新生
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著者名:島崎藤村 

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    序の章



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        一

「岸本君――僕は僕の近来の生活と思想の断片を君に書いて送ろうと思う。然(しか)し実を言えば何も書く材料は無いのである。黙していて済むことである。君と僕との交誼(まじわり)が深ければ深いほど、黙していた方が順当なのであろう。旧(ふる)い家を去って新しい家に移った僕は懶惰(らんだ)に費す日の多くなったのをよろこぶぐらいなものである。僕には働くということが出来ない。他人の意志の下に働くということは無論どうあっても出来ない。そんなら自分の意志の鞭(むち)を背にうけて、厳粛な人生の途(みち)に上るかというに、それも出来ない。今までに一つとして纏(まとま)った仕事をして来なかったのが何よりの証拠である。空と雲と大地とは一日眺(なが)めくらしても飽くことを知らないが、半日の読書は僕を倦(う)ましめることが多い。新しい家に移ってからは、空地に好める樹木を栽(う)えたり、ほんの慰み半分に畑をいじったりするぐらいの仕事しかしないのである。そして僅(わず)かに発芽する蔬菜(そさい)のたぐいを順次に生に忠実な虫に供養するまでである。勿論(もちろん)厨房(ちゅうぼう)の助に成ろう筈(はず)はない。こんな有様であるから田園生活なんどは毛頭(もうとう)思いも寄らぬことである。僕の生活は相変らず空(くう)な生活で始終している。そして当然僕の生涯の絃(げん)の上には倦怠(けんたい)と懶惰が灰色の手を置いているのである。考えて見れば、これが生の充実という現代の金口(きんく)に何等(なんら)の信仰をも持たぬ人間の必定(ひつじょう)堕(お)ちて行く羽目(はめ)であろう。それならそれを悔むかというに、僕にはそれすら出来ない。何故かというに僕の肉体には本能的な生の衝動が極(きわ)めて微弱になって了(しま)ったからである。永遠に堕ちて行くのは無為の陥穽(かんせい)である。然しながら無為の陥穽にはまった人間にもなお一つ残されたる信仰がある。二千年も三千年も言い古した、哲理の発端で総合である無常――僕は僕の生気の失せた肉体を通して、この無常の鐘の音を今更ながらしみじみと聴き惚(ほ)るることがある。これが僕のこのごろの生活の根調である……」
 郊外の中野の方に住む友人の手紙が岸本の前に披(ひろ)げてあった。
 これは数月前に岸本の貰(もら)った手紙だ。それを彼は取出して来て、読返して見た。若かった頃は彼も友人に宛(あ)てて随分長い手紙を書き、また友人の方からも貰いもしたものであったが、次第に書きかわす文通もほんの用事だけの短いものと成って行った。それも葉書で済ませる場合にはなるべく簡単に。それだけ書くべき手紙の数が一方には増(ふ)えて来た。一日かかって何通となく書くことはめずらしくない。その意味から言えば、彼の前に披げてあったものは、めったに友人から貰うことの出来る手紙でもなかった。手紙の形式をかりて書いて寄(よこ)してくれた手紙でない手紙だ。読んで行くうちに、彼は何よりも先(ま)ず人生の半ばに行き着いた人一人としての友人の生活のすがたに、その告白に、ひどく胸を打たれた。ある夕方が来て見ると、あだかも彼方(あっち)の木に集り是方(こっち)の木に集りして飛び騒いでいた小鳥の群が、一羽黙り、二羽黙り、がやがやとした楽しい鳴声が何時(いつ)の間にか沈まって行ったように、丁度そうした夕方が岸本の周囲へも来た。中にも、この手紙をくれた友人が中野の方へ新しい家を造って引移ってからというものは、ずっと声を潜めてしまった。ほんとに黙ってしまった。
 読みかけた手紙を前に置いて、岸本は十四五年このかた変ることのない敬愛の情を寄せたこの友人に自分の生涯を比べて見た。

        二

 岸本は更に読みつづけた。
「……郊外に居を移してから僕の宗教的情調は稍(やや)深くなって来た。僕の仏教は勿論僕の身体を薫染(くんせん)した仏教的気分に過ぎないのである。僕は涅槃(ねはん)に到達するよりも涅槃に迷いたい方である。幻の清浄を体得するよりも、寧(むし)ろ如幻(にょげん)の境に暫(しばら)く倦怠と懶惰の「我(が)」を寄せたいのである。睡(ねむ)っている中に不可思議な夢を感ずるように、倦怠と懶惰の生を神秘と歓喜の生に変えたいのである。無常の宗教から蠱惑(こわく)の芸術に行きたいのである……斯様(かよう)に懶惰な僕も郊外の冬が多少珍らしかったので、日記をつけて見た。去年の十一月四日初めて霜が降った。それから十一日には二度目の霜が降った。四度目の霜である十二月朔日(ついたち)は雪のようであった。そしてその七日八日九日は三朝続いたひどい霜で、八(や)ツ手(で)や、つわぶきの葉が萎(な)えた。その八日の朝初氷が張った。二十二日以後は完全な冬季の状態に移って、丹沢山塊から秩父(ちちぶ)連山にかけて雪の色を見る日が多くなった。風がまたひどく吹いた。然し概して言えば初冬の野の景色はしみじみと面白いものである。霜の色の蒼白(あおじろ)さは雪よりも滋(しげ)くて切ない趣がある。それとは反対に霜どけの土の色の深さは初夏の雨上りよりも快濶(かいかつ)である。またほろほろになった苔(こけ)が霜どけに潤って朝の日に照らさるる時、大地の色彩の美は殆(ほとん)ど頂点に達するのである。この時の苔の緑は如何(いか)なる種類の緑よりも鮮(あざや)かで生気がある。あだかも緑玉を砕いて棄(す)てたようである。またあだかも印象派の画布(カンバス)を見るようでもある。僕はわびしい冬の幻相の中で、こんな美しい緑に出会おうとも思いがけなかったのである。僕の魂も肉もかかる幻相の美に囚(とら)われている刹那(せつな)、如幻の生も楽しく、夢の浮世も宝玉のように愛惜せられるのである。然しながら自然の幻相は何等の努力の発現でないのと等しく、その幻相の完全な領略はまた何等の努力をも待たないものである。夢をして夢と過ぎしめよ……」
 芸術的生活と宗教的生活との融合を試みようとしているような中野の友人には、相応な資産と倹約な習慣とを遺(のこ)して置いて行った父親があって、この手紙にもよくあらわれている静寂な沈黙を味(あじわ)い得るほどの余裕というものが与えられていた。岸本にはそれが無かった。中野の友人には朝に晩にかしずく好い細君があった。岸本にはそれも無かった。彼の妻は七人目の女の児を産むと同時に産後の激しい出血で亡(な)くなった。
 山を下りて都会に暮すように成ってから岸本には七年の月日が経(た)った。その間、不思議なくらい親しいものの死が続いた。彼の長女の死。次女の死。三女の死。妻の死。つづいて愛する甥(おい)の死。彼のたましいは揺(ゆすぶ)られ通しに揺られた。ずっと以前に岸本もまだ若く友人も皆な若かった頃に、彼には青木という友人があったが、青木は中野の友人なぞを知らないで早く亡くなった。あの青木の亡くなった年から数えると、岸本は十七年も余計に生き延びた。そして彼の近い周囲にあったもので、滅びるものは滅びて行ってしまい、次第に独(ひと)りぼっちの身と成って行った。

