三人の双生児
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著者名:海野十三 

「君と真一君が、双生児にしては余り似ていないことを不思議に思うだろうが、そこに重大な謎が横たわっているのだ。このところをよく分って貰いたいが、実は君たちは双生児であって、その卵細胞は同じ母親のものながら、その精虫を供給した父親が違っていたのだ。いいかネ、分るだろうか。――つまり、ハッキリ云うと、真一君を生じた精虫は君の亡くなった父親のものであり、それから君を生じた精虫は、実に僕の父親である赤沢常造のものだったんだ。さ、そういうと不思議がるかも知れないが、君はこんなことを知っているだろう。膣内の精虫の多くはその日のうちに死んでしまうけれど、中には二週間たっても生存しているものもあるということを。だからここに二卵性の双生児が出来たとしても、それが同一日に発射された精虫によるとは限らないのだ。そういえばもう分っただろうが、僕の父の赤沢常造の精虫が発射されたその数日か十数日か後に、真一君の父親が船から下りて来てまた精虫を発射する。このとき偶然にも二人の精虫が、君の母親の二つの卵に取りついてこの二卵性双生児が出来上ったのだ。それで合点がゆくことと思うが、君と僕とが、戸籍の上では赤の他人でありながら、実は二人は父親を同じくする異母兄妹なのだ。だから君と僕とが、兄妹のように似ていることが肯かれるだろう」
 妾はあまりの奇怪なる話に、気が遠くなるほど駭(おどろ)いた。話は分るけれど、そんな不思議なことが吾が身の上に在るとは、なんという呪わしいことだろう。それにどんなにか慕(した)わしく思っていた貞雄が、血を別けた兄妹であったとは、なんという悲しいことだろう。
「君の愕くのは尤(もっと)もだが、まだまだ愕くべきことが控えているのだよ。――ところでいよいよ『三人の双生児』の謎だが、これは解いてみると案外くだらないものさ。こんなことを日記にかきつけたのは真一の父親だった。彼は船乗りだった。船乗りの語彙でもって『三人の双生児』といったことをまず念頭に置かなくちゃいけない。実は君の方は普通の健全な人間だったけれど、真一君の方はそうでなかった。彼は畸形児だったのだ。手も足も胴体も一人前だったが、気の毒なことに首が二つあった。つまり両頭の人間だったのだ。そういえば思い当るだろうが、真一君の肩にあるあのいやらしい瘢痕(きず)のところには、昔もう一つの首がついていたのだ。その首にはチャンと名前がついていた。西村真二というのだ。いくら子供が可愛くても、この両頭の畸形児を人に見せるわけにはゆかない。そこであの座敷牢があるのだ。君は女の児だと思っていたろうが、子供のときには男女の区別はハッキリしない。殊に終日寝かされて何の変った楽しみもない真一真二の幼童が、たまたま君の髪に結んだ赤いカンカンを見て、あたい達にもつけてよオとせがんでも無理のないことではないか。そして二つの首を見せて駭かすことのないように、母親がいろいろ気を配ったことも無理ならぬことだ。その後、真二は顔に悪性の腫物(はれもの)が出来たので遂に大学で未曾有(みぞう)の難手術をやり、とうとう切ってしまった。そうしないと真一までが死んでしまうおそれがあったからだ。真一君が流浪の旅にのぼるようになったことなどは説明するまでもあるまい。僕は君を大学へ連れていって、アルコール漬になっている真二君の首を見せたいと思うよ。――まあそんなわけだから、君たちが生れたときに、お父さんが『三人の双生児』と呼んだのも根拠のあることだ。身体から見れば双生児であり、首の方は三つあったんだからネ」
 ああ、なんという恐ろしい話だろう。これほど怪奇を極めた話が、この世に二つとあろうか。妾は舌を噛み切って死にたいような衝動に駈られた。といって、舌を噛み切って死ねば、妾の腹にある胎児は、暗(やみ)から暗へ葬られるのだと気がつくと、妾はハッと正気に返った。そしてそこで妾は吾が子のまだ知らぬ父親のことが急に知りたくなって、自らを制することができなくなった!
