破戒
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著者名:島崎藤村 

『実に、人の一生はさま/″\ですなあ。』と銀之助はお志保の境涯(きやうがい)を思ひやつて、可傷(いたま)しいやうな気に成つた。『温い家庭の内に育つて、それほど生活の方の苦痛(くるしみ)も知らずに済(す)む人もあれば、又、貴方のやうに、若い時から艱難(かんなん)して、其風波(なみかぜ)に搓(も)まれて居るなかで、自然と性質を鍛(きた)へる人もある。まあ、貴方なぞは、苦んで、闘つて、それで女になるやうに生れて来たんですなあ。左様(さう)いふ人は左様いふ人で、他(ひと)の知らない悲しい日も有るかはりに、また他の知らない楽しい日も有るだらうと思ふんです。』
『楽しい日?』とお志保は寂しさうに微笑(ほゝゑ)み乍ら、『私なぞに其様(そん)な日が御座ませうかしら。』
『有ますとも。』と銀之助は力を入れて言つた。
『ほゝゝゝゝ――是迄(これまで)のことを考へて見ましても、其様な日なぞは参りさうも御座ません。まあ、私が貰はれて行きさへしませんければ、蓮華寺の母だつても彼様(あん)な思は為ずに済みましたのでせう。彼母を置いて出ます前には、奈何(どんな)に私も――』
『左様でせうとも。其は御察し申します。』
『いえ――私はもう死んで了(しま)ひましたも同じことなんで御座ます――唯(たゞ)、人様の情を思ひますものですから、其を力に……斯(か)うして生きて……』
『あゝ、瀬川君のも苦しい境遇だが、貴方のも苦しい境遇だ。畢竟(つまり)貴方が其程苦しい目に御逢(おあ)ひなすつたから、それで瀬川君の為にも哭(な)いて下さるといふものでせう。実は――僕は、あの友達を助けて頂きたいと思つて、斯うして貴方に御話して居るやうな訳ですが――』
『助けろと仰ると?』お志保の眸(ひとみ)は急に燃え輝いたのである。『私の力に出来ますことなら、奈何(どん)なことでも致しますけれど。』
『無論出来ることなんです。』
『私に?』
 暫時(しばらく)二人は無言であつた。
『いつそ有の儘を御話しませう。』と銀之助は熱心に言出した。『丁度学校で宿直の晩のことでした。僕が瀬川君の意中を叩いて見たのです。其時僕の言ふには、「君のやうに左様(さう)独りで苦んで居ないで、少許(すこし)打明けて話したら奈何(どう)だ。あるひは僕見たやうな殺風景なものに話したつて解らない、と君は思ふかも知れない。しかし、僕だつて、其様(そん)な冷(つめた)い人間ぢや無いよ。まあ、僕に言はせると、あまり君は物を煩(むづか)しく考へ過ぎて居るやうに思はれる。友達といふものも有つて見れば、及ばず乍ら力に成るといふことも有らうぢやないか。」斯(か)う言ひました。すると、瀬川君は始めて貴方のことを言出して――「むゝ、君の察して呉れるやうなことがあつた。確かに有つた。しかし其人は最早(もう)死んで了つたものと思つて呉れたまへ。」斯う言ふぢや有ませんか。噫――瀬川君は自分の素性を考へて、到底及ばない希望(のぞみ)と絶念(あきら)めて了(しま)つたのでせう。今はもう人を可懐(なつか)しいとも思はん――是程悲しい情愛が有ませうか。それで瀬川君は貴方のところへ来て、今迄蔵(つゝ)んで居た素性を自白したのです。そこです――もし貴方に彼(あ)の男の真情(こゝろもち)が解りましたら、一つ助けてやらうといふ思想(かんがへ)を持つて下さることは出来ますまいか。』
『まあ、何と申上げて可(いゝ)か解りませんけれど――』とお志保は耳の根元までも紅(あか)くなつて、『私はもう其積りで居りますんですよ。』
『一生?』と銀之助はお志保の顔を熟視(まも)り乍ら尋ねた。
『はあ。』
 このお志保の答は銀之助の心を驚したのである。愛も、涙も、決心も、すべて斯(こ)の一息のうちに含まれて居た。

