藤村詩抄
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著者名:島崎藤村 

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花によりそふ□(にはとり)の
夫(つま)よ妻鳥(めどり)よ燕子花
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情(ふぜい)あり

姿やさしき牝□(めんどり)の
かたちを恥づるこゝろして
花に隱るゝありさまに
品かはりたる夫鳥(つまどり)や

雄々しくたけき雄□(をんどり)の
とさかの色も艶(つや)にして
黄なる口嘴(くちばし)脚蹴爪(あしけづめ)
尾はしだり尾のながながし

問うても見まし誰(た)がために
よそほひありく夫鳥(つまどり)よ
妻(つま)守(も)るためのかざりにと
いひたげなるぞいぢらしき

畫にこそかけれ花鳥(はなとり)の
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寢の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へむと□(にはとり)の
夜(よる)の使を音(ね)にぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめを誰(たれ)か知る
燃ゆるがごとき紅(くれなゐ)の
雲のゆくへを誰(たれ)か知る

闇もこれより隣なる
聲ふりあげて鳴くときは
人の長眠(ねむり)のみなめざめ
夜(よ)は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜(よ)はすでに
いざ妻鳥(つまどり)と巣を出でて
餌(ゑ)をあさらむと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬ□(とり)の音(ね)も高(たか)に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて來(く)るはなぞ
妻戀ふらしや妻鳥(つまどり)を

ねたしや露に羽(はね)ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄□(をどり)に惜しき白妙の
雪をあざむくばかりなり

力(ちから)あるらし聲たけき
敵(かたき)のさまを懼れてか
聲色(いろ)あるさまに羞ぢてかや
妻鳥(めどり)は花に隱れけり

かくと見るより堪へかねて
背(せ)をや高めし夫鳥(つまどり)は
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛のさきも逆立(さかだ)ちて
血潮(ちしほ)にまじる眼のひかり
二つの□(とり)のすがたこそ
是(これ)おそろしき風情(ふぜい)なれ

妻鳥(めどり)は花を馳け出でて
爭鬪(あらそひ)分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪(けづめ)には
火焔(ほのほ)もちるとうたがはる

蹴るや左眼(さがん)の的(まと)それて
羽(はね)に血しほの夫鳥(つまどり)は
敵(てき)の右眼(うがん)をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれなゐの
血汐の花も地に染みて
二つの□(とり)の目もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに聲あり涙あり
爭ひ狂ふ四つの羽(はね)
血潮(のり)に滑りし夫鳥(つまどり)の
あな仆れけむ聲高し

一聲長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥(つまどり)の
羽(はね)は血汐の朱(あけ)に染(そ)み
あたりにさける花紅し

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一聲鳴けかしと
屍(かばね)に嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖(おそれ)と變りきて
思ひ亂れて音(ね)をのみぞ
鳴くや妻鳥(めどり)の心なく

我を戀ふらし音(ね)にたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵(てき)とならむとは

花にもつるゝ蝶あるを
鳥に縁(えにし)のなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其の情(なさけ)

紅(あけ)に染(そ)みたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる戀見れば
敵(てき)のこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも變りけり

かなしこひしの夫鳥(つまどり)の
冷えまさりゆく其姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥(めどり)の身の末ぞ

恐怖(おそれ)を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵(てき)に
なにとはなしに身をよする
妻鳥(めどり)のこゝろあはれなれ

あないたましのながめかな
さきの樂しき花ちりて
空色暗く一彩毛(ひとはけ)の
雲にかなしき野のけしき

行きてかへらぬ鳥はいざ
夫(つま)か妻鳥(めどり)か燕子花
いづれあやめを踏み分けて
野末を歸る二羽の□(とり)
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 林の歌


力を刻(きざ)む木匠(こだくみ)の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花(くさばな)彫刻(ほりもの)の
鑿(のみ)の韻(にほひ)もとゞめじな
いろさまざまの春の葉に
青一筆(あをひとふで)の痕(あと)もなく
千枝(ちえ)にわかるゝ赤樟(あかくす)も
おのづからなるすがたのみ
檜(ひのき)は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじふる白樫や
樗(あふち)は莖をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

   山精
  ひとにしられぬ
  たのしみの
  ふかきはやしを
  たれかしる

  ひとにしられぬ
  はるのひの
  かすみのおくを
  たれかしる

   木精
  はなのむらさき
  はのみどり
  うらわかぐさの
  のべのいと

  たくみをつくす
  大機(おほはた)の
  梭(をさ)のはやしに
  きたれかし

   山精
  かのもえいづる
  くさをふみ
  かのわきいづる
  みづをのみ

  かのあたらしき
  はなにゑひ
  はるのおもひの
  なからずや

   木精
  ふるきころもを
  ぬぎすてて
  はるのかすみを
  まとへかし

  なくうぐひすの
  ねにいでて
  ふかきはやしに
  うたへかし

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅(やまもゝ)袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿(ひかげ)の蔭のやまいちご
色よき實こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隅々(くま/″\)も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
亂れてにほふふぢばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峽(はざま)より
やゝひらけたる深山木(みやまぎ)の
春は木枝(こえだ)のたゝずまひ
しげりて廣き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか瀧川よ
聲もさびしや白糸の
青き巖(いはほ)に流れ落ち
若き猿(ましら)のためにだに
音(おと)をとゞむる時ぞなき

   山精
  ゆふぐれかよふ
  たびびとの
  むねのおもひを
  たれかしる

  友にもあらぬ
  やまかはの
  はるのこゝろを
  たれかしる

   木精
  夜(よ)をなきあかす
  かなしみの
  まくらにつたふ
  なみだこそ

  ふかきはやしの
  たにかげの
  そこにながるゝ
  しづくなれ

   山精
  鹿はたふるゝ
  たびごとに
  妻こふこひに
  かへるなり

  のやまは枯るゝ
  たびごとに
  ちとせのはるに
  かへるなり

   木精
  ふるきおちばを
  やはらかき
  青葉のかげに
  葬れよ

  ふゆのゆめぢを
  さめいでて
  はるのはやしに
  きたれかし

今しもわたる深山(みやま)かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫(せう)の音(ね)をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝(ちえだ)にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々(きぎ)をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衞にいざなはれ
千々にめぐれる巖影(いはかげ)の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巖(あをいは)に
碎けて落つる飛潭(たきみづ)の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯(ひかり)照(て)りそふ水けぶり
獨り苔むす岩を攀ぢ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭(たきみづ)の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらむ

   山精
  なにをいざよふ
  むらさきの
  ふかきはやしの
  はるがすみ

  なにかこひしき
  いはかげを
  ながれていづる
  いづみがは

   木精
  かくれてうたふ
  野の山の
  こゑなきこゑを
  きくやきみ

  つゝむにあまる
  はなかげの
  水のしらべを
  しるやきみ

   山精
  あゝながれつゝ
  こがれつゝ
  うつりゆきつゝ
  うごきつゝ

  あゝめぐりつゝ
  かへりつゝ
  うちわらひつゝ
  むせびつゝ

   木精
  いまひのひかり
  はるがすみ
  いまはなぐもり
  はるのあめ

  あゝあゝはなの
  つゆに醉ひ
  ふかきはやしに
  うたへかし

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩(いろあや)の
いつしか淡く茶を帶びて
雲くれなゐとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと靜かなる湖の
岸邊にさける花躑躅
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅(くれなゐ)の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫(ふかむらさき)の紅(くれなゐ)の
彩(あや)にうつろふ夕まぐれ
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  一葉舟より
     明治三十年――同三十一年
        (仙臺及び東京にて)
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 鷲の歌


みるめの草は青くして海の潮(うしほ)の香(か)ににほひ
流れ藻の葉はむすぼれて蜑の小舟にこがるゝも
あしたゆふべのさだめなき大龍神(おほたつがみ)の見る夢の
闇(くら)きあらしに驚けば海原(うなばら)とくもかはりつゝ

とくたちかへれ夏波に友よびかはす濱千鳥
もしほやく火はきえはてて岩にひそめるかもめどり
蜑は苫やに舟は磯いそうちよする波ぎはの
削りて高き巖角(いはかど)にしばし身をよす二羽の鷲

いかづちの火の岩に落ち波間(なみま)に落ちて消ゆるまも
寢みだれ髮か黒雲(くろくも)の風にふかれつそらに飛び
葡萄の酒の濃紫いろこそ似たれ荒波(あらなみ)の
波のみだれて狂ひよるひゞきの高くすさまじや

翼(つばさ)の骨をそばだててすがたをつゝむ若鷲の
身は覆羽(おおひば)やさごろもや腋羽(ほろば)のうちにかくせども
見よ老鷲はそこ白く赤すぢたてる大爪に
岩をつかみて中高き頭(かしら)靜かにながめけり

げに白髮(しらかみ)のものゝふの劍(つるぎ)の霜を拂ふごと
唐藍(からあゐ)の花ますらをのかの青雲(あをくも)を慕ふごと
黄葉(もみぢ)の影に啼く鹿の谷間(たにま)の水に喘(あへ)ぐごと
眼(まなこ)鋭く老鷲は雲の行くへをのぞむかな

わが若鷲はうちひそみわが老鷲はたちあがり
小河に映(うつ)る明星の澄めるに似たる眼(まなこ)して
黒雲(くろくも)の行く大空(おほぞら)のかなたにむかひうめきしが
いづれこゝろのおくれたり高し烈(はげ)しとさだむべき

わが若鷲は琴柱尾(ことぢを)や胸に文(あや)なす鷸(しぎ)の斑(ふ)の
承毛(うけげ)は白く柔和(やはらか)に谷の落(おと)し羽(は)飛ぶときも
湧きて流るゝ眞清水(ましみづ)の水に翼(つばさ)をうちひたし
このめる蔭は行く春のなごりにさける花躑躅

わが老鷲は肩剛く胸腹(むなばら)廣く溢れいで
烈しき風をうち凌ぐ羽(はね)は著(しる)くもあらはれて
藤の花かも胸の斑(ふ)や髀(もゝ)に甲(よろひ)をおくごとく
鳥(とり)の命(いのち)の戰ひに翼にかゝる老の霜

げにいかめしきものゝふの盾(たて)にもいづれ翼をば
張りひろげたる老鷲のふたゝびみたび羽(は)ばたきて
踴れる胸は海潮(うみじほ)の湧きつ流れつ鳴るごとく
力あふれて空高く舞ひたちあがるすがたかな

黒岩茸の岩ばなに生ふにも似るか若鷲の
巖角(いはかど)ふかく身をよせて飛ぶ老鷲をうかゞふに
紋は花菱舞ひ扇ひらめきかへる疾風(はやかぜ)の
わが老鷲を吹くさまは一葉(ひとは)を振(ふ)るに似たりけり

たゝかふためにうまれては羽(はね)を劍(つるぎ)の老鷲の
うたむかたむと小休なき熱き胸より吹く氣息(いき)は
色くれなゐの火炎(ほのほ)かもげに悲痛(かなしみ)の湧き上り
勁(つよ)き翼をひるがへしかの天雲(あまぐも)を凌ぎけり

光(ひかり)を慕ふ身なれども運命(さだめ)かなしや老鳥(おいどり)の
一こゑ深き苦悶(くるしみ)のおとをみそらに殘しおき
金絲(きんし)の縫の黒繻子の帶かとぞ見る黒雲(くろくも)の
羽袖のうちにつゝまれて姿はいつか消えにけり

あゝさだめなき大空(おほぞら)のけしきのとくもかはりゆき
闇(くら)きあらしのをさまりて光にかへる海原や
細くかゝれる彩雲(あやぐも)はゆかりの色の濃紫
薄紫のうつろひに樂しき園となりけらし

命を岩につなぎては細くも絲をかけとめて
腋羽(ほろば)につゝむ頭(かしら)をばうちもたげたる若鷲の
鉤(はり)にも似たる爪先の雨にぬれたる岩ばなに
かたくつきたる一つ羽(は)はそれも名殘か老鷲の

霜ふりかゝる老鷲の一羽(ひとは)をくはへ眺むれば
夏の光にてらされて岩根にひゞく高潮(たかしほ)の
碎けて深き海原(うなばら)の岩角(いはかど)に立つ若鷲は
日影にうつる雲さして行くへもしれず飛ぶやかなたへ
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 白磁花瓶賦


