハンカチがある。あれにも字が書いてあった。そうだ、あのハンカチも、いつ盗まれるか知れない。今のうちに、文句をうつしておこう」春木は、やっと今になって、本道へもどった。しかし彼は、本道へもどるまでに、二度も大失敗をくりかえしている。
 少年は、その夜、例の焼けのこりの絹ハンカチを灯(あかり)の下にひろげてみた。
 ざんねんにも、四分の一か五分の一ほどしか残っていない。
 が、それでもこれは重大なる手がかりなのだ。
 さて、読みかかったが、絹ハンカチに書かれてある文字は、細い毛筆で、達者にくずしてあるため、判読するのがなかなかむずかしかった。
 しかし少年は、その困難を越え、字引をくりかえし調べて、どうやらこうやら一応はその文字を拾い読むことができた。
 いったい、どのような文句が、そこに書きつづられていたであろうか。
 十四行だけ残っていた。しかしその一行とて、行の終りまで完全に出ているわけでない。しかし行の頭のところは、みなでている。それは、次のような文字の羅列(られつ)であった。

ヘザ………………………………
たる………………………………
二つ合……………………………
蔵する宝…………………………
の開き方を知……………………
り。オクタンとヘ………………
しため協力せず…………………
する黄金メダルの………………
のと暗殺者を送…………………
斃(たお)れ黄金メダルは暗……………
り、それより行方不明…………
ここにある一片(ぺん)はオ……………
せし一片にして余は地中………
おいてこれを手に入れたる……

「なんだろう。さっぱり意味が分らない」
 春木少年は、ざんねんであった。
 もしも生駒の滝のたき火で、こんなに焼いてしまわなかったら、一つの完成した文章が読めて、今頃は重大な発見に小おどりしているだろうに。
「いや、未練(みれん)がましいことは、もういうまい。この焼けのこりの文句から、全体の文章が持っている重大な意味を引出してみせる」
 彼は興奮した。くりかえし、この切れ切れの文句を口の中で読みかえした。彼は、考えて考えぬいた。頭が火のようにあつくなった。
 そのうちに、彼は、一つのヒントをつかんだように思った。
「この黄金メダルの半ぺらを一つずつ持っていた人間が二人ある。ひとりをオクタンといい、もうひとりをヘザ……というのだ」
 オクタンにヘザ何とかであるが、ヘザの方は名前の全部が分っていない。とにかく、この二人が黄金メダルを半ぺらずつ持っていたとしてこの文句を読むと、意味が通るのであった。
 これに勢いを得て、少年探偵はさらに推理をすすめた。
 すると、第二のヒントが見つかった。
「あの黄金メダルを二つ合わせると、宝のあるところの開き方を知ることができるようになっているんだ」
 第三行と第四行と第五行とから、これだけの意味が拾えたように思った。
 もしこれが当っているなら、黄金メダルの二個の半ぺらを手に入れた上で、二つを合わしてみなくてはならないのだ。メダルの裏にきざみこんである暗号文字のようなものが、二つ合わせて読むと、完全な意味を持つようになって、宝庫(ほうこ)の開き方を知らせてくれるらしい。
 少年探偵は、いよいよ勢いづいて、その先を解析した。
 第六行から第十一行までは、大して重要なことではないらしいが、そこに書かれてある意味は、
 ――黄金メダルの半ぺらずつを持ったオクタンとヘザ某(なにがし)とは、仲がわるくて助け合わず、相手の持つ半ぺらを奪おうとして、暗殺者を送った。その結果、両人のうちの誰かが死んだ。そして半ぺらは行方不明となった――
 というのではなかろうか。
「いや、それでは、両人のうちの誰かが相手に暗殺者を向けて斃し、そして黄金メダルの半ぺらを奪ったものなら、その半ぺらはその者の所有となり、行方不明になるはずがない。これは意味が通じない。考えなおしだ」