「妾の腹の子の父親のことを教えて下さいな。どうぞ後生(ごしょう)ですから……」
 と叫んだ。
「ではそれを教えてあげようが、これから大学まで歩いてゆく道々話すことにしよう」
 最早(もはや)妾たちは折角の料理に箸(はし)をつける気もなくなって、そのまま外に出た。池(いけ)の端(はた)を本郷(ほんごう)に抜ける静かなゆるい坂道を貞雄に助けられながらゆっくりゆっくり歩を搬(はこ)んでゆく――が、妾の胸の中は感情が戦場のように激しく渦を巻いていた。
「君の胎(はら)の子の父親はねエ」
 と貞雄は耳許で囁いた。
「――駭いてはいけない、この僕なんだよ」
「まア、貴方ですって、――」
 妾はそれを聞くとカッとして、思わず貞雄をドンと突き飛ばした。
「ああ悪魔! 恐ろしい悪魔!」
 と妾は喚(わめ)きつづけた。
「貴方と妾とは血肉を分けた兄妹じゃありませんか。それだのにこんな罪な子供を姙(はら)ませるなんて……ペッペッ」
 と、妾は烈しく地面に唾を吐いた。
「ま、そう怒ってはいけない。君は誤解しているようだ」
 と貞雄は恐れ気もなく、傍に寄り添って来ながら、
「僕は誓う。また君自身も知っているだろうが、僕は絶対に君と性的交渉を持ったことはないのだ。ね、そうだろう。――だから怒ることはないじゃないか」
 そういわれると、妾にもその忌(いま)わしいことの覚えはなかったが、それにしても……。
「じゃあ、それが本当なら、なぜ妾は貴方の胤(たね)を宿したのです。誰が訛(だま)されるもんですか。嘘つき!」
「君と関係を持たなくても妊娠させることは出来る。――君は覚えているだろうが、この前僕が医師として君の身体を検べたときに、簡単な器械で君に人工姙娠をしといたのだ。造作のないことだ」
「じゃあ、忌わしい関係はなかったんですね」
 と妾は稍(やや)安堵(あんど)はしたものの重ねて詰問をした。
「でもなんの目的で、妾を身籠らせたんです!」
「それは君、君の頼みを果しただけのことだよ。君は『三人の双生児』のことを知りたがって、どんな手段でもいい、と云ったではないか、実を云えば、先刻話をした結論の中には欠陥があったのだ。それは私の父と君の母親とが果して関係したかどうかということだ。それを僕は遺伝学で証明しようと思った。調べてみると、君の母親の血統には両頭児の生れる傾向があるのだ。真一真二が生れたのは、君の母親が割合に血縁の近い従兄である西村氏と関係したので、その血属結婚の弱点が真一真二の両頭児を生んだのだ。しかし僕の父とは他人同志だから、とにかく健全な君が生れた。そこで君が私の父の子であることを証明するのには僕の考えた一つの方法があると思うのだ。それはそこでもう一度君が君の血族から受精してみると、きっと血族結婚の弱点で両頭双生児が生れるだろうという――これは僕が論文にしようと思っているトピックスだ。そこで僕は学問のためと君の願いのため、僕の精虫を君の卵子の上に植えつけてみたのだ。その結果……」
「おお、その結果というと……」
 妾はハッと思った。
「その結果は、果然(かぜん)僕の考えていたとおりだ。僕は偉大なる遺伝の法則を発見したのだ。すなわち君がいま胎内に宿している胎児は、果然真一真二のような両頭児なのだよ。レントゲン線が明(あきら)かにそれを示して呉れたところだ」
「ああ、双頭児ですって?」
 妾は気が変になりそうだ。
「僕の研究は一段落ついた。で、この上は君の希望を聞いてみたいと思う。その双頭児をこれから大学の病院で流産させてしまおうと思うのだがネ」
「ええどうぞ、そうして下さい。是非そうして下さい。妾は親となって育てるのはいやです」
 と喚(わめ)き散らした。
 そこで妾たちは、大学の医学部教室へ入った。
「ほら、これが真二の首だよ」
 そういって貞雄は硝子瓶の中にアルコール漬けになった塊を指した。妾はそれを覗いた。
「ああ、あの子だ」
 それは確かに、妾の記憶にある懐しい幼馴染(おさななじみ)の顔だった。実になんという奇しき対面であろう。色こそ褪(あ)せて居るけれど、彼の長く伸びた頭髪は、可愛いカンカンに結って、その先に色を失った三つのリボンが静かにアルコールの中に浸っていた。ああ、なんという可憐な顔だろう。妾はそれをじっと見つめているうちに妾の考えが急に変ってくるのに気がついた。そうだ、今腹に宿っている両頭の子供を下すのは思い止まりたい。例えそれが畸形児であろうとも、妾が母たることに違いはないのだ。血肉を分けた可愛い自分の子に違いないのだ。流産して殺すなんてそんな惨(むご)たらしいことがどうして出来ようか。
 妾は貞雄が向うの標本を眺めている隙に、独りで教室をドンドン出ていった。




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