藤村詩抄
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:島崎藤村 

こぞに別離(わかれ)を告げよかし
谷間に殘る白雪よ
葬りかくせ去歳(こぞ)の冬

春はきぬ
  春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくくおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし

春はきぬ
  春はきぬ
淺みどりなる新草(にひぐさ)よ
とほき野面(のもせ)を畫(ゑが)けかし
さきては紅(あか)き春花(はるばな)よ
樹々(きゞ)の梢を染めよかし

春はきぬ
  春はきぬ
霞よ雲よ動(ゆる)ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香(か)おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ

春はきぬ
  春はきぬ
春をよせくる朝汐(あさじほ)よ
蘆の枯葉(かれは)を洗ひ去れ
霞に醉へる雛鶴よ
若きあしたの空に飛べ

春はきぬ
  春はきぬ
うれひの芹の根は絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌えよかし


 四 眠れる春よ

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情なれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早(さ)わらびの
したもえいそぐ汝(な)があしを
たかくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ


 五 うてや鼓

うてや鼓の春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざされて
世は春の日とかはりけり

ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ絲は
けさもえいでしあをやなぎ

霞のまくをひきあけて
春をうかがふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春の臺(うてな)といふべけれ

小蝶よ花にたはふれて
優しき夢をみては舞ひ
醉うて羽袖もひら/\と
はるの姿をまひねかし

緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠ぬひそへて
ゆめ靜なるはるの日の
しらべを高く歌へかし
[#改ページ]

 明星


浮べる雲と身をなして
あしたの空に出でざれば
などしるらめや明星の
光の色のくれなゐを

朝の潮(うしほ)と身をなして
流れて海に出でざれば
などしるらめや明星の
清(す)みて哀(かな)しききらめきを

なにかこひしき曉星(あかぼし)の
空(むな)しき天(あま)の戸を出でて
深くも遠きほとりより
人の世近く來(きた)るとは

潮(うしほ)の朝のあさみどり
水底(みなそこ)深き白石を
星の光に透(す)かし見て
朝(あさ)の齡(よはひ)を數ふべし

野の鳥ぞ啼く山河(やまかは)も
ゆふべの夢をさめいでて
細く棚引くしのゝめの
姿をうつす朝ぼらけ

小夜(さよ)には小夜のしらべあり
朝には朝の音(ね)もあれど
星の光の絲(いと)の緒(を)に
あしたの琴は靜(しづか)なり

まだうら若き朝の空
きらめきわたる星のうち
いちいと若き光をば
名(なづ)けましかば明星と
[#改ページ]

 潮音


わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね
[#改ページ]

 おえふ


處女(をとめ)ぞ經(へ)ぬるおほかたの
われは夢路(ゆめぢ)を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河(やまかは)をながむれば

水(みづ)靜(しづ)かなる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の櫻の花影(はなかげ)に
われは處女(をとめ)[#ルビの「をとめ」は底本では「おとめ」]となりにけり

都鳥(みやこどり)浮(う)く大川(おほかは)に
流れてそゝぐ川添(かはぞひ)の
白菫(しろすみれ)さく若草(わかぐさ)に
夢多かりし吾身かな

雲むらさきの九重(こゝのへ)の
大宮内につかへして
清涼殿(せいりやうでん)の春の夜(よ)の
月の光に照らされつ

雲を彫(ちりば)め濤(なみ)を刻(ほ)り
霞をうかべ日をまねく
玉の臺(うてな)の欄干(おばしま)に
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀(かゞや)くさまを目にも見て
ときめきたまふさまざまの
ひとのころもの香(か)をかげり

きらめき初(そ)むる曉星(あかぼし)の
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

天(あま)つみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
名(な)の夕暮(ゆふぐれ)に消えて行く
秀(ひい)でし人の末路(はて)も見き

春しづかなる御園生(みそのふ)の
花に隱れて人を哭(な)き
秋のひかりの窓に倚り
夕雲(ゆふぐも)とほき友を戀(こ)ふ

ひとりの姉をうしなひて
大宮内の門(かど)を出で
けふ江戸川に來(き)て見れば
秋はさみしきながめかな

櫻の霜葉(しもは)黄(き)に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水靜(しづか)にて
あゆみは遲きわがおもひ

おのれも知らず世を經(ふ)れば
若き命(いのち)に堪へかねて
岸のほとりの草を藉(し)き
微笑(ほゝゑ)みて泣く吾身かな
[#改ページ]

 おきぬ


みそらをかける猛鷲(あらわし)の
人の處女(をとめ)の身に落ちて
花の姿に宿(やど)かれば
風雨(あらし)に渇(かわ)き雲に饑(う)ゑ
天(あま)翔(かけ)るべき術(すべ)をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髮(くろかみ)長き吾身こそ
うまれながらの盲目(めしひ)なれ

芙蓉を前(さき)の身とすれば
泪(なみだ)は秋の花の露
小琴(をごと)を前(さき)の身とすれば
愁(うれひ)は細き糸(いと)の音(おと)
いま前(さき)の世は鷲の身の
處女(をとめ)にあまる羽翼(つばさ)かな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき淺茅生(あさぢふ)の
茂(しげ)れる宿(やど)と思ひなし
身は術(すべ)もなき蟋蟀(こほろぎ)の
夜(よる)の野草(のぐさ)にはひめぐり
たゞいたづらに音(ね)をたてて
うたをうたふと思ふかな

