破戒
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:島崎藤村 

 斯(か)うして待つて居る間が実に堪へがたい程の長さであつた。時は遅く移り過ぎた。そこに居た橇曳が出て行つて了ふと、交替(いれかはり)に他の男が入つて来る。聞くとも無しに其話を聞くと、高柳一派の運動は非常なもので、壮士に掴ませる金ばかりでもちつとやそつとでは有るまいとのこと。何屋とかを借りて、事務所に宛てゝ、料理番は詰切(つめきり)、酒は飲放題(のみはうだい)、帰つて来る人、出て行く人――其混雑は一通りで無いと言ふ。それにしても、今夜の演説会が奈何(どんな)に町の人々を動すであらうか、今頃はあの先輩の男らしい音声が法福寺の壁に響き渡るであらうか、と斯う想像して、会も終に近くかと思はれる頃、丑松は飲食(のみくひ)したものゝ外に幾干(いくら)かの茶代を置いて斯(こ)の饂飩屋を出た。
 月は空にあつた。今迄黄ばんだ洋燈(ランプ)の光の内に居て、急に斯(か)う屋(うち)の外へ飛出して見ると、何となく勝手の違つたやうな心地がする。薄く弱い月の光は家々の屋根を伝つて、往来の雪の上に落ちて居た。軒廂(のきびさし)の影も地にあつた。夜の靄(もや)は煙のやうに町々を籠めて、すべて遠く奥深く物寂しく見えたのである。青白い闇――といふことが言へるものなら、其は斯ういふ月夜の光景(ありさま)であらう。言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)は丑松の胸に這ひ上つて来た。
 時とすると、背後(うしろ)の方からやつて来るものが有つた。是方(こちら)が徐々(そろ/\)歩けば先方(さき)も徐々歩き、是方が急げば先方も急いで随(つ)いて来る。振返つて見よう/\とは思ひ乍らも、奈何(どう)しても其を為(す)ることが出来ない。あ、誰か自分を捕(つかま)へに来た。斯う考へると、何時の間にか自分の背後(うしろ)へ忍び寄つて、突然(だしぬけ)に襲ひかゝりでも為るやうな気がした。とある町の角のところ、ぱつたり其足音が聞えなくなつた時は、始めて丑松も我に帰つて、ホツと安心の溜息を吐(つ)くのであつた。
 前の方からも、亦(また)。あゝ月明りのおぼつかなさ。其光には何程(どれほど)の物の象(かたち)が見えると言つたら好からう。其陰には何程の色が潜んで居ると言つたら好からう。煙るやうな夜の空気を浴び乍ら、次第に是方(こちら)へやつて来る人影を認めた時は、丑松はもう身を縮(すく)めて、危険の近(ちかづ)いたことを思はずには居られなかつたのである。一寸是方を透して視て、軈て影は通過ぎた。
 それは割合に気候の緩(ゆる)んだ晩で、打てば響くかと疑はれるやうな寒夜の趣とは全く別の心地がする。天は遠く濁つて、低いところに集る雲の群ばかり稍(やゝ)仄白(ほのじろ)く、星は隠れて見えない中にも唯一つ姿を顕(あらは)したのがあつた。往来に添ふ家々はもう戸を閉めた。ところ/″\灯は窓から泄(も)れて居た。何の音とも判らない夜の響にすら胸を踊らせ乍ら、丑松は□(しん)とした町を通つたのである。

       (二)

 丁度演説会が終つたところだ。聴衆の群は雪を踏んでぞろ/\帰つて来る。思ひ/\のことを言ふ人々に近いて、其となく会の模様を聞いて見ると、いづれも激昂したり、憤慨したりして、一人として高柳を罵(のゝし)らないものは無い。あるものは斯の飯山から彼様(あん)な人物を放逐して了(しま)へと言ふし、あるものは市村弁護士に投票しろと呼ぶし、あるものは又、世にある多くの政事家に対して激烈な絶望を泄(もら)し乍ら歩くのであつた。
 月明りに立留つて話す人々も有る。其一群(ひとむれ)に言はせると、蓮太郎の演説はあまり上手の側では無いが、然し妙に人を□(ひきつけ)る力が有つて、言ふことは一々聴衆の肺腑を貫いた。高柳派の壮士、六七人、頻(しきり)に妨害を試みようとしたが、終(しまひ)には其も静(しづま)つて、水を打つたやうに成つた。悲壮な熱情と深刻な思想とは蓮太郎の演説を通しての著しい特色であつた。時とすると其が病的にも聞えた。最後に蓮太郎は、不真面目な政事家が社会を過(あやま)り人道を侮辱する実例として、烈しく高柳の急所をつ衝(つ)いた。高柳の秘密――六左衛門との関係――すべて其卑しい動機から出た結婚の真相が残るところなく発表された。
 また他の一群に言はせると、其演説をして居る間、蓮太郎は幾度か血を吐いた。終つて演壇を下りる頃には、手に持つた□子(ハンケチ)が紅く染つたとのことである。
 兎に角、蓮太郎の演説は深い感動を町の人々に伝へたらしい。丑松は先輩の大胆な、とは言へ男性(をとこ)らしい行動(やりかた)に驚いて、何となく不安な思を抱かずには居られなかつたのである。それにしても最早(もう)宿屋の方に帰つて居る時刻。行つて逢(あ)はう。斯う考へて、夢のやうに歩いた。ぶらりと扇屋の表に立つて、軒行燈の影に身を寄せ乍ら、屋内(なか)の様子を覗(のぞ)いて見ると、何か斯う取込んだことでも有るかのやうに人々が出たり入つたりして居る。亭主であらう、五十ばかりの男、周章(あわたゞ)しさうに草履を突掛け乍ら、提灯(ちやうちん)携げて出て行かうとするのであつた。
 呼留めて、蓮太郎のことを尋ねて見て、其時丑松は亭主の口から意外な報知(しらせ)を聞取つた。今々法福寺の門前で先輩が人の為に襲はれたといふことを聞取つた。真実(ほんと)か、虚言(うそ)か――もし其が事実だとすれば、無論高柳の復讐(ふくしう)に相違ない。まあ、丑松は半信半疑。何を考へるといふ暇も無く、たゞ/\胸を騒がせ乍ら、亭主の後に随(つ)いて法福寺の方へと急いだのである。
 あゝ、丑松が駈付けた時は、もう間に合はなかつた。丑松ばかりでは無い、弁護士ですら間に合はなかつたと言ふ。聞いて見ると、蓮太郎は一歩(ひとあし)先へ帰ると言つて外套(ぐわいたう)を着て出て行く、弁護士は残つて後仕末を為(し)て居たとやら。傷といふは石か何かで烈しく撃たれたもの。只(たゞ)さへ病弱な身、まして疲れた後――思ふに、何の抵抗(てむかひ)も出来なかつたらしい。血は雪の上を流れて居た。

       (三)