        三

 まだ新しい記憶として岸本の胸に上って来る一つの光景があった。続きに続いた親しいものの死から散々に脅(おびやか)された彼は復(ま)たしてもその光景によって否応(いやおう)なしに見せつけられたと思うものがあった。それは会葬者の一人として麹町(こうじまち)の見附内(みつけうち)にある教会堂に行われた弔いの儀式に列(つらな)った時のことだ。黒い布をかけ、二つの花輪を飾った寝棺が説教台の下に置いてあった。その中には岸本の旧い学友で、耶蘇(やそ)信徒で、二十一年ばかりも前に一緒に同じ学校を卒業した男の遺骸(いがい)が納めてあった。肺病で亡くなった学友を弔うための儀式は生前その人が来てよく腰掛けた教会堂の内で至極質素に行われた。やがて寝棺は中央の腰掛椅子の間を通り、壁に添うて教会堂の出入口の方へ運ばれて来た。亡くなった人のためには極く若い学生時代に教を説いて聞かせるからその日の弔いの説教までして面倒を見た牧師をはじめ、親戚(しんせき)友人などがその寝棺の前後左右を持ち支(ささ)えながら。
 岸本は灰色な壁のところに立って、その光景を眺(なが)めていた。その日は岸本の外に、足立(あだち)、菅(すげ)の二人も弔いにやって来ていた。三人とも亡くなった人の同窓の友だ。
「吾儕(われわれ)の仲間はこれだけかい」
 と菅は言って、同じ卒業生仲間を探(さが)すような眼付をした。
「誰かまだ見えそうなものだ」
 と足立も言った。
 会葬のために集まった人達は思い思いに散じつつあった。しばらく岸本は二人の学友と一緒に教会堂の内に残って、帰り行く信徒の群なぞを眺めて立っていた。そこへ来て親戚の代りとして挨拶(あいさつ)した年老いた人があった。三人とも世話になった以前の学校の幹事さんだ。
「可哀そうなことをしました」
 とその幹事さんが亡くなった学友のことを言った。
「子供は幾人(いくたり)あったんですか」
 と岸本が尋ねた。
「四人」
 と幹事さんは言って見せて、「後がすこし困るテ」という言葉を残しながら別れて行った。
 二人の学友と連立って岸本が帰りかけた頃は、会葬者は大抵出て行ってしまった。人気(ひとけ)の少い会堂の建物のみが残った。正面にある尖(とが)ったアーチ風の飾、高い壁、今が今まで花輪を飾った寝棺がその前に置かれてあった質素な説教台のみが残った。会葬者一同が立去った後の沢山並べてある長い腰掛椅子のみが残った。弔いの儀式のために特に用意したらしい説教台の横手にある大きな花瓶(かびん)と花と葉とのみが残った。そろそろ熱くなりかける時分のことで、教会堂風な窓々から明く射(さ)しこんで来る五月の日の光のみが残った。
 岸本は立去りがたい思をして、高い天井の下に映る日の光を眺めながら、つくづく生き残るものの悲哀(かなしみ)を覚えた。その悲哀を多くの親しい身内のものに死別れた後の底疲れに疲れて来た自分の身体で覚えた。
 足立や菅を見ると、若かった日の交遊が岸本の胸に浮んで来る。つづいてあの亡くなった青木のことなぞが聯想(れんそう)せられる。岸本と一緒にその教会堂の石階(いしだん)を降りた二人の学友は最早(もう)青木なぞの生きていた日のことを昔話にするような人達に成っていた。

        四

 それから岸本は二人の学友と一緒に見附を指(さ)して歩いた。久し振(ぶり)で足立の家の方へ誘われて行った。岸本を教会堂まで送って行った車夫は空車を引きながら、話し話し歩いて行く岸本の後へ随(つ)いて来た。
「何年振で会堂へ来て見たか」そんな話をして行くうちに、旧い見附跡に近い空地(あきち)のところへ出た。風の多い塵埃(ほこり)の立つ日で、黄ばんだ砂煙が渦を巻いてやって来た。その度(たび)に足立も、菅も、岸本も、背中をそむけて塵埃の通過ぎるのを待っては復(ま)た歩いた。
 蒸々と熱い日あたりは三人の行く先にあった。牧師が説教台の上で読んだ亡い学友の略伝――四十五年の人の一生――互にそのことを語り合いながら、城下らしい地勢の残ったところについて緩慢(なだらか)な坂の道を静かに上って行った。
「先刻(さっき)、僕が吾家(うち)から出掛けて来ると、丁度御濠端(おほりばた)のところで皆に遭遇(でっくわ)した。僕は棺に随いて会堂までやって行った」
 と言出したのは三人の中でも一番年長(としうえ)な足立であった。
「吾儕(われわれ)の組では、最早(もう)幾人(いくたり)亡くなってるだろう」
 それを岸本が言うと、足立は例の精(くわ)しいことの好きな調子で、
「二十人の卒業生の中が、四人欠けていたんだろう。これで五人目だ」
「まだ誰か死んでやしないか。もっと居ないような気がするぜ」それを言ったのは菅だ。
「この次は誰の番だろう」
 あの足立の串談(じょうだん)には、菅も岸本も黙ってしまった。しばらく三人は黙って歩いて行った。
「この三人の中じゃ、一番先へ僕が逝(い)きそうだ」と復(ま)た足立が笑いながら言出した。
「僕の方が怪しい」岸本はそれを言わずにいられなかった。
「ナニ、君は大丈夫だよ。僕こそ一番先かも知れない」と菅は串談のようにそれを言って笑った。
「ところがネ、僕はマイるものなら、この一二年にマイってしまいそうな気がする……」
 この岸本の言葉は二人の学友には串談とも聞えたか知れないが、彼自身は自分で自分の言ったことを笑えなかった。煙のような風塵(かざぼこり)が復た恐ろしくやって、彼は口の中がジャリジャリするほど砂を浴びた。
 その日は葬式の帰りがけにも関(かかわ)らず菅と二人で足立の家へ押掛けた。
「こうして揃(そろ)って来て貰うことは、めったに無い」それを足立が言っていろいろと持成(もてな)してくれた。思わず岸本は話し込んで、車夫を門前に待たせて置きながら、日暮頃までも話した。
「皆一緒に学校を出た時分――あの頃は、何か面白そうなことが先の方に吾儕を待っているような気がした。こうしているのが、これが君、人生かねえ」
 言出すつもりもなく岸本はそれを二人の学友の前に言出した。
「そうサ、これが人生だ」と菅は冷静な調子で言った。「僕はそう思うと変な気のすることがある」
「もうすこしどうかいうことは無いものかね」
 と岸本が言うと、足立はそれを引取って、
「そんなに面白いことが有ると思うのが、間違いだよ」
 足立の部屋に菅と集まって見て、岸本はそこにも不思議な沈黙が旧い馴染(なじみ)の三人を支配していることを感じたのであった。それほど隔ての無い仲間同志にあっても、それほど喋舌(しゃべ)ったり笑ったりしても、互いに心(しん)が黙っていた。
「どうしてもこのままじゃ、僕には死に切れない」
 岸本はまた、それを言わずにいられなかった。
 これらの談話の記憶、これらの光景の記憶、これらの出来事の記憶、これらの心の経験の記憶――すべては岸本に取って生々しいほど新しかった。何かにつけて彼は自分の一生の危機が近づいたと思わせるような、ある忌(いまわ)しい予感に脅されるように成った。

