藤村詩抄
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著者名:島崎藤村 

   自序

若菜集、一葉舟、夏草、落梅集の四卷
をまとめて合本の詩集をつくりし時に

 遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。
 そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。
 うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。
 傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帶びぬ。
 明光はまのあたりなる生と死とを照せり、過去の壯大と衰頽とを照せり。
 新しきうたびとの群の多くは、たゞ穆實なる青年なりき。その藝術は幼稚なりき、不完全なりき、されどまた僞りも飾りもなかりき。青春のいのちはかれらの口脣にあふれ、感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。こゝろみに思へ、清新横溢なる思潮は幾多の青年をして殆ど寢食を忘れしめたるを。また思へ、近代の悲哀と煩悶とは幾多の青年をして狂せしめたるを。われも拙き身を忘れて、この新しきうたびとの聲に和しぬ。
 詩歌は靜かなるところにて思ひ起したる感動なりとかや。げにわが歌ぞおぞき苦鬪の告白なる。
 なげきと、わづらひとは、わが歌に殘りぬ。思へば、言ふぞよき。ためらはずして言ふぞよき。いさゝかなる活動に勵まされてわれも身と心とを救ひしなり。
 誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。
 われもこの新しきに入らんことを願ひて、多くの寂しく暗き月日を過しぬ。
 藝術はわが願ひなり。されどわれは藝術を輕く見たりき。むしろわれは藝術を第二の人生と見たりき。また第二の自然とも見たりき。
 あゝ詩歌はわれにとりて自ら責むるの鞭にてありき。わが若き胸は溢れて、花も香もなき根無草四つの卷とはなれり。われは今、青春の記念として、かゝるおもひでの歌ぐさかきあつめ、友とする人々のまへに捧げむとはするなり。

明治卅七年の夏藤村[#改ページ]

   抄本を出すにつきて

 二十五六といふ青年時代が二度と自分の生涯には來ないやうに、最初の詩集も自分には二册とは無いものだ。その意味から、曾て私はこれらの詩を作つた當時のことを原本の詩集のはじに書きつけて置いたこともある。
 明治二十九年の秋、私は仙臺へ行つた。あの東北の古い靜かな都會で私は一年ばかりを送つた。私の生涯はそこへ行つて初めて夜が明けたやうな氣がした。私は仙臺名影町の宿舍で書いた詩稿を毎月東京へ送つて、その以前から友人同志で出してゐた雜誌『文學界』に載せた。それを一册に集めて、『若菜集』として公にしたのが、私の最初の詩集だ。私の文學生涯に取つての處女作とも言ふべきものであつた。その頃の詩の世界は非常に狹い不自由なもので、自分等の思ふやうな詩はまだ/\遠い先の方に待つてゐるやうな氣がしたが、兎も角も先蹤を離れよう、詩といふものをもつと/\自分等の心に近づけようと試みた。默し勝ちな私の口脣はほどけて來た。

心の宿の宮城野よ
亂れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聽き
悲しみ深き吾眼には
色無き石も花と見き
(草枕)

 私が一生の曙はこんな風にして開けて來た。
 明治三十一年の春には私は東京の方に歸つてゐて、第二の集を出した。それは『一葉舟』とした詩文集で、その中には『若菜集』以後仙臺で書いた『鷲の歌』の外に、東京に歸つてからの詩數篇をも納めたものである。同じ年の夏、郷里の木曾へ旅して、福島にある姉の家で『夏草』を書いた。私の第三の詩集だ。
 私が信州小諸へ行つてあの山の上の町に落ちつくやうになつたのは、翌三十二年のことであつた。そこで私はまた詩作をはじめて、第四の詩集をつくつた。『落梅集』はその全部が千曲川の旅情ともいふべきものである。
 私の青春の形見ともいふべき四卷の詩集は、明治二十九年より三十三年へかけ前後五年に亙つて、それ/″\別册として公にしたものであつたが、三十七年の夏に『一葉舟』や『落梅集』から散文の部を省いて、合本一卷とした。私の詩集として世に流布してゐるものがそれである。
 さういふ私は今、岩波書店の主人から普及叢書の一册として、この詩集の抄本をつくることを求められた。思ふに、原本の詩集を縮め、僅かの省略を行ひ、たゞ形を變へるといふだけのことならば、抄本をつくることもさう骨は折れまい。しかしそれでは意味はすくない。長い月日の間には原本の詩集も幾度かの編み直しと改刷とを經たものであるが、更に私は編み方を變へて、此の抄本をつくることにした。尤も、詩集としての内容にさう變りのあらう筈もないが、編み方に意を用ひたなら、抄本は抄本として意味あるものとならうかと思ふ。
 これを編むにつけても、もつと私は嚴しく選むべきであつたかとも考へる。今になつて見ると『若菜集』の中に、仙臺時代以前に書いた二三の古い詩を見つける。『君と遊ばむ』『流星』なぞがそれで、さういふものは省いたらとも考へたが、自分の出發の支度はそんなところにあつたことを思ひ、未熟なものも一概にそれを省き去る氣になれなかつた。原本の詩集のうち、一番多くを省いたのは『夏草』の中からで、『若菜集』や『落梅集』からも長短數篇を省いた。題目等もこの抄本にはいくらか改めて置いたものもある。すべてはこれらの詩を書いた當時の自分の心持に近づけることを主にした。
 思へば私が『若菜集』を出したのは、今から三十一年の前にもあたる。この古い落葉のやうな詩が今日まで讀まれて來たといふことすら、私には意外である。頭髮既に白い私がこれを編むのは、自分の青年時代を編むやうなものである。この抄本をつくるにつけても、今昔の感が深い。