 左(と)も右(かく)も検屍(けんし)の済む迄(まで)は、といふので、蓮太郎の身体は外套で掩(おほ)ふた儘(まゝ)、手を着けずに置いてあつた。思はず丑松は跪(ひざまづ)いて、先輩の耳の側へ口を寄せた。まだそれでも通じるかと声を掛けて見る。
『先生――私です、瀬川です。』
 何と言つて呼んで見ても、最早聞える気色(けしき)は無かつたのである。
 月の光は青白く落ちて、一層凄愴(せいさう)とした死の思を添へるのであつた。人々は同じやうに冷い光と夜気とを浴び乍ら、巡査や医者の来るのを待佗(まちわ)びて居た。あるものは影のやうに蹲(うづくま)つて居た。あるものは並んで話し/\歩いて居た。弁護士は悄然(しよんぼり)首を垂れて、腕組みして、物も言はずに突立つて居た。
 軈て町の役人が来る、巡査が来る、医者が来る、間も無く死体の検査が始つた。提灯の光に照された先輩の死顔は、と見ると、頬の骨隆(たか)く、鼻尖り、堅く結んだ口唇は血の色も無く変りはてた。男らしい威厳を帯びた其容貌(おもばせ)のうちには、何処となく暗い苦痛の影もあつて、壮烈な最後の光景(ありさま)を可傷(いたま)しく想像させる。見る人は皆な心を動された。万事は侠気(をとこぎ)のある扇屋の亭主の計らひで、検屍が済む、役人達が帰つて行く、一先づ死体は宿屋の方へ運ばれることに成つた。戸板の上へ載せる為に、弁護士は足の方を持つ、丑松は頭の方へ廻つて、両手を深く先輩の脇の下へ差入れた。あゝ、蓮太郎の身体は最早冷かつた。奈何(どんな)に丑松は名残惜しいやうな気に成つて、蒼(あを)ざめた先輩の頬へ自分の頬を押宛てゝ、『先生、先生。』と呼んで見たらう。其時亭主は傍へ寄つて、だらりと垂れた蓮太郎の手を胸の上に組合せてやつた。斯うして戸板に載せて、其上から外套を懸けて、扇屋を指して出掛けた頃は、月も落ちかゝつて居た。人々は提灯の光に夜道を照し乍ら歩いた。丑松は亦たさく/\と音のする雪を踏んで、先輩の一生を考へ乍ら随(つ)いて行つた。思当ることが無いでも無い。あの根村の宿屋で一緒に夕飯(ゆふめし)を食つた時、頻に先輩は高柳の心を卑(いやし)で[#「卑(いやし)で」はママ]、『是程新平民といふものを侮辱した話は無からう』と憤つたことを思出した。あの上田の停車場(ステーション)へ行く途中、丁度橋を渡つた時にも、『どうしても彼様(あん)な男に勝たせたく無い、何卒(どうか)して斯(こ)の選挙は市村君のものにして遣りたい』と言つたことを思出した。『いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、踏付けられるにも程が有る』と言つたことを思出した。『高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ』と言つたことを思出した。それから彼(あ)の細君が一緒に東京へ帰つて呉れと言出した時に、先輩は叱つたり□(はげま)したりして、丁度生木(なまき)を割(さ)くやうに送り返したことを思出した。彼是(かれこれ)を思合せて考へると――確かに先輩は人の知らない覚期(かくご)を懐にして、斯(こ)の飯山へ来たらしいのである。
 斯ういふことゝ知つたら、もうすこし早く自分が同じ新平民の一人であると打明けて話したものを。あるひは其を為たら、自分の心情(こゝろもち)が先輩の胸にも深く通じたらうものを。
 後悔は何の益(やく)にも立たなかつた。丑松は恥ぢたり悲んだりした。噫(あゝ)、数時間前には弁護士と一緒に談(はな)し乍ら扇屋を出た蓮太郎、今は戸板に載せられて其同じ門を潜るのである。不取敢(とりあへず)、東京に居る細君のところへ、と丑松は引受けて、電報を打つ為に郵便局の方へ出掛けることにした。夜は深かつた。往来を通る人の影も無かつた。是非打たう。局員が寝て居たら、叩(たゝ)き起しても打たう。それにしても斯(この)電報を受取る時の細君の心地(こゝろもち)は。と想像して、さあ何と文句を書いてやつて可(いゝ)か解らない位であつた。暗く寂(さみ)しい四辻の角のところへ出ると、頻に遠くの方で犬の吠(ほえ)る声が聞える。其時はもう自分で自分を制(おさ)へることが出来なかつた。堪へ難い悲傷(かなしみ)の涙は一時に流れて来た。丑松は声を放つて、歩き乍ら慟哭(どうこく)した。

       (四)

 涙は反(かへ)つて枯れ萎(しを)れた丑松の胸を湿(うるほ)した。電報を打つて帰る道すがら、丑松は蓮太郎の精神を思ひやつて、其を自分の身に引比べて見た。流石(さすが)に先輩の生涯(しやうがい)は男らしい生涯であつた。新平民らしい生涯であつた。有の儘(まゝ)に素性を公言して歩いても、それで人にも用ゐられ、万(よろづ)許されて居た。『我は穢多を恥とせず。』――何といふまあ壮(さか)んな思想(かんがへ)だらう。其に比べると自分の今の生涯は――
 其時に成つて、始めて丑松も気がついたのである。自分は其を隠蔽(かく)さう隠蔽さうとして、持つて生れた自然の性質を銷磨(すりへら)して居たのだ。其為に一時(いつとき)も自分を忘れることが出来なかつたのだ。思へば今迄の生涯は虚偽(いつはり)の生涯であつた。自分で自分を欺(あざむ)いて居た。あゝ――何を思ひ、何を煩ふ。『我は穢多なり』と男らしく社会に告白するが好いではないか。斯う蓮太郎の死が丑松に教へたのである。
 紅(あか)く泣腫(なきはら)した顔を提げて、やがて扇屋へ帰つて見ると、奥の座敷には種々(さま/″\)な人が集つて後の事を語り合つて居た。座敷の床の間へ寄せ、北を枕にして、蓮太郎の死体の上には旅行用の茶色の膝懸(ひざかけ)をかけ、顔は白い□布(ハンケチ)で掩(おほ)ふてあつた。亭主の計らひと見えて、其前に小机を置き、土器(かはらけ)の類(たぐひ)も新しいのが載せてある。線香の煙に交る室内の夜の空気の中に、蝋燭(らふそく)の燃(とぼ)るのを見るも悲しかつた。
 警察署へ行つた弁護士も帰つて来て、蓮太郎のことを丑松に話した。上田の停車場(ステーション)で別れてから以来(このかた)、小諸(こもろ)、岩村田、志賀、野沢、臼田、其他到るところに蓮太郎が精(くは)しい社会研究を発表したこと、それから長野へ行き斯の飯山へ来る迄の元気の熾盛(さかん)であつたことなぞを話した。『実に我輩も意外だつたね。』と弁護士は思出したやうに、『一緒に斯処(こゝ)の家(うち)を出て法福寺へ行く迄も、彼様(あん)な烈しいことを行(や)らうとは夢にも思はなかつた。毎時(いつも)演説の前には内容(なかみ)の話が出て、斯様(かう)言ふ積りだとか、彼様(あゝ)話す積りだとか、克(よ)く飯をやり乍ら其を我輩に聞かせたものさ。ところが、君、今夜に限つては其様(そん)な話が出なかつたからねえ。』と言つて、嘆息して、『あゝ、不親切な男だと、君始め――まあ奈何(どん)な人でも、我輩のことを左様思ふだらう。思はれても仕方無い。全く我輩が不親切だつた。猪子君が何と言はうと、細君と一緒に東京へ返しさへすれば斯様(こん)なことは無かつた。御承知の通り、猪子君も彼様(あゝ)いふ弱い身体だから、始め一緒に信州を歩くと言出した時に、何(ど)の位(くらゐ)我輩が止めたか知れない。其時猪子君の言ふには、「僕は僕だけの量見があつて行くのだから、決して止めて呉れ給ふな。君は僕を使役(つか)ふと見てもよし、僕はまた君から助けられると見られても可(いゝ)――兎(と)に角(かく)、君は君で働き、僕は僕で働くのだ。」斯ういふものだから、其程熱心に成つて居るものを強ひて廃(よ)し給へとも言はれんし、折角の厚意を無にしたくないと思つて、それで一緒に歩いたやうな訳さ。今になつて見ると、噫(あゝ)、あの細君に合せる顔が無い。「奥様(おくさん)、其様に御心配なく、猪子君は確かに御預りしましたから」なんて――まあ我輩は奈何(どう)して御詑(おわび)をして可(いゝ)か解らん。』
 斯う言つて、萎(しを)れて、肥大な弁護士は洋服の儘(まゝ)でかしこまつて居た。其時は最早(もう)この扇屋に泊る旅人も皆な寝て了つて、たゞさへ気の遠くなるやうな冬の夜が一層(ひとしほ)の寂しさを増して来た。日頃新平民と言へば、直に顔を皺(しか)めるやうな手合にすら、蓮太郎ばかりは痛み惜まれたので、殊に其悲惨な最後が深い同情の念を起させた。『警察だつても黙つて置くもんぢや無い。見給へ、きつと最早(もう)高柳の方へ手が廻つて居るから。』と人々は互に言合ふのであつた。
 見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は死んだ先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるやうな心地がした。告白――それは同じ新平民の先輩にすら躊躇(ちうちよ)したことで、まして社会の人に自分の素性を暴露(さらけだ)さうなぞとは、今日迄(こんにちまで)思ひもよらなかつた思想(かんがへ)なのである。急に丑松は新しい勇気を掴(つか)んだ。どうせ最早今迄の自分は死んだものだ。恋も捨てた、名も捨てた――あゝ、多くの青年が寝食を忘れる程にあこがれて居る現世の歓楽、それも穢多の身には何の用が有らう。一新平民――先輩が其だ――自分も亦た其で沢山だ。斯う考へると同時に、熱い涙は若々しい頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちる。実にそれは自分で自分を憐むといふ心から出た生命(いのち)の汗であつたのである。
 いよ/\明日は、学校へ行つて告白(うちあ)けよう。教員仲間にも、生徒にも、話さう。左様だ、其を為るにしても、後々までの笑草なぞには成らないやうに。成るべく他(ひと)に迷惑を掛けないやうに。斯う決心して、生徒に言つて聞かせる言葉、進退伺に書いて出す文句、其他種々(いろ/\)なことまでも想像して、一夜を人々と一緒に蓮太郎の遺骸(なきがら)の前で過したのであつた。彼是(かれこれ)するうちに、鶏が鳴いた。丑松は新しい暁の近いたことを知つた。


