破戒
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著者名:島崎藤村 

妄想(まうさう)、妄想――今の患者の眼に映つた猫も、君の眼に映つた新平民も、皆(みん)な衰弱した神経の見せる幻像(まぼろし)さ。猫が捨てられたつて何だ――下らない。穢多が逐出(おひだ)されたつて何だ――当然(あたりまへ)ぢや無いか。』
『だから土屋君は困るよ。』と丑松は対手(あひて)の言葉を遮(さへぎ)つた。『何時(いつ)でも君は早呑込だ。自分で斯うだと決めて了ふと、もう他の事は耳に入らないんだから。』
『すこし左様(さう)いふ気味も有ますなあ。』と文平は如才なく。
『だつて引越し方があんまり唐突(だしぬけ)だからさ。』と言つて、銀之助は気を変へて、『しかし、寺の方が反つて勉強は出来るだらう。』
『以前(まへ)から僕は寺の生活といふものに興味を持つて居た。』と丑松は言出した。丁度下女の袈裟治(けさぢ)(北信に多くある女の名)が湯沸(ゆわかし)を持つて入つて来た。

       (三)

 信州人ほど茶を嗜(たしな)む手合も鮮少(すくな)からう。斯(か)ういふ飲料(のみもの)を好むのは寒い山国に住む人々の性来の特色で、日に四五回づゝ集つて飲むことを楽みにする家族が多いのである。丑松も矢張(やはり)茶好の仲間には泄(も)れなかつた。茶器を引寄せ、無造作に入れて、濃く熱いやつを二人の客にも勧め、自分も亦茶椀を口唇(くちびる)に押宛(おしあ)て乍(なが)ら、香(かう)ばしく焙(あぶ)られた茶の葉のにほひを嗅いで見ると、急に気分が清々する。まあ蘇生(いきかへ)つたやうな心地(こゝろもち)になる。やがて丑松は茶椀を下に置いて、寺住の新しい経験を語り始めた。
『聞いて呉れ給へ。昨日の夕方、僕はこの寺の風呂に入つて見た。一日働いて疲労(くたぶ)れて居るところだつたから、入つた心地(こゝろもち)は格別さ。明窓(あかりまど)の障子を開けて見ると紫□(しをん)の花なぞが咲いてるぢやないか。其時僕は左様(さう)思つたねえ。風呂に入り乍ら蟋蟀(きり/″\す)を聴くなんて、成程(なるほど)寺らしい趣味だと思つたねえ。今迄の下宿とは全然(まるで)様子が違ふ――まあ僕は自分の家(うち)へでも帰つたやうな心地(こゝろもち)がしたよ。』
『左様(さう)さなあ、普通の下宿ほど無趣味なものは無いからなあ。』と銀之助は新しい巻煙草に火を点(つ)けた。
『それから君、種々(いろ/\)なことがある。』と丑松は言葉を継いで、『第一、鼠の多いには僕も驚いた。』
『鼠?』と文平も膝を進める。
『昨夜(ゆうべ)は僕の枕頭(まくらもと)へも来た。慣(な)れなければ、鼠だつて気味が悪いぢやないか。あまり不思議だから、今朝其話をしたら、奥様の言草が面白い。猫を飼つて鼠を捕らせるよりか、自然に任せて養つてやるのが慈悲だ。なあに、食物(くひもの)さへ宛行(あてが)つて遣(や)れば、其様(そんな)に悪戯(いたづら)する動物ぢや無い。吾寺(うち)の鼠は温順(おとな)しいから御覧なさいツて。成程左様(さう)言はれて見ると、少許(すこし)も人を懼(おそ)れない。白昼(ひるま)ですら出て遊(あす)んで居る。はゝゝゝゝ、寺の内(なか)の光景(けしき)は違つたものだと思つたよ。』
『そいつは妙だ。』と銀之助は笑つて、『余程奥様といふ人は変つた婦人(をんな)と見えるね。』
『なに、それほど変つても居ないが、普通の人よりは宗教的なところがあるさ。さうかと思ふと、吾儕(わたしども)だつて高砂(たかさご)で一緒になつたんです、なんて、其様(そん)なことを言出す。だから、尼僧(あま)ともつかず、大黒(だいこく)ともつかず、と言つて普通の家(うち)の細君でもなし――まあ、門徒寺(もんとでら)に日を送る女といふものは僕も初めて見た。』
『外にはどんな人が居るのかい。』斯う銀之助は尋ねた。
『子坊主が一人。下女。それに庄太といふ寺男。ホラ、君等の入つて来た時、庭を掃いて居た男があつたらう。彼(あれ)が左様(さう)だあね。誰も彼男(あのをとこ)を庄太と言ふものは無い――皆(みん)な「庄馬鹿」と言つてる。日に五度(ごたび)づつ、払暁(あけがた)、朝八時、十二時、入相(いりあひ)、夜の十時、これだけの鐘を撞(つ)くのが彼男(あのをとこ)の勤務(つとめ)なんださうだ。』
『それから、あの何は。住職は。』とまた銀之助が聞いた。
『住職は今留守さ。』
 斯う丑松は見たり聞いたりしたことを取交ぜて話したのであつた。終(しまひ)に、敬之進の娘で、是寺へ貰はれて来て居るといふ、そのお志保の話も出た。
『へえ、風間さんの娘なんですか。』と文平は巻煙草の灰を落し乍ら言つた。『此頃(こなひだ)一度校友会に出て来た――ホラ、あの人でせう?』
『さう/\。』と丑松も思出したやうに、『たしか僕等の来る前の年に卒業して出た人です。土屋君、左様(さう)だつたねえ。』
『たしか左様だ。』

       (四)