 いろいろと考え直したが、もうすこしで分りそうでいて、どうもうまい答がでなかった。少年探偵は、しゃくにさわってならなかったが、そのときはもうそれ以上に頭がはたらかなかった。
 それから最後の三行から、次のことを推理した。
 ――この一片、すなわち、戸倉老人の持っていた半ぺらは、オクタンが持っていた半ぺらであって、自分、すなわち、戸倉老人は、これを地中から掘りだしたものである――
 どうやら、これだけのことが分った。
 オクタンとヘザ某とは、いったい何者であるか、それが分らない。これは文章のはじめの方に、説明があったのだろう。そこのところが焼けてしまったために、とつぜんオクタンとヘザ某の名がでてきて、彼らが何者であるのか、その関係や、二人の時代が分らないのである。
 後日になって明らかになったことだが、このように解釈した春木少年の推理は、原文の意味の七分どおり正しく解いているのであった。少年探偵としては、及第点であった。
 このとき以来、彼は、右の解釈を基(もと)として、その後の活動をすることにしたのであるが、実はもう一つ、彼が考えたことがあった。それは、
 ――ヘザ某は、オクタンの放った暗殺者のために殺され、ヘザの持っていた黄金メダルの半ぺらは行方不明となった。オクタンは自分の持っている半ぺらをたよりに、宝探しをこころみたが、うまくいかなかった。そして彼は、残念に思いながら死んでしまった。だから、世界的大宝物は、まだ発見されずにもとのところに保存されている――
 まず、こんな風に推定したのだった。
 だから、オクタンは、とても悪い奴(やつ)。ヘザ某は気の毒な人。そしてヘザ某の遺族か部下は、オクタンを恨(うら)んでいるが、彼らの手には、オクタンには奪われないで助かった黄金メダルの半ぺらがある。扇形(おうぎがた)をしたその半ぺらを持っている者があったら、それはヘザ某の遺族か部下に関係ある者だ――と春木少年は思った。
 このことが正しいかどうか、読者諸君には興味が深いであろう。なぜなれば、諸君は春木少年のまだ知らない事実――四馬剣尺や猫女のことなどを知っているのだから。


   きれいな独房(どくぼう)


 かわいそうなのは、自宅からヘリコプターにさらわれていった牛丸平太郎少年だった。
 彼がヘリコプターに収容せられたときには、気を失っていた。だから、あとのことはよくおぼえていない。
 気がついたときは、固いベッドの上に寝ていた。おどろいて彼は起き直った。からだが方々痛い。
「おお、これは……」
 明かるく照明された、せまい一室だったが、入口は扉(と)のかわりに、鉄の格子(こうし)がはまっていた。牢屋(ろうや)だった。ベッドは部屋の隅にとりつけてあって、腰かけの用もしていた。
「ぼくを、こんなところへいれて、どうするつもりやろ」
 牛丸は、鉄格子のところへいって、それが開くかどうかためしてみた。だめだった。鉄格子の外側には、がんじょうな錠前がぶら下っているのが見えた。
 鉄格子の前は通路になっていた。そして正面には、壁があるだけだった。
 どこか抜けだすところはないかと、牛丸少年は部屋中を見まわした。天井に小さい空気穴があいているだけだ。そこからでようとしても人間にはできないことだった。小さい猫ならでられるかもしれないが、牛丸は猫ではなかった。
 天井は、高かった。室内には、ベッドの外になんにもない。いや、一つあった。それは便器であった。
 牛丸少年は、この部屋に永いこと、とめておかれた。ここでは、時刻がさっぱり分らなかったけれど、牢番(ろうばん)らしい男がきて、鉄格子の窓から、食事をさしいれていったので、朝がきたらしいことをさとった。