   第弐拾壱章

       (一)

 学校へ行く準備(したく)をする為に、朝早く丑松は蓮華寺へ帰つた。庄馬鹿を始め、子坊主迄、談話(はなし)は蓮太郎の最後、高柳の拘引(こういん)の噂(うはさ)なぞで持切つて居た。昨日の朝丑松の留守へ尋ねて来た客が亡(な)くなつた其人である、と聞いた時は、猶々(なほ/\)一同驚き呆(あき)れた。丑松はまた奥様から、妹が長野の方へ帰るやうに成つたこと、住職が手を突いて詑入(わびい)つたこと、それから夫婦別れの話も――まあ、見合せにしたといふことを聞取つた。
『なむあみだぶ。』
 と奥様は珠数(ずゝ)を爪繰(つまぐ)り乍ら唱(とな)へて居た。
 丁度十二月朔日(ついたち)のことで、いつも寺では早く朝飯(あさはん)を済(すま)すところからして、丑松の部屋へも袈裟治が膳を運んで来た。斯(か)うして寺の人と同じやうに早く食ふといふことは、近頃無いためし――朝は必ず生温(なまあたゝか)い飯に、煮詰つた汁と極(きま)つて居たのが、其日にかぎつては、飯も焚きたての気(いき)の立つやつで、汁は又、煮立つたばかりの赤味噌のにほひが甘(うま)さうに鼻の端(さき)へ来るのであつた。小皿には好物の納豆も附いた。其時丑松は膳に向ひ乍ら、兎(と)も角(かく)も斯うして生きながらへ来た今日迄(こんにちまで)を不思議に難有(ありがた)く考へた。あゝ、卑賤(いや)しい穢多の子の身であると覚期すれば、飯を食ふにも我知らず涙が零(こぼ)れたのである。
 朝飯の後、丑松は机に向つて進退伺を書いた。其時一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)はうと、決して其とは自白(うちあ)けるな、一旦の憤怒(いかり)悲哀(かなしみ)に是戒(このいましめ)を忘れたら、其時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思へ。』斯う父は教へたのであつた。『隠せ』――其を守る為には今日迄何程(どれほど)の苦心を重ねたらう。『忘れるな』――其を繰返す度に何程の猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とを抱いたらう。もし父が斯(こ)の世に生きながらへて居たら、まあ気でも狂つたかのやうに自分の思想(かんがへ)の変つたことを憤り悲むであらうか、と想像して見た。仮令(たとひ)誰が何と言はうと、今はその戒を破り棄てる気で居る。
『阿爺(おとつ)さん、堪忍(かんにん)して下さい。』
 と詑入るやうに繰返した。
 冬の朝日が射して来た。丑松は机を離れて窓の方へ行つた。障子(しやうじ)を開けて眺めると、例の銀杏(いてふ)の枯々(かれ/″\)な梢(こずゑ)を経(へだ)てゝ、雪に包まれた町々の光景(ありさま)が見渡される。板葺(いたぶき)の屋根、軒廂(のきびさし)、すべて目に入るかぎりのものは白く埋れて了つて、家と家との間からは青々とした朝餐(あさげ)の煙が静かに立登つた。小学校の建築物(たてもの)も、今、日をうけた。名残惜(なごりを)しいやうな気に成つて、冷(つめた)く心地(こゝろもち)の好い朝の空気を呼吸し乍ら、やゝしばらく眺め入つて居たが、不図胸に浮んだは蓮太郎の『懴悔録』、開巻第一章、『我は穢多なり』と書起してあつたのを今更のやうに新しく感じて、丁度この町の人々に告白するやうに、其文句を窓のところで繰返した。
『我は穢多なり。』
 ともう一度繰返して、それから丑松は学校へ行く準備(したく)にとりかゝつた。

       (二)

 破戒――何といふ悲しい、壮(いさま)しい思想(かんがへ)だらう。斯(か)う思ひ乍ら、丑松は蓮華寺の山門を出た。とある町の角のところまで歩いて行くと、向ふの方から巡査に引かれて来る四五人の男に出逢(であ)つた。いづれも腰繩を附けられ、蒼(あを)ざめた顔付して、人目を憚(はゞか)り乍ら悄々(しを/\)と通る。中に一人、黒の紋付羽織、白足袋穿(ばき)、顔こそ隠して見せないが、当世風の紳士姿は直に高柳利三郎と知れた。克(よ)く見ると、一緒に引かれて行く怪しげな風体の人々は、高柳の為に使役(つか)はれた壮士らしい。流石に心は後へ残るといふ風で、時々立留つては振返つて見る度に、巡査から注意をうけるやうな手合もあつた。『あゝ、捕つて行くナ。』と丑松の傍に立つて眺めた一人が言つた。『自業自得さ。』とまた他の一人が言つた。見る/\高柳の一行は巡査の言ふなりに町の角を折れて、軈(やが)て雪山の影に隠れて了つた。
 男女の少年は今、小学校を指して急ぐのであつた。近在から通ふ児童(こども)なぞは、絨(フランネル)の布片(きれ)で頭を包んだり、肩掛を冠つたりして、声を揚げ乍ら雪の中を飛んで行く。町の児童(こども)は又、思ひ/\に誘ひ合せて、後になり前になり群を成して行つた。斯(か)うして邪気(あどけ)ない生徒等と一緒に、通(かよ)ひ忸(な)れた道路を歩くといふのも、最早今日限りであるかと考へると、目に触れるものは総(すべ)て丑松の心に哀(かな)し可懐(なつか)しい感想(かんじ)を起させる。平素(ふだん)は煩(うるさ)いと思ふやうな女の児の喋舌(おしやべり)まで、其朝にかぎつては、可懐しかつた。色の褪(さ)めた海老茶袴(えびちやばかま)を眺めてすら、直に名残惜しさが湧上つたのである。
 学校の運動場には雪が山のやうに積上げてあつた。木馬や鉄棒(かなぼう)は深く埋没(うづも)れて了(しま)つて、屋外(そと)の運動も自由には出来かねるところからして、生徒はたゞ学校の内部(なか)で遊んだ。玄関も、廊下も、広い体操場も、楽しさうな叫び声で満ち溢(あふ)れて居た。授業の始まる迄(まで)、丑松は最後の監督を為る積りで、あちこち/\と廻つて歩くと、彼処(あそこ)でも瀬川先生、此処(こゝ)でも瀬川先生――まあ、生徒の附纏(つきまと)ふのは可愛らしいもので、飛んだり跳(は)ねたりする騒がしさも名残と思へば寧(いつ)そいぢらしかつた。廊下のところに立つた二三の女教師、互にじろ/\是方(こちら)を見て、目と目で話したり、くす/\笑つたりして居たが、別に丑松は気にも留めないのであつた。其朝は三年生の仙太も早く出て来て体操場の隅に悄然(しよんぼり)として居る。他の生徒を羨ましさうに眺め佇立(たゝず)んで居るのを見ると、不相変(あひかはらず)誰も相手にするものは無いらしい。丑松は仙太を背後(うしろ)から抱〆(だきしめ)て、誰が見ようと笑はうと其様(そん)なことに頓着なく、自然(おのづ)と外部(そと)に表れる深い哀憐(あはれみ)の情緒(こゝろ)を寄せたのである。この不幸な少年も矢張自分と同じ星の下に生れたことを思ひ浮べた。いつぞやこの少年と一緒に庭球(テニス)の遊戯(あそび)をして敗けたことを思ひ浮べた。丁度それは天長節の午後、敬之進を送る茶話会の後であつたことなどを思ひ浮べた、不図、廊下の向ふの方で、尋常一年あたりの女の生徒であらう、揃つて歌ふ無邪気な声が起つた。
『桃から生れた桃太郎、
 気はやさしくて、力もち――』
 その唱歌を聞くと同時に、思はず涙は丑松の顔を流れた。
 大鈴の音が響き渡つたのは間も無くであつた。生徒は互ひに上草履鳴して、我勝(われがち)に体操場へと塵埃(ほこり)の中を急ぐ。軈(やが)て男女の教師は受持受持の組を集めた。相図の笛(ふえ)も鳴つた。次第に順を追つて、教師も生徒も動き始めたのである。高等四年の生徒は丑松の後に随(つ)いて、足拍子そろへて、一緒に長い廊下を通つた。

