破戒
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著者名:島崎藤村 

 と不図(ふと)斯ういふことを想ひ着いた時は、言ふに言はれぬ哀傷(かなしみ)が身を襲(おそ)ふやうに感ぜられた。
 待つても、待つても、銀之助は帰つて来なかつた。長い間丑松は机に倚凭(よりかゝ)つて、洋燈(ランプ)の下(もと)にお志保のことを思浮べて居た。斯うして種々(さま/″\)の想像に耽(ふけ)り乍ら、悄然(しよんぼり)と五分心の火を熟視(みつ)めて居るうちに、何時の間にか疲労(つかれ)が出た。丑松は机に倚凭つた儘(まゝ)、思はず知らずそこへ寝(ね)て了(しま)つたのである。
 其時、お志保が入つて来た。

       (二)

 こゝは学校では無いか。奈何(どう)して斯様(こん)なところへお志保が尋ねて来たらう。と丑松は不思議に考へないでもなかつた。しかし其疑惑(うたがひ)は直に釈(と)けた。お志保は何か言ひたいことが有つて、わざ/\自分のところへ逢ひに来たのだ、と斯う気が着いた。あの夢見るやうな、柔嫩(やはらか)な眼――其を眺めると、お志保が言はうと思ふことはあり/\と読まれる。何故、父や弟にばかり親切にして、自分には左様(さう)疎々(よそ/\)しいのであらう。何故、同じ屋根の下に住む程の心やすだては有乍ら、優しい言葉の一つも懸けて呉れないのであらう。何故、其口唇(くちびる)は言ひたいことも言はないで、堅く閉(と)ぢ塞(ふさが)つて、恐怖(おそれ)と苦痛(くるしみ)とで慄へて居るのであらう。
 斯ういふ楽しい問は、とは言へ、長く継(つゞ)かなかつた。何時の間にか文平が入つて来て、用事ありげにお志保を促(うなが)した。終(しまひ)には羞(はづか)しがるお志保の手を執(と)つて、無理やりに引立てゝ行かうとする。
『勝野君、まあ待ち給へ。左様(さう)君のやうに無理なことを為(し)なくツても好からう。』
 と言つて、丑松は制止(おしとゞ)めるやうにした。其時、文平も丑松の方を振返つて見た。二人の目は電光(いなづま)のやうに出逢(であ)つた。
『お志保さん、貴方(あなた)に好事(いゝこと)を教へてあげる。』
 と文平は女の耳の側へ口を寄せて、丑松が隠蔽(かく)して居る其恐しい秘密を私語(さゝや)いて聞かせるやうな態度を示した。
『あツ、其様(そん)なことを聞かせて奈何(どう)する。』
 と丑松は周章(あわ)てゝ取縋(とりすが)らうとして――不図(ふと)、眼が覚めたのである。
 夢であつた。斯う我に帰ると同時に、苦痛(くるしみ)は身を離れた。しかし夢の裡(なか)の印象は尚残つて、覚めた後までも恐怖(おそれ)の心が退かない。室内を眺め廻すと、お志保も居なければ、文平も居なかつた。丁度そこへ風呂敷包を擁(かゝ)へ乍ら、戸を開けて入つて来たのは銀之助であつた。
『や、どうも大変遅くなつた。瀬川君、まだ君は起きて居たのかい――まあ、今夜は寝て話さう。』
 斯う声を掛ける。軈(やが)て銀之助はがた/\靴の音をさせ乍(なが)ら、洋服の上衣を脱いで折釘へ懸けるやら、襟(カラ)を取つて机の上に置くやら、または無造作にズボン釣を外すやらして、『あゝ、其内に御別れだ。』と投げるやうに言つた。八畳ばかり畳の敷いてあるは、克く二人の友達が枕を並べて、当番の夜を語り明したところ。今は銀之助も名残惜(なごりを)しいやうな気に成つて、着た儘の襯衣(シャツ)とズボン下とを寝衣(ねまき)がはりに、宿直の蒲団の中へ笑ひ乍ら潜り込んだ。
『斯(か)うして君と是部屋に寝るのも、最早(もう)今夜限(ぎ)りだ。』と銀之助は思出したやうに嘆息した。『僕に取つては是(これ)が最終の宿直だ。』
『左様(さう)かなあ、最早御別れかなあ。』と丑松も枕に就き乍ら言つた。
『何となく斯(か)う今夜は師範校の寄宿舎にでも居るやうな気がする。妙に僕は昔を懐出(おもひだ)した――ホラ、君と一緒に勉強した彼の時代のことなぞを。噫(あゝ)、昔の友達は皆な奈何して居るかなあ。』と言つて、銀之助はすこし気を変へて、『其は左様と、瀬川君、此頃(こなひだ)から僕は君に聞いて見たいと思ふことが有るんだが――』
『僕に?』
『まあ、君のやうに左様黙つて居るといふのも損な性分だ。どうも君の様子を見るのに、何か非常に苦しい事が有つて、独りで考へて独りで煩悶(はんもん)して居る、としか思はれない。そりやあもう君が言はなくたつて知れるよ。実際、僕は君の為に心配して居るんだからね。だからさ、其様(そんな)に苦しいことが有るものなら、少許(すこし)打開けて話したらば奈何(どう)だい。随分、友達として、力に成るといふことも有らうぢやないか。』

       (三)

『何故(なぜ)、君は左様(さう)だらう。』と銀之助は同情(おもひやり)の深い言葉を続けた。『僕が斯(か)ういふ科学書生で、平素(しよつちゆう)其方(そつち)の研究にばかり頭を突込んでるものだから、あるひは僕見たやうなものに話したつて解らない、と君は思ふだらう。しかし、君、僕だつて左様冷い人間ぢや無いよ。他(ひと)の手疵(てきず)を負つて苦んで居るのを、傍(はた)で観て嘲笑(わら)つてるやうな、其様(そん)な残酷な人間ぢや無いよ。』
『君はまた妙なことを言ふぢやないか、誰も君のことを残酷だと言つたものは無いのに。』と丑松は臥俯(うつぶし)になつて答へる。
『そんなら僕にだつて話して聞かせて呉れ給へな。』
『話せとは?』
『何も左様君のやうに蔵(つゝ)んで居る必要は有るまいと思ふんだ。言はないから、其で君は余計に苦しいんだ。まあ、僕も、一時は研究々々で、あまり解剖的にばかり物事を見過ぎて居たが、此頃に成つて大に悟つたことが有る。それからずつと君の心情(こゝろもち)も解るやうに成つた。何故君があの蓮華寺へ引越したか、何故(なぜ)君が其様に独りで苦んで居るか――僕はもう何もかも察して居る。』
 丑松は答へなかつた。銀之助は猶(なほ)言葉を継(つ)いで、
『校長先生なぞに言はせると、斯ういふことは三文の価値(ねうち)も無いね。何ぞと言ふと、直に今の青年の病気だ。しかし、君、考へて見給へ。彼先生だつて一度は若い時も有つたらうぢやないか。自分等は鼻唄で通り越して置き乍ら、吾儕(われ/\)にばかり裃(かみしも)を着て歩けなんて――はゝゝゝゝ、まあ君、左様(さう)ぢや無いか。だから僕は言つて遣(や)つたよ。今日彼(あの)先生と郡視学とで僕を呼付けて、「何故(なぜ)瀬川君は彼様(あゝ)考へ込んで居るんだらう」と斯う聞くから、「其は貴方等(あなたがた)も覚えが有るでせう、誰だつて若い時は同じことです」と言つて遣つたよ。』
『フウ、左様かねえ、郡視学が其様なことを聞いたかねえ。』
『見給へ、君があまり沈んでるもんだから、つまらないことを言はれるんだ――だから君は誤解されるんだ。』
『誤解されるとは?』
『まあ、君のことを新平民だらうなんて――実に途方も無いことを言ふ人も有れば有るものだ。』
『はゝゝゝゝ。しかし、君、僕が新平民だとしたところで、一向差支は無いぢやないか。』
 長いこと室の内には声が無かつた。細目に点けて置いた洋燈(ランプ)の光は天井へ射して、円く朦朧(もうろう)と映つて居る。銀之助は其を熟視(みつ)め乍ら、種々(いろ/\)空想を描いて居たが、あまり丑松が黙つて了つて身動きも為ないので、終(しまひ)には友達は最早(もう)眠つたのかとも考へた。
『瀬川君、最早睡(ね)たのかい。』と声を掛けて見る。
『いゝや――未(ま)だ起きてる。』
 丑松は息を殺して寝床の上に慄(ふる)へて居たのである。
『妙に今夜は眠られない。』と銀之助は両手を懸蒲団の上に載せて、『まあ、君、もうすこし話さうぢやないか。僕は青年時代の悲哀(かなしみ)といふことを考へると、毎時(いつも)君の為に泣きたく成る。愛と名――あゝ、有為な青年を活すのも其だし、殺すのも其だ。実際、僕は君の心情を察して居る。君の性分としては左様(さう)あるべきだとも思つて居る。君の慕つて居る人に就いても、蔭乍(かげなが)ら僕は同情を寄せて居る。其だから今夜は斯様(こん)なことを言出しもしたんだが、まあ、僕に言はせると、あまり君は物を六(むづ)ヶ敷(しく)考へ過ぎて居るやうに思はれるね。其処だよ、僕が君に忠告したいと思ふことは。だつて君、左様ぢや無いか。何も其様に独りで苦んでばかり居なくたつても好からう。友達といふものが有つて見れば、そこはそれ相談の仕様によつて、随分道も開けるといふものさ――「土屋、斯(か)う為たら奈何(どう)だらう」とか何とか、君の方から切出して呉れると、及ばず乍ら僕だつて自分の力に出来る丈のことは尽すよ。』
『あゝ、左様(さう)言つて呉れるのは君ばかりだ。君の志は実に難有(ありがた)い。』と丑松は深い溜息を吐いた。『まあ、打開けて言へば、君の察して呉れるやうなことが有つた。確かに有つた。しかし――』
『ふむ。』
『君はまだ克(よ)く事情を知らないから、其で左様言つて呉れるんだらうと思ふんだ。実はねえ――其人は最早死んで了(しま)つたんだよ。』
 復(ま)た二人は無言に帰つた。やゝしばらくして、銀之助は声を懸けて見たが、其時はもう返事が無いのであつた。