        五

 学友の死を思いつづけながら、神田川に添うて足立の家の方から帰って来た車の上も、岸本には忘れがたい記憶の一つとして残っていた。古代の人が言った地水火風というようなことまで、しきりと彼の想像に上って来たのも、あの車の上であった。火か、水か、土か、何かこう迷信に近いほどの熱意をもって生々しく元始的な自然の刺激に触れて見たら、あるいは自分を救うことが出来ようかと考えたのも、あの車の上であった。
 生存の測りがたさ。曾(かつ)て岸本が妻子を引連れて山を下りようとした頃にこうした重い澱(よど)んだものが一生の旅の途中で自分を待受けようとは、どうして思いがけよう。中野の友人にやって来たというような倦怠は、彼にもやって来た。曾て彼の精神を高めたような幾多の美しい生活を送った人達のことも、皆空虚(うつろ)のように成ってしまった。彼はほとほと生活の興味をすら失いかけた。日がな一日侘(わび)しい単調な物音が自分の部屋の障子に響いて来たり、果しもないような寂寞(せきばく)に閉(とざ)される思いをしたりして、しばらくもう人も訪(たず)ねず、冷い壁を見つめたまま坐ったきりの人のように成ってしまった。これはそもそも過度な労作の結果か、半生を通してめぐりにめぐった原因の無い憂鬱(ゆううつ)の結果か、それとも母親のない幼い子供等を控えて三年近くの苦艱(くかん)と戦った結果か、いずれとも彼には言うことが出来なかった。
 中野の友人から貰った手紙の終(しまい)の方には、こんな事も書いてある。
「岸本君、僕はもう黙して可(い)い頃であろう。倦怠と懶惰(らんだ)は僕が僕自身に還(かえ)るのを待っている。眼も疲れ心も疲れた。ふと花壇のほとりを見やると、白い蝴蝶(こちょう)がすがれた花壇に咲いた最初の花を探しあてたところである。そしてその蝴蝶も今年になって初めて見た蝴蝶である。僕の好きな山椿(やまつばき)の花も追々盛りになるであろう。十日ばかり前から山茱黄(やまぐみ)と樒(しきみ)の花が咲いている。いずれも寂しい花である。ことに樒の花は臘梅(ろうばい)もどきで、韵致(いんち)の高い花である。その花を見る僕の心は寂しく顫(ふる)えている」こう結んである。
 中野の友人には子が無かった。曾て岸本の二番目の男の児を引取って養おうと言ってくれたこともあった。しかし、頑是(がんぜ)なく聞分けのない子供は一週間と友人の家に居つかなかった。結局岸本は二人の子供を手許(てもと)に置き、一人を郷里の姉の家に托(たく)した。常陸(ひたち)の海岸の方にある乳母(うば)の家へ預けた末の女の児のためにも月々の仕送りを忘れる訳にはいかなかった。彼はもう黙って、黙って、絶間なしに労作を続けた。
 岸本の四十二という歳(とし)も間近に迫って来ていた。前途の不安は、世に男の大厄(たいやく)というような言葉にさえ耳を傾けさせた。彼は中野の友人に自分を比べて、こんな風に言って見たこともある。友人のは生々とした寛(くつろ)いだ沈黙で、自分のは死んだ沈黙であると。その死んだ沈黙で、彼は自分の身に襲い迫って来るような強い嵐(あらし)を待受けた。


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    第一巻



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        一

 神田川の川口から二三町と離れていない家の二階を降りて、岸本は日頃歩くことを楽みにする河岸(かし)へ出た。そして非常に静かにその河岸を歩いた。あだかも自分の部屋のつい外にある長い廊下でも歩いて見るように。
 その河岸へ来る度(たび)に、釣船屋(つりぶねや)米穀の問屋もしくは閑雅な市人の住宅が柳並木を隔てて水に臨んでいるのを見る度に、きまりで岸本は胸に浮べる一人の未知な青年があった。ふとしたことから岸本はその青年からの手紙を貰(もら)って、彼が歩くことを楽みにする柳並木のかげは矢張(やはり)その青年が幾年となく好んで往来する場所であったことを知った。二人は互いに顔を合せたことも無いが、同じ好きな場所を見つけたということだけでは不思議に一致していた。それから青年は岸本に逢(あ)いたいと言って来た。その時、岸本は日頃逢い過ぎるほど人に逢っていることを書いて、吾儕(われわれ)二人は互いに未知の友として同じ柳並木のかげを楽もうではないか、という意味の返事をその青年に出した。この岸本の心持は届いたと見え、先方(さき)からも逢いたいという望みは強(し)いて捨てたと言って来て、手紙の遣(や)り取りがその時から続いた。例の柳並木、それで二人の心は通じていた。その青年に取っては河岸は岸本であった。岸本に取っては河岸はその青年であった。
 同じ水を眺(なが)め同じ土を踏むというだけのこんな知らないもの同志の手紙の上の交りが可成(かなり)長い間続いた。時にはその青年は旅から岸本の許(もと)へ葉書をくれ、どんなに海が青く光っていても別にこれぞという考えも湧(わ)かない、例の柳並木の方が寧(むし)ろ静かだと書いてよこしたり、時には東京の自宅の方から若い日に有りがちな、寂しい、頼りの無さそうな心持を細々(こまごま)と書いてよこしたりした。次第に岸本はそうした手紙を貰うことも少くなった。ぱったり消息も絶えてしまった。
「あの人もどうしたろう」
 と岸本は河岸を歩きながら自分で自分に言って見た。
 曾(かつ)てその青年から貰った葉書の中に、「あの柳並木のかげには石がございましょう」と書いてあった文句が妙に岸本の頭に残っていた。岸本はそれらしい石の側に立って、浅草橋の下の方から寒そうに流れて来る掘割の水を眺めながら、十八九ばかりに成ろうかとも思われる年頃の未知の青年を胸に描いて見た。曾て頬(ほお)へ触れるまでに低く垂(た)れ下った枝葉の青い香を嗅(か)いだ時は何故とも知らぬ懐(なつ)かしさに胸を踴(おど)らせたというその青年を胸に描いて見た。曾てその石に腰を掛け、膝(ひざ)の上に頬杖(ほおづえ)という形で、岸本がそこを歩く時のことをさまざまに想像したというその青年を胸に描いて見た。
 これほど若々しい心を寄せられた自分は、堪(た)え難いような哀愁を訴えられた自分は、互いに手紙を書きかわすというだけでも何等(なんら)かの力に思われた自分は――そこまで考えて行った時は、岸本はその石の側にも立っていられなかった。
 例の柳並木――そこにはもう青年は来なくなったらしい。以前と同じように歩きに来る岸本だけが残った。

