藤村詩抄
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著者名:島崎藤村 

花さく野邊は吾衾(わがしとね)
星縫ふ空は吾帳(わがとばり)
さかまく海は吾緒琴(わがをごと)

 いづこよりとは告げがたし
 いづこまでとは言ひがたし

いま日の光いま嵐
來る歡樂(たのしみ)哀傷(かなしみ)の
人のさかりをかりそめに
夏といはむもおもしろや

あゝわれひとの知らぬ間に
心の色は褪せ易し
胸うち掩ふ緑葉(みどりば)の
若き命もいくばくぞ

 かんばせの花紅き子も
 あはれや早く翁顏

あるひは高く撃てれども
翅碎けて八重葎(むぐら)
あるひは遠く舞へれども
望は落ちて塵埃(あくた)

譽も聲も浮ける雲
すぐれし才はいづこぞや
涙も夢も草の雨
流れて更に音も無し

 思うて誰か傷まざる
 歩みて誰か迷はざる

人の命を兒童(わらはべ)の
□戲(たはれ)と言ふは誰が言葉
賤も聖(ひじり)も丈夫(ますらを)も
兒童(わらはべ)ならぬものやある

晝には晝に遊ぶべし
夜には夜に遊ぶべし
破りはつべき世ならねば
身は狂ふこそ悲しけれ

 捨てつ拾ひつこの命
 行きつ運(めぐ)りつこの環(たまき)
[#改ページ]

 落葉松の樹


落葉松(からまつ)の樹はありとても
石南花(しやくなげ)の花さくとても
故郷(ふるさと)遠き草枕
思はなにか慰まむ
旅寢は胸も病むばかり
沈む憂は醉ふがごと
獨りぬる夜の夢にのみ
たゞ夢にのみ山路を下る
[#改ページ]

 ふと目はさめぬ


ふと目は覺めぬ五とせの
心の醉に驚きて
若き是身(このみ)をながむれば
はや吾春は老いにけり

夢の心地(こゝち)も甘かりし
昔は何を知れとてか
清(すず)しき星も身を呪ふ
今は何をか思へとや

剛愎(かたくな)なりし吾さへも
折れて泣きしは戀なりき
荒き胸にも一輪の
花をかざすは戀なりき

勇める馬の狂ひいで
鬣(たてがみ)長く嘶きて
風こゝちよき青草の
野邊を蹄に履(ふ)むがごと

又は眼(まなこ)も紫に
胸より熱き火を吹きて
汲めど盡きせぬ眞清水の
泉に喘(あへ)ぎよるがごと

若き心の躍りては
軛(くびき)も綱も捨てけりな
こがれつ醉ひつ筆振れば
筆神ありと思ひてき

あゝうつくしき花草は
咲く間を待たで萎(しぼ)むらむ
消(き)えはてにけり吾戀は
藝術(たくみ)諸共(もろとも)消えにけり

そは何故のうき世にて
人に誠はありながら
戀路の末はとこしへの
冬を生命(いのち)に刻(きざ)むらむ

黒髮われを覆ふとも
血潮はわれを染むるとも
花口脣(くちびる)を飾るとも
思は胸を傷(いた)ましむ

繪筆うちふる吾指は
歎きのために震ふかな
涙に濡るゝ吾紙は
象(かたち)空(むな)しく消(き)ゆるかな

かはりはてたる吾命
かはりはてたる吾思
かはりはてたる吾戀路
かはりはてたる吾藝術(たくみ)

この世はあまり實(み)にすぎて
あたら吾身は夢ばかり
なぐさめもなき幻(まぼろし)の
境に泣きてさまよふわれは
[#改ページ]

 縫ひかへせ


縫ひかへせ縫ひかへせ
膩(あぶら)に染みし其袂
涙に濡れし其袂
濯(すゝ)げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
君が衣を縫ひかへせ
愁(うれひ)は水に汗は瀬に
濯(すゝ)げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
捨てよ昔の夢の垢(あか)
やめよ甲斐なき物思
濯(すゝ)げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
腐れて何の袖かある
勞(つか)れて何の道かある
濯(すゝ)げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
薄き羽袖の蝉すらも
歌うて殼を出づる世に
濯(すゝ)げよさらば嘆かずもがな

縫ひかへせ縫ひかへせ
君がなげきは古(ふ)りたりや
とく新しき世に歸れ
濯(すゝ)げよさらば嘆かずもがな




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