 牢番は、五十歳ぐらいのじゃがいものように、でくでく太ったおじさんだった。牛丸が話しかけても、牢番男は首を左右にふるだけで、返事をしなかった。
 昼飯(ひるめし)を持ってきたときに、牛丸はまた話しかけた。牢番は同じように首を左右にふり、指で自分の耳と口とをさして、
(わしは、耳がきこえないし、口もきけないよ)
 と、知らせた。夕飯(ゆうはん)のとき、牛丸が話しかけようとすると、牢番は、こわい目でにらんだ。そして不安な目付で左右をふりかえった。そしてもう一度こわい目をし、大口をあいて、牛丸少年をおどかした。
 牛丸は、がっかりした。すべての望(のぞ)みを失い、ベッドにうっ伏して、わあわあ泣いた。だが、誰もそれを慰(なぐさ)めにきてくれる者はなかった。
 疲れ切っていたと見え、その姿勢のまま、牛丸はねむってしまったらしい。
「起きろ。こら、起きろ、子供」
 あらあらしい声に、牛丸はやっと目がさめた。
「さあ起きろ。頭目(かしら)のお呼びだ。おとなしくついてくるんだぞ」若い男が、そういって、牛丸の手首にがちゃりと手錠をはめた。牛丸は引立てられて、監房(かんぼう)をでた。
 前後左右をまもられて、牛丸少年は通路を永く歩かせられ、それからエレベーターに乗せられて上の方へのぼっていった。その道中に彼はたえずあたりに気を配ったが、それはなかなかりっぱな建物に見えた。彼はここがカンヌキ山のずっと奥深い山ぶところにかくされたる六天山塞(ろくてんさんさい)の地下巣窟(そうくつ)だとは知らなかった。
「頭目。牛丸平太郎をつれてまいりました」
 若い男は、頭目四馬剣尺が待っている大きな部屋へ少年をつれこんだ。
 牛丸少年は、そこではじめて頭目なる人物を見た。
 華麗に中国風に飾りたてた部屋の正面に、一段高く壇を築き、その上に、竜の彫りもののあるすばらしい大椅子に、悠然と腰を下ろしているあやしき覆面(ふくめん)の人物は、四馬頭目にちがいなかった。
 その左右に、部下と見える人物が、四五名並んでいた。秘書格の木戸の顔も、それに交っていた。机博士のほっそりとした姿も、その中にあった。頭目が、覆面の中からさけんだ。
「うむ。波(なみ)はそこに控(ひか)えておれ。木戸。その少年を前につれてこい。直接、話をしてみる」
 若い男は、入口を背にして、佇(たたず)んだ。
 木戸が前にでていって、牛丸少年の肩をつかんで、頭目の前に引立てた。
「手荒(てあ)らにはしないがいい」
 頭目は木戸に注意をした。
「これ、牛丸平太郎。お前にたずねたいことがあったから、ここまできてもらった。これからたずねることに正直に答えるのだぞ。もしうそをついたら、そのときはひどい罰をうけるから、うそはつくなよ」
 太い威厳(いげん)のある頭目の声が、牛丸の胸を刺した。
 牛丸少年は、だまっている。彼は、頭目の顔の前にたれ下っている三重のベールがふしぎで仕方がなかった。
「おい、牛丸平太郎。お前は、戸倉老人から黄金メダルの半分をうけとったろう。正直に答えよ」
 頭目はそういって、牛丸の返事はどうかと、上半身を前にのりだした。牛丸少年は、それでもだまっていた。
 頭目は少年が返事をしないので、機嫌をわるくした。彼は肩を慄(ふる)わせ、
「さあ、早く答えよ。お前が戸倉老人から渡された黄金メダルの半分は、どこへ隠して持っているのか」
 と、声をあらくしていった。
「ぼくにものを聞きたいのやったら、聞くように礼儀をつくしたらどうです。昨日からぼくを罪人(ざいにん)のようにひどい目にあわせて、さあ答えよといっても誰が答える気になるものか」
 牛丸は、はじめて口を開くと、相手の非礼をせめた。