みしやみぎはの白あやめ
はなよりしろき花瓶(はながめ)を
いかなるひとのたくみより
うまれいでしとしるやきみ

瓶(かめ)のすがたのやさしきは
根ざしも清き泉より
にほひいでたるしろたへの
こゝろのはなと君やみむ

さばかり清きたくみぞと
いひたまふこそうれしけれ
うらみわびつるわが友の
うきなみだよりいでこしを

ゆめにたはふれ夢に醉ひ
さむるときなきわが友の
名殘は白き花瓶(はながめ)に
あつきなみだの殘るかな

にごりをいでてさくはなに
にほひありとなあやしみそ
光(ひかり)は高き花瓶(はながめ)に
戀の嫉妬(ねたみ)もあるものを

命運(さだめ)をよそにかげろふの
きゆるためしぞなしといへ
あまりに薄き縁(えにし)こそ
友のこのよのいのちなれ

やがてさかえむゆくすゑの
ひかりも待たで夏の夜の
短かき夢は燭火(ともしび)の
花と散りゆきはかなさや

つゆもまだひぬみどりばの
しげきこずゑのしたかげに
ほとゝぎすなく夏のひの
もろ葉がくれの青梅(あをうめ)も

夏の光のかゞやきて
さつきの雨のはれわたり
黄金(こがね)いろづく梅が枝(え)に
たのしきときやあるべきを

胸の青葉のうらわかみ
朝露(あさつゆ)しげきこずゑより
落ちてくやしき青梅(あをうめ)の
實(み)のひとつなる花瓶(はながめ)よ

いのちは薄き蝉の羽の
ひとへごろものうらもなく
はじめて友の戀歌(こひうた)を
花影(はなかげ)にきてうたふとき

緑のいろの夏草の
あしたの露にぬるゝごと
深くすゞしきまなこには
戀の雫のうるほひき

影を映(うつ)してさく花の
流るゝ水を慕ふごと
なさけをふくむ口脣に
からくれなゐの色を見き

をとめごゝろを眞珠(しらたま)の
藏(くら)とは友の見てしかど
寶(たから)の胸をひらくべき
戀の鍵(かぎ)だになかりしか

いとけなきかなひとのよに
智惠ありがほの戀なれど
をとめごゝろのはかなさは
友の得しらぬ外なりき

あひみてのちはとこしへの
わかれとなりし世のなごり
かなしきゆめと思ひしを
われや忘れじ夏の夜半(よは)

月はいでけり夏の夜の
青葉の蔭にさし添ひて
あふげば胸に忍び入る
ひかりのいろのさやけさや

ゆめにゆめ見るこゝちして
ふたりの膝をうち照らす
月の光にさそはれつ
しづかに友のうたふうた

  たれにかたらむ
  わがこゝろ
  たれにかつげむ
  このおもひ

  わかきいのちの
  あさぼらけ
  こゝろのはるの
  たのしみよ

  などいたましき
  かなしみの
  ゆめとはかはり
  はてつらむ

  こひはにほへる
  むらさきの
  さきてちりぬる
  はななるを

  あゝかひなしや
  そのはなの
  ゆかしかるべき
  かをかげば

  わがくれなゐの
  かほばせに
  とゞめもあへぬ
  なみだかな

  くさふみわくる
  こひつじよ
  なれものずゑに
  まよふみか

  さまよひやすき
  たびびとよ
  なあやまりそ
  ゆくみちを

  龍(たつ)を刻みし宮柱(みやばしら)
  ふとき心はありながら
  薄き命のはたとせの
  名殘は白き瓶(かめ)ひとつ

  たをらるべきをいのちにて
  はなさくとにはあらねども
  朝露(あさつゆ)おもきひとえだに
  うれひをふくむ花瓶(はながめ)や

  あゝあゝ清き白雪(しらゆき)は
  つもりもあへず消ゆるごと
  なつかしかりし友の身は
  われをのこしてうせにけり

  せめては白き花瓶(はながめ)よ
  消えにしあとの野の花の
  色にもいでよわが友の
  いのちの春の雪の名殘を
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 銀河


天(あま)の河原(かはら)を
  ながむれば
星の力(ちから)は
  おとろへて
遠きむかしの
  ゆめのあと
こゝにちとせを
  すぎにけり

そらの泉(いづみ)を
  よのひとの
汲むにまかせて
  わきいでし
天の河原は
  かれはてて
水はいづこに
  うせつらむ

ひゞきをあげよ
  織姫よ
みどりの空は
  かはらねど
ほしのやどりの
  今ははた
いづこに梭の
  音(ね)をきかむ

あゝひこぼしも
  織姫も
今はむなしく
  老い朽(く)ちて
夏のゆふべを
  かたるべき
みそらに若き
  星もなし
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 きりぎりす


去年(こぞ)蔦の葉の
  かげにきて
うたひいでしに
  くらぶれば
ことしも同じ
  しらべもて
かはるふしなき
  きりぎりす

耳なきわれを
  とがめそよ
うれしきものと
  おもひしを
自然(しぜん)のうたの
  かくまでに
舊(ふる)きしらべと
  なりけるか

同じしらべに
  たへかねて
草と草との
  花を分け
聲あるかたに
  たちよりて
蟲のこたへを
  もとめけり

花をへだてて
  きみがため
聞くにまかせて
  うたへども
うたのこゝろの
  かよはねば
せなかあはせの
  きりぎりす
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 春やいづこに


かすみのかげにもえいでし
糸の柳にくらぶれば
いまは小暗き木下闇(こしたやみ)
  あゝ一時(ひととき)の
      春やいづこに

色をほこりしあさみどり
わかきむかしもありけるを
今はしげれる夏の草
  あゝ一時(ひととき)の
      春やいづこに

梅も櫻もかはりはて
枝は緑(みどり)の酒のごと
醉うてくづるゝ夏の夢
  あゝ一時(ひととき)の
      春やいづこに
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  夏草より
     明治三十一年
       (木曾福島にて)
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 子兎のうた


ゆきてとらへよ
   大麥の
畠(はた)にかくるゝ
   小兎(こうさぎ)を

われらがつくる
   麥畠(むぎはた)の
青くさかりと
   なるものを

たわにみのりし
   穗のかげを
みだすはたれの
   たはむれぞ

麥まきどりの
   きなくより
丸根(まるね)に雨の
   かゝるまで

朝露(あさつゆ)しげき
   星影(ほしかげ)に
片(かた)さがりなき
   鍬(くは)まくら

ゆふづゝ沈む
   山のはの
こだまにひゞく
   はたけうち

われらがつくる
   麥畠(むぎはた)の
青くさかりと
   なるものを

ゆきてとらへよ
   大麥の
畠にかくるゝ
   小兎を
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 晩春の別離


時は暮れ行く春よりぞ
また短きはなかるらむ
恨(うらみ)は友の別れより
さらに長きはなかるらむ

君を送りて花近き
高樓(たかどの)までもきて見れば
緑に迷ふ鶯は
霞(かすみ)空(むな)しく鳴きかへり
白き光は佐保姫の
春の車駕(くるま)を照らすかな

これより君は行く雲と
ともに都を立ちいでて
懷(おも)へば琵琶の湖(みづうみ)の
岸の光にまよふとき
東膽吹(いぶき)の山高く
西には比叡比良の峯
日は行き通ふ山々の
深きながめをふしあふぎ
いかにすぐれし想(おもひ)をか
沈める波に湛(たゝ)ふらむ

流れは空し法皇の
夢(ゆめ)杳(はる)かなる鴨の水
水にうつろふ山城の
みやびの都(みやこ)行く春の
霞めるすがた見つくして
畿内に迫る伊賀伊勢の
鈴鹿の山の波遠く
海に落つるを望むとき
いかに萬(よろづ)の恨(うらみ)をば
空行く鷲に窮むらむ

