破戒
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著者名:島崎藤村 

『さあ、何卒(どうぞ)是方(こちら)へ。』と校長は椅子を離れて丁寧に挨拶する。
『いや、どうも遅なはりまして、失礼しました。』と金縁の眼鏡を掛けた議員が快濶(くわいくわつ)な調子で言つた。『実は、高柳君も彼様いふやうな訳で、急に選挙の模様が変りましたものですから。』

       (四)

 其日、長野の師範校の生徒が二十人ばかり、参観と言つて学校の廊下を往つたり来たりした。丑松が受持の教室へも入つて来た。丁度高等四年では修身の学課を終つて、二時間目の数学に取掛つたところで、生徒は頻(しきり)に問題を考へて居る最中。参観人の群が戸を開けてあらはれた時は、一時靴の音で妨げられたが、軈(やが)て其も静つてもとの通りに成つた。寂(しん)とした教室の内には、石盤を滑る石筆の音ばかり。丑松は机と机との間を歩いて、名残惜しさうに一同の監督をした。時々参観人の方を注意して見ると、制服着た連中がずらりと壁に添ふて並んで、いづれも一廉(いつぱし)の批評家らしい顔付。楽しい学生時代の種々(さま/″\)は丑松の眼前(めのまへ)に彷彿(ちらつ)いて来た。丁度自分も同級の人達と一緒に、師範校の講師に連れられて、方々へ参観に出掛けた当時のことを思ひ浮べた。残酷な、とは言へ罪の無い批評をして、到るところの学校の教師を苦めたことを思ひ浮べた。丑松とても一度は斯の参観人と同じ制服を着た時代があつたのである。
『出来ましたか――出来たものは手を挙げて御覧なさい。』
 といふ丑松の声に応じて、後列の方の級長を始め、すこし覚束ないと思はれるやうな生徒まで、互に争つて手を挙げた。あまり数学の出来る方でない省吾までも、めづらしく勇んで手を挙げた。
『風間さん。』
 と指名すると、省吾は直に席を離れて、つか/\と黒板の前へ進んだ。
 冬の日の光は窓の玻璃(ガラス)を通して教へ慣(な)れた教室の内を物寂しく照して見せる。平素(ふだん)は何の感想(かんじ)をも起させない高い天井から、四辺(まはり)の白壁まで、すべて新しく丑松の眼に映つた。正面に懸けてある黒板の前に立つて、白墨で解答(こたへ)を書いて居る省吾の後姿は、と見ると、実に今が可愛らしい少年の盛り、肩揚のある筒袖羽織(つゝそでばおり)を着て、首すこし傾(かし)げ、左の肩を下げ、高いところへ数字を書かうとする度に背延びしては右の手を届かせるのであつた。省吾は克く勉強する質(たち)の生徒で、図画とか、習字とか、作文とかは得意だが、毎時(いつも)理科や数学で失敗(しくじ)つて、丁度十五六番といふところを上つたり下つたりして居る。不思議にも其日は好く出来た。
『是と同じ答の出たものは手を挙げて御覧なさい。』
 後列の方の生徒は揃つて手を挙げた。省吾は少許(すこし)顔を紅(あか)くして、やがて自分の席へ復(もど)つた。参観人は互に顔を見合せ乍ら、意味の無い微笑(ほゝゑみ)を交換(とりかは)して居たのである。
 斯(か)ういふことを繰返して、問題を出したり、説明して聞かせたりして、数学の時間を送つた。其日に限つては、妙に生徒一同が静粛で、参観人の居ない最初の時間から悪戯(わるふざけ)なぞを為るものは無かつた。極(きま)りで居眠りを始める生徒や、狐鼠々々(こそ/\)机の下で無線電話をかける技師までが、唯もう行儀よくかしこまつて居た。噫(あゝ)、生徒の顔も見納め、教室も見納め、今は最後の稽古をする為に茲(こゝ)に立つて居る、と斯(か)う考へると、自然(おのづ)と丑松は胸を踊らせて、熱心を顔に表して教へた。

       (五)

『無論市村さんは当選に成りませう。』と応接室では白髯(しろひげ)の町会議員が世慣(よな)れた調子で言出した。『人気といふ奴(やつ)は可畏(おそろ)しいものです。高柳君が彼様(あゝ)いふことになると、最早誰も振向いて見るものが有ません。多少掴(つか)ませられたやうな連中まで、ずつと市村さんの方へ傾(かし)いで了ひました。』
『是(これ)といふのも、あの猪子といふ人の死んだ御蔭なんです――余程市村さんは御礼を言つても可(いゝ)。』と金縁眼鏡の議員が力を入れた。
『して見ると新平民も馬鹿になりませんかね。』と郡視学は胸を突出して笑つた。
『なりませんとも。』と白髯の議員も笑つて、『どうして、彼丈(あれだけ)の決心をするといふのは容易ぢや無い。しかし猪子のやうな人物(ひと)は特別だ。』
『左様(さう)さ――彼(あれ)は彼、是(これ)は是さ。』
 と顔に薄痘痕(うすあばた)のある商人の出らしい議員が言出した時は、其処に居並ぶ人々は皆笑つた。『彼は彼、是は是』と言つた丈(だけ)で、其意味はもう悉皆(すつかり)通じたのである。
『はゝゝゝゝ。只今(たゞいま)御話の出ました「是」の方の御相談ですが、』と金縁眼鏡の議員は巻煙草を燻(ふか)し乍ら、『郡視学さんにも一つ御心配を願ひまして、あまり町の方でやかましく成りません内に――左様、御転任に成るといふものか、乃至(ないし)は御休職を願ふといふものか、何とかそこのところを考へて頂きたいもので。』
『はい。』と郡視学は額へ手を当てた。
『実に瀬川先生には御気の毒ですが、是も拠(よんどころ)ない。』と白髯の議員は嘆息した。『御承知の通りな土地柄で、兎角(とかく)左様いふことを嫌ひまして――彼先生は実はこれ/\だと生徒の父兄に知れ渡つて御覧なさい、必定(きつと)、子供は学校へ出さないなんて言出します。そりやあもう、眼に見えて居ます。現に、町会議員の中にも、恐しく苦情を持出した人がある。一体学務委員が気が利かないなんて、私共に喰つて懸るといふ仕末ですから。』
『まあ、私共始め、左様(さう)いふことを伺つて見ますと、あまり好い心地(こゝろもち)は致しませんからなあ。』と薄痘痕(うすあばた)の議員が笑ひ乍ら言葉を添へる。
『しかし、それでは学校に取りまして非常に残念なことです。』と校長は改(あらたま)つて、『瀬川君が好くやつて下さることは、定めし皆さんも御聞きでしたらう――私もまあ片腕程に頼みに思つて居るやうな訳で。学才は有ますし、人物は堅実(たしか)ですし、それに生徒の評判(うけ)は良し、若手の教育者としては得難い人だらうと思ふんです。素性(うまれ)が卑賤(いや)しいからと言つて、彼様(あゝ)いふ人を捨てるといふことは――実際、聞えません。何卒(どうか)まあ皆さんの御尽力で、成らうことなら引留めるやうにして頂きたいのですが。』
『いや。』と金縁眼鏡の議員は校長の言葉を遮つた。『御尤(ごもつとも)です。只今のやうな校長先生の御意見を伺つて見ますと、私共が斯様(こん)な御相談に参るといふことからして、恥入る次第です。成程(なるほど)、学問の上には階級の差別も御座(ござい)ますまい。そこがそれ、迷信の深い土地柄で。左様いふ美しい思想(かんがへ)を持つた人は鮮少(すくな)いものですから――』
『どうも未(ま)だそこまでは開けませんのですな。』と薄痘痕の議員が言つた。
『ナニ、それも、猪子先生のやうに飛抜けて了へば、また人が許しもするんですよ。』と白髯の議員は引取つて、『其証拠には、宿屋でも平気で泊めますし、寺院(てら)でも本堂を貸しますし、演説を為(す)るといへば人が聴きにも出掛けます。彼(あの)先生のは可厭(いや)に隠蔽(かく)さんから可(いゝ)。最初からもう名乗つてかゝるといふ遣方ですから、左様(さう)なると人情は妙なもので、むしろ気の毒だといふ心地(こゝろもち)に成る。ところが、瀬川先生や高柳君の細君のやうに、其を隠蔽(かく)さう/\とすると、余計に世間の方では厳(やかま)しく言出して来るんです。』
『大きに――』と郡視学は同意を表した。
『どうでせう、御転任といふやうなことにでも願つたら。』と金縁眼鏡の議員は人々の顔を眺め廻した。
『転任ですか。』と郡視学は仔細らしく、『兎角(とかく)条件附の転任は巧くいきませんよ。それに、斯(か)ういふことが世間へ知れた以上は、何処(どこ)の学校だつても嫌がりますさ――先づ休職といふものでせう。』
『奈何(どう)なりとも、そこは貴方の御意見通りに。』と白髯の議員は手を擦(も)み乍ら言つた。『町会議員の中には、「怪しからん、直に追出して了へ」なんて、其様な暴論を吐くやうな手合も有るといふ場合ですから――何卒(どうか)まあ、何分宜敷(よろしい)やうに、御取計ひを。』