「お前から礼儀のお説教を聞くために呼んだのではない。こっちからたずねることだけに答えればよい。それを守らなければお前の気にいるような拷問(ごうもん)をいくつでもしてあげるよ。たとえば、こんなのはどうだ」
 頭目が、椅子の腕木のかげにつけてある押釦(おしボタン)の一つをおした。すると天井から、鍋(なべ)をさかさに吊ったようなものが長い鎖(くさり)の紐(ひも)といっしょに、すーッと下りてきた。そして牛丸少年の頭に、その鍋のようなものがすっぽりかぶさった。
「あ痛ッ」鎖はぴーんと張った。そして鍋のようなものはしずかに持ちあがった。と、それに牛丸の頭髪が密着したまま、上へひっぱられていくのであった。


   あの手この手


「痛い、痛い」牛丸少年は宙吊(ちゅうづ)りになった。
 痛い。髪の毛がぬけそうだ。もがくと、ますます痛い。牛丸は歯をくいしばり、ぽろぽろと涙を流した。
「これは拷問(ごうもん)の見本だから、そのへんで許してやろう。お前たちの年頃は、わけもわからずに生意気でいけない。そう生意気な連中には拷問が一番ききめがある」
 頭目は、けしからんことをいってから、拷問をとめた。鍋のようなものは、牛丸の頭髪をはなして、鎖紐と共にがらがらと天井の方へあがっていった。
 日頃はのんき者の牛丸平太郎も、この拷問には参った。このような野蛮な責め道具を、さかんに持っているのだとすれば、うっかりことばもだせない。
「そこで、もう一度聞き直す。戸倉老人から渡された黄金メダルの半分は、今どこにあるのか。さあ、すぐ答えなさい」
 頭目の声は、以前よりはやさしくなった。やさしくなったが、その口裏(くちうら)には、「こんど答えなければ本式に拷問してやるぞ」との含みがある。返事をしないわけにいかない。
「ぼくは正直にいいますが、戸倉老人だの黄金メダルだのといわれても、何のことやら、さっぱり分りまへん。これはほんとです」
「なにイ……まだうそをつくか。それなれば――」
「いくら拷問されたって、今いったことはほんとです。今いうたとおり、なんべんでもくりかえすほかありまへん。それとも、ぼくからうそのことを聞きたいのやったら、拷問したらよろしいがな」
 しゃべっているうちに牛丸はしゃくにさわってきて、又もやいわなくてもいいことまでいってしまった。
「知らないとはいわさん。それでは、証拠をつきつけてやる。戸倉老人をここに引きだせ」
 頭目の命令によって、戸倉老人がこの部屋へつれてこられた。車のついた椅子にしばりつけられていることは、この前と同じだ。ひげ面をがっくり垂(た)れて目を閉じている。
 戸倉老人の椅子は、頭目の前で、牛丸少年といっしょに並べられた。机博士がつかつかとやってきて、戸倉老人を診察した。それはかんたんにすんだ。机博士は自席にもどる。
「牛丸少年。お前の前にいるのが戸倉老人だ。この老人なら見おぼえがあるだろう。生駒の滝の前で、お前はこの老人から何を受取ったか。それをいっておしまい」
「この人、知りません。今はじめて会うた人です」
 牛丸は、そう答えた。彼は生駒の滝の前に倒れていたのがこの老人かもしれないと思った。しかしあのときは、顔をよく見たわけでない。ヘリコプターから機銃掃射(きじゅうそうしゃ)が始まったので、すぐ柿(かき)の木へかけあがったわけである。
「お前はどこまで剛情(ごうじょう)なんだろう。そんなに拷問されたいのか。それでは」
「待って下さい。ほんとにぼくは、この人を知りませへん。うそやありません。この人に聞いてもろうてもよろしい」
 牛丸少年は重(かさ)ねて同じ主張をした。
 戸倉老人は、さっきから下を向いたままで、目を開かない。牛丸少年の顔を見ようともしないのであった。