       (四)

 兎(と)も角(かく)も是事(このこと)を話して友達の心を救はう。市村弁護士の宿へ行つて見た様子で、復(ま)た後の使にやつて来よう。斯う約束して、軈(やが)て銀之助は炉辺を離れようとした。
『あの、御願ひで御座ますが――』とお志保は呼留めて、『もし「懴悔録」といふ御本が御座ましたら、貸して頂く訳にはまゐりますまいか。まあ、私なぞが拝見したつて、どうせ解りはしますまいけれど。』
『「懴悔録」?』
『ホラ、猪子さんの御書きなすつたとかいふ――』
『むゝ、あれですか。よく貴方は彼様(あん)な本を御存じですね。』
『でも、瀬川さんが平素(しよつちゆう)読んでいらつしやいましたもの。』
『承知しました。多分瀬川君の許(ところ)に有ませうから、行つて話して見ませう――もし無ければ、何処(どこ)か捜(さが)して見て、是非一冊贈らせることにしませう。』
 斯う言つて、銀之助は弁護士の宿を指して急いだ。
 丁度扇屋では人々が蓮太郎の遺骸(なきがら)の周囲(まはり)に集つたところ。親切な亭主の計ひで、焼場の方へ送る前に一応亡くなつた人の霊魂(たましひ)を弔(とむら)ひたいといふ。読経(どきやう)は法福寺の老僧が来て勤めた。其日の午後東京から着いたといふ蓮太郎の妻君――今は未亡人――を始め、弁護士、丑松もかしこまつて居た。旅で死んだといふことを殊(こと)にあはれに思ふかして、扇屋の家の人もかはる/″\弔ひに来る。縁もゆかりも無い泊客ですら、其と聞伝へたかぎりは廊下に集つて、寂しい木魚の音に耳を澄すのであつた。
 焼香も済み、読経も一きりに成つた頃、銀之助は丑松の紹介(ひきあはせ)で、始めて未亡人に言葉を交した。長野新聞の通信記者なぞも混雑(とりこみ)の中へ尋ねて来て、聞き取つたことを手帳に書留める。
『貴方が奥様(おくさん)でいらつしやいますか。』と記者は職掌柄らしい調子で言つた。
『はい。』と未亡人の返事。
『奥様、誠に御気の毒なことで御座ます。猪子先生の御名前は予(かね)て承知いたして居りまして、蔭乍(かげなが)ら御慕ひ申して居たのですが――』
『はい。』
 斯(か)ういふ挨拶はすべて追憶(おもひで)の種であつた。人々の談話(はなし)は蓮太郎のことで持切つた。軈(やが)て未亡人は夫と一緒に信州へ来た当時のことを言出して、別れる前の晩に不思議な夢を見たこと、妙に夫の身の上が気に懸つたこと、其を言つて酷(ひど)く叱られたことなぞを話した。彼是を思合せると、彼時(あのとき)にもう夫は覚期(かくご)して居ることが有つたらしい――信州の小春は好いの、今度の旅行は面白からうの、土産(みやげ)はしつかり持つて帰るから家へ行つて待つて居れの、まあ彼(あれ)が長の別離(わかれ)の言葉に成つて了(しま)つた。斯う言つて、思ひがけない出来事の為に飛んだ迷惑を人々に懸けた、とかへす/″\気の毒がる。流石(さすが)に堪へがたい女の情もあらはれて、淡泊(さつぱり)した未亡人の言葉は反つて深い同情を引いたのである。
 弁護士は銀之助を部屋の片隅へ招いた。相談といふは丑松の身に関したことであつた。弁護士の言ふには、丑松も今となつては斯の飯山に居にくい事情も有らうし、未亡人はまた未亡人で是から帰るには男の手を借りたくも有らうし、するからして、あの蓮太郎の遺骨を護つて、一緒に東京へ行つて貰ひたいが奈何だらう――選挙を眼前(めのまへ)にひかへさへしなければ、無論自身で随いて行くべきでは有るが、それは未亡人が強ひて辞退する。せめて斯の際選挙の方に尽力して夫の霊魂(たましひ)を慰めて呉れといふ。聞いて見れば未亡人の志も、尤(もつとも)。いつそ是(これ)は丑松を煩したい――一切の費用は自分の方で持つ――是非。とのことであつた。
『といふ訳で、瀬川さんにも御話したのですが、』と弁護士は銀之助の顔を眺め乍ら言つた。『学校の方の都合は、君、奈何(どん)なものでせう。』
『学校の方ですか。』と銀之助は受けて、『実は――瀬川君を休職にすると言つて、その下相談が有つたといふ位ですから、無論差支は有ますまいよ。校長の話では、郡視学も其積りで居るさうです。まあ、学校の方のことは僕が引受けて、奈何(どんな)にでも都合の好いやうに致しませう。一日も早く飯山を発ちました方が瀬川君の為には得策だらうと思ふんです。』
 斯(か)ういふ相談をして居るところへ、棺(ひつぎ)が持運ばれた。復(ま)た読経の声が起つた。人々は最後の別離(わかれ)を告げる為に其棺の周囲(まはり)へ集つた。軈て焼場の方へ送られることに成つた頃は、もう四辺(そこいら)も薄暗かつたのである。いよ/\舁(かつ)がれて、『いたや』(北国にある木の名)造りの橇へ載せられる光景(ありさま)を見た時は、未亡人はもう其処へ倒れるばかりに泣いた。