昭和二年五月
麻布飯倉にて著者[#改ページ]

   藤村詩抄目次

 自序
 抄本を出すにつきて

     ――――――――

若菜集より

 序のうた
 草枕
 二つの聲
 松島瑞巖寺に遊びて
 春
  一 たれかおもはむ
  二 あけぼの
  三 春は來ぬ
  四 眠れる春よ
  五 うてや鼓
 明星
 潮音
 おえふ
 おきぬ
 おさよ
 おくめ
 おつた
 おきく
 醉歌
 哀歌
 秋思
 初戀
 狐のわざ
 髮を洗へば
 君がこゝろは
 傘のうち
 秋に隱れて
 知るや君
 秋風の歌
 雲のゆくへ
 母を葬るのうた
 合唱
  一 暗香
  二 蓮花舟
  三 葡萄の樹のかげ
  四 高樓
 ゆふぐれしづかに
 月夜
 強敵
 別離
 望郷
 かもめ
 流星
 君と遊ばむ
 晝の夢
 四つの袖
 □
 林の歌

一葉舟より

 鷲の歌
 白磁花瓶賦
 銀河
 きりぎりす
 春やいづこに

夏草より

 子兎のうた
 晩春の別離
 うぐひす
 かりがね
 野路の梅
 門田にいでて
 寶はあはれ碎けけり
 新潮

落梅集より

 常盤樹
 寂寥
 千曲川旅情の歌
  一
  二
 鼠をあはれむ
 勞働雜詠
  一 朝
  二 晝
  三 暮
 爐邊雜興
 黄昏
 枝うちかはす梅と梅
 めぐり逢ふ君やいくたび
 あゝさなり君のごとくに
 思より思をたどり
 吾戀は河邊に生ひて
 吾胸の底のこゝには
 君こそは遠音に響く
 こゝろをつなぐしろかねの
 罪なれば物のあはれを
 風よ靜かにかの岸へ
 椰子の實
 浦島
 舟路
 鳥なき里
 藪入
 惡夢
 響りん/\音りん/\
 翼なければ
 罪人と名にも呼ばれむ
 胡蝶の夢
 落葉松の樹
 ふと目はさめぬ
 縫ひかへせ

[#改丁]

  若菜集より
     明治二十九年――同三十年
          (仙臺にて)

[#改丁]

 序のうた


心(こゝろ)無(な)き歌のしらべは
一房(ひとふさ)の葡萄のごとし
なさけある手にも摘(つ)まれて
あたゝかき酒となるらむ

葡萄棚ふかくかゝれる
紫(むらさき)のそれにあらねど
こゝろある人のなさけに
蔭に置く房の三つ四つ

そは歌の若きゆゑなり
味ひも色も淺くて
おほかたは噛(か)みて捨つべき
うたゝ寢の夢のそらごと
[#改ページ]

 草枕


夕波くらく啼く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽(はね)をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

若き心の一筋に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり

蘆葉(あしは)を洗ふ白波の
流れて巖(いは)を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね侘び
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらむ

われもそれかやうれひかや
野末に山に谷蔭(たにかげ)に
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

想(おもひ)も薄く身も暗く
殘れる秋の花を見て
行くへもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲(あさぐも)にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨(ゆふあめ)にたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉(おちば)と身をなして
風に吹かれて飄(ひるがへ)り
朝(あさ)の黄雲(きぐも)にともなはれ
夜(よる)白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ亂れてみちのくの
宮城野にまで迷ひきぬ

心の宿(やど)の宮城野よ
亂れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聽き
悲み深き吾目には
色彩(いろ)なき石も花と見き

あゝ孤獨(ひとりみ)の悲痛(かなしさ)を
味ひ知れる人ならで
誰にかたらむ冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
空(そら)冬雲(ふゆぐも)に覆はれて
身にふりかゝる玉霰(たまあられ)
袖の氷と閉ぢあへり

みぞれまじりの風勁(つよ)く
小川の水の薄氷
氷のしたに音(おと)するは
流れて海に行く水か

啼いて羽風(はかぜ)もたのもしく
雲に隱るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空(さむぞら)の
汝(なれ)も荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてゝ
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや醉うて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを醉ひ泣く忍び音(ね)に
聲もあはれのその歌は

うれしや物の音(ね)を彈(ひ)きて
野末をかよふ人の子よ
聲調(しらべ)ひく手も凍りはて
なに門(かど)づけの身の果ぞ

やさしや年もうら若く
まだ初戀のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隱るゝその姿

野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海邊(うみべ)の石の上(へ)に
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは濤(なみ)ばかり

暮はさみしき荒磯(あらいそ)の
潮(うしほ)を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩に碎けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮(うしほ)とともに歸るとき

誰か波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜まざる

暦(こよみ)もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて汐(うしほ)となりにけり

遠く湧きくる海の音(おと)
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音(ね)は
まだうらわかき野路の鳥

嗚呼めづらしのしらべぞと
聲のゆくへをたづぬれば
緑の羽(はね)もまだ弱き
それも初音か鶯の

春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の萌えて色青き
こゝちこそすれ砂の上(へ)に

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香ぞする海の邊(べ)に

磯邊に高き大巖(おほいは)の
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらむ東雲(しののめ)の
潮(しほ)の音(ね)遠き朝ぼらけ
[#改ページ]

 二つの聲


   朝

たれか聞くらむ朝の聲
眠(ねむり)と夢を破りいで
彩(あや)なす雲にうちのりて
よろづの鳥に歌はれつ
天のかなたにあらはれて
東の空に光(ひかり)あり
そこに時(とき)あり始(はじめ)あり
そこに道(みち)あり力(ちから)あり
そこに色あり詞(ことば)あり
そこに聲あり命(いのち)あり
そこに名ありとうたひつゝ
みそらにあがり地にかけり
のこんの星ともろともに
光(ひかり)のうちに朝ぞ隱るゝ