 其日蓮華寺の台所では、先住の命日と言つて、精進物(しやうじんもの)を作るので多忙(いそが)しかつた。月々の持斎(ぢさい)には経を上げ膳を出す習慣(ならはし)であるが、殊に其日は三十三回忌とやらで、好物の栗飯を炊(た)いて、仏にも供へ、下宿人にも振舞ひたいと言ふ。寺内の若僧の妻までも来て手伝つた。用意の調(とゝの)つた頃、奥様は台所を他(ひと)に任せて置いて、丑松の部屋へ上つて来た。丑松も、銀之助も、文平も、この話好きな奥様の目には、三人の子のやうに映つたのである。昔者とは言ひ乍ら、書生の談話(はなし)も解つて、よく種々(いろ/\)なことを知つて居た。時々宗教(をしへ)の話なぞも持出した。奥様はまた十二月二十七日の御週忌の光景(ありさま)を語り聞かせた。其冬の日は男女(をとこをんな)の檀徒が仏の前に集つて、記念の一夜を送るといふ昔からの習慣を語り聞かせた。説教もあり、読経もあり、御伝抄(おでんせう)の朗読もあり、十二時には男女一同御夜食の膳に就くなぞ、其御通夜の儀式のさま/″\を語り聞かせた。
『なむあみだぶ。』
 と奥様は独語のやうに繰返して、やがて敬之進の退職のことを尋ねる。
 奥様に言はせると、今の住職が敬之進の為に尽したことは一通りで無い。あの酒を断つたらば、とは克(よ)く住職の言ふことで、禁酒の証文を入れる迄に敬之進が後悔する時はあつても、また/\縒(より)が元へ戻つて了ふ。飲めば窮(こま)るといふことは知りつゝ、どうしても持つた病には勝てないらしい。その為に敷居が高くなつて、今では寺へも来られないやうな仕末。あの不幸(ふしあはせ)な父親の為には、どんなにかお志保も泣いて居るとのことであつた。
『左様(さう)ですか――いよ/\退職になりましたか。』
 斯う言つて奥様は嘆息した。
『道理で。』と丑松は思出したやうに、『昨日私が是方(こちら)へ引越して来る時に、風間さんは門の前まで随いて来ましたよ。何故斯うして門の前まで一緒に来たか、それは今説明しようとも思はない、なんて、左様(さう)言つて、それからぷいと別れて行つて了ひました。随分酔つて居ましたツけ。』
『へえ、吾寺(うち)の前まで? 酔つて居ても娘のことは忘れないんでせうねえ――まあ、それが親子の情ですから。』
 と奥様は復(ま)た深い溜息を吐(つ)いた。
 斯ういふ談話(はなし)に妨(さまた)げられて、銀之助は思ふことを尽さなかつた。折角(せつかく)言ふ積りで来て、それを尽さずに帰るのも残念だし、栗飯が出来たからと引留められもするし、夜にでもなつたらば、と斯う考へて、心の中では友達のことばかり案じつゞけて居た。
 夕飯は例になく蔵裏(くり)の下座敷であつた。宵の勤行(おつとめ)も済んだと見えて、給仕は白い着物を着た子坊主がして呉れた。五分心(ごぶしん)の灯は香の煙に交る夜の空気を照らして、高い天井の下をおもしろく見せる。古壁に懸けてある黄な法衣(ころも)は多分住職の着るものであらう。変つた室内の光景(ありさま)は三人の注意を引いた。就中(わけても)、銀之助は克(よ)く笑つて、其高い声が台所迄も響くので、奥様は若い人達の話を聞かずに居られなかつた。終(しまひ)にはお志保までも来て、奥様の傍に倚添(よりそ)ひ乍ら聞いた。
 急に文平は快活らしくなつた。妙に婦人の居る席では熱心になるのが是男の性分で、二階に三人で話した時から見ると、この下座敷へ来てからは声の調子が違つた。天性愛嬌(あいけう)のある上に、清(すゞ)しい艶のある眸(ひとみ)を輝かし乍ら、興に乗つてよもやまの話を初めた時は、確に面白い人だと思はせた。文平はまた、時々お志保の方を注意して見た。お志保は着物の前を掻合せたり、垂れ下る髪の毛を撫付けたりして、人々の物語に耳を傾けて居たのである。
 銀之助はそんなことに頓着なしで、軈(やが)て思出したやうに、
『たしか吾儕(わたしども)の来る前の年でしたなあ、貴方等(あなたがた)の卒業は。』
 斯う言つてお志保の顔を眺めた。奥様も娘の方へ振向いた。
『はあ。』と答へた時は若々しい血潮が遽(にはか)にお志保の頬に上つた。そのすこし羞恥(はぢ)を含んだ色は一層(ひとしほ)容貌(おもばせ)を娘らしくして見せた。
『卒業生の写真が学校に有ますがね、』と銀之助は笑つて、『彼頃(あのころ)から見ると、皆(みん)な立派な姉さんに成りましたなあ――どうして吾儕(わたしども)が来た時分には、まだ鼻洟(はな)を垂らしてるやうな連中もあつたツけが。』
 楽しい笑声は座敷の内に溢(あふ)れた。お志保は紅(あか)くなつた。斯ういふ間にも、独り丑松は洋燈(ランプ)の火影(ほかげ)に横になつて、何か深く物を考へて居たのである。

       (五)

『ねえ、奥様。』と銀之助が言つた。『瀬川君は非常に沈んで居ますねえ。』
『左様(さやう)さ――』と奥様は小首を傾(かし)げる。
『一昨々日(さきをとゝひ)、』と銀之助は丑松の方を見て、『君が斯のお寺へ部屋を捜しに来た日だ――ホラ、僕が散歩してると、丁度本町で君に遭遇(でつくは)したらう。彼時(あのとき)の君の考へ込んで居る様子と言つたら――僕は暫時(しばらく)そこに突立つて、君の後姿を見送つて、何とも言ひ様の無い心地(こゝろもち)がしたねえ。君は猪子先生の「懴悔録」を持つて居た。其時僕は左様(さう)思つた。あゝ、また彼(あ)の先生の書いたものなぞを読んで、神経を痛めなければ可(いゝ)がなあと。彼様(あゝ)いふ本を読むのは、君、可くないよ。』
『何故?』と丑松は身を起した。
『だつて、君、あまり感化を受けるのは可くないからサ。』
『感化を受けたつても可いぢやないか。』
『そりやあ好い感化なら可いけれども、悪い感化だから困る。見たまへ、君の性質が変つて来たのは、彼の先生のものを読み出してからだ。猪子先生は穢多だから、彼様(あゝ)いふ風に考へるのも無理は無い。普通の人間に生れたものが、なにも彼(あ)の真似を為なくてもよからう――彼程(あれほど)極端に悲まなくてもよからう。』
『では、貧民とか労働者とか言ふやうなものに同情を寄せるのは不可(いかん)と言ふのかね。』
『不可と言ふ訳では無いよ。僕だつても、美しい思想だとは思ふさ。しかし、君のやうに、左様(さう)考へ込んで了つても困る。何故君は彼様(あゝ)いふものばかり読むのかね、何故君は沈んでばかり居るのかね――一体、君は今何を考へて居るのかね。』
『僕かい? 別に左様(さう)深く考へても居ないさ。君等の考へるやうな事しか考へて居ないさ。』
『でも何かあるだらう。』
『何かとは?』
『何か原因がなければ、そんなに性質の変る筈が無い。』
『僕は是で変つたかねえ。』
『変つたとも。全然(まるで)師範校時代の瀬川君とは違ふ。彼(あ)の時分は君、ずつと快活な人だつたあね。だから僕は斯う思ふんだ――元来君は欝(ふさ)いでばかり居る人ぢや無い。唯あまり考へ過ぎる。もうすこし他の方面へ心を向けるとか、何とかして、自分の性質を伸ばすやうに為たら奈何(どう)かね。此頃(こなひだ)から僕は言はう/\と思つて居た。実際、君の為に心配して居るんだ。まあ身体の具合でも悪いやうなら、早く医者に診せて、自分で自分を救ふやうに為るが可(いゝ)ぢやないか。』
 暫時(しばらく)座敷の中は寂(しん)として話声が絶えた。丑松は何か思出したことがあると見え、急に喪心した人のやうに成つて、茫然(ばうぜん)として居たが。やがて気が付いて我に帰つた頃は、顔色がすこし蒼ざめて見えた。
『どうしたい、君は。』と銀之助は不思議さうに丑松の顔を眺めて、『はゝゝゝゝ、妙に黙つて了つたねえ。』
『はゝゝゝゝ。はゝゝゝゝ。』
 と丑松は笑ひ紛(まぎらは)して了つた。銀之助も一緒になつて笑つた。奥様とお志保は二人の顔を見比べて、熱心に聞き惚れて居たのである。
『土屋君は「懴悔録」を御読みでしたか。』と文平は談話(はなし)を引取つた。
『否(いゝえ)、未(ま)だ読んで見ません。』斯う銀之助は答へた。
『何か彼の猪子といふ先生の書いたものを御覧でしたか――私は未だ何(なん)にも読んで見ないんですが。』
『左様(さう)ですなあ、僕の読んだのは「労働」といふものと、それから「現代の思潮と下層社会」――あれを瀬川君から借りて見ました。なか/\好いところが有ますよ、力のある深刻な筆で。』
『一体彼の先生は何処を出た人なんですか。』
『たしか高等師範でしたらう。』
『斯ういふ話を聞いたことが有ましたツけ。彼の先生が長野に居た時分、郷里の方でも兎(と)に角(かく)彼様(あゝ)いふ人を穢多の中から出したのは名誉だと言つて、講習に頼んださうです。そこで彼の先生が出掛けて行つた。すると宿屋で断られて、泊る所が無かつたとか。其様(そん)なことが面白くなくて長野を去るやうになつた、なんて――まあ、師範校を辞(や)めてから、彼の先生も勉強したんでせう。妙な人物が新平民なぞの中から飛出したものですなあ。』
『僕も其は不思議に思つてる。』
『彼様(あん)な下等人種の中から、兎に角思想界へ頭を出したなんて、奈何(どう)しても私には其理由が解らない。』
『しかし、彼の先生は肺病だと言ふから、あるひは其病気の為に、彼処(あそこ)まで到(い)つたものかも知れません。』
『へえ、肺病ですか。』
『実際病人は真面目ですからなあ。「死」といふ奴を眼前(めのまへ)に置いて、平素(しよつちゆう)考へて居るんですからなあ。彼の先生の書いたものを見ても、何となく斯う人に迫るやうなところがある。あれが肺病患者の特色です。まあ彼の病気の御蔭で豪(えら)く成つた人はいくらもある。』
『はゝゝゝゝ、土屋君の観察は何処迄も生理的だ。』
『いや、左様(さう)笑つたものでも無い。見たまへ、病気は一種の哲学者だから。』
『して見ると、穢多が彼様(あゝ)いふものを書くんぢや無い、病気が書かせるんだ――斯う成りますね。』
『だつて、君、左様(さう)釈(さと)るより外に考へ様は無いぢやないか――唯新平民が美しい思想を持つとは思はれないぢやないか――はゝゝゝゝ。』
 斯ういふ話を銀之助と文平とが為して居る間、丑松は黙つて、洋燈(ランプ)の火を熟視(みつ)めて居た。自然(おのづ)と外部(そと)に表れる苦悶の情は、頬の色の若々しさに交つて、一層その男らしい容貌(おもばせ)を沈欝(ちんうつ)にして見せたのである。
 茶が出てから、三人は別の話頭(はなし)に移つた。奥様は旅先の住職の噂(うはさ)なぞを始めて、客の心を慰める。子坊主は隣の部屋の柱に凭(もた)れて、独りで舟を漕いで居た。台所の庭の方から、遠く寂しく地響のやうに聞えるは、庄馬鹿が米を舂(つ)く音であらう。夜も更(ふ)けた。