 老人の心の中には、今はげしい苦悶(くもん)があった。それは今彼のそばにいる少年が、春木清にちがいないと誤解していたからだ。死にゆく自分を介抱(かいほう)してくれた親切に、あの黄金メダルを少年に贈ったが、それが祟(たた)って、少年はこうして四馬剣尺のために自由を奪われ、ひどい責めにあっていると思えば、老人の胸は苦しさに張りさけんばかりであった。老人は、この気の毒な少年の顔を一目でも見る勇気がなかった。少年に何とあやまってよいか、老人の立ち場はひどく苦しいのであった。
「剛情者(ごうじょうもの)が二人集った」
 と頭目は牛丸や戸倉老人のことをいった。
「よし、それでは、のっぴきならぬ証拠を見せてやろう。おい波、あの写真を持ってきたか」
 すると戸口に立っていた波が、ポケットから数葉(すうよう)の写真をひっぱりだして、頭目のところへ持ってきた。
「ふーむ。これで見ると、あのときお前は現場にいた子供にちがいない。これを見よ」
 頭目は、写真を牛丸に手わたした。
 牛丸は、それを見た。そしてどきんとした。彼が生駒の滝の前まできたとき、ヘリコプターがまい下ってきたので、おどろいて柿の木にのぼった。そのときの彼の姿が、はっきりと撮影されているのであった。写真の中には、彼の顔をいっぱいに引伸してうつしてあるものもあった。それを見ると、これは自分ではないということができないほど、はっきりしていた。
「どうだ。その写真にうつっているのはお前だろう。お前にまちがいなかろう」頭目は、こんどはおそれ入ったかと牛丸少年の面をむさぼるように見つめる。
「これは、ぼくのようです」
 牛丸は、あっさりとそれを認めた。
「しかし、この柿の木にのぼっているのがぼくだとしても、ぼくは誰からも、何ももらいません。ほんとです」
 戸倉老人が、このとき薄目(うすめ)をあいた。そして牛丸少年の顔を、さぐるようにそっと見た。
(おお……)老人の顔に、狼狽(ろうばい)と喜びの色とが同時に走った。
(ああ神よ)老人は口の中で唱(とな)えると、再びがっくりとなって椅子にうなだれ、目を閉じた。老人は、そばにいる少年が、春木清ではないのを知って、いままでのはげしい悩(なや)みから急に解放されたのであった。
 そのとき頭目の、怒りにみちた声がひびいた。
「なんという手際のわるいことだ。調査不充分だぞ。責任者は処罰(しょばつ)される」
 左右をふりかえって、頭目は部下を叱(しか)りつけた。
「この剛情者二人は、当分あそこへ放りこんでおけ」
 そういい捨てて、頭目はうしろの垂(た)れ幕をわけて、その奥に姿を消した。異様な背高のっぽの覆面(ふくめん)巨人だ。牛丸少年は、感心して、頭目のうしろ姿を見送った。
(あの覆面の下に、どんな顔があるのか。早く見てやりたいものだ)
 彼はこわさを忘れて、好奇心をゆりうごかした。


   万国骨董商(ばんこくこっとうしょう)


 ここで話は、春木少年から姉川五郎(あねがわごろう)の手へ渡った半月形の黄金メダルの上に移る。
 今、姉川五郎のことをくわしくのべるにあたるまい。なぜなれば、彼はひどく酔払っていて、どうにもならない。彼の服装は、ぼろぼろ服と別れて、りゅうとした若い海員姿に変っている。よほどたんまり金がはいったと見える。
 彼がお稲荷(いなり)さんの境内(けいだい)の木の根元から掘りだした半かけの金属片(きんぞくへん)は、たしかに黄金製であったのだ。彼はそれを、海岸通(かいがんどお)りからちょっと小路にはった[#「はった」はママ]ところにある万国骨董商チャンフー号に売ったのである。主人のチャン老人は、孔子(こうし)のように長い口ひげあごひげをはやして、トマトのように色つやのよい老人であった。老人は、姉川が持ってきたメダルを二万円で買うといった。
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