   暮

たれか聞くらむ暮の聲
霞の翼(つばさ)雲の帶
煙の衣(ころも)露の袖
つかれてなやむあらそひを
闇のかなたに投(な)げ入れて
夜(よる)の使(つかひ)の蝙蝠の
飛ぶ間(ま)も聲のをやみなく
こゝに影あり迷(まよひ)あり
こゝに夢あり眠(ねむり)あり
こゝに闇あり休息(やすみ)あり
こゝに永きあり遠きあり
こゝに死(し)ありとうたひつゝ
草木(くさき)にいこひ野にあゆみ
かなたに落つる日とともに
色なき闇に暮ぞ隱るゝ
[#改ページ]

 松島瑞巖寺に遊びて


舟路(ふなぢ)も遠し瑞巖寺(ずゐがんじ)
冬逍遙(ふゆぜうえう)のこゝろなく
古き扉に身をよせて
飛騨の名匠(たくみ)の浮彫(うきぼり)の
葡萄のかげにきて見れば
菩提の寺の冬の日に
刀(かたな)悲(かな)しみ鑿(のみ)愁(うれ)ふ
ほられて薄き葡萄葉の
影にかくるゝ栗鼠(きねずみ)よ
姿ばかりは隱すとも
かくすよしなし鑿(のみ)の香(か)は
うしほにひゞく磯寺の
かねにこの日の暮るゝとも
夕闇(ゆふやみ)かけてたゝずめば
こひしきやなぞ甚五郎
[#改ページ]

 春


 一 たれかおもはむ

たれかおもはむ鶯の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間(ま)と
あゝよしさらば美酒(うまざけ)に
うたひあかさん春の夜を

梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれなゐのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさむ春の夜を

わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴の音に
うたひあかさむ春の夜を


 二 あけぼの

紅(くれなゐ)細くたなびける
雲とならばやあけぼのの
       雲とならばや

やみを出でては光ある
空とならばやあけぼのの
       空とならばや

春の光を彩(いろど)れる
水とならばやあけぼのの
       水とならばや

鳩に履まれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
       草とならばや


 三 春は來ぬ

春はきぬ
  春はきぬ
初音やさしきうぐひすよ
こぞに別離(わかれ)を告げよかし
谷間に殘る白雪よ
葬りかくせ去歳(こぞ)の冬

春はきぬ
  春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくくおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし

春はきぬ
  春はきぬ
淺みどりなる新草(にひぐさ)よ
とほき野面(のもせ)を畫(ゑが)けかし
さきては紅(あか)き春花(はるばな)よ
樹々(きゞ)の梢を染めよかし

春はきぬ
  春はきぬ
霞よ雲よ動(ゆる)ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香(か)おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ

春はきぬ
  春はきぬ
春をよせくる朝汐(あさじほ)よ
蘆の枯葉(かれは)を洗ひ去れ
霞に醉へる雛鶴よ
若きあしたの空に飛べ

春はきぬ
  春はきぬ
うれひの芹の根は絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌えよかし


 四 眠れる春よ

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情なれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめぢをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早(さ)わらびの
したもえいそぐ汝(な)があしを
たかくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ


 五 うてや鼓

うてや鼓の春の音
雪にうもるゝ冬の日の
かなしき夢はとざされて
世は春の日とかはりけり

ひけばこぞめの春霞
かすみの幕をひきとぢて
花と花とをぬふ絲は
けさもえいでしあをやなぎ

霞のまくをひきあけて
春をうかがふことなかれ
はなさきにほふ蔭をこそ
春の臺(うてな)といふべけれ

小蝶よ花にたはふれて
優しき夢をみては舞ひ
醉うて羽袖もひら/\と
はるの姿をまひねかし

緑のはねのうぐひすよ
梅の花笠ぬひそへて
ゆめ靜なるはるの日の
しらべを高く歌へかし
[#改ページ]

 明星


浮べる雲と身をなして
あしたの空に出でざれば
などしるらめや明星の
光の色のくれなゐを

朝の潮(うしほ)と身をなして
流れて海に出でざれば
などしるらめや明星の
清(す)みて哀(かな)しききらめきを

なにかこひしき曉星(あかぼし)の
空(むな)しき天(あま)の戸を出でて
深くも遠きほとりより
人の世近く來(きた)るとは

潮(うしほ)の朝のあさみどり
水底(みなそこ)深き白石を
星の光に透(す)かし見て
朝(あさ)の齡(よはひ)を數ふべし

野の鳥ぞ啼く山河(やまかは)も
ゆふべの夢をさめいでて
細く棚引くしのゝめの
姿をうつす朝ぼらけ

小夜(さよ)には小夜のしらべあり
朝には朝の音(ね)もあれど
星の光の絲(いと)の緒(を)に
あしたの琴は靜(しづか)なり

まだうら若き朝の空
きらめきわたる星のうち
いちいと若き光をば
名(なづ)けましかば明星と
[#改ページ]

 潮音


わきてながるゝ
やほじほの
そこにいざよふ
うみの琴
しらべもふかし
もゝかはの
よろづのなみを
よびあつめ
ときみちくれば
うらゝかに
とほくきこゆる
はるのしほのね
[#改ページ]

 おえふ


處女(をとめ)ぞ經(へ)ぬるおほかたの
われは夢路(ゆめぢ)を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河(やまかは)をながむれば

水(みづ)靜(しづ)かなる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の櫻の花影(はなかげ)に
われは處女(をとめ)[#ルビの「をとめ」は底本では「おとめ」]となりにけり