春去り行かば青丹よし
奈良の都に尋ね入り
としつき君がこひ慕ふ
御堂(みだう)のうちに遊ぶとき
古き藝術(たくみ)の花の香(か)の
伽藍(がらん)の壁(かべ)に遺りなば
いかに韻(にほひ)を身にしめて
深き思に沈むらむ

さては秋津の島が根の
南の翼(つばさ)紀の國を
囘りて進む黒潮(くろしほ)の
鳴門に落ちて行くところ
天際(あまぎは)遠く白き日の
光を泄らす雲裂けて
目にはるかなる遠海の
波の踴るを望むとき
いかに胸うつ音(おと)高く
君が血潮のさわぐらむ

または名に負ふ歌枕
波に千とせの色映る
明石の浦のあさぼらけ
松萬代(よろづよ)の音(ね)に響く
舞子の濱のゆふまぐれ
もしそれ海の雲落ちて
淡路の島の影暗く
狹霧のうちに鳴き通ふ
千鳥の聲を聞くときは
いかに浦邊にさすらひて
遠き古(むかし)を忍ぶらむ

げに君がため山々は
雲を停めむ浦々は
磯に流るゝ白波(しらなみ)を
揚げむとすらむよしさらば
旅路(たびぢ)はるかに野邊行かば
野邊のひめごと森行かば
森のひめごとさぐりもて
高きに登り天地(あめつち)の
もなかに遊べ大川(おほかは)の
流れを窮(きは)め山々の
神をも呼ばひ谷々の
鬼をも起(おこ)し歌人(うたびと)の
魂(たま)をも遠く返(かへ)しつゝ
清(すゞ)しき聲をうちあげて
朽(く)ちせぬ琴をかき鳴らせ

あゝ歌神(うたがみ)の吹く氣息(いき)は
絶えてさびしくなりにけり
ひゞき空しき天籟は
いづくにかある

       九つの
藝術(たくみ)の神のかんづまり
かんさびませしとつくにの
阿典(あぜん)の宮殿(みや)の玉垣も
今はうつろひかはりけり
草の緑はグリイスの
牧場(まきば)を今も覆ふとも
みやびつくせしいにしへの
笛のしらべはいづくぞや
かのバビロンの水青く
千歳(ちとせ)の色をうつすとも
柳に懸けしいにしへの
琴は空しく流れけり

げにや大雅(みやび)をこひ慕ふ
君にしあれば君がため
藝術(たくみ)の天(そら)に懸る日も
時を導く星影も
いづれ行くへを照らしつゝ
深き光を示すらむ
さらば名殘はつきずとも
袂を別つ夕まぐれ
見よ影深き欄干(おばしま)に
煙をふくむ藤の花
北行く鴈は大空(おほそら)の
霞に沈み鳴き歸り
彩(あや)なす雲も愁(うれ)ひつゝ
君を送るに似たりけり

あゝいつかまた相逢うて
もとの契りをあたゝめむ
梅も櫻も散りはてて
すでに柳はふかみどり
人はあかねど行く春を
いつまでこゝにとゞむべき
われに惜むな家づとの
一枝の筆の花の色香を
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 うぐひす


さばれ空(むな)しきさへづりは
雀の群(むれ)にまかせてよ
うたふをきくや鶯の
すぎこしかたの思ひでを

はじめて谷を出でしとき
朔風(きたかぜ)寒(さむ)く霰(あられ)ふり
うちに望みはあふるれど
行くへは雲に隱(かく)れてき

露は緑の羽(はね)を閉(と)ぢ
霜は翅(つばさ)の花となる
あしたに野邊の雪を噛(か)み
ゆふべに谷の水を飮む

さむさに爪も凍りはて
絶えなむとするたびごとに
また新(あら)たなる世にいでて
くしきいのちに歸りけり

あゝ枯菊(かれぎく)に枕して
冬のなげきをしらざれば
誰(た)が身にとめむ吹く風に
にほひ亂るゝ梅が香を

谷間(たにま)の笹の葉を分けて
凍れる露を飮まざれば
誰(た)が身にしめむ白雪の
下に萌え立つ若草を

げに春の日ののどけさは
暗くて過ぎし冬の日を
思ひ忍べる時にこそ
いや樂しくもあるべけれ

梅のこぞめの花笠(はながさ)を
かざしつ醉ひつうたひつゝ
さらば春風吹き來(きた)る
香(にほひ)の國に飛びて遊ばむ
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 かりがね


さもあらばあれうぐひすの
たくみの奧はつくさねど
または深山(みやま)のこまどりの
しらべのほどはうたはねど
まづかざりなき一聲(こゑ)に
涙をさそふ秋の雁(かり)

長きなげきは泄(も)らすとも
なほあまりあるかなしみを
うつすよしなき汝(なれ)が身か
などかく秋を呼ぶ聲の
荒(あら)き響(ひゞき)をもたらして
人の心を亂すらむ

あゝ秋の日のさみしさは
小鹿(をじか)のしれるかぎりかは
清(すゞ)しき風に驚きて
羽袖もいとゞ冷(ひや)やかに
百千(もゝち)の鳥の群(むれ)を出て
浮べる雲に慣(な)るゝかな

菊より落つる花びらは
汝(な)がついばむにまかせたり
時雨(しぐれ)に染むるもみぢ葉(ば)は
汝(なれ)がかざすにまかせたり
聲を放ちて叫ぶとも
たれかいましをとゞむべき

星はあしたに冷やかに
露はゆふべにいと白し
風に隨ふ桐の葉の
枝に別れて散るごとく
天(みそら)の海にうらぶれて
たちかへり鳴け秋のかりがね
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 野路の梅


風かぐはしく吹く日より
夏の緑のまさるまで
梢のかたに葉がくれて
人にしられぬ梅ひとつ

梢は高し手をのべて
えこそ觸れめやたゞひとり
わがものがほに朝夕(あさゆふ)を
ながめ暮(くら)してすごしてき

やがて鳴く鳥おもしろく
黄金(こがね)の色にそめなせば
行きかふ人の目に觸れて
落ちて履(ふ)まるゝ野路(のぢ)の梅
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 門田にいでて

遠征する人を思ひて娘の
うたへる


門田(かどた)にいでて
   草とりの
身のいとまなき
   晝(ひる)なかば
忘るゝとには
   あらねども
まぎるゝすべぞ
   多かりき

夕ぐれ梭(をさ)を
   手にとりて
こゝろ靜かに
   織(お)るときは
人の得しらぬ
   思ひこそ
胸より湧(わ)きて
   流れけれ

あすはいくさの
   門出(かどで)なり
遠きいくさの
   門出なり
せめて別れの
   涙をば
名殘にせむと
   願ふかな

君を思へば
   わづらひも
照る日にとくる
   朝の露
君を思へば
   かなしみも
緑(みどり)にそゝぐ
   夏の雨

君を思へば
   闇(やみ)の夜も
光をまとふ
   星の空
君を思へば
   淺茅生(あさぢふ)の
荒(あ)れにし野邊も
   花のやど

胸の思ひは
   つもれども
吹雪(ふぶき)はげしき
   こひなれば
君が光に
   照(て)らされて
消えばやとこそ
   恨(うら)むなれ
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 寶はあはれ碎けけり