色(いろ)にわが身をあたふれば
處女(をとめ)のこゝろ鳥となり
戀に心をあたふれば
鳥の姿は處女(をとめ)にて
處女(をとめ)ながらも空(そら)の鳥
猛鷲(あらわし)ながら人の身の
天(あめ)と地(つち)とに迷ひゐる
身の定めこそ悲しけれ
[#改ページ]

 おさよ


潮(うしお)さみしき荒磯(あらいそ)の
巖陰(いはかげ)われは生れけり

あしたゆふべの白駒(しろごま)と
故郷(ふるさと)遠きものおもひ

をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの

げに狂はしの身なるべき
この年までの處女(をとめ)とは

うれひは深く手もたゆく
むすぼゝれたるわが思(おもひ)

流れて熱(あつ)きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

亂(みだ)れてものに狂ひよる
心を笛の音(ね)に吹かむ

笛をとる手は火にもえて
うちふるひけり十(とを)の指(ゆび)

音(ね)にこそ渇(かわ)け口脣(くちびる)の
笛を尋ぬる風情(ふぜい)あり

はげしく深きためいきに
笛の小竹(をだけ)や曇るらむ

髮は亂れて落つるとも
まづ吹き入るゝ氣息(いき)を聽け

力(ちから)をこめし一ふしに
黄楊(つげ)のさし櫛(ぐし)落ちにけり

吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙

短き笛の節(ふし)の間(ま)も
長き思(おもひ)のなからずや

七つの情(こゝろ)聲を得て
音(ね)をこそきかめ歌神(うたがみ)も

われ喜(よろこび)を吹くときは
鳥も梢に音(ね)をとゞめ

怒(いかり)をわれの吹くときは
瀬(せ)を行く魚も淵(ふち)にあり

われ哀(かなしみ)を吹くときは
獅子(しし)も涙をそゝぐらむ

われ樂(たのしみ)を吹くときは
蟲も鳴く音(ね)をやめつらむ

愛(あい)のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち歸り

惡(にくみ)をわれの吹くときは
散り行く花も止(とゞま)りて

慾(よく)の思(おもひ)を吹くときは
心の闇(やみ)の響(ひゞき)あり

うたへ浮世(うきよ)の一ふしは
笛の夢路(ゆめぢ)のものぐるひ

くるしむなかれ吾(わが)友(とも)よ
しばしは笛の音(ね)に歸(かへ)れ

落つる涙をぬぐひきて
靜かにきゝね吾笛を
[#改ページ]

 おくめ


こひしきまゝに家を出(い)で
こゝの岸よりかの岸へ
越えましものと來(き)て見れば
千鳥鳴くなり夕(ゆふ)まぐれ

こひには親(おや)も捨てはてて
やむよしもなき胸の火や
鬢の毛を吹く河風よ
せめてあはれと思へかし

河波(かはなみ)暗(くら)く瀬を早(はや)み
流れて巖(いは)に碎(くだ)くるも
君を思へば絶間なき
戀の火炎(ほのほ)に乾(かわ)くべし

きのふの雨の小休(をやみ)なく
水嵩(みかさ)や高くまさるとも
よひよひになくわがこひの
涙の瀧におよばじな

しりたまはずやわがこひは
花鳥(はなとり)の繪にあらじかし
空鏡(かゞみ)の印象(かたち)砂(すな)の文字(もじ)
梢の風(かぜ)の音にあらじ

しりたまはずやわがこひは
雄々(をゝ)しき君の手に觸れて
嗚呼口紅(くちべに)をその口に
君にうつさでやむべきや

戀は吾身の社(やしろ)にて
君は社の神なれば
君の祭壇(つくゑ)の上ならで
なににいのちを捧(さゝ)げまし

碎(くだ)かば碎け河波(かはなみ)よ
われに命(いのち)はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなむ

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎(ほのほ)なり
思ひ亂れて嗚呼戀の
千筋(ちすじ)の髮の波に流るゝ
[#改ページ]

 おつた


花仄見(ほのみ)ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命(わがいのち)
朧々(おぼろ/\)に父母(ちゝはゝ)は
二つの影と消えうせて
世に孤兒(みなしご)の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若(わか)き聖(ひじり)に救はれて
人なつかしき前髮(まへがみ)の
處女(をとめ)とこそはなりにけれ
若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの□の實(み)をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖(ひじり)に□をすゝむれば
その口脣(くちびる)にふれたまひ
かくも色よき□ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
人の命の惜(を)しからば
嗚呼かの酒を飮むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖(ひじり)に酒をすゝむれば
夢の心地に醉ひたまひ
かくも樂しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
道行き急(いそ)ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその聲をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖(ひじり)は魂(たま)も醉ひたまひ
かくも樂しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の迷となるなかれ
かくいひたまふうれしさに
情(なさけ)も道の一つなり
かゝる思(おもひ)を見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖(ひじり)は早く戀ひわたり
かくも樂しき戀ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪(ゆき)より白き小石(こいし)なり
若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
智惠(ちえ)の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隱(かく)して今も放(はな)たじ
[#改ページ]

 おきく


くろかみながく
    やはらかき
をんなごゝろを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごゝろの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    鬢(びん)の毛(け)を
黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)に
    かきあげよ

あゝ月(つき)ぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なむと
    よみいでし
あつきなさけは
    誰(た)がうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衞はいづれ
    戀(こひ)か名(な)か
忠兵衞も名の
    ために果(は)つ

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごゝろは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために燒け
高尾はこひの
    ために果(は)つ

かなしからずや
    清姫は
蛇(へび)となれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫は
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはふれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき
[#改ページ]