       (四)

 銀之助の送別会は翌日(あくるひ)の午前から午後の二時頃迄へ掛けて開らかれた。昼を中へ□んだは、弁当がはりに鮨(すし)の折詰を出したからで。教員生徒はかはる/″\立つて別離(わかれ)の言葉を述べた。余興も幾組かあつた。多くの無邪気な男女(をとこをんな)の少年は、互ひに悲んだり笑つたりして、稚心(をさなごゝろ)にも斯の日を忘れまいとするのであつた。
 斯(か)ういふ中にも、独り丑松ばかりは気が気で無い。何を見たか、何を聞いたか、殆(ほとん)ど其が記憶にも留らなかつた。唯頭脳(あたま)の中に残るものは、教員や生徒の騒しい笑声、余興のある度に起る拍手の音、または斯の混雑の中にも時々意味有げな様子して盗むやうに自分の方を見る人々の眼付――まあ、絶えず誰かに附狙(つけねら)はれて居るやうな気がして、其方の心配と屈託と恐怖(おそれ)とで、見たり聞いたりすることには何の興味も好奇心も起らないのであつた。どうかすると丑松は自分の身体ですら自分のものゝやうには思はないで、何もかも忘れて、心一つに父の戒を憶出して見ることもあつた。『見給へ、土屋君は必定(きつと)出世するから。』斯う私語(さゝや)き合ふ教員同志の声が耳に入るにつけても、丑松は自分の暗い未来に思比べて、すくなくも穢多なぞには生れて来なかつた友達の身の上を羨んだ。
 送別会が済(す)む、直に丑松は学校を出て、急いで蓮華寺を指して帰つて行つた。蔵裏(くり)の入口の庭のところに立つて、奥座敷の方を眺めると、白衣を着けた一人の尼が出たり入つたりして居る。一昨日の晩頼まれて書いた手紙のことを考へると、彼が奥様の妹といふ人であらうか、と斯(か)う推測が付く。其時下女の袈裟治が台処の方から駈寄つて、丑松に一枚の名刺を渡した。見れば猪子蓮太郎としてある。袈裟治は言葉を添へて、今朝斯(こ)の客が尋ねて来たこと、宿は上町の扇屋にとつたとのこと、宜敷(よろしく)と言置いて出て行つたことなぞを話して、まだ外にでつぷり肥つた洋服姿の人も表に立つて居たと話した。『むゝ、必定(きつと)市村さんだ。』と丑松は独語(ひとりご)ちた。話の様子では確かに其らしいのである。
『直に、これから尋ねて行つて見ようかしら。』とは続いて起つて来た思想(かんがへ)であつた。人目を憚(はゞか)るといふことさへなくば、無論尋ねて行きたかつたのである。鳥のやうに飛んで行きたかつたのである。『まあ、待て。』と丑松は自分で自分を制止(おしとゞ)めた。彼の先輩と自分との間には何か深い特別の関係でも有るやうに見られたら、奈何しよう。書いたものを愛読してさへ、既に怪しいと思はれて居るではないか。まして、うつかり尋ねて行つたりなんかして――もしや――あゝ、待て、待て、日の暮れる迄待て。暗くなつてから、人知れず宿屋へ逢ひに行かう。斯う用心深く考へた。
『それは左様と、お志保さんは奈何(どう)したらう。』と其人の身の上を気遣(きづか)ひ乍ら、丑松は二階へ上つて行つた。始めて是寺へ引越して来た当時のことは、不図(ふと)、胸に浮ぶ。見れば何もかも変らずにある。古びた火鉢も、粗末な懸物も、机も、本箱も。其に比べると人の境涯(きやうがい)の頼み難いことは。丑松はあの鷹匠(たかしやう)町の下宿から放逐された不幸な大日向を思出した。丁度斯の蓮華寺から帰つて行つた時は、提灯(ちやうちん)の光に宵闇の道を照し乍ら、一挺の籠が舁(かつ)がれて出るところであつたことを思出した。附添の大男を思出した。門口で『御機嫌よう』と言つた主婦を思出した。罵(のゝし)つたり騒いだりした下宿の人々を思出した。終(しまひ)にはあの『ざまあ見やがれ』の一言を思出すと、慄然(ぞつ)とする冷(つめた)い震動(みぶるひ)が頸窩(ぼんのくぼ)から背骨の髄へかけて流れ下るやうに感ぜられる。今は他事(ひとごと)とも思はれない。噫(あゝ)、丁度それは自分の運命だ。何故、新平民ばかり其様(そんな)に卑(いやし)められたり辱(はづかし)められたりするのであらう。何故、新平民ばかり普通の人間の仲間入が出来ないのであらう。何故、新平民ばかり斯の社会に生きながらへる権利が無いのであらう――人生は無慈悲な、残酷なものだ。
 斯う考へて、部屋の内を歩いて居ると、唐紙の開く音がした。其時奥様が入つて来た。

       (五)