        二

 青年が去った後の河岸には、二人の心を結び着けた柳並木も枯々としていた。岸本の心は静かではなかった。三年近い岸本の独身は決して彼の心を静かにさせては置かなかった。「お前はどうするつもりだ。何時(いつ)までお前はそうして独(ひと)りで暮しているつもりだ。お前の沈黙、お前の労苦には一体何の意味があるのだ。お前の独身は人の噂(うわさ)にまで上(のぼ)っているではないか」こう他(ひと)から言われることがあっても、彼は何と言って答えて可(い)いかを知らなかった。ある時は彼は北海道の曠野(こうや)に立つという寂しいトラピストの修道院に自分の部屋を譬(たと)えて見たこともある。先(ま)ず自己の墓を築いて置いて粗衣粗食で激しく労働しつつ無言の行をやるというあの修道院の内の僧侶(ぼうさん)達に自分の身を譬えて見たこともある。「自分はもう考えまいと思うけれども、どうしても考えずにはいられない」と言った人もあったとやら。岸本が矢張それだ。唯(ただ)彼は考えつづけて来た。
 河岸の船宿の前には石垣の近くに寄せて繋(つな)いである三四艘(そう)の小舟も見えた。岸本はつくづく澱(よど)み果てた自分の生活の恐ろしさから遁(のが)れようとして、二夏ばかり熱心に小舟を漕(こ)いで見たこともあった。その夏と、その前の年の夏と。もうどうにもこうにも遣切(やりき)れなくなって、そんなことを思いついた。彼が自分の部屋にジッと孤坐(すわ)ったぎり終(しまい)には身動きすることさえも厭(いと)わしく思うように成った二階から無理に降りて来て、毎朝早く小舟を出したのもその河岸だ。どうかすると湖水のように静かな隅田川(すみだがわ)の水の上へ出て、都会の真中とも思われないほど清い夏の朝の空気を胸一ぱいに吸って、復(ま)た多くの荷船の通う中を漕ぎ帰って来たのもその石垣の側だ。
「岸本さん」
 と呼びかけて彼の方へ歩いて来る一人の少年があった。河岸の船宿の総領子息(むすこ)だ。
「こう寒くちゃ、舟もお仕舞(しまい)だね」
 と岸本も忸々(なれなれ)しく言った。彼は十五六ばかりになるその少年を小舟に乗る時の相手として、よく船宿から借りて連れて行った。少年ながらに櫓(ろ)を押すことは巧みであった。
 船宿の子息は岸本の顔を見ながら、
「貴方(あなた)のとこの泉(せん)ちゃんには、よく逢(あ)いますよ」
「君は泉ちゃんを知ってるんですか」と岸本が言った。彼はその少年の口から自分の子供の名を聞くのをめずらしく思った。
「よくこの辺へ遊びに来ますよ」
「へえ、こんな方まで遊びに来ますかねえ」
 と岸本は漸(ようや)くその年から小学校へ通うように成った自分の子供のことを言って見た。
 無心な少年に別れて、復た岸本は細い疎(まば)らな柳の枯枝の下った石垣に添いながら歩いて行った。柳橋を渡って直(すぐ)に左の方へ折れ曲ると、河岸の角に砂揚場(すなあげば)がある。二三の人がその砂揚場の近くに、何か意味ありげに立って眺めている。わざわざ足を留めて、砂揚場の空地(あきち)を眺めて、手持無沙汰(ぶさた)らしく帰って行く人もある。
「何があったんだろう」
 と岸本は独(ひと)りでつぶやいた。両国の鉄橋の下の方へ渦巻き流れて行く隅田川の水は引き入れられるように彼の眼に映った。

        三

 六年ばかり岸本も隅田川に近く暮して見て、水辺(みずべ)に住むものの誰しもが耳にするような噂をよく耳にしたことはあるが、ついぞまだ女の死体が流れ着いたという実際の場合に自分で遭遇(でっくわ)したことはなかった。偶然にも、彼はそうした出来事のあった場所に行き合わせた。
「今朝(けさ)……」
 砂揚場の側(わき)に立って眺めていた男の一人がそれを岸本に話した。
 両国の附近に漂着したという若い女の死体は既に運び去られた後で、検視の跡は綺麗(きれい)に取片付けられ、筵(むしろ)一枚そこに見られなかった。唯(ただ)、入水(にゅうすい)した女の噂のみがそこに残っていた。
 思いがけない悲劇を見たという心持で、岸本は家をさして引返して行った。彼の胸には最近に断った縁談のことが往(い)ったり来たりした。彼は自分の倦怠(けんたい)や疲労が、澱(よど)み果てた生活が、漸く人としてのさかりな年頃に達したばかりでどうかすると早や老人のように震えて来る身体が、それらが皆独身の結果であろうかと考えて見る時ほど忌々(いまいま)しく口惜(くや)しく思うことはなかった。「結婚するならば今だ」――そう言って心配してくれる友人の忠告に耳を傾けないではないが、実際の縁談となると何時でも彼は考えてしまった。
 岸本の恩人にあたる田辺(たなべ)の小父(おじ)さんという人の家でも、小父さんが亡(な)くなり、姉さんが亡くなって、岸本の書生時代からよく彼のことを「兄さん、兄さん」と呼び慣れた一人子息の弘の時代に成って来ていた。お婆さんはまだ達者だった。そのお婆さんがわざわざ年老いた体躯(からだ)を車で運んで来て勧めてくれた縁談もあったが、それも岸本は断った。郷里の方にある岸本の実の姉も心配して姉から言えば亡くなった自分の子息の嫁、岸本から言えば甥(おい)の太一の細君にあたる人を手紙でしきりに勧めて寄(よこ)したが、その縁談も岸本は断った。
「出来ることなら、そのままでいてくれ。何時までもそうした暮しを続けて行ってくれ」
 こういう意味の手紙を一方では岸本も貰わないではなかった。尤(もっと)も、そう言って寄してくれる人に限ってずっと年は若かった。
 独りに成って見て、はじめて岸本は世にもさまざまな境遇にある女の多いことを知るように成った。その中には、尼にも成ろうとする途中にあるのであるが、もしそちらで貰ってくれるなら嫁に行っても可(い)いというような、一度嫁(かたづ)いて出て来たというまだ若いさかりの年頃の女の人を数えることが出来た。女としての嗜(たしな)みも深く、学問もあって、家庭の人として何一つ欠くることは無いが、あまりに格の高い寺院(おてら)に生れた為、四十近くまで処女(おとめ)で暮して来たというような人を数えることも出来た。こうした人達は、よし居たにしても、今まで岸本には気がつかなかった。独りで居る女の数は、あるいは独りで居る男の数よりも多かろうか、とさえ岸本には思われた。

        四

 姪(めい)の節子は家の方で岸本を待っていた。河岸から岸本の住む町までの間には、横町一つ隔てて幾つかの狭い路地があった。岸本はどうにでも近道を通って家の方へ帰って行くことが出来た。
「子供は?」
 一寸(ちょっと)そこいらを歩き廻って戻って来た時でも、それを家のものに尋ねるのが岸本の癖のように成っていた。
 彼は節子の口から、兄の方の子供が友達に誘われて町へ遊びに行ったとか、弟の方が向いの家で遊んでいるとか、それを聞くまでは安心しなかった。
 節子が岸本の家へ手伝いに来たのは学校を卒業してしばらく経(た)った時からで、丁度その頃は彼女の姉の輝子も岸本の許(ところ)に来ていた。姉妹(きょうだい)二人は一年ばかりも一緒に岸本の子供の世話をして暮した。その夏他(よそ)へ嫁(かたづ)いて行く輝子を送ってからは、岸本は節子一人を頼りにして、使っている婆やと共にまだ幼い子供等の面倒を見て貰うことにしてあった。
 岸本の家へ来たばかりの頃の節子はまだ若かった。同じ姉妹でも、姉は学校で刺繍(ぬいとり)裁縫造花なぞを修め、彼女はむずかしい書籍(ほん)を読むことを習って来た。その節子が学窓を離れて岸本の家へ来て見た時は、筋向うには一中節(いっちゅうぶし)の師匠の家があり、その一軒置いて隣には名高い浮世画師の子孫にあたるという人の住む家があり、裏にはまた常磐津(ときわず)の家元の住居(すまい)なぞがあって、学芸に志す彼女の叔父の書斎をこうしたごちゃごちゃとした町中に見つけるということさえ、彼女はそれをめずらしそうに言っていた。「私が叔父さんの家へ来ていると言いましたら、学校の友達は羨(うらや)ましがりましたよ」それを言って見せる彼女の眼には、まだ学校に通っている娘のような輝きがあった。あの河岸の柳並木のかげを往来した未知の青年の心――寂しい、頼りのなさそうな若い日の懊悩(おうのう)をよく手紙で岸本のところへ訴えてよこした未知の青年の心――丁度あの青年に似たような心をもって、叔父(おじ)の許(もと)に身を寄せ、叔父を頼りにしている彼女の容子(ようす)が岸本にも感じられた。彼女の母や祖母(おばあ)さんは郷里の山間に、父は用事の都合あって長いこと名古屋に、姉の輝子は夫に随(つ)いて遠い外国に、東京には根岸に伯母(おば)の家があってもそこは留守居する女達ばかりで、民助伯父(おじ)――岸本から言えば一番年長(としうえ)の兄は台湾の方で、彼女の力になるようなものは叔父としての岸本一人より外に無かったから。その夏輝子が嫁いて行く時にも、岸本の家を半分親の家のようにして、そこから遠い新婚の旅に上って行ったくらいであるから。
「繁(しげる)さん、お遊びなさいな」
 と表口から呼ぶ近所の女の児の声がした。繁は岸本の二番目の子供だ。
「繁さんは遊びに行きましたよ」
 と節子は勝手口に近い部屋に居て答えた。彼女はよく遊びに通って来る一人の女の児に髪を結ってやっていた。その女の児は近くに住む針医の娘であった。
「子供が居ないと、莫迦(ばか)に家(うち)の内(なか)が静かだね」
 こう節子に話しかけながら、岸本は家の内を歩いて見た。そこへ婆やが勝手口の方から入って来た。
「お節ちゃん、女の死骸(しがい)が河岸へ上りましたそうですよ」
 と婆やは訛(なま)りのある調子で、町で聞いて来た噂を節子に話し聞かせた。
「なんでも、お腹に子供がありましたって。可哀そうにねえ」
 節子は針医の娘の髪を結いかけていたが、婆やからその話を聞いた時は厭(いや)な顔をした。

