空襲葬送曲
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著者名:海野十三 

   父の誕生日に瓦斯(ガス)マスクの贈物


「やあ、くたびれた、くたびれた」家中(いえじゅう)に響(ひび)きわたるような大声をあげて、大旦那の長造(ちょうぞう)が帰って来た。
「おかえりなさいまし」お内儀(かみ)のお妻(つま)は、夫の手から、印鑑(いんかん)や書付(かきつけ)の入った小さい折鞄(おりかばん)をうけとると、仏壇(ぶつだん)の前へ載せ、それから着換(きが)えの羽織を衣桁(いこう)から取って、長造の背後からフワリと着せてやった。「すこし時間がおかかりなすったようね」
「ウン。――」長造は、言おうか言うまいかと、鳥渡(ちょっと)考えたのち「こう世間が不景気で萎(しな)びちゃっちゃあ、何もかもお終(しま)いだナ」
「また、いい日が廻ってきますよ、あなた」お妻は、夫の商談がうまく行かなかったらしいのを察して、慰(なぐさ)め顔(がお)に云った。
「……」長造は、無言で長火鉢(ながひばち)の前に胡座(あぐら)をかいた「おや、ミツ坊が来ているらしいね」
 小さい毛糸の靴下が、伸した手にひっかかった――白梅(しらうめ)の入った莨入(たばこいれ)の代りに。
「いま、かアちゃんと、お湯(ぶう)に入ってます。一時間ほど前に、黄一郎(きいちろう)と三人連れでやって来ました」
「ほう、そうか、この片っぽの靴下、持ってってやれ。喜代子(きよこ)に、よく云ってナ、春の風邪(かぜ)は、赤ン坊の生命(いのち)取りだてえことを」
「それが、あの児、両足をピンピン跳ねて直ぐ脱いでしまうのでね、あなた今度見て御覧なさい、そりゃ太い足ですよ、胴中(どうなか)と同じ位に太いんです」
「莫迦(ばか)云いなさんな、胴中と足とが、同じ位の太さだなんて」
「お祖父(じい)さんは、見ないから嘘だと思いなさるんですよ。どれ持ってってやりましょう」
 お妻は、掌(てのひら)の上に、片っぽの短い靴下を、ブッと膨(ふく)らませて載(の)せた。それがお妻には、まるでおもちゃの軍艦の形に見えた。
「おい、あのなには……」と長造はお妻を呼び止めた。
「弦三(げんぞう)はもう帰っているかい」
「弦三は、アノまだですが、今朝よく云っときましたから、もう直ぐ帰ってくるに違いありませんよ」
「あいつ近頃、ちと帰りが遅すぎるぜ、お妻。もうそろそろ危い年頃だ」
「いえ、会社の仕事が忙しいって、云ってましたよ」
「会社の仕事が? なーに、どうだか判ったもんじゃないよ、この不景気にゴム工場(こうば)だって同じ『ふ』の字さ。素六(そろく)なんざ、お前が散々(さんざん)甘やかせていなさるようだが、今の中学生時代からしっかりしつけをして置かねえと、あとで後悔(こうかい)するよ」
「まア、今日はお小言(こごと)デーなのね、おじいさん。ちと外(ほか)のことでも言いなすったらどう? 貴郎(あなた)の五十回目のお誕生日じゃありませんか」
「五十回目じゃないよ、四十九回目だよ」
「五十回目ですよ。おじいさん、五十になるとお年齢(とし)忘れですか、ホホホホ」
「てめえの頭脳(あたま)の悪いのを棚(たな)にあげて笑ってやがる。いいかいおぎゃあと、生れた日にはお誕生祝はしないじゃないか、だから、五十から引く一で、四十九回さ」
「なるほど、そう云えば……」
「そう云わなくても四十九回、始終(しじゅう)苦界(くがい)さ。そこでこの機会に於て、遺言(ゆいごん)代りに、子沢山の子供の上を案じてやってるんだあナ」
「まあ、およしなさいよ、遺言なんて、縁起(えんぎ)でもない、鶴亀鶴亀(つるかめつるかめ)」
「お前は実によく産んだね、オイばあさん。ちょいと六人だ。六人と云やあ半打(はんダース)だ。これがモルモットだって六匹函の中へ入れてみろ、騒ぎだぜ」
「やあ、お父さん、お帰りなさい」長男の黄一郎(きいちろう)が入ってきた。
「モルモットをどうするとかてえのは、一体なんです」
 長造とお妻とが顔を見合わせて、ぷッと吹きだした。
「お父さんは、お前たちのことをモルモットだって云ってなさるよ。よくお前は六匹も生んだねえ、なんて」お妻はおどけて嗾(け)しかけるように云った。
「私達がモルモットなら、お父さんは親モルモットになりますね、ミツ坊は孫モルモットで……」
「そうそう、ミツ坊に、この靴下を持ってってやらなきゃあ。おじいさんは、靴下を早く持って行けと云っときながら、あたしのことを掴(つかま)えてモルモットの話なんだからねえ」
 お妻は、いい機嫌で室を出て行った。
「お父さん、今日はお芽出(めで)とう御座(ござ)います」
「うん、ありがとう」
「きょうは、店を頼んで、三人一緒に、早く出てきました」
「おお、そうかい」
「久しぶりに、モルモットが皆集まって賑(にぎや)かに、御馳走になります」
「うん、――」
 長造は何か別のことを考えている様子だった。黄一郎には、直ぐそれが判ったのだった。
「もっとも清二はいませんけれど……彼奴(あいつ)なにか便(たよ)りを寄越(よこ)しましたか」
 清二(せいじ)は、黄一郎の直ぐの弟だった。その下が、ゴム工場へ勤めている弦三(げんぞう)で今年が徴兵(ちょうへい)適齢(てきれい)。その下に、みどりと紅子(べにこ)という姉妹があって、末(すえ)の素六(そろく)は、やっと十五歳の中学三年生だった。
「清二のやつ、一週間ほど前に珍らしく横須賀軍港(よこすかぐんこう)から、手紙なんぞよこしやがった」
「ほう、そりゃ感心だな。どうです、元気はいい様(よう)でしたか」
「別に心配はないようだ。今度、演習(えんしゅう)に出かけると云った。ばあさんには、なんだか、軍艦のついた帛紗(ふくさ)をよこし、皆で喰えと云って、錨(いかり)せんべいの、でかい缶を送って来たので驚いたよ。いずれ後で出してくるだろう」
「そりゃいよいよ感心ですね」
「うちのばあさんは、これは清二にしちゃ変だと云って泪(なみだ)ぐむし、みどりはみどりで、どうも気味がわるくて喰べられないというしサ、わしゃ、呶鳴(どな)りつけてやった。折角(せっかく)買ってよこしたのに喜んでもやらねえと云ってナ」
「なるほど、多少変ですかね」
「尤(もっと)も、紅子と素六とは、清(せい)兄さんも話せるようになった、だがこれは日頃の罪滅(つみほろ)ぼしの心算(つもり)なんだろう、なんて減(へ)らず口(ぐち)を叩きながら、盛んにポリポリやってたようだ」
「清二は乱暴なところがあるが、根はやさしい男ですよ」
「そうかな、お前もそう思うかい。だが潜水艦乗りを志願するようなところは、無茶じゃないかい。後で聞くと、飛行機乗りと潜水艦乗りとは、お嫁の来手(きて)がない両大関(りょうおおぜき)で、このごろは飛行機乗りは安全だという評判で大分いいそうだが、潜水艦のほうは、ますます悪いという話だよ」