       (三)

 応接室には校長と郡視学とが相対(さしむかひ)に成つて、町会議員の来るのを待受けて居た。それは丑松のことに就いて、集つて相談したい、といふ打合せが有つたからで。尤(もつと)も、郡視学は約束の時間よりも早く、校長を尋ねてやつて来たのである。
 校長に言はせると、何も自分は悪意あつて異分子を排斥するといふ訳では無い。自分はもう旧派の教育者と言はれる一人で、丑松や銀之助なぞとはずつと時代が違つて居る。今日とても矢張自分等の時代で有ると言ひたいが、実は何時(いつ)の間にか世の中が変遷(うつりかは)つて来た。何が可畏(こは)いと言つたつて、新しい時代ほど可畏いものは無い。あゝ、老いたくない、朽(く)ちたくない、何時迄(いつまで)も同じ位置と名誉とを保つて居たい、後進の書生輩などに兜(かぶと)を脱いで降参したくない。それで校長は進取の気象に富んだ青年教師を遠ざけようとする傾向(かたむき)を持つのである。
 のみならず、丑松や銀之助は彼の文平のやうに自分の意を迎へない。教員会のある度に、意見が克(よ)く衝突する。何かにつけて邪魔に成る。彼様(あん)な喙(くちばし)の黄色い手合が、校長の自分よりも生徒に慕はれて居るとあつては、第一それが小癪に触る。何も悪意あつて排斥するでは無いが、学校の統一といふ上から言ふと、是(これ)も亦(ま)た止むを得ん――斯う校長は身の衛(まも)りかたを考へたので。
『町会議員も最早(もう)見えさうなものだ。』と郡視学は懐中時計を取出して眺め乍ら言つた。『時に、瀬川君のこともいよ/\物に成りさうですかね。』
 この『物に』が校長を笑はせた。
『しかし。』と郡視学は言葉を継(つ)いで、『是方(こつち)から其を言出しては面白くない。町の方から言出すやうになつて来なければ面白くない。』
『其です。其を私も思ふんです。』と校長は熱心を顔に表して答へた。
『見給へ。瀬川君が居なくなる、土屋君が居なくなる、左様(さう)なれば君もう是方(こつち)のものさ。瀬川君のかはりには彼(あ)の甥(をひ)を使役(つか)つて頂くとして、手の明いたところへは必ず僕が適当な人物を周旋しますよ。まあ、悉皆(すつかり)吾党で固めて了はうぢや有ませんか。左様(さう)して置きさへすれば、君の位置は長く動きませんし、僕も亦(ま)た折角心配した甲斐(かひ)があるといふもんです――はゝゝゝゝ。』
 斯ういふ談話(はなし)をして居るところへ、小使が戸を開けて入つて来た。続いて三人の町会議員もあらはれた。
『さあ、何卒(どうぞ)是方(こちら)へ。』と校長は椅子を離れて丁寧に挨拶する。
『いや、どうも遅なはりまして、失礼しました。』と金縁の眼鏡を掛けた議員が快濶(くわいくわつ)な調子で言つた。『実は、高柳君も彼様いふやうな訳で、急に選挙の模様が変りましたものですから。』

       (四)

 其日、長野の師範校の生徒が二十人ばかり、参観と言つて学校の廊下を往つたり来たりした。丑松が受持の教室へも入つて来た。丁度高等四年では修身の学課を終つて、二時間目の数学に取掛つたところで、生徒は頻(しきり)に問題を考へて居る最中。参観人の群が戸を開けてあらはれた時は、一時靴の音で妨げられたが、軈(やが)て其も静つてもとの通りに成つた。寂(しん)とした教室の内には、石盤を滑る石筆の音ばかり。丑松は机と机との間を歩いて、名残惜しさうに一同の監督をした。時々参観人の方を注意して見ると、制服着た連中がずらりと壁に添ふて並んで、いづれも一廉(いつぱし)の批評家らしい顔付。楽しい学生時代の種々(さま/″\)は丑松の眼前(めのまへ)に彷彿(ちらつ)いて来た。丁度自分も同級の人達と一緒に、師範校の講師に連れられて、方々へ参観に出掛けた当時のことを思ひ浮べた。残酷な、とは言へ罪の無い批評をして、到るところの学校の教師を苦めたことを思ひ浮べた。丑松とても一度は斯の参観人と同じ制服を着た時代があつたのである。
『出来ましたか――出来たものは手を挙げて御覧なさい。』
 といふ丑松の声に応じて、後列の方の級長を始め、すこし覚束ないと思はれるやうな生徒まで、互に争つて手を挙げた。あまり数学の出来る方でない省吾までも、めづらしく勇んで手を挙げた。
『風間さん。』
 と指名すると、省吾は直に席を離れて、つか/\と黒板の前へ進んだ。
 冬の日の光は窓の玻璃(ガラス)を通して教へ慣(な)れた教室の内を物寂しく照して見せる。平素(ふだん)は何の感想(かんじ)をも起させない高い天井から、四辺(まはり)の白壁まで、すべて新しく丑松の眼に映つた。正面に懸けてある黒板の前に立つて、白墨で解答(こたへ)を書いて居る省吾の後姿は、と見ると、実に今が可愛らしい少年の盛り、肩揚のある筒袖羽織(つゝそでばおり)を着て、首すこし傾(かし)げ、左の肩を下げ、高いところへ数字を書かうとする度に背延びしては右の手を届かせるのであつた。省吾は克く勉強する質(たち)の生徒で、図画とか、習字とか、作文とかは得意だが、毎時(いつも)理科や数学で失敗(しくじ)つて、丁度十五六番といふところを上つたり下つたりして居る。不思議にも其日は好く出来た。
『是と同じ答の出たものは手を挙げて御覧なさい。』
 後列の方の生徒は揃つて手を挙げた。省吾は少許(すこし)顔を紅(あか)くして、やがて自分の席へ復(もど)つた。参観人は互に顔を見合せ乍ら、意味の無い微笑(ほゝゑみ)を交換(とりかは)して居たのである。
 斯(か)ういふことを繰返して、問題を出したり、説明して聞かせたりして、数学の時間を送つた。其日に限つては、妙に生徒一同が静粛で、参観人の居ない最初の時間から悪戯(わるふざけ)なぞを為るものは無かつた。極(きま)りで居眠りを始める生徒や、狐鼠々々(こそ/\)机の下で無線電話をかける技師までが、唯もう行儀よくかしこまつて居た。噫(あゝ)、生徒の顔も見納め、教室も見納め、今は最後の稽古をする為に茲(こゝ)に立つて居る、と斯(か)う考へると、自然(おのづ)と丑松は胸を踊らせて、熱心を顔に表して教へた。