        五

「お節ちゃん」
 子供らしい声で呼んで、弟の繁が向いの家から戻って来た。針医の娘の髪を済まして子供の側へ寄った節子を見ると、繁はいきなり彼女の手に縋(すが)った。
 岸本は家の内を歩きながらこの光景(ありさま)を見ていた。彼は亡くなった妻の園子が形見としてこの世に置いて行った二番目の男の児や、子供に纏(まと)いつかれながらそこに立っている背の高い節子のすがたを今更のように眺(なが)めた。園子がまだ達者でいる時分は、節子は根岸の方から学校へ通っていたが、短い単衣(ひとえ)なぞを着て岸本の家へ遊びに来た頃の節子に比べると、眼前(めのまえ)に見る彼女は別の人のように姉さんらしく成っていた。
「繁ちゃん、お出(いで)」と岸本は子供の方へ手を出して見せた。「どれ、どんなに重くなったか、父さんが一つ見てやろう」
「父さんがいらっしゃいッて」と節子は繁の方へ顔を寄せて言った。岸本は嬉(うれ)しげに飛んで来る繁を後ろ向きにしっかりと抱きしめて、さも重そうに成人した子供の体躯(からだ)を持上げて見た。
「オオ重くなった」
 と岸本が言った。
「繁さん、今度は私の番よ」と針医の娘もそこへ来て、岸本の顔を見上げるようにした。「小父さん、私も――」
「これも重い」と言いながら、岸本は復(ま)た復たさも重そうに針医の娘を抱き上げた。
 急に繁は節子の方へ行って何物かを求めるように愚図(ぐず)り始めた。
「お節ちゃん」
 言葉尻(ことばじり)に力を入れて強請(ねだ)るようにするその母親のない子供の声は、求めても求めても得られないものを求めようとしているかのように岸本の耳に徹(こた)えた。
「繁ちゃんはお睡(ねむ)になったんでしょう――それでそんな声が出るんでしょう――」と節子が子供に言った。「おねんねなさいね。好いものを進(あ)げますからね」
 その時婆やは勝手口の方から来て、子供のために部屋の片隅(かたすみ)へ蒲団(ふとん)を敷いた。そこは長火鉢(ながひばち)なぞの置いてある下座敷で、二階にある岸本の書斎の丁度直(す)ぐ階下(した)に当っていた。節子は仏壇のところから蜜柑(みかん)を二つ取出して来て、一つを繁の手に握らせ、もう一つの黄色いやつを針医の娘の前へ持って行った。
「へえ、あなたにも一つ」
 そういう場合の節子には、言葉にも動作にも、彼女に特有な率直があった。
「さあ、繁ちゃん、お蜜柑もって、おねんねなさい」と節子は子供に添寝する母親のようにして、愚図々々言う繁の頭(つむり)を撫でてやりながら宥(なだ)めた。
「叔父さん、御免なさいね」
 こう言って子供の側に横に成っている節子や、部屋の内を取片付けている婆やを相手に、岸本は長火鉢の側で一服やりながら話す気に成った。
「これでも繁ちゃんは、一頃(ひところ)から見るといくらか温順(おとな)しく成ったろうか」と岸本が言出した。
「一日々々に違って来ましたよ」と節子は答えた。
「そりゃもう、旦那(だんな)さん、こちらへ私が上った頃から見ると、繁ちゃんは大変な違いです。お節ちゃんの姉さんがいらしった頃と、今とは――」と婆やも言葉を添える。
 この二人の答は岸本の聞きたいと思うものであった。彼はまだ何か言出そうとしたが、自分で自分を励ますように一つ二つ荒い息を吐(つ)いた。

        六

「厭(いや)、繁ちゃんは。懐(ふところ)へ手を入れたりなんかして」と節子は母親の懐でも探すようにする子供の顔を見て言った。「そんなことすると、もう一緒にねんねして進(あ)げません」
「温順(おとな)しくして、おねんねするんですよ」と婆やも子供の枕頭(まくらもと)に坐って言った。
「ほんとに繁ちゃんは子供のようじゃないのね」と節子は自分の懐を掻合(かきあわ)せるようにした。「だからあなたは大人と子供の合の子だなんて言われるんですよ――コドナだなんて」
「コドナには困ったねえ」と婆やは田舎訛(いなかなまり)を出して笑った。「あれ、復た愚図る。誰もあなたのことを笑ったんじゃ有りませんよ。今、今、皆なであなたのことを褒(ほ)めてるじゃ有りませんか。ほんとにまあ、私が上った頃から見ると繁ちゃんは大変に温順しくお成りなすったッて――ネ」
「さあ、おねんねなさいね」と節子は寝かかっている子供の短い髪を撫(な)でてやった。
「ああ、もう寝てしまったのか」と岸本は長火鉢の側に居て、子供の寝顔の方を覗(のぞ)くようにした。「ほんとに子供は早いものだね。罪の無いものだね……この児はなかなか手数が要(かか)る。どうして、繁ちゃんの暴(あば)れ方と来た日にゃ、戸は蹴(け)る、障子は破る、一度愚図り出したら容易に納まらないんだから……全く、一頃はえらかった。輝でも、節ちゃんでも困ったろうと思うよ」
「繁ちゃんでは随分泣かせられました」と言いながら、節子は極く静かに身を起して、そっと子供の側を離れた。「なにしろ、捉(つかま)えたら放さないんですもの――袖(そで)でも何でも切れちゃうんですもの」
「そうだったろうね。あの時分から見ると、繁ちゃんもいくらか物が分るように成って来たかナ」こう言う岸本の胸には、節子の姉がまだ新婚の旅に上らないで妹と一緒に子供等の世話をしていてくれたその年の夏のことが浮んで来た。二階に居て聞くと、階下(した)で繁の泣声が聞える――輝子も、節子も、一人の小さなものを持余(もてあま)しているように聞える――その度(たび)に岸本は口唇(くちびる)を噛(か)んで、二階から楼梯(はしごだん)を駆下りて来て見ると、「どうして、あんたはそう聞分けがないの」と言って、輝子は子供と一緒に泣いてしまっている――節子は節子で、泣叫ぶ子供から隠れて、障子の影で自分も泣いている――何卒(どうか)して子供を自然に育てたい、拳固(げんこ)の一つも食(くら)わせずに済むものならなるべくそんな手荒いことをせずに子供を育てたい、とそう岸本も思っても残酷な本能の力は怒なしに暴れ廻る子供を見ていられなくなる――「父さん、御免なさい、繁ちゃんはもう泣きませんから見てやって下さい」と子供の代りに詫(わ)びるように言う輝子の言葉を聞くまでは、岸本は心を休めることも出来ないのが常であった。子供が行って結婚前の島田に結った輝子に取縋(とりすが)る度に、「厭よ、厭よ、髪がこわれちまうじゃありませんか」と言ったあの輝子の言葉を岸本は胸に浮べた。「お嫁に行くんだ――やい、やい」と輝子の方に指さして言った悪戯盛(いたずらざか)りの繁の言葉を胸に浮べた。輝子が夫と一緒に遠い外国へ旅立つ前、別れを告げにその下座敷へ来た時、「それでも皆大きく成ったわねえ」と言って二人の子供をかわるがわる抱いたことを胸に浮べた。その時、節子が側に居て、「大きく成ったと言われるのがそんなに嬉しいの」と子供に言ったことを胸に浮べた。すべてこれらの過去った日の光景(ありさま)が前にあったことも後にあったことも一緒に混合(いれまざ)って、稲妻(いなずま)のように岸本の胸を通過ぎた。
「一切は園子一人の死から起ったことだ」
 岸本は腹(おなか)の中でそれを言って見て、何となくがらんとした天井の下を眺め廻した。