       (五)

 火を入れるところまで見届けて、焼場から帰つた後、丑松は弁護士や銀之助と火鉢を取囲(とりま)いて、扇屋の奥座敷で話した。無情(つれな)い運命も、今は丑松の方へ向いて、微(すこ)し笑つて見せるやうに成つた。あの飯山病院から追はれ、鷹匠(たかしやう)町の宿からも追はれた大日向が――実は、放逐の恥辱(はづかしめ)が非常な奮発心を起させた動機と成つて――亜米利加(アメリカ)の『テキサス』で農業に従事しようといふ新しい計画は、意外にも市村弁護士の口を通して、丑松の耳に希望(のぞみ)を囁(さゝや)いた。教育のある、確実(たしか)な青年を一人世話して呉れ、とは予(かね)て弁護士が大日向から依頼されて居たことで、丁度丑松とは素性も同じ、定めし是話をしたら先方(さき)も悦(よろこ)ばう。望みとあらば周旋してやるが奈何(どう)か。『テキサス』あたりへ出掛ける気は無いか。心懸け次第で随分勉強することも出来よう。是話には銀之助も熱心に賛成した。『見給へ――捨てる神あれば、助ける神ありさ。』と銀之助は其を言ふのであつた。
『明後日の朝、大日向が我輩の宿へ来る約束に成つて居る。むゝ、丁度好い。兎(と)に角(かく)逢(あ)つて見ることにしたまへ。』
 斯ういふ弁護士の言葉は、枯れ萎れた丑松の心を励(はげま)して、様子によつては頼んで見よう、働いて見ようといふ気を起させたのである。
 そればかりでは無い。銀之助から聞いたお志保の物語――まあ、あの可憐な決心と涙とは奈何(どんな)に深い震動を丑松の胸に伝へたらう。敬之進の病気、継母の家出、そんなこんなが一緒に成つて、一層(ひとしほ)お志保の心情を可傷(いたは)しく思はせる。あゝ、絶望し、断念し、素性まで告白して別れた丑松の為に、ひそかに熱い涙をそゝぐ人が有らうとは。可羞(はづか)しい、とはいへ心の底から絞出(しぼりだ)した真実(まこと)の懴悔を聞いて、一生を卑賤(いや)しい穢多の子に寄せる人が有らうとは。
『どうして、君、彼(あ)の女はなか/\しつかりものだぜ。』
 と銀之助は添加(つけた)して言つた。
 其翌日、銀之助は友達の為に、学校へも行き、蓮華寺へも行き、お志保の許(ところ)へも行つた。蓮華寺にある丑松の荷物を取纏めて、直に要(い)るものは要るもの、寺へ預けるものは預けるもので見別(みわけ)をつけたのも、すべて銀之助の骨折であつた。銀之助はまた、お志保のことを未亡人にも話し、弁護士にも話した。女は女に同情(おもひやり)の深いもの。殊にお志保の不幸な境遇は未亡人の心を動したのであつた。行く/\は東京へ引取つて一緒に暮したい。丑松の身が極(きま)つた暁には自分の妹にして結婚(めあは)せるやうにしたい。斯(か)う言出した。兎(と)に角(かく)、後の事は弁護士も力を添へる、とある。といふ訳で、万事は弁護士と銀之助とに頼んで置いて、丑松は惶急(あわたゞ)しく飯山を発(た)つことに決めた。