 醉歌


旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
醉うて袂の歌草(うたぐさ)を
醒めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ間(ま)に
樂しき春は老いやすし
誰(た)が身にもてる寶ぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁(うれひ)あり
堅く結べるその口に
それ聲も無きなげきあり

名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
來りて美(うま)き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
獨りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智惠に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火(ともしび)に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀(かな)しからずや君が身は

わきめもふらで急ぎ行く
君の行衞はいづこぞや
琴花酒(ことはなさけ)のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ
[#改ページ]

 哀歌


   中野逍遙をいたむ
『秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴臺舊譜□前柳、風流銷盡二千年』、これ中野逍遙が秋怨十絶の一なり。逍遙字は威卿、小字重太郎、豫州宇和島の人なりといふ。文科大學の異材なりしが年僅かに二十七にしてうせぬ。逍遙遺稿正外二篇、みな紅心の餘唾にあらざるはなし。左に掲ぐるはかれの清怨を寫せしもの、『寄語殘月休長嘆、我輩亦是艶生涯』、合せかゝげてこの秀才を追慕するのこゝろをとゞむ。


  思君九首  中野逍遙

思君我心傷  思君我容瘁
中夜坐松蔭  露華多似涙

思君我心悄  思君我腸裂
昨夜涕涙流  今朝盡成血

示君錦字詩  寄君鴻文册
忽覺筆端香  □外梅花白

爲君調綺羅  爲君築金屋
中有鴛鴦圖  長春夢百禄

贈君名香篋  應記韓壽恩
休將秋扇掩  明月照眉痕

贈君双臂環  寶玉價千金
一鐫不乖約  一題勿變心

訪君過臺下  清宵琴響搖
佇門不敢入  恐亂月前調

千里囀金鶯  春風吹緑野
忽發頭屋桃  似君三兩朶

嬌影三分月  芳花一朶梅
潭把花月秀  作君玉膚堆


かなしいかなや流れ行く
水になき名をしるすとて
今(いま)はた殘る歌反古(うたほご)の
ながき愁(うれ)ひをいかにせむ

かなしいかなやする墨の
いろに染めてし花の木の
君がしらべの歌の音に
薄き命のひゞきあり

かなしいかなや前の世は
みそらにかゝる星の身の
人の命のあさぼらけ
光も見せでうせにしよ

かなしいかなや同じ世に
生れいでたる身を持ちて
友の契りも結ばずに
君は早くもゆけるかな

すゞしき眼(まなこ)つゆを帶び
葡萄のたまとまがふまで
その面影をつたへては
あまりに妬(ねた)き姿かな

同じ時世(ときよ)に生れきて
同じいのちのあさぼらけ
君からくれなゐの花は散り
われ命(いのち)あり八重葎(やへむぐら)

かなしいかなやうるはしく
さきそめにける花を見よ
いかなればかくとゞまらで
待たで散るらむさける間(ま)も

かなしいかなやうるはしき
なさけもこひの花を見よ
いといと清きそのこひは
消ゆとこそ聞けいと早く

君し花とにあらねども
いな花よりもさらに花
君しこひとにあらねども
いなこひよりもさらにこひ

かなしいかなや人の世に
あまりに惜しき才(ざえ)なれば
病(やまひ)に塵(ちり)に悲(かなしみ)に
死(し)にまでそしりねたまるゝ

かなしいかなやはたとせの
ことばの海のみなれ棹
磯にくだくる高潮(たかじほ)の
うれひの花とちりにけり

かなしいかなや人の世の
きづなも捨てて嘶けば
つきせぬ草に秋は來て
聲も悲しき天の馬

かなしいかなや音(ね)を遠み
流るゝ水の岸にさく
ひとつの花に照らされて
飄(ひるがへ)り行く一葉舟(ひとはぶね)
[#改ページ]

 秋思


秋は來(き)ぬ
  秋は來ぬ
一葉(ひとは)は花は露ありて
風の來て彈(ひ)く琴の音に
青き葡萄は紫の
自然の酒とかはりけり

秋は來ぬ
  秋は來ぬ
おくれさきだつ秋草(あきぐさ)も
みな夕霜(ゆふじも)のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
盃にこそつぐべけれ

秋は來ぬ
  秋は來ぬ
くさきも紅葉(もみぢ)するものを
たれかは秋に醉はざらむ
智惠あり顏のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはむ
[#改ページ]

 初戀


まだあげ初(そ)めし前髮(まへがみ)の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の實(み)に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髮の毛にかゝるとき
たのしき戀の盃(さかづき)を
君が情(なさけ)に酌みしかな

林檎畑の樹(こ)の下(した)に
おのづからなる細道(ほそみち)は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそうれしけれ
[#改ページ]

 狐のわざ


庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜(よる)いでゝ
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

戀は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾心
[#改ページ]

 髮を洗へば


髮を洗へば紫の
小草(をぐさ)のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥(はなとり)の
われに隨ふ風情(ふぜい)あり

目にながむれば彩雲(あやぐも)の
まきてはひらく繪卷物(ゑまきもの)
手にとる酒は美酒(うまざけ)の
若き愁(うれひ)をたゝふめり

耳をたつれば歌神(うたがみ)の
きたりて玉(たま)の簫(ふえ)を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ

あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな
[#改ページ]

 君がこゝろは


君がこゝろは蟋蟀(こほろぎ)の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影(あさかげ)清(きよ)き花草(はなぐさ)に
惜(を)しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは觸れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
觸れたまはぬぞ恨みなる
[#改ページ]