        七

 母親なしにもどうにかこうにか成長して行く幼いものに就(つ)いての話は年少(としした)の子供のことから年長(としうえ)の子供のことに移って、岸本は節子や婆やを相手に兄の方の泉太の噂(うわさ)をしているところへ、丁度その泉太が屋外(そと)から入って来た。
「繁ちゃんは?」
 いきなり泉太は庭口の障子の外からそれを訊(き)いた。二人一緒に遊んでいれば終(しまい)にはよく泣いたり泣かせられたりしながら、泉太が屋外からでも入って来ると、誰よりも先に弟を探した。
「泉ちゃん、皆で今あなたの噂をしていたところですよ」と婆やが言った。「そんなに屋外を飛んで歩いて寒かありませんか」
「あんな紅(あか)い頬(ほっ)ぺたをして」と節子も屋外の空気に刺激されて耳朶(みみたぶ)まで紅くして帰って来たような子供の方を見て言った。
 泉太の癖として、この子供は誰にでも行って取付いた。婆やの方へ行って若い時は百姓の仕事をしたこともあるという巌畳(がんじょう)な身体へも取付けば、そこに居るか居ないか分らないほど静かな針医の娘を側に坐らせた節子の方へも行って取付いた。
「泉ちゃんのようにそう人に取付くものじゃないよ」
 そういう岸本の背後(うしろ)へも来て、泉太は父親の首筋に齧(かじ)りついた。
「でも、泉ちゃんも大きく成ったねえ」と岸本が言った。「毎日見てる子供の大きくなるのは、それほど目立たないようなものだが」
「着物がもうあんなに短くなりました――」と節子も言葉を添える。
「泉ちゃんの顔を見てると、俺(おれ)はそう思うよ。よくそれでもこれまでに大きくなったものだと思うよ」と復(ま)た岸本が言った。「幼少(ちいさ)い時は弱い児だったからねえ。あの巾着頭(きんちゃくあたま)が何よりの証拠サ。この児の姉さん達の方がずっと壮健(じょうぶ)そうだった。ところが姉さん達は死んでしまって、育つかしらんと思った泉ちゃんの方がこんなに成人(しとな)って来た――分らないものだね」
「黙っといで。黙っといで」と泉太は父の言葉を遮(さえぎ)るようにした。「節ちゃん、好いことがある。お巡査(まわり)さんと兵隊さんと何方(どっち)が強い?」
 こういう子供の問は節子を弱らせるばかりでなく、夏まで一緒に居た輝子をもよく弱らせたものだ。
「何方(どっち)も」と節子は姉が答えたと同じように子供に答えた。
「学校の先生と兵隊さんと何方が強い?」
「何方も」
 と復(ま)た節子は答えて、そろそろ智識の明けかかって来たような子供の瞳(ひとみ)に見入っていた。
 岸本は思出したように、
「こうして経(た)って見れば造作(ぞうさ)もないようなものだがね、三年の子守(こもり)はなかなかえらかった。これまでにするのが容易じゃなかった。叔母(おば)さんの亡(な)くなった時は、なにしろ一番年長(うえ)の泉ちゃんが六歳(むっつ)にしか成らないんだからね。熱い夏の頃ではあり、汗疹(あせも)のようなものが一人に出来ると、そいつが他の子供にまで伝染(うつ)っちゃって――節ちゃんはあの時分のことをよく知らないだろうが、六歳を頭(かしら)に四人の子供に泣出された時は、一寸(ちょっと)手の着けようが無かったね。どうかすると、子供に熱が出る。夜中にお医者さまの家を叩(たた)き起しに行ったこともある。あの時分は、叔父さんもろくろく寝なかった……」
「そうでしたろうね」と節子はそれを眼で言わせた。
「あの時分から見ると、余程(よっぽど)これでも楽に成った方だよ。もう少しの辛抱だろうと思うね」
「繁ちゃんが学校へ行くようにでも成ればねえ」と節子は婆やの方を見て言った。
「どうかまあ、宜(よろ)しくお願い申します」
 こう岸本は言って、節子と婆やの前に手をついてお辞儀した。