       (六)

 兎(と)に角(かく)其日の授業だけは無事に済した上で、と丑松は湧上(わきあが)るやうな胸の思を制(おさ)へ乍(なが)ら、三時間目の習字を教へた。手習ひする生徒の背後(うしろ)へ廻つて、手に手を持添へて、漢字の書方なぞを注意してやつた時は、奈何(どんな)に其筆先がぶる/\と震へたらう。周囲(まはり)の生徒はいづれも伸(の)しかかつて眺(なが)めて、墨だらけな口を開いて笑ふのであつた。
 小使の振鳴す大鈴の音が三時間目の終を知らせる頃には、最早(もう)郡視学も、町会議員も帰つて了つた。師範校の生徒は猶(なほ)残つて午後の授業をも観たいといふ。昼飯(ひる)の後、生徒の監督を他の教師に任せて置いて、丑松は後仕末をする為に職員室に留つた。其となく返すものは返す、調べるものは調べる、後になつて非難を受けまいと思へば思ふほど、心の□惶(あわたゞ)しさは一通りで無い。職員室の片隅には、手の明いた教員が集つて、寄ると触(さは)ると法福寺の門前にあつた出来事の噂(うはさ)。蓮太郎の身を捨てた動機に就いても、種々(さま/″\)な臆測が言ひはやされる。あるものは過度の名誉心が原因(もと)だらうと言ひ、あるものは生活(くらし)に究(つま)つた揚句だらうと言ひ、あるものは又、精神に異状を来して居たのだらうといふ。まあ、十人が十色のことを言つて、誹(けな)したり謗(くさ)したりする、稀(たま)に蓮太郎の精神を褒(ほ)めるものが有つても、寧ろ其を肺病の故(せゐ)にして了(しま)つた。聞くともなしに丑松は人々の噂を聞いて、到底誤解されずに済(す)む世の中では無いといふことを思ひ知つた。『黙つて狼のやうに男らしく死ね』――あの先輩の言葉を思出した時は、悲しかつた。
 午後の課目は地理と国語とであつた。五時間目には、国語の教科書の外に、予(かね)て生徒から預つて置いた習字の清書、作文の帳面、そんなものを一緒に持つて教室へ入つたので、其と見た好奇(ものずき)な少年はもう眼を円くする。『ホウ、作文が刪正(なほ)つて来た。』とある生徒が言つた。『図画も。』と又。丑松はそれを自分の机の上に載せて、例のやうに教科書の方へ取掛つたが、軈(やが)て平素(いつも)の半分ばかりも講釈したところで本を閉ぢて、其日はもう其で止めにする、それから少許(すこし)話すことが有る、と言つて生徒一同の顔を眺め渡すと、『先生、御話ですか。』と気の早いものは直に其を聞くのであつた。
『御話、御話――』
 と請求する声は教室の隅から隅までも拡(ひろが)つた。
 丑松の眼は輝いて来た。今は我知らず落ちる涙を止(とゞ)めかねたのである。其時、習字やら、図画やら、作文の帳面やらを生徒の手に渡した。中には、朱で点を付けたのもあり、優とか佳とかしたのもあつた。または、全く目を通さないのもあつた。丑松は先づ其詑(そのわび)から始めて、刪正(なほ)して遣(や)りたいは遣りたいが、最早(もう)其を為(す)る暇が無いといふことを話し、斯うして一緒に稽古を為るのも実は今日限りであるといふことを話し、自分は今別離(わかれ)を告げる為に是処(こゝ)に立つて居るといふことを話した。
『皆さんも御存じでせう。』と丑松は噛んで含めるやうに言つた。『是(この)山国に住む人々を分けて見ると、大凡(おおよそ)五通りに別れて居ます。それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶(ばうさん)と、それからまだ外に穢多といふ階級があります。御存じでせう、其穢多は今でも町はづれに一団(ひとかたまり)に成つて居て、皆さんの履(は)く麻裏(あさうら)を造(つく)つたり、靴や太鼓や三味線等を製(こしら)へたり、あるものは又お百姓して生活(くらし)を立てゝ居るといふことを。御存じでせう、其穢多は御出入と言つて、稲を一束づゝ持つて、皆さんの父親(おとつ)さんや祖父(おぢい)さんのところへ一年に一度は必ず御機嫌伺ひに行きましたことを。御存じでせう、其穢多が皆さんの御家へ行きますと、土間のところへ手を突いて、特別の茶椀で食物(くひもの)なぞを頂戴して、決して敷居から内部(なか)へは一歩(ひとあし)も入られなかつたことを。皆さんの方から又、用事でもあつて穢多の部落へ御出(おいで)になりますと、煙草(たばこ)は燐寸(マッチ)で喫(の)んで頂いて、御茶は有(あり)ましても決して差上げないのが昔からの習慣です。まあ、穢多といふものは、其程卑賤(いや)しい階級としてあるのです。もし其穢多が斯(こ)の教室へやつて来て、皆さんに国語や地理を教へるとしましたら、其時皆さんは奈何思ひますか、皆さんの父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんは奈何(どう)思ひませうか――実は、私は其卑賤(いや)しい穢多の一人です。』
 手も足も烈しく慄(ふる)へて来た。丑松は立つて居られないといふ風で、そこに在る机に身を支へた。さあ、生徒は驚いたの驚かないのぢやない。いづれも顔を揚げたり、口を開いたりして、熱心な眸(ひとみ)を注いだのである。
『皆さんも最早(もう)十五六――万更(まんざら)世情(ものごゝろ)を知らないといふ年齢(とし)でも有ません。何卒(どうぞ)私の言ふことを克(よ)く記憶(おぼ)えて置いて下さい。』と丑松は名残惜(なごりを)しさうに言葉を継(つ)いだ。
『これから将来(さき)、五年十年と経つて、稀(たま)に皆さんが小学校時代のことを考へて御覧なさる時に――あゝ、あの高等四年の教室で、瀬川といふ教員に習つたことが有つたツけ――あの穢多の教員が素性を告白(うちあ)けて、別離(わかれ)を述べて行く時に、正月になれば自分等と同じやうに屠蘇(とそ)を祝ひ、天長節が来れば同じやうに君が代を歌つて、蔭ながら自分等の幸福(しあはせ)を、出世を祈ると言つたツけ――斯(か)う思出して頂きたいのです。私が今斯(か)ういふことを告白(うちあ)けましたら、定めし皆さんは穢(けがらは)しいといふ感想(かんじ)を起すでせう。あゝ、仮令(たとひ)私は卑賤(いや)しい生れでも、すくなくも皆さんが立派な思想(かんがへ)を御持ちなさるやうに、毎日其を心掛けて教へて上げた積りです。せめて其の骨折に免じて、今日迄(こんにちまで)のことは何卒(どうか)許して下さい。』
 斯(か)う言つて、生徒の机のところへ手を突いて、詑入(わびい)るやうに頭を下げた。
『皆さんが御家へ御帰りに成りましたら、何卒(どうぞ)父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんに私のことを話して下さい――今迄隠蔽(かく)して居たのは全く済(す)まなかつた、と言つて、皆さんの前に手を突いて、斯うして告白(うちあ)けたことを話して丁さい――全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です。』
 と斯う添加(つけた)して言つた。
 丑松はまだ詑び足りないと思つたか、二歩三歩(ふたあしみあし)退却(あとずさり)して、『許して下さい』を言ひ乍ら板敷の上へ跪(ひざまづ)いた。何事かと、後列の方の生徒は急に立上つた。一人立ち、二人立ちして、伸(の)しかゝつて眺めるうちに、斯の教室に居る生徒は総立に成つて、あるものは腰掛の上に登る、あるものは席を離れる、あるものは廊下へ出て声を揚げ乍ら飛んで歩いた。其時大鈴の音が響き渡つた。教室々々の戸が開いた。他の組の生徒も教師も一緒になつて、波濤(なみ)のやうに是方(こちら)へ押溢(おしあふ)れて来た。
        *      *      *
 十二月に入つてから銀之助は最早(もう)客分であつた。其日は午後の一時半頃から、自分の用事で学校へ出て来て居て、丁度職員室で話しこんで居る最中、不図丑松のことを耳に入れた。思はず銀之助はそこを飛出した。玄関を横過(よこぎ)つて、長い廊下を通ると、肩掛に紫頭巾(むらさきづきん)、帰り仕度の女生徒、あそこにも、こゝにも、丑松の噂を始めて、家路に向ふことを忘れたかのやう。体操場には男の生徒が集つて、話は矢張丑松の噂で持切つて居た。左右に馳違(はせちが)ふ少年の群を分けて、高等四年の教室へ近いて見ると、廊下のところに校長、教師五六人、中に文平も、其他高等科の生徒が丑松を囲繞(とりま)いて、参観に来た師範校の生徒まで呆(あき)れ顔(がほ)に眺め佇立(たゝず)んで居たのである。見れば丑松はすこし逆上(とりのぼ)せた人のやうに、同僚の前に跪(ひざまづ)いて、恥の額を板敷の塵埃(ほこり)の中に埋めて居た。深い哀憐(あはれみ)の心は、斯(こ)の可傷(いたま)しい光景(ありさま)を見ると同時に、銀之助の胸を衝(つ)いて湧上(わきあが)つた。歩み寄つて、助け起し乍ら、着物の塵埃(ほこり)を払つて遣ると、丑松は最早半分夢中で、『土屋君、許して呉れ給へ』をかへすがへす言ふ。告白の涙は奈何(どんな)に丑松の頬を伝つて流れたらう。
『解つた、解つた、君の心地(こゝろもち)は好く解つた。』と銀之助は言つた。『むむ――進退伺も用意して来たね。兎(と)に角(かく)、後の事は僕に任せるとして、君は直に是(これ)から帰り給へ――ね、君は左様(さう)し給へ。』