「それほどでも無いでしょう。ことに清二の乗っているのは、潜水艦の中でも最新式の伊号(いごう)一〇一というやつで、太平洋を二回往復ができるそうだから、心配はいりませんよ」
「だが、水の中に潜っていることは、同じだろう。危いことも同じだよ」
 そこへ廊下をバタバタ駈けてくる跫音(あしおと)が聞こえてきた。ヒョックリ真ンまるい顔を出したのは中学生の素六だった。
「お父様も、兄ちゃんも、あっちへ来て下さいって、御膳(おぜん)ができたからサ」
「そうか、じゃお父様、参りましょう」黄一郎は、腰を起して、父親を促(うなが)した。
「うン、――よっこらしょい」と長造は煙管(きせる)をポンと一つ、長火鉢の角(かど)で叩くと、立ち上った。「今日は下町をぐるッと廻って大変だったよ。品物が動かんね、お前の方の店はどうだい」
「駄目ですね。新宿が近いのですが、よくありませんね。寧(むし)ろ甲府(こうふ)方面へ出ます。この鼻緒商売(はなおしょうばい)も、不景気知らずの昔とは、大分違って来たようですね」
「第一、この辺(へん)に問屋が多すぎるよ」
 長造は頤(あご)を左右(さゆう)にしゃくって、表通に鼻緒問屋(はなおどんや)の多いのを指摘(してき)した。この浅草の大河端(おおかわばた)の一角を占める花川戸(はなかわど)は、古くから下駄(げた)の鼻緒と爪革(つまかわ)の手工業を以て、日本全国に知られていた。殊(こと)に、東京好みの粋(いき)な鼻緒は断然(だんぜん)この花川戸でできるものに限られていた。鼻緒の下請負(したうけおい)は、同じ区内の今戸(いまど)とか橋場(はしば)あたりの隣町(となりまち)の、夥(おびただ)しい家庭工場で、芯(しん)を固めたり、麻縄(あさなわ)を通したり、その上から色彩さまざまの鞘(さや)になった鼻緒を被(かぶ)せたり、それが出来ると、真中から二つに折って前鼻緒(まえばなお)で締(し)め、それを百本ずつ集めて、前鼻緒を束(たば)ね、垂れ下った毛のような麻をとるために、火をつけて鳥渡(ちょっと)焼く――そうしたものを、問屋に持ちこむのだった。問屋には、数人の職人が居て、品物を選(え)り別(わ)けたり、特別のものを作ったりして、その上に商標(しょうひょう)のついた帯をつけ、重い束(たば)を天井に一杯釣り上げ、別に箱に収(おさ)めて積みあげるのだった。地方からの買出(かいだ)し人が来ると、商談を纏(まと)め、大きい木の箱に詰(つ)めて、秋葉原(あきはばら)駅、汐留(しおどめ)駅、飯田町(いいだまち)駅、浅草(あさくさ)駅などへそれぞれ送って貨車に積み、広く日本全国へ発送するのだった。長造は昔ながらの花川戸に、老舗(しにせ)を張っていた。長男の黄一郎は、思う仔細(しさい)があって、東京一の盛り場と云われる新宿を、すこし郊外に行ったところに店を作っていたのだった。そこには妻君(さいくん)の喜代子と、二人の間にできたミツ子という赤ン坊との三人の外(ほか)に三人の雇人がいた。今日は本家(ほんけ)の大旦那長造の誕生日であるから、店を頼んで、浅草へ出て来たのだった。
「さア、おじいちゃま、今晩は、お辞儀(じぎ)なさいよ、ミツ子」
 お湯から出て来て、廊下で挨拶(あいさつ)をしているらしい喜代子の声がした。
「やあ、ミツ坊、よく来たね。はッは」長造が大きな声であやしているらしかった。「お湯が熱かったのかい、林檎(りんご)のような頬(ほ)ッぺたをしているね。どれどれ、おじいちゃんが抱っこしてやろう。さあ、おいで、アッパッパ」
「やあ、笑った、笑った」赤ン坊の珍らしい素六が、横から囃(はや)し立(た)てた。
 今夜は、客間をつかって、大きなお膳を中央に並べ、お内儀(かみ)のお妻と姉娘のみどりが腕をふるった御馳走が、所も狭いほど並べられてあった。
 長造が席につくと、神棚(かみだな)にパッと灯明(とうみょう)がついて、皆が「お芽出(めで)とうございます」「お父さん、お芽出とう」と、四方から声が懸った。
 長造は、盃をあげながら、いい機嫌で一座をすっと見廻わした。
「全く一年毎に、お前たちは大きくなるね、孫も出来るし、これで清二が居て――あいつはまだ帰ってこないね」と、弦三の姿のないのに鳥渡(ちょっと)眉を顰(ひそ)めたが、直ぐ元のよい機嫌に直って、
「弦(げん)も並ぶとしたら、この卓子(テーブル)じゃもう狭いね、来年はミツ坊も坐って、おととを喰るだろうし、なア坊や、こりゃ卓子(テーブル)のでかいのを誂(あつら)えなくちゃいけねえ」
「この室が、第一狭(せも)うござんすねえ」お妻も夫の眼のあとについて、しげしげ一座を見廻わしながら云った。
「来年は、隣りの間も、ぶちぬいて使うんですね」黄一郎が相槌(あいづち)をうった。
「それじゃ、宴会みたいになるね」長造は、癖で指先で丸い頤(あご)をグルグル撫でまわしながら云った。
「お父様(さん)、こんな家よしちまって、郊外に大きい分離派(ぶんりは)かなんかの文化住宅を、お建てなさいよウ」紅子(べにこ)が、ボッブの頭を振り振り云った。
「洋館だね、いいなア、僕の部屋も拵(こしら)えてくれるといいなア」素六は、もう文化住宅が出来上ったような気になって、喜んだ。
 ミツ坊までが、若いお母アちゃんの膝の上で、ロボットのようにピンピン跳ねだした。
「贅沢(ぜいたく)を云いなさんな」長造は微苦笑(びくしょう)して、末ッ子達を押(おさ)えた。
「お父様は、お前達を大きくするので、一杯一杯だよ。皆が、もすこししっかりして、心配の種を蒔(ま)かないで呉れると、もっと働けて、そんなお金が溜(たま)るかもしれない。これ御覧、お父様の頭なんざ、こんなに毛が薄くなった」
 父親が見せた頭のてっぺんは、成る程、毛が薄くなって、アルコールの廻りかけているらしい地頭(じがしら)が、赤くテラテラと、透いて見えた。
「お父様(さん)、そりゃ、お酒のせいですよ」黄一郎がおかしそうに口を出した。
「ほんとにね」お妻が同意して云った。「あなた、この頃、ちと晩酌(ばんしゃく)が過ぎますよ」
「莫迦(ばか)ッ。折角(せっかく)の訓辞(くんじ)が、効目(ききめ)なしに、なっちまったじゃないか!」口のところへ持ってゆきかけた盃(さかずき)を途中で停めて、長造は破顔(はがん)した。
「はッはッは」
「ふ、ふ、ふ」
「ほッほッほ」
 それに釣りこまれて、一座は花畑(はなばたけ)のように笑いころげた。
 どよめきが、やっと鎮(しず)まりかけたとき、
「それにしても、弦三は大変遅いじゃないか。昨夜は、まだ早かった。この間のように、十二時過ぎて帰ってくる心算(つもり)なんじゃ無いかなあ」と、長造が云った。
「お母ア様(さん)、工場(こうば)へ電話をかけたらどうです」黄一郎が云った。
「それもそうだが、弦の居るところは、夜分(やぶん)は電話がきかないらしいんだよ」
「なーに、彼奴(あいつ)清二の二の舞いをやりかかってるんだよ。うちの子供は、不良性を帯びるか、さもなければ、皆気が弱い」