       (五)

『無論市村さんは当選に成りませう。』と応接室では白髯(しろひげ)の町会議員が世慣(よな)れた調子で言出した。『人気といふ奴(やつ)は可畏(おそろ)しいものです。高柳君が彼様(あゝ)いふことになると、最早誰も振向いて見るものが有ません。多少掴(つか)ませられたやうな連中まで、ずつと市村さんの方へ傾(かし)いで了ひました。』
『是(これ)といふのも、あの猪子といふ人の死んだ御蔭なんです――余程市村さんは御礼を言つても可(いゝ)。』と金縁眼鏡の議員が力を入れた。
『して見ると新平民も馬鹿になりませんかね。』と郡視学は胸を突出して笑つた。
『なりませんとも。』と白髯の議員も笑つて、『どうして、彼丈(あれだけ)の決心をするといふのは容易ぢや無い。しかし猪子のやうな人物(ひと)は特別だ。』
『左様(さう)さ――彼(あれ)は彼、是(これ)は是さ。』
 と顔に薄痘痕(うすあばた)のある商人の出らしい議員が言出した時は、其処に居並ぶ人々は皆笑つた。『彼は彼、是は是』と言つた丈(だけ)で、其意味はもう悉皆(すつかり)通じたのである。
『はゝゝゝゝ。只今(たゞいま)御話の出ました「是」の方の御相談ですが、』と金縁眼鏡の議員は巻煙草を燻(ふか)し乍ら、『郡視学さんにも一つ御心配を願ひまして、あまり町の方でやかましく成りません内に――左様、御転任に成るといふものか、乃至(ないし)は御休職を願ふといふものか、何とかそこのところを考へて頂きたいもので。』
『はい。』と郡視学は額へ手を当てた。
『実に瀬川先生には御気の毒ですが、是も拠(よんどころ)ない。』と白髯の議員は嘆息した。『御承知の通りな土地柄で、兎角(とかく)左様いふことを嫌ひまして――彼先生は実はこれ/\だと生徒の父兄に知れ渡つて御覧なさい、必定(きつと)、子供は学校へ出さないなんて言出します。そりやあもう、眼に見えて居ます。現に、町会議員の中にも、恐しく苦情を持出した人がある。一体学務委員が気が利かないなんて、私共に喰つて懸るといふ仕末ですから。』
『まあ、私共始め、左様(さう)いふことを伺つて見ますと、あまり好い心地(こゝろもち)は致しませんからなあ。』と薄痘痕(うすあばた)の議員が笑ひ乍ら言葉を添へる。
『しかし、それでは学校に取りまして非常に残念なことです。』と校長は改(あらたま)つて、『瀬川君が好くやつて下さることは、定めし皆さんも御聞きでしたらう――私もまあ片腕程に頼みに思つて居るやうな訳で。学才は有ますし、人物は堅実(たしか)ですし、それに生徒の評判(うけ)は良し、若手の教育者としては得難い人だらうと思ふんです。素性(うまれ)が卑賤(いや)しいからと言つて、彼様(あゝ)いふ人を捨てるといふことは――実際、聞えません。何卒(どうか)まあ皆さんの御尽力で、成らうことなら引留めるやうにして頂きたいのですが。』
『いや。』と金縁眼鏡の議員は校長の言葉を遮つた。『御尤(ごもつとも)です。只今のやうな校長先生の御意見を伺つて見ますと、私共が斯様(こん)な御相談に参るといふことからして、恥入る次第です。成程(なるほど)、学問の上には階級の差別も御座(ござい)ますまい。そこがそれ、迷信の深い土地柄で。左様いふ美しい思想(かんがへ)を持つた人は鮮少(すくな)いものですから――』
『どうも未(ま)だそこまでは開けませんのですな。』と薄痘痕の議員が言つた。
『ナニ、それも、猪子先生のやうに飛抜けて了へば、また人が許しもするんですよ。』と白髯の議員は引取つて、『其証拠には、宿屋でも平気で泊めますし、寺院(てら)でも本堂を貸しますし、演説を為(す)るといへば人が聴きにも出掛けます。彼(あの)先生のは可厭(いや)に隠蔽(かく)さんから可(いゝ)。最初からもう名乗つてかゝるといふ遣方ですから、左様(さう)なると人情は妙なもので、むしろ気の毒だといふ心地(こゝろもち)に成る。ところが、瀬川先生や高柳君の細君のやうに、其を隠蔽(かく)さう/\とすると、余計に世間の方では厳(やかま)しく言出して来るんです。』
『大きに――』と郡視学は同意を表した。
『どうでせう、御転任といふやうなことにでも願つたら。』と金縁眼鏡の議員は人々の顔を眺め廻した。
『転任ですか。』と郡視学は仔細らしく、『兎角(とかく)条件附の転任は巧くいきませんよ。それに、斯(か)ういふことが世間へ知れた以上は、何処(どこ)の学校だつても嫌がりますさ――先づ休職といふものでせう。』
『奈何(どう)なりとも、そこは貴方の御意見通りに。』と白髯の議員は手を擦(も)み乍ら言つた。『町会議員の中には、「怪しからん、直に追出して了へ」なんて、其様な暴論を吐くやうな手合も有るといふ場合ですから――何卒(どうか)まあ、何分宜敷(よろしい)やうに、御取計ひを。』

       (六)