 傘のうち


二人(ふたり)してさす一張(ひとはり)の
傘(かさ)に姿をつゝむとも
情(なさけ)の雨のふりしきり
かわく間(ま)もなきたもとかな

顏と顏とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花(ばいくわ)の油黒髮(くろかみ)の
亂れて匂ふ傘(かさ)のうち

戀の一雨ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間(ま)や
染めてぞ燃ゆる紅絹(もみ)うらの
雨になやめる足まとひ

歌ふをきけば梅川よ
しばし情(なさけ)を捨てよかし
いづこも戀に戲(たはふ)れて
それ忠兵衞の夢がたり

こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘(かさ)の涙を乾(ほ)さぬ間(ま)に
手に手をとりて行きて歸(かへ)らじ
[#改ページ]

 秋に隱れて


わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰(ゆふぐれ)に
秋に隱(かく)れて窓にさくなり
[#改ページ]

 知るや君


こゝろもあらぬ秋鳥(あきとり)の
聲にもれくる一ふしを
        知るや君

深くも澄(す)める朝潮(あさじほ)の
底にかくるゝ眞珠(しらたま)を
        知るや君

あやめもしらぬやみの夜に
靜(しづか)にうごく星くづを
        知るや君

まだ彈(ひ)きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音(ね)を
        知るや君
[#改ページ]

 秋風の歌

  さびしさはいつともわかぬ山里に
      尾花みだれて秋かぜぞふく

しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲(しらくも)の
飛びて行くへも見ゆるかな

暮影(ゆふかげ)高く秋は黄の
桐の梢の琴の音(ね)に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風(にしかぜ)吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隱(かく)る

ふりさけ見れば青山(あをやま)も
色はもみぢに染めかへて
霜葉(しもば)をかへす秋風の
空(そら)の明鏡(かゞみ)にあらはれぬ

清(すゞ)しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉(ば)にきたるとき

道を傳ふる婆羅門(ばらもん)の
西に東に散(ち)るごとく
吹き漂蕩(たゞよは)す秋風に
飄(ひるがへ)り行く木(こ)の葉(は)かな

朝羽(あさば)うちふる鷲鷹(わしたか)の
明闇天(あけくれそら)をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽(はね)に聲(こゑ)あり力(ちから)あり

見ればかしこし西風の
山の木(こ)の葉(は)をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉(もゝは)を落すとき

人は利劍(つるぎ)を振(ふる)へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世(ときよ)をのゝしるも
聲はたちまち滅(ほろ)ぶめり

高くも烈(はげ)し野も山も
息吹(いぶき)まどはす秋風よ
世をかれがれとなすまでは
吹きも休(や)むべきけはひなし

あゝうらさびし天地(あめつち)の
壺(つぼ)の中(うち)なる秋の日や
落葉と共に飄(ひるがへ)る
風の行衞(ゆくへ)を誰か知る
[#改ページ]

 雲のゆくへ


庭にたちいでたゞひとり
秋海棠の花を分け
空ながむれば行く雲の
更(さら)に祕密(ひみつ)を闡(ひら)くかな
[#改ページ]

 母を葬るのうた

  うき雲はありともわかぬ大空の
      月のかげよりふるしぐれかな

きみがはかばに
    きゞくあり
きみがはかばに
    さかきあり

くさはにつゆは
    しげくして
おもからずやは
    そのしるし

いつかねむりを
    さめいでて
いつかへりこむ
    わがはゝよ

紅羅(あから)ひく子も
    ますらをも
みなちりひぢと
    なるものを

あゝさめたまふ
    ことなかれ
あゝかへりくる
    ことなかれ

はるははなさき
    はなちりて
きみがはかばに
    かゝるとも

なつはみだるゝ
    ほたるびの
きみがはかばに
    とべるとも

あきはさみしき
    あきさめの
きみがはかばに
    そゝぐとも

ふゆはましろに
    ゆきじもの
きみがはかばに
    こほるとも

とほきねむりの
    ゆめまくら
おそるゝなかれ
    わがはゝよ
[#改ページ]