       (七)

 高等四年の生徒は教室に居残つて、日頃慕つて居る教師の為に相談の会を開いた。未(ま)だ初心(うぶ)で、複雑(こみい)つた社会(よのなか)のことは一向解らないものばかりの集合(あつまり)ではあるが、流石(さすが)正直なは少年の心、鋭い神経に丑松の心情(こゝろもち)を汲取つて、何とかして引止める工夫をしたいと考へたのである。黙つて視て居る時では無い、一同揃つて校長のところへ歎願に行かう、と斯う十六ばかりの級長が言出した。賛成の声が起る。
『さあ、行かざあ。』
 と農夫の子らしい生徒が叫んだ。
 相談は一決した。例の掃除をする為に、当番のものだけを残して置いて、少年の群は一緒に教室を出た。其中には省吾も交つて居た。丁度校長は校長室の倚子(いす)に倚凭(よりかゝ)つて、文平を相手に話して居るところで、そこへ高等四年の生徒が揃つて顕(あらは)れた時は、直に一同の言はうとすることを看て取つたのである。
『諸君は何か用が有るんですか。』
 と、しかし、校長は何気ない様子を装(つくろ)ひ乍(なが)ら尋ねた。
 級長は卓子(テーブル)の前に進んだ。校長も、文平も、凝(きつ)と鋭い眸をこの生徒の顔面(おもて)に注いだ。省吾なぞから見ると、ずつと夙慧(ませ)た少年で、言ふことは了然(はつきり)好く解る。
『実は、御願ひがあつて上りました。』と前置をして、級長は一同の心情(こゝろもち)を表白(いひあらは)した。何卒(どうか)して彼の教員を引留めて呉れるやうに。仮令(たとへ)穢多であらうと、其様(そん)なことは厭(いと)はん。現に生徒として新平民の子も居る。教師としての新平民に何の不都合があらう。是はもう生徒一同の心からの願ひである。頼む。斯う述べて、級長は頭を下げた。
『校長先生、御願ひでごはす。』
 と一同声を揃へて、各自(てんで)に頭を下げるのであつた。
 其時校長は倚子を離れた。立つて一同の顔を見渡し乍ら、『むゝ、諸君の言ふことは好く解りました。其程熱心に諸君が引留めたいといふ考へなら、そりやあもう我輩だつて出来るだけのことは尽します。しかし物には順序がある。頼みに来るなら、頼みに来るで、相当の手続を踏んで――総代を立てるとか、願書を差出すとかして、規則正しくやつて来るのが礼です。左様どうも諸君のやうに、大勢一緒に押掛けて来て、さあ引留めて呉れなんて――何といふ無作法な行動(やりかた)でせう。』と言はれて、級長は何か弁解(いひわけ)を為(し)ようとしたが、軈(やが)て涙ぐんで黙つて了つた。
『まあ、御聞きなさい。』と校長は卓子(テーブル)の上にある書面(かきつけ)を拡(ひろ)げて見せ乍ら、『是通り瀬川先生からは進退伺が出て居ます。是(これ)は一応郡視学の方へ廻さなければなりませんし、町の学務委員にも見せなければなりません。仮令(たとひ)我輩が瀬川先生を救ひたいと思つて、単独(ひとり)で焦心(あせ)つて見たところで、町の方で聞いて呉れなければ仕方が無いぢや有ませんか。』と言つて、すこし声を和げて、『然し、我輩一人の力で、奈何(どう)是(これ)を処置するといふ訳にもいかんのですから、そこを諸君も好く考へて下さい。彼様(あゝ)いふ良い教師を失ふといふことは、諸君ばかりぢやない、我輩も残念に思ふ。諸君の言ふことは好く解りました。兎に角、今日は是で帰つて、学課を怠らないやうにして下さい。諸君が斯ういふことに喙(くちばし)を容(い)れないでも、無論学校の方で悪いやうには取計ひません――諸君は勉強が第一です。』
 文平は腕組をして聞いて居た。手持無沙汰に帰つて行く生徒の後姿を見送つて、冷かに笑つて、軈て校長は戸を閉めて了つた。


   第弐拾弐章

       (一)