   第弐拾参章

       (一)

 いよ/\出発の日が来た。払暁(よあけ)頃から霙(みぞれ)が降出して、扇屋に集る人々の胸には寂しい旅の思を添へるのであつた。
 一台の橇(そり)は朝早く扇屋の前で停つた。下りた客は厚羅紗(あつらしや)の外套で深く身を包んだ紳士風の人、橇曳(そりひき)に案内させて、弁護士に面会を求める。『おゝ、大日向が来た。』と弁護士は出て迎へた。大日向は約束を違(たが)へずやつて来たので、薄暗いうちに下高井を発(た)つたといふ。上れと言はれても上りもせず、たゞ上(あが)り框(がまち)のところへ腰掛けた儘(まゝ)で、弁護士から法律上の智慧(ちゑ)を借りた。用談を済し、蓮太郎への弔意(くやみ)を述べ、軈(やが)てそこそこにして行かうとする。其時、弁護士は丑松のことを語り聞(きか)せて、
『まあ、上るさ――猪子君の細君も居るし、それに今話した瀬川君も一緒だから、是非逢つてやつて呉れたまへ。其様(そん)なところに腰掛けて居たんぢや、緩々(ゆつくり)談話(はなし)も出来ないぢや無いか。』
 と強(し)ひるやうに言つた。然し大日向は苦笑(にがわらひ)するばかり。奈何(どんな)に薦(すゝ)められても、決して上らうとはしない。いづれ近い内に東京へ出向くから、猪子の家を尋ねよう。其折丑松にも逢はう。左様(さう)いふ気心の知れた人なら双方の好都合。委敷(くはし)いことは出京の上で。と飽迄(あくまで)も言ひ張る。
『其様(そんな)に今日は御急ぎかね。』
『いえ、ナニ、急ぎといふ訳でも有ませんが――』
 斯(か)ういふ談話(はなし)の様子で、弁護士は大日向の顔に表れる片意地な苦痛を看て取つた。
『では、斯うして呉れ給へ。』と弁護士は考へた。上の渡しを渡ると休茶屋が有る。彼処で一同待合せて、今朝発(た)つ人を送る約束。多分丑松の親友も行つて居る筈(はず)。一歩(ひとあし)先へ出掛けて待つて居て呉れないか。兎(と)に角(かく)丑松を紹介したいから。と呉々も言ふ。『むゝ、そんなら御待ち申しませう。』斯う約束して、とう/\大日向は上らずに行つて了つた。
『大日向も思出したと見えるなあ。』
 と弁護士は独語(ひとりごと)のやうに言つて、旅の仕度に多忙(いそが)しい未亡人や丑松に話して笑つた。
 蓮華寺の庄馬鹿もやつて来た。奥様からの使と言つて、餞別(せんべつ)のしるしに物なぞを呉れた。別に草鞋(わらぢ)一足、雪の爪掛一つ、其は庄馬鹿が手製りにしたもので、ほんの志ばかりに納めて呉れといふ。其時丑松は彼の寺住を思出して、何となく斯人(このひと)にも名残(なごり)が惜まれたのである。過去(すぎさ)つたことを考へると、一緒に蔵裏の内に居た人の生涯(しやうがい)は皆な変つた。住職も変つた。奥様も変つた。お志保も変つた。自分も亦た変つた。独り変らないのは、馬鹿々々と呼ばれる斯人ばかり。斯う丑松は考へ乍ら、斯の何時迄(いつまで)も児童(こども)のやうな、親戚も無ければ妻子も無いといふ鐘楼の番人に長の別離(わかれ)を告げた。
 省吾も来た。手荷物があらば持たして呉れと言ひ入れる。間も無く一台の橇の用意も出来た。遺骨を納めた白木造りの箱は、白い布で巻いた上をまた黒で包んで、成るべく人目に着かないやうにした。橇の上には、斯(こ)の遺骨の外に、蓮太郎が形見のかず/\、其他丑松の手荷物なぞを載せた。世間への遠慮から、未亡人と丑松とは上の渡し迄歩いて、対岸の休茶屋で別に二台の橇を傭(やと)ふことにして、軈て一同『御機嫌克(よ)う』の声に送られ乍ら扇屋を出た。
 霙(みぞれ)は蕭々(しと/\)降りそゝいで居た。橇曳は饅頭笠(まんぢゆうがさ)を冠り、刺子(さしこ)の手袋、盲目縞(めくらじま)の股引といふ風俗で、一人は梶棒、一人は後押に成つて、互に呼吸を合せ乍(なが)ら曳いた。『ホウ、ヨウ』の掛声も起る。丑松は人々と一緒に、先輩の遺骨の後に随いて、雪の上を滑る橇の響を聞き乍ら、静かに自分の一生を考へ/\歩いた。猜疑(うたがひ)、恐怖(おそれ)――あゝ、あゝ、二六時中忘れることの出来なかつた苦痛(くるしみ)は僅かに胸を離れたのである。今は鳥のやうに自由だ。どんなに丑松は冷い十二月の朝の空気を呼吸して、漸(やうや)く重荷を下したやうな其蘇生の思に帰つたであらう。譬(たと)へば、海上の長旅を終つて、陸(をか)に上つた時の水夫の心地(こゝろもち)は、土に接吻(くちづけ)する程の可懐(なつか)しさを感ずるとやら。丑松の情は丁度其だ。いや、其よりも一層(もつと)歓(うれ)しかつた、一層哀しかつた。踏む度にさく/\と音のする雪の上は、確実(たしか)に自分の世界のやうに思はれて来た。