 合唱


 一 暗香

  はるのよはひかりはかりとおもひしを
      しろきやうめのさかりなるらむ

  姉
わかきいのちの
    をしければ
やみにも春の
    香(か)に醉はむ

せめてこよひは
    さほひめよ
はなさくかげに
    うたへかし

  妹
そらもゑへりや
    はるのよは
ほしもかくれて
    みえわかず

よめにもそれと
    ほのしろく
みだれてにほふ
    うめのはな

  姉
はるのひかりの
    こひしさに
かたちをかくす
    うぐひすよ

はなさへしるき
    はるのよの
やみをおそるゝ
    ことなかれ

  妹
うめをめぐりて
    ゆくみづの
やみをながるゝ
    せゝらぎや

ゆめもさそはぬ
   香(か)なりせば
いづれかよるに
    にほはまし

  姉
こぞのこよひは
    わがともの
うすこうばいの
    そめごろも

ほかげにうつる
    さかづきを
こひのみゑへる
    よなりけり

  妹
こぞのこよひは
    わがともの
なみだをうつす
    よのなごり

かげもかなしや
    木下川に
うれひしづみし
    よなりけり

  姉
こぞのこよひは
    わがともの
おもひははるの
    よのゆめや

よをうきものに
    いでたまふ
ひとめをつゝむ
    よなりけり

  妹
こぞのこよひは
    わがともの
そでのかすみの
    はなむしろ

ひくやことのね
    たかじほを
うつしあはせし
    よなりけり

  姉
わがみぎのてに
    くらぶれば
やさしきなれが
    たなごゝろ

ふるればいとど
    やわらかに
もゆるかあつく
    おもほゆる

  妹
もゆるやいかに
    こよひはと
とひたまふこそ
    うれしけれ

しりたまはずや
    うめがかに
わがうまれてし
    はるのよを


 二 蓮花舟

  しは/\もこほるゝつゆははちすはの
      うきはにのみもたまりけるかな

  姉
あゝはすのはな
    はすのはな
かげはみえけり
    いけみづに

ひとつのふねに
    さをさして
うきはをわけて
    こぎいでむ

  妹
かぜもすゞしや
    はがくれに
そこにもしろし
    はすのはな

こゝにもあかき
    はすばなの
みづしづかなる
    いけのおも

  姉
はすをやさしみ
    はなをとり
そでなひたしそ
    いけみづに

ひとめもはぢよ
    はなかげに
なれが乳房(ちぶさ)の
    あらはるゝ

  妹
ふかくもすめる
    いけみづの
葉にすれてゆく
    みなれざを

なつぐもゆけば
    かげみえて
はなよりはなを
    わたるらし

  姉
荷葉にうたひ
    ふねにのり
はなつみのする
    なつのゆめ

はすのはなふね
    さをとめて
なにをながむる
    そのすがた

  妹
なみしづかなる
    はなかげに
きみのかたちの
    うつるかな

きみのかたちと
    なつばなと
いづれうるはし
    いづれやさしき


 三 葡萄の樹のかげ

  はるあきにおもひみたれてわきかねつ
      ときにつけつゝうつるこゝろは

  妹
たのしからずや
    はなやかに
あきはいりひの
    てらすとき

たのしからずや
    ぶだうばの
はごしにくもの
    かよふとき

  姉
やさしからずや
    むらさきの
ぶだうのふさの
    かゝるとき

やさしからずや
    にひぼしの
ぶだうのたまに
    うつるとき

  妹
かぜはしづかに
    そらすみて
あきはたのしき
    ゆふまぐれ

いつまでわかき
    をとめごの
たのしきゆめの
    われらぞや

  姉
あきのぶだうの
    きのかげの
いかにやさしく
    ふかくとも

てにてをとりて
    かげをふむ
なれとわかれて
    なにかせむ

  妹
げにやかひなき
    くりごとも
ぶだうにしかじ
    ひとふさの

われにあたへよ
    ひとふさを
そこにかゝれる
    むらさきの

  姉
われをしれかし
    えだたかみ
とゞかじものを
    かのふさは

はかげのたまに
    手はふれで
わがさしぐしの
    おちにけるかな


 四 高樓

  わかれゆくひとををしむとこよひより
      とほきゆめちにわれやまとはむ

  妹
とほきわかれに
    たへかねて
このたかどのに
    のぼるかな

かなしむなかれ
    わがあねよ
たびのころもを
    とゝのへよ

  姉
わかれといへば
    むかしより
このひとのよの
    つねなるを

ながるゝみづを
    ながむれば
ゆめはづかしき
    なみだかな

  妹
したへるひとの
    もとにゆく
きみのうへこそ
    たのしけれ

ふゆやまこえて
    きみゆかば
なにをひかりの
    わがみぞや

  姉
あゝはなとりの
    いろにつけ
ねにつけわれを
    おもへかし

けふわかれては
    いつかまた
あひみるまでの
    いのちかも

  妹
きみがさやけき
    めのいろも
きみくれなゐの
    くちびるも

きみがみどりの
    くろかみも
またいつかみむ
    このわかれ

  姉
なれがやさしき
    なぐさめも
なれがたのしき
    うたごゑも

なれがこゝろの
    ことのねも
またいつきかむ
    このわかれ

  妹
きみのゆくべき
    やまかはは
おつるなみだに
    みえわかず

そでのしぐれの
    ふゆのひに
きみにおくらむ
    はなもがな

  姉
そでにおほへる
    うるはしき
ながかほばせを
    あげよかし

ながくれなゐの
    かほばせに
ながるゝなみだ
    われはぬぐはむ
[#改ページ]

 ゆふぐれしづかに


ゆふぐれしづかに
     ゆめみむとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府(よみ)まで
     かけりゆかむ
[#改ページ]

 月夜


しづかにてらせる
     月のひかりの
などか絶間なく
     ものおもはする
さやけきそのかげ
     こゑはなくとも
みるひとの胸に
     忍び入るなり
なさけは説(と)くとも
     なさけをしらぬ
うきよのほかにも
     朽ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
     この月かげと
いづれか聲なき
     いづれかなしき
[#改ページ]

 強敵


一つの花に蝶と蜘蛛
小蜘蛛は花を守(まも)り顏
小蝶は花に醉ひ顏に
舞へども舞へどもすべぞなき

花は小蜘蛛のためならば
小蝶の舞(まひ)をいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ

やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼(つばさ)も輕き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ
[#改ページ]

