省線電車の射撃手
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著者名:海野十三 

 笹木光吉は不貞不貞(ふてぶて)しく無言だった。大江山警部はこの場の有様と、帆村探偵の結論が大分喰いちがっているのを不審(ふしん)がる様子でチラリと帆村探偵の顔色を窺(うかが)った。
「そのピストルは犯人が直接に用いたピストルと違っています」帆村はピストルを調べたのち静かに言った。
「溝跡(みぞあと)までが同じであるのに、違うというんですか」警部は、すこし冷笑を浮べて云った。
「そうです」帆村はキッパリ答えた。「これも犯人のトリックです。犯人はピストルの弾丸(だんがん)には人間で言えば指紋のようにピストル独特の溝跡(こうせき)がつくこと位よく知っていたのです。彼はそこをごまかすために、多田さんが唯今お持ちになったピストルを、軟(やわらか)い地面に向けて射った後、土地を掘りかえして弾丸(だんがん)を掘りだしたんです。犯人は、こうしてピストル特有の溝跡がついた弾丸を、又別に持っている無螺旋(むらせん)のピストル、それは多分、上等の玩具(がんぐ)ピストルを改造したんだろうと思われますが、その別なピストルに入れて、省線電車の中に持ちこんだんです。よく調べてごらんなさい。屍体(したい)の中から抜きとった弾丸には、薬莢にとめるときについた鍵裂(かぎさけ)の傷がついています」
 大江山警部は、この執念ぶかい犯人のトリックに、唯々(ただただ)呆(あき)れるばかりだった。
「すると真犯人は玩具ピストルに、この弾丸(たま)を籠(こ)めたのを持っているんですな。笹木君は犯人ではないのですか」
「笹木君ではありません」と帆村が言下(げんか)に答えた。
「では犯人の名は……」
 その瞬間だった。
「ガチャリッ」と硝子(ガラス)の破れる音が隣室(りんしつ)ですると、屋根から窓下にガラガラッと大きな物音をさせて墜落(ついらく)したものがある。ソレッというので一同は扉(ドア)を押し開いて隣室に飛びこんだ。
「呀(あ)ッ」
 一同はその場に立ちすくんだ。
 真正面の大きい窓硝子が滅茶滅茶(めちゃめちゃ)に壊(こわ)れて、ポッカリ異様な大孔(おおあな)が出来、鉄格子(てつごうし)が肋骨(ろっこつ)のように露出していた。その窓の下に寝台があって、その上に寝ているのは重症の赤星龍子だった。ああしかし無惨(むざん)なことに、龍子の胸から下を蔽(おお)った白い病衣のその胸板(むないた)にあたる箇所には、蜂の巣のように孔があき、その底の方から静かに真紅な血潮(ちしお)が湧きだしてくるのだった。この場の光景は、何者かが窓外(そうがい)にしのびより、寝ている龍子に銃丸の雨を降らしたことを物語っていた。射ったのは誰だ。
「帆村さん、とうとう掴(つかま)えましたよ」
 格子(こうし)の外に近付いた人の顔がある。それは白い記者手帳を片手にもった東京××新聞の記者風間八十児(かざまやそじ)だった。その後には雁字搦(がんじがら)めに縛られた男が、大勢の刑事に守られて立っていた。
 それは捜査課長に馴染(なじみ)の深い探偵小説家を名乗る戸浪三四郎の憔悴(しょうすい)した姿だった。
「帆村さん。お駄賃(だちん)にちょっと返事をして下さい」と風間記者は鉛筆を舐(な)め舐(な)め格子の間から顔をあげた。
「真犯人(しんはんにん)戸浪三四郎は、目立たぬ爺(おやじ)に変装したり、美人に衆人(しゅうじん)の注意を集めその蔭にかくれて犯罪を重ねた、いいですね」
 帆村は軽くうなずいた。
「戸浪三四郎が目星をつけて置いた掩護物(えんごぶつ)は片方の耳の悪い美女赤星龍子だった。龍子の隣りに席をとった彼は消音ピストルを発射して巧みにごまかした。ところが龍子の聴力は余程(よほど)恢復(かいふく)していたので、とうとう龍子に犯行を感付かれた。そこで彼は殺意を生(しょう)じたが、マンマとやり損じた。いいですね、帆村さん。
 ええと、それから、龍子は重症だが、一命をとりとめると噂が耳に入ったので、戸浪三四郎は彼女の跡を追って伝研(でんけん)の病室へ忍び入り、機会を待った。チャンスが来た。寝ている龍子の心臓のあたりをポンポン打った。イヤ消音(しょうおん)ピストルだからプスプス射ったというんですね、そこを待ち構えていた刑事諸君の手でつかまっちまった。僕の手柄は手前味噌(てまえみそ)ですから書きません。無論(むろん)戸浪が犯行につかったインチキ・ピストルも発見せられた。いいですね、帆村さん。
 うまく龍子を射殺したと思ったのは戸浪の思いちがいだった。
 龍子は目黒駅に居るとき死んでいたのだった。生きているような噂が拡がったのは、犯人をおびき寄せるため帆村探偵の案出(あんしゅつ)した手だった。戸浪は、探偵小説家の名を汚(けが)し、彼の変態的な純情(?)に殉(じゅん)じた、とでも結んで置きますか、ねえ帆村さん」
 帆村は静かに笑った。「戸浪君は車内ではピストルをどこに隠してたか……」
「ああ、それを忘れちゃっちゃ、お手柄がなんにもならないな。エエと、戸浪はピストルの口を、上衣の右ポケットの底穴から覗(のぞ)かせて射ったため、僕の外には誰も気がつかなかった、というのはどうでしょう」




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