省線電車の射撃手
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著者名:海野十三 

     7


「大江山さん。手筈(てはず)はいいですか」
「すっかり貴方の仰有(おっしゃ)るとおり、やっといたです。帆村君」
 ここは伝研の病室だった。伝研の構内には、昼間でも狸(たぬき)が出るといわれる欝蒼(うっそう)たる大森林にとりまかれ、あちこちにポツンポツンと、ヒョロヒョロした建物が建っていた。今は、ましてや真夜中に近い時刻であるので、構内は湖の底に沈んだように静かで、霊魂(れいこん)のように夜気(やき)が窓硝子(まどガラス)を透(とお)して室内に浸(し)みこんでくるように思われた。
「では私の話をきいていただきましょう」帆村探偵はソッと別室の半(なかば)開かれた扉を窺(うかが)うようにしてから、おもむろに口を開いた。「射撃手事件は、並々の事件ではないのです。犯人は、飛行船を組立てるように、なにからなにまで周到(しゅうとう)の注意を払(はら)って事件を計画しました。そこにはうっかり通りかかるとひっかからずには居られない陥穽(かんせい)や、飛びこむと再び外へ出られないような泥沼(どろぬま)を用意して置いたのです。ひっかかったものが不運なんです。私も貴方(あなた)同様に手も足も出なくなるところでした、もし犯人が最後に演じた大きい失敗をのこして呉(く)れなかったら。
 第一から第三まで、三人の若い婦人の射殺は巧妙に遂(と)げられました。三人の射たれた箇所(かしょ)は、完全に一致しています。貴方は弾丸(たま)の飛来した方向を計算で出されたようですね。あれは大体事実と符合していますが、唯少し補正(ほせい)が必要なのです。それは、犯人が弾丸を車外から射ちこんだのではなくて、車内から射ったという点を補正すればよろしい」
「犯人は車内にいたというお考えですな」と警部は云って、首を肯(うなず)かせた。
「犯人は車外から射撃したと思わせるためにいろんな注意を払っています。弾丸が向いの窓を通ったと思わせるために、被害者の前面には必ず空席をちょっと明けて置きました。射殺地点の一致は、車外に正確な器械があるのだと思わせるに役立ちました。被害者が十字架と髑髏(どくろ)のついた標章(マーク)を持っているということは、車内にいる犯人が犯行の直後に自ら標章を被害者のポケットにねじこんだものと考えられるのを、逆に車外の器械の正確さに結びつけることによって考えをかき乱(みだ)しました。兎(と)に角(かく)、薬莢(やっきょう)を拾わせたり、時にはタイヤをパンクさせて擬音(ぎおん)を利用したり、うまくごまかしていましたが、最後に赤星龍子嬢の傷口(きずぐち)によって一切のインチキは曝露(ばくろ)しました。
 龍子嬢は車輌の後方の隅に身体をもたせていました。彼女が正確に正面に向いていたことは始終眼をはなさなかった多田刑事が保証しています。彼女の向いの座席の窓枠(まどわく)は、鋼鉄車(こうてつしゃ)のことですから向って左端(さたん)から測(はか)って十センチの幅(はば)の、内面に板を張った縦長(たてなが)の壁となりそれから右へ四角い窓が開いています。もし車外から彼女の心臓を射ったとすると、この窓枠の縁(ふち)をスレスレに弾丸が通るはずです(と、彼は紙に書いた電車の図面の上へ鉛筆でいろんな線をひっぱった)。