都鳥(みやこどり)浮(う)く大川(おほかは)に
流れてそゝぐ川添(かはぞひ)の
白菫(しろすみれ)さく若草(わかぐさ)に
夢多かりし吾身かな

雲むらさきの九重(こゝのへ)の
大宮内につかへして
清涼殿(せいりやうでん)の春の夜(よ)の
月の光に照らされつ

雲を彫(ちりば)め濤(なみ)を刻(ほ)り
霞をうかべ日をまねく
玉の臺(うてな)の欄干(おばしま)に
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀(かゞや)くさまを目にも見て
ときめきたまふさまざまの
ひとのころもの香(か)をかげり

きらめき初(そ)むる曉星(あかぼし)の
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

天(あま)つみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
名(な)の夕暮(ゆふぐれ)に消えて行く
秀(ひい)でし人の末路(はて)も見き

春しづかなる御園生(みそのふ)の
花に隱れて人を哭(な)き
秋のひかりの窓に倚り
夕雲(ゆふぐも)とほき友を戀(こ)ふ

ひとりの姉をうしなひて
大宮内の門(かど)を出で
けふ江戸川に來(き)て見れば
秋はさみしきながめかな

櫻の霜葉(しもは)黄(き)に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水靜(しづか)にて
あゆみは遲きわがおもひ

おのれも知らず世を經(ふ)れば
若き命(いのち)に堪へかねて
岸のほとりの草を藉(し)き
微笑(ほゝゑ)みて泣く吾身かな
[#改ページ]

 おきぬ


みそらをかける猛鷲(あらわし)の
人の處女(をとめ)の身に落ちて
花の姿に宿(やど)かれば
風雨(あらし)に渇(かわ)き雲に饑(う)ゑ
天(あま)翔(かけ)るべき術(すべ)をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髮(くろかみ)長き吾身こそ
うまれながらの盲目(めしひ)なれ

芙蓉を前(さき)の身とすれば
泪(なみだ)は秋の花の露
小琴(をごと)を前(さき)の身とすれば
愁(うれひ)は細き糸(いと)の音(おと)
いま前(さき)の世は鷲の身の
處女(をとめ)にあまる羽翼(つばさ)かな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあぢきなき淺茅生(あさぢふ)の
茂(しげ)れる宿(やど)と思ひなし
身は術(すべ)もなき蟋蟀(こほろぎ)の
夜(よる)の野草(のぐさ)にはひめぐり
たゞいたづらに音(ね)をたてて
うたをうたふと思ふかな

色(いろ)にわが身をあたふれば
處女(をとめ)のこゝろ鳥となり
戀に心をあたふれば
鳥の姿は處女(をとめ)にて
處女(をとめ)ながらも空(そら)の鳥
猛鷲(あらわし)ながら人の身の
天(あめ)と地(つち)とに迷ひゐる
身の定めこそ悲しけれ
[#改ページ]

 おさよ


潮(うしお)さみしき荒磯(あらいそ)の
巖陰(いはかげ)われは生れけり

あしたゆふべの白駒(しろごま)と
故郷(ふるさと)遠きものおもひ

をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの

げに狂はしの身なるべき
この年までの處女(をとめ)とは

うれひは深く手もたゆく
むすぼゝれたるわが思(おもひ)

流れて熱(あつ)きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ

亂(みだ)れてものに狂ひよる
心を笛の音(ね)に吹かむ

笛をとる手は火にもえて
うちふるひけり十(とを)の指(ゆび)

音(ね)にこそ渇(かわ)け口脣(くちびる)の
笛を尋ぬる風情(ふぜい)あり

はげしく深きためいきに
笛の小竹(をだけ)や曇るらむ

髮は亂れて落つるとも
まづ吹き入るゝ氣息(いき)を聽け

力(ちから)をこめし一ふしに
黄楊(つげ)のさし櫛(ぐし)落ちにけり

吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙

短き笛の節(ふし)の間(ま)も
長き思(おもひ)のなからずや

七つの情(こゝろ)聲を得て
音(ね)をこそきかめ歌神(うたがみ)も

われ喜(よろこび)を吹くときは
鳥も梢に音(ね)をとゞめ

怒(いかり)をわれの吹くときは
瀬(せ)を行く魚も淵(ふち)にあり

われ哀(かなしみ)を吹くときは
獅子(しし)も涙をそゝぐらむ

われ樂(たのしみ)を吹くときは
蟲も鳴く音(ね)をやめつらむ

愛(あい)のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち歸り

惡(にくみ)をわれの吹くときは
散り行く花も止(とゞま)りて

慾(よく)の思(おもひ)を吹くときは
心の闇(やみ)の響(ひゞき)あり

うたへ浮世(うきよ)の一ふしは
笛の夢路(ゆめぢ)のものぐるひ

くるしむなかれ吾(わが)友(とも)よ
しばしは笛の音(ね)に歸(かへ)れ

落つる涙をぬぐひきて
靜かにきゝね吾笛を
[#改ページ]