       (六)

 友達が帰つた後、丑松は心の激昂を制(おさ)へきれないといふ風で、自分の部屋の内を歩いて見た。其日の物語、あの二人の言つた言葉、あの二人の顔に表れた微細な感情まで思出して見ると、何となく胸肉(むなじゝ)の戦慄(ふる)へるやうな心地がする。先輩の侮辱されたといふことは、第一口惜(くや)しかつた。賤民だから取るに足らん。斯(か)ういふ無法な言草は、唯考へて見たばかりでも、腹立たしい。あゝ、種族の相違といふ屏□(わだかまり)の前には、いかなる熱い涙も、いかなる至情の言葉も、いかなる鉄槌(てつつゐ)のやうな猛烈な思想も、それを動かす力は無いのであらう。多くの善良な新平民は斯うして世に知られずに葬り去らるゝのである。
 斯(こ)の思想(かんがへ)に刺激されて、寝床に入つてからも丑松は眠らなかつた。目を開いて、頭を枕につけて、種々(さま/″\)に自分の一生を考へた。鼠が復た顕れた。畳の上を通る其足音に妨げられては、猶々(なほ/\)夢を結ばない。一旦吹消した洋燈を細目に点(つ)けて、枕頭(まくらもと)を明くして見た。暗い部屋の隅の方に影のやうに動く小(ちひさ)な動物の敏捷(はしこ)さ、人を人とも思はず、長い尻尾を振り乍ら、出たり入つたりする其有様は、憎らしくもあり、をかしくもあり、『き、き』と鳴く声は斯の古い壁の内に秋の夜の寂寥(さびしさ)を添へるのであつた。
 それからそれへと丑松は考へた。一つとして不安に思はれないものはなかつた。深く注意した積りの自分の行為(おこなひ)が、反つて他(ひと)に疑はれるやうなことに成らうとは――まあ、考へれば考へるほど用意が無さ過ぎた。何故(なぜ)、あの大日向が鷹匠町の宿から放逐された時に、自分は静止(じつ)として居なかつたらう。何故(なぜ)、彼様(あんな)に泡を食つて、斯の蓮華寺へ引越して来たらう。何故、あの猪子蓮太郎の著述が出る度に、自分は其を誇り顔に吹聴(ふいちやう)したらう。何故、彼様に先輩の弁護をして、何か斯う彼の先輩と自分との間には一種の関係でもあるやうに他(ひと)に思はせたらう。何故、彼の先輩の名前を彼様(あゝ)他(ひと)の前で口に出したらう。何故、内証で先輩の書いたものを買はなかつたらう。何故、独りで部屋の内に隠れて、読みたい時に密(そつ)と出して読むといふ智慧が出なかつたらう。
 思ひ疲れるばかりで、結局(まとまり)は着かなかつた。
 一夜は斯ういふ風に、褥(しとね)の上で慄(ふる)へたり、煩悶(はんもん)したりして、暗いところを彷徨(さまよ)つたのである。翌日(あくるひ)になつて、いよ/\丑松は深く意(こゝろ)を配るやうに成つた。過去(すぎさ)つた事は最早(もう)仕方が無いとして、是(これ)から将来(さき)を用心しよう。蓮太郎の名――人物――著述――一切、彼(あ)の先輩に関したことは決して他(ひと)の前で口に出すまい。斯う用心するやうに成つた。
 さあ、父の与へた戒(いましめ)は身に染々(しみ/″\)と徹(こた)へて来る。『隠せ』――実にそれは生死(いきしに)の問題だ。あの仏弟子が墨染の衣に守り窶(やつ)れる多くの戒も、是(こ)の一戒に比べては、寧(いつ)そ何でもない。祖師を捨てた仏弟子は、堕落と言はれて済む。親を捨てた穢多の子は、堕落でなくて、零落である。『決してそれとは告白(うちあ)けるな』とは堅く父も言ひ聞かせた。これから世に出て身を立てようとするものが、誰が好んで告白(うちあ)けるやうな真似を為よう。
 丑松も漸(やうや)く二十四だ。思へば好い年齢(とし)だ。
 噫(あゝ)。いつまでも斯うして生きたい。と願へば願ふほど、余計に穢多としての切ない自覚が湧き上るのである。現世の歓楽は美しく丑松の眼に映じて来た。たとへ奈何(いか)なる場合があらうと、大切な戒ばかりは破るまいと考へた。


   第四章

       (一)

 郊外は収穫(とりいれ)の為に忙(せは)しい時節であつた。農夫の群はいづれも小屋を出て、午後の労働に従事して居た。田(た)の面(も)の稲は最早(もう)悉皆(すつかり)刈り乾して、すでに麦さへ蒔付(まきつ)けたところもあつた。一年(ひとゝせ)の骨折の報酬(むくい)を収めるのは今である。雪の来ない内に早く。斯うして千曲川の下流に添ふ一面の平野は、宛然(あだかも)、戦場の光景(ありさま)であつた。
 其日、丑松は学校から帰ると直に蓮華寺を出て、平素(ふだん)の勇気を回復(とりかへ)す積りで、何処へ行くといふ目的(めあて)も無しに歩いた。新町の町はづれから、枯々な桑畠の間を通つて、思はず斯(こ)の郊外の一角へ出たのである。積上げた『藁(わら)によ』の片蔭に倚凭(よりかゝ)つて、霜枯れた雑草の上に足を投出し乍ら、肺の底までも深く野の空気を吸入れた時は、僅に蘇生(いきかへ)つたやうな心地(こゝろもち)になつた。見れば男女の農夫。そこに親子、こゝに夫婦、黄に揚る塵埃(ほこり)を満身に浴びながら、我劣らじと奮闘をつゞけて居た。籾(もみ)を打つ槌(つち)の音は地に響いて、稲扱(いねこ)く音に交つて勇しく聞える。立ちのぼる白い煙もところ/″\。雀の群は時々空に舞揚つて、騒しく鳴いて、軈(やが)てまたぱツと田の面に散乱れるのであつた。
 秋の日は烈しく照りつけて、人々には言ふに言はれぬ労苦を与へた。男は皆な頬冠(ほつかぶ)り、女は皆な編笠(あみがさ)であつた。それはめづらしく乾燥(はしや)いだ、風の無い日で、汗は人々の身体を流れたのである。野に満ちた光を通して、丑松は斯の労働の光景(ありさま)を眺めて居ると、不図(ふと)、倚凭(よりかゝ)つた『藁によ』の側(わき)を十五ばかりの一人の少年が通る。日に焼けた額と、柔嫩(やはらか)な目付とで、直に敬之進の忰(せがれ)と知れた。省吾(しやうご)といふのが其少年の名で、丁度丑松が受持の高等四年の生徒なのである。丑松は其容貌(かほつき)を見る度に、彼の老朽な教育者を思出さずには居られなかつた。
『風間さん、何処(どちら)へ?』
 斯う声を掛けて見る。
『あの、』と省吾は言淀(いひよど)んで、『母さんが沖(野外)に居やすから。』
『母さん?』
『あれ彼処に――先生、あれが吾家(うち)の母さんでごはす。』
 と省吾は指差して見せて、すこし顔を紅(あか)くした。同僚の細君の噂(うはさ)、それを丑松も聞かないでは無かつたが、然し眼前(めのまへ)に働いて居る女が其人とはすこしも知らなかつた。古びた上被(うはつぱり)、茶色の帯、盲目縞(めくらじま)の手甲(てつかふ)、編笠に日を避(よ)けて、身体を前後に動かし乍ら、□々(せつせ)と稲の穂を扱落(こきおと)して居る。信州北部の女はいづれも強健(つよ)い気象のものばかり。克(よ)く働くことに掛けては男子にも勝(まさ)る程であるが、教員の細君で野面(のら)にまで出て、烈しい気候を相手に精出すものも鮮少(すくな)い。是(これ)も境遇からであらう、と憐んで見て居るうちに、省吾はまた指差して、彼の槌を振上げて籾(もみ)を打つ男、彼(あれ)は手伝ひに来た旧(むかし)からの出入のもので、音作といふ百姓であると話した。母と彼男(あのをとこ)との間に、箕(み)を高く頭の上に載せ、少許(すこし)づつ籾を振ひ落して居る女、彼(あれ)は音作の『おかた』(女房)であると話した。丁度其女房が箕を振る度に、空殻(しひな)の塵(ほこり)が舞揚つて、人々は黄色い烟を浴びるやうに見えた。省吾はまた、母の傍(わき)に居る小娘を指差して、彼が異母(はらちがひ)の妹のお作であると話した。
『君の兄弟は幾人(いくたり)あるのかね。』と丑松は省吾の顔を熟視(まも)り乍ら尋ねた。
『七人。』といふ省吾の返事。
『随分多勢だねえ、七人とは。君に、姉さんに、尋常科の進さんに、あの妹に――それから?』
『まだ下に妹が一人と弟が一人。一番年長(うへ)の兄さんは兵隊に行つて死にやした。』
『むゝ左様(さう)ですか。』
『其中で、死んだ兄さんと、蓮華寺へ貰はれて行きやした姉さんと、私(わし)と――これだけ母さんが違ひやす。』
『そんなら、君やお志保さんの真実(ほんたう)の母さんは?』
『最早(もう)居やせん。』
 斯ういふ話をして居ると、不図(ふと)継母(まゝはゝ)の呼声を聞きつけて、ぷいと省吾は駈出して行つて了つた。