老いたる鍛冶のうたへる


寶(たから)はあはれ
   碎(くだ)けけり
さなり愛兒(まなご)は
   うせにけり
なにをかたみと
   ながめつゝ
こひしき時を
   忍ぶべき

ありし昔の
   香ににほふ
薄(うす)はなぞめの
   帶よけむ
麗(うる)はしかりし
   黒髮の
かざしの紅(あか)き
   珠(たま)よけむ

帶はあれども
   老(おい)が身に
ひきまとふべき
   すべもなし
珠(たま)はあれども
   白髮(しらかみ)に
うちかざすべき
   すべもなし

ひとりやさしき
   面影(おもかげ)は
眼(まなこ)の底に
   とゞまりて
あしたにもまた
   ゆふべにも
われにともなふ
   おもひあり

あゝたへがたき
   くるしみに
おとろへはてつ
   爐前(ほどまへ)に
仆(たふ)れかなしむ
   をりをりは
面影さへぞ
   力なき

われ中槌(なかつち)を
   うちふるひ
ほのほの前に
   はげめばや
胸にうつりし
   亡き人の
語(かた)らふごとく
   見ゆるかな

あな面影の
   わが胸に
活(い)きて微笑(ほゝゑ)む
   たのしさは
やがてつとめを
   いそしみて
かなしみに勝つ
   生命(いのち)なり

汗(あせ)はこひしき
   涙なり
勞働(つとめ)は活ける
   思ひなり
いでやかひなの
   折るゝまで
けふのつとめを
   いそしまむ
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 新潮

  一

我(われ)あげまきのむかしより
潮(うしほ)の音(おと)を聞き慣れて
磯邊に遊ぶあさゆふべ
海人(あま)の舟路を慕ひしが
やがて空(むな)しき其夢は
身の生業(なりはひ)となりにけり

七月夏の海(うみ)の香(か)の
海藻(あまも)に匂ふ夕まぐれ
兄もろともに舟(ふね)浮(う)けて
力をふるふ水馴棹(みなれざを)
いづれ舟出(ふなで)はいさましく
波間に響く櫂の歌

夕潮(ゆふしほ)青き海原(うなばら)に
すなどりすべく漕ぎくれば
卷(ま)きては開く波の上の
鴎の夢も冷やかに
浮び流るゝ海草(うみぐさ)の
目にも幽(かす)かに見ゆるかな

まなこをあげて落つる日の
きらめくかたを眺むるに
羽袖うちふる鶻隼(はやぶさ)は
彩(あや)なす雲を舞ひ出でて
翅(つばさ)の塵(ちり)を拂ひつゝ
物にかゝはる風情(ふぜい)なし

飄々として鳥を吹く
風の力もなにかせむ
勢(いきほひ)龍(たつ)の行くごとく
羽音(はおと)を聞けば葛城の
そつ彦むかし引きならす
眞弓(まゆみ)の弦(つる)の響あり

希望(のぞみ)すぐれし鶻隼よ
せめて舟路のしるべせよ
げにその高き荒魂(あらだま)は
敵(てき)に赴(おもむ)く白馬(しろうま)の
白き鬣(たてがみ)うちふるひ
風を破(やぶ)るにまさるかな

海面(うみづら)見ればかげ動く
深紫の雲の色
はや暮れて行く天際(あまぎは)に
行くへや遠き鶻隼の
もろ羽(は)は彩(あや)にうつろひて
黄金(こがね)の波にたゞよひぬ

朝(あした)夕(ゆふべ)を刻(きざ)みてし
天の柱の影暗く
雲の帳(とばり)もひとたびは
輝きかへる高御座(たかみくら)
西に傾く夏の日は
遠く光彩(ひかり)を沈めけり

見ようるはしの夜(よる)の空(そら)
見ようるはしの空の星
北斗の清(きよ)き影(かげ)冱(さ)えて
望みをさそふ天の花
とはの宿りも舟人(ふなびと)の
光を仰ぐためしかな

潮(うしほ)を照らす篝火(かゞりび)の
きらめくかたを窺へば
松(まつ)の火あかく燃ゆれども
魚行くかげは見えわかず
流れは急(はや)しふなべりに
觸れてかつ鳴る夜(よる)の浪(なみ)

  二

またゝくひまに風吹きて
舞ひ起(た)つ雲をたとふれば
戰(いくさ)に臨むますらをの
あるは鉦(かね)うち貝を吹き
あるは太刀(たち)佩(は)き劍(つるぎ)執り
弓矢(ゆみや)を持つに似たりけり

光は離れ星隱れ
みそらの花はちりうせぬ
彩(あや)美(うるは)しき卷物(まきもの)を
高く舒(の)べたる大空(おほそら)は
みるまに暗く覆はれて
目にすさまじく變りけり

聞けばはるかに萬軍(ばんぐん)の
鯨波(とき)のひゞきにうちまぜて
陣螺(ぢんら)の音色(ねいろ)ほがらかに
野(の)の空(そら)高く吹けるごと
闇(くら)き潮(うしほ)の音のうち
いと新(あたら)しき聲すなり

我(われ)あまたたび海にきて
風吹き起るをりをりの
波の響に慣れしかど
かゝる清(すゞ)しき音(ね)をたてて
奇(く)しき魔(ま)の吹く角(かく)かとぞ
うたがはるゝは聞かざりき

こゝろせよかしはらからよ
な恐れそと叫ぶうち
あるはけはしき青山(あをやま)を
凌(しの)ぐにまがふ波の上(うへ)
あるは千尋(ちひろ)の谷深く
落つるにまがふ濤(なみ)の影(かげ)

戰(たゝか)ひ進むものゝふの
劍(つるぎ)の霜を拂ふごと
溢るゝばかり奮(ふる)ひ立ち
潮(うしほ)を撃ちて漕ぎくれば
梁(やな)はふたりの盾(たて)にして
柁(かぢ)は鋭(するど)き刃(やいば)なり

たとへば波の西風(にしかぜ)の
梢をふるひふるごとく
舟は枯れゆく秋の葉の
枝に離れて散るごとし
帆檣(ほばしら)なかば折れ碎け
篝(かゞり)は海に漂(たゞよ)ひぬ

哀(かな)しや狂(くる)ふ大波(おほなみ)の
舟うごかすと見るうちに
櫓(ろ)をうしなひしはらからは
げに消えやすき白露(しらつゆ)の
落ちてはかなくなれるごと
海の藻屑(もくづ)とかはりけり