 しかしこれは電車が静止していたときの話で電車が若し五十キロの速度で左へ走っていたものとすると、弾丸が向いの窓をとおって被害者の胸に達するまではすこし時間がかかりますから、創口(きずぐち)はずっと右側へ寄り、恐らく右胸か又は右腕あたりに当ることになります。しかも赤星龍子嬢は心臓より反対に左によった箇所を真正面から打たれているのですから、これは弾丸が、鋼鉄板(こうてついた)を打ち破り尚(なお)も物凄い勢いをもって被害者の胸を刺すことにならねば出来ない相談です。無論、現場(げんじょう)をしらべてみると、鋼鉄板に孔(あな)があいているどころか、弾丸の当ったあともありません。明らかにこれは車内で弾丸を射った証拠(しょうこ)です。車内で射ったという條件がきまると問題は大変簡単になります。車外の出来ごとは悉(ことごと)く問題の外(ほか)に置いていいのです」
 そう云って帆村探偵はちょっと言葉をきった。
「なるほど面白い推理ですね」と大江山警部は大きく頭をふって云った。「すると犯人の名は……」
 と云いかけたところへ、けたたましい警笛(けいてき)の響(ひびき)がして、自動車が病舎の玄関まで来てピタリと止った様子だった。やがて廊下をパタパタと跫音がすると、病室の扉(ドア)にコトコトとノックがきこえた。帆村探偵が席を立って開けてみると、多田刑事が笹木光吉を連れて立っていた。
「課長どの、すっかり種をあげてきました」と多田は晴やかに笑顔を作った。「これです、消音式(しょうおんしき)で無発光のピストルなんです。笹木邸の大欅(おおけやき)の洞穴(ほらあな)に仕かけてあったんです」といって真黒な茶筒(ちゃづつ)のようなものを、ズシリと机の上に置いた。
 大江山警部が茶筒をあけてみると、内部には果して一挺(いっちょう)のピストルが入っていた。弾丸をぬき出してみると、確かに口径(こうけい)四・五センチだ。ピストルの内部を開いて螺旋溝(らせんこう)の寸法(ディメンション)を顕微鏡(けんびきょう)で測ってみると、兼(か)ねて押収して置いた被害者達の体内をくぐった弾丸の溝跡(こうせき)の寸法と完全に一致した。
「ではこのピストルは、笹木君のか」警部はきいた。
「私のでは御座(ござ)いません」
「いえ、課長どの。この男が赤星龍子に殺意を持っていたことは確かなんです。この手紙をみて下さい」そう云ってる多田は、龍子から笹木にあてた手紙の束(たば)をさし出した。それを読んでみると、このところ両人の関係が、非常に危怡(きたい)に瀕(ひん)しているのが、よく判った。
 笹木光吉は不貞不貞(ふてぶて)しく無言だった。大江山警部はこの場の有様と、帆村探偵の結論が大分喰いちがっているのを不審(ふしん)がる様子でチラリと帆村探偵の顔色を窺(うかが)った。
「そのピストルは犯人が直接に用いたピストルと違っています」帆村はピストルを調べたのち静かに言った。
「溝跡(みぞあと)までが同じであるのに、違うというんですか」警部は、すこし冷笑を浮べて云った。
「そうです」帆村はキッパリ答えた。「これも犯人のトリックです。犯人はピストルの弾丸(だんがん)には人間で言えば指紋のようにピストル独特の溝跡(こうせき)がつくこと位よく知っていたのです。彼はそこをごまかすために、多田さんが唯今お持ちになったピストルを、軟(やわらか)い地面に向けて射った後、土地を掘りかえして弾丸(だんがん)を掘りだしたんです。犯人は、こうしてピストル特有の溝跡がついた弾丸を、又別に持っている無螺旋(むらせん)のピストル、それは多分、上等の玩具(がんぐ)ピストルを改造したんだろうと思われますが、その別なピストルに入れて、省線電車の中に持ちこんだんです。よく調べてごらんなさい。屍体(したい)の中から抜きとった弾丸には、薬莢にとめるときについた鍵裂(かぎさけ)の傷がついています」
 大江山警部は、この執念ぶかい犯人のトリックに、唯々(ただただ)呆(あき)れるばかりだった。
「すると真犯人は玩具ピストルに、この弾丸(たま)を籠(こ)めたのを持っているんですな。笹木君は犯人ではないのですか」