       (二)

『省吾や。お前(めへ)はまあ幾歳(いくつ)に成つたら御手伝ひする積りだよ。』と言ふ細君の声は手に取るやうに聞えた。省吾は継母を懼(おそ)れるといふ様子して、おづ/\と其前に立つたのである。
『考へて見な、もう十五ぢやねえか。』と怒を含んだ細君の声は復た聞えた。『今日は音さんまで御頼申(おたのまう)して、斯うして塵埃(ほこり)だらけに成つて働(かま)けて居るのに、それがお前の目には見えねえかよ。母さんが言はねえだつて、さつさと学校から帰つて来て、直に御手伝ひするのが当然(あたりまへ)だ。高等四年にも成つて、未(ま)だ□螽捕(いなごと)りに夢中に成つてるなんて、其様(そん)なものが何処にある――与太坊主め。』
 見れば細君は稲扱(いねこ)く手を休めた。音作の女房も振返つて、気の毒さうに省吾の顔を眺め乍ら、前掛を〆直(しめなほ)したり、身体の塵埃(ほこり)を掃つたりして、軈(やが)て顔に流れる膏汗(あぶらあせ)を拭いた。莚(むしろ)の上の籾は黄な山を成して居る。音作も亦た槌の長柄に身を支へて、うんと働いた腰を延ばして、濃く青い空気を呼吸した。
『これ、お作や。』と細君の児を叱る声が起つた。『どうして其様(そん)な悪戯(いたづら)するんだい。女の児は女の児らしくするもんだぞ。真個(ほんと)に、どいつもこいつも碌なものはありやあしねえ。自分の子ながら愛想(あいそ)が尽きた。見ろ、まあ、進を。お前達二人より余程(よつぽど)御手伝ひする。』
『あれ、進だつて遊(あす)んで居やすよ。』といふのは省吾の声。
『なに、遊んでる?』と細君はすこし声を震はせて、『遊んでるものか。先刻(さつき)から御子守をして居やす。其様(そん)なお前のやうな役に立たずぢやねえよ。ちよツ、何ぞと言ふと、直に口答へだ。父さんが過多(めた)甘やかすもんだから、母さんの言ふことなぞ少許(ちつと)も聞きやしねえ。真個(ほんと)に図太(づな)い口の利きやうを為る。だから省吾は嫌ひさ。すこし是方(こちら)が遠慮して居れば、何処迄いゝ気に成るか知れやしねえ。あゝ必定(きつと)また蓮華寺へ寄つて、姉さんに何か言付けて来たんだらう。それで斯様(こんな)に遅くなつたんだらう。内証で隠れて行つて見ろ――酷いぞ。』
『奥様。』と音作は見兼ねたらしい。『何卒(どうか)まあ、今日(こんち)のところは、私(わし)に免じて許して下さるやうに。ない(なあと同じ農夫の言葉)、省吾さん、貴方(あんた)もそれぢやいけやせん。母さんの言ふことを聞かねえやうなものなら、私だつて提棒(さげぼう)(仲裁)に出るのはもう御免だから。』
 音作の女房も省吾の側へ寄つて、軽く背を叩(たゝ)いて私語(さゝや)いた。軈て女房は其手に槌の長柄を握らせて、『さあ、御手伝ひしやすよ。』と亭主の方へ連れて行つた。『どれ、始めずか(始めようか)。』と音作は省吾を相手にし、槌を振つて籾を打ち始めた。『ふむ、よう。』の掛声も起る。細君も、音作の女房も、復た仕事に取懸つた。
 図(はか)らず丑松は敬之進の家族を見たのである。彼(あ)の可憐な少年も、お志保も、細君の真実(ほんたう)の子では無いといふことが解つた。夫の貧を養ふといふ心から、斯うして細君が労苦して居るといふことも解つた。五人の子の重荷と、不幸な夫の境遇とは、細君の心を怒り易く感じ易くさせたといふことも解つた。斯う解つて見ると、猶々(なほ/\)丑松は敬之進を憐むといふ心を起したのである。
 今はすこし勇気を回復した。明(あきらか)に見、明に考へることが出来るやうに成つた。眼前(めのまへ)に展(ひろが)る郊外の景色を眺めると、種々(さま/″\)の追憶(おもひで)は丑松の胸の中を往つたり来たりする。丁度斯うして、田圃(たんぼ)の側(わき)に寝そべり乍ら、収穫(とりいれ)の光景(さま)を眺めた彼(あ)の無邪気な少年の時代を憶出(おもひだ)した。烏帽子(ゑぼし)一帯の山脈の傾斜を憶出した。其傾斜に連なる田畠と石垣とを憶出した。茅萱(ちがや)、野菊、其他種々な雑草が霜葉を垂れる畦道(あぜみち)を憶出した。秋風が田の面を渡つて黄な波を揚げる頃は、□螽(いなご)を捕つたり、野鼠を追出したりして、夜はまた炉辺(ろばた)で狐と狢(むじな)が人を化かした話、山家で言ひはやす幽霊の伝説、放縦(ほしいまゝ)な農夫の男女(をとこをんな)の物語なぞを聞いて、余念もなく笑ひ興じたことを憶出(おもひだ)した。あゝ、穢多の子といふ辛い自覚の味を知らなかつた頃――思へば一昔――其頃と今とは全く世を隔てたかの心地がする。丑松はまた、あの長野の師範校で勉強した時代のことを憶出した。未だ世の中を知らなかつたところからして、疑ひもせず、疑はれもせず、他(ひと)と自分とを同じやうに考へて、笑つたり騒いだりしたことを憶出した。あの寄宿舎の楽しい窓を憶出した。舎監の赤い髭を憶出した。食堂の麦飯の香(にほひ)を憶出した。よく阿弥陀(あみだ)の□(くじ)に当つて、買ひに行つた門前の菓子屋の婆さんの顔を憶出した。夜の休息(やすみ)を知らせる鐘が鳴り渡つて、軈(やが)て見廻りに来る舎監の靴の音が遠く廊下に響くといふ頃は、沈まりかへつて居た朋輩が復(ま)た起出して、暗い寝室の内で雑談に耽つたことを憶出した。終(しまひ)には往生寺の山の上に登つて、苅萱(かるかや)の墓の畔(ほとり)に立ち乍ら、大(おほき)な声を出して呼び叫んだ時代のことを憶出して見ると――実に一生の光景(ありさま)は変りはてた。楽しい過去の追憶(おもひで)は今の悲傷(かなしみ)を二重にして感じさせる。『あゝ、あゝ、奈何(どう)して俺は斯様(こんな)に猜疑深(うたがひぶか)くなつたらう。』斯う天を仰いで歎息した。急に、意外なところに起る綿のやうな雲を見つけて、しばらく丑松はそれを眺め乍ら考へて居たが、思はず知らず疲労(つかれ)が出て、『藁によ』に倚凭(よりかゝ)つたまゝ寝て了つた。

