新生
是非お友達にも!
◇暇つぶし何某◇

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著者名:島崎藤村 

[#改丁、ページの左右中央]



    序の章



[#改ページ]



        一

「岸本君――僕は僕の近来の生活と思想の断片を君に書いて送ろうと思う。然(しか)し実を言えば何も書く材料は無いのである。黙していて済むことである。君と僕との交誼(まじわり)が深ければ深いほど、黙していた方が順当なのであろう。旧(ふる)い家を去って新しい家に移った僕は懶惰(らんだ)に費す日の多くなったのをよろこぶぐらいなものである。僕には働くということが出来ない。他人の意志の下に働くということは無論どうあっても出来ない。そんなら自分の意志の鞭(むち)を背にうけて、厳粛な人生の途(みち)に上るかというに、それも出来ない。今までに一つとして纏(まとま)った仕事をして来なかったのが何よりの証拠である。空と雲と大地とは一日眺(なが)めくらしても飽くことを知らないが、半日の読書は僕を倦(う)ましめることが多い。新しい家に移ってからは、空地に好める樹木を栽(う)えたり、ほんの慰み半分に畑をいじったりするぐらいの仕事しかしないのである。そして僅(わず)かに発芽する蔬菜(そさい)のたぐいを順次に生に忠実な虫に供養するまでである。勿論(もちろん)厨房(ちゅうぼう)の助に成ろう筈(はず)はない。こんな有様であるから田園生活なんどは毛頭(もうとう)思いも寄らぬことである。僕の生活は相変らず空(くう)な生活で始終している。そして当然僕の生涯の絃(げん)の上には倦怠(けんたい)と懶惰が灰色の手を置いているのである。考えて見れば、これが生の充実という現代の金口(きんく)に何等(なんら)の信仰をも持たぬ人間の必定(ひつじょう)堕(お)ちて行く羽目(はめ)であろう。それならそれを悔むかというに、僕にはそれすら出来ない。何故かというに僕の肉体には本能的な生の衝動が極(きわ)めて微弱になって了(しま)ったからである。永遠に堕ちて行くのは無為の陥穽(かんせい)である。然しながら無為の陥穽にはまった人間にもなお一つ残されたる信仰がある。二千年も三千年も言い古した、哲理の発端で総合である無常――僕は僕の生気の失せた肉体を通して、この無常の鐘の音を今更ながらしみじみと聴き惚(ほ)るることがある。これが僕のこのごろの生活の根調である……」
 郊外の中野の方に住む友人の手紙が岸本の前に披(ひろ)げてあった。
 これは数月前に岸本の貰(もら)った手紙だ。それを彼は取出して来て、読返して見た。若かった頃は彼も友人に宛(あ)てて随分長い手紙を書き、また友人の方からも貰いもしたものであったが、次第に書きかわす文通もほんの用事だけの短いものと成って行った。それも葉書で済ませる場合にはなるべく簡単に。それだけ書くべき手紙の数が一方には増(ふ)えて来た。一日かかって何通となく書くことはめずらしくない。その意味から言えば、彼の前に披げてあったものは、めったに友人から貰うことの出来る手紙でもなかった。手紙の形式をかりて書いて寄(よこ)してくれた手紙でない手紙だ。読んで行くうちに、彼は何よりも先(ま)ず人生の半ばに行き着いた人一人としての友人の生活のすがたに、その告白に、ひどく胸を打たれた。ある夕方が来て見ると、あだかも彼方(あっち)の木に集り是方(こっち)の木に集りして飛び騒いでいた小鳥の群が、一羽黙り、二羽黙り、がやがやとした楽しい鳴声が何時(いつ)の間にか沈まって行ったように、丁度そうした夕方が岸本の周囲へも来た。中にも、この手紙をくれた友人が中野の方へ新しい家を造って引移ってからというものは、ずっと声を潜めてしまった。ほんとに黙ってしまった。
 読みかけた手紙を前に置いて、岸本は十四五年このかた変ることのない敬愛の情を寄せたこの友人に自分の生涯を比べて見た。