 兎(と)に角(かく)其日の授業だけは無事に済した上で、と丑松は湧上(わきあが)るやうな胸の思を制(おさ)へ乍(なが)ら、三時間目の習字を教へた。手習ひする生徒の背後(うしろ)へ廻つて、手に手を持添へて、漢字の書方なぞを注意してやつた時は、奈何(どんな)に其筆先がぶる/\と震へたらう。周囲(まはり)の生徒はいづれも伸(の)しかかつて眺(なが)めて、墨だらけな口を開いて笑ふのであつた。
 小使の振鳴す大鈴の音が三時間目の終を知らせる頃には、最早(もう)郡視学も、町会議員も帰つて了つた。師範校の生徒は猶(なほ)残つて午後の授業をも観たいといふ。昼飯(ひる)の後、生徒の監督を他の教師に任せて置いて、丑松は後仕末をする為に職員室に留つた。其となく返すものは返す、調べるものは調べる、後になつて非難を受けまいと思へば思ふほど、心の□惶(あわたゞ)しさは一通りで無い。職員室の片隅には、手の明いた教員が集つて、寄ると触(さは)ると法福寺の門前にあつた出来事の噂(うはさ)。蓮太郎の身を捨てた動機に就いても、種々(さま/″\)な臆測が言ひはやされる。あるものは過度の名誉心が原因(もと)だらうと言ひ、あるものは生活(くらし)に究(つま)つた揚句だらうと言ひ、あるものは又、精神に異状を来して居たのだらうといふ。まあ、十人が十色のことを言つて、誹(けな)したり謗(くさ)したりする、稀(たま)に蓮太郎の精神を褒(ほ)めるものが有つても、寧ろ其を肺病の故(せゐ)にして了(しま)つた。聞くともなしに丑松は人々の噂を聞いて、到底誤解されずに済(す)む世の中では無いといふことを思ひ知つた。『黙つて狼のやうに男らしく死ね』――あの先輩の言葉を思出した時は、悲しかつた。
 午後の課目は地理と国語とであつた。五時間目には、国語の教科書の外に、予(かね)て生徒から預つて置いた習字の清書、作文の帳面、そんなものを一緒に持つて教室へ入つたので、其と見た好奇(ものずき)な少年はもう眼を円くする。『ホウ、作文が刪正(なほ)つて来た。』とある生徒が言つた。『図画も。』と又。丑松はそれを自分の机の上に載せて、例のやうに教科書の方へ取掛つたが、軈(やが)て平素(いつも)の半分ばかりも講釈したところで本を閉ぢて、其日はもう其で止めにする、それから少許(すこし)話すことが有る、と言つて生徒一同の顔を眺め渡すと、『先生、御話ですか。』と気の早いものは直に其を聞くのであつた。
『御話、御話――』
 と請求する声は教室の隅から隅までも拡(ひろが)つた。
 丑松の眼は輝いて来た。今は我知らず落ちる涙を止(とゞ)めかねたのである。其時、習字やら、図画やら、作文の帳面やらを生徒の手に渡した。中には、朱で点を付けたのもあり、優とか佳とかしたのもあつた。または、全く目を通さないのもあつた。丑松は先づ其詑(そのわび)から始めて、刪正(なほ)して遣(や)りたいは遣りたいが、最早(もう)其を為(す)る暇が無いといふことを話し、斯うして一緒に稽古を為るのも実は今日限りであるといふことを話し、自分は今別離(わかれ)を告げる為に是処(こゝ)に立つて居るといふことを話した。
『皆さんも御存じでせう。』と丑松は噛んで含めるやうに言つた。『是(この)山国に住む人々を分けて見ると、大凡(おおよそ)五通りに別れて居ます。それは旧士族と、町の商人と、お百姓と、僧侶(ばうさん)と、それからまだ外に穢多といふ階級があります。御存じでせう、其穢多は今でも町はづれに一団(ひとかたまり)に成つて居て、皆さんの履(は)く麻裏(あさうら)を造(つく)つたり、靴や太鼓や三味線等を製(こしら)へたり、あるものは又お百姓して生活(くらし)を立てゝ居るといふことを。御存じでせう、其穢多は御出入と言つて、稲を一束づゝ持つて、皆さんの父親(おとつ)さんや祖父(おぢい)さんのところへ一年に一度は必ず御機嫌伺ひに行きましたことを。御存じでせう、其穢多が皆さんの御家へ行きますと、土間のところへ手を突いて、特別の茶椀で食物(くひもの)なぞを頂戴して、決して敷居から内部(なか)へは一歩(ひとあし)も入られなかつたことを。皆さんの方から又、用事でもあつて穢多の部落へ御出(おいで)になりますと、煙草(たばこ)は燐寸(マッチ)で喫(の)んで頂いて、御茶は有(あり)ましても決して差上げないのが昔からの習慣です。まあ、穢多といふものは、其程卑賤(いや)しい階級としてあるのです。もし其穢多が斯(こ)の教室へやつて来て、皆さんに国語や地理を教へるとしましたら、其時皆さんは奈何思ひますか、皆さんの父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんは奈何(どう)思ひませうか――実は、私は其卑賤(いや)しい穢多の一人です。』
 手も足も烈しく慄(ふる)へて来た。丑松は立つて居られないといふ風で、そこに在る机に身を支へた。さあ、生徒は驚いたの驚かないのぢやない。いづれも顔を揚げたり、口を開いたりして、熱心な眸(ひとみ)を注いだのである。
『皆さんも最早(もう)十五六――万更(まんざら)世情(ものごゝろ)を知らないといふ年齢(とし)でも有ません。何卒(どうぞ)私の言ふことを克(よ)く記憶(おぼ)えて置いて下さい。』と丑松は名残惜(なごりを)しさうに言葉を継(つ)いだ。
『これから将来(さき)、五年十年と経つて、稀(たま)に皆さんが小学校時代のことを考へて御覧なさる時に――あゝ、あの高等四年の教室で、瀬川といふ教員に習つたことが有つたツけ――あの穢多の教員が素性を告白(うちあ)けて、別離(わかれ)を述べて行く時に、正月になれば自分等と同じやうに屠蘇(とそ)を祝ひ、天長節が来れば同じやうに君が代を歌つて、蔭ながら自分等の幸福(しあはせ)を、出世を祈ると言つたツけ――斯(か)う思出して頂きたいのです。私が今斯(か)ういふことを告白(うちあ)けましたら、定めし皆さんは穢(けがらは)しいといふ感想(かんじ)を起すでせう。あゝ、仮令(たとひ)私は卑賤(いや)しい生れでも、すくなくも皆さんが立派な思想(かんがへ)を御持ちなさるやうに、毎日其を心掛けて教へて上げた積りです。せめて其の骨折に免じて、今日迄(こんにちまで)のことは何卒(どうか)許して下さい。』
 斯(か)う言つて、生徒の机のところへ手を突いて、詑入(わびい)るやうに頭を下げた。
『皆さんが御家へ御帰りに成りましたら、何卒(どうぞ)父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんに私のことを話して下さい――今迄隠蔽(かく)して居たのは全く済(す)まなかつた、と言つて、皆さんの前に手を突いて、斯うして告白(うちあ)けたことを話して丁さい――全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です。』
 と斯う添加(つけた)して言つた。
 丑松はまだ詑び足りないと思つたか、二歩三歩(ふたあしみあし)退却(あとずさり)して、『許して下さい』を言ひ乍ら板敷の上へ跪(ひざまづ)いた。何事かと、後列の方の生徒は急に立上つた。一人立ち、二人立ちして、伸(の)しかゝつて眺めるうちに、斯の教室に居る生徒は総立に成つて、あるものは腰掛の上に登る、あるものは席を離れる、あるものは廊下へ出て声を揚げ乍ら飛んで歩いた。其時大鈴の音が響き渡つた。教室々々の戸が開いた。他の組の生徒も教師も一緒になつて、波濤(なみ)のやうに是方(こちら)へ押溢(おしあふ)れて来た。
        *      *      *
 十二月に入つてから銀之助は最早(もう)客分であつた。其日は午後の一時半頃から、自分の用事で学校へ出て来て居て、丁度職員室で話しこんで居る最中、不図丑松のことを耳に入れた。思はず銀之助はそこを飛出した。玄関を横過(よこぎ)つて、長い廊下を通ると、肩掛に紫頭巾(むらさきづきん)、帰り仕度の女生徒、あそこにも、こゝにも、丑松の噂を始めて、家路に向ふことを忘れたかのやう。体操場には男の生徒が集つて、話は矢張丑松の噂で持切つて居た。左右に馳違(はせちが)ふ少年の群を分けて、高等四年の教室へ近いて見ると、廊下のところに校長、教師五六人、中に文平も、其他高等科の生徒が丑松を囲繞(とりま)いて、参観に来た師範校の生徒まで呆(あき)れ顔(がほ)に眺め佇立(たゝず)んで居たのである。見れば丑松はすこし逆上(とりのぼ)せた人のやうに、同僚の前に跪(ひざまづ)いて、恥の額を板敷の塵埃(ほこり)の中に埋めて居た。深い哀憐(あはれみ)の心は、斯(こ)の可傷(いたま)しい光景(ありさま)を見ると同時に、銀之助の胸を衝(つ)いて湧上(わきあが)つた。歩み寄つて、助け起し乍ら、着物の塵埃(ほこり)を払つて遣ると、丑松は最早半分夢中で、『土屋君、許して呉れ給へ』をかへすがへす言ふ。告白の涙は奈何(どんな)に丑松の頬を伝つて流れたらう。
『解つた、解つた、君の心地(こゝろもち)は好く解つた。』と銀之助は言つた。『むむ――進退伺も用意して来たね。兎(と)に角(かく)、後の事は僕に任せるとして、君は直に是(これ)から帰り給へ――ね、君は左様(さう)し給へ。』

       (七)