 別離

人妻をしたへる男の山に登り其
女の家を望み見てうたへるうた

誰(たれ)かとどめむ旅人(たびびと)の
あすは雲間(くもま)に隱るゝを
誰か聞くらむ旅人の
あすは別れと告げましを

清(きよ)き戀とや片(かた)し貝(がひ)
われのみものを思ふより
戀はあふれて濁(にご)るとも
君に涙をかけましを

人妻(ひとづま)戀ふる悲しさを
君がなさけに知りもせば
せめてはわれを罪人(つみびと)と
呼びたまふこそうれしけれ

あやめもしらぬ憂(う)しや身は
くるしきこひの牢獄(ひとや)より
罪の鞭責(しもと)をのがれいで
こひて死なむと思ふなり

誰(たれ)かは花をたづねざる
誰かは色彩(いろ)に迷はざる
誰かは前にさける見て
花を摘(つ)まむと思はざる

戀の花にも戲るゝ
嫉妬(ねたみ)の蝶の身ぞつらき
二つの羽(はね)もをれをれて
翼(つばさ)の色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいやいや深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
蓮さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩さかばやと思ふかな

待つまも早く秋は來(き)て
わが踏む道に萩さけど
濁りて待てる吾戀は
清き怨(うらみ)となりにけり
[#改ページ]

 望郷

寺をのがれいでたる僧のうたひし
そのうた

いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでては住みなれし
御寺(みてら)の藏裏(くり)の白壁(しらかべ)の
眼(め)にもふたゝび見ゆるかな

いざさらば
住めば佛のやどりさへ
火炎(ほのほ)の宅(いへ)となるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵(ちり)にわれは燒けなむ
[#改ページ]

 かもめ


波に生れて波に死ぬ
情(なさけ)の海のかもめどり
戀の激波(おほなみ)たちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

闇き潮(うしほ)の驚きて
流れて歸るわだつみの
鳥の行衞も見えわかぬ
波にうきねのかもめどり
[#改ページ]

 流星


門(かど)にたち出でたゞひとり
人待ち顏のさみしさに
ゆふべの空をながむれば
雲の宿りも捨てはてて
何かこひしき人の世に
流れて落つる星一つ
[#改ページ]

 君と遊ばむ


君と遊ばむ夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
晝の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
樂みのかず夜(よ)は盡きじ

夢かうつゝか天の川
星に假寢の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
梭の遠音を聞かめやも
[#改ページ]

 晝の夢


花橘の袖の香の
みめうるはしきをとめごは
眞晝(まひる)に夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日(まひる)の夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世に出でて
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名殘ぞと
問はば答へむ目さめては
熱き涙のかわく間もなし
[#改ページ]

 四つの袖


をとこの氣息(いき)のやはらかき
お夏の髮にかゝるとき
をとこの早きためいきの
霰(あられ)のごとくはしるとき

をとこの熱(あつ)き手の掌(ひら)の
お夏の手にも觸るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき

をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映(うつ)るとき
をとこの紅(あか)き口脣(くちびる)の
お夏の口にもゆるとき

人こそしらね嗚呼戀の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎
[#改ページ]

 □


花によりそふ□(にはとり)の
夫(つま)よ妻鳥(めどり)よ燕子花
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情(ふぜい)あり

姿やさしき牝□(めんどり)の
かたちを恥づるこゝろして
花に隱るゝありさまに
品かはりたる夫鳥(つまどり)や

雄々しくたけき雄□(をんどり)の
とさかの色も艶(つや)にして
黄なる口嘴(くちばし)脚蹴爪(あしけづめ)
尾はしだり尾のながながし

問うても見まし誰(た)がために
よそほひありく夫鳥(つまどり)よ
妻(つま)守(も)るためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき

畫にこそかけれ花鳥(はなとり)の
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寢の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へむと□(にはとり)の
夜(よる)の使を音(ね)にぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめを誰(たれ)か知る
燃ゆるがごとき紅(くれなゐ)の
雲のゆくへを誰(たれ)か知る

闇もこれより隣なる
聲ふりあげて鳴くときは
人の長眠(ねむり)のみなめざめ
夜(よ)は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜(よ)はすでに
いざ妻鳥(つまどり)と巣を出でて
餌(ゑ)をあさらむと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬ□(とり)の音(ね)も高(たか)に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて來(く)るはなぞ
妻戀ふらしや妻鳥(つまどり)を

ねたしや露に羽(はね)ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄□(をどり)に惜しき白妙の
雪をあざむくばかりなり

力(ちから)あるらし聲たけき
敵(かたき)のさまを懼れてか
聲色(いろ)あるさまに羞ぢてかや
妻鳥(めどり)は花に隱れけり

かくと見るより堪へかねて
背(せ)をや高めし夫鳥(つまどり)は
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛のさきも逆立(さかだ)ちて
血潮(ちしほ)にまじる眼のひかり
二つの□(とり)のすがたこそ
是(これ)おそろしき風情(ふぜい)なれ

妻鳥(めどり)は花を馳け出でて
爭鬪(あらそひ)分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪(けづめ)には
火焔(ほのほ)もちるとうたがはる

蹴るや左眼(さがん)の的(まと)それて
羽(はね)に血しほの夫鳥(つまどり)は
敵(てき)の右眼(うがん)をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれなゐの
血汐の花も地に染みて
二つの□(とり)の目もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに聲あり涙あり
爭ひ狂ふ四つの羽(はね)
血潮(のり)に滑りし夫鳥(つまどり)の
あな仆れけむ聲高し

一聲長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥(つまどり)の
羽(はね)は血汐の朱(あけ)に染(そ)み
あたりにさける花紅し

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一聲鳴けかしと
屍(かばね)に嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖(おそれ)と變りきて
思ひ亂れて音(ね)をのみぞ
鳴くや妻鳥(めどり)の心なく

我を戀ふらし音(ね)にたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵(てき)とならむとは

花にもつるゝ蝶あるを
鳥に縁(えにし)のなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其の情(なさけ)