 いかにも落胆(がつかり)したやうな様子し乍ら、奥様は丑松の前に座(すわ)つた。『斯様(こん)なことになりやしないか、と思つて私も心配して居たんです。』と前置をして、さて奥様は昨宵(ゆうべ)の出来事を丑松に話した。聞いて見ると、お志保は郵便を出すと言つて、日暮頃に門を出たつきり、もう帰つて来ないとのこと。箪笥(たんす)の上に載せて置いて行つた手紙は奥様へ宛てたもので――それは真心籠めて話をするやうに書いてあつた、ところ/″\涙に染(にじ)んで読めない文字すらもあつたとのこと。其中には、自分一人の為に種々(さま/″\)な迷惑を掛けるやうでは、義理ある両親に申訳が無い。聞けば奥様は離縁の決心とやら、何卒(どうか)其丈(それだけ)は思ひとまつて呉れるやうに。十三の年から今日迄(こんにちまで)受けた恩愛は一生忘れまい。何時までも自分は奥様の傍に居て親と呼び子と呼ばれたい心は山々。何事も因縁(いんねん)づくと思ひ諦(あきら)めて呉れ、許して呉れ――『母上様へ、志保より』と書いてあつた、とのこと。
『尤も――』と奥様は襦袢(じゆばん)の袖口で□(まぶた)を押拭ひ乍ら言つた。『若いものゝことですから、奈何(どん)な不量見を起すまいものでもない、と思ひましてね、昨夜一晩中私は眠りませんでしたよ。今朝早く人を見させに遣(や)りました。まあ、父親(おとつ)さんの方へ帰つて居るらしい、と言ひますから――』斯(か)う言つて、気を変へて、『長野の妹も直に出掛けて来て呉れましたよ。来て見ると、斯光景(ありさま)でせう。どんなに妹も吃驚(びつくり)しましたか知れません。』奥様はもう啜上(すゝりあ)げて、不幸な娘の身の上を憐むのであつた。
 可愛さうに、住慣(すみな)れたところを捨て、義理ある人々を捨て、雪を踏んで逃げて行く時の其心地(こゝろもち)は奈何(どんな)であつたらう。丑松は奥様の談話(はなし)を聞いて、斯の寺を脱けて出ようと決心する迄のお志保の苦痛(くるしみ)悲哀(かなしみ)を思ひやつた。
『あゝ――和尚さんだつても眼が覚めましたらうよ、今度といふ今度こそは。』と昔気質(むかしかたぎ)な奥様は独語のやうに言つた。
『なむあみだぶ。』と口の中で繰返し乍ら奥様が出て行つた後、やゝしばらく丑松は古壁に倚凭(よりかゝ)つて居た。哀憐(あはれみ)と同情(おもひやり)とは眼に見ない事実(ことがら)を深い『生』の絵のやうに活して見せる。幾度か丑松はお志保の有様を――斯(こ)の寺の方を見かへり/\急いで行く其有様を胸に描いて見た。あの釣と昼寝と酒より外には働く気のない老朽な父親、泣く喧嘩(けんくわ)する多くの子供、就中(わけても)継母――まあ、あの家へ帰つて行つたとしたところで、果して是(これ)から将来(さき)奈何(どう)なるだらう。『あゝ、お志保さんは死ぬかも知れない。』と不図昨夕と同じやうなことを思ひついた時は、言ふに言はれぬ悲しい心地(こゝろもち)になつた。
 急に丑松は壁を離れた。帽子を冠り、楼梯(はしごだん)を下り、蔵裏の廊下を通り抜けて、何か用事ありげに蓮華寺の門を出た。

       (六)

『自分は一体何処へ行く積りなんだらう。』と丑松は二三町も歩いて来たかと思はれる頃、自分で自分に尋ねて見た。絶望と恐怖とに手を引かれて、目的(めあて)も無しに雪道を彷徨(さまよ)つて行つた時は、半ば夢の心地であつた。往来には町の人々が群り集つて、春迄も消えずにある大雪の仕末で多忙(いそが)しさう。板葺(いたぶき)の屋根の上に降積つたのが掻下(かきおろ)される度に、それがまた恐しい音して、往来の方へ崩れ落ちる。幾度か丑松は其音の為に驚かされた。そればかりでは無い、四五人集つて何か話して居るのを見ると、直に其を自分のことに取つて、疑はず怪まずには居られなかつたのである。
 とある町の角のところ、塩物売る店の横手にあたつて、貼付(はりつ)けてある広告が目についた。大幅な洋紙に墨黒々と書いて、赤い『インキ』で二重に丸なぞが付けてある。其下に立つて物見高く眺めて居る人々もあつた。思はず丑松も立留つた。見ると、市村弁護士の政見を発表する会で、蓮太郎の名前も演題も一緒に書並べてあつた。会場は上町の法福寺、其日午後六時から開会するとある。
 して見ると、丁度演説会は家々の夕飯が済む頃から始まるのだ。
 丑松は其広告を読んだばかりで、軈てまた前と同じ方角を指して歩いて行つた。疑心暗鬼とやら。今は其を明(あかる)い日光(ひかり)の中に経験する。種々(いろ/\)な恐しい顔、嘲り笑ふ声――およそ人種の憎悪(にくしみ)といふことを表したものは、右からも、左からも、丑松の身を囲繞(とりま)いた。意地の悪い烏は可厭(いや)に軽蔑(けいべつ)したやうな声を出して、得たり賢しと頭の上を啼(な)いて通る。あゝ、鳥ですら斯雪の上に倒れる人を待つのであらう。斯う考へると、浅猿(あさま)しく悲しく成つて、すた/\肴町(さかなまち)の通りを急いだ。
 何時の間にか丑松は千曲川(ちくまがは)の畔(ほとり)へ出て来た。そこは『下(しも)の渡し』と言つて、水に添ふ一帯の河原を下瞰(みおろ)すやうな位置にある。渡しとは言ひ乍ら、船橋で、下高井の地方へと交通するところ。一筋暗い色に見える雪の中の道には旅人の群が往つたり来たりして居た。荷を積けた橇(そり)も曳かれて通る。遠くつゞく河原(かはら)は一面の白い大海を見るやうで、蘆荻(ろてき)も、楊柳も、すべて深く隠れて了(しま)つた。高社、風原、中の沢、其他越後境へ連る多くの山々は言ふも更なり、対岸にある村落と杜(もり)の梢(こずゑ)とすら雪に埋没(うづも)れて、幽(かすか)に鶏の鳴きかはす声が聞える。千曲川は寂しく其間を流れるのであつた。
 斯ういふ光景(ありさま)は今丑松の眼前(めのまへ)に展(ひら)けた。平素(ふだん)は其程注意を引かないやうな物まで一々の印象が強く審(くは)しく眼に映つて見えたり、あるときは又、物の輪郭(かたち)すら朦朧(もうろう)として何もかも同じやうにぐら/\動いて見えたりする。『自分は是(これ)から将来(さき)奈何(どう)しよう――何処へ行つて、何を為よう――一体自分は何の為に是世(このよ)の中へ生れて来たんだらう。』思ひ乱れるばかりで、何の結末(まとまり)もつかなかつた。長いこと丑松は千曲川の水を眺め佇立(たゝず)んで居た。

       (七)