 父親はウッカリ、平常思っていることを、曝(さら)け出(だ)したのだった。今日は云うのじゃなかった、と気のついたときは既に遅かった。一座は急に白けかかった。紅子は、断髪頭(だんぱつあたま)を、ビューンと一振りふると、卓子(テーブル)の前から腰をあげようとした。
「唯今――」
 詰襟服(つめえりふく)の弦三が、のっそり這入(はい)ってきた。なんだか、新聞紙で包んだ大きなものを、小脇に抱(かか)えていた。
「まあ大分ひまが懸(かか)ったのね。さァ、こっちへお坐り。お父様がお待ちかねだよ」母親が庇(かば)うようにして、弦三の席に刺身醤油(さしみしょうゆ)の小皿などを寄せてやった。
「――」弦三は無言のまま、席についた。
「弦おじちゃん、大変でしたね」嫂(あによめ)の喜代子(きよこ)も、お妻について弦三を庇(かば)った。「さあ、ミツ子、おじちゃん、おかえんなさいを、するのですよ」
 ミツ子は母の膝の上で、肥(ふと)った首を、弦三の方にかしげ、怪訝(けげん)な面持で覗(のぞ)きこんだ。
「弦三、お前の帰りが遅いので、お母アさんが心配してるぞ」父親は、呶鳴(どな)りたいのを我慢して、やっと、そう云った。
「弦ちゃん、明日の晩でも、うちへ来ないか、すこし手伝ってもらいたいものもあるんだが……」黄一郎が、兄らしい心配をして、引きよせて意見をしようという心らしかった。
「このごろ、ずっと忙(いそが)しいんですよ、兄さん」弦三は、はっきり断(ことわ)った。
「なにが、そんなに忙しいんだい」父親が、痛いところへ触(さわ)られたように喚(わめ)いた。
「工場が忙がしいんです」
「工場が忙がしい? お前の仲間に訊(き)いたら、一向(いっこう)忙しくないって云ってたぜ」
「お父さん、僕だけ、忙しいことをやっているんですよ」
「あなた、もういいじゃありませんか、お誕生日ですから、ほかの事を仰有(おっしゃ)いよ」母親が危険とみて口を出した。
「うん、大丈夫だよ」父親は強(し)いて笑顔をつくった。セメントのように硬い笑顔(わらいがお)だった。
「今夜は遅くなったとは思ったんですが、今夜中に仕上げて、お父さんのお誕生祝にあげようと思って、ホラこれ! これをあげますよ」そう云って弦三は、新聞紙包みを、父親の方へヌッと差出した。
「なに、誕生祝だって」長造はすっかり面喰(めんくら)ってしまった。
「それを呉れるというのかい。ほほう」
「まア、きたないわ」と紅子(べにこ)が喚(わめ)いた。「お膳の下から出すものよ。夜店(よみせ)でバナナを買ってきたんでしょう」
「なに、バナナか?」父親は手を引込めた。
「バナナじゃありませんよ、僕が工場で拵(こしら)えてきたんですよ」
「僕知ってらあ。きっとゴム靴だよ。もうせん、僕に拵えてくれたねえ、弦(げん)兄さん」
「ゴム靴だって?」父親は顔を硬(こわ)ばらせた「鼻緒屋(はなおや)の倅(せがれ)が、ゴム靴を作る時代になったか」
「黙って開けてごらんなさい、お父さんは、きっと驚くでしょうよ」
 新聞紙の包みは、嫂(あによめ)の手から隣へ廻って、父親の膝の上へ順おくりに送られた。
 長造が、新聞紙をバリバリあける手許(てもと)に、一座の瞳(ひとみ)は聚(あつま)った。二重三重(ふたえみえ)の包み紙の下から、やっと引出されたのは、ゴムと金具(かなぐ)とで出来たお面(めん)のようなものだった。
「こりゃ、お前が造ったのかい、一体、これは何だい」父親は狐(きつね)に鼻を摘(つま)まれたような顔を弦三の方に向けた。
「それは、瓦斯(ガス)マスクですよ。毒瓦斯除(よ)けに使うマスクなんです」
「瓦斯マスク! ほほう、えらいものを拵(こしら)えたものだね。近頃、こんな玩具(がんぐ)が流行(はや)りだしたってえ訳かい」
「玩具(おもちゃ)じゃありませんよ、本物です。お父さん使って下さい。顔にあてるのはこうするのです」
 一座が呆然(ぼうぜん)としている裡(うち)に、弦三は大得意で立ちあがった。
「いや、もう沢山、もう沢山」長造は、そのお面みたいなものを、弦三が本気で被(かぶ)せそうな様子を見てとって、尻込(しりご)みしたのだった。「わしはもういいから、素六にでも呉れてやれ、あいつ、野球のマスクが欲しいってねだっていたようだから丁度いい」
「野球のマスクと違いますよ、お父さん」弦三は躍起(やっき)になって抗弁(こうべん)したのだった。「いまに日本が外国と戦争するようになるとこの瓦斯(ガス)マスクが、是非必要になるんです。東京市なんか、敵国の爆撃機が飛んできて、たった五噸(トン)の爆弾を墜(おと)せば、それでもう、大震災のときのような焼土(しょうど)になるんです。そのとき敵の飛行機は、きっと毒瓦斯を投げつけてゆきます。この瓦斯マスクの無い人は、非常に危険です。お父さんは、家で一番大事な人だから第一番に、これを作ってあげたんですよ」
「うん、その志(こころざし)は有難い」と長造は一つペコンと頭を下げたが、それは申訳(もうしわけ)に過ぎないようだった。「だが、この東京市に敵国の飛行機なんて、飛んで来やしないよ。心配しなさんな」
「そんなことありませんよ。東京市位、空中襲撃をしやすいところは無いんですよ。僕は雑誌で読んだこともあるし、軍人さんの講話(こうわ)も聴いた――」
「大丈夫だよ、お前」長造は、呑みこみ顔(がお)に云った。「日本の陸軍にも海軍にも飛行機が、ドッサリあるよ。それに俺等(わしら)が献納(けんのう)した愛国号も百台ほどあるしサ、そこへもってきて、日本の軍人は強いぞ、天子様(てんしさま)のいらっしゃるこの東京へなんぞ、一歩だって敵の飛行機を近付けるものか。お前なんぞ、知るまいが、軍備なんて巧く出来ているんだ」
「空の固めは出来てないんだって、その軍人さんが云いましたよ」
「莫迦(ばか)、そんなことを大きな声で云うと、お巡(まわ)りさんに叱られるぞ。お前なんか、そんな余計な心配なぞしないで、それよか工場がひけたら、ちと早く帰って来て、お湯にでも入りなさい」
「弦ちゃん、お前は、こんなことで毎日帰りが遅かったのかい」黄一郎(きいちろう)が、横合(よこあい)から口を出した。
 弦三は、黙って点(うなず)いた。
「瓦斯マスクなんてゴムで作ってあるから永く置いてあると、ボロボロになって、いざというときに役に立たないんだぜ。どうせゴム商売で儲(もう)けようと云うんだったら、マスクよりも矢張(やは)りゴム靴の方がいいと思うね」
「儲けなんか、どうでもいいのです」弦三は恨(うら)めしそうに兄を見上げた。「いまに東京が空襲されたら大騒ぎになるから、市民いや日本国民のために、瓦斯マスクの研究が大事なんです」
「瓦斯マスクのことなんか、軍部に委(まか)しといたら、いいじゃないか。それに此後(このご)は戦争なんて無くなってゆくのが、人間の考えとしたら自然だと思うよ。聯盟だって、もう大丈夫しっかりしているよ。聯盟直属の制裁軍隊(せいさいぐんたい)さえあるんだからね」
「戦争なんて、野蛮だわ」紅子が叫んだ。