『一寸伺ひますが、瀬川君は是方(こちら)へ参りませんでしたらうか。』
 斯う声を掛けて、敬之進の住居(すまひ)を訪れたのは銀之助である。友達思ひの銀之助は心配し乍ら、丑松の後を追つて尋ねて来たのであつた。
『瀬川さん?』とお志保は飛んで出て、『あれ、今御帰りに成ましたよ。』
『今?』と銀之助はお志保の顔を眺(なが)めた。『それから何(どつち)の方へ行きましたらう、御存じは有ますまいかしら。』
『よくも伺ひませんでしたけれど、』とお志保は口籠(くちごも)つて、『あの、猪子さんの奥様(おくさん)が東京から御見えに成るさうですね。多分その方へ。ホラ市村さんの御宿の方へ尋ねていらしツたんでせうよ――何でも其様(そん)なやうな瀬川さんの口振でしたから。』
『市村さんの許(ところ)へ? 先づ好かつた。』と銀之助は深い溜息を吐いた。『実は僕も非常に心配しましてね、蓮華寺へ行つて聞いて見ました。御寺で言ふには、未だ瀬川君は学校から帰らんといふ。それから市村さんの宿へ行つて見ると、彼処(あすこ)にも居ません。ひよつとすると、こりや貴方(あなた)の許(ところ)かも知れない、斯う思つてやつて来たんです。』と言つて、考へて、『むゝ、左様(さう)ですか、貴方の許へ参りましたか――』
『丁度、行違ひに御成(おなん)なすつたんでせう。』とお志保は少許(すこし)顔を紅(あか)くして、『まあ御上りなすつて下さいませんか、此様(こん)な見苦しい処で御座(ござい)ますけれど。』
 と言はれて、お志保に導かれて、銀之助は炉辺(ろばた)へ上つた。
 紅く泣腫(なきは)れたお志保の頬には涙の痕(あと)が未だ乾かずにあつた。奈何(どう)いふことを言つて丑松が別れて行つたか、それはもうお志保の顔付を眺めたばかりで、大凡(おおよそ)の想像が銀之助の胸に浮ぶ。あの小学校の廊下のところで、人々の前に跪(ひざまづ)いて、有の儘(まゝ)に素性を自白するといふ行為(やりかた)から推(お)して考へても――確かに友達は非常な決心を起したのであらう。其心根は。思へば憫然(びんぜん)なものだ。斯う銀之助は考へて、何卒(どうか)して友達を助けたい、と其をお志保にも話さうと思ふのであつた。銀之助は先づお志保の身の上から聞き初めた。
 貧し苦しい境遇に居るお志保は、直に、銀之助の頼母(たのも)しい気象を看て取つたのである。のみならず、丑松と斯人とは無二の朋友であるといふことも好く承知して居る。真実(ほんたう)に自分の心地(こゝろもち)も解つて、身を入れて話を聞いて呉れるのは斯人だ、と斯う可懐(なつか)しく思ふにつけても、さて、奈何して父親の許(ところ)へ帰つて居るか、其を尋ねられた時はもう/\胸一ぱいに成つて了(しま)つた。蓮華寺を脱けて出ようと決心する迄の一伍一什(いちぶしじゆう)――思へば涙の種――まあ、何から話して可いものやら、お志保には解らない位であつた。流石(さすが)娘心の感じ易さ、暗く煤(すゝ)けた土壁の内部(なか)の光景(ありさま)をも物羞(はづか)しく思ふといふ風で、『ぼや』を折焚(おりく)べて炉の火を盛んにしたり、着物の前を掻合せたりして語り聞かせる。お志保に言はせると、いよ/\彼の寺を出ようと思立つたのは、泣いて、泣いて、泣尽した揚句のこと。『仮令(たとひ)先方(さき)が親らしい行為(おこなひ)をしない迄も、是迄(これまで)育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘となつた以上は、奈何な辛いことがあらうと決して家へ帰るな。』――とは堅い父の言葉でもあつた。宵闇の空に紛(まぎ)れて迷ひ出たお志保は、だから、何処へ帰るといふ目的(めあて)も無かつたのである。悲しい夢のやうに歩いて来る途中、不図、雪の上に倒れて居る人に出逢(であ)つた。見れば其酔漢(そのさけよひ)は父であつた。其時お志保は左様(さう)思つた。父はもう凍え死んだのかと思つた。丁度通りかかる音作を呼留めて、一緒に助け起して、漸(やつと)のことで家まで連帰つて見ると、今すこし遅からうものなら既に生命を奪(と)られるところ。それぎり敬之進は床の上に横に成つた。医者の話によると、身体の衰弱(おとろへ)は一通りで無い。所詮(しよせん)助かる見込は有るまいとのことである。
 そればかりでは無い。不幸(ふしあはせ)は斯の屋根の下にもお志保を待受けて居た。来て見ると、もう継母も、異母(はらちがひ)の弟妹(きやうだい)も居なかつた。尤(もつと)も、其前の晩、烈しい夫婦喧嘩があつて、継母はお志保のことや父の酒のことを言つて、奈何して是から将来(さき)生計(くらし)が立つと泣叫んだといふ。いづれ下高井にある生家(さと)を指して、三人だけ子供を連れて、父の留守に家出をしたものらしい。それは継母が自分で産んだ子供のうち、三番目のお末を残して、進に、お作に、それから留吉と、斯(か)う引連れて行つた。割合に温順(おとな)しいお末を置いて、あの厄介者のお作を腰に付けたは、流石(さすが)に後のことをも考へて行つたものと見える。継母が末の児を背負(おぶ)ひ、お作の手を引き、進は見慣(みな)れない男に連れられて、後を見かへり/\行つたといふことは、近所のかみさんが来ての話で解つた。
 斯ういふ中にも、ひとり力に成るのは音作で、毎日夫婦して来て、物を呉れるやら、旧(むかし)の主人をいたはるやら、お末をば世話すると言つて、自分の家の方へ引取つて居るとのこと。貧苦の為に離散した敬之進の家族の光景(ありさま)――まあ、お志保が銀之助に話して聞かせたことは、ざつと斯うであつた。
『して見ると――今御家にいらつしやるのは、父親(おとつ)さんに、貴方に、それから省吾さんと、斯う三人なんですか。』銀之助は気の毒さうに尋ねたのである。
『はあ。』とお志保は涙ぐんで、垂下る鬢(びん)の毛を掻上げた。

       (二)