       (三)

 ふと眼を覚まして四辺(そこいら)を見廻した時は、暮色が最早(もう)迫つて来た。向ふの田の中の畦道(あぜみち)を帰つて行く人々も見える。荒くれた男女の農夫は幾群か丑松の側(わき)を通り抜けた。鍬(くは)を担いで行くものもあり、俵を背負つて行くものもあり、中には乳呑児(ちのみご)を抱擁(だきかゝ)へ乍ら足早に家路をさして急ぐのもあつた。秋の一日(ひとひ)の烈しい労働は漸(やうや)く終を告げたのである。
 まだ働いて居るものもあつた。敬之進の家族も急いで働いて居た。音作は腰を曲(こゞ)め、足に力を入れ、重い俵(たはら)を家の方へ運んで行く。後には女二人と省吾ばかり残つて、籾(もみ)を振(ふる)つたり、それを俵へ詰めたりして居た。急に『かあさん、かあさん。』と呼ぶ声が起る。見れば省吾の弟、泣いて反返(そりかへ)る児を背負(おぶ)ひ乍ら、一人の妹を連れて母親の方へ駈寄つた。『おゝ、おゝ。』と細君は抱取つて、乳房を出して銜(くは)へさせて、
『進や。父さんは何してるか、お前(めへ)知らねえかや。』
『俺(おら)知んねえよ。』
『あゝ。』と細君は襦袢(じゆばん)の袖口で□(まぶち)を押拭ふやうに見えた。『父さんのことを考へると、働く気もなにも失くなつて了ふ――』
『母さん、作ちやんが。』と進は妹の方を指差し乍ら叫んだ。
『あれ。』と細君は振返つて、『誰だい其袋を開けたものは――誰だい母さんに黙つて其袋を開けたものは。』
『作ちやんは取つて食ひやした。』と進の声で。
『真実(ほんと)に仕方が無いぞい――彼娘(あのこ)は。』と細君は怒気を含んで、『其袋を茲(こゝ)へ持つて来な――これ、早く持つて来ねえかよ。』
 お作は八歳(やつつ)ばかりの女の児。麻の袋を手に提げた儘、母の権幕を畏(おそ)れて進みかねる。『母さん、お呉(くん)な。』と進も他の子供も強請(せが)み付く。省吾も其と見て、母の傍へ駈寄つた。細君はお作の手から袋を奪取るやうにして、
『どれ、見せな――そいつたツても、まあ、情ない。道理で先刻(さつき)から穏順(おとな)しいと思つた。すこし母さんが見て居ないと、直に斯様(こん)な真似を為る。黙つて取つて食ふやうなものは、泥棒だぞい――盗人(ぬすツと)だぞい――ちよツ、何処へでも勝手に行つて了へ、其様(そん)な根性(こんじやう)の奴は最早(もう)母さんの子ぢやねえから。』
 斯う言つて、袋の中に残る冷(つめた)い焼餅(おやき)らしいものを取出して、細君は三人の児に分けて呉れた。
『母さん、俺(おん)にも。』とお作は手を出した。
『何だ、お前は。自分で取つて食つて置き乍ら。』
『母さん、もう一つお呉(くん)な。』と省吾は訴へるやうに、『進には二つ呉れて、私(わし)には一つしか呉ねえだもの。』
『お前は兄さんぢやねえか。』
『進には彼様(あん)な大いのを呉れて。』
『嫌なら、廃(よ)しな、さあ返しな――機嫌克(よ)くして母さんの呉れるものを貰つた例(ためし)はねえ。』
 進は一つ頬張り乍ら、軈(やが)て一つの焼餅(おやき)を見せびらかすやうにして、『省吾の馬鹿――やい、やい。』と呼んだ。省吾は忌々敷(いま/\しい)といふ様子。いきなり駈寄つて、弟の頭を握拳(にぎりこぶし)で打つ。弟も利かない気。兄の耳の辺(あたり)を打ち返した。二人の兄弟は怒の為に身を忘れて、互に肩を聳して、丁度野獣(けもの)のやうに格闘(あらそひ)を始める。音作の女房が周章(あわ)てゝ二人を引分けた時は、兄弟ともに大な声を揚げて泣叫ぶのであつた。
『どうしてまあ兄弟喧嘩(きやうだいげんくわ)を為るんだねえ。』と細君は怒つて、『左様(さう)お前達に側(はた)で騒がれると、母さんは最早(もう)気が狂(ちが)ひさうに成る。』
 斯の光景(ありさま)を丑松は『藁によ』の蔭に隠れ乍ら見て居た。様子を聞けば聞くほど不幸な家族を憐まずには居られなくなる。急に暮鐘の音に驚かされて、丑松は其処を離れた。
 寂しい秋晩の空に響いて、また蓮華寺の鐘の音が起つた。それは多くの農夫の為に、一日の疲労(つかれ)を犒(ねぎら)ふやうにも、楽しい休息(やすみ)を促(うなが)すやうにも聞える。まだ野に残つて働いて居る人々は、いづれも仕事を急ぎ初めた。今は夕靄(ゆふもや)の群が千曲川(ちくまがは)の対岸を籠(こ)めて、高社山(かうしやざん)一帯の山脈も暗く沈んだ。西の空は急に深い焦茶(こげちや)色に変つたかと思ふと、やがて落ちて行く秋の日が最後の反射を田(た)の面(も)に投げた。向ふに見える杜(もり)も、村落も、遠く暮色に包まれて了つたのである。あゝ、何の煩ひも思ひ傷むことも無くて、斯(か)ういふ田園の景色を賞することが出来たなら、どんなにか青春の時代も楽しいものであらう。丑松が胸の中に戦ふ懊悩(あうなう)を感ずれば感ずる程、余計に他界(そと)の自然は活々(いき/\)として、身に染(し)みるやうに思はるゝ。南の空には星一つ顕(あらは)れた。その青々とした美しい姿は、一層夕暮の眺望を森厳(おごそか)にして見せる。丑松は眺め入り乍ら、自分の一生を考へて歩いた。
『しかし、其が奈何(どう)した。』と丑松は豆畠の間の細道へさしかゝつた時、自分で自分を激□(はげ)ますやうに言つた。『自分だつて社会の一員(ひとり)だ。自分だつて他(ひと)と同じやうに生きて居る権利があるのだ。』
 斯の思想(かんがへ)に力を得て、軈て帰りかけて振返つて見た時は、まだ敬之進の家族が働いて居た。二人の女が冠つた手拭は夕闇に仄白(ほのじろ)く、槌の音は冷々(ひや/″\)とした空気に響いて、『藁を集めろ』などゝいふ声も幽(かすか)に聞える。立つて是方(こちら)を向いたのは省吾か。今は唯動いて居る暗い影かとばかり、人々の顔も姿も判らない程に暮れた。

       (四)