       (二)

 上の渡しの方へ曲らうとする町の角で、一同はお志保に出逢(であ)つた。
 丁度お志保は音作を連れて、留守は音作の女房に頼んで置いて、見送りの為に其処に待合せて居たところ。丑松とお志保――実にこの二人の歓会は傍(はた)で観る人の心にすら深い/\感動を与へたのであつた。冠つて居る帽子を無造作に脱いで、お志保の前に黙礼したは、丑松。清(すゞ)しい、とはいへ涙に霑(ぬ)れた眸(ひとみ)をあげて、丑松の顔を熟視(まも)つたは、お志保。仮令(たとひ)口唇(くちびる)にいかなる言葉があつても、其時の互の情緒(こゝろもち)を表すことは出来なかつたであらう。斯(か)うして現世(このよ)に生きながらへるといふことすら、既にもう不思議な運命の力としか思はれなかつた。まして、さま/″\な境涯を通過(とほりこ)して、復(ま)た逢ふ迄の長い別離(わかれ)を告げる為に、互に可懐(なつか)しい顔と顔とを合せることが出来ようとは。
 丑松の紹介で、お志保は始めて未亡人と弁護士とを知つた。女同志は直に一緒に成つて、言葉を交し乍ら歩き初めた。音作も亦(また)、丑松と弁護士との談話仲間(はなしなかま)に入つて、敬之進の容体などを語り聞せる。正直な、樸訥(ぼくとつ)な、農夫らしい調子で、主人思ひの音作が風間の家のことを言出した時は、弁護士も丑松も耳を傾けた。音作の言ふには、もしも病人に万一のことが有つたら一切は自分で引受けよう、そのかはりお志保と省吾の身の上を頼む――まあ、自分も子は無し、主人の許しは有るし、するからして、あのお末を貰受けて、形見と思つて育(やしな)ふ積りであると話した。
 上の渡しの長い船橋を越えて対岸の休茶屋に着いたは間も無くであつた。そこには銀之助が早くから待受けて居た。例の下高井の大尽も出て迎へる。弁護士が丑松に紹介した斯(こ)の大日向といふ人は、見たところ余り価値(ねうち)の無ささうな――丁度田舎の漢方医者とでも言つたやうな、平凡な容貌(かほつき)で、これが亜米利加(アメリカ)の『テキサス』あたりへ渡つて新事業を起さうとする人物とは、いかにしても受取れなかつたのである。しかし、言葉を交して居るうちに、次第に丑松は斯人(このひと)の堅実(たしか)な、引締つた、どうやら底の知れないところもある性質を感得(かんづ)くやうに成つた。大日向は『テキサス』にあるといふ日本村のことを丑松に語り聞せた。北佐久の地方から出て遠く其日本村へ渡つた人々のことを語り聞せた。一人、相応の資産ある家に生れて、東京麻布の中学を卒業した青年も、矢張其渡航者の群に交つたことなぞを語り聞せた。