 丑松のことは軈(やが)て二人の談話(はなし)に上つた。友に篤い銀之助の有様を眺めると、お志保はもう何もかも打明けて話さずには居られなかつたのである。其時、丑松の逢ひに来た様子を話した。顔は蒼(あを)ざめ、眼は悲愁(かなしみ)の色を湛(たゝ)へ、思ふことはあつても十分に其を言ひ得ないといふ風で――まあ、情が迫つて、別離(わかれ)の言葉もとぎれ/\であつたことを話した。忘れずに居る程のなさけがあらば、せめて社会(よのなか)の罪人(つみびと)と思へ、斯(か)う言つて、お志保の前に手を突いて、男らしく素性を告白(うちあ)けて行つたことを話した。
『真実(ほんたう)に御気の毒な様子でしたよ。』とお志保は添加(つけた)した。『いろ/\伺つて見たいと思つて居りますうちに、瀬川さんはもう帽子を冠つて、さつさと出て行つてお了ひなさる――後で私はさん/″\泣きました。』
『左様(さう)ですかあ。』と銀之助も嘆息して、『あゝ、僕の想像した通りだつた。定めし貴方(あなた)も驚いたでせう、瀬川君の素性を始めて御聞きになつた時は。』
『いゝえ。』お志保は力を入れて言ふのであつた。
『ホウ。』と銀之助は目を円(まる)くする。
『だつて今日始めてでも御座(ござい)ませんもの――勝野さんが何処(どこ)かで聞いていらしツて、いつぞや其を私に話しましたんですもの。』
 この『始めてでも御座ません』が銀之助を驚した。しかし文平が何の為に其様なことをお志保の耳へ入れたのであらう、と聞咎(きゝとが)めて、
『彼男(あのをとこ)も饒舌家(おしやべり)で、真個(ほんたう)に仕方が無い奴だ。』と独語(ひとりごと)のやうに言つた。やがて、銀之助は何か思ひついたやうに、『何ですか、勝野君は其様(そんな)に御寺へ出掛けたんですか。』
『えゝ――蓮華寺の母が彼様(あゝ)いふ話好きな人で、男の方は淡泊(さつぱり)して居て可(いゝ)なんて申しますもんですから、克(よ)く勝野さんも遊びにいらツしやいました。』
『何だつてまた彼男は其様(そん)なことを貴方に話したんでせう。』斯(か)う銀之助は聞いて見るのであつた。
『まあ、妙なことを仰(おつしや)るんですよ。』とお志保は其を言ひかねて居る。
『妙なとは?』
『親類はこれ/\だの、今に自分は出世して見せるのツて――』
『今に出世して見せる?』と銀之助は其処に居ない人を嘲(あざけ)つたやうに笑つて、『へえ――其様なことを。』
『それから、あの、』とお志保は考深い眼付をし乍ら、『瀬川さんのことなぞ、それは酷(ひど)い悪口を仰いましたよ。其時私は始めて知りました。』
『あゝ、左様(さう)ですか、それで彼話(あのはなし)を御聞きに成つたんですか。』と言つて銀之助は熱心にお志保の顔を眺(なが)めた。急に気を変へて、『ちよツ、彼男も余計なことを喋舌つて歩いたものだ。』
『私もまあ彼様な方だとは思ひませんでした。だつて、あんまり酷いことを仰るんですもの。その悪口が普通(たゞ)の悪口では無いんですもの――私はもう口惜(くや)しくて、口惜しくて。』
『して見ると、貴方も瀬川君を気の毒だと思つて下さるんですかなあ。』
『でも、左様ぢや御座ませんか――新平民だつて何だつて毅然(しつかり)した方の方が、彼様(あん)な口先ばかりの方よりは余程(よつぽど)好いぢや御座ませんか。』
 何の気なしに斯ういふことを言出したが、軈(やが)てお志保は伏目勝に成つて、血肥りのした娘らしい手を眺めたのである。
『あゝ。』と銀之助は嘆息して、『奈何(どう)して世の中は斯(か)う思ふやうに成らないものなんでせう。僕は瀬川君のことを考へると、実際哭(な)きたいやうな気が起ります。まあ、考へて見て下さい。唯あの男は素性が違ふといふだけでせう。それで職業も捨てなければならん、名誉も捨てなければならん――是程(これほど)残酷な話が有ませうか。』
『しかし、』とお志保は清(すゞ)しい眸(ひとみ)を輝した。『父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんの血統(ちすぢ)が奈何(どんな)で御座ませうと、それは瀬川さんの知つたことぢや御座ますまい。』
『左様です――確かに左様です――彼男の知つたことでは無いんです。左様貴方が言つて下されば、奈何(どんな)に僕も心強いか知れません。実は僕は斯う思ひました――彼男の素性を御聞に成つたら、定めし貴方も今迄の瀬川君とは考へて下さるまいかと。』
『何故(なぜ)でせう?』
『だつて、それが普通ですもの。』
『あれ、他(ひと)は左様(さう)かも知れませんが、私は左様は思ひませんわ。』
『真実(ほんと)に? 真実に貴方は左様考へて下さるんですか――』
『まあ、奈何(どう)したら好う御座んせう。私は是でも真面目に御話して居る積りで御座ますのに。』
『ですから、僕が其を伺ひたいと言ふんです。』
『其と仰(おつしや)るのは?』
 とお志保は問ひ反して、対手(あひて)の心を推量し乍ら眺めた。若々しい血潮は思はずお志保の頬に上るのであつた。

       (三)

 力の無い謦□(せき)の声が奥の方で聞えた。急にお志保は耳を澄して心配さうに聞いて居たが、軈(やが)て一寸会釈(ゑしやく)して奥の方へ行つた。銀之助は独り炉辺(ろばた)に残つて燃え上る『ぼや』の火炎(ほのほ)を眺(なが)め乍ら、斯(か)ういふ切ない境遇のなかにも屈せず倒れずに行(や)る気で居るお志保の心の若々しさを感じた。烈しい気候を相手に克(よ)く働く信州北部の女は、いづれも剛健な、快活な気象に富むのである。苦痛に堪へ得ることは天性に近いと言つてもよい。まあ、お志保も矢張(やはり)其血を享(う)けたのだ。優婉(やさ)しいうちにも、どことなく毅然(しやん)としたところが有る。斯う銀之助は考へて、奈何(どう)友達のことを切出したものか、と思ひつゞけて居た。間も無くお志保は奥の方から出て来た。
『奈何(どう)ですか、父上(おとつ)さんの御様子は。』と銀之助は同情深(おもひやりぶか)く尋ねて見る。
『別に変りましたことも御座ませんけれど、』とお志保は萎(しを)れて、『今日は何(なんに)も頂きたくないと言つて、お粥(かゆ)を少許(ぽつちり)食べましたばかり――まあ、朝から眠りつゞけなんで御座ますよ。彼様(あんな)に眠るのが奈何(どう)でせうかしら。』
『何しろ其は御心配ですなあ。』
『どうせ長保(ながも)ちは有(あり)ますまいでせうよ。』とお志保は溜息を吐いた。『瀬川さんにも種々(いろ/\)御世話様には成ましたが、医者ですら見込が無いと言ふ位ですから――』
 斯う言つて、癖のやうに鬢(びん)の毛を掻上げた。
『実に、人の一生はさま/″\ですなあ。』と銀之助はお志保の境涯(きやうがい)を思ひやつて、可傷(いたま)しいやうな気に成つた。『温い家庭の内に育つて、それほど生活の方の苦痛(くるしみ)も知らずに済(す)む人もあれば、又、貴方のやうに、若い時から艱難(かんなん)して、其風波(なみかぜ)に搓(も)まれて居るなかで、自然と性質を鍛(きた)へる人もある。まあ、貴方なぞは、苦んで、闘つて、それで女になるやうに生れて来たんですなあ。左様(さう)いふ人は左様いふ人で、他(ひと)の知らない悲しい日も有るかはりに、また他の知らない楽しい日も有るだらうと思ふんです。』
『楽しい日?』とお志保は寂しさうに微笑(ほゝゑ)み乍ら、『私なぞに其様(そん)な日が御座ませうかしら。』
『有ますとも。』と銀之助は力を入れて言つた。
『ほゝゝゝゝ――是迄(これまで)のことを考へて見ましても、其様な日なぞは参りさうも御座ません。まあ、私が貰はれて行きさへしませんければ、蓮華寺の母だつても彼様(あん)な思は為ずに済みましたのでせう。彼母を置いて出ます前には、奈何(どんな)に私も――』
『左様でせうとも。其は御察し申します。』
『いえ――私はもう死んで了(しま)ひましたも同じことなんで御座ます――唯(たゞ)、人様の情を思ひますものですから、其を力に……斯(か)うして生きて……』
『あゝ、瀬川君のも苦しい境遇だが、貴方のも苦しい境遇だ。畢竟(つまり)貴方が其程苦しい目に御逢(おあ)ひなすつたから、それで瀬川君の為にも哭(な)いて下さるといふものでせう。実は――僕は、あの友達を助けて頂きたいと思つて、斯うして貴方に御話して居るやうな訳ですが――』
『助けろと仰ると?』お志保の眸(ひとみ)は急に燃え輝いたのである。『私の力に出来ますことなら、奈何(どん)なことでも致しますけれど。』
『無論出来ることなんです。』
『私に?』
 暫時(しばらく)二人は無言であつた。
『いつそ有の儘を御話しませう。』と銀之助は熱心に言出した。『丁度学校で宿直の晩のことでした。僕が瀬川君の意中を叩いて見たのです。其時僕の言ふには、「君のやうに左様(さう)独りで苦んで居ないで、少許(すこし)打明けて話したら奈何(どう)だ。あるひは僕見たやうな殺風景なものに話したつて解らない、と君は思ふかも知れない。しかし、僕だつて、其様(そん)な冷(つめた)い人間ぢや無いよ。まあ、僕に言はせると、あまり君は物を煩(むづか)しく考へ過ぎて居るやうに思はれる。友達といふものも有つて見れば、及ばず乍ら力に成るといふことも有らうぢやないか。」斯(か)う言ひました。すると、瀬川君は始めて貴方のことを言出して――「むゝ、君の察して呉れるやうなことがあつた。確かに有つた。しかし其人は最早(もう)死んで了つたものと思つて呉れたまへ。」斯う言ふぢや有ませんか。噫――瀬川君は自分の素性を考へて、到底及ばない希望(のぞみ)と絶念(あきら)めて了(しま)つたのでせう。今はもう人を可懐(なつか)しいとも思はん――是程悲しい情愛が有ませうか。それで瀬川君は貴方のところへ来て、今迄蔵(つゝ)んで居た素性を自白したのです。そこです――もし貴方に彼(あ)の男の真情(こゝろもち)が解りましたら、一つ助けてやらうといふ思想(かんがへ)を持つて下さることは出来ますまいか。』
『まあ、何と申上げて可(いゝ)か解りませんけれど――』とお志保は耳の根元までも紅(あか)くなつて、『私はもう其積りで居りますんですよ。』
『一生?』と銀之助はお志保の顔を熟視(まも)り乍ら尋ねた。
『はあ。』
 このお志保の答は銀之助の心を驚したのである。愛も、涙も、決心も、すべて斯(こ)の一息のうちに含まれて居た。