 高等四年の生徒は教室に居残つて、日頃慕つて居る教師の為に相談の会を開いた。未(ま)だ初心(うぶ)で、複雑(こみい)つた社会(よのなか)のことは一向解らないものばかりの集合(あつまり)ではあるが、流石(さすが)正直なは少年の心、鋭い神経に丑松の心情(こゝろもち)を汲取つて、何とかして引止める工夫をしたいと考へたのである。黙つて視て居る時では無い、一同揃つて校長のところへ歎願に行かう、と斯う十六ばかりの級長が言出した。賛成の声が起る。
『さあ、行かざあ。』
 と農夫の子らしい生徒が叫んだ。
 相談は一決した。例の掃除をする為に、当番のものだけを残して置いて、少年の群は一緒に教室を出た。其中には省吾も交つて居た。丁度校長は校長室の倚子(いす)に倚凭(よりかゝ)つて、文平を相手に話して居るところで、そこへ高等四年の生徒が揃つて顕(あらは)れた時は、直に一同の言はうとすることを看て取つたのである。
『諸君は何か用が有るんですか。』
 と、しかし、校長は何気ない様子を装(つくろ)ひ乍(なが)ら尋ねた。
 級長は卓子(テーブル)の前に進んだ。校長も、文平も、凝(きつ)と鋭い眸をこの生徒の顔面(おもて)に注いだ。省吾なぞから見ると、ずつと夙慧(ませ)た少年で、言ふことは了然(はつきり)好く解る。
『実は、御願ひがあつて上りました。』と前置をして、級長は一同の心情(こゝろもち)を表白(いひあらは)した。何卒(どうか)して彼の教員を引留めて呉れるやうに。仮令(たとへ)穢多であらうと、其様(そん)なことは厭(いと)はん。現に生徒として新平民の子も居る。教師としての新平民に何の不都合があらう。是はもう生徒一同の心からの願ひである。頼む。斯う述べて、級長は頭を下げた。
『校長先生、御願ひでごはす。』
 と一同声を揃へて、各自(てんで)に頭を下げるのであつた。
 其時校長は倚子を離れた。立つて一同の顔を見渡し乍ら、『むゝ、諸君の言ふことは好く解りました。其程熱心に諸君が引留めたいといふ考へなら、そりやあもう我輩だつて出来るだけのことは尽します。しかし物には順序がある。頼みに来るなら、頼みに来るで、相当の手続を踏んで――総代を立てるとか、願書を差出すとかして、規則正しくやつて来るのが礼です。左様どうも諸君のやうに、大勢一緒に押掛けて来て、さあ引留めて呉れなんて――何といふ無作法な行動(やりかた)でせう。』と言はれて、級長は何か弁解(いひわけ)を為(し)ようとしたが、軈(やが)て涙ぐんで黙つて了つた。
『まあ、御聞きなさい。』と校長は卓子(テーブル)の上にある書面(かきつけ)を拡(ひろ)げて見せ乍ら、『是通り瀬川先生からは進退伺が出て居ます。是(これ)は一応郡視学の方へ廻さなければなりませんし、町の学務委員にも見せなければなりません。仮令(たとひ)我輩が瀬川先生を救ひたいと思つて、単独(ひとり)で焦心(あせ)つて見たところで、町の方で聞いて呉れなければ仕方が無いぢや有ませんか。』と言つて、すこし声を和げて、『然し、我輩一人の力で、奈何(どう)是(これ)を処置するといふ訳にもいかんのですから、そこを諸君も好く考へて下さい。彼様(あゝ)いふ良い教師を失ふといふことは、諸君ばかりぢやない、我輩も残念に思ふ。諸君の言ふことは好く解りました。兎に角、今日は是で帰つて、学課を怠らないやうにして下さい。諸君が斯ういふことに喙(くちばし)を容(い)れないでも、無論学校の方で悪いやうには取計ひません――諸君は勉強が第一です。』
 文平は腕組をして聞いて居た。手持無沙汰に帰つて行く生徒の後姿を見送つて、冷かに笑つて、軈て校長は戸を閉めて了つた。


   第弐拾弐章

       (一)

『一寸伺ひますが、瀬川君は是方(こちら)へ参りませんでしたらうか。』
 斯う声を掛けて、敬之進の住居(すまひ)を訪れたのは銀之助である。友達思ひの銀之助は心配し乍ら、丑松の後を追つて尋ねて来たのであつた。
『瀬川さん?』とお志保は飛んで出て、『あれ、今御帰りに成ましたよ。』
『今?』と銀之助はお志保の顔を眺(なが)めた。『それから何(どつち)の方へ行きましたらう、御存じは有ますまいかしら。』
『よくも伺ひませんでしたけれど、』とお志保は口籠(くちごも)つて、『あの、猪子さんの奥様(おくさん)が東京から御見えに成るさうですね。多分その方へ。ホラ市村さんの御宿の方へ尋ねていらしツたんでせうよ――何でも其様(そん)なやうな瀬川さんの口振でしたから。』
『市村さんの許(ところ)へ? 先づ好かつた。』と銀之助は深い溜息を吐いた。『実は僕も非常に心配しましてね、蓮華寺へ行つて聞いて見ました。御寺で言ふには、未だ瀬川君は学校から帰らんといふ。それから市村さんの宿へ行つて見ると、彼処(あすこ)にも居ません。ひよつとすると、こりや貴方(あなた)の許(ところ)かも知れない、斯う思つてやつて来たんです。』と言つて、考へて、『むゝ、左様(さう)ですか、貴方の許へ参りましたか――』
『丁度、行違ひに御成(おなん)なすつたんでせう。』とお志保は少許(すこし)顔を紅(あか)くして、『まあ御上りなすつて下さいませんか、此様(こん)な見苦しい処で御座(ござい)ますけれど。』
 と言はれて、お志保に導かれて、銀之助は炉辺(ろばた)へ上つた。
 紅く泣腫(なきは)れたお志保の頬には涙の痕(あと)が未だ乾かずにあつた。奈何(どう)いふことを言つて丑松が別れて行つたか、それはもうお志保の顔付を眺めたばかりで、大凡(おおよそ)の想像が銀之助の胸に浮ぶ。あの小学校の廊下のところで、人々の前に跪(ひざまづ)いて、有の儘(まゝ)に素性を自白するといふ行為(やりかた)から推(お)して考へても――確かに友達は非常な決心を起したのであらう。其心根は。思へば憫然(びんぜん)なものだ。斯う銀之助は考へて、何卒(どうか)して友達を助けたい、と其をお志保にも話さうと思ふのであつた。銀之助は先づお志保の身の上から聞き初めた。
 貧し苦しい境遇に居るお志保は、直に、銀之助の頼母(たのも)しい気象を看て取つたのである。のみならず、丑松と斯人とは無二の朋友であるといふことも好く承知して居る。真実(ほんたう)に自分の心地(こゝろもち)も解つて、身を入れて話を聞いて呉れるのは斯人だ、と斯う可懐(なつか)しく思ふにつけても、さて、奈何して父親の許(ところ)へ帰つて居るか、其を尋ねられた時はもう/\胸一ぱいに成つて了(しま)つた。蓮華寺を脱けて出ようと決心する迄の一伍一什(いちぶしじゆう)――思へば涙の種――まあ、何から話して可いものやら、お志保には解らない位であつた。流石(さすが)娘心の感じ易さ、暗く煤(すゝ)けた土壁の内部(なか)の光景(ありさま)をも物羞(はづか)しく思ふといふ風で、『ぼや』を折焚(おりく)べて炉の火を盛んにしたり、着物の前を掻合せたりして語り聞かせる。お志保に言はせると、いよ/\彼の寺を出ようと思立つたのは、泣いて、泣いて、泣尽した揚句のこと。『仮令(たとひ)先方(さき)が親らしい行為(おこなひ)をしない迄も、是迄(これまで)育てゝ貰つた恩義も有る。一旦蓮華寺の娘となつた以上は、奈何な辛いことがあらうと決して家へ帰るな。』――とは堅い父の言葉でもあつた。宵闇の空に紛(まぎ)れて迷ひ出たお志保は、だから、何処へ帰るといふ目的(めあて)も無かつたのである。悲しい夢のやうに歩いて来る途中、不図、雪の上に倒れて居る人に出逢(であ)つた。見れば其酔漢(そのさけよひ)は父であつた。其時お志保は左様(さう)思つた。父はもう凍え死んだのかと思つた。丁度通りかかる音作を呼留めて、一緒に助け起して、漸(やつと)のことで家まで連帰つて見ると、今すこし遅からうものなら既に生命を奪(と)られるところ。それぎり敬之進は床の上に横に成つた。医者の話によると、身体の衰弱(おとろへ)は一通りで無い。所詮(しよせん)助かる見込は有るまいとのことである。
 そればかりでは無い。不幸(ふしあはせ)は斯の屋根の下にもお志保を待受けて居た。来て見ると、もう継母も、異母(はらちがひ)の弟妹(きやうだい)も居なかつた。尤(もつと)も、其前の晩、烈しい夫婦喧嘩があつて、継母はお志保のことや父の酒のことを言つて、奈何して是から将来(さき)生計(くらし)が立つと泣叫んだといふ。いづれ下高井にある生家(さと)を指して、三人だけ子供を連れて、父の留守に家出をしたものらしい。それは継母が自分で産んだ子供のうち、三番目のお末を残して、進に、お作に、それから留吉と、斯(か)う引連れて行つた。割合に温順(おとな)しいお末を置いて、あの厄介者のお作を腰に付けたは、流石(さすが)に後のことをも考へて行つたものと見える。継母が末の児を背負(おぶ)ひ、お作の手を引き、進は見慣(みな)れない男に連れられて、後を見かへり/\行つたといふことは、近所のかみさんが来ての話で解つた。
 斯ういふ中にも、ひとり力に成るのは音作で、毎日夫婦して来て、物を呉れるやら、旧(むかし)の主人をいたはるやら、お末をば世話すると言つて、自分の家の方へ引取つて居るとのこと。貧苦の為に離散した敬之進の家族の光景(ありさま)――まあ、お志保が銀之助に話して聞かせたことは、ざつと斯うであつた。
『して見ると――今御家にいらつしやるのは、父親(おとつ)さんに、貴方に、それから省吾さんと、斯う三人なんですか。』銀之助は気の毒さうに尋ねたのである。
『はあ。』とお志保は涙ぐんで、垂下る鬢(びん)の毛を掻上げた。