紅(あけ)に染(そ)みたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる戀見れば
敵(てき)のこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも變りけり

かなしこひしの夫鳥(つまどり)の
冷えまさりゆく其姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥(めどり)の身の末ぞ

恐怖(おそれ)を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵(てき)に
なにとはなしに身をよする
妻鳥(めどり)のこゝろあはれなれ

あないたましのながめかな
さきの樂しき花ちりて
空色暗く一彩毛(ひとはけ)の
雲にかなしき野のけしき

行きてかへらぬ鳥はいざ
夫(つま)か妻鳥(めどり)か燕子花
いづれあやめを踏み分けて
野末を歸る二羽の□(とり)
[#改ページ]

 林の歌


力を刻(きざ)む木匠(こだくみ)の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花(くさばな)彫刻(ほりもの)の
鑿(のみ)の韻(にほひ)もとゞめじな
いろさまざまの春の葉に
青一筆(あをひとふで)の痕(あと)もなく
千枝(ちえ)にわかるゝ赤樟(あかくす)も
おのづからなるすがたのみ
檜(ひのき)は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじふる白樫や
樗(あふち)は莖をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

   山精
  ひとにしられぬ
  たのしみの
  ふかきはやしを
  たれかしる

  ひとにしられぬ
  はるのひの
  かすみのおくを
  たれかしる

   木精
  はなのむらさき
  はのみどり
  うらわかぐさの
  のべのいと

  たくみをつくす
  大機(おほはた)の
  梭(をさ)のはやしに
  きたれかし

   山精
  かのもえいづる
  くさをふみ
  かのわきいづる
  みづをのみ

  かのあたらしき
  はなにゑひ
  はるのおもひの
  なからずや

   木精
  ふるきころもを
  ぬぎすてて
  はるのかすみを
  まとへかし

  なくうぐひすの
  ねにいでて
  ふかきはやしに
  うたへかし

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅(やまもゝ)袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿(ひかげ)の蔭のやまいちご
色よき實こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隅々(くま/″\)も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
亂れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峽(はざま)より
やゝひらけたる深山木(みやまぎ)の
春は木枝(こえだ)のたゝずまひ
しげりて廣き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか瀧川よ
聲もさびしや白糸の
青き巖(いはほ)に流れ落ち
若き猿(ましら)のためにだに
音(おと)をとゞむる時ぞなき

   山精
  ゆふぐれかよふ
  たびびとの
  むねのおもひを
  たれかしる

  友にもあらぬ
  やまかはの
  はるのこゝろを
  たれかしる

   木精
  夜(よ)をなきあかす
  かなしみの
  まくらにつたふ
  なみだこそ

  ふかきはやしの
  たにかげの
  そこにながるゝ
  しづくなれ

   山精
  鹿はたふるゝ
  たびごとに
  妻こふこひに
  かへるなり

  のやまは枯るゝ
  たびごとに
  ちとせのはるに
  かへるなり

   木精
  ふるきおちばを
  やはらかき
  青葉のかげに
  葬れよ

  ふゆのゆめぢを
  さめいでて
  はるのはやしに
  きたれかし

今しもわたる深山(みやま)かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫(せう)の音(ね)をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝(ちえだ)にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々(きぎ)をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衞にいざなはれ
千々にめぐれる巖影(いはかげ)の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巖(あをいは)に
碎けて落つる飛潭(たきみづ)の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯(ひかり)照(て)りそふ水けぶり
獨り苔むす岩を攀ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭(たきみづ)の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらむ

   山精
  なにをいざよふ
  むらさきの
  ふかきはやしの
  はるがすみ

  なにかこひしき
  いはかげを
  ながれていづる
  いづみがは

   木精
  かくれてうたふ
  野の山の
  こゑなきこゑを
  きくやきみ

  つゝむにあまる
  はなかげの
  水のしらべを
  しるやきみ

   山精
  あゝながれつゝ
  こがれつゝ
  うつりゆきつゝ
  うごきつゝ

  あゝめぐりつゝ
  かへりつゝ
  うちわらひつゝ
  むせびつゝ

   木精
  いまひのひかり
  はるがすみ
  いまはなぐもり
  はるのあめ

  あゝあゝはなの
  つゆに醉ひ
  ふかきはやしに
  うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩(いろあや)の
いつしか淡く茶を帶びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと靜かなる湖の
岸邊にさける花躑躅
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅(くれなゐ)の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫(ふかむらさき)の紅(くれなゐ)の
彩(あや)にうつろふ夕まぐれ
[#改丁]

  一葉舟より
     明治三十年――同三十一年
        (仙臺及び東京にて)
[#改丁]

 鷲の歌


みるめの草は青くして海の潮(うしほ)の香(か)ににほひ
流れ藻の葉はむすぼれて蜑の小舟にこがるゝも
あしたゆふべのさだめなき大龍神(おほたつがみ)の見る夢の
闇(くら)きあらしに驚けば海原(うなばら)とくもかはりつゝ

とくたちかへれ夏波に友よびかはす濱千鳥
もしほやく火はきえはてて岩にひそめるかもめどり
蜑は苫やに舟は磯いそうちよする波ぎはの
削りて高き巖角(いはかど)にしばし身をよす二羽の鷲

いかづちの火の岩に落ち波間(なみま)に落ちて消ゆるまも
寢みだれ髮か黒雲(くろくも)の風にふかれつそらに飛び
葡萄の酒の濃紫いろこそ似たれ荒波(あらなみ)の
波のみだれて狂ひよるひゞきの高くすさまじや