『おつかれ』(今晩は)と逢(あ)ふ人毎に声を掛けるのは山家の黄昏(たそがれ)の習慣(ならはし)である。丁度新町の町はづれへ出て、帰つて行く農夫に出逢ふ度に、丑松は斯(この)挨拶を交換(とりかは)した。一ぜんめし、御休所、笹屋、としてある家(うち)の前で、また『おつかれ』を繰返したが、其は他の人でもない、例の敬之進であつた。
『おゝ、瀬川君か。』と敬之進は丑松を押留めるやうにして、『好い処で逢つた。何時か一度君とゆつくり話したいと思つて居た。まあ、左様(さう)急がんでもよからう。今夜は我輩に交際(つきあ)つて呉れてもよからう。斯ういふ処で話すのも亦(ま)た一興だ。是非、君に聞いて貰ひたいこともあるんだから――』
 斯(か)う慫慂(そゝのか)されて、丑松は敬之進と一緒に笹屋の入口の敷居を跨いで入つた。昼は行商、夜は農夫などが疲労(つかれ)を忘れるのは茲(こゝ)で、大な炉(ろ)には『ぼや』(雑木の枝)の火が赤々と燃上つた。壁に寄せて古甕(ふるがめ)のいくつか並べてあるは、地酒が溢れて居るのであらう。今は農家は忙しい時季(とき)で、長く御輿(みこし)を座(す)ゑるものも無い。一人の農夫が草鞋穿(わらぢばき)の儘(まゝ)、ぐいと『てツぱ』(こつぷ酒)を引掛けて居たが、軈(やが)て其男の姿も見えなくなつて、炉辺(ろばた)は唯二人の専有(もの)となつた。
『今晩は何にいたしやせう。』と主婦(かみさん)は炉の鍵に大鍋を懸け乍ら尋ねた。『油汁(けんちん)なら出来やすが、其ぢやいけやせんか。河で捕れた鰍(かじか)もごはす。鰍でも上げやせうかなあ。』
『鰍?』と敬之進は舌なめずりして、『鰍、結構――それに、油汁と来ては堪(こた)へられない。斯ういふ晩は暖い物に限りますからね。』
 敬之進は酒慾の為に慄へて居た。素面(しらふ)で居る時は、からもう元気の無い人で、言葉もすくなく、病人のやうに見える。五十の上を一つか二つも越したらうか、年の割合には老(ふけ)たといふでも無く、まだ髪は黒かつた。丑松は『藁によ』の蔭で見たり聞いたりした家族のことを思ひ浮べて、一層斯人(このひと)に親しくなつたやうな心地がした。『ぼや』の火も盛んに燃えた。大鍋の中の油汁(けんちん)は沸々(ふつ/\)と煮立つて来て、甘さうな香(にほひ)が炉辺に満溢(みちあふ)れる。主婦(かみさん)は其を小丼(こどんぶり)に盛つて出し、酒は熱燗(あつかん)にして、一本づゝ古風な徳利を二人の膳の上に置いた。
『瀬川君。』と敬之進は手酌でちびり/\始め乍ら、『君が飯山へ来たのは何時でしたつけねえ。』
『私(わたし)ですか。私が来てから最早(もう)足掛三年に成ります。』と丑松は答へた。
『へえ、其様(そんな)に成るかねえ。つい此頃(こなひだ)のやうにしか思はれないがなあ。実に月日の経つのは早いものさ。いや、我輩なぞが老込む筈だよ。君等がずん/\進歩するんだもの。我輩だつて、君、一度は君等のやうな時代もあつたよ。明日は、明日は、明日はと思つて居る内に、もう五十といふ声を聞くやうに成つた。我輩の家(うち)と言ふのはね、もと飯山の藩士で、少年の時分から君侯の御側に勤めて、それから江戸表へ――丁度御維新(ごいツしん)に成る迄。考へて見れば時勢は還(うつ)り変つたものさねえ。変遷、変遷――見たまへ、千曲川の岸にある城跡を。彼(あ)の名残の石垣が君等の目にはどう見えるね。斯う蔦(つた)や苺(いちご)などの纏絡(まとひつ)いたところを見ると、我輩はもう言ふに言はれないやうな心地(こゝろもち)になる。何処の城跡へ行つても、大抵は桑畠(くはばたけ)。士族といふ士族は皆な零落して了つた。今日迄踏堪(ふみこた)へて、どうにかかうにか遣つて来たものは、と言へば、役場へ出るとか、学校へ勤めるとか、それ位のものさ。まあ、士族ほど役に立たないものは無い――実は我輩も其一人だがね。はゝゝゝゝ。』
 と敬之進は寂しさうに笑つた。やがて盃の酒を飲乾して、一寸舌打ちして、それを丑松へ差し乍ら、
『一つ交換といふことに願ひませうか。』
『まあ、御酌(おしやく)しませう。』と丑松は徳利を持添へて勧めた。
『それは不可(いかん)。上げるものは上げる、頂くものは頂くサ。え――君は斯の方は遣(や)らないのかと思つたが、なか/\いけますねえ。君の御手並を拝見するのは今夜始めてだ。』
『なに、私のは三盃上戸(さんばいじやうご)といふ奴なんです。』
『兎(と)に角(かく)、斯盃は差上げます。それから君のを頂きませう。まあ君だから斯様(こん)なことを御話するんだが、我輩なぞは二十年も――左様(さやう)さ、小学教員の資格が出来てから足掛十五年に成るがね、其間唯同じやうなことを繰返して来た。と言つたら、また君等に笑はれるかも知れないが、終(しまひ)には教場へ出て、何を生徒に教へて居るのか、自分乍ら感覚が無くなつて了つた。はゝゝゝゝ。いや、全くの話が、長く教員を勤めたものは、皆な斯ういふ経験があるだらうと思ふよ。実際、我輩なぞは教育をして居るとは思はなかつたね。羽織袴(はおりはかま)で、唯月給を貰ふ為に、働いて居るとしか思はなかつた。だつて君、左様(さう)ぢやないか、尋常科の教員なぞと言ふものは、学問のある労働者も同じことぢやないか。毎日、毎日――騒しい教場の整理、大勢の生徒の監督、僅少(わづか)の月給で、長い時間を働いて、克(よ)くまあ今日迄自分でも身体が続いたと思ふ位だ。あるひは君等の目から見たら、今茲(こゝ)で我輩が退職するのは智慧(ちゑ)の無い話だと思ふだらう。そりやあ我輩だつて、もう六ヶ月踏堪(ふみこた)へさへすれば、仮令(たとへ)僅少(わづか)でも恩給の下(さが)る位は承知して居るさ。承知して居ながら、其が我輩には出来ないから情ない。是から以後(さき)我輩に働けと言ふのは、死ねといふも同じだ。家内はまた家内で心配して、教員を休(や)めて了(しま)つたら、奈何(どう)して活計(くらし)が立つ、銀行へ出て帳面でもつけて呉れろと言ふんだけれど、どうして君、其様(そん)な真似が我輩に出来るものか。二十年来慣れたことすら出来ないものを、是から新規に何が出来よう。根気も、精分も、我輩の身体の内にあるものは悉皆(すつかり)もう尽きて了つた。あゝ、生きて、働いて、仆(たふ)れるまで鞭撻(むちう)たれるのは、馬車馬の末路だ――丁度我輩は其馬車馬さ。はゝゝゝゝ。』

       (五)