「笹木君ではありません」と帆村が言下(げんか)に答えた。
「では犯人の名は……」
 その瞬間だった。
「ガチャリッ」と硝子(ガラス)の破れる音が隣室(りんしつ)ですると、屋根から窓下にガラガラッと大きな物音をさせて墜落(ついらく)したものがある。ソレッというので一同は扉(ドア)を押し開いて隣室に飛びこんだ。
「呀(あ)ッ」
 一同はその場に立ちすくんだ。
 真正面の大きい窓硝子が滅茶滅茶(めちゃめちゃ)に壊(こわ)れて、ポッカリ異様な大孔(おおあな)が出来、鉄格子(てつごうし)が肋骨(ろっこつ)のように露出していた。その窓の下に寝台があって、その上に寝ているのは重症の赤星龍子だった。ああしかし無惨(むざん)なことに、龍子の胸から下を蔽(おお)った白い病衣のその胸板(むないた)にあたる箇所には、蜂の巣のように孔があき、その底の方から静かに真紅な血潮(ちしお)が湧きだしてくるのだった。この場の光景は、何者かが窓外(そうがい)にしのびより、寝ている龍子に銃丸の雨を降らしたことを物語っていた。射ったのは誰だ。
「帆村さん、とうとう掴(つかま)えましたよ」
 格子(こうし)の外に近付いた人の顔がある。それは白い記者手帳を片手にもった東京××新聞の記者風間八十児(かざまやそじ)だった。その後には雁字搦(がんじがら)めに縛られた男が、大勢の刑事に守られて立っていた。
 それは捜査課長に馴染(なじみ)の深い探偵小説家を名乗る戸浪三四郎の憔悴(しょうすい)した姿だった。
「帆村さん。お駄賃(だちん)にちょっと返事をして下さい」と風間記者は鉛筆を舐(な)め舐(な)め格子の間から顔をあげた。
「真犯人(しんはんにん)戸浪三四郎は、目立たぬ爺(おやじ)に変装したり、美人に衆人(しゅうじん)の注意を集めその蔭にかくれて犯罪を重ねた、いいですね」
 帆村は軽くうなずいた。
「戸浪三四郎が目星をつけて置いた掩護物(えんごぶつ)は片方の耳の悪い美女赤星龍子だった。龍子の隣りに席をとった彼は消音ピストルを発射して巧みにごまかした。ところが龍子の聴力は余程(よほど)恢復(かいふく)していたので、とうとう龍子に犯行を感付かれた。そこで彼は殺意を生(しょう)じたが、マンマとやり損じた。いいですね、帆村さん。
 ええと、それから、龍子は重症だが、一命をとりとめると噂が耳に入ったので、戸浪三四郎は彼女の跡を追って伝研(でんけん)の病室へ忍び入り、機会を待った。チャンスが来た。寝ている龍子の心臓のあたりをポンポン打った。イヤ消音(しょうおん)ピストルだからプスプス射ったというんですね、そこを待ち構えていた刑事諸君の手でつかまっちまった。僕の手柄は手前味噌(てまえみそ)ですから書きません。無論(むろん)戸浪が犯行につかったインチキ・ピストルも発見せられた。いいですね、帆村さん。
 うまく龍子を射殺したと思ったのは戸浪の思いちがいだった。
 龍子は目黒駅に居るとき死んでいたのだった。生きているような噂が拡がったのは、犯人をおびき寄せるため帆村探偵の案出(あんしゅつ)した手だった。戸浪は、探偵小説家の名を汚(けが)し、彼の変態的な純情(?)に殉(じゅん)じた、とでも結んで置きますか、ねえ帆村さん」
 帆村は静かに笑った。「戸浪君は車内ではピストルをどこに隠してたか……」
「ああ、それを忘れちゃっちゃ、お手柄がなんにもならないな。エエと、戸浪はピストルの口を、上衣の右ポケットの底穴から覗(のぞ)かせて射ったため、僕の外には誰も気がつかなかった、というのはどうでしょう」




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