        八

 下座敷には箪笥(たんす)も、茶戸棚(ちゃとだな)も、長火鉢も、子供等の母親が生きていた日と殆(ほと)んど同じように置いてあった。岸本が初めて園子と世帯(しょたい)を持った頃からある記念の八角形の古い柱時計も同じ位置に掛って、真鍮(しんちゅう)の振子が同じように動いていた。園子の時代と変っているのは壁の色ぐらいのものであった。一面に子供のいたずら書きした煤(すす)けた壁が、淡黄色の明るい壁と塗りかえられたぐらいのものであった。その夏岸本は節子に、節子の姉に、泉太に、繁まで例の河岸(かし)へ誘って行って、そこから家中のものを小舟に乗せ、船宿の子息(むすこ)をも連れて一緒に水の上へ出たことがあった。それからというものは、「父さん、お舟――父さん、お舟――」と強請(ねだ)るようにする子供の声をこの下座敷でよく聞いたばかりでなく、どうかすると机は覆(ひっくりか)えされて舟の代りになり、団扇掛(うちわかけ)に長い尺度(ものさし)の結び着けたのが櫓(ろ)の代りになり、蒲団(ふとん)が舟の中の蓆莚(ござ)になり、畳の上は小さな船頭の舟漕(こ)ぐ場所となって、塗り更(か)えたばかりの床の間の壁の上まで子供の悪戯(いたずら)した波の図なぞですっかり汚(よご)されてしまったが。
 暗い仏壇には二つの位牌(いはい)が金色に光っていた。その一つは子供等の母親ので、もう一つは三人の姉達のだ。しかしその位牌の周囲(まわり)には早や塵埃(ほこり)が溜(たま)るようになった。岸本が築いた四つの墓――殊(こと)に妻の園子の墓――三年近くも彼が見つめて来たのは、その妻の墓ではあったが、しかし彼の足は実際の墓参りからは次第に遠くなった。
「叔母さんのことも大分忘れて来た――」
 岸本はよくそれを節子に言って嘆息した。
 丁度この下座敷の直(す)ぐ階上(うえ)に、硝子戸(ガラスど)を開ければ町につづいた家々の屋根の見える岸本の部屋があった。階下(した)に居て二階の話声はそれほどよく聞えないまでも、二階に居て階下の話声は――殊に婆やの高い声なぞは手に取るように聞える。そこへ昇って行って自分の机の前に静坐して見ると、岸本の心は絶えず階下へ行き、子供の方へ行った。彼はまだ年の若い節子を助けて、二階に居ながらでも子供の監督を忘れることが出来なかった。家のものは皆屋外(そと)へ遊びに出し、門の戸は閉め、錠は掛けて置いて、たった独(ひと)りで二階に横に成って見るような、そうした心持には最早(もう)成れなかった。
 岸本は好きな煙草(たばこ)を取出した。それを燻(ふか)し燻し園子との同棲(どうせい)の月日のことを考えて見た。
「父さん、私を信じて下さい……私を信じて下さい……」
 そう言って、園子が彼の腕に顔を埋めて泣いた時の声は、まだ彼の耳の底にありありと残っていた。
 岸本はその妻の一言を聞くまでに十二年も掛った。園子は豊かな家に生れた娘のようでもなく、艱難(かんなん)にもよく耐えられ、働くことも好きで、夫を幸福にするかずかずの好い性質を有(も)っていたが、しかし激しい嫉妬(しっと)を夫に味(あじわ)わせるような極く不用意なものを一緒にもって岸本の許(もと)へ嫁(かたづ)いて来た。自分はあまりに妻を見つめ過ぎた、とそう岸本が心づいた時は既に遅かった。彼は十二年もかかって、漸(ようや)く自分の妻とほんとうに心の顔を合せることが出来たように思った。そしてその一言を聞いたと思った頃は、園子はもう亡くなってしまった。
「私は自分のことを考えると、何ですか三つ離れ離れにあるような気がしてなりません――子供の時分と、学校に居た頃と、お嫁に来てからと。ほんとに子供の時分には、私は泣いてばかりいるような児でしたからねえ」
 心から出たようなこの妻の残して行った言葉も、まだ岸本の耳についていた。
 岸本はもう準備なしに、二度目の縁談なぞを聞くことの出来ない人に成ってしまった。独身は彼に取って女人に対する一種の復讎(ふくしゅう)を意味していた。彼は愛することをすら恐れるように成った。愛の経験はそれほど深く彼を傷(きずつ)けた。

        九

 書斎の壁に対(むか)いながら、岸本は思いつづけた。
「ああああ、重荷を卸した。重荷を卸した」
 こんな偽りのない溜息(ためいき)が、女のさかりを思わせるような年頃で亡(な)くなった園子を惜しみ哀(かな)しむ心と一緒になって、岸本には起きて来たのであった。妻を失った当時、岸本はもう二度と同じような結婚生活を繰返すまいと考えた。両性の相剋(あいこく)するような家庭は彼を懲りさせた。彼は妻が残して置いて行った家庭をそのまま別の意味のものに変えようとした。出来ることなら、全く新規な生涯を始めたいと思った。十二年、人に連添って、七人の子を育てれば、よしその中で欠けたものが出来たにしても、人間としての奉公は相当に勤めて来たとさえ思った。彼は重荷を卸したような心持でもって、青い翡翠(ひすい)の珠(たま)のかんざしなどに残る妻の髪の香をなつかしみたかった。妻の肌身(はだみ)につけた形見の着物を寝衣(ねまき)になりとして着て見るような心持でもって、沈黙の形でよくあらわれた夫婦の間の苦しい争いを思出したかった。
 岸本の眼前(めのまえ)には、石灰と粘土とで明るく深味のある淡黄色に塗り変えた、堅牢(けんろう)で簡素な感じのする壁があった。彼は早(はや)三年近くもその自分の部屋の壁を見つめてしまったことに気がついた。そしてその三年の終の方に出来た自分の労作の多くが、いずれも「退屈」の産物であることを想って見た。
「父さん」
 と楼梯(はしごだん)のところで呼ぶ声がして、泉太が階下(した)から上って来た。
「繁ちゃんは?」と岸本が訊(き)いた。
 泉太は気のない返事をして、何か強請(ねだ)りたそうな容子(ようす)をしている。
「父さん、蜜豆(みつまめ)――」
「蜜豆なんか止(よ)せ」
「どうして――」
「何か、何かッて、お前達は食べてばかりいるんだね。温順(おとな)しくして遊んでいると、父さんがまた節ちゃんに頼んで、御褒美(ごほうび)を出して貰(もら)ってやるぜ」
 泉太は弟のように無理にも自分の言出したことを通そうとする方ではなかった。それだけ気の弱い性質が、岸本にはいじらしく思われた。妻が形見として残して置いて行ったこの泉太はどういう時代に生れた子供であったか、それを辿(たど)って見るほど岸本に取って夫婦の間だけの小さな歴史を痛切に想い起させるものはなかった。
 町中に続いた家々の見える硝子戸の方へ行って遊んでいた泉太はやがて復た階下(した)へ降りて行った。岸本は六年の間の仕事場であった自分の書斎を眺(なが)め廻した。曾(かつ)ては彼の胸の血潮を湧(わ)き立たせるようにした幾多の愛読書が、さながら欠(あく)びをする静物のように、一ぱいに塵埃(ほこり)の溜った書棚(しょだな)の中に並んでいた。その時岸本はある舞台の上で見た近代劇の年老いた主人公をふと胸に浮べた。その主人公の許(ところ)へ洋琴(ピアノ)を弾(ひ)いて聞かせるだけの役目で雇われて通って来る若い娘を胸に浮べた。生気のあふれた娘の指先から流れて来るメロディを聞こうが為めには、劇の主人公は毎月金を払ったのだ。そして老年の悲哀と寂寞(せきばく)とを慰めようとしたのだ。岸本は劇の主人公に自分を比べて見た。時には静かな三味線(しゃみせん)の音でも聞くだけのことを心やりとして酒のある水辺(みずべ)の座敷へ呼んで見る若草のような人達や、それから若い時代の娘の心で自分の家に来ているというだけでも慰めになる節子をあの劇中の娘に比べて見た。三年の独身は、漸(ようや)く四十の声を聞いたばかりで早老人の心を味わせた。それを考えた時は、岸本は忌々(いまいま)しく思った。