       (二)

 丑松のことは軈(やが)て二人の談話(はなし)に上つた。友に篤い銀之助の有様を眺めると、お志保はもう何もかも打明けて話さずには居られなかつたのである。其時、丑松の逢ひに来た様子を話した。顔は蒼(あを)ざめ、眼は悲愁(かなしみ)の色を湛(たゝ)へ、思ふことはあつても十分に其を言ひ得ないといふ風で――まあ、情が迫つて、別離(わかれ)の言葉もとぎれ/\であつたことを話した。忘れずに居る程のなさけがあらば、せめて社会(よのなか)の罪人(つみびと)と思へ、斯(か)う言つて、お志保の前に手を突いて、男らしく素性を告白(うちあ)けて行つたことを話した。
『真実(ほんたう)に御気の毒な様子でしたよ。』とお志保は添加(つけた)した。『いろ/\伺つて見たいと思つて居りますうちに、瀬川さんはもう帽子を冠つて、さつさと出て行つてお了ひなさる――後で私はさん/″\泣きました。』
『左様(さう)ですかあ。』と銀之助も嘆息して、『あゝ、僕の想像した通りだつた。定めし貴方(あなた)も驚いたでせう、瀬川君の素性を始めて御聞きになつた時は。』
『いゝえ。』お志保は力を入れて言ふのであつた。
『ホウ。』と銀之助は目を円(まる)くする。
『だつて今日始めてでも御座(ござい)ませんもの――勝野さんが何処(どこ)かで聞いていらしツて、いつぞや其を私に話しましたんですもの。』
 この『始めてでも御座ません』が銀之助を驚した。しかし文平が何の為に其様なことをお志保の耳へ入れたのであらう、と聞咎(きゝとが)めて、
『彼男(あのをとこ)も饒舌家(おしやべり)で、真個(ほんたう)に仕方が無い奴だ。』と独語(ひとりごと)のやうに言つた。やがて、銀之助は何か思ひついたやうに、『何ですか、勝野君は其様(そんな)に御寺へ出掛けたんですか。』
『えゝ――蓮華寺の母が彼様(あゝ)いふ話好きな人で、男の方は淡泊(さつぱり)して居て可(いゝ)なんて申しますもんですから、克(よ)く勝野さんも遊びにいらツしやいました。』
『何だつてまた彼男は其様(そん)なことを貴方に話したんでせう。』斯(か)う銀之助は聞いて見るのであつた。
『まあ、妙なことを仰(おつしや)るんですよ。』とお志保は其を言ひかねて居る。
『妙なとは?』
『親類はこれ/\だの、今に自分は出世して見せるのツて――』
『今に出世して見せる?』と銀之助は其処に居ない人を嘲(あざけ)つたやうに笑つて、『へえ――其様なことを。』
『それから、あの、』とお志保は考深い眼付をし乍ら、『瀬川さんのことなぞ、それは酷(ひど)い悪口を仰いましたよ。其時私は始めて知りました。』
『あゝ、左様(さう)ですか、それで彼話(あのはなし)を御聞きに成つたんですか。』と言つて銀之助は熱心にお志保の顔を眺(なが)めた。急に気を変へて、『ちよツ、彼男も余計なことを喋舌つて歩いたものだ。』
『私もまあ彼様な方だとは思ひませんでした。だつて、あんまり酷いことを仰るんですもの。その悪口が普通(たゞ)の悪口では無いんですもの――私はもう口惜(くや)しくて、口惜しくて。』
『して見ると、貴方も瀬川君を気の毒だと思つて下さるんですかなあ。』
『でも、左様ぢや御座ませんか――新平民だつて何だつて毅然(しつかり)した方の方が、彼様(あん)な口先ばかりの方よりは余程(よつぽど)好いぢや御座ませんか。』
 何の気なしに斯ういふことを言出したが、軈(やが)てお志保は伏目勝に成つて、血肥りのした娘らしい手を眺めたのである。
『あゝ。』と銀之助は嘆息して、『奈何(どう)して世の中は斯(か)う思ふやうに成らないものなんでせう。僕は瀬川君のことを考へると、実際哭(な)きたいやうな気が起ります。まあ、考へて見て下さい。唯あの男は素性が違ふといふだけでせう。それで職業も捨てなければならん、名誉も捨てなければならん――是程(これほど)残酷な話が有ませうか。』
『しかし、』とお志保は清(すゞ)しい眸(ひとみ)を輝した。『父親(おとつ)さんや母親(おつか)さんの血統(ちすぢ)が奈何(どんな)で御座ませうと、それは瀬川さんの知つたことぢや御座ますまい。』
『左様です――確かに左様です――彼男の知つたことでは無いんです。左様貴方が言つて下されば、奈何(どんな)に僕も心強いか知れません。実は僕は斯う思ひました――彼男の素性を御聞に成つたら、定めし貴方も今迄の瀬川君とは考へて下さるまいかと。』
『何故(なぜ)でせう?』
『だつて、それが普通ですもの。』
『あれ、他(ひと)は左様(さう)かも知れませんが、私は左様は思ひませんわ。』
『真実(ほんと)に? 真実に貴方は左様考へて下さるんですか――』
『まあ、奈何(どう)したら好う御座んせう。私は是でも真面目に御話して居る積りで御座ますのに。』
『ですから、僕が其を伺ひたいと言ふんです。』
『其と仰(おつしや)るのは?』
 とお志保は問ひ反して、対手(あひて)の心を推量し乍ら眺めた。若々しい血潮は思はずお志保の頬に上るのであつた。

       (三)

 力の無い謦□(せき)の声が奥の方で聞えた。急にお志保は耳を澄して心配さうに聞いて居たが、軈(やが)て一寸会釈(ゑしやく)して奥の方へ行つた。
次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:479 KB

担当:undef