 おくめ


こひしきまゝに家を出(い)で
こゝの岸よりかの岸へ
越えましものと來(き)て見れば
千鳥鳴くなり夕(ゆふ)まぐれ

こひには親(おや)も捨てはてて
やむよしもなき胸の火や
鬢の毛を吹く河風よ
せめてあはれと思へかし

河波(かはなみ)暗(くら)く瀬を早(はや)み
流れて巖(いは)に碎(くだ)くるも
君を思へば絶間なき
戀の火炎(ほのほ)に乾(かわ)くべし

きのふの雨の小休(をやみ)なく
水嵩(みかさ)や高くまさるとも
よひよひになくわがこひの
涙の瀧におよばじな

しりたまはずやわがこひは
花鳥(はなとり)の繪にあらじかし
空鏡(かゞみ)の印象(かたち)砂(すな)の文字(もじ)
梢の風(かぜ)の音にあらじ

しりたまはずやわがこひは
雄々(をゝ)しき君の手に觸れて
嗚呼口紅(くちべに)をその口に
君にうつさでやむべきや

戀は吾身の社(やしろ)にて
君は社の神なれば
君の祭壇(つくゑ)の上ならで
なににいのちを捧(さゝ)げまし

碎(くだ)かば碎け河波(かはなみ)よ
われに命(いのち)はあるものを
河波高く泳ぎ行き
ひとりの神にこがれなむ

心のみかは手も足も
吾身はすべて火炎(ほのほ)なり
思ひ亂れて嗚呼戀の
千筋(ちすじ)の髮の波に流るゝ
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 おつた


花仄見(ほのみ)ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命(わがいのち)
朧々(おぼろ/\)に父母(ちゝはゝ)は
二つの影と消えうせて
世に孤兒(みなしご)の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若(わか)き聖(ひじり)に救はれて
人なつかしき前髮(まへがみ)の
處女(をとめ)とこそはなりにけれ
若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの□の實(み)をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖(ひじり)に□をすゝむれば
その口脣(くちびる)にふれたまひ
かくも色よき□ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
人の命の惜(を)しからば
嗚呼かの酒を飮むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖(ひじり)に酒をすゝむれば
夢の心地に醉ひたまひ
かくも樂しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
道行き急(いそ)ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその聲をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖(ひじり)は魂(たま)も醉ひたまひ
かくも樂しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の迷となるなかれ
かくいひたまふうれしさに
情(なさけ)も道の一つなり
かゝる思(おもひ)を見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖(ひじり)は早く戀ひわたり
かくも樂しき戀ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪(ゆき)より白き小石(こいし)なり
若(わか)き聖(ひじり)ののたまはく
智惠(ちえ)の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隱(かく)して今も放(はな)たじ
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 おきく


くろかみながく
    やはらかき
をんなごゝろを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごゝろの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    鬢(びん)の毛(け)を
黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)に
    かきあげよ

あゝ月(つき)ぐさの
    きえぬべき
こひもするとは
    たがことば

こひて死なむと
    よみいでし
あつきなさけは
    誰(た)がうたぞ

みちのためには
    ちをながし
くにには死ぬる
    をとこあり

治兵衞はいづれ
    戀(こひ)か名(な)か
忠兵衞も名の
    ために果(は)つ

あゝむかしより
    こひ死にし
をとこのありと
    しるや君

をんなごゝろは
    いやさらに
ふかきなさけの
    こもるかな

小春はこひに
    ちをながし
梅川こひの
    ために死ぬ

お七はこひの
    ために燒け
高尾はこひの
    ために果(は)つ

かなしからずや
    清姫は
蛇(へび)となれるも
    こひゆゑに

やさしからずや
    佐容姫は
石となれるも
    こひゆゑに

をとこのこひの
    たはふれは
たびにすてゆく
    なさけのみ

こひするなかれ
    をとめごよ
かなしむなかれ
    わがともよ

こひするときと
    かなしみと
いづれかながき
    いづれみじかき
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 醉歌


旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
醉うて袂の歌草(うたぐさ)を
醒めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ間(ま)に
樂しき春は老いやすし
誰(た)が身にもてる寶ぞや
君くれなゐのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁(うれひ)あり
堅く結べるその口に
それ聲も無きなげきあり

名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
來りて美(うま)き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
獨りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智惠に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火(ともしび)に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀(かな)しからずや君が身は

わきめもふらで急ぎ行く
君の行衞はいづこぞや
琴花酒(ことはなさけ)のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ
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 哀歌


   中野逍遙をいたむ
『秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴臺舊譜□前柳、風流銷盡二千年』、これ中野逍遙が秋怨十絶の一なり。逍遙字は威卿、小字重太郎、豫州宇和島の人なりといふ。文科大學の異材なりしが年僅かに二十七にしてうせぬ。逍遙遺稿正外二篇、みな紅心の餘唾にあらざるはなし。左に掲ぐるはかれの清怨を寫せしもの、『寄語殘月休長嘆、我輩亦是艶生涯』、合せかゝげてこの秀才を追慕するのこゝろをとゞむ。


  思君九首  中野逍遙

思君我心傷  思君我容瘁
中夜坐松蔭  露華多似涙

思君我心悄  思君我腸裂
昨夜涕涙流  今朝盡成血

示君錦字詩  寄君鴻文册
忽覺筆端香  □外梅花白

爲君調綺羅  爲君築金屋
中有鴛鴦圖  長春夢百禄

贈君名香篋  應記韓壽恩
休將秋扇掩  明月照眉痕

贈君双臂環  寶玉價千金
一鐫不乖約  一題勿變心

訪君過臺下  清宵琴響搖
佇門不敢入  恐亂月前調

千里囀金鶯  春風吹緑野
忽發頭屋桃  似君三兩朶

嬌影三分月  芳花一朶梅
潭把花月秀  作君玉膚堆


かなしいかなや流れ行く
水になき名をしるすとて
今(いま)はた殘る歌反古(うたほご)の
ながき愁(うれ)ひをいかにせむ

かなしいかなやする墨の
いろに染めてし花の木の
君がしらべの歌の音に
薄き命のひゞきあり

かなしいかなや前の世は
みそらにかゝる星の身の
人の命のあさぼらけ
光も見せでうせにしよ

かなしいかなや同じ世に
生れいでたる身を持ちて
友の契りも結ばずに
君は早くもゆけるかな

すゞしき眼(まなこ)つゆを帶び
葡萄のたまとまがふまで
その面影をつたへては
あまりに妬(ねた)き姿かな

同じ時世(ときよ)に生れきて
同じいのちのあさぼらけ
君からくれなゐの花は散り
われ命(いのち)あり八重葎(やへむぐら)