 一生のことを思ひ煩(わづら)ひ乍(なが)ら、丑松は船橋の方へ下りて行つた。誰か斯う背後(うしろ)から追ひ迫つて来るやうな心地(こゝろもち)がして――無論其様(そん)なことの有るべき筈が無い、と承知して居乍ら――それで矢張安心が出来なかつた。幾度か丑松は背後を振返つて見た。時とすると、妙な眩暈心地(めまひごゝち)に成つて、ふら/\と雪の中へ倒れ懸りさうになる。『あゝ、馬鹿、馬鹿――もつと毅然(しつかり)しないか。』とは自分で自分を叱り□(はげま)す言葉であつた。河原の砂の上を降り埋めた雪の小山を上つたり下りたりして、軈(やが)て船橋の畔へ出ると、白い両岸の光景(ありさま)が一層広濶(ひろ/″\)と見渡される。目に入るものは何もかも――そここゝに低く舞ふ餓(う)ゑた烏の群、丁度川舟のよそほひに忙しさうな船頭、又は石油のいれものを提げて村を指して帰つて行く農夫の群、いづれ冬期の生活(なりはひ)の苦痛(くるしみ)を感ぜさせるやうな光景(ありさま)ばかり。河の水は暗緑の色に濁つて、嘲(あざけ)りつぶやいて、溺(おぼ)れて死ねと言はぬばかりの勢を示し乍ら、川上の方から矢のやうに早く流れて来た。
 深く考へれば考へるほど、丑松の心は暗くなるばかりで有つた。斯(この)社会から捨てられるといふことは、いかに言つても情ない。あゝ放逐――何といふ一生の恥辱(はづかしさ)であらう。もしも左様なつたら、奈何(どう)して是(これ)から将来(さき)生計(くらし)が立つ。何を食つて、何を飲まう。自分はまだ青年だ。望もある、願ひもある、野心もある。あゝ、あゝ、捨てられたくない、非人あつかひにはされたくない、何時迄も世間の人と同じやうにして生きたい――斯う考へて、同族の受けた種々(さま/″\)の悲しい恥、世にある不道理な習慣、『番太』といふ乞食の階級よりも一層(もつと)劣等な人種のやうに卑(いやし)められた今日迄(こんにちまで)の穢多の歴史を繰返した。丑松はまた見たり聞いたりした事実を数へて、あるひは追はれたりあるひは自分で隠れたりした人々、父や、叔父や、先輩や、それから彼の下高井の大尽の心地(こゝろもち)を身に引比べ、終(しまひ)には娼婦(あそびめ)として秘密に売買されるといふ多くの美しい穢多の娘の運命なぞを思ひやつた。
 其時に成つて、丑松は後悔した。何故、自分は学問して、正しいこと自由なことを慕ふやうな、其様(そん)な思想(かんがへ)を持つたのだらう。同じ人間だといふことを知らなかつたなら、甘んじて世の軽蔑を受けても居られたらうものを。何故(なぜ)、自分は人らしいものに斯世の中へ生れて来たのだらう。野山を駆け歩く獣の仲間ででもあつたなら、一生何の苦痛(くるしみ)も知らずに過されたらうものを。
 歓(うれ)し哀(かな)しい過去の追憶(おもひで)は丑松の胸の中に浮んで来た。この飯山へ赴任して以来(このかた)のことが浮んで来た。師範校時代のことが浮んで来た。故郷(ふるさと)に居た頃のことが浮んで来た。それはもう悉皆(すつかり)忘れて居て、何年も思出した先蹤(ためし)の無いやうなことまで、つい昨日の出来事のやうに、青々と浮んで来た。今は丑松も自分で自分を憐まずには居られなかつたのである。軈(やが)て、斯ういふ過去の追憶(おもひで)がごちや/\胸の中で一緒に成つて、煙のやうに乱れて消えて了(しま)ふと、唯二つしか是から将来(さき)に執るべき道は無いといふ思想(かんがへ)に落ちて行つた。唯二つ――放逐か、死か。到底丑松は放逐されて生きて居る気は無かつた。其よりは寧(むし)ろ後者(あと)の方を択(えら)んだのである。
 短い冬の日は何時の間にか暮れかゝつて来た。もう二度と現世(このよ)で見ることは出来ないかのやうな、悲壮な心地に成つて、橋の上から遠く眺(なが)めると、西の空すこし南寄りに一帯の冬雲が浮んで、丁度可懐(なつか)しい故郷の丘を望むやうに思はせる。其は深い焦茶(こげちや)色で、雲端(くもべり)ばかり黄に光り輝くのであつた。帯のやうな水蒸気の群も幾条(いくすぢ)か其上に懸つた。あゝ、日没だ。蕭条(せうでう)とした両岸の風物はすべて斯(こ)の夕暮の照光(ひかり)と空気とに包まれて了つた。奈何(どんな)に丑松は『死』の恐しさを考へ乍ら、動揺する船橋の板縁(いたべり)近く歩いて行つたらう。
 蓮華寺で撞(つ)く鐘の音は其時丑松の耳に無限の悲しい思を伝へた。次第に千曲川の水も暮れて、空に浮ぶ冬雲の焦茶色が灰がゝつた紫色に変つた頃は、もう日も遠く沈んだのである。高く懸る水蒸気の群は、ぱつと薄赤い反射を見せて、急に掻消(かきけ)すやうに暗く成つて了つた。


   第弐拾章

       (一)

 せめて彼の先輩だけに自分のことを話さう、と不図(ふと)、丑松が思ひ着いたのは、其橋の上である。
『噫(あゝ)、それが最後の別離(おわかれ)だ。』
 とまた自分で自分を憐むやうに叫んだ。
 斯ういふ思想(かんがへ)を抱いて、軈(やが)て以前(もと)来た道の方へ引返して行つた頃は、閏(うるふ)六日ばかりの夕月が黄昏(たそがれ)の空に懸つた。尤も、丑松は直に其足で蓮太郎の宿屋へ尋ねて行かうとはしなかつた。間も無く演説会の始まることを承知して居た。左様だ、其の済むまで待つより外は無いと考へた。
 上の渡し近くに在る一軒の饂飩屋(うどんや)は別に気の置けるやうな人も来ないところ。丁度其前を通りかゝると、軒を泄(も)れる夕餐(ゆふげ)の煙に交つて、何か甘(うま)さうな物のにほひが屋(うち)の外迄も満ち溢(あふ)れて居た。見れば炉(ろ)の火も赤々と燃え上る。思はず丑松は立留つた。其時は最早(もう)酷(ひど)く饑渇(ひもじさ)を感じて居たので、わざ/\蓮華寺迄帰るといふ気は無かつた。ついと軒を潜つて入ると、炉辺(ろばた)には四五人の船頭、まだ他に飲食(のみくひ)して居る橇曳(そりひき)らしい男もあつた。時を待つ丑松の身に取つては、飲みたく無い迄も酒を誂(あつら)へる必要があつたので、ほんの申訳ばかりにお調子一本、饂飩はかけにして極(ごく)熱いところを、斯(か)う注文したのが軈て眼前(めのまへ)に並んだ。丑松はやたらに激昂して慄(ふる)へたり、丼(どんぶり)にある饂飩のにほひを嗅いだりして、黙つて他(ひと)の談話(はなし)を聞き乍ら食つた。
 零落――丑松は今その前に面と向つて立つたのである。船頭や、橇曳(そりひき)や、まあ下等な労働者の口から出る言葉と溜息とは、始めて其意味が染々(しみ/″\)胸に徹(こた)へるやうな気がした。実際丑松の今の心地(こゝろもち)は、今日あつて明日を知らない其日暮しの人々と異なるところが無かつたからで。炉の火は好く燃えた。人々は飲んだり食つたりして笑つた。丑松も亦(ま)た一緒に成つて寂しさうに笑つたのである。
 斯(か)うして待つて居る間が実に堪へがたい程の長さであつた。時は遅く移り過ぎた。そこに居た橇曳が出て行つて了ふと、交替(いれかはり)に他の男が入つて来る。聞くとも無しに其話を聞くと、高柳一派の運動は非常なもので、壮士に掴ませる金ばかりでもちつとやそつとでは有るまいとのこと。何屋とかを借りて、事務所に宛てゝ、料理番は詰切(つめきり)、酒は飲放題(のみはうだい)、帰つて来る人、出て行く人――其混雑は一通りで無いと言ふ。それにしても、今夜の演説会が奈何(どんな)に町の人々を動すであらうか、今頃はあの先輩の男らしい音声が法福寺の壁に響き渡るであらうか、と斯う想像して、会も終に近くかと思はれる頃、丑松は飲食(のみくひ)したものゝ外に幾干(いくら)かの茶代を置いて斯(こ)の饂飩屋を出た。
 月は空にあつた。今迄黄ばんだ洋燈(ランプ)の光の内に居て、急に斯(か)う屋(うち)の外へ飛出して見ると、何となく勝手の違つたやうな心地がする。薄く弱い月の光は家々の屋根を伝つて、往来の雪の上に落ちて居た。軒廂(のきびさし)の影も地にあつた。夜の靄(もや)は煙のやうに町々を籠めて、すべて遠く奥深く物寂しく見えたのである。青白い闇――といふことが言へるものなら、其は斯ういふ月夜の光景(ありさま)であらう。言ふに言はれぬ恐怖(おそれ)は丑松の胸に這ひ上つて来た。
 時とすると、背後(うしろ)の方からやつて来るものが有つた。是方(こちら)が徐々(そろ/\)歩けば先方(さき)も徐々歩き、是方が急げば先方も急いで随(つ)いて来る。振返つて見よう/\とは思ひ乍らも、奈何(どう)しても其を為(す)ることが出来ない。あ、誰か自分を捕(つかま)へに来た。斯う考へると、何時の間にか自分の背後(うしろ)へ忍び寄つて、突然(だしぬけ)に襲ひかゝりでも為るやうな気がした。とある町の角のところ、ぱつたり其足音が聞えなくなつた時は、始めて丑松も我に帰つて、ホツと安心の溜息を吐(つ)くのであつた。
 前の方からも、亦(また)。あゝ月明りのおぼつかなさ。其光には何程(どれほど)の物の象(かたち)が見えると言つたら好からう。其陰には何程の色が潜んで居ると言つたら好からう。煙るやうな夜の空気を浴び乍ら、次第に是方(こちら)へやつて来る人影を認めた時は、丑松はもう身を縮(すく)めて、危険の近(ちかづ)いたことを思はずには居られなかつたのである。一寸是方を透して視て、軈て影は通過ぎた。
 それは割合に気候の緩(ゆる)んだ晩で、打てば響くかと疑はれるやうな寒夜の趣とは全く別の心地がする。天は遠く濁つて、低いところに集る雲の群ばかり稍(やゝ)仄白(ほのじろ)く、星は隠れて見えない中にも唯一つ姿を顕(あらは)したのがあつた。往来に添ふ家々はもう戸を閉めた。ところ/″\灯は窓から泄(も)れて居た。何の音とも判らない夜の響にすら胸を踊らせ乍ら、丑松は□(しん)とした町を通つたのである。