翼(つばさ)の骨をそばだててすがたをつゝむ若鷲の
身は覆羽(おおひば)やさごろもや腋羽(ほろば)のうちにかくせども
見よ老鷲はそこ白く赤すぢたてる大爪に
岩をつかみて中高き頭(かしら)靜かにながめけり

げに白髮(しらかみ)のものゝふの劍(つるぎ)の霜を拂ふごと
唐藍(からあゐ)の花ますらをのかの青雲(あをくも)を慕ふごと
黄葉(もみぢ)の影に啼く鹿の谷間(たにま)の水に喘(あへ)ぐごと
眼(まなこ)鋭く老鷲は雲の行くへをのぞむかな

わが若鷲はうちひそみわが老鷲はたちあがり
小河に映(うつ)る明星の澄めるに似たる眼(まなこ)して
黒雲(くろくも)の行く大空(おほぞら)のかなたにむかひうめきしが
いづれこゝろのおくれたり高し烈(はげ)しとさだむべき

わが若鷲は琴柱尾(ことぢを)や胸に文(あや)なす鷸(しぎ)の斑(ふ)の
承毛(うけげ)は白く柔和(やはらか)に谷の落(おと)し羽(は)飛ぶときも
湧きて流るゝ眞清水(ましみづ)の水に翼(つばさ)をうちひたし
このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅

わが老鷲は肩剛く胸腹(むなばら)廣く溢れいで
烈しき風をうち凌ぐ羽(はね)は著(しる)くもあらはれて
藤の花かも胸の斑(ふ)や髀(もゝ)に甲(よろひ)をおくごとく
鳥(とり)の命(いのち)の戰ひに翼にかゝる老の霜

げにいかめしきものゝふの盾(たて)にもいづれ翼をば
張りひろげたる老鷲のふたゝびみたび羽(は)ばたきて
踴れる胸は海潮(うみじほ)の湧きつ流れつ鳴るごとく
力あふれて空高く舞ひたちあがるすがたかな

黒岩茸の岩ばなに生ふにも似るか若鷲の
巖角(いはかど)ふかく身をよせて飛ぶ老鷲をうかゞふに
紋は花菱舞ひ扇ひらめきかへる疾風(はやかぜ)の
わが老鷲を吹くさまは一葉(ひとは)を振(ふ)るに似たりけり

たゝかふためにうまれては羽(はね)を劍(つるぎ)の老鷲の
うたむかたむと小休なき熱き胸より吹く氣息(いき)は
色くれなゐの火炎(ほのほ)かもげに悲痛(かなしみ)の湧き上り
勁(つよ)き翼をひるがへしかの天雲(あまぐも)を凌ぎけり

光(ひかり)を慕ふ身なれども運命(さだめ)かなしや老鳥(おいどり)の
一こゑ深き苦悶(くるしみ)のおとをみそらに殘しおき
金絲(きんし)の縫の黒繻子の帶かとぞ見る黒雲(くろくも)の
羽袖のうちにつゝまれて姿はいつか消えにけり

あゝさだめなき大空(おほぞら)のけしきのとくもかはりゆき
闇(くら)きあらしのをさまりて光にかへる海原や
細くかゝれる彩雲(あやぐも)はゆかりの色の濃紫
薄紫のうつろひに樂しき園となりけらし

命を岩につなぎては細くも絲をかけとめて
腋羽(ほろば)につゝむ頭(かしら)をばうちもたげたる若鷲の
鉤(はり)にも似たる爪先の雨にぬれたる岩ばなに
かたくつきたる一つ羽(は)はそれも名殘か老鷲の

霜ふりかゝる老鷲の一羽(ひとは)をくはへ眺むれば
夏の光にてらされて岩根にひゞく高潮(たかしほ)の
碎けて深き海原(うなばら)の岩角(いはかど)に立つ若鷲は
日影にうつる雲さして行くへもしれず飛ぶやかなたへ
[#改ページ]

 白磁花瓶賦


みしやみぎはの白あやめ
はなよりしろき花瓶(はながめ)を
いかなるひとのたくみより
うまれいでしとしるやきみ

瓶(かめ)のすがたのやさしきは
根ざしも清き泉より
にほひいでたるしろたへの
こゝろのはなと君やみむ

さばかり清きたくみぞと
いひたまふこそうれしけれ
うらみわびつるわが友の
うきなみだよりいでこしを

ゆめにたはふれ夢に醉ひ
さむるときなきわが友の
名殘は白き花瓶(はながめ)に
あつきなみだの殘るかな

にごりをいでてさくはなに
にほひありとなあやしみそ
光(ひかり)は高き花瓶(はながめ)に
戀の嫉妬(ねたみ)もあるものを

命運(さだめ)をよそにかげろふの
きゆるためしぞなしといへ
あまりに薄き縁(えにし)こそ
友のこのよのいのちなれ

やがてさかえむゆくすゑの
ひかりも待たで夏の夜の
短かき夢は燭火(ともしび)の
花と散りゆきはかなさや

つゆもまだひぬみどりばの
しげきこずゑのしたかげに
ほとゝぎすなく夏のひの
もろ葉がくれの青梅(あをうめ)も

夏の光のかゞやきて
さつきの雨のはれわたり
黄金(こがね)いろづく梅が枝(え)に
たのしきときやあるべきを

胸の青葉のうらわかみ
朝露(あさつゆ)しげきこずゑより

次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:113 KB

担当:undef