あゝ思のみはやれども
眼(まなこ)の前のおどろきは
劍(つるぎ)となりて胸を刺(さ)し
千々(ちゞ)に力を碎(くだ)くとも
怒りて高き逆波(さかなみ)は
猛(たけ)き心を傷(いた)ましむ

命運(さだめ)よなにの戲(たはむ)れぞ
人の命は春の夜の
夢とやげにも夢ならば
いとど悲しき夢をしも
見るにやあらむ海にきて
まのあたりなるこの夢は

これを思へば胸滿ちて
流るゝ涙せきあへず
今はた櫂をうちふりて
波と戰ふ力なく
死して仆(たふ)るゝ人のごと
身を舟板に投(な)げ伏しぬ

一葉(ひとは)にまがふ舟の中
波にまかせて流れつゝ
聲を放ちて泣き入れば
げに底ひなきわだつみの
上に行方も定めなき
鴎(かもめ)の身こそ悲しけれ

時には遠き常闇(とこやみ)の
光なき世に流れ落ち
朽ちて行くかと疑はれ
時には頼む人もなき
冷(つめ)たき冥府(よみ)の水底(みなそこ)に
沈むかとこそ思はるれ

あゝあやまちぬよしや身は
おろかなりともかくてわれ
もろく果つべき命かは
照る日や月や上にあり
大龍神(おほたつがみ)も心あらば
賤(いや)しきわれをみそなはせ

かくと心に定めては
波ものかはと勵(はげ)みたち
闇(やみ)のかなたを窺ふに
空(そら)はさびしき雨となり
潮(うしほ)にうつる燐(りん)の火の
亂れて燃ゆる影青し

我(われ)よるべなき海の上(へ)に
活(い)ける力の胸の火を
わづかに頼む心より
消えてはもゆる闇の夜(よ)の
その靜かなる光こそ
漂(たゞよ)ふ身にはうれしけれ

危ふきばかりともすれば
波にゆらるゝこの舟の
行くへを照らせ燐の火よ
海よりいでて海を焚く
青きほのほの影の外
道しるべなき今の身ぞ

碎かば碎けいざさらば
波うつ櫂はこゝにあり
たとへ舟路は暗くとも
世に勝つ道は前にあり
あゝ新潮(にひじほ)にうち乘りて
命運(さだめ)を追うて活(い)きて歸らむ
[#改丁]

  落梅集より
     明治三十二年――同三十三年
           (小諸にて)
[#改丁]

 常盤樹


あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千の草の落つるより
傷ましきかな
其枝に懸る朝の日
其幹を運(めぐ)る夕月
など行く旅の迅速(すみやか)なるや
など電の影と馳するや
蝶の舞
花の笑
など遊ぶ日の世に短きや
など其醉の早く醒むるや
蟲草の葉に悲めば
一時(ひととき)にして既に霜
鳥潮の音に驚けば
一時にして既に雪
木枯高く秋落ちて
自然の色はあせゆけど
大力(だいりき)天を貫きて
坤軸遂に靜息(やすみ)なし
ものみな速くうらがれて
長き寒さも知らぬ間に
汝(いまし)千歳の時に嘯き
獨りし立つは何の力ぞ
白銀の花霏々として
吹雪の煙闇(くら)き時
四方は氷に閉されて
江海も音(おと)をひそむ時
汝(いまし)緑の蔭も朽ちせず
空を凌ぐは何の力ぞ
立てよ友なき野邊の帝王(すめらぎ)
ゆゝしく高く立てよ常盤樹
汝(いまし)の長き春なくば
山の命も老いなむか
汝(いまし)の深き息なくば
谷の響も絶えなむか
あしたには葉をうつ霙
ゆふべには枝うつ霰
千草も知らぬ冬の日の
嵐に叫ぶうきなやみ
いづれの日にか
氷は解けて
其葉の涙
消えむとすらむ
あゝよしさらば枝も摧(くだ)けて
終の色の落ちなむ日まで
雲浮かば
無縫の天衣
風立たば
不朽の緒琴
おごそかに
立てよ常盤樹
あら雄々しきかな傷ましきかな
かの常盤樹の落ちず枯れざる
常盤樹の枯れざるは
百千(もゝち)の草の落つるより
傷ましきかな
[#改ページ]

 寂寥


岸の柳は低くして
羊の群の繪にまがひ
野薔薇の幹は埋もれて
流るゝ砂に跡もなし
蓼科山(たでしなやま)の山なみの
麓をめぐる河水や
魚住む淵に沈みては
鴨の頭の深緑
花さく岩にせかれては
天の鼓の樂の音
さても水瀬はくちなはの
かうべをあげて奔るごと
白波高くわだつみに
流れて下る千曲川

あした炎をたゝかはし
ゆふべ煙をきそひてし
駿河にたてる富士の根も
今はさびしき日の影に
白く輝く墓のごと
はるかに沈む雲の外
これは信濃の空高く
今も烈しき火の柱
雨なす石を降らしては
みそらを焦す灰けぶり
神夢さめし天地の
ひらけそめにし昔より
常世につもる白雪は
今も無間の谷の底
湧きてあふるゝ紅の
血潮の池を目にみては
布引に住むはやぶさも
翼をかへす淺間山

あゝ北佐久の岡の裾
御牧が原の森の影
夢かけめぐる旅に寢て
安き一日もあらねばや
高根の上にあかあかと
燃ゆる炎をあふぐとき
み谷の底の青巖に
逆まく浪をのぞむとき
かしこにこゝに寂寥(さびしさ)の
その味ひはにがかりき

あな寂寥(さびしさ)や其の道は
獸の足の跡のみか
舞ひて見せたる大空の
鳥のゆくへのそれのみか
さてもためしの燈火に
若き心をうかゞへば
人の命の樹下蔭
花深く咲き花散りて
枝もたわゝの智慧の實を
味ひそめしきのふけふ
知らずばなにか旅の身に
人のなさけも薄からむ
知らずばなにか移る世に
假の契りもあだならむ
一つの石のつめたきも
萬の聲をこゝに聽き
一つの花のたのしきも
千々の涙をそこに觀る
あな寂寥(さびしさ)や吾胸の
小休(をやみ)もなきを思ひみば
あはれの外のあはれさも
智慧のさゝやくわざぞ是

かの深草の露の朝
かの象潟の雨の夕
またはカナンの野邊の春
またはデボンの岸の秋
世をわびびとの寢覺には
あはれ鶉の聲となり
うき旅人の宿りには
ほのかに合歡(ねむ)の花となり
羊を友のわらべには
日となり星の數となり
夢に添ひ寢の農夫には
はつかねずみとあらはれて
あるは形にあるは音(ね)に
色ににほひにかはるこそ
いつはり薄き寂寥(さびしさ)よ
いづれいましのわざならめ