       (二)

 丁度演説会が終つたところだ。聴衆の群は雪を踏んでぞろ/\帰つて来る。思ひ/\のことを言ふ人々に近いて、其となく会の模様を聞いて見ると、いづれも激昂したり、憤慨したりして、一人として高柳を罵(のゝし)らないものは無い。あるものは斯の飯山から彼様(あん)な人物を放逐して了(しま)へと言ふし、あるものは市村弁護士に投票しろと呼ぶし、あるものは又、世にある多くの政事家に対して激烈な絶望を泄(もら)し乍ら歩くのであつた。
 月明りに立留つて話す人々も有る。其一群(ひとむれ)に言はせると、蓮太郎の演説はあまり上手の側では無いが、然し妙に人を□(ひきつけ)る力が有つて、言ふことは一々聴衆の肺腑を貫いた。高柳派の壮士、六七人、頻(しきり)に妨害を試みようとしたが、終(しまひ)には其も静(しづま)つて、水を打つたやうに成つた。悲壮な熱情と深刻な思想とは蓮太郎の演説を通しての著しい特色であつた。時とすると其が病的にも聞えた。最後に蓮太郎は、不真面目な政事家が社会を過(あやま)り人道を侮辱する実例として、烈しく高柳の急所をつ衝(つ)いた。高柳の秘密――六左衛門との関係――すべて其卑しい動機から出た結婚の真相が残るところなく発表された。
 また他の一群に言はせると、其演説をして居る間、蓮太郎は幾度か血を吐いた。終つて演壇を下りる頃には、手に持つた□子(ハンケチ)が紅く染つたとのことである。
 兎に角、蓮太郎の演説は深い感動を町の人々に伝へたらしい。丑松は先輩の大胆な、とは言へ男性(をとこ)らしい行動(やりかた)に驚いて、何となく不安な思を抱かずには居られなかつたのである。それにしても最早(もう)宿屋の方に帰つて居る時刻。行つて逢(あ)はう。斯う考へて、夢のやうに歩いた。ぶらりと扇屋の表に立つて、軒行燈の影に身を寄せ乍ら、屋内(なか)の様子を覗(のぞ)いて見ると、何か斯う取込んだことでも有るかのやうに人々が出たり入つたりして居る。亭主であらう、五十ばかりの男、周章(あわたゞ)しさうに草履を突掛け乍ら、提灯(ちやうちん)携げて出て行かうとするのであつた。
 呼留めて、蓮太郎のことを尋ねて見て、其時丑松は亭主の口から意外な報知(しらせ)を聞取つた。今々法福寺の門前で先輩が人の為に襲はれたといふことを聞取つた。真実(ほんと)か、虚言(うそ)か――もし其が事実だとすれば、無論高柳の復讐(ふくしう)に相違ない。まあ、丑松は半信半疑。何を考へるといふ暇も無く、たゞ/\胸を騒がせ乍ら、亭主の後に随(つ)いて法福寺の方へと急いだのである。
 あゝ、丑松が駈付けた時は、もう間に合はなかつた。丑松ばかりでは無い、弁護士ですら間に合はなかつたと言ふ。聞いて見ると、蓮太郎は一歩(ひとあし)先へ帰ると言つて外套(ぐわいたう)を着て出て行く、弁護士は残つて後仕末を為(し)て居たとやら。傷といふは石か何かで烈しく撃たれたもの。只(たゞ)さへ病弱な身、まして疲れた後――思ふに、何の抵抗(てむかひ)も出来なかつたらしい。血は雪の上を流れて居た。

       (三)

 左(と)も右(かく)も検屍(けんし)の済む迄(まで)は、といふので、蓮太郎の身体は外套で掩(おほ)ふた儘(まゝ)、手を着けずに置いてあつた。思はず丑松は跪(ひざまづ)いて、先輩の耳の側へ口を寄せた。まだそれでも通じるかと声を掛けて見る。
『先生――私です、瀬川です。』
 何と言つて呼んで見ても、最早聞える気色(けしき)は無かつたのである。
 月の光は青白く落ちて、一層凄愴(せいさう)とした死の思を添へるのであつた。人々は同じやうに冷い光と夜気とを浴び乍ら、巡査や医者の来るのを待佗(まちわ)びて居た。あるものは影のやうに蹲(うづくま)つて居た。あるものは並んで話し/\歩いて居た。弁護士は悄然(しよんぼり)首を垂れて、腕組みして、物も言はずに突立つて居た。
 軈て町の役人が来る、巡査が来る、医者が来る、間も無く死体の検査が始つた。提灯の光に照された先輩の死顔は、と見ると、頬の骨隆(たか)く、鼻尖り、堅く結んだ口唇は血の色も無く変りはてた。男らしい威厳を帯びた其容貌(おもばせ)のうちには、何処となく暗い苦痛の影もあつて、壮烈な最後の光景(ありさま)を可傷(いたま)しく想像させる。見る人は皆な心を動された。万事は侠気(をとこぎ)のある扇屋の亭主の計らひで、検屍が済む、役人達が帰つて行く、一先づ死体は宿屋の方へ運ばれることに成つた。戸板の上へ載せる為に、弁護士は足の方を持つ、丑松は頭の方へ廻つて、両手を深く先輩の脇の下へ差入れた。あゝ、蓮太郎の身体は最早冷かつた。奈何(どんな)に丑松は名残惜しいやうな気に成つて、蒼(あを)ざめた先輩の頬へ自分の頬を押宛てゝ、『先生、先生。』と呼んで見たらう。其時亭主は傍へ寄つて、だらりと垂れた蓮太郎の手を胸の上に組合せてやつた。斯うして戸板に載せて、其上から外套を懸けて、扇屋を指して出掛けた頃は、月も落ちかゝつて居た。人々は提灯の光に夜道を照し乍ら歩いた。丑松は亦たさく/\と音のする雪を踏んで、先輩の一生を考へ乍ら随(つ)いて行つた。思当ることが無いでも無い。あの根村の宿屋で一緒に夕飯(ゆふめし)を食つた時、頻に先輩は高柳の心を卑(いやし)で[#「卑(いやし)で」はママ]、『是程新平民といふものを侮辱した話は無からう』と憤つたことを思出した。あの上田の停車場(ステーション)へ行く途中、丁度橋を渡つた時にも、『どうしても彼様(あん)な男に勝たせたく無い、何卒(どうか)して斯(こ)の選挙は市村君のものにして遣りたい』と言つたことを思出した。『いくら吾儕(われ/\)が無智な卑賤(いや)しいものだからと言つて、踏付けられるにも程が有る』と言つたことを思出した。『高柳の話なぞを聞かなければ格別、聞いて、知つて、黙つて帰るといふことは、新平民として余り意気地(いくぢ)が無さ過ぎるからねえ』と言つたことを思出した。それから彼(あ)の細君が一緒に東京へ帰つて呉れと言出した時に、先輩は叱つたり□(はげま)したりして、丁度生木(なまき)を割(さ)くやうに送り返したことを思出した。彼是(かれこれ)を思合せて考へると――確かに先輩は人の知らない覚期(かくご)を懐にして、斯(こ)の飯山へ来たらしいのである。
 斯ういふことゝ知つたら、もうすこし早く自分が同じ新平民の一人であると打明けて話したものを。あるひは其を為たら、自分の心情(こゝろもち)が先輩の胸にも深く通じたらうものを。
 後悔は何の益(やく)にも立たなかつた。丑松は恥ぢたり悲んだりした。噫(あゝ)、数時間前には弁護士と一緒に談(はな)し乍ら扇屋を出た蓮太郎、今は戸板に載せられて其同じ門を潜るのである。不取敢(とりあへず)、東京に居る細君のところへ、と丑松は引受けて、電報を打つ為に郵便局の方へ出掛けることにした。夜は深かつた。往来を通る人の影も無かつた。是非打たう。局員が寝て居たら、叩(たゝ)き起しても打たう。それにしても斯(この)電報を受取る時の細君の心地(こゝろもち)は。と想像して、さあ何と文句を書いてやつて可(いゝ)か解らない位であつた。暗く寂(さみ)しい四辻の角のところへ出ると、頻に遠くの方で犬の吠(ほえ)る声が聞える。其時はもう自分で自分を制(おさ)へることが出来なかつた。堪へ難い悲傷(かなしみ)の涙は一時に流れて来た。丑松は声を放つて、歩き乍ら慟哭(どうこく)した。