かなしいかなやうるはしく
さきそめにける花を見よ
いかなればかくとゞまらで
待たで散るらむさける間(ま)も

かなしいかなやうるはしき
なさけもこひの花を見よ
いといと清きそのこひは
消ゆとこそ聞けいと早く

君し花とにあらねども
いな花よりもさらに花
君しこひとにあらねども
いなこひよりもさらにこひ

かなしいかなや人の世に
あまりに惜しき才(ざえ)なれば
病(やまひ)に塵(ちり)に悲(かなしみ)に
死(し)にまでそしりねたまるゝ

かなしいかなやはたとせの
ことばの海のみなれ棹
磯にくだくる高潮(たかじほ)の
うれひの花とちりにけり

かなしいかなや人の世の
きづなも捨てて嘶けば
つきせぬ草に秋は來て
聲も悲しき天の馬

かなしいかなや音(ね)を遠み
流るゝ水の岸にさく
ひとつの花に照らされて
飄(ひるがへ)り行く一葉舟(ひとはぶね)
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 秋思


秋は來(き)ぬ
  秋は來ぬ
一葉(ひとは)は花は露ありて
風の來て彈(ひ)く琴の音に
青き葡萄は紫の
自然の酒とかはりけり

秋は來ぬ
  秋は來ぬ
おくれさきだつ秋草(あきぐさ)も
みな夕霜(ゆふじも)のおきどころ
笑ひの酒を悲みの
盃にこそつぐべけれ

秋は來ぬ
  秋は來ぬ
くさきも紅葉(もみぢ)するものを
たれかは秋に醉はざらむ
智惠あり顏のさみしさに
君笛を吹けわれはうたはむ
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 初戀


まだあげ初(そ)めし前髮(まへがみ)の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれなゐ)の秋の實(み)に
人こひ初(そ)めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髮の毛にかゝるとき
たのしき戀の盃(さかづき)を
君が情(なさけ)に酌みしかな

林檎畑の樹(こ)の下(した)に
おのづからなる細道(ほそみち)は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそうれしけれ
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 狐のわざ


庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜(よる)いでゝ
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

戀は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾心
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 髮を洗へば


髮を洗へば紫の
小草(をぐさ)のまへに色みえて
足をあぐれば花鳥(はなとり)の
われに隨ふ風情(ふぜい)あり

目にながむれば彩雲(あやぐも)の
まきてはひらく繪卷物(ゑまきもの)
手にとる酒は美酒(うまざけ)の
若き愁(うれひ)をたゝふめり

耳をたつれば歌神(うたがみ)の
きたりて玉(たま)の簫(ふえ)を吹き
口をひらけばうたびとの
一ふしわれはこひうたふ

あゝかくまでにあやしくも
熱きこゝろのわれなれど
われをし君のこひしたふ
その涙にはおよばじな
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 君がこゝろは


君がこゝろは蟋蟀(こほろぎ)の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影(あさかげ)清(きよ)き花草(はなぐさ)に
惜(を)しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは觸れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
觸れたまはぬぞ恨みなる
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 傘のうち


二人(ふたり)してさす一張(ひとはり)の
傘(かさ)に姿をつゝむとも
情(なさけ)の雨のふりしきり
かわく間(ま)もなきたもとかな

顏と顏とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花(ばいくわ)の油黒髮(くろかみ)の
亂れて匂ふ傘(かさ)のうち

戀の一雨ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間(ま)や
染めてぞ燃ゆる紅絹(もみ)うらの
雨になやめる足まとひ

歌ふをきけば梅川よ
しばし情(なさけ)を捨てよかし
いづこも戀に戲(たはふ)れて
それ忠兵衞の夢がたり

こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘(かさ)の涙を乾(ほ)さぬ間(ま)に
手に手をとりて行きて歸(かへ)らじ
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 秋に隱れて


わが手に植ゑし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰(ゆふぐれ)に
秋に隱(かく)れて窓にさくなり
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 知るや君


こゝろもあらぬ秋鳥(あきとり)の
聲にもれくる一ふしを
        知るや君

深くも澄(す)める朝潮(あさじほ)の
底にかくるゝ眞珠(しらたま)を
        知るや君

あやめもしらぬやみの夜に
靜(しづか)にうごく星くづを
        知るや君

まだ彈(ひ)きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音(ね)を
        知るや君
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 秋風の歌

  さびしさはいつともわかぬ山里に
      尾花みだれて秋かぜぞふく

しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲(しらくも)の
飛びて行くへも見ゆるかな

暮影(ゆふかげ)高く秋は黄の
桐の梢の琴の音(ね)に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風(にしかぜ)吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隱(かく)る

ふりさけ見れば青山(あをやま)も
色はもみぢに染めかへて
霜葉(しもば)をかへす秋風の
空(そら)の明鏡(かゞみ)にあらはれぬ

清(すゞ)しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみぢ葉(ば)にきたるとき

道を傳ふる婆羅門(ばらもん)の
西に東に散(ち)るごとく
吹き漂蕩(たゞよは)す秋風に
飄(ひるがへ)り行く木(こ)の葉(は)かな

朝羽(あさば)うちふる鷲鷹(わしたか)の
明闇天(あけくれそら)をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽(はね)に聲(こゑ)あり力(ちから)あり

見ればかしこし西風の
山の木(こ)の葉(は)をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉(もゝは)を落すとき