「でも万一、外国の爆撃機がとんできたら、恐ろしいわねエ」
 と云ったのは姉娘のみどりだった。
「もう五年ほど前になりますけれど、上海(シャンハイ)事変の活動で、爆弾の跡を見ましたけれど、随分おそろしいものですねエ。あんなのが此辺(このへん)に落ちたら、どうでしょう」嫂(あによめ)の喜代子が、恐怖派に入った。
「きっと、爆弾の音を聞いただけで、気が遠くなっちまうでしょうよ。おお、そんなことのないように」みどりが、身体を震(ふる)わせて叫んだ。
「大丈夫、戦争なんて起こりゃせん」黄一郎が断乎(だんこ)として言い放った。
「ほんとかい」今まで黙っていた母親が口を出した。「あたしゃ清二(せいじ)の様子が、気になってしようがないのだよ」
「清(せい)兄さんはネ、お母さん」素六(そろく)が呼びかけた。「この前うちへ帰って来たとき、また近く戦争があるんだと云ってたよ」
「おや、清二がそう云ったかい。あの子は、演習に行くと云ってきたが、もしや……」
「お母さん、もう戦争なんて、ありませんよ。理窟(りくつ)から云ったって、日本は戦争をしない方が勝ちです。それが世界の動きなんだから」
「戦争があると、商売は、ちと、ましになるんだがなァ。このままじゃ、商人はあがったりだ」
「なんだか、折角(せっかく)のお誕生日が、戦争座談会のようになっちまったね。さア私はお酒をおつもりにして、赤い御飯をよそって下さい」
 黄一郎が、盃を伏せて、茶碗を出した。
「じゃ、お汁をあげましょう」お妻はそう云って、姉娘の方に目くばせした。「みどり、ちょっと、お勝手でお汁のお鍋を温(あたた)めといで」
「はい」
 みどりは勝手に立った。
 ミツ坊は、いつの間にか、喜代子の胸に乳房を銜(くわ)えたまま、スウスウと大きな鼾(いびき)をかいて睡っていた。
「可愛いいもんだな」長造が膳越(ぜんご)しに、お人形のような孫の寝顔を覗(のぞ)きこんだ。
「今日は、皆の引張(ひっぱ)り凧(だこ)になったから、疲れたんですよ。まあこの可愛いいアンヨは」
 お妻が、ミツ子の足首を軽く撫でながら、口の中にも入れたそうにした。
「ミツ坊が産れたんで、家の中は倍も賑(にぎや)かになったようだね」
 長造は上々の御機嫌で、また盃を口のあたりへ運ぶのだった。一家の誰の眼も、にこやかに耀(かがや)き、床の間に投げ入れた、八重桜(やえざくら)が重たげな蕾(つぼみ)を、静かに解いていた。まことに和(なご)やかな春の宵(よい)だった。
 そこへ絹ずれの音も高く、姉娘のみどりが飛びこんで来たのだった。
「大変ですよ、お父さま。ラジオが、今、臨時ニュースをやっていますって!」
「なに、臨時ニュースだって?」
「背後(うしろ)の受信機のスイッチを入れて下さい。また上海(シャンハイ)事変ですって!」
「また上海事変だって?」
 長造は、床の間に置いてある高声器(こうせいき)のプラグを入れた。ブーンと唸って、高声器に、電気がきた。
「では、もう一度、くりかえして申し上げます」高声器の中から、杉内アナウンサーの声が聞こえた。その声は、隠しきれない程、興奮の慄(ふる)えを帯びていたのだった。
「本日午後五時半、上海市の共同租界(そかい)内で、我が滝本総領事(たきもとそうりょうじ)が○国人の一団により、惨殺(ざんさつ)されましたお話であります。
 兼ねて租界管理に関し、日○両国間に協議を開いて居りましたが、我が滝本総領事は、常に正々堂々の論陣を張って、○国の暴論を圧迫していましたところ、其の新規約も八分通り片がついた今日になって、会議から帰途(きと)についた総領事の自動車が、議場の門から二百米(メートル)ほど行ったところで物蔭にひそんでいた○国人約十名よりなる一団に襲撃され、軽機関銃を窓越しに乱射され、総領事は全身蜂の巣のように弾丸を打ちこまれ、朱(あけ)に染(そ)まって即死し、同乗して居りました工藤書記長、小柳秘書及び相沢運転手の三人も同様即死いたしました。兇行の目的は、協議妨害(きょうぎぼうがい)にあることは明(あきら)かであります。以上。
 次は居留邦人(きょりゅうほうじん)の激昂(げっこう)のお話。
 この報至るや、居留邦人は非常に激昴しまして、其の場に於て、決死団を組織し、暴行団員が引上げたと思われる共同租界内のホテル・スーシーを包囲した揚句(あげく)、遂(つい)に窓硝子(ガラス)を破壊し、団員四名を射殺し、一名を捕虜といたしました。他は其場(そのば)より遁走(とんそう)いたしました。これに対して○国人側も非常に怒り、復讐を誓って、唯今準備中であります。両国の外交問題は、俄然(がぜん)険悪(けんあく)となりました。以上。
 尚(なお)追加ニュースがある筈でございますから、この次は、どうぞ八時三十分をお待ち下さいまし。JOAK」
 アナウンサーの声は、高声器のなかに消えた。一座は急にざわめき立った。
「えらいことになったね」黄一郎が真先(まっさき)に喚(わめ)いた。「これは鳥渡(ちょっと)解決しませんぜ」
「また戦争かい」母親が心配そうに云った。
「シナ相手の戦争は儲らんで困るね」父親が浮かぬ顔をした。
「まア、お父様は慾ばってんのねえ」と紅子が、わざとらしく眼を剥(む)いた。
「○国てどこなの、兄さん」と素六が弦三の腕をゆすぶった。
「僕には解らないこともないが……」弦三は唇をゆがめて小さい弟に答えた。
「どうせ日本の相手はアメリカだよ」黄一郎が、ずばりと云った。
「お父さん、この瓦斯(ガス)マスクを、新しい意味で受取って下さい」
 弦三の顔は、緊張にはちきれそうだった。
「そんなに云うなら」
 と長造は、自分のお尻のそばに転っている不恰好な愛児の製作品をとりあげて云った。
「お父様(さん)はお礼を云ってしまっとくよ」
 そのとき、戸外では、号外売りの、けたたましい呼声が鈴の音に交って、聞こえ始めた。そして、また別な号外売りがあとからあとへと、入(い)れ代(かわ)り立(た)ち換(かわ)り、表通(おもてどおり)を流していった。
 晴やかな笑声に裹(つつ)まれていた一座は、急に沈黙の群像のように黙りこくって仕舞(しま)った。
 下田家の奥座敷には、先刻(さっき)とはまるで異った空気が流れこんだように思われた。誰もそれを口に出しては云わなかったが、一座の家族の背筋になにかこうヒヤリとするものが感ぜられるのだった。
 不吉(ふきつ)な予感(よかん)……
 強(し)いて説明をつけると、それに近いものだった。


   我が潜水艦の行方
     ――遂に国交断絶(こっこうだんぜつ)――


 横須賀の軍港を出てから、もう二旬(じゅん)に近い日数が流れた。
 清二の乗組んだ潜水艦伊号(いごう)一〇一が、出航命令をうけ、僚艦(りょうかん)の一〇二及び一〇三と、直線隊形をとって、太平洋に乗出したのは正確に云えば四月三日のことだった。伊豆沖(いずおき)まで来たときに、三艦は、予定のとおり、隊形を解き、各艦は僚艦にそれぞれ別れの挨拶を取交わして、ここに、別々の行動をとることになった。