       (四)

 涙は反(かへ)つて枯れ萎(しを)れた丑松の胸を湿(うるほ)した。電報を打つて帰る道すがら、丑松は蓮太郎の精神を思ひやつて、其を自分の身に引比べて見た。流石(さすが)に先輩の生涯(しやうがい)は男らしい生涯であつた。新平民らしい生涯であつた。有の儘(まゝ)に素性を公言して歩いても、それで人にも用ゐられ、万(よろづ)許されて居た。『我は穢多を恥とせず。』――何といふまあ壮(さか)んな思想(かんがへ)だらう。其に比べると自分の今の生涯は――
 其時に成つて、始めて丑松も気がついたのである。自分は其を隠蔽(かく)さう隠蔽さうとして、持つて生れた自然の性質を銷磨(すりへら)して居たのだ。其為に一時(いつとき)も自分を忘れることが出来なかつたのだ。思へば今迄の生涯は虚偽(いつはり)の生涯であつた。自分で自分を欺(あざむ)いて居た。あゝ――何を思ひ、何を煩ふ。『我は穢多なり』と男らしく社会に告白するが好いではないか。斯う蓮太郎の死が丑松に教へたのである。
 紅(あか)く泣腫(なきはら)した顔を提げて、やがて扇屋へ帰つて見ると、奥の座敷には種々(さま/″\)な人が集つて後の事を語り合つて居た。座敷の床の間へ寄せ、北を枕にして、蓮太郎の死体の上には旅行用の茶色の膝懸(ひざかけ)をかけ、顔は白い□布(ハンケチ)で掩(おほ)ふてあつた。亭主の計らひと見えて、其前に小机を置き、土器(かはらけ)の類(たぐひ)も新しいのが載せてある。線香の煙に交る室内の夜の空気の中に、蝋燭(らふそく)の燃(とぼ)るのを見るも悲しかつた。
 警察署へ行つた弁護士も帰つて来て、蓮太郎のことを丑松に話した。上田の停車場(ステーション)で別れてから以来(このかた)、小諸(こもろ)、岩村田、志賀、野沢、臼田、其他到るところに蓮太郎が精(くは)しい社会研究を発表したこと、それから長野へ行き斯の飯山へ来る迄の元気の熾盛(さかん)であつたことなぞを話した。『実に我輩も意外だつたね。』と弁護士は思出したやうに、『一緒に斯処(こゝ)の家(うち)を出て法福寺へ行く迄も、彼様(あん)な烈しいことを行(や)らうとは夢にも思はなかつた。毎時(いつも)演説の前には内容(なかみ)の話が出て、斯様(かう)言ふ積りだとか、彼様(あゝ)話す積りだとか、克(よ)く飯をやり乍ら其を我輩に聞かせたものさ。ところが、君、今夜に限つては其様(そん)な話が出なかつたからねえ。』と言つて、嘆息して、『あゝ、不親切な男だと、君始め――まあ奈何(どん)な人でも、我輩のことを左様思ふだらう。思はれても仕方無い。全く我輩が不親切だつた。猪子君が何と言はうと、細君と一緒に東京へ返しさへすれば斯様(こん)なことは無かつた。御承知の通り、猪子君も彼様(あゝ)いふ弱い身体だから、始め一緒に信州を歩くと言出した時に、何(ど)の位(くらゐ)我輩が止めたか知れない。其時猪子君の言ふには、「僕は僕だけの量見があつて行くのだから、決して止めて呉れ給ふな。君は僕を使役(つか)ふと見てもよし、僕はまた君から助けられると見られても可(いゝ)――兎(と)に角(かく)、君は君で働き、僕は僕で働くのだ。」斯ういふものだから、其程熱心に成つて居るものを強ひて廃(よ)し給へとも言はれんし、折角の厚意を無にしたくないと思つて、それで一緒に歩いたやうな訳さ。今になつて見ると、噫(あゝ)、あの細君に合せる顔が無い。「奥様(おくさん)、其様に御心配なく、猪子君は確かに御預りしましたから」なんて――まあ我輩は奈何(どう)して御詑(おわび)をして可(いゝ)か解らん。』
 斯う言つて、萎(しを)れて、肥大な弁護士は洋服の儘(まゝ)でかしこまつて居た。其時は最早(もう)この扇屋に泊る旅人も皆な寝て了つて、たゞさへ気の遠くなるやうな冬の夜が一層(ひとしほ)の寂しさを増して来た。日頃新平民と言へば、直に顔を皺(しか)めるやうな手合にすら、蓮太郎ばかりは痛み惜まれたので、殊に其悲惨な最後が深い同情の念を起させた。『警察だつても黙つて置くもんぢや無い。見給へ、きつと最早(もう)高柳の方へ手が廻つて居るから。』と人々は互に言合ふのであつた。
 見れば見るほど、聞けば聞くほど、丑松は死んだ先輩に手を引かれて、新しい世界の方へ連れて行かれるやうな心地がした。告白――それは同じ新平民の先輩にすら躊躇(ちうちよ)したことで、まして社会の人に自分の素性を暴露(さらけだ)さうなぞとは、今日迄(こんにちまで)思ひもよらなかつた思想(かんがへ)なのである。急に丑松は新しい勇気を掴(つか)んだ。どうせ最早今迄の自分は死んだものだ。恋も捨てた、名も捨てた――あゝ、多くの青年が寝食を忘れる程にあこがれて居る現世の歓楽、それも穢多の身には何の用が有らう。一新平民――先輩が其だ――自分も亦た其で沢山だ。斯う考へると同時に、熱い涙は若々しい頬を伝つて絶間(とめど)も無く流れ落ちる。実にそれは自分で自分を憐むといふ心から出た生命(いのち)の汗であつたのである。
 いよ/\明日は、学校へ行つて告白(うちあ)けよう。教員仲間にも、生徒にも、話さう。左様だ、其を為るにしても、後々までの笑草なぞには成らないやうに。成るべく他(ひと)に迷惑を掛けないやうに。斯う決心して、生徒に言つて聞かせる言葉、進退伺に書いて出す文句、其他種々(いろ/\)なことまでも想像して、一夜を人々と一緒に蓮太郎の遺骸(なきがら)の前で過したのであつた。彼是(かれこれ)するうちに、鶏が鳴いた。丑松は新しい暁の近いたことを知つた。


   第弐拾壱章

       (一)