       (四)

 兎(と)も角(かく)も是事(このこと)を話して友達の心を救はう。市村弁護士の宿へ行つて見た様子で、復(ま)た後の使にやつて来よう。斯う約束して、軈(やが)て銀之助は炉辺を離れようとした。
『あの、御願ひで御座ますが――』とお志保は呼留めて、『もし「懴悔録」といふ御本が御座ましたら、貸して頂く訳にはまゐりますまいか。まあ、私なぞが拝見したつて、どうせ解りはしますまいけれど。』
『「懴悔録」?』
『ホラ、猪子さんの御書きなすつたとかいふ――』
『むゝ、あれですか。よく貴方は彼様(あん)な本を御存じですね。』
『でも、瀬川さんが平素(しよつちゆう)読んでいらつしやいましたもの。』
『承知しました。多分瀬川君の許(ところ)に有ませうから、行つて話して見ませう――もし無ければ、何処(どこ)か捜(さが)して見て、是非一冊贈らせることにしませう。』
 斯う言つて、銀之助は弁護士の宿を指して急いだ。
 丁度扇屋では人々が蓮太郎の遺骸(なきがら)の周囲(まはり)に集つたところ。親切な亭主の計ひで、焼場の方へ送る前に一応亡くなつた人の霊魂(たましひ)を弔(とむら)ひたいといふ。読経(どきやう)は法福寺の老僧が来て勤めた。其日の午後東京から着いたといふ蓮太郎の妻君――今は未亡人――を始め、弁護士、丑松もかしこまつて居た。旅で死んだといふことを殊(こと)にあはれに思ふかして、扇屋の家の人もかはる/″\弔ひに来る。縁もゆかりも無い泊客ですら、其と聞伝へたかぎりは廊下に集つて、寂しい木魚の音に耳を澄すのであつた。
 焼香も済み、読経も一きりに成つた頃、銀之助は丑松の紹介(ひきあはせ)で、始めて未亡人に言葉を交した。長野新聞の通信記者なぞも混雑(とりこみ)の中へ尋ねて来て、聞き取つたことを手帳に書留める。
『貴方が奥様(おくさん)でいらつしやいますか。』と記者は職掌柄らしい調子で言つた。
『はい。』と未亡人の返事。
『奥様、誠に御気の毒なことで御座ます。猪子先生の御名前は予(かね)て承知いたして居りまして、蔭乍(かげなが)ら御慕ひ申して居たのですが――』
『はい。』
 斯(か)ういふ挨拶はすべて追憶(おもひで)の種であつた。人々の談話(はなし)は蓮太郎のことで持切つた。軈(やが)て未亡人は夫と一緒に信州へ来た当時のことを言出して、別れる前の晩に不思議な夢を見たこと、妙に夫の身の上が気に懸つたこと、其を言つて酷(ひど)く叱られたことなぞを話した。彼是を思合せると、彼時(あのとき)にもう夫は覚期(かくご)して居ることが有つたらしい――信州の小春は好いの、今度の旅行は面白からうの、土産(みやげ)はしつかり持つて帰るから家へ行つて待つて居れの、まあ彼(あれ)が長の別離(わかれ)の言葉に成つて了(しま)つた。斯う言つて、思ひがけない出来事の為に飛んだ迷惑を人々に懸けた、とかへす/″\気の毒がる。流石(さすが)に堪へがたい女の情もあらはれて、淡泊(さつぱり)した未亡人の言葉は反つて深い同情を引いたのである。
 弁護士は銀之助を部屋の片隅へ招いた。相談といふは丑松の身に関したことであつた。弁護士の言ふには、丑松も今となつては斯の飯山に居にくい事情も有らうし、未亡人はまた未亡人で是から帰るには男の手を借りたくも有らうし、するからして、あの蓮太郎の遺骨を護つて、一緒に東京へ行つて貰ひたいが奈何だらう――選挙を眼前(めのまへ)にひかへさへしなければ、無論自身で随いて行くべきでは有るが、それは未亡人が強ひて辞退する。せめて斯の際選挙の方に尽力して夫の霊魂(たましひ)を慰めて呉れといふ。聞いて見れば未亡人の志も、尤(もつとも)。いつそ是(これ)は丑松を煩したい――一切の費用は自分の方で持つ――是非。とのことであつた。
『といふ訳で、瀬川さんにも御話したのですが、』と弁護士は銀之助の顔を眺め乍ら言つた。『学校の方の都合は、君、奈何(どん)なものでせう。』
『学校の方ですか。』と銀之助は受けて、『実は――瀬川君を休職にすると言つて、その下相談が有つたといふ位ですから、無論差支は有ますまいよ。校長の話では、郡視学も其積りで居るさうです。まあ、学校の方のことは僕が引受けて、奈何(どんな)にでも都合の好いやうに致しませう。一日も早く飯山を発ちました方が瀬川君の為には得策だらうと思ふんです。』
 斯(か)ういふ相談をして居るところへ、棺(ひつぎ)が持運ばれた。復(ま)た読経の声が起つた。人々は最後の別離(わかれ)を告げる為に其棺の周囲(まはり)へ集つた。軈て焼場の方へ送られることに成つた頃は、もう四辺(そこいら)も薄暗かつたのである。いよ/\舁(かつ)がれて、『いたや』(北国にある木の名)造りの橇へ載せられる光景(ありさま)を見た時は、未亡人はもう其処へ倒れるばかりに泣いた。

       (五)

 火を入れるところまで見届けて、焼場から帰つた後、丑松は弁護士や銀之助と火鉢を取囲(とりま)いて、扇屋の奥座敷で話した。無情(つれな)い運命も、今は丑松の方へ向いて、微(すこ)し笑つて見せるやうに成つた。あの飯山病院から追はれ、鷹匠(たかしやう)町の宿からも追はれた大日向が――実は、放逐の恥辱(はづかしめ)が非常な奮発心を起させた動機と成つて――亜米利加(アメリカ)の『テキサス』で農業に従事しようといふ新しい計画は、意外にも市村弁護士の口を通して、丑松の耳に希望(のぞみ)を囁(さゝや)いた。教育のある、確実(たしか)な青年を一人世話して呉れ、とは予(かね)て弁護士が大日向から依頼されて居たことで、丁度丑松とは素性も同じ、定めし是話をしたら先方(さき)も悦(よろこ)ばう。望みとあらば周旋してやるが奈何(どう)か。『テキサス』あたりへ出掛ける気は無いか。心懸け次第で随分勉強することも出来よう。是話には銀之助も熱心に賛成した。『見給へ――捨てる神あれば、助ける神ありさ。』と銀之助は其を言ふのであつた。
『明後日の朝、大日向が我輩の宿へ来る約束に成つて居る。むゝ、丁度好い。兎(と)に角(かく)逢(あ)つて見ることにしたまへ。』
 斯ういふ弁護士の言葉は、枯れ萎れた丑松の心を励(はげま)して、様子によつては頼んで見よう、働いて見ようといふ気を起させたのである。
 そればかりでは無い。銀之助から聞いたお志保の物語――まあ、あの可憐な決心と涙とは奈何(どんな)に深い震動を丑松の胸に伝へたらう。敬之進の病気、継母の家出、そんなこんなが一緒に成つて、一層(ひとしほ)お志保の心情を可傷(いたは)しく思はせる。あゝ、絶望し、断念し、素性まで告白して別れた丑松の為に、ひそかに熱い涙をそゝぐ人が有らうとは。可羞(はづか)しい、とはいへ心の底から絞出(しぼりだ)した真実(まこと)の懴悔を聞いて、一生を卑賤(いや)しい穢多の子に寄せる人が有らうとは。
『どうして、君、彼(あ)の女はなか/\しつかりものだぜ。』
 と銀之助は添加(つけた)して言つた。
 其翌日、銀之助は友達の為に、学校へも行き、蓮華寺へも行き、お志保の許(ところ)へも行つた。蓮華寺にある丑松の荷物を取纏めて、直に要(い)るものは要るもの、寺へ預けるものは預けるもので見別(みわけ)をつけたのも、すべて銀之助の骨折であつた。銀之助はまた、お志保のことを未亡人にも話し、弁護士にも話した。女は女に同情(おもひやり)の深いもの。殊にお志保の不幸な境遇は未亡人の心を動したのであつた。行く/\は東京へ引取つて一緒に暮したい。丑松の身が極(きま)つた暁には自分の妹にして結婚(めあは)せるやうにしたい。斯(か)う言出した。兎(と)に角(かく)、後の事は弁護士も力を添へる、とある。といふ訳で、万事は弁護士と銀之助とに頼んで置いて、丑松は惶急(あわたゞ)しく飯山を発(た)つことに決めた。