 いつもであると、訣別(けつべつ)に際し、各艦は水平線上に浮かびあって、甲板上に整列し、答舷礼(とうげんれい)を以て、お互(たがい)の武運(ぶうん)と無事とを祈るのが例であった。しかし今回に限り三艦は、艦体を水面下に隠したまま、唯(ただ)、潜望鏡をチラチラと動かすに停(とどま)り、水中通信機で、メッセージを交換し合ったばかりだった。
「何処へ行くのであろう」
 清二は推進機に近い電動機室で、界磁抵抗器(かいじていこうき)のハンドルを握りしめて、出航命令が出た以後の、腑(ふ)におちないさまざまの事項について不審をうった。
「どうやら、いつもの演習ではないようだ」
 二等機関兵である清二には、何の事情も判っていなかった。彼は上官の命令を守るについて不服はなかったけれど、一(ひ)と言(こと)でもよいから、出動方面を教えてもらいたかった。水牛(すいぎゅう)のように大きな図体(ずうたい)をもった艦長の胸のなかを、一センチほど、截(き)りひらいてみたかった。
 舳手(じくしゅ)のところへは、なにか頻々(ひんぴん)と、命令が下されているのがエンジンの響きの間から聞こえたが、何(ど)んな種類の命令だか判らなかった。
 だが、間もなくジーゼル・エンジンがぴたりと停って、清二の居る電動機室が急に、忙(せわ)しくなった。
「界磁抵抗開放用意!」
 伝声管(パイプ)から、伝令の太い声が、聞こえた。
 清二は、開閉器の一つをグッと押し、抵抗器の丸いハンドルを握った。そしていつでも廻されるように両肘(りょうひじ)を左右一杯に開いた。
「界磁抵抗開放用意よし!」
 真鍮(しんちゅう)の喇叭(ラッパ)口の中に、思いきり呶鳴(どな)りこんだ。
「開放徐々に始め!」
 推進機に歯車結合(ギーア・カップリング)された電動機の呻りは、次第に高くなって行った。艦体が、明かに、グッと下方に傾斜したのが判った。深度計の指針が静かに右方へ廻りだした。
「十メートル、十五メートル、……」
 深度計の指針は、それでもまだ、グッグッと同じ方向に傾いて行った。
 艦底[#「艦底」は底本では「海底」]の海水出入孔(かいすいしゅつにゅうこう)は、全開のまま、ドンドンと海水を艦内に呑みこんでいるらしかった。
 このままでは海底にドシンと衝突(ぶつ)かるばかりだと思われた。清二は、界磁抵抗のハンドルを、全開の位置に保持したまま、早く元への命令が来ればよいがと、気を焦(あ)せらせたのだった。疑いもなく、唯今の状態は、全速力沈降(ぜんそくりょくちんこう)を続けているものであって、海岸を十キロメートルと出ていないところで、こんな操作をするのは、前代未聞(ぜんだいみもん)のことだった。
「どこかで吾が潜水艦の行動を監視している者があるのかも知れない」
 清二は不図(ふと)、そんなことを考えたのだった。
 それから後は、話にならないほどの、単調な日が続いた。
 昼間は、絶対に水上へ浮びあがらなかった。その癖(くせ)、電動推進機には、いつも全速力がかかっていた。夜間になると、時々ポカリと水面に浮かんだが、それも極く短時間に限られていた。それはまるで乗組員を甲板に出して、深呼吸をさせるばかりが目的であるとしか思えなかった。だがその目的も充分には達せられなかったようだった。というのは、なにか見えるだろうと喜び勇(いさ)んで甲板に出てみても、いつも周囲は真暗な洋上で、灯台の灯も見えなかった。或る晩は、銀砂(ぎんさ)を撒(ま)いたように星が出ていたし、また或る夜はボッボツと、冷い雨が頬の辺を打った、それが一番著しい変化だった。長大息(しんこきゅう)を一つすると、もう昇降口から、艦内へ呼び戻されるという次第だった。
 夜間の航行は、実に骨が折れた。艦長は、精密な時計と、水中聴音機(すいちゅうちょうおんき)とを睨(にら)みながら、或るときは全速力に走らせるかと思うと、また或るときは、急に推進機を全然停止させて、一時間も一時間半も、洋上や海底に、フラフラと漂(ただよ)っているというわけだった。
 こんなわけで、横須賀軍港以来、二旬(にじゅん)の日数が経った。
 そして或る日のこと、艦長は乗組員一同を集めて、驚くべき訓令(くんれい)を発した。
「本艦は、本日を以て、米国加州沿岸(べいこくかしゅうえんがん)に接近することができたのである」艦長の頬は生々(いきいき)と紅潮(こうちょう)していた。「本艦の任務は、僚艦一〇二及び一〇三と同じく、米国の大西洋艦隊が太平洋に廻航して、祖国襲撃に移ろうというその直前に、出来るだけ多大の損害を与えんとするものである。其の目標は、主として十六隻(せき)の戦艦及び八隻の航空母艦である」
 乗組員は、思わず「呀(あ)ッ」と声をあげかけて、やっとそれを呑みこんだ。
 艦長の訓令で、いままでの不審な事実は、殆んど氷解(ひょうかい)した。航路が複雑だったのは、米国の西部海岸に備えつけられた水中聴音機や其の辺を游戈(ゆうよく)している監視船、さては太平洋航路を何喰わぬ顔で通っている堂々たる間諜船舶(かんちょうせんぱく)の眼と耳とを誤魔化(ごまか)すためだったのだ。昨夜見たあの暗い海は、すでに敵国の領海だったのであるかと、清二はそれを思い出して興奮せずには居られなかった。
 帝国海軍の潜水艦伊号一〇一は、この日から、加州沿岸を去る二十キロメートルの海底の、兼(か)ねて、計画をしてあった屈竟(くっきょう)の隠れ場所に、ゴロンと横たわったまま、昼といわず夜といわず、睡眠病息者のように眠りつづけていた。しかし艦内の一角では、極超短波(きょくちょうたんぱ)による秘密無線電話機が、鋭敏な触角(しょっかく)を二十四時間、休みなしに働かせて、本国からの指令を、ひたすら憧(あこが)れていた。
 丁度その頃、東洋方面には、有史以来の険悪な空気が、渦を巻いていた。
 わが日本の上海駐在(シャンハイちゅうざい)の総領事惨殺事件と、そのあとに続いた在留邦人の復讐事件とは、一(ひ)と先(ま)ずお互の官憲の手によって鎮まった。だがそれは無論、表面だけのことであった。東京と、華府(かふ)との二ヶ所では、政府当局と相手国の全権大使とが、頻繁(ひんぱん)に往復した。外交文書には、次第に薄気味のわるい言葉が織(お)りこまれて行った。お互(たがい)の国の名誉と権益(けんえき)のために、往復文書には、強い意識が盛られていった。
 その外交戦の直ぐ裏では、日米両国の戦備が、驚くべき速度と量と形とに於て、進められて行った。鉄工場には、官設といわず、民間会社と云わず、三千度の溶鉱炉が真赤に燃え、ニューマティック・ハンマーが灼鉄(しゃくてつ)を叩き続け、旋盤(せんばん)が叫喚(きょうかん)に似た音をたてて同じ形の軍器部分品を削(けず)りあげて行った。
 東京の街角には、たった一日の間に、千本針(ぼんばり)の腹巻を通行の女人達(にょにんたち)に求める出征兵士の家族が群(むらが)りでて、街の形を、変えてしまった。だが其の腹巻の多くは、間に合わなかったのだった。それは通行の女人達が、不熱心なわけでは無く、東京に属する師団の動員が、余りに速かったのである。