 学校へ行く準備(したく)をする為に、朝早く丑松は蓮華寺へ帰つた。庄馬鹿を始め、子坊主迄、談話(はなし)は蓮太郎の最後、高柳の拘引(こういん)の噂(うはさ)なぞで持切つて居た。昨日の朝丑松の留守へ尋ねて来た客が亡(な)くなつた其人である、と聞いた時は、猶々(なほ/\)一同驚き呆(あき)れた。丑松はまた奥様から、妹が長野の方へ帰るやうに成つたこと、住職が手を突いて詑入(わびい)つたこと、それから夫婦別れの話も――まあ、見合せにしたといふことを聞取つた。
『なむあみだぶ。』
 と奥様は珠数(ずゝ)を爪繰(つまぐ)り乍ら唱(とな)へて居た。
 丁度十二月朔日(ついたち)のことで、いつも寺では早く朝飯(あさはん)を済(すま)すところからして、丑松の部屋へも袈裟治が膳を運んで来た。斯(か)うして寺の人と同じやうに早く食ふといふことは、近頃無いためし――朝は必ず生温(なまあたゝか)い飯に、煮詰つた汁と極(きま)つて居たのが、其日にかぎつては、飯も焚きたての気(いき)の立つやつで、汁は又、煮立つたばかりの赤味噌のにほひが甘(うま)さうに鼻の端(さき)へ来るのであつた。小皿には好物の納豆も附いた。其時丑松は膳に向ひ乍ら、兎(と)も角(かく)も斯うして生きながらへ来た今日迄(こんにちまで)を不思議に難有(ありがた)く考へた。あゝ、卑賤(いや)しい穢多の子の身であると覚期すれば、飯を食ふにも我知らず涙が零(こぼ)れたのである。
 朝飯の後、丑松は机に向つて進退伺を書いた。其時一生の戒を思出した。あの父の言葉を思出した。『たとへいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)はうと、決して其とは自白(うちあ)けるな、一旦の憤怒(いかり)悲哀(かなしみ)に是戒(このいましめ)を忘れたら、其時こそ社会(よのなか)から捨てられたものと思へ。』斯う父は教へたのであつた。『隠せ』――其を守る為には今日迄何程(どれほど)の苦心を重ねたらう。『忘れるな』――其を繰返す度に何程の猜疑(うたがひ)と恐怖(おそれ)とを抱いたらう。もし父が斯(こ)の世に生きながらへて居たら、まあ気でも狂つたかのやうに自分の思想(かんがへ)の変つたことを憤り悲むであらうか、と想像して見た。仮令(たとひ)誰が何と言はうと、今はその戒を破り棄てる気で居る。
『阿爺(おとつ)さん、堪忍(かんにん)して下さい。』
 と詑入るやうに繰返した。
 冬の朝日が射して来た。丑松は机を離れて窓の方へ行つた。障子(しやうじ)を開けて眺めると、例の銀杏(いてふ)の枯々(かれ/″\)な梢(こずゑ)を経(へだ)てゝ、雪に包まれた町々の光景(ありさま)が見渡される。板葺(いたぶき)の屋根、軒廂(のきびさし)、すべて目に入るかぎりのものは白く埋れて了つて、家と家との間からは青々とした朝餐(あさげ)の煙が静かに立登つた。小学校の建築物(たてもの)も、今、日をうけた。名残惜(なごりを)しいやうな気に成つて、冷(つめた)く心地(こゝろもち)の好い朝の空気を呼吸し乍ら、やゝしばらく眺め入つて居たが、不図胸に浮んだは蓮太郎の『懴悔録』、開巻第一章、『我は穢多なり』と書起してあつたのを今更のやうに新しく感じて、丁度この町の人々に告白するやうに、其文句を窓のところで繰返した。
『我は穢多なり。』
 ともう一度繰返して、それから丑松は学校へ行く準備(したく)にとりかゝつた。

       (二)

 破戒――何といふ悲しい、壮(いさま)しい思想(かんがへ)だらう。斯(か)う思ひ乍ら、丑松は蓮華寺の山門を出た。とある町の角のところまで歩いて行くと、向ふの方から巡査に引かれて来る四五人の男に出逢(であ)つた。いづれも腰繩を附けられ、蒼(あを)ざめた顔付して、人目を憚(はゞか)り乍ら悄々(しを/\)と通る。中に一人、黒の紋付羽織、白足袋穿(ばき)、顔こそ隠して見せないが、当世風の紳士姿は直に高柳利三郎と知れた。克(よ)く見ると、一緒に引かれて行く怪しげな風体の人々は、高柳の為に使役(つか)はれた壮士らしい。流石に心は後へ残るといふ風で、時々立留つては振返つて見る度に、巡査から注意をうけるやうな手合もあつた。『あゝ、捕つて行くナ。』と丑松の傍に立つて眺めた一人が言つた。『自業自得さ。』とまた他の一人が言つた。見る/\高柳の一行は巡査の言ふなりに町の角を折れて、軈(やが)て雪山の影に隠れて了つた。
 男女の少年は今、小学校を指して急ぐのであつた。近在から通ふ児童(こども)なぞは、絨(フランネル)の布片(きれ)で頭を包んだり、肩掛を冠つたりして、声を揚げ乍ら雪の中を飛んで行く。町の児童(こども)は又、思ひ/\に誘ひ合せて、後になり前になり群を成して行つた。斯(か)うして邪気(あどけ)ない生徒等と一緒に、通(かよ)ひ忸(な)れた道路を歩くといふのも、最早今日限りであるかと考へると、目に触れるものは総(すべ)て丑松の心に哀(かな)し可懐(なつか)しい感想(かんじ)を起させる。平素(ふだん)は煩(うるさ)いと思ふやうな女の児の喋舌(おしやべり)まで、其朝にかぎつては、可懐しかつた。色の褪(さ)めた海老茶袴(えびちやばかま)を眺めてすら、直に名残惜しさが湧上つたのである。
 学校の運動場には雪が山のやうに積上げてあつた。木馬や鉄棒(かなぼう)は深く埋没(うづも)れて了(しま)つて、屋外(そと)の運動も自由には出来かねるところからして、生徒はたゞ学校の内部(なか)で遊んだ。玄関も、廊下も、広い体操場も、楽しさうな叫び声で満ち溢(あふ)れて居た。授業の始まる迄(まで)、丑松は最後の監督を為る積りで、あちこち/\と廻つて歩くと、彼処(あそこ)でも瀬川先生、此処(こゝ)でも瀬川先生――まあ、生徒の附纏(つきまと)ふのは可愛らしいもので、飛んだり跳(は)ねたりする騒がしさも名残と思へば寧(いつ)そいぢらしかつた。廊下のところに立つた二三の女教師、互にじろ/\是方(こちら)を見て、目と目で話したり、くす/\笑つたりして居たが、別に丑松は気にも留めないのであつた。其朝は三年生の仙太も早く出て来て体操場の隅に悄然(しよんぼり)として居る。他の生徒を羨ましさうに眺め佇立(たゝず)んで居るのを見ると、不相変(あひかはらず)誰も相手にするものは無いらしい。丑松は仙太を背後(うしろ)から抱〆(だきしめ)て、誰が見ようと笑はうと其様(そん)なことに頓着なく、自然(おのづ)と外部(そと)に表れる深い哀憐(あはれみ)の情緒(こゝろ)を寄せたのである。この不幸な少年も矢張自分と同じ星の下に生れたことを思ひ浮べた。いつぞやこの少年と一緒に庭球(テニス)の遊戯(あそび)をして敗けたことを思ひ浮べた。丁度それは天長節の午後、敬之進を送る茶話会の後であつたことなどを思ひ浮べた、不図、廊下の向ふの方で、尋常一年あたりの女の生徒であらう、揃つて歌ふ無邪気な声が起つた。
『桃から生れた桃太郎、
 気はやさしくて、力もち――』
 その唱歌を聞くと同時に、思はず涙は丑松の顔を流れた。
 大鈴の音が響き渡つたのは間も無くであつた。生徒は互ひに上草履鳴して、我勝(われがち)に体操場へと塵埃(ほこり)の中を急ぐ。軈(やが)て男女の教師は受持受持の組を集めた。相図の笛(ふえ)も鳴つた。次第に順を追つて、教師も生徒も動き始めたのである。高等四年の生徒は丑松の後に随(つ)いて、足拍子そろへて、一緒に長い廊下を通つた。

       (三)