人は利劍(つるぎ)を振(ふる)へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世(ときよ)をのゝしるも
聲はたちまち滅(ほろ)ぶめり

高くも烈(はげ)し野も山も
息吹(いぶき)まどはす秋風よ
世をかれがれとなすまでは
吹きも休(や)むべきけはひなし

あゝうらさびし天地(あめつち)の
壺(つぼ)の中(うち)なる秋の日や
落葉と共に飄(ひるがへ)る
風の行衞(ゆくへ)を誰か知る
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 雲のゆくへ


庭にたちいでたゞひとり
秋海棠の花を分け
空ながむれば行く雲の
更(さら)に祕密(ひみつ)を闡(ひら)くかな
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 母を葬るのうた

  うき雲はありともわかぬ大空の
      月のかげよりふるしぐれかな

きみがはかばに
    きゞくあり
きみがはかばに
    さかきあり

くさはにつゆは
    しげくして
おもからずやは
    そのしるし

いつかねむりを
    さめいでて
いつかへりこむ
    わがはゝよ

紅羅(あから)ひく子も
    ますらをも
みなちりひぢと
    なるものを

あゝさめたまふ
    ことなかれ
あゝかへりくる
    ことなかれ

はるははなさき
    はなちりて
きみがはかばに
    かゝるとも

なつはみだるゝ
    ほたるびの
きみがはかばに
    とべるとも

あきはさみしき
    あきさめの
きみがはかばに
    そゝぐとも

ふゆはましろに
    ゆきじもの
きみがはかばに
    こほるとも

とほきねむりの
    ゆめまくら
おそるゝなかれ
    わがはゝよ
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 合唱