   第弐拾参章

       (一)

 いよ/\出発の日が来た。払暁(よあけ)頃から霙(みぞれ)が降出して、扇屋に集る人々の胸には寂しい旅の思を添へるのであつた。
 一台の橇(そり)は朝早く扇屋の前で停つた。下りた客は厚羅紗(あつらしや)の外套で深く身を包んだ紳士風の人、橇曳(そりひき)に案内させて、弁護士に面会を求める。『おゝ、大日向が来た。』と弁護士は出て迎へた。大日向は約束を違(たが)へずやつて来たので、薄暗いうちに下高井を発(た)つたといふ。上れと言はれても上りもせず、たゞ上(あが)り框(がまち)のところへ腰掛けた儘(まゝ)で、弁護士から法律上の智慧(ちゑ)を借りた。用談を済し、蓮太郎への弔意(くやみ)を述べ、軈(やが)てそこそこにして行かうとする。其時、弁護士は丑松のことを語り聞(きか)せて、
『まあ、上るさ――猪子君の細君も居るし、それに今話した瀬川君も一緒だから、是非逢つてやつて呉れたまへ。其様(そん)なところに腰掛けて居たんぢや、緩々(ゆつくり)談話(はなし)も出来ないぢや無いか。』
 と強(し)ひるやうに言つた。然し大日向は苦笑(にがわらひ)するばかり。奈何(どんな)に薦(すゝ)められても、決して上らうとはしない。いづれ近い内に東京へ出向くから、猪子の家を尋ねよう。其折丑松にも逢はう。左様(さう)いふ気心の知れた人なら双方の好都合。委敷(くはし)いことは出京の上で。と飽迄(あくまで)も言ひ張る。
『其様(そんな)に今日は御急ぎかね。』
『いえ、ナニ、急ぎといふ訳でも有ませんが――』
 斯(か)ういふ談話(はなし)の様子で、弁護士は大日向の顔に表れる片意地な苦痛を看て取つた。
『では、斯うして呉れ給へ。』と弁護士は考へた。上の渡しを渡ると休茶屋が有る。彼処で一同待合せて、今朝発(た)つ人を送る約束。多分丑松の親友も行つて居る筈(はず)。一歩(ひとあし)先へ出掛けて待つて居て呉れないか。兎(と)に角(かく)丑松を紹介したいから。と呉々も言ふ。『むゝ、そんなら御待ち申しませう。』斯う約束して、とう/\大日向は上らずに行つて了つた。
『大日向も思出したと見えるなあ。』
 と弁護士は独語(ひとりごと)のやうに言つて、旅の仕度に多忙(いそが)しい未亡人や丑松に話して笑つた。
 蓮華寺の庄馬鹿もやつて来た。奥様からの使と言つて、餞別(せんべつ)のしるしに物なぞを呉れた。別に草鞋(わらぢ)一足、雪の爪掛一つ、其は庄馬鹿が手製りにしたもので、ほんの志ばかりに納めて呉れといふ。其時丑松は彼の寺住を思出して、何となく斯人(このひと)にも名残(なごり)が惜まれたのである。過去(すぎさ)つたことを考へると、一緒に蔵裏の内に居た人の生涯(しやうがい)は皆な変つた。住職も変つた。奥様も変つた。お志保も変つた。自分も亦た変つた。独り変らないのは、馬鹿々々と呼ばれる斯人ばかり。斯う丑松は考へ乍ら、斯の何時迄(いつまで)も児童(こども)のやうな、親戚も無ければ妻子も無いといふ鐘楼の番人に長の別離(わかれ)を告げた。
 省吾も来た。手荷物があらば持たして呉れと言ひ入れる。間も無く一台の橇の用意も出来た。遺骨を納めた白木造りの箱は、白い布で巻いた上をまた黒で包んで、成るべく人目に着かないやうにした。橇の上には、斯(こ)の遺骨の外に、蓮太郎が形見のかず/\、其他丑松の手荷物なぞを載せた。世間への遠慮から、未亡人と丑松とは上の渡し迄歩いて、対岸の休茶屋で別に二台の橇を傭(やと)ふことにして、軈て一同『御機嫌克(よ)う』の声に送られ乍ら扇屋を出た。
 霙(みぞれ)は蕭々(しと/\)降りそゝいで居た。橇曳は饅頭笠(まんぢゆうがさ)を冠り、刺子(さしこ)の手袋、盲目縞(めくらじま)の股引といふ風俗で、一人は梶棒、一人は後押に成つて、互に呼吸を合せ乍(なが)ら曳いた。『ホウ、ヨウ』の掛声も起る。丑松は人々と一緒に、先輩の遺骨の後に随いて、雪の上を滑る橇の響を聞き乍ら、静かに自分の一生を考へ/\歩いた。猜疑(うたがひ)、恐怖(おそれ)――あゝ、あゝ、二六時中忘れることの出来なかつた苦痛(くるしみ)は僅かに胸を離れたのである。今は鳥のやうに自由だ。どんなに丑松は冷い十二月の朝の空気を呼吸して、漸(やうや)く重荷を下したやうな其蘇生の思に帰つたであらう。譬(たと)へば、海上の長旅を終つて、陸(をか)に上つた時の水夫の心地(こゝろもち)は、土に接吻(くちづけ)する程の可懐(なつか)しさを感ずるとやら。丑松の情は丁度其だ。いや、其よりも一層(もつと)歓(うれ)しかつた、一層哀しかつた。踏む度にさく/\と音のする雪の上は、確実(たしか)に自分の世界のやうに思はれて来た。

       (二)