『へえ、左様(さう)でしたか。』と大日向は鷹匠町の宿のことを言出して笑つた。『貴方も彼処(あすこ)の家に泊つておいででしたか。いや、彼時は酷(ひど)い熱湯(にえゆ)を浴せかけられましたよ。実は、私も、彼様いふ目に逢はせられたもんですから、其が深因(もと)で今度の事業(しごと)を思立つたやうな訳なんです。今でこそ斯うして笑つて御話するやうなものゝ、どうして彼時は――全く、残念に思ひましたからなあ。』
 盛んな笑声は腰掛けて居る人々の間に起つた。其時、大日向は飛んだところで述懐を始めたと心付いて、苦々しさうに笑つて、丑松と一緒にそこへ腰掛けた。
『かみさん――それでは先刻(さつき)のものを茲(こゝ)へ出して下さい。』
 と銀之助は指図する。『お見立(みたて)』と言つて、別離(わかれ)の酒を斯の江畔(かうはん)の休茶屋で酌交(くみかは)すのは、送る人も、送られる人も、共に/\長く忘れまいと思つたことであつたらう。銀之助は其朝の亭主役、早くから来てそれ/″\の用意、万事無造作な書生流儀が反つて熱(あたゝか)い情を忍ばせたのである。
『いろ/\君には御世話に成つた。』と丑松は感慨に堪へないといふ調子で言つた。
『それは御互ひサ。』と銀之助は笑つて、『しかし、斯うして君を送らうとは、僕も思ひがけなかつたよ。送別会なぞをして貰つた僕の方が反(かへ)つて君よりは後に成つた。はゝゝゝゝ――人の一生といふ奴は実際解らないものさね。』
『いづれ復(ま)た東京で逢はう。』と丑松は熱心に友達の顔を眺(なが)める。
『あゝ、其内に僕も出掛ける。さあ何(なんに)もないが一盃(いつぱい)飲んで呉れ給へ。』と言つて、銀之助は振返つて見て、『お志保さん、済(す)みませんが、一つ御酌(おしやく)して下さいませんか。』
 お志保は酒瓶(てうし)を持添へて勧めた。歓喜(よろこび)と哀傷(かなしみ)とが一緒になつて小な胸の中を往来するといふことは、其白い、優しい手の慄(ふる)へるのを見ても知れた。
『貴方(あなた)も一つ御上りなすつて下さい。』と銀之助は可羞(はづか)しがるお志保の手から無理やりに酒瓶(てうし)を受取つて、かはりに盃を勧め乍ら、『さあ、僕が御酌しませう。』
『いえ、私は頂けません。』とお志保は盃を押隠すやうにする。
『そりや不可(いけない)。』と大日向は笑ひ乍ら言葉を添へた。『斯(か)ういふ時には召上るものです。真似でもなんでも好う御座んすから、一つ御受けなすつて下さい。』
『ほんのしるしでサ。』と弁護士も横から。
『何卒(どうぞ)、それでは、少許(ぽつちり)頂かせて下さい。』
 と言つて、お志保は飲む真似をして、紅(あか)くなつた。