        二

 岸本は更に読みつづけた。
「……郊外に居を移してから僕の宗教的情調は稍(やや)深くなって来た。僕の仏教は勿論僕の身体を薫染(くんせん)した仏教的気分に過ぎないのである。僕は涅槃(ねはん)に到達するよりも涅槃に迷いたい方である。幻の清浄を体得するよりも、寧(むし)ろ如幻(にょげん)の境に暫(しばら)く倦怠と懶惰の「我(が)」を寄せたいのである。睡(ねむ)っている中に不可思議な夢を感ずるように、倦怠と懶惰の生を神秘と歓喜の生に変えたいのである。無常の宗教から蠱惑(こわく)の芸術に行きたいのである……斯様(かよう)に懶惰な僕も郊外の冬が多少珍らしかったので、日記をつけて見た。去年の十一月四日初めて霜が降った。それから十一日には二度目の霜が降った。四度目の霜である十二月朔日(ついたち)は雪のようであった。そしてその七日八日九日は三朝続いたひどい霜で、八(や)ツ手(で)や、つわぶきの葉が萎(な)えた。その八日の朝初氷が張った。二十二日以後は完全な冬季の状態に移って、丹沢山塊から秩父(ちちぶ)連山にかけて雪の色を見る日が多くなった。風がまたひどく吹いた。然し概して言えば初冬の野の景色はしみじみと面白いものである。霜の色の蒼白(あおじろ)さは雪よりも滋(しげ)くて切ない趣がある。それとは反対に霜どけの土の色の深さは初夏の雨上りよりも快濶(かいかつ)である。またほろほろになった苔(こけ)が霜どけに潤って朝の日に照らさるる時、大地の色彩の美は殆(ほとん)ど頂点に達するのである。この時の苔の緑は如何(いか)なる種類の緑よりも鮮(あざや)かで生気がある。あだかも緑玉を砕いて棄(す)てたようである。またあだかも印象派の画布(カンバス)を見るようでもある。僕はわびしい冬の幻相の中で、こんな美しい緑に出会おうとも思いがけなかったのである。僕の魂も肉もかかる幻相の美に囚(とら)われている刹那(せつな)、如幻の生も楽しく、夢の浮世も宝玉のように愛惜せられるのである。然しながら自然の幻相は何等の努力の発現でないのと等しく、その幻相の完全な領略はまた何等の努力をも待たないものである。夢をして夢と過ぎしめよ……」
 芸術的生活と宗教的生活との融合を試みようとしているような中野の友人には、相応な資産と倹約な習慣とを遺(のこ)して置いて行った父親があって、この手紙にもよくあらわれている静寂な沈黙を味(あじわ)い得るほどの余裕というものが与えられていた。岸本にはそれが無かった。中野の友人には朝に晩にかしずく好い細君があった。岸本にはそれも無かった。彼の妻は七人目の女の児を産むと同時に産後の激しい出血で亡(な)くなった。
 山を下りて都会に暮すように成ってから岸本には七年の月日が経(た)った。その間、不思議なくらい親しいものの死が続いた。彼の長女の死。次女の死。三女の死。妻の死。つづいて愛する甥(おい)の死。彼のたましいは揺(ゆすぶ)られ通しに揺られた。ずっと以前に岸本もまだ若く友人も皆な若かった頃に、彼には青木という友人があったが、青木は中野の友人なぞを知らないで早く亡くなった。あの青木の亡くなった年から数えると、岸本は十七年も余計に生き延びた。そして彼の近い周囲にあったもので、滅びるものは滅びて行ってしまい、次第に独(ひと)りぼっちの身と成って行った。

        三

 まだ新しい記憶として岸本の胸に上って来る一つの光景があった。続きに続いた親しいものの死から散々に脅(おびやか)された彼は復(ま)たしてもその光景によって否応(いやおう)なしに見せつけられたと思うものがあった。それは会葬者の一人として麹町(こうじまち)の見附内(みつけうち)にある教会堂に行われた弔いの儀式に列(つらな)った時のことだ。黒い布をかけ、二つの花輪を飾った寝棺が説教台の下に置いてあった。その中には岸本の旧い学友で、耶蘇(やそ)信徒で、二十一年ばかりも前に一緒に同じ学校を卒業した男の遺骸(いがい)が納めてあった。肺病で亡くなった学友を弔うための儀式は生前その人が来てよく腰掛けた教会堂の内で至極質素に行われた。やがて寝棺は中央の腰掛椅子の間を通り、壁に添うて教会堂の出入口の方へ運ばれて来た。亡くなった人のためには極く若い学生時代に教を説いて聞かせるからその日の弔いの説教までして面倒を見た牧師をはじめ、親戚(しんせき)友人などがその寝棺の前後左右を持ち支(ささ)えながら。
 岸本は灰色な壁のところに立って、その光景を眺(なが)めていた。その日は岸本の外に、足立(あだち)、菅(すげ)の二人も弔いにやって来ていた。三人とも亡くなった人の同窓の友だ。
「吾儕(われわれ)の仲間はこれだけかい」
 と菅は言って、同じ卒業生仲間を探(さが)すような眼付をした。
「誰かまだ見えそうなものだ」
 と足立も言った。
 会葬のために集まった人達は思い思いに散じつつあった。しばらく岸本は二人の学友と一緒に教会堂の内に残って、帰り行く信徒の群なぞを眺めて立っていた。そこへ来て親戚の代りとして挨拶(あいさつ)した年老いた人があった。三人とも世話になった以前の学校の幹事さんだ。
「可哀そうなことをしました」
 とその幹事さんが亡くなった学友のことを言った。
「子供は幾人(いくたり)あったんですか」
 と岸本が尋ねた。
「四人」
 と幹事さんは言って見せて、「後がすこし困るテ」という言葉を残しながら別れて行った。
 二人の学友と連立って岸本が帰りかけた頃は、会葬者は大抵出て行ってしまった。人気(ひとけ)の少い会堂の建物のみが残った。正面にある尖(とが)ったアーチ風の飾、高い壁、今が今まで花輪を飾った寝棺がその前に置かれてあった質素な説教台のみが残った。会葬者一同が立去った後の沢山並べてある長い腰掛椅子のみが残った。弔いの儀式のために特に用意したらしい説教台の横手にある大きな花瓶(かびん)と花と葉とのみが残った。そろそろ熱くなりかける時分のことで、教会堂風な窓々から明く射(さ)しこんで来る五月の日の光のみが残った。
 岸本は立去りがたい思をして、高い天井の下に映る日の光を眺めながら、つくづく生き残るものの悲哀(かなしみ)を覚えた。その悲哀を多くの親しい身内のものに死別れた後の底疲れに疲れて来た自分の身体で覚えた。
 足立や菅を見ると、若かった日の交遊が岸本の胸に浮んで来る。つづいてあの亡くなった青木のことなぞが聯想(れんそう)せられる。岸本と一緒にその教会堂の石階(いしだん)を降りた二人の学友は最早(もう)青木なぞの生きていた日のことを昔話にするような人達に成っていた。

        四

 それから岸本は二人の学友と一緒に見附を指(さ)して歩いた。久し振(ぶり)で足立の家の方へ誘われて行った。岸本を教会堂まで送って行った車夫は空車を引きながら、話し話し歩いて行く岸本の後へ随(つ)いて来た。
「何年振で会堂へ来て見たか」そんな話をして行くうちに、旧い見附跡に近い空地(あきち)のところへ出た。
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