 上の渡しの方へ曲らうとする町の角で、一同はお志保に出逢(であ)つた。
 丁度お志保は音作を連れて、留守は音作の女房に頼んで置いて、見送りの為に其処に待合せて居たところ。丑松とお志保――実にこの二人の歓会は傍(はた)で観る人の心にすら深い/\感動を与へたのであつた。冠つて居る帽子を無造作に脱いで、お志保の前に黙礼したは、丑松。清(すゞ)しい、とはいへ涙に霑(ぬ)れた眸(ひとみ)をあげて、丑松の顔を熟視(まも)つたは、お志保。仮令(たとひ)口唇(くちびる)にいかなる言葉があつても、其時の互の情緒(こゝろもち)を表すことは出来なかつたであらう。斯(か)うして現世(このよ)に生きながらへるといふことすら、既にもう不思議な運命の力としか思はれなかつた。まして、さま/″\な境涯を通過(とほりこ)して、復(ま)た逢ふ迄の長い別離(わかれ)を告げる為に、互に可懐(なつか)しい顔と顔とを合せることが出来ようとは。
 丑松の紹介で、お志保は始めて未亡人と弁護士とを知つた。女同志は直に一緒に成つて、言葉を交し乍ら歩き初めた。音作も亦(また)、丑松と弁護士との談話仲間(はなしなかま)に入つて、敬之進の容体などを語り聞せる。正直な、樸訥(ぼくとつ)な、農夫らしい調子で、主人思ひの音作が風間の家のことを言出した時は、弁護士も丑松も耳を傾けた。音作の言ふには、もしも病人に万一のことが有つたら一切は自分で引受けよう、そのかはりお志保と省吾の身の上を頼む――まあ、自分も子は無し、主人の許しは有るし、するからして、あのお末を貰受けて、形見と思つて育(やしな)ふ積りであると話した。
 上の渡しの長い船橋を越えて対岸の休茶屋に着いたは間も無くであつた。そこには銀之助が早くから待受けて居た。例の下高井の大尽も出て迎へる。弁護士が丑松に紹介した斯(こ)の大日向といふ人は、見たところ余り価値(ねうち)の無ささうな――丁度田舎の漢方医者とでも言つたやうな、平凡な容貌(かほつき)で、これが亜米利加(アメリカ)の『テキサス』あたりへ渡つて新事業を起さうとする人物とは、いかにしても受取れなかつたのである。しかし、言葉を交して居るうちに、次第に丑松は斯人(このひと)の堅実(たしか)な、引締つた、どうやら底の知れないところもある性質を感得(かんづ)くやうに成つた。大日向は『テキサス』にあるといふ日本村のことを丑松に語り聞せた。北佐久の地方から出て遠く其日本村へ渡つた人々のことを語り聞せた。一人、相応の資産ある家に生れて、東京麻布の中学を卒業した青年も、矢張其渡航者の群に交つたことなぞを語り聞せた。
『へえ、左様(さう)でしたか。』と大日向は鷹匠町の宿のことを言出して笑つた。『貴方も彼処(あすこ)の家に泊つておいででしたか。いや、彼時は酷(ひど)い熱湯(にえゆ)を浴せかけられましたよ。実は、私も、彼様いふ目に逢はせられたもんですから、其が深因(もと)で今度の事業(しごと)を思立つたやうな訳なんです。今でこそ斯うして笑つて御話するやうなものゝ、どうして彼時は――全く、残念に思ひましたからなあ。』
 盛んな笑声は腰掛けて居る人々の間に起つた。其時、大日向は飛んだところで述懐を始めたと心付いて、苦々しさうに笑つて、丑松と一緒にそこへ腰掛けた。
『かみさん――それでは先刻(さつき)のものを茲(こゝ)へ出して下さい。』
 と銀之助は指図する。『お見立(みたて)』と言つて、別離(わかれ)の酒を斯の江畔(かうはん)の休茶屋で酌交(くみかは)すのは、送る人も、送られる人も、共に/\長く忘れまいと思つたことであつたらう。銀之助は其朝の亭主役、早くから来てそれ/″\の用意、万事無造作な書生流儀が反つて熱(あたゝか)い情を忍ばせたのである。
『いろ/\君には御世話に成つた。』と丑松は感慨に堪へないといふ調子で言つた。
『それは御互ひサ。』と銀之助は笑つて、『しかし、斯うして君を送らうとは、僕も思ひがけなかつたよ。送別会なぞをして貰つた僕の方が反(かへ)つて君よりは後に成つた。はゝゝゝゝ――人の一生といふ奴は実際解らないものさね。』
『いづれ復(ま)た東京で逢はう。』と丑松は熱心に友達の顔を眺(なが)める。
『あゝ、其内に僕も出掛ける。さあ何(なんに)もないが一盃(いつぱい)飲んで呉れ給へ。』と言つて、銀之助は振返つて見て、『お志保さん、済(す)みませんが、一つ御酌(おしやく)して下さいませんか。』
 お志保は酒瓶(てうし)を持添へて勧めた。歓喜(よろこび)と哀傷(かなしみ)とが一緒になつて小な胸の中を往来するといふことは、其白い、優しい手の慄(ふる)へるのを見ても知れた。
『貴方(あなた)も一つ御上りなすつて下さい。』と銀之助は可羞(はづか)しがるお志保の手から無理やりに酒瓶(てうし)を受取つて、かはりに盃を勧め乍ら、『さあ、僕が御酌しませう。』
『いえ、私は頂けません。』とお志保は盃を押隠すやうにする。
『そりや不可(いけない)。』と大日向は笑ひ乍ら言葉を添へた。『斯(か)ういふ時には召上るものです。真似でもなんでも好う御座んすから、一つ御受けなすつて下さい。』
『ほんのしるしでサ。』と弁護士も横から。
『何卒(どうぞ)、それでは、少許(ぽつちり)頂かせて下さい。』
 と言つて、お志保は飲む真似をして、紅(あか)くなつた。

       (三)

 次第に高等四年の生徒が集つて来た。其日の出発を聞伝へて、せめて見送りしたいといふ可憐な心根から、いづれも丑松を慕つてやつて来たのである。丑松は頬の紅い少年と少年との間をあちこちと歩いて、別離(わかれ)の言葉を交換(とりかは)したり、ある時は一つところに佇立(たちとゞま)つて、是(これ)から将来(さき)のことを話して聞せたり、ある時は又た霙(みぞれ)の降るなかを出て、枯々(かれ/″\)な岸の柳の下に立つて、船橋を渡つて来る生徒の一群(ひとむれ)を待ち眺(なが)めたりした。
 蓮華寺で撞く鐘の音が起つた。第二の鐘はまた冬の日の寂寞(せきばく)を破つて、千曲川の水に響き渡つた。軈て其音が波うつやうに、次第に拡つて、遠くなつて、終(しまひ)に霙の空に消えて行く頃、更に第三の音が震動(ふる)へるやうに起る――第四――第五。あゝ庄馬鹿は今あの鐘楼に上つて撞き鳴らすのであらう。それは丑松の為に長い別離(わかれ)を告げるやうにも、白々と明初(あけそ)めた一生のあけぼのを報せるやうにも聞える。深い、森厳(おごそか)な音響に胸を打たれて、思はず丑松は首を垂れた。
 第六――第七。
 詞(ことば)の無い声は聞くものゝ胸から胸へ伝(つたは)つた。送る人も、送られる人も、暫時(しばらく)無言の思を取交したのである。
 やがて橇(そり)の用意も出来たといふ。丑松は根津村に居る叔父夫婦のことを銀之助に話して、嘸(さぞ)あの二人も心配して居るであらう、もし自分の噂(うはさ)が姫子沢へ伝つたら、其為に叔父夫婦は奈何(どん)な迷惑を蒙(かうむ)るかも知れない、ひよつとしたら彼村(あのむら)には居られなくなる――奈何(どう)したものだらう。斯う言出した。『其時はまた其時さ。』と銀之助は考へて、『万事大日向さんに頼んで見給へ。もし叔父さんが根津に居られないやうだつたら、下高井の方へでも引越して行くさ。もう斯うなつた以上は、心配したつて仕方が無い――なあに、君、どうにか方法は着くよ。』
『では、其話をして置いて呉れ給へな。』
『宜(よろ)しい。』
 斯う引受けて貰ひ、それから例の『懴悔録』はいづれ東京へ着いた上、新本を求めて、お志保のところへ送り届けることにしよう、と約束して、軈(やが)て丑松は未亡人と一緒に見送りの人々へ別離(わかれ)を告げた。弁護士、大日向、音作、銀之助、其他生徒の群はいづれも三台の橇(そり)の周囲(まはり)に集つた。お志保は蒼(あを)ざめて、省吾の肩に取縋(とりすが)り乍ら見送つた。
『さあ、押せ、押せ。』と生徒の一人は手を揚げて言つた。
『先生、そこまで御供しやせう。』とまた一人の生徒は橇の後押棒に掴(つかま)つた。
 いざ、出掛けようとするところへ、準教員が霙の中を飛んで来て、生徒一同に用が有るといふ。
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