       (三)

 次第に高等四年の生徒が集つて来た。其日の出発を聞伝へて、せめて見送りしたいといふ可憐な心根から、いづれも丑松を慕つてやつて来たのである。丑松は頬の紅い少年と少年との間をあちこちと歩いて、別離(わかれ)の言葉を交換(とりかは)したり、ある時は一つところに佇立(たちとゞま)つて、是(これ)から将来(さき)のことを話して聞せたり、ある時は又た霙(みぞれ)の降るなかを出て、枯々(かれ/″\)な岸の柳の下に立つて、船橋を渡つて来る生徒の一群(ひとむれ)を待ち眺(なが)めたりした。
 蓮華寺で撞く鐘の音が起つた。第二の鐘はまた冬の日の寂寞(せきばく)を破つて、千曲川の水に響き渡つた。軈て其音が波うつやうに、次第に拡つて、遠くなつて、終(しまひ)に霙の空に消えて行く頃、更に第三の音が震動(ふる)へるやうに起る――第四――第五。あゝ庄馬鹿は今あの鐘楼に上つて撞き鳴らすのであらう。それは丑松の為に長い別離(わかれ)を告げるやうにも、白々と明初(あけそ)めた一生のあけぼのを報せるやうにも聞える。深い、森厳(おごそか)な音響に胸を打たれて、思はず丑松は首を垂れた。
 第六――第七。
 詞(ことば)の無い声は聞くものゝ胸から胸へ伝(つたは)つた。送る人も、送られる人も、暫時(しばらく)無言の思を取交したのである。
 やがて橇(そり)の用意も出来たといふ。丑松は根津村に居る叔父夫婦のことを銀之助に話して、嘸(さぞ)あの二人も心配して居るであらう、もし自分の噂(うはさ)が姫子沢へ伝つたら、其為に叔父夫婦は奈何(どん)な迷惑を蒙(かうむ)るかも知れない、ひよつとしたら彼村(あのむら)には居られなくなる――奈何(どう)したものだらう。斯う言出した。『其時はまた其時さ。』と銀之助は考へて、『万事大日向さんに頼んで見給へ。もし叔父さんが根津に居られないやうだつたら、下高井の方へでも引越して行くさ。もう斯うなつた以上は、心配したつて仕方が無い――なあに、君、どうにか方法は着くよ。』
『では、其話をして置いて呉れ給へな。』
『宜(よろ)しい。』
 斯う引受けて貰ひ、それから例の『懴悔録』はいづれ東京へ着いた上、新本を求めて、お志保のところへ送り届けることにしよう、と約束して、軈(やが)て丑松は未亡人と一緒に見送りの人々へ別離(わかれ)を告げた。弁護士、大日向、音作、銀之助、其他生徒の群はいづれも三台の橇(そり)の周囲(まはり)に集つた。お志保は蒼(あを)ざめて、省吾の肩に取縋(とりすが)り乍ら見送つた。
『さあ、押せ、押せ。』と生徒の一人は手を揚げて言つた。
『先生、そこまで御供しやせう。』とまた一人の生徒は橇の後押棒に掴(つかま)つた。
 いざ、出掛けようとするところへ、準教員が霙の中を飛んで来て、生徒一同に用が有るといふ。何事かと、未亡人も、丑松も振返つて見た。蓮太郎の遺骨を載せた橇を先頭(はな)に、三台の橇曳は一旦入れた力を復(ま)た緩めて、手持無沙汰にそこへ佇立(たゝず)んだのであつた。

       (四)