        十

 屋外(そと)の方で聞える子供の泣き声は岸本の沈思を破った。妻を失った後の岸本は、雛鳥(ひなどり)のために餌(えさ)を探す雄鶏(おんどり)であるばかりでなく、同時にまたあらゆる危害から幼いものを護ろうとして一寸(ちょっと)した物音にも羽翅(はがい)をひろげようとする母鶏の役目までも一身に引受けねばならなかった。子供の泣き声がすると、彼は殆(ほとん)ど本能的に自分の座を起(た)った。部屋の外にある縁側に出て硝子戸を開けて見た。それから階下へも一寸見廻りに降りて行った。
「子供が喧嘩(けんか)しやしないか」
 と彼は節子や婆やに注意するように言った。
「あれは他(よそ)の家の子供です」
 節子は勝手口に近い小部屋の鼠不入(ねずみいらず)の前に立っていて、それを答えた。何となく彼女は蒼(あお)ざめた顔付をしていた。
「どうかしたかね」と岸本は叔父らしい調子で尋ねた。
「なんですか気味の悪いことが有りました」
 岸本は節子が学問した娘のようでも無いことを言出したので、噴飯(ふきだ)そうとした。節子に言わせると、彼女が仏壇を片付けに行って、勝手の方へ物を持運ぶ途中で気がついて見ると、彼女の掌(て)にはべっとり血が着いていた。それを流許(ながしもと)で洗い落したところだ。こう叔父に話し聞かせた。
「そんな馬鹿な――」
「でも、婆やまでちゃんと見たんですもの」
「そんな事が有りようが無いじゃないか――仏壇を片付けていたら、手へ血が附着(くっつ)いたなんて」
「私も変に思いましたからね、鼠かなんかの故(せい)じゃないかと思って、婆やと二人で仏さまの下まですっかり調べて見たんですけれど……何物(なんに)も出て来やしません……」
「そんなことを気にするものじゃないよ。原因(もと)が分って見ると、きっとツマラないことなんだよ」
「仏さまへは今、お燈明をあげました」
 節子はこの家の内に起って来る何事(なに)かの前兆ででもあるかのように、それを言った。
「お前にも似合わないじゃないか」岸本は叱(しか)って見せた。「輝が居た時分にも、ホラ、一度妙な事があったぜ。姉さんの枕許(まくらもと)へ国の方に居る祖母(おばあ)さんが出て来たなんて……あの時はお前まで蒼(あお)くなっちまった。ほんとに、お前達はときどき叔父さんをびっくりさせる」
 日の短い時で、階下の部屋はそろそろ薄暗くなりかけていた。岸本は節子の側を離れて家の内をあちこちと歩いて見たが、しまいには気の弱いものに有りがちな一種の幻覚として年若な姪(めい)の言ったことを一概に笑ってしまえなかった。人が亡(な)くなった後の屋根の下を気味悪く思って、よく引越をするもののあるのも笑ってしまえなかった。
 岸本は仏壇の前へ行って立って見た。燈明のひかりにかがやき映った金色の位牌(いはい)には、次のような文字が読まれた。
  「宝珠院妙心大姉(だいし)」

        十一

「汝(なんじ)、わが悲哀(かなしみ)よ、猶(なお)賢く静かにあれ」
 この文句を口吟(くちずさ)んで見て、岸本は青い紙の蓋(かさ)のかかった洋燈(ランプ)で自分の書斎を明るくした。「君の家はまだランプかい。随分旧弊だねえ」と泉太の小学校の友達にまで笑われる程、岸本の家では洋燈を使っていた。彼はその好きな色の燈火(あかり)のかげで自分で自分の心を励まそうとした。あの赤熱(しゃくねつ)の色に燃えてしかも凍り果てる北極の太陽に自己(おのれ)の心胸(こころ)を譬(たと)え歌った仏蘭西(フランス)の詩人ですら、決して唯(ただ)梟(ふくろう)のように眼ばかり光らせて孤独と悲痛の底に震えてはいなかったことを想像し、その人の残した意味深い歌の文句を繰返して見て、自分を励まそうとした。
 黄ばんだ洋燈の光は住慣れた部屋の壁の上に、独(ひと)りで静坐することを楽みに思う岸本の影法師を大きく写して見せていた。岸本はその影法師を自分の友達とも呼んで見たいような心持でもって、長く生きた昔の独身生活を送った人達のことを思い、世を避けながらも猶かつ養生することを忘れずに芋(いも)を食って一切の病気を治(なお)したというあの「つれづれ草」の中にある坊さんのことを思い、出来ることならこのまま子供を連れて自分の行けるところまで行って見たいと願った。
「旦那(だんな)さん、お粂(くめ)ちゃんの父さんが参りましたよ」
 と婆やが楼梯(はしごだん)の下のところへ来て呼んだ。お粂ちゃんとは、よく岸本の家へ遊びに来る近所の針医の娘の名だ。
 頼んで置いた針医が小さな手箱を提(さ)げて楼梯を上って来た。過ぐる年の寒さから岸本は腰の疼痛(いたみ)を引出されて、それが持病にでも成ることを恐れていた。自分の心を救おうとするには、彼は先(ま)ず自分の身(からだ)から救ってかかる必要を感じていた。
「あんまり坐り過ぎている故(せい)かも知れませんが、私の腰は腐ってしまいそうです」
 こんなことをその針医に言って、岸本は家のものの手も借りずに書斎の次の間から寝道具なぞを取出して来た。それを部屋の片隅(かたすみ)によせて壁に近く敷いた。
「やっぱり疝(せん)の気味でごわしょう。こうした陽気では冷込みますからナ」と言いながら針医は手にした針術(しんじゅつ)の道具を持って岸本の側へ寄った。
 ぷんとしたアルコオルの香が岸本の鼻へ来た。背を向けて横に成った岸本は針医のすることを見ることは出来なかったが、アルコオルで拭(ぬぐ)われた後の快さを自分の背の皮膚で感じた。やがて針医の揉込(もみこ)む針は頸(くび)の真中あたりへ入り、肩へ入り、背骨の両側へも入った。
「痛(いた)」
 思わず岸本は声をあげて叫ぶこともあった。しかし一番長そうに思われる細い金針(きんばり)が腰骨の両側あたりへ深く入って、ズキズキと病める部分に触れて行った時は、睡気(ねむけ)を催すほどの快感がその針の微(かす)かな震動から伝わって来た。彼は針医に頼んで、思うさま腰の疼痛(いたみ)を打たせた。
「自分はもう駄目かしら」
 針医の行った後で、岸本は独りで言って見た。手術後の楽しく激しい疲労から、長いこと彼は死んだように壁の側に横になっていた。部屋の雨戸の外へは寒い雨の来る音がした。

        十二

 年も暮れて行った。節子は姉と二人でなしに、彼女一人の手に叔父の家の世話を任せられたことを迷惑とはしていなかった。彼女は自分一人に任せられなければ、何事も愉快に行うことの出来ないような気むずかしいところを有(も)っていた。その意味から言えば、彼女は意のままに、快適に振舞った。
 しかしそれは婆やなぞと一緒に働く時の節子で、岸本の眼には何となく楽まない別の節子が見えて来た。姉がまだ一緒にいた夏の頃、節子は黄色く咲いた薔薇(ばら)の花を流許(ながしもと)の棚の上に罎(びん)に挿(さ)して置いて、勝手を手伝いながらでも独(ひと)りで眺(なが)め楽むという風の娘であった。「泉ちゃん、好いものを嗅(か)がして進(あ)げましょうか」と言いながらその花を子供の鼻の先へ持って行って見せ、「ああ好い香気(におい)だ」と泉太が眼を細くすると、「生意気ねえ」と快活な調子で言う姉の側に立っていて、「泉ちゃんだって、好いものは好いわねえ」と娘らしい歯を出して笑うのが節子であった。節子姉妹は岸本の知らない西洋草花の名なぞをよく知っていたが、殊(こと)に妹の方は精(くわ)しくもあり、又た天性花を愛するような、物静かな、うち沈んだところを有(も)っていた。「お前達はよくそれでもそんな名前を知ってる」と岸本が感心したように言った時、「花の名ぐらい知らなくって――ねえ、節ちゃん」と姉の方が言えば、「叔父さん、これ御覧なさい、甘い椿(つばき)のような香気がするでしょう」と言ってチュウリップの咲いた鉢(はち)を持って来て見せたのも節子であった。これほど節子はまだ初々(ういうい)しかった。学窓を離れて来たばかりのような処女(おとめ)らしさがあった。その節子が年の暮あたりには何となく楽まないで、じっと考え込むような娘になった。
 岸本の妻が残して置いて行った着物は、あらかたは生家(さと)の方へ返し、形見として郷里の姉へも分け、根岸の嫂(あによめ)にも姪(めい)にも分け、山の方にある知人へも分け、生前園子が懇意にしたような人達のところへは大抵分けて配ってしまって、岸本の手許には僅(わず)かしか残らないように成った。
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