 或る者は、交番の前に、青物の車を置いたまま、印袢纏(しるしばんてん)で、営門(えいもん)をくぐった。また或る者は、手術のメスを看護婦の手に渡したまま、聯隊目懸(めが)けて、飛び出して行った。
 事態は、市民の思っている以上に切迫していた。品川駅頭(しながわえきとう)を出発して東海道を下っていった出征兵員一行の消息は、いつの間にか、全く不明になってしまった。
 其のあとについて、品川駅を通過してゆく東北地方の出征軍隊の乗った列車は一々数えきれなかった。夜間ばかりでは運搬しきれないものと見え、真昼間にも陸続(りくぞく)として下(くだ)って行った。東北地方の兵営が、空(から)になるのではないかと、心配になるほどあとからあとへと、出征列車が繰(く)りこんできたのだった。
 帝都の辻々に貼り出される号外のビラは、次第に大きさを加え、鮮血(せんけつ)で描いたような○○が、二百万の市民を、悉(ことごと)く緊張の天頂(てっぺん)へ、攫(さら)いあげた。ラジオの高声器は臨時ニュースまた臨時ニュースで、早朝から真夜中まで、ワンワンと喚(わめ)き散(ち)らしていた。
 そして遂に、其の日は来た。
 昭和十×年五月一日、日米の国交は断絶した。
 両国の大使館員は、駐在国の首都を退京した。
 同時に、厳(おごそ)かな宣戦の詔勅(しょうちょく)が下った。
 東京市民は、血走った眼を、宣戦布告の号外の上に、幾度となく走らせた。彼等は、同じ文句を読みかえして行く度毎に、まるで別な新しい号外を読むような気がした。
「太平洋戦争だ!」
「いよいよ日米開戦だ!」
 宣戦布告があると、新聞やラジオのニュースの内容は一変したのだった。
「米国(べいこく)の太平洋艦隊は、今や大西洋艦隊の廻航を待ちて之(これ)に合せんとし、其(そ)の主力艦は既に布哇(ハワイ)パール湾[#「パール湾」は底本では「ハール湾」]に集結を了(りょう)したりとの報あり!」
「布哇(ハワイ)の日系米人、騒がず」
「墨西哥(メキシコ)の首都附近に、叛軍(はんぐん)迫(せま)る、一両日中に、クーデター起るものと予測さる」
「英(えい)、仏(ふつ)両国は中立を宣言す」
「注目すべきレニングラードの反政府運動」
「中華民国も一(ひ)と先(ま)ず中立宣言か」
「上海(シャンハイ)に市街戦起る、○○師団、先ず火蓋を切る。米国空軍は杭州(こうしゅう)地方に集結」
 東京市民は、我が軍に関するニュースの少いのに不満であった、それは恐らく、全国民の不満であるに違いなかった。ことに、太平洋方面に戦機を覘(うかが)っている筈の、帝国海軍の行動について、一行のニュースもないのを物足りなく思った。
 どこからともなく、流言(りゅうげん)が伝わり出した。東京市民の顔には不安の色が、次第にありありと現われて来た。誰しも、同じような云いたいことを持っていたが、云い出すのが恐ろしくて、互に押黙っていた。
 国民の不安が、もう抑(おさ)えきれない程、絶頂(ぜっちょう)にのぼりつめたと思われた其の日の夜、東京では、JOAKから、実に意外な臨時ニュースの放送があった。


   警戒管制(けいかいかんせい)出(い)ず!


 JOAKのある愛宕山(あたごやま)は、東京の中心、丸の内を、僅かに南に寄ったところに在(あ)った。それは山というほど高いものではない。下から石段を登ってゆくと、ザッと百段目ぐらいを数える頃、山頂(さんちょう)の愛宕神社の前に着くのだった。毬栗(まりぐり)を半分に切って、ソッと東京市の上に置いたような此の愛宕山の頂(いただ)きは平(たい)らかで、公園ベンチがあちこちに並び、そこからは、東京全市はもちろんのこと、お天気のよい日には肉眼ででも、房総半島(ぼうそうはんとう)がハッキリ見えた。「五分間十銭」の木札をぶらさげた貸し望遠鏡には、いつもなら東京見物の衆が、おかしな腰付で噛(かじ)りついていた筈だった。しかし、今日ばかりは、そんな長閑(のどか)な光景は見えず、貸し望遠鏡はどこかへ姿を隠し、その位置には代りあって、精巧を誇る測高器(そっこうき)と対空射撃算定器(たいくうしゃげきさんていき)とが、がっしりした三脚(さんきゃく)の上に支(ささ)えられ、それからやや距(へだ)ったところには、巨大な高射砲が金網(かなあみ)を被(かぶ)り、夕暗が次第に濃くなってくる帝都の空の一角を睨(にら)んでいた。
「少尉殿」突然叫んだのは算定器の照準手(しょうじゅんしゅ)である飯坂(いいさか)上等兵だった。
「友軍の機影観測が困難になりましたッ」
「うむ」
 高射砲隊長の東山少尉は、頤紐(あごひも)のかかった面(おもて)をあげて、丁度(ちょうど)その時刻、帝都防護飛行隊が巡邏(じゅんら)している筈の品川上空を注視したが、その方向には、いたずらに霧とも煙ともわからないものが濃く垂(た)れ籠(こ)めていて、無論飛行機は見えなかった。
「それでは、観測やめィ」
 照準手と、測合手(そくごうしゅ)とは、対眼鏡(アイピース)から、始めて眼を離した。網膜(もうまく)の底には、赤く〇(ゼロ)と書かれた目盛が、いつまでも消えなかった。少尉はスタスタと、社殿(しゃでん)の脇(わき)へ入って行った。その背後(うしろ)に大喇叭(おおラッパ)を束(たば)にして、天に向けたような聴音器が据えつけられていたのだった。夜に入ると、この聴音器だけが、飛行機の在処(ありか)を云いあてた。
「J、O、A、K!」
 神社の隣りに聳(そび)え立った、JOAKの空中線鉄塔のあたりから、アナウンサーの声が大きく響いた。
 弾薬函(だんやくばこ)の傍(そば)に跼(うずくま)っている兵士の群は、声のする鉄塔を見上げた。鉄塔を五メートルばかり登ったところに、真黒な函みたいなものがあるのが、薄明りのうちに認められたが、あれが、声の出てくる高声器なんだろうと思った。
 本物の杉内アナウンサーは、鉄塔の向うに見える厳(おごそ)かなJOAKビルの中にいた。スタディオの、黄色い灯(ひ)洩(も)れる窓を通して、彼氏(かれし)の短く苅りこんだ頭が見えていた。
「唯今から午後六時の子供さんのお時間でございますが……」
 と云ったは云ったが、流石(さすが)に老練なアナウンサーも、これから放送しようとする事項の重大性を考えて、そこでゴクリと唾(つばき)を嚥(の)みこんだ。
「……エエ、当放送局は、時局切迫のため、陸軍省令第五七〇九号によりましてこの時間から、東京警備司令部の手に移ることとなりました。随(したが)って既に発表しましたプログラムは、すべて中止となりましたので、あしからず御承知を願います。それでは唯今より、東京警備司令官別府(べっぷ)大将の布告(ふこく)がございます」