『其位(それくらゐ)のことは許して呉れたつても好ささうなものぢや無いか。』と銀之助は準教員の前に立つて言つた。『だつて君、考へて見給へ。生徒が自分達の先生を慕つて、そこまで見送りに随(つ)いて行かうと言ふんだらう。少年の情としては美しいところぢや無いか。寧(むし)ろ賞めてやつて好いことだ。それを学校の方から止めるなんて――第一、君が間違つてる。其様(そん)な使に来るのが間違つてる。』
『左様(さう)君のやうに言つても困るよ。』と準教員は頭を掻き乍ら、『何も僕が不可(いけない)と言つた訳では有るまいし。』
『それなら何故(なぜ)学校で不可と言ふのかね。』と銀之助は肩を動(ゆす)つた。
『届けもしないで、無断で休むといふ法は無い。休むなら、休むで、許可(ゆるし)を得て、それから見送りに行け――斯う校長先生が言ふのさ。』
『後で届けたら好からう。』
『後で? 後では届にならないやね。校長先生はもう非常に怒つてるんだ。勝野君はまた勝野君で、どうも彼組(あのくみ)の生徒は狡猾(ずる)くて不可(いかん)、斯ういふことが度々重ると学校の威信に関(かゝは)る、生徒として規則を守らないやうなものは休校させろ――まあ斯う言ふのさ。』
『左様器械的に物を考へなくつても好からう。何ぞと言ふと、校長先生や勝野君は、直に規則、規則だ。半日位休ませたつて、何だ――差支は無いぢやないか。一体、自分達の方から進んで生徒を許すのが至当(あたりまへ)だ。まあ勧めるやうにしてよこすのが至当だ。兎(と)も角(かく)も一緒に仕事をした交誼(よしみ)が有つて見れば、自分達が生徒を連れて見送りに来なけりやならない。ところが自分達は来ない、生徒も不可(いけない)、無断で見送りに行くものは罰するなんて――其様(そん)な無法なことがあるもんか。』
 銀之助は事情を知らないのである。昨日校長が生徒一同を講堂に呼集めて、丑松の休職になつた理由を演説したこと、其時丑松の人物を非難したり、平素(ふだん)の行為(おこなひ)に就いて烈しい攻撃を加へたりして、寧ろ今度の改革は(校長はわざ/\改革といふ言葉を用ゐた)学校の将来に取つて非常な好都合であると言つたこと――そんなこんなは銀之助の知らない出来事であつた。あゝ、教育者は教育者を忌む。同僚としての嫉妬(しつと)、人種としての軽蔑(けいべつ)――世を焼く火焔(ほのほ)は出発の間際まで丑松の身に追ひ迫つて来たのである。
 あまり銀之助が激するので、丑松は一旦橇(そり)を下りた。
『まあ、土屋君、好加減(いゝかげん)にしたら好からう。使に来たものだつて困るぢや無いか。』と丑松は宥(なだ)めるやうに言つた。
『しかし、あんまり解らないからさ。』と銀之助は聞入れる気色(けしき)も無かつた。『そんなら僕の時を考へて見給へ。あの時の送別会は半日以上かゝつた。僕の為に課業を休んで呉れる位なら、瀬川君の為に休むのは猶更(なほさら)のことだ。』と言つて、生徒の方へ向いて、『行け、行け――僕が引受けた。それで悪かつたら、僕が後で談判してやる。』
『行け、行け。』とある生徒は手を振り乍ら叫んだ。
『それでは、君、僕が困るよ。』と丑松は銀之助を押止めて、『送つて呉れるといふ志は有難いがね、其為に生徒に迷惑を掛けるやうでは、僕だつてあまり心地(こゝろもち)が好くない。もう是処(こゝ)で沢山(たくさん)だ――わざ/\是処迄(まで)来て呉れたんだから、それでもう僕には沢山だ。何卒(どうか)、君、生徒を是処(こゝ)で返して呉れ給へ。』
 斯う言つて、名残を惜む生徒にも同じ意味の言葉を繰返して、やがて丑松は橇に乗らうとした。
『御機嫌よう。』
 それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であつた。
 蕭条(せうでう)とした岸の柳の枯枝を経(へだ)てゝ、飯山の町の眺望(ながめ)は右側に展(ひら)けて居た。対岸に並び接(つゞ)く家々の屋根、ところ/″\に高い寺院の建築物(たてもの)、今は丘陵のみ残る古城の跡、いづれも雪に包まれて幽(かす)かに白く見渡される。天気の好い日には、斯(こ)の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐(つ)いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇(そり)は雪の上を滑り始めた。
(明治三十九年三月)



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