さなりおもては冷やかに
いとつれなくも見ゆるより
深き心はあだし世の
人に知られぬ寂寥(さびしさ)よ
むかしいましが雪山の
佛の夢に見えしとき
かりに姿は花も葉も
根もかぎりなき藥王樹
むかしいましが□湘の
水のほとりにあらはれて
楚に捨てられしあてびとの
熱き涙をぬぐふとき
かりにいましは長沙羅の
鄂渚(がくしょ)の岸に生ひいでて
ゆふべ悲しき秋風に
香ひを送る□(けい)の草
またはいましがパトモスの
離れ小島にあらはれて
歎き仆るゝひとり身の
冷たき夢をさますとき
かりに面(おもて)は照れる日や
首はゆふべの空の虹
衣はあやの雲を着て
足は二つの火の柱
默示をかたる言の葉は
高きらつぱの天の聲

思へばむかし北のはて
舟路侘しき佐渡が島
雲に戀しき天つ日の
光も薄く雪ふれば
毘藍の風は吹き落ちて
梵音聲(おんじやう)を驚かし
岸うつ波は波羅密の
海潮音をとゞろかし
朝霜ふれば袖閉ぢて
衣は凍る鴛鴦の羽
夕霜ふれば現し身に
八つのさむさの寒古鳥
ましてや國の罪人の
安房の生れの栴陀羅(あま)が子を
あな寂寥(さびしさ)や寂寥(さびしさ)や
ひとりいましにあらずして
天にも地にも誰かまた
そのかなしみをあはれまむ

げに晝の夢夜の夢
旅の愁にやつれては
日も暖に花深き
空のかなたを慕ふとき
なやみのとげに責められて
袖に涙のかゝるとき
汲みて味ふ寂寥(さびしさ)の
にがき誠の一雫

秋の日遠しあしたにも
高きに登りゆふべにも
流れをつたひ獨りして
ふりさけ見れば鳥影の
天の鏡に舞ふかなた
思ひを閉す白雲の
浮べるかたを望めども
都は見えず寂寥(さびしさ)よ
來りてわれと共にかたりね
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 千曲川旅情の歌


  一

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(いうし)悲しむ
緑なす□□(はこべ)は萌えず
若草も藉くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡邊
日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど
野に滿つる香(かをり)も知らず
淺くのみ春は霞みて
麥の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば淺間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飮みて
草枕しばし慰む

  二

昨日またかくてありけり
今日もまたかくてありなむ
この命なにを齷齪(あくせく)
明日をのみ思ひわづらふ

いくたびか榮枯の夢の
消え殘る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水卷き歸る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
過(いに)し世を靜かに思へ
百年(もゝとせ)もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春淺く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸に愁(うれひ)を繋(つな)ぐ
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 鼠をあはれむ


星近く戸を照せども
戸に枕して人知らず
鼠古巣を出づれども
人夢さめず驚かず

情の海の淡路島
通ふ千鳥の聲絶えて
やじりを穿つ盜人の
寢息をはかる影もなし

長き尻尾をうちふりつ
小踊りしつゝ軒づたひ
煤のみ深き梁(うつばり)に
夜をうかがふ古鼠

光にいとひいとはれて
白齒もいとど冷やかに
竈の隅に忍びより
ながしに搜る鰺の骨

闇夜に物を透かし視て
暗きに遊ぶさまながら
なほ聲無きに疑ひて
影を懼れてきゝと鳴き鳴く
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 勞働雜詠


 一 朝

朝はふたゝびこゝにあり
朝はわれらと共にあり
埋れよ眠行けよ夢
隱れよさらば小夜嵐

諸羽(もろは)うちふる鷄は
咽喉(のんど)の笛を吹き鳴らし
けふの命の戰鬪(たゝかひ)の
よそほひせよと叫ぶかな

 野に出でよ野に出でよ
 稻の穗は黄にみのりたり
 草鞋とく結(ゆ)へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

雲に鞭(むち)うつ空の日は
語らず言はず聲なきも
人を勵ます其音は
野山に谷にあふれたり

流るゝ汗と膩(あぶら)との
落つるやいづこかの野邊に
名も無き賤のものゝふを
來りて護れ軍神(いくさがみ)

 野に出でよ野に出でよ
 稻の穗は黄にみのりたり
 草鞋とく結(ゆ)へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

あゝ綾絹につゝまれて
爲すよしも無く寢ぬるより
薄き襤褸(つゞれ)はまとふとも
活きて起つこそをかしけれ

匍匐(はらば)ふ蟲の賤が身に
羽翼(つばさ)を惠むものや何
酒か涙か歎息(ためいき)か
迷か夢か皆なあらず

 野に出でよ野に出でよ
 稻の穗は黄にみのりたり
 草鞋とく結(ゆ)へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

さながら土に繋がるゝ
重き鎖を解きいでて
いとど暗きに住む鬼の
笞(しもと)の責をいでむ時

口には朝の息を吹き
骨には若き血を纏ひ
胸に驕慢手に力
霜葉を履(ふ)みてとく來れ

 野に出でよ野に出でよ
 稻の穗は黄にみのりたり
 草鞋とく結(ゆ)へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ

 二 晝

誰か知るべき秋の葉の
落ちて樹の根の埋(うづ)むとき
重く聲無き石の下
清水溢れて流るとは

誰か知るべき小山田(をやまだ)の
稻穗のたわに實るとき
花なく香なき賤(しづ)の胸
生命(いのち)踊りて響くとは

 共に來て蒔き來て植ゑし
 田の面(も)に秋の風落ちて
 野邊の琥珀(こはく)を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稻の穗を

血潮は草に流さねど
力うちふり鍬をうち
天の風雨(あらし)に雷霆(いかづち)に
わが鬪(たゝか)ひの跡やこゝ

見よ日は高き青空の
端より端を弓として
今し父の矢母の矢の
光を降らす眞晝中

 共に來て蒔き來て植ゑし
 田の面(も)に秋の風落ちて
 野邊の琥珀(こはく)を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稻の穗を

左手(ゆんで)に稻を捉(つか)む時
右手(めて)に利鎌(とがま)を握る時
胸滿ちくれば火のごとく
骨と髓との燃ゆる時

土と塵埃(あくた)と泥の上(へ)に
汗と膩(あぶら)の落つる時
緑にまじる黄の莖に
烈しき息のかゝる時

 共に來て蒔き來て植ゑし
 田の面(も)に秋の風落ちて
 野邊の琥珀(こはく)を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稻の穗を