 杉内アナウンサーは、マイクロフォンの前で、恭々(うやうや)しく一礼をして下った。すると反対の側から、年の頃は六十路(むそじ)を二つ三つ越えたと思われる半白の口髭(くちひげ)と頤髯(あごひげ)、凛々(りり)しい将軍が、六尺豊かの長身を、静かにマイクロフォンに近づけた。
「東京及び東京地方に居住する帝国臣民諸君」将軍の声は泰山(たいざん)の如くに落付いていた。「本職は東京警備司令官の職権をもって広く諸君に一言(げん)せんとするものである。吾が帝国は、曩(さき)は北米(ほくべい)合衆国に対して宣戦を布告し、吾が陸海軍は東に於て太平洋に戦機を窺(うかが)い、西に於ては上海(シャンハイ)、比律賓(フィッリピン)を攻略中であるが、従来の日清(にっしん)、日露(にちろ)、日独(にちどく)、或いは近く昭和六七年に勃発せる満洲、上海事変に於ては、戦闘区域は外国内に限られ、吾が日本領土内には敵の一兵(いっぺい)も侵入することを許さなかったのである。然(しか)るに、今次の日米戦役(にちべいせんえき)に於ては、全く事情を異にして戦闘区域は国外に限定を許されず、吾が植民地は勿論、東京大阪等の内地まで、戦闘区域とするの已(や)むなきに立至った。これは諸君に於て既に御承知の如く、主として航空機による攻撃力が増大したる結果である。当局は、敵国航空機の日本本土侵略に対し、充分なる準備と重大なる覚悟とを有するものであるが、元来航空機の侵入を百パーセントに阻止(そし)することは、理窟上不可能と証明せられていることであるからして、敵機の完全なる撃退は保証しがたい。故(ゆえ)に本職は、各人が此辺の事情を理解し、指揮者の命に随(したが)い、官民一体となって此の重大事に善処せんことを望むものである。吾が国の家屋は火災に弱く、敵機の爆撃によって相当の被害あるべく、又非常時に際して種々の流言蜚語(りゅうげんひご)あらんも、国民は始終冷静に適宜(てきぎ)の行動をとることによりて其の被害程度を縮少し、空襲怖(おそ)るるに足らずとの自信を持ち得るものと確信する。徒(いたず)らなる狼狽(ろうばい)は、国難をして遂に収拾(しゅうしゅう)すべからざる状態に導くものである。皇国(こうこく)の興廃(こうはい)は諸君の双肩(そうけん)に懸(かか)れり、それ奮闘努力せよ。右布告す。昭和十×年五月十日。東京警備司令官陸軍大将別府九州造(くすぞう)」
 JOAKが聞える五十キロの範囲の住民たちは、この布告を聴くと、老いたるも若きも、共にサッと顔色を変えた。
 夕闇深い帝都の空の下には、異常なる光景が出現した。
 ラジオの高声器のある戸毎家毎には、近隣の者や、見も知らぬ通行人までが、飛びこんで来て、警備司令部の放送がこれから如何になりゆくかについて、耳を聳(そばだ)てるのだった。
 街を疾駆(しっく)する洪水のような円タクの流れもハタと止り、運転手も客も、自動車を路傍(ろぼう)に捨てたまま、先を争うて高声器の前に突進した。
 電車も、軌道の上に停車したまま、明るい車内には人ッ子一人残っていなかった。
 高声器の近所で躁(さわ)ぐもの、喚(わめ)く者は、忽(たちま)ち群衆の手で、のされてしまった。
 トーキーをやっている映画館の或るものでは、即時映画を中止し、ラジオをトーキーの器械へ繋(つな)ぎ、応急放送を観客に送って、非常に感謝された。
 歌舞伎(かぶき)劇場では、演劇をやめ、あの大きな舞台の上に、道具方が自作した貧弱な受信機を、支配人が平身低頭(へいしんていとう)して借用したのを持ち出した。血の気の多い観客さえ、石のように黙りこくってその聴きづらい高声器の音に耳を澄したのだった。
「別府閣下の布告は終りました」杉内アナウンサーは、幾分上り気味だった。「次は塩原参謀より東京警報があります」
「東京警備一般警報第一号、発声者は東京警備参謀塩原大尉!」キビキビした参謀の声が聴えた。
 帝都二百万の住民は、この一語も、聞き洩(もら)すまいと、呼吸(いき)を詰めた。
「信ずべき筋によれば」参謀の声は、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)たるものがあった。「比律賓(フィリッピン)第四飛行聯隊の主力は、オロンガボオ軍港を脱出し、中華民国浙江省(せっこうしょう)西湖(せいこ)に集結せるものの如く、而(しか)して此後(このご)の行動は、数日後を期して、大阪若(もしく)は東京方面を襲撃せんとするものと信ぜらる。因(ちなみ)に、該主力(がいしゅりょく)は、百十人乗の爆撃飛行艇三台、攻撃機十五台、偵察機三十台、戦闘機三十台及び空中給油機六台より編成せられ、根拠地西湖(せいこ)と大阪との距離は千五百キロ、東京との距離は二千キロである。終り」
 参謀が発表した驚くべき空中襲撃の警報は、帝都全市民にとって、僧侶(そうりょ)がわたす引導(いんどう)にひとしかった。高声器の前に鼻を並べた誰も彼もは、お互に顔を見合わせ、同じように大きな溜息(ためいき)をついたのだった。
 ああ、敵機の空中襲撃!
 いよいよ帝都の上空に、米国空軍の姿が現れるのだ。
 あの碧(あお)い眼玉をした赤鬼たちが、吾等の愛すべき家族を覘(ねら)って爆弾を投じ、焼夷弾(しょういだん)で灼きひろげ、毒瓦斯(どくガス)で呼吸(いき)の根を停めようとするのだ。
「いよいよ来るねッ」丸の内の会社から退けて、郊外中野へ帰ってゆく若い勤人(つとめにん)が、一緒に高声器の前に駆けこんだ僚友(りょうゆう)に呼びかけた。
「うん」その友人は、鼻の頭に、膏汗(あぶらあせ)を滲(にじ)ませていた。「警備司令部なんてのが有るのは、始めて知ったよ。驚いたネ」
「一般警報だというが、敵機の在処(ありか)や、台数など、莫迦(ばか)に詳(くわ)しすぎるじゃないか。民衆には、敵機襲来すべしとだけアナウンスする方が、無難ではないかしら」
「いや、そうじゃないよ」彼は自由にならぬ顔を強(し)いて振った。「敵機が爆弾を落として見ろ、この東京なんざ、震災当時のような混乱に陥(おちい)ることは請合(うけあ)いだよ。流言は今でも盛んだ。非常時には更に輪をかけて甚だしくなるよ。その流言を止めるには、戦闘の内容を或る程度まで詳しく、軍部が発表して、市民に戦況を理解させて置かにゃいかん。正しい理解は、混乱を救う唯一(ゆいつ)の手だ」
「それもそうだが……」と、何か云おうとしたときに、ラジオがまた鳴り出した。
「叱(し)ッ、叱ッ」
 ざわめいていた群衆は、再び静粛(せいしゅく)に還った。彼等は、耳慣れない陸軍将校の言葉に、やや頭痛を覚えるのだった。
「東京警備一般警報第二号!」先刻(さき)ほどの将校の声がした。「発声者は東京警備参謀塩原大尉。唯今より以降(いこう)、東京地方一円は、警戒管制を実施すべし。東京警備司令官陸軍大将別府九州造。終り」
 警戒管制に入る!
 おお、これは此の前に東京全市で行われたあの防空演習ではないのだ。この警戒管制には、市民の生命が、丁(ちょう)か半(はん)かの賽(さい)ころの目に懸けられているのだ!