 急に入つて来た少年に妨げられて、敬之進は口を噤(つぐ)んだ。流許(ながしもと)に主婦(かみさん)、暗い洋燈(ランプ)の下で、かちや/\と皿小鉢を鳴らして居たが、其と見て少年の側へ駈寄つた。
『あれ、省吾さんでやすかい。』
 と言はれて、省吾は用事ありげな顔付。
『吾家(うち)の父さんは居りやすか。』
『あゝ居なさりやすよ。』と主婦は答へた。
 敬之進は顔を渋(しか)めた。入口の庭の薄暗いところに佇立(たゝず)んで居る省吾を炉辺(ろばた)まで連れて来て、つく/″\其可憐な様子を眺(なが)め乍(なが)ら、
『奈何(どう)した――何か用か。』
『あの、』と省吾は言淀(いひよど)んで、『母さんがねえ、今夜は早く父さんに御帰りなさいツて。』
『むゝ、また呼びによこしたのか――ちよツ、極(きま)りを遣(や)つてら。』と敬之進は独語(ひとりごと)のやうに言つた。
『そんなら父さんは帰りなさらないんですか。』と省吾はおづ/\尋ねて見る。
『帰るサ――御話が済(す)めば帰るサ。母さんに斯う言へ、父さんは学校の先生と御話して居ますから、其が済めば帰りますツて。』と言つて、敬之進は一段声を低くして、『省吾、母さんは今何してる?』
『籾(もみ)を片付けて居りやす。』
『左様(さう)か、まだ働いてるか。それから彼(あ)の……何か……母さんはまた例(いつも)のやうに怒つてやしなかつたか。』
 省吾は答へなかつた。子供心にも、父を憐むといふ目付して、黙つて敬之進の顔を熟視(みまも)つたのである。
『まあ、冷(つめた)さうな手をしてるぢやないか。』と敬之進は省吾の手を握つて、『それ金銭(おあし)を呉れる。柿でも買へ。母さんや進には内証だぞ。さあ最早(もう)それで可(いゝ)から、早く帰つて――父さんが今言つた通りに――よしか。解つたか。』
 省吾は首を垂れて、萎(しを)れ乍ら出て行つた。
『まあ聞いて呉れたまへ。』と敬之進は復(ま)た述懐を始めた。『ホラ、君が彼の蓮華寺へ引越す時、我輩も門前まで行きましたらう――実は、君だから斯様(こん)なこと迄も御話するんだが、彼寺には不義理なことがしてあつて、住職は非常に怒つて居る。我輩が飲む間は、交際(つきあ)はぬといふ。情ないとは思ふけれど、其様(そん)な関係で、今では娘の顔を見に行くことも出来ないやうな仕末。まあ、彼寺へ呉れて了つたお志保と、省吾と、それから亡くなつた総領と、斯う三人は今の家内の子では無いのさ。前(せん)の家内といふのは、矢張(やはり)飯山の藩士の娘でね、我輩の家(うち)の楽な時代に嫁(かたづ)いて来て、未だ今のやうに零落しない内に亡(な)くなつた。だから我輩は彼女(あいつ)のことを考へる度に、一生のうちで一番楽しかつた時代を思出さずには居られない。一盃(いつぱい)やると、きつと其時代のことを思出すのが我輩の癖で――だつて君、年を取れば、思出すより外に歓楽(たのしみ)が無いのだもの。あゝ、前(せん)の家内は反(かへ)つて好い時に死んだ。人間といふものは妙なもので、若い時に貰つた奴がどうしても一番好いやうな気がするね。それに、性質が、今の家内のやうに利(き)かん気では無かつたが、そのかはり昔風に亭主に便(たよ)るといふ風で、何処迄(どこまで)も我輩を信じて居た。蓮華寺へ行つたお志保――彼娘(あのこ)がまた母親に克(よ)く似て居て、眼付なぞはもう彷彿(そつくり)さ。彼娘の顔を見ると、直に前(せん)の家内が我輩の眼に映る。我輩ばかりぢやない、他(ひと)が克く其を言つて、昔話なぞを始めるものだから、さあ今の家内は面白くないと見えるんだねえ。正直御話すると、我輩も蓮華寺なぞへ彼娘を呉れたくは無かつた。然し吾家(うち)に置けば、彼娘の為にならない。第一、其では可愛さうだ。まあ、蓮華寺では非常に欲(ほし)がるし、奥様も子は無し、それに他の土地とは違つて寺院(てら)を第一とする飯山ではあり、するところからして、お志保を手放して遣つたやうな訳さ。』
 聞けば聞くほど、丑松は気の毒に成つて来た。成程(なるほど)、左様(さう)言はれて見れば、落魄(らくはく)の画像(ゑすがた)其儘(そのまゝ)の様子のうちにも、どうやら武士らしい威厳を具へて居るやうに思はるゝ。
『丁度、それは彼娘の十三の時。』と敬之進は附和(つけた)して言つた。

       (六)

『噫(あゝ)。我輩の生涯(しやうがい)なぞは実に碌々(ろく/\)たるものだ。』と敬之進は更に嘆息した。『しかし瀬川君、考へて見て呉れたまへ。君は碌々といふ言葉の内に、どれほどの酸苦が入つて居ると考へる。斯(か)うして我輩は飲むから貧乏する、と言ふ人もあるけれど、我輩に言はせると、貧乏するから飲むんだ。一日たりとも飲まずには居られない。まあ、我輩も、始の内は苦痛(くるしみ)を忘れる為に飲んだのさ。今では左様(さう)ぢや無い、反つて苦痛を感ずる為に飲む。はゝゝゝゝ。と言ふと可笑(をか)しく聞えるかも知れないが、一晩でも酒の気が無からうものなら、寂しくて、寂しくて、身体は最早(もう)がた/\震(ふる)へて来る。寝ても寝られない。左様(さう)なると殆(ほと)んど精神は無感覚だ。察して呉れたまへ――飲んで苦しく思ふ時が、一番我輩に取つては活きてるやうな心地(こゝろもち)がするからねえ。恥を御話すればいろ/\だが、我輩も飯山学校へ奉職する前には、下高井の在で長く勤めたよ。今の家内を貰つたのは、丁度その下高井に居た時のことさ。そこはそれ、在に生れた女だけあつて、働くことは家内も克(よ)く働く。霜を掴(つか)んで稲を刈るやうなことは到底我輩には出来ないが――我輩がまた其様(そん)な真似をして見給へ、直に病気だ――ところが彼女(あいつ)には堪へられる。貧苦を忍ぶといふ力は家内の方が反つて我輩より強いね。だから君、最早(もう)斯う成つた日にやあ、恥も外聞もあつたものぢや無い、私は私でお百姓する、なんて言出して、馬鹿な、女の手で作なぞを始めた。我輩の家に旧(もと)から出入りする百姓の音作、あの夫婦が先代の恩返しだと言つて、手伝つては呉れるがね、どうせ左様(さう)うまく行きツこはないさ。それを我輩が言ふんだけれど、どうしても家内は聞入れない。尤(もつと)も、我輩は士族だから、一反歩は何坪あるのか、一束(つか)に何斗の年貢を納めるのか、一升蒔(まき)で何俵の籾(もみ)が取れるのか、一体年(ねん)に肥料が何(ど)の位要(い)るものか、其様(そん)なことは薩張(さつぱり)解らん。現に我輩は家内が何坪借りて作つて居るかといふことも知らない。まあ、家内の量見では、子供に耕作(さく)でも見習はせて、行く/\は百姓に成つて了ふ積りらしいんだ。そこで毎時(いつ)でも我輩と衝突が起る。どうせ彼様(あん)な無学な女は子供の教育なんか出来よう筈も無い。実際、我輩の家庭で衝突の起因(おこり)と言へば必ず子供のことさ。子供がある為に夫婦喧嘩もするやうなものだが、又、その夫婦喧嘩をした為に子供が出来たりする。あゝ、もう沢山(たくさん)だ、是上出来たら奈何(どう)しよう、一人子供が増(ふえ)れば其丈(それだけ)貧苦を増すのだと思つても、出来るものは君どうも仕方が無いぢやないか。今の家内が三番目の女の児を産んだ時、えゝお末と命(つ)けてやれ、お末とでも命けたら終(おしまひ)に成るか、斯う思つたら――どうでせう、君、直にまた四番目サ。仕方が無いから、今度は留吉とした。まあ、五人の子供に側で泣き立てられて見たまへ。なか/\遣(や)りきれた訳のものでは無いよ。惨苦、惨苦――我輩は子供の多い貧乏な家庭を見る度に、つく/″\其惨苦を思ひやるねえ。五人の子供ですら食はせるのは容易ぢやない、若(も)しまた是上に出来でもしたら、我輩の家なぞでは最早(もう)奈何(どう)していゝか解らん。』
 斯う言つて、敬之進は笑つた。熱い涙は思はず知らず流れ落ちて、零落(おちぶ)れた袖を湿(ぬら)したのである。
『我輩は君、これでも真面目なんだよ。』と敬之進は、額と言はず、頬と言はず、腮(あご)と言はず、両手で自分の顔を撫で廻した。『どうでせう、省吾の奴も君の御厄介に成つてるが、彼様(あん)な風で物に成りませうか。もう少許(すこし)活溌だと好いがねえ。どうも女のやうな気分の奴で、泣易くて困る。平素(しよツちゆう)弟に苦(いぢ)められ通しだ。同じ自分の子で、どれが可愛くて、どれが憎いといふことは有さうも無ささうなものだが、それがそれ、妙なもので、我輩は彼の省吾が可愛さうでならない。彼の通り弱いものだから、其丈(それだけ)哀憐(あはれみ)も増すのだらうと思ふね。家内はまた弟の進贔顧(びいき)。何ぞといふと、省吾の方を邪魔にして、無暗(むやみ)に叱るやうなことを為る。そこへ我輩が口を出すと、前妻(せんさい)の子ばかり可愛がつて進の方は少許(ちつと)も関(かま)つて呉れんなんて――直に邪推だ。だからもう我輩は何にも言はん。家内の為る通りに為せて、黙つて見て居るのさ。成るべく家内には遠ざかるやうにして、密(そつ)と家(うち)を抜け出して来ては、独りで飲むのが何よりの慰藉(たのしみ)だ。稀(たま)に我輩が何か言はうものなら、私は斯様(こんな)に裸体(はだか)で嫁に来やしなかつたなんて、其を言はれると一言(いちごん)も無い。実際、彼奴(あいつ)が持つて来た衣類(もの)は、皆な我輩が飲んで了つたのだから――はゝゝゝゝ。まあ、君等の目から見たら、さぞ我輩の生涯なぞは馬鹿らしく見えるだらうねえ。』
 述懐は反(かへ)つて敬之進の胸の中を軽くさせた。其晩は割合に早く酔つて、次第に物の言ひ様も煩(くど)く、終(しまひ)には呂律(ろれつ)も廻らないやうに成つて了つたのである。
 軈(やが)て二人は斯(こ)の炉辺(ろばた)を離れた。勘定は丑松が払つた。笹屋を出たのは八時過とも思はれる頃。夜の空気は暗く町々を包んで、往来の人通りもすくない。気が狂(ちが)つて独語(ひとりごと)を言ひ乍ら歩く女、酔つて家(うち)を忘れたやうな男、そんな手合が時々二人に突当つた。敬之進は覚束(おぼつか)ない足許(あしもと)で、やゝともすれば往来の真中へ倒れさうに成る。酔眼朦朧(もうろう)、星の光すら其瞳には映りさうにも見えなかつた。拠(よんどころ)なく丑松は送り届けることにして、ある時は右の腕で敬之進の身体(からだ)を支へるやうにしたり、ある時は肩へ取縋(とりすが)らせて背負(おぶ)ふやうにしたり、ある時は抱擁(だきかゝ)へて一緒に釣合を取り乍ら歩いた。
 漸(やつと)の思で、敬之進を家まで連れて行つた時は、まだ細君も音作夫婦も働いて居た。人々は夜露を浴び乍ら、屋外(そと)で仕事を為て居るのであつた。丑松が近(ちかづ)くと、それと見た細君は直に斯う声を掛けた。
『あちや、まあ、御困りなすつたでごはせう。』