思へ名も無き賤(しづ)ながら
遠きに石を荷ふ身は
夏の白雨(ゆふだち)過ぐるごと
ほまれ短き夢ならじ

生命(いのち)の長き戰鬪(たゝかひ)は
こゝに音無し聲も無し
勝ちて桂の冠は
わづかに白き頬かぶり

 共に來て蒔き來て植ゑし
 田の面(も)に秋の風落ちて
 野邊の琥珀(こはく)を鳴らすかな
 刈り乾せ刈り乾せ稻の穗を

 三 暮

揚げよ勝鬨(かちどき)手を延べて
稻葉を高くふりかざせ
日暮れ勞(つか)れて道の邊に
倒(たふ)るゝ人よとく歸れ
彩雲(あやぐも)や
落つる日や
行く道すがら眺むれば
秋天高き夕まぐれ
共に蒔き
共に植ゑ
共に稻穗を刈り乾して
歌うて歸る今の身に
ことしの夏を
かへりみすれば
嗚呼わが魂(たま)は
わなゝきふるふ
この日怖れをかの日に傳へ
この夜望みをかの夜に繋ぎ
門に立ち
野邊に行き
ある時は風高くして
青草長き谷の影
雲に嵐に稻妻に
行先(ゆくて)も暗く聲を呑み
ある時は夏寒くして
山の鳩啼く森の下
たまたま虹に夕映(ゆふばえ)に
末のみのりを祈りてき
それは逝き
これは來て
餓と涙と送りてし
同じ自然の業(わざ)ながら
今は思ひのなぐさめに
光をはなつ秋の星
あゝ勇みつゝ踊りつゝ
諸手(もろて)をうちて笑ひつゝ
樹下(こした)の墓を横ぎりて
家路に通ふ森の道
眠る聖(ひじり)も盜賊(ぬすびと)も
皆な土くれの苔一重(ひとへ)
霧立つ空に入相の
精舍の鐘の響く時
あゝ驕慢と歡喜(よろこび)と
力を息に吹き入れて
勝ちて歸るの勢に
揚げよ樂しき秋の歌
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 爐邊雜興
   散文にてつくれる即興詩

あら荒くれたる賤の山住や顏も黒し手も黒しすごすごと林の中を歸る藁草履の土にまみれたるよ

こゝには五十路六十路を經つつまだ海知らぬ人々ぞ多き

炭燒の烟をながめつゝ世の移り變るも知らで谷陰にぞ住める

蒲公英(たんぽぽ)の黄に蕗の花の白きを踏みつゝ慣れし其足何ぞ野獸の如き

岡のべに通ふ路には野苺の實を垂るゝあり摘みて舌うちして年を經にけり

和布賣(わかめうり)の越後の女三々五々群をなして來(きた)る呼びて窓に倚りて海の藻を買ふぞゆかしき

大豆を賣りて皿の上に載せたる鹽鮭の肉鹽鮭何の磯の香もなき

年々の暦と共に壁に煤けたる錦繪を見れば海ありき廣重の筆なりき

爺(ぢゞ)は波を知らず婆(ばゞ)は潮の音を知らず孫は千鳥を鷄の雛かとぞ思ふ

たまたま伊勢詣のしるしにとて送られし貝の一ひらを見れば大わだつみのよろづの波を彫(きざ)めるとぞ言ひし言の葉こそ思ひいでらるれ

品川の沖によるといふなる海苔の新しきは先づ棚の佛にまゐらせて山家にありて遠く海草の香(か)をかぐとぞいふばかりなる
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 黄昏


つと立ちよれば垣根には
露草の花さきにけり
さまよひくれば夕雲や
これぞこひしき門邊なる

瓦の屋根に烏啼き
烏歸りて日は暮れぬ
おとづれもせず去(い)にもせで
螢と共にこゝをあちこち
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 枝うちかはす梅と梅


枝うちかはす梅と梅
梅の葉かげにそのむかし
鷄(とり)は鷄(とり)とし並び食ひ
われは君とし遊びてき

空風吹けば雲離れ
別れいざよふ西東
青葉は枝に契るとも
緑は永くとゞまらじ

水去り歸る手をのべて
誰れか流れをとゞむべき
行くにまかせよ嗚呼さらば
また相見むと願ひしか

遠く別れてかぞふれば
かさねて長き秋の夢
願ひはあれど陶磁(すゑもの)の
くだけて時を傷(いた)みけり

わが髮長く生ひいでて
額の汗を覆ふとも
甲斐なく珠(たま)を抱きては
罪多かりし草枕

雲に浮びて立ちかへり
都の夏にきて見れば
むかしながらのみどり葉は
蔭いや深くなれるかな

わかれを思ひ逢瀬をば
君とし今やかたらふに
二人すわりし青草は
熱き涙にぬれにけり
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 めぐり逢ふ君やいくたび


めぐり逢ふ君やいくたび
あぢきなき夜を日にかへす
吾命暗(やみ)の谷間も
君あれば戀のあけぼの

樹の枝に琴は懸けねど
朝風の來て彈(ひ)くごとく
面影に君はうつりて
吾胸を靜かに渡る

雲迷ふ身のわづらひも
紅の色に微笑(ほゝゑ)み
流れつゝ冷(ひ)ゆる涙も
いと熱き思を宿す

知らざりし道の開けて
大空は今光なり
もろともにしばしたゝずみ
新しき眺めに入らむ
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 あゝさなり君のごとくに


あゝさなり君のごとくに
何かまた優しかるべき
歸り來てこがれ侘ぶなり
ねがはくは開けこの戸を

ひとたびは君を見棄てて
世に迷ふ羊なりきよ
あぢきなき石を枕に
思ひ知る君が牧場(まきば)を

樂しきはうらぶれ暮し
泉なき砂に伏す時
青草の追懷(おもひで)ばかり
悲しき日樂しきはなし

悲しきはふたゝび歸り
緑なす野邊を見る時
飄泊(さまよひ)の追懷(おもひで)ばかり
樂しき日悲しきはなし

その笛を今は頼まむ
その胸にわれは息(いこ)はむ
君ならで誰か飼ふべき
天地(あめつち)に迷ふ羊を
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 思より思をたどり


思より思をたどり
樹下(こした)より樹下(こした)をつたひ
獨りして遲く歩めば
月今夜(こよひ)幽かに照らす

おぼつかな春のかすみに
うち煙(けぶ)る夜の靜けさ
仄白き空の鏡は
俤の心地こそすれ

物皆はさやかならねど
鬼の住む暗にもあらず
おのづから光は落ちて
吾顏に觸(ふ)るぞうれしき

其光こゝに映りて
日は見えず八重(やへ)の雲路に
其影はこゝに宿りて
君見えず遠の山川

思(おも)ひやるおぼろおぼろの
天の戸は雲かあらぬか
草も木も眠れるなかに
仰ぎ視て涕を流す
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 吾戀は河邊に生ひて


吾戀は河邊に生ひて
根を浸(ひた)す柳の樹なり
枝延びて緑なすまで
生命(いのち)をぞ君に吸(す)ふなる


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