 警戒管制が敷かれると、訓練された在郷軍人会(ざいごうぐんじんかい)、青年団、ボーイ・スカウトは、直(ただ)ちに出動した。
 一番目覚ましい飛躍(ひやく)を伝えられたのは、矢張(やは)り、光の世界と称(よ)ばれている東京は下町の、浅草(あさくさ)区だったという。
「おい素六(そろく)、どこへ行く?」
 店の前まで来たときに、花川戸(はなかわど)の鼻緒問屋(はなおどんや)の主人下田長造(しもだちょうぞう)は遽(あわ)てて駈けだす三男の素六を認めたので、イキナリ声をかけたのだった。
「あ、お父さん」ボーイ・スカウトの服装に身を固めた素六は、緊張の面(おもて)を輝(かがや)かせて、立止(たちどま)った。「いよいよ警戒管制が出ましたから、僕働いてきます!」
「なに、警戒管制!」長造は目をパチクリとした。「警戒管制てなんだい」
「いやだなア、お父さんは」少年は体をくの字に曲げて慨歎(がいたん)したのだった。「警戒管制てのは、敵の飛行機が東京の上空にやって来て、街の明るい電灯を見ると、ははァ此の下が東京市だなと知るでしょう。そこで爆弾をボンボンおっことすから、大変なことに、なっちゃう。だから空襲のときには、電灯をすっかり消して、山だか海だか、判らないようにして置くことが大切でしょう」
「そんなことァ知ってるよ」長造は、顔を膨(ふく)らましてみせた。
「皆で、電灯のスイッチをパチンとひねれば、いいじゃないか」
「だけど、スイッチを誰がひねるか判っていないのですよ。電柱についている電灯だとか、お蕎麦(そば)やさんの看板灯(かんばんび)なんかは、よく忘れるんですよ。ですから、警戒管制になると空から見える灯火(ともしび)は、いつでも命令あり次第に、手早く消せるように用意をして置くんです。あっても、なくてもいいような電灯は、前から消して置く。これが警戒管制です。僕、受持は、水の公園と、あの並び一町ほどの民家(みんか)なんです」
「民家!」長造はニヤニヤ笑い出した。「生意気な言葉を知ってるネ。じゃ、行っといで。遊びじゃないんだから、乱暴したり、無理をしちゃ、駄目だよ」
「うん、大丈夫!」
 少年は、ニッと笑うと、そのまま脱兎(だっと)の如く駈け出して行った。
 長造が店頭(てんとう)を入ると、そこにはお妻(つま)が、伸びあがって、往来を眺めていた。
「おや、おかえりなさい」
「うん」
「外は大変らしいのね」
「そうよ、お前」長造は、ふりかえって店の前を眺めたが、警戒場所に急ぐらしい若人(わこうど)の姿を、幾人も認めた。
「なんしろ、警戒管制になったんだもの」
「警戒管制では、まだ電灯を消さなくていいのでしょうか」
 お妻が訊(き)いた。
「そりゃ、ソノお前、警戒管制という奴は、だッ……」
 そこへバラバラと少年が駈けこんできた。
「警戒管制ですから、不用の電灯は消して置いて下さい。この門灯は直ぐ消えるようになっていますかッ」
「ええ、直ぐ消えるように、なってますよ。おや、波二(なみじ)さんじゃないの」
「ああ、下田(しもだ)のおばさんの家だったネ」波二と呼ばれた少年は、鳥渡(ちょっと)顔を赤くした。「こっちから見ると、電灯の影で判らなかった」
「あら、そう。御苦労さまだわネ。うちの素六もさっきに出掛けましたよ」
「僕も一生懸命、やっているんですよ、おばさん。この前の演習のときと違って、しっかりした大人は大抵(たいてい)出征(しゅっせい)しているんで手が足りないの」
「貴方の家の兄(あん)ちゃんも、出征なすったんだってネ」
「兄さんは立川の飛行聯隊へ召集(しょうしゅう)されて行ったんだけれど、どうしているのかなア、その後なんとも云って来ないんです」
「心配しないで、観音(かんのん)さまへ、お願い申しときなさい。きっと守って下さるから……」
 お妻も、同じような思いだった。二男の清二が潜水艦に乗組んで演習に出たきり、消息の知れないこと、もう四十日に近い。彼女は、母の慈愛(じあい)をもって、幼時から信仰を捧げている浅草の観世音(かんぜおん)の前に、毎朝毎夕ひそかに額(ぬかず)き、おのれの寿命を縮めても、愛児の武運を守らせ給えと、念じているのだった。
「誰の家も、同じようなことがあるんだネ」波二少年は暗い顔を、強(し)いてふり払うように云った。「ンじゃ、僕もしっかり働きます、さようなら、おばさん」
「ああ、いってらっしゃい。波二さんも、気をつけてネ……」
 少年は、高いところに点(つ)いている電灯の電球(たま)を、ねじって消すために、長い竿竹(さおだけ)の尖端(せんたん)を、五つほどに割って、繃帯(ほうたい)で止めてある長道具(ながどうぐ)を担ぐと、急いで駈け出していった。
「あれは、何処(どこ)の子だい」長造が訊いた。
「あれは、ほら」お妻は首をふって思い出そうと努力した。「亀さんちの、区役所の用務員さんで、そうそう、浅川亀之助(あさかわかめのすけ)という名前だった、あの亀さんの末(すえ)ッ子ですよ」
「おォ、おォ、亀之助ンとこの子供かい。どうりで見覚(みおぼ)えがあると思った。暫く見ないうちに大きくなったもんだネ」
「あの惣領息子(そうりょうむすこ)が、岸一(きしいち)さんといって、社会局の事務員をしていたのが、いまの話では、立川飛行聯隊へ召集されたんですって」
「ふン、ふン、岸ちゃんてのは知っているよ。よく妹なんか連れて、うちの清二のところへ遊びに来たっけが、もうそうなるかなア」
 そこへまた、ノコノコと入って来た人影があった。それは、古くから浅草郵便局の集配人をやっている川瀬郵吉(かわせゆうきち)だった。
「下田さん、書留ですよ」
「おう、郵どん、御苦労だな」長造が、古い馴染(なじみ)の集配人を労(ねぎら)った。「判子(はんこ)を、ちょいと、出しとくれ」
「あい」お妻は、奥へ認印(みとめいん)をとりに行った。
「旦那」郵吉は、大きい鞄の中から、出しにくそうに、白い角封筒を取り出した。「海軍省からの、でございますよ」
「なに、海軍省から!」
 長造の顔は、サッと青ざめた。
「うむ」
 彼は封筒の頭を截(き)ると、一葉(いちよう)の海軍罫紙(けいし)をひっぱり出した。長造の眼は、釘づけにでもされたように、その紙面の一点に止っていたが、軈(やが)てしずかに両眼は閉じられた。その合わせ目から、透明な水球(みずたま)がプツンと躍りだしたかと思うと、ポロリポロリと足許(あしもと)へ転落していった。
 その紙面には、次のような文句があった。

 戦死認定通知。
  潜水艦伊号一〇一乗組(のりくみ)
       海軍一等機関兵 下田清二
右は去る五月十日午後四時頃、北米合衆国(ほくべいがっしゅうこく)メーヤアイランド軍港附近に於て、爆雷(ばくらい)を受け大破損(だいはそん)の後(のち)、行方不明となりたる乗組艦と、運命を共にしたるものと信ぜらる。よりて茲(ここ)に本官は戦死認定通知書を送付(そうふ)し、その忠烈(ちゅうれつ)に対し深厚(しんこう)なる敬意を表(ひょう)するものなり。
昭和十×年五月十三日
     聯合艦隊司令長官
海軍大将男爵 大鳴門正彦
(とうとう、清二は殺(や)られたか!)
「旦那」郵吉が、おずおずと声を出した。「もしや、悪い報(しら)せでも……」
 郵吉は、陸海軍から出した戦死通知を、何十通となく、区内に配達してあるいた経験から、充分それと承知をしているのだったが……。
「なァに――」
 長造は、何も知らぬお妻が、奥から印鑑(いんかん)をもって来るのを見ると、グッと唇を噛んで堪(こら)えた。
「大したことじゃないよ。郵どん」
「……」郵どんは、長造の胸の中を察しやって、無言で頭を下げた。そして配達証に判を貰うと逃げるように、店先を出ていった。
「あなた――」その場の様子に、早くも気付いたお内儀(かみ)は、恐ろしそうに、やっと夫の名を呼んだだけだった。
「おお、お妻、一緒に、奥へ来な」
 長造は、スタスタ奥の間へ入っていった。
 店の前の、警戒管制で暗くなった路面を、一隊の青年団員が、喇叭を吹き吹き、通りすぎた。


   空襲警報(くうしゅうけいほう)!


 時刻は、時計の外に、一向判らぬ地下室のことであった。それは相当に規模の大きい地下室だった。天井は、あまり高くないけれど、この部屋の面積は四十畳ぐらいもあった。そして、この室(しつ)を中心として、隣りから隣りへと、それよりやや小さい室が、まるで墜道(トンネル)のように拡がっているのだった。
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