   第五章

       (一)

 十一月三日はめづらしい大霜。長い/\山国の冬が次第に近(ちかづ)いたことを思はせるのは是(これ)。其朝、丑松の部屋の窓の外は白い煙に掩(おほ)はれたやうであつた。丑松は二十四年目の天長節を飯山の学校で祝ふといふ為に、柳行李(やなぎがうり)の中から羽織袴を出して着て、去年の外套(ぐわいたう)に今年もまた身を包んだ。
 暗い楼梯(はしごだん)を下りて、北向の廊下のところへ出ると、朝の光がうつくしく射して来た。溶けかゝる霜と一緒に、日にあたる裏庭の木葉(このは)は多く枝を離れた。就中(わけても)、脆(もろ)いのは銀杏(いてふ)で、梢(こずゑ)には最早(もう)一葉(ひとは)の黄もとゞめない。丁度其霜葉(しもば)の舞ひ落ちる光景(ありさま)を眺め乍ら、廊下の古壁に倚凭(よりかゝ)つて立つて居るのは、お志保であつた。丑松は敬之進のことを思出して、つく/″\彼(あ)の落魄(らくはく)の生涯(しやうがい)を憐むと同時に、亦(ま)た斯(こ)の人を注意して見るといふ気にも成つたのである。
『お志保さん。』と丑松は声を掛けた。『奥様に左様(さう)言つて呉れませんか――今日は宿直の当番ですから何卒(どうか)晩の弁当をこしらへて下さるやうに――後で学校の小使を取りによこしますからツて――ネ。』
 と言はれて、お志保は壁を離れた。娘の時代には克(よ)くある一種の恐怖心から、何となく丑松を憚(はゞか)つて居るやうにも見える。何処か敬之進に似たところでもあるか、斯(か)う丑松は考へて、其となく俤(おもかげ)を捜(さが)して見ると、若々しい髪のかたち、額つき――まあ、どちらかと言へば、彼(あ)の省吾は父親似、斯(こ)の人はまた亡(な)くなつたといふ母親の方にでも似たのであらう。『眼付なぞはもう彷彿(そつくり)さ』と敬之進も言つた。
『あの、』とお志保はすこし顔を紅(あか)くし乍ら、『此頃(こなひだ)の晩は、大層父が御厄介に成りましたさうで。』
『いや、私の方で反(かへ)つて失礼しましたよ。』と丑松は淡泊(さつぱり)した調子で答へた。
『昨日、弟が参りまして、其話をいたしました。』
『むゝ、左様(さう)でしたか。』
『さぞ御困りで御座(ござい)ましたらう――父が彼様(あゝ)いふ風ですから、皆さんの御厄介にばかり成りまして。』
 敬之進のことは一時(いつとき)もお志保の小な胸を離れないらしい。柔嫩(やはらか)な黒眸(くろひとみ)の底には深い憂愁(うれひ)のひかりを帯びて、頬も紅(あか)く泣腫(なきは)れたやうに見える。軈(やが)て斯ういふ言葉を取交した後、丑松は外套の襟で耳を包んで、帽子を冠つて蓮華寺を出た。
 とある町の曲り角で、外套の袖袋(かくし)に手を入れて見ると、古い皺(しわ)だらけに成つた手袋が其内(そのなか)から出て来た。黒の莫大小(メリヤス)の裏毛の付いたやつで、皺を延ばして填(は)めた具合は少許(すこし)細く緊(しま)り過ぎたが、握つた心地(こゝろもち)は暖かであつた。其手袋を鼻の先へ押当てゝ、紛(ぷん)とした湿気(しけ)くさい臭気(にほひ)を嗅いで見ると、急に過去(すぎさ)つた天長節のことが丑松の胸の中に浮んで来る。去年――一昨年――一昨々年――噫(あゝ)、未だ世の中を其程(それほど)深く思ひ知らなかつた頃は、噴飯(ふきだ)したくなるやうな、気楽なことばかり考へて、この大祭日を祝つて居た。手袋は旧(もと)の儘(まゝ)、色は褪(さ)めたが変らずにある。それから見ると人の精神(こゝろ)の内部(なか)の光景(ありさま)の移り変ることは。これから将来(さき)の自分の生涯は畢竟(つまり)奈何(どう)なる――誰が知らう。来年の天長節は――いや、来年のことは措(お)いて、明日のことですらも。斯う考へて、丑松の心は幾度(いくたび)か明くなつたり暗くなつたりした。
 さすがに大祭日だ。町々の軒は高く国旗を掲げ渡して、いづれの家も静粛に斯の記念の一日(ひとひ)を送ると見える。少年の群は喜ばしさうな声を揚げ乍ら、霜に濡れた道路を学校の方へと急ぐのであつた。悪戯盛(いたづらざか)りの男の生徒、今日は何時にない大人びた様子をして、羽織袴でかしこまつた顔付のをかしさ。女生徒は新しい海老茶袴(えびちやばかま)、紫袴であつた。

       (二)

 国のみかどの誕生の日を祝ふために、男女の生徒は足拍子揃へて、二階の式場へ通ふ階段を上つた。銀之助は高等二年を、文平は高等一年を、丑松は高等四年を、いづれも受持々々の組の生徒を引連れて居た。退職の敬之進は最早(もう)客分ながら、何となく名残が惜まるゝといふ風で、旧(もと)の生徒の後に随(つ)いて同じやうに階段を上るのであつた。
 斯の大祭の歓喜(よろこび)の中にも、丑松の心を驚かして、突然新しい悲痛(かなしみ)を感ぜさせたことがあつた。といふは、猪子蓮太郎の病気が重くなつたと、ある東京の新聞に出て居たからで。
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