 応接室には校長と郡視学とが相対(さしむかひ)に成つて、町会議員の来るのを待受けて居た。それは丑松のことに就いて、集つて相談したい、といふ打合せが有つたからで。尤(もつと)も、郡視学は約束の時間よりも早く、校長を尋ねてやつて来たのである。
 校長に言はせると、何も自分は悪意あつて異分子を排斥するといふ訳では無い。自分はもう旧派の教育者と言はれる一人で、丑松や銀之助なぞとはずつと時代が違つて居る。今日とても矢張自分等の時代で有ると言ひたいが、実は何時(いつ)の間にか世の中が変遷(うつりかは)つて来た。何が可畏(こは)いと言つたつて、新しい時代ほど可畏いものは無い。あゝ、老いたくない、朽(く)ちたくない、何時迄(いつまで)も同じ位置と名誉とを保つて居たい、後進の書生輩などに兜(かぶと)を脱いで降参したくない。それで校長は進取の気象に富んだ青年教師を遠ざけようとする傾向(かたむき)を持つのである。
 のみならず、丑松や銀之助は彼の文平のやうに自分の意を迎へない。教員会のある度に、意見が克(よ)く衝突する。何かにつけて邪魔に成る。彼様(あん)な喙(くちばし)の黄色い手合が、校長の自分よりも生徒に慕はれて居るとあつては、第一それが小癪に触る。何も悪意あつて排斥するでは無いが、学校の統一といふ上から言ふと、是(これ)も亦(ま)た止むを得ん――斯う校長は身の衛(まも)りかたを考へたので。
『町会議員も最早(もう)見えさうなものだ。』と郡視学は懐中時計を取出して眺め乍ら言つた。『時に、瀬川君のこともいよ/\物に成りさうですかね。』
 この『物に』が校長を笑はせた。
『しかし。』と郡視学は言葉を継(つ)いで、『是方(こつち)から其を言出しては面白くない。町の方から言出すやうになつて来なければ面白くない。』
『其です。其を私も思ふんです。』と校長は熱心を顔に表して答へた。
『見給へ。瀬川君が居なくなる、土屋君が居なくなる、左様(さう)なれば君もう是方(こつち)のものさ。瀬川君のかはりには彼(あ)の甥(をひ)を使役(つか)つて頂くとして、手の明いたところへは必ず僕が適当な人物を周旋しますよ。まあ、悉皆(すつかり)吾党で固めて了はうぢや有ませんか。左様(さう)して置きさへすれば、君の位置は長く動きませんし、僕も亦(ま)た折角心配した甲斐(かひ)があるといふもんです――はゝゝゝゝ。』
 斯ういふ談話(はなし)をして居るところへ、小使が戸を開けて入つて来た。続いて三人の町会議員もあらはれた。
『さあ、何卒(どうぞ)是方(こちら)へ。』と校長は椅子を離れて丁寧に挨拶する。
『いや、どうも遅なはりまして、失礼しました。』と金縁の眼鏡を掛けた議員が快濶(くわいくわつ)な調子で言つた。『実は、高柳君も彼様いふやうな訳で、急に選挙の模様が変りましたものですから。』

       (四)

 其日、長野の師範校の生徒が二十人ばかり、参観と言つて学校の廊下を往つたり来たりした。丑松が受持の教室へも入つて来た。丁度高等四年では修身の学課を終つて、二時間目の数学に取掛つたところで、生徒は頻(しきり)に問題を考へて居る最中。参観人の群が戸を開けてあらはれた時は、一時靴の音で妨げられたが、軈(やが)て其も静つてもとの通りに成つた。寂(しん)とした教室の内には、石盤を滑る石筆の音ばかり。丑松は机と机との間を歩いて、名残惜しさうに一同の監督をした。時々参観人の方を注意して見ると、制服着た連中がずらりと壁に添ふて並んで、いづれも一廉(いつぱし)の批評家らしい顔付。楽しい学生時代の種々(さま/″\)は丑松の眼前(めのまへ)に彷彿(ちらつ)いて来た。丁度自分も同級の人達と一緒に、師範校の講師に連れられて、方々へ参観に出掛けた当時のことを思ひ浮べた。残酷な、とは言へ罪の無い批評をして、到るところの学校の教師を苦めたことを思ひ浮べた。丑松とても一度は斯の参観人と同じ制服を着た時代があつたのである。
『出来ましたか――出来たものは手を挙げて御覧なさい。』
 といふ丑松の声に応じて、後列の方の級長を始め、すこし覚束ないと思はれるやうな生徒まで、互に争つて手を挙げた。あまり数学の出来る方でない省吾までも、めづらしく勇んで手を挙げた。
『風間さん。』
 と指名すると、省吾は直に席を離れて、つか/\と黒板の前へ進んだ。
 冬の日の光は窓の玻璃(ガラス)を通して教へ慣(な)れた教室の内を物寂しく照して見せる。平素(ふだん)は何の感想(かんじ)をも起させない高い天井から、四辺(まはり)の白壁まで、すべて新しく丑松の眼に映つた。正面に懸けてある黒板の前に立つて、白墨で解答(こたへ)を書いて居る省吾の後姿は、と見ると、実に今が可愛らしい少年の盛り、肩揚のある筒袖羽織(つゝそでばおり)を着て、首すこし傾(かし)げ、左の肩を下げ、高いところへ数字を書かうとする度に背延びしては右の手を届かせるのであつた。省吾は克く勉強する質(たち)の生徒で、図画とか、習字とか、作文とかは得意だが、毎時(いつも)理科や数学で失敗(しくじ)つて、丁度十五六番といふところを上つたり下つたりして居る。不思議にも其日は好く出来た。
『是と同じ答の出たものは手を挙げて御覧なさい。』
 後列の方の生徒は揃つて手を挙げた。省吾は少許(すこし)顔を紅(あか)くして、やがて自分の席へ復(もど)つた。参観人は互に顔を見合せ乍ら、意味の無い微笑(ほゝゑみ)を交換(とりかは)して居たのである。
 斯(か)ういふことを繰返して、問題を出したり、説明して聞かせたりして、数学の時間を送つた。其日に限つては、妙に生徒一同が静粛で、参観人の居ない最初の時間から悪戯(わるふざけ)なぞを為るものは無かつた。極(きま)りで居眠りを始める生徒や、狐鼠々々(こそ/\)机の下で無線電話をかける技師までが、唯もう行儀よくかしこまつて居た。噫(あゝ)、生徒の顔も見納め、教室も見納め、今は最後の稽古をする為に茲(こゝ)に立つて居る、と斯(か)う考へると、自然(おのづ)と丑松は胸を踊らせて、熱心を顔に表して教へた。

       (五)

『無論市村さんは当選に成りませう。』と応接室では白髯(しろひげ)の町会議員が世慣(よな)れた調子で言出した。『人気といふ奴(やつ)は可畏(おそろ)しいものです。高柳君が彼様(あゝ)いふことになると、最早誰も振向いて見るものが有ません。多少掴(つか)ませられたやうな連中まで、ずつと市村さんの方へ傾(かし)いで了ひました。』
『是(これ)といふのも、あの猪子といふ人の死んだ御蔭なんです――余程市村さんは御礼を言つても可(いゝ)。』と金縁眼鏡の議員が力を入れた。
『して見ると新平民も馬鹿になりませんかね。』と郡視学は胸を突出して笑つた。
『なりませんとも。』と白髯の議員も笑つて、『どうして、彼丈(あれだけ)の決心をするといふのは容易ぢや無い。しかし猪子のやうな人物(ひと)は特別だ。』
『左様(さう)さ――彼(あれ)は彼、是(これ)は是さ。』
 と顔に薄痘痕(うすあばた)のある商人の出らしい議員が言出した時は、其処に居並ぶ人々は皆笑つた。『彼は彼、是は是』と言つた丈(だけ)で、其意味はもう悉皆(すつかり)通じたのである。
『はゝゝゝゝ。只今(たゞいま)御話の出ました「是」の方の御相談ですが、』と金縁眼鏡の議員は巻煙草を燻(ふか)し乍ら、『郡視学さんにも一つ御心配を願ひまして、あまり町の方でやかましく成りません内に――左様、御転任に成るといふものか、乃至(ないし)は御休職を願ふといふものか、何とかそこのところを考へて頂きたいもので。』
『はい。』と郡視学は額へ手を当てた。
『実に瀬川先生には御気の毒ですが、是も拠(よんどころ)ない。』と白髯の議員は嘆息した。『御承知の通りな土地柄で、兎角(とかく)左様いふことを嫌ひまして――彼先生は実はこれ/\だと生徒の父兄に知れ渡つて御覧なさい、必定(きつと)、子供は学校へ出さないなんて言出します。そりやあもう、眼に見えて居ます。現に、町会議員の中にも、恐しく苦情を持出した人がある。
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