 一 暗香

  はるのよはひかりはかりとおもひしを
      しろきやうめのさかりなるらむ

  姉
わかきいのちの
    をしければ
やみにも春の
    香(か)に醉はむ

せめてこよひは
    さほひめよ
はなさくかげに
    うたへかし

  妹
そらもゑへりや
    はるのよは
ほしもかくれて
    みえわかず

よめにもそれと
    ほのしろく
みだれてにほふ
    うめのはな

  姉
はるのひかりの
    こひしさに
かたちをかくす
    うぐひすよ

はなさへしるき
    はるのよの
やみをおそるゝ
    ことなかれ

  妹
うめをめぐりて
    ゆくみづの
やみをながるゝ
    せゝらぎや

ゆめもさそはぬ
   香(か)なりせば
いづれかよるに
    にほはまし

  姉
こぞのこよひは
    わがともの
うすこうばいの
    そめごろも

ほかげにうつる
    さかづきを
こひのみゑへる
    よなりけり

  妹
こぞのこよひは
    わがともの
なみだをうつす
    よのなごり

かげもかなしや
    木下川に
うれひしづみし
    よなりけり

  姉
こぞのこよひは
    わがともの
おもひははるの
    よのゆめや

よをうきものに
    いでたまふ
ひとめをつゝむ
    よなりけり

  妹
こぞのこよひは
    わがともの
そでのかすみの
    はなむしろ

ひくやことのね
    たかじほを
うつしあはせし
    よなりけり

  姉
わがみぎのてに
    くらぶれば
やさしきなれが
    たなごゝろ

ふるればいとど
    やわらかに
もゆるかあつく
    おもほゆる

  妹
もゆるやいかに
    こよひはと
とひたまふこそ
    うれしけれ

しりたまはずや
    うめがかに
わがうまれてし
    はるのよを


 二 蓮花舟

  しは/\もこほるゝつゆははちすはの
      うきはにのみもたまりけるかな

  姉
あゝはすのはな
    はすのはな
かげはみえけり
    いけみづに

ひとつのふねに
    さをさして
うきはをわけて
    こぎいでむ

  妹
かぜもすゞしや
    はがくれに
そこにもしろし
    はすのはな

こゝにもあかき
    はすばなの
みづしづかなる
    いけのおも

  姉
はすをやさしみ
    はなをとり
そでなひたしそ
    いけみづに

ひとめもはぢよ
    はなかげに
なれが乳房(ちぶさ)の
    あらはるゝ

  妹
ふかくもすめる
    いけみづの
葉にすれてゆく
    みなれざを

なつぐもゆけば
    かげみえて
はなよりはなを
    わたるらし

  姉
荷葉にうたひ
    ふねにのり
はなつみのする
    なつのゆめ

はすのはなふね
    さをとめて
なにをながむる
    そのすがた

  妹
なみしづかなる
    はなかげに
きみのかたちの
    うつるかな

きみのかたちと
    なつばなと
いづれうるはし
    いづれやさしき


 三 葡萄の樹のかげ

  はるあきにおもひみたれてわきかねつ
      ときにつけつゝうつるこゝろは

  妹
たのしからずや
    はなやかに
あきはいりひの
    てらすとき

たのしからずや
    ぶだうばの
はごしにくもの
    かよふとき

  姉
やさしからずや
    むらさきの
ぶだうのふさの
    かゝるとき

やさしからずや
    にひぼしの
ぶだうのたまに
    うつるとき

  妹
かぜはしづかに
    そらすみて
あきはたのしき
    ゆふまぐれ

いつまでわかき
    をとめごの
たのしきゆめの
    われらぞや

  姉
あきのぶだうの
    きのかげの
いかにやさしく
    ふかくとも

てにてをとりて
    かげをふむ
なれとわかれて
    なにかせむ

  妹
げにやかひなき
    くりごとも
ぶだうにしかじ
    ひとふさの

われにあたへよ
    ひとふさを
そこにかゝれる
    むらさきの

  姉
われをしれかし
    えだたかみ
とゞかじものを
    かのふさは

はかげのたまに
    手はふれで
わがさしぐしの
    おちにけるかな


 四 高樓

  わかれゆくひとををしむとこよひより
      とほきゆめちにわれやまとはむ

  妹
とほきわかれに
    たへかねて
このたかどのに
    のぼるかな

かなしむなかれ
    わがあねよ
たびのころもを
    とゝのへよ

  姉
わかれといへば
    むかしより
このひとのよの
    つねなるを

ながるゝみづを
    ながむれば
ゆめはづかしき
    なみだかな

  妹
したへるひとの
    もとにゆく
きみのうへこそ
    たのしけれ

ふゆやまこえて
    きみゆかば
なにをひかりの
    わがみぞや

  姉
あゝはなとりの
    いろにつけ
ねにつけわれを
    おもへかし

けふわかれては
    いつかまた
あひみるまでの
    いのちかも

  妹
きみがさやけき
    めのいろも
きみくれなゐの
    くちびるも

きみがみどりの
    くろかみも
またいつかみむ
    このわかれ

  姉
なれがやさしき
    なぐさめも
なれがたのしき
    うたごゑも

なれがこゝろの
    ことのねも
またいつきかむ
    このわかれ

  妹
きみのゆくべき
    やまかはは
おつるなみだに
    みえわかず

そでのしぐれの
    ふゆのひに
きみにおくらむ
    はなもがな

  姉
そでにおほへる
    うるはしき
ながかほばせを
    あげよかし

ながくれなゐの
    かほばせに
ながるゝなみだ
    われはぬぐはむ
[#改ページ]

 ゆふぐれしづかに


ゆふぐれしづかに
     ゆめみむとて
よのわづらひより
     しばしのがる

きみよりほかには
     しるものなき
花かげにゆきて
     こひを泣きぬ

すぎこしゆめぢを
     おもひみるに
こひこそつみなれ
     つみこそこひ

いのりもつとめも
     このつみゆゑ
たのしきそのへと
     われはゆかじ

なつかしき君と
     てをたづさへ
くらき冥府(よみ)まで
     かけりゆかむ
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 月夜


しづかにてらせる
     月のひかりの
などか絶間なく
     ものおもはする
さやけきそのかげ
     こゑはなくとも
みるひとの胸に
     忍び入るなり
なさけは説(と)くとも
     なさけをしらぬ
うきよのほかにも
     朽ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
     この月かげと
いづれか聲なき
     いづれかなしき
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 強敵


一つの花に蝶と蜘蛛
小蜘蛛は花を守(まも)り顏
小蝶は花に醉ひ顏に
舞へども舞へどもすべぞなき

花は小蜘蛛のためならば
小蝶の舞(まひ)をいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ

やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼(つばさ)も輕き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ
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 別離

人妻をしたへる男の山に登り其
女の家を望み見てうたへるうた

誰(たれ)かとどめむ旅人(たびびと)の
あすは雲間(くもま)に隱るゝを
誰か聞くらむ旅人の
あすは別れと告げましを

清(きよ)き戀とや片(かた)し貝(がひ)
われのみものを思ふより
戀はあふれて濁(にご)るとも
君に涙をかけましを

人妻(ひとづま)戀ふる悲しさを
君がなさけに知りもせば
せめてはわれを罪人(つみびと)と
呼びたまふこそうれしけれ

あやめもしらぬ憂(う)しや身は
くるしきこひの牢獄(ひとや)より
罪の鞭責(しもと)をのがれいで
こひて死なむと思ふなり

誰(たれ)かは花をたづねざる
誰かは色彩(いろ)に迷はざる
誰かは前にさける見て
花を摘(つ)まむと思はざる

戀の花にも戲るゝ
嫉妬(ねたみ)の蝶の身ぞつらき
二つの羽(はね)もをれをれて
翼(つばさ)の色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいやいや深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
蓮さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩さかばやと思ふかな

待つまも早く秋は來(き)て
わが踏む道に萩さけど
濁りて待てる吾戀は
清き怨(うらみ)となりにけり
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 望郷

寺をのがれいでたる僧のうたひし
そのうた

いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでては住みなれし
御寺(みてら)の藏裏(くり)の白壁(しらかべ)の
眼(め)にもふたゝび見ゆるかな

いざさらば
住めば佛のやどりさへ
火炎(ほのほ)の宅(いへ)となるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵(ちり)にわれは燒けなむ
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 かもめ


波に生れて波に死ぬ
情(なさけ)の海のかもめどり
戀の激波(おほなみ)たちさわぎ
夢むすぶべきひまもなし

闇き潮(うしほ)の驚きて
流れて歸るわだつみの
鳥の行衞も見えわかぬ
波にうきねのかもめどり
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 流星


門(かど)にたち出でたゞひとり
人待ち顏のさみしさに
ゆふべの空をながむれば
雲の宿りも捨てはてて
何かこひしき人の世に
流れて落つる星一つ
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 君と遊ばむ


君と遊ばむ夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
晝の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
樂みのかず夜(よ)は盡きじ

夢かうつゝか天の川
星に假寢の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
梭の遠音を聞かめやも
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 晝の夢


花橘の袖の香の
みめうるはしきをとめごは
眞晝(まひる)に夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日(まひる)の夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世に出でて
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名殘ぞと
問はば答へむ目さめては
熱き涙のかわく間もなし
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 四つの袖


をとこの氣息(いき)のやはらかき
お夏の髮にかゝるとき
をとこの早きためいきの
霰(あられ)のごとくはしるとき

をとこの熱(あつ)き手の掌(ひら)の
お夏の手にも觸るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき

をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映(うつ)るとき
をとこの紅(あか)き口脣(くちびる)の
お夏の口にもゆるとき

人こそしらね嗚呼戀の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎

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